官報資料版 平成11年9月16日




                  ▽首都圏白書のあらまし………………………………国 土 庁

                  ▽平成十年平均消費者物価地域差指数の概況………総 務 庁











首都圏白書のあらまし


―平成10年度 首都圏整備に関する年次報告―


国 土 庁


首都圏白書の概要

 首都圏白書は、首都圏整備法(昭和三十一年法律第八三号)第三十条の二に基づき、政府が毎年度、国会に対して、首都圏整備計画の策定及び実施に関する状況について報告するもので、正式名称は「首都圏整備に関する年次報告」という。
 以下は、本年度版首都圏白書に記述された内容から、トピック的な部分を中心に解説した概要である。

○はじめに

 首都圏は、わが国の三分の一を占める人口を有し、政治、行政、経済、情報、文化等の中枢的な機能が集積する国土政策上非常に重要な地域である。
 しかしながら、住宅問題、長時間通勤、交通渋滞、環境問題、災害に対する脆弱性等の問題は、依然深刻な状況にあるとともに、都市中心部や臨海部等においては、低・未利用地の発生などの問題も抱えている。また、多様な価値観に基づく個人の活動の活発化、高齢化の進行、情報化、国際化の進展等の諸情勢に適切に対応していく必要がある。
 これらの諸課題を踏まえ、首都圏整備法に基づいて平成十一年三月二十六日、「首都圏基本計画」(第五次)を決定した。本計画は、平成二十七年度(二〇一五年度)までを計画期間とし、今後の首都圏整備に対する基本方針、目指すべき首都圏の将来像及びその実現に向けて取り組むべき方向を明らかにしたものである。
 第五次首都圏基本計画では、現在の東京中心部への一極依存構造から、首都圏の各地域が拠点的な都市を中心に自立性の高い地域を形成し、相互の機能分担と連携・交流を行う「分散型ネットワーク構造」の形成を目指すこととしている。その上で、東京都市圏では、都市構造の再編を行い、「大都市のリノベーション」を推進する必要があるとしている。
 この計画に基づいて、国土の均衡ある発展を図りつつ、わが国の政治、経済、文化等の中心としてふさわしい首都圏を整備していく必要があるが、同時に、この計画の実施に当たっては、国、地方公共団体、関係事業者を始め、民間企業、NPO、個人等の多様な主体の積極的な協力と参加が必要である。

○東京圏における大都市のリノベーション

 江戸の本格的な町づくりは、徳川家康が一五九〇年に江戸城に入部して以降、河川の開削、堀の掘削、湿地・入江の埋め立て、埋立地の町割りなどから始まった。その後、幕府の開設、明治政府の設置、工業化の進展等、産業の集積とその構造変化、それに伴う人口の流入、土地利用の変化等を経て、また大火、地震、戦災等を経験しながら都市建設が進められ、さらには圧倒的な消費人口に文化やサービス産業が育まれながら、東京は我が国の政治、経済、文化等の面で中心的な役割を果たし、そして世界の中でも重要な役割を担う都市圏として成長した。
 その間、東京は産業の集積を背景に莫大な人口を貪欲に吸収した。その結果、市街地の過密とともに周辺地域を巻き込む蚕食的肥大化を続けることとなり、狭隘(きょうあい)な住宅、住環境整備の遅れ、長時間通勤、交通混雑、老朽木造密集市街地の増大、大気汚染、水質汚濁等、都市環境の悪化等、様々な弊害をはらむこととなった。これらは今でも居住者や企業の活動に大きな負担になっているとともに、防災の観点からも大きな問題となっている。
 一方、都心部では住宅がオフィスビル等へと変じ、夜間人口が流出していったが、バブル経済とその崩壊に伴う地価の乱高下等により、低未利用地が蚕食的に発生した。また、臨海部でも産業構造の転換等に伴い、大規模な遊休地が発生している。
 これらの問題は、今後国境を越えた都市間競争がますます激化するとともに、ゆとりある生活空間、アメニティ、美しい都市景観等が求められる二十一世紀に向けて、東京圏の魅力を阻害する要因となることが懸念され、そして一部現実のものとなっている。
 このような現状を受けて、平成十年三月決定の全国総合開発計画「二十一世紀の国土のグランドデザイン」、並びに平成十一年三月決定の第五次首都圏基本計画では、東京圏において、大都市空間を修復、更新し、有効に活用する「大都市のリノベーション」を積極的に推進する必要があるとしている。
 本年一九九九年が、二十世紀末前夜に当たることにもかんがみ、東京圏での人口等の集積について、明治時代中期からの百年を概観した後、東京圏の現状と抱える課題等を総括する中で、大都市のリノベーションの必要性を検証し、さらに最近の兆し、動向について触れることにする。

