教育改革国民会議

教育改革国民会議第1分科会第3回議事録

教育改革国民会議第1分科会(第3回)審議事項

時 間:平成12年6月23日 16時00分〜18時00分

場 所:虎ノ門第10森ビル5F

出席者:浅利委員、今井委員、梶田委員、河上委員、沈委員、森主査、山折委員、山下委員、藤田委員、牛尾委員、銭谷室長

次 第

生涯学習(特に生涯徳育)の観点から、家庭、学校、社会の教育施策について再検討する。(今井委員、沈委員、梶田委員、山下委員)

開 会

【森主査】時間になりましたので、第1分科会を開催したいと思います。

 本日は、前回に続きまして、委員の方からのペーパーを中心としたご発表をいただきますが、その前に資料の説明として事務局の方からどうぞ。

資料説明

【銭谷担当室長】本日は、ピンクの冊子をご用意しております。この中に先生方から寄せられましたご意見を綴じております。本日のご審議の際にこれをご参照いただければと思っております。

 それから、お手元に藤田先生からのご依頼で、藤田先生の講演記録『教育改革を考える』という冊子をお配りさせていただいておりますので、後ほどごらんいただければと思っております。

 また、山下先生の後ろになりますが何冊か本を置いております。これは国民の皆様から委員の皆様にどうぞごらんになってくださいということで、送られてきた本です。そこに置いてございますので、お帰りにお持ちいただければと思います。

 それから、文部省で人事異動がありました。今まで全体会、第1分科会に小野官房長が出席しておりましたけれども、このたびの異動で小野官房長が文部事務次官に就任しましたので、後任の近藤官房長が出席しておりますので、ご紹介させていただきます。

【近藤官房長】近藤でございます。よろしくお願いいたします。

【銭谷担当室長】もうお一方、文部省から田中大臣官房審議官も本日から出席しておりますのでご紹介させていただきます。

【田中審議官】田中でございます。よろしくお願いいたします。

【森主査】本題に入りますが、その前に資料をたくさん皆さん手元にいただいていると思うんですが、第1分科会だけの資料だけではなくて、第2、第3の方からも資料が来ております。第1分科会の資料は特に皆さんごらんになっていらっしゃると思うんですが、資料についての意見もいつか皆さんから聞きたいと思います。例えば前回、家庭教育手帳とか家庭教育ノートが配付されましたが、それについてどういうご意見をお持ちなのかということもお伺いしたいと思いますし、お読みになっていると思うんですけれども、まだお読みでない方、お読みいただければと思います。

 それでは、本題に入りますが、きょうは生涯教育の観点から、家庭、学校、社会のいろろな施策について、特に生涯徳育といいますか、その観点からということで、4方のご提言をお願いしております。

 まず、今井先生からですが、1人10分くらいのご提案、それから質問という形にしたらと思いますが、よろしくお願いいたします。

所属委員から寄せられたご意見

「生涯学習(特に生涯徳育)の観点から、家庭、学校、社会の教育施策について」

1)今井委員の提言

【今井委員】きょうは生涯学習の観点からということなんですが、国民会議ということでいろいろな枠組みを超えて考えるということができるということで、私はこういう子どもを取り巻く環境の中で、一番困ってきた問題について、まず一つお話をさせていただきたいと思います。

 この50年、経済優先に物事が何でも発達してきて、その中で子どもたちがさまざまな歪みを受けてきたことは皆様もご承知のことだと思いますが、この国民会議の中で教育のことを考えていこうというときに、いつも「経済優先」というのはどんなものであろうかと。

 例えば、商業主義のもとで、何でもありの社会ということについてのお話をさせていただいていますが、子どもたちを金儲けの手段にしている部分がとても気になります。いろいろなキャラクターグッズ、携帯電話、さまざまなものを子どもたちが使ってまして、例えば援助交際なども都会の問題だけではなく、田舎の方でも深刻な問題になってきてます。

 また、いろいろ有害なものに対して、映像とかオモチャとかでも実際にはなかなかチェックがしにくくて、チェックをしても各業界の自主規制みたいな分野の域を出れなくて、できれば保護者や青少年団体を中心にした、本当に主張が通る、子どもたちの立場で出た意見が通るようなNPOをつくっていただきたいと思います。

 それから、子どもを性欲の対象にしないということで、援助交際にしても、そういうことをする大人がいるからそういう世界があるわけで、どこでもそういうことが世の中に罷り通るということ自体が社会全体のモラルの低下にこれは大きく拍車がかかっていることは間違いありません。私たち自身がこのあたりについて「それは自分たちとは全然違うところのことだから」ということで野放しにしていると、社会そのものがだんだん脆弱なものになってくる。ここで歯止めをかけるには、何らか青少年に関しては、若干の規制がいろいろなところでかけられないものであろうか。

 例えば、有害自販機等にしても、有害自販機が学校から何メートル範囲は置いてはいけないとか、そういう条例はたくさんあるんですが、実際、自販機の周りに落ちているパッケージを子どもが学校に「先生、こんなのが落ちていたよ」とか持ってくるケースがあるんですね。その自販機にしても、そこにそういう有害な自販機を置くということではなくて、飲物みたいな自動販売機を置くような形で、詐欺行為まではいかないんでしょうけれども、ぎりぎりのところでそういう契約をとられて、またそういう契約を一回してしまうと5年くらいは解約できなくて、本当に私たちはの身近なところに出たときに、それを立ち退けるまでのエネルギーというは大変なものです。

 それをぜひ全廃してほしいという話をしても、それは商売の自由だから無理であるということを言われるわけです。そうした場合に、子どもたちのために何とかしたいと私たち教育関係者が一生懸命頑張っていても、ここの枠は越えられないのかなということで、大変寂しさを感じます。

 それから、企業に関してなんですが、企業も社会の一員であるということですが、あるアンケートでは父親の46%が子どものために仕事を休むとことがとてもとりにくい環境であると載っていました。働く人が参観日とかPTAの活動とか、子どもたちのために過ごす時間を優先的に確保してほしい。また働く人たちの社会活動に対する理解とか評価、例えばPTA活動をして左遷させられたとか、休みがとりにくくて、本当はそういう活動をしたいんだけれども、やりにくいという声をよく聞きます。しかし社会活動をする人はいろいろなことを生涯学習の中で幅広く学んで、きっと会社に対しても長い目で見たときにプラスに貢献してくださる方々だと思います。

 外資系については、これに対する理解が結構進んでいるのですが、どうしても日本企業の場合、そこがなかなかまだ進んでいないところがありますので、ボランティア休暇制度とかを積極的に導入していただいて、そういう活動も取り組みやすくしていただきたいと思います。

 また、今、学校で「総合的学習」の時間というのが入っておりますが、この総合的学習の時間は、学校が一方的に授業をするのではなく、地域と一緒になって、社会人講師を活用して、それぞれのテーマに分かれて子どもたちが考え方を学んでいく、そういう新しい取り組みが、今、始まっています。企業は人材の宝庫ですので、積極的に取り組んでいただきたい。私自身も、小さい会社で蒲鉾をつくっているんですが、ずっと地域の子どもたちに教えているのと同時に、学校の中でそういう取り組みをして、学校と一体となって支えています。そういうことをどんどん推進していただきたい。

 それから、親の働く姿をほとんどの子どもたちは今見ていません。サラリーマンが80%という何かのデータで前見ましたが、8割の子どもたちが親の働く姿を知りません。もっともっと学校と企業が一体となって取り組みを進めていただきたい。これまでは、学校、家庭、地域ということでしたが、そこに「企業」という言葉を一つ入れてもいいくらいに、私は企業のこれからの役割また責任というものがあるのではないかと思います。

 また、「豊かな人間性を育むために」ということで、これは前のときにも曾野先生からもお話がありましたが、全く私も一緒で、夏休みの長期休暇のあり方を見直して、自然体験、社会体験等の義務化を検討していただければと思います。

 また、これはトライアルウイークというのを兵庫でやっていますので、これが効果を上げているということも聞いていますので、資料でもあればまた出していただければと思います。

 それから、「出産後の親教育の義務化」ということを書いておりますが、これは母子手帳をもらえるころに、父親と母親が一緒に親になる責任というか、命を育んで、この子を育てていくということで、今、「命」というものを軽く考えている部分がありますので、そのあたりの教育が必要なのではないか。これはもう少し進んで、学校では子育ての学習講座とか、そういうものも例えば入学時とか、中学校に上がるときとか、ちょうど子どもたちの節目節目に親業教育、家庭教育のようなことをもっともっと実践的に取り組んでいけばいいのではないかというふうに思います。

 以上です。

【森主査】どうもありがとうございました。

 私は、話をお伺いしながら、経済と教育の対立といいますか、そういう点をご指摘になったような気がするんですが、明治のころ、渋沢が道徳経済合一主義ですか、「右手に算盤、左手に論語」、それを思い出しながら聞いていたのですが、経済は非教育的というと経済界の人に叱られますが、教育は非経済的になって(笑)、「人間はパンのみにて生きるにあらず」ですけれども、精神のパンが今少なくなっているような気がするんですが、どうぞご自由にご意見を。

 ご意見がなければ、意見が出るまで私の方から言いますと、最後の方で「出産後の親業教育の義務化」とおっしゃいましたが、私は出産後では遅いので、出産前というか、妊娠中といいますか、そのときに必要ではないかと思います。

 松下幸之助さんの教育論というのはなかなかシビアなことをおっしゃっていたのですが、「人間のライフサイクルの中で、女性が妊娠しているときは一番真剣になっている。教育は真剣なときに一番効果がある。そこで教育すべきだ」という。私は男性ですから、本当に真剣かどうかよくわかりませんけれども、男性はいつ真剣なんですかね(笑)。

 余計なことを言っていますが、ご意見ございませんか。

【山下委員】私の体験で申しわけないんですけれども、15年前に1年間、ヨーロッパの柔道を勉強しにイギリスで行って、向こうで生活しました。向こうで長男を出産したんですが、向こうでの生活の中で自分の価値観が確実に変わったと思います。自分ではいい方向に変わったのではないかと。

 それは、家庭に対する自分の見方が変わったということです。どういうふうに変わったかというと、今の先生の話ではないですけれども、妊娠中に病院に行ったりするときに、奥さんだけで来るというのはものすごい不自然だそうです。うちのかみさんが一人で行きましたら、「どうしたんだ? 旦那は何か問題があるのか。家庭はうまくいっているのか?」と。よく聞いたら、私が英語を習っていた先生は、ご主人が船に乗っていたんだけれども、すごい心配して、何回も貨物が送られたと。私が逆に向こうで聞かれたのは、「日本人は何で働くのかわからない」「それはもちろん家族のためだよ」「本当か? 何で仕事が終わって、みんな夜遅くまで会社に残るんだ? 終わった後、みんなで一杯飲みにいくんだ? 土曜、日曜、休みになったらゴルフに行くんだ? 本当に家族のために働いていると思えない」。

