教育改革国民会議

教育改革国民会議第1分科会第2回議事録

平成12年6月15日

教育改革国民会議第1分科会(第2回)審議事項

時 間:平成12年5月25日 18時00分〜20時00分

場 所:虎ノ門第10森ビル5F

出席者:浅利委員、今井委員、梶田委員、河上委員、曾野委員、沈委員、森主査、山折委員、山下委員、田村委員

次 第

1.主な審議会答申における提言事項とその実施状況(文部省)
2.今後の進め方

開 会

【森主査】お揃いですので、第1分科会の第2回会合を開きたいと思います。
 前回はウオーミングアップではなくて、もう本格的な議論に入ったと思うのですが、本日もどうぞよろしくお願いいたします。

資料説明

【森主査】きょうは議題が2つございます。文部省の方から各審議会での答申その他のご報告、説明であります。それは30分くらいで終わるかと思いますが、説明は10分くらいです。2番目の議題は「今後の進め方」であります。

 本題に入ります前に、資料について事務局から簡単に説明していただきます。

【銭谷担当室長】資料ナンバーの付しております資料は3点でございます。

 資料1は『主な審議会答申における提言事項とその実施状況』であります。資料2は『教育改革国民会議の審議事項(抜粋)』で、第1分科会にかかわるものを抜粋いたしております。資料3は『各基本法の法律構成の比較』資料であります。教育基本法以外にいろいろな基本法がありますが各基本法がどういうことを規定しているかを比較したものでございます。

 なお、資料ナンバーは付しておりませんが、「最も重要と考える問題」、「教育基本法についてどういうふうに考えるか」について先生方のご意見を綴じ合わせたものをお配りさせていただいております。

 また、森主査がお考えになりました今後の進め方『主査案』もあわせてお配りさせていただいております。

 以上の他、戦後出されました教育における人間観について触れております天野貞祐文部大臣の『国民実践要領』、『期待される人間像』、田中角栄首相時代の『5つの大切・10の反省』という3種類のペーパーを主査のご指示でお配りさせていただいております。

 以上が本日のお配りいたしました資料でございます。

【森主査】どうもありがとうございました。
 それでは、第1の議題ですが、文部省からの説明を10分くらいでお願いしたいと思います。

議 題

1.主な審議会答申における提言事項とその実施状況(文部省)

【寺脇政策課長】文部省政策課長の寺脇でございます。

 前回、私どもの大臣の方から、「審議会答申の提言事項とその実施状況」について取りまとめたものがあるのでご報告させるというふうに申し上げたことを受けましてのご報告をさせていただきたいと存じます。

 これは、左側に各審議会の提言された事項が書いておりまして、右側にそれを受けてどのように実際行われたかということでございます。必ずしも、まだ量的に十分でないものもございますけれども、文部省なりに提言を受けて取り組んでおるものの概要でございます。

 簡単にご説明させていただきますが、中央教育審議会では臨時教育審議会の答申を受けまして、平成3年4月に「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」という答申が出ておりますが、その中で「個性を尊重する」「総合学科を設置する」「入学者選抜の改善」「生涯学習の成果の評価」ということが言われております。これを受けまして、総合学科が平成6年度から設置されまして、今年度は全国で145校の総合学科高校──これは大学と同じように、生徒が自分で教科を選択してやっていく種類の高等学校でございます。

 それから、高等学校は、今までは学年制で全部進められておったわけでございますが、これまた大学と同じように単位制を取り入れていこうではないかということで、これについては今年度332校の学校──高等学校というのは約5,000校余りございますので、総合学科は校数としてはその中の3%、単位制高校の方は大体6〜7%がそうなっておるということでございます。

 それから、大学入学者選抜の改善につきましては、平成4年度から「評価尺度の多元化・複数化をすること」「推薦入学における枠の明示をすること」という改善を図っております。また、平成9年度から国立大学入試の分離・分割方式、いわゆる前期日程、後期日程のやり方について統一を図ったところでございます。

 それから平成8年7月の答申では、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」がございますが、これで今言われるところの新しい教育課程の提言をいたしておりまして、「生きる力の育成を基本とし、自ら学び、自ら考える教育への転換」、現指導要領の根っこを中教審で提案してもらったところでございます。それから、完全学校5日制の実施を平成14年4月から行うということで対応いたしております。

 第二次答申が9年6月に出てございますけれども、ここでは中高一貫制度の導入を平成11年度からスタートいたしておりまして、現在9校設置されているということでございます。それから、大学入学年齢制限の緩和、いわゆる「飛び入学」ということで、平成9年度からこれが実施できるようにして、現在9名、千葉大学に在学しているということでございます。

 次のページでございますが、「幼児期からの心の教育の在り方について」平成10年6月の答申でございますが、これはどちらかといえば家庭や地域の教育力の充実ということも含めてでございますが、家庭教育につきまして、家庭教育手帳、家庭教育ノートを作成・配布するというのを平成10年度から行っております。また24時間の電話相談体制、子どもからの電話相談、親からの電話相談、両方が受けられる体制を整えつつあるということでございます。それから、学校にはスクールカウンセラーの派遣、「心の教室相談員」の配置、「心の教室」の整備というようなことを行ってきております。

 平成10年9月には、「今後の地方教育行政の在り方について」という答申をいただいておりまして、これを受けまして平成12年度からいわゆる地方分権、国や都道府県による指導、助言、援助等の在り方の見直し。あまり国が都道府県や市町村に対して、都道府県が市町村に対して、過度に介入をすることなくやっていこうではないかということでございます。

 また、平成12年度から教育長の任命承認制度について、県の教育長になりますときは文部大臣の任命承認を今まで受けなければならなかったわけでございますけれども、これを廃止したということでございます。

 それから、教育委員の数の弾力化。教育委員というのは、今まで5人というふうに全国一律で決まっておりましたけれども、これを弾力化していくということでございます。それから、校長及び教頭の資格要件の緩和というのは、民間人でも校長、教頭に登用できるようにしていくということ、それから職員会議の位置づけがはっきりしていなかったので、位置づけを法的に明確にしていくということ。

 それから、大きな事柄としては、学校評議員制度。これまた今年度からの導入でございますが、学校に対して地域の方々が意見を言える仕組みをつくっていこうということでございます。

 平成11年12月には「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」の答申をいただいておりまして、これはまだ受けたばかりでございますが、アドミッションセンターの整備、国立大学もAO入試ができるように整備していこうということでございます。

 次のページは、生涯学習審議会の答申についてでございます。生涯学習審議会では、平成8年4月に「地域における生涯学習機会の充実方策について」という答申が出ておりまして、これを受けて大学公開講座の拡充に努めていること、放送大学を平成10年1月から全国放送できるようにしたということでございます。

 それから、平成11年6月には、「生活体験・自然体験が日本の子どもの心をはぐくむ」という答申をいただいておりまして、これを受けて「全国子どもプラン(緊急3ヶ年戦略)」ということで、平成11年度から13年度までの間に、平成14年度からの完全学校週5日制の実施も踏まえまして、子どもたちが地域で活動できる体制を整えていこうというので、「子どもセンター」の全国展開、それから「子ども放送局」の創設運営、また関係省庁と連携いたしまして、例えば農林水産省と連携し、子どもの農村体験ができるようにとか、そういった事業を広げていっておるところでございます。

 同じく11年6月には、「学習の成果を幅広く生かす」という答申をいただいておりまして、生涯学習をするのはいいんだけれども、した成果が生きるような仕組みをつくろうということで、専修学校などの場合、ほかのところで受けたものの学習成果の認定をしていくということを拡大していこうではないか。また、インターネットやその他のマルチメディアを使った遠隔授業を広げていこう、それから各市町村が生涯学習にさらに強く取り組むために、全国生涯学習市町村協議会という市町村の横のネットワークをつくっていこうということをやっております。

 あとは教育課程審議会、これは臨時教育審議会以降、学習指導要領の改訂を2度にわたって行ったということでございます。1度目は、現在実施されております平成4年から実施された指導要領をつくりました。それから、もう一つは、今度の平成14年度から実施されます新しい指導要領をつくったということでございます。

 それから、教育職員養成審議会については「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について(第一次答申)」を9年7月にいただいておりますが、これを受けて教員養成カリキュラムの改善、今年度の新入生から全面適用ということでございます。また、特別非常勤講師制度の手続の簡素化、つまり教員の免許を持っていない外部の人たちが学校で子どもたちにいろいろなことを教えやすくなるように、簡素化して拡大していこうということで、平成元年には173人の人が外から入ってきたに過ぎないものが、10年度には6,280人というふうにふえてきております。

 また、特別免許状から普通免許状への上進制度の創設ということで、免許の高度化が図れるようにしていっているという改善も行っております。

 次の平成10年10月の「修士課程を積極的に活用した教員養成の在り方について」、これを受けまして大学院修学休業制度、いわゆるサバティカルイヤーでございますが、教師が無給で、休職して大学院で学習ができるようにする制度を創設いたしました。

 大学審議会につきましては、何度かの答申が出ておりますけれども、それを受けまして、右側だけ簡単にご説明させていただきますと、平成元年には学部3年終了から大学院への入学資格を認める、いわゆる大学院の「飛び入学」ということでございます。また、修士の学位を有しない者に対しても一定の要件のもとに博士後期課程への入学資格を認める、つまり、修士を飛ばして博士へ入れる仕組み。それから、優秀な学生は1年で修士の学位がとれるようにするという仕組みという弾力化を行っております。

 また、平成3年には、大学の一般教育科目と専門教育科目の区分の廃止というものを取り入れ、また科目等履修生制度ということで、ある科目だけ履修していくという制度を導入しまして、平成9年度には1万2,213人の科目等履修生を入れております。それから、大学の自己点検・評価システムの導入、これも平成3年に導入したところでございます。

 それから、大学院の量的整備ということを大学院審議会の答申を受けまして、大学院の学生がふえるように定員の拡充を図ってきておるところでございます。

 それから、大学教員の任期制についての答申が平成8年10月に出たのを受けまして、大学の教員に任期制を導入しているところでございます。ただ、適用を受けている教員は平成10年10月現在全国でまだ99人というような状態でございます。それから、通信制の大学院もあっていいではないかということで、通信制大学院を制度化したということがございます。

 次のページでございますが、遠隔授業を行えるようにということで、対面式の授業だけでない多様なメディアを利用した遠隔授業を可能にしたということでございます。

 大学審議会として最後のものは、「21世紀の大学像」ということで、3年以上の在学で学部を卒業できる例外措置。つまり、先ほどのは大学院への「飛び入学」でございましたが、卒業も3年でできるというようにしていく制度、それから自分の大学以外の教育施設で学んだものについて、単位認定できる単位数が従来は大学の単位数の4分の1以内ならよそでとってきてもいいよと言っておったのですが、2分の1以内に拡大して、大学間の乗り入れ、交流ができるようにいたしております。

