教育改革国民会議

教育改革国民会議第3分科会
第3回議事録




【木村主査】それでは、時間が少し過ぎましたが、第3回第3分科会を始めさせていただきます。

 本日は、第3分科会そのものにつきまして、プロパーの委員につきましては、牛尾委員と田中委員が御欠席でありますが、その代わりというと失礼ですが、第2分科会の方から田村委員と藤田委員にお入りいただいております。よろしくお願いいたします。

 それでは、まず前回、何点か委員の皆様方からデータについての御希望がありましたので、それについて準備してありますので、簡単に銭谷室長の方から御説明いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

【銭谷担当室長】それでは、本日配付をいたしております資料のうち、前回、委員の先生方から御要請のありました資料について御説明をさせていただきます。

 資料1、資料2は後ほど御説明があろうかと思います。

 資料3でございますけれども、高等学校の総合学科とは何であるかというお尋ねがございましたので、高等学校の総合学科についての資料を用意させていただいております。御案内のように、高等学校には、従来から大きく普通科と専門学科という2つの学科がございます。普通科は、国語、数学、理科、地歴、公民といったような普通教科を中心に勉強する学科でございます。専門学科は、工業なら工業、あるいは商業なら商業という専門科目を30単位程度、必ず履修した上で、高等学校卒業に必要な単位数を終えていくという学科でございます。総合学科は、普通教科から専門教科にわたり、多様な開設科目の中から生徒が選択的に科目を履修して学習するというところが最大の特色でございます。ですから、例えば工業学科であれば、工業の科目を30単位程度、必ず履修しなければいけない訳でありますけれども、総合学科は工業系のことを勉強したり、普通教科を勉強したり、各人の進路に応じながら幅広い学習ができるというところが最大の特色かと思います。その他、将来の生き方を考えさせるという意味で、「産業社会と人間」という科目を総合学科の生徒は原則として履修をするということになっております。

 総合学科の現状は、現在までに 145校設置をされております。この制度自体は平成6年度にできた訳でございますが、グラフを見ておわかりいただきますように、年々開設の学校が増えているという状況にございます。

 国としては、総合学科については、当面、全国の高等学校の通学範囲、概ね 500程度の通学範囲に少なくとも1校を設置することを目標に整備の促進を図っております。現在までが145校でございますので、今後更に総合学科は増えるということが予想されております。

 2枚目に意識調査の結果が出ております。総合学科の在校生、その保護者、卒業生に対して実施をしたアンケート調査の結果でございます。在校生、卒業生、在校生保護者とも総合学科への満足度が非常に高いという結果が出ております。高校生一般については「満足」、あるいは「まあ満足」というのが55%という状況の中で、総合学科の場合は7、8割の方が学んだことを満足しているという結果が出ております。その他、総合学科の教育の特色が評価をされているとか、生徒はやりたい勉強をするために総合学科を選んでいるとか、積極的な科目選択ということが行われているといったような状況が伺えるところでございます。

 総合学科のパンフレットも御用意させていただいておりますので、後ほどご覧をいただければと思います。

 次に、資料4は、アメリカの大学入学制度の概要、資料5はイギリスの大学入学制度の概要を用意させていただいております。

 まず、資料4のアメリカの入学制度でございますけれども、アメリカの場合、大学は基準以上入学型(Selective)、競争型、開放型といくつか大学のタイプがある訳でございます。基準以上入学型につきましては、ハイスクールの卒業資格の他、ハイスクールでの特定科目の履修と学業成績、それとSATあるいはACT、いわゆる適正テストの成績等、これが大学で定めた基準を満たしていれば全員入学させるというやり方が基準以上入学型、つまり多くの州立大学で行われております。いわゆる一部の有名私立大学など競争型と呼ばれる大学は、入学希望者が定員を大幅に上回るために、ハイスクールの卒業資格の他に、例えば高いレベルの学力、つまり、SATあるいはACTなどの一定水準以上の点数に加え、いわゆるAO入試による選抜が行われています。開放型の大学は、成績等に関係なく、ハイスクールの卒業資格を持つ者に入学を認めるというやり方でございます。

 一般的にアメリカの大学入学については、まず、2の(1)にございますように年齢による入学制限はありません。学力要件は、先ほど来申し上げておりますように、基準以上入学型、あるいは競争型の入学方式をとる大学では、高校での特定の科目の履修及び一定水準以上の学業成績を入学要件としている場合が多くなっております。

  具体的な入学者の決定方法は、まずハイスクールの学業成績、ハイスクールからの推薦状、SATあるいはACT、いわゆる学力適正テストの得点、小論文の提出といったことが求められ、この他に面接が課される場合もある。特に各大学では、こういった情報をAO(アドミッション・オフィス)と呼ばれる入学担当事務局の専門職員が総合的に判断をして入学者を決定するということになっております。

 なお、先ほど来申しておりますSAT、ACTについては、SATはアメリカの大学入学試験委員会が民間テスト機関でございます教育テスト事業団に委託をして実施をしているもので、言語領域と数理領域の2領域について、マークシート方式によるチョイスの試験を行っております。このテストは年間複数回実施をされている。

 ACTは、アメリカ大学テスト事業団が実施をしており、英語、数学、読解、科学的推論の4領域について、主としてハイスクールにおける学習の成果を測定することを目的として、マークシート式で実施をしているものです。これも年に数回実施をされております。

 したがって、アメリカは、SATなどを受験いたしまして、その結果をもって願書を提出して合格通知を受けるというような仕組みになっております。いずれにいたしましても、個別の大学ごとのいわゆる学力試験というのは、アメリカでは余り行われていないというのが実態のようでございます。

 資料5がイギリスの大学入学制度の概要でございます。イギリスの場合は、多くの大学がGCEなどの資格試験の結果を重視して入試を行っているということでございます。

 イギリスの場合、年齢要件は、入学最低年齢を17又は18歳とする大学が多い訳でございます。例外的に飛び入学を認める大学もございます。イギリスの場合、アメリカとちょっと違いますのは、スケジュールを見ていただければおわかりになりますように、出願をしまして、ある程度の選考をした後でGCE試験を受けて最終的な合格が決まる。アメリカの場合のSATやACTの時期と、イギリスの場合のGCEの時期がちょっと前後しておりますが、基本的な考え方は概ね共通でございます。つまり、願書を出すに当たりましては、志望専攻や中学卒業試験の結果や、いわゆる内申書、自己評価欄を記入をして大学へ願書を出しまして、大学で書類審査をして結果をある程度出して、その場合には、GCE試験を受けて、受験科目の成績がいくら以上あれば、あなたは最終的に入学ですよという条件付きの合格をして、GCE試験を受けて最終的に合格が決まるというようなやり方が多いようでございます。

 以上がアメリカとイギリスの大学入学制度の概要でございます。いずれも共通しておりますのは、統一的な学力試験の結果を踏まえて、個別の大学での学力試験は余り行っていないというように私は受け取りました。

 資料6は、第1回から話題になっております千葉大学の飛び入学で入学をいたしました学生のその後の教育プログラムでございます。千葉大学では、先進科学プログラムをつくりまして、飛び入学の学生に対して早い段階で、過度の干渉をせずに、学生の能力と興味に従って適切な勉学の機会が与えられるようなことを指導方針として教育を行っております。

 例えば先進科学セミナーを実施し、1年生については、高校3年の物理・数学の教育内容のうち、大学1年次の履修に必要な内容を補うといったようなことから始めて、大学における例えば物理学や数学の基礎となる事項を中心としたセミナーを週2回程度実施をしております。

 また、文系セミナーを週1回実施し、教養関連科目として、専攻以外の人文科学、社会科学に関して読書を中心とする指導を実施して教養を高めております。その他、オムニバスセミナーなど、いくつか工夫をしながら、円滑な大学教育ができるように配慮をしているということでございます。

 飛び入学で入ってまいりました学生は、入学後は物理学関連の基礎科目の履修においては、千葉大学の物理学科においてはトップクラスに位置する場合がほとんどでございます。その他の外国語科目、人文・社会科学系の教養科目においても、同学年の学生と一緒に受講しておりますが、ほとんどの場合「優」の評価を得ており、高等学校3年次の分の未履修の不利は観察できないという結果でございます。

 それから、私も非常に注目すべきだと思いましたのは、2年次、3年次と学年が進行するにしたがって著しい成績の向上が見られる。これは、個別指導の成果もその一因かなとも思われる訳でございます。これが千葉大学で飛び入学した学生に対する、入学後の指導と学生のその後の学習の状況でございます。

 資料7は、前回、GPA制度を導入したらどうかという御発言がございましたので、関連資料を御用意しております。GPAは、アメリカにおいて一般的に行われている学生の成績評価方法で、授業ごとの成績を5段階で評価をし、グレードポイントを付与して平均を出す訳でございます。各教科の成績評価の平均が1年半連続して 2.0未満の学生に対しては退学勧告がなされる。単位自体は1ポイントでも可能でございますけれども、卒業のためには通算の単位当たり平均、つまりGPAが 2.0以上であるということが必要とされているということで、学生の成績を評価しながら進級・卒業というものを決めていくというやり方でございます。

  最後に、資料8でございますが、学部学生に対する大学院学生の比率の国際比較でございます。アメリカのデータがありませんでしたのでアメリカが載っていない訳でございますけれども、例えば学部の在学者に対して、大学院又は大学院相当課程の在学者というのは、例えば人文・芸術等で見ますと日本が3.4 、イギリスが 9.2、フランスが 10.1 、ロシアが 7.4。法経で見ますと、日本は 2.2、イギリス15.3、フランス16.7、ロシア 5.5といった具合にご覧をいただければと思います。これを見ますと、文系が特に大学院の比率が低い。それから、イギリスとの比較でございますが、例えば教育・教員養成のところが非常に低い。ただ、理学、工学になりますとそれほどの明確な差はないといったような数字がお読み取りいただけるのではないかと思ってございます。

  なお、本日も文部省から担当の課長が4人出席をいたしておりますので、本日の御議論で御質問等ございましたら、各担当の方から御説明できるようにいたしております。よろしくお願いいたします。以上でございます。

【木村主査】ありがとうございました。それでは、ただいまの資料につきまして、御質問等ございましたら、少し時間を取りましてお願いをしたいと思いますが、いかがでございましょうか。

【浜田委員】最後のところですけれども、これは大学の学部学生に対する大学院生の比率ですね。国によって大学へ進学する人の比率が大分違えば、この比率だけではちょっと理解が不十分かなと思うので、もしできましたら、ここに出ているイギリス、フランスは大学そのものへ行く比率がどのぐらいなのか。日本と大差ないのか、うんと違うのか。もう少し調べて教えていただければと思います。

【銭谷担当室長】まとめて御用意させていただきます。

【木村主査】今の資料で、ミスリーディングなのは、英国が例えば理学で15.2%となっていますが、これはほとんど博士課程なんです。途中追い出されるのもいますが、英国は大学院の学生というのは博士課程を意味します。日本は、法学などはほとんど修士でしょう。博士課程の修了者の数で比べると日本とイギリスでは全然違います。

【黒田委員】 イギリスは、マスターを取ったらおちこぼれであり、大学院1年終了後に優秀であればドクターに変換しますが、だめな人はマスターを与えて卒業させます。そういう意味では、ちょっとミスリーディングですね。

【木村主査】従ってドクターの数で比べることもまた必要だと思います。

【黒田委員】ただ、ドクターは3年で取れてしまうので、そういう意味では、日本では最低5年かかるということともまた違うし。

【木村主査】その辺の議論もしなければいけないと思いますが、今の資料で何かございますか。

【黒田委員】7番のGPAについて、このグレードというのは各大学によって当然違う訳であって、ある大学の3.0と、他の大学の 3.0というのは全然違うというふうに理解してよろしいんでしょうか。

【銭谷担当室長】 それで結構でございます。

【黒田委員】 わかりました。ありがとうございました。

【木村主査】 先ほどの総合学科については、私から御願いして出して頂いたのですが、最近、中高一貫校もできて高等学校はかなり変わってきております。(参考で添付されているパンフレット「WHAT'S総合学科」の)4ぺージに「自分でつくる、自分のための時間割」というのがあります。これをご覧いただきますと、先ほど室長から御説明がございましたように、いわゆる普通高校と専門高校の中間をねらっているということで、ある意味で言うと、職業意識の涵養を目標にしています。ここにカリキュラムの流れが何本か出ておりますが、その中で「産業社会と人間」というのは必ず履修することになっています。課題研究も必ずやる。発足して間もない学科ですが、先ほど御紹介がありましたように、通学している生徒、それから親の満足度は高いようです。

【黒田委員】大学への進学率というのはどれぐらいですか。

【木村主査】3割ぐらいですね。

【黒田委員】それは普通科と比較すると?

