教育改革国民会議

教育改革国民会議第3分科会(第3回)・議事概要



(日時) 平成12年6月13日(火)18:00〜20:30

(場所) 虎ノ門パストラル新館3階 あやめの間

(木村主査)
 第3分科会のテーマは「今後、我が国が必要とする人材をいかに育成するか」ということで、議論の柱は「高い専門性を持った、社会の各分野におけるリーダーたりうる人材の育成」と、「独創的、創造的な活動ができる人材の育成」の2点であろう。本日は、@子どもたち一人ひとりの才能は伸ばされる教育になっているか、A産業構造など社会の変化に教育は対応しているか、ということを検討の視点として議論していただきたい。

(河野委員)
 独創性、創造性とは「個の確立」を前提に新しいものや新しい仕組みを作り出していくことではないか。そう考え、今までの議論を振り返ってみると、18歳の段階で将来を決めてしまう入試が諸悪の根源である。到達度試験+単なる記憶力の勝負ではない各大学による特色ある試験への改革が必要。大学は、教養2年+専門3年でよいのではないか。

(クラーク委員)
 創造性を育成するためには、知識だけではなく、経験も必要。知識は学校で習得可能だが、経験はアルバイトやボランティア活動など学校外で得るもの。

(浜田委員)
 自分が今取り組んでいるテーマをより高めようという向上心、ハングリー精神を常に持ち、努力をし続けることができる人が創造的な人材ではないか。もちろん、ベースには経験、技術、基礎学力や人間力が必要。またマインド面では、損得や保身抜きで客観的に色々な事物に常に関心を持てる生き方が重要。
 創造性は追い詰められないと発揮できず、緊張の持続が重要であり、「ゆとり」には非常に疑問。

(河野委員)
 経済同友会のアンケートによると、企業が大卒へ期待するものとして、「創造性」は4位であり、1位は「行動力・実行力」であった。院卒へは「創造性」は5位であり、1位は「専門知識」であった。

(黒田委員)
 創造力は想像力と密接に結びついており、色々なものに対する興味・好奇心が重要であるのに、今の学生には、心から感動して面白いから取り組むという雰囲気がない。

(クラーク委員)
 湯川秀樹が“Japanese mind is unfit for abstract thinking.”と講演で言ったように、日本人は目の前に対象物があるときには創造性を発揮できるが、対象物がないときには発揮できないという文化であるとするならば、抽象的な創造ができにくいのは日本文化の問題ということになる。

(藤田委員)
 独創性、創造性は、基礎的な知識や能力の上に開花するものである。ともすると、学校教育が独創性、創造性を身に付けさせていないといわれるが、むしろ日本の企業や研究所が十分にその能力を活かしきっていないということも考えられる。創造性を育むためには、@基礎知識、A創造性を活かす場所、B個人のマインド・向上心が必要である。
 学校教育の中では共通的な基礎知識を重視する必要があると同時に、その学んでいる内容がどういうところにつながっているのかということを考えさせること(コンテクスチャライゼーション)が重要。このような教育を施しつつ、緊張を維持して向上心を保つ教育も実現していくということであれば、これまでの「ゆとりの教育」では無理だと思う。

(田村委員)
 「ゆるみ」ではいけないが、「ゆとり」は必要。日本の子ども達は、幼稚園や小学校低学年の頃は輝いているが、学年が上がるにつれくすんでくるようになる。「学校が知識を与えることが創造性につながるんだ」、と単純に言ってしまうことはできない。

(クラーク委員)
 これまでの日本の小学校教育はすばらしく、12歳までの社会化(ソーシャライゼーション)に成功しているが、その後もずっと社会化の教育が続いており、個性をあまり伸ばしていない。それと比較して欧米の学校の良いところは、個性を伸ばす少人数教育であるところ。

(木村主査)
 基礎が大事だとは思うが、基礎の教え方が問題である。日本人は少ない知識を縦横無尽に使って自分の考えを構築していくような「考える力」が足りない。

(藤田委員)
 「ゆとりの教育」の理想型のようなものがあればそれ自体問題はないと思うが、今回の学習指導要領の改訂のような、単なる教科内容や授業時間の削減だけではゆとりにはならない。もし「考える力」の育成が本当に必要ならば、考えるための教科や内容というものがあり、そのためにはもっと合理的に教科内容の精選をしていく必要がある。
 アメリカの大学では、自分で調べ、考え、書かせる作業をする機会が多く、日本の大学でもそういった要素を増やしていかなければならない。

(田村委員)
 あるテーマを出してそれぞれが考える宿題を出している例があるが、生徒数が多すぎて一人の教師が一人一人について全部を見る時間がない。少人数学級が必要。

(草野委員)
 独創的、創造的な人材を育てることには誰もが賛成すると思うが、全ての人に独創性や創造性を求めるわけではない。独創性は新しいものを解決できる力、自分で考える力を持っていることではないか。

(木村主査)
 独創性、創造性に富んだ人材が必要ならば、突出した部分を作らなければならないが、それと同時に、支える部分はどうするか。

(藤田委員)
 底辺を支えるような大学でも学習意欲が湧くよう、大学間を自由に移動できるように3年次の転編入学の枠を積極的に拡大することが重要である。また、単位だけを積み上げて、学位をもらうこともできるので、フルタイムの授業料と単位ごとの授業料を分けるなど、学習意欲のある人たちの学習機会はきちんと拡大するという方向にシステムを整備していく必要がある。