 また、修士課程1年制コースの制度をつくっていくこと、その一方で、修士課程長期在学コースと。要するに、短ければいいというものではないので、短かったり、長かったり、弾力的にできるようにしようということでございます。

 それから、大学の内部評価ですが、自己評価は平成3年からやっておりますけれども、外からの評価ということで、大学評価・学位授与機構という大学の外部評価をする組織を12年度からスタートさせております。

 最後に、学術審議会の答申でございますが、平成11年6月に「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について」ということで提言をいただいておりまして、博士課程在学者のDCの特別研究員、博士課程修了者PDの特別研究員の拡充、また科学研究費補助金の拡充、それからリサーチ・アシスタントの拡充、国立大学教員の民間企業役員兼業ができますように制度を改めたということでございます。

 以上、大変はしょった説明で恐縮でございましたけれども、概略、このようなことを今のところ実施しておるということでございます。

意見交換

【森主査】どうもありがとうございました。

 大体、ご説明でおわかりかと思うんですが、画一的な制度から多様化といいますか、例外を設ける弾力化といった方向に進みつつあるという実情が具体的におわかりになったと思います。

 第1分科会としては「人間性」がテーマでございますから、それに関することを中心に質疑応答、ご意見の交換をお願いしたいと思うんですが、中教審の「心の教育」とか生涯学習審の「全国子どもプラン」あるいはボランティア活動その他がございましたが、大体20分くらい意見交換をしたいと思います。どうぞ、どなたからでも。

【梶田委員】何をやったかは出ているわけです。だけれども、本当は、行政の政策というのは、それが効果が生んだかどうかなんですね。

 例えば、臨教審以降、どんどんいじめはふえていますし、それから不登校はふえている、まさに「心」の問題ですね。例えば、カウンセラーを配置したらこういう改善があったとか、あるいはこれこれのことをやったらいじめが少なくなったとか、これが出てこなければ……。

 以前、大学入試について「願い論」と言われましたね。とりあえず、何か目先を変えてみれば変わったような気がすると。教育改革も「願い論」みたいで、大学のところもチラっといじってみたり、いじるのは簡単なんですが、問題はそれが所期の効果を上げたかどうかということだと思うんです。

 私、この前ちょっと発言させてもらったのは、行政評価というのを三重県なんかでもやっているんですが、あれは3段階くらいに分けて、効果測定というか、少なくとも効果を見るための一つのあれを出そうとしていますね。文部省のこういうことについての何かそういう資料はないですか。

【寺脇政策課長】まず、最初にお話がございましたスクールカウンセラーについては、実は第2分科会の方でも効果についてきちんと研究や資料がないかというご指摘をいただいておりまして、この間、第2分科会に「スクールカウンセラー活用調査研究委託事業の成果について」という資料をお出しております。この資料をまたすぐお配りできるようにさせていただきたいと存じます。また、その際、さらに広いものをというご要望もございましたので、今また整理をさせていただいているところでございます。

 それから、評価の問題でございますが、ご指摘のとおりでございまして、いじめとか不登校についてなかなか客観的評価というのがしにくい部分もございますけれども、それについて考えてまいらなければならないということで、学級崩壊とかいじめ、不登校、それぞれについて国立教育研究所等にお願いいたしまして、客観的にそこら辺がどう評価をしていけるかというような研究をしていかなければならないと思う。

 また、学力がついているかどうかという問題につきましては、これは全国的な到達度調査を実施していこうということで、今、その内容について教育課程審議会の方でご議論いただいているところでございます。

【曾野委員】学業については評価がおできになるのだろうと思うんです。ですけれども、ボランティアの成果というのは出ないと思いますよ。「ボランティアが楽しいうちは何にもしていないことだ」と我々言うんです。ボランティアが楽しいなんていうことは、深くかかわっていないことなんです。もう、しゃくにさわって、こんなやつに何をしてやる必要があるかと思うようなときに、初めて本当にコミットしているのであって、自分がうまくいかなかったという挫折感ほど本当のものだと。そういうものをどう評価なさるのですか?

【寺脇政策課長】おっしゃいますとおり、そういうところの評価は非常に難しい。結局、自己評価みたいなことになると思う。他人が評価するというのは非常に難しい事柄でございますが、そういう意味では自己評価をするときの見方というか、今まさに先生がおっしゃいましたように、こういう考え方があるよということを示していくというようなことでしか、確かに対応ができないのではなかろうかと存じます。

【森主査】今、“ボランティアごっこ”みたいなことしかやっていませんからね。

【梶田委員】私は、もともと評価をやっていましたからあれですが、方法ではないんですね。自己評価の怖いのは、独善がそのまま雪だるまになっていくんです。だから、自分で見ているだけではなくて、そうではないものをどこで併用するかというのが一番大事なわけです。

 今のボランティアなんかでもそうですが、ボランティアの活動に参加したかどうかという、この数字は出せるけれども、それが有効だったか、どういうふうに有効だったかを出さないとね。「ボランティアに参加して良かった」というのは出せますけれども、「良かった」というのは本人が思っているだけですね。

 これはご承知だと思いますけれども、阪神・淡路大震災の後のボランティア活動がすごく盛り上がったというけれども、本当にこれが意味があったのだろうかという、今、見直しがあったりしますね。大学でボランティアを単位にするというのがあったけれども、あれがネガティブな効果を持ったのではないかと一部言われたりね。

 ですから、私は、何か行政レベルでの工夫を、という気もするんですがね。これはお願いです。

【森主査】ボランティアの問題というのは非常に難しいので、別の会で、いつもボランティアをやっている協会の会長さんは、「ボランティアは人のためにするのではなくて、自分のためにするんだ」とおっしゃるんですね。自分がボランティアをすることによって、成長したという人生の充実感、生きがいとしてやっているので、奉仕なんて言うものではありませんとよくおっしゃるのですが、今の曾野さんの話を聞くと、本当にそういう挫折感があって初めて成長するということになると、一ランク上の次元のような話になってきたような気がして、難しいなと痛感しますね。

【寺脇政策課長】おっしゃいますように、今はまだ私ども行政もボランティアというとらえ方が非常に曖昧で、ボランティアの中にもいろいろな段階とかレベルがあると思う。それは今るるご指摘ございましたように、ボランティアを気軽にやりさえすればいいんだよというレベルもあるだろうけれども、次の段階としてさらにこういうというのを想定した行政にそろそろ考えを変えていかなければいけないという認識は持っております。

【森主査】ボランティアというのは日本語でどう訳するか非常に問題だと思うんですね。最近、横文字が多過ぎるというのもありますけれども、一度、日本語に訳してみないと本当の意味はわからないのかもしれませんですね。中国語では“義務”とか“奉仕”とか訳すらしいですね。

【曾野委員】今、奉仕とおっしゃいましたが、私、40を過ぎましてから聖書を習いました。

 そのときに習ったのが、ときどきエッセイでも書いているのですが、ギリシャ語の“アレーテ”という言葉です。“アレーテ”という言葉は、まず第1に“卓越”の意味がある。私はときどき負けているのもなかなか楽でいいと思うんですが、まあ、一応、卓越がよろしいんでしょう。第2の意味が“男らしさ”ということですね。この時代は、男性社会でしたから、経済も闘いもすべて男のものでしたから、これもいたし方ないと思います。その次は、“徳”という意味です。Virtueの意味です。それから、その次が“勇気”という意味です。それから、最後に“奉仕・貢献”です。

 ですから、日本人の考えるものと全く違って、徳がある人間は奉仕・貢献をするし、勇気のある人間も奉仕・貢献をする。勇気のある人は徳があるべきである──この考え方は全く日本にないものです。私は、ギリシア語をほかに知らないので、こういうときにだけ知ったかぶりをこうやってするわけですけれども、これはすごい解釈だと思っております。

【浅利委員】これを拝見していて、レベルの高い教育の改革については割と具体的だし、効果が上がっているように見えるんですね。しかし、平成8年の「ゆとりの中で生きる力をはぐくむ」の中で、「生きる力の育成を基本とし、自ら学び、自ら考える教育への転換」となるんですが、具体的にもう一つ見えてこない。

 「生きる力を身につけ、新しい時代を切り拓く積極的な心を育てること。家庭に対しては過干渉の是正や父親の役割を見直す」という10年の答申に対して、「家庭教育手帳」「家庭教育ノート」を展開していらっしゃるけれども、これも具体的に効果がどうだったのかということ。

 そういう点で言うと、今、一番問題になっている幼年期ですね。小学校の生徒たちの心の問題については、提案の方も具体的ではないし、対応の方も具体的ではない。ですから、この審議会で私はわかりやすい問題指摘をすること、それから具体的な提案をすること、それに対して効果があるかどうかのチェックを行う必要があると、今お話を伺っていて思ったんです。

【寺脇政策課長】今ご指摘がございましたが、まず、生きる力の育成につきましては、ここにはあまり詳しく書いておりませんけれども、学習指導要領を新たにつくりまして、再来年から現実にそれに沿って小中学校の教育をしていく。もうこの春から移行措置に入りまして、先取り的に実施するようにしております。

【森主査】そういうことよりも、指導要領で生きる力をどう提示しているかということをおっしゃった方が……。3つ言っているわけでしょう。

【徳重高等学校課長】よろしゅうございますか。

 「生きる力」とは「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」。それから、「自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など……」。

【曾野委員】どこに出ているんですか。

【寺脇政策課長】すみません、そこには出ておりません。

【曾野委員】ください。

【寺脇政策課長】資料をすぐお届けさせていただきたいと思います。

【浅利委員】これは学習指導要領ですか?

