教育改革国民会議

教育改革国民会議第1分科会(第2回)・議事概要



(日時) 平成12年6月15日(木)18時〜20時

(場所) 虎ノ門第10森ビル5階会議室

○文部省大臣官房政策課長より、資料1「主な審議会答申における提言事項とその実施状況」の説明後、質疑応答があった。概要は以下のとおり。

(梶田委員)
 実施の結果どのような効果があったかを見ないといけない。臨時教育審議会以降、いじめ、不登校は増えている。問題は所期の効果があったかである。

(寺脇政策課長)
 学級崩壊、いじめ、不登校等については、国立教育研究所などに依頼し、客観的にどう評価するかの調査をしている。学力については、全国的な到達度調査を実施する方向で、教育課程審議会で議論している。

(曾野委員)
 学力は評価できるが、ボランティアはどうか。ボランティアが楽しい時はボランティアでないといわれている。挫折感を感じるほどのものでないといけない。

(梶田委員)
 ボランティアを自己評価することは難しい。行政レベルでボランティアを評価する工夫が必要。ボランティアの参加者数だけでなく、どのように有効だったかについても出さないといけない。

(森主査)
 ボランティアは人のためにするものではない。自分の成長のためにするものである。 ボランティアという語句を日本語にしないと本当の意味はわからない

(曾野委員)
 「アレーテー」というギリシャ語には、@卓越、A男らしさ、B徳、C勇気、D奉仕、貢献、の意味がある。徳、勇気がある人は、奉仕、貢献している。勇気がある人には徳がある。この考え方は日本にはない。

(浅利委員)
 レベルの高い教育段階での文部省の提案、対応は非常に効果があったのではないか。それに対して、小中学校段階の改革は「生きる力をはぐくむ」といったように、具体的なものが見えない。例えば、小学生の心の問題をどうするかについては、提案も対応も具体的でなく、効果があったかも疑問である。

(森主査)
 現状でもうまくいっている教育もあるはずだ。これらをモデルにして考える必要がある。

(曾野委員)
 「生きる力」といっても、善なる面、悪なる面がある。私の考えでは相手を疑うことも「生きる力」の一つだ。時には、かっぱらうことも、盗むことも「生きる力」である。世界中の貧困なところでは、このようにしないと生きていけない。美しい言葉では、子供はついてこない。

(梶田委員)
 自ら学ぶ、考えるということについてもその成果が把握されていない。概念の吟味を多面的に行い、対応した形で把握することを、教育科学を動員して行うべきである。

(河上委員)
 臨教審の答申や文部省では、人間を理想形でとらえている。全ての人間は条件さえ整えば、勉強すると考えている。現場で接する生徒はそうではない。「生きる力」をどうつけるかという時には、人間は複雑なものであると把握した上でないと上滑りする。
 人間観、教育、子育てに対する考え方の違いが根底にある。抑圧を取り除けば、子供は良くなるという子供観、人間観についてもこの会議で論議をしてほしい。

(田村委員)
 提言どおりに現場で実行されているかといえば、かなりの部分で問題がある。そのことを認めていかないと事態が進まない。

(浅利委員)
 提言、答申には性悪説の観点が必要なのではないか。

(寺脇政策課長)
 学校の仕組みも先生のあり方も変わらないなかで、教育課程だけ変えて学校教育が変わるとは思わない。「生きる力」を教える時に、さまざまことをやる学校があってもいいのではないか。ひとつの処方箋で学校が良くなるとは思わないほうが良い。

(山下委員)
 教師にとって重要な資質は、情熱、使命感、人間観、教育に対する姿勢、子供に対する姿勢である。教員採用の時にこの点が問われていない。何としても教員になりたい人を採用することが大事だ。

(今井委員)
 カウンセラー制度の導入により親の悩みが解決するとは思わない。子供の心が正常か、病んでいるかという境界がわかりにくい今日、場合によっては、親が自信を無くす。

(梶田委員)
 カウンセラーが貢献している中学校はあるが、何校カウンセラーが入りましたということでは実態がわからない。ある典型事例をとってシステマチックに調査をする必要がある。

(山折委員)
 対症療法的な対策については、効果を測定する必要がある。しかし、人間性については、10年、20年で効果がはっきりするものではない。50年後、100年後の日本、日本人に何ができるかと考えるのが一番大事な問題である。人間に対する考え方が過去どのように変わったかを歴史に学ぶ必要がある。

(浅利委員)
 諏訪の警察官の事件をみても、行政は今おびえている。行政は勇気を持つことが必要ではないか。

(沈委員)
 巷ではがインターネット、ゲームに夢中になり、家族がバラバラになって困っていることなど、普通の人々は、身近なことを問題にしている。
今後の審議の進め方については、以下のとおりで各委員了承。

(森主査)
 各委員の意見をもとに、本日6月15日(木)は、「現行教育に欠けるもの」−豊かな人間性教育の内容について、6月23日(金)には、生涯学習(生涯徳育)の観点から、家庭、学校、社会の教育施策について、7月7日(金)には一人一人が取り組む人間性教育の具体策について検討する。
「現行教育に欠けるもの」−豊かな人間性教育について浅利委員、河上委員、曾野委員、山折委員から報告があり、各委員報告後それぞれ討議が行われた。概要は以下のとおり。

(浅利委員)
 他者と共に暮らす社会に危機が迫った時は勇気をもって事に対処し、時には自己を犠牲にすることの大切を教える、ということを言いたい。
 また、フランスの小学校では「ラ・シーヌ」の台詞を教える。日本でも「勧進帳」などの暗記、朗唱を教えてもよいのではないか。古今亭志ん生の落語も子供に聞かせ、覚えさせれば、完璧な日本語、江戸弁が習える。同時に、薩摩弁、出雲弁、岩手弁などの他の方言もみんな大事だということを教えることができる。

