「21世紀日本の構想」懇談会

第6章 世界に生きる日本(第1分科会報告書)

T.はじめに

 冷戦後の90年代に国際秩序が流動する中で、日本国民は、湾岸危機にはじまり、北朝鮮核・ミサイル危機、沖縄の基地をめぐる危機、台湾海峡ミサイル危機などあいつぐ国際危機を経験した。それを通じて、米国であれ国連であれ国外の誰かが国際秩序を維持してくれるので、過去に科のある日本は国際関与を控えた方が良いという、戦後日本に一般的であった態度では不十分であると、多くの日本国民は感じるようになった。

 新たな対応が必要であることは疑えないにしても、それではどのような舵取りが対外政策について求められているのか。日本外交の方向性をめぐる認識にはかなりの振幅が認められた。一方では、90年代前半のクリントン政権第一期において日米経済摩擦をめぐる米国の対日圧力が強化され、日米首脳会談の決裂を招来する事態となると、日本の官僚や経済界の指導者には、アメリカとの関係に疲れ、アジアというふるさとに憩いを求める気運が高まった。脱米入亜志向であり、アメリカからアジアへのスイッチ論である。他方、中国あるいは北朝鮮のミサイル実験を見るにつけ、日本がアジアで憩うのが容易でないことも明らかであった。むしろ、近隣の危機から自国の安全を守るための手段と方策を、日本自身が戦後のタブーを超えて検討すべきではないかとの意見が強まり、ナショナリズムの復活が一つの潮流と見られた。

 それでは、日本国民が90年代の危機を通して、安全保障上の懸念を強め、それを動機に国際問題への積極姿勢を強めたかといえばそうでもない。圧倒的な国民的関心は長期化する経済不況であり、それに起因する喪失感は深く、外に打って出るよりも、国内の身の回りを建て直すことが先決であるとの気分が支配的であった。不況下の財政逼迫の中で、防衛予算にせよ、政府開発援助(ODA)予算にせよ、対外関係経費の拡大を求める声は、その抑制を求める声に比してか細い。内向きになりがちな状況なのである。

 以上のような状況にあって、本報告は21世紀を迎える日本が、次のような基本的観点をとるべきであると考える。

 まず第一に、日本のように国際平和と自由な国際経済秩序の中でこそ生存と繁栄を守ることのできる国が、国際関与への意欲を失い、国内志向に陥ることはほとんど自滅的である。世界を知り、世界と交わり、世界との関与の中で、日本を再建していかねばならない。鎖国や孤立主義の許される時代ではない。縮み思考に陥ってはならない。このグローバリゼーションの時代に、世界を知るゆえの新たな国内建設という近代日本が成功した手法をもう一度蘇らせる必要があろう。

 第二に、スイッチ論や二者択一論のような硬直した思考は、一般に外交を論ずるには未熟すぎる。とりわけ、それは、冷戦後のように二極秩序が消え去り、多様性と流動性が基本的特徴となる事態にあっては、著しく不適切である。各国が多角的にパートナーシップと呼ばれる友好関係を持ち合うのが冷戦後の常態である。アメリカかアジアかではなく、ましてやアメリカからアジアでもない。日米関係をかけがえのない貴重な資産として活用し続けながら、それでいてアジアとの創造的な関係構築に向かうのが意味のある解答なのである。世界各地に地域統合や地域協力が進んでいるが、日本は歴史的に近隣地域の国々との間に成熟した相互利益の関係を築くことが出来ずにきた。21世紀の日本は近隣諸国との間に実りある関係を樹立できるだろうか。隣交――それが大きな課題であると考える。

 第三に、今日の対外関係は多角的であるだけでなく、重層的である。二国間関係の総和に加えて、多国間地域協力の枠組があり、さらにグローバルな様々な制度がある。これら重層的な国際システムの存する現代において、どれかのレベルだけを択一し特化するのではなく、それぞれに通じ、使い分け、使いこなさなければ、多元的な国益を満たすことが出来ない。安全保障問題も重層的である。日本が戦後期の制約を超えて自ら安全保障に取り組むのは当然である。それは日本国民がナショナリズムに突き動かされているからではなく、戦後と冷戦期の特殊性が解けた以上、基本的に身の回りの安全保障に対処する自助努力が当り前のことだからである。だからといって、日米同盟を軽視したり、形骸化するのは謬見である。冷戦後においても重大な安全保障上の危機を収め得たケースは米国の力によるところが多いのである。また、国連を中心に様々な条約などからなるグローバルな国際安全保障システムを支え、強化することも忘れてはならない。つまり、安全保障のためにも、自助努力、同盟と友好、国際システムの三つのレベルの対応を重層的に行わねばならない。そのうち、他を捨てて一つに没頭するのではなく、これまで格別に薄かった自助努力をもカバーして、バランスのとれたものとするのである。健全な国際協調主義の下での安全保障努力を21世紀の日本は求めるであろう。

 さらに、安全保障面の努力を強化するといっても、日本が軍事に第一義的重要性を与える国になるわけではない。圧倒的重要性は、経済を中心とする民生部門に注がれ続ける。この分野が日本の強味であり、国際社会にもっともよく貢献できるからである。グローバルな役割を果たす日本は根深くシビリアン・パワーなのである。

 国際協調システムを強化し、より繁栄し、より平和な国際社会を築くことは、日本の生存と福利の基盤である。それは、個別具体的な日本の国益と意識されにくいが、国益の広い基盤を成す。その形成に寄与することを、開かれた国益として本報告書は提唱したい。

U.20世紀の財産目録 ー 自由、民主主義、日米同盟

 21世紀の構想を語るに際し、我々はまず20世紀の遺産を自己申告しておいた方がよいであろう。未来が無から生ずるのではなく、過去と現在より生まれるからである。過去と現在の制約なしに未来を自由に築けると語るのは不誠実であり、自他双方を偽る結果となりがちである。過去を事実そうあった通りに認め、自分たちが何であったかを過去の現実の中で確認することが全ての出発点である。

 もちろん、過去に制約されることと、過去に支配されることは同じではない。過去において何であったかと、現に何であるかは同じではない。むしろ現在のアイデンティティは、歴史的体験に対する我々の評価と選別を通して形成される。我々が肯定する過去は、我々が継承し確認する自己であり、我々が批判する過去は我々が訣別しようとする自己である。歴史における連続性は重いが、同時に歴史をかたち作るのは人々であり、その認識と意思が歴史を構成する重要な要因であることはいつの時代にも変わらない。

 日本史における大きな問題は、立派なことと忌まわしいことが、双方とも十分な国民的自覚なしに行われてきたことである。我々は21世紀の航路を定めるにあたり、これまで日本が歩んできた道を振り返り、大切に残すべき資産、清算すべき負債を掲げ、再生して活用すべきもの、欠陥を補うべきものを整理することから始めたい。もとより、ここで歴史学の議論に分け入ることは出来ないが、近代史(戦前期)と戦後史の双方について、資産と負債の両面にわたり簡潔に俯瞰しておきたい。

1.近代(戦前期)の日本

(1)資産 

 戦前日本の歴史について、一つ良いことを挙げるとすれば、近代化の成功であろう。それは世界史的偉業といいうる。産業革命を経た19世紀の西洋文明は格段に強大となり、西洋列強のみが世界における主役として地球全体を支配する勢いを示した。まさしく19世紀は「西洋文明の世界史」であった。そこへ「非西洋」の中から、日本が19世紀後半より近代化に邁進し、20世紀を迎える頃に第一次産業革命を達成するとともに日露戦争に勝利したのであった。そのことは、西洋文明の専有物と見なされていた豊かさや強さを、実は誰であれ学習し我が物にすることが出来ることを実証したものであった。日本は古くから中国文明に幅広い分野で学習しつつも、島国を取り巻く海を利して独立を守り、日本なりの文化を発展させる伝統を築いてきた。極東の島国という境遇にあった日本が、近代化に成功した理由については、強大な文明との間にこのような先例があったことが重要であろう。近代西洋文明の力の秘密を熱心に学びつつ、それを用いて外部文明を克服するという同様の対応を容易にしたと思われるからである。

(2)負債 

 他方、戦前日本史の良くない側面は何か。せっかく近代化に成功しながら、強大となった日本帝国が、その力を政治的英知をもってコントロール出来なかったことである。太平洋戦争に至る歴史の詳細については、今後とも内外の歴史家による真摯にして多面的な究明がなお必要であろう。しかし「西洋の支配からのアジア解放」や「大東亜共栄圏」などの大義を掲げつつ、独善的な目標と秩序を周辺諸国に強制し、他国の犠牲において帝国の拡大を追求して、アジア太平洋地域に大戦乱と惨禍をもたらしたことは、日本近代史における悲しむべき壮大な愚行であった。

