教育改革国民会議

教育改革国民会議第1分科会第1回議事録

平成12年5月

教育改革国民会議 第1分科会第1回・出席者一覧
(敬称略)
 浅利 慶太劇団四季代表
 今井 佐知子社団法人日本PTA全国協議会理事
 梶田 叡一京都ノートルダム女子大学学長
 勝田 吉太郎鈴鹿国際大学学長・京都大学名誉教授
 河上 亮一川越市立城南中学教諭
 曾野 綾子日本財団会長、作家
 沈 壽官薩摩焼宗家十四代
(主査)森 隆夫お茶の水女子大学名誉教授
 山折 哲雄京都造形芸術大学大学院長
 木村 孟大学評価・学位授与機構長
 黒田 玲子東京大学教授

教育改革国民会議第1分科会第1回議事次第

日時 :平成12年5月25日(木) 16:00〜18:00

場 所:虎ノ門第10森ビル5階

1. 開会
2. 今後の審議の進め方
3. 審議事項等に関する全般的検討
4. 今後の審議日程
5. 閉会

開 会

【森主査】 教育改革国民会議第1分科会、人間性部会の会議を開きます。

 教育改革国民会議での人間性の検討でございますから、人間性論の検討もさることながら、人間性を高めていくといいますか、人間性教育論といいますか、人間性教育方法論ということの方に重点を置いてご議論いただければ幸いかと思います。
 それでは、よろしくお願いいたします。

副主査指名

【森主査】 まず、副主査の指名をさせていただきたいと思います。
 副主査には、梶田先生にお願いしたいと思いますが、いかがでございましょうか。

〔拍 手〕

【森主査】 よろしくお願いいたします。

分科会公開の取り扱いについて

【森主査】 次は、分科会の公開の取り扱いについてでございますが、全体会議と同様にしてはいかがかと思います。つまり、会議自体は非公開、分科会終了後、主査よりブリーフィング。会議資料、議事概要、議事録は公開いたします。これは全体会議と同じ方式でありますが、それでよろしゅうございますか。

〔「はい」という声あり〕

【森主査】 どうもありがとうございました。

スケジュールについて

【森主査】 それでは、本日の議題であります討議に移らせていただきますが、まず全体のスケジュールでありますが、分科会の審議内容といたしましては、森総理の方から「夏ごろまでに中間報告を」ということが求められております。分科会では、中間報告に向けて具体的な検討をしなくてはいけないのですが、分科会のまとめを7月中旬ということにいたしまして、8月以降、全体会を開催いたしまして、9月中・下旬に中間報告をまとめる。そして、分科会が3回くらい行われた時点で、3つの分科会の総合調整を図るために企画委員会を開きまして、分科会相互の連絡調整を行いたいという考えでございます。なお、分科会は中間報告以降も存続して、その都度、適宜開催するということになるかと思います。

 次に、中間報告につきましては、会議の中間的な取りまとめとして位置づけられるわけでありますけれども、できるだけ骨太な報告といいますか、大体、方向性の決まったものにするということを目標にいたしまして、方向が出るものは出してしまう。方向性の出ないものは、「審議過程の概要」という形で出したらどうかということであります。

 第3点は、中間報告の位置づけに対して、分科会の方のまとめ方についてでありますが、この分科会でも方向の出るものは出す、出せないものは「審議経過の概要」という形にする。なるべくならば、方向性が出せたらいいのではないかと思いますが、なかなか問題が多岐にわたりますので、難しいといった感じもいたします。

 4番目は、国民会議の中間報告につきまして、国民の皆さんとの意見交換といいますか、そういう形で10月から11月にかけて公聴会あるいはシンポジウムなどを開きまして、その後の最終調整をしたい。でありますから、分科会での公聴会といったものは考えないということであります。

 以上でございますが、いかがでございましょうか。

 なお、分科会の日程につきましては、座長の方からは4回程度と言われておりますが、これは4回にこだわらずに6回程度を予定しております。皆さんのお手元に資料があると思いますが……。

 座長からは4回という要望がございましたが、4回ではとうてい議論ができないのではないかということで、6回程度予定しておりますが、第2、第3では7回を予定したりしているようでございますが、その都度、回数にこだわらず開けたらと思っておりますが、できるなら6回くらいでというふうに考えております。

 以上の説明につきまして、何かご意見ございますでしょうか。特に、ご意見がなければ、そのように進めさせていただきたいと思います。

 ここで、町村総理補佐官からごあいさつをいただきます。

あいさつ

【町村総理補佐官】 大変にありがとうございます。

 精力的な、6回、忙しい皆様方にお出ましいただくことを本当に大変ありがたいことだと思っておりますが、ひとつよろしくお願い申し上げます。

 なお、今、中間報告を9月中・下旬ごろというお話を主査からいただいたわけでございますが、これは総理にご報告いただくと同時に、当然のことですが、国民への報告ということでございまして、この中間報告について国民との対話の材料にするという形で広く国民からのご意見をいただき、直す点があればまた直し、それで良ければそのまま最終報告に持っていくという姿かなと思っております。

 それから、何人かの方々から「中間報告あるいは最終報告をちゃんと実行してもらえるんでしょうね。言いっ放しでは何のためにやっているかわかりません」というご指摘をいただいております。まことにごもっともでございまして、これは総理の諮問機関でございますから、最大限実行していくということは当然であろうと思っておりますし、もし早くご意見がまとまるものであれば、来年度予算あるいは法律改正といったことも視野に置きながら、皆様方のご意見を受け止めさせていただきたいと考えているところでございます。きょうは文部大臣もおこしいただいておりますが、文部省を中心としていろいろな形で受け止めさせていただければと思っております。

 いずれにいたしましても、この分科会、ある意味では教育の根本に遡ってご議論いただく分科会という意味で、主査をはじめお取りまとめは難しい部分もあろうかと思いますが、できるだけ教育の根本に遡ってのご議論をいただければありがたいと思っておりますので、どうぞひとつよろしくお願い申し上げます。

 簡単でございますが、以上でございます。

【森主査】 どうもありがとうございました。
 ただいま、「来年度教育予算を視野に入れて」という力強い励ましの言葉もありましたので、実現可能性のある提案が審議できたらと思います。

1.今後の審議の進め方

【森主査】 これから本題に入りますが、「審議の進め方」でございますが、特にこういうふうに進めたらいいというご意見がございますでしょうか。

 全くフリートーキングでよろしいのですけれども、進め方について何か議論がございますでしょうか。

【浅利委員】 今、町村さんから「この答申はぜひ実行する」と承り、心強く感じたのですが、でもリアリズムでいいますと、過去いろいろな政府の審議会委員として出してきた答申が、あまり実行されていない結果が多いんですね。いい議論があり、実行されていたら、随分世の中が変わっていたのにと思うことがあります。

 民間有識者が集まって意見を出す──それが執行段階では各省庁へ下りていく。しかし官僚組織が必ずしも賛成出来ない部分があると、避けられてしまうということがままありました。改革は政治家の力だけでは実現はできない、法律をつくることもできない。これは、今まで苦々しく思ってきたことでもあります。

 こう言うと私の立場は“反官僚”のように思われるかもしれませんけれど、そうではありません。例えばこの教育問題というのは、担当している文部省の人たちが一番実感的に悩んでいる問題であると思うんです。だから今回は、文部省が事務取り扱いで控えていて、有識者が出す答申を実行に移すという形式よりも、むしろ教育現場に触れている、行政の現場に触れている人として一緒に議論に参加してもらった方がいいのではないか。議論を激突させてもらいたいと思っているんです(笑)。お互い「何を言っているんですか」ということを言い合う方がいいと思う。そこでまとまったものは、これは実行可能だと思うんです。

 「そんなことを言っても空論です」とか、「そういうところを改めてもらわなくては困るんだ」とかいう議論をして、それで煮詰まったものが出た場合には、これは例えば政権が交代しようとも、大きな指針になっていく。

 一つの例を申し上げますと、大平内閣のときに総理特命の9つの政策委員会がありました。そのとき、各省の課長クラスの人が出てきて、我々民間と官民半々で政策をつくりました。その最中、大平さんが亡くなられた。ところが、この答申を中曾根さんは精読されたんですね。中曾根内閣になったときにその中のいいところが政策として実行に移された。この時期立案に参加した課長さんたちはすでに局長や次官になっていた。自分達が議論した案を官邸が実行し始めたから、これはいい結果につながりました。中曾根内閣が大きな仕事をした理由の一つにこれがあります。

 私は今回は、文部省がただ単に事務取り扱いだけではなしに、議論に参加してもらいたい。

【町村総理補佐官】 きょうは大臣もお見えでございますし、あちらに次期次官予定者、官房長も出席しております。

 ここは適宜、大臣なり、官房長あるいはしかるべく文部省の方も出ておりますから、むしろ皆様方の方から、「これは実際どうなのだ?」というのでどんどん振っていただければ、彼らもその場からどんどん質疑応答といいましょうか、応答するというような形でどうでしょうか。

 ただ、一応、このテーブルは委員の皆さん方のテーブルでございますから。

【浅利委員】 遠慮しないで言っていただけますかね。

【町村総理補佐官】 はい。むしろ、彼らも望むところかもしれません。

【浅利委員】 「あなた方、素人だ」ということを言ってくださっていいんですよ。そうすると、「何言っているんですか。あなた方こそ専門家ボケだ」ということを僕らも言わせてもらいたい(笑)。その議論がかみ合えば、ある程度まとまったものが出るのではないかと思います。

【森主査】 ありがとうございました。

 委員の方からも、文部省へ質問という形でなさったらいいと思うんですが、資料につきましてもこういう資料が欲しいということがありましたら、どうぞ事務局の方へ申してくだされば、文部省から資料をいただける、そういう手はずになっておりますので、あわせてこの際ご報告させていただきます。

 それでは、進め方もいろいろあると思うんですが、先ほど私が申しましたように、人間性論をここでやりますと、ジャングルの中に入ったように、これは大変なことになると思いますので、一応、人間性論を前提としながら人間性教育論といいますか、人間性教育方法論──既にもう出ておりますが、社会奉仕活動とか具体的な方法論を出さないと実現できないのではないかと思います。

 人間性の不易なるものは、既に「知・徳・体」とか「真・善・美」とかいろいろ言われておりますので、それに流行的なものが加わって、我々は人間性とか国民性とかいろいろ考えているのではないかと思うのですが、そういう意味で人間性を前提としながら、教育方法論により積極的な、国民が身近な問題で考えられるようなことをお考えいただければということが一つであります。

 それから、もう1点ですが、資料の最初のところに「共通的審議事項」というのがございます。そこの第1が「教育基本法の検討」ということになっておりますけれども、この問題が第1分科会の最後の3ページの3でも「教育理念の再考」ということで、教育基本法の検討ということがございます。ですから、第1分科会では教育基本法の問題を避けることができないので、その点の取り扱いをどうしましょうかという点が一つございます。

