「21世紀日本の構想」懇談会

「21世紀日本の構想」懇談会

合同合宿(8月7日)全体討議


【山本幹事】河合座長が提起された問題のうち、まず最初の3つのポイントについて議論することとしたい。

 第一の「個の確立」。個がいかに公の世界と関わり、コミットするかといった観点で御議論いただきたい。特に、そのような個人をどうやってつくっていったらいいかということにも関連づけたい。。

 第二が「新しいガバナンス」。これはまだ適切な日本語がないことでも分かるように、日本にとって新しい課題である。政府だけでは社会の運営ができなくなった中で、他のアクターたち、特に個人の参加が必要になってきているということで、とりあえずの日本語として、「参加型共治」あるいは「分散協調型共治」としたが、この概念自体の整理が必要であり、日本的な意味での新しいガバナンスの在り方を論ずる必要があり、個と公の関わりと非常に関係のあるテーマである。

 第三は「先駆性を活かし、やり直しがきく社会への転換」。まさに第5分科会で議論してきたような先駆性のある人間、誤解を招きやすいが本来の意味でのエリートが必要であるということと、それと対になる形で、やり直しを可能としていくための社会のセーフティーネットの在り方である。

 第四の「新しい価値の創造」は、これらの三点のすべてに関わる課題と言え、河合座長のご指摘のとおり、これまでの各分科会の議論の中では、「個」「ガバナンス」「先駆性」の三点が大きな部分を成してきているので、これら三点についてこの機会に議論を深めることができれば、今後の作業にとっても有益と考える。

【小渕総理】御議論の前に、気づきの点、教えていただきたい点を申し上げて、皆様方の御議論の中で、お考えをお聞かせいただけたらありがたい。

 まず、個の確立ということについて、個の確立が孤立につながらないような、個と集団との新しい関係をいかに築いていったらよいかということ。

 次に、ガバナンスというのは、私などは簡単に「統治」とばかり考えていたが、そうではないということだとすると、一般にはなかなかわかりづらいと思うので、この懇談会としての共通の意味づけを教えていただきたい。

 また、セーフティーネットというと、自分は、子どもの頃に見た木下サーカスのネットを思い出すが、予め落ちても大丈夫と考えると真剣味がなくなる。アメリカのグランドキャニオンをオートバイで飛ぶのがあるが、あれはネットがなく、まさに命がけである。最低限のセーフティーネットは必要と考えるが、厚過ぎるセーフティーネットは挑戦のインセンティブを削ぐ面があり、命がけで真剣にやることとネットを張ることと、どの辺でバランスを取るか難しい問題である。社会保障におけるネットの問題などにも関心が深いので、お聞かせいただければありがたいと思う。

 更に、誤解を招くことがあればお許しいただきたいが、「エリート」という言葉ではいけないのか。確かに、日本でエリートというと、一定の大学の一定の学部を出てという感じがあるが、「真のエリート」というのは良いような気もするが。

【山本幹事】ただいまの総理のご発言も踏まえ、まず、「個」「ガバナンス」「先駆性」の三点の関連性について、ご自由にご発言いただきたい。

【佐々木氏】「新しいガバナンス」は非常に難しいテーマである。ガバナンスに参加する主体、総理の言われたエリートにしても多様なエリートたちがおり、ガバナンスの仕組みをいかにイメージするかは、大きな課題として残っている。第三の「先駆性」との関わりでは、公と私のバランスを考えるのだけがエリートでなく、公と私のバランスを考えていては先駆性のあることはできないという領域もあり、とにかく1つの領域において世界に冠たる業績を上げるという意味での先駆性もある。エリートと言えるかどうか分からないが、経済的なある種の領域についてのスペシャリストという人もあるだろう。この辺りについては、私個人としても、今後の課題として受け止めていきたい。

【船橋氏】3つのテーマ、なぜ3つなのかと考えていたが、やはりこの3つだろうなと思う。というのは、「21世紀日本の構想」は、きざに言えばジャパニーズ・ドリームを指向して考えるのだろう。つまり、日本には意味も意義もある、それを他の社会の人々と共有したいとか、日本人もそれぞれが輝きたいとか、それを妨げているもの、立ちはだかっているものをいかにして克服するのか、というテーマとしてとらえたときに、「個」「公」それぞれの確立とか創出というのが非常に重要なテーマだろうし、ガバナンスの問題、それから先駆性というかエリートの問題、それぞれが非常に大きい意味を持ってくる。そういう形のくくり方というのは、とても良いと思う。

 「個の確立」というのは、「公の創出」と対としてとらえるべきものと思う。ケネディの言う「政府があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが政府に何ができるか」という、一種の緊張関係のあるダイナミックスのような意識が今必要になってきている。

 考えてみると、戦後日本が憲法を制定した時というのは、恐らく同様の、あるいは、より深刻な「個」と「公」というものの再確立があったであろう。民主主義の制度についても、何故、今これをもう一度改めてここでやらなければならないのか、それをもう少し突き詰めて考える必要があるのではないか。

 それは2番目の「ガバナンス」の問題とも関わっている。どんなに形があり、自由選挙で議院内閣制があっても、やはり行政と政治の関係、官と民、市場と国家、その誰が誰に対してどのような責任を持つべきなのか、それはどういうルールで決めるべきなのか、進めるべきなのか、という点がもう一度問われている。ガバナンスについては、単に多角とか協調ではなく、もっと深い問題があるのではないか。私自身もこのガバナンスというのはよくわからず、記事に書くときにはこれを使わないようにしているが、是非皆さんと一緒に勉強したい。

 最後にエリートだが、これも、エリートということだけでいいのかどうか。私は、違いはすばらしいという意味で、エリートというのに違いを認める。それを許容して更に進めるような社会をつくろうということだと思うが、同時に共通項も対で考えていく必要があるのでないか。ばらばらにセグメント化してしまって全体を見ない、公というものにも関心がない、他との違いを尊重しない、というようなことでは困る。従って、先駆的な人材を育成し奨励するとともに、一種の教養と言ってよいが、共通の知識、あるいは知恵とか約束事とか、さらには古典も含めた記憶の共有とか、すばらしいものを感じる感覚の共有とか、それがないとエリートを評価する力も社会の中に生まれてこないのではないか。ここは二正面作戦だろうと考える。

