教育改革国民会議

教育改革国民会議第2分科会
第1回議事録



教育改革国民会議 第2分科会第1回・出席者一覧(敬称略)
 石原 多賀子金沢市教育長
 上島 一泰社団法人日本青年会議所会頭
 大宅 映子ジャーナリスト
(主査) 金子 郁容慶應義塾幼稚舎長
 河合 隼雄国際日本文化センター所長
 田村 哲夫学校法人渋谷教育学園理事長
 藤田 英典東京大学教育学部長
 今井 佐知子社団法人日本PTA全国協議会理事

教育改革国民会議 第2分科会 第1回議事次第
日 時:平成12年5月19日(金) 10:00 〜12:00
場 所:虎ノ門第10森ビル5階

1.開 会

2.今後の審議の進め方

3.審議事項等に関する全般的検討

4.今後の審議日程

5.閉 会


【金子主査】時間がきましたので、河合さんは連絡は入っていないので、多分もうすぐ到着されるんじゃないかということでございます。

 分科会は人数が少なく会場もいい雰囲気で、このくらいの感じだと、もう好きなことはどんどん言っていただけるんじゃないかというふうに思います。今日ここに来る出がけにラジオを聞きましたら、今日は水星と火星が重なる日だそうで、水星はコミュニケーションの星で、火星は闘いの星ですから、第2分科会のイメージとしてはいいんじゃないかと。恐れずに改革案をつくっていきたいと思います。

 実は、今日これを終わってから幼稚舎の方に行くんですけれども、昨日子どもからメールが入っていまして、先生と意見が対立していると、ついては私と話したいということで、そういう時代になったんだなと思います。今まで全体でいろいろ議論してきましたけれども、ここでは人数も少ないので、十分に学校教育、その関係の事項についてお話をしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

【事務局】では、プレスの方御退室をお願いいたします。

(報道関係者退室)

【金子主査】今日は、全体の大枠を話をしていって、あとはフリーディスカッションの形でやっていきたいと思います。それで、もうこの人数ですから、インフォーマルにどんどんやっていきたいと思います。

 ただ、主査として、だれかが決めなければいけないことは、私の責任で決めさせていただきたいと思います。最小限度のことを最初に決めていきたいと思っています。

 まず、これは私の責任で決めさせていただきたいんですけれども、副主査を決めておいた方が、私が遅れたりとか何かのときがあるのでいいと思います。企画委員でもありますので、田村さんにお願いをしようと思いますけれども、よろしいでしょうか。

 この会合の公開性というか、どのぐらい公開にするかということですけれども、原則的には全体会と同じように、分科会自体は非公開にして、議事概要と議事録は公開。すべての分科会の議事概要と議事録は、ほかの分科会にも配るということで、またホームページ等で公開する。それでよろしいでしょうか。会議を公開にするという意見もあると思いますけれども、会議自体はやはり何でも言えるような雰囲気でやり、その上で何があったかをどんどん伝えるという方式がいいんじゃないかなと思います。よろしいでしょうか。

 会議後に、全体会と同じように、主査によりプレスの方にブリーフィングがあるということも、全体会と同じでよろしいでしょうか。

 全体会議と分科会の位置付けのようなものを、最初に議論をしたい。まず我々はいつまで存在するのかということです。当初中間報告を夏までにということだったんですけれども、7月も8月も夏じゃないかということで、7月中ぐらいまで十分分科会でもんで、それで持ち帰って8月と夏休み後に全体会を開いて、9月の下旬ぐらいまでに、全体会議として中間報告をまとめるということをしたらどうかということが、この間といっても昨日なんですけれども、企画委員会でそういう案が出てきました。

 後で第二分科会の日程をお話しします。私の方で7回分、かなりの人が集まれるところを提案いたしたいと思うんですけれども、できるだけその中でお話をしていただき、中間報告に向けて全体会に持って帰る。企画委員会の案としては、9月下旬ぐらいまでに中間報告を全体としてまとめて、その後10月か11月にかけて公聴会とかシンポジウムなどをして、広く国民の意見を聞く。その後は分科会を続けるのか、全体会でやるのかはそのときに決めていくと。私は分科会を続けてもいいんじゃないかと思っています。そういうような形が、全体的な枠組みです。

 ほかの分科会との関連というのは、分科会の審議が3回程度で終わったところぐらいで企画委員会を開いて、少し調整をするということが全体的な進め方なんですけれども、この点については何かございますでしょうか。

 これだけの人数なんで、5回、6回集まればかなりいろんなことが話せるんじゃないかと思っています。

 大体それでよろしければ、事務局の方に皆様から出られる日程を提示していただいていますが、それに基づいて私が出られるという日を優先したんですけれども、7月中までに一応7回分、今日も入れてピックアップしました。最低5人は出られるというところで、なかなか全員というのはむずかしいので。7回全部やるかどうかは、必ずしも7回全部やるということじゃないと思います。最終的には中間報告の案を取りまとめなければいけないので、最後の7月17日には、それを見てまた議論するということになるんじゃないかと思います。途中1回ぐらい休むかどうかは今後の議論によるとして、一応これで進めさせていただくということでよろしいでしょうか。日程調整していただける方があったら調整していただいて、たくさんの方に出ていただきたいと思います。

 あとやっておかなければいけないことは、中間報告にどんなことを盛るかです。それに関しては、もう本当にこれからですが、私としては、この分科会はなるべく具体性を持って、直接何かインパクトを持つようなものにしたいと思っています。メタなレベルの議論は第一分科会でやるだろうから、精神論じゃなくて、具体的にいろいろ提案していくというようなことをしていけたらなと思っています。

 一方で、ここは審議会でも中教審でもないので、我々で話したことはすぐ制度変更になるということじゃない。パンパンパンといろいろ話題を提供していくというようなことがいいのかなと思います。勿論実質的にきっちり議論したいと思います。

 分科会として、この7月までの議論を何かしらの形でまとめるので、そのときには何か実際に書いていただく方をお願いする可能性があります。起草委員みたいな形で。それは、今後ディスカッションの中でお願いしたいと思います。

 もう一つ決めたいことは、今日は今井さんにいらしていただいていますけれども、ほかの分科会から委員が来ていただいた場合には、原則的には第二分科会のメンバーと同様の扱いということでよろしいですか。ただ、報告書を書く場合には、やはり分科会の責任でやるので、そこに関しては基本的に分科会の人たちの責任でやるということで。あとは来ていただける方がいたらというか、逆に第2分科会が面白いからというんで、ほかの分科会からどんどんきてもらえるような部会にしていきたいと思っております。

 では、もう私の方からそのぐらいですので、あとは今日もう実質討議に入りたいと思います。

(河合委員入室)

【金子主査】ちょっと河合さんがいらしたんで、ごく簡単に今までの議論をまとめて申し上げます。

 副主査を田村さんにお願いいたしました。日程を一応、事務局と相談して7回確保しましたので、全部やるかどうかは別にして、第2分科会この日程でやらせていただきたいということで、そこまで話が進んでいます。

 今日は、この分科会をどういうふうに進めるかというようなスタイルの問題と、何を議論するかというテーマの選び方を中心にして、自由ディスカッションをしていただきたい。スタイルというのは、例えば我々メンバーが順番に、毎回1人、2人がプレゼンテーションをして半分議論にするのか、全部討論にするのか、それともゲストを呼んできて、15分でも30分でも意見をいただいてから討論するとか。どうするのかを決めるとともに、どんな議論をしていくかという内容について話していただきたい。最初にフリーディスカッション的にお話しをさせていただいて、今日の会議の終わりまでには大体こんなテーマでというのを選べればいいかなと思っています。

 今まで、我々何回も見た資料で、審議事項というのがございますね。1ページ目の共通課題というのは、教育基本法等の検討と財政的な問題、「教育の日」というのは、ちょっとよくわかんないんですけれども、これはどこの分科会でも話しましょうということなんで、もし御関心があれば話題にあがっていくと思います。

 あとは、第2分科会関連でここに書いてあるのは、これは今までの、委員がどこかで発言したものを事務局でまとめたものなので、本当に参考程度というふうに思います。ここにないテーマは話さないとか、ここにあるものを全部話すというようなことでは全然ないと思っています。ここは、学校教育を中心にして、地域コミュニティーの話、家庭の話、NPOの話なんかも出ても当然いいだろうと思いますし、学校教育に関連したことを、制度の問題、教員の問題、教育環境の問題、授業の内容問題というような形になっていますけれども、これにこだわらず。ただ、今日を入れて5〜6回、最大7回ですから、テーマは当然絞らなければいけないと思います。

 ということで、一応最初の私の方からのお話はそのぐらいにしまして、最初は少し自由に、どんなふうにこの分科会を進めるか、分科会を始めるに当たって、少し理念的なことでもよろしいですけれども、こんなことをテーマに取り上げたいということを、自由にディスカッションしていただければと思います。どなたからでも結構です。

 今までのところ、何か御質問とかございますか。日程、副主査、公開の件。

 では、時間も十分ありますし、人数も少ないのでご自由にどうぞ。

【上島委員】「学校教育」をこの第2分科会の中身に言及したということでいいですね。私思うに、前回全体会議出てませんでしたので、何か白熱した御議論されたということで、欠席で残念だったなと思ったんですけれども。

 私は大きく分けて、2つに分けて議論していったらいいと思います。1つは、魅力ある学校づくりと、2つめは、頼もしい教師づくりです。何か全体的な大きな流れは2つにまとめていけるんじゃないかなと思っています。魅力ある学校づくりの中で幾つか細分化して、またあと頼もしい教師づくりで、本当にこれからの学校の中での人づくりということの2つに分けながら、後で枝葉で議論していったら今のところいいんではないでしょうか。

 魅力ある学校づくりの中には、本当にどうその学校自体を評価していくべきだとか、またカリキュラムの内容をどうしていくべきとか、幾つか出てくると思います。頼もしい教師づくりの中では、教員の採用の仕方とか、また学校の先生に例えば社会をもう少し経験さすとか、ボランティアをやっていただくということも出てくるんだろうと思います。よく言われる部分での教師像というのも話していければ、大きい意味で2つに分けていけば話しやすいんじゃないのではと、まず第1回目そういうふうに思います。

【大宅委員】これいっぱい挙がってますね。それで、割と重いのも軽いのも同列にざっと並んでいる。無視して消してしまって良いものもあると思うんです。それと、例えば公立学校選択の自由化というのは、これもうやっているんでもっと進めなさいと言うしかないわけだから、そういうものも外す。それで今、上島さんおっしゃったみたいな、どこかに絞っていく必要がある。その際、さっき、何か外部から人をとかという話ありましたけれども、なるべくなら私はメンバーでやった方がいいと思う。ただそういう評価システムみたいなものとか、何か資格とかは、細かいことは知らないんで、必要であれば、何がネックでそれが今できないかということを知るためには、専門家はいるかもしれないけれども、基本的なところは、みんなでやってしまった方がいいんじゃないかなというふうに思います。

【金子主査】専門的なところは、投げれば事務局の方で、事実関係は調べていただけると思います。

【田村委員】本当にフリートーキングということですからあれなんですけれども、やはりこれは私的諮問機関という意味ですから、現行の法律とか、現在あることをもう全く無視して自由に言えるという特徴があるわけですね。これは、いわゆる各省がやっている審議会と基本的に違うんだろうと思うんで、例えば極端な話、憲法とか基本法も無視して議論できるという特徴があるわけですね。だから、そういう議論をやはり1回しておく必要があるんじゃないかという気がするんです。

