官報資料版 平成15年6月11日




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平成15年版


外交青書のあらまし


外 務 省


第一章 概観:二〇〇二年の国際情勢と日本外交

二〇〇二年の国際情勢

 日本をはじめとする国際社会にとって、二〇〇二年は、様々な課題について大きな挑戦に直面し、その挑戦に適切に対処するために、国際社会の連携の強化に努めた一年であった。

【テロとの闘いと大量破壊兵器等の拡散防止に向けた取組等】
 二〇〇一年九月十一日に発生し、国際社会に大きな衝撃を与えた米国同時多発テロは、テロが国際社会全体の平和と安定に対する深刻な脅威であることを改めて強く認識させた。それ以降、国際テロ対策は、国際社会が最優先で取り組まなければならない課題となった。二〇〇二年を通じて、国際社会は、テロとの闘いに対処するため、アフガニスタン内外での米軍等によるテロリスト掃討作戦、テロ防止関連条約の締結をはじめとする国際的な法的枠組みの強化、テロ資金対策や出入国管理の強化、開発途上国のテロ対処能力向上(キャパシティ・ビルディング)のための支援等、幅広い分野において国際協調を進め、着実にテロ対策網を構築してきた。しかしながら、二〇〇二年後半には、インドネシア・バリ島、フィリピン・ミンダナオ島での爆弾テロ事件、モスクワでの劇場占拠事件、ケニアでの爆弾テロ事件等が相次いで発生するなど、テロの脅威は依然として深刻である。テロの脅威を完全に除去し、国際社会の人々が安心して暮らせるような環境を実現するため、今後とも息の長い取組を継続していくことが必要となっている。
 また、大量破壊兵器等の拡散問題は、従来国際社会が一致団結して取り組んできた課題の一つであったが、米国同時多発テロ以降、特に、テロ組織等による大量破壊兵器等の取得・使用への懸念が強まっている。テロ組織には抑止という概念が働かないと考えられるためである。テロ対策という観点も含め、大量破壊兵器等の拡散防止に向け、国際社会が早急に取組を強化する必要があるとの問題意識から、二〇〇二年六月のG8カナナスキス・サミットでは、まずロシアを対象として大量破壊兵器の流出を防止するためのプロジェクトを実施すべく、今後十年間にわたって、G8諸国が二百億米ドルを上限に資金を調達することを目標としたG8グローバル・パートナーシップが合意された。現在、その具体的な実施に向けて様々な調整が進められている。また、二〇〇二年十一月には、「弾道ミサイルの拡散に立ち向かうための国際行動規範(ICOC)」が立ち上げられた。
 さらに、国際社会における不安定要因である中東地域においては、中東和平をめぐる情勢が更に悪化し、イラクの大量破壊兵器等の開発・保有問題でも緊張が高まった。
 中東和平をめぐる情勢では、二〇〇〇年九月の衝突発生以降、イスラエルのパレスチナ自治区への軍事侵攻と、パレスチナ過激派によるテロという暴力の悪循環が継続してきた。イスラエル、パレスチナ双方合わせて二千三百人を超える死者が発生しており、双方の経済や生活にも深刻な影響を与えている。国際社会においては、サウジアラビアのアブドラ皇太子の主導によるアラブ和平提案の採択、パウエル米国務長官による現地での調停活動、ブッシュ米大統領による新たな中東和平方針に関する演説等、様々な取組がなされたが停戦の実現には至らなかった。
 イラクによる大量破壊兵器等の開発・保有問題については、同国が、関連する国連安全保障理事会(安保理)決議を遵守していない状況が継続している。一九九八年十二月に国連イラク特別委員会(UNSCOM)及び国際原子力機関(IAEA)の査察官がイラクを出国して以降、現地の状況が把握できない状態が続いていた。米国同時多発テロの発生以降、特に、テロ組織や、大量破壊兵器等の拡散にかかわっているとされる、いわゆる懸念国による大量破壊兵器等の保有・使用の脅威が改めて強く認識されるようになったことを背景に、二〇〇二年一月、ブッシュ米大統領は、イラクを北朝鮮、イランと共に「悪の枢軸」として名指しした上で、フセイン政権による大量破壊兵器等の使用の危険性について言及し、イラクをめぐる情勢は再び緊迫するようになった。その後、国際社会が、即時・無条件・無制限の査察に全面的に協力し、大量破壊兵器等の廃棄をはじめとするすべての関連安保理決議を履行するようイラクに対して強く働きかけた結果、九月、イラクは国連による査察の受け入れを表明した。十一月八日の安保理決議一四四一の採択を受け、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)及びIAEAの先遣隊がバグダッドに入り、十一月二十七日、約四年ぶりの査察が再開された。しかしながら、イラクの協力が不十分なことから、米国、英国及びスペインは、二〇〇三年二月二十四日に新たな安保理決議案を提示し、三月七日には同決議案の修正案を提出した。安保理では、同修正決議案をめぐり議論が行われてきたが、十六日の米国、英国、スペイン、ポルトガルによる首脳会談を経て、十七日には、パウエル米国務長官は、同修正決議案について安保理での投票を求めないことを決めたと述べた。また、同日、ブッシュ米大統領は演説を行い、フセイン・イラク大統領は四十八時間以内に同国を立ち去るよう、さもなければ武力紛争の結果を招く旨述べた(三月十八日時点)。

【国際的な戦略環境の主な変化】
 二〇〇二年には、主要国間関係にも大きな変化がみられ、特に、米国同時多発テロ以降は、イスラム過激派等によるテロの脅威への対処を契機に、国際社会の連携が緊密になってきた。なかでも、ロシアと米国、欧州諸国との協力関係は一層緊密化しており、二〇〇一年十二月の米国による対弾道ミサイル・システム制限(ABM)条約からの脱退の決定に対してロシアが冷静な反応を示したこと、二〇〇二年五月のブッシュ米大統領のロシア訪問の際に、米露両国が、戦略核兵器削減に関する条約(モスクワ条約)に署名し、「新たな戦略関係に関する共同宣言」を発表したこと、また同月、NATO・ロシア理事会(NRC)が設立されたことなどは、ロシアと欧米諸国との関係の緊密化を端的に示すものである。また、米中関係も、米国同時多発テロ以降、関係改善が進んだ。さらに、アフガニスタンでの軍事作戦の遂行に重要な役割を果たした南アジアや中央アジア諸国と米国との関係も緊密になっている。ただし、二〇〇三年に入り、イラク問題への対応をめぐり、主要国間で立場の違いが顕在化する場面もみられている。
 欧州においては、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の拡大が決定され、欧州の統合に大きな進展がみられた。EUについては、二〇〇二年初から単一通貨であるユーロが実際に流通を開始し、十二月のコペンハーゲン欧州理事会では、中東欧諸国を中心とする十か国が二〇〇四年にEUに加盟するとの方針が正式に決定された。NATOについては、五月のNRC設立に続き、十一月には中東欧七か国の加盟招請が決定されるなど、国際情勢の変化に適切に対応するため、NATO自身が進化しつつある。

【世界経済の動向と持続可能な開発に向けた取組】
 世界経済については、二〇〇二年には持続的な成長の実現に向けた挑戦が続けられた。米国同時多発テロの影響を受けていた米国経済が、二〇〇一年末には回復傾向を示したことを受け、世界経済全体も二〇〇二年初は景気回復の兆しを見せていた。しかし、その後、米国経済の回復の勢いに翳(かげ)りがみられたこともあり、二〇〇二年を通じて世界経済の回復は緩やかなものとなった。一方で、国際社会は、二〇〇一年十一月のカタールにおける第四回世界貿易機関(WTO)閣僚会議での合意を経て、二〇〇二年一月に立ち上げられたWTOの新ラウンドにおいて、二〇〇五年一月一日までの交渉妥結を目指し、一層の貿易自由化、貿易ルールの改善・策定を通じ、世界貿易を拡大していくための交渉を行うなど、将来における世界経済の持続的な成長の実現に向けた取組を着実に行ってきた。また、近年、WTOを中心とする多角的自由貿易体制を補完・強化するため、自由貿易協定(FTA)の締結に向けた動きが、欧州や北米、中南米等を中心に活発になっている。
 また、グローバル化は、経済活動の一層の効率化等を通じ、本質的にはすべての国や人々に利益をもたらすものであるが、貧富の差の拡大等、負の側面も有している。テロの温床をつくらないという観点からも、グローバル化の恩恵を開発途上国を含む国際社会全体が適切な形で享受し、持続可能な開発を実現していくことができるよう、国際社会において積極的な取組が行われてきた。
 開発問題については、国際社会は、二〇〇〇年に国連が定めた「ミレニアム開発目標」の達成を目標として取り組んでおり、二〇〇二年には、三月のメキシコ・モンテレーでの開発資金国際会議、六月のカナダ・カナナスキスでのG8サミット、八月末から九月初頭の南アフリカ・ヨハネスブルグでの持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)といった一連の国際会議が開催された。ヨハネスブルグ・サミットでは、今後、持続可能な開発を進めるための包括的な指針となる「実施計画」と首脳の政治的意思を示す「持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言」の二つの文書が採択され、持続可能な開発の実現に向けた今後の方向性が示された。