 しかし、コンテンツに注目したところは非常に戦略性があると思う。90年代を振り返ってみても、教育改革、選挙改革、制度改革など、入れ物、容器、制度の改革は言ってきたが、ついに中身のところの改革に来たのだと思う。

【翁氏】2つ申し上げたい。ガバナンスについては、統治という言葉がよく使われているが、統治では、責任と権限を明確にして規律づけするという秩序の面がかなり強調されているように感じる。ガバナンスのもう一つの側面は、ダイナミズムを生んで活力をもたらすという面であり、今回議論していくガバナンスについては、規律づけという側面と同時に、動機づけとかダイナミズムという側面をかなり意識して考えていく必要があるのではないか。

 二点目は、総理からもご指摘があった、セーフティーネットはどうあるべきかということ。セーフティーネットは重要なものだが、同時にそれを支えるためのコストも相当かかるということが重要ではないかと思う。コストとの見合いで考えていくということが非常に重要で、セーフティーネットの設計の仕方を工夫していく必要がある。

 例えば金融機関の預金保険などでは、健全なところは負担を小さく、そうでないところは負担を大きくするなど、いろいろ議論があるが、どういう人がコストを払うのか、そして、そのコストを払うに当たり、自己責任と両立するようにインセンティブ・動機づけをどういうふうに考えていくのか、という設計の仕方が非常に重要になっていく。単に負担を広く薄く設計するということだけでなく、工夫の仕方で相当程度この問題を解決していくことができるのではないか。同時に、今までのセーフティーネットというのは、例えば経済で言うと、年金基金とか金融機関などそれぞれの主体が情報開示をして、アカウンタブルであるということによって健全性を確保したりという、健全性確保の手段があったと思うが、そういった情報開示とか透明性の確保ということで、何が何でも守らなければいけないというプレッシャーを小さくしていくということもできるのではないか。

【坂村氏】「新しいガバナンス」で分散協調と出ていたが、これは実はコンピュータの言葉で、現在最先端のものとして協調分散型という研究中のコンピュータがある。今までは1つのコンピュータが全部の仕事をするようになっていたが、最近は、数万台、数十万台、数百万台というプロセッサーとかコンピュータをつなげて、一つの仕事をするという計算機システムが、コンピュータの分野で問題になっている。

 これをつくろうとしたときに何が問題になっているかというと、第一に、各プロセッサーのユニットの能力を上げなければならない。これはプロセッサーを人間にたとえれば、教育ということになると思う。第二に、センサーという情報を収集するものが非常に重要。全員が同じ情報を共有できないと、たくさんのプロセッサーがめちゃめちゃになってしまうので、そういう情報を収集する機関が重要になる。第三に、今までなかったものとして、コンピュータ・サイエンスの分野ではサーバーと言われているものが重要となる。サーバーには幾種類もあり、一つは調停サーバー。この会議で言えば山本幹事がやられているように、決定を下していくわけではないが、バラバラ・めちゃめちゃにならないように調停をしていく役割である。もう一つが、みんなが共有するためのデータを入れておくという共通データベース・サーバー。更に言えば、ルーターなどというのもあり、ネットワークの制御をうまくするというもの。要するに、そこがデシジョンを下すわけではないが、情報を共有し調停を取るというサーバー的なものが重要となる。もう一つ重要なことは、プロトコル。つまり、どうやって情報を交換するのかというデータ・フォーマットをきちんと設計しないと、情報の発信・受け取りがめちゃめちゃになって、1個の方がまだいいということなってしまう。

 これを人間にたとえると、個というのは教育ということになる。また、政府に相当するところはサーバーで、決定を下すのではなく、まさに総理の気配りということで、全部を気配りで見ていて、何かまずいところがあるとさっと助けにいくというような感じであろうか。

【山本幹事】分散協調という言葉は、ガバナンスの日本語訳を議論している際に、分科会での坂村氏のご発言の印象が非常に強かったのでお借りした。

【本間氏】ガバナンスというのは、もともと経済学から出た概念で、エリート−ノン・エリートという関係ではなく、契約理論におけるプリンシパル−エージェント関係を基礎とするものである。プリンシパルとは、国民とか株主とか、自分の労働を提供するものとしての従業員とかであり、例えば、政治とか株式会社とか自分の勤める会社に対して、預託・委任をする、そして、委任を受けたエージェント(代理人)がその約束事・契約をきちんと履行しているかどうかということをオブザーブ(観察)して、それに対して意見表明をしていくというのが、プリンシパル−エージェント関係におけるガバナンスの問題である。

 ノン・エリート−エリートという言葉づかいをしてしまうと、国民に上下・垂直があり、一部の人とそうでない人という区分でものを考えるという問題が、自己矛盾として起こってしまう。

 これに対して、多元的なチャンネルと言う場合に我々が考えるのは、水平的な民主主義国家において、専門性とそれを預託する者との関係をいかにシステム上効率的にコーディネートしていくかということ、分権的な形で行われる情報のやり取りの中で意思決定の効率性とスムーズさをいかに担保するかということなどである。従って、ガバナンスは、プリンシパル−エージェント関係、すなわち、民主国家的なイメージを前提に経済学における契約関係で捉える方がすっきりすると考える。

【薬師寺氏】「個の確立」について、全員が個を確立したら秩序は壊れることをまず了解しておかなければならない。従って、エリートの話と関係するが、個を失っているある種の人達に、相対的に今より個の確立を願いたいというのが基本的なメッセージではないか。

 そこで、誰かが個を確立するときに何がそれを妨げているかというと、河合座長がおっしゃったように、恐らく敗者復活ができないということがある。つまり、川勝氏の分野で言えば、安全な社会ではないので、個を確立すると不安材料になってしまう。この問題はどう考えるのか。川勝氏の言うセーフティーという望ましい状況を、ある種のプログラムとして担保するには、一体どういうふうにシステムをつくっていくのか、もう少し具体的なものを言わないと、個の確立というのは恐らくできないのではないか。

【山本幹事】「個の確立」とはどういう意味なのか。これまでの分科会の議論の中では、「個の確立」「インディビデュアリズムの発展」というのは西洋モデル、アメリカモデルではないか、それに対して日本的な個の確立があるのかという問題提起があった。もう一つ、個が確立していないとコミュニティーはできない、個が確立した上で参加するのでないといけない、という課題もある。個の確立と言ったときに、我々は何を言っているのか、更に言うと、そういう個をつくるためには何をしたらいいか、ということについて御議論いただきたいと思う。