 例えば、私は個人的には、義務教育無償論というのは疑問を持っているんです。これは、憲法に書いてあるから普通は議論できないんですね、だけどここはできるんですね。諸悪の根源とまでは言わなくても、かなり問題があるんじゃないかと思っているんです。無償だということでね。

 つまり、教育というのを国から何か課題として与えねばならないものというふうにとらえるか。勿論、そういう面はあるけれども、重点を個人とか、パブリックではなくてプライベートのセクターに置くとすれば、教育に関してはそれぞれの選択とか自己責任というものを、非常に強く主張する意味があると思うんです。それを、小さいうちからも、そういうような対応というものを議論することは、決して無駄じゃないんじゃないかという気がしてしようがないんです。

 例えば、一番具合が悪いのは、義務教育無償と書いてあるんですが、実際はどこかで払っているわけです。税金として払ったものを還元してもらっているだけなんですから、全然無償じゃないんですね。しかし、受ける側からすると無償だということで、無償なんだから余り文句言えないんじゃないかとか、悪くてもしようがないとか、する方も無償だから、余り文句言うなとか、そんなことがまかり通るという部分が残るんです。

 だから、そこのところを私は1回議論の中にあげてもいいんじゃないか、それは昨日出てきた話じゃないですけれども、例の税金の問題ですね。税金は取られるものというふうに考えるんじゃなくて、自分たちの社会を支えるものとしてとらえるというような意識が、スタートのところから日本国民にちゃんとあれば、そういった議論をしなくてもいいんですけれども、どうもそこまでいってないところで無償でやると、マイナスの面ばかり出てきてしまうんじゃないかという気がしてしようがないんです。

 だから、そういうようなところをやはり1回議論して、そこからまず自己責任ということを、今回の審議会の中心テーマに挙げられないものなのかなというふうに、今思っているんですけれども、そういうふうな議論をしていいかどうかということも含めてひとつ。

【大宅委員】それはあるんじゃないですか。さっきの公立学校選択の自由化というのがどこから出たかというと、行革委員会の下の規制改革小委員会の中で、1年間日本中回ったら、みんながお上は決めたことは受けるという思想なんです。競争して負ける人が出るとかわいそうという発想なんです。これじゃどうにもならなくて、教育を変えなくてはいけないというので、委員会の中に教育というグループをつくり、主査をやったわけです。現在6歳になったら、ここに住んでいる子はこの小学校に入っていただきますと決められている、お仕着せですね。そこから何にも考えるという動作は出てこないわけで、そこから変えるために学校だって自分たちが選ぶ権利があるんだということを、その意識を変えたいと、これを推進しようという一つの手段として、学校選択の自由化をやったわけですね。

 だから、私、義務教育違反のすすめを、講演の中で言っているんです。学校行きたくないと言ったら行かせるなってさんざん言っています。そしたら、そんなこと言ったって大宅さん義務教育でしょうという聴衆が出てきて。だって、行かせ続けたら飛び降りてしまうかもしれないし、人を刺してしまうかもしれないところに、何で無理やり行かせなければいけないわけと言って調べたら、義務教育違反は罰金3万円か何かなんですね。

(町村補佐官入室)

【藤田委員】私は、議論することには大いに賛成ですし、根本的なところを含めて時間の許す限り是非議論したいと思いますが、もう一方で、自己責任論には安易に乗るべきでないと考えています。もちろん、それは一つの考え方として重要であり、十分に検討する必要があるとは思いますが、同時に、義務教育の意義や問題性をきちっと見極めることも重要だと思います。また、それは一体人々にとって何なのか、子どもたちにとって何なのかということを、国民みんなに考えてもらうということも重要だと思っています。

 それから、制度というのは、必ずしも理念的に考えたようにいくわけではないということも、併せてきちっと考えていきたいというふうに思っています。

【石原委員】学校教育の中で、公立の学校と私立の学校とございますが、私立の学校というのは学校設置者が、例えばミッションスクールならば、宗教教育をというように、自らの教育目標のために設置し、自分たちで教員を採用し、かなり弾力的なカリキュラムを組みます。

 これに対し、公立の学校の場合には、私は前に申し上げましたが、通学区域のすべての子どもを対象としており、本当に社会の縮図そのものです。さまざまな家庭の子どもが入学していますが、どこの地域や親のもとに生まれるかは、子どもにとっては運命であり、子どもの責任ではありません。

 だからこそ、子どもたちがどこに住もうと、どの親のもとに生まれようと、自分の能力や個性というものを育てていくための、その基本的なところを、公的にきちんと担保する社会的な仕組みは必要です。

 子どもにとってこのような過酷な家庭状況の中でよく生きてきたというような思いにかられることもあり、子どものけなげさやたくましさに深い感動を覚えるとともに、親の責任の重さを強く思います。日本の学校教育の中で自己責任が取れるような大人に育てていくことが大事であって、6歳とか10歳の子どもに自己責任を取れと言っても無理であり、それは基本的に親の責任だろうと思います。

 子育てにおける親の責任は当然ですが、一生、親が責任を持つわけではなく、子どもはやがて大人になり社会人として社会的に生きていきます。考え方の面でも、暮らし方のスタイルにおいても、いろんな職業の在り方においても、ますます多様化する21世紀の中で、子どもたちが、自らの責任ではない宿命的なことにおいて、差ができないということをきちんと担保しながら、20世紀型の学校教育ではなかった、さまざまな、柔軟な選択ができるとか、責任という概念を子どもや親にどう提示し、また育てていけるか、ということを教育の中で考えていけたらというふうに思っております。

【河合委員】私も、基本的には石原さんに賛成なんです。というのは、私なんかはむしろ大変な家庭の方をよく知っておりますので、豊かというのは確かにお金は豊かになっているけれども、子どもにしては本当に大変な家がたくさんあるわけです。それは、今おっしゃったとおりで、子どもに初めから自己責任は持たすことはできないんで、やはり国がある程度の線はちゃんと保証しているんだということから考えると、公教育と言いますか義務教育と、これはどうしても私は必要だと思います。ただし、だから私立学校はいけないと言い出すと、これは問題ですけれども、ちゃんと私立の小学校はしていただいたらいいのだと、それはもうそこへ行きたい人はどんどん行けばいいので、そういうものを自由にはする。

 ただ、その学校の在り方が、これはもう大宅さん言っておられるとおりで、余りにも画一的になってきたら、これは非常に問題ですから、その在り方を我々が考えねばならないけれども、やはり公立学校の在り方というのは、どうしても私は大事だと思います。その在り方を、むしろ我々が検討した方がいいんではないかというふうに思っておりますけれども。

【田村委員】結局、どっちが鶏で卵かという議論だろう思うんですね。結局、今のような体制を続けていたら、なかなか自己責任という親が育ってこないということを、非常に危惧するわけです。

 例えば、私は非常に印象的なんですけれども、アメリカのくだらない探偵映画で、警官が犯人を追い詰めるわけです。あそこにいると、じゃ明日何時にここに集まってやろうと。そうしたらその中の警官が、いや私その時間は子どものPTAがあるんですって言うんです。そうすると、もう警官の親方が困っちゃって、じゃ、しようがない、子どものPTA優先だから行ってこいって言って、そいつは外れるわけです。そういう風景が、日本では考えられないわけです。そういう意味では、親の子どもの教育に対する自己責任という意識が非常に薄いからなんです。

 そのことをだれがつくっているかというのは、これはいろんな議論があると思うんです。だけど、国が余りにもそういうことをやり過ぎちゃったから、考えなくていいっていうようなことがだんだん育ってきて、今はそれが非常に強くなっているということにみんな気づき出した。だから、今までの法律じゃだめだという話が出てきているわけですね。そういうことを、根本的に議論を1回、どっかでしなきゃいけないんじゃないかというふうにいつも思っているんです。

 根本的に議論するというと、象徴的なことになるから、義務教育無償はいいのかというような話をすると、みんな本当に考えてくれると思ったんです。

 それを言わない限り、お巡りさんが明日犯人をつかまえるときに、いや子どものPTAがあるから行けないというようなのは、日本では絶対に出てこないです。だから、アメリカの公立学校教育と日本の公立学校教育はもう基本的に違うんじゃないかと私は思っているんです。

 だって、日本的だったらまず、学校の先生がやってくれているんだから、PTA休んだっていいやという方が優先するんじゃないでしょうかね。それで、優先してもいいようなほど、恐らく日本の学校がきちっとやっているんだと思うんです。どうでしょう。

【藤田委員】私は田村先生のおっしゃることも一理あると思うんですが、もう一方で、2つの点で疑問があります。1つはアメリカの場合、日本よりはるかに地域間格差が大きいという問題があります。自己責任を担うことができないような親が集中している地域というか、これはイギリスでもソーシャル・イクスクルージュンということで、近年、政策的問題になっていますけれども、そういう地域と、比較的恵まれた、割と教育熱心な親が集中している地域との落差が大きい。この違いは確認しておく必要があると思うんです。

 もう一つは意識の覚醒に関わる問題です。日本では、地域差がないわけではありませんが、豊かな階層が拡散していて、いろんな問題が集中している地域というのは多いわけではない。みんな拡散していて、散らばっていますから、社会のいろんな問題が身近な問題として自覚されにくい面がある。そういう意味で、意識の覚醒をはかるためにも、きちっと議論して問題提起することの必要性はわかるんですが、もう一方で、言われているような意識の覚醒の仕方は、個人化されたレベルでの意識の覚醒を目指すものだと思うんです。

 それは、個々の親に対して、個々の家庭に対して考えろというアプローチですから、その場合、考えない親はいつまでたっても考えない、考える親は考えるけれども、そういう親は実はもう既に考えている。そうすると、考えない親にどう考えさせるかが問題だということになります。これはアメリカでも苦労していることです。特に都市部ではそうでして、それだからこそ、例えばシカゴ流のコミュニティー再建を組み込んだサイトベースト・マネージメント(site-based management)や、ニューヨーク市イーストハーレムのミニ・スクール方式によるコミュニティーの再建のように、何か意識的にコミュニティーを包み込んだ方式でやっていく必要があるのだと思います。そうでないと、そういう個人化されアイソレートされた親を取り込んでいくことはできないというのが、欧米の近年のスタンスだと思うんです。

 イギリスでもソーシャル・インクルージョン・ポリシーというのが、今進められていますけれども、何とかしてそういう地域や親を取り込んで、一緒に立て直していくということが重要だと思うわけです。ですから、その辺のところを含めて考える必要があると思います。

【田村委員】実は、3年ほど前にイギリスの教育を見てくれというんで、イギリス政府から紹介されまして行ってきたんですけれども、ちょうど行ったときにロンドンのその地域で校長さんがピストルで撃ち殺されるという事件が起きたんです。もう上へ下への大騒ぎでした。ずっとその状況を見て、本当に不思議に思ったのは、そんな状況がある。つまり、地域によってものすごい学校格差があって、日本だったらもう大議論になると思うんですけれども、イギリスの社会では、個人の責任で、そういった学校がイギリス流のやり方でやっている。それを変えるという議論は全く出ないんです。もう差がある前提で、問題が起きたら、それを一つひとつ対応することをいろいろと工夫するけれども、個人責任を原則にしてやるという原則はだれも議論しないです。必要があるとは思ってないんです。

