教育改革国民会議

教育改革国民会議第1分科会(第4回)議事録

教育改革国民会議第1分科会(第4回)審議事項



時 間:平成12年7月7日 16時00分〜18時00分

場 所:東海大学校友会館

出席者:浅利委員、今井委員、梶田委員、勝田委員、河上委員、曾野委員、沈委員、森主査、山折委員、田村委員、銭谷室長

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  1.一人一人が取り組む人間性教育の具体策について
      (国民運動を目指す基本計画の策定)

【森主査】皆さんこんにちは。どうもお忙しいところ、きょうはありがとうございました。第1分科会の第4回目の会合を開きたいと思いますが、会議も折り返し地点に入りましたので、そろそろまとめの方を向いて御審議いただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 きょうは山下委員が欠席ですが、田村委員がきょうお見えになっておりますので、どうぞ御自由に御発言をお願いいたします。

 それから、きょうのテーマは、お知らせしておきましたように、「一人一人が取り組む人間性教育の具体策について」ということでありますが、ここは国民会議ですから、国民運動を目指さなければいけないので、その基本計画の基礎といいますか、それになることかと思います。お手元に資料がありますが、ほかにもたくさん資料がありますので、資料については事務局の方から御説明お願いいたします。

【銭谷室長】それでは、本日お配りをさせていただいております資料について御説明申し上げます。最初に「一人一人が取り組む人間性教育の具体策」というA3の表がございます。これは、森主査の御指示で、これまで委員の方がこの分科会で御発言をいただきました具体策について表に取りまとめたものでございます。本日の会議の素材になる資料かと思っております。

 それから、前回までの会議で、委員の方々から、こんな資料があればということで御要請のありました資料を幾つか御用意をさせていただいております。

 まず、「全国生涯学習市町村協議会について」という資料でございます。これは生涯学習宣言都市や生涯学習の町といったようなことを標榜しております市町村が集まりまして、生涯学習推進のための協議会をつくっているということでございます。現在 144の市町村が参加をして生涯学習推進のための情報交換を行っているというものでございます。

次に、「教育の日について」という資料がございます。これはこの会議でも「教育の日」をつくってはどうかという御意見もございましたので、県や市のレベルでつくっている例を示しております。一つは、栃木県が毎年11月の第2土曜日を「教育の日」と設定をして様々な事業を実施しております。埼玉県の大宮市では、毎月第1土曜日を「大宮市教育の日」と設定をし、事業を行っております。

 参考までに国では、「教育・文化週間」を閣議了解で設置をいたしております。11月3日の文化の日を挟みます週を「教育・文化週間」といたしまして、各般の行事を行っております。

 次に、各都道府県で県民運動として人づくり、あるいは青少年のいわゆる健全育成運動を行っている事例を幾つか集めてございます。最初は、静岡県の例でございます。静岡県では、「静岡県人づくり百年の計委員会」というものをつくりまして、この委員会が知事に提言を出しております。「意味ある人をつくるために」との提言に基づいて様々な県民運動を展開しているという資料でございます。

 福岡県は「青少年アンビシャス運動」を今展開しております。「青少年アンビシャス運動百人委員会」をつくっておりますが、その会長は江崎玲於奈座長でございます。現在この百人委員会でいろいろなことを検討して、来年の春ぐらいに、百人委員会の報告を受けて具体的な取り組みを始めようということで現在執り進めているというものでございます。

 最後に東京都の「心の東京革命」の取り組み方向の素案の概要版をお配りさせていただいております。「心の東京革命・七つの呼びかけ」を提唱いたしまして、今年基本方針や行動案を取りまとめて運動を展開していこうというものでございます。

 以上、三つが県民運動関係の資料でございます。

 それから、先般も話題になっておりました「トライやる・ウィーク」についての資料を3種類御用意させていただきました。この「トライやる・ウィーク」は、中学校2年生が1週間程度いろいろな事業所、施設などにおいて労働の体験活動を行って経験を深めていくという授業でございます。兵庫県教育委員会が中心となりまして、兵庫県内の中学校で実施をしているものでございます。最初のものが、その概要がわかるパンフレット、次が「トライやる・ウィーク」の活動の概要をそれぞれの立場の方から御報告いただいております。

3種類目が「トライやる・ウィーク」に係る不登校生徒への指導・支援の事例調査のまとめでございます。いわゆる不登校の子どもはなかなか学校には来ないわけでございますけれども、「トライやる・ウィーク」の期間中、職場体験等の活動に参加をいたしまして、その後、学校にも登校するようになったという事例がいろいろ報告されておりますので、それを取りまとめたものでございます。1年生のときに不登校の生徒が 1,274人いたわけですが、そのうち、「トライやる・ウィーク」に全日参加をした生徒が 658名、実施後2カ月後に登校率の上昇した生徒が 256名というようなデータが出ております。こういう職場体験活動が登校、あるいは子どもの生活にいい影響を与えているといった調査結果でございます。

次の冊子は、前回、森主査からお話しのございました「キャンプに参加した小中学生の生活体験の特徴」という資料でございます。国立オリンピック記念青少年総合センターが、「自然体験活動中の安全に関する調査研究報告書」を出しておりますので、その概要を記したものでございます。これは安全管理等にどのような配慮したかとか、こういうキャンプ活動などを通じて、子どもたちがどういうふうに変容したかといったようなことがわかる資料でございます。

次の冊子は、「通学合宿の全国調査」という資料でございます。これは沈先生からも同様のお話がございましたけれども、子どもたちが一定期間、仲間と寝食や体験活動をともにして合宿場所から学校へ通うという事業の実態を調査したものでございます。全国 154カ所程度で行われているようでございますけれども、それが子どもたちの生活や学習にどういう影響を与えているのかを事例に即して研究したものでございます。これも御参考までにお配りをさせていただきました。 なお、この通学合宿の意義について、東京家政大学の伊藤教授がごく簡単に要点を書かれた資料も添付しております。

以上でございますが、なお、このほかに、机の上にいくつかの資料も置かさせていただいております。ひとつは第2分科会に今所属しておられます上島委員から、青年会議所の「たのもしい人間づくり推進委員会」のマニュアルブック、ワークブックができましたので、委員の皆様にお配りしていただきたいということで預かった資料でございます。

 もう一冊は、同じく第2分科会所属の藤田先生から、最近出されました著書を委員の皆様に是非読んでいただきたいということでお預かりしております資料でございます。

 最後は、第1分科会(第5回)資料、「教育基本法関連資料」であります。教育基本法につきましては、次回7月11日の第5回会議で御議論をいただくことになっておりますが、次回までの間、余り日がございませんので、本日教育基本法に関連をいたしました資料を用意させていただきましたので、大変恐縮でございますが、お持ち帰りをいただきまして、ごらんをいただいた上で、次回御議論いただきたく存じます。なお、次回も同様の資料は御用意する予定にいたしております。

 以上でございます。

【森主査】どうもありがとうございました。最後の教育基本法関係の資料ですが、これは次回までによくお読みいただいて、宿題というとまた変ですが、そういう意味でお渡ししておりますのでよろしくお願いいたします。

 なお、ただいまの御説明でもおわかりのように、いろんなことがすでに各地でやられているのですが、案外我々は知らないということなんです。今度の国民会議の提案は知らないで済まされない、全国民が知ってもらわなければいけないので、各地の事例を参考にしながら検討いただきたいと思うのですが、きょうは主にこのA3の資料、マトリックス、これを中心に議論いただきたいと思うのですが、きょうのテーマは「一人一人が取り組む人間性教育の具体策」、キーワードは「一人一人」ですから、一人一人には大人も子どももいるので、これは大人は何をすべきか、子どもは何をすべきか考えなければいけない。具体策ですから、人間の生活の場面はいろいろ変わるわけですから、生活の場面ごとに一人一人が何をなすべきかを考えなければいけないと、こういうことではないかと思います。

 それで、左の方の縦軸には、子どもの成長段階を、一応子どもから大人までと思ったのですが、横軸の方は、家庭、学校、地域という感じで、まず子どもに対してはどうか。大人に対してはやはり家庭、学校、地域。大人は自分自身が何をするかということと、家庭、学校、地域に何を働きかけていくかということが入っておりますが、それと行政として何ができるのか、何をしなければいけないのかということで、中に書かれています「挨拶をしっかりする」とか、これは全部皆さんの御発言を入れたものであります。

 ですから、これをごらんになりまして、もっとこれが足りないとか、これが重要だとか、まず最初はフリートーキングからいきたいと思うのですが、どうぞ、しばらくこれをごらんになってからでも結構ですが。

 これを全部一度にできるわけはないので、かねがね申し上げておりますように、一番大事なものは何か、一番最初どれから取り組むかという観点で、家庭で一番大事なものは何か、学校では何か、地域では何か。

【浅利委員】「国語における古典の重視」は必要だと思います。私は全体に読み書きに対して「話す言葉の教育の重視」というのをずっと一貫して申し上げてきたので、敬語も話す言葉の教育の中にあると考えております。ですから読み書きに偏重している日本語の教育を「話すことを重視する」というふうにしていただけるとうれしいですが。フランスの初等教育でラシーヌの名ぜりふを小学生に教えています。そういうようなことを私としては考えたわけです。例えば、『平家物語』の冒頭や勧進帳の長せりふの一部やいい和歌などを音読させると美しい日本語に対する語感が生まれると思います。

【森主査】これはたしか曾野委員が。

【曾野委員】私は自分の文章が現国に載っていたことがあったので、あんなのやめちゃえと思いました。それでもっといい古典をと言ったと思っておりますが。

【浅利委員】イギリスの大学で、ケンブリッジやオックスフォードで、ことしからシェークスピアの講義がなくなったんですね。それはやっぱりイギリス文化に対する軽視だという議論が大分起こって、これから先、イギリスのインテリゲンチャがシェークスピアを知らないとまずいのではないかという議論が大分あったようなんですが、この間、イギリス人に聞いてみたら、余りにもシェークスピア、シェークスピアで行き過ぎていて、またシェークスピアも余りにもわがままな解釈が多いものだから、少し時間を置くのだというようなことを言ってらした。いろんな考え方があるのだと思ったのですけど、言うなればシェークスピアに類するような言葉があれば、それは私は話し言葉として教育に取り上げてもいいと思うんです。

【梶田委員】どの程度どこから入れるかは難しいのですけれども、今のシェークスピアだって今の言葉ではないですから、英語が違いますので、難しいのですが、日本で余りにも古典を軽視しすぎてきた。イギリスやフランスやドイツに比べれば全然それは違うわけですね。昔のことを言うわけではないけど、藤原俊成(平安末期〜鎌倉初期)が、本当の感性を養うには古くからのいい歌知らなければ、桜見て感動するだけではだめだということを繰り返し繰り返し言っているわけですね。奈良時代からそういうことを言われているので、私は長い文章でなくてもいいと思うんです。今の和歌でもいい。ともかく我々の先人がずっと大事にしてきた言葉、言葉というのはその中に一つ感動のとらえ方があるわけですね。だから、そういうものを大事にして、我々が受けとめてやっていかなければ、すべてが薄っぺらになっちゃうと思う。