【河合懇談会座長】これは非常に大事なことだが、私は全員が個を確立すべきだと思っている。それは利己主義ではないということが非常に大事であり、公ということをわざわざ言っているのは、確立された個が公のことを常に配慮している個であるということによって、つながるのではないか。

 ここは非常に難しい問題を含んでいる。それは、個人主義とはキリスト教文化圏から出てきた考え方であり、他からは出てこなかった。我々が言う個というのは、より深く考えていくと、キリスト教文化圏でない国における個の確立をいかに考えるかという問題が背後にある。私はこの点に非常に強い関心を持っている。

 私は日本的個の確立というのはあり得るし、それはキリスト教文化圏の個とそれほど違うものではないのではないかと考えている。それについて自分なりに考えていることは、ここではこれ以上は申し上げないが、いずれにせよ、この個とは何かという問題は、懇談会としてみんなで強く意識していくべきことと考える。

 薬師寺氏が言われたような批判を受けて立たなければならないが、私は全員が個を確立する、その個は公とか関係とかを全部含めて個と考えている、と理解している。

【小島氏】個と公とガバナンスという3点で思い出すのは、2・3年前に京都で開かれたCOP3という環境会議での強烈な印象だ。非常に強い個人が構成員となっている各国のNPOが参加し、コミュニティーとして情報を共有し、横のネットワークで結ばれて、官である各国政府の代表と対等に交渉に当たった。一方、日本は、縦の関係で交渉に入っていき、情報も共有できず、強い個も鍛えられず、結果として非常にまずい交渉になってしまったという感がある。

 「21世紀日本の構想」という視点でこの問題を考えると、21世紀はグローバルには既に始まっており、この始まっているという歴史的・時代的認識からすると、日本はその流れからずれてしまっていると意識せざるをえず、重要なポイントだと思う。

 また、あるNGOグループが始めた地雷廃止のキャンペーンは、個人が始めたものが、グループになり、横のネットワークでついには現実の各国政府を動かして、最終的に実現したという歴史的な出来事だと思う。このような価値観は、21世紀型の価値観であって、21世紀はこの意味でもう始まっているという自覚が必要という感じがする。

【松井氏】薬師寺氏が「個を強くしていくと秩序はなくなってしまう」と指摘され、河合座長が「そうではなく、別の意味での個があるのではないか」と言われたことに関係して、発言したい。

 論理的に個というものだけを取り上げていけば、薬師寺氏の言うとおりになると思う。物事は何でも、個だけの定義はできない。すなわち、他があって始めて自己が定義できるので、問題を個の確立というふうに取り上げてしまうと、正確な議論ができなくなる。

 要するに、個を議論するためには、明らかに公というものがあって、個と公の関係性の中ではじめて個が定義できる。強い個人の確立というときには、明らかに、関係性を議論するということになっている。それを個だけ取り上げれば、薬師寺氏の言うとおりで、宇宙でもビッグバンは、極端に言うと自己と他の区別がないような状態で、まさに混沌で秩序も何もない。だから、個にすべてのものを還元していったら、私は構造とか秩序とか安定はないと思う。

 ガバナンスというのは、構造とか秩序とか安定に関係すると思うが、日本のガバナンスの問題と同時に、今、地球の中で人間が置かれている状況というのも同じような状況にあるのではないか。要するに、地球システムから無尽蔵に流れ込んでくるいろいろなものの分配と統治がこれまでの近代文明だったとすると、無尽蔵に入ってくるものを単に分配していれば良かったものがそうではなくなったということである。日本の状況もまさに同じである。戦後の日本の経済というのは外部駆動力があって日本型のシステムが駆動されて、内部には駆動力がなかったようなものだと思うが、そういう意味では結局分配と統治だけでよかった。従って、この問題は、日本だけの問題ではなく、人類が突き付けられている問題であり、非常に本質的で、そう簡単に具体的な答が出てくるわけではない。

 それから、先駆性に関して言えば、全体を見て戦略的な思考をするということが、基本的には先駆性だろうと思う。だから、日本のことを考えるに際してもスケールをいろいろ自在に変えられるのであり、いつでも全体的な視野を持っているということが重要ではないか。

【山本幹事】松井氏のおっしゃった意味では、公とのかかわり合いの中で個の確立という言い方をすればいいのか。

【松井氏】個の確立ということだけを切り出して言うのは意味がない。

【山本幹事】「個の確立とネットワークの拡充」という言い方の「ネットワークの拡充」というところは、公に近い話ではないか。

【河合懇談会座長】松井氏のおっしゃるように、公というのは関係の中にあるわけだが、日本人は今までは関係の方が余りにも優先していたのではないか。それをもう少し個ということを意識してやらないとだめだという意味で、これを前面に出してきたと考えて良いと思う。

 また、違う言い方をすると、日本では、民主主義にしても日本的民主主義をやっており、本当に和魂洋才で来た。今は、和魂洋才ではだめなときが来ているという認識をしているが、なら洋魂になるかと言われると、皆さん、本当に洋魂洋才でいこうと思っておられるのだろうか。私は、和魂を深めることによって、球魂に達するという考え方であり、球魂というのは地球の球である。今までの和魂を突き破らないと、他につながらない。その中で個ということが出てきているという認識をしている。

【小林分科会座長】少しきちんとした方がいいと思うのは、個というときに、個の反対概念、全体概念とは何かということである。先ほど翁氏が秩序とダイナミズムというお話をされたが、日本の場合に今まで個が軽視されていたというのは、全体の秩序が非常に重視されていて、しかもその秩序というのは、パターナリズムと言うか、官とか権威ということで保たれていたということが重要である。これに対して、秩序は大切ではあるが、むしろ個を重視していき、公は権威ではなく、お互いに共通の価値観を持つことが結果的にある1つの秩序をつくっていくということ、これが目指すべき方向である。

 この意味では、サーバーという感覚は、全体を分散をしているのかもしれないが、何か秩序を保とうとするボックスがあるという点では、ここで考えているガバナンスとは異なると思う。先ほど伺った形の協調分散とは違うのではないか。