 今、申し上げたようなことを念頭に、きょうは第1回目でございますから、ご自由にどなた方からでもご発言いただきたいと思うのですが、いかがでございましょうか。

【沈委員】 鹿児島の沈壽官であります。

 最初からずっと発言もしないで、ご意見を承ってまいりました。大変すばらしいご意見で、むしろ感動しながら承っていたのですが、ただこんないい考え方を田舎の一軒家まで、あるいは都会のアパートの中にいる母子家庭にまでどうやって届けるのか。そういう方法論が全然論ぜられなくて、おいしいごちそうだけが並んでいるような感じで、いささかがっかりしていたのです。

 例えば、この前、江崎先生のアピールがございました。これが一体どこまで、どう届いているのだろうか。それを私なりに友人を通して、各県やいろいろなところを調べてみました。これはいい例ですから、東京の学校の名前も言いますが、文京区立金富小学校、校長は浅川という方です。この方は11日にこのアピールが届くと、急遽これを刷って、「保護者の皆様へ。文部省よりアピールが届きました。各ご家庭でお子さんと話し合ってください」。こうしたものを緊急に全生徒に持たせて帰って、その夜は話題になった。これは東京のとてもいい例です。

 ところが、昔からの友人を通して各県の状況を聞いてみますと、「文部省からこれが来た。ところがファックスが故障したのか、いかに取り扱えという鏡書きがなかった。そのために手元に置いてある」という県もありました。あるいは、「内容を見ると命の尊さを書いてある。これは私たちが今出そうと思って準備している資料と同じだから、その資料ができたら載せて出そうと思って、手元にある」。ある県では、「町村に流した」と言っていました。その町に不特定に電話をしてみると、「5月の半ばに町中の幹部を集めるわけにはいきません。6月の中旬に会がありますから、その節にこの『緊急アピール』をみんなにお届けしたい」。実は、そういうぐあいの組織であり、その組織が非常に疲労しているのだという感じがするのです。このパイプをしっかりつくらなければ、東京で何を決めても、恐らく届かないだろう。一番必要な人には届かない状況が現実にあるのではないかと思うのです。

 今まで「集める社会教育」ですから、200万人の県で2,000人を会場に集めたら膨大な数に見えるのです。これは成功したと思えます。しかし、実際は0.1%に過ぎないのです。少なくとも「集める社会教育」は、集まった人がまた次に伝えていく生涯教育ですね。そうしていくうちに、温度が冷めて、内容が粗悪になって、必要な家庭にほとんど届かないという問題が起きております。ですから、こうした中央の決定あるいは党委員会の結論が本当に下まで届くための方法を一回検討する必要があるのではないか。

 この前、年寄りの会に行きましたら、一人の老人が「うちの嫁がシイタケ料理を始めた」というので、「それはどげなことな?」と聞いたら、お嫁さんはシイタケが嫌いだったそうです。自分も食べなかったし、子どもにも食べさせなかったらしい。ある日、シイタケ料理をするので「どげんしたの?」と聞いたら、「テレビで、子どもの好き嫌いは親のせい」というコマーシャルの一つを見て、やつがシイタケを刻んでオムレツをつくりはじめた。「わしは何回も言ったが、テレビの一言にはかないませんな」と(笑)。

 そういったときに、私たちが今伝えているものは活字のメディアか、活字メディアの変形の形をずっと戦後50年間とり続けてきている。電波とか電子とか、こうしたものを使いながら、できるだけダイレクトに意思の伝達をする方法がないのか。

 生涯教育局の予算は、文部省5兆円の中で0.7%。もちろん、学校、義務教育費とかいろいろありますから、四百何十億は大きな金だと思いますけれども、そういうところにもう少しお金を入れて、新しいメディアを使って、ダイレクトに打って出るという方法を考える。

 先生が「人間性の方法論を語れ」ということで、情報の末端をご報告しておきました。

【森主査】 どうもありがとうございました。

 私も前に申し上げましたように、国民会議の議論ですから、国民レベルまで到達しないといけないので、空中戦のような議論ではなくて、戦争にたとえてはまずいのですが、地上戦といいますか、サーカスのような議論ではなくて誰でもできるラジオ体操のような議論、もっと別な言葉で言えば、消費税というのは今まで税金を納めていない人がみんな自分の身になって議論したように、教育における消費税的な問題提起ができれば国民各層に伝わって、自分のものとして一人ひとりにお考えいただけるのではないかと思います。

 私があまりしゃべってはいけないので、どうぞ。

【曾野委員】 主査も大変でいらっしゃろうと思いますので、今、ここにいらしゃるのは、10人でございますね。そういたしますと、一人、原稿用紙で400字詰めで10枚以内にはっきりしたものをまとめてまいりますと、書いたものの方が配ったり、後でご整理になったりするときに楽だと思うのです。私などはしゃべるときに右往左往いたしますので、家で一回静かに書く方がよろしいと思いますので、一回に3人ずつやるとたった3回で全部の意見がきちんとまとまると思いますので、その上で主査がおまとめくださいまして、私どもの分科会の仕事というふうに出していただいて、日程の割り振りをいただけませんでしょうか。

【森主査】 最後にそのことを申し上げようと思ったのですが、きょうは第1回目でございますので、今のようないろいろなご意見をお伺いして、最後にお一人ひとり一番重要なことを原稿用紙で書いていただこうと思っていました。

 いろいろな問題が出まして、議論がありますと、それに派生して「私も」「私も」と言って、自分の本当に言いたい議論をしないで終わることがありますので、最も大事だということを一つないし二つ、三つでもいいですけれども、書いて出していただこうということはきょうの会の最後に申し上げようと思ったのです。どうも貴重なご意見ありがとうございました。

【浅利委員】 次回に5枚くらい自分の意見を書いてきて、みんなが読んで、議論した方がいいですよ。それが一つ。

 それから、1回の発言を委員が5分以内というふうに厳守しませんか(笑)。かなり突っ込んだ議論が5分以内にできるようにしたい。あと1時間35分しかないですから。

【森主査】 きょうは第1分科会以外の方がお二人見えていますが、全く同じ立場でご自由に発言いただきたいと思います。

 どうぞ。

【梶田委員】 私は熱が入ると5分で終わらなくなるので、できるだけあれしますけれども、今いろいろと出ておりますように、最後は具体的に何をやったらいいかというところにいかないと何もならないと思うのです。例えば、「道徳教育を強化しましょう」ではだめであって、どの学校でも「おはよう」と「さようなら」のあいさつは必ずやるようにしましょうとか、あるいは町でも隣近所の子どもに必ず声をかけて、「おはよう」とか「こんにちは」とか言うようにしましょうとかいう、そのレベルに降りないといけないと思うのです。そういうレベルの具体的な行動に移れるようなものが列挙できれば、非常におもしろいのではないかなと。これは、学校でやれることも、町でやれることも、職場でやれることもいろいろとあるだろうと思うのです。これを一つを思いました。

 それから、もう一つは、今、中央教育審議会とか教育課程審議会とか、そのほか文部省自身のいろいろな審議会がもたれていて、17歳の子どもは何であんなことを次々やるだろうとか、現状認識の度合いは同じようなことを基にして、何をやったらいいかということを同じように論議していると思うのです──私はよく知りませんけれども、しているだろう。そうしたら、その資料もここで出していただきまして、つまり学校で具体的に何をやるかというと教育課程審議会ですね。あるいは中央教育審議会で、もう少し広い範囲からこういうことを言われていると。ここは国民会議ですから、「それ以上」というとおかしいけれども、もう少し抽象のレベルを上げるといいますか、見通しを長くするといいますか、やることは今すぐやれることでないといけないですけれども、見通しそのものはもっと長いところからやるにはとか、幾つかやらないと、いろいろな会で同じようなことを繰り返しやっていても……という気もします。

 文部省の方から、そういう資料も出していただき、場合によってはここまでは話が詰まっている。ここまでやろうとしているのだという、それを出していただくと、という気もいたします。

【森主査】 どうぞ。

【山折委員】 ただいまお話に出ましたように、具体的な議論をするということはもちろんそのとおりだと私は思いますけれども、今も話に出ましたけれども、例えば中央教育審議会などでは、かなり具体的な提案は出ているのです。ほとんど網羅的に出ているのではないかと思います。ここで、具体的にどうする、こうする、日常的な生活の中で、学校現場でこういうことをした方がいいのではないかといういろいろな具体的な提案が出ても、かなりの部分はダブッてしまうという気がします。ほとんど出ているような気がします。

 以前、文部省の「心の教育」の委員会に私は出ておりましたけれども、これ以上、見つけられないくらい具体的な施策が出ているわけです。それを、またここで同じことを提案して、どれだけインパクトを社会に与えることができるか、ここを一つ心配いたします。

 そのことと関連して申し上げたいのですが、3つの分科会に分かれております。「人間性」と「学校教育」と「創造性」でしょうか。私の理解では、「学校教育」の問題とか「創造性」の問題は、すぐいろいろな手を打たなければならない緊急の課題を抱えていると思います。しかし、「人間性」という問題となると、やはり明治以降130年なり、戦後50年なりの日本の教育全体のあり方、その根本を考え直すというところに踏み込むところで、初めてこの第1分科会の意味が出てくるのではないかと一面では思っているわけです、──むろんそれだけではありませんけれども──。

 人間性についての最も根本的な問題は“人間観”の問題だろうと思います。人間観について明治以降の我々の教育は良かったのか、まずかったのか。ある段階まで良かったけれども、それ以上何を付け加えなければならないのか──そういう議論の方が、この分科会としては大事ではないかという気が私はしているのです。

 もし、そうであるとすれば、いろいろな提案をしていく場合の言わば「前文的」な問題をここで議論するのかなと。憲法においては前文があります。教育基本法の問題に踏み込むとすれば、当然、そういう前文的なものをベースにして議論をしないといけない。ほかの分科会でできるかというと、学校教育、学校制度とか創造性の教育はあまりそこのところに踏み込めないのではないかと思うのです。

 ですから、具体的ないろいろなご提案があって、それについて個々に議論するのは非常に大切なことだと私は思います。また、この会議で新しく出てくる具体的な問題も当然あるだろうと思いますけれども、そちらの方向に重点を置くと大事なところが抜けてしまうのではないかという不安を私はします。

【曾野委員】 今、山折先生がおっしゃいました「網羅しているけれども、できない」、それこそ文部省にお伺いしたいと思います。どうしてできなかったのか。別にきょうでなくても結構ですが、こういうものができて、こういうことができなかったというご返事をいただきたいと思います。

【河上委員】 私も山折先生の話の中身と全く同じ感じを持っています。具体的なことにとらわれていると本質を見失うのではないのではないかという感想を持つのです。思いつきはいっぱいいろいろ出ています。多分、曾野さんがおっしゃったことに対する現場の教師の回答ということになるのだろうと思うのですが、いろいろなことをいろいろな方がおっしゃって、こうすればこうなるだろうということがあるのだろうけれども、私が現場で生徒を見ている、あるいは生徒の裏にいる親を見ている実感としては、「こんなことをすれば、こんなふうにうまくいくだろう」ということはほとんど考えられない。そんな単純な事態ではないだろうという感じが強くするのですね。

 今、現場にいて私たちが右往左往しているのは、「戦略がない」というふうに言っていいと思うのです。先ほど「骨太の」とありましたけれども、こういう戦略のもとにここを攻めるのだというものがなくて、いろいろな思いつきが出てきている。しかも、それはほとんど現実を動かす力にはならないという、そういう感じが強くあるのです。

 これは藤田先生がおっしゃっていることと同じようなことになるかもしれませんけれども、例えばこちらで呼びかけたからといって動くような事態ではないだろうという感じがするのです。「心の教育」は大切だということは誰でもわかっているのだけれども、実際にどうしたらそういう動きがでてくるのか、そこが最大の問題なのです。私は、ある種の「力」、つまり、文部省なら文部省が持っているあるいは国家が持っているある種の「力」を具体的に発揮するということを突破口にして攻めるしかないだろうと思っています。

 私は、「学校の教育力」はほとんどなくなっている状況だと思いますから、「もう学校はいいんだよ」ということであれば、それはそれで構わないんだけれども、もし学校にある程度の力を発揮させるということが必要だということがあるのだとすれば、具体的な武器を与えなければまずいだろう。そういうふうにした上で、そこを突破口にして一つの流れをつくっていくということでしか動きはできないのではないか。

【町村総理補佐官】 何ですか、武器というのは?