(曾野委員)
 自己犠牲は討議に値する深いテーマである。戦後の日本では、人権しか論じられなかった。日本には、理性の愛である「アガペー」の観念がない。

(浅利委員)
 ミュージカル「李香蘭」のなかでは、わだつみの学生が「公」のために殉じている。50年前にあったこの現実を忘れてはいけない。

(今井委員)
 山口県では、吉田松陰、金子みすゞの副読本がある。子供は、はじめは意味がわからないが、大人になるうちに理解をはじめる。そして誇りをもってその地域を愛してくれる。

(山下委員)
 情操教育の内容をつめないといけない。子供が混乱するのは、大人の言動と学校で教えることに差がある場合である。先生の言っていることと、行動が違っている場合、生徒はどちらを信じていいかわからない。

(森主査)
 道徳教育は、子どもの知らない人が行う方がよい。学校では、隣の学校の校長が行うほうが良い。

(河上委員)
 教育改革の最大の課題は、社会的に自立が困難な子供をどうするのかということである。不登校もいじめも普通の子供の現象であり、これをどうか考え、どうするかということである。学校は、文化を押しつける場であり、さまざまな強制をまぬがれない。現在の学校を利用して今後も教育していくならば、学校に権限と義務を与えなくてはいけない。30人学級に一兆円を使うならば、不登校の生徒や暴力的な生徒など学校の役割に入らない生徒に特別な場を用意するほうが良い。

(山下委員)
 学校教育を回復するために、学校に権限と義務を与えることに賛成する。だが、これには重大な決意と責任がともなう。
 PTAの会合で親は、どうすればクラスが運営されていくかではなく、自分の子供の立場でしか意見を言わない。大人や先生は、生徒を磨く前に自分を磨く必要がある。

(田村委員)
 義務教育ということで、15歳の子供にも一律に決まったことを教えることの問題も考える必要がある。6・3・3を決めた50年前の時代の子供と今の子供とは違っている。

(今井委員)
 先生に権限を与えることは正論であるが、生徒の存在を無視、排除するような指導をする先生がいる以上、いまのような議論には怖さを感じる。

(曾野委員)
 学校教育制度において行政、教師、親の人間理解があまりにも幼稚であった。幼稚から逃れるためには、善にも悪にも意味があり、不健康や悪にあっても、それは教育的であるという両価性を認めることだ。さらに、受けて、与えることの相互作用がなければならない。人間を大人にするのは、文学、お芝居と音楽であると言って良い。それに対して、自分が全くそれにコミットしなくて、あたかも人生を味わったように思うバーチャル・リアリティは悪である面が多い。
 そこで、満18歳で奉仕役に動員することを提案したい。共同生活、質素な生活、暑さ、寒さ、労働に耐えることなどの基本的なこと行う中で相手の立場に立つこと、生き抜く知恵を含めた人間的な勉強ができる。小中で1〜2週間、18歳で1,2ヶ月ぐらいから始めてもよいが、是非このことが実現できる予算をつけて欲しい。モデル校づくりから始めた上で、文部省で「これをやるべきだ」という規定をつくって欲しい。臆病によって教育改革が、回避、拒否されてはいけない。

(河上委員)
 すぐに満18歳奉仕役は無理かも知れないが、合宿なら実現が可能であろう。そうすれば、現状を大きく変えるキッカケになる。子供達が自然から離れたことが、いじめや不登校の原因になっているのではないか。

(梶田委員)
 兵庫県でトライアルウィークを始める時も、反対の意見が強かった。しかし一週間でも、不登校が改善されるなど非常に効果があった。このような提案は強力に言わなくてはいけない。

(今井委員)
 保護者の間では、この考えは非常に好評である。是非、義務教育でやるべきである。

(浅利委員)
 明治政府は教育と軍艦に多額のお金をつかった。人に注目し教育に力をいれた大久保利通はすばらしい。明治時代の官僚は、挑戦的で闘う官僚であった。今は、制度がシステム化されて、変化を嫌う潜在意識が全官僚にある。少なくとも教育に関するかぎり、文部省は闘う官僚システムをつくって欲しい。

(山折委員)
 人間観には、人間は理解することが可能であるとするものであるというものと、人間は謎に満ちて、未知なものであるというものがある。後者の人間観があれば、人間とは恐ろしいものであると、謙虚な見方ができるが、戦後教育では完全に無視されている。
 戦後教育の2つの軸である科学技術と社会科学に加えて、第3の軸として芸術、文化、宗教の軸を作りだすことが必要だ。

(浅利委員)
 日本以外の先進国では、演劇はコミュニケーションを作るために、また言語を学ぶために学校の科目になっている。日本でも、演劇に対する考え方を変える時期にきているのではないか。また、芸術・文化教育を見直す中で、各地域の方言を重視することが必要であると言いたい。方言を学ぶことにより地域の生活や文化、歴史が伝わる。
 子供に目的を早く持たせることができれば、子供は変わる。

(曾野委員)
 各省大臣のスピーチのうち、せめて文部大臣のスピーチは、文部省の総力を挙げて、思想や表現の点ですぐれた世間に訴えるものを毎回作って欲しい。

(山下委員)
 スポーツの果たす役割を抜きには、青少年の健全育成、教育を語ることはできない。
 子供に人生の目的を問う前に、大人が人生の目的を持たなくてはいけない。人前で自分の人生観、価値観を話せる人がどれだけいるのか。

(浅利委員)
 語り言葉をどのような教えるかのノウハウは完全に提供することができる。プロが教えるメソッドをつくり、教えることを助けなくてはいけない。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。