【アジア情勢】
 前述してきた国際社会が直面している様々な課題は、日本が位置するアジア地域においても例外ではない。アジア地域においては、冷戦終了後も依然として厳しい軍事的対立の状態にある朝鮮半島情勢や、貿易・投資など経済面での進展はあるものの、いまだ対話が再開されていない中国と台湾との関係、さらには、二〇〇一年末のインド国会襲撃事件以降、緊張が高まったインド・パキスタン情勢等の不安定要因が引き続き存在している。また、米国同時多発テロ以降、特にパキスタン、東南アジア諸国を中心に、イスラム過激派の活動の活発化が懸念されるようになった。特に、十月にはインドネシア・バリ島での爆弾テロ事件を契機に、東南アジア地域における国際テロ対策の強化の必要性も、以前にも増して強く認識されるようになった。また、大量破壊兵器等の拡散防止との関連でも、経済発展に伴い、貿易中継地のみならず汎用品の生産能力を備えた供給国にもなりつつあるアジア諸国において、拡散防止のための枠組みの強化が重要な課題となっている。
 北朝鮮をめぐっては、二〇〇〇年の歴史的な南北首脳会談の後、二〇〇一年以降、日朝、米朝、南北のいずれについても大きな進展はなかったが、二〇〇二年には、九月に小泉総理大臣が訪朝し、史上初の日朝首脳会談が開催され、日朝平壌(ピヨンヤン)宣言が署名されるなど、日朝間で関係改善へ向けた大きな動きがみられた。しかし、日本人拉致被害者の多くが死亡していると伝えられたことなどに対する日本国内の世論の反発は大きく、また十月にケリー米国務次官補が訪朝した際に、北朝鮮が核兵器用のウラン濃縮計画の存在を認めたことが判明し、さらに年末には北朝鮮が核関連施設の凍結を解除し、IAEAの査察官を追放するに至り、二〇〇三年一月には北朝鮮が核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を表明するなど、北朝鮮と国際社会との緊張が高まる事態となった。北朝鮮については、生物・化学兵器等、核兵器以外の大量破壊兵器の開発や、弾道ミサイルの開発、実験、輸出、配備を含む活動も重大な安全保障上の懸念となっている。
 また、日本経済が長期にわたって低迷を続けている一方で、東アジア経済は、一九九七年のアジア通貨・金融危機により深刻な打撃を受けた後、一九九九年以降、急速な回復を遂げるようになった。その後、米国経済の減速や米国同時多発テロの影響を受け、アジア経済も減速傾向にあったが、二〇〇二年には、東南アジア諸国で景気回復がみられるようになった。二〇〇一年十二月にWTOに加盟した中国は、積極的な財政政策や好調な貿易及び外資の参入等に支えられ、近年、高い経済成長を続けている。また、アジア地域では、これまでFTA締結の動きはあまり活発ではなかったが、東アジア経済の再活性化に向け、一月に日本がシンガポールとの新時代経済連携協定に署名したほか、十一月には中国が東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との間で「包括的経済協力のための中国・ASEAN枠組み協定」に署名するなど、日本、米国、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランド等によるASEAN諸国とのFTA締結に向けた動きが進展している。

二〇〇二年の日本外交の展開

 前述のような国際情勢の下で、二〇〇二年、日本は、国益、すなわち、何よりも日本及び日本国民の安全と繁栄を確保することを目的として、積極的な外交に取り組んできた。まず、日本及び日本国民の安全に直接かかわる北朝鮮をめぐる諸問題については、最重要の外交課題として政府を挙げて取り組んできている。また、日本の国益を確保するために不可欠である国際社会全体の平和・安定と繁栄を実現するため、日本は、米国をはじめとする国際社会と協調しつつ、国際テロ対策や大量破壊兵器等の拡散問題、持続可能な開発をはじめとする諸課題の解決に向け、積極的な役割を果たしてきた。日本外交の基軸である米国との関係では、二〇〇二年二月のブッシュ大統領の訪日や九月の小泉総理大臣の訪米の機会を含め、首脳・外相間等で頻繁に意見交換を行い、強固な信頼関係を構築し、イラクや北朝鮮情勢を含む国際社会の様々な課題の解決に向けて緊密に連携してきた。また、韓国、中国、ロシア等の近隣諸国との関係の強化に取り組むとともに、ASEANとの間では、「共に歩み共に進む」との基本理念の下、日・ASEAN間の未来のための協力に関する「五つの構想」の具体化に向け、積極的に取り組んできた。さらに、統合の深化と拡大を進めている欧州との間でも、七月に東京で日・EU定期首脳協議を開催し、日・EU行動計画に基づく協力関係を前進させてきた。また、日本のエネルギーの長期安定的な供給の確保にとって死活的に重要な地域である中東地域の平和と安定は、国際社会全体の平和と安定の確保にとっても極めて重要であり、日本は中東和平の実現に向けて、イスラエル、パレスチナ両当事者への働きかけなどを通じ、積極的な役割を果たしてきた。

【北朝鮮をめぐる情勢への対応】
 日朝関係は、二〇〇〇年十月の日朝国交正常化交渉を最後に、特段目立った進展はなかったが、二〇〇二年九月十七日、歴代総理大臣として初めて訪朝した小泉総理大臣は、金正日(キムジヨンイル)国防委員長と首脳会談を行い、会談後、両首脳は日朝平壌宣言に署名した。拉致問題については、首脳会談において、金正日国防委員長は十三名の拉致を認めるとともに、過去の北朝鮮関係者の関与に対するおわびを述べた。その後、拉致問題に関する事実調査チームの北朝鮮派遣を経て、十月十五日には、北朝鮮が生存を確認した拉致被害者五名の日本への帰国が実現した。安全保障問題については、十月三日から五日にかけて、米大統領特使であるケリー国務次官補が訪朝した際に、北朝鮮はウラン濃縮計画を有していることを認めたとされ、その後、北朝鮮による核兵器開発計画は、国際社会が緊急に対応しなければならない課題となった。
 こうした状況の下、十月二十九日及び三十日、約二年ぶりとなる日朝国交正常化交渉がマレーシアのクアラルンプールで再開された。日本は、拉致問題及び核問題、ミサイル問題をはじめとする安全保障問題を最優先課題として臨み、これらの問題に時間をかけて協議を行ったが、拉致被害者の家族の具体的な帰国日程の確定には至らず、安全保障問題についても、北朝鮮は日朝平壌宣言を遵守しているとの説明に終始した。その後、北朝鮮との間で、安全保障協議、次回国交正常化交渉の日程は確定できていない。拉致問題に関しては、北朝鮮に残っている拉致被害者五名の家族の帰国問題や、今回帰国が実現した五名以外の被害者に関する更なる情報提供等、いまだ山積している大きな問題の解決に向け、今後とも引き続き北朝鮮に対して粘り強く働きかけを行い、北朝鮮の前向きな対応を求めていく必要がある。
 また、北朝鮮がウラン濃縮計画を有していることが発覚した事態を受け、十一月、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)理事会は、北朝鮮に対する十二月以降の重油の供給を停止することを決定した。この決定に対して、北朝鮮は、米朝間の「合意された枠組み」に従って行われていた核関連施設の凍結を解除(黒鉛実験炉や使用済核燃料貯蔵施設における封印撤去等)し、IAEAの査察官の退去等の措置をとり、反発を強めた。二〇〇三年に入り、北朝鮮は、NPT脱退を宣言するなど、国際社会に対する揺さぶりを更に強めている。二月には、IAEA理事会が北朝鮮の核兵器開発問題を安保理に報告すると決定し、安保理は非公式協議において、本件を取り上げた。日本は、米国及び韓国と緊密に連携をとりつつ、また、中国やロシア等の関係国やIAEA、安保理とも協調し、北朝鮮に対して、NPTの遵守、核関連施設の再凍結、核兵器開発計画の即時撤廃等、具体的な行動をとるよう働きかけを行っている。

