教育改革国民会議

教育改革国民会議第2分科会(第1回)・議事概要

(日時)平成12年5月19日(金)10時〜12時

(場所)虎ノ門第10森ビル5階会議室

(金子主査)
 まず、分科会の副主査に企画委員でもある田村委員を指名させていただきたい。
 また、会議の公開については、全体会と同じく会議自体は非公開とし、会議終了後、主査からブリーフィングすることとしたい。また、議事概要、議事録は公開とし、他の分科会所属の委員にも配布することとしたい。
 次に全体会と分科会の位置付けについてであるが、7月中に分科会のまとめを行い、その後、全体会議で検討し、中間報告としてまとめる。
 日程については、7回分を予定している。一応これ(第2分科会日程(案))で進めさせていただきたい。
 中間報告については、この分科会としては精神論ではなく、具体性を持ったものとしたい。また、分科会としての7月までの議論をまとめるときは起草委員をお願いする可能性があるが、それは今後決めることとする。
 他の分科会所属委員が来ていただいたときは、当分科会メンバーと同じ扱いとする。ただ、報告書を書くときはこの分科会の委員の責任でまとめることとしたい。
 それではこの分科会をどう進めるかについてフリーディスカッションに移りたい。

(上島委員)
 私は、議論すべきテーマとしては、@魅力ある学校づくり、A頼もしい教師づくりの2つにまとめられると考えている。ここから議論を細分化していけばよいのではないか。魅力ある学校づくりの中には、例えばどのように学校評価をすべきか、カリキュラムの内容をどうすべきかなどがある。頼もしい教師づくりの中には、教員の採用の仕方、社会経験、例えばボランティア等への参加、この他どのような教師像が望ましいかなどについて議論できればと考えている。

(大宅委員)
 審議事項は絞っていくべきである。例えば公立学校選択の自由化などは既にやっていることであって、もっと進めなさいというしかない。評価システムや資格等については必要であれば、何ができて何ができないかを知るには専門家がいるかもしれないが、基本的なところはみんなで議論するようにしてはどうか。

(金子主査)
 専門的な部分については事務局に言っていただければ対応する。

(田村委員)
 この会議は総理の私的諮問機関だから、自由な議論ができる点が特徴である。私自身、例えば、義務教育無償論は問題があると思っている。義務教育が無償というと、教育は国から与えられるものと考えられやすいが、実は我々も税金として費用を負担している。このような議論をすることにより自己責任を今回の中心テーマにしたいと思っている。

(大宅委員)
 行革委員を1年間やっていたときも、お上が決めたことは受けるという発想がみられた。これではどうしようもない。学校も6歳になったらここに入るものと決められている。このようなお仕着せでは何も考えることにならない。学校も自分たちが選ぶ権利があるのだ、という意識改革が必要だと思う。

(藤田委員)
 議論することについては大いに賛成する。自己責任は一つの考え方としては重要であるし、それが何であるのかを国民に考えてもらうことも重要であるとは思っている。しかし、制度は必ずしも理念的に考えたようにいくものではないということについても考えていきたい。

(石原委員)
 学校教育の中には公立学校と私立学校がある。私立学校は設置者が自らの設置目的の中で設置し、自分達で教員を採用し、弾力的なカリキュラム編成が可能である。これに対し、公立学校は社会の縮図である。すなわち、通学区域のすべての子どもを対象としており、様々な家庭の子どもが来るが、どこの地域や親のもとに生まれるかは子供の責任ではない。だからこそ子供がどこに住もうとどの親のもとに生まれようと、基本的なところを担保する社会的な仕組は必要である。自己責任を取れる大人に育つことが必要である。例えば、6歳とか10歳の子供に自己責任を取れと言っても無理であり、それは親の責任である。21世紀は生き方、暮らし方がますます多様化していくのであり、この中で20世紀の学校教育ではなかった様々な柔軟な選択ができるとか責任の概念を子供や親にどう提示できるかなどについて教育の中で考える必要がある。