 日本だったら、失礼ですけれども、今の先生がおっしゃったように、地域に差があると、これはもう国の責任で全部面倒見ろという議論になるんです。今のこの体制だと。あるいは、教育委員会の責任だから教育委員会が全部責任持って、同じようにやれという議論になる、もうそういう議論は全く出ませんね。

 だから、そこのところがどうもイギリス人と日本人が基本的に違うところだなというふうにつくづく思ったんですが。それが、だから鶏が先か卵が先かという議論になってしまって、どっちにあるかわかんないんですけれども、でも考えてもらうためにはお金が掛かるということを言うのが一番いいのかなと思って、無償のことをみんなで考えようぐらいのことを言った方がいいんじゃないかという気がしてしようがないんです。

【上島委員】 阪神・淡路大震災以降、何となく日本全体の、若干ですけれども、お上に全部任せておいてはいけないという意識が芽ばえてきた。私なんかまだ若い世代ですけれども、日本というのは全体的なムードに流されやすい中で、今までずっとお上に任せて、すべて公共に、ありとあらゆるものを任せたらいいという雰囲気から、「個」の自立という意味で96年から確かに日本は変わってきつつあると思うんです。

 ですから、そのタイミングの問題と時間の問題で、早く自己責任をもっと明確に、自分たちのことは自分たちでするという意識を日本全体にしていく。もうあと5年、10年かかるでしょうけれども、96年あたりからこのままではいけないと、自分たちのできる範囲はしていこうという流れになってきた。日本というのは恐らく戦後皆さん、諸先輩方がつくってこられた中から変わっていると私はそんな感じがします。その意識をどう加速させるかが大切で、本当にそういう自己責任ということをもう少し時間をかけて流れをつくっていく素材はできたと思うんです。ですから、もう卵が先か、鶏が先かというよりは、どうムードをつくっていくかに全体的になっているんではないかと、だんだん自己責任が芽生えてきているんじゃないかなと思うんです。

【今井委員】今のお話を伺っていて、よく先生たちの話とかするときに、東京の方が、それは豚の細切れを買っていて、牛肉のようなうまみは出ないよとよく言われるんです。でも、私は山口ですけれども、豚の細切れを買ったつもりはもともとないんです。

 確かに、私立の方というのは都心部では選択がかなりできている部分があると思うんですが、地方ではほとんどが公立の小中に行くもんですから、この前、河上先生のお話伺っていたら、都心部は1割が中学校のときに私立に行くと、その子どもたちをじゃどうするかという話になる。でも、私たちはそういう選択肢というのがなくて、みんなもう上がっていっちゃうんです。

 そして、大学でみんな全国からどんと集まって一緒になったときに、県立の高校だったら、都会の人たちは、何だお前は県立なのかって、何か変な目で見て、その辺の感覚の違いというのがあって、だからこの議論が都心を中心にお話を進められると、私たちは豚の細切れの論議はしたくないんだけれども、だけどそれしか食べられないところもたくさんあるんで、そこの辺のところをやはりデリケートに扱っていただきたい。

【田村委員】公立が、もっと私立学校化したらいいというふうに私は思っているんです。だから、それができるように仕組みを考えられないかというのが政策的にはあるんです。 それは別としまして、イギリスのときにつくづく思ったんですけれども、親を罰する意見がかなり強力に出るんです。だから、親の責任をそういう形でもうはっきり追及しているんです。

 日本では、例えば帰ってきた直後に起きた事件でよく覚えているんですけれども、九州の博多か何かで、海岸で首まで砂に埋められるという事件がありました。そうしたら、かわいそうにそこの学校の先生とか校長が新聞に出ているんです。事件が起きたのは夜でしょう、夜そんなことやっていたら学校の先生が責任持てるわけない、だけど新聞はそういう取り上げ。でも、その起こした子どもの親とか、その家族なんていうのはだれも触れない。だから、これはもう永久に個の確立なんてできないなとつくづくそのとき帰ってきて思ったんです。

 これはあえて暴論ということで言っているんですけれども、どっかで言わないと、みんなが考えないんじゃないかと思うんで、言うとするとこういう場所しかないんですね。余り意味がないことですかね。

【藤田委員】私は、それは考えてもらうためにも言っていい、問題提起することには意味があると思うんです。だけど、それをやった方がいいということでは、必ずしもないと思うんです。

 もう一つ、親の責任を日本では問わない、家庭の責任を問わないという傾向、これは確かにその通りでして、この15年間ほど学校で起こった問題、子どもが起こした問題は、全部学校のせい、教師のせいにしてきたわけですね。その点、欧米は対照的ですね。イギリスでもアメリカでも、問題を起こす生徒の親をしょっちゅう学校へ呼びますね。呼び付けて、そして事情を全部説明して、情報を提示して、適切にそれに対する対応ができなければ、退校処分にせざるを得ないとか、あるいは何らかの特別の学校へ入れざるを得ないとか、そういう情報を絶えず保護者に知らせながら指導するというスタンスがありますね。そういうことは多分日本でももっと考えなきゃいけない、きちっとやっていかなきゃいけないことだと思うんです。

 もう一方で、そうは言っても、それでもだめな子どや保護者がいるわけですね。ですから、そういう子どもたちも含めてトータルに支える装置というのは、やはり社会的に考えていかないとしようがないんだと思うんですけれども。

【田村委員】だから、社会的に考えていくと、鶏が先か卵が先かわかんないけれども、個の確立が全然いつまでも育ってこないという。どうなんでしょうかね。

【河合委員】今年の初めに、中日新聞と東京新聞が一緒になってアンケートを取ったんですが、それを見て私がすごく面白いなと思ったのは、そういう一連の子どもの問題が出てきていると、一番考えねばならない問題はどこにあるかといったら、親というのが一番多いんです。学校制度とかいうのは非常に下になっているんです。これは、私はびっくりしました。みんな学校を非難すると思ったら、そうではなくて親だと。

 それから、すごく面白かったのは、中学生はだれが一番問題かといったら、中学生だと書いているんです。親とか、学校とか、先生とかいうのは、もう中学生自身も自分たちで自覚を始めているんです。だから、ちょっとその感じは変わってきたと思います。

 今までは、学校生徒とか先生とかいうふうに一番悪いのが出てきたのが、そこはちょっと変わってきつつあります。だから、言われているように、日本中の意識は今変わりつつあるので、そこをもう一押しうまくした方がいいですね。

【今井委員】ただ、私たちもPTAでアンケートを取って、学級崩壊の原因は何かというと、各PTAの会長さんたちの5割ぐらいは、家庭の教育力の低下だと言われるんですね。私PTA活動していてずっと思うんですけれども、ただみんなそのようには認識しているけれど、言葉は入ってきているんだけども、自分の家のことだという認識はないわけです。どのそこの、だれだれちゃんちだとか、あそこだという、だから家庭が悪い悪いと言っても、本当にそれが、ああ自分も振り返ろうというところまでは議論がいってないような気がするんです。

【上島委員】 それをもう一押ししていかなきゃいけない。何が具体的に悪いのとか、親の意識のどこを変えていかなきゃいかんのかというところを、もう一押し具体的に。

【今井委員】親というのは、誰のことなのかといったら、私たちのことだよというところまではいかないですね。

【上島委員】 情けないことで、親の責任を明確にするマニュアルをつくらなければいけないのではというぐらいの現状になったら、これはもう日本、変な国になってしまうんですが、そのぐらいの意識で、本当にマニュアルつくって親が具体的にやらなければいけないことを明確にしていくくらいしないと今の親の世代は考えないですから。これから親の責任を考えたことのない世代が育ってきます。

 だから加速さす方法は、自己責任というか個の確立というのをどう、親の責任というものを本当にどうするか。じゃ親の責任って何と聞きますでしょう。さっき今井さんのようにアンケート取ったら、みんな、半分以上は親の責任って言うんですが、具体的に何と聞くと答えられない。

【今井委員】恥ずかしいって思うんじゃないですか。特に子どもを小中抱えている団体にいて、こういう問題がいろいろあって、家庭教育の低下だと正面切って言われたら、恥ずかしいと思っちゃうわけですね。だけど、そういうふうに感じる人たちが非常に少なくて、家庭の教育が悪いんだということに、うんって納得しちゃって、そこから考えようとしない、動こうとしない。それを世の中にもアピールしようともしない。先ほど田村先生がおっしゃいましたが、やはり社会全体で、子どもを育てる家庭というのは大変だから、みんなでそういう子どもたちのことに関して活動している人たちには、みんなで支援しようよという風潮が出てくると、私たちとしたら追い風がきて、一生懸命頑張ってやれるんですが。

 例えばPTAの活動でもやっている人は、あれは好きでやっているのよって言われて、そんなことより自分の子どもの方が大変よと、土日の活動でも、全体のために何かをやろうというと出て来ないけれども、スポーツとか何だかんだとかと、自分の子どもたちのことはもう一生懸命やるわけですね。そんなことで、周りのことまでやっている余裕ないんです。それを、個だとか自己主張というふうに取られちゃったら、そこに全然責任という部分がついてきてない。それが、恥ずかしいと思うような意識をつけたいですね。

【上島委員】 来月できるんですけれども、親の責任チェックリストみたいなものを作ります。子どもにあいさつを毎朝させていますかとか、もう具体的に、より親の責任とは一体何かというのを、さっきおっしゃった個の確立って一体何かと、そのためのチェックリストを今我々が作っているという現状なんです。

【田村委員】この間、ここで企画会議だったか何かで話題が出たんですけれども、私がそのとき申し上げたんですが、戦後の日本というのは、いわゆる八紘一宇というような考え方で、国が固まって戦争しちゃって大損しちゃったと。それで、もう食うや食わずの状態になってしまったんで、その反省で戦後の国づくりをやったと。結局、今に至るまで国づくりの基本的な発想は損得だという。つまり、得することはやるけれども、損することはやらないと、それはそれなりに合理性があるわけですね。それでずっと国づくりをやってきた。今でも基本的にその考え方が大人の社会では支配しているんだろうと思うんです。 でも、そろそろこの豊かな社会になってきて、何が問われてくるかというと、損得だけではない何か日本の国としての原理みたいなものを、それが八紘一宇になるといけないというのは、牛尾さんなんかは言っているんだけれども、やはり何か考えなければ、少なくとも国際社会でも尊敬される民族にはなれないですね。アメリカだったらfairというのはすごく社会として大事にしますでしょう。

 今井委員は、恥ずかしいと言って、昔は恥の文化というのがあったんですけれども、何でもいいんだけれども、伝統文化を大事にするというのは、それにつながることなんで、今回のこの会議では是非それを主張したかったんですが、今すぐ言うと、じゃ神の国かって言われちゃうから、もうちょっと経ってから言った方がいいなと思うんですけれども、基本的にはそこまで議論を深めないといけないんじゃないかと思っているんですね。