 今日の感覚からすれば、周辺アジア諸民族の犠牲において日本帝国の拡大を図る試みは、到底容認されないし、理解することすら容易であるまい。しかし、むき出しのパワーポリティクスの論理をもって国際危機に対すれば、このような傾きを招く危険のあることは、昔も今も、そしていかなる国であれ変わらない。また、国際環境の変動を踏まえ、大局観に立って国益を再定義することは、昔も今も日本にとって容易でない。米国のように大統領選挙の度毎に、国益の再定義をあえて試みるシステムを持つ社会とは対照的に、日本社会は格別に安定と継続を好む。環境が変わっても、かつて成功した古い方式の下でいっそう熱心に努力する方向へと傾きやすい。大きな国家戦略的視点が弱いこと、既得権益と視野狭小な内部和合の要請の大きさに比して、全体的合理性に沿った決定を下せるリーダーシップが弱い政治文化などが、日本が自滅的な戦争にのめり込む際の問題点であった。そして、それは日本政治にとって必ずしも過去のみの問題ではない。

2.戦後の日本

(1)資産

@平和的発展(経済国家としての再生)

戦後日本の評価すべき点は、戦争に訣別し剣を鋤に持ち替えて平和的発展の道を求め、経済国家としての再生に成功したことである。戦後の平和主義はしばしば勝者の強制の結果と見なされてきた。しかしそれは事実の一面でしかない。朝鮮戦争下で米国政府が日本の速やかな再軍備を強く求めたとき、吉田茂内閣は国民の広範な平和への希望を背景に、経済復興を最優先して、米国の圧力に屈しなかった。その選択はその後も日本のエリートと国民双方の意思によって支持され、やがて日本は60年代を中心に高度成長を遂げ、世界の先進経済圏の三極の一つをなすに至った。

A 自由、民主主義、日米同盟

 そうした成功を支えてきたのが、自由、民主主義、日米同盟である。

 戦後日本の経済国家としての再発展を支えてきたのが、何にもまして自由な国際経済秩序であったことは明らかである。戦前期に資源と市場の欠乏に苦しみながら軽工業から重工業へと発展してきた日本は、戦後、米国を中心に構築された自由貿易体制を与えられて、一気に飛翔することができた。

 日本における民主主義は、戦前のジグザグの中での進展を経て、占領改革で方向を決し、その後定着した。労働者の権利確保が毎年の賃上げをもたらし、農地改革とその後の農業部門に対する所得維持政策とあいまって、国民生活の全般的向上をもたらした。そのことは国内購買力を高める効果を持ち、貯蓄率の高さ、技術移転、教育水準などとともに、国内における市場の拡大が、60年代の内需主導型高度成長を許容し、日本商品の国際競争力を高めることにもなったのである。

 戦後日本の安全を保障し、自由な国際経済秩序への参加と繁栄をもたらし、民主主義の発展を支えたのが、日米同盟を根幹とする米国との友好関係であった。自由と多元性を許容し国際秩序を支える英米両国との同盟や協力関係は、戦前期においても実り多いものであったが、戦後における日米関係は、いっそう根深く、安全保障、経済、政治、文化の諸領域に及ぶ全面性を帯びるに至った。それは冷戦下における日本の安全を支え、沖縄返還という歴史に稀な事績を可能にしただけではない。日本を世界的な経済秩序に結びつけ、グローバルなパートナーシップという視界をもたらした。一般に日米同盟は両国に対し、極端な過剰もしくは過少の行動を抑制し、協調的・安定的に行動する方向に作用する。注目されるのは、90年代の朝鮮半島をめぐる危機に対処する中で、日米同盟の機能が明確化されるとともに、韓国を含めた三国の協力枠組も強化されるに至ったことである。攻撃的・膨張的ではなく、地域の安定を守るバックボーンとして日米同盟を活用する展望が危機の中でむしろ開かれたといえよう。今後も急速な変動の中で起こりうる様々な動乱に対し、日米同盟はアジア太平洋地域における安定装置の機能を果たすことが可能であり、これを支えるのは日本の国際社会に対する小さくない貢献なのである。

(2)負債 

@ 国際的責任感と自己決定能力の低下

 他方、戦後日本にも困った点がある。戦後日本の経済中心主義の路線は、大きな成果を見出したが、自国の安全保障と国際秩序の維持を米国に大きく依存するのが冷戦下の習い性となり、日本の国際的役割についての責任感と自己決定能力を低下させた。国の行方について大きなピクチャーを自ら描くことなく、前例踏襲主義で政策を進めてきた弱さが、90年代の危機に直面したときに露呈されたのである。戦後日本が経済的に成功を収めただけに、その途上で形成された利益団体や国家制度の既得権は強大である。冷戦終結後、環境は激しく変わり、それに伴って日本の社会も政治・外交も変わることを求められている中で、大きな国家戦略的観点に立っての国益の再定義が必要とされているのである。

A アジアとの関係

 もう一つの課題は、日本とアジア、特に近隣諸国との関係がいまだ十分深化していないことである。70年代末頃から、日本は東アジアの経済発展に貿易、直接投資、政府開発援助(ODA)などを通じて寄与するようになった。かつての脱亜入欧ではなく、またアジアの犠牲において日本が膨張するゼロ・サム的構図ではなく、日本とアジア諸国とのプラス・サム的相互発展の構造を形成したことは評価されてよい。しかし、戦後半世紀を超えても、中国、韓国などの隣国との交流は、いまだ十分深化しているとは言えず、地域協力の枠組も十分制度化されていない。

(3)21世紀への資産と課題

 以上をまとめれば、戦後日本の良き面を支えた自由、民主主義、日米同盟を20世紀の資産として守りつつ、依然十分でないアジアとの協調を発展させ、経済に没頭している間に低下してしまった国際社会における責任感と自己決定能力を向上させ、国際システムの構築に参画することが、21世紀の世界に生きる日本の課題である。

V.21世紀の課題

1.開かれた国益

(1)「開かれた国益」の提唱

 国際的な場における自国の必要は、一般に国益と呼ばれる。戦前における日本の破滅は、国際環境が大きく変わるのに国益の再定義を怠り、原初に定めて成功した過去の方針を墨守して走り続けた結果であった。目を閉じて疾走する危険を避けるため、自らの欲するものを正確に自己認識し、その国際政治的意味を考えて行動したいものである。冷戦終結後の国際環境が地滑り的に変化する中で、今日の日本が国益の再定義を怠ってはならないことは言うまでもない。

 国民の利益を増進しない対外政策は、国内的に持続不可能である。他方、自国利益の一方的追求は、国際的に持続不可能である。大切なのは「開かれた国益」(enlightened self-interest)を追求することである。それは、相手国の利益をも尊重する相互性に立ち、友好国を増やし、国際環境の改善を通じて、自らの必要を迂回的に満たしていくような長期的・間接的なアプローチを重視するものである。絶えずゼロ・サム的二者択一に自他を追い込む硬直した自己利益の追求ではなく、国際経済システムと国際秩序の維持強化、途上国の発展や民主化といった国際公共善に寄与することを通して、他国とともに自らも受益する方途である。そうした伸びやかな国際公益をとり込んだ国益観に立つのでなければ、21世紀の日本は広い外交地平を持つことは出来ないであろう。

 国家は、地球環境のようなグローバルな問題を扱うには小さ過ぎ、逆に地方や個人などの特殊で身近な問題を扱うには大き過ぎる存在となった。国際化に伴ってボーダーレス・エコノミーが進み、カネ、モノ、ヒトの国境を越えての移動が速度を速めている。また、国家の内外に様々な非国家組織が生まれて有意の活動を行っている。自由と民主主義を正統原理とする今日の政府は、NGO(非政府団体)やNPO(非営利団体)など内外の民間団体とシビル・ソサエティを重視し、その成長を支援し、責任感ある団体に可能な限り公的な仕事を委ねて自らは身軽になることを期しつつ、それとの協力関係を築くことが求められる。

 しかし、誰が最終的に社会全体のガバナンスの責を負うのか。国民の意思によって選ばれ、強制力と徴税権を独占する政府が、その責から逃れることは出来ない。政府は、多くの民間団体の参加と協力を獲得し、その知恵と経験に教えを乞うて「協治」と「多元的ガバナンス」を模索しつつ、なおかつ、その調整もしくは総括の責を放棄してはならない。そうでなければ、社会と国民は容易に予定調和説に裏切られ、決定者なき漂流状態に転落する危険を免れないからである。国益とは、国民益の総和、もしくはそれを上から見た際の表現であり、それは様々な個別的利益が交錯する中で、社会が全体的合理性を見失わないために必要な視点である。

(2)国民に開かれた国益

 「開かれた国益」という場合、それが国民に開かれた国益であることを重視したい。

 一つには、大きく見て実質内容的に国民的必要を満たす政策であること、いま一つは、国益を定義するに際し国民との間でフィードバックが行われ、情報と認識が共有され、国民がさまざまな方法で政策決定に参画していることである。自分たちがどこへ向かっているのか国民は殆ど知らないということでは困るのである。