 私もそういうことがあったものですから、本当はドイツに行って、柔道を指導することを1年前に約束していたのを取り止めて、出産に立ち会いました。日本人からすると、自分が決めた約束の方が大事であって、行くつもりだったんですけれども、向こうで私が親しくしている日本人の方から、「絶対にやめろ。日本人が軽蔑される。おまえが信頼をなくす。初めの子どもを出産するときに、おまえがそれに立ち会わないで、1年前に契約したかどうか知らんけれども、柔道を指導に行ってもだれも喜ばないよ。逆に、何だ。山下はそんな冷たい人間かと思われるぞ」。これは向こうで生活している日本人です。「日本じゃないんだから、ヨーロッパなんだから。おまえはそれはやめた方がいい。おまえが行かなくても、山下のファースト・ベイビーが産まれたと向こうで喜んで、おまえのいないところで乾杯しているよ」と。

 ですから、「豊かな人間性を育むために」、出産後かあるいは妊娠中かわかりませんが、夫婦で共に学んでいく。

 今、家庭教育の崩壊が非常に大きな問題になっていると思うんですけれども、これは大事なことです。私は会社が認める・認めないではなくて、自分で休んででも行くような気持ちを持つ、そういう価値観の国にしていくことも大事ではないかなと。私の体験からの話ですけれども、そう思いました。

【森主査】今の話を一般化しますと、子どものいる父親は土日ゴルフ禁止とか、企業がそれくらいを計らってもいいですね。これは提案したらどうですか。

【山下委員】個人の問題じゃないですかね。

【森主査】でも、個人はみんな出世を考えて、上役の言葉に従うんじゃないですか。だから、企業の方で「来なくてもいいよ」と。

【河上委員】今の話ですけれども、最近、いくらか家庭科で中学校あたり始めていますけれども、多分、小学生や中学生の段階から、例えば保育園だとか赤ちゃんだとか、そういう子たちとの接触というんでしょうか、実際に一定の期間だから面倒を見ることも含めて、そういうことが非常に少なくなっていますから、やはり親になってからではすごく遅いかなという感じが強いですね。

【今井委員】だから、子育てのインターンシップ制度みたいなものも保育園とかで連携をとりながら、子どもたちをそういう形の中で体験として取り入れていくことも大切だと思います。

【梶田委員】さっき出された兵庫県のトライアルウイークですね。あれは中学2年生なんですけれども、意外と赤ちゃんの世話をしに保育園に行きたいという男の子が随分いるんです。でも、保育園の方で、「男の子が来てやるのは……」といってたいてい断るんですね。でも、来たら、今の子は、男の子、女の子って、昔に比べればあまり考えないでしょう。むしろ、男の子の方が子どもになつかれたりしてね。私もいろいろなトライアルウイークをやっているところを回って歩いたりしたんですが、非常にうまくいっている面があります。

 確かに、妊娠しているときに、男も女も一生懸命もう一度勉強し直すということは必要だけれども、小学校で今よくやっているのは、男の子なんかに鉛の腹帯みたいなものをつけるんです。朝から晩までそれをつけさせて何日間かやらせるというのをやっています。それは何かというと、「お母さんがあんたがお腹にいるときにどういう重みだったかというのを実感しろ」というのを(笑)。

【牛尾委員】それ、日本で?

【梶田委員】もちろん、日本で。私、それを取材して、大阪でテレビで紹介したことがあるんですけれども、そういうのをやっているんです。トライアルウイークにしても、今のやつでもまだまだ点の先みたいな実践ですけれども、そういうことを小学校、中学校と積み重ねてきますと、自分が子どもを持つときにかなり実感を持って子どもを迎えることができるようになると思うんです。

 今、いろいろと伺っていて、学校の中でもまだまだ考えられるなと。

【森主査】家庭科が今男女一緒ですから、家庭科のカリキュラムにそういうのを入れたらどうですかね、鉛のを。

 家庭科の男女必修というのは非常に大きな意味がありまして、あれは全国民必修ということなんですね。

【梶田委員】今の鉛を入れるというのは、大阪とか兵庫は性教育のプログラムの中に入れてやっているんですけどね。

【沈委員】先ほど今井さんの方からも出ましたが、集団教育ですか、合宿して勉強するというのを鹿児島では既にやっているんです。「ふるさと学寮」というので、そしてこれは小学校4年から中学3年までの児童を対象にする。そして、夏休みとかそういう日ではなくて、普通の日に青少年施設とか地域公民館に合宿する。そして、そこで自分で洗濯をして、材料は親が持ってきますけれども、料理は自分たちでやって、いわゆる異年齢の交流をしながら、そこから学校に通っていく。8泊9日ですか、これをやっておるんです。

 やったら、非常に子どもが変わるそうですね。ボランティアとか、農業体験とかいう大きなものではなくて、親から離れて住んでみろと。親は近くから見ているわけですけど、必要なものだけそっと届ける。そういう形で、年に2回そういう合宿をやっておるということで、近ごろは高校生がそれに入ってきて、指導者の役割でピシッとやっているそうですけど。

【森主査】無人島体験旅行もやっているんじゃないですか?

【沈委員】そういうこともやっていますけれども、それは特殊な数で、大変な仕掛けが要りますけれども、これは一つの町、一つの集落でできることですから。

 曾野先生などがおっしゃるボランティアというと、そんなことできるかと思いますけれども、小さな県で小さな試みでできている事実がある。これは、後で寺脇さんにさしあげますので、資料として見ていただければありがたいと思います。

 大仕掛けなことでなくて、やる気があったら、手近な問題で効果が上げられるんだということを考える必要がありますね。

【山折委員】一種の「若者宿」ですね。

【沈委員】そうです。鹿児島はケンジドウシャがありましたから、そういう風土があって、なじみやすいんですね。「男になってこい」とお父さんがケツを叩いて、10日の宿泊に送り出すそうですから。

【牛尾委員】東京にも、プライベートにはそういう小さい子が外に泊まったり、親から見ていて、一人で大丈夫なのかという、5歳くらいの子でみんなが助け合いながら、そういうのはいっぱいありますね、プライベートにはね。地域ぐるみにするには、東京みたいなところは非常に難しいんですね。

【森主査】プライベートでやると、事故とか安全管理の問題が出てくるんですね。ですから、そういうのを研究したのが最近オリンピックセンターから資料が出ましたね。自然体験学習で宿泊した場合の事故とか病気とか、ノコギリなんか使いますから、そういうときの怪我とかね。

 では、沈先生、お願いします。

2)沈委員の提言

【沈委員】前もって申し上げておきますけれども、この26人の委員の中で、手で物をつくる生業をしているのが私一人だと思います。それだけに視点が違うということもお許しいただきたいのですが、いろいろなご意見を聞いているとき、物をつくるときもそうですが、どうやってつくるか、つくれるかということを並行して考えないと夢が広がらないというのが物づくりの世界でありますから、今度の問題もそういう角度で見た意見を述べさせていただきたいと思います。

 家庭教育ということは大変大事なことです。「家庭教育は川上である。教育の源流である」とおっしゃった学者の方もおられるわけでございますが、私も全くそのとおりだと思っております。

 平成8年の第15期中教審第1答申の報告によりますと、「家庭の教育力は低下しているか」という問いに対して、「そう思う」と答えた人が75.1%になっている、これを見ても、家庭教育に対する憂いは深いと思うのです。ただ、その立場で国の教育に関する法律をずっと眺めてみると、家庭教育という名前が法律の中に入っているのは、教育基本法の第7条だけで、ほかは地方教育行政とか社会教育法とかいろいろなものを見ても、“家庭教育”という言葉が出ていないというのは、最初は非常に不思議に思いました。

 しかし、非常にデリケートでしかもプライバシーが濃く積もり上がっている家庭の中にまで公的な権力、力が入ることはいかがなものかというお考えで、多分、触れなかったと思うんですが、そうしてご遠慮していらっしゃる間に、50年間の歳月がたっていく。そして、想像もしなかった豊かな社会がやってくるわけですね。私たちは貧乏者が金持ちになる勉強だけしてきましたが、金持ちの勉強はしていなかった。それにメディアが変わって、親や家族の意思と全く違った文化がもう無遠慮に座敷まで入ってきた。日本の家庭教育は、それの対応のために非常に乱れて、未だに新しい方途を見つけていないのが現状だろうと思うんです。

 そういうときに、文部省が家庭教育手帳、家庭教育ノートをお出しになりました。恐らく、今やプライバシーとか、何とか、そういうわけではありませんが、どこかで手を入れてあげなければというご心配があったのだろうと思うんですが、いろいろ電話をかけて聞いたり、役所に行って調べたりしますと、この家庭教育ノート、手帳は大変評判がよろしい。婦人会までこれを使っているそうです。それは、まずハンドバックに入る大きさであるということ、それでいろいろな会でこれをテキストにして、この中にある標語を取り上げて、お互いが意見を言い合っているということ。私が読んでみると、格別、天下が変わるような大きなことは書いていないのですが、しかし、教育の問題は何を言うかということよりも、だれが言ったかということが大変重みを持つ場合がありますので、やはり信頼する文部省の言ったということは、お母さんたちの間でも議論の対象になり、それから学びとっていくような感じがするんです。

 そこで、これからもやり過ぎにならない程度の家庭教育というものは十分視野に入れて、そして手を伸ばすような教育行政をしていただきたいと思います。

 実は、前の意見の方に詳しくいろいろ書いてありますので、きょうは10分という森先生のお指図でありますので、要点だけ申し上げますが、家庭教育を政治化しないで、行政も親も地域も一体化して、いい子を育てるという点で力を出し合えるように、文部省もそこを考えてもらいたいと思っております。

 次に、「地域の教育力が落ちた」ということも会議のたびに言われます。地域の教育力が落ちた、ではどうすればよいかということになってくるわけですが、教育力というのは一人や二人でできるわけではなくて、やはり地域という一つの集団になった力、それが志を同じくして、進んでいくときに初めてパワーを発していくのだろうと思うのですけれども、この地域の教育力が落ちたということ。もちろん、今、難しい時代で、隣の子どもを注意しただけで、その子の親から「うちの子に余計な口出しをするな」という電話が来る時代ですし、大人が青年の行為を見ておれなくなって、一言注意したばかりに命を落としたというような、極めて極端な例が世の中に流れてきておりますので、地域が元気がないことは事実です。

