新たな対中外交を目指して

−読売国際経済懇話会における橋本総理スピーチ−

平成九年八月二十八日


本日は、読売国際経済懇話会にお招き頂き、誠に有り難うございます。
私は、来週中国を訪問し、江沢民主席、李鵬総理を始めとする中国の首脳の方々と久しぶりに会談することにしておりますが、本日は、この訪問を前に、我が国の対中外交を今後どのように展開するべきかについて、私の考えをお話したいと思います。
今年は日中の国交正常化から二十五周年、明年は日中平和友好条約の締結から二十周年の節目に当たり、新たな、そして、より一層発展的な日中関係の第一歩を踏み出すには、まさに相応しい時期だと言えましょう。

(世界情勢の認識)

さて、これまで、各国首脳と様々な場面で多くの意見交換を重ねる中で私が痛切に感じているのは、「ポスト・冷戦」の時代の中で、新たな国際秩序形成へ向けてそれぞれの国が大変な努力を重ねており胎動が着実に進みつつあるということであります。我が国外交のあり方も、このような情勢の変化を考慮に入れて見直すべき時期にきているのではないかと思えてなりません。

その一環として、私は先日、NATOが加盟国を東方へ拡大し、欧州から大西洋にかけての安全保障の新しい秩序が形づくられる中で、我が国外交の基本目標であるアジア太平洋地域における平和と繁栄の確保と合わせて「ユーラシア外交」を積極的に展開すべきことを提唱しました。そして、その中で、特にロシアとの関係について、「信頼」と「相互利益」と「長期的な視点」の三つを原則とする新たな協力を構築していくべきであり、また、そうした努力を模索すべしとの考え方を申し上げました。

中国は、言うまでもなくユーラシア大陸の一部であると同時に、加えて、目覚ましい発展を遂げつつあるアジア太平洋地域の中心的なメンバーであります。本日のテーマである対中外交の帰趨は、アジア太平洋地域の安定と繁栄の観点から極めて重要な鍵を握るものであります。特に近年中国は、改革・開放政策により急速な経済発展を遂げており、国際社会でのプレゼンスを大幅に高めており、良好な日中関係の確立はますます重要となってきていると思います。

こうした中国の新たな位置付けを踏まえるとき、我々はいったい、中国との間にどのような関係を持つべきでありましょうか。
今後の日中関係を考えるにあたっては、日中を取り巻く国際環境がどうなっているか、取り分け「冷戦」の終結がアジア地域における国際秩序にもたらした影響を理解する必要があります。その際、欧州地域と比較しながら考えてみることが有益だと思います。

欧州地域では、すでに「ポスト・冷戦」の国際秩序が着実に形成されつつあります。
かつて、欧州はNATO陣営とソ連を中心とするワルシャワ条約機構陣営が対峙している最も緊迫した地域でありました。経済面でも、ソ連・コメコン体制は自己完結的な性格を有し、東西間の経済交流は極めて限られたものでありました。しかし、今日では、欧州を広くカバーする全く新しい枠組みが政治、経済両面で生まれつつあります。NATOが、ポーランド、チェコ、ハンガリーを加盟国として迎える方針を決める一方、経済面では、EUがポーランド、チェコ、ハンガリー、スロヴェニア、エストニア、キプロスとの新規加盟のための交渉を行うことが見込まれています。更に、旧西側諸国とロシアとの間でも、ロシアが先般のデンヴァー・サミットで、原則として全ての討議に参加したことに象徴されるように、緊密な協力関係が形成されつつあります。これらは、欧州の今後の安定と経済発展の基礎となるものと期待されています。

では、そういう思いで見たとき、アジアはどうでしょうか。
確かに、アジアでも冷戦の終結によるプラスの影響が表れています。極東で膨大な兵力をほこっておりましたロシアの軍事力は大幅に減少しつつあり、このことは、日露関係を巡る環境の好転に結びついています。そして、かつて厳しい対立関係にあった中露の経済面などでの接近や、あるいは朝鮮半島での四者会談へ向けた話し合いの開始にも結びついています。