 もう一度、個と全体、私と公、その辺はきちんとしたおいた方がいいと思う。

【落合氏】その個と全体についてだが、私も、河合座長のおっしゃったように、みんなが個を確立するので良い、一部だけというのはかえってできない、という考えである。

 社会学者として、個と社会の関係について長く考えてきたが、自分が一番納得できる社会観は、構造言語学のソシュールの言うような社会観である。社会有機体説的なもの、すなわち、全体は1つの有機体であり個はその部分であるという考えが一方にあったのに対し、構造言語学では、全体とは有機体ではなく言語だという。言語には文法があり、文法は個を縛っているが、逆に文法がなければ個は自由に物を言うことはできない。なぜならば、文法なしに好き勝手な発音をしても意味を成さず、何を表現したいかがわかるのは文法・ルールがあるからだという。しかし同時に、個が自由に発言を続けていかなければ言語というものは死んでしまう。そういう関係のように思っている。

 従って、個を確立するというと、西洋流の個人主義とか、手あかのついたと言うか、かなり強い概念を思い出すが、そうではないと思う。

 また、個を確立するという論点が出てくるときに、なぜそれを言わなければならないかということをよく考えておくことが必要である。それは、この懇談会の提言全体に言えることだが、理想を並べるだけではやはり説得力を持たない。今までの現状認識とか、それがどうして曲がり角に差し掛かっているかを言わないと、次が言えないと思う。

 個が必要だと私が思うのは、今回の主要論点に即して言うと、第3分科会の2の「(1)20世紀の安心の保障」の項に「国家・企業・家族などの組織・制度への帰属」とあるが、まさにこれがなくなっていくということが、個の確立を必要としているのだと思う。すなわち、国家とか企業とか家族というのは、有機体的なもので、それ全体が1つの生物のように動き、その中の人たちをパーツにし、人々を守ってくれてもいたが、不自由にもしていた。それが幸か不幸か機能できなくなってきており、そこで、この際、個が自分の力で頑張っていくのはしようがないのではないか、だから、個の確立を言うのだというふうに言いたいと思う。

 私は家族の個人化ということを日頃言っているが、風当たりが強い。これを聞く人は、最初は、何かすごくさみしい社会を想定するようであり、「孤独になってしまいますね」と言われる。それに対して私は、別に個人がみんな独居老人みたいになってしまうわけではないと、人と住んでいてもよいが個人と個人のネットワークとして住んでいるんだ、と言う。例えば、今まで女性たちは、自分が一人娘や女兄弟だけであっても、自分の親の老後の世話にはすごく気を遣ってきた。というのは、自分の夫の家族の有機体の一部にされてしまっていたからである。しかし、家族は個のネットワークだということになると、自分の夫の家族との関係もネットワークだし、自分の実家との関係もネットワークである。自由にそのときの必要に応じて人間関係を組み替えていけて、こちらの方が人間的な社会ではないかと思っている。

【山本幹事】個と全体の関わり、個と公の関わり、これはガバナンスの問題であるが、2つの側面がある。何でも政府に頼るということではなく、強い人間でなければならないというのが一つで、もう一つは、政府だけが仕切るようなことではなくなってきているという状況、多様化した社会では個が本当の意味で参加しなければならないという状況になっているということ。

 個と全体、個と政府の問題、ガバナンスの問題に話をシフトしていきたい。

【高島氏】世代、それから社会全体というのをもう一度見てみたい。今の若い世代の物の考え方というのは、基本的には個ではないかと思う。その個は確立されておらず、みんがばらばらになってきている世界が生まれている。そこで、問題は、どうやって確立された個を生み、その確立された個が社会を形成し、ネットワークにきちんと組み込まれていくかということになる。

 では、一体なぜ確立されていない個がばらばらになって、社会の中に生まれているのかを考えてみると、一つの結論として、日本人の思考能力が低下している、もしくは、知的レベルが低下しているということがあるのではないか。これが、結局は、今のようなさまざまな形での崩壊現象を生み、種々の問題を生んでいるのではないか。

 ガバナンスの問題、先駆性の問題を網羅して、我々が考えなければいけないもう一つの問題は、物を考え、相手を常に自分との対比の中で認め、もしくは考えるという思考能力を持った人間を生み出すこと。それが確立された個であろうと思うし、それは、キリスト教から生まれた個人主義ではなく、日本が伝統的に持っていた物の考え方の中でもう一度生み出せる道があるのではないか。先ほど来の議論の「全体が個になるのか」「一部が個になるのか」というものを超えた話があるのではないかという気がする。

【大原氏】個の確立について言えば、ミッションに目覚めた個が、一生懸命にガバナンス体制に参画していき、新しい豊かさをつくり広めるという方向の話が一つあり、それについてはかなり議論されている。しかし、実は、個を確立するというのはつらい話で、しかも、確立されたらしんどい、疲れるというのが広い層の本音ではないか。逆に言うと、広い層が疲れるが否応なしに個は確立せざるを得ないという社会になっていくので、良い悪いを別にしてそうならざるを得ないのならば、安心して個が確立されていられるような、いわばほっこりした社会をつくるという方向の話もしておかないといけないのではないか。

 ほっこりした社会、つまり、何となく同じ日本人じゃないか、楽しく、ほっこり、仲よくやりましょうやという雰囲気のある社会をつくるという話、これは川勝分科会の話だろうと思う。それをつくるための日本人のきずなとは何かということを、みんなで共有するような雰囲気をつくることが必要でないか。

 歴史のつながりがないと世界に広がらないということを昨夜申し上げたが、それだけではなく、同じヒーロー、例えば源義経好きというレベルでいいから、歴史を共有している。言語を共有している。あるいは好み、河合座長は感覚と言われたが、好みを共有している。私たちは同じものを美しいと思うし、あるいは寅さんや花月など面白いと思うものを、市民レベルというより市井レベルで共有している。個を確立するのがしんどい・疲れるというレベルでの、日本人のきずなを確立するための核のような、共有するものは何かということを勉強していくことが片方にあり、それをやってはじめて安心して個が確立できる。そして確立した個が、新しい豊かさをつくるためにやっていく。そういう構造を考える必要がある。

【山本幹事】今のメッセージは、都会でもそれができるかという問題があり、全国横断的なグランド・デザインを必要としているのかどうかという点も含めて、いろいろ議論を深める必要があろう。