【河上委員】 例えばこんなことです。小学校1年生で集団になじめない子がふえています。そのために1年生の段階から学級を形成することが難しいという、「学級崩壊」と呼ばれている現象が1年生から起きているわけです。現在の学校や教師は、あらゆる子どもを受け入れなければいけないわけです。しかし、それを受け入れる能力がないわけです。これは教師の個人的な能力というよりも、学校のシステムそのものがそういうような「力」を失っていると私は思っているのです。

 「力」というのは、例えば、集団生活になじめない子どもについては、1年入学を待っていただきたい──例えばそういう権限を学校に与えることです。そういうことをやることによって、ひょっとすると家庭教育に対して一定の影響力を及ぼせるかもしれない。小学校に上がるために、最低限、例えばトイレに行ったら手を洗うとか、人の言うことはなるべく我慢して聞くとか、人にひどいことを言わないとか、自分の脱いだものを畳めるとか、そういうことについては小学校に上がるまでに身につけておいていただかないと小学校での教育はできないというふうなことをはっきり言うべき時期に来ていると思うのです。今の学校にはそういう力がありませんから、いろいろな子どもを受け入れることによってクラス全体が混乱せざるをえない、そういう状況があるわけです。そういう権限を学校に与えることによって、突破口が築けるかも知れない。

 もう一つ、中学校の例で言うと、たった3名か4名の学校の枠組みに全く入らない生徒がいるために大混乱するんです。これは、もうほとんど打つ手がないのです。警察も打つ手がないのです。誰かを刺すなり、傷害事件でも起こせば、事件になって少年院とかありますけれども、学校からポンと少年院なのです。

 そういう生徒が学校に来て学校の中をかき回すことによって、学校の教育レベルや、安定さが保たれませんから、大多数の生徒の「授業を受ける権利」とか「平和に生活する権利」とか、そういうものが損なわれるのですね。そのときに、とりあえずそういう生徒を今の学校とは違う場所に収容して、別のタイプの教育をすべきではないか。そういう権限を学校に与える必要があるだろう。そういうことをしない限り、混乱している学校が教育を取り戻すことは不可能だろう。

 例えば、そういうことが実現しないと、ここでいくら具体的なことを言ったとしても、現場にはほとんど受け入れる力がないから、意味がないのです。

【森主査】 システムを構成しているのは人間なので、人間とシステムと相互関係にあるので、ただ制度が悪いといってもそれはおさまらないと思う。3人をどこかへ移してくれという要望を教育委員会に出されましたか?

【河上委員】 出してもだめなんです。

【森主査】 そうすると、今度は教育委員会を問題にすればいいですね。

【河上委員】 そうですね。

【森主査】 教育委員会は文部省だと言えば、文部省を問題にすればいい。

【河上委員】 今の法律上では、誰も動けないようですね。

【森主査】 法律で動けなくてもできると思いますが、「具体的なプログラムをいくら出してもだめだ」という意見については、私は具体的なプログラムを並べるだけではだめだと思うのです。経済界のアクションプログラムを見ましたら、100くらい並んでいるんですね。私、これを見て、どれが一番大事で、どれからやるんですか?と聞きたくなるのです。

 だから、ここでやることも、具体的な方法論が10出たら、一番大事なものは何か、原点は何か、川上は何か、それに絞ってやらなければいけないと思っていたのですが、ただ並べるだけではだめでしょうね。

 だから、文部省でできないというのは、各局がみんな大事だとおっしゃっているから、どれを一番大事にして、どれを優先して、どれに予算をつけていいかわからないから、なかなかできない面もあるのではなかろうかと。これは外から見て考えているのですが、どういうお答えが出るか(笑)。

【浅利委員】 河上先生のご意見はすばらしいね。非常に具体的で。

 ちょっと伺いたいのですが、我々がさんざん脅かされた停学とか放校というのは今はないんですか?

【河上委員】 義務教育では基本的にはできないことになっています。ただ、町村さんが文部大臣のときに、いじめの問題があってたくさんの生徒が自殺したということがありました。あのときに出席停止の話がありましたね。ところが、出席停止というのはやっていいことになっているし、文部大臣もそういうことをやってくださいという話があったのですが、現実的にそれを実行する力は学校にはありませんでした。

【浅利委員】 河上さんがおっしゃったのは、他者の権利の尊重が第一義的だということですね。だから、50人いて5人のために45人は迷惑するという……。

【河上委員】 私は、少なくともはみだす生徒がとんでもない悪いやつだと思っているわけではないのです。家庭の環境も悪いし、今まで育った状況も悪い。だめだから排除すればいいなんて思っているわけではなく、その子たちも将来は日本の国民になるわけです。

 ですから、今の学校のシステムの中で、その子たちを教育する力がないという現実があったときに、この子たちを別枠できちんと教育する必要があるわけです。

 もうちょっと言うと、「権限」を与えるだけではだめなんです。校長に「義務」を与えないとだめですね。例えば、そういう生徒を排除する義務を与えないと、校長は動きません。校長さんというのは、自分の身がかわいいし、矢面に立てば、それこそ身体的な恐怖も実際にある。肉体的なバトルになって、校長が刺されることだってありますから、できれば自分から決断したくない。それは、私にもよくわかります。そうなってくると権限を学校に与えるだけではなくて、学校を維持するということが必要であれば、そういう義務も学校に与えて、義務を果たしていないとすれば、処分すべきですね。そういうことまで私は必要だと思っています。

 ただ、これは山折さんの話との関係で言うと、国民の中に「学校の役割が何か」ということが明らかにならないと、だめでしょう。学校の役割が現状でいいのだということであれば、教師としての私が声高に主張することではない。それがさっき山折さんのおっしゃった、明治以降の日本の学校なり、日本の教育を総括するということだと思います。

【梶田委員】 河上先生がおっしゃっているのは、今、日常的に苦労しておられますから、よくわかるのですが、そういう現実があります。

 ただ、今、森先生もおっしゃっていたけれども、システムの問題と人の問題があって、ある種の子どもを排除する権限を与えれば、それがうまく回っていくとかいう問題があると思うのです。あるいは、校長に義務を課せればやれるか。今、校長にある意味で義務は課せられているのです、処分もされるのです。大阪では、今、ほとんど定年まで校長は務まりません。校長になれば定年の1、2年前にやめます。疲れ果ててやめるか、あるいは学校経営がにっちもさっちもいかなくなってやめるか、大阪というのはそういうところなのです。

 今のようなとんでもない子どもがおる中学はいっぱいあります。どうするかというと、教育委員会で「機動隊」と称しておりますが、そういう問題処理の専門の指導主事を何人か抱えている場合がありまして、これは頭の刈り方もヤクザの刈り方をしているようなあれで(笑)、本当に大変なときはそういう指導主事がその学校に何カ月か常駐してやるわけです。それでもまだ問題がないわけではない、大阪というのは。

 だけれども、システムは同じでも、運用でいろいろやっている。逆に言うと、システムを変えれば、なる部分もあるし、ならぬ部分もあるということもあります。ただ、大事なのは、河上先生もおっしゃっているような、具体のところに論議がいかないとだめだろう。そして、曾野先生もおっしゃったように、文部省でいっぱいアクションプランを出しているのですが、どれが実施されたのか、どれはまだなのか、そして実施されたけれども、うまくいったのはどれで、うまくいかなかったのはどれなのか。

 今、「行政評価」というのがあります。その仕組みもあります。神奈川県とか三重県とか幾つかのところが実際にやっていますが、実際の打った手一つひとつについてやるということをやっているわけですから、それを一度くらいやらんといかん。

 しかし、結局、具体だけではどうにもならんというところが一つ問題なので、私は後になってあれですけれども、やはり明治維新からの流れの中で、今のこの時点をどうするかという一つの見方、あるいは敗戦から五十何年の流れの中で今の事態をどうするかという見方、そういう中で一つひとつの事象、現象を意味づけていかなければいけない。もう一度見直さないといけない。

 だから、「人のあり方」も下手をするとみんな嘆き節になってしまうのです。こういうのが悪い、ああいうのが悪い、これもしっかりしていない……、嘆き節でもどうにもならないので、ここでこういう手を打ったらこういうふうになり、しかもその手の打ち方はこういう見通しの中で、いういう意味付けの中でということになるだろうと思う。

 こういうのはまだ6回もありますから、ゆっくりお互いに論議しないといけないですけれども、とりあえず私は文部省が打った手、それのうまくいった部分とうまくいかなかった部分というのは一度ここでお聞きして、ではうまくいかなかったとすればどうするかというのがあるわけですから、一から考えるというわけにいきませんから。

【浅利委員】 山折先生や梶田先生のところから始めて、河上先生のところまでたどりつけばいいわけでしょう?

【梶田委員】 そうですね。

【浅利委員】 文部省の方、聞いて、この議論をどういうふうにお考えになりますか?

