教育改革国民会議

教育改革国民会議第1分科会(第1回)・議事概要



(日時) 平成12年5月25日(木)16時〜18時
 
(場所) 虎ノ門第10森ビル5階会議室

(森主査)

まず、分科会の副主査に梶田委員を指名させていただきたい。会議の公開については全体会と同じく会議自体は非公開とし、会議終了後、主査からブリーフィングすることとしたい。議事概要、議事録は公開とし、他の分科会の委員にも配布する。

分科会の審議は、座長からは4回程度の開催を依頼されているが、4回にこだわらず6回程度予定している。特に御意見がなければ、このとおり進めさせていただきたい。町村総理補佐官から一言お願いする。

(町村内閣総理大臣補佐官)
 中間報告は総理への報告であると同時に国民への報告であるので、これを材料に、広く国民から意見をいただき最終報告につなげて行きたい。最終報告がちゃんと実行されるのか、言いっぱなしでは困るという指摘をいただいているが、この会議は総理の諮問機関なので最大限実行してゆく。早くまとまるのであれば、来年度の予算や法律改正といったことも視野に入れて受けとめて行きたい。

(森主査)
 実現可能性のある提案が審議できれば良い。進め方について何か議論があるか。

(浅利委員)
 答申は実行するというが、官僚組織が賛成していない部分があるとそこをよけていってしまうので、審議会の答申はあまり実行されない。政治家の力や法律だけではできない。文部省もただ事務取扱として控えているだけでなく、議論に参加してほしい。

(森主査)
 進め方についてはいろいろあると思うが、人間性論をやり出すときりがないので、人間性を前提とした「人間性を教育する方法論」について議論していただきたい。社会奉仕活動などの具体的な方法論を出さないと実現できないのではないか。また、この第1分科会では教育基本法の問題を避けて通ることができないので、その点も踏まえて検討していただきたい。今日は第1回ということもあるのでご自由に発言していただければと思う。

(沈委員)
 良い議論が出ているが、どのように広めて行くのかが論議されていない。この間のアピールがどの程度広まったものか自分なりに調べてみた。東京の文京区立金富小学校では、これが届いた5月11日にすぐに全生徒に渡したところ、各家庭でその夜話題になったという。これはとてもいい例だが、他方、ある県では、これをどのように取り扱ってよいのか指示する文書が届かなかったので、手元に置いたままにしているという話なども聞いている。情報の伝わるシステムを作らない限り東京で何を言っても届かない。活字メディアではなく、電波や電子など新しいメディアを使って、ダイレクトに国民に訴えるのも一案である。

(森主査)
 国民会議の議論なので、国民レベルに到達しないと意味がない。サーカスのような議論ではなく、誰でもできるラジオ体操のような議論をする必要がある。

(曾野委員)
 主査もまとめるのが大変だと思うので、400字詰め原稿用紙10枚以内で各々の意見をはっきりまとめてみてはどうか。書いてあるもののほうが配布や整理するのに適している。1回あたり3人分ずつ議論してゆけば会議は3回で済む。

(梶田委員)
 具体的に何をやったらよいのかを言わなければならない。「道徳教育を強化しましょう」ではダメ。例えば、「挨拶をしっかりする」というようなレベルの行動を列挙してはどうか。また、中央教育審議会や教育課程審議会など文部省の審議会でも青少年犯罪に関しては、何をやったらよいか議論していると思う。その資料も出してもらって、中央教育審議会等に比べてもうすこし長い見通しの議論を行ってはどうか。他の審議会と同じことを議論しても仕方がない。

(山折委員)
 中央教育審議会などでもかなり具体的な提案が出ている。学校教育や創造性の問題は緊急の課題を抱えていると考えるが、人間性についての根本的な問題は「人間観」の問題。明治以降の教育を見直し、日本の教育全体のあり方や根本に踏み込むことが必要なのではないか。この分科会の報告は、他の分科会の様々な提言に対する前文のような役割を果たすものになるのではないか。教育基本法に踏み込むには、学校教育などに対する前文的なことを考えなければならない。