1 東京圏への集積と拡大の百年

 (1) 人口の集積と市街地の拡大
 今からおよそ百年前の明治二十六年(一八九三年)には、東京都の人口は百七十九万人(対全国比四・三%)、近隣三県を合わせた東京圏でみても四百九十二万人(同一一・七%)であった。これは、平成九年のそれぞれの人口、一千百八十一万人、三千二百八十四万人の約七分の一に当たる。
 この当時、既に東京は大都市として成長の過程にあったが、特に際立って人口が増え始めたのは大正時代に入ったころからである。大正二年(一九一三年)に東京都の人口は二百六十九万人であったが、第二次世界大戦前の昭和十五年(一九四〇年)には七百三十五万人に増え、三十七年間に約二・七倍となっている。
 その後、東京都の人口は第二次世界大戦時に一時減少したが、高度経済成長期まで再び急増し、昭和二十五年(一九五〇年)に六百二十八万人であったものが、昭和四十五年(一九七〇年)には一千百四十一万人と、二十年間に約一・八倍となり、それ以降はおおむね横ばいとなっている(第1―1図参照)。
 これを対全国シェアでみると、明治二十六年(一八九三年)の四・三%が、昭和十五年(一九四〇年)には一〇・一%と一割を超えるようになり、その後は昭和四十五年(一九七〇年)をピーク(一〇・九%)に、緩やかに低下してきている(第1―2図参照)。
 一方、近隣三県をみると、東京都の人口増に入れ替わるようにして、高度経済成長期の初期の頃から人口が急増し始め、昭和三十五年(一九六〇年)の八百十八万人が、平成十年(一九九八年)には二千百十七万人となり、三十八年間で約二・六倍に増えている。それとともに、対全国シェアも八・七%から一六・七%へと、およそ二倍になっている。
 なお、周辺四県も人口は増加しているが、対全国シェアは六〜七%前後で一定しており、全国とほぼ同じ割合で増加したことがうかがえる。
 このように、県別の人口の推移だけをみても、大正時代に本格的に始まった東京圏の人口増は、高度経済成長期を境に、その全盛期のころまでは東京都内での集中に収まっていたが、高度経済成長が始まるころからは、近隣三県に膨張していったことがうかがえる。
 市街地拡大の変遷を地理的にみると(第1―3図参照)、明治時代初期には、現在の中央区を中心に千代田区、港区、台東区等の一部に限定されていた東京の市街地は、交通手段の発達とともに拡大していったことが分かる。例えば、関東大震災後から昭和にかけて、山手線と西部郊外を結ぶ私鉄が次々と開通し、それに沿って市街地が拡大していった様子が見て取れる。
 また、近年では鉄道の新線建設に加え、高速化、利便性の向上、輸送力の増加等により、都心から六十キロメートル前後の範囲まで市街地が連たんしてきた。このように、東京圏への人口流入は、鉄道を始めとする交通手段の発達によって支えられ、市街地が今日の姿へと拡大し形作られてきた。

