平成10年10月16日

子どもの未来と世界について考える懇談会

(第5回)議事録

内閣外政審議室

子どもの未来と世界について考える懇談会(第5回)議事次第

日 時  平成10年10月16日(金) 15:00 〜16:30
 
場 所  総理府3階 特別会議室
 
議事次第
1.開  会
2.視察調査報告
 ・本間座長
 ・二瓶座長代理
3.意見発表
 ・風間深志委員
4.提言案説明
 ・ワーキング・グループ作成提言案について
   二瓶座長代理
 ・意見交換
 
5.閉  会

○本間座長 それでは、定刻になりましたので、ただいまから子どもの未来と世界について考える懇談会、本日は第5回目になるわけでございますが、開催させていただきます。

 今日御出席の各委員の皆様、大変御多用中のところ御出席賜りまして誠にありがとうございます。今日は大変蒸し暑い日になりまして、懇談をするのに快適な湿度ではございませんが、今日の懇談会も限られた時間でございますけれども、皆様の活発な御発言を賜りたいと存じております。 本日の順序でございますが、最初に前回申し上げましたように座長代理の二瓶先生がヨーロッパ、それから私がアメリカに視察旅行で調査をしてまいりました。これは短い日数でございまして駆け足の旅行ではございましたけれども、その結果につきましてごく簡単に御報告申し上げます。なお、お手元にお届けしてある資料がございます。それをご覧いただければと思います。

 ごく簡単に私の方から申し上げますけれども、私の場合は主としてサンフランシスコとその周辺と、ボストンとその周辺ということで調査をいたしてまいりました。

 サンフランシスコとその周辺では北カリフォルニア日本文化コミュニティー・センター、日系コミュニティー青少年協議会、日本町リトル・フレンズ、ローレンス・ホール・オブ・サイエンス。それからカリフォルニア科学アカデミー、エクスプロラトリアムなどを見学して、それぞれの施設の責任者の方とお話をし、意見を交換してまいりました。

 ボストンとその周辺ではファイブカレッジ・プログラム、ボストン国連協会、ボストン子ども博物館を中心に、これまた見学並びに意見の交換をしてまいりました。

 私の全般的感想でございますけれども、全体を通じて活動の目的や性格に応じて、子どもの中のどの年齢層を主たるターゲットにするかということを意識して、それによってどこに焦点を合わせるかということで効率的に成果を上げるということを考えていること。

 2番目としまして、国際交流の場合、スポーツのように子どもたちが共通に興味を抱くような活動が効果的である。ここでも何度もお話が出ました。その場合でも、異文化理解の勉強を事前に行うということが望ましい。そうすると、スポーツ交流と合わせまして効果的な相互の理解、相互の交流というものが行われる。

 3番目に、米国では自然について学ぶに当たって、頭だけで知識を吸収するというのではなくて体全体あるいは五感を働かせまして、全身で科学現象に接することができるような工夫、ボストンの子どももそうですが、そういう工夫が非常に進んでいる。ですから、科学者だけではなくてさまざまな分野の人々、美術、芸術の方とか、そういう方々が一緒になって子どものためにさまざまなものをつくって、それを動かして学んでもらうというようなことを心掛けて工夫をして非常に進んでいる部分があると思います。

 4番目は、異文化理解教育のためのカリキュラムとか教材の開発が進んでいて、先生方のためのマニュアルもつくられているということも伺ってきました。これはもちろん日本でも心掛けておられているわけでありますが、先生にとってはマニュアルというのは非常に大事でありまして、余りマニュアルに頼るのは本来どうかなというところはあるんですが、やはりマニュアルの重要性ということがありますので、そういうことの開発が大事である。

 それから5番目は、国連安保理のシミュレーションをカリキュラムに導入するときの、これはある問題についてあなたはどこの国、あなたはどこの国ということで安保理事会のメンバー幹事の人の役になって議論をするということだそうで、なかなか実際には難しいだろうと思うんですけれども、そういうときに具体的かつ論理的にディベートをする力を伸ばせるようにという工夫が行き届いている。日本人はディベートの訓練が小さいとき足りないために、大人になってからもディベートの仕方が分からないとよく言われ、日本人同士でもそういうことが多いので特にそんな点を感じてまいりました。

 私から申し上げるのはごく簡単で申しわけありませんが、そのような感想ということで報告に代えさせていただきまして、続きまして二瓶先生からお願いします。

○二瓶委員 それでは、私の方から御報告申し上げます。

 私が参りましたのはまずブリュッセルでEUのいわゆるヨーロピアン・コミッションの中の、特に子どもの問題を中心に扱う部局として開設されておりますDG22、ディレクター・ジェネラル22というものです。そこに参りまして、EUとしての子どもの問題に対する取り組みの内容というものをいろいろ話を聞いてまいりました。