 例えば、市民の個別的対応の手に余る大規模災害や犯罪、或いは外敵の脅威への対処は、政府の最重要責務の一つである。危機に際して、政府は国民の安全という至上の急務のため、平時の約束事を一時停止してでも、全力を投じて果敢に対処する必要がある。危機管理は事態の重大さと迅速性の必要ゆえに権限の集中を本質とするが、それでもなお市民の理解と協力が不可欠であり、情報と認識が市民に開かれていることが結局は社会全体としての効果的対処を可能にするのである。大きな犠牲を生じた阪神・淡路大震災についても、直下型地震の可能性とそれへの対策についての情報が予め提供されていれば、より多くの市民が自助努力により安全を手にする可能性があった。また、交通規制をはじめとして、危機管理には強制の要素も伴う。そうした強制が実効性を持つには、法制面での公的な決定とともに、現場において市民に事態を明確に告げ、民間の協力を仰ぐことが、国民が本来もっている大きな力を引き出す点で効果的であろう。阪神・淡路大震災に現れた100万を越えるボランティアの活動は、そうした新たな地平を示唆するものである。非常事態法の制定に向け開かれた形で議論を進めるとともに、危機管理の専門家集団の組織化など社会的な体制整備を進めることが急務である。

 国益と部分利益(業界やグループなどの特殊利益、地域利益、個人利益など)とが対立することも稀ではない。公共の福祉のために私権が制約され得ることは憲法も示す通りであり、必要な場合、国が一定の代価を払って国益を実現するという解決がはかられるのを常とする。代価はある種の業界のように大きな政治力を持つ利益団体の場合には法外なまでに過大であり、黙って隠忍する者には過少もしくは皆無である。全体的合理性に沿って公平な利益考量をなすためにも、国民に開かれ、公共問題に責任感と広い視野をもつ専門家(パブリック・インテレクチュアル)の参画を得ての政治的リーダーシップが必要である。

 1995年9月の米海兵隊員による沖縄少女暴行事件は、日米安保体制の維持を巡り、国益と地方利益との対立を鋭く提示することとなった。日本全体の安全にとって日米安保条約は最重要の手段であり、そのために沖縄の基地は不可欠である。一方、沖縄にとって、基地の集中は住民の安全と環境にとって厳しい重荷である。沖縄は日本国内における文化的多様性を最も良く示す地である。地域としての独自性を保持しつつ日本社会の一員としての歴史を共有し、第二次大戦末期に戦場となった際には夥しい住民が犠牲となった。日本の地で唯一戦場となった悲惨に加えて、戦後、日本本土から切り離されて米軍政下に置かれ、米軍基地の島と化した。1972年の復帰後も本土の基地が多く整備縮小される中で、沖縄に在日米軍基地の約4分の3が集中することになった。この地が歴史的苦難に加えて大きな基地の重荷を引き受けて日本全体とアジア太平洋の安全保障を支えている特別な地位にあることに対して、日本国民は無知であってはならない。可能な限り基地の整理縮小に努めるとともに、この地の長期的発展のために力を注ぐのは当然である。民主主義の世界においては、地域への公平さを見失わないことが、国内的・国際的な信頼性の一要因でもある。

2.隣交 ー 近隣アジアとの協調

(1)隣交の提唱

 ヨーロッパはもとより、世界の潮流として、そこここに地域統合や地域協力が進行している中で、東北アジアは冷戦期の氷塊が最後まで残っている地域である。この地にとって問題は冷戦だけではなく、たとえれば、地下には縦横に活断層が走っている地域であった。冷戦下の東西に世界を分かつ冷戦断層線だけでなく、南北に経済的な貧富を分かつ断層線も根深いものがあった。加えて、「地理と歴史」をめぐり過去と未来の和解を困難とする断層線もいたる所にひそんでいた。

 しかし、地域の共同利益に眼を向け、協調の精神を共同で活性化し、この地に根深い亀裂や対立を緩和していくことが、この地域の新世紀における発展のために不可欠であり、しかもそれは日本の国益である。長い交流の歴史を持ち、近代には植民地支配や侵略の過去を持ち、相互に人の移動も多く、重要な貿易パートナーである近隣諸国との関係が建設的であることは、21世紀の日本国民にとって貴重な精神的、実際的基盤である。アジアの地に自由経済が根づき、各国が経済発展を遂げる中で、文化の多様性を維持しながらも、民主主義が次第により広く共有されるに至る。日本はそうした方向性を明らかにしつつ、近隣諸国との関係の飛躍的発展・強化を、すなわち「隣交」を積極的に進めるべきであろう。

 幸い、事態は急速に変化してきている。この四半世紀の東アジアにおける工業化の集団連鎖的進展は、多様な東アジア諸国間に、そして日本とアジアとの間にも、一定の共通基盤を醸成することになった。権威主義体制から民主化の流れは多くの国で、時差とジグザグを伴いながらも、長期的趨勢と観察される。東アジア経済危機による揺さぶりも、この趨勢を変えてはいない。自らも財政危機にある時に日本政府が行った支援と、現地に踏み留って苦しみを共にした日本企業が少なくなかったことがあいまって、日本が自前の信認をアジアで築きつつあるこの時期に、「隣交」を本格化することは意義深い。

(2)障害の克服と国民的交流の促進

 21世紀に相応しい日本と近隣諸国との関係を構築するに際し、乗り越えるべき障害とは何であろうか。一つには、地理的に近接しているゆえの紛争、即ち領土の問題が挙げられる。領土は国家の根幹の要素であり、いずれの国にとっても毅然たる態度で臨む必要がある。同時に、領土の問題によって共通利益を見失うのは不適当であり、領土が二国間関係、あるいは地域の多国間関係の健全な発展を妨げることのないよう相互に冷静な姿勢が求められる。領土問題は平和的解決しかあり得ないという日本の立場を明らかにし、この基本方針が領土紛争を幾多抱える東アジア諸国共通の了解となるよう求めたい。長期的には第三者の参画による紛争処理をも考慮しつつ、当面は冷静さを失わない知恵が重要である。

 乗り越えるべきもう一つの障害は、思想と認識の差異である。文化、歴史が異なる以上、国家観や世界観が異なるのは当然であり、その多様性は歓迎されるべきである。しかし、観念上の対立が、隣交を進めるべき諸国民の共存を脅かすものとならぬよう、対処可能な範囲に収め、むしろいっそうの対話と相互理解の積み重ねによって、地域の共通利益を発見していくことが必要である。

 例えば歴史認識は、特に韓国、中国との間で、長きにわたり政治問題化してきたが、地道で冷静な学術研究を推進し、それを踏まえて共通理解への基盤を築く努力が不可欠である。研究者を中心とする知的交流の積み重ねが、共通の未来の水先案内になることが期待される。

 観念上の相違は、政府間だけで克服できるものではなく、社会レベルでの幅広い相互交流によって、意識の変化がもたらされ、解消されていく部分が大きい。幸いにも日韓両国政府間では、自由貿易協定に向けての共同作業など関係緊密化が進んでいる。ワールド・カップ・サッカー共催などを契機として、政府首脳間の相互信頼関係に基づく日韓パートナーシップを、両国国民に定着させる努力が重要であろう。シャトル便を行き交わし、国内に準ずる人流を日常化するとともに、日本におけるハングル学習を奨励し、相互の言語習得の機会を拡大することによって、両国民の関係にいっそう建設的な変化をもたらすことができよう。

 東アジアの将来を長期的に決するうえでの最大の要因は中国であり、日中関係であろう。中国が改革・開放の中で安定的に経済発展を持続し、民主化へ向かうことは、日本を含む周辺諸国にとって最重要関心事の一つである。そのための中国自身の努力を支援していくとともに、中国が最も重視する台湾問題について、あくまで平和的解決の方針がとられるような環境の醸成が望まれる。日中両国は、東アジアにおけるタイプの異なる二つの大国として、ややもすれば競争的側面が強調されがちであるが、新しい協力枠組の形成こそが相互利益である。日中が敵対すれば、東アジアは政治的氷河期を迎え、アジア共倒れの事態すらありうる。日中が個々の問題を残しつつも大局的協調を伸長すれば、東アジアは未来に向かって活発な地となることが出来よう。中国側においても、天安門事件後や最近における米中関係悪化の中で、日本外交が中国の国際関係改善に役割を果たしたこと、及び日本の対中経済援助などは評価されている。政府レベルの関係に留まらず、互いの言葉の学習の普及、企業、留学生、自治体、NGOなどの国民的、社会的レベルの交流が促進されるべきである。

