ローマ教皇フランシスコ台下との会談等

令和元年11月25日
要人及び外交団等との集い1 要人及び外交団等との集い1
要人及び外交団等との集い1
ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理1 ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理1
ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理1
ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理2 ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理2
ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理2
ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理3 ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理3
ローマ教皇フランシスコ台下を出迎える安倍総理3
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)1 ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)1
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)1
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)2 ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)2
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)2
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)3 ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)3
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)3
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)4 ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)4
ローマ教皇フランシスコ台下との会談(テタテ)4
要人及び外交団等との集い2 要人及び外交団等との集い2
要人及び外交団等との集い2
要人及び外交団等との集い3 要人及び外交団等との集い3
要人及び外交団等との集い3
要人及び外交団等との集い4 要人及び外交団等との集い4
要人及び外交団等との集い4
要人及び外交団等との集い5 要人及び外交団等との集い5
要人及び外交団等との集い5
要人及び外交団等との集い6 要人及び外交団等との集い6
要人及び外交団等との集い6
要人及び外交団等との集い7 要人及び外交団等との集い7
要人及び外交団等との集い7
要人及び外交団等との集い8 要人及び外交団等との集い8
要人及び外交団等との集い8
要人及び外交団等との集い9 要人及び外交団等との集い9
要人及び外交団等との集い9
要人及び外交団等との集い10 要人及び外交団等との集い10
要人及び外交団等との集い10
要人及び外交団等との集い11 要人及び外交団等との集い11
要人及び外交団等との集い11
要人及び外交団等との集い12 要人及び外交団等との集い12
要人及び外交団等との集い12
要人及び外交団等との集い13 要人及び外交団等との集い13
要人及び外交団等との集い13
要人及び外交団等との集い14 要人及び外交団等との集い14
要人及び外交団等との集い14
要人及び外交団等との集い15 要人及び外交団等との集い15
要人及び外交団等との集い15
要人及び外交団等との集い16 要人及び外交団等との集い16
要人及び外交団等との集い16
要人及び外交団等との集い17 要人及び外交団等との集い17
要人及び外交団等との集い17