【銭谷担当室長】普通科と職業科の間ぐらいの進学率です。

【田村委員】ただ、問題は、3年次になると受験科目しか取らなくなってしまうんです。だから、そこのところが、受験の科目とか大学受験のやり方とどうしても連動するということです。

【木村主査】全くおっしゃるとおりだと思います。一橋が専門高校の商業科について多少工夫をしているということですが、あれも、そこだけ枠で採る訳じゃなくて、その人たちのための試験科目を設けたということですね。全体としては、多少間口が広くなりつつはありますね。

 資料についてはよろしゅうございますか。

【銭谷担当室長】さきほど主査がおっしゃった課題研究は、4ぺージを見ていただければおわかりになりますが、3年生の時に必ず取らなければいけないんです。これが、ある意味では高校における卒業論文みたいなものになっていまして、自分でテーマを決めて、いろいろ課題を調べて、それをまとめるという学習を、総合学科の場合は3年生で必ずやってもらうということになっております。

【木村主査】それから、クラーク先生もいらっしゃるのでご存じかと思いますが、千葉大学の飛び入学実施の直接の動機は、丸山先生が学長になられ、学生の意識調査をした結果、千葉大学に何のために入ってきたかというモーティベーションのある学生が1割ぐらいしかいないという事実です。そういうことで、とにかくモーティベーションのある学生を採ろうということで、必ずしも優秀な学生を採るというポイントではなかったんです。そういうことから言うと、今御紹介がありましたように、入った学生はかなり高いモーティベーションをずっと持ち続けているようですね。

【クラーク委員】私、その委員会のメンバーだったけれども、モチベーションだけではなくて、なかなか厳しい試験もやっています。

【木村主査】もちろんそうです。

【クラーク委員】私がやった時は、応募者は全国から11人。その中で3人しか選べなかったんですけど、だから、学力程度も高いです。

【木村主査】もちろん高いです。ですから、成績もものすごくいいですね。この間、丸山先生に伺ってきましたけれども、トップグループはほとんどこの学生たちによって占められているようです。

【田村委員】実は、先々週の土日に大学教育部会という学会がありまして、千葉大でやったんですけど、その時に、オオタカさんという先端科学の飛び入学の担当者の方が解説をしてくださったんです。いろいろ入試等の絡みで議論したんですけれども、これは非常に順調にやっているけれども、やはり受験勉強をしない弱みというのが実際あるというんです。そこをこれからどう克服させるかというのが課題だと。非常に成績もいいし、問題ないように見えるけれども、受験勉強をしてきたということの経験が、彼はコンピータンスと言っていましたけれども、大学の授業を受ける適性みたいなところへの影響を無視する訳にいかない部分があるというんです。ですから、それがこれからの課題だというようなことを率直におっしゃっていました。

【クラーク委員】つまり、受験勉強はいいことだと。

【田村委員】受験勉強にもいいところがあるというんです。だから、目的を持ってがんばって少しずつ成績が上がっていくという、その達成感が大学へ入ってから非常に意味があるということを言っていましたね。

【木村主査】しかし、そうでない学生を採ることも絶対に必要ですよね。

【田村委員】大学はいろいろな学生がいることがいいとは思いますけれども、オオタカさんはそのことが、今は3、3、3で9人いるけれども、その学生についてのこれからのテーマだというようなことを率直におっしゃっていました。私は、もっといい話が聞けると思ったんですけれども。成績もいいし、問題はないように聞いていましたから。それで、いろいろな話をしていたら、最後にそういう話を少ししていました。

【クラーク委員】つまり、受験勉強で鍛えられるという意味ですか。

【田村委員】そういう意味です。

【木村主査】それでは、以上が資料でございまして、早速でありますが、本日の議論に入りたいと思います。

 その前に、資料として出させていただいておりますが、まず第1回、第2回の第3分科会の議論のまとめというところをご覧いただきたいと存じます。ほぼコンセンサスがとれていると私は解釈しておりますが、資料2に「第3分科会の議論の基幹図」というのがございまして、直接のテーマは「創造性」になっておりますけれども、前回、ほぼ合意いたしましたように、テーマとしては「今後、我が国が必要とする人材をいかに育成するか」ということであろうということであります。

 2本の柱のうち、「高い専門性を持った、社会の各分野におけるリーダーたりうる人材をいかに育てるか」については、まだ議論は煮詰まっておりませんが、2回議論をいたしました。もう1本の柱として前回お認めいただきましたのは、「独創的、創造的な活動ができる人材をいかにつくっていくか」というものであります。

 1枚おめくりいただきますと、2番目に過去2回議論いたしました、「高い専門性を持った、社会の各分野におけるリーダーたりうる人材の育成」ということで出ました御意見を、概略でまとめさせていただいております。本日は、これについては議論いたしませんが、ご覧いただきたいと思います。後々、文章をつくる時の参考にしたいと思っております。

 本日は、@「独創的、創造的な活動ができる人材の育成」をテーマとさせて頂きます。黒い矢印のすぐ上ですが、今日御議論いただきたいのは、前から申し上げておりますように、独創性、創造性とは何か。それぞれ皆様、多分、違った考えをお持ちだろうということで、まずそれをここでお出しいただき議論をお願いしたい。それから、なぜ今独創性、創造性の育成が必要なのか。これは、ある程度コンセンサスが得られるかと思いますが、それが2番目。最後に、では独創性、創造性をどうやって育成するのかという問題。そういう3段階で議論をしたいと思っております。

 検討の視点としては、これは事務局で挙げていただいたのですが、2つ出してあります。この他にもあろうと思いますが、これも御参考にしていただければと思います。盛んに創造性、独創性が必要だと言われておりますが、子どもたち一人ひとりの才能が伸ばされる教育になっているのかというのが1つ。それから、産業構造など社会の変化に教育は対応しているか。ここには、企業の方がかなりいらっしゃいますので毎回出てくるテーマでございますが、そんなことも検討の視点になり得るかなと考えております。

 今日は、牛尾委員が御欠席でございますが、予め御意見をいただいております。第3分科会の議論の進め方について、「1.独創的、創造的な活動ができる人材」と「2.高い専門性を持った、社会の各分野におけるリーダーたりうる人材」とに整理して議論することについては賛成という御意見であります。次に、独創的、創造的な活動ができる人材に関しては、これは前に私が申し上げたことと同じだと思いますが、生まれながらに創造性がある人はともかく、主として勤勉から出た独創性ということを中心に考えてはどうかという御意見です。更に、高校以下の教育において、独創性が阻まれているということはないのか、そういう視点で考えるべきではないか。それから、御提案として、飛び級を積極的に行うこと。その次がすごいのですが、Ph.D.の取得を原則としてはどうかという御意見であります。それから4番目として、社会の各分野におけるリーダーたりうる人材に関しては、具体的には、社会に、より高いレベルの専門実務に通じた人材を育成することを目的とするということです。これは高い専門性ということと通じるかと思います。牛尾さんは高いレベルの専門実務とおっしゃっています。そのためには、アメリカのMBA教育のように、スピーチの仕方やプレゼンテーションといったことも取り入れて実践的なものとするとともに、ここではマスターの取得を原則としてはどうかと提案されています。また、理系では企業とのプロジェクトを進めるなど、実践的なものとするということを考えてはどうかという御提案もあります。以上、牛尾委員の御意見を御披露させていただきました。

 それでは、時間も押しておりますので、先ほど申し上げた筋書きに沿って議論を始めたいと思います。まず、一体、独創性、創造性とは何かということから御意見をいただければと思います。どなたからでも結構です。ぜひ口火を切っていただければと思います。河野さん、いかがですか。

【河野委員】私、独創性とか創造性というのはよくわからないと言うとおかしいけれども、定義がわかりませんので、辞書を引いてみますと、独創性というのは、英語で言うと「オリジナリティ」というか、クラークさんに後で直してもらいたいと思いますが、日本の辞書では創造性というのを「クリエイション」と言っています。

【クラーク委員】「クリエイティビティ」ですね。

【河野委員】形容詞だったら「クリエイティブ」になるでしょうが、ただ、独創性、創造性というのは、自分個人からいえば独創性という能力ということになると思うんですけど、大体同じようなことを言っているというふうに私は理解しています。しかし、とにかく独創性、創造性が出るためには、やはり「個の確立」というのが前提になっているんじゃないか。これのもとにと言うとおかしいですが、「個の確立」を前提として、観察力とか洞察力とか構想力とか、あるいはさっきお触れになりましたけれども、努力というようなものも積み重ねられて、あるいは直観ということもあると思うんですけど、新しいものとか新しい仕組みというものをつくり出していくことが創造性ということなのかなと。日本語として「創造性」というのは辞書などには余りないんですね。「創造力」と同じと考えていいのかなと思いますが。

 それで、さっきからお話のあるように、天賦のものと、後からいろいろな基礎知識を得て、あるいは努力をしてリーダーの資格として備わるという、2つの要素があると思うんですけれども、そのいずれも、極端に言えば、先天的なものと後天的なものと言っていいのかもしれないけれども、創造性という時に、この2つのものを考えていかなければならないのかなと。しかし、この問題をいくら論議しても、そう実りある論議にはならないのかなと、そういうふうに私は考えておりまして、われわれが普通にとるように考えていいのかなと。

 ただ、創造性というのは、今まで論議をしてきたのを振り返ってみると、これはクラークさんもこの間テレビで言っておられましたけれども、やはり大学に入る入学試験というのが諸悪の根源だということになって、それが創造性とか、そういうものを蝕んでいる面が非常に多い。それから、皆さんもテレビで言っていましたけれども、18歳に将来を決めるようなことが全部行われていいのかということで、これは黒田さんもこの間おっしゃっていましたけれども、やはり資格試験か何かで採って、それは一つの要素として、それから各々の大学がそれなりに特色を出して試験をしてみる。記憶力の勝負というのではなくて、論文を書くとか、やり方はいろいろあると思いますが、そういうことをしていくのかなというふうに思っております。