(河合委員)
 石原委員と同じ意見である。お金は豊かであるが大変な家庭がたくさんある。そのような場合、子供に自己責任を取らせることはできないので、これを国がある程度保障していることからも、公教育は必要である。もちろん私立学校へ行く自由はある。公立学校においては教育のあり方が画一的すぎるのが問題なのであって、そのあり方を検討すべきである。

(田村委員)
 どちらがニワトリか卵かの問題と思う。今の体制では自己責任が取れる親は育たないことを危惧している。日本では親が子供に対して自己責任を負うという意識が希薄である。これは国がやりすぎてきたからだということに皆が気付きだしている。根本的な議論をする必要がある。

(藤田委員)
 アメリカは日本より地域間格差が大きく、自己責任を担えない親の集中する地域と恵まれた教育熱心な親のいる地域とがあるという違いを確認する必要がある。日本はそれが拡散している。拡散した個人化した親に対しては、個々の親に考えさせるアプローチが必要だが、考えない親にも考えさせることが必要であり、これが難しい。このために、意識的にコミュニティーを包み込んでいかないと、個人化された親を取り込むことができないというのが欧米の中心的な考え方である。日本でも地域、親を取り込み共に立て直していくといった考え方が必要である。

(田村委員)
 イギリスでも地域によって格差が大きいが、日本であれば、地域格差は、国、教育委員会の責任と言われるのに対し、イギリスではそういう議論にはならない。だからこそ、日本人に自己責任を考えてもらうために私は義務教育を無償にするかどうかについて議論すべきと思う。

(上島委員)
 阪神・淡路大震災以降日本人の「公」と「個」の関係の意識は変わってきつつあり、自己責任についても自分のことは自分でしようという動きがようやく生まれつつある。後はこの動きをどう加速していくかが問題と思う。この自己責任が芽生えつつあるムードをどう盛り上げていくかが問題である。

(今井委員)
 私立学校は確かに都心部では選択可能だけれど、地方ではほとんどが公立の小中に行く。都心部は中学校段階で生徒の1割が私立に行くと聞いた。地方ではそういう選択肢はない。こうした都心部と地方の違いについても議論の際考慮してほしい。

(田村委員)
 その問題については、私は公立がもっと私立学校化できないかと思っている。それができるような仕組みを政策的にどのように考えていくかが問題。
 イギリスでは子供が問題を起こしたとき親を罰する議論があり、親に対する責任追及ははっきりしている。これに対し、日本の場合、夜起こった事件でも、学校の先生や校長が責められるが、起こした子供の親や家族は全く責められていなかった。これでは個の確立などできない。どこかで言わないと考えないのではないか。

(藤田委員)
 問題提起することには意味があるが、それをやった方がいいということにはならない。イギリスをはじめとした欧米諸国では、子供が問題を起こした場合、よく親を呼び、親に対して適切な対応がなされない場合退校処分にせざるをえないとか別の学校に行ってもらわなければならないなどの情報提供を行っている。日本でもこれはやっていくべきことと思う。しかしながら、それでも駄目な子供達はいる。そこを全体的に支える装置を社会的に考える必要がある。

(河合委員)
 今年の初め、中日新聞と東京新聞が一緒にアンケートを取ったが、その中で、一連の子供の問題で考えなければならないのは親であるという人が多い。学校制度といった人は少なかった。それから、中学生に誰が一番問題であるかと聞いたら、中学生であると答えている。今までは学校制度、先生が問題だったとするのが、少し変わってきつつある。ここをもう一押しすることが必要。

(今井委員)
 PTAでアンケートを取ったら、5割の人が家庭の教育力が低下しているという。しかし、親自身、親が悪いという認識があるものの、それを実際に自分の問題として考えられる人はまだ少ない。

(上島委員)
 何が親の責任であるかは問題。今の親は何が親の責任であるかについてマニュアルが必要なくらいの状況になった。親の責任について考えたことのない世代でもである。