【広井氏】二点ある。一つは、公との関係で、国民国家ということを考えてみる必要がある。つまり、これまで公の担い手は国民国家だったが、先ほど河合座長から球魂という話があったが、ここでいう個人は非常にコスモポリタン的な個人になると思う。そうなると、それに対応するのは国民国家ではなく、突き詰めれば世界政府となり、これまでの公の担い手である国民国家を超えたレベルになっていく。そういう地球レベルを視野に入れて、公共性、個人を考えていくという視点が必要ではないか。

 もう一つは、「個」と「公」の間に「共」を入れて考える必要があるということである。自分が専門とする社会保障の分野では、通常、「自助・共助・公助」と考える。先ほど船橋氏も言われたように、個と公は対であり、むしろ共同体・コミュニティーが間に入って、日本では公共団体ベースでやってきた。さきほどの「なあなあのような社会」というのはコミュニティーだと思うが、それに対して個と公があるというように、3つあると思う。では、共同体と個人は矛盾するかというと、恐らくネットワークという概念がキーコンセプトで、個人があり、ネットワークとして共同体があり得るので、個と公と共というのは常にセットとして考えていく必要があるのではないか。

【牧氏】個の確立の問題については、内向きの哲学と外向きの哲学の違いではないかと思っている。内向きの哲学とは、世界より日本が大事だ、日本より地域が、地域より職場があるいは家庭が、家庭より子どもが、妻が、自分が大事だというように、自分のことばかり大事にする個の確立というのがある。これが内向きの哲学。

 逆に、外向きの哲学とは、自分より家族が必要であり大事だ、近所が大事なんだ、あるいは自分のいる毎日新聞の社会部が、いや毎日新聞本体が、東京が、日本が、世界が、宇宙が大事だというような考え方。

 皆さんの御意見を伺いつつ、私は実は、今の日本は、個が既に確立されているのではないかと考えている。ただ、確立されているレベルがみんな違うところにあるのではないか。個は既に確立されており、従って、個が確立されたから社会がだめになってしまうということはあり得ないと思う。ところが、確立した個がどこに価値観の重点を置くかが異なることによって、ばらばらになっていると思う。国家が大事だという人もあれば、自分だけが大事だという人がいる。そこに混迷があるのではないか。

 その原因は、経済力の問題、及び、個人の知的基礎体力という点にあると思う。自分の力に応じてどこに価値観を置けるかというところが違ってくる。このような哲学的な観点から考えないと、皆さんの言うガバナンスというものが具体的にイメージできないので、それをイメージするだけの哲学的な説得力が必要ではないか。

【本間氏】個と公を分解して、対立概念として扱うことは危険だと思う。個の確立とは、ある問題に対して個々人がそれぞれの意見を持つということであろうが、その異なる価値観を集積して、1つの社会の意思決定にまとめ上げ、結果として1つの政策が取られた時には公共性を持つことになる。その政策は、個の価値観の相違にかかわらず強制する側面を持っている。

 政策を作るプロセスは、専門家としてのエージェントに案をつくってもらい、それに対して個々人が自分の意見を構築し、情報の共有、説得を国会その他のメディアを使ってやっていくことになる。そして、真の意思決定の中における国民大多数の意見として、公共性というものを全体に強制する。これがプリンシパルとエージェントの関係である。プリンシパルは、国民全体一人ひとりの価値観であり、それを表明する個人である。エージェントは国家であり、政治家であり、行政である。時間等の制約の中でいかに効率的にその関係をマネージしていくかが問われているのであり、個と公を対立概念としてとらえるのは、若干封建主義的なとらえ方ではないかと感じる。

【山本幹事】公とのかかわり合いにおける個という取り上げ方なら問題はないのではないか。残り時間で、過去のしがらみから脱却するに必要なリーダー、エリート、先駆性のある人材を、どうすればつくっていけるのかという点もご議論いただきたい。変革をお題目に済ませない、変革の触媒的な人材をどうやってつくっていくのか。教養、知的能力の拡充も必要だろうが、具体的に、どんな人間をつくっていったらいいのかについて、少し重点を置いたご発言もお願いしたい。

【天野氏】子どもを大切にしない国は滅びるということを述べた人物がいる。21世紀を背負うのは今の若者であり、昨日総理が仰った若い世代との対話は素晴らしい考えであり、敬意を表したい。

 第4分科会で、目交(まなかい)という言葉が出たが、母親が生まれた赤ちゃんを抱いて、目と目を合わせてにっこり笑うことが心の通じ合いの最初である。三歳までに自我が確立していくと言われるが、個の確立はその後のことであり、まずは、正しい自我を育てるべく、子どもの心にきちんとした対応をしていくことが大切だと考える。

【星野氏】先ほど小島氏からCOP3のNGOの話があったが、長年国際協力にかかわってきた人々は、社会における品格の実現として、世界に関心を抱き、国際的な寄与をする気概や使命感を持って、責務を果たしている。

 その際、COP3での議論にも見られたように、短期的視野でなく地球魂で考えていくことが重要であると思う。和魂を捨て地球魂で行動することによって、長期的には、日本というものが世界の中で非常に尊重される存在になり、結果として日本のことを考えることになる。そこに至る前に反日本的であるということではじかれがちであるが、そこは寛容の精神をもって、今わからない異なる考えでも、尊重していく余裕がないとだめだと思う。

 国際協力に関与している人たちとODAとの関わりについては、NGO補助金によって事業をやりなさいということになりがちで、ODA全体のあり方の議論からは排除される傾向があることは問題である。

 第三に、この懇談会全体について申し上げたい。この懇談会は、既存の価値でははかることができない新たな時代に、一つの指針、あるいは考える材料を与えようとしていると思うが、既に、ここで語られることと全く違う感性で自分の人生を考える世代がいる。そうした新たな世代の考え方を縛っていくことを私は望まない。かつて軍国主義が壊れると経済大国を目指す新たな枠ができ、みんなその中に入ってしまった。21世紀の日本の構想はこうだと言い、教育などもそれに余り従い過ぎると、再度、次の新しいものが生まれるのを阻害しかねないという意味において、日本国が余り一色に染まり過ぎることのないよう期待している。