 それから、続いてロンドンに参りまして、ここではナショナル・チルドレン・ビューロー、これは独立のノンプロフィット・オーガニゼーションですけれども、これが言わば子どもの教育訓練問題、あるいは国際化問題等についての一種のインディペンデントなシンクタンク的な機能を果たしている機関でありまして、ここを中心に話を聞きました。

 なお、その前にミュージアム・オブ・ザ・ムービング・イメージという、これは必ずしも子どものためだけのミュージアムではないんですけれども、いわゆるムービングイメージ、これは映画、テレビ、写真も少し入っていましたが、それの歴史的なコレクションを全部展示してあるところでございます。ここに行って見てまいりました。

 それから、続いてパリに参りましてユネスコ、これは御承知のように国連の中の一機関でありますユネスコ、それから比較的最近できたラ・ビレットという、言わばパリ市が全面的に財政負担をしております総合科学博物館とでもいったようなものでございますけれども、その中に特に子ども用の展示室というのが最初は1部屋、最近また1部屋追加になりまして2部屋ございます。その2部屋について内容等を見せてもらい、説明を聞いてまいりました。

 個々の内容につきましてはその後のEUのDG22の内容、それからナショナル・チルドレン・ビューローの活動内容、実は資料をここに持ってきていて本当は皆さんに見ていただくと非常にいいと思ったんですけれども、このように資料がございまして、とてもこれを短い時間で御説明するのは無理なのでちらりとごらんいただいて、どの程度活発にこういう機関が活動しているかということを印象として持っていただければ、それでよろしいんじゃないかと思います。

 私がこの3か所を回りまして、子どもの問題を扱う機関としての3つのモデルを見てきたような気がします。1つ目は当然のことながら、初めから国際ということを中心に置いたユネスコ、それから2つ目には地域統合の中でいかに子どもにコミュニティー意識を育てるかというDG22というEUの機関、それから3つ目はそういう公的な機関としてではなく独立の非営利団体といいますか、ノンプロフィット・オーガニゼーションでありながら政府その他の公的機関に対する一種のシンクタンク的な役割を果たすナショナル・チルドレン・ビューロー、この3つぐらいのタイプがここでは見られたのではないかという気がします。

 それで、これはどれがほかに比べてどのように優れているか、あるいはどういうところが問題かというのは、もう少し資料の細かい内容を検討しないとはっきり分からないんですけれども、全体的な印象としましては、先ほど本間先生がまとめられた所感の中で、これも私は非常に印象づけられたのは、例えば年齢層をきちんと絞って、ターゲットをはっきりさせた上で内容を考える。例えば、ラビレッドの展示などははっきり5歳から9歳でしたか、それから7歳から13歳とか、そういうふうに年齢層をはっきり区切って展示の内容を決めているというようなところはおっしゃるとおりかなと思います。それから、同時にその展示の仕方についても単に見せるというのではなくて実際に体験させる、手を使って物をつくらせる、機械を動かさせる、そういう経験を通じてその内容を理解していくというやり方、これも全く同様でございます。

 ただ、アーティクル12という、これはナショナル・チルドレン・ビューローが最近スタートしたプログラムなんですけれども、逆に大学以下、高校生以下になるわけですが、そのすべての年齢層、それからすべてのタイプの人間ですね。学校に通っている人、あるいは仕事をしている人、それからマイノリティー、そういうようなものを全部含めた子どもの組織というのをつくることによって、自分とは違ったタイプの人間との意見の交換を考えるというような組織もありました。

 それからもう一つは、EUという一つのああいう地理的な広がり、文化的、民族的な多様性という中で考えられたことだと思いますけれども、ネット・ディズ・ユーロップというインターネットを利用した子どもの国際化といいますか、実はあれはEUの中でともかくコミュニティー意識を育てようというような内容のものだったと思いますけれども、これからますます重要性を増すようなマルチメディアを積極的に活用した子どものためのプログラムというのもございました。

 それで、私なりのこういう情報をどのように活用するかということについては、また後ほど提言案の中で少し触れておりますのでそこで述べさせていただきます。とりあえず私の方からそれだけ御報告ということでございます。

○本間座長 どうもありがとうございました。

 懇談ということになりますが、本日は風間委員が御出席でおいでであります。風間さんは出席予定委員表では冒険家ということになっておりまして今、名刺をちょうだいしましたら地球元気村村長でいらっしゃいます。お仕事の御都合でなかなか委員会の日程と合いませんでずっと御欠席でございまして、今回初めて御出席いただくことができましたので、こちらとしては資料をお送りしまして懇談の状況は御存じでいただいているということでございますが、何人かの方々から10分程度のお話をいただきながら懇談を進めてまいりましたので、本日は風間委員の方からお話をちょうだいしたいと存じております。それから、その後は8月27日にワーキンググループを開きまして、皆様から御提出いただきました御意見を基にしまして提言案について検討をいたしました。それを踏まえて二瓶先生に提言案をまとめていただきましたので、お手元に届いておりますが、併せて後ほど御議論いただきたいと思っております。