【寺脇政策課長】はい、学習指導要領でございます。

 それで、効果が上がっているかどうかということは確かに検証していかなければなりませんので、これを新指導要領を実施したら学力調査、学だけではないですが、知・徳・体の調査をやっていって、その成果を検証していかなければならないと思います。

 実は、ここには出てまいりませんでしたが、教育課程というのは、小学校や中学校で何を教えるかというのは、今まではほぼ10年に1回切り換えをしていたわけでございますが、今回から弾力的に対応できるように教育課程審議会の常設化を図るなどしております。

 それから、家庭教育手帳、家庭教育ノートというのも実物をまたお配りたいと思いますが、要は戦後ずっと文部省は「家庭の教育には立ち入らない」という原則で行政をしてまいりました。それに初めて立ち入って、文部省から家庭教育とはこうするものだというのを書いたものを配ったということの意味はあるわけでございますが、それがどのような効果を生むかについては、昨年から配りはじめたものでございますので、今後効果は出てくるのではないかと思っております。

【浅利委員】もう一つは、さっき「臨教審以後いじめがふえた」とおっしゃるんだけれども、ちょっと飛躍がありませんか。

【梶田委員】数字はそうなんです。

【浅利委員】臨教審の提案の中にもいろいろなものがあった。それが具体的な段階でどういうことでいじめの増加につながったかということをあらためて検証されるべきではないかと思いますね。

【寺脇政策課長】それも重要なこと思います。

【森主査】私はかねがね疑問に思っていたことですが、河上先生から非常に生々しいいじめの実態とか、学校、まさに曾野先生のおっしゃる「教育の危篤状態」ということを話を聞いていると、逆にもっとうまくいっている教育もあるんだということも把握していらっしゃるんでしょうね。そういうことも両方考えて、どうしてそんなにうまくいっているのか、それをモデルにして考える方法もあるのではないかという気もするんですが、その点はいかがですか。

【寺脇政策課長】主査がおっしゃいますとおりで、問題点に対応していくことと、良いところのいいものをいろいろな学校が共有化していけるようにしていくということは大事でございますので、そういうところもありますよということをここでもご報告させていただける機会があれば用意させていただきます。

【森主査】ぜひお願いします。

 家庭教育手帳は、次回、皆さんに配付してください。

【寺脇政策課長】きょう終わるまでに持って来させます。

【曾野委員】今、「生きる力」とおっしゃいましたが、私、いつもポイントが狂っているので申しわけないのですが、「生きる力」にも、単純に分けると善なる面と悪なる面の両方力があると思うんです。私なんかが考えると、生きる力というと、まず「相手を疑うこと」だと思います。皆様の世界と全然違いますからね。相手を疑って、時にはかっばらうことです、盗むことです。そうやって生きていくんです。そういうことが全然論議されていないで(もちろんこれは我々の社会ではないんですけど)、世界中で貧困なるところはそうやって生き抜くほかはないのです。

 そういうことなしでやっていって、美しき話をシェアするのでは、子どもってついていかないような気がしますよ。

【梶田委員】一言。今、おっしゃるとおりで、言葉では何でも言えるんです。美しい言葉、臨教審以降、いっぱいあるんです。でも、成果を把握するというけれども、「自ら学び自ら考える力」がついたかどうかという成果も、多分、全然把握されていないと思うんです。あるいは、今、巷でいろいろなことを言われるのは、むしろそれが落ちてきたと。これが江崎玲於奈さんがおっしゃるようなあれでね。

 私は、実は5年くらい前に底を打って、今はかなり良くなってきつつあるという──この前も言いましたけれども、私はそうどんどん悪くなっているとは思いませんが、ただ言葉で終わらないように、一つは、今、曾野委員がおっしゃったように、概念の吟味は多面的にやってほしいなと思うし、もう一つはその概念に対応した形での把握ですよ。これは、やり方は難しいというけれども、ないわけではないですよ。30年くらい前にたくさん道が出ているわけだから、思考力をあれするというね。ただ、はっきり言うと文部省やいろいろ審議会に集まってきた人たちが不勉強だから、教育科学のあれがわかっていないところがあってね。

 ですから、せっかくですからそういうときには日本の一番進んでいる教育科学の水準を動員していただいて、やることを考えてもらわないと、子ども騙しみたいなレポートが多過ぎるんです。一言だけ。

【森主査】ある概念をどう理解するかですが、私は曾野先生がおっしゃった「生きる力」のところを逆に「死なない力」と言っているんです。だから、ある意味というのはポジティブとネガティブ両方に考えないといけないと思うんです。

【河上委員】曾野先生がおっしゃったことと私が現場で生徒を見ていたり、自分のことを考えたりすることと重なると思うんですが、中教審の答申や文部省が行っている改革が人間を理想形としてとらえているという気がします。いいものとしてとらえて、例えば「すべての人間が条件さえ揃えば学ぶはずだ」と。ところが、私が現場で見ていると、どうもそうはいかないんですね。

 「生きる力」ということ自体はだれも否定はしないんでしょうけれども、問題はその中身です。人間というものを「悪の面」と「善の面」ですか、そういうような非常に複雑な存在だというふうに把握した上でないと、上滑りしてしまうという感じが強いんですね。

 現実的には、梶田先生がおっしゃったように、「自ら学び、自ら考える」という力も大幅に落ちているのではないかという実感があります。これは別に学校だけの問題ではなく、日本社会全体の問題だと思うんですが、生徒たちがほとんど「生きる力」をつける方向には向かっていないという実感が強いんですね。

 「人間というのは放っておけばどうしようもないものだ」という認識を前提としたような仕組みが必要なのではないかという感じが強いですね。

【森主査】第2分科会が(笑)。

【田村委員】一言だけ。

 教育改革にかかわって、私もお手伝いさせていただきましたので、一言申し上げさせていただきたいことは、改革の提言を現場でやはり評価されていないという部分がはっきりあるんですね。それは認めていかないと事態は進まないのではないかと思います。

 評価がうまくいったかどうかということについて議論することは大事なことですけれども、実際に提言どおりやられているかというと、かなりの部分で問題があるんですね。例えば、生徒が一番気にするのは評価です。自分がやったことをどう評価してもらうか。絶対評価をかなり入れようということで改革提言しているんですけれども、現場は相対評価しかやっていないんです。それは現実にあるんです。理由は高校入試があるからだという、それっきりなんです。

 それは確かに高校入試も変えようとしているけれども、結局、提言しても現場の先生が「高校は成績のいい順に差別してとる」というやり方を変えないわけです。そうすると、相対評価でやらざるを得ないという話が出てきて、相対評価でやられれば、今回の改定の一番中心部分が現場では全然生かされていないという結果になりかねないんですね。その部分を全然やらないでいて、改革の提言がおかしいんだと言われても、僕はどうも納得できないんですね。

【河上委員】よろしいでしょうか。

 第1分科会で何をしなくてはいけないかということについて、山折先生は、前文みたいなものをまとめる役割があるのではないかとおしゃっています。私は、すごく、それ、ああそうだなと思いました。人間観とか教育、子育てに関する根本的な考え方の食い違いが現在の混乱の根底にある感じがしているんです。私はそんなものを論ずるだけの力はないんですが、例えば「いろいろな抑圧を取り除けば子どもは自然に良くなる」という子ども観が(ここのところ20年くらい)ものすごく強いですね。

 私はこの考え方が大きな混乱を生み出していると思いますが、そのような点について論議していただきたいという感じが強いですね。

【森主査】第2の議題の方に移っていきそうなので、時間も来ましたので……。最近、早くなったんですよ(笑)。

【浅利委員】今、これ拝見していたらいいことを言ってるなと思うんですね。我々の提言することの半分くらい、既にここで考えられている。

 ただ、提言していることの中に、曾野さんや河上さんがしきりにおっしゃっている「性悪説」。その観点が要るんじゃないかという感じがします。

【寺脇政策課長】そうだと思います。これは率直に言わせていただければ、生きる力でも何でもそうですけれども、教育の場というのは美辞麗句をつくってしまうとホッとしてしまうところがあるので、先ほどの数字の上での検証なども含めて、リアルな現状認識と現状把握というのを取り入れていかないと、掛け声倒れに終わってしまう。河上先生がおっしゃるようなこともございますし、田村先生がおっしゃいますように、こういう内容をやる先生はどんな先生なのか、こういう内容をやる学校はどんな学校なのか。学校の仕組みも先生のあり方も全然変わらない中で、教育課程だけ変えてそれがうまくいくというふうには思えない。

 だから、一つのことを出して、「これで良くなりますよ」とは言えないので、いろいろなものを複合的に改革を進めていく中で、それと一つひとつの改革の連関性をまたきちんと整理していくことは重要だと思います。

【山下委員】私は、これが行き着くところは「人」ではないかと思うんです。教師にとって重要な資質は何かというと、情熱とか使命感とか人間性とか、教育に対する姿勢、子どもたちに対する姿勢、こういったものが非常に大事なのではないか。

 専門的な知識も必要、教育の技術も必要、でも、こちらよりももっともっとそちらの方が大事なのではないかと思うんです。

【森主査】教師の「生きる力」ですね。

【山下委員】そうですね。「生きる力」の特に2番目のところは、特に教師はそこを問われると思うんです。

 最近、少し変わってきていますけれども、教員を採用するときにそこの部分はあまり問われていないんですね。似たようなケースでいいますと、警察官の役割は何なのかというときに、市民の治安を守る、安らかに安心して暮らせるようにと。ですけれども、そのために警察に求められているのは何なのかということと、警察官を採用するときというのは大分違うんですね。世の中の価値観というか、ものの見方が学力で物事を評価していく。そして、このレベルの学力があればここに行けますよというところ、そういうところが変わっていかないと……。

 ですから、個人的な考えとしては、僕は教員はストレートでなるよりも、2浪、3浪してでも、非常勤をやりながらでも何としてでも教員になりたいという先生の方が、全体的に見ると子どもがいい感化をされると思うんです。

 そうすると、やはりそういった教員の再教育とか教員の採用とか、今おられる先生方も「人」の部分というのを抜きにしては語れない。でも、これがある意味では非常に難しい部分ではないかと思うんです。

【森主査】まだあると思うんですが……。

【山下委員】ここはとても大事なところだと思う。カウンセラー制度の導入が入ってきていますが、基本的にこのカウンセラーの制度が入ってきたから、親のいろいろな今ある悩みが本当に全部解決できるのかといったら、全くそんなことはないと思うのです。

 例えば、親から見ると、どこまでが子どもが正常でどこからが病を持ってきているのかという、その辺の端境目みたいなものがわかりにくい。健常な子どもを育てる教育と心に病を持っている子どもに対する指導の仕方というのは、基本的に違うと思う。そこのところが、今は心の病を持っている子が非常に特殊ではなくて、こういうふうに学級崩壊とかいろいろなことが起こっていて、「ほとんどの子どもたちが心に病を持っている」みたいなイメージがついて、そこにそういうカウンセラーのような形で入っていくと、本当に今言う一人ひとりに向き合うということになると思うのです。

 でも、それはどこまでが病なのか。カウンセラーの方に相談すると、すぐ病名をつけられたり、どこかに行きなさい、あそこへ行きなさいとか言われて、それがとんでもないところに行くと、親が余計に自信を失ってしまう。

 だから、学校教育のときにもお話ししましたけれども、複合的な中で支える仕組みをぜひつくっていかないと、カウンセラーだけが今どんどん全国に入っていくと、お金の無駄遣いだと思います。

【梶田委員】その問題ですが、カウンセラーが入って混乱している地域がいっぱいあるわけです。

 つまり、「カウンセラーを何人ふやしました。前進しています」みたいな数字が出るから、私はだめだと思うんです。さっきの絶対評価──絶対評価をすればうまくいくものではないんですよ。だから、さっきの絶対評価、これも昔からある話なんです。アメリカなんか大失敗しているんですよ。評価をあれやって、1970年前後もそうだし、いろいろな事例がいっばいあるんです。

 例えば、「絶対評価を何校やりました」ではなくて、そこが「そのおかげでこういう意味でいじめもなくなりました」とか「学力も向上しました」とか、出なければだめなんです。

