教育改革国民会議

教育改革国民会議第2分科会(第4回)・議事概要



(日時) 平成12年6月22日(木)16時〜18時

(場所) 虎ノ門第10森ビル5階会議室

(金子主査)
 はじめに、今後の予定の確認と今回の位置付けについて話すこととしたい。前回は「B 具体的提案」のうち、教員の問題について議論したので、今回はBの中でそれ以外のトピックがあるか、あるのであればいくつくらいとしたいのかについて議論し、本日中に議論を終えたい。次回は本日の議論のまとめをしながら「C 新しい学校の試み」を議論し、6回目は報告のある程度の概略をまとめ、「A 全体の方向性」を検討し、7回目は報告についての検討をすることとしたい。
 第2分科会からのメッセージのイメージについては、資料3にまとめた。具体的提案については、これまでの議論を「教員の問題」「学校の評価」「教育方法・授業内容」「地域教育行政体制の見直し」の4つの大きなグループに分けた。「教育方法・授業内容」の一つで、クラスが荒れているなどの問題への対応を第2分科会として入れるかどうかについても検討したい。
 なお、本日欠席の石原委員から書面で意見をいただいているので参照されたい。その中に「国民総生産の中に占める学校教育費への支出割合の目標値を示す」という提案があるが、これは地域教育行政体制の中ないし全体会で検討できるかと思う。

(藤田委員)
 石原委員が言われた目標値は入れた方がいい。
 「地域教育行政体制の見直し」に入れた「カリキュラム自主編成権の拡大」「学習集団、時間割、学級編成」は、「教育方法・授業内容・地域/家庭/学校の連携」に入れた方がよい。

(田村委員)
 石原委員の意見は私が総会で言った「教育・文化に係わるエンゲル係数」と同じもの。その後調査すると、国と地方で経費の出し方が違うことが分かった。一律にはいかないので、総会でやった方がいいと思う。また、学校教育に限定することはどうかと思う。
 具体的提案については、基本的には教員問題につきる。教員の多忙感の大きな原因は、やる人とやらない人がいることにある。この状況で教員を増やしても問題は解決しない。これについて、教員のモラールの問題か、制度の問題か、評価してフィードバックするか、どういう方法があるかを議論して、具体的に提言する必要がある。

(上島委員)
 校長のマネジメントの能力を高め、開かれた学校にするという全体の流れはよい。そのために、人事や予算などの校長の裁量権をどう拡大させるのかについても議論すべき。 

(田村委員)
 教育事務所等に教員経験者を登録しておいて、問題がおこった学校に派遣することを考えてはどうか。

(上島委員)
 会社で言えば社長が人事や予算の全ての権限を持っている。本来は、校長のマネジメント能力を高めれば、ここにある問題は全て網羅できるものと思う。教員は公務員であるから一般企業のように解雇できないという問題はあるが、それは、異動などで対応できていたはずなのに、最近ではそれも難しいと聞く。

(江崎座長)
 日本は、国立大学も含め、雇用主と従業員の差がない。校長に権限を与えるだけではだめで、校長のスタッフをどうするかについても検討する必要がある。

(上島委員) 
 校長のレベルアップが必要である。また、人事、予算権を与えれば、スタッフを連れてくることもできる。

(金子主査)
 私の提唱しているコミュニティスクールも同じ考え方である。既存制度の枠内では難しいから飛び地的にそういった学校を作るのがいいのではないかということ。

(藤田委員)
 マネジメントの問題は非常に重要。所定の配分の他に学校の裁量予算を認めて、その枠については校長の権限で決められることにしてはどうか。

(江崎座長)
 校長に誰がマネジメントの訓練をするのかという問題がある。日本は評価をしたがらない国だが、何か外部評価的なことが必要。

(田村委員)
 評価は公表しないと意味がない。

(上島委員)
 学校の情報公開法を制定し情報をオープンにしつつ、外部評価も行うことが必要。

(藤田委員)
 大学はともかく、小中学校でそういう評価をすることは問題。自己評価をしながら、必要な部分については公開してもいいが、一方で教員のプロフェッショナルな意識も尊重する必要がある。評価の仕方については工夫する必要がある。
 また、マネジメントについては、校長のトレーニング方法を検討する必要がある。

(河合委員)
 校長の給与を上げるべきである。

(田村委員)
 米、英は参考になるが、そのままでは導入できない。高校、大学は設置基準を国が決めているが、小中学校は国ではなく県単位で設置基準を決めている。小中学校についても国として設置基準を決めて、その中に評価制度を導入してはどうか。仕組みとして評価が学校に入る。ただ、その場合は、コミュニティスクールも同じ仕組みが必要。

(金子主査)
 私のいうコミュニティスクールは、ガバナンスのユニットとしての校長と経営スタッフが人事権や予算権を持ち、年限も区切って評価も行うというもの。日本中そうするか、飛び地的にそうするのか議論はあると思う。

