官報資料版 平成12年8月2日




                  ▽外交青書のあらまし………………………………外 務 省

                  ▽法人企業動向調査(三月実施調査結果)………経済企画庁











外交青書のあらまし


21世紀に向けて―より良き未来のための外交


外 務 省


第1章 総 括

1 概 観(国際情勢の三つの動きと日本外交の展開)

[冷戦後の新たな国際秩序の模索]
 冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊し十年を迎えた九九年、民族、宗教等に起因する紛争が引き続き世界各地で多発する中、冷戦後の新たな国際秩序を構築すべく、グローバルな枠組みや地域的な枠組みにおいて、あるいは二国間の取組を通じて様々な努力が続けられてきた。しかし、新たな国際秩序の構築に向けた課題や問題点はなお多く残されていると言えよう。
 まず、国連を中心とするグローバルな取組においては、地域紛争、民族紛争への対処が大きな課題となり、特に九九年に国際社会の耳目を集めたコソヴォ問題では、国際の平和と安全のために果たすべき国連の役割が大きな議論を呼ぶこととなった。三月、北大西洋条約機構(NATO)は、更なる人道上の惨劇を避けるためのやむを得ぬ措置として、ユーゴースラヴィア連邦共和国(ユーゴ)に対する空爆を開始したが、このような介入の是非や法的根拠をめぐってNATO加盟国等とロシアや中国といった国々との間で意見の対立が見られた。また、その後のコソヴォ和平に向けたプロセスにおいてG8が大きな役割を果たしたこともあり、国際の平和と安全を維持する上での国連の役割、国連とG8との関係について様々な議論が行われた。
 他方、東チモール問題に関しては、主要国が協調しつつ国連を中心とした取組が行われた。拡大自治案に対する東チモール人の民意を問う直接投票の実施にあたっては、国連東チモール・ミッション(UNAMET)が重要な役割を果たし、投票後の治安回復及び維持に関しては、国連安全保障理事会決議に基づく多国籍軍が展開し、更には国連東チモール暫定行政機構(UNTAET)により暫定統治が開始された。
 国連やG8などでは、こうした紛争に対し、事後的に対処するのみならず、紛争を予防するための政策努力を行うことが重要であるとの認識が一層高まった。六月にケルンで開催されたG8サミット及びG8外相会合では、紛争予防の問題が取り上げられ、また、第五十四回国連総会においてもアナン事務総長のほか多くの国がその重要性に言及した。さらに、十二月には、ベルリンにおいて紛争予防G8外相特別会合が開催された。
 地域的な取組については、地域統合の進展や地域における対話の深まりが見られた一年であったと言えよう。欧州では欧州連合(EU)におけるユーロ導入や共通外交・安全保障政策の進展などが見られ、統合が一層進展したことが注目された。また、アジア太平洋地域においては、欧州とは全く異なる次元ではあるが、十一月にマニラで開催されたASEAN+3(日中韓)首脳会議で初めて共同声明が採択されたほか、同会議の機会を利用して初めて日中韓三か国の首脳による対話が実現するなど、地域の諸国間の対話に一層の進展が見られた。
 二国間の関係については、主要国間、特に米露、米中、中露間の動きが、冷戦後の新たな国際秩序の構築にも影響を与え得るものとして注目された。九九年、米国とロシアの間では、NATOによるユーゴの空爆に加え、米国の国家ミサイル防衛(NMD)、イラク問題、チェチェン問題などをめぐり、意見の食い違いが見られた。しかしながら、両国間の協調関係の重要性についての認識は全般的に共有され、各種レベルでの両政府間の緊密な対話は維持された。また、米国と中国の間では、NATOによる在ユーゴ中国大使館誤爆事件や米議会における中国による核・ミサイル技術等流出疑惑の議論などにより不信感の高まりも見られたが、両国政府の努力もあり、九九年後半には、中国の世界貿易機関(WTO)への加盟のための米中二国間交渉が決着するなど米中関係の改善も見られた。中国とロシアの間では、十二月にエリツィン大統領が中国を訪問し、長年の懸案であった中露国境の画定、チェチェン問題と台湾問題での双方の立場への相互支持の表明等により、両国の協力関係が強調されたことが注目された。

[グローバリゼーションの進展と情報通信分野の革新的変化]
 ヒト、モノ、サービス、カネ、情報などの国境を越えた移動が地球的規模でますます拡大しており、情報通信分野の革新的変化に伴いそのスピードは文字どおり時々刻々と加速化している。このようなグローバリゼーションの進展は、国境を越えた経済活動を大幅に増大させ、活発となった貿易・投資や巨額の資本の流れは世界的規模での経済の効率化を進め、全体として世界経済の繁栄をもたらした。九九年は、米国が平時としては最長の景気拡大を続けたのを始め、欧州諸国も年後半には景気拡大基調となった。アジア経済は最悪の時期を脱し回復基調となった。また、貿易及び投資の自由化と新たなルール作りについての議論が一層活発化し、年末には米国シアトルにて、新しいラウンド交渉を立ち上げるため世界貿易機関(WTO)閣僚会議が開催された。同会議では加盟国の立場の違いなどによりラウンド交渉は立ち上がらなかったが、同時に、開発途上国の関心や人々の自由貿易への様々な関心等WTOの直面する課題も明らかになった。
 他方で、グローバリゼーションのもたらす恩恵を得つつ、グローバリゼーションの「影」の問題に対処することも引き続き国際社会の重要な課題であった。
 例えば、アジアの通貨・金融危機、ロシアの金融危機が中南米などに飛び火していったようないわゆる危機の「伝播」は、グローバリゼーションの進展に伴い国際社会の相互依存性が深まった結果生じた問題と言え、九九年も国際金融システムの強化のための議論などがケルン・サミット等において活発に続けられた。
 また、グローバリゼーションの進展に伴い世界規模での競争から取り残されつつある国々、あるいは取り残されるおそれのある国々の問題が一層顕在化した。このようないわば周縁化された国々がグローバリゼーションのもたらす繁栄を享受できるよう国際社会が支援することは、それらの国々において起こり得る危機が世界各国に伝播することを未然に防ぐためにもますます重要になってきている。
 さらに、グローバリゼーションがもたらした世界規模での競争の激化は、各国国内においても競争の敗者や競争から取り残される者を生み出しつつあり、これが社会不安を招くおそれも指摘されている。このような国内における社会的弱者の問題に対するセーフティ・ネットを構築するため、国際社会が協力して対応する必要性が一層強く認識されるようになった。
 日本は、G8サミット等の場において、国際金融システムの強化やセーフティ・ネットの構築に向けた国際協力の重要性を訴えるなどグローバリゼーションの「影」の問題への取組に積極的に貢献した。また、日本は、アジア通貨・金融危機の影響を受けた諸国への支援を引き続き積極的に行った。

