資料4
○浅利委員
教育基本法については、これが抽象的すぎる法なので、今回提議はしたくない。
次の機会にゆずる。
○今井委員
情操的な宗教教育の検討
生涯学習の視点を考慮
国や郷土、伝統文化に学ぶ意義あり
○梶田委員
21世紀における新しい日本社会に建設に向け、国民一人ひとりが確固とした展望を持ち、新たな共有の理想に燃えて前進していけるような教育基本法を創っていきたいものである。少なくともこうした新しい教育基本法の必要性に向けて、国民全体の意識を盛り上げていきたいものである。教育基本法の改正問題を提起することは、従来の惰性的気風を一気に打ち破るための社会的<ショック療法>と言ってよいのである。
○勝田委員
(教育基本法前文・第1条関係)
教育基本法の根本精神は、前文と第一条のうちに明瞭に見てとれる。そこに乱舞する美辞麗句とは、「人類の福祉」と「世界の平和」、他方で「個人の尊厳」、「人格の完成」などである。むろん誰一人賛成せざるをえない立派な教育の課題であり目標であろう。
では、問題はどこにあるか。一言でいえば、私たち個々人が生まれ育った家、郷土、国家とその裏側にある民族共同体、その民族固有の伝統的文化に対する尊重と愛情の言辞が一語もないことであろう。
(中略)
教育基本法には個人の尊重や人格の尊厳、他方では人類の幸福や世界の平和が説かれている。つまり「個」と「類」については、くどいほど説かれているものの、そこには「個」と「類」との中間にあって両者を橋渡しするものとしての国家や民族などが、すっぽり欠落している。京都学派の優れた哲学者、田辺元博士の用語でいうなら、まさしく「種の論理」が抜け落ちているのだ。
それはちょうど基本法の姉にあたる日本国憲法の性格に相応している。現行憲法は国家存立の根本に関わる問題、つまり防衛問題については、「臭いものに蓋をする」かのように、国の安全を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に、─現実には米国に任せている。そういう憲法に、教育基本法はぴったり歩調を合わしているのではないか。
(中略)
このような教育基本法を前提とする戦後教育の場で、戦前と戦後の文化的伝統の絆が切断され、ナショナル・アイデンティティは見失われてしまう傾向にある。むしろそうなるのを助長する勢力も厳存する。そういう勢力は、愛国心をもって「悪徳」のごとくに扱い、その一環として「君が代」を弾かない、立たない、歌わないという「三ない主義」を唱導している。教育基本法を拠り所にして、反国家、反体制の教育がなされてきたのである。
(中略)
むろん私は、自閉的で夜郎自大な国家至上主義や狭隘なナショナリズムを唱導するものではない。開かれた理性的ナショナリズムの必要を説き、そのような視点から教育基本法の前文と第一条の改正を唱えている。
(教育基本法第9条関係)
ここで思い出されるのは戦後の“民主教育”の原点となった教育基本法のことである。その第9条2項に公立学校では「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」とある現行の「基本法」の成立後、「社会科」の学習指導要領と教科書についてGHQの権力をバックにしたキリスト教界が執拗に、仏教と神道を偏重する反面でキリスト教を軽視する傾向にあると、批判した。こういう批判と抗議に面して、次第に教育界も文部省も宗教教育を敬遠し、さらに「さわらぬ神に祟り(たたり)なし」とばかりに無視、無関心となっていった。われわれはもう一度モラルの再建に必要なものは何か、を深く真剣に考える時期を迎えているのではないか。
○河上委員
@子育て・教育の第一目標を子どもの社会的な自立におくことを明記する。
A学校の役割として、子どもの社会的自立の促す場であることを明記する。
B基礎教育と個性を伸ばす教育とはハッキリわけ、義務教育の内容は基礎教育に限定することを明記する。
C学校の権限と義務を明記し、複線型の学校をつくることを明らかにする。