 (2) 人口増加の要因になった産業の集積
 明治時代初期、明治政府の主要な政策である「富国強兵」「殖産興業」の下に、東京に官営、民営の工場が建設されていった。また、内国勧業博覧会が明治十年、十四年、二十三年に東京で開かれ、これによって東京は産業の面でも情報の中枢拠点となったことが推察される。工場の種類は、当時から印刷、繊維、雑貨品、セメント、硝子等の建築資材、軍需用を含む機械製品等の製造工場、造船、食品と多様であった。一方で、銀行、商社、保険会社などの会社も設立され、また東京証券取引所の前身である株式取引所も設置された。
 明治時代後半になると、次第に機械・金属・化学工業等が成長して、いわゆる重化学工業化が始まるが、特に大正時代に入ってからは、戦争需要による好況で工業生産が飛躍的に伸び、中でも大都市部における重化学工業の発展は目覚ましかった。また、日本経済の拡大に伴い多くの会社が設立され、その本社が東京に置かれるなど、東京への産業の集中が顕著となり、先にみた東京の本格的な人口増をもたらした。
 東京の工業化の進展は、その後の経済恐慌、第二次世界大戦をはさみ、高度経済成長期の中ごろまで続いた。工場の立地場所としては、まず墨田・江東区並びに中央・港区の河口、臨海部が工業地帯となり、その後、荒川・北・板橋区の北部及び南に下がり品川・大森・蒲田地区、さらに川崎・横浜市へと広がり、大規模な工業地帯が形成された。
 業務施設の集積は兜町界隈に始まったが、その後の築港計画の挫折により、明治二十年代には政府機関跡地の丸の内地区にウエイトが移った。丸の内地区では、近代的な業務ビルが大正から昭和二十年代にかけて建設され、一大業務エリアが形成された。
 高度経済成長期の中頃以降は、産業別就業者数の推移をみても分かるように、我が国全体の産業構造の変化とともに、工場分散政策等により第三次産業が増大する、いわゆるサービス経済化が進展した(第1―4図参照)。サービス産業及び本社機能では、市場、顧客、他社等の情報収集がとりわけ重要であるが、東京は外国からの情報を含むあらゆる情報が得やすく、その比較優位性から業務機能の東京への集中が進んだ。
 このような膨大なオフィス需要を受けて、東京都は昭和五十七、六十一年の長期計画で、多心型都市構造という方向性を示し、新宿、渋谷、池袋、上野・浅草、錦糸町、大崎及び臨海部を副都心として位置づけ整備を推進した。
 一方で、国土庁は昭和六十年の首都改造計画において、より広域的な観点から、横浜・川崎市、八王子・立川市、大宮・浦和市、土浦市・筑波研究学園都市及び千葉市を業務核都市とする多極多圏域型の地域構造を打ち出し、業務機能の適正配置を促した。
 以上のように、東京圏の百年を、人口、産業の集積等の視点から概観すると、東京(江戸)は江戸時代のころより我が国の政治の中心であり、人口の集積はみられたものの、工業化の進展に始まる産業の集積と、それに伴う人口増大、市街地の膨張、並びにこれらによって引き起こされる諸問題が顕著になったのは、永い歴史の中でもここ五十〜百年前からであることが分かる。

2 東京圏の諸問題からみた大都市のリノベーションの必要性

 ここでは、東京圏が抱えるいくつかの諸問題について、その現状をデータを交えながら改めて概観する。

 (1) 未だに水準の低い住環境
 住宅は数量的には充足しているものの、急速な人口増、世帯増とそれに伴う地価の高騰により、その水準は概して低いものとなっている。例えば、最低居住水準(世帯人員が四人の場合、住戸専用面積が五十平方メートル以上など)に満たない世帯は、東京圏で百三十二万世帯、一一・六%と一割を超えている。また、東京都では七十二万世帯、一五・五%となっており、全国の割合七・八%に比べて高くなっている(第2―1図参照)。
 さらに、市街地における緑地空間については、その一指標である一人当たり都市公園等整備面積をみると、東京圏は四・五平方メートル(平成九年)である。これは全国七・五平方メートル(平成九年)の六割に過ぎず、また、ニューヨーク二十九・一平方メートル(平成九年)、ロンドン二十五・三平方メートル(平成六年)、パリ十一・八平方メートル(平成六年)、ベルリン二十七・四平方メートル(平成七年)等に比較すると、低い水準にあることが分かる。

 (2) 地震に対する脆弱性
 東京圏では、南関東地域直下の地震の発生の切迫性が高まっているとされている。地震が発生した場合には、建物の倒壊に加え延焼火災が被害を大きくするが、東京都が「防災都市づくり推進計画<整備計画>」(平成九年三月)において定義した「木造住宅密集地域」(木造建物棟数率七〇%以上、老朽木造建物棟数率三〇%以上、住宅戸数密度五十五世帯/ヘクタール以上などの条件を満たす地域)の分布状況をみると、かなり広範囲に分布していることが見て取れる(第2―2図参照)。
 オフィスビルについても、都心三区では昭和三十九年以前に建築された築後三十二年以上経過したものが一八・四%を占めるなど、老朽化が進んでいる(第2―3図参照)。
 また、東京都が避難場所までの距離、障害物、道路混雑、延焼による道路遮蔽等を総合的に評価した「避難の困難性」をみると、都区部西側では環状七号線から環状八号線の地域を中心に、広い範囲に避難危険度が高い地域が広がっている(第2―4図参照)。

 (3) 長時間通勤と交通混雑
 東京都区部に通勤・通学する人は平成七年には三百七十万人近くに達している(第2―5図参照)。都心三区に通勤する人のみを取り出してみても、その居住範囲は広く(第2―6図参照)、片道一時間半以上を費やしている人、すなわち一日の八分の一以上を通勤時間に費やしている人は全体の約四分の一近くに達している(第2―7図参照)。
 また、鉄道の混雑率は改善の傾向にあるものの、依然として二〇〇%を超える区間もみられる。このように、首都圏のわずか〇・一%の面積に過ぎない都心三区に、首都圏の従業者の一割以上が集中していることに代表される圏域構造のゆがみは、依然として長時間通勤や通勤混雑等の問題を引き起こしている。
 道路混雑についても、東京都区部の混雑時の高速道路、一般道路の平均旅行速度はそれぞれ二十八・四キロメートル/時、十七・五キロメートル/時であり、改善傾向にあるものの、依然として全国平均を大きく下回っている(第2―8図参照)。