【森主査】これは単なる調査では出ないんです、研究しないと。

【梶田委員】それはまあそうだけれども、でもやはり行政として言うと、私は悉皆調査でなくてもいいけれども、ある典型事例をとって、そういうことが出てこなければ、我々集まってやるけれども、これは一端しか言えないわけです。だけど、それをシステマティックにやらなければだめなんです。

【森主査】一通り、皆さんにご発言いただいてから第2の議題に移りましょう。まだ、発言なされていない方。

【山折委員】いや、もう第2の議題に入っていると思います。

 教育の現場のいろいろな混乱とか不祥事とかたくさんありますね。そういう問題に対してとりあえず対策を講じなければならない。いろいろな提言があって、文部省でも施策化ということをやっているわけですね。それはそれで僕は必要だと思います。

 その問題については、いわば対症療法的な対応ですから、効果を測定することは必要だし、しなければならないと思いますけれども、しかし、事、“人間性”という問題になった場合には、これは10年とか20年で効果がはっきりするような問題ではないわけです。そうではなくて、今後の50年後の日本、100年後の日本人のためにどういうことをやったらいいかということを考えるのが、いわば一番大事な問題でしょう。

 その場合に、我々、過去50年、明治以降130年の間に「何に成功し、何に失敗したか。その問題にかかわって、人間に対する考え方がどうだったのか」ということを過去に学び、歴史に学ぶということがあろうかと思います。

 私は、第1分科会の主要な問題はそこだろうと思っています。

【森主査】それを第2の議題でやろうと思っていたんです。

【山折委員】その問題で申し上げてよろしいでしょうか。

【森主査】では、それは第2の問題に入ってから。

【浅利委員】行政の方にお願いしたいんですが、最近、諏訪の警察官の事件がありましたね、警察は慌てて処分しましたね、でも世論が逆の方向に動いた。今、少し行政は怯えていませんか。僕、行政が、もっと勇気を出すべきだと思う。

 ですから、やっぱり今度の改革は勇気を持ってやってもらいたいなという感じがする。

【曾野委員】怯えているのは警察だけではないです。

【沈委員】きょう、空港で聞いた話なんですが、孫がインターネットに夢中になって、食事にも来ない、家庭はバラバラになってしまった。下の孫もポケットゲームに夢中になって、声をかけても返事をしない。インターネットの時代だから、それを否定はできないけど、その中で子どもをどう育てればいいか、先生方に聞いてきてくれということを聞いてきました。

 今までずっと一回もその問題の話は出なかったようですね。底辺には、ここで話す高いレベルではなくて、極めて身近な問題でみんな悩んでいるかということをお考えいただきたいと思います。

【森主査】それに関連して、私は地下鉄の中で眠っているふりをしながら、前で女子高生が話しているのを聞いたら、「うちではインターネットは2時間で親がとめる」と言うんですね。ほかの子も「うちは3時間だ」とか言っていましたから、ある程度、親の方でコントロールしている家庭もあるんですね。

【沈委員】口を聞かなくなるそうですよ、夢中になると。

【森主査】はい。では、第2の議題に移らせていただきます。

2.今後の進め方及び審議

【森主査】お手元の『今後の進め方』という資料をごらんいただきたいと思います。
 本日、6月15日は「現行教育に欠けるもの」、23日は「生涯学習(特に生涯徳育)の観点から、家庭、学校、社会の教育施策について検討する。7月7日は、「一人ひとりが取り組む人間性教育の具体的策」、つまり非常に高度な理論ではなくて、国民一人ひとりが自分の問題として受けとめて進めるような、国民運動的な基本施策が考えられないかということ、これを一応3つの柱を立ててみたいのですが、こういう形で進めてよろしいでしょうかどうかということをまずお諮りしたいと思います。いかがでしょうか。
 これは、皆さんの宿題を拝見しながら、一応、考えてみたんですが、先ほど来、人間性論が少し出ておりますが、本日は、浅利委員、河上委員、曾野委員、山折委員が比較的それに近いことをおっしゃっているのではないかということで、この4人の方に宿題をフォローしながら解説する形で話していただけたらと思うんですが、そのようにしてよろしゅうございますでしょうか。

〔「はい」という声あり〕

【森主査】それと関連しまして、皆さんのペーパーをプレスに公表してもいいかどうかということをお諮りしたいのですが、いかがでしょうか。
 差し障りあると思われる方、いらっしゃいますか。

【山折委員】私は結構です。

【森主査】皆さん、よろしいですね。

 では、これを本日マスコミにこういうものが出ましたということで公表させていただくことにします。もし、どうしても直したいという方があれば、帰るときまでに字句の訂正その他できればと思います。

 それでは、浅利委員から一人10人程度でお願いします。

所属委員から寄せられたご意見

1)浅利委員の提言

【浅利委員】もう1分で。皆さんのを読んで、自分のも読み返してみて、ちょっと僕は総花的だなと思ったんですね。

【森主査】そんなこと、ないですよ。

【浅利委員】そうですか。

 だから、皆さんが僕の提案の中から、これ、いいじゃないか、これをとろうよとおっしゃっていただけるように、むしろ私が主張するよりも皆さんのご意見で決めていただければと思います。

【森主査】具体的な提案が多いのですが、どれか一つといったらどれになりますか。どれらか始めるか。

【浅利委員】「他者と共に暮らす社会に危機が迫ったとき時は、勇気をもって事に対処し、時には自己を犠牲することの大切を教える」という、ここまで皆さんおっしゃらないですよ。僕は、これ、絶対言うべきだと思います。

【森主査】情操教育ですね。

【浅利委員】「一旦緩急あるときには……」とちょっと似ていますけどね。

【森主査】どうぞ、皆さん。これをごらんになって、そうだとか、いや、これはこうだとか、ご意見ございますか。

【浅利委員】「教え過ぎ」ということはどうでしょうか。僕は、もっと単純な教育の方がいいんじゃないかなと。「読み・書く・語る」。

【森主査】それは学校段階によってちょっと違うでしょうね。

【浅利委員】もちろん、小学校の初期です。

【梶田委員】フランスなんかだったら、名文を暗記させますね。それから、きちんとした作文教育をしますね。

 日本では、小学校でも国語できちんとした文章を書く練習をさせていませんね。好きなように書けと。そういうのが後の思考力の形成に大きな悪い影響を持っているのではないかという論議がありますね。

 今、おっしゃりかけたけれども「教え過ぎ」の中身とか段階の問題です。

【浅利委員】フランスでは小学校段階で「ラシーヌ」のセリフの朗読をやらせるんです。ラシーヌの劇はアレクサンドランという12音節にわかれ、しかも全部、頭韻、脚韻を踏んで書かれているという名文です。書いてある内容は男女の恋愛を扱ったものが多いのですが、子どもたちにあえてこれを学ばせるのは、この文章がフランス語として完璧だからだんですね。ということで言えば、僕は勧進帳の長セリフとか、福田恒存さん約のハムレットの第1のモノローグ、ああいうものを子どもたちに教えていただきたい。

 僕らが子どものころは、国木田独歩の「武蔵野」などを暗記させられました。今でもよく覚えています。だから、暗記朗誦を語り言葉でやってくださるといいと思います。

【森主査】その点は、曾野委員と重なってくるんですね、古典の教育とかのですね。

【河上委員】現実にはこの20年くらいこういうものを無理やり暗記させたり、書かせたり、そういうやり方は否定される方向が強くなってきています。そういうやり方は良くないという方向が強くなっているということがあると思うんです。

【森主査】でも、教育は模倣から始まるんですから、いいもの、つまり、模範を模倣すればいいんです。

【河上委員】それが学校の中で壊れてきていると思います。

【森主査】年表なんか暗記する必要はないんだけど(笑)、平家物語を暗記すればいいんです。

【河上委員】浅利さんの、「小学校での教育の時間を、知識半分、人格形成半分」という提言に全く賛成します。これまで日本の学校は、授業とそれ以外の“特別活動”つまり、学級での生活とか行事とか、人との関係についての教育を2本柱としてやってきたと思うんですが、それがこの10年の教育改革の中で教科の方に随分スタンスが移ってきた感じがします。

【森主査】これは、幼稚園でできませんけれども、私は幼稚園は英語とか漢字を教える必要はないので、むしろ言葉、正しい日本語を教えることに徹底した方がいいんじゃないかと思うんですが。

【山折委員】私も、浅利さんのお書きになった、ほとんど全部賛成なんですが、特に私が共感いたしましたのは、「読み・書き・そろばん」に対して「話すこと、語ること」、これを付け加えろということ、これはものすごく大事だと私も思います。全くそのとおりだと思います。特に私は共感いたします。

 それから、もう一つは、先ほど言われました「自己犠牲」の問題です。“犠牲”という問題は言葉を変えると、“献身”と言っていいかもしれませんし、それから先ほど来、ボランティアということが出ておりましたけれども、ボランティアというのはやはり一種の自己犠牲なんですね。それが何か美しい奉仕活動という言葉にごまかされてしまう。それは痛み分けなんだと。曾野さんがはっきり言われたような問題につながるわけですが、犠牲というものも戦後教育では脇に押しやられてきたような感じだと思います。

 特に、2つの点に私は非常に共感いたしました。

【河上委員】学校では、「情操教育」という、芸術とか文化に対する教育は、極めて軽視されていると思います。芸術、文化に対する教育を大きな柱にするというのは、先ほど山折先生がおっしゃった50年、100年後の日本ということを考えたときには、ものすごく大事な点ではないかと思います。

【森主査】第3分科会の創造性教育は、大学に比重がかかっているようですが、創造性を開発するには小・中もその段階から“感性”というか、“ロマン”というか、文学をやらなければだめだと思うんですが、そういうことを第3分科会に要求しようと思っていたんですが。

【浅利委員】ふざけていると思わないで聞いていただきたいんですが、古今亭志ん生の落語なんて、子どもに聞かせて覚えさせたらどうでしょう。完璧な江戸弁です。江戸弁が大事なのと同時に、薩摩弁も出雲弁も岩手弁もみんな大事なんだというふうな教え方をしていきたい。古今亭志ん生をおもしろいと思えば、江戸文化というものも親しく思えますし、これらは日本の大きな文化遺産であるわけです。

【曾野委員】今、浅利さんが「自己犠牲」ということをおっしゃいまして、これ、本当に討議に値する深いテーマです。

 それで、私もこの前も言ったと思いますが、ほとほと嫌になっているのは、戦後の日本では人権だけ論じられたんです。でも、浅利さんがおっしゃったのは「愛」なんです。愛というと、これもしじゅう書いているんですが、甘っちょろい愛ばかり考えられておりますが、聖書の中で「友のために命を捨てる、これより大きな愛はない」とはっきり書いてあるのですが、愛というのは4種類ある。ストルゲーという親子の愛とエロスという性愛、フィリアという好きであるという行為の環流が成り立ち得る好きである感情、それからアガペ−という理性の愛。この「理性の愛」というものの観念が日本に全くないんです。理性の愛というのは、自分がどう考えようとあるべき姿に殉じるということであります。こうなると、もう「愛」なんていうのは全く甘くなくなってくるわけです。