【テロとの闘いと大量破壊兵器等の拡散防止に向けた日本の取組】
 二〇〇一年の米国同時多発テロ以降、テロの脅威が改めて強く認識されているが、日本は、テロを自らの安全保障に対する脅威ととらえ、二〇〇二年を通じてテロの防止・根絶を目指し積極的に取り組んできた。まず、二〇〇一年十一月に施行されたテロ対策特別措置法に基づき、米英軍に対する艦船用燃料の補給等を引き続き行ってきたほか、同法に基づく自衛隊の派遣期間を二〇〇三年五月十九日まで延長するなどの措置をとった。また、国際的な法的枠組みの強化という観点から、日本は、二〇〇二年六月、テロ資金供与防止条約を締結し、十二本すべてのテロ防止関連条約の締結を完了するとともに、国際社会に対しあらゆる機会をとらえて、すべてのテロ防止関連条約の締結を強く働きかけている。また、テロリストに安住の地を与えないためにも、日本は、特に、アジア地域を中心とした開発途上国のテロ対処能力向上(キャパシティ・ビルディング)のための支援を積極的に行っている。
 アフガニスタンの和平・復興は、アフガニスタンを再びテロの温床としないためにも極めて重要であり、日本は、二〇〇二年一月に東京で、米国、EU、サウジアラビアと共に、アフガニスタン復興支援国際会議を共催し、向こう二年六か月の間に最大五億米ドルまでの支援を行うことを表明した。その後、二〇〇三年二月までに三億五千八百万米ドルの復旧・復興支援を実施・決定するなど、アフガニスタンの和平の実現と復興の促進に向けて、積極的な役割を果たしてきた。
 イラクの大量破壊兵器等の保有・開発疑惑については、日本は、イラクが即時・無条件・無制限の査察を受け入れ、大量破壊兵器等の廃棄をはじめとした関連安保理決議上の義務を履行するよう、国際社会全体が一致団結して外交努力を行っていくことが極めて重要であると考えており、米国をはじめとする国際社会と緊密に連携をとってきた。そのような外交努力の一環として、日本は、二〇〇二年九月の国連総会の機会に、湾岸危機以来初の閣僚級の接触として川口外務大臣がサブリ・イラク外相との会談を行ったほか、二〇〇三年三月には茂木外務副大臣を総理大臣特使としてイラクに派遣し、直接働きかけを行った。また、日本は、イラクの周辺諸国に対しても、十一月下旬から十二月にかけて、さらには二〇〇三年三月にも総理大臣特使を派遣し、日本の考え方を伝え、中東地域の平和と安定に向けた取組につき意見交換を行うなど、問題の解決に向けて積極的に取り組んでいる。
 大量破壊兵器等の拡散問題については、日本は、二〇〇二年六月のG8カナナスキス・サミットにおいて、G8グローバル・パートナーシップに関する合意を受けて、当面二億米ドル余りの財政的貢献を行う用意があることを表明した。また、日本は、従来、NPT体制の強化に向けて様々な取組を行っているほか、二〇〇二年には、包括的核実験実施条約(CTBT)の早期批准、生物兵器禁止条約(BWC)の強化等につき、関係諸国に対して、働きかけや調整を積極的に行った。さらに、二〇〇二年十一月に立ち上げられたICOCに関し、日本は同行動規範の起草の段階から貢献するとともに、多くの国の参加を得て普遍的な規範となるよう、関係国・機関に対する積極的な働きかけを行った。

【アジアにおける安定的な秩序の構築に向けた取組】
 韓国との関係では、二〇〇一年には、歴史教科書問題や小泉総理大臣の靖国神社参拝問題等が懸案となり、両国関係はぎくしゃくした状態に陥ったが、その後、十月の二度の首脳会談を経て両国関係は改善の方向へ向かった。二〇〇二年三月には、小泉総理大臣が韓国を訪問し、両首脳は、二〇〇二年を両国にとって真に歴史的なものとすることを表明した。両首脳の言葉どおり、二〇〇二年には、ワールドカップ・サッカー大会の日韓共催及び日韓国民交流年の成功により、草の根レベルを含めた交流が飛躍的に進展した。ワールドカップ・サッカー大会閉幕の翌日には、「日韓首脳の未来に向けた共同メッセージ」が発出され、相互の信頼と尊重を基調とする日韓の協力関係をより高い次元に発展させていく決意が表明された。十二月には大統領選挙が行われ、盧武鉉(ノムヒヨン)氏が当選し、二〇〇三年二月二十五日に同氏は第十六代韓国大統領に就任したが、盧武鉉新大統領率いる新政権との間でも、特に若い世代を中心とした交流、相互理解の更なる進展を通じ、地域の安定と繁栄のためにも、未来志向の友好・協力関係を更に発展させていくことが重要である。
 中国との関係では、二〇〇二年は日中国交正常化三十周年にあたり、日中両国において「日本年」「中国年」を記念する一連の行事や交流活動が開催されたことなどにより、両国国民間の相互理解と相互信頼は大きく深まった。また、日中間の経済関係は、二〇〇一年末の中国のWTO加盟を経て拡大と深化を続け、二〇〇二年の貿易総額は一千億米ドルの大台を突破し、史上最高額を更新した。一方、両国間では、二〇〇一年十二月以降、懸案となった北朝鮮工作船の引揚げ問題や、五月に発生した北朝鮮人五名による在瀋陽日本総領事館への駆け込み事件のほか、日中間の貿易・投資の増加に伴い、個別の分野においていくつかの通商問題が発生した。これら諸懸案の解決に向けて、首脳・外相をはじめ様々なレベルで積極的な意見交換が行われた。中国では、二〇〇二年十一月に中国共産党第十六回全国代表大会(党大会)が開かれ、それに続く第十六期中央委員会第一回全体会議(一中全会)において、胡錦濤(こきんとう)氏が江沢民(こうたくみん)氏に替わり共産党の総書記に選出された。二〇〇三年三月の第十期全国人民代表大会第一回会議では、胡錦濤総書記が国家主席に就任し、新体制が始動することになった。今後とも、中国との二国間関係の増進に加え、地域情勢や地球規模の諸課題の解決に向け、引き続き中国と協力していくことが必要である。
 ロシアとの関係では、二〇〇二年も首脳や外相等ハイレベルでの政治対話が頻繁に行われ、二国間関係のみならず、北朝鮮をめぐる問題や国際テロ対策等の両国共通の課題について緊密な意見交換が行われた。二〇〇二年六月のG8カナナスキス・サミットの際に行われた日露首脳会談において、二〇〇二年十二月又は二〇〇三年一月に小泉総理大臣がロシアを公式訪問し、日露行動計画を発表することで一致した。その後、十月の川口外務大臣の訪露、十二月のイワノフ外相の訪日等での準備を経て、二〇〇三年一月に小泉総理大臣がロシアを公式訪問し、これまでの両国間の協力の成果と今後の方向性を示す日露行動計画を発表した。今後は、同計画の内容を着実に実施し、具体的な成果へつなげていくことが重要であり、日露間の協力を幅広い分野で進めていく中で、平和条約締結問題についても、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を可能な限り早期に締結するため、粘り強く交渉に取り組んでいく必要がある。
 日本は、また、紛争の恒久的な解決を目指し、「平和の定着」という考え方を提唱し、紛争後の和平プロセスの促進、国内の安定・治安の確保、人道・復旧支援を迅速かつ切れ目のない形で進めていくことを通じて、紛争地域における「平和の定着」を実現するために積極的な貢献を行ってきた。二〇〇二年一月に、米国、EU及びサウジアラビアと共にアフガニスタン復興支援国際会議を開催したことに続き、五月、川口外務大臣は、アフガニスタン訪問に際し、「平和の定着」を具体化するための「平和のための登録(Register for Peace)」プログラムを打ち出した。また、日本は、インドネシアのアチェにおける紛争について、十二月に東京で「アチェにおける和平・復興に関する準備会合」を開催し、また、フィリピンのミンダナオにおける紛争については、同じく十二月に「平和と安定のためのミンダナオ支援パッケージ」を発表した。また、和平プロセスが進展しているスリランカについては、十月に明石康元国連事務次長を日本政府代表に任命し、二〇〇三年一月には、川口外務大臣が現地を訪問し、日本がスリランカ和平に向けて積極的な役割を果たしていく意図を表明した。二〇〇三年三月には第六回和平交渉を箱根で、また六月には復興開発会議を東京で開催する予定である。また、東ティモールの安定を確保し、独立を支援するため、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)に対し、日本は、二〇〇二年二月より過去最大規模(六百九十名)の自衛隊施設部隊等を派遣し、同年五月の東ティモール独立後は、UNTAETを引き継いだ国連東ティモール支援団(UNMISET)に派遣を継続している。
 アジア地域におけるその他の不安定要因として、インド・パキスタン間の緊張が挙げられる。特に二〇〇二年五月のカシミールにおけるインド軍駐屯地に対するテロ攻撃以降六月にかけて、両国間の緊張が極度に高まり、軍事衝突にまで事態が悪化するかもしれないとの危険に国際社会の懸念が高まった。両国関係の緊迫化に対し、日本は、国際社会と協調しつつ、両国要人に対する電話会談等を通じて対話による問題解決の必要性を働きかけ、また、五月末のG8外相による緊急声明の発出にあたり積極的に貢献した。六月に入り、アーミテージ米国務副長官がパキスタンを訪問し、ムシャラフ大統領より管理ライン越えのテロリストの侵入活動を恒久的に停止するとの保証を得たことにより、事態は打開の方向へ向かった。その後、インド側カシミール地方議会選挙、パキスタンの総選挙といった両国にとって重要な政治日程が予定どおり終了した十月には、国境に配備されていた軍隊が撤退し、両国の軍事的な緊張は緩和しつつあるが、日本をはじめ国際社会は、両国間の更なる緊張の緩和と対話の早期再開に向け働きかけを継続する必要がある。
 アジア地域における安定的な環境を構築するにあたり、安定的な経済成長を実現することは重要な要素である。日本は、WTO新ラウンドを通じ多角的自由貿易体制の実現を図る一方、アジア地域に安定的で開放的な経済・貿易体制を構築するために、経済連携にも積極的に取り組んでいく考えである。二〇〇二年一月の小泉総理大臣の東南アジア諸国歴訪の際に、シンガポールとの間で新時代経済連携協定に署名し、同協定は十一月に発効した。また、日本は、将来における東アジア地域全体の経済連携の強化を目指し、韓国や、フィリピン、タイ等のASEAN諸国等との協議を積極的に進めてきており、今後ともこうした努力を継続していく考えである。