 あと、創造性から余り発展し過ぎて申し訳ないけれども、指導者をつくっていく時に、われわれのコンセンサスというものは、現行の教育制度のもとでは、やはり大学院教育というもので本当の意味の指導者をつくっていくということになるのかなと。したがって、大学院の試験というのは、入口とか出口とかじゃなくて、両方やってもいいぐらいの厳しさがあっていいのかなと。しかし、それだけじゃなくて、大学というものをどう捉えるかということがあると思うので、私は、この間も言ったように、2年教養+3年専門で、大学は5年制でいいんじゃないかというのが私の説ですけれども、そういういわゆる指導者層の予備軍というか、そういうところの層をどうやって大学院を目指す指導層とは別に、言葉は悪いですが、広い意味の二軍として育てていくかというのが問題なのかなという印象です。非常に雑駁になってしまったんですけれども。

【木村主査】どなたか。

【クラーク委員】オリジナリティ(独創性)とクリエイティビティ(創造性)は、これは外国人の知識かどうかわからないけど、2つの要因が必要です。1つは知識、これは学校です。だけど、もう1つは学校とは関係ない。人の経験から生み出されるものなんです。つまり、学校から出て、社会のいろいろな経験を経て、例えば浜田さんがよくおっしゃっているような、1年間ぐらい勤労させるとか、これは1つの経験です。それから、アルバイトとか、あるいはボランティア活動とか、学校とは関係ないです。とにかく、学校の中でつくれるものではないですね。そういう素地がないと。もちろん知識も必要ですけど、両方必要です。

 もう1つは、「リーダー」という言葉を使うけれども、これはまた外国人の常識ですけど、リーダーは学校でつくるものではないです。学校と関係ないです。例えば田中角栄、あの人はリーダーだったんですけど高校も卒業しなかった。皆さん、「リーダー」をちょっと別の意味で使っておられるのではないか。「エリート」という意味ですか。

【河野委員】そうですね。

【クラーク委員】日本語で「エリート」はちょっと悪いニュアンスだから、「リーダー」と。

【木村主査】全くそのとおりですね。

【クラーク委員】わかりました。では、エリートだったら、当然、大学院とかで・・・。そういう意味ですね。

【木村主査】他に。

【浜田委員】独創性、創造性ということでいくら考えても、独創的なコメントができないで本当に嫌になるんですけど。まず言葉ですけれども、芸術とか芸能とか天才型の独創性というのはちょっと置いておいて、それ以外の実社会の中で、既にある水準をどうやって少しでも突破して高めていくかというのにどれだけ力が尽くせるかという方の期待といいますか、まずそちらに限って議論をしたいというふうに思うんですけれども。社会へ出てから何十年、いろいろ自分なりにも努力をし、それから、たくさんの人を見てきて感じますのは、自分が今取り組んでいる専門性のある仕事なりテーマを、本当に平凡な表現ですけれども、常にもっと高めよう、もっと高めようという意欲が非常に高い人、努力をしている人がまず絶対条件であって、欲を言えばというか、当然ですけれども、そのもとになっているその人の経験、技術、基礎学力、あるいはマネージャーであれば人間力というもののレベルがある程度高い。そういう意味で、ベースに学力があって、俗っぽい言い方をすれば、ハングリーというか、常にそれを考えている。

 例えば、大変個人的な話ですけれども、常に社員に向けて、何か新しい仕掛けなり、新しい刺激なり、新しいモチベーションを何かこの場で与えていかなければいかんというのは、経営者の独創性を問われる場面ですけれども、私がそういうのを思いつくのは、大抵、朝、歯を磨いていたり、ひげを剃ったりしている時なんです。夜帰って、机に座っていくら考えても出てこない。それじゃ、歯を磨けば出てくるか。アルキメデスを例えると変ですけれども、お風呂に入って水が溢れるのを見てあの原理を発見した。誰でも風呂に入れば発見できる訳じゃない。彼はずっとそれを考え、追求し続けていたからだとよく例えに言われる。あれのほんの現実的なレベルの低い次元ですけれども、絶えずそれを考えて、寝る前も考えているから、朝起きて、ひげ剃りを始めたらふと思い出すとか、気づくとか、そういう体験をずっとやってきているわけですけれども、そういうようなベースが絶対なければいけないんじゃないか。そういう向上心というか、ハングリーというか、そういうものを持続する人たちをなるべく高い比率で集団の中でどうやって送り込んでいくかということに尽きるのではないかという感じがしまして、独創性、創造性がひらめくある種の才能を育成などというのはあるのかなと思うと、私は、ないんじゃないかという感じがしております。

 それからもう1つは、マインド面ですけれども、自分をちょっと置いておいて、何か客観的な事物に常に関心を持ち続けていくというか、それを阻害しているのは、最近の価値観の中に入っている、いわゆる損得と保身といいますか、これが常に自分につきまとっているような人からは期待できない面が非常に多い。自分を客観的な場所にちょっと置いておいて、周りのいろいろな事物に関心を持ち続けていくような生き方といいますか、それが非常に大事じゃないかというふうに感じています。とりとめのないコメントで恐縮です。

【河野委員】経済界というか、たまたま経済同友会が12月13日に出したアンケート調査があるんですけど、それで 131社から回答があったというんです。社員数でいえば 100万人ぐらいになるそうですが、大学卒に何を期待するかというと、「創造性」というのは4位なんです。この間もいろいろ論議が出ましたけれども、第1位が「行動力・実行力」。それでは、大学院卒はどうなのかというと、第1位は「専門知識」とか「研究」というのがきて、大学院卒に期待するのは第5位が「創造性」なんです。これをどういうふうに理解するかちょっと難しいですけれども、この間の話では、行動力のあるというところに重点を置いて採用する人が多いというような話も出ましたけれども、そんなことにも関係があるかもしれないので、ちょっと御披露しておきます。

【クラーク委員】企業は行動力が欲しいんですけど、国は創造力が欲しいんです。

【木村主査】浜田さんがおっしゃった、いわばモーティベーションというのは、要するに考える力ですよね。

【浜田委員】ええ。考え詰めていくということですね。

【木村主査】そういう意味で言うと、牛尾さんのおっしゃった努力ということと同じ意味合いですね。

【浜田委員】持続性がなければ積み重ならないと思いますね。ボーッとして空を見上げていたら、ふと思いついたなんていうのはないと思いますね。

【木村主査】それはないですね。

【河野委員】好奇心ですね。

【木村主査】教育の現場で好奇心をどうやって子どもたちに持たせて持続させるかということが非常に重要だと思いますね。

【浜田委員】それから、よく企業で発揮できる創造性というのは大したことないのかもしれませんけれども、追い詰められないと出てこないとよく言うんですよね。

【木村主査】火事場の馬鹿力とかね。

【浜田委員】ええ。極限で困り果てて、そしてあるところを突破できるというか、本当の意味のハングリーですね。「ゆとり」という言葉が私は非常に疑問なんです。「ゆとり」という言葉からは、いわゆる緊張を解くというイメージが、休んでいればいいのかと。緊張を持続すると、バイオリンとか三味線の弦を張り詰めていると切れるぞ、時々解いてやれとよく言いますでしょう。ああいうふうに、いわゆるリラックスする「ゆとり」というふうにイメージしてしまうんですよね。緊張の持続というのはどうしても必要じゃないか。緊張が持続してノイローゼになったという話は聞いたことないですよ。自分中心にものを考えるから、不安が極限にいってノイローゼになるのであって、私が観察している限りでは、自分をちょっと横に置いたら絶対ノイローゼにならないですから。

【木村主査】他に御意見ございますでしょうか。黒田さん、何かありますか。

【黒田委員】ちょっとまとまらないのでどうしようかと思っていたんですけど、私はダジャレが好きなので、創造力は想像力から生まれるとばかなことを言っているんですけど。

【木村主査】イマジネーションの方ですね。

【黒田委員】ええ。今のお話とだいぶリンクしていると思うんですけど、自分の経験したことだけじゃなくて、そこから先、イマジネーションできるということ。自分の経験できることって限られているので、それから更に、これは好奇心ということと同じことだと思うのですが、エクステンドできる力というのが創造力が豊かということにもなるし、それは、自分のやっていることのコンセカンスとか、他の人への思いやりとか、そういうこともみんなつながってくると思うのですが、違った視点を持てるとか、違うアングルから考えられるとか、自分を置いておいてという話に関係してくると思うんです。そういう想像力というものから創造力が生まれると、よくばかみたいに言っているのですが、そういう考えというのは1つ重要だろうというふうに思っています。

 今の人は、心から感動して、面白いからやろうということでなくて、「面白い課題があるじゃない。これ、やろう」と言っても、なかなかやってくれない時があって、なぜかという話をした時に、ある先生は「それは当たり前だ。入学試験というのは簡単な問題から解くように言われるのであって、簡単なものから解くので、面白いけれども、難しいのにチャレンジしなさいなんていうのは骨の髄までしみてやらないようになっているんだから、大学院において、このテーマは面白いですよと言ってものってこないよ」というふうに言われて、そういうものなのかなと大変ショックを受けました。

 だけど、そういうことを離れて、本当に興味ということ、それも頭で考えるのではなく、心で感動しているということが、ドライビングホースになっていくのではないかというふうに思っています。

 あと、エジソンが「1%、インスピレーション、99%、パースピレーション」と言ったという有名な話があるんですけど、やはりインスピレーションというのはそんなにいつも出てくる訳じゃなくて、ずっと考えている時に、ある時無意識になった時にふと浮かんでくる。きっと歯を磨いているときに思いつくという浜田委員の話も、ずっと意識下で考えていたのが、ふと無意識になった時にアイデアが浮かんでくるということです。それは、いわゆる「ゆとり」とはちょっと違うのかもしれないですが、そういう時にアイデアが浮かんできているんじゃないかというふうに思っています。

【木村主査】ちょっと話がズレるかもしれませんけれども、これは世界共通の現象で、ドイツと日本に共通点があるように思いますが、戦前航空学科というのがありました。非常に優秀な人たちが集まった学科でしたが、戦後ドイツでもつぶれて、日本でもつぶれました。しかし、この人たちの戦後の日本のエンジニアリングの世界におけるコントリビューションはものすごいんです。この間NHKでもやっていましたけれども、例えば新幹線の松平さん達は航空のグループで、世界で初めて高速の下の車輪振動を除くことに成功しています。あれは、ものすごく豊富な知識を総合して、そして1つに結集したという良い例ですね。先ほど浜田さんがおっしゃった芸術分野における天才は別として、知識に裏づけされた天才とか異才というのはやはりいるんですよね。そういう人をいかにつくるかということだと思うんです。航空の世界は世界的にそうなんです。航空の分野はつぶれたが、その後、他の分野へ入っていってすごくいい仕事をしたという例がたくさんあります。

【クラーク委員】航空というのは飛行機の方ですね。

【木村主査】そうです。

【クラーク委員】文化の問題もあるんですよ。日本で出版されていないけど、1964年、ハワイ大学で「ジャパニーズマインド」という湯川秀樹の有名な講演があったんです。ジャパニーズマインドは、具体的なものに集中できますけど、“Japanese mind is unfit for abstract thinking”というすごい発言で・・・。江崎玲於奈座長は、今はちょっとおとなしくなったんですけど、30年前はすごく厳しかったんです。日本の集団主義社会の中では創造性は出てこないと言ったんですけど、本当にそうであれば、文化もある程度変えなければならない。

【木村主査】 あるでしょうね。

【クラーク委員】具体的なものだったら、ウォークマンとか、テープレコーダーとか、日本人の創造性はすばらしいですけど、私、その話の中で何かあるんじゃないかと思います。