 ただ、その理性の愛がある瞬間フィリアという我々が感じる、普通のいとしさのような感情と結合します。

 「愛」というものに関する観念を、我々、教育されたことがないんです。だから、法務省でも何でも人権ばっかり……。人権というのは皮肉を言うと「予算をとる」ことです。そういうことばかりやっていますから、何も教育されていないので、ひとつこの点のところだけ。愛なんていうのは大変に甘くない、命をかけるものだということを教えていただきたいと思います。

【浅利委員】私、今、「李香蘭」という作品を上演していて、その中にわだつみの学生たちが十数人しゃべる場面があるんですが、戦争は間違っていたにもかかわらず、20代の初めの若者たちが公のために殉じていったわけですね。そのつい50年前にあった現実を理解しなければいけない。

【山下委員】情操教育のところで、私は山口県なんですが、吉田松陰さんとか、金子みすずさんとか、副読本ができていて、詩集だったり、吉田松陰先生の生き方とか、小・中で学んでいます。子どもたちは、初めは意味がわからないかもしれないけれども、だんだん大人になっていくと、それに対する理解ができてくると、それをきちんと自分がそのことを語れるようになってきているということにすごく誇りを持って、その地域を愛してくれるということがあるので、これはどちらというと都会よりも地域の方の学校でこういう特色というのは結構出して残して今やっているところはあると思います。

 ここはぜひ地方の方から都会の方に投げかけて、もし郷里にそういう人がいないというのであれば、今言われるいろいろな芸術とか、そういうのがあるととてもいいと思います。

【山下委員】倫理の教育、情操の教育は非常に大事であって、これを具体的に学校の現場でどうやっていくかということは、ぜひここで詰めていかなければいけないと多くの方が賛成されるのではないかと思うんですが、そのときに一つ、子どもが混乱するのは、大人の行動と学校で学ぶこととのギャップというのは、これは大人も一緒に学んでいかなければいけないことではないかと思うんです。

 ですから、河上先生の「先生の言うことを生徒は聞くべきである」、これも私同感なんです。ただ、そこで先生が口で言っていることと先生のとっている行動、価値観とが違ったときに、生徒は先生が言っていることを信じていいのか、先生がやっていることを信じていいのか、すごく戸惑うと思うんですね。

 教育改革国民会議の中では、こういうことは我々大人も自分の責任として感じるというところを訴えていく部分も負わせていかないと、自分らの責任は棚上げにしてということになるのではないかと思います。

【森主査】ですから、道徳教育というのは、あまり知っている人からではなくて、知らない人から教えてもらった方がいいんですね。孟子も言っていますけれども、「子をかえて教える」。だから、親が子どもにいくらしつけても、親が日ごろだらしないのを子どもがわかっているから(笑)、おじさん、おばさんに教えてもらえと。それが聖職者ならなおいいと言っているんです。だから、私は道徳教育は隣の学校の校長さんが来てやった方がいいと教課審で何べんも言ったけど、採用されないんですね(笑)。

 それでは、次に、河上委員の提言に移ります。

2)河上委員の提言

【河上委員】前半についてはこれまでしゃべっていますから全部飛ばして、「教育改革の目標と戦略」そこだけ説明します。

 私の立場──義務教育の中学校の教師からすると、教育改革の最大の課題は、「現在、社会的自立が非常に困難な子どもをどうするか」ということだと考えています。それと同時に、普通の子どもたちが引き起こしている問題や事件、例えば不登校というのは特別の子どもがそうなるわけではないという感じが強いし、ひどいいじめをする子どもも特別な、”悪いやつ”がやっているというふうな感じは全くないですから、普通の子どもたちがある条件が揃うとそういう行動に走ってしまうということをどう考えて、どうしていくのかということが最大の課題だと思っています。

 それから、これまでも言ってきましたが、これまで文部省が行ってきた自由化・個性化の教育改革は学級そのものの解体を進めているのではないか。文部省の改革が決定打だというふうに私は考えていません。大きな社会的要因が根底にありますが、それを加速する方向にあったのではないだろうか、こういう感じは強く持っています。

 例えば先ほど紹介がありましたが、再来年からでしたか、新しい指導要領になったときに、選択教科が大幅に拡大したり、「総合的な学習」という形で教科の枠組みを外れていろいろなことをやっていいという時間がつくられるわけですけれども、それは義務教育ではかなりレベルの高い問題ではないだろうか。例えば、それと同時に、これは5日制で、授業時数も当然減らさざるを得ない状況になっていまして、行事をこれまで日本の学校での場合にはかなり大きな柱としてやってきた行事も削減せざるを得ない状況があります。

 そういうようなことを考えると、今進めている改革の方向は、義務教育の学校の基礎的な部分を崩すことになっているのではないだろうかという心配が強くあります。

【森主査】先生、まだ4番目ですね。この調子でいくと時間が……。

【河上委員】すみません。では、全部はしょって。

【森主査】一番大事なところを。

【河上委員】では、9番、10番あたりでしょうか。

 私は、学校は文化を押しつける場であり、強制は免れないと考えています。

 何度も言っていますけれども、もし現在の子どもの混乱した状況を何とかしなくてはいけないということがあるとし、学校を利用するとすれば、学校に権限と義務を与えないと無理だろうと思います。山折先生が先ほどおっしゃったように、緊急事態に対する対症療法を行うときに具体的に学校をつぶさない状況で何とか維持するということが得策だと思っています。例えば、30人学級に1兆円を使うより、現在、学校の枠組みの中に入れない不登校の子どもたちと非常に暴力的で粗暴な子どもたちを今の学校とは別枠で特別にお金をかけてきちんとした教育をする必要があるのではないだろうか。そうすることによって、学校そのものの維持ができるのではないかと思います。これは、きっと1兆円なんて巨額な予算を使う必要は全くないと思うんですが。

 ただし、私の言っていることは今までの教育改革とか教育とかあるいは学校に対しての世論というんでしょうか、多数派の意見からすると極めて攻撃的というか、少数派だと思いますから、こういうことを充分に論議した上で、なぜ必要なのかをはっきり主張しなくてはいけないと思います。

【森主査】どうぞ、ご意見をお願いします。

【浅利委員】8の学校の(1)(2)に賛成。9、賛成、とても大事です。10、文化を押しつける場であり、強制を免れない、大賛成です。ただ、自由が保障されることも大事だけど。それから、現実に対応する必要があるので、学校の教育力を回復するための権限と義務、これもとても大事です。(1)(2)、大賛成です。12の極端な平等主義を改める、これも大賛成。不登校とか暴力的な生徒に別の教育システムを持つこと、これも大事。それから、別の枠組みで教育するということも大事です。

 とても具体的だから、この具体的な提案をぜひ盛り込みたい。多少、問題があって、抵抗があってもいいじゃないですか。

【森主査】ほかにどうぞ。

【山下委員】学校の教育を回復するために権限と義務を与えなければいけない──大賛成なんですが、これはやはり重大な決意で、重大な責任が伴う。よほどの決意がないと……。河上先生は命を張って、学校教育に当たっておられると思うんです。ですから、これが書けると思うんですが、権限のところはいいのですが、義務のところで、そうなったときに、僕は実際に今教育の現場でやっている先生方の中で、大学も含めて、自分の義務の部分で震え上がってしまって、という気がするんです。

【河上委員】強制力を発揮するのは責任を背負い込みますからとても怖いです。

 ですから、日常性の中に逃げ込んで何となく過ぎればいいだろうというふうに、私自身も含めてなりがちです。ですから、第三者機関をつくって学校に対して「やっていないじゃないか。義務を果たしていないじゃないか」とつきあげる必要がある。例えば授業を非常に妨害する生徒がいる。それに対して、「何をやってるんだ」ということを学校にねじ込むだけではだめなんです、排除する権限を与えなくては動けません。

【森主査】埼玉県で「教育レスキュー隊」というのをつくったじゃないですか(笑)。

【河上委員】つくったようですね(笑)。

 そうではなくて、学校が問題生徒を排除する権限と義務を法律に明記することです。それなしには、学校そのものが全体として崩れるしかありません。

【曾野委員】判定するよりしないより、何で警察のOB、腕力のあるのを入れないんですか。そんなもの入れたって当たり前ですよ。警察を入れちゃいけない、OBを入れればいいでしょう。それで、「おまえ、だめだ。何だ」と言える人がいいですねぇ。生徒にも人気出ますよ。同時にやさしいおじさんですから。

【河上委員】腕力を使うときには、法的な背景がなくてはだめですね。今はありませんから、生徒は手を出しますけど、教師は手を出せないのを知っていますから。

【曾野委員】ここにもちょっと書きましたが、戦後、ずっと言葉狩りに圧倒されてきたわけです。私は書くんです、好きなように。私は引かないから、この後何とも言ってこない。引くと言ってくるでしょうね。でも、「あいつには何言ったってだめだ」と思うから、全然来ませんよ。そういうことってあると思います。

 だから、あのOBの警察のおじさんは、とにかく首根っこをつかまえたら、別にぶん殴るんでも何でもない、ただ、あれにはかなわないと思うと、私は黙ると思うんです。

【河上委員】そうはいかないと私は思います。

【曾野委員】そうですか。やってみればいいでしょう。

【河上委員】それを超えている生徒たちが登場しているというふうに考えていただかないとだめなんじゃないかと。

【山下委員】やはり、よほどの決意がないとですね。多分、うちの子どもの学校だけではないと思うんですが、私、何度かPTAの会に出ました。25人くらいいて、たまたまある1回は私だけです、男性は。お母さん方に私は非常にがっかりしたのは、自分の息子の立場で全部言われるんですね。そのクラスがどうやったらうまく運営していけるかではなくて、宿題の数が少ないとか、多いとか、厳し過ぎるとか、自由過ぎるとか。おまけに、最初に、先生に教えていただいていることに対するお礼の言葉も言わないんですよ。私が、途中で、まず自分の息子のお礼を丁寧な口調で言ったら、皆さん、言いたいことをいっぱい言おうと思ってきたのがリズムが狂ってしまったということなんですけど。

 多分、これを言ったときに、授業をまともに進行させないような特別な問題児だけではなくて、一般の人たちにも先生方の影響力、強制力が及ぶというふうにとられると思うんですね。

【河上委員】そうですね。

【山下委員】そうしたら、多分、先生が言っていることの多少でも問題点があったら、どうですか。かなりつついてくるんじゃないですかね。

 そうすると、やはり教師が生徒を磨く前に自分を磨くという、その基本を徹底して、そこまでの決意がないと。でも、その決意を持って教育には当たっていかないと変わらないと思うんですね。

【河上委員】ですから、こういうことをやるということは、教師に対してもかなり厳しい姿勢を要求せざるを得ないことになります。ただ、それをやらない限り、今の状況は突破できないと私は思いますけど。

【山折委員】今、恐らく緊急にやらなければならないことは、「学校は文化を強制する場である」ということの国民運動を起こすことですね。その提言を我々がするということなんです。