【山本幹事】我々が扱っている課題そのものの性格からいって、枠組みをはめるような結論はあり得ず、国民的に論議すべき議題を提示することに主軸がおかれると思うので、最後の点は、御心配には及ばないのではないか。

【如月氏】個々人の意識改革について考えると、出発点はやはり個であり、個の内部というのが更に出発点だと思う。そのベースにあるのは、例えば、家族の語らい、一食一食の食事といった個人の暮らしの細部の豊かさを求める姿勢であろう。身近なところに考えを持っていかないと、エリート、ノン・エリートのように議論の筋がはずれてしまう。まず自分の暮らしの細部に豊かさを求めてよいことを明らかにした上で、社会全体や、地球全体の豊かさを求めない限り、暮らしの細部の豊かさも手に入らないという洞察力をまず第一に育てなくてはいけない。今までは、個人の暮らしの細部の豊かさが細部だけでとどまっていた。それでは求めるものは手に入らないことを認識するところから、公共という考え方も生まれ、生き延びていく中央としての共生も生まれてくるのではないか。

 新しい価値とは、生活の細部でどのような状態を豊かと感じられるかの問題である。豊かさを求めるために、より大きな社会、国、国際協調、地球といったベクトルでつなげて考えられる人材を如何に育てていけるかが教育の問題であると思う。今必要とされているのは、つなぎ目、調整役であり、高度な能力が求められる。今後の世界像を考えたときに、良質なつなぎ目、調整役をどれだけつくれるかが、社会の安心、安全に非常に大きくかかわってこよう。

 個の内部は、個の外部と密接につながり合っている。日本の内部についての考えは、日本の外部の問題と密接にかかわり合っており、いずれが出発点とか帰結とかではなく両方がバランスをとりつつ進んでいくことが重要である。日本が安定することが世界の安定であるというくらいの気持ちで、内側を考えることは常に外側を考えることだという意識で話を進めないと、閉ざされた問題意識になりかねない。

【山本幹事】エリートという言葉の適否についても、議論を深めていただければと思う。

【北岡氏】国益という言葉には伝統的に反発もあるが、第一分科会で我々が言っているのは、星野氏が批判されたような、直近の日本の利益ではなく、広い世界の安定の中で生きていかなければ長期的にやっていけないという日本の状況を踏まえた、長期的、国際的な啓発された自己利益(エンライテンド・セルフ・インタレスト)に根差した国益である。その前提で申し上げたい。

 先程来、ガバナンスの問題が議論されており結構であるが、日本のこれまでの問題の1つに、ガバナンスの最たるものである政府がきちんとした責任を本当に果たしてきたのかということがあると思う。税金を徴収し、警察を動かし、裁判をし、処罰をする、武力を使う、そうしたことを最終的に決めるのは政府であり、最終的に責任をもって行動する機能がおろそかになってはいけない。したがって、参加型等の修飾語をつけるのは良いが、統治を言い換えることにはあまり賛成ではない。統治は統治でいいと思う。政治の世界以外の役割が重要という指摘は確かだが、政治により多様な人が参入しやすくなったり、政治が機能的に行動し、余分なものは外に出して、肝心のことにきちんと対処することが、ガバナンスのコアであり、それがおろそかになっては困る。最終責任を負って、日本の進路を本当に真剣に考えるポストなり役割なり責任感というものを、戦後日本では少しおろそかにしたこともあったので、それは真剣に考えていく必要がある。その際、日本全体、あるいは世界全体をにらんで責任感をもった行動をする人間を養成し、そういう人が政府に入っていきやすくすることは不可欠であろう。こうしたガバナンスの問題の肝心なところを逃げないようにしていただきたい。

 次に、日本外交の大きな目標、課題は何か。ケルン・サミットなどでも主張された文化の多様性は重要な課題であると思う。それぞれ違った個々の魅力に価値があるという視点を今後も大事にしたい。自分は、世界政府にはならないだろうし、ならなくていいと考えており、多様性を生かしていくことの中に、世界の中の日本の大きな存在意義があると思っている。日本は、中国文明の辺境にあって違うものをつくりあげ、アジアの中にあって西洋文明をいち早く受け入れて違ったものをつくってきた。そうした日本の個性を強調することは大切であり、日本から一足飛びに世界に行くことはないと思っている。

【田中氏】先ほど、官だけが公、パブリックを担うわけではないという議論があったが、日本人にとって日本だけがパブリックであるわけではなく、様々なパブリックがある。世界、アジア太平洋、あるいは日本があり、それから町内会、私の家というパプリックもある。その上で、この「21世紀日本の構想」懇談会で議論するのは日本の構想であり、日本というパブリックのためにはどうしたらいいかを考える必要がある。ほかの様々なパブリックが重要になっていることは間違いないが、日本というパブリックが重要であり、日本の利益、先ほど北岡氏が述べた意味の国益が、唯一のものではないにせよ重要だと考えているからこそ、こうした構想を考えているのだと思う。

 純粋に個のことだけを考えれば、個の勝手だから確立しようがしまいが構わないということになるが、ここでの議論は、日本というパブリックにとって個が確立してくれないと困るということだろう。世界という文脈で見ると、この点は非常に重要である。私の印象では、世界の中で日本というパブリックのために働いてくれる人の数は相対的に減少してきており、それはパブリックの重層性が増すという現象と一緒になって起きている。総理の外遊回数や閣僚の国際会議出席頻度がこの数年間で幾何級数的に増えていることでも分かるように、世界の中で処理すべき問題領域は非常に増大している。その中で、日本というパブリックを、今の水準を落とさないで維持していくためには、より一層頑張ってくれる人材が輩出されなければいけない。世界の状況から見ると、協調とか和とか言ってばかりいる人たちだけでは、日本のために十分な役割を果たしてもらえない面があると思う。

【国分氏】第1に、20世紀初め、19世紀末の日本の構想は、世界にキャッチ・アップすることがおそらく最大の目標であったと思われる。それはこの20世紀に基本的に実現できた。これに対し21世紀の構想は何か。本日の議論を聞く限り、日本の生活の質をいかに高めていくかということではないかと感じる。