【藤田委員】多くの議論に基本的に賛成なんですけど、先ほどから出ていますように、私も、創造性とか独創性というのは基礎的な知識・能力の上に開花するものだと思うんです。ですから、その基礎的な能力の形成という部分は、大学を含めて、学校教育がきちんとやらなければいけない。しかし、もう一方で、創造性、独創性が今問われているわけですが、それは、実は学校教育が身につけさせていないのではなくて、日本の企業がそれを活かし切っていないのではないか。企業だけでなく、研究所や大学の研究機関も、その能力を十分に生かすだけの条件を整えていないのでないか。だから、学校教育に本当に問題があるのか、それとも、企業や研究所や、そういう創造力を生かさなければいけない場所にむしろ問題があるのではないのか。成功している企業は、その点で十分なことをやっているから成功しているのではないかということも、多分検討してみる必要があるのではないかと思います。それが1つ申し上げたかったことです。

 もう1つは、先ほど来、意欲、向上心、好奇心、あるいは持続性とか、いろいろ出ておりましたけど、私は創造性の要素は3つあると思っています。第一は言うまでもなく基礎的な能力です。第二は、活動の場所、創造力・創造性を実際に活かす場所、その組織や条件が整っているかどうか、あるいはニーズがそこにあるかどうかということです。そして3番目は、個人のマインドといいますか、精神的なものです。意欲や向上心や好奇心、あるいは憤りであったり、イマジネーションであったり。そういったものを育むためには、学校教育で何が重要かということですが、やはり学校教育というのは基本的には、基礎的な知識・能力の形成をするところだと思います。実際、どういう学問でも共通のものを教えていると思うんです。どの分野でも、共通の蓄積された知識があって、それを十分に習得してこそ、その延長線上に創造性、独創性というものも開花するのだと思います。生産場面で要求されるような創造性も、そういったものから外れた単なる思いつきといったものではないと思うんです。

 そういうふうに考えますと、学校教育の中ではやはり基礎的な知識を重視する必要があると思います。と同時に、先ほどから出ていたように、その学習の過程で、それらの知識が何につながっているか、どういうところにつながっているかということに気づくことも重要です。大学でも高校でもそうでしょうけれども、そういうつながりを学生たちに気づかせることが重要です。私は、コンテクスチュアリゼーションと言っていますが、知識や学んでいることをコンテクスチュアライズするということが重要だと思います。それと同時に、知識はどんどん難しくなっていかなければチャレンジするという気も起こらないと思うんです。ですから、これは教育学では「発達の最近接領域」という言葉でヴィゴツキー以来言われてきたことですけれども、子どもには、今、もう一歩飛びついたらできるような課題を絶えず与え続けることが重要だということになります。

 それから、対象そのものにどこまで深くコミットしているかということも重要だと思うんです。経験が重要だというふうに言われるのも、どういう対象であれ、その対象に自らがどのぐらい関わっていくかという、そういう構えを形成することが重要だからだと思うのです。ですから、そういった要素を取り込みながら、なおかつ緊張を維持し、そして向上していくという教育を実現する必要があるということになります。そうすると、今までの「ゆとりの教育」ではそれは無理だと私は思うんです。

【田村委員】私もオブザーバーですが一言だけ言わせていただきますと、今の藤田先生のお話は基本的に正しいとは思うんですけれども、ただ、率直に言って、日本の場合は、幼稚園とか小学校の前半ぐらいは子どもが非常に輝いているんですよね。それが、はっきり言うと、だんだんくすんでくる訳です。くすんでくるというのは、事実として認めざるを得ないというふうに私は思っているんです。ですから、学校が知識を与えるだけで、また、与えることが創造性につながるんだと単純に言えない部分があるんじゃないかというふうに率直に思っているんです。

 ただ、それは学校教育だけの責任じゃないんじゃないかという気はしないでもないです。というのは、創造性とか独創性というのは、言葉で「創」というのは刀傷という意味ですから、要するに、今までのものをぶち壊してしまうという面がある訳ですね。だから、創造性とか独創性というものを育てるためには、中世の人の考えから言えば、要するに神様に反逆するという意味ですから、神に反逆するだけの強い気持ちを持っているかどうかということが常に問われてくるだろうと思うんです。だから、さっき浜田委員が、損得とか保身を考えると独創性が生まれないというのは、まさにマインドの問題として、日本人がもし損得だけでやってきたり、周りを見たりというような形が社会の問題として解決していないとすれば、学校教育だけで独創性をつくり上げるというのはなかなか難しい。

 芸術でも、真似することは人間がやることであって、それを乗り越えることは神様がやることだという発想が基本にある訳ですよね。だから、神に近づくんだという気持ちで独創性を発揮するという仕組みがあると思うんですけれども、そこのところをはっきりさせないと、私は日本人というのは非常に優秀な民族だと思っていますから、やり方次第では非常に独創性を発揮できると思うんですけれども、基本的に独創性が発揮できないような社会体制みたいなものがあることに気づかないといけないんじゃないかと思うんです。知識が基礎にあるというのは賛成ですけれども。

【クラーク委員】外国で田村さんと全く同じ指摘がよくあるんです。日本の小学教育は本当にすばらしいんです。子どもはきれいに社会化されているんですけど、中学校、高校に入るとだんだん質が下がってくる。正しいかどうかわからないけど、12歳まで社会化(ソーシャライゼーション)が非常に大事ですけど、その後は個性化が必要なんです。日本はずっと社会化なんです。集団、グループの中にはまっているんです。個性は余り伸ばさないんです。これが原因ではないか。

【木村主査】今のコメントは、いつも御紹介する、FMFで来ている小・中・高校の先生のほぼ全員の共通のコメントですね。小学生はすばらしい。中学校になるとどうしてあんなにおかしくなるんだというのが共通の見方です。藤田先生の御意見で、確かに基礎的なことは大事で、それについては恐らく異論を差し挟む余地はないと思うのですが、そのやり方が悪いんですね。先生のおっしゃる、「ゆとりの教育」が悪いというのは私はちょっと受け取れません。要するに、さっきクラークさんがおっしゃった“Japanese mind is unfit for abstract thinking”、まさにここなんですよ。日本人が最も不得手だからこそ何とか考える力をつけて貰おうと云うことです。

  私も、英国にいて自分が足りないと思うのは、やはり考える力ですね。この点は、何と言われようと、彼らとなかなか勝負できないところですね。それから、学生同士を比べてみても、どうしても自分で考えていく力が足りない。そこを何とかしないと、日本の国としてはだめだと思います。だから、基礎が大事だということについて全く異論はありませんけれども、基礎の教え方が日本は違っているんではないかと思っています。知識偏重でずっとやってきたから、パーソナライゼーションとか、そういうところが日本人はできていない。考える力というのは絶対足りないですね。

【田村委員】 ゆとりは現状では必要だと思うんです。だけど、河合先生の言い方を借りると、ゆるみじゃいかんと言うけど、確かにそうなんです。ゆるみじゃいけないんですけれども、ゆとりがないと、このままでは独創的な能力を持った人が日本人の中から出てこなくなってしまうでしょうね。

【木村主査】 バークレーの学生が東工大に何人か来ているんですが、彼らの数学の知識のなさは本当に驚くほどです。こんなことも知らないのかというぐらい。ところが、考えさせるとちゃんと考えるんです。これはケンブリッジの学生も同じです。彼等も、こんなことを知らないのかと驚くことがありますが、考える力、構築していく力はすごいんです。そこだと思うんですね。

【浜田委員】 ちょっとお伺いしたいんですけれども、考えるというのは、言葉で考えるんですか、それとも言葉を超えた部分があるんですか。言葉で表現できないことを考えることができるのか、できないのか。

【木村主査】それは難しい御質問ですね。

【浜田委員】要するに、何語で考えているのか。両方使う人が「おまえは日本語で考えているの、英語で考えているの」と聞きますでしょう。

【木村主査】知識ということが独創性とか考える力の背景になければいけないのは間違いないと思うのですが、例えば数学などに関してはわれわれの方がはるかに大きな知識を持っているのに、彼らは少ない知識を縦横無尽に使って何かを組み上げていくということができるんですね。

【藤田委員】私も、もし何かゆとりの教育の理想型のようなものがあるとすれば、それ自体は問題がないと思うんです。だけど、例えば今回の学習指導要領の改定では、主要教科を一律30時間ないし25時間、小学校では削るというようなことをやりましたね。内容についても、知識量を減らすことが重要だということで減らした訳ですが、もし本当に考える力を育てる必要があると考えるなら、考える教科とか単元とか内容というのがあると思うんです。ですから、そういったことについて、もっと合理的に内容の精選なりをしていく必要があります。先ほどの総合制高校もそうですが、今では高校あたりですと選択科目はかなり増えていますが、実際には、大学入試があるために、例えば幕張総合高校とか、伊奈総合学園にしましても、選択の幅というのは、大学進学とか、そういったことの枠の中にどんどん収斂していく傾向がある訳ですね。

 ですから、そうではない、もっと実質的に考える力が育まれるような選択肢を用意できるような、そういう選択科目の設定が必要です。例えば欧米の高校ですと、国語という教科の中で、例えばSFを教材にしてロボットのことについて考えてみるとか、機械と人間の関係について考えみるという選択科目があったり、いろんな選択科目が用意されています。ですから、高校における選択科目の設定の仕方も、もっとそういう意味での考える力を身につけるような改革の仕方があると思うんです。そうすることで、ゆとりというものも生まれるのであって、ただ単に内容を減らすといった、そういう考え方ではまずいのではないか。

 同じことは大学でも言えます。この前の大学設置基準の大綱化で教養と専門の垣根が取り払われましたけれども、これまでの日本の教養の考え方ですと、人文、社会、自然科学の3分野が重要だというわけで、それぞれ3科目ずつ取らなければいけないという設定に従来はなっていた訳ですね。今ではその枠は外されているわけですが、従来どおりの科目設定・内容構成をあまり変えていないところも多いというのが実情だと思います。もちろん、大学によってはずいぶん努力をして、考えることを中心にした総合的な教養科目が非常に増えてきていることも事実です。ですから、そういう科目の編成とか、そういったことをむしろ考えていくことが重要じゃないかという気がするんです。

【木村主査】それは多分異論はないでしょうね。

【河野委員】考える必要性というか、必然性というか、藤田さんがおっしゃるように、何か課題というものを与えないと、今度は空想になってしまうんですよね。

【木村主査】そうです。それと、もっと根本的な問題であるといつも田村さんがおっしゃっている、幼稚園とか家庭の時代からの問題がありますね。絶対に育て方が違いますね。ミドルクラス以上かもしれませんけれども。

【黒田委員】社会のハウ・トゥもの、何でもハウ・トゥでやってしまうという傾向があって、それで済んでしまうので、何も自分で考えなくてもいい傾向があります。インターネットで他人のつくった情報をうまく取ることが評価され、そこまで自分で考えていくということが余り評価されない社会になってしまっているような気がするんです。だから、本当は知られた事実でも、子どもたちが自分の頭で考えてそこに到達するということが大切であって、本当の答えは最初から教えないで、子どもたちが嘘の答えを出してもいいんだけど、答えを出す過程が大切である。そういう教育をしないといけないというふうに思っているのです。知識を教える時間を減らすのだったら、そういうふうな時間に持っていかないと。