 しかし、何とかしなければならないと思うときに、大変古めかしい話ですけれども、公民館という存在を私たちは忘れているのではないかと思うんです。社会教育法の第20条から42条まで、公民館に関するいろいろな規定があります。月給をもらう、社会教育の指導者の存在については事細かに資格条件まで決めてあるようです。しかし、それは町とか市とか、大きな県庁所在地などの大きなところ、あるいは町の役場の所在地のところに存在する公民館が公民館であって、そして集落の実際生きている人間がお互いに寄り合ってつくっている自治公民館というのは、法律によっては「公民館類似設備」という形で、わずか1行で処理されているのです。しかし、実際は冠婚葬祭から青少年の交通安全の問題から、集落というものは類似施設と言われているその施設が中心になって、今まで動いてきて、地域の教育力というのはまさにそこを指す言葉であろうと思うのです。

 しかし、そこに元気がなくなってきた。これは、まず父親が参加しないということです。企業にすっかり拘束されて、なかなか出てきてくれません。これは、今井委員もご経験だと思いますが、私たちは末端にいて、いつも企業に「せめてこれくらいは出てください。社員の方に参加するように勧めてくれ」ということを何回も言ってまいりましたけれども、これは全く実現いたしません。

 これは父親も生活費を稼ぐために会社で嫌われたくないというお気持ちがおありでしょうから、無理には言えませんけれども、これは最も地域の教育力の原点である類似施設、自治公民館等の仕事に骨を折るようにしなさいという企業の中の人材教育と、彼らに必要最低限の時間的余裕を与えるように。これはもう私たちが頼んでもだめです。日本国の総理大臣か文部大臣が牛尾先生やその他に堂々と談判をして、日本を救うためにやってくれという形でしたら、必ず私は変わってくると思うんです。

 いわゆる類似機関と言われているこの公民館がもし元気を持ってきたら、そしてここで社会教育の諸団体の代表が集まって、当面する問題を論じる、学校の教頭先生や校長先生あるいは主任の方も加わって話したとしたら、地域は必ず私は活性化してくる。

 今、働く人がいない、そしてお金がないので役場に地方行政伝達委員などという名前をいただいて、そして何がしかの手当てをもらうことで自治公民館、いわゆる類似公民館の維持が保たれているんです。お金をくれとは言いません。しかし、ここでも地域のために講演会ができる、あるいは研修会ができる、時には社会教育団体が集まって、そこでお互いが話し合うためにお茶菓子くらいが出せるような、そういう小さな力でいいんです。私は、社会教育というものは戦争に負けるか、何かがない限り、ドラスチックな変換はあり得ない。その伝達の方法とか、そこにあらわれる人間を取り替えることでしか変わっていかないんだ、そういうことを考えるんです。

 地域公民館に元気をつけたら、ここで話すこの議論が真っ直ぐ田舎の町にも伝わっていけるんです。今、ここで話したのは、文部省がまとめて県に行って、県から町に行って、それから来るときは全く希釈され、薄められて、ほとんど内容がないものにならざるを得ない現状なんです。ストレートに通るパイプをつくってもらう、その対象は、私は自治公民館の活性化である、そういうことを第2に申し上げておきたいと思うんです。

 それから、社会教育法によって社会教育委員というものが設置されております。これは学校教育に主としてかかわる教育委員に比べると、極めて条例にしても情けないもので、ちょこっと書いてあるだけでありますけれども、しかし教育委員は学校教育を中心にするなら、社会教育委員こそ、まさに社会教育の教育委員としての資格を与えるべきではないのか。そして、こういう人をもう少し組織の代表を人選していく。少なくともその人の組織は、彼が会議に出たら、会議で聞いただけのことが伝わっていくというような、そういうパイプをつくるためにも思い切って間口を広げる。今、いろいろな社会教育員委員の選考の条件がこの前の改正で柔らかになっていますけれども、まだやはり学識経験者、元校長先生、出てみると大体顔ぶれが決まっているんですけれども、そういう人たちは実働部隊を持っていないんです。実働部隊を持って、実際に聞いたことを行為であらわせるような、そういう力の人たちを社会教育委員に結集してこなければできないだろうと思うのです。

 お父さんたちも社会教育委員になるべきです。会社という目で、儲かるか、儲かりませんかというようなシビアな目で地域の教育を見たら、無駄を省いて、要点を摘出する、そういう力はお父さん方にあるだろう。私はそういうことで、社会教育の活性化ということをぜひお願いしたいと思います。

 もう一回まとめて言いますと、文部省はもう少し積極的に家庭教育の振興に力を加えていただきたい。そして、方法も、例えばあのハンドブックが小さな本でハンドバックに入ったというだけで家庭教育ノートが大変読書されているということ、役に立っている。これは版を小さくしたというアイデアだけが非常に役に立ってきているんです。だから、手法については、電子、電波いろいろものを考えて、これを発想したようなナウイ考えでやってもらいたい。

 それから、地域の公民館。いわゆる法律で定めた公民館ではなくて、類似公民館と称せられるものが実質の地域の元気の原点である。これにもう少し力を貸してやることはできないのか。地域も教育力がなくなった、どうするかというときに、この地域の公民館に頼るしかほかにないんですから。絶対にない。今ごろ新しく組織をつくってきたところで、地域になじむには時間がかかります。だから、ぜひ今ある、そして皆さんがあまり問題にしない、小さな集落の小さな文化を守る公民館に視点を当てていただき、彼らの活動に対して、可能な限りの協力をしてもらえば、地域に元気が出る、これは間違いないと思います。

 それから、社会教育委員を選ぶとき、あるいは社会教育委員の権限というもの。私は、むしろ地域、いわゆる自治公民館、類似公民館の館長は必ず社会教育委員に推薦すべきだと思います。この人はみんなを集める力がある、そしてみんなに伝達し得る立場ですから、彼が教わってきたことは必ず伝わると思っていいわけですから、こういう人が外されて、そして元校長の70歳がなることはいかがなものかということを考えて、社会教育委員の活用と選考にもう少し考えるべきであろうと思うのです。

 こういうことを重ねてやって、人ができたところで、やはり大きな国民運動を起こすべきだ。力がなければ、風が吹かなければ、田舎は変わらないんです。東京は変わりましょう。しかし、地方は変わりません。だから、ここに風を吹かすためには、集まった一つの結集体が動き出したときに風が吹くわけです。

 国民運動というのは、そういうものに刺激を与えれば、私は自ずと変わってくると思う。日本の教育は私はそう捨てたものではないと思うんです。今まで家庭教育から離れていた、公教育を携わる文部省がこれにも可能な限りの教育をしていくということ。それから、今まで問題にもしなかった小さな公民館──文部省が問題にしているいわゆる公民館というのはセンターであって、集会場であって、直接、民と触れ合ってものを起こすものではないから、ここの見直しをねらうということです。

 社会教育、これが商売にして、社会教育をやる。商売と言っては失礼ですけれども、義務としてやっているわけですから、これに力と働ける範囲を与えれば、日本は元気になる。それにお父さんが加わることは話しました。そういうことを申し上げておきます。

【森主査】今、家庭教育の話が出ましたが、家庭教育手帳は配布されたんですが、家庭教育のビデオも文部省がつくっていますね。あれの配布先とか、あれはどういう形になっているんですか。

【生涯学習振興課長】私ども、そういうビデオを作成いたしまして、乳幼児健診等の際に母親や父親の方々に自由にごらんいただくように、さまざまな機関に送らさせていただいています。

【森主査】では、県には渡していないんですか?

【生涯学習振興課長】いろいろなところにお送りしておりますので、当然、県の方にも送らさせていただいております。やはり長いとなかなか見にくうございますので、17分ものを3本1セットで……。

【沈委員】県だけではだめなんです。町をねらっていく、ダイレクトに打ち込まないと。

【牛尾委員】市町村の方がいいわけね。

【沈委員】そうなんです。県も一生懸命やりますが、200万くらいの県では人数が二十何人しかいないんですから。文部省の二百何人のアイデアを二十何人が受けて、係が2つしかない町村におりていくという、この逆三角形を考えて案をつくらないと、せっかくいい意見が出ても、届かないだろうと思います。

【森主査】家庭教育活性化って大事だと思うんですが、臨教審で既に「家庭教育力低下」と言われているんですね。それから、20年、何か変わったかということですね。

【牛尾委員】みんな必要性はわかっているんだけれども、教育のコンテンツが足りないですね。それから、ソニーの井深大さんがゼロ歳からの教育というので、若い奥様方が感動して、ゼロ歳から4歳くらいまでに教育するのがすごくいいんだと。

 では、それはどうやって教育するかというコンテンツになりますと、急にバッハの音楽を聞かせとか、そういうバラバラな思いつきはあるけれども、ちゃんとシリーズになった完成品はないですね。日本は、そういうコンテンツが足りないという気はするんだけれども、文部省もつくっているだろうけれども、民間とか、そういうのはどうなんですか、教育のための。

【森主査】家庭教育学というのがまずないんですね。それが一番問題点ですね。

 家庭教育は私教育だから、公権力は関与しないという建前でずっときたというのも一つ原因しているでしょうね。

【牛尾委員】アメリカのカリフォルニア州の教育は、小学校では「お父さんとお母さんの言うことは聞きなさい」「おばあさんが困っていれば、それをみんなで助けるんですよ」「みんなで決めたことはみんなで守りましょう」、この3つを徹底的に1年生、2年生で教えるけわけですね。その間に、日本の子どもは一生懸命数学ばかりやっているから、数学はいいんだけれども……。

 それはカリフォルニアですけど、そういう例があって思想が少し違うんですね。

【沈委員】とにかく、教育基本法だけですよ、家庭教育という言葉が出ているのは。ほかの法律には一つも出ていない。

 それから、この家庭教育ノートが大変好評だったというのは、今おっしゃったとおり、安くて、しかも持ちやすいものが手近になかった。家庭教育はみんな手さぐりで苦労していたときに、この文部省の救いの手が伸びたので、私はベストセラーになっているんじゃないかと思いますよ。

【森主査】私は、これは毎年バージョンアップすべきだと思うんです。同じものを毎年出すのではなくて、世の中には完全なものはないんですから。

 それから、特に言いたいのは、マンガというのはこれはどうかと思うんです。マンガで親近感、アクセスを容易にしようというお考えも悪くないんですけれども、もう少し大切にするように、名称も手帳とかノートというと軽々しく、パッと投げておくような(笑)。そうではなくて、家庭教育……、何ていうんでしょうね、聖典とまでは言い過ぎですが(笑)、もっと厳粛に拝んでから開くような気持ちの、そういうイメージを。

【牛尾委員】これ、どこかで売っているんですか。くれるの?

【生涯学習振興課長】妊娠中や乳幼児を持つご家庭には家庭教育手帳、小学校・中学生のいるご家庭には家庭教育ノートをお渡ししています。

【牛尾委員】だれがくれるんですか?