(今井委員)
 我々だと、それが分からないのは恥ずかしいと思うが、今はそう感じる人が少ない。社会全体で子供を育てる家庭を支えようという風潮が出てくればいいが、今でもPTAの活動をやっている人は好きでやっていると言われるなど全体のことより自分の子供のことに一生懸命なだけ。個とか自己主張とか言っても、今の日本では自己責任が伴っていない。これを恥ずかしいと思う風潮が必要である。

(上島委員)
 親の責任チェックシートを作って具体的に親の責任とは何かということを言わなければならないのが現状なのだ。そのくらいしないと変わらない。

(田村委員)
 戦後の日本は、国作りの基本が損得だった。それはそれなりに合理性がある。しかし、豊かな今の社会で必要なのは、損得以上のものではないか。例えばアメリカではfairである。伝統文化を大切にすることはそれにつながるものと思うが。ここまで議論を深める必要があるだろう。

(石原委員)
 家庭の教育力が低下したと言われるが、今の時代ほど親が子供に関心を持ち教育投資している時代もない。受験は親が支えている。親の本音としては、これだけお金をかけ勉強を見てきたのに、それ以上何をしたらいいの、ということだと思う。子供を育てることの教育を中学以上の学校教育の中でおこなっていく必要がある。今までは、地域や家庭で世代を通して子供を育てることを自然に覚えることができた。今はそれができない。現在でも保健所では母親講座等を開催しているが、生涯学習の一環として親を支えるシステムが必要だと思う。そうしないと、親の責任と言われてもどうしていいか分からず親のストレスはたまる一方で、それがまた子供に悪影響を与える。
 自己責任で学校を選ぶということについては、公立の場合、中教審の答申の際に、地域の方からは、あまりにも実態とかけ離れており、一体どこの議論であるのか、という声もあった。地方の公立学校は、明治期の創設時に地域の人が土地やお金を出して設立したものが多く、地域の財産だという非常に強い伝統がある。これは日本の含み資産だ。この精神を次代に伝えていく必要がある。そして、次の世代がコミュニティを作っていく中で、社会連帯のもと自己責任、自分の確立があるのだという意識を支えるシステムが必要である。私達の地域では、つい最近も学校が抱える様々な問題について、地域の人々が、学校だけの責任にするのではなく、青少年の健全育成、しつけは自分達も責任を持つということで協議会を作った。こういう気運を21世紀に伝える必要がある。地方の公立学校はこのように再生していくものと思う。

(今井委員)
 地方ではその実状を考えて、合うものは取り入れ、合わないものは取り入れない、としていけばよいのではないか。今までは国から言われると全てやらなければならないと思って、それだけで大変だった。地方がそれぞれ選択することを通じて、地方のそれぞれの特色が出てくる面もある。したがって、地方が選択できる仕組みが大切だと思う。
 今度の改革で総合的な学習の時間が設けられるとともに教える内容の3割削減が行われる。基礎基本に徹底したとしても、中学で教師が教えることを勉強していれば高校にいけると保証があるなら総合的学習を親も支援できる。しかし、地方では実際それだけ勉強していても地方のいい公立高校には入れず、塾に行く子だけがいい学校に入れるというままでは結局塾へ行ってしまう。基礎基本をやっていれば大丈夫という保証がないと親は不安である。

(上島委員)
 日本は、子供が将来どんな人間になってほしいか、どんな職業についてほしいかを大学に入るとき初めて考えるのが半数以上を占める。それまではいい大学に入るためだけに勉強している。どんな子供になってほしいのか、どんな職業についてほしいかについてもっと早い時期に親、学校の先生が話せば、過熱した受験競争にはならないのではないか。
 また、国民会議ということもあるので、公立、私立学校以外にも、文部省所管以外の学校、例えば厚生省所管の看護学校とか、職業訓練学校等、さらにはフリースクールなどの問題についても整理して欲しい。