しかしそれでは、果たして、アジアにおいて、欧州と同じように、政治・軍事面での安定と、経済面での協力の深化が明確な形で定着しつつあるか、今のところ、残念ながら我々の答えは「ノー」だと思います。

では何故そうなのか、何故、アジアでは欧州と同じように冷戦の終結とともに政治面での安定と経済面での協力が定着出来ないのか、今後定着させるには何を為すべきか、この点について少し話を進めてみたいと思います。

(欧州とアジアの違い)

欧州とアジアの違いの根源はどこにあるのでしょうか。
第一は、歴史的な背景であると思います。

国際情勢は、単に目の前にある現象からのみ判断するのではなく、歴史、文化、宗教などの広い視野から捉えなければなりません。欧州にも多くの国民国家が存在し、歴史上、対立や戦禍が繰り返されてきたことも事実であります。しかし、欧州については、これを構成する国家や人々が平等に共有し得る基盤とも呼ぶべきものが存在していると私は思います。それは皆様に申し上げるまでもないと思いますが、ギリシャ・ローマ文明とキリスト教であります。しかも、このギリシャ・ローマ文明やキリスト教は、ヨーロッパの特定の国が本家本元となっているものではありません。ギリシャ文明は現在のギリシャの方々に固有のものではありませんし、ローマ文明もまた現在のイタリアの皆さんに固有のものではありません。むしろ古くものごとを考えるのなら、カラカラ帝がローマ市民権をローマ帝国全土の自由民に広げ、コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したことにより、ギリシャ・ローマ文明とキリスト教は、ヨーロッパの誰もがその継承者であり、発展に寄与し得る共有の基盤として成立したわけであります。イギリスでは、ついさきごろまで、政治学や経済学ではなく「クラシックス」と呼ばれるギリシャ文学やラテン文学の修得が文化系大学教育の中心であったという事実は、このことをよく表していると思います。

こうしたヨーロッパの共有基盤は、東西冷戦下の東欧、ソ連においても失われることはなく、東西冷戦の終結後、ヨーロッパ全域で新たな協力の枠組みを生み出していく上で、こうした基盤が有効に機能していると言えるのではないでしょうか。

第二は、政治と経済両面での同質性です。西欧諸国は、時をほぼ同じくして産業化に成功し、経済の相互依存関係も急速に深まってきました。このことにより、西欧諸国間では単一市場の形成や協力関係を深化させていくための素地と必要性が生まれました。当然のことながら、西欧諸国が自由主義的民主制を共有していたということも、この動きを促進しました。こうした背景の中、紆余曲折は経ながらも、EUは着実に発展を遂げてきたわけであります。こうした動きが、ベルリンの壁の崩壊を機に東方へも一挙に広がり、先程述べた歴史的背景の上に新たな協力の枠組みの構築へとつながっていったように思います。

これに対して、アジアではどうでしょうか。
まず第一に、長い歴史をみれば、アジアでは、ローマ帝国やキリスト教に相当するものはありませんでした。勿論、中国は、アジアにおける文明の中心として我が国をはじめ周辺の国々に多くの影響を与えてきました。しかしながら、中国文明はあくまで中国に固有のものとして現在の中華人民共和国に至るまで脈々とつたえられてきたものであり、ヨーロッパのように地域の誰もが自らのものとしてその継承と発展に寄与し得るような基盤とはなっておりません。各国は、中国文明の影響を受けながらも、同時に多様な文化を独自に発展させてきました。また、宗教的にも、仏教、儒教、イスラム教、ヒンズー教等複数の宗教に分かれており、いずれも共有の基盤とはなっていません。むしろ、そのような多様性を尊重することこそが、アジア各国の生き方そのものであったように思います。