 ですから、この中身の詰め方を難しいのですが、私はここに「古典」が挙がっていることは非常に重要なことだと思います。

【浅利委員】それはおっしゃるとおりだと思います。私がちょっと心配したのは、余り難しい長い文章を子どもに押しつけるとかえって反発する。和歌、古今とか新古今とか、あるいは万葉でもいいです。「祇園精舎の鐘の声」に始まるような美しい文章であるとか、今、短い文章とおっしゃられたですけど、うまく教材を厳選されればいいと思います。

【森主査】教育論的にはあらゆる教育は模倣からスタートするのですから、模倣するにはいいものをまねた方がいいので模範だと思うのですね。ですから型に入って型から出るという陳腐な言葉になりますけれど、そういう意味での古典ということなんでしょうね。

【浅利委員】少し広げていただきたい。私は俳優たちに詩の朗読を教えています。だれだって『千曲川旅情の詩』は知っていると思う前提に立つと、今の子はだれも知らない。だから藤村までは古典というふうに考えていただいたらありがたい。

【森主査】藤村を、阪神の藤村だと言った人がいて(笑)、当時、藤村が活躍しているころ、これは朝日新聞で書いていましたけれども。笑って当たり前、現在でもたくさんありますけれども。

【曾野委員】学校が行うことと家庭が行うことを、もちろん一応分けてごらんになっていただいたのだと思いますが、例えば、敬語というのは、私は学校ではなくて家庭の教育だと思っております、本当は。両方なんですね、つまり。ただ、どっちに責任を持たせるかというと私は家庭だと思う。

 そうすると今度は敬語を使えないという親が出てくるわけですね。だから、私はできませんから先生教えてくださいという。それはお母さんが週刊誌ばかり読んでいるからで、さっき現代文学要らないなんて言いましたけれども、やっぱり谷崎潤一郎とかああいうのを読むと、本当にいい敬語というのが出てくるわけですから、親に対する読書の意識をもっと強力にすすめなきゃいけない。また、例えば皿洗いとか料理、これも私は家庭の義務だと思います。ごはんが炊けるか、みそ汁がつくれるか、何でもいいんですけど、今、雑巾がけと言わないんですね。掃除機をかけるのでも何でもいいんですけれども、掃除、洗濯、料理の基本というようなものは男女を問わず家庭教育の義務です。コンビニでずっとおかず買って暮らしている夫婦のことがいつかテレビに出ましたけれども、それはだめなんだという意識をつくるべきだという気がいたします。

 それから、笑いというのは真実を突きつけられたときに人間は笑うわけです。決して駄じゃれではないわけですね。そういうことの深い解説が要るということがありますし、そして、それの背後には人間が神でも悪魔でもなくて、その中間にふらふらしていて、そして卑怯であり、同時に偉大なものであって、その間に自分の目と他人の目が交互に交錯して、その間の光の中にいると思う。そして、その卑怯な部分で笑い、偉大な部分でしゅんとなる。そういう人間の現世における位置というものの自然さというものを教えなければならないわけですから、母親も父親もですけど、「自己教育の責任」というのをもう少し言ってもよろしいかと思います。

 それには「読書の必要性」と「テレビを消す時間」というのをつくらないと会話というものもあり得ません。つまり、家庭で行うことと、学校で行うことというのをお互いになすり合いして、自分の責任ではないと言わないような発表の御配慮をしていただくとよろしいような気がいたします。

【森主査】どうもありがとうございました。テレビで思い出したのですが、テレビを消す、消さないはチャンネル権は人間にあるのだから消せばいいのではないかと単純に言いますけれども、ついつけちゃうんですね。ですからドイツのテレビなんかは休憩時間というのがあるんですね。“パウゼ”というのがブラウン管に出て、休憩、見たくても見れなくなるんです。それから、夏休みというのがありまして、スタッフが夏休みでいなくなると、第2チャンネルは休みとか、だから、そういうふうに企業というか、放送する側も考えてもらいたいという気がしますけど。

【田村委員】きょう部外者なんですけれども。

【森主査】いやいや、そんなことおっしゃらずに。

【田村委員】きょうは是非一つだけ申し上げさせていただこうと思って来たのは、河上先生がよく御存じだと思いますけれども、今の親も子も一番困るのはマニュアル頼りなんですね。すべてがマニュアルに頼って生きているという感じなんですね。例えば何かを決めるときに、学校で決めてくださいというふうに親が言うわけです。学校へ出て来るときに、自転車で出て来るというのがテーマでありますと、出て来るかどうかを学校で決めてくれと言うんですね。学校で決めれば、それに従って家庭で教育するというような感じなんでしょうか。とにかく言われたことはちゃんとやるけれども、それっきりだという、親が完全にそうなんですね。

 マニュアル世代というのは、今のちょうど中、高の親の世代がまさにマニュアル世代が始まった時代でありまして、それがダブルで子どもに出てきているというのが実感としてあるんですね。マニュアルに頼るような生き方がどこから生まれてきたのかなと思うんですけれども、明らかに今の中、高の親の世代は確実にそうなっていますね。だから言われたことはやるという感じなんです。だから、そこのところをどういうふうに、人間性教育という問題、人間性教育の非常に重要な部分だと思うんですけれども、何とかならないものだろうかなと。

【森主査】親の責任ですから、親の教育をしなければいけないのですが、親の教育をしている間も子どもは育つわけですから、子どもの教育もしなければいけない。だから両方しなければいけないというので、子どもと大人に一応分けているわけなんです。

【田村委員】今の曾野先生のお話で料理のことをおっしゃっていましたけれども、本当にそのとおりだと思うんですね。料理をつくっているときに親子の対話は成り立つんですね。一緒においしそうなものをがまんしてつくっているわけですから。非常に子どもに言いにくいようなときもすっと親から子どもに言えるんですね。コミュニケーションの場としても最高だし共同作業になる。

 それが今マニュアルというか、コンビニで買ってきて食べるだけという、その部分、効率だけが強調されて、過程のところ、経過というプロセスが省略されているために、マニュアル頼りの生き方は、あらゆるところに徹底、普及しちゃったんじゃないかなという気がするんですね。これはどこかで気がついて直していかないと。

【森主査】ですから極論すれば、マニュアル依存から自立するためのマニュアルをつくらなければだめなことになりますね(笑)。

【田村委員】それはどういうふうに言ったらいいのか。

【森主査】しつけ方がわからないんですから、しつけのマニュアルはこうするんですと。

【銭谷室長】この資料は、主査の御指示でつくったわけでございますが、ここには今まで委員の先生方から出た具体策が入っているということで御理解いただきたいと思います。今の子どもに対する認識とその背景、原因、あるいは戦後の教育の評価、臨教審以降の教育への評価、れからの教育の基本方向など、そういう基本の認識はここには入っていないわけです。

【森主査】それは前文で出てくるので、ここは具体策の話ですからね。

【田村委員】その点で言うと言いかけたのでこれでやめますけれども、家庭のしつけで、自分の学校の生徒を調べてみて本当によくわかるのは、子どもの教育は、親は明るく朗らかに育ってほしいというのが第一なんですね。行動の基準は損か得かなんです。正義とか正直か、弱い者をいじめない、正しく生きているか、そのたぐいのことが親から子どもにほとんど伝わってないですね。ですから、生きるというのは、そういうこととはかかわりなく損得だけですから、マニュアルに頼れば生きれるということになっちゃうのかなというふうに今思っていたんですけれどもね。

【森主査】そうだと思うんですが、曾野先生が先ほどおっしゃった親の責任といいますか、親の義務といいますか、あらゆる組織には責任者が単独責任でいるわけで、学校には校長がいるように、国には総理大臣がいるように、家庭の責任者はだれか非常にあいまいなんですね。父親でも母親でもいいから、だれか一人、総括責任者ですというのがいなければおかしいのに、私、附属小学校の校長やっているとき、家庭に電話しますと、まず大体お母さんが出るんですよね。いい話ならお母さんがずっと最後まで聞いているんです。困った話になると「ちょっとお待ちください、亭主と代わりますから」と、そうでしょう。

 大体責任の所在がはっきりしないのが一番いけないと思うのですが、これが男女共同参加でますます混乱して、家庭が多様化している、シングルマザーが出てくる。だから今、家庭というのは本当に危篤よりも臨死状態というか、そういう問題をどうするかということを考えておかなければいけない。

【田村委員】遅刻が多い子を呼んで、子どもにいくら言っても聞かないから親を呼びますよね。親は何と答えるかというと、理由を説明してやるんですよね。一生、これが習慣になったら大変だよと。「よくわかりました。じゃあ、帰って子どもと相談します」と答えるんです。子どもと相談する内容ではないと思うんですね。これは親の責任として、そういう習慣をつけるかどうかの話だと思うんですよね。

【森主査】そのとき、その親に教育されるんですか。

【田村委員】そのとき、私は直ちに、つい最近あったことだから申し上げるんですけれども、これは相談することではないんですよと。これはおやがしつけることですと。しつけというのが嫌いなら、習慣といってもいいんだけど、とにかく習慣として、例えば、朝、起きて顔洗ったり歯磨いたり、一日三度食事するのをいちいち子どもさんと相談してますかと、してないでしょうと。それは習慣としてしつけることですよと。そのことによって子どもの生活が健康になるのだから、それはあなたの責任なんだから、親としてやるかどうかということを考えてください、というふうに言って帰すんですけれども、なかなか直らないから言ってないのかもしれませんね。

【梶田委員】そういうことのいわゆる教師をつくらないといかんですよ。親がどうのこうのと、私ここで何度も言ったけど、それを言っても愚痴話でずっと終わっちゃうんですよ。家庭がだめになった。そんなもの、ずっとわかっている話なんですよ。

 では、どうやったら、それが直るか。では家庭手帳を配ればいいか、私はいいものだと思うけれども、あれを読むのは立派な親ですよ。本当に必要な人は読みませんよ。そうでしょう。父親学級して来る。それは立派な親ですよ。大体聞かんでもいいような人たちですよ。そうでしょう。

 だから、私は何度も申し上げたけれども、予見と変数分けないといけない。確かにおっしゃるとおりで、家庭で大変なことになっていると。あるいはコンビニがはやって、少なくとも京都、大阪だと「ローソンママ」という言い方があって、お母さんいなくてもローソンがあればもう大丈夫という、24時間面倒見てくれますから「ローソンママ」というんだけれども、じゃあ、コンビニをなくせば済むかとか、コンビニに依存しないようにしましょうと言って、学生が、なるほど、いいお話伺ってと、それであしたからコンビニに依存しないで、八百屋さんから買ってきて自分でこつこつやるようになるのか、そんなこと考えられない話でしょう。ではどうするかというわけですよ。

 だから私は前から、教育基本法でもそうだし、「教育の日」もそうだし、あるいは「母の日」や「父の日」に大々的に行政も何も母親に感謝し、ほめ殺しみたいなものですね。母親に感謝し父親に感謝し、母親というのは、本当はこういうものだから立派だな、すばらしいなということを全国的にキャンペーンする。「父の日」をやって、父というのはこういう役割するからすばらしいなというキャンペーンする。今の父は悪い悪いといっても、私はどうにもならないと思っているんです。「教育の日」、「教師の日」。私は教師が悪いから、今の子どもたちが悪いとは全然思ってないです。だけど、教師も親に言えなくなっているわけでしょう。