(3)東アジアの多国間協調体制

 東アジア諸国間の協調関係は、二国間の友好関係を基礎とするが、それをたばねる地域枠組の形成が望ましい。二国間で解決困難な争点が第三国を招くことで協議し易くなる場合もあり、環境の越境汚染問題のようにそもそも二国間では原理的に対処不可能な課題も多い。多国間の国際会議は、一般に協調を原理として成り立つものであり、参加各国は可能な限り協力する圧力を自然に受けている。ヨーロッパでもASEAN(東南アジア諸国連合)でも観察されたところであるが、地域協力を進めるほどに、各国は互いに平和であることのメリットをかみしめ、一国ずつではありえなかった国際的影響力や役割の大きさを知ることになる。このような多国間関係をニ国間関係に重層的に組み合わせていくことが重要である。

@東北アジアの安全保障に関する協調

 軍事的に唯一の超大国である米国と現地の日韓中ロが、北朝鮮を取り巻くアクターである。いずれの関係国も、北朝鮮の平和的移行を望んでいる。1998年秋以来、日韓関係が劇的に改善され、またミサイル発射を機に北朝鮮に対する包括的政策が日米韓三国間で合意されたことにより、この地域に安定的枠組が現れつつある。北朝鮮は二国間交渉を使い分けることを好み、2+4のような国際会議方式に消極的であるが、米朝、日朝、南北の関係樹立が進むに至れば、朝鮮半島を取り巻く関係国による保障が必要となり、北東アジアの安保会議が開かれる可能性があろう。このような会議の開催は、地域をめぐる諸国間に、冷戦期の枠組を越えた信頼醸成と協力を浮上させうる。地域の安全保障確立には、日米韓中に加え、ロシアも重要である。ロシアでは体制移行と市場経済化の困難ゆえ不安定な政治状況が続いているが、本来的にはロシアは大国であることを忘れてはならない。長期的日ロ関係の観点から、極東ロシアが日本との経済交流を中心とする親善を不可欠と感じる実質的な関係を形成し、地域秩序構築の過程でも日ロ両国が協力していくことが望まれる。

AASEAN+3

 ASEAN10ヵ国に日中韓の三国を加えた首脳会議(ASEAN+3)は、事実上の東アジアサミットである。かつてマハティール首相がEAEC(東アジア経済会議)を提案したときには、米国の反発に直面して挫折した。が、今では同じメンバーによる集まりが、開放的なASEANをさらに拡張したものとして成立している。これを反米、反西洋、反グローバリズムでない地域協力枠組として育てることが大事である。この地域には地域の協力によって解決できる問題が少なくない。様々な亀裂がその協力を阻んできたが、21世紀を迎えてなお、地域協力の枠組が存在しないのは奇妙である。東アジア経済危機に際してのアジア通貨基金(AMF)は、米国と中国の反対で流産に終わったが、時機を捉えて、東アジア諸国間で改めて創設について討議してよいであろう。その際、米国はもとより、EU(欧州連合)をも招待する配慮が望ましい。また、この地域には、自由貿易協定(FTA)締結の可能性も開けつつある。東アジアの多様性を考えれば、最終的な包括的FTAに至るのは容易ではないが、それに向けてのプロセスは、共同体意識を高めるものとして意義深い。さらに、経済発展を続ける東アジアの太平洋岸では環境問題が深刻化しており、地震を始め災害も多い。環境や災害のような民生的なイシューをめぐる相互協力を、地域協力の契機とし、はずみを与える手法は効果的であろう。他にも、すでに日本が提案している人材育成と交流計画など、地域の共同利益となるプランを順次盛り込んでいけば良い。もし日米中間に基本的了解が得られれば、この枠組は、東アジア全体の公益を関心とする多国間協調体制への可能性を秘めているであろう。

BAPEC

 APEC(アジア太平洋経済協力)はアジア太平洋地域の貿易自由化を主たる関心としながら、多様性の中のゆるやかな自発的協力という制約の下で、このところ足踏み状態に陥っている。もちろん、太平洋を取り巻く諸国の首脳が年一回会合することの意義は小さくない。例えば、米中関係がある事件により悪化しても、多国間協議の場で顔を合わすことを関係改善の契機とすることが出来る。一言で言えば、APECという広域の集まりは、この地域の東西、南北、そして「地理と歴史」を始め様々な亀裂を包み込み緩和する共通の屋根としての機能があり、冷戦後の地域協力のふちどりとして貴重である。この地球上で最も広域の地域枠組を活かして、貿易自由化以外にも地域の共同利益を具体的に見出して推進することが課題であろう。

 同時に、これを補完する、より身近な地域枠組を走らせることが不可欠であろう。すでに日米同盟は、この地域の安定を支える根幹としての機能を果たしている。日米韓、日韓中、日米中といった枠組、そしてASEAN+3のような東アジア包括的会議はそれぞれ存在理由を持ちうるのであり、重層的に発展させるのがよいであろう。日本にとっては、これらに加えて、オーストラリア、ニュージーランドとの間の島嶼の集まり(海洋諸国会議)も考えられよう。

 以上のように様々なレベルの地域協力には、少しずつ国際政治のあり方を変容させていく可能性がある。この地について、今後10年のタームで考えても、例えば、朝鮮半島に大きな変化が起こっても何の不思議もないであろう。中国がどのようなプロセスで民主化に向かうかについても、容易に想定しがたい。それでいて、それらは地域と世界全体の運命を左右し得るほどに重大な問題である。大きな試練を受け止めるには、大いなる英知と協力が必要である。欲しいものや対立があれば剣をとるのではなく、対話によって問題を解決し、協力を進める枠組の構築に向かって我々が歴史を前進させるなら、日本もいつしか近隣に友人や仲間を持ち、地域共同体を築く可能性が開けている――そういう21世紀を見出すことが出来るであろう。

3.シビリアン・パワー

 シビル(civil)という語にはいくつかの意味がある。非軍人という意味で、「文民」(シビリアン)という言葉が憲法に使われている。この意味で、シビリアン・パワーは、非軍事国家もしくは文民優位の国家を意味する。軍事の全くない国家はあり得ないが、軍事に第一義的重要性を与えず、文民優位のもとで民生的活動を中心に運営される国がシビリアン・パワーである。また、「シビル・ソサエティ」のように、官に対する民に力点が置かれる用語法もある。官尊民卑の権威主義ではなく、民間団体と市民社会が充実し、民尊も達成されている国がシビリアン・パワーである。さらに、シビルには態度やマナーが文明的という意味もある。20世紀は、文化の多様性を残しつつも国際化が急進展し、世界的な価値・基準・ルールの共有が進んだ時代であり、21世紀にはそれがいっそう進むであろう。人間尊重、自由、民主主義を共有する世界に開かれた社会が、この時代に文明的なシビリアン・パワーということになろう。

 戦後の日本は、もっぱら非軍事の経済中心主義的な国という意味で、シビリアン・パワーであったが、今後は以上三種の意味を包含するシビリアン・パワーとして、国際社会において建設的役割を担う生き方を提唱したい。その主要な機能として、第一に安全保障への関与、第二に国際経済秩序を中心とするグローバルな制度への参画、第三に途上国への協力(ODA)の扱いについて論じることとしたい。

(1)シビリアン・パワー日本の変容

 戦後日本は非軍事の民生部門を優先する点でシビリアン・パワーであり続けた。

 自衛を名とした侵略戦争を重ねたことを悔いる気運が支配的であった戦後期には、自衛隊に対しても、日米安保条約についても、強い反対意見が存在した。いかなる軍事活動も、軍国主義復活につながる危険があるとの論法により、侵略戦争、自衛戦争、国際安全保障のための戦争の三者を区別することなく、トータルに否定するのが戦後平和主義の立場であった。

 とはいえ、非軍事という否定形によって、人々は生活を成り立たせることはできない。戦後平和主義の内実は経済主義によって満たされた。戦後日本を通商国家として再建する選択にそって、1952年にIMF(国際通貨基金)に、1955年にはGATT(関税貿易一般協定)に加盟し、60年代にはIMF8条国への移行、 OECD(経済協力開発機構)加盟などを果たした。1975年に創設された米欧日三極のサミットは、経済国家として再発展した戦後日本にとって、そのグローバルな役割を具象する場であった。シビリアン・パワーの中身は、経済国家だったのである。

 1970年代から80年代にかけて、日本は経済大国であるだけでなく、もっと多面的な機能を果たすオールラウンドプレーヤーにならねばならないとの観点から、政治的役割をも模索するようになった。福田ドクトリンのように、経済を手段としつつも、アジア地域の安定に役割を担う構想も表明された。大平内閣期に「環太平洋連帯」構想が打ち出され、80年代はじめにPECC(太平洋経済協力)が、89年にはAPECが創設された。中曽根首相は、戦後日本の政治家としては珍しく、G7サミットの場で世界の安全保障問題を積極的に論じた。

 80年代後半に経済国家としての日本がピークを迎えた頃、経済だけでなく全体性のある日本(トータル・ジャパン)の必要を意識して、従来のODAや文化交流を拡充するとともに、要員を紛争地へ派遣することを含めて世界平和に貢献する構想が用意された。国内政治の急変のため、平和への貢献の具体化は中断されたが、1990年の湾岸危機に際して、日本の国際貢献の欠如が大きな問題となり、92年についに国際平和協力法が成立し、国連のカンボジアPKO(国連平和維持活動)に初めて参加した。