【河上委員】ええ。しかし現実は、押しつけはだめだから、子どもたちが好きなもの、自分が吸収したいものだけを自分から吸収すればいいというふうになってしまっている状況がある。

 教育は「文化の押しつけである」という世論がないから、教師の方がひるんでしまうんですね。

【山折委員】運動を起こしますと、何年かやると50%超えると思いますよ。そうしたら、警察のOBを入れたらいいんです。

【田村委員】部会が別でこんなことを言って申しわけないんですが、ただ一つだけ気になりますのは、河上先生のお話、非常にいいんですけれども、そうなると今の子どもが15歳で義務教育だということで、決まったことを教えるということについて考えなければいけない、私は個人的に思います。

 50年前に6・3・3を決めて、6・3というのは9年間義務教育だと決めましたね。その時代の子どもと今の子どもはものすごく違っているわけです。今の話になると、全員同じことを強制的にやるということになりますね、ある部分。

【河上委員】基礎はね。

【田村委員】だから、それは「15歳も基礎か」という部分が出てくると私は思います。なぜかというと、外国との比較で言うと、日本の子どもというのはものすごく子どもっぽいんです、全体的に。それで、もうもたなくなってきていると私は思っているんです。だから、そこのところをきちんとしないと、先生の話は通用しなくなってしまう。

【河上委員】これはイタチごっこになってしまうんですけれども、状況からすると、こういうことをやったときに生徒の側の受け入れる条件は非常に少なくなっています。例えば、集団生活とか、一緒に何かやるとか、人のことを考えるとか、そういうことはもう関係ないよというふうな体質で大きくなっていますから。ところが、ここで浅利さんがこういうふうにまとめておっしゃるとおり、必要なことなんです。生徒に合わせるだけではだめなんです。能力の低い状態を少しずつ変えないと。

【曾野委員】低かったら、ちょうど合うんじゃないですか。私は合うと思いますけど。

【河上委員】生徒の状況に合わせて「難しいからやらない」というのはやはり違うのかなと。先ほど、山折さんがおっしゃったように、ひょっとすると何十年か頑張ってみると、今の状況そのものが変わるかもしれない。

【森主査】ですから、本来なら家庭でやらなければいけないのに、今度は文部省は生活集団と学習集団に分けるというと、ますますそういうことになっていくわけですね。だから、消火対策と防火対策といいますか、両方やらなければいけないので、強制もしながら家庭教育で地道に50年計画くらいのものでやらなければいけないということじゃないですか。どうぞ。

【山下委員】まず、これは親側の立場から見ると、権限を先生に与えるというのは基本的には正論だなと思うのですが、今の子どもたちを取り巻く先生たちとのトラブルを見たときに、その子そのものが存在がないような、打ち消すような言い方をされて、その子を排除していくような形があるんですね。これがある以上、私たちとしては非常に怖さを感じます。

 それに、子どもたちが今言われるような、耐え切れないんですね。だから、そこの辺については問題を感じます。家庭教育の部分について、これからどうするかということになると思うのですけれども、私は家庭で子どもたちに教育していくということがとても難しくなっているので、学校の集団がある中で、いろいろな体験活動をするあり方をもう少し見直してもいいのではないかと思う。

 例えば、夏休みとかで、いろいろな勤労体験だとか、青少年教育施設でしたりする、そういう長期体験等を組んで、子どもたちに少しの自由とそれから統制と、そこの辺をもう少しバランスをとれる場というのも学校の中にあってほしい。

3)曾野委員の提言

【森主査】それでは、次に移りたいのですが、曾野先生、どうぞお願いします。

【曾野委員】私、だらだら延々書きましたので、集中的に申し上げますと、私は今までの人間理解というか、学校の教育制度において余りにもみんなが幼稚であった。これからは、幼児性をまず行政がやめなければいけない、それから教師がやめなければいけない、親がやめなければいけない。いろいろ幼稚から逃れる方法はあるんです。まず、両価性を認めること。どちらにも意味がある。善にも意味があり、悪にも意味がある。人間として不健康を望むのではなく、もちろん健康を望む。悪を望むのではなく、善を望むけれども、そのような不健康や悪にあってもそれはまことに教育的であるという両価性です。それは、トーマス・アクイナスの「すべて存在するものはよきものである」というものすごい言葉に残っておりますけれども、その両価性を認めることが第1です。

 それから、今までは少し“乞食根性”の教育でした。もらうことだけが意味があると。これは、受けて与えることという両方の相互作用というものがなければならないわけです。まだたくさんありますけれども、差し当たり、この2つくらいを考えてもよろしいと思います。そして、この両価性のような問題を理解するには、「テレビではだめだ、小説を読め」とおっしゃっていただきたいですね。随分生意気で、悪いことをいっぱい書いてあるんですから、小説というものは。

 私なんか小学校3、4年生の頃菊池寛の『真珠婦人』などをこっそり読んで、こんなおもしろいものがあるのに、学校の試験勉強なんかしていられるかと思ったほど、そのときは感動いたしました。

 やはり、人間を大人にするというものは、テレビではなくて、文学である、あるいはお芝居である、あるいは音楽であるということをはっきり言っていただいて、そして私はここでバーチャル・リアリティはある面では悪であるとはっきりおっしゃっていただきたいと思います。何で遠慮して、バーチャル・リアリティはすべていいものだと言われなければならないかということがわかりません。もちろん、バーチャル・リアリティというのは、例えば私の知る限りの範囲ですが、パイロットの訓練などにおいてはバーチャル・リアリティというものは随分有効でしょう。ですから、これは全部悪いというものではないけれども、「自分が全くそれにコミットしなくて、あたかも人生を味わったように思うバーチャル・リアリティは悪である面が多い」ということを言っていただきたいと思います。

 それから、最後に私が書いておりますのは、この前も申し上げました満18歳で、国民を奉仕役に動員することです。これはぜひやっていただきたいと思います。行政の地方自治体の方とかいろいろな方にご意見を伺いましたら、既に都道府県などでやっていらっしゃるところがあるんですね。小学校、中学校で、ここに書きましたけれども、1週間から2週間程度ですね。ここに時期も書いておきましたが。それから満18歳において、一番始めはしようがないから1〜2カ月ということで、そこで共同生活、質素な生活、暑さ寒さに耐えること、労働に耐えること、このようなことの基本をやることです。そうしますと、この中に今まで言われたすべてのことが含まれています。相手の立場に立つこと、生き抜くための知恵とか、こういうところに引いていかれまして、働きたくないとどうしたら人の目につかないように怠けられるかとか、いろいろなことが含まれておりまして、それも含めて人間的な一つの勉強ができると思います。

 ですから、そのための予算その他の措置をつけていただきたいと思います。都道府県の場合なんかですと、まずモデル校をつくったらどうか。モデル校をつくってやってみると、、多分そこの評判が上がるだろうから、モデル校になりたいというところが大いに出てくるであろうと。しかし、それだけに甘んじないで、やはりこれはきちんと文部省の方で「これをやるべきだ」という規定をしていただきたい。以上です。

【河上委員】私は賛成ですが、曾野さんのおっしゃった「18歳ですべての国民に1年ないしは2年の奉仕期間を設定する」というのは、過激だと思います(笑)。しかし、緊急に少しでもやっていく必要がある。

【森主査】いや、もう既にある程度やっているところがあると。

【河上委員】おっしゃるように小・中学校で約2週間とか高校生で最低1カ月とか、こういう形で合宿というのをやるということがもし実現できれば、現在の状況は相当改善できると思います。

 ただし、ものすごくお金と設備あるいはプログラムは大変でしょうけど、でも、それに踏み出すことができれば、今の学校教育が手をこまねいている部分が大きく変わるきっかけになると思います。

【曾野委員】先生、設備をしてはいけないんですよ。

【河上委員】そうですね(笑)。

【曾野委員】できるだけ質素に。

【河上委員】そのとおりです。昔は修学旅行や林間学校というのは、共同生活とか集団活動をするためのかなりいい場ではあったんですけども……。

【森主査】林間学校とか青年何とかの家というのは、設備が良すぎるのではないですか。

【河上委員】そうです。ですから、どんどん子どもに合わせる状況になっているんです。子どもがもう嫌がりますから。

 例えば、くみ取りのトイレは嫌がるんですね。そうすると、水洗のトイレのあるようなキャンプ場に連れていくという、そういうばかなことをやっているようですから。

【曾野委員】じゃ、トイレをとればいいんです。全然やめてしまえばいいんです。世界中の非常に多くのところがトイレがないんですから。

【森主査】自分でトイレをつくるんです、昔は。

【河上委員】そういうようなことが実際に可能であれば、私は相当大きな影響力を持つと思います。

【山下委員】この話は、保護者の人たちと話していて、大変好評というか、そういう話をするとすごい安堵されるんですね。「ぜひ、そういう仕組みをつくってほしい」という声が保護者が結構大きいので、私はこれは予算をかけていただいて、カウンセラーよりもそういう体制を整えていただきたいと思います。

【森主査】教員免許をとるときには、そういう体験学習が必要ですし、高校でもそういう体験をやっているところがありますし、やらなければいけなくなっていますから、それを小学校、中学校におろせばいいんです。

【曾野委員】農林省ではやっていらっしゃるそうですね。入省すると間もなく、ちゃんとどこか営林署とかいろいろなところでやっていらっしゃる。

【河上委員】どの委員さんがおっしゃっていたかちょっと忘れてしまったんですが、中学校までの間に農業体験をさせろという提言がありましたね。実感的な言い方で本当に申しわけないんですが、私の小さいころと最近のことを考えてみると、今の子どもたちが自然から離れてしまっているということは、ひょっとすると決定的に大きな事柄かもしれないという気がするんですね。

 放っておいたのではとても無理なわけですから、不便な生活も含めて、自然の中で一定の期間、強制的に生活させるということがもし実現できると、ひょっとすると不登校だとかいじめだとか、そういう問題に何か影響があるかもしれないという気がします。

【森主査】幼児期の遊びがもう室内化しているでしょう、あれがいけない。それと、ロボットの変なイヌが出てきましたね。ああいうのがだめなんです。“死”というのがわかりませんからね。

【梶田委員】兵庫県が中学2年生全員に「トライやる・ウィーク」をやらせているんです。私もあれをやるかどうかの委員会に出ていたんですが、初めは反対意見が強かったんです。こんなの、やれっこないと。それが決まってからも、各地教委からも市町村の教育委員会からも「こんな面倒なこと」とか「事故が起こったらどうするのか」と出たんですけど……。

【曾野委員】これ、ここに書いてあります。臆病がだめだということは文部省に対する警告です(笑)。

【梶田委員】たった1週間でもあれだけの効果があったと。不登校まで、あれで非常に大幅に改善されたんです。

 ですから、私はこの提案は非常にいいなと思って、やろうと思えばやれるんです。ただし、最初、よほど強力に言わないと、必ず「そんなの大変だ」「そんなのできない」「事故が起こったらどうする」というのは出てくると思いますけどね。