【田村委員】梶田先生おっしゃるように、教師もマニュアルなんですよ。だから言われないとできないんです。それは本当に徹底していますね。

【梶田委員】ただ、一つ、教師の場は、例えば採用試験で絞りかけれる、初任者教育でやれる、5年受験、10年受験、15年受験、4回でやれるわけでしょう。まだ、ここで再教育する手だてがあるわけですね。だから、これはいわば予見でなく変数の方で考えるわけです。変えれる方でね。

 だから、私たちは何が変えれるかという、その変えれるものと、それから、何がこういう事態をもたらしているかという原因の連鎖とちょっと分けて考えないといけないところがあるんです。原因の連鎖は我々は論議しなければいけない。しかし、同時にどこに働きかけたら、事態がちらっと変わってくるか、というふうに思うんです。

【森主査】教師にもそういう研修の機会がありますが、親は人生最初の教師だという自覚がないので、だから家庭教育手帳には、「人生最初の教師へ」とか、そういうタイトルで出して自覚を促すことを少しでも……。

【梶田委員】それは偉い学者の考えることなんですよ。なってしまったというのが多いわけですから、今。できちゃった結婚だって多いわけだしね。あるいは親というよりも子どもが欲しくて、例えば子どもが欲しくて子どもができた、万歳という、親としてというのは、二の次三の次という場合もあるわけですね。問題はおっしゃるとおりなんだけれども、それが人生の最初の教師であるということを自覚させるにはやはりかなりのショック療法というか、何かふっと思うような場と方法が必要なんですね。

 これは全体主義国家ではないから難しいわけです。全体主義国家であれば、それは大きなセレモニーやって、旗立てて何かやれるかもしれないけど、えらい国家的な指導者が演説すれば、みんな涙流して喜ぶかもしれないけど、そういうわけにいかない。それもまた予見でしょう。そういう予見の中へどうやったらはっと思ってくれるかという、ここを私はみんなで考えないといけないと思うんです。

【森主査】そうすると「子どもの日」なんかやめて、「父親の日」とか「母親の日」をつくって。

【梶田委員】あるんです、父親の日も。

【森主査】法律上、「子どもの日」というのは、母親に感謝すると書いてあるんですね。父親に感謝すると書いてないんですよ、法律になぜ、父親に感謝すると書いてないのか、いつも思うんですけれどもね。

【曾野委員】父親に関しては、私は土木の現場に長いこと入っておりまして、それで土木の現場になぜ奥さんと子どもを入れないか不思議でした。可能なんですね。ふだん動いているときは、危険なんですけれども、休みの日もあります。その日は、例えば隧道といえども、きれいに空気は澄んでおりますし、重機は動いていないし、そういうところで、お父さんたちがどういうことをしているかという説明をする。役所もそうなんですけれども、そういう日をお設けになったらどうですか。女性の職場も同じです。

 それから、常にそういうことをやる場合に両価性を教えなければいけない。つまり働いているお父さんだけが偉いのではないんだと。病気で寝てても一生懸命生きようとしているお父さんも偉いんだと。この両価性というものを絶えず同時に教えるということをやらないと私はだめだと思います。

【浅利委員】母親の教育方針のだらしなさについての批判は同感するところもあるんですけれども、しかし子育てに苦しんで迷っている母親もかなりいるわけで、そういう人に対して非難だけじゃなく、一緒に現代の社会の中で子どもを育てる苦労を分け合おうじゃないかというような提言、そういうアプローチがあった方がいいのではないかと思います。

【曾野委員】核家庭だからみんな悩むんですよ。けんかしながら、おばあちゃんがいれば、みんな教えてくれる。

【浅利委員】私は37年間小学校6年生の子どもたちのためにミュージカルを見せて、もう 1,000万人以上になっています。テーマは各作品によって変わりますが「愛」、「信頼」、「連帯」、「自己犠牲」などです。子どもたちは自己犠牲とか連帯、信頼が生む感動をちゃんと客席で感じてくれています。

今年のテーマは「家族愛」です。開演の前は、ワーワー、ギャーギャー、大変な騒ぎです。これは30年前の子どもと今の子どもと今の子どもと少し違う。一たん幕が開いてドラマが展開しだしたらピタッとついてきます。静かに見て感動してくれているんです。今年の物語は『二人のロッテ』という双子の子どもが、それぞれ離婚した両親に引き取られて別々に育つのですが、夏休みの子どもの家で出会う。そこで自分たちが双子だということに気がついて、入れ替わって父親と母親のところに帰る。そして母親と父親をもう一回出会わすというケストナーのという人の名作ですが、それをドラマ化しています。

子ども心というものは全然変わってない。それから、全国から観劇後の作文が集まってきます。それぞれのブロック、札幌、仙台、東京、横浜、大阪、京都、名古屋、広島、北九州、福岡とこれだけの土地から作文が集まるのですが、これを読んでも全然子どもの心は変わってないなと思います。この三十数年間。

 今年の大きな変化といえば、劇を見たその日に6年生がメール打ってくたことです。去年の8月以来、ITが大きく動き出したということがわかりました。

 話は変わりますが、実は小学校の現場へ少し入ってみたのです。気がついたこと申し上げますと、30人学級の提案にもそれなりの意味はあると思いました。たくさんの子どもを抱えて、その中に、河上先生がよく指摘される異常な子どもが2〜3名いると、それを追っかけ回すことでかなり時間が使われてしまう。先生方がまともな教育をできない状況がある。

 ですから河上先生がおっしゃったように、非常にエキセントリックな子は別の枠で育てるとか拒否できるというようなシステムを組むことが必要ですね。それと少人数の学級にして、先生方がそれを情熱持って扱う。国費を相当食うと思いますけれども、必要ならばやるべきでしょう。これが一つです。

 もう一つ気がついたんですが、一般的に先生方がすごく高齢ですね。

【森主査】そうですか。

【浅利委員】自分の父や母よりもずっと年上の、おじいさん、おばあさんに近いような年齢の人が相手にしているのでは、子どもが果たして心を開くのかと思いした。また、先生方は疲れ切っていますね。生き生きしている人は少ない。教師という職業も大変なんだなとつくづく思うんですが、若い先生方がもっと採用されるような形に何か工夫して、教師の年齢の若返りを図らないといけないのではないでしょうか。

【森主査】地方の教育長さんと話していると、今、子どもと遊んでくれる若い先生が欲しいというんです。もうコンピュータとかそれ以前にね。だから遊んでくれる臨時教師とか、何かそういうのを正規でなくても考えられるといいなと。

【浅利委員】今、昔の師範学校出た・教育大学出た連中がみんな就職できないでいます。N響というオーケストラがありまして、芸大出た優秀なプレーヤーがだれも入れない。高齢の楽員が座っているから、エキストラしか仕事がないという、ちょっとそれに近い状態があるのではないかなと感じましたね。

【森主査】今の感動の話ですが、感動というのは一時的なものなんですよね。それで、教育の場合には感動だけで教育できない。感動も必要なんですが、日常的な感化というのが必要なので、感化をするにはやっぱり模範を示すような人がいないといけないので、感化と感動が結びついたときに教育効果がぐんと上がるのだと思うんですね。だから感動の方はいろんな形でできると思うんです、ショックを与えたり、問題は感化の方なんですね。

【浅利委員】文部省はこの問題をどういうふうにお考えになりますか。

【銭谷室長】今、浅利先生お話しの中で、まず先生の年齢の話ですけれども、これは確かに上がってきてまして、今、先生の年齢を5歳刻みでとりますと、一番多い年代が40から45歳でございます。その次に多い年代が45歳から50歳。これは小学校の例でございます。中学校になると少し若いのですが、これが少しずつ山が高い方に動いてきているという実態がございます。

 ですから第2分科会でも若い先生欲しいなという声は大分出ておりました。

【浅利委員】危機的な状況なのに随分穏やかに言いますね。

【銭谷室長】個人的なことを言いますと、私の息子が通っている公立の中学校は、学年5クラスですが、昨年は一番若い先生が45歳ということでした。やっぱり子どもから見ると高いなという感じはすると思います。

【教育助成局審議官】クラス規模は、小学校は27.2人で、中学校が32.4人が平均でございます。

【浅利委員】27というのは非常に少ないですよ。

【教育助成局審議官】したがいまして、小学校で申し上げますと、21人から30人のクラスが31%ございます。31人から35人までのクラスが約30%、36人以上のクラスが19%、これは小学校でございます。中学校になりますと36人以上の学級が49%とほぼ半分でございます。

 先ほどの年齢構成でございますが、ちょっと見にくいかもわかりませんけど、この35から45ぐらいまでドーッと中年がふくらんでおるところでございまして、50代は今少ないわけでございます。したがいまして、退職者が少ないので新規採用ができないと。第2次ベビーブームのところに、ここがいっぱい採用したということでふくらんでおると。

 したがって、今、平均年齢は41〜42なんでございますけれども、一番心配なのは、これから10年たつと、ここが上がってくるということで本当は一番心配でございます。

【浅利委員】何か対策考えないといけないのでは。

【梶田委員】今、文部省がお進めになろうとしている地方分権、つまり地教委、市町村教育委員会にもっと実質的な権限を、実質的なというのは何かといったら、今、地教行法で一応建前としてはあるんですよ。でも実際にはなかなかできなくなっていますね。それを実質的に動かすということを今進められようとしていると私は見ているわけですし、それを非常に期待しているわけですけれども、そうなりますと私は随分変わってくると思うんです。今いろいろと縛りがあって、下手に報告するといけないものですからあれになっておりますが、私はいろんなところへ行っておりまして、長野県の山奥の学校とか、和歌山県の山奥の学校では、町が別の金で若い先生を雇っているんです。そうしないと複式になるのですね。多分そういうのは報告してないと思うんですね。

 いつかありましたが、あほな学校が、こういうことをやっていいですかと言って問い合わせたのでだめだという話になったという、あんなのは長野県へ行くと、何てあほなことをやると。そういうのは町でやるもので、報告するものではないという話なんですね。そういう話をよく聞くんですが、特に私は学校というのは、田舎はそれなりの工夫してやっていると思うんです。

 あるいは今の年齢構成でも、大阪の北部は地教委が自主性が高いところですので、私も8年教育委員していたわけですけれども、私の箕面市でも、隣の吹田、豊中、大体校長さん1年、2年で定年まで早く肩たたきをしています。なぜかというとあけないといかんわけです。そのかわり勇退校長を送る会に市長、助役全部出て盛大に送ります(笑)。それはそうですね。1〜2年早くおやめいただくわけですから。ことしの3月にも豊中、吹田等々、あるいは箕面もそうですが、2年早くの勇退大分出ました。そうやらないと少しでも20代を入れられないわけですね。