 第2に、個と公(あるいは全体)との関係で如何なる日本人をつくるかという問題も大事だが、同時に、世界の中で日本がどう生きていくかという問題も大事であろう。一時期日本異質論が主張されたこともあり、世界の中での日本の相対化作業も必要である。我々の隣人たる東アジアを見ても、中国、朝鮮半島、あるいはそれ以外と、日本を含めてそれぞれに異質であり、異質なものとどう共生していくかという発想が必要であろう。その場合、日本自身をどう相対化するかが重要な課題である。

 第3に、どういうふうに公をつくり出すのか。異質なものを尊重しながら、同時に、それぞれが競争原理の中で生きていかざるを得ないことを認識し、その競争原理の中でいかに責任感を持つかが重要であろう。

 第4に、政治がつまらないという現象が起きているのは1つの大きな問題ではないかと思う。面白い政治をつくり出すのは、一義的には政治家であろうが、同時に、我々政治学者が、政治について如何に新しいものを考え出し、今起こっている現象を如何に面白く説明していくかも重要な課題である。自戒も込めて申し上げたい。

【浅海氏】先駆者とエリートは少し違うと思う。先駆者を如何に育てるかという議論をあるところでしたら、途端に「お前の言いたいことはよくわかるが、先駆者というのは育てられないから先駆者なんじゃないか」とフランス人が笑い出したことがあった。そういう議論をあえて今しなければならないのは、外からの衝撃を受けて初めて改革が成立するのではなく、内なる駆動力を持って社会を改革をしていく手法が必要とされているからであろう。そのために、社会の枠からはみ出る先駆者を自分たちでつくり、そこから圧力を受けるという手法が必要なのではないか。

 一方で、エリートも必要であると思う。エリートとは、改革の進むべき方向を明確に示してリードしていく存在だが、確立した個同士の論議のぶつかり合いがあって、初めて人間が鍛えられ、エリート足り得る強い人間が成立する。そういう論議を行い得る社会においてこそ、初めてエリートの下で結集できるのではないか。そういう意味で、先駆者とエリートとは少し違って、しかも、我々は恐らく両方必要ではないかと思う。

【千野氏】かつて、エリートに選良という訳語を当てて来たと思うが、この訳語はあまりふさわしくなかった。また、戦前と戦後の対比において、戦後はエリートの責任が果たされず、間違ってしまった。このため、エリートへのネガティブな投影があると思われるが、エリートという言葉そのものが悪いわけではない。エリートという言葉には、依然日本において、しかるべき場所を与えるべきであると思う。では、エリートとは何か。それは、「志の高さ」であり、それに尽きるのではないか。日本の社会に今、決定的に必要とされているのは志の高さであろう。

【山本幹事】これまで、エリート=高級官僚的な意味があり、1つにはそれが悪いイメージになった。しかし、官僚の中にも志高くて、公のことを思っている人がたくさんいる。他の参加について寛容でないということもかつてあったが、参加しない方の問題もあった。「個」を確立しながら「公」に絡む人間が増えていくことが、より正しいガバナンスであるというところであろう。

 ここで各分科会座長に、これまでの議論に対する感想、抱負等お願いしたい。

【川勝分科会座長】個の確立は日本が欧米文明と接触して以来の問題であるが、それが結局、自己中心主義や利己主義になりがちであったのは、欧米の個が神との緊張関係にあるのに対し、日本においては、神に当たるものが国家であったり、企業であったり、家族であったりしたためであろう。残念ながら、そういう公的性格を持つものにコミットする気概が失われたのが現代だと思う。

 さて、我々にとって日本は必ずしも全体ではなく、全体は差し当たって地球(グローブ)と言うことができようが、ジャパニーズ・ドリームの追求が、同時にグローブのドリームにもかなっているときに、地球の中での日本の役割がはっきりし、日本人も皆元気になるのではないか。全体にとって個が何かの役に立っていることがわかる結果、かえって個の自立ができる。自己完結的ではなく、全体の中での自分の役割が何かがわかり、自分が相手を生かす媒体的な役割をしていることが認識できるときに、かえって個の行為が生きるという逆説があるように思う。個は他を生かす、他に生かされる役割の中に存在することを自覚することが、相手を変えることにもなるし、また、自己を変えることになる。こうした関係の中では、自分だけでは変わり得ず、お互いに変わり合う必要がある。それは結局、ネットワークの中でお互いに結び付いているということである。何もかもが閉じられた存在ではなく、役割的存在である。生かすという主体性において、かえって個が確立するという存在の仕方を我々はしているのではないか。

 ところが、例えば、個の確立のため子ども部屋が与えられるなど、こどもは与えられるばかりで、一体何を生かしていいのかわからなくなってきている。今私たちは、関係性の中に生きる生き方を具体化するための方策について、やや戸惑っている状況であろう。

 これまでのシステム、特に教育システムは、根本的に頂点から変えていくものである。一番上の大学とか研究院とかの役割を、旧来の日本人の日本だけのための国づくりの媒体から地球社会のための媒体へと変えていけば、これを目標として頑張る青少年たちの役割観念も変わっていくだろう。どこか一点突破しなければならないが、それは政治の役割だと思う。

【中村分科会座長】自分自身は、普段生物を研究し、人間も生き物の一つだという考えの中で暮らしている。今回はそれを捨てて政治、経済、企業等の立場からものを考えようと思ってきたが、今日の議論を生物学者として聞いていると、非常にうまく整理ができるという感じを持った。

 勿論、社会生物学のように生物ということで何でも答え得るとは思わないが、例えば如月氏の述べた暮らしの細部から出てそれが外へも中へもつながるシステムや、大原氏が述べたほっこりと厳しさを両立するシステムは、世の中に割合存在している。

 勿論、イモリでこの報告を書こうとは思わないが、日常考えている生き物という感覚をうまく今後の報告の中にも生かしていきたい。

【小林分科会座長】二、三の感想を述べたい。

 第一に、これからの新しい時代のマス(大衆)を一体どう認識すべきかが大きな課題と感じた。インターネット時代、PC時代のマスは、過去のマスとはかなり違う。マスが動かないと社会は動かないことは明らかであり、今度の構想も、一部のエリートだけに認められても、それで社会を引っ張っていけるというものではない。

