今回紹介した「銀河鉄道の夜」のほかに、宮沢賢治はたくさんの童話や詩を残しているんだよ。君たちも宮沢賢治の作品をきっと読んだことがあるとおもうよ。
代表的(だいひょうてき)な作品(さくひん)をあげると、風を呼ぶ不思議な少年を主人公にした『風の又三郎(かぜのまたさぶろう)』や、猫やねずみたちが音楽を聴(き)きにやって来る『セロ弾きのゴーシュ』、狩(か)りに出かけた人間が山猫(やまねこ)のレストランにまよいこむ『注文の多い料理店』、また「雨ニモマケズ」の詩もよく知られているよね。
 宮沢賢治が講義をした羅須地人協会の教室。
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●故郷(ふるさと)はイーハトヴ
宮沢賢治は、明治29年(1896年)8月27日に、岩手県(いわてけん)花巻(はなまき)町(現・花巻市)の裕福(ゆうふく)な家の長男(ちょうなん)として生まれたんだ。賢治は、盛岡高等農林学校(もりおかこうとうのうりんがっこう)(現在の岩手大学農学部)を卒業(そつぎょう)したあと、花巻農学校(はなまきのうがっこう)の先生として、生徒たちの指導(しどう)にあたりながら、童話や詩の創作(そうさく)もしたんだ。
賢治は、生まれ育った岩手県の自然(しぜん)や風土(ふうど)をとても愛(あい)していて、夢(ゆめ)の国という意味(いみ)をこめて「イーハトヴ」と呼んで、童話の舞台に何度も登場させているんだよ。
●学校をやめた賢治先生は・・・
 羅須地人協会の入口には、宮沢賢治が出かけるときに写真のように行き先が書いてあったという。
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29歳のとき賢治は、「生徒にりっぱな農民(のうみん)になれと教えるだけではいけない、自分も土をたがやし、農民といっしょに苦楽(くらく)をともにしよう」と、農学校(のうがっこう)の先生をやめて、ひとり暮らしを始め、羅須地人協会(らすちじんきょうかい)を設立、荒(あ)れ地の開墾(かいこん)もはじめたんだ。
農作業(のうさぎょう)のあいまには、農家(のうか)の青年(せいねん)や子どもたちが集まってきて、レコードコンサートや合奏(がっそう)をしたり、集会(しゅうかい)を開いたりしていたんだ。
東北のきびしい自然(しぜん)のなかでの農民(のうみん)の生活をより豊(ゆた)かにしようと、農業(のうぎょう)の技術(ぎじゅつ)の講演(こうえん)や、肥料の相談(ひりょうそうだん)のために、近くの村々をまわったり、農民を集めて、科学(かがく)や芸術(げいじゅつ)の講義(こうぎ)もしたんだよ。
●世界全体の幸福
 宮沢賢治が名付けた北上川の「イギリス海岸」。
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宮沢賢治は、「世界(せかい)ぜんたいが幸福(こうふく)にならないうちは個人(こじん)の幸福はあり得ない」と話していたそうなんだ。
体の強くなかった賢治は、毎日のきびしい生活で昭和3年(1928年)、病気(びょうき)になってしまうんだ。一度は回復(かいふく)したけれど、病気が再発(さいはつ)して昭和8年(1933年)9月21日に、37歳という若さで亡(な)くなってしまったんだ。
●魂の科学者
宮沢賢治は童話(どうわ)や詩が有名(ゆうめい)だけど、教育者(きょういくしゃ)でもあり、土壌(どじょう)、天文(てんもん)、気象(きしょう)などにくわしい科学者(かがくしゃ)でもあるんだ。そして、音楽(おんがく)や宗教(しゅうきょう)などにも、深い知識(ちしき)と体験(たいけん)を持った人でもあったんだ。賢治の童話は、ちょっと読むと不思議なことばかりだけれど、よく読むと科学者らしい観察も含まれているんだよ。そんな賢治を「魂(たましい)の科学者」と呼ぶ人もいるんだ。無限の宇宙のようにひろがる賢治の童話の世界を、君もぜひ体験してみてね。