他方、政治・経済面の同質性という観点から考えますと、アジアは、特に我が国とその他の国々の間にこれまでは産業化の段階に大きな差が存在しました。勿論アジアにおいても、いわゆる華僑の活動を通じた広域的な交易ネットワークがあり、地域間の経済的な結び付きが強かったことは指摘されているところでありますが、国家間の経済発展段階の差や政治体制の違いにより、つい最近までは、ヨーロッパの単一市場の形成にみられるような地域内の相互依存関係を制度化し、更に深化させるような取組みがなされることはありませんでした。

これらが、冷戦後のアジアにおいて、欧州と同様な安定と発展への枠組みの構築が具体化していない背景だと思います。
ヨーロッパとアジアの間にはこのような差が存在していますが、一方今後のアジアを考える上では、現在生まれつつある次のような萌芽にも着目する必要があります。

それは、アジアの多くの国々が産業化に成功し、成熟した市場経済に向かいつつある中で、経済の相互依存関係が高まり、共通の経済フォーラムを形成する素地が生まれてきているということであります。APECの形成と発展がその表れであることは申し上げるまでもありません。また、経済面での発展を背景として、政治・安全保障面におきましも、冷戦時代には見られなかった形で各国の間で対話と交流が生まれつつあります。特に、九十四年に開始されたアセアン地域フォーラムは、まだ緒についたばかりでありますが、アジア太平洋諸国の間に安全保障上の共通の認識と相互の信頼感を醸成させることができるのではないかと期待しております。こうした変化は、先程申しあげたヨーロッパとアジアの歴史的背景の差にも影響を与えているものと思います。

かつて近代化とは西欧化と同義語でありました。我々の大先輩の時代には「脱亜入欧」という言葉が使われておりましたことは、このことを端的に表現しています。しかしながら、我が国を始めとするアジア諸国の近代化の成功は、近代化への道筋が一つではなく、近代産業文明が西欧文明以外の文明を有する地域、国々にも根付き得ることを明確に示してまいりました。今後の世界の政治・経済システムは、もはや欧米が構想し、アジアの国々などが受け入れるのではなく、むしろアジアの国々もまたその継承と発展に平等な一員として参加するものでなければなりません。これは、今やアジア諸国も、先程御紹介したような意味での共有基盤を持ち得る段階に入ったということなのかもしれません。そうした意味で、アジア諸国の近代化の成功は、文字どおり、歴史的な意味を持つものと言えます。

(アジアの安定・発展にどう取組むか−四つの視点)

このような情勢認識を前提に、アジアの安定と発展のために、我々はどう取り組んでいくべきでしょうか。
まず第一に、アジア諸国間の多様性を認識することから始めなければなりません。近代産業文明が根付いたとしても、それはアジア諸国が今日まで築き上げてきた多様な文明を失わせるものではなく、ヨーロッパのように共有する基盤がない以上、対話や協力関係を築いていくためには、依然として相互にまず各々異なった歴史、経済、政治、社会、文化、宗教を知り、理解することが何より大切であります。

第二に、対話の機会を拡大することであります。国際紛争がしばしば相互のコミュニケーションの不足によって引き起こされていることは、歴史の教えるところであります。今申し上げたアジアの多様性を考えれば、対話の必要性は一層大きなものと言わなければなりません。しかしながら、アジアには、欧州のような政治、経済、軍事の面での協議や対話のメカニズムが十分には整備されておりません。アジア諸国は意識的・主体的な努力によって、対話のメカニズムを様々なレベルで模索し、構築していく必要があります。

第三に、こうした対話を積み重ねながら、これを相互の必要性を踏まえた具体的な協力関係に昇華させていくことが必要です。その場合、各国が共通して当面する課題については、互いに経験とアイディアを出し合いながら、協力して取り組んでいくこともまた必要でありましょう。

