教育改革国民会議

教育改革国民会議第2分科会(第7回)議事概要



(日時) 平成12年7月17日(月)10時〜12時

(場所) 三田共用会議所 第一特別会議室

(金子主査)
 本日は、第2分科会審議の報告について、主査案をたたき台として提出させていただいた。これをもとに議論し、後は主査の責任でまとめさせていただくことにしたい。
 その前に、まず「A 全体の方向性」について議論したい。資料中の「コミュニティで育てる、コミュニティを育てる学校づくり」は、石原委員の案をもとにしたが、私立学校は必ずしも地域のみに基づいているものはないことから、「地域」のみでなく、「テーマや関心を共有する人々」の意味も包含できる「コミュニティ」という語を用いた。サブタイトルは「新しい時代に、新しい学校を」とした。「新しい学校」については、これまでCのタイトルとしてきたが、これを「新しいタイプの学校」とし、また、既存の学校もバージョンアップするという2つの意味を含めて用いることとした。

(河合委員)
 「バージョンアップ」などのカタカナには抵抗がある。

(金子主査)
 もともとは「改善」としていたが、それでは地味なので、この語を用いた。

(田村委員)
 この語がいい。「新しい時代に、新しい学校を」というサブタイトルと平仄を合わせて、今まで使っていない言葉を用いる方がいい。

(石原委員)
 義務教育の中での「コミュニティ」というのは、子ども達が徒歩圏内で歩ける生活圏内と密接な関係にあるので、「地域コミュニティ」としてほしい。行政では福祉分野を中心にカタカナ語を使わず、日本語で言えるものは日本語で国民に分かりやすい表現にしようとしている。そういう流れからいうと、「バージョンアップ」等についても日本語を用いた方がいいのではないか。

(田村委員)
 「コミュニティ」が地域だけであると、私立学校は対象にならない。

(石原委員)
 私立学校も公教育の一つであり地域から隔絶しているわけではない。家庭、学校、地域の連携の中で、私立の学校に通う子どもも地域へ帰れば地域で育つ仕組みが大切だということからも「地域コミュニティ」とした方がいい。

(上島委員)
 「選択の自由」と「競争原理の導入」については意見が分かれた。サブタイトルは、この部分についてもっと強いインパクトが出せるような表現にした方がよいのではないか。

(金子主査)
 地域との連携や選択制も内容のところで書いてある。

(藤田委員)
 私学も地域コミュニティの中で育っていくことが必要であり、意味としては地域コミュニティであるが、あえてそういう必要はないのではないか。内容を検討した上でもう一度後で検討することにしてはどうか。
 「全国の学校のバージョンアップ」の中の「学校は情報を開示し、評価を受け、自ら変わる努力を」については、強い反対意見があったことを明記してほしい。学校評価を導入した欧米でどんどん成績一元的評価になりつつあるということを踏まえ、それをあえて導入することの意義についてもっと検討する必要がある。

(石原委員)
 国民会議として国民にメッセージを出すのであれば、分かりやすい言葉を使うべき。

(藤田委員)
 「新しいタイプの学校の提案」については、新しいタイプの学校をつくったからといって学校が良くなるという発想自体に強い疑問を抱いている。

(田村委員)
 「バージョンアップ」という言葉には多様な学校が出てくるということを含んでいる。義務教育にも様々なものがあった方がいい。それを押さえ込んで一律のものにするという発想を考え直すべき。

(大宅委員)
 全部いいかどうかは分からないが、新しいことをやってみることが可能であるというメッセージを出すことが必要である。

(藤田委員)
 試みるというが、矛盾や差別を作り出すような制度をつくってはならない。

(金子主査)
 これから本文の内容について議論をしたい。最初に「現状認識」から始めたい。

(石原委員)
 「いじめ、不登校、学級崩壊などに代表される学校の現状やそれに対する親の不安は深刻なものがあり、第2分科会として、できる限り対応をするという視点を持つ」という中で、そうした視点を持つと言った以上、それに対するメッセージが必要ではないか。

(金子主査)
 それについては、必ずしも十分に議論できなかったが、関係する提言は入れてある。

(草野委員)
 「新しい力」とあるが「力」とは何か。権力の「力」ではないと思うが。

(金子主査)
 確かに「力」だと「権力」と間違われる可能性があるので、「活力」などに改める。

(河合委員)
 「現在の学校は国民の期待に応えているとはいえない」というのは、現場の先生をたくさん知っているだけに残念。

(石原委員)
 学校は教員だけでなく、栄養士、調理師、校務士、事務員などみんなでつくる時代。学校のスタッフも大きな問題になっている。「教員」は「教職員」にした方がよい。