(曾野委員)
 他の審議会の答申において具体策が網羅されているにもかかわらず、できないのは何故か文部省に伺いたい。

(河上委員)
 こんなことをすればうまくいく、というような単純なものではない。具体策が戦略なく網羅的に提言されていることが問題。心の教育を呼びかけても誰も動かない。行政が持つ力を出す時にきている。学校が力を発揮できるような具体的な武器を与えるべき。例えば、小学校に入学する段階で集団に馴染めない子どもが増えている。現在の学校はあらゆる子どもを受け入れざるを得ないが、一定レベルの家庭教育がなされていない子どもには就学を待ってもらうことも考える必要がある。これを行うことによって、家庭教育に影響をおよぼすことが可能かもしれない。たった3,4名の学校の枠組みに入らない生徒がいるだけで混乱が起きる。事件でも起こさない限り警察も何もできない。大多数の生徒の学習する権利が損なわれる。そういう生徒を今の学校とは違う場所で別のタイプの教育する権限を学校に与える必要がある。

(森主査)
 システムを構成しているのは人間。制度が悪いといってもおさまらない。教育委員会にその生徒をどこかへ移してくれと要望は出したのか。

(河上委員)
 教育委員会に要望を出してもダメ。今の法律上では誰も動けないようだ。

(森主査)
 具体的なプログラムをただ並べるだけではいけない。具体策も一番大切なものは何か、川上は何か、優先順位をつけるべき。文部省ができないと言うのは、各局がみんな大事だと言って優先順位がないからではないか。

(河上委員)
 義務教育の公立学校では停学や放校は基本的にできない。出席停止が可能だが校長に覚悟がない。今の学校のシステムでは問題のある生徒を教育する力はない。これを排除する力を与えられない限り学校現場はどうにもならない。「権限」を与えるだけでなく、問題ある生徒を排除する「義務」を課さないと校長は動かない。それができなければ校長を処分する必要もある。ただし、前提として学校が何をするところなのか明らかにならなければこうした主張はできない。学校が教育の場でないなら苦労してそこまでする必要はない。

(梶田委員)
 森主査の言うようにシステムの問題と人の問題がある。校長に生徒を排除する権限と義務を課せばうまくゆくのかどうか疑問。現状でも校長は義務を課せられているし、処分もされる。システムは同じでも運用により異なる。問題を抱える中学校に指導主事チームを常駐させて対応している例もある。また、具体策だけではどうにもならない部分があるため、明治維新からの流れ、敗戦からの流れの中で一つ一つの現象を意味づける必要もある。あれがいけない、これが悪いという嘆き節になってはいけない。とりあえず、文部省のアクションプランのうち、実施されたもの、実施されないもの、うまくいったもの、うまくいかなかったものを整理して出してほしい。

(小野文部省官房長)
 他の子どもの教育を受ける権利を侵害する子どもを物理的に排除するのでは、問題のある子どもにとっても不幸。むしろ楽しい学校にして、そういう子どもも勉強できるようにしなければいけない。公立学校が父母の信頼に応える学校教育をするためには、静かに勉強できる環境が必要なので、他人の教育を受ける権利を侵害してはいけない。公立学校がこのままでよいとは考えない。他人の教育を受ける権利を奪う人は、一定期間別のところで教育することも考えられる。

(森主査)
 それは事後的な消火対策。これに対して長期プログラムになると思うが、防火対策が必要。

(小野文部省官房長)
 授業を充実させて、そういう子どもが勉強するのはいいことだと思わせることが重要。

(森主査)
 そういう子どもが出てくる背景を直さなければならない。法務省は人権侵害について行政調査をしているが、調査では問題点がわからないので、研究をしなければならない。何故犯罪が起こるのかという、犯罪教育学を家庭と結びつけて、大量調査研究をする必要がある。