 カンボジアPKO(UNTAC)が、カンボジアの平和と政府の再建に成功した1993年に、日本の平和をめぐる世論は戦後的な平和主義からの脱却を示した。日本国民の圧倒的多数が平和主義と国際協調主義を支持し続け、侵略戦争の否定は、日本国民にとって自明のこととして定着していた。同時に、国連の下で国際安全保障のための活動に自衛隊が参加することに、カンボジアPKO成功後の国民はもはや異を唱えなかった。すなわち、侵略戦争と無分別なナショナリズムにはNOであるが、健全な国際協調主義に立つ安全保障活動ならYESとの観点が浮上した。侵略戦争、自衛戦争、国際安全保障のための戦争は、国民の間で区別されるに至ったのである。

(2)シビリアン・パワーの安全保障

@日本の安全のための備え

 21世紀における日本の安全保障はこの歩みを踏まえて考えてよいであろう。

 侵略戦争も極端なナショナリズムも、20世紀の悲しい事実であった。21世紀の日本は紛争解決のために軍事力を用いはしない。自らの正当な固有の領土と信ずるもののためであれ、日本国民は軍事力を用いて奪回しようとはしない。力をもって何かをなしとげようとは思わないが、だからといって対外安全を忘れてよいほど恵まれた国際環境を21世紀の世界が与えられる保証はない。対外安全保障には、万一への備えと、地域の信頼醸成促進など国際環境全般の改善との、両面の努力が必要である。

 万一への備えの究極は、自助努力である。万一の事態の性格にもよるが、事態が重大であればあるほど、自助努力を精神としつつも、国際協調主義的な共同対処こそが決め手となる。それゆえ危機意識に突き動かされ、自助努力に賭し過ぎてはならない。世界第二の経済大国がもし自前で安全保障体系を築こうとすれば、少なくとも現在よりはるかに多くの軍事費を要し、なおかつ現在よりもはるかに低い安全度しか期待出来ず、それでいて周辺アジア諸国に大きな衝撃を与えることになるのである。国際安全保障の一翼を担う観点が、コスト・パフォーマンスと国際的信頼性の双方から見て知恵ある対応である。その意味で日米同盟を重視し、その枠内で日本の役割を見直すアプローチが妥当性が高いであろう。

 万一に備える対応の中心は、日米同盟の実効性の維持である。なによりも、同盟が円滑に働くための条件を整備しておくことが必要であり、ガイドライン法制整備、基地問題への適切な対応、ホスト・ネーション・サポートの継続などは、この文脈から進めていきたい。政策当局者、有識者など日米両国関係者間の、政策対話、戦略対話の活性化を通して、認識と秩序観の共有が進まねば、日米同盟の柔軟性と活力は保てないであろう。非政府間の会議に政府関係者も個人の資格で参加するトラック2など幅広い交流は、ここまでやれば十分ということはない。より積極的に、日本が米国の良き相談相手として建設的な助言を行えるパートナーの役割を果たし、日米関係全体を適切にマネージする一方の主体としての機能を高めることが、大切な課題である。また、日米同盟は、日米両国国民の合理的選択の結果としてしか存在しえないのであり、同盟が両国とアジア太平洋地域の共同利益であることが国民に理解されているかどうか留意する必要がある。

A国際的な安全保障活動への参画

 米国を中軸とする強固な秩序は、21世紀の世界にも必ずしも予期しえない。パックス・アメリカーナが世界の隅々まで及ぶには、世界は広すぎ、多様すぎ、そして流動的すぎる。大国による本格的戦争は困難でも、世界各地に民族紛争と内戦は絶えず、しかもその紛争と内戦は、地理と歴史にまつわる対立とともに経済的貧窮を温床としており、解決は容易でない。21世紀の世界を遠望すれば、米国の単極支配という尖塔がそびえ、秩序の立派な街と見える。しかし内部に入ってみれば末端の液状化、流砂化によって秩序の土台はむしばまれているのである。とりわけ、危惧されるのは、米国が国際公共性を支える志を後退させ、短絡的な自己利益に基づいて行動する傾向が、90年代にめだつようになった点である。米国の最良の資質は、多様性に満ちた社会ゆえの復元力であり、冷戦終結後無敵となったゆえの尊大さもやがて克服に向うものと期待し、それを引き出すように働きかけることが重要であろう。

 日本は、地域から多くの低強度紛争が吹き出る事態にどう関与するべきだろうか。日本の主たる役割は、シビリアン・パワーとして民生部門に置かれるが、そのことは国際安全保障上の責務を免ずることにはならないであろう。国際安全保障の共同事業からの離脱が日本の国益にとって重い意味をもつことは、湾岸危機の経緯が明らかにしたところである。長い21世紀を考えれば、日本が参画せずにいることの正統性は失われる一方であろう。

 日本が国際安全保障上の共同行動に参画することも原理的には肯定されねばならないであろう。国連憲章の基本骨格である、侵略を行った国などに対して国際社会の名において加盟国が制止し処罰するための戦争は、日本国民もこれを否定してはならないと思われる。国連が決議し組織した特定の軍事活動が正当であるかどうか、日本がそれに参加するのが妥当か否か、参加するとすればどのような役割を担うか、そうした問題について、とりわけ武力行使を目的とする部隊派遣について、日本が限りなく慎重なのは当然であり、それは実際的英知の求めるところである。その上で、目的の正統性、手段・手続きの妥当性、コスト・ベネフィットなどの要素を組み合わせて、日本は国際安全保障のための軍事活動への参加について徐々に政策方針や原則を形成していかねばならないであろう。侵略や人道上の大規模な侵犯から国際社会が人々を守るべき時、もし我々が秩序と正義を愛する国際コミュニティの一員であるなら、安全保障の国際的共同対処からの無責任な一般的逃亡を、21世紀の日本人に要求してはならないのではなかろうか。この面でも、憲法の問題や集団的自衛権の問題を含め、安全保障について国民的論議が必要である。

 国際安全保障を重視する観点に立てば、21世紀の日本が国連PKOに積極的であるべきは言うまでもない。問題は日本のPKOに任務や武器使用などについて過度の制約を課し、活動を困難にしたり危険にさらしたりすることである。PKO本体業務の凍結を解除し、具体的状況を検討して日本が参加する場合のミッションを定義し、それに沿った活動と装備を決定すべきである。人命尊重はもちろん基本的な原則であるが、平和の構築と維持のために危険を冒して働くことの価値を、国際社会の中で日本のみが原理的に認めないのであれば、それを国際的に説明できるであろうか。

 さらに、日本社会に研究機関を増強して、日頃から世界の各地域についての本格的な研究を推進し、蓄積した知識と人材を多面的な政策ニーズに応じ提供する体制を築いておきたいところである。予防外交、平和構築政策、PKO、復興などの一連のプロセスについて、シンクタンクの研究者と実務家が共同で研究プランを作ることが望まれる。

B国際安全保障システムの構築への参画

 個別の和平への貢献に加えて、グローバルな安全保障のシステムそのものの再構築を支えることは、日本の国益が強く求めるところである。

 NPT(核拡散防止条約)体制がインド、パキスタンへの核拡散によって揺らぎ、米上院がCTBT(包括的核実験禁止条約)を拒否したことによって、核を巡る国際安全保障体制には暗雲がたれ込めている。すでに日本政府は東京フォーラムを設けて、今後の対応についての国際的検討の場を提供しているが、ドイツ、オーストラリア、カナダ、北欧諸国など核の技術や能力を十分に持ちながら、敢えてそうしない諸国とともに、地球の共同利益のためのイニシアティブをとってはどうであろうか。例えば、NPT体制はそれを支える常設事務局すらなく、ジュネーブ軍縮会議は66カ国の全会一致がなければ動かない。問題の重大性に対し、余りにも脆弱な国際制度を改革・強化しなければならない状況にある。日本を含む非核シビリアン・パワーが、一方で核保有に誘われる地域大国や紛争国に不拡散を、他方で核保有国の核軍縮を、ともに徹底すべく双方を動かし、自国と国際社会全体の利益のため、責任ある役割を模索せねばならないのである。

 環境、地雷、麻薬、地震、難民、人口、食糧、医療、エイズなど「人間の安全保障」(ヒューマン・セキュリティー)に関わるグローバル・イシューに今後もいっそう力を注ぎ、日本の国際活動のジャンルの一つとして定着させることが望まれる。また、こうした国際安全保障上の多重的な必要を、国連が人類の将来に責任をとるべく効果的に活動を行えるよう改革を進めていく必要がある。日本はそうした役割を中心的に担う国の一つとならねばならない。国連安全保障理事会の常任理事国になれば軍事貢献を強いられるか否かに問題を矮小化するのではなく、平和と安全保障をめぐる国際システム再構築のために、日本は非核シビリアン・パワーを代表して常任理事国となって建設的な役割を担うべきであろう。