[人間個人に着目した対応の重要性の高まり]
 九九年にも見られた、紛争における一般市民の被害への国際的関心の高まりやグローバリゼーションに伴う社会的弱者の問題に関する国際的認識の高まりは、国際社会において個人の尊厳の重要性、自由と民主主義、基本的人権に対する認識がより一層高まってきたことの一つの証左でもある。冷戦の終焉を経て、自由、民主主義、基本的人権の尊重という理念は、国際社会において広く共有されつつあり、その結果人間個人に着目した対応の重要性が広く論議されるようになってきている。例えば、頻発する地域紛争において女性や子供を含む多くの人々が犠牲となっており、また、環境、感染症、組織犯罪といった、人々の生命及び安全に対する脅威が顕在化しているが、このような問題を人間個人の尊厳への脅威と捉えて対応するべきであるとの認識が国際的に高まっている。
 また、人間が個人として尊重され、個人の可能性が発揮でき、社会の構成員として責任を果たし得る社会を構築するためには、市民の自発的な取組が不可欠であることから、国際社会の諸課題への取組において非政府組織(NGO)等に代表される市民社会(シビル・ソサイエティー)の果たす役割がますます重要になってきている。九九年末のWTO閣僚会議において、市民社会の自由貿易に対する関心がクローズアップされたが、今後、政府と市民社会との間の建設的なパートナーシップ構築が一層必要とされよう。
 日本はこれまで、貧困、地球環境問題、国際組織犯罪、テロといった個人の生存、尊厳、生活に関係する様々な問題について、「人間の安全保障」の視点を重視して積極的に取り組んできたが、九九年も国連に「人間の安全保障基金」を設置するなど様々な場で具体的貢献を行った。また、開発途上国への経済協力、地球環境問題、紛争予防等様々な分野において、NGO等の市民社会との連携及び対話を重視し、より建設的な協力関係を構築すべく取り組んできている。

[九九年の日本外交の展開]
 九九年の日本外交は、日米関係を基軸とし、韓国、中国、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国、あるいはロシア等の近隣諸国との関係の強化、アジア太平洋を中心とした地域協力の強化、国連を始めとするグローバルな取組への積極的な参画などを通じて、国際社会の主要な一員として国際社会の主要問題に積極的に取り組むとともに、アジア太平洋地域の問題を始め多くの問題について独自のイニシアチブを発揮した。
 米国との関係では、通常国会において「日米防衛協力のための指針」関連法等が成立・承認されたが、このことは日米安保体制の信頼性を高め、日本の安全保障政策を一層確固たるものとするとともに、アジア太平洋地域の平和と安定に資するものとして極めて意義深いものであった。また、小渕総理大臣の米国公式訪問を始めとして、国民各界各層の幅広い分野における交流、対話、協力は両国関係を更に深化・発展させている。
 韓国との関係では、三月の小渕総理大臣の韓国訪問、九月の金鍾泌(キム・ジョンピル)国務総理の日本訪問、十月の韓国済州島での第二回日韓閣僚懇談会の開催などを通じ、相互理解と信頼関係が一層深まり、今や両国の関係は未来を志向する新たな段階に入ったと言えよう。特に、十月の日韓閣僚懇談会では、二〇〇二年を「日韓国民交流年」として幅広い分野における交流事業の促進が合意された。
 日中関係については、七月の小渕総理大臣の中国訪問の際、中国のWTO加盟に関する二国間交渉が実質的に妥結するとともに、朱鎔基総理の二〇〇〇年の日本訪問が合意されたほか、幅広い具体的な協力を着実に進めることにつき一致をみることができた。
 インドネシアを含むASEAN諸国との関係については、総理及び外相レベルを含む緊密な対話などを通じ一層の関係強化を図った。インドネシアでは、十月、民主的な手続きによりアブドゥルラフマン・ワヒッド大統領及びメガワティ・スカルノプトリ副大統領が選出されたが、新政権成立直後の十一月には、同大統領が日本を訪問したほか、小渕総理大臣も新政権成立後初の外国首脳としてインドネシアを訪問した。
 北朝鮮との関係については、抑止と対話のバランスをとりつつ、米国及び韓国と緊密に連携を取りながら対応した。年末には村山元総理大臣を団長とする日本国政党代表訪朝団による訪朝が実現し、その結果を踏まえ、国交正常化交渉再開のための予備会談及び日朝赤十字会談が開催されるに至った。
 ロシアとの間では、六月のケルン・サミットの際の日露首脳会談、アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の際の小渕総理大臣とプーチン首相の会談のほか、計六回にわたる外相会談が行われるなど緊密な対話が進められた。その結果、政治、経済、安全保障、人的交流、国際問題に関する協力等の幅広い分野において、両国間の協力関係が着実に進展した。
 欧州との関係では、ユーロ導入直後の一月、小渕総理大臣がフランス、イタリア、ドイツを歴訪し、国際通貨・金融システムの安定等につき各国首脳と議論したことを始め、緊密な協力関係を維持した。
 アジア太平洋地域における協力関係については、日本は、APEC、ASEAN地域フォーラム(ARF)、ASEAN拡大外相会議(PMC)、ASEAN+3(日中韓)首脳会議等の枠組みに積極的に参画し、地域協力の機運を高めることに貢献した。
 また、国際社会の大きな関心を集めたコソヴォ問題については、G8等における和平に向けた議論に積極的に参画するとともに、難民・避難民への人道支援、復興支援を行った。東チモール問題についても東チモール人による直接投票の円滑な実施に向け、また投票後は独立と国造りに向け、積極的な支援を行った。
 核軍縮・不拡散分野では、九八年のインド及びパキスタンによる核実験を受けて日本のイニシアチブにより開催された「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」の報告書が発表されたほか、九九年の国連総会に究極的核廃絶決議案を提出し、十二月、圧倒的支持をもって採択された。
 経済分野では、シアトルでのWTO閣僚会議において、加盟国の立場の違いなどにより新たなラウンド交渉は立ち上がらなかったものの、日本は新たなラウンドに向けての議論に積極的に貢献した。
 また、九九年は新たに国連教育科学文化機関(UNESCO)、国際電気通信連合(ITU)という二つの国際機関の長に日本人が就任したほか、東チモール問題への対処にあたっても高橋昭国際協力事業団(JICA)参与が国連東チモール暫定行政機構(UNTAET)の人道支援・緊急復興担当事務総長副特別代表に採用されるなど国際社会への人的貢献が注目された一年であった(表参照)。
 さらに、八月に発生したキルギスにおける日本人誘拐事件は、十月に日本人全員が無事解放されたが、在外における邦人保護、経済協力実施上の安全対策に大きな教訓を残すものとなった。