【上島委員】 それは大いに言った方がいいですね。それは、だから第1分科会でどう言っていくか。

【田村委員】第1に任せないで、ここでも言った方がいいんではないかと。

【上島委員】 大いにいいんじゃないでしょうか。

【石原委員】家庭の教育力が低下したとよくいわれますが、今の時代ほど親が子どもに関心を持ち、教育投資をしている時代はないと思います。受験は、親が支えているんです。親の教育への関心と学校選択と自己責任は、このことに大きく表れていると思います。

 明治のような子だくさんで、母親はもう家業で忙しくて、子どもの勉強など見る時間もない時代とは違い、学歴を子どもに与えることこそが家庭の教育力という時代になっています。結局、今、親が戸惑っているのは、あるいは親の本音としては、これだけ子どものことを考え、これだけお金をかけて、これだけ一生懸命勉強見てきたのに、それ以上何をしたらいいのということだろうと思います。

 今まででしたら、その地域や家庭で世代間連続で子どもを育てるというノウハウや、いろんなことを自然に覚えることができたのが、今は時代の中でもうそれは難しくなりました。

 そういう意味では中学以上の学校教育の中でおこなっていく必要があると思います。既に中学校などで保育園に行ったりして、初めて赤ちゃん抱いたとびっくりしたり感激したりしていますね。そういうようなことも、必要な時代になってきたのかと思います。

 保健所で、母親講座を開いていますが、そういうことも含めて、生涯学習の一環として、親を支えるシステムが必要だと思います。そうしないと、親の責任と言われてもどうしていいかわからず、逆に親を追い込んでいくと、そのストレスがたまる一方で、それがまた子どもに悪影響を与えるのではないかと思っております。

【上島委員】 今のは、私賛成です。

【石原委員】もう一つ、自己責任で学校を選ぶということについてですが、公立の場合、中教審の答申の際に、地域の方からは一体どこの議論かという御質問があったんです。余りにも自分たちの実態とかけ離れたところの議論のように思えると。

 なぜかと言いますと、それは今お上が教育を与えたと言いますが、地方の公立学校はその成り立ちすなわち、明治期の創設時に地域の人が土地やお金を出しあったものであり、まさに地域の財産だという伝統があります。これは日本の含み資産ではないでしょうか。

 この精神を次の世代に伝えていく必要がある。そして、次の世代が地域の中で、学校を核としながら、地域のコミュニティーをつくっていく中で、初めて社会連帯のもと自己責任とか、自分の確立があるのだという意識を支えるシステムが必要である。

 私達の地域ではつい最近も、学校がかかえている様々な問題について、子どもはやはり大人がきちんと面倒を見て、関心を持って、悪いことは悪い、いいことはいいとほめて、社会的なしつけをしないところで子どもは育たないことを地域の共通認識として、青少年の健全育成やしつけは、自分達でも責任を持つということで協議会をつくったんです。そういう気運を21世紀の方にぜひ伝えていく必要があります。地方の公立学校はこのように再生していくものと思うんです。

【今井委員】だから、私も通学区域の緩和とかの話は、私たちもその辺の話はとらえられることはとらえようと。自分たちに合わないものは外せばいいじゃないかと。今まで、そういうふうに国がいろんなことを政策で出してくると、やはり何でもかんでもいろんなことを検討しなくちゃいけないのかなって思ってしまって、もうそれだけでみんな大変だ、これからどうなるんだろうって思う。でも、本当にこれだれ都市部と地方による差が出てくるときに、でもそういうことの一つひとつの選択をどうするかということを考えること自体が、それぞれの特色が出てくることであって。だから、そこら辺は、やはり弾力的に、こうじゃなきゃいけないというんじゃなくって、そこが選択できるような部分は、残しておかなきゃいけないなというのが一点。

 それから、親の塾にかける費用の話なんですが、去年この新しい新学力観の中で子どもたちを育てるということで、文部省の初中局の方たちとパネルディスカッションをしたんですね。そのときに、今の新しく始まる総合的学習は、基本的には考え方も賛成です。そのとおりだと思います。それが入ってくる分、3割ずついろんなことを削減してきていますね。そして、もう基礎基本とそういう個性と2本柱で学校がいこうとしています。その3割削減をしても、小学校、中学校での先生たちが教えてくれることを一生懸命頑張って勉強していれば、高校には行けるよという、そこの部分がきちっとあれば、総合的学習が入ってきても、親も一生懸命やりますし、その応援をします。

 でも、実際今地方の小学校、中学校でそこだけを勉強していて、そこの地域のいいと言われる公立高校に入れない現実があるわけですね。だから、塾に行く子だけしか、そういういい部分の公立高校に入れないというようなことがあると、学校をあきらめて塾に親は行くわけですね。だから、やはり基礎基本というのは、どの辺りまでのことを言っているのか、それをやっていれば大丈夫だよという判こも全然押してもらえてない中で、この制度がいくと、親は本当に不安で不安でというところがあるわけです。

【上島委員】 石原さんがおっしゃったのは、この前アンケート取ったんですけれども、要するに今は、将来どんな人になってほしいとか、どんな職業とか、どんな人生を送ってほしいというのを考えるのが、大学に入る進路を選ぶときか、大学を卒業したときにようやく親子の会話があるというのが半分以上なんです。

 それまでは、いい大学に入れるためにとか、受験勉強だけで今は教育費を使っているでしょう。みんな教育費はすごいですよ、塾行かせたり、それはあくまでも学校へ入るためだけで、どんな子どもになってほしいとか、どんな就職をしてほしいとか考える親子の会話は、ようやく大学終わった就職時期ぐらいで、今どう言うかというと、とりあえず大学行くためにここに行っておけよとか、高校行くためにいい中学行っておけよ程度の受験のことばっかりでしか親がしないというのが、今井さんが考えていることだと思うんだけれども、そこが今の親の問題で、早い時期に子どもの進路を学校とか先生とかとみんなで、どういう子どもに育てていきたいとか、どういう就職とか、将来仕事に就かせたいかというのを、早く話してあげる。高校とか、中学校のあたりからもっと親身になって、みんなが話すことを押し出せば、そんなに過熱に単位を取るばっかりではないと思うんです。

 ただ、その前にここでよく議論していく、是非金子主査に整理していただきたいのが、今、我々言っている学校というのは、あくまでも公立、私立ばっかりですけれども、ここでは看護学校とか、職業訓練校とか、国民会議ですから、文部省以外の厚生省とか労働省の学校の話も含めて、それからフリースクール、塾、ありとあらゆる子どものこれからの教育の環境のことを、これから今、学校と定義しているのかだけで明確にしておいていただきたいと思います。私は本当は看護学校のこととか、職業訓練校のこととか、塾、フリースクール、子どもの教育、あらゆる全般、国民会議ですから、当然皆さんの視点で話しをして、でも今の議論はあくまで文部省の管轄の公立、私立の学校の話なんで、それだけちょっと最初に整理だけしておいて頂きたいと思います。

【田村委員】今の話の続きになるんですけれども、私は義務教育無償というものを、もう一回よく考えた方がいいということを申し上げた最大の理由は、実は私のところは千葉にも学校があるんです。ですから、地域というか地方の状況というのはそれなりにわかっているつもりです。おっしゃるような事情があることもよくわかります。

 ただ問題は、日本の学校教育制度というのは、中心が公立学校でできているんです。公立学校の大きな柱があって、それはいろいろ問題があると私立学校ができたり、ほかにいろんな学校ができるんです。そういう形に、今、現状はあるわけです。だから、公立学校にどうしても注文が集中するのは、そういう状況だから問題があるよという話が出てくるわけです。

 公立学校が現状のままでいいかというと、これはいいとは決して言えない。千葉の場合で考えても絶対に言えないんです。なぜかというと、今はどうなっているか。今お話が出てきたように、結局15歳で子どもは全部順番が付けられちゃうんです。順番が付けられるために、公立の学校教育ができているんです。

 つまり、15歳のときにいい学校へ入れれば、そのままいけるし、入れなきゃそれっきりよという話で、そこから先の人生はもう全然変わっちゃうという。それが本当は6−3−3制というのはそうじゃないはずだったんだけれども、もう実質的にそこで勝負が終わっちゃっているみたいな状況が現実にあるんですね。その現実を変えるためにどうしたらいいかというと、結局今ある、かちっとしてできてつくり上げられてきた歴史も伝統もある公立学校を揺さぶる以外ないわけです。

 揺さぶるっていうやり方は、1つは親の責任ということをもっと強調する。

 それから、企業も今のままでいいのかということを議論する。

 公立学校がみんな同じだということを建前で言っていながら、実際は同じ高校と言ったって、千葉の場合では県立のトップ校といわゆる本当に落ちこぼれの子どもを受け入れている高校も、同じ県立でもあるわけです。でもこれは、全く同じ県立高校だよといって、世の中に県の教育委員会は主張しているわけです。

 それは、何でわかるかというと、学校評価をやろうというんで、実は県の教育委員会から私頼まれて、委員の1人になって学校評価のシステムを相談してつくったんです。大体できてきたんで、いいもんできたなと思っていたんです。気が付いたのは、その評価システムの結果を公表するということが全く入ってないんです。それで、びっくりしまして、これやっても公表しなかったら、恐らく半分も効果はないですよと。公表するから意味があるんだって言ったら、それはできないって言うんです。というのは、学校格差があることを認めることができないんだというんです。

【河合委員】さっきの順番の問題ですが、これは公立学校の問題じゃないんです。日本人の問題なんです。日本人が順番が大好きなんです。

 私は教師していたからわかるんですけれども、私は高校の教師だったんです。そうすると、子どもを一人ひとり見て、親が来たらおたくの子どもさんがバスケットができるとか、冗談がうまいとか言っても、親は何も聞いてないんです。最後は、うちの子は何番ですかって、それでそれを言ったら、わかりましたって言って、何もわかってないんです。だけど、その順番がわからないと子どもの位置がわからない。これは先生、公立学校じゃなくて日本人の問題が入ってくるんで、ここのところはすっごい難しいんです。

 石原さんが言われるように、確かにみんな教育熱心だけれども、熱心さがそっちの方に行っているんです。だから、熱心でなかった明治時代の方がかえってうまくできているわけです。順番の好きなのは大人でもみんなそうです。大学でも全部順番付けているし。この日本人の順番好きというのをつぶさなくちゃいけないということはみんなわかっているわけです。それは、だからすっごい問題で、そのことを私たちが考えるとなると、余程上手に考えていかないとならない。

 ただ、大事なことは、みんなそんな順番にこだわっているけれども、実は順番の低い人でも社会に出てものすごい頑張っている人がいるとか、これは教育学者が絶対やるべきだと思いますが、小学校の優等生というのは、ほとんど社会に出てから。

【大宅委員】大成してないですね。

【河合委員】ということがわかったらね、親もそんなに小学校で1番にならそうと思わないと思います。ところが、心配だから、親は子どものことでわかっているのは順番だけなんです。これを、どうしてつぶしたらいいんでしょうね。

【今井委員】だから、私はそういう意味でも適正な情報がほしいと思うんです。これだけ、今、情報が過多で、本当にもうシャワーのようにすごい情報が、子育ての本にしても教育の本にしてもあるんですが、そういう部分で、本当の意味で自分たちの子どもたちの能力を引き上げようという部分の、本当の意味での情報が入ってないんじゃないかなという気がします。