 令和元年11月25日、安倍総理は、総理大臣官邸でバチカンのローマ教皇フランシスコ台下と会談等を行いました。

 総理は、ローマ教皇フランシスコ台下と会談を行い、その後、要人及び外交団等との集いに出席しました。

 総理は、要人及び外交団等との集いで次のように述べました。

「フランシスコ・ローマ教皇台下、御列席の皆様、日本政府を代表して、一言御挨拶申し上げます。
 教皇台下、日本へ、また総理大臣官邸へ、ようこそお越しくださいました。御訪問を、心より、歓迎いたします。教皇と私は、ただいま、親しく会談をいたしました。
 教皇台下には、天皇陛下の御即位に当たって、慶祝の言葉を頂戴いたしました。今朝ほどは、東日本大震災の被災者にも、お会いいただいております。私は教皇のお志に、深く御礼を申し上げました。
 教皇は若いころから、来日を強く望まれていたと仄聞(そくぶん)します。そんな台下との出会いを期待し、本日ここには、大勢の方が来てくれました。麻生太郎副総理が、あちらにいます。教皇と同じ、フランシスコの洗礼名を持つ方であります。皆さん、意外に思われたかと思います。
 さて、教皇をお迎えし、御挨拶を申し上げるに当たって、教皇の数ある一般謁見演説の一つを、取り上げたいと思います。
 2014年1月15日、バチカンでの演説でした。そこで、教皇は、日本で起きたある歴史的事実に、間接的ですが言及されました。今からおよそ150年前、1865年3月17日の出来事です。長崎の大浦という地に、建立なって間もなかった教会を、訪ねてきた人々がありました。男女は子供連れ、総勢十人余り。浦上という地の人々でした。神父、ベルナール・プティジャン神父がひたすらに祈る様子を確かめると、その中から、一人の女性が近づきます。そして、こう訊(き)いた。
 『マリア様のお像は、どこですか』
 その言葉が、よほど衝撃だったのでしょう、プティジャン神父は翌日パリに送った書簡の中に、耳にした日本語そのままを、ローマ字にして書きつけました。
 『SanctaMaria no gozowa doko』
 日本からカトリック神父が一人残らずいなくなって、その時まで約220年。筆舌に尽くし難い迫害の中、信仰を守り続けた忍従の人々がいたことが、明るみに出た、奇跡の瞬間でした。扶(たす)け合い、励まし合って生き延びた共同体には、ある教えが伝わっていたといいます。
 『7代待てば、海の彼方から司祭が来る』
 この時まで、本当に7世代もの長い間、仲間の結束を保ち、信仰を守り抜いたレジリエンスは、時と空間を宗教の違いを超えて、我々の魂を今も、揺さぶらずにはいません。
 しかしながら、歴史とは、苛烈ではありませんか。同じ長崎の、しかも浦上の人々の真上に、やがて、原爆が落ちるのです。
 一枚の、写真があります。ところは、長崎近郊のどこか。時は、1945年、原爆が炸裂(さくれつ)した後の、恐らく夏から秋に変わる頃です。写っているのは、10歳くらいの男の子です。その背中に、力なく瞑目(めいもく)しておぶさるのは、年下の弟のようです。少年が裸足で、直立不動、気をつけの姿勢で立つ、その場所は、焼き場なのです。おぶった幼な子は既に命が絶えていて、彼はその子を、土へ返しに来たのです。
 この写真を教皇は、カードにされた。『唇は、噛(か)み締め続けたせいで、血をにじませている。この子の悲しみを表すものといっては、ただそれだけだった』と解説を加え、『戦争がもたらすもの』いう言葉と署名を付して、広く配布されました。昨日、長崎でなさった祈りの場でも同じ写真を使われています。
 私は、言葉を失います。原爆がもたらした、悲しみと、苦痛の重みに。それを思いやり、大きな心を寄せてくださる、教皇の、祈りの深さに。日本とは、唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向け、国際社会の取組を主導していく使命をもつ国です。これは、私の揺るぎない信念、日本政府の確固たる方針であります。私たちはこれからも、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら、対話を促す努力において、決して倦(う)むことはないと、ここに申し上げます。
 フランシスコ教皇台下。戦後70有余年、日本の私ども、平和と、自由をひたぶるに追い求め、揺らぐことがありませんでした。国連難民高等弁務官だった、今は亡き、緒方貞子さんが世に広めたのは、人間一人ひとりを強くし、未来に希望を抱けるようにすることこそが、最も大切だとする思想です。これを信じ、信じるのみでなく行動で示す若者たちを、日本は育て続けてまいりました。このことは、私始め、多くの日本国民が、誇りとするところです。今、この瞬間にも、青年海外協力隊の諸君は、世界各地の、最も貧しい地域に入り、活動を続けています。持ち前の粘り強さで、マラリヤに罹(かか)ろうとも、貧しい人、弱い立場の人、女性や、子供たちに、希望を与えようと、努力を惜しまぬ若者たちです。
 他方、私たちが平和を享受する今このときも、迫害にあえぐ人がある。理由もないまま囚われの身となり、解放を待ちわびる人々があります。教皇が、『Proteger toda vida』、つまり『全ての命を守ろう』と言われたように、このような絶望の淵(ふち)にある人々の、ただ一人として私たちは、見捨ててはならない。自由を尊び、人権を重んじる私たちは、希望の光が見えず、絶望しか見出せない人々を、必ず、救い出さなくてはならないのです。
 貧しい人、恵まれない人々に常に寄り添い続ける教皇の姿を近くに拝見し、私もまた、世界をより良き場所とするため、たゆまず前進してまいりたいと、決意を新たにしています。教皇の言葉から、一つ引用させていただくことで、挨拶を終えようと思います。
 『課題は、克服するためにあるのです。現実を直視し、しかし、喜びを失うことなく、大胆に、希望に満ちて、献身しましょう』
 御清聴、ありがとうございました。」

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