【生涯学習振興課長】文部省の事業としてやっております。

 後ろの方に各県版の情報が入っています。各県の例えば子育ての情報窓口等の情報が入っています。

【牛尾委員】赤い方は学校に行く前だから……。

【生涯学習振興課長】母子健康手帳交付時とか、1歳6カ月、3歳児健診、就学時健診の機会をとらえて、厚生省と連携しながら保健所等で事業の中でお配りさせていただいています。

 それで、できるだけ家庭の方々にわかりやすく、親しみやすくということで、マンガを入れまして、そして中のモットーもできるだけ若い母親、父親の方々にウイットに富んだ形で子育てをご理解いただけるような形で、フレーズも大変検討させていただいているところでございます。

【沈委員】しかし、検討し過ぎて、切れ味の悪い点もありますけどね(笑)。

【今井委員】私もこれをPTAで使っているんですけれども、絵があることとか、データも少し入っていたりしますね。だから、そういう指導者の人たちも結構これを使われるというケースが多いですし、あと教育委員会に行ったとき、社会教育の担当の先生たちが机の上に置かれて、これを見て書かれたりしている現場も何回か見ましたので、結構そういうふうに活用はされているなというのは思いました。

【沈委員】駅で読んでいるお母さんもいました。

 思春期とか、青年思春期とか、父親などが立ち止まってしまうような子どもの変化に対してのそういうものとか、幾種類かこうしたものはこれからつくって、このとおりにしろというのではないけれども、こういう考え方があるよというのを教えることは行き過ぎではないと思います。今、迷っているんですから。

【牛尾委員】他の先進諸国では、こういうものはどうしているんですか?

【森主査】ドイツもそうですけれども、アメリカで『ペリカン通信』といいまして、これはベルリンが最初やったんですけれども、私、翻訳をしたことがあるんですが、子どもが産まれると定期的にただで、1カ月目はこういう点に注意しましょう、2カ月目はこういう点に注意しましょうというので、出しているところもありますね。

 日本は市販の本がたくさんあるということなんでしょうね。

【沈委員】公民館の類似機関というんですが、42条の多分1行あるだけですから、あれに対してもう少し社会教育機関としての役割と力を与えることは考えられませんか?

【寺脇政策課長】先ほどから先生ご指摘の地域公民館というのは、割と九州から関西の方に、特に九州に多い形態でございますけれども、大体集落ごとに公民館を一つ持っていますね。それを自主管理してやっていくという、常駐職員を置かずに管理していくという形態のものが多いですが、そういったものも一つの公民館的施設ということで重視していかなければならないと思います。

 それぞれ地域の実態がございまして、東京と九州では公民館の実態が全然違います。東京だと、人口十何万の市で公民館が2つとか、そういうところもございますし、実態に応じて活用してもらうように各県の方にもお願いしております。

【生涯学習振興課長】全体といたしまして、公民館は全国で1万7,000余ございますが、専任職員が1万3,000余ということで、1館に0.9人の専任職員しか置かれていないという実態もございまして、あとは非常職員なり兼務という形でご参画いただいている。そういった体制の整備等も含めて、公民館の活性化に向けていろいろ考えていきたいと思っております。

 私ども、国としてはさまざまなモデル事業をお願いいたしまして、公民館の活性化を図っているところでございますが、市区町村、財政事情が今厳しくなっておりますが、こういう社会教育にももっと力を入れていただくように、私どももお願いいたしております。

【森主査】社会教育が鍵なんですけれども、都会では公民館に行く階層とカルチャーセンターに行く階層が違うと。どうも公民館に行きにくいという人がカルチャーセンターに行くと。カルチャーセンターは大体ビルの高いところにある。高いところに、高いお金を払って受けるのがそういう階層だなんて、笑いながら言っている人もいましたが、大体当たっているんですか、それは。

【寺脇政策課長】都市部では、公民館は確かに数は少ないのですが、それ以外にカルチャーセンターとは別の区民センターとか、住民が自主運営できるような形の集会所が比較的多いです。

 沈先生のこともお聞きいたしますと、特に九州地区では例えば人口が100世帯くらい集まったところには、必ず一つそういう場があって、鍵を住民が共有で持っていて、自分たちで集まりたいときに鍵をあけて自分たちで運営してやっていく。それから、維持費みたいなものも各世帯当たり100円とか200円とか出し合って、自分たちでやっていくという自治公民館という動きが特に九州中心にはございまして、それが今の1万7,000以外にかなりの数がございます。

【森主査】大分かどこかで、小学校の空き教室を公民館分室にしているところがありますね。

【生涯学習振興課長】公民館も最近は建物の中だけでやるのではなくて、出前講座をかなり開設させていただきました。公民館の外に出て、公民館事業を行おうという形態もやっております。

 大都市等でございますと、やはりコミュニティセンターという、いわゆる会館をつくってそこで自由にやっていただいていいという施設もたくさんございますが、今はどちらかというと具体の事業への支援を・・・。

【森主査】公民館を活性化するには、公民館という名前を変えた方がいいですな。

【今井委員】そうね。

【梶田委員】あれは地域によって、例えば私は大阪の北部に住んでいるんですけれども、今のコミュニティセンター、これが非常に多くて、コミセンとみんな言うんですね。あるいは何々会館と。

 さっき、大分のこともおっしゃったけれども、箕面市も幾つかの学校の空き教室の一角を改造しまして、コミセンにしているんです。ただ、この問題は、教育委員会対市役所のほかのところとか、いろいろなところで実際にはなかなかスムーズにいかないところがありますけれどもね。

 私は、かなりいろいろな形態で、住民が利用できる場とか、住民が参加できる本当に身近な活動というのは、今、盛り上がってはきているという気はします。

【森主査】第2分科会でコミュニティスクールというのをやっていますね、藤田先生。あれは、今のことと関係あるんですか、ないんですか?

【銭谷担当室長】まだコミュニティスクールの議論は深まっておりません。今、第2分科会では、地域の人たちが公立の学校を自分たちでつくっていくというようなことを認める、そういうことは考えられないだろうかという提案は出ておりますが、議論自体はこれからでございます。

【牛尾委員】家庭教育と学校教育とコミュニティセンターというのは、もちろん市役所や区役所に行って、中を見学するのも勉強だし、仕事をするのも勉強だけれども、そういうことを三位一体でやるような教育をつくるという案は出ています。結構、実行する地域はあるみたいですね。

【梶田委員】ちょっと家庭教育のことですが、私、これを読んでおもしろいなと思ったし、これを配っておられるのはなかなかいいと思うんです。さっきの『ペリカン通信』ではないけれども、改めていろいろなことを考えるし、情報のところが非常にいいなと思ったんですが、ただどうしてもそういう手はいろいろと打たれながら、あるいは私の住んでいる箕面市でも、親を対象としたいろいろな講座があるんです。参加している、にもかかわらず、さっきちょっと出されました臨教審にも家庭教育の振興を言われていますが、今、臨教審のときに比べて私はもっとまずいことが広がっていると思うんです。

 30年くらい前に、東京の都立教育研究所が初めて不登校についての集中的な調査研究をやっていたんです。当時は、スクールホビアという、“学校恐怖症”というおどろおどろしい名前で呼ばれていたんですが、数は今に比べればものすごく少なかったんです。今は、大体、大阪などで言いますと、年間30日以上行けないのは、中学で言うとクラスの数とほぼ同じだけになりました。あるいは長野県みたいな、ああいう牧歌的なところでも非常にふえたわけですが、30年前は東京みたいな大都市や一部の学校の話だったですね。

 そのときに指摘されたのは、やはり家庭の問題なんです。特に、夫婦と子どもの三角関係の問題、これがかなりはっきりと打ち出されました。そういうきちんとした調査研究があって、にもかかわらず、30年たって今どういうことが起こったかというと、日本中に不登校がバーッと広がっているでしょう。

 多分、不登校やらそういうことについての教育の機会あるいは学習の機会は、あれから比べれば格段に多くなったんですよ。そうすると、ここから考えなければいけないのは──これはみんな大事なことなんだけれども、もっと大きな何かを考えないといかん部分があるんじゃないかということなんです。家庭が大変になったと臨教審でもその後もいろいろ言われた、それなりの手は打たれた、だけれども、どんどんひどくなってきている。

 これ、答えはなかなかないんでしょうけれども、こちらの方か、あちらの方かで出してもらわないといかんなという気はしますね。

【森主査】そうなんですね。

 先ほど『ペリカン通信』が出たので、ちょっと補足しますと、赤ちゃんはコウノトリが運んでくる。コウノトリが運んできた赤ちゃんを今度はゆりかごのようなペリカンの大きなくちばし、それをゆりかごにたとえまして、それで育てましょうという、名前の由来はそうなんです。

 それはいいんですけれども、今おっしゃった家庭教育の総合的研究というのが必要なので、いろいろな行政調査はあるんですね。いじめ、不登校……、いろいろな調査はあるんですが、調査だけでは片づかないので、研究が必要なのです。研究しない限り、学問はできないので、家庭教育学というのをもしつくるとすれば、何が一番大事かという体系化の原理をやらなければいけない。

 そうすると、家庭教育ノートは確かにいいことが書いてあるのですが、並べてあるだけで、何が一番大事なのか。「大事なものはいつも一つだ」というのが私の主義なのですが、この中で、もしやるとすればどれから、一番大事なものは何かということを、これは自分で決めればいいのかもしれませんけれども、そういうことがなければいけないと思うんです。

 教育というのは模倣で始まるんですから、親を模倣するのですから、「親は模範を示さなければいけない」という当たり前のところから言わなければいけないので、「模倣→模範」という連想ゲームができる親がどのくらいいるかということなんです。その模範を示すにはどうすればいいかというので、各論が出てくるのではないかと思うんです。

 文部省にいろいろな調査がありますから、その調査を総合的に集約した研究といいますか、特に臨床的ないじめかとか、17歳とか、いろいろな問題を調査なさっていると思うんですが、それらを集大成した「家庭はこうあるべきだ」というのが出てくるといいなと思うんですが、ぜひやっていただきたいと思います。

 それでは、次の発表に移りまして、また議論を続けたいと思うんですが、梶田先生、お願いいたします。

3)梶田委員の提言

【梶田委員】私はこれにちょっと書かせていただいたんですが、考えれば考えるほど一筋縄でいかんなというのが私の率直なあれですね。

 どういうことかというと、例えば今の17歳の子がどんどん残虐なことをやると。それに対して、文部省は研究委員会をつくって検討しておられる。多分、その結果として、またカウンセラーの動員とか、幾つか打つ手は出てくるだろう。だけれども、一つひとつの事象についての打つ手というのは今まで随分やられたと思うんです。私はそれなりに評価しております。だけれども、現実というものがもっとそれを追い越していっているんです。どんどん深刻になってきているという感じが私はします。

 私は、日本の国のそれぞれの立場の方というのは極めてまじめだし、それぞれのときにその問題に対して考えられる手を打ってきたと思うんだけれども、この50年の間に事態はどんどん悪化しているという気がします。

 若干良くなった面もあります。4、5年前から教育現場での不毛な対立がやっと底を打って、少し良くなってきたとかありますけれども、子ども自身の育ちの問題からいうとどんどん問題が出てきた。