 それからもう一つ、お手元にアントン委員のペーパーをお配りしてあります。これは、アントン委員が懇談会の中で十分に発言できなかったので書いて出したいという御希望でありましたので、それをお出しいただきまして、仮の訳を事務局の方で用意してくださったものと併せてお目にかけているものでございます。(議事録最後部に添付)

 それでは、風間委員からお願いいたします。

○風間委員 皆さん、どうもこんにちは。風間と申します。

 5回目になってここの席に来て、本当に申しわけないという気持ちなんです。資料を読ませていただきまして大分すばらしい意見の中で提言案というところまできたときに、私がここへ来て子ども未来と国際性について何か話をすると堂々めぐりみたいな話になってもいけないのであれなんですけれども今、紹介していただいたように私は地球元気村というものをやっております。

 私は冒険家なんですけれども、冒険家というと非常にあいまいでして、そういう職業があるのかというとないです。私はオートバイが好きで、比較的冒険的領域にオートバイで入っていくというチャレンジ精神旺盛なバイク乗りなんです。そこでバイクに乗りながら、自分がなぜこんなにバイクが好きなのかと。直面するものはある意味では生死の境でして、なぜこういう状況に追い込むまでにバイクを求めていくのかというようなことをバイクに乗りながら考えるところ、私は自然が大好きなんですね。それだけ自然というものをたぐり寄せていきたい。バイクというのはそういう媒介物にすぎないわけでして、私はそのきっかけをバイクによってつかんだ。それだけ自然が大好きです。

 よって、私がここにいるという一つのポジションを自分で自覚するならば、自然というものを皆さんの席上の話し合いの中に何とか入れてもらおうということが多分使命じゃないかと思いました。自然体験というようなことも再三今までの議事録の中で読ませていただきましてすばらしい意見がいっぱいあります。

 私がもう一つ、こういった会合というか懇談会で、ここに座っていらっしゃる方はみんな学校の先生でして、私は多分皆さんの学校の先生の生徒になったら全部落第の評価した受けられないぐらい……。

○本間座長 学校の先生ばかりではありませんよ。御安心なさってください。先生の方が落第しそうなんです。

○風間委員 そうですか。

 それで、私は3人子どもがいまして、一番上が18歳になりました。全部男です。現在まで現役のお父さんを第一線でやってきたということがありまして、子どもは大好きです。そんな子どもに対する愛情というか、気持ちがとてもありますから、自然という以外にもお父さんという立場で何かは言えるんじゃないかというような気分でお引き受けしたような訳です。

 非常に少ない時間の中、自然というものをどういうふうにあれかと言うと、多分この会合というのは子どもを未来の中ですばらしい世界的人材というか、世界に通用する人間を育てていくにはいかなる方法がよいかを話し合うということだと思うんですけれども、この案を先に読ませていただきまして、国際性とかというのは非常に難しいし、また子どもの教育ということも非常に難しいし、あれこれさまざま皆さんが論議されてきた通り、すべて正論として全部そのとおりだなと深くうなずいたわけですけれども、私は現在、私の子どもを含めて、子どもたちが将来の日本というか、将来の自分の将来について自信が持てるか、夢が持てるかというと、多分持てないんじゃないか。非常にかわいそうな時代に育っているなということをいつも痛感して見ているわけですが、そういう子どもたちがより知識を得て、知恵を使ってよりよい社会とか、あるいは国際の中でもさまざまな世界の人間たちと仲よくできるということは全部すばらしいんですけれども、私が基本的に思うのは、私の子どもを見ていても一番日本人の子どもは国際的に出遅れているなと。これは、島国だからということは中にも書いてありましたね。

 それはそうだと思うんだけれども、これは慣れればいい。これは問題じゃなくて慣れればいいだけですが、それより子どもの未来というのは恐らく日本もそうですけれども世界中が、私は自然という立場で物を言いますけれども、恐らく21世紀というか、将来の世界的なテーマは何だろうかというと、大人も子どもも含めて自然というものの共存ではないか。世界がこぞってそこに直面する問題は自然との共存じゃないかということで、自然体験だとかということを大事にこれからしていけば、家族もうまくいくし、子どもも非常に夢の多い子どもになるしというふうに思っているわけです。

 今、第2、第4しか休みがない小学校、中学校ですね。高校は専門学校などもありますから分かりませんけれども、私は今まで18年間子どもを育ててきながら、今はちょっと高学年になりましたから最近実現できていないんですが、過去小学生の間の10年間というのは、私が外国とかいろいろなところの遠征に行かない限り日本にいたときに、うちにいたにもかかわらずアウトドアに出掛けなかったという日は10年間で3日しかなかったんですよ。そのぐらい家族が一丸となって野外に出て行くということは私の生活信条で、それがお父さんとしての私の教育信条だったんですね。