(田村委員)
 日本は公立学校中心の教育システムとなっており、公立学校に注文が殺到するのはそういう状況だからである。問題点は、15歳で子供は全て順序がつけられ、そのために公立学校の教育ができている。そこでいい学校に入れるかどうかでその後の人生が決まる。この現実を変えるためには公立学校をゆさぶることが必要である。親の責任、費用の問題、そして公立学校がみんな同じと建前では言いつつ、現実は違うことについて議論すべきである。学校評価をやろうということで、県の教育委員会から頼まれてそれに参画したが、評価結果の外部への公表については全く入っていない。評価は公表するから意味がある。これでは学校格差があることを認められない。

(河合委員)
 これは公立学校の問題というより日本人の問題である。日本人は順番が大好きである。私は教師をしていたから良く分かるが、親は順番が分からないと子供の位置が分からない。教育には熱心だが、その全てがそれに向かっている。日本人の順番好きについてはみんな潰さないといけないと分かっていながら難しい。実際は、みんな順番の低い人でも社会で頑張っている人がいることを知っている。小学校で優等生でも実は社会ではそれほど大成していないのが現実だから、それを親に分からせればよいのだが。しかし、親は子供のことについて順番でしか分からないから、やはり親は心配だろう。

(今井委員)
 これだけ情報過多であるにも関わらず、自分達の子供の能力を引き上げるために必要な、本当の意味での情報が親に入っていないのではないか。
 また、地域との連携という問題を考えたとき、学校評価について、意図的に教育した時は評価を公表していく必要があると思う。学校評議員制度も始まり、それがないと、次の年に学校をどのようにしていくかを考えることができない。さらに、地域の人にそういうものをオープンにしていくことが学校理解につながるのではないか。

(藤田委員)
 イギリスでは評価は全て公表している。その理由は親に学校選択の判断根拠を与えるためである。4年毎の査察(inspection)の結果も公表しており、これらにより親が学校選択に熱心になっていく。

(町村総理補佐官)
 査察とはどのように行うのか。

(藤田委員)
 膨大なマニュアルがある。『HowToSurviveInspection』という校長向けの本も出ているくらいだ。それで駄目な10校は名前を付けて公表される。学校評価についての情報公開についても、裏を返せば親がピックアップするのは順番のためのものというのが現実である。これは大きな問題である。
 こうした日本文化に根差した順番好きという問題の他に、日本は平等な社会であり、階層が平等で移動が可能な社会ほど順番が必要になる。イギリスのパブリックスクールをなんとかすべきであるという人もいたが、教育改革の際もここだけは手を付けられなかった。
 家庭に責任を取らせることは重要であるが、かなりの大多数は順番を気にする教育熱心であり、perfectparentを目指す親である。彼らはperfectな親であろうとするばかりに、狭く子供を枠づけることになってしまう。これに対して今広がって来ているのは、市民的社会的に存在する様々な生き方を自覚的に選んでいる親である。これに対し、後の3分の1が放任なり子供を全くコントロールできない状態にある親である。この三つのタイプの親に対し親の自己責任なり自覚を促すと、2番目のタイプの親は活動しているし、1番目の親はさらに自分を追い込むことになる。3番目の親は耳を傾けない。できることとして、2番目のタイプの親を支えたり、3番目の親に関わっていく状況なり文化を作る必要がある。

(田村委員)
 藤田委員のご認識と私の認識は若干異なる。私の学校では理事にイギリスの大使がおり、オフィスでのインスペクションが義務づけられているが、大変信頼できるものである。しかし、その公表についてはイギリス人でも躊躇があるが、労働党政権のブレアですら公表は継続した。これは評価してそれを公開しないと21世紀イギリスは生きていけないと思っているからだ。日本でも遅ればせながら考えていくべきと思う。
 国際化する日本の中で、日本のやり方だけで世界に対抗する人材が育つかという問題を考えなければならない。なぜサッチャー政権で学力向上を目指したかということとも関連するが、経済力を向上させるためには平均値をあげる教育が効果的であった。日本は戦後この道を選んできた。しかし、経済力がついてきたら、平均値が下がっても世界をリードする人材を育てる教育が必要である。そのためには、全員に身につけてもらうことを減らし、上は制限しないということが大切。格差が広がる分についてはセイフティーネットをはって対応すればいい。向こうのリーダーは、シェークスピアやギリシャ神話等幅広い文化的教養を持っているが、日本人は孔子や老子についての教養もない。システムを変え、エリートを育てる必要がある。