 (4) 土地利用と都心部の空洞化
 先に見たように、東京圏は急速に人口を吸収し市街地が拡大した結果、いたるところで蚕食的な土地利用となっている。また、都心部では人口の減少に加え、バブルの崩壊等に伴う低未利用地の発生等により、空洞化が深刻になっている。
 都心三区の人口は、後述するように近年はやや増加傾向にあるものの、中長期的にみると、昭和四十一年の四十五万九千人が、平成十一年には二十五万人に大きく減少しており、三十三年間に約四六%の減となっている(第2―9図参照)。
 また、このような人口減少及び少子化により、地域住民の学習・スポーツ等を通じた交流の場としての役割も期待される小学校の数も減少してきている。特に都心三区では、昭和六十年にあった六十五校のうち、平成十年までの十三年間に十五校が廃校となっている(第2―10図参照)。
 さらに、首都圏の既成市街地及びおおむね二十キロメートル圏内の市街化区域(約十二万ヘクタール)に、約一万六千二百ヘクタールの大規模低密度利用地が賦存しているとの調査結果(国土庁、平成六年度)などにみられるように、東京圏は都心部を含めて土地が必ずしも有効に活用されていない。
 東京圏の問題としては、このほか廃棄物処理の問題、水供給の問題、大気汚染、水質汚濁等、都市環境の問題等があげられる。また、最近の社会的問題としてホームレスの増加、深夜スーパーマーケット対象の強盗事件や来日外国人による犯罪の増加などがみられる。
 これらの諸問題は、東京圏の居住、勤務、訪問する場としての魅力を低下させるものであり、解決に向けた一層の取組が必要である。

3 経済社会構造の変化からみた大都市のリノベーションの必要性

 東京圏が魅力ある都市圏であるためには、2で述べたような従来の問題を解決すると同時に、時代とともに変化する社会経済構造に適切に対応していくことが要求される。ここでは、今後、重要な課題として対応が迫られると予想される高齢化・少子化の進展と高齢者・女性の社会進出、国際的都市間競争の二つを取り上げ、大都市のリノベーションの必要性を論じる。

 (1) 高齢化・少子化の進展と高齢者・女性の社会進出
 東京圏でも高齢化が着実に進行しており、東京圏全体の高齢化は、率でみると一三・二%(平成十年)と全国(一六・二%)に比べ低い値であるが、高齢者の実数でみると約四百三十五万人(平成十年)にも上る。また、地域別にみると、例えば都心三区では高齢化率(平成七年:一七・二%)が全国を上回っていること(第3―1図参照)、昭和四十年代から順次開発が始まった郊外のニュータウンでは、入居した世代が次第に高年齢に達しつつあり、今後急速な高齢化の進展が見込まれることなどの課題がみられる。
 少子化については、十五歳未満人口比率が全国では一五・一%であるのに対し、東京圏では一四・〇%、東京都では一二・六%(以上平成十年)、さらに都心三区では一〇・八%(平成七年)と、全国に先駆けて進行している(第3―2図参照)。
 また、実数でみると、都心三区では、十五歳未満人口が平成二年には三万四千人いたが、五年後の平成七年には二万六千人に大きく減じている。このような少子化は、将来の労働力人口の減少をもたらし、活力の低下が懸念される。
 一方で、高齢者、女性の社会参加意欲が高まっている。例えば、東京近郊(埼玉県、千葉県、神奈川県)に在住する二十代、三十代の女性の九割近くは、仕事や地域活動等、何らかの活動を行いたいとしている(第3―3図参照)。
 また、これらの女性のうち現在就業している人が仕事を続けるための条件として挙げているのが「育児・介護休業等の制度」、「保育サービス」、「勤務時間帯の選択」等であり、これらが不十分であることは就業等の障害となることがうかがえる(第3―4図参照)。
 高齢者の社会参加意欲についても、七割を超える高齢者(全国、六十歳以上)が社会的活動への参加意欲を示しているという調査結果(総務庁、平成七年)がみられるなど、その高まりがうかがえる。高齢者、女性の就業を含む社会参加は、少子化に伴う労働力人口の減少を補うものであり、東京圏の活力維持にとっても重要な要素といえる。
 このような社会変化に対し、東京圏も適切に対応する必要がある。市街地、交通機関、住宅等のバリアフリー化、高齢者介護サービスの充実等を一層進めるとともに、子育て支援システム、特に低年齢時保育等の保育サービスの多様化や育児休業制度の定着等が必要である。さらには、高齢者や女性の社会参加がより実現されやすいような圏域の構築、例えば都心居住やテレワークなどによる職住近接型の地域構造の実現、社会参加をサポートするような利便性、専門性等を有する教育、文化、福祉等の都市機能の整備等が求められる。