(藤田委員)
 学校の問題に関する記述については、言いたい趣旨は分かるが表現に工夫が必要。「隠したがる体質」などは公立学校のみならず私立学校も同じ。

(田村委員)
 私立学校は失敗すると潰れるが、公立にはそういう意識がないことが問題。

(藤田委員)
 そこについては一貫して議論が分かれてきた。潰れるか潰れないかが学校をよくする決定的な要素かどうかはもっと議論すべき。

(河合委員)
 私立も潰れないよう情報を隠したがることもある。全文公立学校だけにかけるのは難しい。

(金子主査)
 「潰れない」という表現は工夫する。また、公立のみではないことも何らかの形で表現に入れていく。次は「全国の学校のバージョンアップ」について検討したい。

(藤田委員)
 意欲や熱意や努力に報いることの重要性は分かるが、努力に応じた処遇に関する記述については、ストレートすぎる。もう少し表現を工夫した方がよいのではないか。

(石原委員)
 「教員はただ好きなことをしゃべっていればいいのではない」というのはあまりにも主観的な表現。先生が駄目だと一番辛い思いをするのは子どもだし、学校が潰れれば悲しむのは子ども。「潰す」なども含め、もっと子どもの目線を考えた文章にすべき。

(田村委員)
 これくらい言わないと分からない人がかなり多い。

(石原委員)
 この表現だと一生懸命やっている先生はショックを受けるのではないか。

(大宅委員)
 メッセージを出すというのはそれぐらいのものが必要。全ての方面に目配せしたような文章はメッセージ性がない。普通の人が普通にしゃべる言葉で出すことに意味がある。

(金子主査)
 タイトルの部分で「意欲や熱意や努力が報われ反映される体制を」と書いてあるから、一生懸命やっている人はこの表現があることで勇気づけられるのではないか。

(石原委員)
「意欲や熱意や努力が報われ反映される体制を」という部分をもっと強調できるような文章にすべきではないか。

(藤田委員)
 「意欲や熱意や努力が報われ反映される体制を」ということ、提案の内容いずれについても反対はない。努力に応じた処遇をするという意味の記述のところは、一緒にまとめればよい。しかし、教員の評価については最善の方法を考えるべき。教員の資質に関する評価は、教員にフィードバックすればよく、公表する必要はない。公開されたら、親や公開された側は一元的な尺度で教員や校長をみるようになる。

(田村委員)
 税金でやっているのだから、評価は原則公表すべきである。

(上島委員)
 公表は原則として書いておくべきである。

(金子主査)
 学校によってどのくらい何を公表するかを判断すればいい。それを含めて「意見が分かれた」とすればいい。

(石原委員)
 個々の評価と勤務評定とはどこで線を引くのか。評価は誰がすることになるのか。

(田村委員)
 学校評価は一つに自己評価・自己点検があり、勤務評定も同じ。その先に第三者評価がある。日本では国民性の問題もあり難しいが、そこまで視野に入れてやりたいところはできるということにすべき。第三者評価になれば公表もはっきりする。

(藤田委員)
 雇用形態が多様になる中にさまざまなものが入ってくるのはいいが、教員免許の取得は開放制で、現在でもそれほど難しいわけではない。正規の教員になるプロセスが多様になることについては慎重になるべき。

(河合委員)
 教員免許を更新制にし、だめな人は更新できないこととセットにするならよいが、単に免許取得が簡単になるのは問題。

(石原委員)
 今の教員免許は適性を決定するのでなく最小限度の資格をとるもの。

(金子主査)
 今でも教員免許がなくてもいい場合がある。それを例外でなくもっと一般的にせよという趣旨。今の制度が事実上教員免許を取っていないと正式教員として教えてはいけないとなっていることに対する疑問を示したもの。

(藤田委員)
 免許制度の改革ではなくて採用方法の多様化だったらいい。

(石原委員)
 免許更新制は、免許を取っても教員になっていない人が多い現状を考えると、実際は非常に難しい仕組みであり、更新するといい先生というわけではない。

(金子主査)
 次に「学校」の部分について検討したい。

(藤田委員)
 第三者評価、公表、選択制全てについて賛成できない。学校評議会のようなものをつくって、自ら点検をしながら改革をしていく方がいい。

(河合委員)
 勉強だけに集中した評価になることと序列化が日本では一番恐ろしい。

(石原委員)
 地域に学校の情報を出すことには賛成だが、評価を行うには誰がどういう基準で行うのかが非常に重要。義務教育では学校の評価が地域の評価につながるものであり、大学評価のように全国的なものとは違った視点が必要。

(金子主査)
 「実際の評価はローカルに行うのがいい。学校の評価は全国一律にやる必要はないだろう。評価の方法については、一つの物差しで序列化されることのないよう留意すべきとの意見があった」という部分でそれらの意見は吸収したつもりであるが、少し強めて書く。