 私は、国民会議で皆さんにぜひ論議して、そして国民運動にまでつなげてほしいと思うのは、個々の具体的な事象についてどう対応するかではなくて、もっと大きな流れが何なのか。

 だから、個々のことについてはいろいろと手は打たれてきたけれども、その一つひとつ打ってきた手を乗り越えて、どんどん事態がもっともっと先に行ってしまっているという、そこを認識することではないか。それに対して私は策がないものですから、結局、「気風の一新」という、日本の社会の、日本の文化の「気風の一新」というふうにしか言いようがないのですけれども、みんなの気持ちの持ち方を、お年寄りから子どもまで含めて、あるいはマスコミから学校教育から、あるいは企業から何から含めて一新するようなことが不可欠ではないかと私は思っております。

 それをやらない限り、一つひとつの具体的なことについてやっていて──無駄だとは思いませんけれども、やはり膏薬張りで、ここに膏薬を張ったけれども、別のところにまた問題が出てくるというような気がしております。

 そういう流れを認識するときに、私は2つのことを考えておかないといかんだろう。1つは、子どもの人間としての育ちそのものが非常に弱くなっているということ。もう1つは、日本人としての育ちが弱くなっているということ、この2つがあると思います。

 「人間として」というのはどういうことかといいますと、私は心理学をやってきましたので、どうしても若いときはフロイトとか、そういうのの人間観が大きな影響を私は持っていますが、人間というのは基本的には欲求・欲望のかたまりだと思います。ただし、これでみんな動いていたら、万人の万人に対する闘いになってしまうわけです。「これが欲しい」「これをやりたい」とみんなやっていたから、衝突するしかないわけです。「共に生きる」ためには、「共に生きる」ためのルールをつくり、同時にそのルールを念頭に置きながら、自分自身をコントロールする力をつけていかなければいけない。フロイト的にいうと、それがエゴの力だというわけです。

 自分自身の欲求・欲望を「待てよ」とまず抑えておいて、そこで余裕をつくって、現実というものをよく見て、そしてどういう手順あるいは方法で自分の欲求・欲望を満たしたら、社会的に適切・妥当になるのかという、これを考えていく力ですが、これが今非常に弱い。これが「切れる」ということであり、あるいは「暴発する」ということであり、あるいは「短絡反応」と言われるような話なのです。これをどうするか。

 もう一つは、世の中のルールをつくっていく上で、これは超自我の働きといいますけれども、価値の軸みたいなものを、やはり社会や世の中で、ある大きなものについては認め合わなければいけないところがあると思う。例えば、「一人ひとりが真剣に考えているんだから、それでいいんじゃないか」とか、「自分の責任でやっているんだから、いいんじゃないか」とか、そういう言い方があるわけだけれども、私はそれでは済まないのが今の状況だと思うんです。

 今の援助交際をやっている子を指導するときに一番困るのは何かというと、「自分の責任でやっている」、しかも「人に迷惑をかけていない」、この論理だけでしょう。「人に迷惑をかけない」とか「自分の責任でやる」というのは、今のエゴ、自我のレベルなんです。超自我の価値観のところ、あるいは美意識とか、そういうところが育っていないという問題がある。それが、短く言えば、戦後五十何年の中で、これが進行してきた。もっと言うと、やはり明治維新からずっとこれが来ているだろうと思うんです。ここのところをどうするかということを一つは考えなければいけない。

 私は、極めて具体的なことを言うと、学校の遠足で絶対にバスを使わない。歩かせる。あるいは、学校からお寺やいろいろなところに連れていって、3時間、5時間座らせるとか、つまり「我慢の教育」、我慢というのがエゴの働きを訓練する一番のあれですからね。

 今、「好きなことを、好きなときに、好きなようにやらせるのが教育です」なんていうことを言っているわけです。これがいかに間違いかと私は思います。これが1つ。

 もう1つは、日本人として、きょうはもう言いません、どうせ、教育基本法のところでまた論議するわけですけれども、自分をコントロールできるとか、自分か「これが正しい」とか「カッコいい」とか思われるためには、先人がそういうことを求めてやってきたことを受け継いでいかないと、つまり切り花みたいなものをヨーロッパやアメリカから持ってきて、それをいくら学んだって、だめなところがあります。

 前にも申し上げましたと思いますが、例えば岡倉天心が言ったように、日本的な美意識とヨーロッパ的な美意識はどこが違うかということを学んで、そういう中で日本的な美意識をみんなが体得するような機会をつくっていく。つまり、シンメトリーではない、幾何学模様ではないです。日本の場合、微妙なバランス感覚ですね。

 例えば、そういうような日本的な感性──難しいんですけれども、古くさい言葉で言っていたら、だれも見向きもしませんから、新しい言葉で言っていかないといかんでしょうけれども、それをもう一度社会全体で確認し合って、そして学校でも家庭でも大事にしていくようなね。

 今はすたれたそうですけれども、いろいろな家庭に生け花がちゃんとあるというのは、私はとってもいいことだと思うんです。あるいは、坪庭みたいな、ほんの小さな空間にいろいろなものを植えて、美的な空間をつくる。あるいは、いろいろな鉢物をつくっていくという、そういうことはもっともっと奨励されなければいけないのではないかと思います。それをどうしていくかというのは、私は、1つは浅利慶太さんが何度もおっしゃっていますけれども、この時代ですから、マスコミのキャンペーンのようなものはどうしても不可欠だろうと思っています。どんないいことを論議しても、マスコミがそっぽを向いていたらだめなので、ぜひ、私は浅利慶太さんなんかに一肌も二肌も脱いでもらって、一つのこれをやろうということになれば、気風の一新のためには、マスコミがこぞって、メディアミックス的にやらないといかん。新聞もテレビもいろいろなものがこぞって、ある一つのことの大事さを説いてということがないと……。例えば我慢することの大事さ。逆に言うと、「好きなことを、好きなときに、好きなようにやるのが教育ではない」というキャンペーンをやらなければいけないのではないか。

 それから、これはもう一つだけ言っておきますと、私はこれから問題になります教育基本法そのものとして、変えたって何ということはないと思うんです。ただ、「教育基本法」と打ち出すだけで、みんなが「おや」っと思いますから、そういうショック剤としては、教育基本法の改正を打ち出す中で、ではこれからの時代に一体何が必要なのかということを集約的に訴えていくということもあるんじゃないかと思います。

【森主査】ありがとうございました。

 教育改革をテーマにした芝居でもつくっていただけると(笑)。

【浅利委員】いや、ちょっと(笑)。

 この状態は何とかしないといけないという社会認識は社会全体に浸透していると思うんです。だから、新聞やテレビの人たちとも十分話し合って、この国民会議の裾野を広げることを考えないといけない。我々委員だけで議論しているのではなくて、広い合意を得て最低限、これとこれだけは全社会で取り組みましょう、ということを、新聞にもテレビにも協力を得て、それぞれの立場なりに、新聞社は新聞社、テレビ局はテレビ局、教育者は教育者、文部省は文部省なりに、目的に向かってみんなで進んでいこうみたいな合意ができれば、今、梶田先生のおっしゃったことは実現するでしょう。

 だれでもが納得できる、非常にシンプルな、何箇条かの合意を形成するというのはどうでしょう。

【河上委員】学校の立場から言うと、実際、学校が閉鎖的であるということは当然問題にされなければいけないと思うんですけれども、例えば文部省の役人やマスコミの方に、1週間でも10日でも一緒に行動していただくことがすごく大事だと思うんです。たまに来ただけではきっと大したことはわからないでしょう。校長さんも教師もなるべく嫌なことは隠しますから。ところが、教育実習というのがありまして、2週間、大学生が来ますね。そうすると隠しようがないわけです。学生たちが2週間、例えばうちの学校で実習をやっていく中で、なまの状況に直面するわけです。あれは、すごく私は大事だと思っています。

 学校の実情が外に出ないということがありますが、浅利さんのおっしゃったことと絡んで、単なる話し合いではなくて、現場を直接見ていただくということがすごく必要な気がしています。

【森主査】自我と超自我の話が出ましたけれども、17歳の少年の家庭を見ていると、いろいろな問題があるんでしょうが、ひとりっ子が多いような気もするんです。私は、自我の形成というのは、学校では遠足は歩いていくとか、それはいいんですが、家庭では自我の形成にとってどうすべきかという議論が定説がないような気がするんです。

 それについて、いろいろ聞いているんですが、今、ひとりっ子とかシングルマザーとか、家庭が多様化した場合の、従来のような家庭と違う、多様化した家庭における自我形成、そういうことの研究は必要だと思うんです。

 断っておきますが、研究と調査の違いというのは、調査というのは問題点の発掘であって、研究というのは仮説を立ててそれを検証していくので、だから行政調査が基礎になっているのはいいのですが、大体、行政調査というのは現実が疲弊したり、混乱したり、腐敗したときにやるんですね。その始まりは、ニューヨーク市の市政調査会というのは、あれはニューヨークの政治が汚職で大変なときにスタートするのですが、それを真似てつくったのが東京市政調査会で、いまだにまだ日比谷にあるわけです。

 ですから、文部省がいろいろな調査をするということは、それだけ現実が困って、腐敗しているからだということにもとれるわけです。それをもう一歩生かすには、それを集約した研究が必要なのではないかと思うんです。そういう研究をぜひやらない限りは、いつまでも問題点の指摘で終わるのではないかと思うんです。

【梶田委員】研究の視点になると思いますが、今おっしゃったように、ひとりっ子とか地域に子どもの姿がなくなって、家に帰っても友達と遊べないとかありますね。だからこそ、学校で、一つは学級づくりの中でみんなが切磋琢磨する、あるいは学校の中でクラブ活動を大事にするとかいうことがあったんですね。逆に言うと、一人学びみたいなことばかりを言うのは有害無益なんです。もちろん、マイペースでやれる場面もつくらなければいけないけれども、いつの間にか一人学びがいいような話になった。やはり集団で学ぶということを大事にしなければいけない。

 もう一つ、私も地元の箕面市で、8年間、教育委員をしましたが、そのときにいつも言ってきたのは、少年野球とか子ども会をできるだけ盛り上げようと。つまり、家に帰ってもだれもいないわけだから、地域で少年野球とか子ども会とかを盛り上げようということを随分言ってきました。12万5,000人の町ですけれども、少年野球チームが十幾つあるはずですよ。あるいは子ども会単位の対抗マラソンとかね。私はそういうことが大事だと思うんです。

 いつも言いますが、家庭で何人も産みましょうというわけにいきません。ひとりっ子、多くなりますよ。あるいはシングルマザーもだめといったって、それは出てきます、これからふえます。そういうことは後戻りできないけれども、それがふえていったとしても、例えば地域でどういう別の場が準備されるか、学校でどういう場が準備されるかということを考えていかなければいけないのではないかと思います。