 (2) 国際的な都市間競争の激化
 企業・個人の活動がグローバルな規模で行われる時代を迎え、その活動の場である都市もグローバルな視野から選択されるようになってきている。したがって、国際的な競争力の維持、すなわち国際的に比較して魅力ある都市圏であることは、東京圏にとって今後の大きな課題といえる。
 国際会議の開催場所は、会議施設・設備、会議サポートサービスはもとより、交通、宿泊、観光、飲食など、様々な分野の満足度(これには価格満足度も含まれる)に加え、都市の開放性、魅力などを総合的に判断して決められるものであり、国際競争力の総合的な指標の一つと言える。
 東京は平成九年に六十四回の国際会議(国際機関主催で規模等に一定条件を満たす国際会議)が開催されており、世界的にみると二十五位となっている。地理的な制約等もあろうが、パリ、ロンドンは二百回を超えており、同じアジアの都市シンガポール、香港のそれぞれ百三十八回、百回に比べても大きく下回っている(第3―1表参照)。
 なお、メインのゲートエアポートが同じ成田空港である東京、横浜、千葉を合計しても八十八回である。これは一指標に過ぎないものの、今後ますます人の国際化、企業の国際化が進む中、グローバルスタンダードと魅力を備え、世界から選ばれる都市圏となることを意識した大都市のリノベーションの必要性がうかがえる。

4 東京圏における大都市のリノベーションの兆し

 ここまで、東京圏における大都市のリノベーションの必要性を検証してきたが、既にこれまでにもその兆しがうかがえる部分もあり、以下に紹介する。

 (1) 機能の分散
 諸機能の東京中心部への集中が、東京圏への人口の集中とそれに伴う長時間通勤等の弊害をもたらしていることから、諸機能の東京中心部からの分散は、諸問題の解決に向けた最も根本的な処方箋といえる。
 まず製造業事業所数、従業者数から工業機能の分散の状況をみると、東京都の事業所は昭和四十四年、従業者数は昭和三十八年をピークに減少傾向にある一方で、近隣三県、周辺四県は平成に入るころまでは増加している(第4―1図参照)。この根底には産業構造の変化もあるが、これまでの分散政策等により、工業機能の東京からの分散は、既にかなり進んできていることが分かる。
 また、昭和六十一年の第四次首都圏基本計画で位置づけられた横浜市、千葉市、大宮市等の業務核都市の事業所数は伸びており、シェアでみても東京都区部が低下傾向にあるなか、業務核都市は上昇している(第4―2図参照)。
 このことから、東京圏における業務機能の分散的立地が一つの傾向として進んでいる様子がうかがえるが、最近では、一部に業務機能の東京中心部への回帰の動きもみられ、個性的で魅力ある業務核都市の整備の推進が重要である。

 (2) 都心居住
 先に述べたように、都心部の空洞化が進んでいるが、その一方で、最近の傾向として人口の都心回帰もみられるようになった。
 東京都区部全体の人口は、平成九年に昭和三十八年以来三十四年ぶりに社会増に転じ、平成十年も社会増が続いている。区ごとにみると、平成十年中、社会増であった区は十七を数え、社会減であったのは千代田区、台東区、杉並区、北区、板橋区、足立区の六区のみとなっている。
 また、社会増減、自然増減をあわせた人口増減をみると、平成七年に人口増であった区は東京二十三区中四区に過ぎなかったが、平成十年には十九区が人口増となっている。この中には港区(平成八年から)、中央区、新宿区、渋谷区、豊島区、墨田区、江東区(以上平成九年から)、文京区(平成十年から)等の中心部エリアも含まれている(第4―1表第4―3図参照)。
 人数でみると、東京都区部人口はそれまで毎年約四万人減少(平成三〜七年の平均)していたものが、平成十年には三万五千人増となり、トレンドとしては大きな変化といえ、都心の活力に好影響を及ぼしているものと思われるが、東京圏の諸問題を改善の方向に向かわせるには、未だわずかに過ぎない。