【山下委員】「事故が起こったら」というけれども、それはあんまりですね。ここは自己責任意識をしっかり持って……。結局、お金がある家族がそういう施設にやることくらいは何とかなると思うんですけれども、これだけ家庭にも差が出てきていて、これは義務教育の中できちんとシステムをつくることが今のいろいろな問題を解消する具体的なことではないかと思います。

【森主査】18歳選挙権なんて言っていますけれども、それをやるなら、イニシエーションとしても絶対こういうことをやった方がいいですね。

【山折委員】大峰山のあそこでやる修験道行の一つに断崖絶壁の上から縄を体に巻いて、下を覗かせる「覗きの行」というのがあるんです。これは大人の山伏でもみんな怖がるわけですが、奈良県のある中学校で全校生徒にそれをやらせているところがあるんです。事故はないし、それを文句言う親たちもいない。そういう実績を積んでいる学校は結構あるんです。ただ、公立ではそれはやれないわけでしょう。私立のそういうさまざまなことを実践しているケースを集めて盛り込んでいけば、より説得力は高まるという気はします。

【浅利委員】曾野さんの提案の1賛成、2賛成、3賛成、5は賛成。

 この「制度の変化を嫌う怠惰な精神、臆病、卑怯」と過激に書いていらっしゃるのですが、よく理解できます。つくづく思うのは、大久保利通という人は偉かったんだなということです。当時の生産物の主力が絹と米の国に、「人」というものに着目して、まず教育制度をつくったこと。明治政府の最初の予算は教育に莫大なお金をかけています。そしてそこで育った人で官僚組織を組み、日本をリードしようとした。

 そのころの官僚は、日本を建国する意欲に燃えた、挑戦的な「闘う官僚」だったんだと思うんです。それが百数十年で一つの「システム化」してしまった。

 しかし過去は、何となくそれでうまくいきましたね。日本も近代化したし、高いレベルの国になった。そこで変化を嫌うという潜在意識が、これは文部省に限らず、全官僚に生まれた。

 今、いろいろな事件が起こって、みんな自信喪失しているけれども、僕は文部省は少なくとも教育に関する限り、もう一回明治維新の大久保利通の部下に戻って、闘う官僚システムをつくってやっていただきたいということを(笑)、曾野さんの提案はそういうふうに理解したんですがね。

 ですから、「実行に移る行政が勇気を持ってほしい」というのもぜひ入れてほしいと思います。

【森主査】聞くところによると、そういう「闘う官僚」が大分いらっしゃるようです。

【浅利委員】ああ、そうですか。昔、日教組とやり合っているときは、随分、「闘う官僚」がいたんじゃないですか(笑)。

【河上委員】一言申し上げると、先ほど神戸の話がありましたね。今、官僚の批判が出ていますけれども、実は現場の教師も変化は嫌なんですね。ですから、新しいものが持ち込まれたときに、とっても嫌がるんです。そのときに、こういう言い方はよくないんでしょうけれども、上から力で「こういうことをやるんだ」というふうにきたときに、初めて動くということは現実があるんです。情けない話なんですが。

 ですから、神戸の話は、埼玉県も今年度から始めるんです。たった3日なんですけど、地元の事業所に入って、朝、家からそっちに行って、そこから帰るという。3日でもともかくそういうことを始めること自体、すごく私はいいと思うんですが、ただやったことないですから、教師はしり込みしますね。だから、これはやるんだと。

【浅利委員】変化を嫌うというのは、人間の基本的なサガでもありますよ(笑)。

【森主査】山折委員、お願いします。

3)山折委員の提言

【山折委員】私は2つくらい申し上げたいと思いますが、1つは、人間観の問題です。50年後、100年後を考えた場合に、これまでの我々の人間観教育でよかったのかという反省に立って一つ申し上げたいことがあります。

 一つは、恐らく明治以降といったらいいと思いますけれども、近代的な人間観というのは、人間というのは正常の行動、異常な行動を含めて、理解が最終的に可能だという人間観ですね。心理的な動機、社会的な背景、精神医学的な診断などによって究極的には解釈することが可能なんだ、理解することが可能なんだという人間観。これは科学技術とか、近代的なヒューマニズム等の価値観に基づいてつくり上げられてきた人間観です。もちろん、これは正しい人間観の一つだと私は思います。それなりに意味があると思いますけれども、しかし、それはせいぜい歴史的には200年か300年の歴史しかなかった人間観。ほとんど、この人間観で明治以降の人間教育は行われてきたような感じが私はするわけです。

 もう一つ、重要な人間観というのは、いわば人類の発生とともにといったらいいんでしょうか、人間というのはそもそも謎に満ちた存在である。「人間、この未知なるもの」という認識に基づく人間観があったと思うんです。これは少なくとも釈迦以来、イエス以来、孔子以来と言ってもいい、2,000年、3,000年の歴史が少なくともあるわけであります。

 人間というのは、最終的にわけのわからない、悪をも含む──先ほど曾野先生からお話がありましたけれども、そういう闇の部分を大量に含んでいる存在なんだという、そういう人間観ですね。この人間観があれば、人間というのは恐ろしい存在である、人間に対するもう少し謙虚な見方というものが出てくると思うんです。

 この人間観というものが特に戦後50年の教育に完全に無視されてきている。ここは最大の問題ではないかと私は思います。

 では、近代的な人間観と同時に2,000年、3,000年の歴史の上で、特に哲学とか宗教、芸術というものが考え続けてきた人間に対する洞察、懐疑、そういう思索の積み重ね、それに基づいた人間観をどう教えていくかということでありますが、それが第2の問題になっていくわけであります。

 ところで明治以降、戦後50年の歴史の中で貫いて行われてきた教育の軸に2つあったと私は思います。1つは「科学技術立国」、第2番目が「社会科学重視の教育」だったと思います。これを第1の教育軸、第2の教育軸として考えた場合、両方とも必要なことだと思いますが、私はここに来て第3の教育軸として、第1、第2と同等あるいはひょっとするとそれ以上に重要な第3の教育軸として、芸術、文化、宗教、こういう領域の問題について教えるシステムをつくり出していかなければならないだろうと思います。

 この問題については、戦後の教育審議会の審議の全過程を通じて、ほとんど問題にされてこなかった。これは一体何かという問題なんですね。いつも周辺的な位置にしか位置づけられてこなかった。あくまでも科学技術、社会科学重視、これでずっと来たわけです。それが先ほど申し上げました、人間というのがさまざまな科学的な尺度によって理解することが最終に可能であるという傲慢な人間観といいますか、浅薄な人間観、そういう人間観をつくり出してしまった。これが親たち、教師たち、学生たちすべてに行き渡ってしまったということですね。

 それをどう変えていくかということですから、これは長期的な展望に立たなければいけませんけれども、緊急の課題だと私は思います。以上です。

【森主査】どうぞ。

【浅利委員】反対する部分が一つもない。おっしゃるとおりだと思います。

 ただ、問題は具体的にそれをどういう展開するかですね。

【山折委員】それは指導要領の考え方を全面的に変えていかなければならない、緊急な問題としてはですね。それから、例えば芸術教育がどういうふうに現場で受け取られているか、教育全体の中でどういう位置づけになっているか──全然、これ、ないですね。むしろ排除していく方向だと思います。

【河上委員】例えば、これは参考になるかわかりませんが、うちの学校でやっていませんが、朝、10分間くらい、読書をするという運動がありますね。

【浅利委員】城山三郎さんも、それを強く、おっしゃっていましたね。

【河上委員】それはものすごく広がっているんです。たった10分ですけど。

 例えば、1週間に1時間でも2時間でもあるいは毎日10分でも20分でも、そういう小説を読む時間を設定するということが、ひょっとすると突破口になるかもしれないですね。

【山折委員】音楽教育が非常に楽しいんですね。

【浅利委員】日本以外の先進国では、演劇はコミュニケーションをつくるために、また言語を学ぶために重要な科目になっている。日本では江戸時代、演劇にたいしてあれは河原乞食がやるもの、という偏見があった。また、昭和になってからは左翼思想家たちの集まりという偏見もあり、学校教育の現場からは遠ざけられました。今、日本でも、演劇に対する考え方を見直す時期にきているのではないですか。芸術教育を見直すと同時に、文化の教育の中でとても大事なのは、「方言の重視」だと思います。たとえば、南部弁のひびきの美しさというのは、ほとんどフランス語以上だと思うんです。ところが、南部弁は東京基準で見るとズーズー弁に聞こえる。逆に、南部弁が標準語だったらどうでしょう。それから、山形弁や熊本弁が極端になまっているように聞こえますが、標準語がうねっているから相対的になまっているように感じる。これは耳の錯覚ですね。両地方の言葉とも、イントネーションは平板です。だから、これらを標準語に合わせるのは簡単。真っ直ぐな針金を曲げればいいんですから。これからは、標準語の教育と平行して、方言の重視ということを学校教育でやっていただきたい。今までは、NHK的標準語をどう普及するかという一種の統一化をやられたんですが、そうではない。

 僕は、方言を徹底的に各初等教育で重視してくれると、地域の生活や文化や歴史というものが子どもに伝わるだろうと思います。

 それと、この間もちょっと申し上げたけれども、やはり子どもになるべく早く人生の目的を持たせることですね。そうすれば変わると思います。

【曾野委員】私は、ぜひこの際お願いしておきたいのですが、文部大臣のスピーチというのはもう少しいいものをやっていただきたいです。文部大臣のスピーチって、ただ本当のことだけ言えばいいというものではないです。これは、厳重な我々の目のもとに、どういうことを言っているか、何を言っているか。これ、何人でおつくりになっても結構ですから、文部省の総力を挙げて世間に訴えるものを毎回おつくりいただきたい。今までのひど過ぎますよ。校長会とか、いろいろな挨拶の場でああいうものが世の中に文部大臣のスピーチとして通るとお思いになることが大きな間違いですから、どうぞ下書きを書くときに文才のない方はお引きいただきたいと思います。

【山折委員】文部大臣だけじゃないですけどね(笑)。

【曾野委員】でも、労働大臣や大蔵大臣は許しましょう(笑)、数だけ言えばいいから。でも、文部大臣は許しませんよ。これはきちんとした思想とか表現とかのできたものを出していただきたい。余計なことですが。

【森主査】いえいえ、おっしゃるとおりです。

【山下委員】山折先生のお話、全面的に賛成ですけど、私、今までスポーツの“ス”の字も一言も言ってこなかったんですけど、やはり芸術、文化、宗教ですか、スポーツもそこにこれらかの青少年健全育成に果たす役割として非常に大きいのではないかと思うんです。いろいろなことが問題として出てきますから、それをいかに青少年を健全に育成していくかというときに、スポーツ抜きには語ることはできない。スポーツの中で学ぶことが非常に多いと思うんです。

