| ・ | 昭和31年、一橋大学卒業後通商産業省に入省。第一次オイルショック当時、在ニューヨーク総領事館領事として国際的なエネルギー情報の収集に務め、ニューヨークのホットな尾身情報として評判になった。 |
| ・ | 昭和58年、衆議院群馬一区の定員3名の中で無所属・新人でトップ当選。 |
| ・ | 日本イラン友好議員連盟事務局長等を務め、昭和63年7月のイラン訪問では、イ・イ戦争の即時停戦をイラン首脳に強く働きかけ、停戦に貢献した。 |
| ・ | 平成7年には議員立法で科学技術基本法を制定する中心的な役割を担った。自由民主党内では、政務調査会の科学技術創造立国推進調査会の会長を務めたほか、議員連盟活動で経済活性化税制議員連盟・TKC議員連盟・ライフサイエンス推進議員連盟の会長などを歴任。 |
| ・ | 沖縄及び北方対策大臣・科学技術政策担当大臣就任以来、国際的で世界最高水準を目指す沖縄大学院大学の設立を強力に推進している。 |
| ・ | 科学者、政治家、ビジネスマンが一堂に会し、年1回京都にて科学技術の"光と影"について話し合う、「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム(STSフォーラム)」の創設者で会長である。 |