 (3) 地区整備の事例
 近年、東京圏の中でも、工場跡地や老朽建築物密集地域などを再開発したり、埋立地を活用したりして、アメニティに配慮した良好な都市空間を形成する地区整備がみられるようになっている。例えば、オフィス、商業機能や住宅・文化施設等の機能を複合した恵比寿ガーデンプレイス、代官山ヒルサイドテラス、ゲートシティ大崎などが挙げられる。
 また、お台場地区、クイーンズスクエア横浜などの東京湾臨海部においては、さらにスポーツ、コンベンション、アミューズメント等の機能も含めて展開されているとともに、国際大学村の建設も始められた。このような場所は、若者や外国人を含め多様な人々が集い、にぎわい・憩いの空間ともなっている。
 以下、ゲートシティ大崎、代官山ヒルサイドテラス、クイーンズスクエア横浜の事例を紹介する。
●ゲートシティ大崎
 ゲートシティ大崎は、大崎駅に近い目黒川沿いの約五・九ヘクタールの敷地で、かつては、工場、住宅、駐車場等であったところである。そこが再開発によって、工場等の従前機能を維持しながらも、オフィス、住宅、店舗、レストラン、文化施設(ホール)、公園等が、水と緑、アトリウムとともに配置され、これらが一体となって良好な空間が形成されている。巨大なアトリウムではイベントも催され、遠方からも人が集まるにぎわいの空間となっている。
●代官山ヒルサイドテラス
 代官山ヒルサイドテラスは、渋谷の旧山手通りに沿う代官山の丘に、約二百メートルに及び形成された街並みである。ここに約二十五年かけて、住宅、店舗、レストラン、ギャラリーが建てられ、一つの良好な生活・商業・文化空間となっているとともに、周辺の店舗とあわせて、都市文化の発信地の一つとなっている。
●クイーンズスクエア横浜
 クイーンズスクエア横浜は、横浜市基盤整備事業の一環として、臨海部埋立地の約四・四ヘクタールの敷地に開発された。最先端の情報・通信インフラを備えたオフィス棟とあわせて、専門店街(モール)、百貨店、文化施設(コンサートホール)、ホテルや、水と緑豊かな公園等が配置され、みなとみらい21地区を象徴する複合施設として、豊かなオフィス空間、生活空間が形成されている。
 また、近年、一部の建物などでは、快適な都市空間を形成するため、屋上緑化、壁面緑化が行われている。

 (4) 交通体系整備の進展
 通勤・通学時間の短縮、混雑緩和に向けた鉄道施設の整備、都心の通過交通を減じる環状方向の路線を含む道路網の整備等が進められてきており(第4―4図第4―5図参照)、混雑率の低下、時間の短縮効果が表れている。

 (5) テレワーク
 テレワークは、情報通信を活用しサテライトオフィスや自宅で遠隔勤務することであり、これにより通勤混雑の緩和や通勤時間の短縮等が期待される(第4―6図参照)。
 首都圏におけるテレワーク型就業者数(テレワークを週一回以上実施している就業者数)は、一九九五年には約十三万人(就業者数の〇・六%)に過ぎなかったが、第五次首都圏基本計画では、今後、個人の価値観の多様化や支援施策の充実等により、テレワークが普及することを前提に試算を行うと、二〇一五年には約三百四十万人(一六%)に急増するとしている。
 また、東京近郊に在住する二十代、三十代の女性の九割が、テレワークをしてみたいとする意向調査の結果(国土庁、平成十年)にみられるように、女性や高齢者といった長距離通勤に不向きな人々の就業機会が拡大する効果も大きいとみられ、選択性の高い社会の実現の観点からも、テレワーク推進の意義は大きいものと考えられる。
 東京圏において大都市のリノベーションを推進するに当たっては、職住近接型の地域構造と、より快適な都市生活の実現をもたらすテレワークが、業務核都市の育成・整備等による諸機能の分散とともに、有力な手段となるものと考えられ、積極的な支援が必要である。
 これまでにも、例えば郵政省が立川市と横浜市にテレワークセンターを開設し、自省の職員によるテレワーク試行を実施したり、郵政省、労働省等がモデル的な事業を行うなど、関係省庁及び地方自治体等によって施策が展開され始めている。