 それが最近になりまして中学校になって部活があり、高校生になってさまざま自我も目覚めてくるし志向性も出てくるという中で、だんだん家族が一丸で行動を共にするということができなくなった。

 ただ、そんな中でよく世の中のお父さんとかお母さんは、中学生ぐらいになると女性のお子さんであれば、あるいは高校生ぐらいになる男の子があれば、どこか行こうと言ってももうおれたちについてきてくれないよというようなことを聞くんですね。そういうことがあって、家族で一緒に過ごすなどということはなかなかできないということを言うんですけれども、私に言わせればそれだけリーダーであるお父さんががどこに行こうよという提案が貧しいんだ、つまらないから子どもは来ないんだとちゃんと知っている。面白ければ必ず来るよということを私は胸を張って言うぐらい、家族を引き連れてどこかに行くのが好きなんです。

 ところが最近、2番目の子どもが陸上部に入りまして、全く土日も陸上の練習で来られなくなってしまった。私の行こうというところになかなか来れないんです。そうすると、私は悔しいんです。それで、私は子どもに言って聞かせるんですけれども、まずおまえは陸上部の選手である以前に風間という人間のファミリーの一員だということが第1。2番目に高校生であるということで、3番目に陸上が大好きな少年なんだ。一番大事にしなきゃいけないのは家族なんだぞ。だから土日、土日とずっと一年じゅうランニングの練習があるわけですけれども、年間に春か夏ぐらいに必ずお父さんが大きい旅行に行くときはつき合えよということをもし先生に言えなければおれは言うぞというぐらい言ったんです。 今の子どもたちに決定的に足りないのが、野外体験しようにも時間がない。とにかくゆとりのある子どもの時間を取り戻してあげたい。それが私の一番大きな自分自身が思っていることです。隔週の土日が休みなんですが、これも行く行くは来年辺りですか、土日が休みになるという話を聞いたんですけれども、私は恐らくこれからの人類としての大きなテーマという部分が自然というものであれば、その自然という意識、認識、正しい観念とか体験というものを備えた子どもたちでなければならぬと思うんですけれども、恐らく諸外国はどうしているということを考える以前に、我々の国の子どもたちは我々がこういうふうに育てたんだよと太鼓判を押せる子どもにできるはずなんです。それがまず先じゃないかと思うわけです。

 そのためには私は3日間ぐらい、土日月でもいい、金土日でも休みを取って、それが学校外実習でも何でも構いませんけれども、そういった教育的な部分を家族ともども、あるいは仲間ともども野外に行って体験するというようなことを推進していくと、すばらしい子どもがこの世の中に出現するんじゃないかと思っているんですけれども、そんなことを言いたいというような感じです。

○本間座長 どうもありがとうございました。野外活動、それから家族という範囲でという2つのポイントでお話がございました。風間さんのお話についての感想、コメントあるいは質問がおありかと思いますが、それは後ほど提言の案についてディスカッションをする中で御一緒にさせていただくということで、大変恐縮ですが能率化を図りたいと思いますので、ゆとりがなくて申しわけないんですがよろしくお願いします。

 それでは早速ですが、その提言案をおまとめくださった二瓶先生から提言案につきましてどういう考え方でこういうふうにまとめたかということについての御説明をいただきたいと思います。

(提言案について説明後、意見交換)

○本間座長 本日は原案でありますのでワーキンググループでもう少しまた作業をいたしまして、それでこの提言取りまとめということをさせていただきます。

 今日御欠席の委員についても、今日はこういうふうな話になりましたということで事務局の方から連絡していただきまして、その方々のものも加えてどういう具体的な提案に重点が収れんされるかということをこちらで検討させていただくということでよろしゅうございますか。

 それではそういう運びにさせていただきますので、皆様には恐縮ですが、もう少し作業に御協力を賜りたいと思います。そして、最終回につきましても皆様の御都合がなるべく合うところで、それから今の希望としては是非是非総理御出席の下で最終回を開きたいというふうに思っておりますのでよろしくお願いいたします。

 本日はどうもありがとうございました。

○カレン・ヒル・アントン委員提出ペーパー仮訳(原文英語)             

   日本社会における課題と変化

 私はアメリカ市民です。夫も日本人ではなく、また日本人の親戚もいないので、私が現在ここにいるのは、自分で日本に住むことを決定したからに他なりません。 日本は、過去23年間にわたり私の選んだ棲家です。

 私は、著述家として、又ジャパンタイムズの、またその前には中日新聞の、コラムニストとして、教育、コミュニティ生活、及び国際化について書いてきました。私は、この社会の一員として日本社会のあらゆる側面に関心があります。4人の子供の母としてすべての子供の福祉に関心があります。

 本フォーラムにおいて自分の関心を表明し、考えを述べることは私にとって名誉であります。 

[背景]