2 九九年の注目すべき動き
 (1) インドネシア及び東チモール
[インドネシア]
 六月七日に新しい選挙制度の下で総選挙が実施され、国会定数五百議席(うち三十八議席は国軍配分議席)のうち、メガワティ・スカルノプトリ総裁率いる闘争インドネシア民主党が百五十三議席、ゴルカル党が百二十議席、開発連合党が五十八議席、民族覚醒党が五十一議席、国民信託党が三十四議席を獲得した。この総選挙に対して日本を含む国際社会からは、おおむね公正かつ円滑に実施され、成功であったとの評価がなされた。日本は、総選挙支援として選挙専門家等の国際協力事業団(JICA)専門家二十名及び選挙監視団を派遣したほか、非政府組織(NGO)による選挙監視活動や有権者教育経費として、他国の支援額を大幅に超える約三千四百四十五万ドルの無償援助を行った。
 総選挙の結果を受け、十月一日より国権の最高機関である国民協議会(MPR)が召集され、憲法改正に関する決定、東チモールのインドネシアからの分離承認の決定など種々の決定がなされた。最も重要な案件であった正副大統領選出については、最終局面で現職のハビビ大統領が大統領選出馬を断念し、国内最大のイスラム社会団体の一つであるナフダトゥール・ウラマのアブドゥルラフマン・ワヒッド総裁が、投票で六十票の差をつけてメガワティ・スカルノプトリ闘争インドネシア民主党総裁を退け第四代大統領に選出された。また、続いて実施された副大統領選出では、メガワティ・スカルノプトリ氏が対立候補のハムザ・ハズ開発連合党総裁に百票以上の差をつけて副大統領に選出された。小渕総理大臣は新指導者の民主的な選出に際して正副大統領に対して日本国民を代表し祝辞を伝えた。
 また、正副大統領の選出を受けて、十月二十六日、「国家統一内閣」が発表された。新内閣は、国民協議会を構成する政治勢力間の全体的なバランスに配慮したもので、これによって新体制が本格的に発足することとなった。
 新政権は日本との二国間関係を重視する態度を表明してきている。アブドゥルラフマン・ワヒッド大統領は、十一月十五日から十六日に日本を訪問し、小渕総理大臣、河野外務大臣らと会談を行った。さらにその後、小渕総理大臣も十一月二十六日から二十七日、インドネシアを訪問した。
この相互訪問を通じて両首脳間を含め両国の要人間で個人的信頼関係が構築されるとともに、インドネシアの改革努力に対する支援を引き続き惜しまないとの方針など日本の対インドネシア基本政策を新政権に伝達した。さらに小渕総理大臣の訪問時にはこの支援方針に基づき、@経済協力、A民間企業活動の促進、B人的交流の促進の面から具体的提案を行った。
 また、アブドゥルラフマン・ワヒッド大統領は、日本のほか、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国、米国、中国等を歴訪し、インドネシアの安定を強調するとともに対インドネシア投資と国際的支援を広く国際社会に要請した。
 インドネシア経済の動きについては、九八年の大幅なマイナス成長を底にある程度の回復基調が見られており、為替レート及び物価上昇率も安定を見せた。
 九九年中の治安情勢については九八年七月以降続いている最西端のアチェ特別州における分離・独立を求める動きが活発化し、武装勢力と治安当局との衝突により多数の住民が巻き込まれて死傷あるいは避難民化した。新政権はアチェ問題を重視する姿勢をとってきており、アチェ特別州内の住民の一部による住民投票実施の要求にも留意している。また、マルク州内では、九九年一月以降イスラム教徒とキリスト教徒の住民間抗争が発生し、多数の死者が出るなど、アチェ問題とともに新政権にとって難題の一つとなっている。

[東チモール]
 東チモールでは、七〇年代のポルトガルによる植民地政策の転換、インドネシアの併合決定以降、独立派と併合派との間での争いが続いていたが、一月のインドネシア政府による新提案を受け、五月にはインドネシア、ポルトガル、国連の間で、拡大自治案受入れに関し東チモール人による直接投票を八月に行うことが合意された。また、この直接投票を実施するため、国連東チモール・ミッション(UNAMET)が設立され、日本からも文民警察要員が派遣された。直接投票は八月三十日、おおむね平穏裡に実施され、八割近くが分離・独立を選択したとの結果が九月四日に発表された。
 しかし、結果発表直後から、この結果を不満とする勢力による暴力行為が激化、東チモールの治安は極度に悪化した。これに対するインドネシア政府の対応も功を奏さず、インドネシア政府は最終的に国際的な平和維持部隊を受け入れることを発表した。そして安保理決議一二六四により設立を認められた多国籍軍が現地に展開し、治安回復にあたることとなった。日本は開発途上国からの多国籍軍への参加を支援するため一億ドルを拠出し、国際的に高く評価された。
 治安悪化に伴い多数の避難民も発生した。これに対しては、国際機関等により生活環境改善や帰還促進にむけての取組が行われ、九九年末までには、西チモールを始めとする周辺地域に避難した約二十五万人のうち、およそ半数が東チモールに帰還した。日本は、西チモールに所在する東チモール避難民のための援助物資を輸送するため、自衛隊部隊を派遣した。
 直接投票で独立を求める民意が示されたのを受け、十月には安保理決議一二七二により、独立までの東チモールの統治を担う国連東チモール暫定行政機構(UNTAET)が設立された。このUNTAETの下で東チモールは独立に向けた国造りを進めていくこととなるが、騒乱による荒廃からの復興には東チモール人の和解と自助努力、そして国際社会からの支援が必要とされている。十二月には、東京で、東チモールの復興・開発への国際的な支援の在り方を話し合うため、東チモール支援国会合が世界銀行と国連を共同議長として開催され、今後三年間で総額五億二千万ドルを超える支援が表明された。
 日本は、東チモール問題の解決のためにできる限りの支援を行うとの方針の下、資金面、物資面、人的側面それぞれでの支援を行ってきている。九九年十二月末現在、日本はUNTAETに対し国際平和協力法に基づく要員の派遣は行っていないが、高橋昭・人道支援・緊急復興担当事務総長副特別代表を始めとする邦人職員が採用されている。

 (2) コソヴォ
 九八年二月にアルバニア系住民とユーゴ当局との戦闘に発展したコソヴォ紛争は、いったんは停戦が実現したものの、同年末には戦闘が再燃した。
 二月、コンタクト・グループ(米、英、独、仏、伊、露で構成)は両当事者を召集し和平合意案を提示、受入れを求めた(ランブイエ和平交渉、パリ和平交渉)。この交渉においてアルバニア系住民は和平合意案に署名したが、ユーゴ当局側は最後まで受入れを拒否した。
 このような状況の中、コソヴォでは戦闘が激化し、ユーゴ軍・治安部隊も増強され、更なる難民・避難民の発生が必至となる事態に至り、三月二十四日、北大西洋条約機構(NATO)はユーゴに対する空爆に踏み切った。その後、ユーゴ軍・治安部隊はコソヴォへの大規模かつ組織的攻撃を開始し、八十万人以上の難民が隣接するマケドニア、アルバニアへ流出した。日本は、NATOによる空爆については、これを更なる犠牲者の増加という人道上の惨劇を防止するためにやむを得ずとられた措置であったと理解しているとの立場を表明した。また、このようなコソヴォ情勢の展開も契機となり、いわゆる「人道的介入」の問題について、国連で議論が行われるなど国際社会の関心が高まった。
 空爆は三か月続いたが、その間も国際社会はG8を中心に政治解決への道を模索した。解決策の策定は難航したが、五月六日にドイツで開催されたG8緊急外相会合では、高村外務大臣を含むG8の外相が政治解決のための原則につき合意し、問題解決へ向けての国際社会の基本姿勢が固まった。この原則を基に、米・露・欧州連合(EU)の和平案が作成され、六月三日、ミロシェヴィッチ・ユーゴ大統領は和平案の受入れを表明し、十日にはユーゴ軍・治安部隊の撤退が始まった。これを受け、同日に国連安保理決議一二四四が採択され、またNATOの空爆の一時停止が発表された(空爆は、六月二十日に正式に終了)。
 なお、空爆中の五月二十七日、旧ユーゴ国際刑事裁判所は、「一九九九年初頭からコソヴォで犯された人道に対する罪(特に殺人、追放、迫害)及び戦争の法規又は慣例に反する罪」の容疑で、ミロシェヴィッチ・ユーゴ大統領等のユーゴ政権及び軍幹部五名を起訴した。
 国連安保理決議一二四四は、コソヴォの平和維持にあたる国際安全保障部隊(KFOR)と民生部門の和平履行を行う国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)の設立につき規定しており、両者は六月より活動を開始した。UNMIKの長にはベルナール・クシュネール仏保健相(閣外相)が就任した。
 ユーゴ軍・治安部隊の撤退とKFORの展開により、コソヴォの戦闘は終結し、九月二十日にはコソヴォ解放軍(KLA:アルバニア系住民の武装組織)の文民組織への改組につき合意が成立するなど、治安状況は改善され、周辺国に流出していた難民の帰還も急速に進んだ。一方地方によっては、アルバニア系住民によるセルビア系住民等に対する殺害、誘拐、家屋への放火等が発生しており、約二十四万人のセルビア系住民等がコソヴォから流出した。
 UNMIKによる民生部門の和平履行については、十二月十五日に共同暫定統治機構に関する合意をアルバニア系住民との間で締結するなどの成果も見られるが、セルビア系住民の同機構への参加問題など、今後克服すべき課題は多い。
 コソヴォの和平履行における国際社会の目標は、あらゆる民族が平和に生活できる民主的な社会を構築することにある。日本も国際社会の一員としてこのような目標を達成するため、これまで周辺諸国に対する支援を含め、総額二億三千七百万ドルの人道支援・復興支援の実施やUNMIKに対する政務官の派遣といった人的貢献を通じ和平履行に協力している。