 以上のように、シビリアン・パワーは、軍事をもって自国の発展を図ったり紛争解決を図ったりすることを峻拒するが、国際社会の安全に無関心ではない。開かれた国益を考えれば、国際安全保障は日本の安全に不可欠な条件である。それゆえ、国際安全保障をわがこととして、共感を持ち、共同対処の国際協議に積極的に加わるのは当然である。軍事的脅威に対する安全保障に限っても、それへの対応は、@自助努力(自らの防衛力)、A同盟国や友好国の支援協力、B国際協調システムを強化し国際環境全般を平和的にする努力の三つのレベルがあり、その組合わせが必要である。シビリアン・パワーとしての日本は、Bのグローバルな努力という間接的方途にかなりの比重を与えていることが特徴なのである。

(3)国際経済秩序の再編

@グローバリゼーションへの応答

 21世紀の世界を考える際の要点は、産業革命以来の変化の津波といわれる情報技術革命を道具とするグローバリゼーションの功罪を見きわめることであろう。それが取引のスピードを早め、コストを下げる変化を広範な分野に及ぼして、米国の経済的活力の回復と国際的優位をもたらした効用は繰り返すまでもない。国際システムへのインパクトの全貌はまだ明かではないが、一つ確かなことは、これをこなし導入した社会は経済を中心とする国際諸活動において優位に立ち、そうしなかった国は沈むことである。

 他方、東アジア金融危機などを契機とする国際金融の規制の必要性、あるいは新自由主義の進展による貧富の拡差是正の必要性は明らかであり、グローバリゼーションの津波が人間社会に破壊的な方向に突っ走らないよう制御することが急務である。求めるべきは、制御であって反動ではない。産業革命に対する見境のない反動たるラダイト(打ち壊し)運動の愚を繰り返してはならない。強力な新技術は古いシステムを変えるが、人間と社会のために善用することもできる。新技術は生み出した以上それをなくすことはできないのであり、意味のある対応は、これを公共善のために活用することである。現在、情報技術革命の中心にあるインターネットの約6割を米国が、9割以上を先進諸国が占有しているといわれ、ますます米国と他国、先進国と途上国の貧富の格差を開く方向に機能している。これへの対処は、新技術を打ち壊すことではなく、これを途上国との知的交流、教育普及、経済発展などにも役立て、より公平な国際システムの具としても用いることであろう。また地球環境問題など新しい課題と、新技術を積極的に活用する可能性に、いつも眼を輝かせて、着想する若々しい精神こそが、新時代の創造を可能にするのである。

A国際金融体制の再構築

 経済国家の日本にとって、G7(G8)サミット、IMF、WTO、OECDを中軸とする国際経済制度は、もっとも重要な場である。日本はすでにそれらの運営に長年かかわってきたが、それらをリードし再構築に寄与できるか否かは、今後の問題である。国際経済と金融の実体、金融技術や国際機関への参加国数は大きく変化してきている。21世紀の実情に適した国際金融制度に改めるべきは明らかであるが、改革の内容については、模索が続いており、変革への政治的意思も、東アジアやブラジルの金融危機の頃には高まったものの、持続性を欠いている。東アジア危機を体験しただけに、日本には変革の必要についての認識はあるが、地球と世界の共通利益を代弁する自信に満ちた知的提案力は十分ではない。

 IMFが世界全体をケアする大病院であるとすれば、身近に世話をしてくれるホームドクターとしてのAMFを併設することを考えるべきであろう。グローバルなレベルと地域レベル、そして二国間関係を重層的に使いこなす時代を迎えている。また、国際的に円の利用を高めるため、外国人の円による資金運用・調達を容易にするような国内金融市場整備、税制見直し、決済システムの改善、円レートの最大限の安定化などが必要であろう。日本の市場を世界にとって魅力的にすることによって円の国際化に努めるとともに、主要通貨間のアレンジメントを見直し、為替変動リスクを小さくすることは、アジア諸国を含めた新興市場国にとっても基本的な利益と考えられる。

B国際貿易体制の展開

 WTO(世界貿易機構)を中心とする多角的貿易体制は、着実に幅広い参加国を得るとともに、カバーする分野の拡大・深化も進んでいる。日本国民の生活にとって、自由貿易体制の維持・発展が根源的重要性を有していることは言うまでもない。それゆえ、今後とも秩序の発展・維持に参画し寄与していくことが必要であるが、さらなる進展を求めれば、先進各国の利害対立や社会内部での立場や理念の相違、さらには南北格差が目立つ分野が問題とならざるを得ない。しかもWTOは加盟135ヵ国の一国一票の意思決定方式とっており、1999年のシアトルにおける会議にも示されたように、グローバルなコンセンサス形成はますます難しくなってこよう。こうした中で、合意に向けて相互の譲歩を確保する努力を重ねつつも、地域レベルの自由貿易協定などの連携・統合を進めて、これらを補完的にうまく使っていく、やはり重層的な国際貿易体制の構築をめざす必要があろう。

(4)途上国の発展への貢献 ― ODAの活用

@ODAの重要性

 シビリアン・パワーとしての日本が、国際社会を支えるために自らの手でなしうる事業のうち重要なのがODAの維持・改革である。日本のODAは、近代化の途上で身につけた有用な技術を途上諸国に移転したり、人道的必要に対応する贈与(無償協力)と、経済インフラを整備して国家経済的規模の浮上を支えることを目的とする借款(有償協力)の双方をもつことが特徴である。しかも、冷戦戦略上の必要ではなく、援助相手国の発展を通して、国際経済がいっそう活発となり、同時に友好関係が進展することを期待する開かれた国益観から進められてきていることも特徴的である。

 今日、日本のODAは国内と国際の双方から試練にさらされている。国内では、経済不況と財政上の困難からODA削減論が高まり、少なくとも日本ODAのアンタイド率が国際的にも高く日本企業が受注し難くなった事態を改め、「国益」に沿った運用にすべきだとの業界の意見が強まっている。

 しかし、忘れてならないことは、日本の対外関係の中で、途上国の発展を助けるODAは最も役に立っている活動であることである。一部に無駄があり、環境破壊があり、民衆に役立っていないなどの批判がある。そのようなケースもないではない。しかし総合的に見れば、これほど他国の支えとなり、感謝されている事業は存在しない。軍事力にかけることを断念し、シビリアンパワーとして国際社会の不可欠の存在たるべき日本が、ODAを放棄したり、軽視したりするのは致命的な誤りである。一部のバランスを失した報道や議論にまどわされて、日本のODAが途上国でどれほど高い評価をうけ、実際にも役立っているかを見失ってはならない。また、日本のODA総額が世界一であることをもって、日本が途方もない巨額の負担を背負っているとのイメージが国内の一部にある。だが日本のGDP比のODA負担率はDAC(開発援助委員会)諸国21ヵ国のうちワースト3である。「北風」よりも「太陽」政策をとるシビリアン・パワーとして、日本のODAの水準が高すぎるとは思われない。ODA予算の増減ではなく、いかに意味のある活動を効果的に行うかが問題の中心でなければならない。

A 総合的メニュー維持の必要

 国際的な援助コミュニティの現在の強調点は、人道的・理想主義的観点から貧困撲滅や母子保健などを重視し、ハコもの供与ではなく制度改革、人材育成などソフト援助に比重を置き、NGOを通す参加型援助を促進することにある。日本のODAもこうした新しい強調点に沿って変化をとげつつあるし、それはそれで進めるべきである。けれども、これらの理念は途上国の実際の必要に身をひそめて導き出したというよりも、先進国側の自己完結的援助思想の産物である場合も少なくない。与える側の自己満足に陥らぬように留意すべきである。たとえば貧困者の比率を減少させるという立派な目標を提案するのはいいが、その手段が食糧、医療など人道援助と社会ソフト援助のみでは達成不可能であろう。飢えた人に魚をあげるよりも、魚の釣り方を教えてあげねば、いつまでたっても自立できない、との比喩は正しい。だが、急場をしのぐ人道援助から、いきなり長期的な人材育成にとんでしまい、具体的な経済建設(魚の釣り方)の支援が、国際的流行の議論からは抜け落ちている。自由主義の原理を一面的に強調する国際経済システムが必然的に競争の敗者としての貧困層を大量に生み出す中で、人道援助やソフト援助のみによって、貧困者率を減らせる筈がない。もし本当に貧困を減らそうと思うなら、国際経済システムの改革が本源的要件であるし、援助というレベルで貧困の減少を考えるなら、むしろ日本型を重視せねばならないであろう。すなわち、人道援助と無償援助によって最貧レベルを支え、ある程度自助能力がついてくれば円借款も加味して経済発展のインフラを整備し、それによって外資導入を誘導しつつ、途上国の国民経済的浮上・離陸を図る日本型援助しか実効性はありえないであろう。そして、結局のところ国民経済的な浮上こそが、長期的にその社会の多元化と民主化をもたらす最良の基盤であることを、われわれは東アジアの近年の歴史に目撃している。