 夫が1973年に日本へ留学に招待された時、私たちは殆どの道のりを陸路車で走ることにしました。飛行機でヨーロッパに渡り、西ヨーロッパの殆どの国を旅した後、ユーゴースラビア、ブルガリア、トルコ、イラン及びアフガニスタンを車で走り、この後、パキスタン、インド、ネパール及びタイを旅しました。1975年6月1日、日本に到着するまで1年間、旅の路上にありました。

 それは、夫にとっても私にとっても、又当時5才であった娘にとっても素晴らしい経験でした。多くの人が、子供と一緒に旅行するのは困難ではないかと私たちに訊ねましたが、私たちは困難を感じませんでした。ある人にとっては子供が学校に行けないことは気掛かりですが、私たちは娘が学校では得られないレッスンを学んでいるものと感じていました。

 そして私は、娘が学んだ最も重要なことは、人はみな基本的に同じなのだということだと思います。殆どの人は親切で助けてくれました。私は、娘が、我々が地球と呼ぶこの世界は数限りないレッスンに満ち溢れた素晴らしく、かつ興味深い場所だということを学んだものと思います。

 国境を超えること自体がレッスンです。そこには、地図で見るように国と国を分かつ鋭い線はないのだということを知ることができます。むしろ、変化は徐々に表れてくるものです。私は、陸路旅行することにより、文字どおり西洋が東洋に交じり合うのを見ることができました。

[国際化の課題]

 旅行中、世界中の人は皆、家族を食べさせ、養いたいのだ、そして適切な棲家と保健衛生を必要としているのだということが、私には分かりました。多くの人々が子どもに教育を受けさせたい、このために働いて稼ぐ機会を得たいと望んでいます。

 物質的に恵まれ経済的に繁栄している日本では、屡々、恵まれない他の国の人を自分たちとは基本的に違うのだと見る傾向があります。あまりにも多くの人が、他の人々のことを怠け者とみなします。あまりにも多くの人が、人を外見で判断する癖があります。これは、大きな過ちであり、誤った情報、画一的な見方、無知といった自分たちと他の人との間に隔たりを生み出す三つの障害の結果なのです。これらの障害が、人々が真に国際化し得ない原因となっています。

 すべての者が教育を受けられる日本において、これらの障害は言い訳にはなりませんし、また受け入れられるものでもありません。

 真に国際的になるためには、先ず我々が、地球を共有するすべての人々を兄弟、姉妹として見るようにしなければいけません。これは、ありきたりの考えではだめで、我々がすべての人々に対する気遣いと尊敬の気持ちを意識的に涵養しなければなりません。

 幼少の時から、他の国や他の文化についての知識と理解を教えるべきです。また、そうすることによって、極端な偏見に陥る大人も少なくなり、真に国際的な見方を有する人がより多くなるでしょう。

 日本で「国際的」という言葉が、あまりにも平凡化することにより、その真の意味が失われつつあることは不幸なことです。しかしながら、私は、言葉は意味をもつものだと考えており、我々一人一人がそれに意味を持たせるべきです。もし、国際化を成功させたいと願うならば、我々として多くのことが必要です。何故なら、それは単に我々の心構えのみならず、心を開くことを必要としているからです。

 素晴らしい経験であるとしても、すべての子供が外国に行ったり、ホームステーに参加する機会が得られるのではありません。幸い、国際的になるために、必ずしも外国に行く必要はありません。もし、子供を国際化させたいと願うならば、その例を、言葉だけではなく行為で示さなければいけません。

 世界中で違いが強調されています。ある国では肌の色によって、又他の国では宗教によって違いが指摘されます。日本では多くの人が、日本人は、他の国とは異なった「人種」だと信じ込んでいます。

 しかし、人類はひとつです。もし我々がこの基本的な事実を受け入れることができなければ、国際主義に希望はありません。今世紀の末に近づいていながら、多くの人は人間としての共通のルーツについての認識がありません。日本は、国家主義的な概念を廃止し、真に国際主義を涵養することにおいて世界をリードすることができます。

 勿論、我々は、外見、食べ物、言語等の違いがあるが、その違いは文化的に地理的に影響をうけたものです。人間は、自分が育ち、生活している文化により形成されるものであり、私は、自分の子供を通じて、日々その真実を見ています。私は、自分の子供たちが、幼少の頃から真に国際的になる機会をもてたことは幸運であったと信じています。そしてその友達の中に国際主義が約束されたものであることを見ています。私の子供に接して育った日本の少年少女は既にその世界を広げています。

 日本は、もし、家庭で、学校で及びメディアを通じて、地球上の人間共通の絆を強調しこれに光を当てることができれば、次の世代を国際主義に導くことができるでしょう。

 正に、そうすることによって、日本文化の素晴らしく美しい多くの側面を他の国の人々と共有する機会を与えることになります。

[社会と個人]