 (3) 北朝鮮
[日本の対北朝鮮政策/日朝関係]
 日本は、様々な機会に、対北朝鮮政策の基本方針が、韓米両国との緊密な連携の下、北東アジア地域の平和と安定に資するような形で第二次世界大戦後の正常でない日朝関係を正すよう努力していくことであること、及び政策の遂行に当たっては対話と抑止のバランスをとって対応する考えであることを明らかにしてきた。
 日朝関係は、特に九八年八月の北朝鮮による弾道ミサイル発射以来急速に冷却化したが、一月、政府は、北朝鮮がミサイル発射や秘密核施設疑惑をめぐる国際的な懸念の解消並びに拉致疑惑を始めとする日朝間の諸懸案の解決に建設的な対応を示すのであれば、対話と交流を通じ関係改善を図る用意がある旨呼びかけた。そのような中で三月に能登半島沖で発生した北朝鮮当局の工作船の侵入事件は、日朝関係に水を差すものであった。
 その後北朝鮮は、八月、対日関係に関する「政府声明」を発出し、「日本が過去の清算を通じた善隣関係の樹立の方向へと進むなら、それに喜んで応じる」との立場を示し、日本に対して関係改善を呼びかけたとも受け取れる姿勢を示した。
 また、この時期、北朝鮮によるミサイル再発射の可能性が広く報じられるようになり、日本国内では、再発射の場合に北朝鮮に対してどのような措置を取るべきかについて様々な議論がなされたが、九月に米朝協議の結果を受けて、北朝鮮が米国との高官協議が続いている間はミサイルを発射しない旨発表したため、その後北朝鮮への対応をめぐる議論は沈静化した。
 このような状況の下、十二月初め、村山富市元総理大臣を団長とする日本国政党代表訪朝団は、「政党間の協議を通じ、政府間の日朝国交正常化交渉を円滑に行うための環境整備」を目的として北朝鮮を訪問し、成果を上げた。政府は、この訪朝団により対話の環境が整備されたことを日朝対話を進めるための好機と捉え、九八年のミサイル発射を踏まえて取ってきた国交正常化交渉の再開及び食糧等の支援を当面見合わせるとの措置を解除した。また、この訪朝団の結果を受けて、十二月後半、北京で日朝赤十字会談及び日朝国交正常化交渉再開のための予備会談が行われた。赤十字会談では、拉致問題に関し、日本人「行方不明者」につき北朝鮮側がしっかりとした調査を行うために当該機関に依頼することや日本政府が食糧支援問題について検討することなどを確認した共同発表が発出された。また、国交正常化交渉再開のための予備会談では、交渉再開に向けた実務問題につき議論するとともに、日本側より、日本人拉致問題やミサイル、核問題についての立場を率直に表明した。

[南北関係]
 韓国政府は、確固たる安保体制を敷きつつ南北間の和解・交流を積極的に進めるとの内容の「包容政策」を引き続き遂行した。
 六月初め、南北間で、南北次官級当局会談の開催及び韓国による二十万トンの対北朝鮮肥料支援が合意された。しかし、六月中旬に黄海において、北朝鮮の警備艇が「北方限界線」(韓国漁船等が北朝鮮水域に過度に接近するのを防止するために国連軍が設定している線)を越境してきて、韓国海軍との間で銃撃戦が行われる事件が発生したこともあり、六月下旬に始まった南北次官級当局会談では進展は見られなかった。
 一方、韓国の民間企業と北朝鮮との交流は非常に活発であった。九八年後半に始まった金剛山(クムガンサン)観光事業も、韓国人拘束事件などがあったものの、全般的には着実に進んだ。

[米朝関係]
 九八年夏、北朝鮮がクムチャンニの施設で秘密裡に核兵器を開発しているとの疑惑が浮上したが、米朝間の協議の結果、米国の専門家がこの施設を訪問し、六月、米国は、この施設は「合意された枠組み」に違反していないとの報告を発表した。また、九月の米朝協議の結果、米国が対北朝鮮制裁の一部緩和を発表すると、北朝鮮は米朝高官協議が続いている間はミサイルを発射しない旨発表するなど、米朝関係は前向きな展開を見せた。
 十月、ペリー北朝鮮政策調整官は、米国の対北朝鮮政策の見直しの結果を報告書の形で発表した。これは、実質的には日米韓が緊密に協議しつつ共同で作成したものであり、まず日米韓及び北朝鮮が互いに相手方が認識するところの脅威を削減し合う道に進み、仮に北朝鮮が挑発的行動に出る場合には、日米韓は脅威を封じ込め、強制的に抑止を図る道に移行するという政策を提唱したものである。ペリー報告は拉致問題等の日本の関心も適切に取り上げており、日本として同報告に対し支持を表明した。

[KEDO]
 日本は、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が北朝鮮の核兵器開発を阻むための最も現実的かつ効果的な枠組みであり、日本の安全保障に密接に関わるとの認識の下、五月、KEDOとの間で軽水炉プロジェクトへの資金供与に関する協定に署名し、六月末、この協定の締結が国会において承認された。十二月には、KEDOと韓国電力公社との間で軽水炉建設を請け負わせるための主契約が署名された。