【持続可能な開発の実現に向けた取組】
 日本は、厳しい財政状況下にあることなどから政府開発援助(ODA)予算は削減傾向にあるが、その下で効果的な支援を行うため、平和の定着に加え、人間の安全保障、対アジア支援に重点を置いた支援を実施していく方針を打ち出し、持続可能な開発の実現に向けた取組を着実に実施している。また、二〇〇一年の日本のODA総額は十年ぶりに世界第二位となったものの、国際社会の主要な一員として、引き続き国際社会全体の持続可能な開発の実現に向けて大きな役割を果たしている。ヨハネスブルグ・サミットでは、小泉総理大臣が持続可能な開発における教育及び人づくりの重要性を強調する演説を行い、開発と環境分野の人材育成をはじめとする日本の具体的な貢献策である「小泉構想」を表明した。また、日本は、「実施計画」案の交渉において、議長国である南アフリカをはじめとする各国と緊密に協議を重ね、合意達成に積極的に貢献した。日本は、環境保全と経済成長を両立させ、持続可能な開発を実現していくため、今後とも、開発途上国自身の自助努力(オーナーシップ)と、国際社会による対等なパートナーとしての支援を重視し、非政府組織(NGO)等との連携を推進しながら、国際的なルール作りに一層積極的に関与していく考えである。
 さらに、日本は、一九九三年に第一回アフリカ開発会議(TICADT)を東京で開催して以来、「アフリカ問題の解決なくして、国際社会全体の安定と繁栄はない」との考えの下、紛争、難民、貧困、HIV/AIDS等の感染症といった国際社会が直面する課題が集中しているアフリカ問題の解決に積極的に貢献してきた。開発資金国際会議、G8カナナスキス・サミット、ヨハネスブルグ・サミットという一連の国際会議においてアフリカの開発問題が大きな焦点となった二〇〇二年においても、小泉総理大臣及び川口外務大臣がアフリカ諸国を訪問するなど、日本はこの問題に積極的に関与してきた。二〇〇三年九月末には、東京で第三回アフリカ開発会議(TICADV)を開催する予定であり、日本は、今後とも国際社会と協調しつつ、アフリカ問題に積極的に取り組んでいく考えである。
 また、日本は、人類にとって重大な脅威となっている気候変動の問題に積極的に取り組んでおり、同問題に対処する上で極めて重要な第一歩である京都議定書を二〇〇二年六月に締結した。

【外務省改革】
 二〇〇二年は、日本外交を担う外務省にとって、固い決意をもって再出発を期した年でもあった。二〇〇一年初頭に発覚した公金詐取事件以降、アフガニスタン復興支援国際会議へのNGOの参加をめぐる混乱、いわゆるプール金の問題、北方四島の住民支援に関する特定議員の関与をめぐる問題等、外務省をめぐる一連の不祥事や、日本外交への信頼を失わせるような事態が相次いで起こり、外務省に対する国民の信頼は著しく低下した。外務省は、国際社会が様々な挑戦に直面している中、失われた国民の信頼を一日も早く回復し、力強く日本外交を推進できるようにするため、二〇〇二年を通じて、省員が一丸となって外務省改革に積極的に取り組んできた。外部の有識者からなる「変える会」や、外務省内の有志による自発的な改革グループである「変えよう!変わろう!外務省」での有意義かつ活発な議論、さらには、自民党等の国会議員による様々な提言を踏まえ、二〇〇二年八月に外務省改革「行動計画」を、十二月には外務省の組織・機構改革に関する「中間報告」を発表した。今後は、国益を守り、国民の期待にこたえる外交を行っていく体制を早急に構築していくため、行動計画を引き続き着実に実施するとともに、中間報告に盛り込まれた内容につき鋭意検討を行い、二〇〇三年三月末に最終報告を発表する予定である。

第二章 地域別外交

第一節 アジア大洋州

 日本のアジア大洋州外交を考えるとき、次の四つの基礎的背景を念頭に置くことが重要である。
 第一に、アジア大洋州地域は、世界の人口の約五割強(約三十三億四千五百万人)を占め、域内の国内総生産(GDP)総額も世界の約三割弱を占める(八兆六千四百二十五億米ドル)など、経済力をはじめとする総合的な潜在力が一層高まる可能性を持っている一方で、金融危機や紛争等の不安定要因を抱えており、その政治・経済システムがいまだ脆弱(ぜいじやく)な面を有している。第二に、この地域において、中国の影響力が急速に伸長し、また、インドの存在感も徐々に高まっている。第三に、朝鮮半島、台湾海峡、インド・パキスタン関係等の国家・地域間の緊張及び東南アジアにおけるテロ事件の続発や海賊行為といったいわゆる「国境を越える問題」の深刻化など、地域の平和と安定を妨げる不安定要素が存在している。第四に、世界各地で地域協力の強化に向けた動きが高まっている中で、この地域においても東南アジア諸国連合(ASEAN)+3(日中韓)、日中韓協力や自由貿易協定・経済連携協定(FTA/EPA)の推進といった形で、幅広い分野における地域協力が実現してきている。
 このような現状の中で、アジア大洋州地域に民主的な統治制度や先進的な経済システムを徐々に根づかせていくため、地域の諸国を支援し、これら諸国と連携して地域の平和・安定と繁栄を実現していくことが、日本の安全と繁栄を確保するために不可欠であり、国際社会全体の平和・安定と繁栄の実現にも貢献していくものと考えている。
 このため、日本は以下の三つを基本方針として、アジア大洋州外交に取り組んでいる。第一に、この地域に安定した国際関係を構築するため、不安定化の動きに対する抑止力を引き続き確保しつつ、対話を中心に問題の解決を図っていくこと、第二に、域内の諸国との間で、経済分野をはじめとする様々な分野での地域協力を積極的に推進し、この地域全体の近代化を主導すること、第三に、こうした外交活動と並行して、必要に応じ、域外の主要国との間で対話・協力を継続し強化していくことである。
 このような基本方針に基づき、二〇〇二年、日本は、九月の日朝首脳会談や十一月のASEAN+3首脳会議をはじめとする各国・地域の首脳・閣僚との二国間会談、多国間会議を通じた対話を進めてきた。また、日・ASEAN包括的経済連携構想の実現に向けたタイ、フィリピンとの二国間の作業部会や日本とASEAN全体との委員会の設置に向けた検討を行っているほか、日中経済パートナーシップ協議、日韓FTA共同研究会、日中韓協力等の経済分野をはじめとする様々な分野での地域協力を積極的に推進してきた。さらには、アジア太平洋経済協力(APEC)、アジア欧州会合(ASEM)、ASEAN地域フォーラム(ARF)、東アジア・ラテンアメリカ協力フォーラム(FEALAC)等の多国間の枠組みをはじめ、域外の主要な諸国との首脳・閣僚会談を通じ、域外諸国との連携も強化してきた。