 日本のODAの最大の特長は、幅広いメニューを擁する援助手段の総合性にある。相手国の発展段階と状況に即して様々な援助手段を組み合わせ、総合的に当事国の自助努力を側面から支援する手だてを、今や日本しか持っていないのである。これほど稀有の国際貢献の手段を持ち合わせている日本は、これを国際公共財として大切にしなければならない。

W. 21世紀の世界に生きるための国内基盤

 これまで述べてきたことを一文で言うなら、「自由、民主主義、日米同盟」を20世紀の遺産として継承し、シビリアン・パワーとしてグローバルな責任を「開かれた国益」観に立って担いつつ、これまで欠落していたアジア地域における「隣交」を、他方の軸として切り開くという構想である。ところで、これらを展開するためには、国内にどのようなリソース(資源)やインフラ(基盤)があればよいのだろうか。

1.言力政治(ワード・ポリティクス)の強化

(1)言力政治強化の必要性

 戦前の日本は軍事力を最終手段として行使することを辞さない権力政治(パワー・ポリティクス)志向の国であったが、戦後は経済活動に全力をあげる金力政治(マネー・ポリティクス)型に転じた。両者に対し、今日の国際関係において急速に重要性を高めているのは、言語を武器とする言力政治(ワード・ポリティクス)である。たとえば、多国間会議において何かを決める時、軍事力で脅せるわけではないし、経済力で買収できるものでもない。両者とも背後にある要因として無視はできないが、それよりも、多くの国の必要を踏まえていながら正統性のある説得的、魅力的な発言が会議の流れを変えるのである。「教皇庁は何個師団持っているのかね」は、スターリンのリアリズムが生んだ有名な言葉であったが、今や国際的に優れた表現力を持つ人材は何個師団にも相当する「国力」なのである。

 今日の日本は、軍事力を制約し、経済力も90年代に後退したうえ、「沈黙は金」などというように言葉の力の活用は得意ではない。シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』は、市民への演説におけるアントニウスの言葉の力が、剣によって奪取したブルータスの権力をくつがえし、歴史の流れを変えたドラマである。ギリシャ・ローマ以来のこうした伝統を引きついだ欧米に対し、日本には言力政治の伝統は強くない。閣僚クラスの政治家が官僚のメモなしに答弁も演説も苦しいという国は稀ではないだろうか。欧米はもとよりアジアの政治家も、多くの場合その国のエリートとして自負と知識を持っており、とうとうと自分の言葉で国策をしゃべるのが普通である。言語能力の面で、政治家が国際競争力を持たねば、言力政治の国際関係をこなすことは難しい。

 「言力」の内容は、情報力であり、構想力であり、それらをもとにした提案能力と表現力である。それによって議論し決定させる力であり、実施に向かって人や組織を動かす力まで含まれるかもしれない。これらをいかにして培うかが問題である。

(2)情報公開の重要性

 このような能力を持つ個人が、政治家をはじめ各分野で輩出することが重要であり、それには、情報力を好み、言語能力を尊ぶ社会文化が不可欠である。官が情報を専有・秘匿し、もの言わず重大問題が処理される権威主義的な社会構造では、言力政治の国際競争力は低下する一方である。情報公開は、パブリックな責任を負う者の正統性の証しであり、説明能力によって国民的な理解・支持をかちえ、民度を高めるために不可欠な措置であり、かつ国際的な言力政治に沈没しないために活用すべき手法なのである。たえず問題が起こってから弁明に努める政治ではなく、生ずるであろう課題を予測し、自ら問題を提起し、すすんで情報を公開し、自らの観点を理解・普及させてしまう「表明外交」のあり方が、開かれた時代には賢明な国益擁護の手法であろう。

(3)官民あわせた総合力の発揮

 情報公開によって国民の政策的関心をひき、国民の政策論議水準が高まれば、政府はひるがえってそれを用いることができる。日本におけるほとんど唯一の巨大な政策シンクタンクたる官僚機構は、意思決定権限が細分化されているため、総合的政策を作り語るメカニズムを欠く。しかも問題が複雑化し、かつ動きの速い時代には、全体的合理性をたえず見出し、それに沿った政策秩序を不断に再構築することがに求められる。官邸の権限強化が近年遅まきながら図られているが、強化された権限をよき人材で埋めねば、画餅に帰す他はない。構想力や表現力に秀でた政治家・官僚だけでなく、民間の人材をも広く政府に集め、補佐官、秘書官、スピーチライターとして活用することが言力政治時代の外交には不可欠である。

 

 言力を高めるためには、各政権ごとに官民より集めたチームにより、国益を再定義し外交戦略を打ち出す慣行が必要であろう。そこで行われる議論こそが、国内説得力と国際競争力のある言葉を生み出す母胎となり、政策革新への起爆剤となるであろう。また政府首脳が折々に行う演説は、官僚組織毎の主張・要望を組み合わせた作文に留めず、それを土台としつつ、積極的に内外にアピールするメッセージに貫かれたものとせねばならない。また重要な問題が生じ、あるいは重大事件が起こった場合、管轄官庁の報告を待つだけでなく、民間の専門家を含んだ調査委員会を開設し、問題の分析と政策提言を求めることを慣行化すべきである。こうした活動によってこそ、国民に開かれた外交となるとともに、言力政治の能力を高めうるのである。

2.国際知識の集積・人材育成

 グローバル・パワーはもとより、国際関係を大切にする国は、いずこにあっても外交機関と外交専門家の充実を図る。その点から見れば、日本は、国際関係を軽視している国といわねばなるまい。先進国の中で対外専門家の比率は格別に低く、大使館の置かれていない国や、置かれていても十分な機能を果たしようもない貧弱な在外機関が稀ではない。人材と機関こそが情報力と外交力の中核であり、その思い切った強化が不可欠である。

 それと共に強調すべきは、外務官僚だけが国際知識を持ち外交政策提案ができればよい時代ではなくなったことである。内政と外交のリンケージ(連携)はますます緊密であり、内政と外交の境目は益々低くなっている。国際関係、外交あるいは国際交流は、今後すべての公務員の重要な研修課目であろう。官僚だけでなく、民間を含めた日本社会全体として、広く人材の層が厚くならねば、日本は21世紀の世界によく生きてはいけないであろう。

 カンボジア和平について、日本が役割を果たし得たのは、本省担当部局の意欲とともに、現地の事情、人脈に通じた専門家が外務省にいたからであった。イラン内部事情に通じた質の高い情報を、日本政府が同盟国に継続的に提供したことに対し、ブッシュ大統領が日本政府に公的に謝辞を述べたことがあった。他方、世界各地で起きる事件を真に理解し、説明し、今後を展望出来る専門家が日本に一人もいない時、日本外交もサーチライト無しに暗闇で手探りする事態に陥るほかはない。

 官民にわたって国際知識を集積し、人材を育成するため、次の措置が必要である。

(1)世界・地域研究所などシンクタンクの創設・大幅な拡充

 よき専門家を世界各地について持つか否か、それは日本の国益にとって死活的といってよいほどの意味を持つ。そうした人材を擁する社会となるため、世界の各地域をカバーする研究所を、あるいは創設し、あるいは拡充しなければならない。官僚であろうと学者であろうと、企業やNGOの人であろうとかまわない。その地域についてたしかな根拠をもって政策論を展開しうる人材の存在が、国家戦略的必要なのである。地域専門家育成のためODA予算を割くべきであろう。

 地域とともに、さまざまな専門分野の人材も必要である。環境、人口、食糧、難民、テロリズム、地雷などグローバルな人間の安全保障にかかわる専門家を擁する研究所も拡充せねばならない。緒方貞子さんに続く人々が生まれねばならない。また、国際経済や安全保障など各分野の国際機関に出入りし、国際レベルの議論を交わし、その中から、やがてその再構築に貢献する人材が育たねばならない。多くのシンクタンクや研究者のグループが、政府・官僚の政策に対する代案を提起する能力を培うことが必要である。

(2)大学の国際化

 国際問題を扱う専門家の出発点は、高等教育機関である。日本の大学における研究と教育の水準は欧米に比して不十分であるし、国際化も十分に進んでいない。大学の教員は、国内・国外の多様な人材の門戸を開き、社会的、国際的な競争力を培って魅力ある研究と教育を展開せねばならない。留学生を双方向に増大するため、奨学制度の増強とともに単位互換の制度を外国の大学との間で進め、学生の国際的流動性を高めねばならない。研究者の留学と交流のためのフェローシップも強化し、国際的な知的交流を行う人材層を厚くする必要がある。例えば、APEC大学など国際レベルの高等教育機関を日本に創設することは極めて意義深いであろう。