(河野委員)
 一律に企業の採用のあり方が問題と言われても困る。流動化が進み企業自身も変わってきているので、文系においても今後、専門性を持った人材をより多く求める可能性もある。

(藤田委員)
 教育熱心な親は企業が変わってきているということを必ずしも認知していないことが問題である。企業の変化に対応した、大学・大学院システムの弾力化が必要。
 大学院は現行の修士2年、博士3年制をやめ、大学院入学段階で、ドクターコースにもマスターコースにも進学できるようにし、3年間でドクターの課程を修了できるシステムに移行すべき。現行では、修士:博士=2:1の定員なので、修士2年間かけて良い論文を書かなければドクターには進学できないシステムであり、実質的に1年間でマスターを修了することは不可能である。

(木村主査)
 ドクターの定員は学内の縛りであって、学内で変えようと思えばいくらでも変えられる。

(クラーク委員)
 飛び入学を導入すれば、17歳で入学し、学部3年で卒業とすると、大学院に進学しても22歳で卒業できるので、それならば新しいエリートとして企業の要求にも合致するのでは。

(草野委員)
 文系の場合、大学が養成する人材と企業の求める人材にミスマッチがある。両者がお互いの要望をぶつけ合う機会が少ないのではないか。

(クラーク委員)
 制度を具体的に考えなければならない。オーストラリアのように、学部3年卒業後に就職活動をし、優秀な学生だけ4年生で大学に残りhonorsを与えればよいのではないか。
 海外では文系でもドクターを持っている人が活躍できるのに、日本ではそうでない原因は、会社に入ってから必要な訓練を受ける終身雇用制度のためではないか。外国では、企業に入る前にできるだけ自分の能力を高め、自分を売る価値を高める。

(藤田委員)
 欧米の場合、企業内が部門化、専門職化されているが、日本はこれまで下からのたたき上げでやってきた。ドクター5年終わって学位を取って社会に出ると、年齢的に欧米よりかなり高くなってしまう。

(草野委員)
 日本の場合、大学を卒業していれば、あとは企業内で育て、その中から経営集団が残るという仕組みだが、欧米の場合は、はじめから経営者集団になる層が決まっている。

(浜田委員)
 文系でも法律の場合、専門職としてごく少数レベルの高い人材が必要であるが、経済・経営の場合、ドクターを取ったところで活躍するかどうかは悲観的である。

(藤田委員)
 急速に取引先が流動しているところでは、専門的な人材がほしいところもあるなど、業種によって随分違う。

(銭谷担当室長)
 子どもたちは、小学校の頃は輝いているが、学年が上がるにつれ元気がなくなってくる一因として、日本における入試の影響がかなりあるという議論があった。アメリカやイギリスの場合、高校時代の学業成績をかなり丹念に評価し、競争の激しい大学でも丁寧な入試を行っている。もし、日本人の創造性を育てない一因として入試のシステムがあるとすれば、先生方の深い議論を拝聴したい。

(河野委員)
 学年が上がるに伴い、授業が難しくてわからなくなるから、学校が楽しくなくなるということもあるのではないか。

(藤田委員)
 一般論として、学年が上がるにつれ無気力・無関心・無感動という傾向が強まってくるということはあると思うが、公立でも学校によっては随分違いがあって、活気があってのびのびとしている学校もたくさんある。明らかに欧米と違いがあるとすれば、入試の影響が多少なりともあるということと、日本の教師は子どもの長所を伸ばしていくという点では対応が十分ではないということである。

(田村委員)
 公立の場合、いくつかの小学校を集めて一つの中学が、いくつかの中学校を集めて一つの高校ができている。教師たちは生徒をまとめるため、集まってくる多様な生徒を一つの学校の色に染め上げることが必要になる。それが、独創性、創造性を妨げる。
 一貫教育の場合、ものすごく優秀な子どもとできの悪い子どもとが出てくる。個性を伸ばすということは、そういう面がある。今までは平均を目指し、下も生み出さないが、反面、上も生み出さないというデメリットを含んでいた。

(浜田委員)
 長年にわたる日本の画一平等主義に原因があり、能力のある子どもはつまらないから輝きを失い、他のことをやらせればもっと有能だが勉強が嫌いな子どもは授業がわからなくて輝きを失う。

(木村主査)
 公立中学の場合、選択がなく、そこに合わない子どもがたくさん出てきてしまう。多様な学校を作っていくことが重要。

(藤田委員)
 学校選択制にしたからといって、学校の中で、入ってきた子どもたちが多様で個性的だということを認めて、それを受け入れて伸ばすことができなかったら、問題は解決しない。結局は、学校の中で実際に教師がどういう構えで生徒にのぞんでいくのか、その枠組みを変えていくことの方が重要である。

(木村主査)
 学校を多様化することも一つの方法でありうると思う。
 次回は、これまで出た議論をまとめ、今日出ていなかったような議論をしたい。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。