【クラーク委員】非常に哲学的ですが、日本の社会、特に教育の議論を見て、日本人は何でもコントロールしたいんです。何か問題があれば、自分がコントロールする訳です。特に創造性などはコントロールできないですよ。私は子どもが2人で、国際教育でイギリスの学校、アメリカの学校、日本の学校ですが、もし向こうの学校にいい面があるとすれば、もちろん日本の学校もいい面がありますけど、まず少人数です。これは決定的な違いです。個性を伸ばすことは非常にエンカレッジされています。その2つだけと言ってもいいでしょう。今の大人数の教育では日本はどうしようもないですよ。どうして文部省は学級編成を40人に固執しているのか。

【木村主査】文部省が固執している訳じゃなくて、やはり国の財政ですね。

【クラーク委員】非常に大ざっぱなコメントですけれども。

【藤田委員】大学教育についてもう1つ。大学も大学院もそうですけれども、欧米と比べて、といっても私は実質的にはアメリカしか知らないのですが、大学に関して言えば、やはり日本の方が好き勝手させていますよね。学生をあまりコントロールしていない。最近は、コントロールする傾向が出ていますが。

 ただ、私が明らかに違うなと思うのは、向こうは学生にペーパーをしょっちゅう書かせますね。日本ではペーパーを書かせるということをしませんから、授業は聞きっ放し。そして、最後に試験をするか、レポートを出させるというのがほとんどです。日本では、大規模になればなるほどペーパーを出させるということはない訳ですが、アメリカの場合、ティーチング・アシスタントがついていたりして、その人たちがマーキングするということになっていますが、とにかく、少なくとも3、4回はクォーターでも出させますし、毎週のように出させる先生もいます。ペーパーを書くということは当然、考える、調べるという作業を含んでいる訳ですね。ですから、そういうきめ細かい、そして考え、調べて、書かせるといった要素はもっと大学で増やしていかないといけない。大学院ももちろんそうですけれども、高校でもそうですね。

【クラーク委員】高校でも、試験よりもペーパーをよく使います。

【田村委員】現場で実際に経験しているんですけれども、私どもの学校は中高一貫校ですが、宿題の出し方を、昔は決まった問題集をやらせるとか、画一的に決まっていたんです。ところが、もうそれはやめようというので、あるテーマを出して、それぞれが考えて、それを宿題してくるというふうに変えていった訳です。それで、一番困っているのは、時間がなくてそれを見れないんですよ。一人ひとり全部見なければならないんです。問題集ですと、○×とか答えを出すだけだから大量にパッと処理できるんです。あるいは、生徒同士に交換させてつけさせるとか、そういうことができるんだけど、一人ひとりにやらせると考える力がつくというふうに思ってやっているんですけれども、ものすごく大変なんです。だから、少人数というのは本当にそうですね。うちの中学は30人学級でやっているんですけど、そうなると、30人でも多いですね。だけど、これはそんな簡単に解決できないから、どうしたらいいのかというと非常に困りますけど、その辺が原因としてはあるような気がしますね。

【木村主査】今の日本で理系の教育が文系と違うのは、書く量が相当多いという点です。実験をたくさんやらせますでしょう。それに対して、必ず個人個人がレポートを出さなければいけない。我々もそれについてはかなり苦労してチェックします。

【クラーク委員】それは大学でしょう。

【木村主査】大学です。

【クラーク委員】問題は高校なんです。

【木村主査】そうですね。ただ、それでも、私もイギリス、ドイツ、フランスしか知りませんけど、やはり書かせることが非常に少ないですね。

【クラーク委員】私、前に申し上げたんですけど、自分の息子は高2で学校を辞めたんです。化学が好きだったのですが実験を全然やっていない訳ですよ。これは一流の進学校ですが、2年間、全然実験をやっていないです。入学試験の準備で要らないからと。本当にうちの家族の中で小さな悲劇だったんですよ。子どもは化学に本当に向いているんです。

【浜田委員】化学が暗記ものになってはおもしろくないですよね。われわれも高校時代は暗記でほとんど・・・。

【木村主査】数学も暗記ものと考えられていますからね。

【クラーク委員】入学試験の問題は本当に何とかしないと。

【木村主査】先ほど申し上げたストーリーが3つ全部まぜこぜに議論されていますね。まず入試の問題が出ましたし、学校教育、それから大学の教育、大学院教育、さまざまな問題が出ておりますけれども、いかがでございましょうか。草野さん、何かありますか。

【草野委員】感想めいた話で申し訳ないんですが、独創的、創造的な人材が必要だという文章を見ると、誰もがほとんど納得して、私自身もそうですが、いざ今お話を聞いていますと、突き詰めていくと一体何だろうかというのが非常にわからないんですが、最初、私、これを見たときに、質と量をどうするのかなというふうに思ったんです。全部が独創的、創造的で果して世の中うまくいくのかなと。ある程度限られたところで独創的、創造的な人材がいるという方が世の中はうまくいくんじゃないかというふうに思ったのと、独創的、創造的の中身はどうかということで、今度は1と2がどうしても私の頭の中でダブッてきてしまうんです。

 やはり一番大事なことは、新しい問題に直面したときに、それに的確な判断と解が見出せるかというところ、それが独創性、創造性ということになるんじゃないかというふうに思っています。

 そう考えますと、また話が混乱してくるんですけれども、今お話を聞いていますと、やはり独創性、創造性というのは自分で考える力を持っている人、あるいは自分で新しいものを解決できるような力を持った人というふうにすると、話が非常に整理できるのかなという感じがしていまして、そうなると、左側のA、Bというようなところにスッと入っていけるかなと、今、そんな感じを持ったんですけれども。

【木村主査】質と量の問題はいつも議論されますが、少数でも、今よりももっと独創性や創造性に富んだ人を出そうと思ったら、やはり山の裾野の部分をつくらなければいけないと思います。

【河野委員】支える部分ですね。

【木村主査】そうですね。

【河野委員】その点は日本というのはなかなか難しいですね。要するに、そういうふうに階層的にならない。いい面でもあるんだけれども。

【木村主査】別の視点からでも結構ですが、何かございますでしょうか。

【藤田委員】そういう意味で、大学の序列というのはあるかもしれませんけど、底辺を支えるところでも学習意欲が湧くように、そして移動できるようにするということが必要だと思うんです。ですから、やはり国立大学を含めて、転編入の枠をもっと拡大するということ、自由に移動できるようにしていくということが必要じゃないかという気がするんです。

 あともう1つ、これは話が横道にそれるかもしれませんが、アメリカの大学の場合はそうだと思うのですが、他の国でもそうかもしれませんけれども、私立でも国立でも、いわゆるレジデンス・リクワイアメントとユニット・リクワイアメントというのは区別されていると思うんです。レジデンスはその大学に所属して基本的な在籍料を払うという側面ですが、それに対して授業料はユニット・リクワイアメントに対応して払うというのが一般的だと思うんです。一定の基準単位内の授業の登録をするとフルタイムのステューデントということになってフルタイムの授業料を払うのですが、その基準をオーバーして取る場合には授業料が高くなり、少ない場合にはパートタイムということで授業料も安くなりますから、授業に対するコスト感覚も強くなります。日本でも、そういうコスト感覚をもう少し学生に持たせてもいいのではないかと思いますし、大学の経営という点からいっても、その辺のところを今後もう少し柔軟に考えていく必要があるのではないかという気がするんです。

【木村主査】 転編入の自由化は、私も賛成ですが、これは日本の場合は採用との関係がありますね。そこが直らないと、どうにもならない。最近、オックスフォードやケンブリッジでもパートタイマーがずいぶん増えていますが、彼らの雇用機会は初めから来ている連中と全く変わらないですね。そこが変わらないとなかなかうまくいかないでしょうね。

【田村委員】そうですね。

【木村主査】コストの意識もそうだと思うんです。そうやって単位を取った、あるいは大学をフルタイマーとして出た後の処遇といいますか、それが自由にできるようになると、ずいぶんコストパフォーマンスの意識も出てくると思うんです。確かに、おっしゃったように、日本ではそのような考えが足りませんね。休講になって喜ぶのは日本の学生ぐらいで。

【田村委員】教員採用でも、「箔を付けてきた」という言い方があるんです。つまり、ある大学を出て、大学院だけ名の通った大学に行く。そういう人は採用試験のときに、大学で学部からそのまま大学院にいった人と、そうじゃなくて、他でやって大学院だけいったというのは、恐らくその人も勉強しているんじゃないかと思うんだけど、やはり現場では差をつけて考えますね。

【木村主査】それはすごいですよ。

【藤田委員】それはあると思いますけど、それは、企業にいずれ変わってもらうということで。

【田村委員】教員採用のとき、学校でもそうですよ。いけないことだと思うんですけど。

【藤田委員】実際、もう既に、他大学からの入学者というのは大学院レベルはかなり多い訳でしょう。

【木村主査】大体はそうなっていると思いますが、東工大ではある程度囲い込みをやっているんです。それで、これを自由化しなければだめだというふうにクラークさんが強くおっしゃっていますが、私もそうだと思います。

【藤田委員】だから、学部でいえば、3年編入をもっと積極的に拡大するということ。大学院はもう既に制度的にも実質的にも自由になっている訳ですが、それをもっと周知して、どんどんあちこちの大学から別の大学院へ行くということも促進していかないとだめじゃないかという気がします。それから、いわゆる連合大学院とか、いろいろな新しい大学院がもうスタートしていますが、学部レベルでも大学院レベルでも、ユニットだけを積み上げて、学位授与機構などで学位をもらえるというケースを拡大していくことも重要だと思います。ですから、ユニットの概念と水準をきちんとしていかないと混乱すると思うのですが、それをきちんとして開かれたシステムにしていけば、学習意欲のある人たちの学習機会が拡大していきます。そういった方向にシステムを整備していく必要があるんじゃないかと思います。

【河野委員】結論的に言うと、日本は企業というものの採り方によって大分影響されるという考え方もあるのかもしれないけれども、企業自身もだんだん変わってきて、また、要求する人物も、今ここで論議しているような、例えば「エリート」という言葉を使うとすると、エリート的な人が非常にいる場合もある訳ですね。ですから、ここで今論議しているように、恐らく大学院卒もだんだん増えてくると私は思うんですよね。

 それからもう1つは、一般論としてみても、今、企業というのは辞めるのが結構自由になりまして、ことにMBAとか何かを取ってくると方々から引っ張り込まれて辞めてしまうんです。ある会社などは 100人単位で辞めることもありますしね。そういう意味で、流動化というのは非常に進んでいるんですよね。しかし、個人として見ると、非常に価値観が多様化して、早いところ辞めてしまって、また次をという人もいるし、一生のんびりいきましょうという人もいる。会社で余りのんびりしても困るんだけれども、そういう緊迫感というのはいろいろありまして、われわれの方も、一律に企業の何とかと言われると、ちょっと違うんじゃないかという感じはしているんです。

【藤田委員】 私も企業はずいぶん変わってきていると思いますし、それを、変わっているというふうに思わない人たちが多いということがむしろ問題じゃないかと思います。特に教育熱心な親御さんたちは、変わっているということを必ずしも認知しようとしない。そして、私は、これまでの改革はそういう意識に乗って改革をしてきたと思うんです。だけど、現実はどんどん変わっていますから、その変化に対応してシステムを柔軟に弾力化していく、特に高校から大学、大学院については弾力化していけばいいんじゃないかという気がしますけれども。