第四に、アジア諸国は、それぞれの相違を踏まえながら、共通の秩序を形成していかなければなりません。その際、ひとつの国が自らの価値観を全ての国に強制するやり方ではなかなか上手くいかないのではないかと思います。勿論、我が国は自由主義民主制という一つの価値観・制度を大切にしております。しかし、リベラリズムという価値観を他の価値観を超える上位のものとして捉え、他の方にも画一的にその受入れを求めることができるのか、それぞれのコミュニティーの持つ伝統的価値との関係はどうあるべきか、これらは政治哲学者の頭を悩まし続けている問題であります。アジアにおいて各国の固有の仕組みを大切にしながら、そして基本的な価値の共有に努めながら、どのように新たな共通の秩序を生み出していけるか、まさに我々がどれだけ英知を出しうるのか問われるところであると思います。

以上述べた四つの点、すなわち、多様性の認識、対話の機会の拡大、協力の推進と相互の学習、共通の秩序の形成という点に立って、今後の日中関係の在り方を更に具体的に考えてみたいと思います。

(相互理解)

まず第一に、日中は、異なった政治、経済、社会を形成していることを互いに認識しなければなりません。それでも、幸い、日中間におきましては、長い歴史の中で遣隋使や遣唐使の派遣に見られるような幅広い交流や、更には、漢字や芸術など多くの分野での伝播を受けてきましたが、相手の異なる体制・価値観についての理解が、中国と他の旧西側諸国との関係よりははるかに進んでいると思います。しかしながら、日中間の経済を始めとする交流が今後大幅に拡大することが期待されている中で、相互に相手の歴史や考え方をきちんと把握することは益々重要なものとなっております。

(対話強化)

第二は、日中間の対話の強化であります。勿論これまでにも日中の多くの先人達が対話を増やすべく努力をしてこられました。私も、一九七九年に訪中してから、公式にも、山登りという個人的な趣味を含めましても、繰り返し中国を訪問し、個人的に日中対話の拡大に努めてまいりました。人の往来交流の面では、一九七二年にはわずか九千人であった両国間の人的往来は、昨年は、百万人をはるかに超えるに至りました。我が国への中国人留学生も二万三千人と、日本に学ぶ外国人留学生全体の四〇%以上に達するまでになっています。

しかし、今後の日中関係の重要性を考えれば、現状ではまだ決して十分な交流があるとは言えず、相互の対話の機会を一層拡大していく必要があります。

冒頭申し上げたように私は来週訪中しますが、この訪問を、単に一度の首脳訪問として終わらせるのでなく、できるならば、今後日中首脳レベルの相互訪問をより頻繁に行うこととし、そのキック・オフと位置付けることができればと願っております。私の訪中の後、本年は李鵬総理の訪日、明年には江沢民主席の訪日が予定されておりますが、こうした往来が定着し、隣人同士として頻繁に普段着で話し合える関係、そして、場合によっては両国間での懸案がある時期ほどより頻繁に対話をするという関係、を築いていくことが大切であると思います。

勿論、対話拡大の必要性は首脳レベルだけのものではなく、むしろ多種多様なレベルで実現する必要があります。政府間の対話について言えば、首脳間で高い優先順位を与えた案件については、責任を有する閣僚のレベルで、例えば定期的に会合を開催し、問題の解決を図ることも有用でしょう。また、こうした政府間の対話とは別に、日中双方の先人の時代の交流に倣って、政治家個人のレベルの交流を活発化させることも重要です。更に長期的に日中関係にとって重要なことは、草の根レベル、特に次世代を担う青年レベルの対話の機会を拡大していくことだと思います。