 それが、今、個別の、場合によっては非常にあいまいな形で工夫している部分もあるんですけれども、もし今の地方分権、お金の方はある一定出すけれども、人員の配置、学校への配置等々は地教委の責任でやってくれということを本当に徹底したら、私はかなり、はっきり言うと、市長やら首長さん、憂慮しているところいっぱいあるんですよ。それはだって子どもと遊べませんもの。町の学校では平均すると、今の43〜44になっている。大体田舎から回って町へ行くことが多いんですから、町の学校では先生の平均が50前後が随分あります。30代、20代が全然いないというところもかなりあります。

 ですから、そういうのを町のいわば責任で、それこそ教育委員会だけじゃなくて、首長さんが先頭に立って工夫をするという、その気風を醸成していただかないとという気がしますね。これは、私はこの機会に是非お願いしたいし、場合によっては何かの形で、そういう地域からの、草の根からの教育のサポート、これは民生委員とかそういう学校教育界だけではなくて、地教委、あるいは市町村自身がもっと工夫することだということは是非入れていただきたいと思います。

【森主査】今、文部省はどうぞと言っているんですよ。

【田村委員】第2分科会でやっているんですよ。

【河上委員】私は57ですから、ここで攻撃される対象になっているわけですが(笑)、ちょっとそう簡単にいかないのではないかという気がします。例えば現実の教師の状況を言うと、私は年ですが、どちらかといえば、生徒と一緒に遊んだり、表で動くのは大好きな方なんですよ。ところが年々入ってくる若い人たち、これは40代も含めてですけれども、基本的には嫌いな人が多いようです。どちらかというと職員室にずっといて、私はパソコンなんて使う気が全くないんですけど、そういうのをいじっている人が多い。例えば6時間目が終わって、パッと部活に出るというのは、どちらかといえば年寄りの教師の方が多くて、若い先生方はどちらかといえば職員室にいるというのが多いです。

 若い先生ならば、年齢が近いから子どもと一緒に遊ぶだろうと単純に考えるのは多分まずいだろう、そんな感じがします。ということは、学校の役割がありますよね。私が教師になったころから学校というのは変わってきましたから、当然採用の側も役割の変化に従って採用することになりますね。学校の役割が一体何かということで教育委員会が採用するわけですから、今ここで話し合っているような、教師が子どもと一生懸命遊ぶというのがいいんだと、そういうふうにはなってきてないのではないか。

 若い教師の中のどういう能力を持った人を雇うのかという問題なのです。私は、自然体験とか肉体労働するとか、そういうようなものが学校の中の一つの軸になるということが必要だと思うのですが、そういう身体性を持った人を雇うというのが現在重要視されていないと思います。

【浅利委員】おっしゃるとおりで、今、就職難の時期ですね、教師にとって。だからこそ、こういう資質持ってないと教師にはなれないという条件を出して、そのシステムに適応するような人を採っていくということがいいのではないでしょうか。さっき20人学級もあるというお話だったですけれども、30人以上のものはかなりのパーセンテージですね。

 私は実はこの話を、二十何年小学校の先生をやっている、私のひと回りぐらい下ですから、53〜54歳ぐらいの女性、私のところの劇団の女優の母親なんですよ。その女優の方は教育大学出て役者になっているんですが、親子で話聞いたんですが、やっぱり40人近く扱っていると。その中に非常に、河上先生御指摘のような異常なエキセントリックな子がいるので、それを追い回すので非常に苦しいのだということを言ってましたね。だから実感持って聞きました。梶田先生、北の方の大阪と言ってらしたが、この人は河内なんですね。河内で40人で、そこの中に暴れん坊がいたら大変だなと思ったんです。

 その娘が、親が教員であるにもかかわらず、親の教員の前で、学校の先生、年取り過ぎていると言うんです。そうすると母親の方も「そうよね」と言ってましたね。

【田村委員】第2分科会で議論されているんですけれども、結局こういうことなんですね。会社員だったら採用されて、だんだん職種が変わっていくというんですね。教員というのは、採用されたら最後まで教員というのが原則ですよね。だから職種が変わることが全くないから、若いときによくても年取ったらだめだというのはいっぱいいるわけですね、仕事の性質上。そういうことで、今、これは次回に議論するんですけど、分限転職というか、教員じゃない仕事に行くという道を開く、それが一つ。

【浅利委員】いいですね。

【田村委員】もう一つ、かなり真剣に議論されたのは、河上先生おっしゃるとおりでありまして、浅利先生がお感じになっているように先生は物すごく疲れているんですね。その原因は基本的に半分ぐらいしか働いてない、そういう実態です。つまり忙しいやつは物すごい忙しくて、暇なやつは徹底的に暇なんです。それが現場でだれも監督してない。有名な話ですが、ある地域で教員の研修というのを調べたんです。同じ学校で年間で80回行っているやつと0のやつがいたそうですよ。それを調べないと校長はわからなかったというんです。マネージメントみたいなことを何もやってないということなんですね。

【曾野委員】今のことなんですけど、80回行っている人と1回も行ってない人とお金はみんな自分持ちですか。

【田村委員】それはいろいろあるんです、研修ですから、出してもらうのもあるし、自分持ちもあるんだけど、だけど、とにかく一切そういうことをやらないで、定時になったらさっと帰っちゃうという先生が相当数どの学校にもいるんですよ。結局そういう人は周りが当てにしないんですね。だから、その人たちがやるべき仕事を忙しいまじめなやつが全部請け負うわけです。だから2倍ぐらい働かされるわけですよ。やることが嫌じゃないんですね。先生になるような人はまじめな人が多いから、だけど、現実には忙しいからといって人間を増やせばいいということではないということが、そういうところからわかってきちゃったんですよね。それで浅利先生のお話にそのまま、ああ、それは人を増やした方がいいというふうには私はどうも思えないんです。本当に徹底してだめなそうです、やらないやつは。

【浅利委員】この問題は第1分科会でやるのがいいのか、ほかの分科会がいいのか、この教育改革国民会議全体の差配の問題になっています。でも議論は必ずしていただきたい。カウンセリングの問題はその後どうなりましたか。

【森主査】第2。

【銭谷室長】第2でかなり話題になっています。

【田村委員】第2で取り上げていますね。

【銭谷室長】それぞれの分科会で、それぞれ議論したのを全体会に持ち寄ればいいと思いますので、それぞれが議論してはいけない、そんなことは一切ないです。

【浅利委員】私は提案の出し方さえよければあれはとても必要なことだという風に認識しています。

【森主査】企業の窓際族のようなのが学校にはないんですよね。だから問題なんですよ。みんな担任持たせますからね(笑)。

【浅利委員】企業の窓際族ではないですけれどもね。

【梶田委員】でも、やっぱりある程度はあるんですね。今、はっきり言うと、なかなかうまくいかない先生がいまして、一番うまくいかないときは、これはここだけですが、東京だったら都立教育研、大阪だったら大阪センターが野戦病院ということで一時預かってもらう。そこまでいかないのを学校の中でいろんな形で温存しているという部分あるわけですよ。それは公立。

 だから、さっきおっしゃるように、結局半分の人間しか働いてないということにもなるんですね。余り持たせたら、逆に言うと大変なことになりますのでね。それがさっきの分限転職だとか、場合によっては分限でおやめいただくとか、それができないからということがありますが、是非、その辺は第2で、また細かいところは詰めていかないといかんけれども、あり方ぐらいは、ここでも少し話し合っておくといいと思いますね。

【森主査】同じことは親についても言えるんですよね。親の資格のない、責任を果たせない親にはどういうことをするか。

【河上委員】やっぱりちょっとそこのところはずれがあると思います。これはどういう職業でも同じだと思いますが、ものすごく働く人と、まあまあの人と、適当にという人はいるのではないかと私は思うんですよ。例えば 100人いるうちで 100人ともものすごく働くような職場は多分もたないのではないかという感じがあります。どちらかというと余り仕事をしないで、マイペースでやっているような教師が仮にいたとして、生徒もいろんな生徒がいますから、そういう教師がいることによって救われることも当然あるわけですよ。ですからみんながみんな第一線で先頭切って走るような教師ばっかり集めればいいというのは私は違うと思います。

それから、もう一つは、さっき浅利さんがおっしゃいましたが、教師がものすごく疲れているというのは事実ですね。ところが疲れているというのは何がそうさせているのかというと、仕事が多いとかやることが多いから疲れているのとはちょっと違うと思うんですよ。というのは、昔を思い出してみると、30年以上前に私が教師をやっていたときにほとんどうちへ帰るのは11時、12時でした。夕方7時、8時まで部活やって、あのころはいいかげんでしたから、下校がどうのこうのと余り問題なかったんですよね。7時、8時までやっていて、それから職員室で飲んだりして教育論闘わせて、うちへ帰るのが11時、12時になって、次の日は朝練がありますから7時ごろに出てくるでしょう。そうするとものすごく忙しいといえば忙しいんですよね。ところが全然平気だったんです。自分がやっていることがいくらか先が見えるというか、意味がありそうだとか、そういうものがきっとあったのではないかと思うんですよね。

 今それがほとんど見えない状況になっている。ですからやってもやっても、どうも何をやっているのかわからん。あるいは自分がエネルギーかけてやっていることにちっとも自信が持てないし、先が見えない、振り回されている、そういうことがあると思うんです。ですから、どちらかというと、先ほどから出ているように、若い教師をたくさん増やせばいい、有能な教師を入れればいいというのは別に私は反対はしませんけれども、しかし、それだけでは事態を切り抜けることはできないだろうと思います。

 これは曾野さんなんかの専門だと思うんですけど、人間というのはこういう存在だとか、あるいはこういうような危機的なというか苦しい状況になったときに、どういうふうに向かっていくのか、そういうような生き方の問題がうまくつかめないから立ち往生しちゃうわけですね。

 どちらかというと、私みたいな年寄りの方が、そういう混乱時に、これはこんなもんだみたいな、見切りができたりなんかしていて、私なんかはちっとも疲れないんですよね。たいした仕事もしてないということがあるんでしょうけど(笑)。ですから事態をどう見て、どう生きるのかというような、そんな生き方の問題が、実は現在教師を疲れさせる根本にあるのではないかという気がしています。

【浅利委員】私も全くそう思いますよ。そういうふうな疲れだろうなと思って、先生の顔見てます(笑)。

【河上委員】ですから、それは厄介なんです。だから、若い連中ほど疲れが激しいと私は思っています。

【梶田委員】もう一つ、いつも私言いますけど、学校教育というのは同じ学校教育を教育基本法でやってますけど、地域によって全然違うんですよ、本当に。私は長野好きで行きますけど、あそこは、今、河上先生がおっしゃった、夜遅くまでみんなまだ目を輝かせてやっているところなんですよ。私はいつも提灯学はよくないと申し上げないといかんわけですけれども、それを支えている一つが今おっしゃった生き方の問題なんです。上伊那からですと駒ヶ根から、飯田、上伊那、下伊那の辺、あるいは松本、諏訪のあたり、ほとんどの小学校、中学校で、月1回、職員会議の後などに読み合わせというのをやっているんですよ。読み合わせというのは先生方の輪読会。三つポピュラーなテキストがありまして、いまだに西田幾多郎の『善の研究』と親鸞の弟子が書いた『歎異抄』、道元の『典座教訓』なんです。私、初め知らなくて、『歎異抄』やっているというので、「皆さん真宗ですか」と聞いて叱られましてね。真宗は真宗でも信州教育なんですというね。つまり、そういう古典ですから、ハウツーではありません。だけど、その古典の胸をかりて、催されて行うという、その言葉だけにこだわって、ずっと2時間論議する、そこから自分の生き方も考え、子どもをいろいろとアドバイスするときの物の見え方も違ってくるだろうというあれがあるわけですよね。