(藤田委員)
 エリートを育てる必要はあるが、その最善の方法が田村委員が今言われたような方法なのか、あるいは欧米が本当にエリートを育てるシステムかというと、私は必ずしもそうは思わない。高校や大学は欧米の方が優れているところが多い。したがって、ここはもっと弾力的積極的にエリートを育てていくようにすればよいと思う。しかし、エリートを早い段階から作り出すシステムというが、レベルを下げてセーフティーネットを作っているとしたときに、日本の受験熱心な親が無関心でいるはずがない。エリートではなくても、それに可能なかぎり近づきたいといって子供を塾に通わせるなど一生懸命になってしまうに違いない。

(田村委員)
 戦後20〜30年のところで教育の目標を変えるべきだった。豊かな社会になった時点で生涯学習という体系にすれば、子ども達も学習は人によって大きな差があることを体感できたのではないか。また、それにより教育の必要最低限をできる限り減らすことができた。親が教師に「うちの子はできるからもっとやってくれ」と言ったら、「私の仕事は平均の人を教えることだからそれはできない」と言ったという。戦後教育を変えられなかったツケがこんな形で回ってきている。しかし、そこを反省しなければいけない。平均を上回る子は教えられないということでいいのか。

(上島委員)
 私はイギリスの大学に行っていたが、イギリスの社会は階級制度があり、一般市民も10%の一部のエリートを認めている。そこからトップリーダーが輩出するのは当然だし、みんなそういう一部の人達に頑張ってもらえればいいと思っている。日本は教育水準自体は世界でも高く、それは誇りを持ちながら、少し変えていけばいい。

(大宅委員)
 ちょっとだけ、やる人にどうぞという道をつくることが大事。

(上島委員)
 そして、改革の大きな流れを作るために大切なのは、今、教育についての第3番目の大きな改革を目指すという位置づけで、本当に日本はどのような教育をすべきか、という時に、エリートの育成を基軸にするかということについては議論が必要だと思う。

(田村委員)
 イギリスも、エリートが階級社会から生まれるのでは駄目だということに気付きつつある。今後エリートはますます変化していくだろう。しかし、日本は階級社会は認められないから、階層にならないためにエリートをどう育てるか。多様なエリートがあるという表現をするしかない。それをやるとすれば、平均値をあげることを全力としていた学校制度を一旦見直し、平均値を下げる必要があると思う。

(大宅委員)
 エリートを「作る」というのでは前と同じである。エリートが「生まれる」環境さえあればいい。やりたい人がやれればいい。

(金子主査)
 残り約30分となったので、第2分科会としてどういうメッセージを出したいか、ミッション、テーマ等、会議の進め方を決めたいと思う。それを考えていただく間に私からエピソードを紹介したい。
 先日、慶応SFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)の大学生が会いたいということで会った。その人はずっと公立学校で育ってきたが、中学校は不登校、高校には行かず、15歳で大検に合格した。ピアノが好きでその後オーストリアに留学したが、日本を憂える気持ちが強く、SFCに入学したとのことであった。1時間ほど話をしただけで、その人がどういう人かについては詳しくは分からないけれど、SFCはこういうパスを持った人についても面白いのではないかということで、受け入れる傾向にある。そういうやり方も必要なのかと思う。
 もう一つ、慶應の幼稚舎では、6年生の算数については児童のタイプ別で3クラスを5つに分けている。ゆっくりやるタイプの2クラスについては算数の専門家にやってもらうこととした。そのクラスの子供は今までより30倍楽しいと言っている。算数だと、分かる子はどんどん手をあげて、先生の関心もそちらに行くが、わからない子は鉛筆をなめているといった状況。それは問題だということで、タイプ別クラスを導入した。慶應幼稚舎の場合、どんどんやるタイプのクラスに入ったからと言って中学に行きやすいというわけではないので、このようなクラスにしても特に問題は起こっていない。したがって、よくいわれる習熟度別クラスもそういう雰囲気があれば可能であるというのが経験から言える。