(3)シビル・ソサエティの充実

 かつてE・メイ教授は『歴史の教訓』の中で、米国の外交世論の担い手は、ベトナム戦争のように過熱した事態を別にして、普通はせいぜい全人口の5%であると論じた。わずか5%しか外交政策を支える市民がいないのは民主主義社会としていただけないと思う一方、それは約1200万人であり、さすがに米国には外交関心層が厚いと思う。同じ比率なら、人口が約半分の日本は600万人ということになるが、とてもそれほど多くの外交関心層を見出せないであろう。今後は日本も国際問題を米国任せにするのではなく、自ら対処するための国内的基盤を必要とする。外交問題を論ずる場が全国各地に広がらねばならない。日米協会、国連協会など国際問題を扱う民間組織が日本各地にもないではないが、例えば第一次大戦期に生まれた米国のWorld Affairs Councilが今では全米各地に約100団体、37万人の会員を擁し、年間延べ2400万人がその恩恵に浴すといわれるほどの広がりと活発な活動を展開しているのに比べて、余りにひそやかである。マスメディアの役割はとりわけ重要である。テレビにおけるBBCやCNN、活字メディアのニューヨーク・タイムズやエコノミスト、フォーリン・アフェアーズなど世界をリードするメディアの水準は、その社会が政府だけでなくシビル・ソサエティを含めて国際認識を大事にしていることの現れである。視聴率万能主義とは別のクオリティ(品質水準)原理をも併用している。マスメディアを機能させることは、国民の眼と耳にとって長期的にきわめて大きな意味を持つであろう。

 外交政策を論議し世論形成をリードするNPOをはじめとして、国際問題に関与する民間団体は、国際的には夥しいものがあり、遅れていた日本でも着実に増加している。政府間の国際会議(トラック1)は増え続けているが、それよりもなお膨張しているのが、非政府民間人を交えた会議であるトラック2である。ある調査ではトラック2はトラック1の5倍に上るという。外交は政府の占有物でないどころではなく、数ではトラック2の民間外交の方が大きくなっているのである。シビル・ソサエティとの提携・協力なき外交は、世論のサポートを欠いた寂しい苦闘となろう。

3.国際対話能力(グローバル・リテラシー)のために

 情報技術革命、グローバリズムを乗り越えて波乗りすることは容易でない。インターネットと英語を共通言語として日本国内に普及する以外にないであろう。双方についてマス・レベルで幼少期より馴染むべきであろう。

 誤解を避けるために強調しておきたい。日本語はすばらしい言語である。日本語を大切にし、よい日本語を身につけることによって、文化と教養、感性と思考力を育むべきは言うまでもない。だが、そのことをもって外国語を排斥するのは、誤ったゼロ・サム的な論法である。日本語を大事にするから外国語を学ばない、あるいは日本文化が大切だから外国文化を斥ける、というのは根本的な誤りである。日本語と日本文化を大切にしたいなら、むしろ日本人が外国語と他文化をも積極的に吸収し、それとの接触のなかで日本文化を豊かにし、同時に日本文化を国際言語にのせて輝かせるべきであろう。

 すでに国際化の進行とともに、英語が国際的汎用語化してきたが、インターネット・グローバリゼーションはその流れを加速した。英語が事実上世界の共通言語である以上、日本国内でもそれに慣れる他はない。第二公用語にはしないまでも第二の実用語の地位を与えて、日常的に併用すべきである。国会や政府機関の刊行物や発表は、日本語とともに英語でも行うのを当然のたしなみとすべきである。インターネットによってそれを世界に流し、英語によるやりとりを行う。そうしたニーズに対処できる社会とは、双方向の留学生が増大し、外国人留学生の日本永住や帰化が制度的に容易となり、優れた外国人を多く日本に迎え、国内多様性が形成された社会であろう。日本が国際活動の流れから外れてしまうジャパン・パッシングを嘆く事態を避けるには、日本社会を国際化し多様化しつつ、少子・高齢化の中でも創造的で活気に満ちたものとすることである。それが21世紀の日本の長期的な国益ではないだろうか。

X.おわりに

 戦前期の日本において国際協調主義を代表した幣原外交は、ナショナリスティックな国内世論から、対米「軟弱」「追随」との非難を浴びせられた。それに対して、西園寺元老は、政府の外交がそうした批判を浴びている限り、日本外交は安泰であると論評した。事実、1930年代に政府が、逆に対外硬の世論に一体化し、強硬な自主外交に走った結果を、われわれは知っている。革命的な現状打破外交は国民の民族意識を酔わせつつ、世界に戦乱をもたらし、自らの破滅を招くことになりがちである。外交に激変なし、と言われる所以である。

 本報告書の説くところは、敵対国を減らし、友好国を増やすという外交の基本に忠実な路線である。個々の外交展開を導く価値観として、本報告書は自由と民主主義を強調している。それは世界に特異なものではなく、先進諸国を中心に広くグローバルに共有されている原理である。日米同盟基軸と米欧日三極主義を重視する外交は、その具体的現れである。この点で激変はなく、国際的共感が基調である。

 しかし、価値観や秩序観を共有しつつも、他国の言いなりに従うのではなく、自らの情報と判断に基づいてモノを言い、行動するのが21世紀の日本外交の課題である。同盟国である超大国にもよき助言を行って、アジア太平洋の安定と繁栄を支える役割を、より積極的に遂行する方向への展開を求める。日本は、日米同盟を否定、もしくは削減して、ではなく、日米同盟をかけがえのない基軸として、アジアとの新しい関係を築く。グローバルなシステムの下に、この地には、APECというすき間の多いゆるやかな屋根と、日米同盟という太い主柱がある。本報告書は、それに加えて東アジアの多国間協調体制の形成と日韓中の隣交を提唱する。外交の世界にあって、これはかなりの激変と見られるかもしれないが、それは破壊的ではなく建設的な変化である。重層的な協調システムが、冷戦後の、そして、21世紀の国際関係の基本的特徴となろう。日本はそのような世界に生きる。協力――それこそが21世紀の日本の大いなる野心なのである。

 協力という日本の大いなる野心は、アジアの地に限定されない。開かれた国益を奉じて、グローバルなシビリアン・パワーとして活動する。世界の平和と秩序のため、日本は国際安全保障の活動に参画する。国際経済秩序が効果的にして公正なものとなるよう働きたい。途上国が絶望に陥らず発展への希望を保持し、そして実際に浮上することに、日本は寄与する。グローバリゼーションが一部に富を集中し、世界の多くの社会を破産国家に追い込むことがないように、国際社会の多様性と公正さのために、日本は尽力したい。

 果して、21世紀の世界はどの程度厳しいものになるだろうか。20世紀が戦争と革命の世紀であっただけに、21世紀は平和のうちに文化の発展を楽しめる時代であることを、われわれは希望する。しかし、現実を楽観することはできないであろう。日本においては少子高齢化がもっぱら問題とされるが、地球全体を見れば、すさまじい人口爆発がより重大な問題である。人類は、地球の食糧と資源と環境のキャパシティを超えて膨張を続ける。その臨界点に近づく時、国際政治は構造的危機に陥るかもしれない。それがグローバリゼーションの鬼子としての地球的富の偏在=多くの国の破産国家化という事態と連動するならば、21世紀の世界は前世紀に劣らず荒れすさんだものとなり、終末的様相すら呈するかもしれない。もしそのような敵対的で殺伐たる国際環境に21世紀の歴史が立ち至るなら、本報告書のトーンは余りに楽観的な国際協調主義に偏していると感じられるかもしれない。だが、1930年代の第二次大戦に向う歴史をもう一度繰り返す自由は、人類にもはや与えられていない。それが自由であるとすれば人類破滅への自由でしかない。人類が理性を失わない限り、相互破滅の前に、協調による存続へと回帰せざるを得ない。本報告書が建設的トーンを基調としているのは、21世紀の世界に困難と危機を見ないからではなく、困難と危機が深まれば深まるほど、それを克服する意思と努力なくして21世紀を乗り越えることができないと確信するからである。未来に対する予定調和的楽観論は無為しかもたらさない。宿命論的悲観論もまた深い泥沼に沈むのを諦観するのみである。事態の困難さを直視し、課題を明らかにしつつ、それに立ち向かう楽観主義こそが、21世紀の航海に必要であろう。

 明治のはじめに岩倉使節団に加わって欧米世界を観察した大久保利通は、帝国主義の国際政治に緊張感をいだきながらも、日本自身の対応の中心課題が、対外戦争をできるだけ避け、近代化改革を断行することにあると洞察した。いわば世界を知るゆえの内治優先主義によって百年の計を考えた。21世紀の多元的で流動的な世界へ出航するにあたって、われわれはもう一度、世界を知るゆえの国内再建に着手する若さを持つことを提案したい。


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