 私は日本の学校は全部大変になっているとも思わないわけだけれども、まだ、そういう火だねが残っているから。だから、そういうものがどうやったら拡大するかとか、といっても、一人一人が物理的に長い時間を学校に縛られるというようなことになっても、また、これは大変だしという、その辺の具体策をは第2分科会で考えてもらわないといかんけれども、私からあえて言うと、事実があるということはどこかで踏まえて書くといいなという気がしますね。

【曾野委員】疲労の問題ですけれど、何とかして先生方の体力を有効にお使いになって、うまく温存していただきたい。一つはPTAの御機嫌とりというのはないんですか。私よくわからないんですけれども。

【河上委員】最近はなさすぎてだめなのかもしれないですね。

【曾野委員】そうですか。もう一つは騒音です。騒音というのは外の自動車ではなくて、子どもが沈黙を守ることができなくなった。これは子どものときからやらせればできるんですね。小学校1年生から、ここはしゃべっていいところ、ここはしゃべってはいけないところというのを厳重に決めるんです。それだけのこともしてないんです。これは小学生ならできます。大人になると「何だい」なんて言うんですけれども、でも子どもならできる。

 それはなぜかというと、教室というのは、先生の話を聞き、必要な人間が一人一人しゃべるという、目的を持ったところであるから、よその者はしゃべるな。しかし、校庭はみんなが叫んでも何でもいいからと。私が育った学校なんかはトイレも厳禁でした。トイレの中でしゃべる人間というのは非常に行儀の悪い人間だと教わった。食事は逆に、なごやかな会話とともに食べなければいけないんだから、余り大きな声でなくてちゃんとしゃべりなさいと、そういう目的をきちんと教えられました。もし生徒が静かだったら、先生方、少しはお疲れにならないと思う。

【河上委員】それは全然違いますね。

【森主査】畳の部屋をつくるというのはそういう意味で言ったんですよ。どうぞ、今井さん。

【今井委員】今、いろいろお話を伺っていて、保護者にしても先生方にしても、教育関係に携わっている人の現場見てますと、やっぱり輝いている、生き生きしている人は、今すごく少ないんですよね。悩みを聞いていると、何か本当の自分からだんだんとかけ離れていってしまって、随分あきらめの境地になってらっしゃる方々が結構多くて、先ほどから生き方とか目的とかがあるんですけれども、勇気を持って自分を出すということがとても大切ではないかなと思います。

 私の地域のある先生で、自分のライフワークの中で、劇団の中に入って活動されたりとか、それから休みの日はバレーボールで保護者の人たちと一緒に組んで地域に出て活動されたりしているんですよ。そうすると先生方からすると非常に目立っているというか、あの先生は好きなことばっかりやってみたいな感じで、同僚の先生方の理解がなかなか得られないんですよ。私はその先生に、いやいや、これからの先生は、まさに自分のいろんな夢やライフワークを持ってらして、そういう学ぶ姿を子どもに見せるような先生がとても大切なんだと話しています。当然その先生は子どもたちからもとても信頼されているんですよ。

 それから、私自身、先月末に日本PTAの会長に就任したのですが、ここにいらっしゃる専門の先生方と違って、私は生涯学習の一環として、子どもがいて初めてPTAと出会って、そういう中で、やはり自分自身がいろんなことを勉強していかないとなかなか問題解決ができないということに気がついて、学びながら進んできたんですけれど、そういう生涯学習における学びの喜びとキャリアアップみたいな場がもっと充実するとよい。今の保護者も自分の子どもばかり気にするのではなく、自分の人生をどのように生きていこうかとか、学習することによって視野を広げることが大切だ。

【沈委員】学校の問題が大変話題になっているようですけど、少し家庭のことに入ってみたいと思うんです。きょういただいた「青少年アンビシャス運動」、これは福岡県のものでありますが、これの開いたところにテレビとの教育の関係が出ております。「テレビやゲームの残酷シーンや性描写が悪い影響を与えているのではないか」、江崎玲於奈先生が会長をしている会でこういうパンフが出て今配られております。

 先日、孫の入っておる保育園に行ってみました。そしたら満5歳の子どもたちが格闘競技のまねをしてキックボクシングなんかやっているんです。そして彼らがお互いに発する言葉が、「てめえ」、「やろう」という言葉でやるんですね。これは鹿児島語の言語体系の中にない言葉です(笑)。まさに上方の言葉で、しかも5歳の子どもは、親から「てめえ」、「やろう」なんて教わるはずがない。保育園の保母さんもそういうことは教えない。もう一つ、教師がいる。家庭の中に極めて影響を与える教師がいる。ノックもしないで入ってくる。そして、年齢、性別に必ず痛烈なショックを与えていくものに対して、実は私たちは今までは一回も論議してこなかったと思うんです。

 先ほど曾野先生から二つの価値を教えなければいかんと言われましたけれど、今、IT時代でえらく騒いでおりますけれども、確かにいいことだと思いますが、あれの関連としてゲームとかいろんなものによって子どもが非常に社会性を失っていくという、家族の中でも話をしない。テレビと会っている時間が親と話す時間よりも多いという、そうしたことを私たちはどうとらえていくのか。今ごろテレビの問題なんて古いよと言いますけれども、子どもはみんな聞いていくわけですから、親は人の殺し方をどんなばかな親でも子どもに教えるはずはないと思います。しかし彼らはやるんですから。

 だから、私は今ごろテレビをやめろとか、そういう非常識なことは申し上げませんけれど、国民会議として、国民全体に呼びかけるならば、私はテレビのそういう番組をつくる方々に対しても、せめて小学生は見てはいけませんということをしっかり流してやるとか、何かそういうテレビと共存する世界を考えていくべきではないのか。

 教育界は今までテレビに対しては新しい文化だといってただ迎えるだけでした。そして、おろおろとテレビの影響を受けていく状況に手をこまねいていただけだと思います。今度は国民会議という立場で、何も排撃するのではないんです。お互いが譲り合って、そしていい子どもたち、いい世の中をつくるためにどういうことができるかを話し合っていただくようなことを是非国民会議の中でやっていただきたいと思います。

 ついでに先生、もう一ついいでしょうか。

【森主査】はい、どうぞ。

【沈委員】これもこの前、1998年の日本青少年研究所から出ている資料の中にいろいろ出ているのですが、これは日本の子どもたちの自己目標、自己評価というのをやってありますけれども、「その日その日を楽しく暮らす」というのに日本の子どもは60%興味がある。「自分の生活をエンジョイする」が63%、そして「高い社会的地位に立って世の中をリードしていきたい」という子はわずかに11%、「科学の分野で新しい発見をしたい」という夢を持っている子は8%しかいないという現状なんです。

 この自己評価というんですか、これはまさに周囲からかけられている本人の期待、そして、また、自分の中にある自分の目標、そうしたものを総合して自己評価はできてくるのだろうと思いますけれど、自分の中にあるものといったって、恐らく周りの影響を90%受けて、この無気力な子どもたちの21世紀に対する姿というのは、まさに周囲が子どもたちをそう仕向けていると残念ながら思わざるを得ないと思うんです。

 今では社会人として子どもたちが大きくなろうとするときに、彼らが選択する道が非常に狭いと思うんです。大学はたくさんあります。しかし手を使って、自分で物を創造していくというような、そういうことを志す子どもがいたとき、どの学校に行けばいいのか、学校へ行ったら芸術家をつくっちゃうんです。それではなくて、いわゆる職人として、自分の手で刻んでいく、文化というのは私はそういうものだと思うんです。手でつくるものだ、手で土を耕して一生懸命物をつくるのが文化の本当の意味だという先生もおられましたけれども、私はそうしたことで、子どもたちがそういう職業に遠慮なく入れるような、あるいは大工を選んだということで大喜びをする、そういう風土がほしい。もし大工になりたいといったら、建築科に入って設計士になりなさい、一級建築士になりなさいという、いつもそういう形なんですね。しかし、日光東照宮にしても、つくったのは家光かしれませんけれども、本当は大工がつくったのですから、私はまさに手仕事こと文化の創造者だと思うんですよ。

 今はそういう文化をいかに平板にして量産してたくさん流すかという、文化を文明に置き換えるということが今盛んに行われて、志ある子は学校という入れ物に入れられて、そういうことをするような、いわゆる文化を破壊して文明をつくっていこうという感じになる。それが出世だと思っている時代はまさに困ると思うんですね。物をつくる人間がいなければ何もできないんですから、飯も食えないんですから、私たちはもう一度職業に貴賤はないと、むしろ自分の志に従って、体をつかってこつこつやるような人間の価値というものを、親が子どもに語るような、そんなことが今度の国民会議では是非取り上げてもらいたい。背広を着てネクタイをしなければ出世じゃない。あるいは会社に入って身分保障がなければ不安でたまらない。確かに物をつくって生きる人間は不安です。しかし、サラリーマンで並んで歩く人よりも、うまくいったときの喜びはすごいものがあります。そうしたことを少し考えていかなければ、そんな元気な社会ができたら、学校の先生も元気出てきますよ。

【勝田委員】名論卓説で全く全部同感するところが多いんですよ。次から次へといろんな話をするとせっかくの名論が消えてなくなってしまいやせんかと心配するぐらいなんですよ。私、実はちょうど2年前に三重県の教育委員会に頼まれて約1年半の間、教育ビジョンの会というのをやりまして、この席上にはそういう三重県の報告書が出てないんで、三重県はぼんやりしているんですよ、頭悪い(笑)。1年半、毎週1回やったんです。ただ、そのときに私は委員長をやらされたものですから、私自身の意見は余り強固に主張するわけにいかずに、皆さんの意見をいろいろまとめる、そういう役が多かったんですけれども、実のところを申しますと、きょう出席させていただいて、先生方の御意見を聞いていると、本当に2年前、1年半かけて三重県の教育ビジョンの会でやったことと、率直なところ非常に似ているんですよね。みんな国民同じような問題意識を持っていると思うんですよ。そこで、長々話ししたってしようがないんです。

 三重県で結局取りまとめた一つの具体案としては、まず第一に、先ほど分限転職というようなことをおっしゃったですね。

【田村委員】分限転職。

【勝田委員】それをやろうじゃないか。つまり先生というのは、大学卒業して試験通って採用されますとずっと定年まで同じ職業、これでは視野が狭くなってしまう。だから、せめて10年に1回ぐらいは1年間、それが無理だったら半年でもいい。よその分野の職業に転職してもらう。それをやろうと、これがまず第1点出ましたね。結論として、これを大いに私ども参考にすべきだろうと思いますね。