 それから、地域と連携をしていくという中で、先ほど学校評価という問題が出たんですが、学校評議員制度もできましたし、地域と連携を持っていくときに、学校というのは意図的に教育したところというのは、やはり評価されるべきだと思うんです。それをオープンにしなくちゃいけないと思うし、それをしなかったらやはり次の年に、次にどれを変えようかということの改善点にもつながらないんで、私はやはり先生にしても学校にしても地域・保護者から納税者から評価される仕組みは、地域の人にわかるようにオープンに進めていただきたい、それが一つの学校理解につながっていくんじゃないかなという気はしますけれども。

【藤田委員】おっしゃるとおりだとは思いながら、もう一方で複雑な問題だとも思っています。イギリスではサッチャー政権以来、ナショナル・カリキュラムが導入され、それと一緒にナショナル・アセスメント・テストが導入されて、今では、その結果がすべて公表されているんです。学校別に公表されていて、公立、私立含めて全部ランキングが付いています。リーグテーブルと言われていますが、それが公表された最大の理由は、親に学校選択のための判断材料を与える必要があるということだったわけです。

 もう一つ、オフステッドというインスペクション制度が、4年ごとにすべての学校を査察して、その査察結果も全部公表しています。それも学校選択の判断材料として必要だという理由です。それが普及するにつれて、親は学校選択に熱心になってきたわけです。そして、その判断基準になっているのは、リーグテーブルと学校査察制度での評価なんです。各学校はどれだけ努力をしたか、改善をしたか、いい学校かということを示す資料なんです。

【町村総理補佐官】査察ってどういうことを調べるんですか。

【藤田委員】膨大なチェックリストがあります。学校査察のためのハンドブックとマニュアルができていまして、『How To Survive Inspection』というような本もいろいろ出ています。校長とかがその査察を生き延びるにはどうしたらいいかということを書いた本です。その査察でだめだと判断された学校、例えば十数校から二十校ぐらい、毎年だめな学校としてマスコミに公表しています。そういう政策に批判的な人は、「ネーミング、シェーミング、ブレーミングの政策だ」と言っています。だめな学校の名前を公表して、恥をかかせ、罰を与えて、それで何とかしようという、とんでもない政策だというわけです。これはメイジャー政権から始まったんですが、ブレア政権になっても続いています。

 ですから、情報を公開するということは、裏を返すと、親が注目しピックアップする情報は、実は河合先生が言われたように、順番付け、縦の序列の情報が中心になる可能性が大きいということでもあります。その辺のところは非常に重大な問題だと思うんです。

 もう一つ、河合先生は国民性、人間性とおっしゃっておられましたが、私も多分それが1つ大きいと思います。あるいは、カルチャーに深く根付いた順番好きと言えるようなものです。だけどもう一つには、やはり日本社会というのは平等な社会なんだと思うんです。あるいは、教育を媒介にして社会的な地位達成を非常に大規模にやってきた社会だと言ってもいい。そういう階層的に平等で移動的という意味で開かれた社会であればあるほど、教育に対する序列意識というのは、どうしても強くなります。

 その点では、イギリスなどとは非常に違うと思います。例えばイギリスのパブリック・スクールは、これまで改革のたんびに何とかしなきゃいけいなんじゃないかって、政策担当者や研究者の中にも言う人はいたんだけれども、結局手を付けられなかったんですね。イギリスの長い歴史の中で、支配階級の再生産の温床になってきたもんですから、手を付けられなかった。1944年の改革も88年の改革も、それを枠外に置いて改革をやってきたわけです。

 しかも、今、進んでいる改革の中では、選択制がどんどん広まっていますから、それで地域差の問題も改めて注目されるようになったのだと思います。問題が集中する学校の問題は、それではだめだというわけで、労働党政権になって、ソーシャル・イクスクルージョン・ポリシーが採用されるようになったんだと思います。ですから、やはりそういう構造的なところも踏まえておかないと、一面だけを見ていたのではうまくいかないということです。

 もう一つ、先ほどの石原さんが言われたことを聞きながら、あるいは皆さんの言われたことを聞きながら思ったことは、家庭の責任についてです。家庭に責任を取らせるということは重要なんですが、こういう分け方が適切かどうかわからないけれども、家庭によって問題は違うと思うんです。かなり多数の親御さんは教育熱心で、とにかく序列を気にしながら、一歩でも先へ、いいところへ子どもを行かせたいという、そういう教育熱心な親御さんがいると思います。私の同僚は、こういう親たちをパーフェクト・ペアレントを目指す親と言っているんですけれども、パーフェクトな親であろうとして、一生懸命子どもに情熱を注ぐのですが、とかく子どもを狭く狭く枠付けていく傾向があります。

 それに対して、確かに前々からありましたけれども、今かなり広まってきているのは、もっと市民的な構えを持った親御さんで、いろんな社会的活動に参加したり、あるいは、いろんな生き方があるんだということを自覚的に選んでやっている親御さんたちがいますね。こういう人たちは、もう既に自覚していて、積極的にどんどんやっているわけです。

 それに対して、残りの3分の1ぐらいが、いわゆる放任的であったり、子どもを十分にコントロールできない状況にある親御さんだと思うんです。

 勿論、この3つのタイプは実際には重なり合っているかもしれないけれども、そういう3つのタイプの親に対して、親の自己責任や自覚を促すというとき、その意味は違ってきます。第2番目のグループはもう既に自覚的に活動しているわけですから、問題ないとして、第1番目のタイプの場合、先ほども言われたように、親に責任があると言えば言うほど、ますます追い込んでいくということになるわけですね。

 他方、3番目のタイプに対しては、言ってもまず耳を傾けない。しかし、実際にはこのタイプの親たちにも考えてもらわなければならない。そうなると、できることは、やはりカルチャーとかシステムを、そういった層をも支え取り込んでいけるようなものにしていくということだと思うのです。もちろん、それは、第1番目や第2番目のタイプの人たちにも、励みとなったり、支えとなったりするようなものでもあることが重要だと思いますが。

 とにかく、無関心で放任的な親御さんに対して、それでも関わっていかざるをえないようなシステムなり、カルチャーなりをつくっていくということを、考えていくことが重要なのではないかと思うんです。

【田村委員】ちょっと藤田先生の御認識と、私の認識と違うんです。というのは、私の学校にはイギリス大使が理事で入っていまして、ブリティッシュ・スクールというのを経営しているわけで、私どもの学校はオフステッドの検査、インスペクトを定期的に受けているわけです。ですから、どういう内容を、どういうふうにしてチェックしているかというのは、イギリス本土から4人委員がきまして、約半月ぐらいかけてチェックするわけです。

【藤田委員】そうですね。2週間です。

【田村委員】もう授業内容から何か全部見ていくわけです。これは、もうはっきり言ってその内容はものすごく信頼できます。

 だから、その内容を信頼できるけれども、公表するところにイギリスでもやはり躊躇があるんです。ですから、最初サッチャーが言ったときに、教員組合を中心にしてイギリスは猛反対したんです。それでメイジャーと続いて、労働党政権のブレアになったから、これはやめちゃうのかと思ったら、ブレアもこれは動かさないということで続けているんです。

 だから、評価をして公表するというのは、もう絶対に続けなきゃ21世紀イギリスは生きられないというふうに考えているわけですから、私はこの線は日本も遅ればせながら、やはり考えていかなきゃいけないんだろうと思うんです。それが一点です。

 もう一点は、国際化していく日本の中で、日本のやり方だけでやって、本当に世界で対抗できる人間が育てられるんだろうかということを、そろそろ考えなきゃいけないんじゃないかというように私は思っているんです。

 だから、イギリス人がよく言うんですけれども、うちの国には700 万人の文盲者がいますと。だから、うちの初等中等教育はちっともいいとも思いません。しかし、イギリス人も世界中の人もイギリスの教育システムは世界一だと思っている。何で思っているかというと、要するに世界をリードするリーダーが出ているからなんです。今までも出てたし、これからも出るから、それは教育でシステムができているからだということを平気で言うんですね。

 確かにイギリスがどうしてサッチャーや何かのときに、学力を上げようとしたかというんで、私も非常に面白かったんですけれども、結局経済力を高めるためには平均値を上げるのが一番効果があるんですね。

 だから、日本は戦後その道を選んだんです。だけれども、経済力が一応ついてきたら、今度は平均が下がっても、リーダーが育てられるような教育システム、つまり緩い制度ですね。さっき言ったセーフティーネットっていうんですかね。これは私の意見ですよ。

 要するに、これだけは勉強しなきゃならんという量をできるだけ少なくして、それは全員が身に付けてもらって、その代わり上はもう制限しない、できる子はどんどん伸ばすと、ですから格差が出るように見えますね。だけど、セーフティーネットが張られているんですから格差はないわけです。そのセーフティーネットというのは今までよりずっと、さっき今井さんおっしゃったように、今までの3割減なんですから、それこそ小学生は円周率3なんですから、つまり円というのは正六角形と同じだということを教える程度のことなんだから、これはだれでもみんな身に付くはずだというふうに私は思っているんです。その代わり、上はもう自由にさせると、ただ自由にさせるから格差は出しますよ。ものすごい差が出ると思います。だけど、それをやらなかったら、日本からエリートは出てこないんじゃないかと思います。そうすると、国際社会で日本というのは将来生きられるのかなって思うんです。

 それを、今一番実感しているのは、誤解を恐れずに言うと霞が関だと思うんです。霞が関のお役人さんたちは、そういった欧米の人たちと、一番日本の最前線で付き合っているわけでしょ。全然違うんだということを感じ出しているんです。

 例えば、シェイクスピアの言葉一つ言えない。ギリシャの悲劇とか、何かいろいろあるらしいんですけれども、そういう知恵が全くないんですって。だけど向こうのリーダーはみんなそういう知恵を持っているんです。だから、別にそれはギリシャでなくなっていいんだけれども、それじゃ孔子から老子の、中国の、あるいはインドの仏教の古典的なあれを持っているかというと、それも持ってないんですね。だから、やはりシステムを変えなきゃだめだろうと。

【藤田委員】私はそうは思わないですけれども。

【田村委員】だから、エリートを育てないとだめになっちゃうんじゃないかなというふうに思うんです。理屈から言いますとね。

【藤田委員】エリートを育てる必要がある、そのために何かをしなければいけないという考えには、私もとくに異論はないし、どんどん育ててほしいと思うんです。だけど、その最善の方法が今、田村さんが言われたような方法なのか、本当に欧米のシステムはエリートをつくり出すうえで優れたシステムなのかというと、私はそうは思いません。もっとも、高校、大学について言えば、欧米のシステムには優れている部分がけっこう多いとは思いますが。

 ですから、高校以上については、もっと弾力的にして、積極的にエリートを育てていけるようなもの、力のある子が伸びていけるようなものにしていったらいいと思うんです。だけど、セーフティーネットとおっしゃいましたが、ベースとなるところを下げていいという議論には賛成できません。たとえば円周率を3にするといったことなどは、まったく馬鹿げていると思います。

 原理がわかればいいのだから、誰もが円の面積の計算でつまづかないようにしようというのでしょうが、原理と計算能力を分けるという発想も、できる子は実際は3でないことはすぐわかるのだからいいのだという考え方も、私には納得できません。計算でつまづく子どもには時間をかけて計算できるようにすればいいのです。