(藤田委員)
 個々の学校がもっと自由に工夫できるようにした方がいい。

(今井委員)
 学校評議員制度も、学校側に中に入って欲しくないという考えがあり、なかなか進まない。設置するということにすべき。

(上島委員)
 学校情報公開法のようなものを制定した方がいい。

(田村委員)
 評価は制度としてやった方がいい。

(金子主査)
 学校評議員制度もよい校長がいるところはうまくいくが、通常ではなかなか難しい。

(藤田委員)
 今あるのは評議会ではなくあくまで評議員制度。各学校に教育委員会とは別にカウンスルを作り、学校の運営・企画に責任を持つようにすべき。そのメンバーは、校長や教員だけでなく、地域の方なども入るようにして、自らが学校の運営に積極的に関わるという意識を持たせる。既に機運は盛り上がっており、やらないところは圧力がかかると思う。

(田村委員)
 民間だと何もやらないと生徒が行かないから潰れるのでやる。

(大宅委員)
 公立は何もやらないでじっとしていようというのが強い。

(藤田委員)
 しかし、予算を自由にすれば各学校がそれぞれその使い方を考えないわけにはいかない。それについて学校カウンスルで企画を承認し、教育委員会に報告するようにすれば、学校も動かざるをえない。

(田村委員)
 学校の最低限の中身として評価を組み込んでおく必要はある。公立に評価を導入するかどうかの判断を任せたら、潰れないのだから導入しない。

(金子主査)
 内容はそれぞれの地域に任せるとしても、大きな枠を国で決める必要はある。

(藤田委員)
 評価に絶対反対というわけではない。やり方の問題。イギリスのオフステッドは、大変厳しいもので、評価後、駄目な学校は公表し、改善計画を提出させ、それに基づいて翌年再度評価を受け、それでも駄目な場合は廃校、つまりスタッフの総入れ替えをする。その結果起こったのは、問題児の学校からの追放だった。こういう評価は日本にはなじまない。

(金子主査)
 公立は、何もやらなくても潰れないからそれでいいということになってしまう。公立だと努力に報いるためにはどのようなことが考えられるか。

(藤田委員)
 選択制は、いい学校は好まれ、問題のある学校は嫌われるという傾向に拍車をかけるだけ。公表するのはいいが、公表の仕方もこの点で優れていたというふうにすれば、各学校も頑張るはずである。

(大宅委員)
 「いい学校」という時に、進学率がよいという一つの物差しにとらわれているからいけない。たくさんの異なる評価をすれば、それぞれの良さが出てきて、進学率だけじゃないということになる。国民の意識も揺さぶりたい。

(田村委員)
 評価は優劣をつけるためにやるのではなく、各学校のそれぞれの特徴を出すためにやるもの。それによって学校が元気づく。それが選択制に結び付く。

(藤田委員)
 そのようにはいかない。日本でも、高校の専門学科は、あれほど特色を出しているのに、底辺校に押しやられてしまった。イギリスでもオフステッドを導入した結果、オフステッドやナショナルアセスメントテストの成績がいいところを選び、問題のある学校を嫌うという選択行動が拡大してきた。全国一律の導入は初中段階では特に弊害が大きい。

(上島委員)
 今の学校は、評価されたら困るようなところばかりなのか。そういう学校の方が問題。

(今井委員)
 選択制の問題は、都会と地方で状況が異なる。学校選択が可能なところとそうでないところがある。評価を全国一律に導入すれば、地域がしっかりしているところでは、それが解体してしまうところもあると思うので、地域の判断にゆだねるべきだと思う。
 学校の評価の公表については、地域の人に子どもを共に支えていくという思いを持ってもらうためにも、必要だと思う。

(藤田委員)
 通学区域の弾力化については、かなり自由化されており、やろうと思えばできる。その促進をあえて国民会議で言う必要はない。言っても意味も分からずみんなが導入するだけで意味がない。むしろ、学校づくりをどうよくしていったらいいかというポジティブな提案だけをすればよいのではないか。選択制の導入によって日本は混乱するだけ。大学高校であれだけ偏差値が駄目だと言っても日本は全く変わらなかった。入試がなくなっても学校選択競争が起きるだけである。

(田村委員)
 将来大学入試は変わり、競争があるのはごく一部になる。今までは偏差値という能力の一つの要素でしかないものが全てであったことが問題だったが、これからは大学がそれぞれの特色を出していくようになれば、それが下にも波及すると思う。それを前提に選択制を書くというのではどうか。

(大宅委員)
 我々が言うとみんなそうするというのが問題。「選ぶ」ということにすれば、選ばれることで学校も変わるし、親も変わる。自ら「考える」という作業が入る。それを入れたい。

(藤田委員)
 選ぶ責任を適切に行使した親とそうでない親の結果は子どもが責任を取ることになる。

(大宅委員)
 選ぶと困るような学校ばかりなのか。それほど変わらないのではないか。

(藤田委員)
 そうであれば、現在の学校を教育改革で取り上げる必要はない。これまで取り上げられてきた様々な問題の元凶は高校の格差と序列化。中学に選択制を導入すれば、微細な差違であってもそれを序列と考える意識を中学生が持ってしまう恐れがある。