(今井委員)
 その場合、クラスというのはクラスで別にあるのか。

(金子主査)
 そうである。生活の場としてのクラスはある程度多い人数、30人〜40人くらいの方がいいと思う。学科によって、算数とかコンピューターとか、楽器などではプロ並みの子供もいればドレミができない子供もいたりするので、ゆっくりやりたい子とどんどんやりたい子を分けてもいいと思う。英語については11人ずつに分けて、ひとクラスを4クラスに分けてやっている。このような多重クラス編成を本格化することについては現在検討中である。幼稚舎ではこのようなことができるが、公立学校でもこのようなクラス編成をしたいと思ったときにできるような財政的な担保があれば、人も集まるし、いい先生も来るのではないか。

(町村総理補佐官)
 私はこれで退席するが、一言述べさせていただきたい。ここでは、ご自由に議論をし、答えを出していただきたい。
 また、中間報告については結論が明確になったものについてはその方がいいが、議論が分かれるものについては審議の概要という形でまとめていただきたいと思っている。
 さらに、委員の皆様からはここで提言したことをやっていただけるのかということも尋ねられているが、そのために私なり与党議員が入っているので、提言をしていただいたものについては必ず実行する決意であることをお伝えしておきたい。

(金子主査)
 次回からどうするかに移りたい。まず、テーマをどう選ぶかについてであるが、資料の審議事項にこだわる必要はないが、決めていきたい。

(河合委員)
 個性が大切である。個人を大切にすることが必要である。エリートになったからと言って幸せであるわけではない。本当に自分を生かすことができれば、それが幸福である。しかし、みんな幸福になるのは順番が上になることと思っている。それは個性を大切にしていないからである。そこがまず変わるべきである。個性を生かして自分の場を見つけることが大切だということを先生に分かってもらうことである。

(町村総理補佐官)
 現役の若いお父さんお母さんに今の様なアピールが届くことが大切である。

(今井委員)
 正しいかどうかではなく幸せかどうかを考えられる教育にする必要がある。
 それから、現場を支える代表からすると、教師の問題がある。適正を欠く教師がおり、学校も困っている。我々も困っているが、処罰してもらえないし、そこがオープンにされていないので、我々も学校不信になる。これから新しい学校に入っていこうという時に教師が旧態依然のままだと何も変わらない。教師の免許更新制についても議論してほしい。

(石原委員)
 学校週5日制における長期休業制度と授業日についても議論すべきである。長期休業は1学期と2学期の間にあり、親の休みと子供の休みが一致していないという社会の仕組みの中で、男女共同参画型社会において両親とも仕事に行き、子供だけ学校が休みという状況がさらに強まる傾向がある。1年間でどういう時間帯、生活リズムが子供にとって一番いい育ち方ができるかを視野に入れて、学校の授業日、休業日、家庭、地域の役割を議論できればよいと思っている。学校週5日制の中で低学年にも6時間授業が導入されるが、6時間という緊張度が子供の生育の中でいいかどうか、例えば欧米の中には授業は午前中で終わり、その他の時間が社会教育の場になっている。このように、学校週休5日制における学校、地域、社会のあり方についても議論をしてほしい。
 さらに、親の休日と子供の長期休業日が違うという社会システムの中での親の責任と社会の役割ついては、家庭、地域、学校に企業を付け加えて考えるべきである。
 この他、学校制度についても、中、高、大学というアカデミックなキャリアのみの単線的制度になっているが、高校以上については、もっと社会と双方向になるような考え方にすべきである。北欧の実験的プログラムでは、不登校の生徒などが、例えば学校に2日行って3日は学校外で活動し、それを通じて自分の生き方を探る。これにより学習の大切さや何のために勉強するのかが分かり、その方がかえって学習の動機付けになることを示唆していた。それぞれの自分の生き方をどう親や社会が支援できるかという中での学校制度や社会教育のシステムが確立できればと思う。