第二節 北米

 二〇〇一年九月十一日の同時多発テロ以降、テロとの闘いへの対応について強い支持を受けてきたブッシュ大統領は、米国民の間で広がっていた安全に対する不安感も背景に、二〇〇二年を通じて引き続き高い支持率を維持してきた。こうした高い支持率を背景に、十月にはイラクに対する武力行使を容認する決議が上下両院で可決され、十一月五日の中間選挙では、共和党は上下両院で多数を獲得するという歴史的な勝利を収めた。さらには、十一月二十五日、テロ対策をはじめ国土安全保障を一元的に担当する国土安全保障省の設置法が成立した。
 対外的にも、米国は、引き続き国際的なテロとの闘いを主導するとともに、大量破壊兵器等の拡散問題を安全保障上の重大な挑戦と位置づけて取り組んできた。二〇〇二年一月の一般教書演説においてブッシュ大統領は、北朝鮮、イラン、イラクを「悪の枢軸」と名指しした。九月に発表された米国国家安全保障戦略においては、米国の大義は自由な社会と平和の防衛であるとして、テロや大量破壊兵器等の拡散といった冷戦後の新たな脅威に対して断固たる姿勢で臨むとの考えを示した。
 こうした取組にあたって、ブッシュ政権は、日本をはじめとする同盟国との関係や国際協調を重視する姿勢を維持してきた。国家安全保障戦略においても、同盟諸国をはじめとする国際社会との協調を重視していく姿勢が強調されたほか、イラク問題への対応においても、ブッシュ大統領は九月の国連総会における演説において、安全保障理事会(安保理)を通じて取り組んでいく姿勢を表明し、パウエル国務長官が中心となり、同盟国や安保理理事国との協議を重ねた。その結果、イラクの大量破壊兵器等の廃棄を確保するため、イラクが現に関連安保理決議に対する「重大な違反」を行っていることを認定し、国連と国際原子力機関(IAEA)による強化された査察の受け入れを要求する安保理決議一四四一が全会一致で採択された。
 日本外交の基軸は対米外交であるが、それは日本及びアジア太平洋地域の平和・安定と繁栄の実現にとって、日米安全保障体制や日米経済関係の緊密化が不可欠であるのみならず、国際社会の諸課題に日米両国が協力してリーダーシップを発揮していくことが日本の国益にとって極めて重要であるとの認識に基づいている。二〇〇二年には、二月のブッシュ大統領の訪日や、九月の小泉総理大臣の訪米等を通じ、首脳間の個人的な信頼関係が一層強化された。
 テロとの闘い及び大量破壊兵器等の拡散問題、特にイラク及び北朝鮮をめぐる問題は、二〇〇二年の日米協力の主要な焦点となり、首脳・外相レベルをはじめとして両国間で頻繁に協議が行われてきた。日本は、引き続きテロとの闘いにおける米国のリーダーシップに対して強い支持を表明し、テロ対策特別措置法の下での米軍等に対する協力支援活動を続けている(十一月十九日、自衛隊派遣期間の半年間延長等を決定)。また、アフガニスタンの復興支援においても、幹線道路の建設等の分野をはじめ、日米両国は「平和の定着」に向けた緊密な連携を継続している。
 二〇〇三年はペリー提督が浦賀に来航してから、二〇〇四年は日米和親条約の締結からそれぞれ百五十年目にあたる。百五十年の歴史を経て、日米両国は、アジア太平洋地域における最も強固な同盟関係を維持するに至っている。ブッシュ大統領が二〇〇二年二月の訪日の際に国会で行った演説で述べたとおり、今後、日米両国は「自由な太平洋国家の共同体」としてのアジア太平洋地域の将来像を共有し、その実現を図っていくため、同盟国として緊密に協力していかなくてはならない。また、日米関係の基盤の更なる強化を図っていくためにも、両国国民の間の相互理解と交流の一層の深化・拡大に努めていくことが求められている。
 カナダは、G8や国連等の多国間フォーラムを通じて、国際社会の平和と安定、民主主義及び人権の尊重等の価値観を具体的な政策課題として積極的に発信する努力を行っており、今後、日本が国際社会における新しい諸課題に取り組んでいくにあたって、カナダとの協力はますます重要になっていくと考えられる。

第三節 中南米

 中南米地域は、一九六〇年代から七〇年代にかけて、その豊富な天然資源を背景に目覚しい経済成長を遂げる一方、成長を支えた海外からの資金借入れの増大に起因する金融危機により、一九八〇年代は「失われた十年」と形容された。しかし一九九〇年代初頭以降、そのほぼ全域において、いまだに脆弱(ぜいじやく)ではあるものの民主化が定着し、その後の経済構造改革や地域経済統合への積極的な取組により、今日では改めて新興市場として注目を集めている。
 二〇〇二年、日本は、このような中南米地域において、日・メキシコ経済連携強化のための協定(EPA)の交渉を開始し、日本企業の北米市場への足がかりを確保するための法的枠組みの整備に取り組んできた。また、遠方に位置する中南米諸国との貿易・投資を促進するため、各種情報の提供(セミナーの開催等)を含むビジネス環境の整備を積極的に実施してきた。さらに、中南米諸国が引き続き民主体制を堅持しつつ、更なる経済発展を遂げることができるよう、経済協力を含む様々な支援を実施しているほか、テロ、環境等のグローバルな課題についても二国間・多国間での対話を積極的に推進してきた。

第四節 欧州

 二〇〇二年には、欧州では、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の拡大が決定されるなど、「一つの欧州」に向けて、歴史的にも大きな意義をもつ年となった。特に、EUは、年初の単一通貨ユーロ貨幣の流通開始に象徴される統合の深化を着実に進展させた。また、中・東欧諸国を中心とする加盟候補国との間で加盟交渉を推進し、十二月のコペンハーゲン欧州理事会(EU首脳会議)では、十か国との加盟交渉の完了を宣言し、二〇〇四年五月には二十五か国、人口四億六千万人、日本の約二倍のGDPを擁するEUが誕生する予定である。
 EUは、国際的なルール作りをはじめ、国際社会が直面するグローバルな諸課題への取組に対し大きな影響力を有している。今後、EUは統合の深化と拡大が進展し、ますます政治、経済両面において国際社会での重要性を増すものと考えられる。EUとの間で幅広い協力を推進し、戦略的なパートナーシップを構築していくことが、国際社会における日本の立場を強化し、外交の幅を広げる上で極めて重要である。
 また、このようなEUとの関係のみならず、国際社会で大きな役割を果たしている欧州主要国との関係を強化することも重要である。特に、国連安全保障理事会(安保理)常任理事国である英国やフランス、G8メンバーであるドイツやイタリアは、国際社会において主要な役割を果たしており、引き続きこれら各国との関係強化・拡充を図る必要がある。
 欧州との間では、このように、統合の深化と拡大を続けるEUとの関係強化及び欧州各国との二国間関係の拡充を、いわば車の両輪として進めていく必要がある。その際、日欧関係を真に強固なものとするためには、政治、経済両面での取組はもちろんのこと、幅広い人的・文化的交流を深めることが重要である。

第五節 ロシア及び旧ソ連新独立国家(NIS)諸国

 ロシアでは、プーチン大統領が、二〇〇二年も国民の強い支持(世論調査の示す支持率はおおむね七〇%強)と好調な経済を背景に安定的な政権運営を行ってきた。また、対外的には首脳外交を軸として積極的な外交を展開し、特に米国、NATOをはじめとする欧米諸国との協調路線を定着させた。
 日本は、二〇〇二年も引き続き、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、日露関係の完全な正常化を達成するために努力を継続してきた。同時に、ロシアの改革努力を支持しつつ、幅広い分野における関係の強化を図ることを対露外交の基本政策とし、ハイレベルでの頻繁な対話などを通じて日露関係の進展を図ってきた。その結果、政治、経済、安全保障、人的交流、国際問題に関する協力等の分野において、日露間の協力が着実に進展した。
 NIS諸国との関係では、NIS諸国の安定は、ユーラシア大陸周辺地域の安定に直接影響を及ぼし得るものであり、ひいては東アジアの安定にも影響を及ぼし得るとの観点も踏まえ、引き続き関係の強化に努めてきた。

第六節 中東

 中東地域は長い歴史を有し、異なる民族、宗教が共存している地域である。米国同時多発テロの発生以降、中東地域ではテロや大量破壊兵器等の拡散の脅威が改めて深刻な問題となっている一方で、民族や宗教の違いに根ざした紛争も継続しており、この地域自体の平和と安定の確保が、日本を含む国際社会全体の平和・安定と繁栄の実現にとって大きな課題となっている。加えて、中東地域は日本がエネルギー資源の八割以上を依存しており、日本のエネルギーの長期安定的な供給の確保にとって死活的に重要な地域である。こうした認識から、日本は、中東地域全体の平和と安定の確保に向けて積極的に関与しており、また、中東地域の国々との関係の強化に取り組んできた。
 中東和平をめぐる情勢の悪化は、イスラエルとアラブ・イスラム諸国との間の緊張や、中東諸国の体制の安定性への影響等、中東地域全体の安定を脅かし得る深刻な問題である。日本は、国際社会の責任ある一員として、また、宗教的、歴史的な束縛から自由であるという立場を活かし、中東和平への働きかけを積極的に行っている。
 また、中東地域では、特に、イラクによる大量破壊兵器等の保有・開発疑惑が、日本を含む国際社会全体に対する深刻な脅威として高い関心が持たれている。この問題の解決のためには、イラクが査察を完全に受け入れ、大量破壊兵器等の廃棄が実際に実現されることが重要である。日本は、総理大臣特使を派遣するなどして、イラクに対して直接国連安全保障理事会(安保理)決議の履行を働きかけるとともに、関係諸国に対してもイラクに対する働きかけを要請するなど積極的な外交を展開してきた。
 アフガニスタンの安定と繁栄の確保は、地域の平和・安定と繁栄の実現に不可欠であり、また、テロの根絶・防止、麻薬対策という観点からも極めて重要である。アフガニスタンにおける復興支援は、長年にわたる紛争が終了した国が再び紛争と国家破綻(はたん)の悪循環に陥らぬよう支援する「平和の定着」に向けた取組の一つの模範例となり得るものである。日本は、引き続き国際社会の責任ある一員として、アフガニスタンの復興に向けて積極的に貢献を行っていく考えである。