こうした日中間の対話のチャネルを多層化することと合わせて、対話の対象となる分野も幅を広げていくことは当然のことであります。

さて、日中間の対話で現在最も必要とされる分野は、安全保障の分野であることに誰も異論がないと思います。
先程も述べましたように、冷戦の終わりは残念ながら平和と安定を保証するものではありません。アジア各国は、紛争を防止し、平和と安定をもたらすメカニズムを自らの努力で作り上げなければなりませんし、これこそが、冷戦終了後のアジア諸国の最大の課題でもあります。日中間でもこのような考え方から工夫を重ねていくことが必要であります。

御承知の通り、中国の一部には「日本が軍事大国の道を歩むのでないか」という声がありますし、他方、日本の一部にも「中国の軍事力の脅威」を指摘する人々がいます。

私は、我が国が、歴史の教訓を学び、まさに、「前事を忘れず、後事の戒めとする」という視点が広く国民の中に定着していると確信しております。私自身も一昨年村山前総理が発表した内閣総理大臣談話、すなわち「植民地支配と侵略によって、多くの国々、取り分けアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た「歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持を表明」するとの考えと同じ考えを持っています。この内閣総理大臣談話を決定したとき、私も内閣の一員でございました。日本国内の一部に中国側の感情を刺激しかねない発言があったとしても、日本という国が将来、軍事大国にならず平和国家としての道を歩み続ける決意であることは、我々日本人にとっては、自明なことであると考えます。しかしながら、自らに明らかなことではあっても、中国を始めとするアジア諸国に不信が生まれないような努力は弛まなく続けていく必要があります。昨年来、我が国の安全保障の根幹である日米安全保障体制につきましても、中国側から様々な形で見解が表明されているわけですが、この問題もやはり対話を重ねることにより、中国側の懸念を解いていく努力が不可欠でありますし、現在進めている「指針」見直しの作業も引き続き透明性をもって行ってまいりたいと考えております。日米安保共同宣言において明確に述べられておりますように、日米両国は、アジア太平洋地域の安定と繁栄にとり中国が肯定的かつ建設的な役割を果たすことが極めて重要であると考えており、この関連で、中国との協力を更に深めていかなければなりません。

他方、中国の軍備の問題について、中国政府は、中国の軍備はあくまでも防衛のためであり、中国は覇権を求めるものではないと強調しています。そして、中国には、客観的に中国の軍事力の水準を評価すれば、これが脅威となることはあり得ないし、中国は和を尊ぶ伝統があり、この点からも他国に脅威を与えることはないとの主張もあります。私は、このような主張を疑うものではありません。しかし同時に、国際的に広くこうした主張が受け入れられるための最良の道は、やはり、我が国が為さなければならないと同様に、中国も他国に対して透明性を高めていくよう努めるべきではないかと思います。その点では、現在日中間で行われている安全保障対話や防衛関係者の交流を一層活発にしていくことが重要な役割を果たすと思います。

こうした安全保障を巡る対話は、二国間や多国間、政府レベルや民間レベルなど様々な多元的・重層的な交流・対話が重要であり、ARFなど既に実施されているものもありますが、更なる交流・対話が試みられるべきでしょう。
こうした対話を通じて、日中間の誤解の発生を避けるとともに、アジアの平和・安定は、対話・協議によってより良く確保出来るという確信を日中両国が持ち得る体制を作っていかなければなりません。

(協力関係の拡大)

第三の論点として、日中間の協力関係の拡大があります。
私は「中国の経済が発展すればするほど中国は更に安定し、アジアそして世界の安定に資する」と確信しています。我が国は、これまでも、積極的に中国の経済の発展のお手伝いをしてきましたが、私はこのことを誇りに思うとともに、今後とも中国との経済関係を重視し、経済協力を継続していく考えであります。
勿論、協力の内容は時代とともに変化すべきであり、日本に対する期待もまた時代とともに変わりましょう。私は、日本が今後、特に貢献しなければならない具体的分野として、いくつかを挙げたいと思います。