 日本は、屡々、グループの利益によって人々が動かされるグループ指向の国だと言われることがよくあります。他方、アメリカは、個人の行動が強調され、奨励される社会だとみなされています。

 私が最初に日本に来た時、グループ指向の考え方に印象づけられた訳ではありませんでしたが、やがてこのような行動の良い点を評価するようになりました。特に、グループとして行動することによって人は皆んなのために行動し、他の人のことを考え、共有し、お互いの責任を担うように奨励されます。

 こうしたことが健全で、安全かつ安定した社会をつくるものだと思います。私は、度々、この協力的なグループ精神は、日本が外国に提示し得る最良のものの一つであると考えます。

 私が生まれたアメリカでは、一般的に人は、他人の必要事や権利よりも、自分及び自分の願望を優先するものですが、それによって生じる多くの問題が、今日のアメリカ社会における問題の多い、混沌とした側面の根源となっています。

 しかしなお私は、日本人は、社会が単なる抽象的な概念ではなく個人個人から構成される実体であることを銘記することが重要であると考えます。社会が個人個人にとって役立つものであることが重要です。

 南アフリカの黒人文化に共通する概念である「UBUNTU」は、個人個人の価値はコミュニティーと調和することによって最もよく具現されることを意味しています。日本では、個人の価値を育てつつ、コミュニティーとの調和を維持することが、来るべき世紀の課題の一つです。

[子供の教育]

 日本に来る前、私は、イタリア人の教育者で博士であるマリア・モンテッソリ(1870年〜1952年)の教育哲学の影響を受けていましたが、彼女は「生徒は、積み込むべき船ではなく、灯すべきランプである」との言葉を残しています。

 私は、日本の公立小学校に通っている自分の子供たちのことについて、それが体制順応的な学校であることを知って、気がかりでした。子供たちが個人として発展することを奨励されているのではないと思い、子供たちが一日8時間、週6日間、頭に情報を詰め込まれた日本の「船」になってしまうのではないかと恐れていました。

 しかしながら、私の4人の子供は日本の公立小学校及び中学校に通いました。私は子供たちを公立学校に通学させたことを決して後悔はしていません。それによって子供たちはこの国の社会に溶け込むことが容易になりましたし、勿論それが日本語を学ぶ最善の道でもありました。重要なことは、子供たちが初期の教育を日本で受けたことが幸運であったと考えることができたことだと私は思っています。特に、小学校では、子供たちは学校へ行くことに熱心であったし、活動を楽しみ、先生が好きでした。彼らは今、愛着をもって学校のことを振り返ります。

 遠くから眺める多くの外国人と同様に、私は日本の教育制度によい印象をもっていませんでした。しかし、子供の経験及び自分が観察した経験から、私は日本の教育の成果及びよく働き献身的な先生の質を推賞すべきであると感じております。最も重要なことは、民主主義を信奉するすべての国が、日本の教育の機会の平等性を見習うことだと思います。

[中等学校の失敗]

 しかしながら、中学校からの日本の教育制度が日本の子供の心や想像力、精神に制約をもたらしていることは悲しむべき事実です。学校は、物事に疑問を持って問いかける心を育てるよりも、試験に出される事実を暗記することに合格する生徒を育てることを求めています。

 子供が「合格」することのみに気がかりな親は、目を目標に向けるあまり、そこに至る方法を見落としています。多くの親が、子供たちは疲れすぎており、身体の具合も悪くなっていることや、気が落ち込んでいることなどに気がついていないようです。これらはいずれも、重大な関心を寄せるべき兆候、警鐘であります。今日の日本の社会は、子供たちが彼らに課された不当な要求に対して反乱を起こしていることの結果を経験しているのです。

 殆どの中学校の自由時間は「部活」や「塾」や夜遅くまでの勉強に費やされています。

 正常な生活のリズムは、教育制度が原因で犠牲になっています。これは若者にとって健康的なものではなく、また家族生活にとっても健康的ではない。このような状況の下では、家族との対話は期待し得ません。コミュニケーションの欠如は、若者を家族から、延いては社会から疎外することになるものです。

この疎外が、今日我々が直面している多くの問題の根源です。日常生活は家族の絆を強化するものですが、家族が規則正しく夕食を共にするといったような単純なことですら行っている家族が極めて少ないのです。経済の繁栄がすべてではありません。日本の経営者が家族に対するより実質的な支援を行っていないことは強く批判されるべきです。より多くの家族休暇と残業の縮小は、歓迎すべき改善策です。

 戦後の日本は、今日の工業国日本を築き上げた技術者、科学者、医者、先生その他を教育するのに大きな成功をおさめました。しかし、今の日本は最早、戦争の廃虚から国を再建している国ではないのです。日本が21世紀に向けて直面している課題は、より多くの人に個人としての充実、個人の夢を実現する機会を与えることです。そのような人々こそが、多くの創造的な方法で国の繁栄に貢献することができるのです。