(大宅委員)
 何でも序列化するのが問題。存在としては平等で単なる差違と意識改革することが必要。

(藤田委員)
 それであれば、学校間で差違をつけるのではなく、学校の中でいろんな違いのある子どもがいて一緒にやっていくという教育をすべきである。

(金子主査)
 都市部でならともかくそれほど悲惨な競争は起こらないのではないか。

(藤田委員)
 人口10万人以上の都市であれば競争は起こりうる。

(大宅委員)
 生徒に逃げられた学校は改善努力をするだろう。そこまでしないと学校は変わらない。

(河合委員)
 日本人の序列思考を選択制によって変えることはできない。

(藤田委員)
 大学は現在変わりつつある。そうした上からの流れは必ず下へ波及する。それを待った方がよいのではないか。時間の問題だと思う。小中学校は現状のままでいいと思う。

(田村委員)
 評価の結果は公表することに意味があり、その裏に選択がないと意味がない。

(藤田委員)
 教師や学校の自己改革を促進するための評価と、学校選択あるいは教師が子どもを選ぶためだけの評価があるのではないか。

(田村委員)
 評価は税金でやっているのであり、税金を払っている人が知るためにやるもの。先生の自己改革のための評価など存在しない。

(今井委員)
 保護者の立場からすると何が行われているのか知りたい。

(藤田委員)
 評価の結果を公表して地域の人に改善に参加してもらうのはよいが、選択が入ると質が変わる。学校が商品になり、学校の価値があらかじめ決まっていることになってしまう。

(金子主査)
 選択の自由を奪うことでそれを解消しようというのは後ろ向きではないか。

(江崎座長)
 現在私立の中高は自由に選択できる。私立はいいのに公立の選択はなぜだめなのか。

(河合委員)
 現在行われている私立学校を選択する程度の選択ならいい。公立は評価が悪ければそれをよくすればよいのであって、選択を導入する必要はない。

(藤田委員)
 私立学校を認めないわけにはいかない。公教育は国家が全ての国民に対して教育を保障する責任を果たすためにつくられた枠組みであり、構造的な無理がある。それを解消するために部分的に私立は必要。私立の行う理念に基づいた教育は認めざるを得ない。

(金子主査)
 学校をよくすることは大切だが、3年後よくなりますというメッセージでは親にとって何も意味がない。今選べると言わなければ学校に対するプレッシャーがないのではないか。

(藤田委員)
 学校の善し悪しは、教員の問題だけでなく、生徒や親の問題もある。選択制を導入しても問題のある学校が改善されるわけではない。

(田村委員)
 今では親の知的レベルもアップし、国がくれたものはお仕着せでもらうという意識は薄くなり、公立も自分たちで選ぼう、自分たちで変えていこうという意識になる。

(金子主査)
 今日の議論によれば、Bについてテーマ毎に提言をするというよりは、基本的にはどうあるべきかといった形で提言をするという方向性が出てきたように思う。本日の議論をまとめると、次のようになると思う。学校の選択制については、賛否両論あった。評価については、必要だが、地域ごとに独自性を持つことがその前提条件であるとのことだった。公教育の「公」が保障する内容については、一つは誰でも行けるということ、もう一つはそれぞれの地域でよくすることであった。学校をよくするためのインセンティブについては、多少の予算を与える程度でいいのか選択されることが必要なのか議論となった。そうした方向で進めることでよければ、今日は引き続きBについての議論を行い、次回はそのまとめをしてCの新しい学校を検討することでどうか。 

(銭谷室長)
 評価や選択の話は重要だが、いじめや不登校など今の学校が現実に抱えている問題にどう対応するのかについてももっと議論をしてほしい。

(金子主査)
 そうした問題に何らかのメッセージは必要だが、こうすればよくなるという特効薬はあるか。

(藤田委員)
 現在多くの人が抱えている問題意識とずれたものであってはならない。学級崩壊についても、うまく収束したところは、保護者が一緒になって学校をよくしようとしたところである。

(河合委員)
 今の親は相談できるところが非常に少ない。親も教師も一緒に考える態度が必要。

(金子主査)
 とにかく今こうした方がいいというのがよいか、それとも今日の議論のように独自性とか参加とかが必要という少し長期的な提案の方がいいのか。

(今井委員)
 両方必要。現在学校が抱える問題については、親も自分たちだけでは解決できないものが多い。複合的な相談体制があれば親も安心できると思う。
 学級崩壊は、先生が早くオープンにして親と一緒に対応し、学校として対応することが必要である。

(藤田委員)
 アメリカはそういった問題を個人の問題としてとらえるが、イギリスはむしろコミュニティとかカルチャーの問題としてトータルにとらえようとする。いじめの問題などはコミュニティが参加し、カルチャーを変えることが必要。また、イギリスのようにそれぞれのコミュニティにカウンセラーを配置することが必要なのではないか。

(金子主査)
 結論としては、いつも学校とコミュニティの間にコミュニケーションが必要であるということだと思う。次回は、Bについては引き続き考え、Cの「新しい学校の試み」を検討することとしたい。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。