【森主査】子どもの遊びが室内化したことがいけませんね。いろんなロボット、ファミコンとか、何とかプレステーションとか知りませんが、あれで一日中遊んでいるわけでしょう。経済界にもお願いしないといけない。ロボットなんていうのもそうですね。

【今井委員】これは親も闘っているんです。

 うちの場合、ファミコンは息子が幼稚園のころからずっとブームになっていて、私はずっと「だめだ、だめだ」と言っていたら、うちの主人の母がとうとうシビレをきらして4年生の孫に買ってしまったんです。そうしたら、そのとき息子が「お母さん、よかった。僕、もう少しでいじめられて、友達から外されるところだった」と言ったんです。いい・悪いを別にして、このファミコンというのが一つの子どもたちのコミュニケーションに完全になっているんだなと思いました。それがないと仲間の輪に入っていけないのが、ファミコンだけではなくて、いろいろなゲームカードとか、いろいろなグッズ、同じものを全部持っていないとそこの仲間に入れないということが、とても問題なのです。

 親は、一生懸命、「だめよ、だめよ」と言おうと思うんだけれども、これは自分の子どもだけではなくて、ほかの子どもたち全部にかかわってくることだから、どうしても根負けしてしまうところがあるんです。

 私、お母さんたちに話をするときは、やはり子育ては愛情と忍耐だから、子どもたちがわがまま言っても、だめだ、だめだとそこで子どもと闘いをしなくてはいけない。闘うと当然子どもは自分が満足できないわけですから、一時はガッーと混乱するのですけれども、そのうちに、それがだめだということがわかれば落ちついてくるんです。

 例えば、スイミングとか行って、そこにジュースとか飲める自販機とかありますね。私の子どももスイミングに通っているときに、「お母さん、100円」と言うんですね。うちは数分で帰れるんですから、ジュースはうちに買ってある、アイスクリームもあるから、うちで食べればいいんだというと、子どもはほかの子どもたちが100円持っていっていますから、しばらくはギャーっと言ってたのですが、だめだ、だめだと言い続ければ、1年くらいすれば、うちはそれはきかないんだということが子どもにわかってくるんです。

 だから、本当に一瞬一瞬の闘いであって、それがすぐ明日、明後日にその効果があらわれることではないんです。だからこそ、この問題がすごく大きな問題だと思うんです。

【森主査】全国のお母さんが今井さんのようになったら、企業は困るでしょうね(笑)。

【牛尾委員】いやいや、それは無理ですよ。

 今から30年前にテレビが出てきたときに、テレビは教育に悪いといっていろいろな議論があったけれども、どんどんふえて、黒白からカラーテレビになって、1部屋に1つになってきたわけですね。その後、映像の世代からネットの世代に入るわけですね。ネットもゲームマシンのみならず、あらゆるインターネットもネットに移ってきて、今、我々の時代は活字と映像とネットが三重に共存しているわけです。

 最近の若い人は新聞を読まない子が圧倒的に多いですからね。活字を読まない、しかしネットでは読んでいる。しかし、ネットというのは思考しなくて反芻するだけですからね。しかし、こういう時代の変化というのは、アメリカが束になっても潮流は変わらないわけです。だから、文明の問題で、こういうのを全部否定するかどうかというのは教育の問題として議論することは無理で、それと同じようなことは女性の進出もそうなんです。

 本来、松下幸之助さんが「女性は働くべきでない。うちは女性が働く給料を家族手当てにするから、皆、家で子どもを育ててくれ」と言ったんですね。これはかなりやっていたんです。だから、一時期、松下グループというのはものすごく奥様の手当てが高かったわけです。しかし、女性の働き潮流というのは世界的に、フェミニズムまで含めて抗しがたいものになってきて、日本でも六十何%が働く。だから、最近の子どもは、うちの孫なんか見ていると、家族がみんな揃ったときの喜び方といったら、「パーティだ、パーティだ」というんだけれども、そんなものは昔は当たり前のことだったと。だけど、今は、揃うことそのものが珍しいという潮流は、やはり女性は一回仕事の満足感を覚えると、平均的にはこんな楽しいものはないわけです。家事なんかやっておれるかというわけです。

 だから、かなりの知識レベルの高い女性は、収入の7割を保育所に払ってでも、仕事の喜びをとるわけです。この潮流も、先進国の中では避けがたい潮流なんです。

 もう一つは、グローバリゼーションで、外国の文化とか違う価値観がどんどん入ってくるこの潮流は、本来は「文化鎖国」というのが一番いいと思うんだけれども、経済のグローバリゼーションというものは全体を繁栄して幸せにするわけですから、それはイエスというと、文化までどんどん入ってくるものだから、日本の文化の閉鎖性は守れないわけです。

【今井委員】だから、そのときに心に根っこがあるかないかということで、そういうことを自分で選択できると思うんです。未だにうちはテレビが1台なんです。それは、結構、子どもに負けてきたことってたくさんあるんですけれども、でも1つか、2つは、これだけはきちんとしておきたいという部分は残したいと思っているからやっているのです。だからそういう生き方とか、価値とかをしっかり持った上で、そういう物事を見つめていくということが大切だと思う。

 世の中のサイクルがかつてより速くなってきて、どんどん世の中が変わっていく中で、それに流されない自分を持たなくてはいけないのではないか。

【牛尾委員】そういうことがどの程度できるかによって、その社会の民度の高さとか、そういうものが決まるんですね。

 しかし、それはあくまでも個々人の自己開発努力であって、制度としては対処できないでね、この問題は。

【河上委員】それがずっとこの間論議になっていると思うんですけれども、今、牛尾さんがおっしゃったような大きな流れがある中で、例えばこの第1分科会では、曾野さんのおっしゃった合宿だとか社会奉仕が必要だということが支持されています。沈さんの話では、そういうことが具体的にやられているという。学校という場を使うか使わないか別としても、ある種の義務としてそういうことをやることが大切だということをここで発信することと、それと同時にそれを具体的に実施することで、こちらに振れ過ぎた振り子を幾分なりとも戻すというんでしょうか、バランスをとるようなきっかけにはなるのではないかと思うんです。

【藤田委員】よろしいですか。

 先ほどの議論で、経済の動向は変えようがないという発言がありましたが、基本的にはそうだと思います。ただ、私、欧米と比べて日本の情報消費文化は子ども・青少年をターゲットにしたものが非常に多いと思います。これは世界に発信しているものを見てもそうです。それは日本経済のメリットでもありますし、強みでもあるから、これを抑えるということはすべきことではないし、制度でどうこうするという性質のものでもないと思うんです。それは経済の活力の源泉でもありますから。

 しかし、それを野放しに放置してよいというわけでもない。そうすると、それに対抗し得るだけの豊かなカルチャーがあるかが問題になるのだと思います。大人のカルチャーが十分に成熟していない、豊かになっていないことに問題があると言えます。例えばテレビのゴールデンタイムはほとんどハイティーンの若者向けのものでしょう。欧米に行ってテレビを見ても、そんなことはないですね。ですから、大人のカルチャーを豊かにするということが重要だということになる。しかし、これも制度的にどうこうするという問題ではない。

 学校教育でできることは何かというと、今までの議論を聞いていまして、「言葉と努力の文化を育むために何をしたらいいのか」ということだという気がするんです。アメリカの研究者の書いた本で、「言葉が死ぬところに暴力が生まれる」という趣旨の本があるのですが、言葉のカルチャーは学校でも家庭でももっと重視して、それをどうやって育んでいくかを考える必要があると思う。これまでの議論にも出ていましたし、浅利さんも繰り返し言われていることだと思いますが、そういったものをどうやって家庭や学校やいろいろな場面で豊かにしていくことができるのかということです。我々の経験的な生活世界は大きく変わってきて、身体的なレベルでも充満する刺激にさらされているわけですから、それを乗り越える一つの有力な方法は、たぶん「言葉のカルチャー」を豊かにし、「知的に乗り越えていく」とことではないかと思うわけです。  もう一方で、「努力のカルチャー」というものも重要です。この何十年か、日本は努力というものをきちんと評価し、尊重するというカルチャーを重視してこなかったという気がするんですね。ですから、それが崩れていったら、努力を育み、評価するカルチャーが崩れてしまったら、モラルというのは維持できない。たとえ金銭的なインセンティブはあっても、それ以外の場面で多くの人を巻き込めるようなモラルというのは維持できないのではないかという気がするんです。

【浅利委員】この会議では、比較的現状分析が多いですね。それで問題点の指摘は出来るんだけれども、具体的方策が少しすくない。だけれども、それがないと、結局のところ、空振り会議になる危険があります。

 僕は、俳優を長く育ててきていますが、最近、話し言葉が悪くなっていることに気付きます。

 それを建て直すのにどうするのか。最近は単純なことをはじめました。朝会った時に「おはようございます」という言葉をきちんと話せということなんです。「日本語には長音というものがあるんだ。君たち俳優は話す日本語の専門家なのだから、長音をきちんと伸ばす習慣をもちなさい。」ということを徹底的にやっているんです。

 ところが出来ないんですね。しかしこれくらい単純なことから始めないといけません。ですから、教育の場、つまり学校の現場でも、家庭でも、何か非常に単純な方法を考えてた方がいい。又、敬語を使う時間を家庭も学校ももったらどうでしょう。この人間関係ではちゃんとした、こういう言葉を使うんだよと教える。親に対しては、朝会ったときだけはきちんと「お父さん、おはようございます」と言う。

 友達同士の間でも、「君と一緒に勉強できて、僕はとても幸せだ」とか、「今後ともよろしくお願いします」とか、後はまた友人言葉でいいんです。ある限定された時間だけそういうふうにやる。これはプレーにしてもいいんです。ドラマみたいにしてもね。その間は、照れくさがりながら、楽しくやるかもしれない。そういうシステムをつくっていった方がいいんじゃないかな。

 これには、この後、山下さんがおっしゃると思うんですけれども、スポーツが一番有効なんですね。スポーツの中には、連帯感もあるし、秩序感もあるし、人間関係も非常によくなります。スポーツを大いに振興させると同時に、スポーツを指導する人たちがこのことをよく認識してくれて、どのスポーツの監督もコーチも全部これだけはやってくれるというふうなことをきめるといいのではないか。ものごとを単純化する。それを合意して、みんなでやる。

 最後に先刻も言いましたが、公聴会を開いて、広くマスコミの代表者たちを集め、一緒に議論をする。そしてこれとこれだけは合意事項でやりましょうとと結論を出す。新聞もテレビも文化産業です。文化産業がすべて協力し合って、最低の合意をつくる。教育改革社会大連合宣言みたいな形はどうでしょう。