5 大都市のリノベーションに向けて

 ここまで、東京圏における大都市のリノベーションの必要性と最近の兆しを見てきた。今後これらの兆しをさらに本格的なものにするための施策を推進していく必要があるとともに、次項で述べる業務核都市の育成・整備、国の行政機関等の移転、大深度地下の円滑かつ適正な利用に向けての検討等を進めることが重要であるが、さらに体系的にリノベーションを推進していくためには、大都市の抱える諸問題と、それらの解決の方法について、より一層詳細に分析し、一方で東京圏の将来のあるべき姿を展望した上で、リノベーションの戦略、プログラムを定め、施策を推進していく必要がある。
 その際には、課題によっては広域的に対応すべきものも多いため、東京圏だけで大都市のリノベーションを完結するのではなく、広く首都圏全体で受け止めるといった発想も必要であり、第五次首都圏基本計画で打ち出された「分散型ネットワーク構造」の実現が重要である。また、今後社会資本の維持・更新費用の増大が見込まれること、長期的には人口減少局面になること等を勘案した費用の負担の問題にも配慮する必要がある。
 そもそも日本人は、限られた都市空間の中にも、路地、坪庭、火除地や広小路など、コミュニティ、自然とのふれあい、安全性確保の場を作り上げ、活用してきた経験をもっている。また、日比谷公園、東京駅など、次世代にも誇りうる良好なストックを残すことを意識した空間・建築物も造り上げてきた。
 都市問題は江戸のころからあったが、先述したように、諸問題を抱える現在の東京圏の姿は、ここ五十〜百年という比較的短期間に生み出されたものである。その修復、更新、有効活用―大都市のリノベーション―には、あるいはそれ以上の時間を要することになるかもしれないが、社会経済の構造変化に合わせながら、あるいは今後の首都圏人口の横ばい・減少局面をチャンスととらえながら、ゆとりとうるおいがあり、安全快適で美しい東京圏を目指して、息長く着実に推進していく必要がある。

6 平成十年度の首都圏での国土庁の主な施策

 (1) 首都圏基本計画の検討
 平成十一年三月二十六日に、第五次首都圏基本計画を決定した。本計画は、平成十一年度から平成二十七年度(二〇一五年度)までを計画期間とし、今後の首都圏整備に対する基本方針、目指すべき首都圏の将来像及びその実現に向けて取り組むべき方向を明らかにしている。

 (2) 業務核都市の新たな整備展開方策の検討
 現在八地域の業務核都市基本構想承認地域のうち、四地域を対象に重点目標の策定や都市の個性化など、育成・整備の新たな展開方策の検討を行っている。

 (3) 国の行政機関等の移転
 平成十年度には科学警察研究所、動力炉・核燃料開発事業団(現核燃料サイクル開発機構)、税務大学校若松町校舎の移転が完了した。

 (4) 筑波研究学園都市の建設計画等の改定
 二十一世紀に向けて筑波研究学園都市を科学技術中枢拠点都市として整備するため、平成十年四月に、研究学園地区建設計画及び周辺開発地区整備計画の改定を行った。

 (5) 工業等制限制度の緩和
 平成十一年三月二十六日に、「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律施行令」の改正を行い、京浜臨海部の工業等制限区域からの除外、中小製造業集積地域における工場の基準面積の引き上げ、大学院の規制対象施設からの除外などの規制緩和を行った。

 (6) 首都機能移転の調査対象地域の属地的調査と公聴会の開催
 国会等移転審議会において、調査対象地域の現地調査を含む属地的調査、公聴会が行われており、平成十一年秋ごろを一応の目安として、候補地の選定作業を進めることとされている。

 (7) 大深度地下利用の答申と制度化に向けた検討
 平成十年五月に、臨時大深度地下利用調査会が答申を取りまとめ、国会に報告された。この答申を踏まえ、大深度地下について、公共的利用の円滑化を図るとともに、適正かつ計画的な利用を確保するための制度について検討を進めている。


目次へ戻る

平成十年平均


消費者物価地域差指数の概況


総 務 庁


一 関東地方の物価水準が最も高い

 平成十年平均消費者物価地域差指数(全国平均=一〇〇)を地方別にみると、総合指数(持家の帰属家賃を除く)は、関東が一〇三・二と最も高く、次いで近畿が一〇一・七、北海道が一〇〇・三で、これら三地方が全国平均を上回っている。
 一方、最も低いのは沖縄の九三・七で、次いで四国が九五・七、九州が九六・三となっている。

二 人口規模が大きい階級ほど物価水準が高い

 都市階級別にみると、大都市が一〇五・三、中都市が九九・四、小都市Aが九七・七、小都市Bが九六・三、町村が九六・一となっており、人口規模が大きい階級ほど物価水準が高く、大都市の指数は町村に比べ九・六%高くなっている。