【河野委員】 今度、学芸大学は1年の大学院をやるんですか。ある意味では、リカレントも含めて、ああいうのも非常に意味があるのかなという気はしますね。

【田村委員】私、今日はぜひ木村先生にお聞きしたいと思ったのは、実は97、98年の資料を見ていまして、アメリカとドイツと日本のドクター取得者数なんです。理工系はまあまあいい線をいっているんです。

【木村主査】少ないですけどね。

【田村委員】だけど、経済と法学部に関しては問題にならないですね。たしか日本は 100人台ですよ。ところが、アメリカとかドイツは1万何千人と毎年とっているんです。これを放置していたら、独創性も何もないんじゃないかという気がするんですけれども。

【木村主査】今の議論も前回出てましたね。

【藤田委員】前回出たかもしれませんが、もう1つ。私は、大学院の修士2年、ドクター3年という煙突型はもう変えるべきだという気がするんです。大学院へ入ったら、最初からドクターコースはドクター、修士コースは修士、ドクターがだめだったらマスターを取って出る。3年でドクターの課程は修了するという制度に移行するほうがいいのではないかという気がします。文系でいうと、今のようなシステムだと、どうしてもドクター進学のための条件クリアで、最初の2年間はほとんどそのための準備になっています。

【田村委員】数が少ないというのは、3年というのが効いているんですか。

【藤田委員】今は、定員枠で基本は修士2に対して、ドクター1で、修士は2年間です。飛び入学は可能ですけれども、基本的には修士2年間終わった後、博士課程に進学して、3年間の課程を修了することが原則なっています。ですから、修士2年、博士3年というふうに段階を追っていくことになります。だけど、外国は、大学院へ入ったら最初からドクターで、例えばイギリスもそうでしょう、アメリカもそうですよね。ドクターですよね。それで、2年ないし3年で課程は終わる訳です。それで、博士論文を書けばディグリーが取れる訳です。マスターは1年ないし2年が普通で、これはドクターがだめだった人がマスターに流れる場合もありますし、最初からマスターだけのプログラムで、マスターが終わってからドクターに移る人もいますけどね。

【木村主査】それと、ジョブマーケットにもよりますね。それは圧倒的ですよ。日本で、一般の企業がなかなか文系のドクターを採っていないでしょう。文系のドクターは必要もないでしょうしね。

【河野委員】必要ないとは言えないと思いますけど、量はないでしょうね。変な話ですが。

【クラーク委員】 しかし、飛び入学をうまく導入すれば、17歳で入って学部3年、大学院2年で22歳。それなら企業は文句を言わないでしょう。

【銭谷担当室長】今、飛び入学とか修士とか博士をどんどん飛んでいけば、結局、どれぐらいでドクターまでいくんですか。

【木谷企画課長】今は学部3年、大学院を修士1年、博士2年で、3年です。

【藤田委員】23歳で一応取れるんですね。

【田村委員】それなら企業は採用するでしょう。だって、外国の会社の社長に会うと、ドクターというのが多いんです。日本では、社長さんでドクターというのは会ったことがないですよ。

【藤田委員】ただ、われわれの経験で言いますと、修士の定員2に対して、ドクターの定員1なんですよ。ですから、半分はドクターに進学できない訳です。これは分野によって違うと思うのですが、われわれのところではこのハードルが強いために、例えば修士が10人いたら、5人に絞らないといけない訳です。つまり、最初の2年間はとにかくいい修論を書かないと上には進学できないというシステム、構造になっている訳です。ですから、短縮されても、やはり1年でクリアするというのは実質文系ではまずあり得ないことなんです。ですから、この縛りを外してもらうか、あるいは煙突型でなくて並列型にしてもらうかでないと、制度は柔軟にならないと思います。

【木村主査】ドクターの定員は自分で勝手に決めて問題ないですね。それは中の縛りですよ。東工大ではかなり定員をオーバーして取っていますよ。定員よりはるかにオーバーしているけど、そんなのは平気ですよ。学内でどんどん決めている。そういうところはいくつかあります。それは学内の縛りですよ。

【田村委員】では、学内を改革していただいて。

【合田大学課長】 実際には、もちろん予算上の定員というのはございますが、それを充足してくださいというお願いをすることはありますけれども、大学院に関して、定員を超過しているからそれはやめてくださいということを私どもが申し上げることは滅多にないです。

【木村主査】それは、単純に学内の縛りです。ですから、学内でお変えになればいくらでもできるんです。

【田村委員】日本のためになる人たちですから。

【黒田委員】うちも絶対に越えちゃいけないんです。なかなか線が引けなくても、2割以上は絶対越えてはいけないと。私が「そんなことはない。大学審議会はそんなこと言っていない」と言ってもだめ。うちの大学は、絶対上が聞いてくれないんです。

【藤田委員】最近変わったんでしょうか。

【木村主査】そんなことないです。

【藤田委員】われわれの大学院研究科も以前は2倍近く博士課程に入れていました。だけど、文部省からの指導で全学的に定員枠におさめなければいけないということで、東大の中で調整することになった・・・。

【黒田委員】東大の中はすごい縛りですよ。

【木村主査】東工大は昭和54年に長津田につくってから、定員は本当にめちゃくちゃです。

【黒田委員】 そういう例を持ち出しても受け入れてもらえないから、先生、どうぞがんばってください。

【藤田委員】来週、教授会がありますので、発言してもよろしいですか。

【合田大学課長】今の件に関しては、そのように御説明いただいて全く問題ないと思います。

【木村主査】われわれはそういう解釈をしていますから、毎年毎年、学内で取る人数が増えて困っているんです。

【田村委員】ドクターを養成するのは日本のためになるんですから。

【草野委員】私、中身がわからないのですが、今、木村先生が仕事場があるかないかという問題提起をされたんですが、いわゆる文科系というか、事務系の経済や法律でも、大学院のドクターを取る人と、企業の方から要請する能力といいますか、1つは、実は議論も余りしていないんじゃないかという感じがするんです。理科系は大体わかっていると思うんですけれども。

 例えば、この前もちょっと話が出ましたけど、ドイツの労働組合で、イーゲーメタルという、自動車とか鉄鋼とか、ドイツ金属という1つの大きな産業別組織があるのですが、そこのスタッフは20何人ドクターですね。われわれのところでは考えられないんですけど、私が会っても6,7人はドクターで、別に技術系のドクターではないんです。余り話はしたことがないですが、そういうふうにジョブマーケットがきちんとしていれば、大学の学生の方も多分そうなっていくでしょうし、そこのところの意思疎通というか、要望の出し方がちょっと足りないんじゃないかという感じはするんですけれども。

【木村主査】両方に原因があると思うんです。つまり、いつも申し上げているように、工学系の修士というのは全く抵抗なくお雇いいただけますが、ドクターは難しい。特殊なところ、たとえば、昔のNTTのようなところはどんどんドクターをお採りになり、通研の室長は今は課程博士じゃないとなれないぐらいになっています。若い人の中にはそういうところをめざす者も増えています。しかし、そういうところは少ない。ただ、最近、東工大で聞いてみますと、ドクターのディマンドが少しずつ増えているようですね。これは、いい傾向だと思っているんです。

 大学側も、企業のニーズを考えて養成してはいないんですね。私の研究室に、どこへ行っても通用するようなオールラウンドプレーヤーがいたので、彼に「ドクターへ行け」と言ってみたんです。そうしたら、わりあい簡単に応じて、いい仕事をして1年早く出て行ったのですが、就職の面接で官庁の研究所へ行ったら、「君、行政職はどうだね」と言われたということがありました。やはり人によるんですね。研究職になろうと思っているのに、余りにも対応が見事なものだから、面接者から行政職はどうだと言われてびっくりしたということです。

【クラーク委員】もう1つ、日本では理想論が多いんですけど、制度をもっと具体的に考えなくちゃならないんです。オーストラリアのやり方はすごく面白いんです。学部3年です。学部3年だけだったら、多分、企業は紳士協定を守るかなと。それで、9月まで待ってくれれば、外国と同じように夏の間に就職活動をすればいいなと思って。要するに、4年目はhonorsなんです。つまり、学部で優秀な人がhonorsを取る訳です。honorsが終わって就職でもいいし、あるいは、大体半分ぐらいは大学院に行くんですけれども、そういうワンクッションでいろいろな問題が解決できる。普通のサラリーマンは大学3年間だけでいいですよ。それで、本当に優秀だったらhonorsを取る。そして、次は大学院です。いずれにしても、日本は今の青田買い問題が解決しないと、紳士協定はなくなって、大学教育は本当に腐っていますよ。

【浜田委員】今のままの状態で3年制にしたら、3年の最初の4、5月で就職が決まってしまいますね。

【木村主査】1年早くなるだけだと思うんです。

【クラーク委員】企業はそんなに無責任じゃないですよ。

【浜田委員】何も仕掛けをしなければ。

【クラーク委員】今は3年が大体終わって就職活動を始めるでしょう。そのまま続けばいい。ただ、卒業試験は3年が終わった時点で、それで優秀な学生はもう1年、honorsというふうにすれば・・・。

【河野委員】だけど、3年終わってはしているんでしょう。

【クラーク委員】そうですね。だけど、問題は・・・。

【河野委員】おっしゃっているのは、今で言えば、4年が終わってからやれとクラークさんは言うんでしょう。

【クラーク委員】そこまでは言わない。企業に自粛を求めるのは無理なんです。

【浜田委員】企業で普通に必要としている潜在能力は3年で十分と言える面がかなりあります。

【クラーク委員】学部は3年終わって卒業させる。それで、卒業試験の成績を企業はある程度みてくれるかもしれないけど、あとは優秀な学生だけhonorsなんです。

【木村主査】成績のことは、この間、浜田さんは分野によるとおっしゃいましたね。理工系だと成績に興味があるけれども、そうでない文系は成績は要らないと。

【黒田委員】教えていただきたいんですけれども、どうして海外の企業ではドクターを持っている人がそんなに活躍できるというか、欲しいのに、日本では欲しくないという、その背景は何かということです。

 それからもう1つは、全然違う独創性のことで、それはまた後ではなしますが、まず、その違いは何なのかということを・・・。

【河野委員】今のお話で、普通われわれが付き合っている者でもドクターがいますけれども、例えばアクチュアリーとか、そういう資格を大学も含めて持っている人が結構いますね。ですから、弁護士の資格とか、アクチュアリーの資格とか、そういうものをやっている。日本の場合は、どちらかというと、アウトソーシングというか、弁護士というのは顧問弁護士とか、大体そういうのを使っていて、ホーム弁護士というか、自分の会社で抱えているというのは、弁護士の資格を持っている人がいるということはほとんどないんじゃないかと思います。ですから、それ自体に余り需要がないというか。

【木村主査】クラークさん、どうしてでしょうね。

【クラーク委員】終身雇用が原因じゃないかと思います。外国人は、できるだけ就職の前に資格を身につけるんです。それで、自分を売る価値は高くなるんです。会社に入った後で勉強するのはほとんど不可能でしょう。それが一番大きな原因になる。だけど、日本の場合は、会社に入ってから、あるいはアウトソーシングで、会社の中で必要な訓練を受けるんです。日本のやり方はそんなに悪いとは私は思わないんです。特にドイツは、みんなドクターになれて、ばかばかしいですよ。ときどき、会って平凡な人なのに「私はドクターですよ」と。