 又僕はその中に、代々木の文化局の人だって入ってもらったっていいと思う。それくらい広い……、何も森さんに気を使いすぎずに(笑)。

【森主査】早速、テレビで朝のニュースの最初に「おはようございます」とみんな言いますね。そういうときにどう言うか、明日から注意して聞きますか(笑)。

【浅利委員】国語の教師が「日本語は簡単にしゃべれる。なぜかというと、日常使ってるからだ」と思ってしまっていることに問題があるんです。日本語は、難しいです。

【森主査】それでスポーツの方に来たんですが、最後に山下先生、お願いします。

4)山下委員の提言

【山下委員】最初にまた改めてお詫びいたします。

 私の方は、この第1分科会の方のレポートを出しておりません。ここに書かれているのは小渕総理あてに出したものであって、私が一番最初に出したらしいんですが、その点をまずお詫びしたいと思います。

 教育改革の議論の前に、私は、一つ疑問に思っていたのは、我々日本人は今までの生き方、考え方でいいのだろうか──このことを抜きにして、教育改革に入っていいのかなという疑問も持っていました。

 戦後「いい生活がしたい」と。私なんか生まれる前は、上野駅で毎日何人か餓死者が出るくらいだったのだそうですが、それが便利・快適に行って、物信仰、金信仰あるいは物万能あるいは金万能、唯物論になり、それが社会全体のモラルの低下、道徳あるいは倫理観の欠如、ここにつながっているのではないか。そして、今、各層での社会全般での腐敗現象、教育、家庭教育の崩壊、そこに来ているのではないか。この問題を避けて通れないのではないかという気がします。

 「よく生きるとは」ということを何も考えていない、思想なき生き方をしている。あるいはしっかりとした価値観に基づかない行動をしている。我々もそうですけれども、「生きるとは」「学ぶとは」「人間とは」「幸せとか」「人生とは」……、こういうことを全く教えられないままに、考えないままに生きている、これこそが私は戦後の教育の最大の欠点ではないか。あるいは戦後だけではない、明治以降の教育の最大の欠点ではないかという気がしてなりません。

 大人の一人として我々の責任は、次の時代に何を残すか。今、我々が楽しく生きるために将来や子どもたちに大きな負担を強いたり、子どもたちが住めないような世の中にしていく、こういう生き方でいいのだろうか。私はこのことを国民会議では、大人の一人ひとりに問うていかなければいけない。我々大人の生き方、あり方、これを問うていく、これが前提として必要なのではないか。だから、子どもの教育の前に、我々大人が子どもの鏡になっていくことが必要ではないか。

 少なくとも、江戸時代までは教育、これは藩校とか寺小屋ですか、ここでは志とか人を培う教育がされていた。それは人間の柱であって、背骨ではないか。明治以降今日までの教育には、この柱がない、背骨がないんじゃないか、このことを一番強く思います。

 それから、具体的なことを私はあまりここに出していなかったのですが、私は臨教審以降の基本的な考え方、あそこに書かれていることに基本的には間違いがなかったのではないかという思いから、書きませんでした。日本の今日の子どものゆとりのなさ、あるいはストレスの状況、理解度不足、そういったものを考えますと、やはり実験とか体験、自然に接した授業、一方的な詰め込みの授業だけではなくて、自ら学び考える双方向の授業、それから日本で非常に大きく問題になっています「学んだことが知恵になっていない」あるいは「知的好奇心が高まっていない」。それから、理解度不足の人が多いんですが、基礎基本を徹底して教える。もちろん、できない人には徹底的に教えるけれども、できる人にはさらに勉強できる、そういう状況を準備していく。そういう意味では、基本的な方向としては間違っていなかったのではないかと思います。

 ただ、何度も指摘がありますように、これがうまく進まなかったというか、そこで指摘されていた問題点がさらに大きくなってきている。何でこれがひどくなってきているのか。何でそれが政策が進んでいかなかったのか。もしその方向が間違っていないのであれば、何をやったら実際に課題が克服されていくか、もう考えていかなければいけないのではないか、そんな気がします。

 受験体制の教育というのは、私は「人格の完成を目指す教育」の崩壊を招いたと思っています。ちょっと聞きましたところ、アメリカでも人格教育、道徳教育とか、価値観教育といってもいいと思うんですけれども、これを取り入れるところがかなりある、これは非常に成果を上げてきていると聞いております。日本では自由の概念をはき違えて、公共の福祉の概念を持たない個人主義が拡大してきている。社会に対する義務とか、責任とか、貢献とか、こういうことを忘れ、あるいはこういう価値を全く持たないで、個人の自由あるいは権利を主張する、こういったところ、これは人間として基本的に大きな間違いではないか。

 私は、未熟な子どもに対してはしっかりと家庭、学校、地域で徹底して徳育あるいは人格の部分を教えていく必要があるのではないかと思います。

 今、小学校ではある程度道徳が授業で行われているということなんですけれども、中学校、高校になるとこれがあまり行われていない、あるいはほとんど行われていない。極端かもしれませんけれども、道徳というのを一つの教科にしてもいいのではないか。担任の先生が教えるのではなくて、その専門の先生が教えていく、そういう形も必要なのかなという気がします。

 先日読んだ本では、小学校に道徳科、中学校で人間科、高校で人生科、そういうふうな形で教科として専門の先生方が教える。そこでは哲学とか倫理学とか宗教学、こういったものを専攻した教師がその指導に当たる、このことが必要ではないかと書かれていました。

 私は、やはりいろいろな価値観があると思うんですけれども、普遍的な価値観というのがあると思うんです。これを教師と子どもが共に考えていく、このことが非常に大事なのではないかと思います。

 この点に関して、もう一つ、非常に心配するというか、疑問に思うところは、科学系教育偏重、科学信仰、これがもう一つ大きな問題になっているのではないか。人間は万物の霊長である、人間が自然を支配しているという人間の思い上がり、おごりたかぶり、これを生んで、これが随所にあらわれているのではないかという気がします。

 私は、うまく文章で表現できないんですけれども、神を信じて、絶対的な存在を信じて、偉大なる存在を信じて、恐れあるいは畏敬の念、感謝の心を持ち、生かされているという気持ちで生きていくことが人間としては大事なのではないか。宗教というと、いろいろな方が身構えますけれども、一つの宗派にこだわらない、普遍的な宗教的な心情の育成も非常に大切ではないかと考えます。

 前回も話しましたけれども、教育に関しては教師の情熱、力量、これが大事ではないか、教育は人ではないかなと思います。そういう意味で言いますと、全人格的な教育者の育成、教員の質の向上に全力で取り組んでいく必要があると思います。

 臨教審で、初任者長期研修制度ですか、こういう案が出たり、教職適格審議会、こういったことも、これはここの分科会ではないですけれども、これからは考えていかなければいけないのではないか。人の問題が非常に大きいと思います。

 それから、教育基本法、これは私はあまり勉強していないのですけれども、多くの皆さんと同じような考えを持っていまして、問題点があるのではないかと思っています。この基本法は、専ら個人の尊重をうたっていて、これが利己的な個人意識を生んでしまっているのではないか。そこに公共の福祉の概念が欠けているのではないか。これは非常に大きな問題であると思います。

 それから、民族、国家、伝統的文化、これが否定されているような感じがします。

 沈先生の話では、家庭教育が書かれているということですけれども、やはり家庭教育とか地域・生涯教育、こういった視点での記述がもっともっと大事なのではないか。そして、私は日本の将来を考えていくと、国としては「教育」を今後政策の柱に掲げてやっていくべきではないかと考えます。

【森主査】どうもありがとうございました。

 浅利先生の前でなかなか日本語がしゃべれなくて、緊張しちゃうんですが。

【浅利委員】人生を教えるときに学校の先生だけに頼っていても、それはちょっと人材的に難しいのではないか。我々が臨時教師で行ったらどうですか。例えば義務づけてもいい。牛尾治朗も浅利慶太も山下さんも、応募して、社会奉仕のために1年に例えば20時間は自宅近所の小・中学校に行って教える。企業人も商店主も官僚も参加するのはどうでしょう。いろいろな人が教育の現場に出かけていく。先生を手伝おうじゃないかという運動を起こす。それを国民運動にしたらどうですか。

 又、「人を信じ、人を愛する気持ちを大事にしよう」とか、「両親や友達、この得難いものを大事にしよう」とか、「幼い子どもたちはみんなで育てよう」とか、「生きていくことに目的を持とう」とか、単純な5カ条とか6カ条くらいをつくって、それを暗記させるくらい子どもたちに教えるといいんじゃないかな。

【河上委員】すごくいいと思うんですけど、さっき山下さんがおっしゃった道徳教育というのは、今は学校の中で教師だけがそういうことを言うわけです。ところが、世間一般ではそんなことは通っていないではないかというのがあるわけです。だから、そういうところに浅利さんなど、学校の外の人たちが入ってきて、実はこうなんだと言うことによって、私は学校が随分救われると思うんです。

【浅利委員】新聞社の記者なんか、大いに参加してもらったらいいんですよ、先生としてね。

【森主査】NHKで、著名人が母校に帰って話をする番組をやっていますが、あれをもっと制度化するということですね。

【浅利委員】そうですね。徹底的に、広範囲に制度化しちゃうんですよ。

【牛尾委員】経済同友会が40人くらいが4回くらい行っているんです。これは東京都の教育方針があって、なかなかいいものができて、それの委員長が女の人なものだから、全部、職場にずっと。大変効果が良くて、また行った人が勉強になるんです。こういうところで議論しないで、本当に行ってみて、経営者がすごい教育をされているわけです。おっしゃるように非常にいい。

 それから先ほど申し上げたのは、時代の流れがそのくらい大きな変化が避けられないから、山下さんがおっしゃるように「いかに生きるか」ということに真っ正面から取り組まないと、この問題は解決しないということなんです。教育の技術論ではなくて。

 だから、それをやる最大のチャンスに、この国民会議が来ているんだから、例えば美しい言葉、説得力のある言葉でないと心が動かないのに、森総理一つとっても非常に言葉が乏しいわけね。

【浅利委員】日本人は日本語を大切にしようと。

【牛尾委員】きれいな言葉、教養のある言葉を使うということは、ものすごく大事だと。それから、もう一つはこの後、山折さんが話されると思いますが、宗教のある国とない国という、教会を持って日曜学校があって、牧師さんがということがある。

 また、日本の宗教の無力さというものがなぜ欧米と違うのだろうかということなども、一つ大きなポイントだと思いますが、教育問題だけで対処できない時代の流れを、教育を突破口にしてやるんだというくらいの決意を持つ必要があると思います。

【浅利委員】文部省は我々が教育現場に入るのは不愉快なんですか(笑)。

【寺脇政策課長】いえ、全然そんなことないです。

【今井委員】先生はとってもうれしいですね。

【寺脇政策課長】ぜひそれをお願いしたいということで、地域の方々にたくさん入ってきていただけることができるよう、さまざまな制度上ネックになっていた部分をどんどんなくしています。