 それと関連して、先ほど個とか、内向きと外向きとか、色々な議論を聞いていて、本田宗一郎氏が「ホンダは会社のために何か考えろなどと臭いことは言わない。自分で一番いいと思うことを徹底的にやれと、言っているんですよ」と述べていたのを思い出した。最初は、そんなことで会社がやっていけるのかと思ったが、その言葉には、人間への基本的な信頼、すなわち、多分馬鹿なことをする者もいるし、人のことを考えない者もいるけれども、結局は、関わりなしに生きていけないのであり、それが皆わかってくれば、必ずいいものを見つけていくという、ホンダ・イズムの思想が表れていると思う。ホンダ・イズムが生きていれば、若い世代の公についての認識も、自然と見つかっていくのではないか。

 そういう意味で、新しい豊かさをアプリオリに規定することは、次世代の能力を我々が限定して考えることになりかねないので、第二分科会では、インフラ的なことは考えるけれども、その上に何が出てくるかは、むしろ若い世代に任せようと考えてきた。

 いずれにせよ、マスを如何に動かしていくか、動かす要因がどこにあるかをもう少し今後考えていきたい。

【五百旗頭分科会座長】三つのことを簡単に、我が家も全壊した阪神・淡路大震災を例に申し上げたい。

 あの時、120万人のボランティアが現れた。それがなければ、悲惨さにさらなる殺伐さが増していただろうということは確信を持って言える。つまり、民の力なしにあの危機に対応していれば、事態はさらにひどかったのである。ボランティアだけでなく、大企業なども非常に重要な役割を果たしており、様々なレベルの民が大事であると感じられた。

 しかし、次に何らかの危機的な事態が起きたときには、民の何百万のボランティア万歳ということでは絶対に困る。その瞬間には、全責任を集約して、公を代表している官が負う権限というものがあるわけで、決して免責を許容する意味で民を重視するのではない。それはしっかりやっていただく必要がある。

 但し、官が何もかも埋め切れるものでもない。大震災などの際は、足りないところを民が埋めることが必要であった。これは例外的状況ではあるが、21世紀の社会には、そういう事態が慢性的に起こると思う。自分にしかできない大事なことを官はしっかり務める。同時に、民に多くを委ねて、官と民を組み合わせることが大事であろう。結論的に言えば、エリートというのは、官にあろうと民にあろうと、パブリックへの志を持ってそれを支える存在であり、そのどちらも活性化されなければならないというのが第1点である。

 120万のボランティアの大半は、「被災者は大変だ」「気の毒だ」という同情心を持って動かれたと思う。そこで出てくるのは、普遍的価値という問題である。西洋の場合、そこが非常にはっきりしている。人間は神の似姿であり、理性的本性を有する個別的実体であるとして、それ自体として尊重される。そこからボランティア活動も、人権の主張も発生しており、人として尊重されるという原理が非常に強い。しかし、我々の方はそうでなく、人みな忍びざるの心ありで、生きとし生けるものへのいたわり、共感がある。それではだめかというと、そうではなく、日本あるいは東洋なりの普遍的価値の担い方はあり、その意味で球魂というものがある。それが第2番目である。

 3番目は、これまでは、いよいよ事態が困った時に場当たり的に変えるという改革が多かったが、パッケージとしての知的準備が非常に大事であると思う。これがあれば、阪神・淡路大震災のときも大分違ったはずである。実は我々は、今、その知的準備をもっと大きな面でやっているのであろう。本日は、やや抽象レベルの高い話だったので、もう少し具体性を持ったパッケージをつくっていく必要があるのだと思う。

【山本幹事】本日の議論は通過点であり、相当絞り込んではきたものの、完全にまとまり切れていないという状況だろう。最後に、河合座長からご発言いただきたい。

【河合懇談会座長】合宿という形式で、しかも総理も来ていただき、大変熱心に討議していただいて感謝している。自分自身としても、非常に勉強するところが多かった。

 印象としては、全体に共通して何かができ上がってきつつあるという感じを持っている。しかし、それをどういう言葉によって把握し、日本の国民に納得してもらえるかを真剣に考えなければならない。例えば、先ほどから出ている「エリート」という言葉も、受け止め方によって全然違う。「公」にしろ、「ガバナンス」にしろ、「先駆性」にしろ、このままの言葉ではまだきちんと伝わらない危険性が残っているという感じがする。自分もこれからまた考えてみるが、各分科会でも適切な言葉を考えていただきたい。

 日本人が今まで非常に上手にやってきた方法はもう通用しないという認識は、明らかに共通している。変えていく方向の表現がまだ完全には見つかっていないのであろう。しかし、心の中にあるものは何か形を整えて固まりつつある。それを国民に納得のいく言葉で表現するという課題をこれから考えていきたい。

【小渕総理】昨晩も申し上げたが、「公」も、この仕事に就く者も、21世紀には相当変わるのではないかと思うので、この懇談会にお願いしていることは、小渕内閣としてのお願いということでなく、より長期のことと考えている。

 先ほどガバナンスの話題で、この仕事にある者がしっかりした統治をすることが重要であるというお話もあった。そう思いつつ、なかなか十分なことはできないが、いろいろな御意見を拝聴させていただき勉強になった。私は「空」であり、相当まだ入るところがあるので、機会を見て、またチャンスをいただきたいと思う。

 昨日、福沢諭吉先生の話を申し上げたが、先日、東京の江戸博物館で海舟展を見てきた。福沢諭吉と勝海舟の二人は、福沢先生の考えを実践するのが海舟さんと、いい関係を築いていた。福沢諭吉翁と、勝海舟がしっかり理解し合っていくことが非常に大切だと感じており、是非、ここにおられる福沢諭吉先生にはよろしくお願いしたいと思う。自分もまた実践の場で、それを生かしていければと考えている。

【山本幹事】昨晩から、早稲田大学OBの総理が慶應大学創立者の福沢諭吉のことばかりおっしゃるという、その心の広さに感銘を受けている。

 御参加いただいたマスコミの方々にも、この場を借りて感謝申し上げたい。

 こうした懇談会は、一握りの人々だけで担える時代でなく、より多くの方々のご意見をいただくことが不可欠である。当懇談会ではホームページも開いているが、周りの方々、いろいろな団体の方々にも是非ご意見を寄せていただくように、皆様の方からもお勧めいただければありがたい。

 これをもって合宿を終わりたい。総理、皆様に、本当に感謝申し上げる。(拍手)

(文責:「21世紀日本の構想」懇談会担当室。なお、速報のため事後修正の可能性があります。)