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小泉内閣メールマガジン[特別寄稿]

イラク復興支援に参加して

娘へのバトンタッチ(第7次イラク復興支援群 2等陸曹 坂本博幸)

憧れの父からのバトン(第8次イラク復興支援群 陸士長 坂本真未)


[2005/11/24]第212号

● 娘へのバトンタッチ(第7次イラク復興支援群 2等陸曹 坂本博幸)

 私は、イラクへの派遣を熱望していた。要員決定を上司から聞いて以来、
「イラクの人々のために頑張ろう」という気概に満ちていた。

 現地での私の任務は、隊員の活動を支える管理業務。サマーワ到着後は、
連日50度を超す猛暑。まずは環境に体を慣らすことから始めた。真夏日の
現地で行う洗濯業務は暑かったが、天気予報いらずの連日快晴、とてもスム
ーズかつスピーディーに業務が出来た。

 入浴業務では、6次群から引き継いだ車載型露天風呂が既に好評だったが、
雰囲気作りの工夫として、風呂の周囲に板を張り、葛飾北斎の「富嶽三十六
景神奈川沖浪裏」等の浮世絵を隊員たちで描き、あわせて日本の花や風景の
写真を飾り、隊員たちの心を癒すことが出来たと思っている。

 決して華やかなものではないが、隊員の人道復興支援活動を陰で支える自
分の任務に誇りを持っている。

 私は7次群の一員として活動してきた。我々の交代部隊である8次群には、
私の娘「真未」がいる。

 10月30日、娘はサマーワに到着した。『待ちに待ったこの日が遂に来
たか』。早る気持ちを抑えつつ、高機動車のルーフから日に焼けた笑顔の我
が娘を発見し「真未、お疲れ様」と駆け寄ると、手を振りながら「パパー」
と叫ぶ娘の第一声を聞いた。

 普段家の外では私のことを「お父さん」と呼び、家の中でしか「パパ」と
呼ばないはずの娘の声に若干の恥ずかしさを感じたが、無事に会えた安堵感
がこみ上げてきた。

 私は3ヶ月間『日々笑顔で任務完遂』を胸に掲げ勤務してきた。娘には、
「名前の由来の通り、真の未来のために、常に問題意識を持って頑張れ」と
言葉を贈りサマーワを離れた。

 今後は娘の帰国を日本で待ちたいと思う。その頃には初めての海外任務を
終え、一段と成長しているだろう。そして、親子で日本の代表としてイラク
復興のため活動できたことを誇りにしたい。

 最後に我々の活動を応援してくださっている日本の皆様に感謝いたします。


● 憧れの父からのバトン(第8次イラク復興支援群 陸士長 坂本真未)

 今夏、8月14日、福岡空港。父は「行ってくるけん!」と笑顔で私たち
家族に言って、イラク復興支援活動に向け、日本を出発しました。

 自分の意見を通し、やると言った事は最後まで責任を持ってやる。それが
父のかっこいい所。幼い頃から父の制服姿を「かっこいいな」と思っていた
私にとって、父は憧れの存在であり、幼な心に女性自衛官になることを夢見
ていました。

 夢が叶い、入隊してからの私の夢は国際貢献への参加でした。私は自分の
夢を叶えるため、本任務を希望しました。イラクから父の応援・アドバイス
を受けながら、九州での暑い夏場の訓練を経て、私自身の派遣へ向け、心と
体の準備を整えていきました。

 私の出国の日、未だ9歳の弟は、「真未お姉ちゃん頑張って・・・お土産
はいらないから早く帰ってきてね」と言って、私に寄り添って離れようとし
ませんでした。溢れる思いを抑え、ギュっと弟を抱きしめ、涙の溢れる母、
妹に「夢が叶ったから最後まで任務をやり遂げてくるね!」と言葉を残し、
私は飛行機へと足を進めました。

 その後、クウェートでの訓練を経て、10月30日夕、サマーワ宿営地に
到着しました。宿営地内では7次群の隊員が出迎えてくれていました。その
中に、両手を振って笑顔で「真未〜」と呼んでくれた父を見た瞬間、思わず
「パパ〜」と叫んでしまいました。父は少し恥ずかしそうでしたが、喜んで
いたようにも見えました。

 すっかりスリムになって日焼けした父は、とても逞しく、かっこ良かった。

 父は、私との再会後、任務を終え帰国しました。期間は僅かでしたが、そ
の間サマーワの地で父と初めて一緒に仕事をし、多くのことを教えてもらい
ました。今後は、父の「日々問題意識を持て」という言葉を胸に、現地での
通信担当という私の任務を完遂したいと思っています。

 父との日本での再会を楽しみに頑張ります。


※ 陸上自衛隊ホームページ(イラク復興支援関連)
http://www.jda.go.jp/jgsdf/iraq/iraq_index_link.html

※ 小泉内閣メールマガジン第212号への寄稿を転載いたしました。