三 物価水準の最も高い東京都区部と最も低い宮崎市の格差は一五・五%

 都道府県庁所在市別にみると、前年に引き続き東京都区部が一一一・〇と最も高く、次いで横浜市が一〇七・九、大阪市が一〇六・八、静岡市が一〇四・八、京都市が一〇四・七、神戸市が一〇四・四の順に続いている。
 一方、最も低いのは、前年に引き続き宮崎市の九六・一で、東京都区部との格差は一五・五%となっており、次いで松山市が九六・二、那覇市が九六・五、徳島市が九八・一、鳥取市が九八・二の順に続いている。

四 食料の物価水準の最も高い東京都区部と最も低い鳥取市の格差は一一・五%

 食料の指数を地方別にみると、関東が一〇二・三と最も高く、次いで近畿が一〇一・九、東海が一〇一・一で、これら三地方が全国平均を上回っており、北海道及び北陸が一〇〇・〇と全国平均と同水準となっている。
 一方、最も低いのは、沖縄の九五・九で、次いで九州が九六・五、四国が九七・一、東北が九七・三、中国が九七・四となっている。
 また、都道府県庁所在市別にみると、東京都区部が一〇七・八と最も高く、次いで京都市が一〇七・〇、大阪市が一〇五・九、横浜市及び静岡市が一〇五・三の順に続いている。
 一方、最も低いのは、鳥取市の九六・七で、東京都区部との格差は一一・五%となっており、次いで秋田市が九七・五、高松市が九七・七、佐賀市が九七・八、福島市が九八・二の順に続いている。




台風に対する備え

 日本は「台風銀座」といわれるほど、毎年多くの台風に見舞われ、大きな被害がもたらされています。台風による被害を最小限にとどめるためにも、ふだんから次のような点について、心掛けるようにしましょう。
●日ごろからの心構えと準備
@防災訓練などのほか自治体、消防機関、自主防災組織などが開催する研修会や講習会などに参加して、知識を蓄え、いざというときの対応力を身に付けておきましょう。
A自分が住んでいる地域はどのような災害が起こりやすいのか、危険箇所はどこなのかなどを地元の自治体に尋ね、確認しておきましょう。
B一時的に避難する場所は事前に指定されています。自分が避難する場所や、安全な道順を確認しておきましょう。
C非常食、懐中電灯、携帯ラジオ、住所・氏名・血液型などを書いたカードを準備し、「家族防災会議」を開いて、役割分担などを決めておきましょう。
●台風が近づいたら
@強風による飛来物でけがをすることが多く発生しています。できるだけ外出は避けるようにしましょう。
A瓦(かわら)、窓、雨戸、雨といなどを点検し、特に商店の看板などは風で飛ばされないようにしておきましょう。また、排水溝などが詰まると水があふれ出すおそれがあるので、ごみなどの掃除をしておきましょう。
B浸水などが心配されるときは、家財道具や生活用品を二階などの高い場所へ移動しておきましょう。
 そのほか、常に早めの避難を心掛けることが重要です。
●避難するときの注意点
@単独行動は避け、地域の人たちと協力しあって避難しましょう。
Aお年寄り、体の不自由な人、病人、幼い子どもなどのいる家庭は特に早めに避難しましょう。これらの方々には、近所の人たちも気を配るようにしましょう。
B消防、警察など防災関係機関の広報に注意し、避難の勧告をうけた場合は、危険を感じなくてもできるだけ速やかに避難しましょう。住民への避難勧告の発令によって、毎年多くの人命が救われています。
C周囲の状況から危険だと判断した場合は、避難の勧告や指示がなくても、自主的に避難しましょう。住民が自主的に早く避難したため、被害を最小限に抑えた事例もあります。
D電気、ガスなど火の元の始末と戸締まりを確実に行いましょう。
E回り道でも、あらかじめ、確認しておいた最も安全な道順を選んで避難しましょう。また、垂れ下がっている電線には絶対触れないようにしましょう。
F避難するときの服装は行動しやすいものとし、ヘルメット、底の丈夫な運動靴、手袋なども用意しましょう。
G災害時には、まず何よりも、あわてずに落ち着いて行動することが肝心です。安全に、そして確実に行動するようにしましょう。
     ◇     ◇     ◇
 台風には大雨が伴います。
 昨年もこうした大雨に伴う土砂災害により、多くの尊い命が奪われました。
 特に、山や崖などの近くにお住まいの方は、早めの避難が重要です。
 また、台風が去った後でも、土砂災害には十分、注意しましょう。
(消防庁)



    <9月22日号の主な予定>

 ▽科学技術白書のあらまし…………………………………科学技術庁 

 ▽平成十一年二月労働力調査特別調査結果の概要………総 務 庁 




目次へ戻る