 一方でエリートを早い段階からつくり出すことのできるシステムにすべきだと言い、もう一方で、セーフティーネットのレベルを下げて基礎をきちんとやるようにするとおっしゃいますが、それをやったとき、日本のように受験熱心、教育熱心な親御さん、たぶん6割か7割を占めているかもしれない親御さんたちが、そのことに無関心でおれるかということなんです。もし無関心でおれるなら、鷹揚に構えておれるなら、それだけの豊かなカルチャーがあるなら、受験競争や学校序列の問題なども起こってはいないだろうし、最初から何も問題にする必要などないことだと思うんです。

 ですから、多分そうなったら、多くの親御さんは少しでも可能性のある方向に子どもを行かせようとするんじゃないでしょうか。エリートにしたいということではないかもしれないけれども、とにかく将来の可能性が大きいと思われるような選択をさせたいというふうに考えて、これまで以上に子どもを塾に通わせたり、家庭で一生懸命勉強させようとしたりするんじゃないでしょうか。

【田村委員】ただ、戦後の50年の歴史を見てみると、本当は20〜30年のところで教育の目標を変えなきゃいけなかったと思うんです。つまり、豊かな社会になったところで、学習のモチベーションというのは、生涯学習ということでしか子どもたちは身をもって感じることができないわけですから、生涯学習に切り替えれば、人によってすごい差があるということでしょう。

 ですから、必要最低限のところは、できるだけ下げてやるというのが、その時代の教育のシステムだったと思うんです。それは結局今おっしゃったような事情があったんだと思うんですけれども、しなかったんです。やはり一応、無理でもこれだけはやらせようというんで、全員にそれを押し付けた、そのかわり上もやらせないというのが、実態として今あるわけですね。

 これは、私の千葉県のケースなんですけれども、ある親が私のところへ来て、いや先生もう困るんですよ。うちの子は小学校で割にできる方だから、先生にもうちょっとたくさん教えてくれと、そう言っているできる子の親が何人かいるんで、4〜5人で何かできないかって先生に頼みに行ったっていうんです。

 そしたら、その先生が、私たちの仕事はこのクラスの平均の人を教えることですから、上も下も駄目ですと。やりませんと答えられたというんです。それが、戦後教育の20〜30年経ったところで変えなきゃならなかった、変えられなかったツケがそういう形で表われているわけです。

 だから、そこのところをやはり反省しないと、上を教えないということでいいのかなというふうに私は疑問は持っていたもんですから。

【上島委員】 私、イギリスの大学へ行きましたけれども、やはりイギリスの社会は階級があって、10%のエリート階級の世界はみんな一般市民も認めてますし、そうやって世界のトップリーダーで頑張ってやる人が出て当然ですし、それに誇りを持つのはイギリスの社会では当然だと思うんです。一部の人が頑張ってくれたらいいと、おれたち90%は違う役割があるのだと思っている。だからせっかく戦後ここまで日本の世界に誇れる教育水準全体が上がってきたことを崩して、イギリスみたいな一部だけのエリートをつくることは反対です。

【大宅委員】崩さなくていいの、ちょっとだけ、細い道が開けば。

【上島委員】 私もそう思うんです。

【大宅委員】それだけでいいんです。みんなエリートになれっこはないんだから。

【上島委員】 教育水準は、識字率も含めてほかの世界と比べて全体的に高いでしょう。だから、そこはやはり誇りを持ちながら、その中で、これを下げずにちょっと何かやればいいんですね。それは、賛成なんです。

 それと、大きな流れをつくっていくときに大事なのが、私なりには、田村先生がおっしゃった日本の時代の流れを見たときに、ちょっと古い話ですけれども、聖徳太子の時代に憲法17条をつくって、日本を理想国家の平和国家にしていこうという、大きな日本の国の在り方を考えた。その次に福沢諭吉先生が出てきて『学問のすすめ』で、これから日本の教育水準を上げていくという流れになった、その戦後20年、今を、我が国がどういう教育をこれから目指していくかという、第3番目の大きな改革を目指す位置付けにする、では日本はどういう日本人をつくっていくのかというところで議論をする。果たしてこれから世界に貢献していく人は、今おっしゃったように、イギリスのエリートで、それが世界に顔が見えるという人を、日本のこれからの人物像、エリート像の機軸に必ず世界で通用する人を育てていくということを、この大きな意味での第3番目の日本の大改革、これからの日本全体の教育とか国民性を変えていくときの、機軸に置くのでは、一つの要素かもわかりませんけれども、エリートをつくっていくということを、本当に一番の根底にするかというと、ちょっともう少しそこは議論が必要じゃないかなと思います。

【田村委員】それは、本当におっしゃるとおりだと思うんですが、ただイギリスの場合は、例えば今、私どもの学校はウィンチェスターとかそういうところと姉妹校しているんですが、彼らは今、非常に困り出しているんです。

 というのは、特権的なオックスブリッジの進学枠というのは、もうどんどん減らされているわけです。試験の方法もどんどん変わってきているわけです。ですから、それはエリートが階層社会の中から生まれるものではだめだというのは、イギリス人も考え出しているわけです。ですから、それはこれから変わってくると思いますよ。

 かつては、ウィンチェスターが最高裁の判事の8人のうち5人がそうだったというような時代がありましたから、そんな時代と今と比べたらもうすごい変わっきていますし、これからますます変わると思います。ですから、それはイギリスも考えて改革しているんです。

 前回のとき私申し上げたんですけれども、全体会で御説明したときに、エリート教育といっても、日本の場合は階層社会が認められないから、すごく難しいと。階層にならないためにはどうしたらいいかということを、エリート教育をやる場合の最大のテーマになるんではないかと。それは、恐らく、わかんないけれども、多様なエリートがいるという言い方でみんなが納得するとう仕組みでしかないんだろうと。

 つまり、人間というのは、いろんな才能があるわけですから、だからそれを仕組みとして認める。

 もうこれ以上言いませんので、最後まで言わせていただくと、それを、やるとしますと、平均値を上げるということが全力であった学校制度を、下げていかない限りやれないというふうに私は思っているんです。ある程度まで下げないと。大丈夫ですかね。

【河合委員】そうでもないと思いますよ。

【大宅委員】だから、エリートをつくるというから、"つくる"っていうとまた前と同じなんです。エリートが"生まれる"ような環境さえあればいいんです。それで、やりたい人がやれればいいの。何も、エリートになる可能性のある生徒に、無理やりあんたエリートになりなさいっていう必要は全然ないんだから。私は凡人がいいんですっていう人もいるし。

【金子主査】 あと30分ちょっとですんで、ちょっとここでフリーディスカッションを一息入れまして、この第2分科会でどういうことを取り上げ、だれにどういうメッセージを発したいかというようなこととか、我々の会のミッションは何かというようなことと、あと次回からある程度テーマ別にやって、それは第2回はこれ第3回はこれとやるのか、1回ごとでいいのか、例えば3つとか4つとか5つなのか、それとも20テーマやるかというその辺の少し具体的な進め方について、あと30分ぐらいですんで、考えていただきたいと思います。

  ちょっとそれを考えていただく間に、私の方から2つエピソードを紹介します。コマーシャルブレイクのような形で。私は慶應大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)に水曜日行っています。2年生が会いたいと言うんで、話をしてきましたけれども、その人はずっと公立だったんですけれども、中学校は不登校でほとんど行っていないと、卒業はしたんですけれども。高校はから入学してなくて、15歳で大検は通った。それで、その後ピアノが好きでオーストリアに留学した。ただ日本を憂える気持ちが強くて、自分は日本の社会を変えなきゃいけないということで日本に帰ってきて、SFCを受けたわけです。

その人の場合には、自己アピールの資料と面接だけというAO入試で入ってきました。その人がどれほどの人か私は1時間ぐらい話しただけなんでわからないんですけれども、基本的にはそういうパスもあって、大学入ってちゃんと発言したいというふうに気持ちが変わったときに、これは宣伝じゃないですけれども、慶應の場合そういう人も「面白い」ということになれば入れちゃうというようなところがある。その学生がどのぐらい伸びるかはわかりませんが、21歳ですけれども、日本を変えると言っている。そういうのを受け入れてがんがんやりましょうと。大学そういう経路ができていればいいのかなって思います。

もう一つ、幼稚舎の6年生は、算数については、がんがんやる子と、ゆっくりやりたい子とで児童のタイプ別にして、3クラスあるんですけれども、全部一緒にしてタイプ毎に5つに分けました。ゆっくりやる方の2つは、算数の専門家というか、大学のときに算数を専攻していた人に教えてもらうようにしました。保護者からなぜタイプ別としたのかと疑問が出るのかなと思いましたけれども、特にないようです。子どもに聞くと、ゆっくりやる方のクラスにいた子は、何か今までより30倍楽しいとか言っていまして。

【町村総理補佐官】小学校6年生ですか。

【金子主査】6年生です。5年生も今、すこし別の形で分けました。6年生は3人の担任が集まって5クラスに分けるよと。いろいろと工夫して、がんがんある子と、わかっていると思ってわかってない子とか、それで自分たちで選ばせて、大体自己申告どおりいった。2〜3人トレードしたらしいんです。

幼稚舎はひとクラス今は44人ですけれども、算数の教室みていると、すぐに分かる子はがんがん手を挙げて。そうすると、どうしても先生の注意はそっちに行きますね。そうすると分からない子は鉛筆なめているか、人を突っついているかで、これを分けた方がいい。

 言いたいのは、幼稚舎はひとクラス今は44人ですけれども、算数の教室みていると、すぐに分かる子はがんがん手を挙げて。そうすると、どうしても先生の注意はそっちに行きますね。そうすると分からない子は鉛筆なめているか、人を突っついているかで、これを分けた方がいい。

 幼稚舎の場合にはこういうことをやろうとしても、特に問題は起こらないという雰囲気があることです。保護者にちゃんと話して、こういう意図でやるということをお話ししました。というのは別にどんどんやるタイプのクラスに入ったからと言って、中学校に入学できやすくなるということは全然ない。世間では、習熟度でクラス別にすると、何かすぐ能力別だから反対と言われちゃうという雰囲気がありますけれども、算数についてはもうやはり分けた方がいいように思います。

【今井委員】それは、クラスはクラスであって、その教科によってそういうのをつくるということですね。だから、クラスはみんなが一緒にいれるような。

【金子主査】 そうです。もうちょっと言いますと、私は基本的には生活の場としてのクラスは比較的人数が多い方がいいと思っているんです。いじめっ子がいたり、グループに分かれたりとかいうことがありますので、子供が孤立しないようにクラスは大きな方がいいと思います。

 生活の場としてのクラスは、30〜40人ぐらいの間で、それで学科によっては英語とかコンピュータとか算数は少ない人数のクラスに分かれた方がいいし、楽器なんかももうプロはだしの子もいれば、ドレミができない子もいるわけですから、それはゆっくりやりたい子と、がんがんやりたい子と、それは当然分かれていいと思います。今、幼稚舎では、英語は11人ずつ、ひとクラスを4クラスに分けています。算数は今度初めてタイプ別クラス編成を導入して、比較的うまくいっているようなので、英語もやろうかといっています。生活の場としてのクラス、それは先生がある意味で24時間責任を持って家庭と連絡をとる。あとは、音楽でも合唱をやるときは大きい方がいいしということで、何をやるかに応じてクラスをいろいろにする、多重クラス編成というんですか、ということでやっていこうというのを今、幼稚舎で検討中です。