 戦後の日本が世界に誇れるもう一つの点は、世界第一の識字率です。しかしながら、文学を読む日本人が少なくなっていることは、皮肉なことです。良い作家の言葉を通じて想像力を広げるー心に描くー素晴らしさが失われつつあります。過重な学校教育によって、子供たちは読書の純粋かつシンプルな喜びを失いつつあります。

 多くのアンケートによれば、日本の若者は殆どビデオ・ゲームやテレビで楽しんでいます。過重な学校の教科を考えると、生徒たちが殆ど参加しなくても、殆ど考えなくても済むような受け身の楽しみを求めるのも驚くにはあたりません。

 残念なことに、日本の教育は、若者にとって自然なことー学びたいという願望ーを壊している責任があります。知識を探求することからくる喜びをとり上げ、好奇心を壊すことになります。

[才能の促進]

 子供は幼少の頃から才能、能力を表わすことが時々あります。そしてそれが将来専門的な職業に発展する才能であることが明らかな場合があります。

 私には4人の子供がいますが、その内1人、長女がそのような才能を表わしました。

 先生も娘の才能を認識していたものと確信しています。しかし、日本では、娘が小学校を終了した後、評価されるのは国語、理科、数学の成績だけであることは明らかです。

 これを知って、夫と私は、娘を米国の寄宿学校に入れることが彼女にとって最善の方法だと決定しました。幸い、学術的に優れ、創造的芸術に優れたプログラムで有名な学校でしたが、そこでは娘の芸術の成績及び作業は数学の成績及び作業と同等に重視されていました。

 その後、娘は米国で最も権威のある芸術大学に入り、美術の学位をとって卒業しました。現在、繊維デザインの分野で働いていますが、2年前、国際繊維展示会で「最良新デザイン賞」を受賞しました。

 私は、娘が、人生において最も重要な時期に個人としての能力が認識され、支援され、奨励されたことにより、夢を実現する潜在的な可能性を満たす機会を得られたのだと信じています。

 私は、自分の娘だけが特別だとは思っていません。私は、子供は皆、特別だと思います。子供は皆、個人として認識され、それぞれが有する能力を育くまれる必要があると考えます。

 私は、日本の子供にとって、包括的でよく均衡のとれた教育は、子供の視線を広げ、取り巻く世界に好奇心を持たせるものと希望しています。高等学校の教育においては、生徒が、(単に就職のためのステップではなくて)大学に行くことにより知識を増やすことを刺激するような教育が望まれます。

 これまで生徒の成績、試験結果が重視され過ぎたことにより、学科的でない能力を有する多くの生徒が奨励されませんでした。よく知られた「受験地獄」のために、より多くの生徒は、受験と両立しない時は、能力を損ねざるを得ないことを学びましたが、これは悲劇です。

 すべての人が先生、医者、或いは技術者になりたいと望んでいる訳でないことを明確にすべきです。すべての生徒が、大工、農民、機械工、看護婦として幸福かつ充実した人生を送ることができるということを教えられるべきです。いつか芸術家、ダンサー或いは作家として自分又は自分の家族を支える幸運をつかむ可能性があるということを知らされるべきです。

 「あの子は頭が良い」ということをよく耳にするが、では、そう呼ばれない子はどうなるのでしょうか。子供は自分に自信を持っていくことが重要なのであり、奨励されることによって物事ができるようになるものです。子供には、利口だ、良いということを言ってやることが必要です。彼らはそれぞれユニークな子供なのだということを明確にすることが必要であり、他の子と比較することはできません。子供には自らが定める目標は達成することができるのだということを言ってやらなくてはいけません。

 最も重要なことは、通信簿や成績よりも生徒自身がはるかに価値があるということを 言ってやることです。

[自由時間]

 何年か前、日教組は、学校の週5日制の完全かつ即時実施を勧告しましたが、完全実施は21世紀になるでしょう。

 自由な、個人としての時間の重要性を過小評価することはできません。自由な時間においては、自発的に行動する必要がありますが、それは、創造性が始まる時間です。

 日本では、ゆったりとした時間、遊ぶ時間、特に何もしない時間、知的に及び感情的に成長する時間というものに価値が置かれていません。日本の子供は、もっと遊ぶ機会と場所を必要としています。

 最近の親の多くが、子供にとっての遊ぶことの価値というものを認識していません。子供が空想を育み、想像力を発展させ、責任ある社会の一員に必要な社会性に参加するのは遊びを通じてです。単純なことのように思われますが、子供は、子供である時間、夢を見る時間が必要です。子供は、心とともに精神を育むことが必要です。

 日本の子供が数学及び科学の試験に優れていることは世界でも有名ですが、自分の意見や考えを表現するとなると苦手であることもよく知られています。独自の考え方、創造的な能力、発明といったものには、個人の思考、個人の心のエネルギーが必要です。自由な時間は、このような心を涵養するために必要です。

[自信、混乱、規則]