(小野文部省官房長)
 問題のある生徒について、教師を含めて普通の生徒が妨害させないような努力をすることが重要。

(勝田委員)
 教師の問題は大学も義務教育段階も共通している。大学については前から任期制を導入してはどうかと主張しているが、義務教育段階でもできないのか。よほどのことが無い限り定年まで勤めることができる職業は教師を除いて他にないのではないか。

(今井委員)
 学校教育の分科会では、任期制の問題について検討をお願いしている。今の学校の体制では、基礎基本を教える先生ではなく、子どもの能力を引き出す先生を配置できないのではないか。学校に地域の力を借りて教育を行う体制ができていない。また、休日や夏休みの部活やスポーツクラブが体験学習の妨げになっている。ボーイスカウトやガールスカウトも中学高校と進むにつれてできなくなっている。部活は曜日・時間を限定するなどの取り組みをしないと家庭に子どもが戻ってこない。

(河上委員)
 学校は塾とは異なり子どもが進んで通うところではない。子どもに教師の言うことを聞くという姿勢がなければ、どんなに優秀な教師でも授業を成り立たせることはできない。今の教師に能力がないという意見もあるが、それを全部取り替えて能力の高い教師をつぎ込めば問題が解決するという単純なものではない。今まで学校が果たしてきた役割が果たせなくなってきている。今後もその役割を果たして行くべきか否かを考える必要がある。学校という国家のシステムが揺らいでいる。

(森主査)
 学校の役割は原則として変わっていないし、変わってはいけない。例外が多すぎるので原則が脅かされすぎている。

(河上委員)
 原則が変わらないとは大多数の人は思っていない。

(森委員)
 そのような背景を是正してゆく、だから、長期的なプログラムが必要。ただし、短期的には問題のある子どもを一時的にどこかへ移すようなことも必要。

(山折委員)
 小学生ぐらいの子ども50人を一カ所に隔離して集団生活をさせる実験をアメリカの精神科医が行ったところ、二手か三手に別れて喧嘩を始め、最後には殺し合いを始めるようになる。人間は放っておくと限りなく野生化する。人間を飼い馴らすために、宗教、学校、軍隊、スポーツ等の文化的な装置が考え出された。本来の学校は人間をしごいて飼い馴らす機能を持っていた。人間を飼い馴らすことが必要であるという根本が忘れられている。このことを国民にアピールして、覚悟してもらう必要がある。

(曾野委員)
 具体性のある教育の基本論、例えば、現代国語に代えて哲学と古典の時間にするなど現実性のある議論してみてはどうか。

(浅利委員)
 徹底的な「猛訓練」で俳優を育てている。この場合、教える側と教わる側に目的の共通性があるので成り立っている。教育の場では、教わる側と教える側の間に目的の共通性があることが必要である。塩野七生氏からは、日本の義務教育は、イタリアに比べて内容が多すぎると言われた。義務教育が一律なものになりすぎている。「義務教育を廃止しろ」とまでは言わないが、義務教育は国民皆兵的な思想と表裏の関係にあるのではないか。義務教育を見直すことで「多様化」を図り、子どもが目的を選択するようにするべき。

(梶田委員)
 豊かで価値観が多様化したため、学校が何であったかわからない時代に入っている。国民会議で出す具体的な行動リストは不完全でいいが、「ここで時代が変わったぞ」「変わらないと日本が滅びるぞ」といった強烈なアピールをするショック療法が必要。アメリカの「Nation at Risk」も一種のショック療法だった。

(河上委員)
 文部省の行ってきた教育改革の基本理念は「自由化」と「個性化」。この結果、生徒は教師の言うことを聞かなくても良いと考えるようになった。世の中の全体が「自分の好きにしていい」という雰囲気なので、文部省を責めるつもりはないが、教師が子どもを一人前の社会人にするための強制力を発揮するのは難しくなった。日本の学校は、学力の面と生活の面の2つをやってきたが、文部省の教育改革は教科中心になっている。教師としては生活の面がなくなれば楽かも知れないが、それで良いかは大きな疑問がある。