【高等学校課長】保護者や地域の人々の積極的な参加や協力を促すなど連携を図るよう、配慮する必要があると思っています。

【山折委員】実感的なことを申しますと、60代・70代の世代と40代・50代の世代の間にものすごいジェネレーションギャップがあると思うんです。これが現在の日本の教育の混乱の深層の部分での大問題ではないかという気がしております。

 どこがどう違うかというのは、僕は60代の後半ですけれども、一つは、人生には人間の力ではどうしようもないものがあるんだということを感覚的に知っている世代だと思います。ただ、40代・50代といういわゆる団塊の世代ですけれども、人間の力でやれば何とかなるという信念みたいなものですね。これは徹底的に戦後教育で植えつけられてきていると思います。ですから、人間を超える力、人間を超えるさまざまな要因に対する感覚が非常に鈍いという感じが僕はいたします。

 そういう点からいたしますと、僕らの世代は、戦後の新しい教育はそれはそれでいいということを一応頭では認識しながら、しかし同時にそこにはどこか嘘っぽいところがあるという感覚を僕らは持っていたと思うんです。60代・70代というのは、みんなそういう実感のようなものを持っていますね。要するに、人間には本質的には限界があるんだという感覚が40代・50代にない。希薄である。

 そのジェネレーション・ギャップがあるところで、前の世代が後の世代に対して、そういう問題があるということをきちんと伝達できていないところが問題なんですね。これは非常に根が深いので、僕は一時期は「団塊の世代が一度は日本を滅ぼす」と思っていたんですが、それは冗談半分に言っておりましたけれども、どうもそういう方向に来ていると思いますね。

 そこで、今日の現状ですが、官僚もマスコミの中堅幹部もほとんど40代・50代で占められるようになっていますね。そうしますと、全体として教育の見直しをやろうというときに内面的な支持が非常に得にくい状況に僕はあると思う。これが、この会議を「国民化」していく場合に非常に難しいという気がします。

 その2つのジェネレーションをどうスイッチさせるかという、その技術といいますか、方法が非常に問題になると思いますけれども、私は考えますに、浅利さんのお話ではありませんが、その2つの世代に橋を架けるのはやはり芸術しかないだろう。なぜ芸術と言うかといいますと、それは最後に人情に訴える力をもっているからです。どうもそれ以外にない。人情論がものすごく大事だと思います。情の世界と言ったらいいんでしょうかね。

 ここはあまり理屈とか、言葉とか、制度とかというものを、それも必要ですけれども、それだけに頼っているとこの運動全体がうまくいかないようが気がします。そこで、どういうふうにして、その両世代を結び付けるような会をつくるか、どういうテーマで結びつけるかといったような問題が大事になってくるような気がいたします。

【森主査】国際的にもそうでしょうか?

【山折委員】私は、これは日本に固有の問題だと思っています。というのは、第2次世界大戦によって、価値観が逆転したのは日本です。ドイツはそうではなかったと思います、僕の勘では。アメリカはもちろんそうではない。その深刻さみたいなものがここに来て、出てきた。

 だから、個々の事件はアメリカに比べてそんなに憂慮すべきことではないような気がします、比較をすればですね。もっと向こうの方が厳しい状況だと思います。それにもかかわらず我々が全体として一種のパニック状態になりオタオタしはじめているというのは、今言ったような問題があるからではないかと思います。

 だから、文部省の官僚の先生方が、腹の中でどういう感覚を持ってこの会議を受け止めておられるか、それも非常に僕は不安なんですよ。

【浅利委員】ある意味では、この教育問題は世代を結び付けるきっかけにもなるし、チャンスにもなり得ますね。

【山折委員】そうですね。だから、新聞社の幹部は、さっきおっしゃったように我々のこの仕事をウオッチしています。隙あらば批判しようとしている。その気持ちをどこかで和らげておかないとどうもうまくいかないということですね。

【森主査】学校で芸術教育が軽視されているというね。

【河上委員】文学とか哲学とか思想とかいうのは、小、中学校ではほとんど問題にしていないと思います。

 ですから、さっきお話がありましたけれども、例えば浅利さんが来て、人生とは何かを語るなんていうのは、生徒にとってものすごいショックでしょう。

 埼玉では、県の事業でそういう人たちを呼んで、年に1回とか2回、講演会をやれというのがあったんです。ところが、お金が安いのと人を呼んでくる手だてがなくて、なかなかいい人が探せません。もしそういう人たちが来て、生徒に日常的に話すということがあると、随分違ってくると私は思いますけどね。

【浅利委員】大きな会合になって、謝礼をもらってかえってみんな忙しいから行かないということになるんじゃないですか。そうではなくて、我々が参加しなかったら、世の中がおかしくなるんだから、みんなでやろうじゃないかと。1年間のうち何十時間か教育者になる、そういう自分が選択しようという、ボランティアですね。

 立派な県民会館みたいなところに行って、先生方を相手にしゃべるのではなくて、小学校の学校の教室に行って話すというね。何年何組は僕がやり、何年何組は別の人がやるということでいいんじゃないですか。

【森主査】そういう人には税金を少し安くするとか。

【浅利委員】それはありがたいですね(笑)。

【藤田委員】千葉県なんかは、スクールアドバイザー制度という登録制の制度をつくっていますね。そういう制度をもっと広げていけばいい。子ども向けの講演会のようなものも含めて、いろんな形で活用できるようにしたらいい。謝礼は安いけれども、私も何回か行っています。謝礼は安くていいし、もちろん、まったくのボランティアでもいいと思う。そういう登録制を県や市で整備して、そのリストの中から各学校が頼めるようなシステムを広めていくのもいいんじゃないですか。

【森主査】今、思い出したんですが、未来学者のトフラーが今から30年くらい前に、「未来の学習」、ラーニング・フォー・トモローという本を書いているんですが、その中で学校ごとに“メンタール”という言葉を使っているんですが、地域の住民で学校教育に協力してもいいという人を登録しておく。それはもちろんただですよ、登録ですから。そうすると、いい点が2つある。1つは、子どもは自分のお父さんしか大人を知らなかったのに、全然違う大人と接することができる。学校に来るメンターの人も、子どもと言えば自分の子どもか近所の子どもしか知らないのに、違う子どもと接するという、そういうメリットが相互にあるということを今思い出したんですが、開かれた学校の時代ですから、何とかそういう制度化することを具体的に提案できるといいですね、ここでは。

【浅利委員】我々みたいに目立つ商売の人間だけではなくて、キャリアのあるお母さんとか、本当に七十幾つのご婦人で町でずっとやってきた人とか、みんなでやったらいいと思うんです。

【梶田委員】芽は出ています。今まで小学校1年の生活科とか、今、3年から6年まで、あるいは中学をやっている総合的な学習の試み、これの中で地域の方を次々に呼んできてやるというのはいろいろなところから出ているんですね。ただ、これがまだシステマティックではないです。

 だから、今おっしゃるように、例えば市民全部に呼びかけて登録してとか、こういう形でせめて年間何時間以上はそういうのを聞くようにとか、そういうシステマティックなことをやるといいですね。

【森主査】人間の生活ほど総合的なものはないんですから、総合的学習の中に人生論とか、何かそういう総合的学習のケースはやっているんですか?

【寺脇政策課長】もちろん人生を通して社会に出ていくことを考えれば、それこそ芸術などについても考えられるように、先ほど資料を少し読み上げさせていただきましたけれども、そういう視点を取り入れる方向へ向かっていると思います。

【森主査】人情論もやっていますか?

【寺脇政策課長】はい。やっているところもでてきていると思うのですが、ただ、現実にまだ今まで学校というのはそういうことを一切やらずに長年来ておりますから、いきなりそれが全国の学校で津々浦々でサーッと全部できるようになるまでに時間を要していたり、ネックが、それは役所側にも問題があったり、学校の現場にも問題があったり、あるいは地域の方々もなかなかやってみようという気にならなかったりするようなところがございますが、これはぜひ乗り越えていかなければいけない部分だと思っておりますので、こうした会議のご意向が出てくれば、ますますそっちの方向へ拍車がかかるのではないかと思っております。

【浅利委員】小学校に行くのに投票に行く時だけというのはまずいですね(笑)。

【生涯学習振興課長】実は2001年がボランティア国際年でございまして、私ども福祉ボランティアは一説によると700万人程度もうおられるということですが、社会教育施設のボランティア、およそ50万人と私ども見積もっているのですが、これを当面100万人に拡充していこうと。そして、ボランティアのデータベース、データバンクなるものをそれぞれの地域で立ち上げていただこうと。

 私どもも嵐山にございます国立婦人教育会館にはボランティアのそういったネットワークを持っておりますので、これから地域の教育ボランティアを育成して、地域の教育活動や学校の活動に送り出していく。日本青年会議所やまた経団連さん等々も企業の人材を地域づくりに、学校づくりに生かしていくということでご協力いただけるような動きもございますので、もっとそういうボランティア育成の機運を盛り上げていきたい。

 そのためのきっかけづくりの部分をどういう形でつくっていくのか、データベースをどうつくるのかというのが今後の課題かなと思っております。

【田中審議官】もう一つ、地域の方々に学校で教えていただくというようなことで、免許がなくても特別非常勤講師として教えていただくという制度を今つくっておりまして、小中高あわせて申し上げますと、全国で平成10年度で6,000件くらい、特別非常勤講師という形で学校で教えていただいておられる方がおります。今のところ、看護学科にお医者様が来るなど専門的な職業に就いておられるような方もいらしゃいますが、中にはうどんを打つ人が各学校に行って、うどんの打ち方を教えているとか、お花とかお茶を教えておられるとか、和太鼓の先生が行って音楽の時間で和太鼓を教える時間を設けてやっているとか、そういうのも少しは芽生えてきております。

【寺脇政策課長】今のボランティアバンクも文部省から言われると嫌だという方も結構いるんですけれども(笑)、国民会議からの要請なら応えていただけるのではないかと思います。

【森主査】ボランティアの市場性原理で。

 時間が来たのですが、きょうは割合具体的な提案も出たわけですけれども、IT革命の話はちょっとは出ましたが、これからますます道徳の退廃ということがきょうの主眼だったと思います。それをどう克服するかという、文明論的な問題がありますが、その文明をつくり出したのは人間ですから。私は、いつも思うのですが、テクノロジー・アセスメントが出てきたのは公害問題なんですね。今、人間の心が公害で荒れているので、そういう技術をつくり出した人間のアセスメント、つまりヒューマン・アセスメントの時代ではないかと思うんです。それはまさに教育改革なんです。

 だから、文明論的に「世の中の流れはこうだから、仕方がない」ではなくて、そういうことをつくり出した、そういうものをつくり出した人間の改革をするのが教育改革ではないかと思って聞いてきたのですが、そのための具体的な提案を次回もう少し整理して煮詰めて討議したいと思います。

閉 会

【森主査】本日はどうも長い間ありがとうございました。

─了─