 (4) アジア及び世界の経済
[アジア経済情勢]
 九七年七月のタイ・バーツ下落に端を発した東アジアの通貨・金融危機は、九八年に入り、景気の後退、貿易の停滞、失業者の増大等実体経済に打撃を与えるとともに、当初影響が小さかったフィリピン、マレイシア、ヴィエトナム等、他のアジア諸国・地域に伝播し、世界経済にも影響を及ぼした。
 九九年に入ると、各国の状況に違いはあるものの、通貨の安定、生産の回復、輸出入の回復、外貨準備高の増加、株価の回復等、アジア経済にようやく回復の兆しが見られ始めるようになった。アジア諸国の実質GDP成長率は前年同期比でプラスに転じ、従来の経済成長見通しは軒並み上方修正された。
 通貨・金融危機の影響を大きく受けた国の経済を見ると、韓国は、国際通貨基金(IMF)による管理体制の下で、政府機構の縮小改編、労働市場の改革、金融システムの改革、財政改革等の経済構造改革を推進し、民間消費など内需回復及び在庫調整並びに輸出増加による製造業及びサービス業の回復に牽引され、第4四半期には実質GDP成長率は一三・六%、通年では当初予想を上回る一〇・二%を記録し、危機発生から増加傾向にあった失業率は二月の八・六%をピークとし十二月現在で四・八%と大幅に改善した。インドネシアは、為替レート及び物価上昇に落ち着きが見られ始め、第2四半期より実質GDP成長率はプラスに転じた。また、インドネシアでは、一時東チモール問題や銀行不正融資疑惑といった問題が国際的注目を浴びたが、十月に発足したアブドゥルラフマン・ワヒッド新政権は金融再編及び政治・治安の安定を優先し、インドネシアへの資金の流れに弾みをつけるべく努力している。タイは、IMFとの合意事項を着実に実施することにより市場から一定の信認を獲得した。また、当初の引締め政策から景気刺激策に重点を移し、金融システム再建とともに実体経済の回復に努めている。為替の安定、インフレの収束、金利の低下、鉱工業生産指数の対前年比プラス化等をもって景気は底を打ち回復基調に入ったとの見方が広がっている。
 このようにアジア経済が危機から回復へと転じるにあたっては、各国の改革努力とともに東アジアを取り巻く国際社会の支援が大きな役割を果たしたと言える。日本は、危機発生直後よりアジア諸国を積極的に支援した。具体的には新宮澤構想や特別円借款など世界最大規模の総額約八百億ドルの支援を表明し、これを着実に実施しており、アジア各国からも高い評価を受けている。
 また、アジア経済に回復の動きが広がる中、日本は小渕総理大臣の指示により、日本の支援策を検証すること、通貨・金融危機の教訓を踏まえて、二十一世紀のアジアの繁栄のためにアジアが取り組むべき課題と日本の役割が何であるかを見極めることなどを目的として、奥田碩日経連会長を団長とする民間有識者による「アジア経済再生ミッション」を八月末から九月上旬にかけて、アジア通貨・金融危機により大きな影響を受けた韓国、ヴィエトナム、タイ、マレイシア、インドネシア、フィリピンの六か国へ派遣し、政府の首脳、主要閣僚、経済界の指導者、日本の進出企業の関係者等と意見交換を行った。
 同ミッションは、十一月に「二十一世紀のアジアと共生する日本を目指して」と題した報告書を小渕総理大臣へ提出した。同報告書は、二十一世紀のアジアの繁栄に向けて日本が何をすべきかを念頭に、ヒト、モノ、カネ、情報の分野で三十の提言を盛り込み、特にヒトの分野、すなわち人材育成及び人材交流の強化に大きな焦点を当てている。また、アジア諸国との真のパートナーシップの構築のためには、日本がアジア、更には世界に一層開かれた社会となるべきことを提唱している。
 この報告書も踏まえ、また、中長期的な経済の安定的発展を確固たるものにする必要があるとの観点から、日本は、十一月末のASEAN+3(日中韓)首脳会議において「東アジアの人材の育成と交流の強化のためのプラン」(「小渕プラン」)を発表し、今後より専門性の高い人材育成、市民レベルの人材育成、留学生交流の支援の各々の強化・拡充を柱としてヒトを重視した協力を行っていくことを表明した。
 通貨・金融危機の教訓を踏まえ、アジアの中長期的な経済の安定的発展を確固たるものにするために、アジア諸国は高い貯蓄率や人的資本の蓄積など、その良好な基礎条件を十分に活かしつつ、経済構造改革や地域協力に向けて努力を継続していく必要がある。また、アジア諸国の日本の役割に対する強い期待感に応えるためにも日本はアジアにおいて積極的にイニシアチブを発揮していく必要がある。

[世界経済情勢]
 九九年の世界経済は、総じて緩やかながら回復に向かった年であった。米国の景気拡大は九九年中も続き、世界経済の回復を下支えした。米国経済の長期にわたる安定的な景気拡大の背景には、生産性の向上、とりわけハイテク産業の生産性の伸びがあると言われており、注目を集めている。しかしながら、株価の水準については割高感も指摘されているなど、先行きには不透明感も見られ、米国経済の軟着陸が世界経済の重要な課題となっている。
 一月一日に単一通貨「ユーロ」の誕生を迎えたユーロ圏経済では、ユーロの減価などを背景に景気の改善が続いており、特に、欧州中央銀行(ECB)による初めての政策金利引下げが行われた四月以降、景気回復の動きは強まっている。今後はユーロの国際的な流通の動向のほか、ユーロ導入を機に本格化している欧州連合(EU)内での産業再編の動きや税制調和の問題、硬直性が指摘されている労働市場等をめぐる構造改革の動向などが注目される。
 新興市場諸国経済に目を転じても、九七年のアジア通貨・金融危機以降、景気が大きく後退していた東アジア経済の回復の動きは、九九年中に広がりを見せているほか、九八年夏に金融危機に見舞われたロシアでも、九九年に入り景気は底入れしたと見られるなど、全般に回復傾向にある。しかしながら、新興市場諸国への民間資本の流れは、回復を見せつつも、アジア通貨・金融危機前の水準の約半分ともされており、新興市場諸国への信頼回復の鍵を握ると見られる金融部門を始めとする構造改革の進捗状況等を引き続き注視する必要がある。
 また、九八年夏のロシア金融危機等の影響から為替市場に動揺が生じていたブラジルにおいては、九九年一月にミナス州政府の連邦債務の支払い延期(モラトリアム)宣言をきっかけに、通貨レアルが大幅に切り下げられ、同時に行われた政策金利の引上げなどの影響から成長率がマイナスに転じるということがあったものの、景気後退は年初の予想よりも軽度のものにとどまり、周辺諸国への影響も特に大きなものとはならなかった。
 九七年のアジア通貨・金融危機以降、動揺が続いていた国際金融市場は、九九年中に安定を取り戻したと言えるものの、一連の危機により露呈した国際通貨・金融システムの脆弱性は、今後も引き続き検討し、克服すべき課題である。六月のケルン・サミットにおけるG7首脳声明において、国際金融システムの強化に向けた枠組みが示されたが、日本としてもこうした取組に積極的に貢献した。また、金融分野にとどまらず、貿易、投資、開発等の関連分野における相互の関連性を十分に踏まえつつ、幅広い議論を展開していく必要がある。

 (5) キルギス邦人誘拐事件
 八月二十三日未明(現地時間)、キルギス共和国南西部オシュ州で資源開発調査に従事していた国際協力事業団(JICA)の専門家四名(金属鉱業事業団より派遣)が、キルギス人通訳一名及びキルギス軍関係者二名と共に、タジキスタンより越境してきた武装勢力に誘拐される事件が発生した。犯行グループは、ウズベキスタンにおいて反政府活動を行っていたイスラム過激派勢力と見られている。キルギス政府を始めとする関係者の努力により、事件発生から六十四日後の十月二十五日、四名の専門家と通訳がタジキスタンとの国境地帯にあるキルギス領内のカラムイクで無事保護された。