(小野文部省官房長)
 個性尊重は臨時教育審議会の基本哲学だが、もちろん生徒がなんでも自由にして良いというわけではない。

(河上委員)
 しかしながら、教育改革が学校の現場に入ってくると「叱るのはダメ、誉めなさい」「押しつけはダメ」という指導になった。一人一人の子どもに合った指導をと言われたが、現実には不可能なので、教師が身動きをとれなくなった。その結果、小学校での学級崩壊が加速された。また、子どもたちは怒られたことがない。きつい言葉で叱られた体験がないので、自分でやりたいと思うことをやってしまう。学校で教育するのが難しくなった。

(小野文部省官房長)
 教育論としては、能力を伸ばすようにやるのはいい。しかし、「してはいけないことは、してはいけない」と学校・家庭・地域でそれぞれ言うべき。

(曾野委員)
 教師たちはどうしてそれに反抗しなかったのか。教師たちに責任があるのではないか。

(木村委員)
 アメリカ、ヨーロッパと比較して日本の子どもはおかしいと思う。「あるいけない行動に対して、自分の勝手だからいいではないか」という設問に対して「イエス」と答えた子どもが80%を超えている。アメリカ、中国では10%にすぎない。こういうことも前提として教育のシステムを考えなければいけない。アメリカでは、学級崩壊を引き起こすような子どもは一カ所に集めて教育したほうが本人のためにも良いとされ、そのような学校もできている。日本も多様化する必要がある。もはや一律には扱えない。

(浅利委員)
 子どもが「目的」を持つことと、大人が子どものなりたいものに向かって育ててやることが大事。小さい時から目的意識は持てる。

(河上委員)
 学校というものを限定的に考えてほしい。学校は社会的自立のための機関。俳優や小説家になる等、どう生きるかは子どもの自由であって学校は介入すべきではない。

(浅利委員)
 義務教育の9年間は嫌だった。大学ではすでに人生の目的を他に持っているのに、負担な授業を受けるのは辛かった。

(森主査)
 人間にはいくら教えてもわからない人と、教えなくてもわかる人がいる。後者は本当に少ない。

(河上委員)
 浅利委員は学校にいかなくてもよかった人。教えなくてもわかる人は1%いるかどうか。義務教育の学校は圧倒的多数の教わらなくてはわからない子どもを預かっている。

(森主査)
 学校はいろいろなことを引き受けすぎている。世界的にも政治家等のエクスキューズに使われている。学校の多様化を図るためには機能を単純化する必要がある。

(河上委員)
 学校に社会人を育成する機能を期待するならば、もう一度役割をはっきりさせ、権限を与えることが必要だ。

(梶田委員)
 学校現場は、10年前に比べて引き締まってきている。きれい事やいい加減な気持ちではやれない状況になっている。

(曾野委員)
 小学校5,6年生以上には、当人に50%、親25%、教師と社会がそれぞれ12.5%というように、教育の責任を本人にはっきりと負わせることが必要。

(河上委員)
 曾野委員が言うように社会全体がそのように考えるのであれば、学校の負担は10数%で十分。しかしながら、小学校5年生までに自分で責任を負えるようになっていないのが現状。そこが根本的な問題だ。

(浅利委員)
 就学を1年間待たせるというのも多様化の中の選択肢の一つとして良いと思う。家庭教育もしっかりする。学校に行かせるために最低限やらせるべきことを記した「育児憲章」のようなものを出してはどうか。

(梶田委員)
 昔の家庭のように両親がちゃんといるとは考えない方が良い。親がいないことを前提としながら目を覚ましてもらうにはどうしたら良いか論議するべき。

(今井委員)
 かつては子どもが生まれる喜びがあったが、今は子どもができたことを契機に結婚するケースなど、子どもが生まれることについて母親が素直に喜べない状況がある。子どもを育てる責任について、男女ともに出産前後に親教育を徹底して受けさせるなど、自分たちの責任で子どもを育ててゆく自覚を促すことが必要。また、幼稚園や保育園は伸び伸び教育なので、教師もなかなか叱らない。保育園と学校の連携ができていない。子どもが大きくなっていくとどのようになるのか幼稚園・保育園の教師にはわからない。