第七節 アフリカ

 アフリカは、豊富な天然資源や森林などの豊かな自然環境に恵まれ、発展への潜在力を有している。しかし、アフリカには紛争、難民、貧困、HIV/AIDS等の感染症といった現在の国際社会が直面する様々な問題の多くが集中しており、アフリカの開発と成長は思うように実現していない。日本は、アフリカ問題の解決なくして、国際社会全体の安定と繁栄はないと考えており、国際社会の平和・安定と繁栄の実現に向けて、アフリカの開発や紛争問題の解決に対して積極的な役割を果たしている。また、日本外交の重要な視点の一つである人間の安全保障の観点からも、様々な脅威に直面しているアフリカにおける取組を強化していくことは極めて重要である。
 日本は、アフリカ開発会議(TICAD)プロセスにおいて、アフリカ諸国自身の自助努力(オーナーシップ)とこれを支える国際社会のパートナーシップの重要性を提唱してきた。この日本の開発哲学は、アフリカ諸国を含む国際社会で理解され、着実に根づきつつある。アフリカ自身が策定した開発戦略である「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」やアフリカのより強固な結束を目指すアフリカ連合(AU)の創設にみられるように、近年、アフリカ諸国自身が自分の力で問題の解決に努めようとする動きがみられている。このようなアフリカの前向きな動きに対して、日本をはじめとする国際社会は支援に積極的に取り組んでいる。

第三章 分野別外交

第一節 国際社会の平和・安定の確保

 日本及び日本国民の安全と繁栄を確保することが何よりも日本の外交の目標であり、そのためには国際社会全体の平和・安定と繁栄の実現に取り組むことが不可欠である。日本が位置するアジア太平洋地域には、冷戦終了後も、依然として様々な不確実、不安定な要素が存在している。特に、二〇〇二年には、北朝鮮の核兵器開発問題をめぐる緊張や、テロ事件の頻発等もあり、日本自身の安全の確保、日本を取り巻く安定的な安全保障環境の確保に向け、いかに取り組むかが改めて大きな課題となった。
 このような安全保障環境の下、日本は、引き続き、@日米安全保障体制の堅持、A適切な防衛力の整備、B日本を取り巻く国際環境の安定を確保するための外交努力、の三つの柱からなる安全保障政策を推進していく考えである。
 日米安全保障体制については、日米安全保障条約を引き続き堅持することで、米軍の前方展開を確保し、その抑止力の下で日本の安全を確保することが必要であり、日本は、日米安全保障体制の信頼性の向上に一層努めていく考えである。
 防衛力整備については、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないという基本理念に従い、節度ある防衛力整備に努めている。この基本方針に従い、一九九五年十一月に決定された防衛大綱、及び、二〇〇〇年十二月に決定された中期防衛力整備計画(二〇〇一年度から二〇〇五年度)の下、継続的かつ計画的な防衛力整備が行われている。
 日本の安全と繁栄と不可分の関係にあるアジア太平洋地域、ひいては国際社会全体の平和・安定と繁栄を実現するため、様々なレベルでの外交努力を積み重ねることが重要である。このような考えの下、日本は、地域の安定を図るための二国間、多国間の協力、各国との信頼醸成に向けた政治・安全保障対話及び協力、軍備管理・軍縮・不拡散体制の強化、紛争防止への取組や国連平和維持活動(PKO)への参画等を通じた地域紛争への取組、域内各国の経済発展への支援・協力を通じた地域の安定性の増大、国際テロの防止・根絶のための取組等の分野で、引き続き積極的な役割を果たしていく考えである。

第二節 国際社会の繁栄の実現

 二〇〇二年の世界経済は、年初に景気回復の兆しを見せたが、春ごろから株価の下落等により米国経済の回復の勢いが鈍化し、他の先進主要国の回復も力強さを欠いたことなどにより、安定感に乏しいものであった。そうした中にあっても、国際社会の繁栄の実現に向けた取組は様々な形で進められた。二〇〇二年、日本との関係で特筆される点は、@多角的貿易交渉の立ち上げ、A地域的経済連携の強化に向けた取組、の二つである。
 第一に、世界貿易に関しては、二〇〇一年十一月の第四回世界貿易機関(WTO)閣僚会議(カタール)での合意を経て、二〇〇二年一月、新多角的貿易交渉(新ラウンド)が立ち上げられた。今回のラウンドでは、農業、サービスのほか、アンチダンピング等のルールや投資等の「シンガポール・イシュー」等について議論されることになっている。交渉は、二〇〇三年九月の第五回閣僚会議(メキシコ)を経て、二〇〇五年一月一日までに妥結することを目指しており、日本は交渉の進展に向け積極的に貢献する考えである。
 第二に、日本の二国間・地域経済政策において大きな進展がみられた。日本にとり初めての自由貿易協定(FTA)となる日・シンガポール新時代経済連携協定が十一月末に発効したほか、現在、メキシコ、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国等との間でも経済連携強化に向けた取組を進めている。
 以上のような潮流は、二〇〇三年においても継続すると予想され、日本としても、国際社会の繁栄に向けた努力に引き続き積極的に参画し、日本の経済的利益の確保に努めていく考えである。

第三節 地球規模の諸課題への取組

 近年、情報通信技術(IT)の進歩をはじめとする科学技術の発展と、それに伴う人類の活動の進展によってもたらされた地球規模の諸課題への対応がますます求められるようになった。科学技術の発展は、人々の生活レベルを引き上げ、より多くの人々がより豊かな生活をおくることを可能にした一方で、国際社会は、第二章第一節で述べてきたテロや大量破壊兵器等の拡散問題等のほかにも、持続可能な開発、地球環境問題、国際組織犯罪、感染症といった地球規模の諸課題に直面するようになった。これらの諸課題に取り組んでいくにあたっては、それぞれの国による取組もさることながら、地域社会や国際社会が一致団結して取り組むことが不可欠である。日本を含む国際社会は、こうした地球規模の諸課題の解決に向けて、国連やG8、その他様々な国際・地域機関の枠組み等の場で積極的に取り組んでいる。

第四節 政府開発援助(ODA)

 二〇〇二年、日本のODAは転機を迎えた。二〇〇一年九月の米国同時多発テロの発生を受け、国際社会は一致してテロとの闘いに取り組んできた。この中で、特に、アフガニスタンの和平・復興の推進において、日本は二〇〇二年一月に、東京でアフガニスタン復興支援国際会議を米国、欧州連合(EU)及びサウジアラビアと共に開催した。五月の川口外務大臣のアフガニスタン訪問の際には、「平和の定着」構想を説明した。特にアジアにおいて、日本は「平和の定着」に向けて積極的に取り組み各国の高い評価を受けた。また、平和の定着への取組により、ODAへの国民参加が一層促進された。
 一方で、二〇〇二年は、開発に関する国際社会の潮流と日本の国内情勢との間には大きな乖離がみられた。二〇〇二年三月のモンテレー開発資金国際会議では、欧米諸国が、一転、大幅な援助増額を打ち出した。そのような中で、日本の国内では、厳しい経済・財政状況を反映して、二〇〇二年度のODA予算は対前年度比一〇・三%減となり、ODA予算は五年間で二割以上削減されることになった。
 ODAが置かれたこのような状況を打開するため、二〇〇二年には、効率性、透明性、そして戦略性を旗印に大胆なODA改革が推進され、改革の集大成として、二〇〇三年中ごろをめどに、ODA大綱を見直す方針が発表された。

第五節 国際法規範の形成に向けた取組

 今日の国際社会においては、政治・安全保障、経済、人権、環境等、国民生活に影響を与える様々な分野で国際的なルールの形成が日々行われている。その中で、日本は、国益、すなわち、日本と日本国民の安全と繁栄の確保に資するような国際法秩序を構築していくために、国際的なルール作りに構想段階から積極的に参画して、自らの理念と日本の主張を反映させるよう努めている。また、そのようにして作られた国際的なルールには国民の理解を得て早期に参加するよう努め、日本及び日本国民の国際社会における活動の円滑化を図っている。日本が締結した国際約束を適切に実施することは、日本外交の継続性と一貫性を維持し、日本外交に対する信頼感を高める重要な意義を有する。
 国際法は、国際社会の基本的な法則とも言うべき「国際慣習法(不文律)」と各国が締結する「条約」の二つに大別されるが、「国際慣習法」の法典化(成文化)も鋭意行われている。いわば国際法秩序の「屋台骨」の構築とも言える、このような法典化作業への参画等を通じ、国際法規の形成に積極的に関与することは、日本の主張を国際法秩序に反映させるだけでなく、国際社会における法の支配を強化する上でも重要である。さらに、国際紛争の平和的解決、日本の国益に資する国際法秩序の構築のため、国際司法裁判所(ICJ)等の国際裁判所や国際法に関する各種の国際会議に積極的に関与している。