【河野委員】ドイツの場合は、何も大学院じゃなくてもドクターと言いますでしょう。大学を出たら全部ですから。

【木村主査】そうそう。私も、エンジニアリング・トレードみたいなものでドクターが必要だというのはわかるんです。ドクターが必要だというのは。だけど、そうでないビジネスなんかの世界でもずいぶんたくさんドクターがいますね。どうしてでしょうか。

【クラーク委員】あれはステイタスシンボルです。それで売る価値が出る。

【木村主査】高く売れるんですね。

【黒田委員】高く売れるというのは、それで付加価値が付いていると思っているから払っている訳でしょう。そうではないんですか。

【クラーク委員】自分はそういうステイタスを持って会社のおもて玄関で、こういうドクターがいるからと。複雑なんです。もちろん知識がないとは言わないけど、それ自体はそんなに貴重なものであるとは言えないんです。特にドイツの場合はステイタスシンボルになっているんです。だけど、アングロサクソンの場合は、ちょっと日本的な、オーバードクターというあれがあったんですけど、最近はちょっとなくなったんです。

【藤田委員】 多分、日本は今急速に変わりつつあると思うのですが、伝統的に言えば、クラーク先生が言われた終身雇用制と関係していると思います。欧米の場合に、いわゆる企業内のジョブデマケーションが早くから非常にはっきりしていたと思うのですが、それと専門職化というか、プロフェッショナリゼーションが重なっていましたから、そういったことで学位を持っている専門職が企業にどんどん入っていったと思うんです。日本は、社員雇用方式といいますか、下からのたたき上げ方式でやってきました。しかし、それも最近は急速に変わりつつあると思うんです。

 もう1つは、日本の大学は、やはり修士の上にドクターが積まれていましたから、ドクター5年終わって学位を取って出るということで、もう既に年齢的に欧米よりもかなり高くて、しかも、そのドクターはこれまで数が少なかったから、当然、ドクター保持者もプライドが高かったと思うんです。ですから、これまではいろいろな理由でそれが妨げられていたと思うのですが、最近は急速に変わりつつあると思います。

【黒田委員】つまり、大学院で何を教えるか、身につけるということを求められているかというのが違うのかということになると思うんです。だから、いわゆる専門職大学院という、専門大学院という名前は私は嫌いなんですけど、専門職大学院みたいなものがメインだから。

【藤田委員】アメリカは多いですね。プロフェショナルスクールが大きなウエートを占めていますから。

【木村主査】米国はそうですね。たかが3年ですから。日本の5年というとちょっと重いですね。

【黒田委員】先ほど草野さんが7割がドクターを持っているとおっしゃったのも、そういうドクターなんですか。

【草野委員】私、中身はよくわかりませんけれども、多分そういうことだと思います。ただ、基本的には、今、藤田先生がおっしゃったあの仕組みが結果としてそうなってきたのだと思いますし、私、外国のことはよくわかりませんけれども、スタートの違いじゃないかという気はするんです。日本の場合は、この前もちょっと申し上げたように、大学4年間卒業していれば、あとは企業の中で鍛えて育て上げていく。その中からいわゆる経営集団が残りますよと。欧米の場合には、初めから経営集団になる層というのはある程度決まっていて、そこから移っていく場合もあるでしょうけど、その積み重ねが今の実態をつくり上げてきたんじゃないかという感じがするんです。

【木村主査】大学院制度にも関係する話ですけれども、日本でも一橋がMBAのコースをやり出しましたね。日本製のMBAというものを日本の企業は尊重しますか?もしすれば、それは大変なブレークスルーになり得ると思いますが。

【河野委員】するんじゃないでしょうか。

【木村主査】すれば、多分、ドクターの方にも相当影響を及ぼしてくるでしょうね。

【河野委員】藤田さんがおっしゃるように、企業もだんだん変わってきて、ある意味では各々の専門性を追求するというような、人事制度もそういうふうにどんどん変わりつつありますから、そうすると、やはり個人個人の問題になってくるので、そういう場合には、多分、資格を取るというのが1つの要件になってくるんじゃないかと思うんです。

【木村主査】そうですね。ドクターをめぐる環境も変わってくるし、出す大学の方も、今までは研究者ばかりつくるような、ことに文系はそうですね。ほとんどそれ以外なかった。それが変わるんでしょうね。

【河野委員】この間もちょっと申しましたけど、われわれの会社でも、夜学で大学院に行っているのが何人もいるんです。それには、各学校が、新宿とか、そういう拠点でみんなスクールを開いておりますので、行きやすくなっているという面もあるんです。浜田さん、どうですか。

【浜田委員】私も、いくらか変わるかなと思いますが、結構、悲観的なんです。今度は、同じ文系でも、法律と経済とか経営というのをまた分けて、法律の方は、持っている該博な知識、勉強した積み重ね、あれが即役に立つ場面が結構ある訳で、これはその専門の仕事で、ごく少数、レベルの高い人が必要というのが明らかにありますね。今までもあるし、今後はもっとあるかもしれません。だけど、経営とか経済というもののドクターなり何なり、例えば経営学者10人がスピンアウトして経営をやったら何人成功するかというような議論で、私はまだまだ悲観的なんです。

【河野委員】ただ、経済でも、アナリストとか、エコノミストとか、金融関係などはそういうものを抱えるようになっていますね。

【浜田委員】そちらの専門職は別ですよ。

【クラーク委員】ドクターは外国でも企業は余り使わないけど、MBAは使いますよ。MBAがないと出世できないです。日本の企業はMBAは余り欲しくない。

【河野委員】そんなことないです。私どもも毎年10人ぐらいMBA取得のために派遣しています。

【木村主査】少し前、私の友達が送ってきたオーストラリアの新聞のコミックスに、なぜ日本のエコノミーはこんなにフラリッシングなんだ、「Because they have no MBAs」というのがありました。そういう冗談は余り通じなくなってしまった。

【藤田委員】多分、業界というか、業種によってずいぶん違うと思うんです。急速に取引先が流動しているところや、マーケティングが必要なところほどMBAが入ってくる可能性は高いと思います。

【木村主査】それが資格ということでドクターまで結びつくかというのはちょっと難しいところですね。

【藤田委員】ドクターというのは、アメリカでも少ない、ヨーロッパでも少ないですよね。いわゆるアカデミックドクターは少ないんじゃないですか。

【河野委員】ただ、ここでディスカスしているように、そういうエリートを、世界に冠たる大学院ができるようになれば、やはり採るようになると思いますね。

【木村主査】そうでしょうね。

【クラーク委員】エリートを形成しようと思えば、やはり大学院で。例えば今、オーストラリアやイギリスで大蔵省に入ろうと思えば、最低マスター、できればドクターですね。それで、立派なエリートがだんだんできつつあるんですよね。

【田村委員】日本の官庁もそうしてくれるといいですね。マスター優先、ドクターならもっといい。

【木村主査】官庁の研究所はこれまでドクターは採りませんでしたからね。

【田村委員】そうすると、ずいぶん変わると思うんです。

【木村主査】彼らに言わせると理由があるんです。3年で、つまりさっき言った22〜25歳でドクターを出してくれれば採るというんです。27歳になると、年齢構成が新卒と違うでしょう。だから、人事のしようがないということを言われましたね。最近少し採るようになりましたけれども。工技院が今度独法化しますから、その点で状況はずいぶん変わると思います。

【銭谷担当室長】時間も余りないときに事務方が申し上げて恐縮ですけれども、今日、独創性、創造性ということで議論をお始めいただいて、私、お話を伺っていて、言葉は悪いですけど、非常に面白いなと思ったのが、小学校のときはみんな輝いているけど、中・高になるとだめだと。これは田村先生とかクラーク先生がおっしゃって、特にクラーク先生は、中・高は個性化ということがうまくいっていないんじゃないかと。それで、木村先生の方から、アメリカの優秀な先生もみんな日本の子どもについてそういう感想を言うという御議論があって、やはり考える力を日本人は中・高でなかなか身につけていないんじゃないかと。藤田先生の方からも、ゆとりの教育、理想的に考える力を育てるようになっていればいいけれども、現実はなっていないんじゃないかという御指摘もあって、そのときに出たお話で、日本における入試の影響というのがかなりあるのではないかという御議論があったと思うんです。

 先ほど資料4とか5で、たまたま調べたから言う訳じゃないですけれども、アメリカとかイギリスの入試を見ると、結構、高校時代の学業成績というか、学習の様子をかなり丹念に評価している。それから、ここまでにどういう勉強をしたかというのをかなり統一的な、あるいは共通的なテストで評価した上で、アメリカなどでも非常に人気の高い、競争の激しい大学でも、そういう丁寧な入試をやっている。もし日本人の創造性が育たない理由はたくさんあるでしょうけど、その1つに、そういう教育のシステムというか、入試のことがあるとすれば、もう少し先生方の突っ込んだ議論も聞きたいというのが事務局としてのちょっとした感想でございます。

【黒田委員】さっきの御質問のうちの1つしかまだ言っていなくて、2つ目が、なぜ小学校では輝いていて、中学校からだめになるのかということをディスカッションしませんかというのが私の2つ目だったんですけど、議論がばらばらになるので、実は後でと言ったのはまさにそれなんです。

 入試かどうかわからないですが、私が昔、対談のときにお母さんが重要だというようなことを書いていて、それは当たっているかどうか、小学生が輝いているということだと当たらないのかなと思いながら伺ったんですが、例えば水道の水がポタポタ落ちていたら、「きちんと締めなさい」と怒るだけじゃなくて、水がポタッとなるときれいな王冠ができるんですよね。そういうときに、「きちんと締めなさい」と言うだけじゃなくて、「面白いものが見えるよね」というような、そういうお母さんから創造性のある子どもが生まれるんじゃないかというようなことを書いたことがあって、家庭教育が重要なのかなというふうに思っていたんです。

 ただ、小学校6年までみんながキラキラ輝いているのに、中学校に行って輝かなくなるとすると、中学校のときは高校受験が原因なのか、そうじゃなくて、教え方がいけないのか、教える内容が変わってきたことに対する教え方の違いがとれないからいけないのか。何だろうかと、そこのところがよくわからなくて、その辺をディスカッションしませんかということです。

【木村主査】どうでしょう。今の入試の影響も含めて。

【クラーク委員】アメリカの場合は、たしか高校の成績だけではなくて、日本でいう内申書、先生の推薦とか、よく聞くけど、結果として、学校の内容がよくわからないとすると評価がしにくくなるんです。だから、特定な高校は特定な大学と関係をつくるんです。日本のような平等主義、民主主義はだんだんなくなるんですけど、イギリスはそうではないけど。実際は日本のセンター試験はそんなに悪い試験ではないですよ。うちの大学はよく使っています。今のオーストラリアの高校卒業試験に当たります。オーストラリアの場合は、別にAOではなくて、高校卒業試験だけを基準としています。例の暫定入学ですけど、大学に入ってもいいですけど、後でどんどん落とす。オーストラリアの大学はエリート大学は余りないです。大体みんな同じレベルです。州大学ですけれども、そういうふうにうまくできます。

 イギリスのやり方は、ちょっとアメリカ的な面もあります。特定な高校をよく知っています。あの先生の評価は信頼できる、あるいは信頼できないとか、結果は、今、イギリスでスキャンダルなんです。合格したんですけれども、一般の学校を卒業して、エリート高校ではなくて、結局断られてしまったんですけれども、日本のやり方はそんなに・・・。