(曾野委員)
 子どもを育てる責任についての親教育をする前に、妊娠中絶の自由の問題がある。「産む・産まない」は女の自由などではない。恋愛は自由かもしれないが命の宿った途端に重大な責任が発生することをはっきり言うべき。

(今井委員)
 子どもを産む責任と仕事を同一レベルで論じることは間違い。PTAの先輩から「仕事は仕事。子どもにかかわる責任は、仕事をしていようが、していまいが全く同じ。」と言われた。

(町村内閣総理大臣補佐官)
 教育基本法の問題について是非審議していただきたい。今の教育基本法は、9割方学校教育基本法であり、家庭教育や地域社会教育についてはほとんど触れられていない。ある意味非常に偏った教育基本法であると考える。この点も議論していただきたい。また、日本の社会全体が自由・権利を主張しすぎて義務・責任を忘れ過ぎているのではないか。「平等」というのが戦後の社会を貫く理念だったが、これが行き過ぎて「悪平等」になり教育現場と親の意識をおかしくしている。それを今回ショック療法で是正して行けるのか議論していただきたい。

(森主査)
 先ほど中曽根文部大臣が立たれるときに、文部省において中央教育審議会で何をしたか、教育課程審議会で何をやったか、何をやらなかったか整理させているので、次回にでも発表していいとの話があった。

(沈委員)
 家庭教育に父親の参加がないということも議論すべき。父親が勉強する機会や、教育に参加する機会を増やす努力をする必要がある。父親不在の教育がいろいろなトラブルを起こしている。

(勝田委員)
 基本法の前文と第1条には人類の「類」と個人の「個」しかない。「類」と「個」をつなぐ国家、民族、伝統と文化、家族、地域社会というような中間の「種」が抜け落ちている。また、「宗教的情操の教育」がない。モラルの問題はこれがあって初めて鮮明に描けるもの。

(森主査)
 教育基本法以外にも様々な基本法があるが、教育基本法だけが占領下に作られている。他の基本法と比較した資料が事務局にある。必要があれば配布する。

(勝田委員)
 「育児憲章」を新しい教育基本法と一緒に出しても良い。

(浅利委員)
 文部省は、客観的なデータではなく、子どもたちの心の頽廃の原因に関する考え方に踏み込んだデータを出してもらいたい。

(梶田委員)
 基本法については、一回丸ごと使って議論してもよい。教育基本法を論議し、国を挙げて考える契機とするのもショック療法としては有効。

(浅利委員)
 教育基本法の改正には反対論が出てくる。超党派の人たちに話しかけるべき。

(森主査)
 結論はどう出ようと、憲法調査会ができただけでも意義があるのと同様に、(基本法について)国民会議で議論しているというだけでも意義がある。

(山折委員)
 宗教的情操の問題を議論するには、戦後の政教分離政策に踏み込まざるを得ないのではないか。

(河上委員)
 親も子どもも「畏れを知らない」ということがある。人間とは違う絶対的なものの存在を認知させることが「宗教教育」なのでは。

(浅利委員)
 宗教教育を具体的にどうやって教えるのか。

(森主査)
 教師の権威一つとして「人格的権威」がある。

(河上委員)
 宗教教育を具体的にどうやって教えるのか私にはわからないが、「人格的権威」については、これを認める共通の土台が解体している。

(森主査)
 「教壇」のような「制度的権威」がなくなったため、これと相互補完関係にある「人格的権威」もなくなってしまった。教壇を復活すべき。

(森主査)
 次回の分科会審議の前に、各委員から一番重要だと思われることと教育基本法についてペーパーを提出していただき、それに基づき次回の審議事項を決めたい。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。