まず第一は環境分野であります。中国を始めとする途上国の爆発的成長は、環境問題にも大きな影響を及ぼさずにいられません。この分野における日中間の協力は、日中友好環境センターの設立を始め、既に緒についておりますが、この面での日中間の協力、更には、日中が協力し、この分野で国際貢献を行うということは一層進めていく必要があります。特に、中国の経済発展に伴う大気や水質汚濁等の問題は、中国のみならず隣国たる我が国自身にも酸性雨などにより直接の影響を生じる可能性があります。大気汚染のモニタリングや脱硫技術の移転等の協力を強化していくことが重要です。我々自身昭和四〇年代に公害列島日本といわれた問題を抱えておりましたが、この我々の失敗の経験を伝えていくことも必要と思います。

また、地球環境問題のような長期的な取り組みが求められている課題については、今後途上国の排出する温室効果ガスのシェアが急増することは明らかであり、中国を始めとする途上国を抜きにしてこの問題の解決を論ずることは無意味と言わざるを得ません。勿論、目前に迫った京都での気候変動枠組条約第三回締約国会議において、途上国の義務の具体的なあり方についてどのような合意が得られるかは別としても、将来的に中国のような大国がこの問題で果たすべき役割が極めて大きいことは疑問の余地がありません。省エネルギー努力の進んだ我が国の技術が途上国で生かされることは、最も効果的な地球環境問題解決への貢献の一つと言えましょう。

第二はエネルギー分野であります。中国の高度成長にとってエネルギーの安定的な供給は大きな制約要因となり得るものでありますし、他のアジア諸国にも影響を及ぼさずにはいられません。例えば二千十年には中国は我が国以上の石油消費国となり、四割を海外に依存することと予測されています。その解決策の一つとして先程環境問題との関係で述べた省エネルギー努力があります。中国の最終エネルギー消費段階でのエネルギー効率はまだまだ低く、我が国の十分の一程度に留まっています。こうした需要面での問題を解決することと合わせて、エネルギー供給源の確保も必要であります。具体的には、日中間での石油開発協力の推進に結びついていきます。我が国企業は、これまで海洋部の渤海湾、南シナ海、それに内陸部のタリム盆地等で様々な形で石油開発に参画しておりますが、今後ともこのような日中共同開発が更に進展するよう話し合いをしていくべきでしょう。また、中国のエネルギー需要が急増する中で、地球環境問題の観点を踏まえると、困難な問題を孕んでおりますものの、中国における原子力利用の進め方についても真剣に議論が行われるべきでありましょう。

第三に、我が国と中国との貿易、投資の一層の交流の拡大を支える上での協力が挙げられます。日中間の貿易額は、この二十五年間で約五十七倍に達し、中国にとりましたは我が国は第一位の、我が国にとりましても中国は米国に次いで第二位の貿易相手国となるに至りました。また、中国に対する投資では、今は亡きトウ小平氏の南巡講話以来飛躍的に拡大し、我が国は米国と並んで一、二を争う最大投資国の一つとなり、これが中国の市場経済化を大いに推進してきました。今後の投資案件としては、中国政府の現在の政策の方向性に沿った形で、ハイテク案件、内陸案件が増加していくものと考えられますが、こうした新たな投資動向は、中国経済が抱える二つの課題である地域格差問題と国有企業改革問題の解決に貢献していくものと確信しております。

一方、日本側から中国側に対して責任を持った対応をお願いしたい事柄もあります。
まず第一に、制度やルールを国際水準に沿うものとし、かつ、それらを規範として社会に徹底させて頂きたいということであります。具体的な例を申し上げれば、中国の工業所有権制度は、既に国際的に遜色のないものとなっていながら、執行面の問題から偽ブランド問題が後を絶ちません。中国の国際的な評価を傷つけないためにも抜本的な改善が必要と考えます。

第二に、出入国の管理を徹底して頂きたいということです。不法入国者の問題に対しては、中国政府もこれを厳しく取り締まるとの姿勢で臨んで頂いており、実際相当の成績を挙げておりますが、この問題は、日本国民の対中国観にも影響しかねないものであるだけに、きちんとした対応・解決が望まれます。