[日本政府の対応]
 日本政府は、事件発生以来、@事件発生国であり、事件解決の第一義的責任を有するキルギス政府と緊密に連絡を保ちつつ、人質の早期無事解放に向けて努力する、Aテロには屈せず、犯行グループによる不法な要求には「ノー・コンセッション(譲歩しない)の原則」に従って対処する、Bタジキスタンやウズベキスタンなどの周辺国を含めて、関係国に対する協力要請を行うということを基本方針として対応を行った。
 初動体制としては、日本国内では事件発生直後に外務省のオペレーション・ルームに川島事務次官を本部長とする緊急対策本部を設置した。また、事件が発生した八月二十三日当日、キルギスを兼轄する三橋駐カザフスタン大使を直ちにキルギスの首都ビシュケクに派遣、同大使を本部長とする現地対策本部を設置し、更に隣国タジキスタンの首都ドゥシャンベにも本事件に対応するための拠点を設けた。外務省及び現地の対策本部等は、事件発生以来、二十四時間体制で現地情勢の把握、情報収集と分析等にあたるとともに、関係方面と緊密に連携を取り、本事件の早期解決に取り組んだ。
 キルギス政府との関係では、小渕総理大臣は、事件発生直後の八月二十四日及び九月二十四日にアカーエフ大統領と電話会談を行い、さらに、十月十三日には総理メッセージを改めて発出するなど首脳レベルで人質全員の早期無事解放について積極的な働きかけを行った。
 また、キルギス以外の関係国との間でも、小渕総理大臣は、八月二十九日付けで、ラフモノフ・タジキスタン大統領及びカリーモフ・ウズベキスタン大統領に対して、人質の早期無事解放のための協力を要請すべくメッセージを発出したほか、アジア太平洋経済協力(APEC)非公式首脳会議の際、プーチン・ロシア首相に対して、情報提供等について協力を要請した。さらに、本事件発生直前にカザフスタンを訪問中であり、引き続きタジキスタンの訪問を予定していた武見外務政務次官は、八月二十三日、カザフスタン大統領、二十四日、タジキスタン大統領及びヌリ・タジキスタン国民和解委員会議長と会談し同様の協力を要請した。

[人質の解放に向けての経緯]
 今回の誘拐事件においては、キルギス政府が第一義的な責任を有する当事者として交渉に当たった。キルギス政府は、対ゲリラ作戦を実施していく中で、軍事的圧力による犯行グループの弱体化を図るとともに、民間人やタジキスタン側関係者も含めた様々なルートを通じて犯行グループとの接触を重ね、犯行グループにとって行動が困難になる冬の到来を背景とする中で軍事面等の圧力を強めた結果、人質の解放に至った。

[教訓と課題]
 外務省は、人質解放後、この事件についての問題究明及び教訓を総括するため、@誘拐事件発生の背景、A誘拐直前の状況、B解放に至るまでの対応、C今後の取組の観点から内部での調査を行い調査報告書を発表した。 
 同報告書では、今後の取組について、経済協力実施上の安全対策、さらには在外邦人保護の面での安全対策を一層強化することが緊急の課題であるとし、援助実施機関との間で安全対策タスクフォースを組織し援助関係者の安全対策につき再検討を行うこと、また、国境にとらわれず、地域全体として情報収集・分析等を行う必要性も踏まえ、日本大使館が現地に存在しない被兼轄国を含めて情報収集・分析や情報提供等の体制強化・整備を図ることなどを指摘している。

 (6) その他の動き
 九九年のその他の動きとしては、チェチェン情勢、中東和平問題、インド・パキスタン情勢が注目された。

[チェチェン]
 八月のチェチェンの武装勢力によるダゲスタン共和国侵入を契機としてロシア連邦軍とチェチェン側武装勢力との紛争が再燃した。ロシア政府は、今回の軍事行動は、「テロリズムに対する戦い」であるとの立場であるが、チェチェンにおける戦闘が激化し、大量の避難民が発生するにつれ、欧米諸国を中心に、ロシアが過大な軍事力を行使しているなどとして非難し、ロシアに対し、早期停戦と政治的解決の必要性を訴える声が高まった。

[中東和平]
 七月のイスラエルにおけるバラック政権の成立後、直ちに同政権は和平プロセスへの取組を始め、九月には、パレスチナとの間で、九八年十月のワイ・リバー合意の実施やパレスチナの最終的地位交渉のスケジュール等を定めたシャルム・エル・シェイク合意が達成された。また、十二月には米国の仲介により、イスラエル・シリア交渉が約四年振りに再開し、バラック首相とシャラ・シリア外相との間で、両国間では初の直接交渉が行われた。

[インド・パキスタン]
 九八年五月のインド、パキスタンによる核実験により高まった両国の緊張関係は、インド首相による十年振りのパキスタン公式訪問(二月)などにより緩和に向かっていたが、両国によるミサイル発射実験(四月)、カシミールでのパキスタンから侵入した武装勢力とインド軍との戦闘(五月)により再び緊張が高まった。十月のパキスタンでの軍事クーデターの発生は、パキスタン情勢を一層不透明とした。また、十二月のインディアン航空機ハイジャック事件をめぐっても、両国が互いに非難を行うなど、両国間の緊張が高まった。

3 米国及び近隣諸国との関係
(1)日米関係:小渕総理訪米など緊密な対話の実施、経済関係、コモン・アジェンダなど協力関係の強化。
(2)日韓関係:未来志向の日韓関係の進展、経済関係、日韓漁業協定。
(3)日中関係:小渕総理の中国訪問など緊密な対話の実施、日中経済関係(中国の世界貿易機関(WTO)加盟のための二国間交渉の実質妥結、日中漁業協定等)、台湾との関係。
(4)日ASEAN関係/東アジアにおける地域協力:ASEAN+3(日中韓)、ASEAN拡大外相会議、日本とASEAN各国との関係(日・ミャンマー首脳会談等)、日中韓の対話と協力。
(5)日露関係:緊密な政治対話の継続(一回の首脳会談と六回の外相会談の実施等)、諸分野における関係の進展(「橋本・エリツィン・プラン」の実施と拡充、「創造的パートナーシップ」の構築等)。

4 国際連合
 国連と日本の役割:国連改革(安保理改革、財政改革、開発分野の改革)

第2章 分野ごとに見た国際情勢と日本外交

第1節 平和で安定した世界を目指して

1 日本の平和と安全
(1)日本の安全保障政策の三本柱:日米安保体制の堅持、適切な防衛力の整備、国際の平和と安定を確保するための外交努力。
(2)日米安保体制:日米安保体制の意義、新たな「日米防衛協力のための指針」の実効性の確保、技術・装備面での防衛協力、在日米軍に関する諸問題。
(3)地域的取組:域内の緊密な対話、ASEAN地域フォーラム(ARF)の活動。

2 世界の平和と安定
(1)紛争予防:G8、国連等での議論、「包括的アプローチ」等。
(2)軍備管理・軍縮及び不拡散体制の強化:
 (イ)大量破壊兵器:包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効に向けた取組、核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム、核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議に向けた取組、ミサイルの拡散問題等。
 (ロ)通常兵器:対人地雷、小型武器等。
(3)国際平和協力(国連平和維持活動等):現状、質的向上のための議論、日本の取組。
(4)難民問題:日本及び国際社会の取組

第2節 より豊かな世界を目指して

1 世界経済
(1)グローバリゼーションの進展と課題:国際金融システムの強化、電子商取引、遺伝子組換え食品の安全性等、新たな課題の出現と国際的な取組。
(2)多角的貿易体制:世界貿易機関(WTO)シアトル閣僚会議、多角的貿易体制の普遍化等。
(3)地域経済協力:北米自由貿易協定(NAFTA)、南米南部共同市場(メルコスール)、アジア太平洋経済協力(APEC)、アジア欧州会合(ASEM)等。
(4)エネルギー・食糧問題

2 途上国の開発問題
 政府開発援助(ODA)をめぐる情勢、ODA中期政策の発表、ODA実施体制、安全対策等。

第3節 よりよい地球社会を目指して

1 人間の安全保障:考え方、具体的取組等。

2 以下の分野に関する国際社会の取組及び日本の協力:地球環境問題、テロ、国際組織犯罪、薬物、人権の擁護と民主化の促進、保健・医療、原子力の平和利用及び科学技術分野、自然災害に対する緊急援助(国際緊急援助協力)。