第六節 国際交流と広報活動

 文化交流は、日本に対する国際的な理解と評価を高めることにより、各国との関係の安定的な発展に寄与するものであり、日本の外交政策の重要な柱である。特に、近年は、情報通信技術(IT)が発展し、メディアや非政府組織(NGO)、それに市民ひとりひとりといった、政府ではない組織や個人の活動が自ら情報発信を行うなど活動が活発になっていることもあり、政府として、日本及び日本外交に対する理解を得るための努力を行うことは、これまで以上に重要になっている。また、米国同時多発テロ以降、異なる文明間における相互理解を深めるため対話を行っていくことの重要性も改めて認識されている。このような基本的な認識の下、日本は、各国の対日理解を深めるため、日本文化、伝統の紹介を通じて日本の魅力と正しい姿を伝えたり、日本語の普及等に積極的に取り組んだりしている。また、日本は、有識者・文化人から青少年・市民まで多様なレベルでの人的な交流を推進することによって各国との相互理解を深め、さらに、文化財保存をはじめとする国際社会に対する文化的な協力等も重視するなど国際文化交流の推進に力を入れている。
 国民から理解され、支持される外交を行っていくためには、外交政策について国民に情報を分かりやすく発信・提供し、また、日本外交のあり方について国民と幅広く意見交換を行い、国民と共に外交を展開していくことが不可欠である。近年の国際関係の緊密化に伴い、外交問題として扱われる事柄が国民の生活に直接影響を及ぼすことが多くなり、国民の外交問題に関する関心は一層高まっている。外務省としては、このような高まりゆく国民の関心に的確にこたえ、説明責任を十分に果たすことが必要である。また、外交政策は、刻々と変化する内外情勢、多様な関係者の利害等を総合的に勘案しながら進められる。このため、国民が外交政策の内容や背景を正確に把握するためには、外交当局が、必要な情報を適時に、分かりやすい形で提供することが極めて重要である。また、めまぐるしく変化する国際社会の中で、日本の国益を最大化し、より良い国際秩序を構築していくためには、政府が、先見性をもって新たな考え方を国民に提示することも重要であり、そのための情報発信についても積極的に取り組んでいく必要がある。さらに、諸外国に対する広報においても、諸外国の人々が、日本の一般事情や日本政府の政策を正しく理解し、信頼と好感を抱くことは、日本の外交政策の展開を容易にしていく上で欠くことのできない要素である。そのため、在外公館等を通じた広報事業や報道関係者への情報提供、有識者や報道関係者の訪日招待、インターネット等マルチメディアの活用により、日本の政策を公表し、説明するとともに、日本の行動の背景への理解を深めるため、日本社会の実情を多面的に紹介している。

第四章 外交体制

第一節 外務省改革

 二〇〇一年初頭の外務省をめぐる不祥事の発覚以来、外務省では、改革に向けた取組を積極的に進めてきた。しかし、二〇〇二年一月以降も、アフガニスタン復興支援国際会議へのNGO出席拒否問題をはじめとする政治家と官僚との関係のあり方をめぐり、外務大臣、事務次官の両名が辞任し、三月には北方四島の住民支援に関する特定議員の関与をめぐる問題が明らかになった。このような状況を受け、川口外務大臣の就任後、できることは直ちに実施するとの方針の下、外務本省・在外公館の幹部ポストへの民間などからの人材の起用、外務省タウンミーティングの実施、支援委員会の事業の見直しなどの措置を進めた。外部有識者からなる「変える会」や外務省内部の有志のグループ等の提言を踏まえ、外務省は、在瀋陽日本総領事館事件といったその後の出来事をも踏まえながら、更に省全体の改革を進め、国民の信頼を取り戻すための努力を続けている。

第二節 海外安全対策・領事移住

 一般犯罪のみならず、重大事故やテロといった様々な種類の脅威が国境を越えて存在している今日、外務省は、海外における日本国民の安全確保を最重要課題の一つとして、各種安全対策や被害者・家族に対する支援をはじめとする事件・事故への対応の一層の強化に努めている。
 二〇〇二年の海外渡航者数は約一千六百五十一万人を記録し、海外に住む日本人の総数も約八十七万四千人に達している(二〇〇二年十月一日現在)。これに伴い、日本人が海外で事件や事故に巻き込まれる件数も過去十年間で約一・五倍に増加している。二〇〇二年には、中国の大連付近の海上での中国北方航空機墜落事故(五月、日本人三名が死亡)、タイのバンコク郊外におけるバス転落事故(九月、日本人九名が重軽傷)、インドネシアのバリ島爆弾テロ事件(十月、日本人二名が死亡)、中国山東省におけるバス転落事故(十月、日本人二名が死亡、十三名が重軽傷)といった日本人が巻き込まれている事件・事故が発生している。バリ島での爆弾テロ事件等では、現地と外務本省に対策本部を設置し、二十四時間体制で連絡を取り合い、迅速かつ適切な対応を行った。また、現地の政情が悪化し、在留邦人が国外へ退避しなくてはならない事例も、インド及びパキスタン、中央アフリカ、コートジボワール等で発生した。日本は、インド及びパキスタンからの邦人退避に際しては、政府チャーター機をインドに派遣するなど迅速に対応した。なお、二〇〇一年の海外邦人援護件数は、一万四千百十五件、人数にして一万六千二百五十三人に達している。
 現在、外国人の日本への入国者数は約五百二十九万人、在留外国人数は約百七十七万人であり、多くの外国人が日本に滞在するようになった。このように海外との人的交流が活発化している一方で、テロリストをはじめとして問題を起こす可能性がある外国人の入国を事前に阻止することも在外公館の重要な任務の一つとなっており、そのような外国人の入国を、査証の発給段階で効率的に精査する査証広域ネットワーク(査証WAN)システムの稼働を十二月に開始した。
 十月には、海外移住審議会を発展的に改組、設立した外務大臣の諮問機関である海外交流審議会が発足した。同審議会は、@国民本位の領事サービスを実現する施策の検討、A海外邦人安全対策の推進と危機管理対応能力の向上、B在日外国人・日系人をめぐる諸問題への対応を三つの柱として、海外との人の交流に関する重要事項を審議している。

第三節 外交実施体制

 グローバル化が進展し、それに伴い国際社会における相互依存が深化するに従って、外務省の業務量も、近年、増加の一途をたどっている。日本が直面している外交課題は、質・量ともに増大し、また、複雑化しており、こうした諸課題にこれまで以上に能動的かつ迅速に対応していくため、外務省は、外務省改革の一環として、外交実施体制の整備に取り組んでいる。


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消費動向調査


―平成十五年三月実施調査結果―


内 閣 府


 消費動向調査は、家計消費の動向を迅速に把握し、景気動向判断の基礎資料とするために、全国の普通世帯(単身世帯及び外国人世帯を除いた約三千万世帯)を対象に、約五千世帯を抽出して、消費者の意識、主要耐久消費財等の購入状況、旅行の実績・予定、サービス等の支出予定について、四半期ごとに調査している。また、年度末に当たる三月調査時には、主要耐久消費財等の保有状況、住宅の総床面積についても併せて調査している。
 今回の報告は、平成十五年三月に実施した調査結果の概要である。

一 調査世帯の特性

 平成十五年三月の調査世帯の世帯主の平均年齢は五三・二歳(全世帯、以下同じ)、平均世帯人員は三・五人、うち就業者数は一・七人、平均持家率は七五・六%となっている。また、有効回答率は九九・九%(有効回答世帯数は五千三十九世帯)となっている。

二 消費者の意識

(1) 消費者態度指数(季節調整値)の調査結果
  消費者意識指標七項目中五項目を総合した消費者態度指数は、「物価の上がり方」に関する意識が悪化したほか、「雇用環境」、「耐久消費財の買い時判断」、「暮らし向き」及び「収入の増え方」に関する意識のすべての項目が悪化したため、前期差二・〇ポイント低下の三六・一となった(第1図参照)。
(2) 各調査項目ごとの消費者意識指標(季節調整値)の調査結果
  各消費者意識指標について平成十五年三月の動向を前期差でみると、「物価の上がり方」に関する意識(四・二ポイント低下)、「雇用環境」に関する意識(二・一ポイント低下)、「耐久消費財の買い時判断」に関する意識(一・九ポイント低下)、「暮らし向き」に関する意識(一・五ポイント低下)及び「収入の増え方」に関する意識(一・〇ポイント低下)といずれも悪化を示した(第1表参照)。

三 サービス等の支出予定(季節調整値)