D家庭・社会の役割を明らかにする。
E当面10年ぐらいを目途に改正を考えたほうがいい。状況の変化についていけなくなるかも知れないからだ。
○曾野委員
教育基本法は、数カ所に曖昧な点が残されており、厳密に再検討を要するものと思われます。
○沈委員
戦後の教育の立法の基本はすべてこの教育基本法に拠るものであることを思う時その果たした役割は大きい。しかし僅か十一条からなる基本法は、第二次大戦終了直後の制定であり、全体主義的軍国時代に反撥してか、自由と平等、個の権利等に傾き、わが国の歴史、民族固有の文化の維持、伝統の継承、公と私の分別など大切なものが缺けており五十年の才月を経た今日、見直しを必要としている。
特に九条の宗教教育の第二項は、昭和二十四年の次官通達の関係もあり、神佛を敬うことを忌避するような風潮を生み出し、人間の大切な心の育成に齟齬を来した原点とも云われている。
しかし教育基本法はその制定時のいきさつもあり、一部の改正を論議するよりも成熟した愛国心、大人になった民主主義を踏まえ、新教育基本法を国民の諒解と合意により制定すべきである。
以上抽象的な教育論ではなく 出来るだけ具体的方法を論ずべきである。
○森主査
教育基本法については現在のものに付加するかたちで改善という方法をとったらと思う。
○山折委員
最後に、教育基本法の問題点について一言します。
第一、―― この法律には、教育の目的として「人格の完成」や「平和的な国家や社会」の形成、といったことへの言及がなされているけれども、我々の現実の生活圏をとりまく国土や風土というものに対する深い関心を促すような理念や思想は盛られてはいない。
そのような理念や思想の中には本来、自然の尊重や祖国愛といったことも含まれていると考えるが、そういう問題に対する教育的配慮もその条文からは見えてはこない。
第二、―― 全般的に、国民としての権利と義務に関する問題は理念的に説かれてはいるけれども、しかし、公的な社会秩序を形成するために献身するということの重要性についてはほとんど言及されていない。ちなみに、ここでいう「献身」の意味は、今日的な言葉で言えばボランティア活動とか社会奉仕という水準のことといっていいが、しかし、それは同時に国家や社会に対する「犠牲」ということでもあるだろう。平俗な表現を使えば「痛み分け」ということであるが、この「犠牲」の観念や「痛み分け」の感覚が実はボランティア活動や社会奉仕の精神と表裏の関係をなしているという自覚が大切なのではないであろうか。
そのような思想が、この法律の条文には欠けていると思う。近年しきりにいわれている「公の創出」という問題について言っても、そこには同時に「公への献身」、「公のための犠牲」という考え方がともなっていることを考慮すべきであると思う。
第三、―― この法律には、宗教に関する寛容の態度と、その社会生活上における地位を尊重すべきことが謳われている。しかし実際には、そのことは戦後を通して公的な現場でほとんどその通りに実践されてはこなかったと思う。「尊重」するどころか、意識的にその問題を、排除してきたことをむしろ反省すべきである。
この「排除」という実態については、戦後教育の現場において特に強調されてきた「政教分離」という問題が大きく作用していた。「政教分離」をあまりに機械的、原理的に適用しようとするあまり、生身の人間教育の面でゆがみとひずみを引きおこしてしまったという面も見逃し得ない。
もう一つこの問題が困難な課題を抱えているのは、その「政教分離」が憲法規定にもとづいて解釈されてきたという点である。この面では、教育基本法の見直しの問題は憲法の見直しの仕事と切っても切り離し得ない関係にあるということを念頭におくべきである。
○山下委員
教育基本法については、もっぱら個人の尊重が謳われることにより利己的な個人主義が生まれている。公共の福祉の概念が欠けている。民族・国家・伝統文化が否定されている。家庭教育・地域生涯教育の視点での記述を増やす必要がある。