更に、日中間の協力は、二国間の協力にとどまらず、アジア地域ひいては世界のための国際貢献に向けられなければなりません。例えば、先程も触れました環境問題やエネルギー問題のみならず、人口問題なども、中国、アジアのみならず、世界全体に影響を与えるものであり、日中間で叡知を出し合うことが必要であります。日中両国がそのような協力のプロセスから相互の良い点を学び合うことができるならば、日中関係は新たな次元に飛躍することになるでしょう。また、高齢化社会の到来にどう対応するかについても、中国の場合は今こそ三十代までの方が全人口の約三分の二以上を占めている青年社会ですが、いずれ一人っ子政策の影響も出てくるでしょうし、いずれ我が国以上のペースで高齢化社会に突入することとなります。我が国が現在悩み、試行錯誤を繰り返しながら得ている体験を分かち合う時期がいずれ到来するのではないでしょうか。

(共通の秩序の形成への貢献)

最後に、第四の論点として、共通の秩序の形成へ向けての貢献について触れたいと思います。
今日、日中は、二国間の問題のみならずアジア、更に世界の問題に共同で積極的に対応していくことが求められております。カンボジアにおける武力衝突、タイの通貨問題に見られるように、アジア地域の政治、経済の安定のため、日中双方が協調して対応していくべき課題は、今後も発生すると考えなければなりません。こうした個別の問題の対処に加えて、日中は、アジア、ひいては世界の共通の秩序形成、それは、政治、安全保障、貿易・投資、金融など幅広い分野に渡るものですが、そのような秩序形成に、ともに積極的に参画しなければなりません。中国は現在、WTOへの早期加盟に向けて、我が国を始め各国と精力的に加盟交渉を続ける努力をはらっておられますし、国内的にも加盟へ向けた条件整備として経済改革に取り組んでおられます。これまでのところ、中国のWTO加盟は、これによって中国が世界共通の貿易ルールの下に行動するという観点からややもすると捉えられていますが、むしろ、中国の加盟は、中国だけではなく世界経済・国際秩序の発展にとって極めて好ましいことであり、更に、一旦加盟した暁には、中国自身も主体的に世界の貿易・投資ルールの形成に参画することになることも忘れてはなりません。これこそ、日中が、貿易・投資ルールという基盤を先程私が述べたようなどちらに固有のものでもない共有の財産として受け入れ、互いにその発展へ向けて協力していくという時代の幕開けであります。勿論、こうした共有の基盤は貿易・投資ルールに止まらず、今後は政治・安全保障を含め様々な分野に広がっていくでしょうし、またそうしなければなりません。

(相互尊重)

こうした共通の秩序形成への取組に当たっては、必ずしも日中が同じアプローチをとるとは限らませんし、意見が食い違うこともしばしばあるでしょう。そうした局面において相手の立場を理解しようという努力が払われない場合、緊張関係や摩擦が生じ、最悪の場合は、長年培ってきた両国の素晴らしい関係を一挙に崩してしまう可能性すら存在すると思います。

日中双方は異なった歴史を歩み、現在も異なった体制を有しており、従って、当然お互いに相手に対する不満もありましょう。しかしながら、過度の批判は日中が「平和で繁栄した二十一世紀」をともに築くことに貢献しません。二国間関係はいわば鏡に例えることができるように思います。笑みは笑みを映し、善意は善意の反応を受けます。他方、憎しみは憎しみを招き、過度の批判は批判によって応えられてしまいます。我々はお互いの痛み・悩みを理解する心の広さを必要とします。これが、異なった体制を有するアジアが持たなければならない英知ではないでしょうか。例えば、昨年の一時期、日中関係には暗雲が立ち込めた時期がありましたが、私は、中国がその後意識的に改善に向け努力されたことに敬意を表するとともに高く評価したいと思います。特に、江沢民主席を始めとする中国側指導者が、「高きに登りて遠くを望む」との見地から「国家建設には平和な環境が必要である。対日、対米、対露関係を調整し、新たな時代における新たな対外関係の局面を開き、友好関係を積極的に発展させる」との趣旨を強調されていることを心から歓迎します。