【河野委員】この前いただいた資料に、小学校、中学校、高校に、学校の授業についていくか、満足しているかとか、そういう資料をいただいたと思うけれども、理解していないというのがだんだん増えていく。そういうところが、さっきおっしゃった難しくなっていくというところが1つはあるのかなという気がするけれども。

【木村主査】その辺もあるみたいですね。

【黒田委員】わからないから学習意欲を失ってしまう。だから、すべての鍵はやはり少人数の教育かなと。千葉大で成功したというのは、多分、少人数での教育かなというふうに思っているんですけれども。

【木村主査】やはり受験の影響もあると思いますね。

【黒田委員】でも、イギリスは結構ガリ勉しますね。大学受験ではUCCA Formというのを出しますが、シックスフォームのときに自分の行きたいデパートメントはA levelの成績にどのグレードを要求しているかを調べ、そのために結構ガリ勉を狭い科目についてやりますよね。だから、それはいいことなのかちょっとわからないと思います。

【藤田委員】私、いくつか事実認識で疑問があります。一般的に言えば、確かに日本の場合、中学、高校といくにつれて無気力、無関心、無感動と言われるような傾向は強まっていく。ただ、学校によっては、公立でもずいぶん違いがあります。中学でも高校でも、欧米の先生方が見ておかしいと思うぐらいにだめな学校ばかりではなくて、子どもたちは結構活気があって、生き生きとし、伸び伸びとしている、そういう学校はたくさんあると思います。ただ、明らかに違いがあるとすれば、やはり入試の影響というか、影があることは確かですよね。それは、親もみんなそういう意識を持ってきますから、だんだん何となく萎縮していく。

 もう1つは、人数ということとも関連しているとは思いますが、日本の教師の子どもに対する対応の仕方は、子どもが自分の進路希望をどんどん伸ばしていくように励ますとか、いいところを褒めるとか、そういう対応の仕方という点では、やはり十分ではないというか、もっと積極的でもいいのではないかという気がします。これも人数が多くて、特に中学、高校になりますとやはり人数が多くなってきますから、その辺の影響が大きいんじゃないかと思いますね。

【黒田委員】質問ですが、私立でずっと幼稚園から大学まで試験を受けなくても上がっていけるところがありますよね。そういう受験の影のないところでは伸び伸びとしているんですか。

【藤田委員】私は同じだと思いますけれども。

【黒田委員】なぜでしょう。

【クラーク委員】高校を経営している方は1人だけなので、この人の意見をぜひ聞きたいんですけど、本当に中学校、高校になるとだんだんと雰囲気が悪くなりますか?

【田村委員】私立はちょっと違うんですけれども、公立の場合、これは本当に直らないかなと思うことが確かにあるんです。というのは、いくつかの小学校を集めて1つの中学ができているんです。いくつかの中学から高校が1つできている、こんな感じですね。そうすると、小学校から上がってきたときに、中学校の先生が一番初めに何をやるかというと、多様な色を持った子どもたちを自分の中学に全部染め上げるということをまずやる訳です。うちの中学らしくするということを一生懸命やる訳です。だから、多様は多様でそのままにすればいいんだけれども、人数が多いから、そのままにしてしまうとすごく扱いにくいんです。命令一下、みんなうちの中学らしい行動をしてくれるということ。だから、中学校の先生にお聞きすると、一番最初にやるのはそれだというんです。いろいろなのが入ってくるから、全部統一する。高校でも同じことがあるんです。それは、高校の場合は偏差値による選別が行われていますから、高校は確かに学力の点での高い低いはあるんです。だけど、1つにするという点では全く同じです。それは日本の文化もあるのか、よくわからないんです。人数が多いからかもしれません。よくわかりませんけれども、とにかく間違いなく中1とか高1の担任は、いろいろな学校でいろいろな色を持って育ってきたのを、まず自分の学校らしくするということを第一にやるんです。

【木村主査】しかも、今、公立の場合は中学校の選択はできませんでしょう。

【田村委員】そうです。

【木村主査】だから、そこへ行かなければいけないということがあるんですね。

 先ほど、小学校、中学校の問題が出ました。中教審でいろいろな学校へ伺いましたが、小学校2、3年の親御さんとお話をすると実におおらかなんです。ところが、5、6年になったらもうだめです。親は上を見ちゃってすごいんですよ。私立に行けばいいんでしょうけれども、公立の場合は選択がありませんから。そのパスを見ちゃって、一生懸命そこへ乗せようとするから、親も苦しくなる、子どもも苦しくなる。そういう苦しさを私も感じましたね。ですから、もっと多様な学校をつくっていくということも1つの手じゃないかと思います。

【田村委員】それから、下からずっと続いていく場合、はっきり言えるのは、ものすごくよくできる子と、すごくできない子と分かれるんです。例えば、我がメンバーである金子先生は幼稚舎です。あそこからああいうものすごく優秀な方が出るんです。一方、どうしようもないのも出る訳です。だけど、幼稚舎出というのはそういう特徴があるんです。だから、人間の個性を伸ばすということはそういう面があると思うんです。非常に伸ばすところと同時に、だめな方も出てくる。日本は平均的にいこうと思ったから、統一して、統一してと。だから、下が出ない訳ですよ。そのメリットは、上を生み出さないというデメリットを必然的に生み出しているという感じがしますね。だから、今度は下も出す、上も出すということでいけば、上は出てくると思うんです。

【クラーク委員】つまり、これは入学試験の影響ではなくて、文化ですか。先生はそういうふうにやりたいんです。先生にとってはやりやすいから。

【田村委員】文化が入学試験もつくっていくということです。日本の文化がそういう先生を育てているし。

【木村主査】それをシステムとして変えるのは、多様な中学校をつくるとか、そういうパスもある訳ですね。今は義務教育ですから、行く中学校が決まっている訳です。そこにアンフィットな子どもたちがたくさん出てきてしまうという問題があるんですね。

【浜田委員】画一平等主義というのは、長年にわたって私はやはり原因があるような気がします。昔、何十年か前にある論文を読んだときに、アメリカの教育はShow and Tell教育。何かを示してプレゼンテーションする。小学校からそれをみんなできるように教育している。日本の教育はチイチイパッパ教育。お口がそろわなければだめだ。全員同じことで同じお口がそろうように教育する。そうすると、先ほど小学校に入る頃は低学年で輝いていたのに、だんだん萎縮していくというのは、恐らく相当能力のある子どもたちは、つまらないから輝きを失っていって、それから、このぐらいのレベルまでどうして勉強しなければいけないの、本当に勉強が嫌いで、他のことをやらせればもっと有能だけどという人たちは、とにかく荷物が重くて疲れている。こういうのをずっと画一でやってきているんじゃないかという感じがするんです。

【藤田委員】難しい問題だと思うんですけど、選択制の問題はわれわれの第二分科会でも議論になっているところです。選択制とか画一性という問題は、公立学校は、入ってきた子どもたちが多様で個性的だということを認め、それを伸ばすということができていないから、選択制にしてバラバラにすれば、それができるようになるというような問題ではないと思うんです。問題はむしろ、教師や親の構えであり、教育の仕方であると思います。学校の中で実際にどういうふうな構えで教師が教育に臨むことができるか。その枠組みと構えを変えていくことの方がむしろ重要だと思うんです。

【木村主査】重要ですけど、日本の場合、それは難しいんじゃないですか。

【藤田委員】でも、それが変わらなければ、日本が画一的だと言ってみても、問題状況は変わらないと思うんです。

【木村主査】私は、やはり学校を多様化することも1つの方法であり得ると思いますよ。ことに、日本のようにブレイクスルーのできない社会では有効だと思います。確かに先生のおっしゃることは理想ではあるけれども、それでは変わりませんよ。抜本的に教師を変えるとか、研修を徹底的にやり直すということになると、今いる教師は教師ですから、それは難しいと思いますね。先生がおっしゃったのも1つの方法だし、別の学校をつくっていくということも1つの方法であり得ると私は思いますけれども。

【藤田委員】それは1つの考え方ですが、もう1つの考え方として、入試との絡みで言いますと、14期の中教審のときにもちょっと議論が出たそうですが、今、大学入試については高校の成績は一切問うていませんよね。しかし、アメリカでは、基本的にはそれが1つの重要な基準になっている訳ですね。グレードポイントアベレージが基準になっていますから。ですから、これをもし日本でも入れれば、高校の序列格差というのは一挙に変わってくると思うんです。そうすると、当然、高校受験も変わってきます。

【田村委員】でも、実際、推薦で採っている大学の場合は、高校のグレードを分けて、この高校の何点はいくらに当たるというふうにちゃんと計算して採っていますね。

【藤田委員】推薦ではそうだとしても、入試の弊害という問題にはほとんど関係ないと思います。今、日本で大学入試でも高校入試でも、受験競争の問題は、アメリカの場合もそうですが、コンペティティブな大学、コンペティティブな高校で実は起こっている問題です。そういう大学や高校をめぐる競争が教育全体に覆いかぶさっているというところに日本特有の問題があるように思います。ですから、私はそこの部分をもっとクリアに自覚的に問題にして、どう変えるかということを考える方がいいんじゃないかという気がします。

【木村主査】東工大でも議論したことがあるのですが、スクールレコード、つまり日本の内申書というのは非常に簡単ですけれども、その平均点数の4.2以上がAランクということになっています。東工大では、Aランクが合格者の7割を占めるんです。従って、高校の成績を重視してもいいじゃないかという見方も出来ます。しかし、問題は、できない高等学校からは受験してきていないという点です。そこが問題で行き詰まってしまったんです。既に自分たちで輪切りしてきていますから、いい高校しか受けてきていない。その中で高校の成績を加味しても、結局、今の状態は受験戦争を追認しているだけになってしまう。広い範囲から採るにはどうするかというソリューションがないんです。米国ではある大学が特定の高校と結びついているというようなことがごく普通に行われている訳ですからね。

【藤田委員】例えばカリフォルニア州立大学でも、高校の成績の上位15%が入学のスタンダードになっていますね。ですから、各高校で上位15%というような線を仮に東大や東工大が全部敷いたら、これは一挙に変わると思います。

【木村主査】それは即刻変わりますよ。私もそう思います。

【田村委員】それは、東大や東工大の先生が「うん」と言わないでしょう。

【木村主査】言わないでしょうね。

【田村委員】言わないと思いますよ。そこが問題なんです。

【木村主査】その通りです。

【藤田委員】5、6年かけてやる必要があると思いますが、そうすれば、4、5年で変わってしまうと思いますよ。確実に高校の選択が変わってきますから。特定の高校に集中してもしようがないということになりますから。

【木村主査】そこの方策を何とか考えたいですね。

【田村委員】ただ、絶対に大学の先生は「うん」と言わないでしょうね。

【木村主査】言わないでしょうね。

 それでは、少し時間をオーバーしましたのでこの辺にしたいと思います。ありがとうございました。次回も、この続きの議論をお願いします。時間が余りないのですが、事務局と相談して、今日お示ししましたような、これまで出た議論のまとめをお出しをしたいと思います。次回、今日出ていなかったような点についての議論もお願いできればと思います。
 次回の予定について事務局から御願いします。

【銭谷担当室長】次回は6月23日、金曜日でございます。場所は、虎ノ門の第10森ビル、私どもがおりますビルの5階の会議室でございます。時間が12時から14時半までということでございますので、ちょっと間があきますけれども、よろしくお願いいたします。

【木村主査】それでは、本日はどうもありがとうございました。