【小野官房長】 今の河上先生のお話は、私は市の教育長を3年やりましたから、そのことはよくわかっております。とにかく義務教育で課せられていますから、その子たちは学びたくないんだけれども、学校に行かなくてはいけない。やることがないから、ほかの子どもの勉強を邪魔するとという実態はあると思います。

 これに対しては、おっしゃるように物理的に排除できればそれも一つの方法かもしれないけれども、しかしそれはその子どもたちにとっては不幸なことでございまして、本人も悪いこともあるのですけれども、本人も本当は勉強しなければいけない。むしろ、楽しい学校にしていく、この子も勉強できるようにしなければいけないというのが一つあります。

 基本的には、今、恐らく親御さんの中には、そういう学校は嫌だから私学に行くということで、公立離れが進んでいるのが実態です。公立学校がやはり真剣に、保護者の信頼に応える学校教育をしなければいけない。そのためには、静かに勉強できる環境が必要なので、今おっしゃったような、何でも妨害する生徒は、他人の教育を受ける権利を侵害するのであれば、排除するという考え方もあると思います。しかし、それは義務教育になっておりますからできないし、もしそういうことをやろうとすれば、教育を受ける権利を奪うものとの反対もあるだろうと、思うのです。

 しかし、そういう中で、河上先生は「もう無理だ」とおっしゃっていますが、それはまだ諦めてはいけないので、実は私は教育長をやっているときにやっていましたのは、そういう荒れた学校には校長、教頭だけでは足りないのです。あと3人くらい、生徒指導担当など体力のある元気な先生を何人も派遣しないと本当にだめなのです。

 子ども側は少年法で守られていることを知っている者もおり、自分は先生を殴っても罪にはならない。先生は俺たちを殴ったら、俺は教育委員会に言ってやるからクビになるということを言う者までいますから。しかし、楽しい勉強なんだ、授業に来いというふうに戻すということが本当に必要なので、それは生徒指導の先生が毎日本当に必死で走り回っています。その人たちの苦労というのは、恐らく一般の方はあまりわからないのかなと思います。

 だからといって、公立学校がそのままでいいとは決して思えない。他人の教育を受ける権利を奪う人は、一定期間別のところできちんと教えるシステムを作ることも考えられると思います。

【森主査】 それは、私は事後的な「消火対策」だと思うのです。もう一つ、「防火対策」が必要なので、それは長期プログラムになると思うのです。

【小野官房長】 それはそのとおりです。

 もう一つ、授業を楽しくして、子どもに勉強することはいいことだと思わせなければいけないのです。

【森主査】 そういう子どもが出てくる背景を直さなければいけないでしょうね。

【小野官房長】 そのとおりです。ただ、今、そういう子は家庭がもう本当に崩壊している場合もあって……。

【森主査】 ただ、「崩壊している」ではだめなのです。私は法務省でも言っているのですけれども、法務省は人権侵害の場合、「加害者の行政調査をする」と言うのです。私は、調査では問題点はわからない、研究しなければと。そういう意味で、私は「犯罪教育学」──なぜ犯罪が起こるかという犯罪教育学を家庭と結び付けて、大量調査・研究する必要があると言っているのですけれども、そういうのにはお金は出ないのですね(笑)。

【小野官房長】 ただ、2、3人が荒れているのは事実で、それを普通のまじめな子たちがそういうことをさせないように、みんなで先生も含めて妨害はさせないようにする努力をさせたい。

【勝田委員】 大変おもしろい議論が始まりまして、そこにちょっと次元が違ったような問題を出してしまって申しわけないなという気はするのですが、私はどうしても大学を出てから大学ばかりにずっと関係してきたのです。だものですから、小学校、中学校の義務教育段階のことについてもう少し勉強させなければいかんと思っているのです。

 そこで、私が申し上げたいのは、大学もそして義務教育段階では同じではないか、そういう制度を真剣に考える必要があるのではないかと思いますのは、教師の問題なのです。大学でも一生懸命勉強し、かつ一生懸命に学生を教育する先生たちと、言っては悪いけれども、研究もいい加減、大学のいろいろ行政事務に関してもおざなり、学生の教育に関してもいい加減だという──無論、グラデーションはありますが、そういう教師もいるのですね。

 私は、二十数年前から、まずもって「大学で任期制を導入せよ」と言っているのです。例えば5年くらいの任期制を導入して、教授でも助教授でも、これまでの業績とかいろいろな学生の教育の仕方とか反省を求めて、これはだめだという人はやめてもらうとか、そういった任期制の導入も義務教育段階でもできないのですか。そうしますと、先生の方もやる気が起こると思う。

 何しろ、世の中にいろいろな職業がございますけれども、私が知る限り、大学の先生くらい──大学の先生のみならず、多分、義務教育の先生もそうだと思うのですが、よほどのハレンチ罪を起こさない限りはずっと定年までやっていける。そういう職業って少ないでしょう? ほかにもございますかね。

 つまり、今言っているのは教師の身分制の問題ですけれども、任期制の導入も考えてもいいのではないかと思うのです。

【今井委員】 私もそれはとても大切な部分だと思います。学校教育の分科会の方ではこの問題をきちんと取り上げていただきたいとお願い申し上げてるところです。これからは「基礎・基本だけを教えられる先生」ではなくて、「子どもたちの能力を引き出す先生」たちが、今の学校の体制として整っているのかなというと、ものすごく疑問なところがあります。

 これから、一人ひとりのそれぞれの持っているものを生かそうとすると、それを学校だけではなく、もちろん地域と一体になってやっていかなければいけないのですが、学校の先生たち──先生だけではなくて、こんなことを言ったら大変失礼なのですが、学校でも歴代の校長先生の写真が張ってあるのです。地域でも、どこかの一番校で最後まで行かれた校長先生はそれがずっとプライドになっているわけです。

 私は、学校というのは何を守ってくれるところなのだろう、何を学ばせてくれるところなのだろうと思ったときに、指導者の方たちがすごく序列化をそこでつくっていらっしゃるような雰囲気をすごく受けるのです。例えば、ある学校では生徒とか先生とかが一緒に校長先生が任期の間にそういう写真を張っていらっしゃるところもあるのですが、これは本当に田舎の地域の一部であって、たいていのところは由緒正しく、写真が張ってあるのです。そういうのをパッと見ただけで、私たち地域の者が入っていくとちょっとひるんでしまうのです。

 学校そのものに本当に地域の力を借りて、そういう教育をしていこうかなという体制づくりが全くできていないので、そこの体制づくりというのはぜひお願いしたいというのが一点あります。

 それから、完全学校週5日制の実施を目前に控え、部活の問題が切れない問題として残っています。それから、小学校の場合は、小さいころからスポーツをするというのが情操教育にいいみたいなことが一部言われまして、そういうスポーツクラブに入っているお子さんがものすごくいらっしゃいます。

 私は、例えば勤労体験、企業での体験いろいろあると思いますけれども、夏休みとかのある程度の長期期間に研修したりするような仕組みはすごくいいと思っているのですが、それが全くできない状況にある。PTAの事業で海外の体験学習を企画してやっているのですが、夏休みにやると部活をする子どもたちはほとんど参加できない状態です。

 私はガールスカウトもやっているのですが、中学、高校と進むにつれて、活動がむつかしくなってきてます。例えば、部活は月水金だとか、少なくとも土日を使わずに月曜から金曜日までとか、時間もあんなに長くなくて、例えば6時くらいとか……。これは学校だけではなくて、親も希望したから、このようになってきたのですが、ここのところもひもときをしないと、家庭に子どもが戻ってこれない状況というのもあると思います。

【河上委員】 先ほど出された教師の任期制に絡んでお話しします。学校というところは「私」の塾と違って、子どもが自分から好き好んでいくところではないですね。義務教育という形で(子どもには今義務はありませんけれども、)強制的に行かされるところです。

 ですから、「すべての子どもたちが学校で学びたいと思うはずだ」というのは、前提として間違っていると思うのです。学びたい子もいるし、学びたくない子もいる、そこにいたくない子だっていっぱいいる。実際には不登校の生徒がこれだけ出ているし、学校の枠組みに入り切らないでその中で暴れ回る子もいる。いろいろな子がいるわけです。それを、国家がある種の強制でそこへ入れて、将来の国民をつくるというのが明治以降の学校だったわけです。それをこれから変えるということは当然あっていいわけですが、今までの学校はそうだったと思います。

 そうなってくると、少なくとも子どもの側に教師の言うことを基本的に聞くとか、自分たちは未熟だから学校の中で学ばなければいけないとか、そういう傾きというのでしょうか、姿勢がない限りどんな優秀な教師がいたとしても、教育は成り立たないと思います。

 自分からその先生がとても尊敬できるからそこへ入って学ぶというのとは全く違うわけですから、今の教師たちは能力がないから全部取り替えて、能力の高い教師をつぎ込めば問題は解決するかというと、そう単純ではないのです。

 学校がこれだけ崩れてきているということは、世の中の大人たちや子どもたちの学校に対する期待とかイメージとか役割が昔と全然違ってきているわけです。だから学校をそれにあわせればいい、そういう考え方が一つあるわけで、多分、今の大きな流れはそうですね。ところが、あわせた結果、こういう事態を招いているのではないかと私は思っているのです。

 いろいろな事件を起こす子どもたちと、中学校の普通の子どもたちに大きな隔絶があるわけではないのです。今私が付き合っている中学1年生の生徒たちと凶悪事件を起こした少年たちは、(新聞報道しかわかりませんけれども、)スパッと切れているわけではないのです。私は、今までの学校が果たしてきた役割が果たせなくなったということが現在の混乱をつくる一つの原因になっているのではないかと思っています。

 必要なことは、今まで学校が果たしてきた役割は一体何なのかということをもう一回考えていただくことと、それを今果たすことが必要なのかどうかということを考えていただくことです。教員の能力が低下したから高い能力の者を雇えばいいのではないかということでは、無理です。

【森主査】 そういう面もありますが、私は学校がやってきた役割というか、原則はミニマムには変わってはいないし、変わってはいけないと思うのです。

【河上委員】 今、そう考える人の方が圧倒的に少ないです。

【森主査】 子どもが学校に合わないから、子どもに合わせて学校を分解させていくというのは、これはイリッチの「脱学校論」と同じなので、大人の心理と子どもの心理は違うので、なぜ児童の権利条約があるかを考えると、児童というのは発達途上にあるから、発達に応じて保護者あるいは先生が指導する義務があるという、児童の権利条約でさえ言っているわけです。

 そういうことを考えると、イリッチも後で「私は児童心理学を知らなかった」と反省していますけれども、私は学校の役割というのは原則としては変わらない。ただ、例外があまりにも今ふえ過ぎたので、原則が脅かされ過ぎているのではないかという危機感は持っています。

【河上委員】 「原則が変わらない」というふうに大多数の人たちが思わなくなっているようですね。

【森主査】 そういう背景を直していくのが長期プログラムで必要なので……。

【河上委員】 それはそのとおりです。

【森主査】 短期的には、今問題になっている子どもをどこかへ移すとか何かすることは必要だと思います。

【山折委員】 あるアメリカの精神科医がおもしろい実験をしているのですね。それは小学生くらいの子どもたち50人を集めて、1カ所に隔離して集団生活をさせる。外部との接触は一切閉ざして、食事と排泄の設備だけしてある。

 どういうことが起こるかというと、大体2手か3手に分かれ始める。それから、喧嘩を始める。傷つけ始める。最後は殺し合いを始めるというのです。これは両手で殺せますからね。精神科医は殺し合いを始める直前にその実験をやめているのです。詳細にアメリカの学術雑誌にそのプロセスを報告しているのです。それを読んで非常に驚いたのですけれども、しかし考えてみると、人間というのは放ったらかしにすると限りなく野性化する、こういう認識ですね。

 さあ、そこでどうするか。これは2000年、3000年、1万年以前からの人類の大きな課題だったと思います。人間というのは、放ったらかしにすると野性化する、野獣化する、それをどう飼い馴らすか──そこでいろいろな文化的装置が考え出されたのだと思います。その重要な文化装置の一つが宗教だったわけです。それから学校です。軍隊、スポーツもそうでしょう。恐らく年齢階梯制度、若者塾などもそうですね。徹底的にその場でしごくわけです。「飼い馴らし」と言ってもいいかもしれません。そういう役割を本来の学校は果たしていた。