 2番目に道徳教育。道徳教育というと、これは日教組の先生等々が嫌がる、そういったことがありますけれども、要するに生徒達の規範意識を高めようと、そういう教育がどうしても必要なんだと、それが全員の意見でしたね。それで具体策としてはどうしたらいいのか。まさか教育勅語を復活するというわけにいかんだろう。そこで、まずもって三重県の郷土の偉人の伝記といいましょうか、それを一つしっかり勉強させようじゃないか。

 具体的に申しますといろんな人の名前が出まして、私も大分うつろになりましたけれども、ほとんど全員の委員が言ったのは芭蕉、本居宣長、この二人は是非とも詳細な伝記と彼らの言説、有名な俳句、これは是非小学校のうちに覚えさせようではないか。これを私どもの国民会議でも全国的に、そういうふうな立派な人の伝記等々の、一種の規範意識を促進するというような意図でもやる必要があると思いますよ。内村鑑三の『代表的日本人』 という本がございますけれども、ちょっと古いかもしれないけれども、私は依然としてあれはおもしろいと思うんです。本居宣長もいいかもしれません、芭蕉もいいかもしれませんが、全国的に通用する代表的な日本人のモデルになるような人物を学び、教えようではないですか。

 3番目に、結論的に、私もそれを教育長に言った覚えがありますけれども、人格的にも生徒にも同僚の先生達にも慕われる先生、定年になってやめられた、そういう先生ももう一度、非常勤講師という格好でも何でもいいから採用して、そういった人に、言ってみればモラルの教育をやらせたらどうだろうか。これもみんなは賛成してくれましたね。

 それから4番目に、先ほど沈先生がおっしゃった手仕事といいますか、あのときには芸術ですよ。陶芸家、画家、そういうふうな芸術家が地域にいるんだから、そういう人たちに来てもらって、週に1回とかそういう範囲でひとつみんなに教えてもらったらどうだろうか。それは期せずして情操教育になるだろう、そんな意見がございましたね。これも私どもの立場でもう一つ練って、全国民的にPRする必要があるのかなとこう思います。

 長くなりますから、とりあえず終わります。

【山折委員】この間もちょっと申し上げたことなんですが、ここで具体策としてまとめられた内容、これはほとんどすべてが出ているような気がいたしますね。これを発表して国民にアピールをした場合に、大体60代、70代、60代以上の世代は共感すると思います。これはまず間違いなく共感する。問題は50代以下の世代に対してどういう効果があるかということですね。

 そういう点ではもうそろそろ内容の問題は出尽くしたと思いますので、50代以下の問題の世代に対してどういうアピールの仕方をしたら効果があるか。そういう戦略・戦術の問題を考えた方がよろしいのではないかと思いますね。選択的にこういう問題の中から何を選ぶか。また、どういう発表の仕方をするかということが難しいなと、それが一番ではないかという感じがいたしますね。

【森主査】次回から、それをやろうと思っていたんですが、どうもありがとうございました。

【曾野委員】サバティカルイヤーというのが7年目にございますが、あれはユダヤの法律によって、畑を7年目に一切種をまかないで休ませることから始まっています。一つの知恵です。1年間、離れたところの生活をおさせになるということぐらいは何とかなされることじゃないでしょうか。そうしますと本当に人生をごらんになれる。私は必ずアフリカや南米に行って、そして人間の極限というのを見ているので、どうにか毎日毎日感謝を保っているわけですけど、そういう動物的なことをしないと人間はわからなくなることがあると思いますので、是非違った職業に中間でお出しになるということ、これは制度としてできるような気がいたします。

【河上委員】大賛成です。共同生活や肉体労働、奉仕作業とか、そういうものを若い世代の人たちになるべく強制的にでもやらせた方がいいだろうと思います。私ら教師も同じでして、今言ったような、どんな職種でもいいわけではなくて、例えば10年に1回でも7年に1回でも半年でも1年でもいいですから、そういうようなところに入って、具体的に身体性を問題にするようなことが大切だと思います。知的な問題じゃないと私は思ってます。それから、さっき言った自分が対面したことのないような他者と対面するような、そういう場面に入って、1年間ぐらいやるというのは決定的に大きいと思いますね。

 最初から第1分科会でずっと問題にしているのは多分そこだと思うので、それは生徒をどうするかという問題と同時に、教師、親をどうするかということもありますね。これは難しいんでしょうけれども(笑)。教師についてはそういうようなことが制度として出てくればずいぶん変わると思います。これは採用からだと私は思っているんですけど、面接や論文やペーパーテスト以外に身体性をどういうふうに持っているかというところが採用の基準になればきっと決定的に大きいと思うんですよね。そういうようなことがもしできれば、圧倒的な効果があると思いますけれどもね。

【浅利委員】山折先生のおっしゃったとおりで、具体論をどうするかというのが問題です。羅列的になってしまったら何も意味がないですね。私は国民会議として「国民の皆様へ」という呼びかけをやるべきだと思うんですよ。例えば「お母さんへ」、「お父さんへ」、「父母へ」、「教師へ」、あるいは、中には「テレビの人たちへ」という、呼びかけを割とシンプルな文章をつくって、本質的なことを言ってやった方がいい、これが一つ。

 もう一つは、“日本人の心”という、子どもが暗記して心に刻む文章をつくったらどうでしょう。押しつけではなく例えば提案を、国民投票にかける。曾野綾子作の「これからの21世紀の日本の子どもたちの心」というのをつくって提案する。

【曾野委員】「信濃の国へ」みたいな歌をつくって、あれ大好きなんです、私。

【浅利委員】例えば、国民投票にかけて、よし、この五つの文章だけは子どもに全部の教育機関、家庭でも教えようというふうにしたらどうでしょう。

 それから、この会議の内容というのはネットで流れていますよね。いいんですけど、日本語というのはしゃべる言葉をそのまま字にすると、とてもおかしなことになる場合がある。さっきの河上先生のお話、なかなかユーモラスでいいスピーチなさると思ったけれど、あれをそのまま文章にしたらどうでしょう。かなり軽薄に見える部分もあるんですよ(笑)。私なんかも典型的にそれなんですね。だから、ネットに流すなら議事概要にしてください。議事録は私たちが手入れてからどうぞ流してくださって結構です(笑)。それをちょっとお考えいただきたいのです。

 あと、私の職業に関係するのですが、アメリカやイギリスの学校では“スピーチ”という授業があるんです。いろんな形のスピーチを教える。ドラマやスピーチをコミュニケーションの一方法として、教育の流れの中に入れていただきたい。というのは、教育関係者の一部には演劇に対する偏見があるんです。演劇というのは、赤か、河原乞食やるものだ(笑)。ドラマの手法も効果的に使えば教育的な効果は大きいと思います。

【曾野委員】一番短いのはレシテーションというものなんですね。私、インドでヒンズーの階級制度の更に外にあるという人たちがおりまして、それは例えばアフリカから真っ黒な肌の人で、それが奴隷としてゴアに売られてきた人の子孫なんていうのは、逃亡奴隷ですから、人を顔を見ると今でも逃げるような、それをどうやってやるかというと、踊りとレシテーションなんですね。そうするとそれをやることによって、私たちにすれば、踊ってばかりいないで少し勉強しろと言いたくなるんですけれども、真ん中へ出てきて、おまえはおまえだと認められることが人間の第一の根本的な条件である。だから、そういうことにおいてはレシテーションとか踊りも、ああいう人たちはそうですけど、短い時間で済みますし、意味が大変私はあると思います。

【梶田委員】具体的な方法にもう入らないといかん時期だと私も思います。ただ、その前に、これを見ていて、率直に言うと、山折先生とか曾野先生とか勝田先生がおっしゃった宗教的なという部分がここに余りないです。言葉はあります。それはどういうことかというと、我々の世界を生きていく力と我の世界を生きていく力と、私どもよく言うんですけど、世の中でどうして生きていくか。日本の場合の、今の教育勅語でも、そういう意味で我々の世界をどう生きていくか、みんなそういう話なんですよ。それから、どういう力をつけるかというのもほとんどそうですね。それもとっても大事だし、それはメインでやらないといけないけれども、本当に背骨が、人間が生きていくバックボーンに入るためには自分の人生をどう生きていくかでしょう。

 死の教育と言われましたでしょう。曾野先生がちらっと前におっしゃったのではないか、メメント・モリ(死の教育)。なぜ、それを言うかというと、だれだって結局みんなで一緒に生きていくようだけど、結局は一人で生まれて、一人生きて、一人で死ぬんですよ。みんなあとのことは約束事にしかすぎないんです、夫婦であろうと何であろうと、だから離婚なんて、どうってことないです、そんなものは(笑)。さっきおっしゃられた、そんなもの軽く考えればいいんです。

 だけど、その背後に、離婚がいいとか悪いとか、父母にどうのこうのというのも大事なことなんですが、その背後に、私は自分の世界をどう生きていくかということを小さいときから少しずつ考えさせる。それが育っていかないと、みんな約束事の世界の中で右往左往することになっちゃうと思うんですよ。

 そういう意味で、何度か山折先生もご発言になさったし、そういう意味での宗教的、曾野先生は最初のときに何度かおっしゃった。勝田先生もおっしゃった。ほかの先生もおっしゃったけれども、ちょっとここで出てないと思う。私はそれが我の世界。言葉であえて言うと、自分の生きていく、みんな一人旅なんですね。お互い、先が見えているではないですか、あと5年、10年ですよ(笑)。つまり、これは20代、30代で今話しているのではないですから、そういうことでいったら、みんなある程度、私が私の人生を、私の足取りで歩んでいくというのがあるわけでしょう。それが小さいときからわかってない、先ほど沈先生がおっしゃったように、職業がどうのこうの、あんなの本当はつまらん話なんです。だけど、そういうことにこだわってどうのこうのになっちゃうわけでしょう。

 私はそういう意味での道徳教育、宗教教育、宗教的醸成。普通の道徳教育は、みんな我々の世界をどう生きていったらいいかなんです。普通言われるのは協調性や責任感、そういう話なんです。世の中でどうするかなんです。それも大事だけれども、自分がというところが何人かおっしゃっているにもかかわらずちょっと薄いような気がして、それを確認した上で具体的にどうするかというのを是非。

【曾野委員】死の教育を復活させる。私はこの前の臨教審のときに幾ら言っても、ただの一顧だにされなかった。死の準備教育、死とは何であるかというのを中学までに、適当な時期に、これは教育心理学の問題もあると思いますから、死の準備教育というものをしていただく。一時、『第三次戦争があったら』という小説が大分はやったんです。ネビル・シュートとかそういう人が書いたんです。あしたの朝、我々が死ぬとなったら何が問題が残るか。そうすると名誉でもなく金でもなく地位でもなくて、その先になりますと愛なんです。と私は思っているんですが、そこは言わなくてもいい。死ぬの準備教育をどこかで復活させていただいてもいいかもしれませんですね。

【浅利委員】宗教心を涵養するとかそう言い出すと少し抵抗があるんですが、今おっしゃったように、生とは何か、死とは何かという生命の根源について、子どもたちに幼いときから考えさせる。そういったアプローチがいいのではないかと思います。