(藤田委員)
 地域に対して学校でやっている活動を公表することには反対しないが、評価してそれを公表することには反対。評価と公表は分けた方がいい。

(河合委員)
 評価をすることは必要だが序列化につながると困る。また、評価の基準は難しい。

(藤田委員)
 学校の評価は学校の活動や教師を評価するだけでなく、集まっている子ども、つまり地域を評価することになる。もっと慎重になるべき。 

(上島委員)
 学校のマネジメントのあり方とか、評価といっても、子どもたちや地域の特色を評価しているとは限らない。

(大宅委員)
 公表されたことは評価すべき。評価は子どもの成績についてのみ行うのではない。

(金子主査)
 情報の開示と評価については分けて書き、評価に関しては、十分留意し、公表の範囲と仕方を地域にとどめるかどうかについては意見が分かれたということにしたい。その他、学校選択制についてはどうか。

(石原委員)
 選択制ではなく通学区域の弾力化の方向を充実推進すればよい。

(藤田委員)
 通学区域の弾力化を適切に運用することが大切。

(上島委員)
 情報と評価はセットの方がいい。評価をするために情報を出すのである。

(河合委員)
 選択まで結びつけるのは、今の現状では危険。

(金子主査)
 評価と選択制のところは、委員の名前を出して意見を整理する。

(金子主査)
 次に「学級編成や授業方法」のところにいきたい。

(藤田委員)
 教員配置数は30人学級とか数字を出した方がよいのではないか。大都市圏での学級規模を改善できるよう、教員配置の積算基準と配置の仕方を変え、積算基準については25人学級とか30人学級にしてそれにプラス各学校に必ず必要なスタッフ(校長、教頭)を配置することにしてはどうか。

(上島委員)
 単に教員を増やせばいいといのではない。ここでは、学級編成やカリキュラムについて学校や校長にもっと自由度を与えるというメッセージを強く出した方がいい。

(金子主査)
 藤田委員の意見は、単に教員配置数を増加せよというのではなく、配置を弾力化しろということか。

(藤田委員)
 配置を弾力化し改善せよということである。

(田村委員)
 「企業はいろいろな努力をして生産性を上げている」というのは、企業のみならず全ての組織はそうしているので、企業だけではないという表現にした方がいい。 

(金子主査)
 次にIT教育と英語教育の部分にいきたい。

(藤田委員)
 タイトル中「小学校段階から」というのはとってもよいのではないか。英語教育等については若干の疑問も出ているし、「なるべく早い時期から」とあるのでこれがなくても趣旨は伝わる。

(石原委員)
 英語教育は総合的学習で3年生から取り込むことができる。充実することが大切。

(田村委員)
 英語も「本物」にふれることが必要。

(大宅委員)
 英語も「本物」にする必要がある。「英語はコミュニケーションの道具である」とあるが、ニュアンスとして「英語は単なる道具である」としていただきたい。

(金子主査)
 次に、「新しいタイプの学校」のうち私立学校の部分についてはどうか。

(石原委員)
 施設・設備の取得条件のところの記述は細かすぎる。行政上・法律上の問題点もあるので、「つくりやすくすることを検討する」という程度にとどめておいた方がよいのではないか。

(金子主査)
 例えば「大学設置程度に」ということでもよいかもしれない。

(田村委員)
 「大学設置程度」ならよいが、かなりはっきり書かないと動かないのではないか。

(金子主査)
 次に研究開発学校の拡充の部分についてだが、このポイントは「地域指定」ということか。「クリエイティブ・スクール」という固有名称とはあまり対応していないように思うが。

(河合委員)
 「クリエイティブ」というと創造性をのばすなどの意味と誤解されるおそれがある。

(金子主査)
 この名前をとった方が現制度を地域指定に適用する趣旨が伝わるのでそうしたい。次に、コミュニティ・スクールに関する部分はどうか。

(藤田委員)
 教員、校長の身分はどうなるのか。

(金子主査)
 現在の教員を採用した場合はそのままの身分、新しい人を採用した場合は任期制の公務員。非常勤は公務員でなくてもいいと考えている。

(藤田委員)
 現行の教職員が申し込んでそこへ行くだけなら、現制度の中で校長に裁量権を与えて在任期間を保証すれば同じことが可能。

(石原委員)
 「コミュニティ・スクール」も固有名詞だと思うが、公立学校もコミュニティ・スクールである。違いが分かるようにするべきである。

(藤田委員)
 全体の見出しにも「コミュニティ」とあるので、ここの特別の意味に「コミュニティ」と使うのはどうか。

(河合委員)
 実験校のようなものであれば、そういう名前にした方がよいと思う。また、見出しにも「コミュニティ」とあり、この学校をつくらなくてはいけないと短絡されると困る。

(田村委員)
 新しい学校については、風穴をあけるためにこれを提案することには意味があると思うが、失敗したときの責任を誰がとるのかを考えると、難しい問題がある。

(金子主査)
 「コミュニティ・スクール」の名称については再検討する。
 本日いただいた意見をふまえ、最終的に私の方でとりまとめを行うこととしたい。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。