 これには、やはり教室もたくさんいるし、人手もかかります。そういうことが少なくとも幼稚舎はできる。もし公立でやりたいと思ってもできないとしたら、それなりの予算措置はするべきです。

【田村委員】イギリスは、ビーコンスクールというシステムでやっているんです。

 例えばエリート教育で言うと、今のお話で思い出したんですけれども、音楽教育なんていうのは、生徒一人ひとりに楽器を選ばせるんです。それを演奏できるようにするのが音楽教育なんです。だから、全体を集めて合唱したり、音楽理論を教えたりなんてことは何にもないんです。好きな楽器をやりなさいと、それをずっとある期間、だからパブリック・スクールなんか完全にそうですね、ある期間にもう一人前に弾けるようにしてやる、一人前にプレーができるようにしてやるというのが音楽教育だというふうに思っているんです。

【町村総理補佐官】学校でですか。

【田村委員】学校でです。だから、パブリック・スクール行きますと、音楽室行くと、いろんな楽器が置いてあるんです。何でこんなに置いてあるんだと言ったら、それは生徒がこれを選ぶんだというんです。

【河合委員】それは、いわゆるパブリック・スクールでしょう。

【田村委員】イギリスのパブリック・スクールです。

【河合委員】パブリック・スクールだからできるんですよ。

【田村委員】公立じゃなくて。

【金子主査】 エリートよりも、自分でどんどんやりたい子に対しては、そういう機会をつくるということがいいと思います。

【田村委員】基本的にそういう考えの延長線が、エリート教育だと私は思っているんですけれどもね。

【金子主査】 わかりました。それでは、ほんのコマーシャルブレイクだったんで、あと30分ございますんで、その後とりあえず次回からどうするかということを含め、テーマを決めていきたいと思います。

【町村総理補佐官】済みません。私はまた12時から総理のところへ行かなければなりませんので、一言だけちょっとお願いと言いましょうか。お話しをさせていただきたいんですが。

 とにかく大変お忙しい中、すごいハードスケジュールをこれからお決めになるんでしょうが、ありがたいことだと思っております。どうぞ、皆さん方には御自由に御審議をいただき、答えを出していただければありがたいと思っております。

 それから、だんだん中間報告、あるいは分科会報告、どんな形になっていくのか、これから次第におまとめいただくんだろうと思いますが、できれば秋ごろに、皆さん方国民にそれをさらしてみるということから、できればはっきりと、1、2、3とか、はっきり結論がむしろ明確になった方が、それはそれで刺激的だしいいんだろうなと思っております。 ただ、そうは言ってもなかなか議論が分かれるものがあるかもしれない、その場合は審議の概要といったような形で、おまとめをいただいてもいいのかなと思っております。

 大分、何人かの方から、これ幾ら言っても本当に実行するんですかと、政府はやるんですかと、こういうお話が何人かの方からあったんでありますけれども、そのために私なり各党の与党議員が入っておるというのは、いただいたものは実行すると、勿論膨大にお金がかかる話で、それはちょっと急に今の財政ではという部分は、結論としてはあるかもしれませんが、しかしそれは基本的にはせっかく皆さん方から最終報告をおまとめをいただいたものは、勿論それは実行すると、聞きっぱなしで、それでもう答申が出たことで、それをもってよしとするというつもりは毛頭よりございませんし、そんな失礼なことを我々は考えておりませんので、時間の早い遅いその他はあるかもしれませんが、実行するということで、我々としても考えておりますので、そういう決意であるということだけは、この分科会議論の前に一言申し上げさせていただきたいなと思っております。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。

【金子主査】 あとあれですね。第2分科会スローガンみたいなものを、何か一言で言えるようなものもあったらいいんじゃないかと思います。

 少し絞り込んだ発言を、これからはお願いしたい。テーマを幾つ選ぶか、あと5回とか6回やるときに、1回ごとに1つのテーマなのか、3つずつやるのか、それとも今テーマは決めないのか。一番初めに上島さんから出ておりましたように魅力ある学校と頼もしい教員、そういう分け方でもいいと思うんですけれども、その辺で御提案をいただきながら、あと20分ぐらいで大まかに決めていきたいと思います。

【河合委員】スローガン的と言えるかどうか知りませんが、やはり個性を大切にするとか、個人を大切にするということを言ってほしいですね。先ほどの議論ですけれども、例えばエリートになりますね。その人はエリートになっても、別に幸福とは限らないんです。不幸なエリートはたくさんいます。だから幸福になるというのは、これはみんな平等なんです。だから、本当に自分が生かされてたら、自分がその場で本当に仕事している人は幸福なんですね。だけど、ちょっと日本人は間違って、幸福になるのは順番が上になることだと思っている。これは、個性を無視しているからそう思っているんで、日本人はもっと個性ということを考えたら、大分みんなの生き方も、そういうような制度も変わるんじゃないかと思いますので、そこのところ何かうまく言ってほしいなという気持ちはあります。

 私もエピソードを言って申し訳ないんだけれども、最近アメリカに行きまして、デンバーの事件のときの、後で入った心理学者の話を聞いたんですが、あのときに生徒がもう金縛りになって動けなくなっているんです。そのときに、ぱっと動いて生徒を全部助けて、鍵かけて助けたのは用務員なんです。その用務員の人こそ幸福ですね。その人はある意味ではエリートですよ。だから、そういう個性を生かして自分の場を見つけるということが先生方にわかったら、例えば数学でよくできる子とよくできない子と分けても、何もよくできない子がだめなことないし、そこのところをぴたっと何かわかるような。

【町村総理補佐官】だから、今、現役の若いお父さん、お母さんに今のようなアピールが届くことが大切なんじゃないですか。ここで言うことありませんが。

【今井委員】同じ意見で、「正しいですか」じゃなくて、「幸せか」どうかということを考えられるような、正しいというのは、その人の物差し、価値基準なんで、正しいという概念よりも幸せかどうか、今がどうかということを考えられるような方向に導いていきたいと思います。

 それから、私は分科会も違うのに、出しゃばってまいりまして大変申し訳ないんですが、一点、現場を支えている者からの代表ということで言わさせていただきますと、先生の問題があります。そして、適正を欠く先生がかなりいらっしゃいます。これは、学校長も困っている、私たちも困っているというのが、教育委員会の方からはなかなかそこのところについて、処罰がしていただきにくいというのが実際にあります。

 なぜ、それが処罰していただけないのかということがオープンになってないんで、私たちは非常に学校不信がそれに対してつながっていきます。

 そこのあたりの問題と、この際本当に新しい教育の在り方に入っていこうというときに、先生がやはり旧態依然の先生であると、これは変わっていかないというのは、私たち保護者の共通した認識です。ですから、免許更新制度のあたりの議論を是非お願いしたいなというふうに思います。

【石原委員】私は、学校週5日制における、長期休業制度と授業日の在り方についても議論すべきだと思います。日本の場合に長期休業というのは、1年間の中の1学期と2学期という真ん中にあり、親の休みと子どもの休みは一致していないという社会の仕組みの中で、男女共同参画型社会において両親とも仕事にいき、また、社会活動をしており、子どもだけ学校休みという状況がさらに強まる傾向があります。1年間で、どういう時間帯、どんな生活リズムで、子どもにとって一番いい育ち方ができる学校の授業日、休業日や家庭、地域の役割をきちんと議論できたらいいんではないかなと思っております。

例えば先ほどから欧米の話が出ていますが、欧米は9月が新学期ですね、そうすると夏休みが長期であるというのは、基本的に当該学年が終わり、学校とは異なった社会を体験することに意義があります。日本の夏休みは学校の1学期に身につけたことを低下させないために宿題を出し、塾に行ってというようなことも多いと思います。

例えば、先ほど出ましたが、欧米の中には低学年は午前中で学校終わり、その他の時間がいわゆる社会教育の場になっている。このように、学校週5日制における学校と家庭と地域、社会のあり方についても、具体的に議論してほしい。

 もう一つ親の休日と子どもの休業日が違うという社会システムの中で、親の責任と社会の役割については、企業をつけ加えて考えるべきである。よく家庭、学校、地域と言いますが、私は家庭、学校、地域、企業ということがやはり国民会議の視点の中に入ることが大切だと思います。例えばサービス業は、21世紀はさらに増えてくると思うんです。サービス業は休みの日が一番忙しいのです。企業も親も地域の人々も忙しく休みもとりにくい中で、子どもだけ学校が休みという状況についての基本的な課題を国民会議だからこそ議論しアピールすべきです。

 この他、学校制度についても、今は小中高、大学といういわゆるアカデミックなキャリアのみの単線的制度になっていますが、高校以上については、もっと社会と双方向になるような考え方にすべきであると思います。

 北欧の実験的なプログラムで、不登校の生徒が、例えば学校に2日行って、あと3日は学校外で活動し、それを通じて自分の生き方を探っていく。これにより、学習の大切さや勉強は何のためにするかがわかり、その方がかえって学習の動機づけになっているということを示唆していました。それぞれの発達段階に応じて、ある意味の双方向型のシステムも入れていけたらいいんではないかなと思っております。

 それぞれの、自分の生き方をどう親や社会が支援できるかという中で、学校の教育制度や社会教育のシステムが21世紀に向けて確立できたらいいのではないかなと思っております。

【田村委員】今の個性とか、それぞれの幸福という話に関わってのことなんですが、個性を大事にするということに加えて、本当に幸福になるためには人の役に立つということなんだよということを、やはり小さいうちに教える必要があるんじゃないかなという気がします。人と人のつながりということをですね。だから、個人で幸福になるということないんでしょう、先生。

【河合委員】そうですね。あり得ないですね。

【田村委員】人の役に立って初めて幸福というのは実感できるわけですから、そこのところを小さいうちからやる必要があるという気がしています。

 それから、どうでしょうね。学校文化を変えようよというのは。

【大宅委員】つまり、学ぶというのは、楽しいことのはずじゃないですか、そこをアピールしたいんです。だって知らないこと覚えたら、「えっ」てなるじゃないですか、私なんか因数分解覚えたときは、あんな楽しいことないって思いました。あそこで止まってますけれども、それ以降はもう全然わかんなくなっちゃいましたけれども。

【田村委員】例えば、よく言うんですけれども、ドリーというクローンヒツジいますね、あれ中学1年生にこの間聞いてみたら、全員知っているんです。では、DNAをいつ教えるかというと、高校へ行かないと教えないんです。だから、これは学校がちょっと社会に遊離し過ぎている。だから、系統を大事にするとそうなっちゃうんだと思うんです。DNAって難しいですから、だけど子どもたちはみんな知っているんです。