第3章 主要地域情勢

 以下のそれぞれの地域における主要な動向及び日本との関係を概観。

1 アジア及び大洋州:中国、朝鮮半島、東南アジア、南西アジア、大洋州等。

2 北米:米国、カナダ。

3 中南米:政治、経済、日系人移住周年。

4 欧州:統合の深化と拡大、北大西洋条約機構(NATO)、欧州安全保障・協力機構(OSCE)等。

5 ロシア及び旧ソ連新独立国家(NIS)諸国 :ロシア、NIS諸国。

6 中近東:中東和平、イラク、イラン等。

7 アフリカ:政治情勢、債務問題、日本との関係等。

第4章 国際交流と広報活動

1 国際交流の推進:国際交流の意義、最近の動向(国連教育科学文化機関(UNESCO)、日本年、留学生、日本語教育)、地方自治体・民間団体との一層の連携の重要性。

2 国内世論と広報及び諸外国の対日理解:国民の理解・支援を得る努力(情報公開、ホームページ等)、諸外国の対日理解促進。

第5章 外交体制

1 外交実施体制:強化の必要性、機構・定員、予算面での努力、情報化の推進、行政改革。

2 領事体制と海外安全対策:日本人の海外渡航と邦人保護、在外選挙等。










目次へ戻る

法人企業動向調査


―平成十二年三月実施調査結果―


経済企画庁


◇調査要領

 本調査は、資本金一億円以上の全営利法人を対象として、設備投資の実績及び計画並びに企業経営者の景気と経営に対する判断及び見通し並びに設備投資に関連する海外直接投資の動向を調査したものである。
 調査対象:調査は、原則として国内に本社又は主たる事務所をもって企業活動を営む資本金又は出資額が一億円以上の全営利法人(約三万四千百社)から、経済企画庁が定める方法により選定した四千五百二十八社を対象とした。
 調査時点:平成十二年三月十日
 調査方法:調査は、調査法人の自計申告により行った。
 なお、資本金又は出資額が百億円以上の営利法人については原則として全数調査、百億円未満の営利法人は、層化任意抽出法により選定した法人について調査した。
 有効回答率:調査対象法人四千五百二十八社のうち、有効回答法人四千百六十社、有効回答率九一・九%
〔利用上の注意〕
(1) 今期三か月の判断とは、平成十一年十〜十二月期と比較した場合の十二年一〜三月期の判断、来期三か月の見通しとは、十二年一〜三月期と比較した場合の十二年四〜六月期の見通し、再来期三か月の見通しとは、十二年四〜六月期と比較した場合の十二年七〜九月期の見通しである。
 ただし、在庫水準と生産設備については、それぞれの調査期間における判断と見通しである。
(2) 平成十二年一〜三月期以前は今期の判断、四〜六月期は来期の見通し、七〜九月期は再来期の見通しである。
(3) 判断指標(BSI)とは「上昇(強くなる・増加・過大)の割合―下降(弱くなる・減少・不足)の割合」である。
(4) 設備投資の公表数値は、母集団推計値である。また算出基準は工事進捗ベース(建設仮勘定を含む有形固定資産の減価償却前増加額)である。
(5) 季節調整法は、センサス局法U、X―11で算出した。
(6) 集計上の産業分類は、日本標準産業分類を基準とする会社ベースでの主業分類に基づいて行った。
(7) 昭和六十三年三月調査より、日本電信電話(株)、第二電電(株)等七社、JR関係七社及び電源開発(株)を調査対象に加えるとともに、日本電信電話(株)、第二電電(株)等七社については六十年四〜六月期、JR関係七社については六十二年四〜六月期に遡及して集計を加えた。
(8) 平成元年六月調査より、消費税を除くベースで調査した。
(9) 平成十年六月調査より、以下のとおり産業分類の見直しを行い、昭和五十九年六月調査に遡及して集計を行った。
 @ 「造船」を「その他の輸送用機械」に合併。
 A 「印刷・出版」を「その他の製造業」に合併。
 B 「卸売・小売業、飲食店」の内訳を廃止し、「卸売業」と「小売業、飲食店」に分割。
 C 「運輸・通信業」の内訳を廃止し、「運輸業」と「通信業」に分割。
 D 「電力業」と「ガス業」を合併し、「電力・ガス業」とする。
 E 「サービス業」を「サービス業(除くリース業)」と「リース業」に分割。
 F 製造業を素材型、加工型に分類。

一 景気の見通し(全産業:季節調整値)

(一) 国内景気第1表参照

 企業経営者による国内景気に関する判断指標(BSI:「上昇」―「下降」)をみると、平成十一年十〜十二月期「六」から十二年一〜三月期の「四」へと、「上昇」超幅が若干縮小した。
 来期及び再来期については、四〜六月期は増加(「十二」)に転じ、七〜九月期も「二十九」と、「上昇」超幅が更に拡大する見通しとなっている。
 産業別にみると、製造業では十二年一〜三月期「四」、四〜六月期「十四」、七〜九月期「二十六」となり、非製造業では十二年一〜三月期「一」、四〜六月期「十一」、七〜九月期「二十九」となっている。

(二) 業界景気第2表参照

 所属業界の景気に関する判断指標(BSI:「上昇」―「下降」)をみると、平成十一年十〜十二月期「マイナス一」の後、十二年一〜三月期には「マイナス四」と、「下降」超幅が若干拡大した。
 来期及び再来期については、四〜六月期は「三」と「上昇」超に転じ、七〜九月期は「十二」と、「上昇」超幅が拡大する見通しとなっている。
 産業別にみると、製造業では十二年一〜三月期「一」、四〜六月期「七」、七〜九月期「十三」となり、非製造業では十二年一〜三月期「マイナス七」、四〜六月期「マイナス一」、七〜九月期「十」となっている。

二 需要・価格関連見通し(季節調整値)

(一) 内外需要(製造業)(第3表参照

 企業経営者による国内需要に関する判断指標(BSI:「強くなる」―「弱くなる」)をみると、平成十一年十〜十二月期「六」の後、十二年一〜三月期には「二」と、「強くなる」超幅が縮小した。
 来期及び再来期については、十二年四〜六月期は「九」と増加に転じ、七〜九月期も「二十」と改善が進む見通しとなっている。
 また、海外需要に関する判断指標(BSI:「強くなる」―「弱くなる」)をみると、十一年十〜十二月期「七」の後、十二年一〜三月期には「十」と、「強くなる」超幅が拡大した。
 来期及び再来期については、十二年四〜六月期「九」、七〜九月期「十」と、おおむね横ばいで推移する見通しとなっている。

(二) 在庫水準(製造業)(第4表参照

 自己企業の原材料在庫水準に関する判断指標(BSI:「過大」―「不足」)をみると、平成十一年十二月末「十六」の後、十二年三月末の「十一」と、「過大」超幅が縮小した。
 その後も、六月末「八」、九月末「四」と、引き続き過大感が改善する見通しとなっている。
 また、完成品在庫水準に関する判断指標をみると、十一年十二月末「二十二」の後、十二年三月末「十八」と、「過大」超幅が縮小した。その後も、六月末「十二」、九月末「八」と、過大感は改善する見通しとなっている。

(三) 価 格(製造業、農林漁業、鉱業)(第5表参照

 自己企業の原材料価格に関する判断指標(BSI:「上昇」―「下降」)をみると、平成十一年十〜十二月期「六」の後、十二年一〜三月期は「マイナス十三」と、「下降」超に転じた。
 来期及び再来期については、四〜六月期「マイナス十三」、七〜九月期「マイナス九」と、やや弱含みで推移する見通しとなっている。
 また、製品価格に関する判断指標(BSI:「上昇」―「下降」)をみると、十一年十〜十二月期の「マイナス十一」の後、十二年一〜三月期には「九」と、「上昇」超に転じた。
 来期及び再来期については、四〜六月期「八」、七〜九月期「四」となり、「上昇」超幅は縮小する見通しとなっている。