 2回目の会合のときに、河合先生が来られましたので、21世紀懇談会の提言でもスポーツが抜けているんです。「どうして入っていないんですか」と聞いたら「あっ、スポーツ関係者はだれもいなかった。いや、それはどうしたらいいかな」(笑)。「みんなに今度会ったときに言っておこう」という話をされたんです。

 私の大好きな言葉に、「文化芸術はバラである。しかし、スポーツはパンとバラである」という言葉があります。「バラである」というのは、人の心を、人間性を豊かにするという意味だと思うんです。スポーツはなぜ「パンとバラ」なのかというと、パンというのは生きる力なんですね。だから、2つの要素がある。

 そういう意味で言うと、実際に具体的にこれをどういうふうに実践していくかというときに、僕はスポーツがそこで担っていく部分が出てくるのではないかと思っていましたから、一言もしゃべらなかったんですが、そういう中にスポーツも一つ入れるべきではないかと思います。

【浅利委員】山下先生、浅利慶太はこういっているんです。「体育活動、文化活動を教育の三本目の柱として重視する」「さまざまなスポーツの中から好きなものを選ばせ、熱中させる。子どもたちはそこから、体の健康、チームワークの大切さ、友情、ルールなどを学ぶ。従来の部活動などよりももっと時間を割き、教育の大きな柱とする」。

 今僕は、劇団四季の代表やっていますが、この能力は演劇界で学んだんじゃない。中学校3年間の野球部、3年の時にでキャプテンをやったということが指導力を身につけたきっかけだと思っています。いろいろなことを教えると同時に、スポーツをやらせるということ。

【河上委員】そうなってくると、教員を採用するときに、例えば芸術とか文化とかスポーツとかの専門家を雇う必要がでてくるでしょう。ただ、教育学部を出たということではなくて。

【森主査】今度の教養審の答申では「得意分野を持った教員」という字句が入ったのはそういうことなんです。

【河上委員】昔はそういう教師が多かったんですね。こっちはできないけど、これだけできるとかいう……。ところが、今はそういう教師は合格しないです。私もきっと今では合格しないでしょう。

【曾野委員】時間講師ではなくて、時間教師の制度ってできないんですか?

【森主査】できます。

【山折委員】専門別に採用するということもありますけれども、教育の方針としては文武両道ではないですか。それが本来のあれじゃないですか。

【森主査】それはそのとおりですね。

【山下委員】それからもう一ついいですか。

 浅利先生の「子どもに目的を」、大賛成なんです。その前に、大人が人生の目的をどれくらい……、ここの人はもちろん持っておられると思うけれども、どのくらい大人が持っておられるのか。人前で自分の人生観をどれだけの人が、あるいは自分の確固たる価値観を人前でしゃべれるのか。私がちょっとしゃべると、「おまえはしっかりしているな」って言われるんですよ(笑)。

 僕は、そんなことを考えたのは30を過ぎてからなんですけど、それじゃ遅いと。何のために学ぶのか、生きるとは何なのか、人生とは……、そういうことを早いときから学んでいく必要がある。それが全く教育の中で抜けているんですね。「そんなもの、人生をリタイアするころ考えることだよ」という方の方が多いんじゃないかなという気がします。

【曾野委員】一つだけ。

 見るスポーツとやるスポーツをゴチャゴチャにしないでほしいですね。見るスポーツは、老世代なんかには大変いい。私の舅なんかあれでどれだけ喜んだかしれない。ですけれども、見るスポーツはやるスポーツと違うし、もう一つ、スポーツ以前に歩けること、荷物を持てること、ぶら下がれること、そういうことを教えていただきたい。

【梶田委員】スポーツのこと、私、ものすごく大事だと思うんですが、ただ、今、「楽しい体育」なんていうことを文部省がおっしゃって、メチャメチャになっているんです。

 スポーツというのは確かに楽しみですけれども、私は“鍛練”ということが入らないといかんと思うんです。要するに、しんどいことを耐えるという、これがないといけない。やるスポーツでも、タラタラやっていたのでは全然だめだと思うんです。今までできなかったことが、これだけ努力して、頑張って、ちょっとでもできるようになるというのがスポーツの本当の喜びだろうと思うんです。

 そういう意味での、ただ単にスポーツではなくて、いわばしんどさを乗り越えていくような“鍛練”という面も、私はやはり出してほしいし、それが先ほど山折先生がおっしゃった、例えば修験道でやるなんていうのは、まさにそれはキシンタイセイなんですね。体を使って、一歩一歩歩きながらとか、非常に恐怖心があるけれどもそれを克服しながらとか、そういうものがはじめて一人ひとり精神的に次のステップを持っていくわけでしょう。スポーツでいいのは、私はそこだと思うんです。今、ここでおもしろいことを何でも好きなことをやれというのは、時間のむだですわ。

【浅利委員】例えば、語り言葉を教えるときに、僕は完全にノウハウを提供できます。ですから、普通の教師の人が僕の書いたものを読んで、こうやって教えるのかと訓練の仕方も含めてフォローして下されば、きちんとできると思うんです。この領域では我々はプロですから。

 山下さんは、スポーツのプロ、芸術のプロもいますから、プロがみんなメソッドをつくって、教育者と連携していくようにすればできます。

【森主査】この会議の前に保健体育審議会があったんですが、スポーツ振興基本計画という中間報告が出たんです。今後これに対するヒアリング、コメントをと言っていますから、今おっしゃったようなことをおっしゃれば、この中身が変わると思うんですが、この目標に「青少年の健全育成」というのが真っ先にあるんです。ところが中身を読んでいきますと、金メダルが少ないとか、国民全部のスポーツ参加率とか、そっちの方にいっちゃって、歩くこととか、ラジオ体操的なことはあまり出てこないのは、私、若干不満があるんですが、委員会ではきょう黙っていましたけど。

【浅利委員】どこがやっているんですか?

【森主査】保健体育審議会で、きょう発表ですからもう公にしてもいいんでしょう。ヒアリングをやるとかやっていましたから。

【曾野委員】「健全育成」なんていう言葉は使ってはいけない言葉です。そんな無意味な、下手くそな作文をしてはいけない。

【山下委員】どういうふうに表現すればいいですか?

【曾野委員】もう少し具体性がある、健全とはどういうことかということです。

【山下委員】私なんかいとも簡単に、「青少年の健全育成」という言葉を使っちゃうんですけど。

【曾野委員】例えば、私は「美しい」ということを書きたくなることがあるんです。美しい景色とか、美しい花とか、そのときは私が疲労しているので、さぼっていると思って、文章を書くのはやめます。それは描写になっていないんです。何が健全かということです。苦しみに耐えられるとか、持続するとか、自分がつらくても協調するとか、こういう描写がないとだめなんです。健全って何だかわからない。

【河上委員】うちの学校ではキャンプが1泊2日であるんですが、そのときに例えば先ほどいった「ものすごくつらいけれども、歩くことが大切だ」というような世論があればできると思うんです、生徒が嫌がっても。ところが、今はそういうのがないんです。

 だから、教師の間にもつらくて、嫌がっているのを無理やりやらせることはないよという雰囲気が強くなりました。15年前くらい前までは富士登山をやっていた学校が川越でもあるんです。これはとても大変です。少なくとも1年生なら1年生を200人、300人、富士山に登らせるわけですから。今は、とてもできないですね。

【森主査】時間が限られているので、帰りの列車の時間の方もありますので、8時に終わることになっているんですが、食事を出していただいて、食べながらでも少し議論して、あと事務局の方で。

 一応終わりますが、食事をしながら足りない分を補足しながら。

【田村委員】河上先生がおっしゃるかと思ったんですが、実は現場では、今回の改訂で文化・芸術の科目は大幅に少なくなっていくだろうという予測がされているわけです。つまり、受験に必要な科目だけちゃんとやるという流れがはっきり今出だしているんです。ですから、この問題は非常に大事なんですね。

【河上委員】ですから、ここで論議していることは、今までの教育改革の流れに真っ向からぶつかるところが多いんですね。いいんだろうかと毎回思いながら発言しています(笑)。

【森主査】新しい提案なんです。

【曾野委員】望むところじゃないですか。

 先生がなさりにくいことを我々がやればいいんですから。先生は、「あの物知らずたちがこういうことを……。曾野綾子なんて何も知らないからああして言えるんですよ」っておっしゃって利用なされば。利用なさるということが一番いいことです(笑)。

【森主査】プロが教育を語ればいいんですから、それはそれでいいと思うんです。

 次回は、お手元にありますように、生涯徳育の観点から、家庭、学校、社会のあり方で、今井先生、沈先生、梶田先生、勝田先生、山下先生のレポートを参考にしながら議論したいと思います。よろしくお願いいたします。

【山下委員】一言お詫びなんですが、私だけレポートを出していないんですね。最初に小渕総理に出したのをそのまま……。といいますのは、文章を書くのに時間がかかるのと、今、シドニーを目指している関係でそれで勘弁してもらったんです。それだけご理解いただきたいと思います。

【沈委員】最後に。

 私は、日本のさいはてから東京の方を眺めているという中で、一人特異な立場です。それだけでお話を伺っているんですが、田舎には一生東京を知らないで済むような人もいるんです。大工をしたり、左官をやったり、僕みたいに茶碗をつくったり、いろんな人がいます。その人たちがその業を守っていくのは、ただお金が欲しいだけではなくて、その中に生きる目的とか、彼なりの哲学というものを持っているんですね。私らもろくろを回す、回す力に逆らう力を加えなければ土は伸びてこない。回すのに、なぜ逆らうんだというようなこととか、あるいは回転するろくろの中心には、針を立てても振れないという、そうした動くものと動かないもの、そんなものを見ながら、小さなフィロソフィーというべきものをみんな胸に持って小さく生きているんです。

 だから、そういうものが家庭の中に、地域の中にもう一回見直されて、話題になるような、そういう現実的なものもぜひ取り上げてもらいたい。一生懸命生きているんです。彼らも彼らなりに、何年か続けてきた中で得たものをしっかり握っているわけです。それを子どもたちに伝えたら、学歴社会とか、職業の貴賤を言うような、そんなものがいくらか変わって、大工もいいんじゃないか。そういう気持ちを起こさせないと、みんな東大に行くわけではないんですから。

【森主査】それはおっしゃるとおりです。

【浅利委員】今井さんのはおもしろく拝見しました。

【銭谷担当室長】ほかの分科会は、今まで3回ずつやりました。、意見を出すだけ出していただいている感じですね。

【浅利委員】この間、牛尾さんに会ったら、第2、第3もすぐまとまるようなというので、ちょっと慌てたんだけど。

【銭谷担当室長】全体のまとめ方の大枠みたいなご議論は3回目くらいからはじまっています。つまり何を柱に出すかという感じの議論は今始まりつつあります。

【浅利委員】きょう、かなり煮詰まったですね。

【森主査】かなり出てきましたね。

 では、きょうはどうもありがとうございました。

──了──