【大宅委員】それこそ専門の人を連れてきてやればいいんですよ。

【田村委員】何かそういう工夫をしないと、学校の生活が浮いちゃうって感じがしますね。

【大宅委員】さっきの序列化の話なんですけれども、競争はみんな嫌いですね。勝ち負けが出るから、でも競争っていうのは自分の位置付けを知るすごく有効な手段ですね、そういうとらえ方もあるわけだし、問題なのはいわゆる学力の一本の物差ししかないということなんですね。だから、いろんなところであんたは一番。ここでは、あんたが一番ってやれば、例えば幼稚舎なんかはもう漢字のテストから縄跳びから水泳、いろんなものがみんな新聞に出るんです。だから、学力というのは出てこないですね。そういういろんなことで、この子は走るの早いんだねっていうふうにみんながわかっている。昔は勉強できなくても運動会では一番っていうのがちゃんと認められた。今、運動会が一番になっても何の意味もないみたいな、一等賞ももらえないっていう話だから。

 それから、今、皆勤賞もだめなんですって、体の弱い子がかわいそうっていうのが一つと。

 もう一つは、自由に休んで親の都合でどっかへ行くのに休めるようにって、私ひっくり返りそうに驚いてしまいました。そんなばかなって。

【金子主査】 済みません。あと10分ちょっとなんで、テーマを絞る方向なのか、それとももうしばらくは絞らないのか。それから、次回が6月2日なんで、そのときに今日のようなものをもう一回やるのか、それとも何かテーマを決めるのか。

【河合委員】もし絞られるんでしたら、困るのはどうしても出てこれない日があるんですね。だから、それとの関連でちょっと。

【大宅委員】何か3つ、4つ、自分が一番重要だと思うものを書いたらどうでしょう。

【金子主査】 では、次回までに3つぐらい書いてきていただくということで。

【河合委員】やはり、問題提起して、そこで話しないと。しかし、これは今は必要ですけれども、今日みたいにみんなが言えるのは。

【大宅委員】みんな持論があるから、いつまでも続きますね。

【金子主査】 あと、少しメタのレベルですが、精神論を言うよりは、方法をという方針はいかがですか。

【大宅委員】そうですね。それで私も学校を選んだんです。

【金子主査】 それが、多分第2分科会の特徴でしょう。精神論は必要ないっていうことはないんですけれども、こうあるべきとかいうことよりも、こういうふうにやってみたらという方ですね。あとは提案型というか、建設的に行きたい。今の制度の枠の中で提案するということだけではなくて、それを変えることも含めて。あとやはり具体性というか、その辺はやはり第2分科会のアプローチとしたい。

【大宅委員】その辺は共通認識として。

【金子主査】 あとは、「外に対しては魅力ある、内では楽しい学校」とか、そういうようなことだと思います。

 わかりました。次回は、各々3つそれぞれからいただいて、それを集めて、その中からどうするかと。

【河合委員】それを因数分解するんですね。

【田村委員】この共通事項というのは、どういふうに扱ったらいいんですか。

【金子主査】 共通事項も含めて。学校教育及びその周辺ということを枠組みにして、「審議事項」のリストを参考にしていただいて、財政の話しなきゃいけないよといえばそれもいいし、教育基本法をどういうふうにするかということを是非議論したいと言えば、それもいいと思いますが。そもそもという話よりは、具体的にということで、今日共通方針として考えたいということです。具体的なテーマは、次回どういうのが集まってくるか楽しみにしているということで。

 あと、10分程度あります。何かこれだけはというのがございましたら。

【石原委員】ただ、私立の学校の学校経営、あるいは学校運営と、公立の場合は全然違いますね、今、校長にと言いましたけれども、公立の場合は校長に権限が全くなく、小田原評定だから、何時間やっていても決まらないということがありますね。

 それから、要するに全体の組織がどこが組織かわからないと、みんな一国一城の主になっているというようなことが組織上の問題であります。

 もう一つは、公教育は、教育公務員ですから、先ほどいろんな問題の教師にどうしてと言いましたけれども、例えば今まで教育委員会で分限処分と言っても、裁判で勝ったためしがないです、これを証拠を出すなんてことはものすごい大変なことで、そういう意味ではどうしたらいいかというのは、こちらの方がどうしたらいいですかと聞きたいぐらいの部分があります。

 確かに、学校の先生の特色は、ほかの企業と違って、常に子どもの前に立ちますから、適格を欠く先生がおいでになると、やはりそれは子どもにとっては、先生にとっては30年勤務の中の1年であっても、子どもにとっては大事な1年ですから、ただそれが今の教員の定数の配置の中ではどうにもならないということがあります。例えば、大勢いれば2〜3人どこかと言えますけれども。

 もう一つ、そういう意味では適格がない方は、ある意味でいつまでもたらい回しで、その方にとってもいい人生かというようなことも、もっと広い意味で、もっといい、例えば職業訓練とか、これは私どももアメリカのバッファローという都市と姉妹都市なんですが、そこの教育長が一番の仕事は首切りだと言うんです。日本とはとても違う。ただ、それは日本でいう首切りじゃなくて、何年かその先生が適格でないとなったら、次の仕事へチャレンジするというようなシステムを社会的につくらないと、例えばここで任期制とかいろいろ言っても、ただ首切りしてても、今度は学校にだれも来ない。そんな不安では。

 それで、何と言ってもいい資質、子どもの好きな方が義務教育は必要なんです。それから、高校ぐらいになるとやはりかなり専門性の強い、もう大学になれば研究者として一流のと、講師によっても求められるものが違うと思います。

 また小学校ぐらいですと、ベテランの先生よりは若い先生の方が子どもと一緒に遊ぶから人気があるとか、教育の経験年数では、必ずしもうまく機能しないんです。

【今井委員】追加なんですけれども、若手校長、教頭の登用、これもそれと付随して是非これは議論していただきたい。

 定年前の校長先生たちにそういう権限を与えても、なかなか主体的に、積極的にですね。

【金子主査】 今のままで校長の権限をいくら強くしたってだめですよ。

【今井委員】だから、やはり年齢の部分というのは、考えていただきたいなというふうに思います。

【上島委員】 海外でどんどん先生を替えていけるのは、恐らく、田村先生がおっしゃった自己責任の個を確立するのと、教育というのはどこへ行っても画一的でしかできないと教考えるからでしょう。要するに、親は2人で子ども1人でしょう。ということは、子どもというのは必ず親と接する、この2人しか接しない、ここに画一性があります。それから、学校の先生も、20人、30人に生徒減らそうが、常に1対1じゃないですか。だから、教育はどこまで行っても画一的でしかできないという前提の上で、それが全部わかっているからこそ、その画一性がこわいから悪い先生を替えていけると思うのです。

 だから、日本の今の学校の先生も我々も、本当に教育というのは画一なんだと、どこまで行っても恐らく学校のクラスを40人にしようが30人にしようが20人にしようが、そこの先生の画一性を基にして教育が行われるから、悪い先生は辞めさせるんだということを学校の制度の中で、どう、本当にみんなが認識して、では、画一だから、そこで悪い先生が来たら困るからということを認めさせるかどうかだと思うんです。それは変えようはあると思うんです。

【藤田委員】そうだと思うんですけれども、やはり問題を抱えている先生というのはいますから、それはやはりきちっとした手続をつくって対応していく必要があると思います。アメリカではそうしています。大体2年かけることになっています。その間に自主退職する人もいますけれども、とにかく、そういう手続は考える必要があると思います。

 もう一つは、精神的な障害というか、心の障害を抱える先生が多くなっていますよね。これは因果関係の実証が難しいから、公務災害制度の、例えば時限付きとか、そういうようなことを考えて対応する必要もあるんじゃないかと思うんです。

 そういうことで、先ほど言われた校長の任用の仕方もそうですが、不適格教員の処遇の仕方や教員研修の在り方も含めて、制度的に検討する必要があると思います。

 それから、教育委員会制度についても私は検討する必要があると考えています。教育委員会と同事務局の権限が一元化して官僚制的になっていることとか、学校の運営権や意思決定の在り方ですね。そういったことを含めて、制度的な側面としては、地方教育行政の在り方や学校の管理運営の在り方の問題は、是非とも考える必要があると思いますね。

【大宅委員】あと、学校をオープンにするというのがありますね。

【田村委員】それと教育委員会が、一教育委員会がせいぜい2つか3つの学校しか持てないというふうにはできないですかね。

【藤田委員】それは大きい問題ですね。戦後アメリカはスクールボード制度を日本に入れたかったわけですけれども、日本側は、中央集権的な教育行政を維持するために、それを拒否して、学区を行財政の単位としてではなく、通学区域とし、小・中学校はもちろんですが、高校も当初は小学区制にするという方法を採ったのです。そうすることで、教育委員会制度を基盤にして中央集権的な教育行政制度を維持したのだと思います。

【田村委員】教育委員会にあたるものが私立学校では学校法人の理事会なんですね。そして、私立学校がまあうまく行くというのは、そんなにいっぱい学校を持っていないんですね。だから、意思決定と学校の特色というのは、直接結び付くわけです。

 いつも県の教育委員会を見ていて気の毒だと思うのは、とにかくトップ校と底辺校を同じに扱わなければならないんですね。しかも200 ぐらい見ているわけです。全部同じだという建前でしょう。あれは人間技ではないといつも見ているんですけれども、あれは分けるわけにはいかないんですかね。

【石原委員】自治体必置ですから、それは運用の仕方ですよね。

【藤田委員】そう、運用の仕方ですよ。

【金子主査】 少なくとも主体ははっきりしないといけない。

【河合委員】そうだったら、校長さんの権限とか、そういうことが大事ですね。

【田村委員】むしろそっちの方が現実ですか。

【藤田委員】そうだと思いますね。

 その点は、前の中教審の答申、地方教育行政の在り方に関する答申で、かなり踏み込んだ改革案が出ていますね。私も、実は近々出る本の中にその辺の改革案を書いてあるんですけれども、やはり権限基盤の複数化というか、少なくとも二元化が必要だと思います。教育委員会と学校の関係を含めて。その点は前の中教審の答申にも入っていませんから、検討する必要があるのではないかと思うんです。

【石原委員】教育委員会の権限については、教育委員の任命等の人事と予算は首長です。

 市町村では、服務監督をしているのが教育委員会でありますが、任命権は都道府県が持っていますので、義務教育に直接かかわっている市町村教育委員会では学校を指導するとともに、支援し協同関係を持つことにより、子どもの教育にあたり、設置者として最終責任を有しているのが教育委員会です。

【藤田委員】いわゆる教育委員会のチェック機能なりオンブズマン的な機能なり、そういったものをもっときちっとするということです。特に事務局との関係を明確にする必要がある。もう一方で学校運営については、答申でも評議員制度が提案されていますし、スクール・カウンシルを導入すべきだという意見もありますが、その点についても、もっと踏み込んで検討してもいいのではないかという気がします。

【金子主査】 ありがとうございました。では、今日はちょうど時間です。ありがとうございました。

 いろいろな話が出ましたけれども、全体的な方針と、次回までの宿題は決まりましたので、大変よかったのではないかと思います。この分科会には、いろいろなエクスパティーズをおもちの方がいるので、それを生かす形でやってゆけそうです。今度は6月2日でございます。全員出られる日にちになっていませんが、出られない方も、3つの具体的テーマに関しては事務局の方に寄せていただければ、それを含めて次回討議させていただきます。今井さんも、どうぞ今後ともお願いしておきます。

 それでは、これで第1回の第2分科会を終わります。ありがとうございました。