私は多少こうしたことを語る資格を持っているかもしれません。
一九八九年の天安門事件直後のアルシュ・サミットで閣僚レベルの訪問の自粛を決定して以来、最初の現職の経済関係閣僚として中国を訪問し、時に杯を酌み交わしながら話し合い、問題の解決の糸口をさがしたのは大蔵大臣としての私の役割でした。この時の杯の量は決して少ないものでなかったと、今では一種のなつかしさを持って当時を思い出しますが、内閣総理大臣としての立場としても、同じ気持ち、精神で中国との関係に臨みたいと考えています。

(台湾問題)

さて、今後の日中関係の在り方について、ひと通り触れてまいりましたが、ここで、台湾問題に言及しておきたいと思います。

この問題についての我が国の基本的立場は明確であり、一九七二年の日中共同声明で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重」する、との立場をとりました。それ以来の我が国のこの立場は一貫したものであり、将来も堅持することを改めて述べておきたいと思います。我が国が台湾の独立を支持しないということもこの立場に基づくものであります。いずれにしても、台湾を巡る問題については台湾海峡両岸の当事者の話し合いによる平和的解決を切に期待するものです。

(締めくくり)

以上、冷戦終結以降の国際関係の劇的な変化を背景にした新しい時代へ向けた日中関係の在り方について私なりの考え方を述べてきました。

一九七二年の国交正常化以来、日中関係の基本を律してきたのは日中共同声明でありますし、また、一九七八年に締結された日中平和友好条約であります。この二つの文書は、今日に至る両国関係の発展の基礎となってきており、今後とも両国が依るべき準則であります。ただ、翻って考えると、これらの準則は、日中間の不正常な状態を正常なものにする、そして日中関係を維持発展させるという目標に向けて存在していたわけですが、この四半世紀の間に初期のその目標をほぼ達成し、かつ、国際環境、そして、両国の国内環境が大きく変化する中で、より高く、より広く、より深い視野で両国は今後更なる発展を築く努力をするべき時が来ているように思います。

両国は今、二十一世紀への入口に立ち、歴史上全く新しい時代を迎えなければなりません。中国と我が国が、第一に、互いに足らざるところを補完し、優れたところを協力し合いながら共に前進し、第二に、まさに「高きに登りて遠くを望む」との大局観を持って、そして第三に、アジアと世界の安定と繁栄に貢献していく、そうした姿がまさに望まれております。このことは、先程述べたようにアジアに位置する二つの国が、西欧を発祥の地とする経済、貿易の枠組みを共有の財産としながらも、独自の文化・文明を生かし、世界に共有される秩序作りに参画し貢献していくという新たな時代の到来を意味するものではないでしょうか。

先程私は、相互理解、対話の強化、協力関係の拡大、共通の秩序の形成という四つの視点から日中関係を捉えることの必要性に言及致しました。今回の中国訪問においては、そうした視点を踏まえ、中国の指導者の方々と四半世紀を越え、新たな時代を迎えつつある日中両国の関係のあり方について率直に話し合い、両国関係の更なる前進に向け、一歩を踏み出せればと考えております。

以上で、本日の私の講演を締めくくらせて頂きますが、本日の午前に、自由民主党の総裁選挙に立候補する旨記者会見を致しました。本日お話した外交についての考え方、そして、六つの改革などの国政の課題に引き続き自分なりに全力投球し、途半ばにある改革を実現していきたいという決意であることを申し上げて、本日の講演を終えたいと思います。 

ご清聴ありがとうございました。