 だから、大学の一番の初期の形態は、中心が神学部です。神学部にいろいろな近代的な学問のデパートメントがくっついて、そして発達してきた。我々の社会というのは、その根本のところを今忘れているのです。どう飼い馴らすか──放っておくとみんな野性化しますよ。最近のさまざまな事件を見ているとわかるわけで、そういうアピールというのか、国民に対する問いかけをやって、「覚悟しなさい」ということを一つ言わなければいけないと思いますよ。

【曾野委員】 教育の基本精神を論じるというのは、実は私など大変好きなことなのですが、それを今ここでやっておりますと無限に大変になってまいります。

 今、山折先生がおっしゃったような一つの原則論、これは本当に言うべきだと思いますけれども、私はもう少し具体性のある教育の基本というか、例えば曾野綾子という人の文章が、今はわかりませんけれども、過去に教科書に載っていたことがあるのですが、そんなつまらないものはやめて、現国は全部やめて、全部哲学と古典の時間にするとか、そういうふうな形の現実性のある教育の中心と結びつくような具体案をここで論議していったらどうかというふうに思います。

 私、最初に「真・善・美」なんて申しましたけれども、あれをやり出したら、これはお楽しみの境地に入りますので(笑)、やめた方がいいと思っております。

【浅利委員】 私は俳優教育をもう50年間くらいやっています。日本のこれというミュージカルの舞台俳優は相当数私が育てたといわれるくらいなのですが、なぜそうかというと私は徹底した猛訓練主義だからなのです。

 イタリーでスカラ座の演出部長だった男に、「浅利さん、“教育”という言葉のラテン語の語源の意味を知っていますか?」と訊ねられたことがあります。「知らない」と言ったら、「難産している産婦の産道に手を突っ込んで、赤子を引き出すという意味です」と言われました。これは、産む方も、出てくる方も、引っ張り出す方も大変だということですね。本当なのかなと思うのですが、私はその言葉から啓示を受け、俳優教育の指針にしています。

 いい俳優が育ってくるためには、相手が「いい役者になりたい」という目的を持っていなければなりません。私も「いい役者をつくりたい」という目的を持っている。この目的の共通性が、猛訓練を成り立たせています。私は山折先生がおっしゃったとおりだと思うのですが、今の教育で、子どもの側に「こうなりたい」という目的、教える側に「こうしたい」という目的を合致させることが必要なのではないでしょうか。

 塩野七生さんは「日本の義務教育は取り扱うことがイタリーに比べて多過ぎる。やはり、読み・書き・算盤を中心にしてしまった方がいいんじゃないか。いろいろな段階をつくった方がいい」という意見です。

 僕は又、義務教育が一律化し過ぎているのではないかと思います。義務教育のシステムの変更、多様化というものも考えられていいし、ある部分縮小もあってもいい。「義務教育を廃止しろ」とまでは言いませんけれども、私は義務教育というのはある意味で言うと国民皆兵的な思想と表裏で結びついていたのではないかという気さえします。義務教育の大幅な見直しということをやるべきで、多様化もする──そうすれば目的を選んでくるようになるのではと思うのです。

【梶田委員】 きょうはいろいろなふうに言えばいいのだろうと思って勝手に言わせてもらっていますが、豊かになると、そして価値が多様化してくるといろいろなことが結局わからなくなるのです。例えば、学校というのは何だったのだろうか。先ほどの山折先生の話ではないけれども、人間というのは放っておいて何でもうまくいくようになるものだろうかとか、育てるためにはどれだけの労力が要るかとか、わからなくなるのがこの時代です。

 例えば、アメリカの例を出しますと1980年前後まではひどかったでしょう。70年代、「一人ひとりの」とか「子どもが好きなように」とか、その結果どうなったかというとニューヨークでは昼日中でも地下鉄に乗れなくなったのです。それで、80年代の初めのころに、例えば政治のレベルでは「法と秩序」ということが言われた。当たり前なのですが、最初は進歩的文化人はみんな攻撃するわけです。そして、教育ではネーション・アット・リスクが出て、それでぐっと引き締めたでしょう。

 だから、個々のことはいろいろとあるけれども、一つの流れ、例えばある意味のショック療法をして、ネーション・アット・リスクだって、あれは一種のショック療法なのです。具体的にどうのこうのではないですが、もう一度いろいろなことを考え直しましょうと。だからといって、親が変わるわけでもないのです、学校に行っている子どもがそこですぐに変わるわけではないのです。ただ、それに対する社会の対応の仕方、親の対応の仕方、先生の対応の仕方、学校のあり方をここで考え直さないといかん、180度変えないといかんぞという、その動きが起こったのは1980年代の初頭です。

 国民会議に私が期待しているのは、政治家がおやりになるのですから、教育関係の者だけでどうしよう、こうしようといっているのではないですから、具体的な行動リストは不完全でいい、こんなもの完全なものはできっこない。だけれども、一つの「ここで時代が変わったぞ」という、あるいは「変わらないと日本は滅びるぞ」という強烈なアピールをしていくことだと思う。その枠の中で、例えば学校をこうしましょう、先生もこうしましょうとか、親にもこう、という、それが出てくるのではないかという気はするのです。

 これは、多分、私は出席する限り、何度も申し上げさせてもらいます。ショック療法ということです。

【河上委員】 学校から見ていると、文部省がこの間ずっと行ってきた「自由化」と「個性化」の教育改革は、ほぼ成功したと思っています。どういうことかといいますと、学校の中はものすごく自由になりました。生徒の側から言うと「好きなことを何やってもいい」「嫌なことはやらなくてもいい」というふうに受け取っています。それから、もう一つは、「教師も生徒も同じ人間で平等なんだから、言うことを聞くか聞かないかは、俺(生徒の側)に決めさせろ」ということです。そういう雰囲気です。

 これは、別に文部省の力でなったわけではなくて、世の中全体がそういうふうに動いてることが根本にあります。ただ私の実感としては世の中のそういう動きに文部省そのものが乗っかったのだという感想が強いのです。世の中全体がそういう方向に動いているところで、学校についてもそういう方針を出したから、学校も世の中の動きとほぼ同じ動きになってきた。私は「町中と同じになった」と思っています。先ほど山折さんがおっしゃったような、例えば子どもを一人前の社会人にするために学校ではこういうことは嫌でもなんでもしなくてはいけないよという強制力を教師が発揮することが非常に難しくなりました。

 浅利さんがおっしゃったことはちょっと乱暴だと思うのです。日本の学校は、伝統的に学力の面と生活の面の教育をずっとやってきたのです。大ざっぱに言ってしまうと、授業と学級をつくって社会生活をさせることです。これを二本柱でやってきて、多分、社会生活が授業の基礎的な姿勢をつくってきたと思うのです。現在、一番解体しているのはこちらです。生徒も一緒にやるのが嫌なのです。それから、自分のやりたいことはやりますけれども、「うるせえこと、言うなよ」と嫌なことから逃げてしまいます。しかし文部省がやってきた教育改革は、教科中心の方にスタンスを移しているということは私は事実だと思います。それでいいのかというふうに私などは思うのです、古い教師ですから。これがなくなってしまうと楽かなという気もするのですが、そうなったら果たして授業が今までのように成立するのか。では、集団的な授業形態はもうやめて、アメリカのように、教師がここに座っていて課題を与えて生徒がそれぞれ勝手にやって、質問する生徒は来るという、そういう形をもし想定しているのだとすると、ちょっと甘いかなと思います。

【梶田委員】 80年代後半からアメリカは違うのです。

【河上委員】 そうですか。

【梶田委員】 これは厳しいですよ。

【町村総理補佐官】 本当にそういう考えで文部省はやってきたのかどうなのか、ちょっと言えるところがあったら。

【小野官房長】 一人ひとり自立というか、個性化というか、個性尊重というのは臨教審の基本哲学になりましたから、とりあえずそのことは確かにやっております。ただし、先生がおっしゃったように、生徒が何でも自由にすればいいというのではなくて、しつけをきちんとするとか、してはいけないことは絶対にいけないということは必要だと思います。

【河上委員】 でも、教育改革が始まって、これは文部省はどう言ったかよくわかりませんが、現場に入ってくる指導としては、「叱るのはだめだ。褒めなさい」というのが入ってきましたね。それから、「押しつけはだめだ」というのも入ってきました。一人ひとりの子どもはそれぞれ違うのだから、一人ひとりの子どもに合ったようにやれと。

 これは現実として不可能です。何かやったときに叱らないで、「何ちゃん、そういうことを言ったらだめよ」と優しく言って聞けば楽な話です。しかしそれは、その子の背景に宗教があったり、家庭教育があったり、地域があったりして、先生のそういう優しい一言で聞くという状況があるからです。しかし、それが解体しているのです。ですから小学校1年生から聞かなくなったのです。

 現場に入ってきたそういう指導──「褒めなさい」「叱ってはいけない」「押しつけはだめだ」「一人ひとりがやる気が出るようにしなくてはいけない」「やる気がないことを無理やりやってはいけない」──しかしそういうふうに指導された教師たちが実は身動きがとれなくなったのです。

 その結果、小学校では学級崩壊状況が加速された。それが原因で起こったとは言いませんけれども、明らかに私は加速したと思っています。きつい言葉で叱られるという体験がない。それから、自分がやりたいと思うとやってしまう。そういう生徒がどんどん中学校に入ってきた。学校というところで教育するのは難しくなったのです。

【小野官房長】 教育論として能力を伸ばすようにやることは当然ですが、同時に、やはり「してはいけないことは、してはいけない」ということを学校も家庭も地域もそれぞれ厳しく教えていくことは必要だと思います。

【河上委員】 でも、そういうことはこれまで文部省は言っていなかったのではないかと私は思うのです。

【曾野委員】 先生方はどうしてそれに反抗なさらなかったのですか。私は、それは先生方の責任があると思う。

【河上委員】 私は、教師というのを、皆さん買いかぶっていらっしゃると思います。普通のおじさん、おばさんがやっているのだというふうに思っていただいた方がわかりやすいと思います。

 自分で考えて、自分で行動しているような教師はほとんどいないのです。今までの伝統的教育システムがうまく回転しているときはそれでうまくいったのです。ところが、ここに来て混乱しはじめましたから、考えて何とかしなければいけないわけなんだけれども、現場の教師に「自分で考えて、自分で判断してやれよ」というのは、ちょっと要求のしすぎだろうと。

【森主査】 ですから、僕は教員の人事考課制度で教員にショックを与えて評価すると。

【河上委員】 それは結構でしょう。しかし、自分で考えて、自分で判断できるような人が、日本の中にたくさんいるのでしょうか。

【梶田委員】 教師がいいか、何とかが悪いとかいうのではなくて……。

【河上委員】 そういう問題ではないんですね。

【木村委員】 河上先生のご意見を補足するような形になると思いますが、一言コメントしたいと思います。私は教育の問題になるとアメリカ、ヨーロッパ、日本をいつでも比較して考えるのが癖になっているのですが、日本の子どもたちはちょっとおかしくなっていますね。「おかしい」というのは、ヨーロッパやアメリカの子どもたちと違っているということです。以前からそういうことを直観的に感じていたのですが、中教審のときにある統計が出てきて、ああやっぱりと思いました。