【森主査】国民会議ですから広く国民が理解できることでないといけないと思います。ですから学問と教育の違いは、ここで学問論をいくらやってもだめなんで、教育というのは学問に入る門ですから、そういう意味で宗教的な高邁な精神をここで説いても何か雲の上の話になりますので、もっと具体性を持って、この3原則というのがありますが、「甘えるな」、「他人に迷惑をかけるな」、「生かされて生きることを自覚せよ」、この生かされて生きることを自覚せよ、子どもにどういうふうに自覚させるのか。

 私は生きる力というのは進歩することだと思うんです。日々進歩しなければ生きている意味ないんですよね。そういうわかりやすい形で、子どもに宗教的なことを教えるのが大事なのではないかと思うんですが、それが一つ。

【梶田委員】細かいところは多分異論があると思います。進歩しなくてもいいとか、あると思うけれども。途中ですいません。

【森主査】それともう一つ、河上先生が、学校の中で困った子どもを別な機関に移すという御提案があったわけです。それは昼間だけなんですか。それとも夜もそういう寄宿学校のようにやるんですか。

【河上委員】そんなに細かく考えていません。

【森主査】そこが大事なんです。

【河上委員】私は政策を出す専門家ではありませんから具体策は無理だと思っています。私は実感的に学校の現場で、今の学校を維持するためにはそういうことが必要だろうと思っているだけですから、多分そういうことをきちんと政策で出すためには、例えば心理学者とかいろんな方があらゆる面を検討した上でやってもらわないと無理ではないでしょうか。

【梶田委員】サッチャー政権の下で、イギリスは放校のような形でやっているんですよ。ですから、これは行政的な実例としてありますから、それは何か上手な形で先生入れることを。

【森主査】現行法では保護者の承認がなければ移せないですよね、転校するということは。

【今井委員】その問題については、特別に問題のある子どもを外すというので、ある程度別の機関で教育することは基本的にはいいと思うのですが、そこで1年なり2年なり過ごしてきた子どもたちが、自分の傷が癒してこれるかどうかということ。だから、そういう意味で子どもたちの心理的なケアも慎重にしていただきたい。

【森主査】時間がだんだん過ぎているんですが、きょうはどうしてもこれだけはというものを一つずつお伺いしたいことと、それから、高校生の欄で、満18歳まで云々とありますね。これについては皆さん余り御異論ない、大体これは賛同得られますかね。「満18歳で全ての国民に1年ないし2年の奉仕活動を義務づける」。これはあらゆるものが集約した形で出ているような気がするのですが。

【勝田委員】それは大賛成ですよ。2年はともかく1年ぐらいね(笑)。

【森主査】それはいいんですけど。

【勝田委員】私の娘に関して申しますのは恐縮ですが、私は仏教徒です。仏教は余りにも難しいからようわからんけれども、とにかく仏教徒ですよ。だけど、京都の仏教の関係の小学校や中学校は余りやってませんのでカトリックの学校に入れさせたんですよ。ノートルダム、梶田先生のところのですね(笑)。小学校時代にどのくらいだったか、かなり頻繁に老人ホームに行かせるんです。そして、うちの娘は小さいうちから日本舞踊をやってましたから、日本舞踊を踊ると、とっても年寄りたちが喜んだと。その後、窓拭きしたりいろいろやるんですよね。そういうことをやらせるといい。

【森主査】細かい具体的に何をするかは別として、大筋として高校生の欄の1行、これは特に御異論ないと考えてよろしいですね。

 それと、しつけの3原則、5原則いろいろ各地方でもやっておりますけれども、具体的にこういう形で何か出すとすればどうなのか。先ほど国民投票で3原則決めたらという意見、これは私はなかなかいいと思うんですが。

【勝田委員】3原則というのを私言っちゃったものですから、一言申しますと、できるだけ短い言葉がいいと思うんですよ。「甘えるな」、これはいいとしましょう。いろいろ御意見があるでしょうが。

 2番目の「他人に迷惑かけるな」、これも日本人はみんなそうだと思うんですよ。ただ、私はつくづく思うんだけれども、『論語』の中に「己の欲せざることを人に施すな」、あれと似たようなことですが、今度は『聖書』の方では、「他人にしてもらいたいことをやれ」と、そんなような言葉でしたね。同じようなことですけど、しかし、私は『聖書』のそれも悪くないのですが、これを、余り過ぎると親切心の押し売りになるおそれもありますね。にもかかわらず、他人の迷惑になるというのはどこか消極的なところがあるんですね。我々東洋人の気持ちには受けるけれども、私はむしろもっと「他人には親切に」というのも入れるといいなと思うんですけれども、曾野さんどうお思いですか。

【森主査】親切といえば、茅さんが始められた「小さな親切運動」ありますでしょう。私は親切に大小ないと思うんですけれど、おかしいと思うんですよ。だから、逆に「大きな親切運動」というのをやって、そのぐらいやってもいいのではないかと思うんです(笑)。

【勝田委員】大小は別として親切を施せ、これも悪くないですね。

【森主査】それは悪くないと思います。

【山折委員】日本人は肯定的な言い方よりも否定的な表現を好むんですね。

【曾野委員】「甘えるな」というのをこれで読むと、これは子どもに対してなんですか。私「老人も」と書いてほしいですね。「甘えるな、老人も」(笑)。

【勝田委員】国民みんなにそうですね。

【曾野委員】みんなそうだ。本当におんぶに抱っこですね。殊に年寄りなんかよくないです。

【勝田委員】この「しつけ3原則」と称するものは、いわば子どもに言っているけれども、実は我々自身に言っていることです。

【曾野委員】そうですね。全国民に告ぐということになるけれども(笑)。

【森主査】国民に告ぐ。

【勝田委員】我々も含めてですよ。

【浅利委員】河上先生のおっしゃった特殊な人間を別に移すようなシステムで教育しようという考えには賛成なんですが、移された方なんですね。さっきもちょっとご議論が出ていましたけれども、実は秩序に合わない子どもはいるんです。モラルも間違ってないし頭も悪くないんだけど、「秩序」というものに合わない子がね。でも実はそういう子の中から芸術家とかスポーツの名選手が生まれる可能性も大きい。

【勝田委員】天才も出ますよ。

【浅利委員】後で大成した人を調べてみると、小学校のときは手に負えなかったというケースがよくあるんです。ですから、こういう学級を担任をする先生は本当に優秀な方が、つまり隠れている才能を引き出せるような方がやっぱり見てくださるといいと思います。この仕事はナンバーワンの人格者が当たるべきだという感じがします。

【河上委員】この前、私も言いましたが、1兆円で30人学級やるよりも 2,000〜 3,000億かけて、少なくとも現在ある普通の学校のクラスや学校よりも、たくさんお金をかけたような場をつくらなければいけないと思うんです。それにはいろんな人が必要だと思うんですよね。普通の子たちが、40人集まったところで、ある意味では一律の教育やっているのとは違うような場が必要なんですよね。非常に粗暴な子もいるかもしれないし、秩序に合わない子もいるかもしれない、いろんな子がいて、それを現在の学校が引き受けるだけの能力がない状態ですから、そうすると全体崩さないためには、私はそういうお金のかけ方していいと思うんですね。普通の生徒一人に100万円かけるなら、そこでは 300万円かけたっていいわけですよね。それで両方とも何とかいくのであれば、その方がお金の使い方がいいのだろうなと。

ただ、具体的には先ほど言ったように……。

【森主査】 寄宿学校のように。

【河上委員】 私は具体的にはよくわかりませんけれども、ただ、少なくともお金のかけ方を、普通の学校よりも低いというのはちょっと違うと思うんです。

【田村委員】二つあるんですが、一つは、「他人に迷惑をかけるな」というのは、現場で言うと、これは言われると、では、援助交際をした生徒に、「君はどうしてなんだ」というと、「人に迷惑かけてないからいいでしょう」という答えがくるというんですね。ですから「他人に迷惑をかけるな」ということがしつけの3原則になるとしますと、これはちょっとどうかなという気がしますね。

【森主査】他人に役立ってないことはもう迷惑になっているんです。そういうことを教えなければいけない。

【田村委員】「迷惑かけるな」ではなくて、自分がほかの人に何ができるかということを考えろという言い方をしていただいた方がいいと思うんですね。

【勝田委員】援助交際のことは、J.S.ミルが言い出した言葉から派生したのですよ。だけど、J.S.ミルの時代には、まさか援助交際のような醜悪なことはなかったんです。で、私が申し上げているのは、3原則の3番目なんですよ。自分一人で生きているのではない。目に見えない皆さんのおかげをこうむって生かされているんだと。

【田村委員】それならいいです。

【勝田委員】それを入れるということによって援助交際の醜さ、非道徳性も自然に浮かぶのでしょう。その3番目の各車が、小さい子どもにはわかりませんよ。私どもも親からいろんなことを言われたけれども、この年になって初めて、あのとき、ばあさん、じいさんの言ったことは本当だったなあと納得させられるのです。

【田村委員】でも、今、若い親は子どもを育てるときに何を言っているかというと、迷惑をかけるなということを第一に言うんです。それはかなり徹底しているわけです。だけど、それより更に踏み込んで、実は生きるというのは、ほかの人を生かすことなんだというところまではいってないんですよね。

【勝田委員】だから、それも言わなければいかんということです。

【田村委員】だから、「迷惑かけるな」ということを言っちゃうと、じゃあ、私は間違ってなかったというふうに若い親が思う可能性があるから。

【勝田委員】それだけではない。

【梶田委員】一つ一つは、必要条件だけで十分条件じゃないから、3原則をひょっとしたら5原則ぐらいにして、もう少し、今おっしゃったようなことも入ってもいいかもしれません。例えば、私なんかも実はこれだけで十分かなとは思うんですよ。例えば、自分で醜いと思うことはやるなとか、つまり美意識の問題です。美意識の問題をどこか入ってないと、自分をコントロールするとき基準がなくなると私なんか思います。援助交際なんか、私はよくそれを言うんですけど、自分で後になって醜いと思うことはやるなと。これは自分の責任でやっているんですから、しかも人に迷惑かけてないです。

 だけど、生かされて生きろということは最後だと思うんです。その後に、今おっしゃった「人のために」が入って、5原則にしたらわからなくなるかもしれませんけれどもね。

【森主査】3原則をつくる哲学を考えれば、ブレーキ型の原則とアクセル型の原則がなければだめだと思うんですよ。だめだ、だめだと、オートバイ買うなという高校の三ない運動というのがありましたね。免許取るな、買うな、乗るな。それだけではだめだとわかって、やっと乗ってもいいから、交通安全でやれと。だから、ブレーキとアクセル型と両方なけばいけない。だから、するな、するなばっかりでもいけない。何かやれというのを。

【曾野委員】人生というのは受けて与えることだと思うんですね。

【浅利委員】曾野さん、あなたは現代を代表する作家なんだから、あんた文章考えて出してよ。これでいいと思われたところで議論する(笑)。

【曾野委員】偏ってますから、小説書きというのは、根性が曲がっています。

【河上委員】前回、文部省がつくった家庭教育手帳が話題になりましたが、前回発言しなかったんですけど、余りにも家庭や人間を楽天的に見過ぎているという感想を持っています。この第1分科会で1回目からずっと論議になっているのは、人間というのはそういう面と違う面があって、その両方を考えた上で提言しなくてはだめだろうというのは共通認識になっていると思うんですよね。