 平成十五年四〜六月期のサービス等の支出予定八項目の動きを「今より増やす予定と回答した世帯割合」から「今より減らす予定と回答した世帯割合」を控除した数値(サービス支出D.I.)でみると、以下のとおりである(第2図参照)。
(1) 高額ファッション関連支出D.I.は、マイナスが続いており、前期がマイナス九・一%のところ、今期はマイナス一〇・七%となっている。
(2) 学習塾等補習教育費D.I.は、他の支出D.I.と比較して高い水準にあり、前期が五・九%のところ、今期は六・四%となっている。
(3) けいこ事等の月謝類D.I.は、他の支出D.I.と比較して高い水準にあり、前期が一・八%のところ、今期は一・九%となっている。
(4) スポーツ活動費D.I.は、このところマイナスとなっており、前期がマイナス一・九%のところ、今期はマイナス二・六%となっている。
(5) コンサート等の入場料D.I.は、このところマイナスとなっており、前期がマイナス〇・九%のところ、今期はマイナス二・九%となっている。
(6) 遊園地等娯楽費D.I.は、マイナスが続いており、前期がマイナス一三・〇%のところ、今期はマイナス一五・九%となっている。
(7) レストラン等外食費D.I.は、マイナスが続いており、前期がマイナス二三・〇%のところ、今期はマイナス二六・〇%となっている。
(8) 家事代行サービスD.I.は、おおむね安定した動きが続いており、前期がマイナス一・九%のところ、今期はマイナス二・一%となっている。

四 旅行の実績・予定(季節調整値)

(1) 国内旅行
  平成十五年一〜三月期に国内旅行(日帰り旅行を含む)をした世帯割合は、前期差で〇・五ポイント低下し三三・五%となった。旅行をした世帯当たりの平均人数は、前期差で横ばいの二・九人となった。
 十五年四〜六月期に国内旅行をする予定の世帯割合は、十五年一〜三月期計画(以下「前期計画」)差で一・三ポイント低下し三〇・一%、その平均人数は、前期計画差で〇・一人増加し二・九人となっている。
(2) 海外旅行
  平成十五年一〜三月期に海外旅行をした世帯割合は、前期差で〇・一ポイント低下し五・一%となった。その平均人数は、前期差で〇・一人減少し一・六人となった。
 十五年四〜六月期に海外旅行をする予定の世帯割合は、前期計画差で〇・九ポイント低下し三・四%、その平均人数は、前期計画差で横ばいの一・八人となっている。

五 主要耐久消費財等の普及・保有状況

(1) 普及状況(所有している世帯数の割合)
  平成十五年三月末における主要耐久消費財等の普及率をみると、第2表のとおりである。デジタルカメラ(十四年三月末二二・七%→十五年三月末三二・〇%、以下同じ)、パソコン(五七・二%→六三・三%)、DVDプレーヤー(一九・三%→二五・三%)、温水洗浄便座(四七・一%→五一・七%)、及び衛星放送受信装置(三九・〇%→四三・〇%)などの普及率が前年度に比べて上昇した。
 また、電気冷蔵庫、電気洗たく機及びカラーテレビについては、大型化、高性能化を反映して下位品目の普及率が低下し、上位品目の普及率が伸びている(電気洗たく機・全自動八三・八%→八五・六%・その他二一・一%→一九・一%、カラーテレビ・二十九インチ以上五一・三%→五三・一%・二十九インチ未満八三・四%→八二・六%、電気冷蔵庫・三〇〇L以上七四・四%→七五・四%・三〇〇L未満三七・八%→三七・四%)(第2表参照)。
(2) 保有状況(百世帯当たりの保有数量)
  平成十五年三月末における主要耐久消費財等の百世帯当たりの保有数量をみると、第3表のとおりである。プッシュホン(十五年三月末二六七・九台、前年度差二八・一台増、以下同じ)、ルームエアコン(二四五・四台、一五・五台増)、デジタルカメラ(三五・五台、一〇・八台増)、パソコン(八七・九台、九・五台増)及びベッド(一二七・一台、八・三台増)などの保有数量が前年度に比べて増加した。
 また、ルームエアコン及び電気洗たく機については、下位品目の保有数量が減少し、上位品目の保有数量が増加している(ルームエアコン・冷暖房用一八・八台増・冷房用三・二台減、電気洗たく機・全自動二・六台増・その他二・五台減)(第3表参照)。

(参 考)

一 消費者意識指標(季節調整値)(レジャー時間、資産価値)

 平成十五年三月の「レジャー時間」に関する意識は、前期差で一・六ポイント低下し三九・四となった。
 「資産価値」に関する意識は、前期差で一・六ポイント低下し三四・三となった。

二 主要耐久消費財等の購入状況・品目別購入世帯割合の動き(原数値)

 平成十五年一〜三月期実績は、三十品目中十五品目の購入世帯割合が前年同期に比べて増加し、十品目が減少した。なお、五品目が横ばいとなった。
 十五年四〜六月期実績見込みは、三十品目中八品目の購入世帯割合が前年同期に比べて増加し、六品目が減少している。なお、十六品目が横ばいとなっている(第4表参照)。

三 主要耐久消費財の買替え状況

 平成十五年一〜三月期に買替えをした世帯について買替え前に使用していたものの平均使用年数をみると、普及率の高い電気冷蔵庫、電気洗たく機などは八〜十一年となっており、その理由については故障が多い。また、「上位品目への移行」による買替えが多いものとしてパソコン、「住居の変更」による買替えが多いものとしては、ルームエアコンがあげられる。




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我が国のこどもの数(十五歳未満人口)


―「こどもの日」にちなんで―


平成十五年四月一日現在推計人口から


総 務 省


 総務省統計局では、五月五日の「こどもの日」にちなんで、我が国のこどもの数(十五歳未満人口)について公表した。その概要は次のとおりである。

一 こどもの数は一千八百一万人、総人口の一四・一%で過去最低

 平成十五年四月一日現在のこどもの数(十五歳未満人口。以下同じ。)は前年より十七万人少ない一千八百一万人で、二十二年連続の減少となった。男女別では、男性が九百二十三万人、女性が八百七十八万人で、男性が女性より四十五万人多く、女性百人に対する男性の数(性比)は一〇五・一となっている。
 総人口に占めるこどもの割合は一四・一%(前年比〇・二ポイント減)で、過去最低となった(第1表参照)。
 こどもの数を未就学の乳幼児(〇〜五歳)、小学生の年代(六〜十一歳)、中学生の年代(十二〜十四歳)でみると、それぞれ七百五万人(総人口の五・五%)、七百二十万人(同五・六%)、三百七十七万人(同三・〇%)となっている(第2表参照)。
 これを年齢三歳階級別にみると、中学生の十二〜十四歳が三百七十七万人(総人口の三・〇%)と最も多く、次いで小学生の高学年(九〜十一歳)、低学年(六〜八歳)が共に三百六十万人(同二・八%)、三〜五歳が三百五十五万人(同二・八%)、〇〜二歳が三百五十万人(同二・七%)と続き、年齢が低いほど少なくなっている(第2表第1図参照)。

二 こどもの割合は二十九年連続低下

 こどもの割合は、昭和二十五年には総人口の三分の一を超えていたが、第一次ベビーブーム期(昭和二十二〜二十四年)後の出生児数の減少を反映して、昭和四十五年まで低下を続け約四分の一となった。
 その後、昭和四十年代後半には第二次ベビーブーム期(昭和四十六〜四十九年)の出生児数の増加によりわずかに上昇したものの、五十年代に入って再び低下し、平成九年には六十五歳以上人口を下回って一五・三%となり、平成十五年は一四・一%と、約七分の一となっている。
 なお、こどもの割合は、昭和五十年から二十九年連続で低下している。
 国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口によると、今後、こどもの割合は低下を続け、平成十七(二〇〇五)年に一四%を、平成二十六(二〇一四)年には一三%を下回ると見込まれている(第2図第3図付表1参照)。

三 こどもの割合は沖縄県が最高、東京都が最低

 こどもの割合(平成十四年十月一日現在推計)を都道府県別にみると、沖縄県が一九・三%で最も高く、東京都が一二・〇%で最も低くなっている。なお、こどもの割合が全国平均(一四・二%)よりも低いのは、十四都道府県となっている(第4図参照)。
 平成十三年と比較すると、東京都が前年に引き続きわずかに上昇(〇・一ポイント)、神奈川県、京都府及び大阪府は前年と同率、他の道県はすべて低下している。
 都道府県別の低下幅をみると、新潟県、島根県、長崎県及び沖縄県の〇・四ポイントが最も大きくなっている(付表2参照)。

四 こどもの割合は諸外国の中で最低水準

 こどもの割合を諸外国と比較すると、調査年次に相違があるため厳密な比較はできないが、我が国が最も低い水準となっている(第3表参照)。
 ※ 推計人口は、国勢調査による人口を基礎に、その後の人口動向を他の人口資料から得て算出している。





    <6月18日号の主な予定>

 ▽森林・林業白書のあらまし………農林水産省 

 ▽法人企業動向調査(3月)………内 閣 府 




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