 アメリカと中国と日本の高校・中学の子どもたちに対するアンケート調査で「あるいけない行動に対して、自分の勝手だからいいではないか」と答えるパーセンテージを調べています。アンケート調査ですから、なかなかそのまま信じることはできないのですが、「イエス」と答えた子どもたちが日本では80%を超えるのです。ところが、アメリカ、中国いずれも10〜20%です。極端に、意識が全然違うのです。「自分の勝手だからいいではないか」という子どもたちが圧倒的に日本で多くなっています。

 どうしてそうなったかということについては私にもわからないのですが、今、河上先生が言われたように、日本が戦後の教育の中でそういうふうにしてきたのではないかという気がするのです。そういうことを前提にして森先生が言われたように、「教育の原点」みたいなものは変わらないとしても、これからの教育のシステムを考えていかなければならなくなっているのではないでしょうか。

 アメリカを見てみますと、先ほど梶田先生が言われていましたが、最近ものすごく変わってます。本当に多様化しています。アメリカの小中高の先生が600人毎年来日されていて、私この先生方と必ずお話ししてご意見を伺うのですが、さまざまな学校がある。クラスをデストロイするような子は別にそういう学校に集めてやった方が本人のためにもいいのだということで、随分そういう学校ができています。

 先ほど浅利さんがおっしゃったように、やはり多様化していかなければしようがないのではないでしょうか。今の子供達はもう一律には扱えなくなっていると思います。

【浅利委員】 一つの例を言わせていただきたいのですが、「目的」という問題なのですが私のところにこういうケースがあるのです。ある家庭があって、男の子1人、女の子2人いて、夫が男の子だけを連れて出ていった。幼児2人の母子家庭が残りました。下の女の子が8つのときにテレビ番組を見ていたら、番組の中に一部オーディションをやるという場面があったそうです。あれに出たいと8つの子が言った。ところが母親が勘違いして児童劇団に連れて行ってしまった。子どもはしょうがないからそこで1年間レッスンを受けたのですね。9つから12まで子役で出演をはじめたのです。2、3日とか主に小さい公演に出ていたのですね。勿論そのためにオーディションを受けた。これはどのくらいの合格率かというと、8割落ちるそうです。9つから12までの間に8割落ちるという競争社会の原理を体で知るということはものすごく大事な結果をうみました。

 そのプロセスで、この子は自分は将来ミュージカルの俳優になりたいという目的をしっかり持った。次に、歯並びがひどく悪くて、歯列矯正をかけられた。5年間だそうです。この間、テレビにも舞台にも出られない。しかしこの5年間に、一生懸命ミュージカル俳優の基礎としてバレエや声楽のレッスンを学んだ。歯列矯正を外したときは17歳になっていた。劇団四季の応募年齢なのですが、この子はトップで合格してきました。今、21歳ですが、大きな主役を演じています。先輩の俳優たちがみんな「あの子はいい」と言うんです。どうしてかというと、同じ楽屋でちょっと注意しますと、立ち上がって「ありがとうございました」と礼を言う。子役のときに叩きこまれているのですね、礼儀を。12歳の子どもが目的を持ったということが大事だと思う。

 別の例ですがバレリーナーです。日本のバレエ界ではほとんどいっていいほど国は援助をしていない。が、優秀で世界的なバレリーナーがたくさん育っている。心ある全国のバレエの先生方の努力の結果です。俳優もそうです。国立の俳優学校も何もないですが、国際レベルの俳優は育っている。だから、なりたいものに向かって育ててやることが大事です。

【事務局】 最近の調査では、小学校の場合、6年生で今41%です。中学校は平均で59.5%、6割です。中3で67.1%、7割くらいです。

【森主査】 今の立派な子どもが成長したという話、大体、そういう場合は親も立派なのですよ。だから、結局、家庭教育。教育の原点は親も立派ですよ。

【曾野委員】 違いますよ。親も立派じゃない(笑)。家庭が不幸だったんです。

【森主査】 天才的な人は別です。

【河上委員】 浅利さん、学校というものをもっと限定的に考えてもらわないと困るのです。学校というところは、子どもを9年間そこで教育することによって、一人前の社会人とか一人前の国民にするという役割を持っていたと思うのです。子どもの側からすると、昔はそういうものを身につけないと食っていけなかったということがあった。しかし、今は食えるから、実際には学校というものの役割は低下しています。しかし学校の役割は今でも社会的自立のためにあると私は思っているのです。俳優になるか小説家になるか、どう生きるかはその子の自由であって、私は学校は介入すべきことではないと思うのです。

【浅利委員】 私は昭和8年生まれで、満州事変、日中戦争、太平洋戦争、敗戦と続く時期ですから、あまりまともな教育を受けた覚えがないんです。それに、義務教育の9年間は本当に嫌だった。大学教育も辛かったですね。もう人生の目的を持っているのに、無駄な−申し訳ないけど−授業を受けなければならないというのは苦しかった。僕が今日あるのに義務教育が基礎をつくってくれたとは実は思っていのです(笑)。

【河上委員】 それは浅利さんだからですよ(笑)。

【森主査】 人間には2通りあって、1つはいくら教えてもわからない人、もう一つは教えなくてもわかる人。だから、教えなくてもわかる人だった。

【河上委員】 浅利さんは学校なんか行かなくても、私はいいと思うんです。

【森主査】 教わらなくてもわかる人は本当に少ない。

【河上委員】 それはほんの1%いるかどうか……。1%もいないんじゃないかな。少なくとも義務教育の学校というのは、圧倒的多数の教わらなければわからない子ども、例えば社会人としての身体をつくらなければいけない子どもを預かるわけだから、学校というところをそういうふうに皆さんが思っていただかないと困る。

【森主査】 学校は今いろいろなことを引き受け過ぎているんです。OECDがいみじくも言ったように、学校というのは紙屑かごだと言うんです。社会的に面倒臭い問題があったら、みんな学校の責任、政治家もすぐやるのが難しいと思ったら、教育が悪いと言っておけばいいという逃げ口上に使うとか、エクスキューズに使うという、これはOECDの紙屑かご論なのですが、私は学校の「コンビニ化」と言っているんです。あまり便利に何でも引き受けるから忙しくなるので、先ほど浅利先生がおっしゃいましたけれども、多様化というのは機能を単純化しなければいけないと思うんです。だから、そういう意味で、学校のシステムとしてちょっと考え直す必要がありますね。

【浅利委員】 河上先生。あなたはやはり現場をやっている人だから、正しいことを言っている。ただし、僕が言う意見もちょっと耳にとめていただきたい。

【河上委員】 十分わかるんですけれども、あと10年、学校はもつかなという感じがありますから、つぶれてから何とかしようと思っても遅いと思うんです。

 いや、つぶしてもいいんですよね。国民が「学校は一人ひとりの子どもにとって大した意味がなくなったから、自分の好きなようにやればいいんだから」──そういうふうになるのであれば、それはそれで私らも合わせればいいのでしょう。そんな、生意気なことを教師が言うことはないんです。そういう仕事をすればいいわけです。

 でも、そうではなくて、もし学校というところに国民形成とか社会人育成とか、大人にするためにかなり重要な役割があるのだとすれば、今、考え直して、役割もはっきりさせて、権限も与えてということをしないとそんなに先はないと思うんですけれど……。

 先ほど教育委員会で“機動隊”をつくってという話がありましたが、これは応急措置ではいいです。だけど、あちこちになったら、“機動隊”がいっぱい必要でしょう。

【梶田委員】 これは見方の問題があるんですけれども、私はこのところ、学校の現場は、例えば10年前に比べてものすごく引き締まってきたと思うんです。それはなぜかというと、引き締まざるを得なくなったんです。私は、20〜30年、小学校も中学校も高校も回っています。毎年30も40も見るわけですけれども、先生方が一番ひどかったのは10年、20年前です。とんでもなかった。今、そんなこといったら、自分の身が危ないからね、物理的に。

 今、学級崩壊が起こっているところというのは、みんな言わないけれども、その先生、みんなきれい事を言っている人なんです。「子どもたちの目がキラキラして」(笑)とか、「一人ひとりの可能性を……」、それをみんな崩壊しているんです。そんなものじゃないですよ。

 確かに、おっしゃるように勉強は好きじゃないですよ。だけれども、力のある先生というのは、嫌いな子どもにいつの間にかのめり込ませてしまうような力を持っている人なんです、人間的な迫力も含めてね。それに少しずつ気がついてきて、どこを回っても、私は少なくとも底は打ったと。

 ただし、どんどん問題がまだ出てきていますから、ここでボンと何かやらないと……という気はします。このままいいとは思いません。現場というのは、毎日毎日現場と付き合っていますから、きれい事でいい加減な気持ちでもうやれないという、そういう引き締まった状況を私はこの5年、10年、少しずつ強まっていると思います。

【曾野委員】 私は尊敬する河上先生や文部省に対して、ずっとこれから喧嘩を売り続けようという態度は持っているつもりですけれども、もう一つ、はっきり子どもたちに言いたいのは、だれが教育をするかということです。私は小学校5、6年生から上は、教育の責任者の50%は当人だと思っています。そして、あえてマンガチックにやりますと、残りの25%が親です。残り12.5%が教師で、残りが社会と思っております。それより小さい小学校1年とか何とかは、責任の50%は親。残りの25%が社会、あと何かよくわかりませんけれども、子どもたちにそういうことをはっきり言って責任をとらせて、一方で河上先生や文部省をいじめるというあたりがよろしいのではないかと気がいたします(笑)。

【河上委員】 私もほとんどそうだと思います。自分の力で何とかできると思っている教師もいっぱいいますが、それは思いあがりだと思います。

 一つ、付け加えさせてもらえば、小学校5年生までの間に、自分で責任をとれるような身体にしてくれれば、学校というのところは、もっと自由で、それぞれ冒険して、どきどきすることがいっぱいできるんです。ところが、小学校低学年のときに身につけなければいけなかったことを中学校3年生になって何とか……と言っているのだから、これはもう無理なんです。

 ですから、曾野さんがおっしゃったようなことが社会全体でそういう方向に動いてくれていれば、学校というのは十数%で十分です。そんなに人の人生に介入なんかしなくていいんです。

 そういうふうになるのが一番理想的な方向だと思うんですが、実は5年生までの間に身体ができないんです。座っていられない、人に迷惑をかけても全然気にしない、やりたいことは何でもやってしまう。自分の身体を自分でコントロールできない。だから、それをどうするかということをこの会議で考えてほしいのです。

【森主査】 具体的な問題としては、目の前が火事のときは消火対策は割合考えやすいんですが、防火対策というのはなかなか考えにくい。

 先ほど曾野先生がおっしゃった「哲学を教科書で」という提案ですが、学校レベルは大賛成なんですが、ではそれを家庭におろしたときどういうものがあり得るかとさっきから考えていたのですが、結局は「親の生き方」ではないかと思うんです。親の人生観というか、処世訓というか、座右の銘というか、そういうものがあるか。

 雅山が大関を受けたときに、「初心に帰り、相撲をとり」……何か言いましたですね。ああいうのが一人ひとり、親が言えるかどうか、それを持っているかどうか。そういうことを国民レベルで、消費税のように議論するというのはそういうことだなと思ったんです。ちょっと余計なことを言いましたが。

【浅利委員】 1年待たせるというのもいいと思うんです。そうしたら、家庭教育が変わる。

【河上委員】 そんなことを言ったら、大騒ぎになるでしょうね(笑)。

【浅利委員】 多様化の中の一つの選択肢として。

 『育児憲章』というのをつくって出したらどうですか、この会議で。最低、子どもを育てるのはこういうことをやらせなければだめだということを。

【梶田委員】 それはわかりますけれども、今、家庭が昔みたいにちゃんとお父さんとお母さんがおって、なんて考えない方がいいんですよ。

 だから、私は与件として、与えられた条件として、こういうふうな親になっている、子どもの姿になっている、それに対して何がやれるだろうかというところから出発しないといかんと思うんです。時代を引っくり返すわけにいかんのです。昔はしっかりした親がおって、世の中にもしっかりした価値観があって──これに返すわけにいかんのですよ。

 では、今の段階で、どうやって少しでも気持ちの持ち方をどこでどう変えていくか、あるいは仕組みをどこでやればいいか。

 親といっても、両方とも働いていて、子どもを保育園に預けるというのがものすごく多いわけでしょう。子どもと接触するのを長くしましょうといったって、「私たちの生活をどうしてくれる?」と言う。それを「子どものところに帰りましょう」とお説教したって、誰が帰ります?