 ですから、ものすごくきれいごとと言っては申し訳ないけど、とってもきれいな言葉で、家庭はこういうものだよ。例えば親というのは幸せでなければいけないよ、と言われるちゃうと、私なんか失格だなと思ったりするので、もう少し現実の人間の近いところで出ないとだめだと思うんですね。それは曾野さんあたりが責任持って書くとかというふうに了解得た方がいいと思います(笑)。

【森主査】次回のときに、3原則の原案をつくっていただけますかね。

【曾野委員】皆様方が一つとか二つとかお持ち寄りになって、同じようなものがあったら、それから三つつくっていったらどうなんですか。まだ、これだけでは先生の発案に甘えているところがある。

【沈委員】今、お話が出ましたけど、鹿児島県のいわゆる青少年教育に三つあるんです。「うそをつくな」、「負けるな」、「弱い者をいじめるな」、これが今でもまだ残っているんです。これがそのままというわけじゃありませんけど、どうぞ、先生の参考に。

【勝田委員】もう一遍言ってください。

【沈委員】「うそをつくな」、「負けるな」、「弱い者をいじめるな」。

【浅利委員】「負けるな」が入っているからきいているんだな。

【沈委員】これは鹿児島ではずっと伝っている。

【浅利委員】森先生と曾野さんと事務局の皆さんで原案をつくって次回出していただく。

【森主査】皆さんに出したもらった方がいいですね。

【曾野委員】皆さんに出してもらう。

【森主査】三つずつ、次回までに。

【勝田委員】今の、沈先生のも悪くない。

【曾野委員】でも負けるが勝つというけれど(笑)、私が生徒だとすぐそういうへ理屈をこねます。

【森主査】弱い者いじめるなら、強い者をいじめてもいいという(笑)。

【田村委員】もう一つ、先生、よろしいですか。

【森主査】はい。

【田村委員】心配になっちゃったので申し上げるんですが、きょう岡山の事件を起こした子が秋田で捕まりましたですよね。あれを見ての教師という職業の人間の一般的な反応は、あの子は 1,000キロの間、自転車で走ったけど、どんな思いであったかなということを最初に心配したんですよ。その子どものことを、それが教師という職業の人間の共通項なんですね。これはだからはっきり言うと世の中の一般の常識から離れているんですよ。だから、それがあるということを前提にして、河上先生の御提案はよくわかるんですけれども、外へ追い出すというのは非常に大変だなという気がします。教師というのはそれが職業で、それが好きだから教師になっているんです。

【森主査】 問題だというのは、その子ども1人だけなのか残りの39人をどうするかという問題でしょう。

【田村委員】 結局やるのは教師だから、教師に言うときに、そういうことを考えて追い出すということを言うときによほど気をつけて言わないと。

【河上委員】 最先端の混乱しているかなりの中学校では教師は内心ほっとするでしょう。ただ、自分の手を汚したくないから、自分から進んで出せというふうに提案する人がいるかどうか難しいでしょうが。

【田村委員】 それを言えるような人だと、なかなか……。

【河上委員】 ですから、あそこに「義務」と書いて第三者機関をつくって、そこでトラブルを処理するというふうに言ったのは、例えばほかの親や生徒や、あるいは教師の中の一部でもいいんですけど、自分が言い出せないときに、そこに話をして、そこで調べて、そこで勧告でも何でもしなさいということが私の考えです。教師は、当然自分の責任もありますから、自分から手挙げて、この子を別の機関でお願いしますというのはとても言いにくいですよ。

【田村委員】 言えないです。

【河上委員】 でも、ほうっておいて全体がぐちゃぐちゃになっていいのかという問題がもうひとつ残りますね。「義務」という言葉を入れたのはうやむやにするなという意味なのです。第三者機関がその状況を調べて、それで勧告するというようなことを外側からやるようにしないと、私は現実的には無理だと思っています。

【田村委員】 だから書き方をよっぽと気をつけて書かないと。

【河上委員】 私はただ、そういう考え方が必要だと言っているだけでして、具体的にどういうふうに文章にするのかはかなり慎重に出さなくちゃいけないと思いますけど、少なくとも現在の学校を立ったまんま、崩れさせないようにするためには、そういうような強行措置がどうしても必要だろうと思っているのです。イギリスの場合には追い出しただけなんでしょう。

【田村委員】 あれは結局今反省していますよね。

【河上委員】 放校しただけでしょう。あれはひどいですよ。

【田村委員】 ブレアは考え直していますよね。

【河上委員】 だから、別の機関でもうちょっと手厚く教育するというような考え方じゃないと無理だと思うんですよね。

【梶田委員】 具体策はあるけれども、ただ、今までのようにすべて無理は承知で抱え込んで、みんな一人一人すばらしいんだと、うそついて、きれいごと言ってその日暮らししているようなことではだめだと、私は河上先生の話は大賛成です。だから、そこから具体的にどうするか、一歩をどうするか、これから具体策は考えないといかんと思うんですよ。今までにない発想を一つでも二つでもやっていかないとやれないところだと思うんですね。

【河上委員】どうしてもできればやってほしいのは、文部省、マスコミの方に知恵が出れば出ると思うんですけれども、かなり大変でどうしようもなくなっているような学校が全国にいっぱいあるわけですから、そこに具体的に入って見てもらうことをやってほしいと思うんです。

【森主査】結局明るい話、闇の中の……。

【河上委員】明るい話はいっぱいあると思うんですけれども……。

【森主査】いっぱいあるという話を具体的に、どうして明るいかというのを分析すれば、何か出てくるわけですよね。それも両方見なければいけないと思うんですよね。

【河上委員】それもそうですね。

【梶田委員】一般論として私はおっしゃるとおりだと思うけれども、今大きな曲がり角に来ていると思うんですよ。だから、別に悪いことだけするわけはないけれども、何かここで手を打たなければいけないのではないかというはっきりした提言にしないと。

【河上委員】ちょっとついでに、最近あったことをお話します。大阪のテレビから番組に出てくれという話が来たんですよ。「どうして、東京の私のところへ」「大阪の方が東京よりも事態はきついはずでしょう」と言ったら、そういう状況を知らないわけ。「テレビの人は、何やっているの」と言ってしまいました。関東のやつが行って、「うちの学校こうですなんて言ったら笑いものになる」と言ったんです。「『大阪はもっと大変なんだから』って、そういうふうに言われるんだから、大阪で探した方がいい」と言ったんです。そういうこと全然わかってないんですよね。

【曾野委員】言わないのでしょうかね。言えないのか。

【河上委員】それはそうでしょうけど。

【梶田委員】知っていてもマスコミの人は言わないです。つまり、大変な学校は絶対そこの学校の先生がテレビに出るのは許可しません。まず教育委員会も校長も、それはどこでもそうなんです。

【曾野委員】勇気の欠如ということに触れないといけません。事件が起きて出てくる校長先生は、全部勇気がないということで一致しています。

【浅利委員】きょうも岡山県の母親を殴った例の生徒の、校長先生のテレビの会見ごらんになったですか。

【曾野委員】いや、全然。

【浅利委員】「どういうふうにお考えですか」と聞かれたら、「無事に保護されてほんとによかった。それだけを心配しておりました」、これだけ。うーん、そういうものなのかなと思って、腕組んで考えちゃった。確かにその側面はあるだろうと思うんだけれども。

【田村委員】でも、それがあるから、親が安心して子どもを預けているんじゃないですかね。

【梶田委員】だけど、それがあるから、学校の先生はうそっぽいと言って、みんな親が信用しないんですよ。

【曾野委員】そうだと思います。

【梶田委員】だって、頭割られた子がそこの学校の生徒なんだから、そうでしょう。だから、それはその子らの親もいるわけですよ。だから、そこは目配りが悪いわけですよ。きれいごとを言っているんですよ。

【浅利委員】加害者の人権尊重、偏向というのは、一般犯罪でもみんなそうじゃないですか。加害者ばっかりの人権を考える。

【森主査】最近、被害者を考えようという動きが少し出てきましたが。

【曾野委員】それは私、文部省の態度だと思いますよ、はっきり言いますと、申し訳ございませんけど、文部省が勇気がないです。今までもずっといろんな、個々申し上げることもありますけれども。

【河上委員】この前、浅利さんがおっしゃったマスコミの方と国民会議の人たちとでフリートーキングするというのは私はぜひやってほしいんですけど。

【森主査】「マスコミの皆様へ」という呼びかけをやったらいいかもしれませんね。そしたら反応を起こすかもしれませんから。

【浅利委員】「呼びかけ」起草のチームをつくったり、「新しい日本人の構造」起草チームをつくったりしましょう。

【森主査】浅利先生にまずそれをやってもらえますかね。

 時間がそろそろ来たのですが、3原則の話は、3原則を一般化し抽象化するとどうしても教育基本法に行き着くような気がするんですが、ですから次回は教育基本法を中心に議論していただきますが、先ほど資料がお手元に行っておりますが、よくごらんいただいて、次回、教育基本法の議論に入りたいと思います。その際、きょうのような議論があって当然だと思います。

【勝田委員】実は今度の教育基本法を討議する分科会の当日に、私どもの大学に三笠宮様が講義に来てくださるんです。ですから、私がいないと失礼ですので、非常に申し訳ないと思いながら欠席いたします。そのかわり、私が書きましたいろんなものを読んでいただきまして、同時に梶田先生に、私、個人的に読んでいただくと、そういったことでお願いします。

【梶田委員】代読いたしますから、ファックスをいただいたやつを。

【森主査】それで3原則は、皆さんそれぞれファックスででも、簡単にお書きいただいて、お願いいたします。強制はしませんけれども、なるべく皆さんに書いていただくと。

【銭谷室長】次回は、7月11日火曜日の夕方6時から、虎の門パストラルで開催いたします。先日、6月29日に企画委員会がございまして、日程の協議をいたしました。第1分科会からは森主査に出ていただいておりますが、7月中に分科会としての審議報告を各分科会に出していただこうということになりました。企画委員会では分量は、5枚程度以内のメッセージ的なものがいいのではないかということでした。最終的には主査、副主査を中心に原案をつくって、各分科会で御議論していただいておまとめいただきたいというお話でございました。

 なお、その後、また全体会を再会することになるわけでございますが、全体会は8月のお盆明けからやろうではないかというような雰囲気でございました。近く、8月のお盆明け以降の先生方の御日程をお聞きをさせていただこうかと思っております。よろしくお願いいたします。

【森主査】ほかの分科会は7回やっているんですよね。第1だけは6回の予定で来ているんですが、次回の議論次第では増えるかもしれないし、増えないかもしれないんですが、それは議論次第だと思うんですが、それはお含みおきいただければと思います。

 それでは、3原則と教育基本法の資料の方、ひとつよろしくお願いいたします。どうも本日はありがとうございました。

─了─