(田村委員)
 個性尊重というが、本当に幸福になるために必要なのは人の役に立つこと、というのは小さいうちから教える必要がある。
 もう一つ「学校文化を変えよう」ということが大切ではないか。

(大宅委員)
 学ぶことは楽しいとなるようにすべきである。私は因数分解を習ったとき、こんなに楽しいものか、と思ったのを覚えている。
 日本人は競争が嫌いであるが、競争というのは自分の位置づけをはっきりさせる有効な手段である。日本の場合、その尺度が学力しかないのが問題。いろんな尺度が必要である。

(金子主査)
 第2分科会の大きな方針としては、@精神論というよりも方法論をやる。A提案型にしたい。制度の枠内だけでなく、学校を変えることも含めて議論したい。Bまた、なるべく具体的なものにするというテーマをもちたい。学校を外に対して魅力あるものに、中に対しては楽しいものにするというテーマをもちたい。
 とりあえず、次回までに問題を整理してそれぞれの委員が3つずつテーマを出してきていただきたい。それを集めて検討する。先程の大きな方針を前提として、学校教育及びその周辺のことについて、資料も参考にテーマを検討いただきたい。
 それではまだ時間があるので、残りで何かあれば議論していただければと思う。

(石原委員)
 先生は教育公務員という身分上の特徴があるため、さきほど問題教師のことを指摘されたが、分限処分もなかなか困難で、非常に大変なことである。教師で適格性がないという人は、その人も不幸である。新しい職業にチャレンジさせることなども大切ではないか。また、小学校では子供が好きだという資質が必要であるし、中学校、高校ではより専門性が必要とされるなど、校種によっても必要とされる資質が違う。子どもの心をとらえ、時代の変化に対応していくことが教育の経験年数と必ずしも一致しないというのも特徴であると思う。

(今井委員)
 そういう点からいうと、若手校長の登用についても議論する必要があると思う。

(上島委員)
 教育はどこまで行っても画一的にしかできないということがあり、先生の画一性の下に教育を行わせる必要があるからこそ、良い先生と悪い先生を見きわめ、悪い先生をやめさせるのだということをみんなに認めさせることが必要だ。

(藤田委員)
 問題のある教師がいるのは現実であり、それに対するきちっとした手続きが必要である。この他、心の障害を抱える教師も増えている。これに対しては公務災害制度の時限的な適用等も検討する必要がある。
 教育委員会制度そのものを変える必要がある。教育委員会が事務局と一元化して官僚的になっているとか、学校の意思決定のあり方そのものを考えていく必要がある。

(田村委員)
 教育委員会は2つか3つの学校しか持てないというふうにはできないのか。

(藤田委員)
 アメリカはそういう制度を日本に導入したかったのだが、日本は中央集権的な教育行政を維持しようとして高校の小学区制を中学区制に変えた。

(田村委員)
 教育委員会にあたるのが私立学校の学校法人の理事会であり、たくさん学校を持っていない。日本の教育委員会は多様な学校を多数見なければならず気の毒だと思う。

(石原委員)
 そこは最終的には運用の仕方である。

(河合委員)
 校長の権限について議論した方が現実的である。

(藤田委員)
 権限基盤の複数化、少なくとも教育委員会あるいは学校の二元化について検討する必要がある。

(石原委員)
 教育委員会の権限については、服務監督しているのが市町村教委。教育委員の任命等の人事と予算は首長にある。都道府県教委は、任命権を持っている。

(藤田委員)
 教育委員会のチェック機能などについてもっと検討すべきである。

(金子主査)
 次回会議は6月2日、出席できない人も3つのテーマを提出してほしい。

[文責は教育改革国民会議担当室]
(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。