 だから、私はそういう方向ではなくて、そういうことを前提にしながらも、目を覚ましてもらうにはどうしたらいいかという論議をしないといかんと思う。

【今井委員】 親が子どもを産んだときに、かつては子どもが生まれる喜びというのがあったのですが、今は少子化という部分のところで、なかなか女性も結婚しない状況下にあって、“できちゃった結婚”というのがものすごく多いですね。お腹に子どもができたから、それを契機に結婚するというケースが結構あって、だから子どもができた瞬間だとか、子どもを産んだ瞬間に、母親自体がなかなか喜べないというパーセンテージが結構ふえてきているのです。そこの基本の出発点のところがかなりずれているところがあります。

 私がぜひお願いしたいのは、子どもが生まれたときに、母親の方は厚生省の方でそういう教室もありますけれども、父親も母親も、仕事を持っていようが持っていまいが、子どもを育てる責任という部分のところにおいては、出産する前後にかなり親教育ということを徹底していかなくてはいけないのではないかと思います。

 ひどいのは、幼稚園や保育園に入ると、もう無関心が出てきます。幼稚園は今“伸び伸び教育”になっていますから、先生たちも叱るということをなかなかしない状況になっている。また保育園と学校とがなかなか連携ができていないものですから、学校の先生たちの思いや、上に上がっていくとどういうふうになっていくかということの連携が、幼稚園や保育園の指導する先生たちに理解しにくい。自分たちは3歳から5歳までをいつも見ているわけです。その子たちがだんだん大きくなってどういうふうになっていくのかという、その辺を全体にもう少しリンクして、その辺の指導もしなくてはいけないし、親のあり方ももっと前の段階のときに、自分たちの責任で子どもを育てていくのだというのを自覚を促すことが大事だと思います。

【森主査】 “できちゃった結婚”の親を教育するというのは大事ですが、それはまさに私の言う「消火対策」。「防火対策」は“できちゃった結婚”を起こさないようにすることなんです(笑)。それには、私は、プラトニックラブがなくなったのが問題だと思うんです(笑)。これは人間のイマジネーションを養うのに非常に役立っているのです。日本文学がすたれたのはそれだと私は思っています(笑)。

 イマジネーションがなければ、仮説も立てられない。だから、理科教育はだめになるし、ノーベル賞受賞者も少なくなるんです。

【曾野委員】 「産む・産まない」は女の自由ではありません。ああいうものを見過ごしたからです。命が宿ったら殺すわけに行きません。「産む・産まないのは女の自由」じゃないんです。これは、マスコミがもてはやしたんです。とんでもない話ですね。

 恋愛の自由はいいんですけれども、命ができた途端に重大な責任が発生いたしまして、「産む・産まないは女の自由」ではありません。それから、「一人の人間の命は地球よりも重い」と言っておいて、同じ人が「産む・産まないは女の自由」とおっしゃったんです。そういう矛盾について、はっきり衝いていただきたいと思います。そこからやらないと、今、今井さんがおっしゃったことはつながりません。

【今井委員】 だから、文部省の仕事も男女共同参画の部分も、それはそういうふうに走っていく部分ももちろんあっていいのですけれども、私は自分がPTA活動に入ったときに、私も仕事を持っていまして、小学校に入って、PTAの役員をやるときに「これは大変だ」と思ったのですが、私が仕事をしていることを知っていて、周りの友達たちはサポートしてくれて何とかこなしてこれたのですけれども、そのとき、私がPTAの先輩の人に言われた言葉で、「仕事は仕事。子どもにかかわる責任は、仕事をしていようが、仕事をしていまいが全く同じなのよ」と言われたことがものすごく心に残ったんですね。

 それで、あっ、自分は仕事をしているということについて、いろいろなことの当事者責任の意識から逸脱したというか、自分勝手な考え方で言っていたなということを気づかされたんですね。

 だから、そういうものを誰かが言って、子どもを産む責任というのはそういうことは全く違うレベルの話なのだというふうにしないと、仕事と子どもを選択するようなことを、同一レベルのところに持っていったら、とんでもないことになると思います。

【町村総理補佐官】 所用があり大変申しわけありませんが、これで失礼いたしますが、1点だけ、これはずっとこの議論をしていただきたいなという事項の中に、「人間性」という中で「教育基本法」というのが入ってございます。どういう見直しをするか、先般、梶田先生やあるいは勝田先生から既にいろいろご議論が出されておりますが、今のお話を聞いていて、「学校が何をやったらいいのか」「家庭に期待される役割は」「地域は」──僕はそういうのが今度の新しい学校教育基本法でできる限り、難しい部分かもしれませんが、イメージされているといいのではないかと。

 今の教育基本法は9割方、学校教育基本法になっていまして、重要な家庭教育とか、地域社会教育とかいうのは、ほとんど触れられていない。ある意味では、非常に偏った教育基本法ではないのかという思いが最初からしているものですから、その辺をひとつぜひご議論を今後いただければありがたいと思っておりますのが1点。

 もう1点は、先ほど山折先生から「根本」からと。「人間観」というと難しいのでしょうが、明治以降、あるいは戦後の人間の見方、あるいは教育界だけではなくて日本の社会全体があまりにも自由・権利の主張をし過ぎて、義務・責任を忘れ過ぎているという、それが教育の現場に出ていることや、あるいは、これは私は文部大臣によく言ったのですが、「平等」というのが戦後の一つの社会を貫く理念だったと思いますが、これが行き過ぎて、明らかな「悪平等」になっていて、それが教育現場をものすごくおかしくしている、あるいは親の意識もおかしくしている。

 私なりに浅薄な考えで言えば、戦後の教育観というのはそういうものだったのではないのかなと思うんです。それを今回ショック療法で、もう少しノーマルな線に戻せるのか、そんなこともぜびご議論をいただければありがたいと思っております。

 ちょっと勝手なことだけを言って立つのは大変恐縮でございますが、大変申しわけございません。

【森主査】 それでは、今、補佐官から2点ありましたが、残された時間をそちらの方に移したいということと、それから先ほど中曾根文部大臣がお立ちになるときに、文部省の方で、今、中教審で何をやったか、教科審で何をやったか、何をやらなかったか整理をさせているので、次回でも発表してもいいとちょっとおっしゃいましたので、ご報告しておきます。

 それでは、教育基本法問題、生涯学習の観点が欠けているのではないかというご発言だったと思うんですが。

【沈委員】 その前に。

 きょう、ずっと河上先生のお話に引きずられて学校中心の話が多かったんですが、家庭教育に父親の参加がないということ、これは一回大きく論議すべき問題だと思うんです。

【森主査】 教育基本法とも関係がありますね。

【沈委員】 ええ。

 父親は教育には全く無関係なんですね。私らが、よく親子喧嘩をしているから、おじさん、来てくれというので行ってみると、子どもも悪いですけれども、親父さんの言うことは「俺の若いころは」とか、少しも進歩していないんです。父親の勉強する機会をつくっていかなければいかん。

 例えば、企業にしても、企業内に父親文庫というのをつくって、児童心理とか、そういうものを一通りは、中学生になった息子にこう当たるだろうというようなことを少しは勉強させてあげたい。それから、1年に5日間くらいは父親が教育にかかわるお休みをつくってください。それも授業参観などではなくて、運動会とか学芸会とか入学式、卒業式、そうしたときですね。

 地響きするような音で、親父どのが綱引きでもしてみせたら、子どもたちは尊敬すると思うのです。少なくとも、父親が教育に参加する機会をふやしていかなければ──女が悪いというわけではないのです、でもやはり男でなければできないこと、そうした問題があるような気がします。

 今、とかく父親不在の教育がいろいろなトラブルを起こしているような感じがする。基本法と関係あるかどうかわかりませんが。

【森主査】 いや、関係あると思うんですが、父性原理と言った方がいいかもしれませんね。

【勝田委員】 私、6月はどうしても欠席せざるを得ない状況になっておりますので、教育基本法の問題に関しては、梶田先生にお任せすればいいように思うのですが、ポイントだけ私見を申し上げます。

 この前ご配布しました私の大学の「入学式の式辞」の一番ポイントはこの問題にかかわるのです。文章化されておりますから、何か必要なら、利用していただいたらいいと思います。

 一番のポイントは、前文と1条を見ますと、「人類の福祉」とか、「世界の平和」とかそういう「類」と、他方においては「個人の完成」とか「人間の尊厳」とか、そういうものです。要するに、人類の“類”と個人の“個”しかないのです。一番肝心な中間に、「個」と「類」とを架橋するものが何もない。つまり、アメリカの占領軍は、国家あるいは国家の裏側には民族とか伝統と文化とか、さらには一番基礎的な家族とか地域社会とか、そういうの中間項を全部除いたんです。ここが根本問題で、それを京都大学の田辺元先生は「種の論理」ということばで説いておられるのです。“類”と“個”があるけれども、その中間の“種”がない──これが教育基本法の根本問題です。

 この問題をついて、私の恩師でもある佐々木惣一先生という憲法学者が貴族院議員として「この教育基本法を前提にすれば、祖国の観念は全く出てこない。祖国観念の涵養はどうするのか」と非常に鋭くついておられる。この問題も重要な問題です。ただ、それは決してかつての狭隘なナショナリズムというんですか、国家至上主義を復活しようという意味は全くないのです。そのことを既に私は文章化しておりますので、利用するのでしたら利用していただきたい。

 2番目の問題は、第9条です。これはまた資料を出していただくとおもしろいかもしれませんけれども、既にあの教育基本法ができる前に、21年9月の段階で『教育基本法要綱素案』というものを文部省がつくっているのです。あの当時は、たしか田中耕太郎さんが文部大臣をやっていたのではないかと思うんですが、だから田中イズムがかなり鮮明に出ています。「宗教的情操は、教育上、これを重視し」といったように宗教的情操の重要性を説いているのです。それをアメリカ占領軍は、これをやると神道の復活になるというふうに誤解したのでしょうね、取ってしまったのです。