 日本の教育制度は、子供の生活の多くを支配しており、親の生活をも支配しています。家族生活におけるこの影響が、子供を育てる親の自信を阻害しています。(極端な場合には、親が子供を適切に育てられないと思って、子供をスパルタ教育の学校に入れる例があります。)

 メディアの情報が子供の関心を支配する急速な現代社会において、多くの親はどうすれば子供をよく育てることができるか、途方に暮れています。子供は混乱し、親も混乱しています。親は、子供にとって「第一の教師」としての能力に自信をつけるため、そのようなコース、ワークショップ、講義を受ける機会を与えられるべきです。

 生徒がヘア・スタイル、服装について規則を破ったとして恐ろしい罰を受けている話を聞くことが屡々あります。規則は守らなければならないが、先生として、また、親として、我々は、暴力を使わずにレッスンを教えるように試されているのです。

 特に、服装やヘア・スタイルに関する規則は都市により、学校により違いのある恣意的なもの(ナンセンスなことが屡々ある)であるので、この問題についてはより一層の議論が行われるべきです。これらの議論には、親の意見及び考えも含まれるべきであり、又、関係する生徒の参加を得ることも有益です。教室での訓練、仕付けが問題になっていますが、生徒たちが尊重されていると感じるならば、我々としても一層生徒の協力を期待することができると思います。

[いじめ]

 不幸にも、日本ではいじめの問題についての議論なしに教育を論ずることはできません。「いじめ」は、何年か前から問題になっていますが、近年、若者の悲劇的な自殺が発生し、この問題が大きな関心を呼んでいます。

 確かに、多くの生徒がプレッシャーを感じていることが、いじめ問題の原因の一つです。学校も親も、目標ー権威のある大学教育は良い職業に繋がるーの達成に向けて、目を閉ざし、子供たちがこの種の「成功」のために払っている犠牲を見過ごしています。愛知県の13才の子供がいじめ事件で自殺した時、学校は、その子がいじめの犠牲者であったことを確認しておらず、気づいていませんでした。しかし、親の役割ー多くの親が受け入れたくないことではあるがーを見逃すことはできません。

 愛知県の子供は、百万円を出すように強要されていたと報じられていますが、子供が親の知らないところで、どうしてそのような大金を手に入れ、引き渡すことができましょうか。 この問題も問われます。

 親は、子供の問題が発生しているところから、遠くに離れたところにある訳ではないことを学ぶべきです。親は、子供を守る第一の責任者であることを銘記しなければいけません。

 親と学校は、トラブルに会っている子供が彼らとコミュニケーションをとれる環境を作ることが重要です。トラブルに会っている多くの子供が、助けや保護を求めて両親や他の大人に訴えるよりも自殺のような極端な方法をとることは、悲しむべき事実です。ともかく、我々は子供に勇気を教えなければいけません。我々が困難な青春の通り道を理解していることを知らせてやらなければいけないし、そうすることによってそれは通り過ぎるものです。我々は、子供たちに対し自分を、そして自分の将来の可能性を信じることを教えてやらなければいけません。子供に対し、もしもいじめられたら、大人の助けを得て、加害者と対決することによってのみ正義を守ることができるのだということを、また、死んだ後で新聞に報じられることは栄光ではないのだということを教えなければいけません。多くの人が彼らを気にかけており、愛しているのだということを示してやらなければいけません。

[国際語としての英語]

 英語を話すクラスは、小学校から始めることが必要です。現在のカリキュラムでは、生徒は10代になるまで実際に英語に接することがありません。しかし、調査によれば、年少の子供は年上の子供より容易に第二の言語を学ぶことができます。生徒が10代ー引っ込みがちで、自意識が増すーになるまで外国語を教えることを開始しない教育制度は、誤りです。 改善されてはいるが、依然として英語は試験されるべき科目として

 教えられています。日本における英語教育において、意思疎通の国際的な言語としての英語と実用的な英会話に重点を置くべきです。日本の子供が、国際語として認識されている英語の会話及び利用に不得手であるべき理由は何もありません。

<まとめ>

 不幸にも、家族、学校、職場に関して強い伝統を有する日本でさえ、現代社会が直面する問題を回避することができません。しかしながら、日本の伝統は、日本社会に新たな焦点を与える基礎となります。そして、もし社会が子供に対して大きな関心を払うならば、子供を育て、支援し、導く大人をも大切にすることにもなります。

 子供は、忍耐、尊重、正しい事と悪い事の違いと言ったことを教えることができる世話好きな、思慮深い大人を必要としています。働き過ぎて、疲れ過ぎた母親は良い聞き手にはなれないし、家庭よりも会社で多くの時間を過ごす父親は、子供が必要とする指針を与えることができません。過重な負担を負った教師は、生徒に個別に必要な注意を払うことが出来ません。

 適切な世話と関心が与えられれば、子供は花のように咲くものです。