三 経営見通し(季節調整値)

(一) 売上高(全産業:金融・保険業、不動産業を 除く)(第6表参照

 自己企業の売上高に関する判断指標(BSI:「増加」―「減少」)をみると、平成十一年十〜十二月期の「マイナス一」の後、十二年一〜三月期には「一」と、「増加」超に転じた。
 来期及び再来期については、四〜六月期「七」、七〜九月期「七」と、引き続き改善する見通しとなっている。
 産業別にみると、製造業は十二年一〜三月期「五」、四〜六月期「十一」、七〜九月期「十」となり、非製造業では十二年一〜三月期「マイナス二」、四〜六月期「四」、七〜九月期「六」となっている。

(二) 経常利益(全産業:金融・保険業、不動産業 を除く)(第7表参照

 経常利益に関する判断指標(BSI:「増加」―「減少」)をみると、平成十一年十〜十二月期の「マイナス二」の後、十二年一〜三月期には「マイナス一」と、「減少」超幅が若干縮小した。
 来期及び再来期については、四〜六月期には「四」と「増加」超に転じ、七〜九月期「七」と改善が進む見通しとなっている。
 産業別にみると、製造業では十二年一〜三月期「三」、四〜六月期「八」、七〜九月期「十一」となり、非製造業では十二年一〜三月期「マイナス三」、四〜六月期「一」、七〜九月期「三」となっている。

四 生産設備見通し(製造業:季節調整値)(第8表参照

 自己企業の生産設備に関する判断指標(BSI:「過大」―「不足」)をみると、平成十一年十〜十二月期「三十」の後、十二年一〜三月期には「二十六」と、「過大」超幅を縮小した。
 来期及び再来期については、四〜六月期「二十二」、七〜九月期「二十一」と、「過大」超幅は更に縮小する見通しとなっているものの、依然として比較的高い水準にある。

五 設備投資の動向(全産業:原数値)

(一) 半期別動向第9表参照

 設備投資の動向を半期別に前年同月比でみると、平成十一年度四〜九月期(実績)五・九%減、十一年度十〜三月期(実績見込み)四・三%減の後、十二年度四〜九月期(計画)六・一%増、十〜三月期(計画)一五・〇%減の見通しとなっている。
 産業別にみると、製造業は十一年度四〜九月期九・三%減、十〜三月期九・四%減の後、十二年度四〜九月期一二・三%増、十〜三月期六・九%減の見通しとなっている。一方、非製造業では十一年度四〜九月期四・〇%減、十〜三月期一・五%減の後、十二年度四〜九月期二・九%増、十〜三月期一九・〇%減の見通しとなっている。

(二) 資本金規模別動向第10表参照

 資本金規模別に前年同期比でみると、資本金十億円以上の大企業では、平成十一年度四〜九月期三・八%減、十〜三月期四・一%減の後、十二年度四〜九月期八・七%増、十〜三月期は九・四%減の見通しとなっている。
 一方、資本金一〜十億円の中堅企業では、十一年度四〜九月期一〇・四%減、十〜三月期四・七%減の後、十二年度四〜九月期〇・一%減、十〜三月期二七・六%減の見通しとなっている。

(三) 年度の動向第11表参照

 平成十二年度の全産業の設備投資計画(当初計画)は、約三十八兆六千億円となり、十一年度(実績見込み)に比べ四・七%の減少が見込まれている。
 産業別にみると、製造業では、約十三兆九千億円と、前年度に比べ二・六%の増加が見込まれている。一方、非製造業では、約二十四兆八千億円と、前年度に比べ八・三%の減少が見込まれている。
 また、資本金規模別にみると、資本金十億円以上の大企業では、前年度に比べ〇・五%の減少が見込まれている。このうち製造業では三・三%の増加、非製造業では二・三%の減少が見込まれている。一方、資本金一〜十億円の中堅企業では、一四・三%の減少が見込まれている。このうち製造業では一・二%の増加、非製造業では二二・四%の減少が見込まれている。

(四) 四半期別動向(原数値)

 四半期別の動向を前年同期比でみると、平成十一年十〜十二月期(実績)の二・〇%減の後、十二年一〜三月期(実績見込み)は六・四%の減少となっている。
 産業別にみると、製造業では十一年十〜十二月期が九・三%減、十二年一〜三月期は九・五%の減少となっている。一方、非製造業では十一年十〜十二月期が一・八%増、十二年一〜三月期は四・七%の減少となっている。




 歳時記


 夜店

 売られゆく うさぎ匂(にお)へる 夜店かな
                   五所平之助
 夜店は夏の季語です。神社などの縁日に露天商が店を出す夜店。夏の夕涼みがてら楽しむことが多いので、夏の季語になっているのでしょう。
 夜店は江戸時代から引き続いて明治・大正期には盛んに行われるようになり、現在に至っています。また、縁日以外にも夏の盛り場などに、露天商が夜店を出している地区もあります。最近は見かける機会が少なくなってしまいましたが、昔は夜店の演(だ)し物として、大道芸人が鮮やかな手付きでこまを回したり、ガマの油売りを演じてみせたりというようなことを見るのは、珍しくありませんでした。
 食べ物は、綿飴(あめ)、飴細工、ソースせんべいなどを売っていますが、タコ焼き、焼きそば、お好み焼きなどは、いつでも人気があるようです。
 遊ぶものとしては、金魚すくいや射的、輪投げなどが定番ですが、最近ではテレビゲームをはじめ、ハイテクを駆使した機器なども登場しています。夜店を見て歩くには、面倒でなければ、やはり浴衣で。浴衣姿は、夜店に風情を添えるようです。
 夜店は夏の風物詩ですが、夏は清らかな水の流れに親しむシーズンでもあります。七月は「河川愛護月間」(北海道は八月)です。河川は地域の産業経済、文化などの発展になくてはならないものです。水質汚濁、景観悪化から美しい河川を守ることに関心をもっていきたいものです。
(『広報通信』平成十二年七月号)

 言葉の履歴書


 消費者教育支援センター

 消費者教育支援センターは、学習指導要領に消費者教育が盛り込まれた一九九〇(平成二)年に、消費者教育の定着・充実を支援する観点から設立されました。
 悪質商法は、相変わらず後をたたず、若年層に対する被害も広がっている傾向がみられるようです。消費者教育支援センターでは、学校に出かけていって、大勢の生徒や教師を対象に、悪質商法のトラブルに陥らないための講座を開催することをはじめ、生活に密着した問題から、消費者教育の手法を使った体験学習の実践など、賢い消費者のみならず、自立する消費者への道を探ります。
 また、毎年八月の一週間を「消費者教育WEEK」として、著名な大学教授などを招いたシンポジウムと消費者教育セミナーを、東京で開催しています。そのほか、地方公共団体で実施されている「消費者教育講師養成講座」への専門家派遣なども行っています。お問い合わせは、(財)消費者教育支援センター
рO3―5454―3091まで。
(『広報通信』平成十二年六月号) 



    <8月9日の主な予定>

 ▽観光白書のあらまし……………………総 理 府 

 ▽平成十一年度平均家計収支……………総 務 庁 

 ▽消費者物価指数の動向(五月)………総 務 庁 

 ▽労働力調査(四月)……………………総 務 庁 




目次へ戻る