 そういうことで、今日見られるような「公立学校においては特定の宗教的教育をしてはならない」とかいった類の文章になってしまったのです。一番肝心要のいわば「宗教的情操の教育」はもういっぺん復活すべきだと私は思っているのです。なぜかといえば、それがあって初めてモラルの問題が鮮明に説けるからだと思うのです。そういう重大な哲学的問題があると思います。

【森主査】 教育基本法以外に農業基本法とかいろいろな基本法がありますが、調べてみると教育基本法だけが占領下にできているのです。だから、今おっしゃったようなことが起きたのかもしれません。資料を事務局で調べたものがありますから、もし必要ならば配付してもいいです。

 どうぞ。

【勝田委員】 『育児憲章』──これは重要な問題で、これを国民会議に出すというのは大賛成なんです。いっそのこと、それを一緒に教育基本法の形で新しく出してもいいかもしれませんね。

【浅利委員】 沈さんがおっしゃった「父親の教育参加の問題」だとか何かも全部盛り込んだらどうですか。

【森主査】 「育児」の“児”は「児童」の“児“ですが、私は「育児のための“育自”」、「育自学」と言っているんですけど(笑)。

【浅利委員】 文部省がデータを出してくださるときに、客観的なデータの羅列ではなしに、少し踏み込んだものをお願いしたい。今の子どもたちの心の頽廃の原因は家庭か学校か、あるいは家庭なら教師の質(人)か、組織(権限)か、そういうことを少し突っ込んだ省内でのお考えを出していただけたらいいと思いますね。

【梶田委員】 次は、多分、文部省から中教審から教科審のあれでいろいろと出していただくということがあるかもしれませんが、その後でもいいし、次でもいいですから、一度、教育基本法をどう考えるか、一回それを丸ごと分科会でやってもらうといいなという気が私はするんです。

 私も今の文言──占領下につくられているから非常に問題があると思いますが、ふだんはだれもそんなこと気にしていないのです。ただ、ショック療法として、教育基本法を論議し、こうということを言えば、国民を挙げて、今の父性原理の問題とかあるいは学校の役割とか考えざるを得なくなりますでしょう。

 だから、私はショック療法の一つの震源地としては教育基本法を論議して、場合によっては中間的な提言を出していってもいいのではないかと思います。そして、宗教の問題とか、幾つか本当に大事な問題がそういう枠の中でやれますから。そういうことができるかどうか含めて、私はぜひ一回この分科会で論議するといいと思います。

【森主査】 最後にお願いしようと思った原稿用紙3枚か5枚に書いて出す中に、「教育基本法について」というのも最後に一項書いていただくと。

【浅利委員】 5枚では書けませんね(笑)。

【森主査】 では、5枚以上。

【勝田委員】 個々の問題について、私はここに書いてあるものだからやらなければいかんなと思っているのですが、どなたもおっしゃっておられないんだけれども、「扶養控除を100万円に引き上げよ」と言ったんですが、それ以外に私は教科書の検定の問題、これも自由化せよという意見なのです。こういう問題について2、3枚書くのはいいんでしょう?

【森主査】 自分で一番重要だと思うものをまず書いていただきたいと思います。それから、次にこれとこれ2つくらい、それで教育基本法について──これは必ず1行でも2行でも、このままでいいとかこれは変えてくれとか。

【浅利委員】 自分の提案を書く。それで、教育基本法について自分の考えを書くということですね。

【森主査】 提案は、大事なことをズラッと並立的に並べないで、自分はこれは一番大事だと思うというのをまず一つ挙げて、その次にできたらこれとこれと。一番上のこれをやれば、当然、2番目、3番目に波及せざるを得ないという1番目の提案なら一番いいと思います。

【浅利委員】 教育基本法の改正まで問題になってくるとかなり反対論が出てくる。今の教育問題というのは、これは一党派で扱うような問題ではないですね。だから、例えば超党派の人たちに我々が語りかけて話し合うということだって一つの選択肢ではないんですかね。土井さんだって、不破さんだって、僕は話をすればわかってくださると思うんです。

【森主査】 国民会議で議論することだけでも意味があると思うんです。国民会議でどういう結論に出ようが議論しているということ自体も意味があるのではないかと思います。

【勝田委員】 我々は国民に訴えているんです。自民党に訴えるんじゃないのです(笑)。

【森主査】 憲法調査会ができたということだけでも意味があるようにね。

【山折委員】 教育基本法の中で、確かに先ほどお話が出ておりましたけれども、宗教というのは宗教的情操教育が非常に大きな問題になっておりますが、その問題を語るとき、当然、戦後の政教分離政策との関連が難しい問題として出てくるんですね。憲法の関係ですね。ここがあるから、この問題は今まで議論されなかったのだと思います。そこに踏み込むのか踏み込まないのか。これは踏み込まざるを得ないだろうと思います。

【河上委員】 親も子も「恐れを知らない」のではないかと思います。自分が絶対正しいと思っているんです、ですから強いのです。宗教的なもの、人間と違う絶対的な存在が社会的に支持されているというか、そういうことがあるということを知っているか知らないか、すごく大きいと思うのです。それを、多分、「宗教教育」と言うのでしょう。難しいんだろうけれども、それがないと先ほど教師に権限を与えよと言ったけれども、権限というのはバックが国家権力だけですからね。国家権力だけでは、とっても大変だろうと思います。

【浅利委員】 その宗教教育を具体的にどうやって教えるんですか?

【河上委員】 いや、私はわからないですね。それは山折先生が……。

【森主査】 教師の権威の一つに、「人格的権威」があるんです。

【河上委員】 そうですね。しかし、「人格的権威」というのは何を根拠にするのか、あるいはそれを認める共通の土台というのでしょうか、それがあればいいですけど、それが解体しているのが現状です。

【森主査】 それは制度的権威と相互補完関係にありますから、制度的権威がなくなったから人格的権威がなくなっているのです。

 例えば、私がよく言うように、「教壇」というのは制度的権威です。それがなくなったというのは大問題です。だから、教壇を復活しろと言っているのです。

【浅利委員】 黒田先生、せっかくご列席なので何か一言発言してくださいませんか。

【森主査】 先ほどジェンダーに関係することが出ましたけれども。

【黒田委員】 学校の役割を教育改革国民会議で議論してほしいと発言しました。その意味では第1分科会が一番基本になるので、第3分科会とどちらに入るかちょっと迷ったのですが、結局はメンバーの顔ぶれをみて理工系とか創造性の方に入ったのです。本当は第1分科会に入りたかったので、今日はちょっと参加させていただいたんですね。

【森主査】 どうぞ、毎回出席して(笑)。

【黒田委員】 いえ、とんでもないです。もう一回で(笑)。

【浅利委員】 敵場視察に来た(笑)。

【黒田委員】 やはり、きれい事だけ言っていられない。創造性とかそういうことを考える際に非常に関連してくることなので、本当に勉強になりました。やはり「学校の役割」は何なのかということを考えていかなければいけないのではないかと考えて、悩んでいます。

【勝田委員】 私は思うんですけれども、学級崩壊という前に家庭が崩壊しているのです。

【河上委員】 それは、そのとおりですね。

【勝田委員】 家庭の崩壊と密接に関連しますけれども、モラルの崩壊です。これは実は本当に難しい問題で、いやになるような問題です。

 先ほど、曾野さんがちょっとおっしゃったので、また機会があるときにもっと詳しくお話ししますが、今のモラルの崩壊の大きな根源の一つは、先ほど「産む・産まないは女の自由」──ああいう考え方です。私はずっと昔、妊娠中絶の自由に対して真っ向から反対して、それでついにテレビにまでひきずり出されてしまったんです。いや、ひどい目に遭いまして(笑)、進歩的文化人、特に進歩的女性に。「先生は徴兵制を復活しようとしているのだ」とか「先生は京大教授だから特権階級である」とか……、冗談じゃないんです。それはひどい目に遭って、そのときに佐藤欣子さんが一生懸命私を助けてくれたんです。

 ともあれ、一番根本問題は、戦後の日本の妊娠中絶の自由です。「経済的理由によって」いとも簡単に中絶できる。

【曾野委員】 先生、何人中絶したか知っていらっしゃいますか。すごいです。1億ですよ。そうすると、大東亜戦争の戦死者はよくわかりませんが、300万といたしますと、33回分殺したんです。こういうことを言わないんです、みんな。

【勝田委員】 そのとおりだよ。実は、ソ連時代、レーニン、スターリン、あの時代にどれだけテロルで殺されたかというのは、まだ十分わからないけれども、私はそちらの専門家ですが、大体において5,000万殺したというんです。日本人も実は同じなんですよ。中絶によって少なくとも5,000万以上闇から闇に葬っているのです。どうして我々がソ連を、共産主義を道徳的に非難できますか。

【曾野委員】 最大の殺人産業だと。

【勝田委員】 そのとおりだよ。そして、仏教の坊さんの一部はどうかというと、“水子供養”でまた儲けているじゃないか(笑)。日本の宗教家が、この問題で、真剣に中絶反対を説いた例がありますか。

 私は、中絶問題にかかわったものだから、えらい反動思想家にさせられちゃってね。だけど、今のモラル崩壊の一番の根本はそこにあると思うんです。人を殺して何故悪いか、と高校生に問われて、評論家たちは何も言えないでいる。これはニヒリズムに飲まれた国だとしか言えないね。今や、もう救いようのない国と私は思っているんですよ。

【曾野委員】 ですから、産んで育てられるような状況をつくってあげればいいですね。父親が逃げてしまったのもあるでしょうから。

【勝田委員】 日程の問題、やりましょうか、最後に。

3.日程の確認

【森主査】 日程の確認ですが、きょうは第1回5月25日ですが、第2回6月15日、第3回6月23日、第4回7月7日、第5回7月11日、第6回7月18日。時間はばらばらになっておりますが、遅い時間帯もありますが、これでよろしゅうございますでしょうか。

【勝田委員】 私はどうしても6月は出られませんので。

【森主査】 では、ペーパーの件ですが、一人400字5枚以上、中身につきましては各委員が一番重要だと思われることをまず第1に書いていただいて、次にこれとこれくらいということで2番、3番目。なるべく1番と関連していることが出てくるのがいいかと思います。それから、教育基本法については必ず1行でも2行でもいいからお書きいただきたいということです。
 それとペーパーは6月9日(金)締切りということでいかがでしょうか。
 それに基づきまして、第2回の審議事項を決めたいのですが、一応、きょう何となく文部省の方でまとめてくださることが1つあります。それから最後にいろいろ出ましたが、「学校、家庭、社会の役割」ということにいくのではないかと思うのですが、それまでに事務局の方で整理がどのくらいできるか、私も拝見しますけれども、また事前に皆さんに議事内容につきましてはご連絡いたします。
 そういうことで、本日はこれで終わりますが、何かご質問とか最後に一言ございますでしょうか。

【浅利委員】 議論が乱暴でいいじゃないですか(笑)。

閉 会

【森主査】 どうも長時間ありがとうございました。

──了──