「21世紀日本の構想」懇談会

第1分科会主要論点補足説明

第1分科会座長 五百旗頭 真

 

 第1分科会は、国内の問題ではなくて、国際社会という大きな入れ物の中で日本がどういう位置を占めているかを再定義するのが課題です。

 まず「日本の国家像」を語らねばなりません。戦前の日本は、一面において非西洋世界の中でただ1つ近代国家を形成した国でした。同時に、アジア唯一の帝国を任じ、軍事力による強制をもって帝国を築いたわけです。あの戦争の時代は20世紀の歴史における不徳の極みということになって、今なお我々の負債となっています。戦後日本はその反省に立って、平和国家、民主国家を求め、実体的には通商国家、経済国家として生きてまいりました。吉田茂による選択は大きな果実を得て、戦後日本は経済面において世界をリードする存在となった。

 しかしながら、冷戦が終わり、90年代を迎えるとともに、日本社会は荒波の中で木の葉のように揺さぶられるようになりました。一番記憶に鮮明なのは、バブルがはじけて経済がダウンしたことかと思いますが、繁栄と経済的優位を当然と考えていた日本人は大いに揺るがされました。しかも、バブル以後の不況を立て直すのに10年、90年代いっぱいかかりました。「失われた10年」の感が深い。ようやく金融システムを立て直し、経済浮上を得ようとしていますけれども、なお新たな情報革命の波間から浮かび上がれるのかという苦境にあることはご承知のとおりです。

 対外関係につきましても、湾岸危機に始まり、北朝鮮の危機、沖縄問題、台湾海峡の危機、インド、パキスタンの核実験、インドネシアの混乱、テポドン発射と、大変な流動化の中でどう航路を定めたらいいのかはたと立ちすくむ事態が次々に起こった。我々国民は、50年前の敗戦をホームドラマ等で何度もなめるように繰り返し見ますが、現在の危機についてはいささか無頓着で、どうせ関係のないところだろうという風に見がちです。しかし、二度と国民を不幸にしない対応が我々の世代の重要な責務であろうと思います。

 その危機を超えての進路の取り直しが我々の課題であり、それは『日本の「国益」の再定義』と関連しています。島国大国である日本は、自由貿易とアジア太平洋の平和なくして生存を全うできず、そうした国際システムに依存する度合いの高い国であることは変わりません。そこから、日米同盟が根幹的重要性を持ち続けるという命題が導き出されます。再定義後、日米安保は日本の安全のためは言うに及ばず、アジア太平洋地域全般にとっての秩序安定機能が比重を増しています。ここから、日米同盟を重視し、人間尊重と民主主義の価値を奉じ、自由な貿易と交流に生きる「太平洋国家」という国家イメージが出てきます。

 2番目には、アジアと共に歩み、アジア太平洋共同体形成を指向する「アジア太平洋国家」です。アジア太平洋地域の中で日本は、近隣の東アジア諸国との関係を長らくまっとうに築くことができずにきました。朝鮮半島、中国、ロシアとは、過去の歴史にまつわる問題や領土問題があり、かつ今後10年を考えると、このままでは済まないと思われます。大きな変動が不可避な地域ですので、危機管理的な対応とともに、長期的な関係を築くということがとりわけ重要ではないかと思われます。

 3番目には、民生面を中心に建設的役割をグローバルに果たす「シビリアン・パワー」というのが、日本らしい役割であろうと思います。冷戦後の激しい動きの中で、PKO参加、新ガイドライン策定というふうに安全保障上の役割を広げてきましたが、これらは、言わば戦後日本が過度に抑制的であった、あるいは乏しかったものを普通に近づけているというにとどまります。グローバルな視野でのポジティブな役割は、非軍事手段によって世界の秩序を支えることにあると言えるでしょう。秩序を支え平和を築き、繁栄を支えることが、実は開かれた日本の国益です。日本というのはそういう存在であると思います。国際システムに依存するのは、脆弱性と言えば脆弱性ですが、それを逆にポジティブに国際的な役割として転換し、輝くべしというのが、ここで強調したいところです。その意味で、国家の枠を超えた「人間の安全保障」というものも視界に収めて、国際的なガバナンスのあり方に貢献していくべきでしょう。ガバナンスの訳を「協調分散型統治」と書いていますが、「共治」という訳がいいのではないかという考えもあります。ともあれ、そうした国家像を3つのレベルでまとめたいと思っています。

 それが導き出される前提として冷戦終結後の「国際システム」を考えますと、アメリカの単極支配、一極支配というイメージがあり、それは確かだろうと思います。軍事的単極、情報技術革命という面でもそれは事実です。しかし、多元的な国際社会もそれに劣らず大きな現実でして、経済的には米欧日三極でしょうし、政治面ではもっと多面化しています。情報の面でも、米国社会は本質的な多元性を持っています。トランス・ナショナルなレベルでは更に広がりがあり、そういう中では、政府以外のアクターを含めた国際的な「シビル・ソサエティ」によって支えていかなければもたないと思います。特にアジア太平洋地域ではAPECやARFという緩やかな国際的枠組みも形成され、それを支えることが、日本のような国が空中分解しないために貴重であると考えます。

 では、そういうふうに世界に生きる日本のために必要な国内的課題、国内インフラは何か。1番目に「情報技術革命への対応」。世界語としての英語とインターネット。国際的に通じる言語能力を持たなければいけない。技術革新の新しい波や近代化の波に背を向けて逃げるのではなくて、それをこなし、学習して浮上しつつ、その中で持ち味を出すというのが、明治以来、西洋文明の挑戦に対して日本が取ってきた実績で、今もう一度それが求められています。「第三の改革の時」という小渕総理の言葉とも結び付くと思います。

 国際知識と政策立案能力が大いに必要とされ、「ソフトパワー」こそがますます重大になります。軍事力が滅多に使えない中では、経済力の再生とともに、ソフトパワーを支える知的提案力の強化が大変重要であると思います。

 日本という船の中で皆が仲よくやっていけてよいと思っていても、一緒に船ごと沈んではしようがない。今、新しいグローバリズムの中で求められる国際的な標準、ハードルは相当に高いですが、日本も既得権を超えて伍していけるか、外交認識を持って国内をかなり大きく変えていけるかという問題だと思います。「世界を知るゆえの内治優先主義」というよき先人のもたらした型を、もう一度目指すべきではないかと思います。