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「故橋本龍太郎」内閣・自由民主党合同葬儀における追悼の辞


 本日ここに、正二位大勲位菊花大綬章、元内閣総理大臣、元自由民主党総裁、故橋本龍太郎先生の内閣・自由民主党合同葬が行われるに当たり、謹んで追悼の辞を捧げます。

 橋本先生、最近まで外交や環境問題に精力的に取り組んでおられた先生が、こんなにも早く逝ってしまわれるとは、思いもよらないことであり、驚きと悲しみを禁じえません。

 橋本先生は、昭和三十八年、亡くなられた父、龍伍氏の後を継ぎ、二十六歳の若さで衆議院議員に初当選され、爾後、連続十四回の当選を果たされました。ハンディキャップを乗り越え、社会保障・福祉政策に心血を注がれたお父上の姿を見て育った先生は、国民の福祉の向上に強い関心をもたれ、心身障害者対策基本法案の取りまとめにより、若くして頭角を現されました。環境問題の重要性も早くから認識され、環境庁の発足に腕を奮われるなど、まさに環境行政の生みの親でありました。

 四十一歳の若さで厚生大臣に就任されると、初当選時以来の公約である「福祉国家の建設」に精力的に取り組み、当時最大の薬害事件であったスモン訴訟の和解を実現されました。

 政界随一の政策通でいらした橋本先生は、その後、内閣と自民党の枢要ポストを歴任されました。自民党行財政部会長のときから取り組んでこられた国鉄民営化を、運輸大臣として仕上げられ、行革の橋本の名前を世に知らしめました。大蔵大臣の折には、メキシコやインドなど累積債務国に対する救済策を果断に遂行され、国際金融秩序の安定に大いに貢献されました。通産大臣在任時には、日米自動車交渉で、厳しい要求に毅然として対応され、交渉相手の米国からも高く評価されました。

 かねてより、二十一世紀の日本が世界でも例のない高齢社会になるとの問題意識をもたれていた橋本先生は、平成八年一月に第八十二代内閣総理大臣に就任されると、我が国の政治、行政、経済、社会のあらゆるシステムを作り替えるため、「変革と創造」の理念の下、自らの政治生命を賭けて改革に取り組まれました。

 先生がライフワークとされた行政改革では、一府十二省庁への行政機関の再編や、経済財政諮問会議の創設など内閣機能の強化を内容とする、中央省庁等改革基本法の成立を果たされました。この改革は、橋本総理の強いリーダーシップ故に実現した、我が国の歴史に深く刻まれる、偉大な業績であります。

 もう一つのライフワークである社会保障、福祉の分野では、介護保険制度を創設されるとともに、国際的にも、各国の知恵や経験を分かち合う「世界福祉構想」をリヨン・サミットにおいて提唱され、各国首脳から高く評価されました。

 金融に関しては、許認可に守られていた東京市場を、ニューヨーク、ロンドンと並ぶ国際金融市場に復権させ、円の国際的な地位を高める金融システム改革を主導されました。

 外交面では、日米関係について、クリントン大統領とのトップ同士の話し合いにより、沖縄の普天間米軍基地の返還の合意を取り付けられた一方、日米安全保障共同宣言、日米防衛協力指針の策定など、日米関係の再構築に力を注がれました。

 懸案であったロシアとの関係では、エリツィン大統領との個人的な信頼関係に基づき、対ロシア外交の基本方針を策定され、平和条約締結や、領土問題の解決に向けた取組を積極的に推進されました。

 地球環境問題にもリーダーシップを発揮され、京都議定書の取りまとめを陣頭で指揮されました。

 橋本先生は、危機管理にも心を砕かれました。在ペルー日本大使公邸の占拠事件で、日本人の人質が一人も犠牲になることなく解決したとき、涙を流され、「ああ、これで今日から安眠できる」とおっしゃったお話は、人命の重さと事件の解決を常に念じておられた橋本先生のお気持ちがよく伝わるエピソードです。

 総理の職を辞された後も、森内閣の行政改革・沖縄・北方対策担当大臣や党沖縄振興委員長として、沖縄問題の解決に特に強い思いを抱いて尽力され、沖縄県からも深く信頼を得ておられました。国連「水と衛生に関する諮問委員会」議長をお勤めになるなど、国際的な地球環境政策づくりにも積極的に取り組んでおられました。

 根っからの仕事師でいらした橋本先生ですが、実は剣道、登山、写真と多趣味でもありました。剣道は教士六段の練達の士で、公務の合間を縫って、稽古に汗を流されたと聞いています。また、ヒマラヤ遠征を何度も経験されました。先生が、様々な緊迫した場面において、粘り強く、果敢に対処してこられたのは、剣道や登山で培われた強い精神力と、的確な判断力の故でありましょう。

 一方、橋本先生は、人の命や気持ちを大切になさる、心の優しい方でございました。政治活動の合間を縫って、岡山のご自宅でお子様と遊ぶ、ご家族を大切にされる父親でいらしたとうかがっております。その橋本先生を、常日頃支えてこられた久美子夫人やご家族に対し、改めて敬意を表するとともに、かけがえのない方を失われた深いお悲しみに対し、衷心よりお悔やみを申し上げます。

 橋本先生。先生は、その類まれなる先見性をもって、二十一世紀の我が国の姿を見据え、必要な改革は、痛みを伴うものでも、躊躇なく断行されました。残された私たちは、先生が生涯をかけて追求された、次の世代が安心して暮らせる明るい未来づくりに、全力を挙げて取り組むことをお誓いして、お別れの言葉と致します。

 どうか安らかにお眠りください。

平成十八年八月八日
内閣総理大臣 小泉 純一郎