教育改革国民会議

第1回教育改革国民会議

議事概要


 
(日時) 平成12年3月27日(月)14時00分〜16時10分
 
(場所) 総理官邸大食堂

○小渕内閣総理大臣、中曾根文部大臣、江崎座長挨拶の後、オブザーバーからの挨拶及び各委員からの発言は以下のとおり。

[オブザーバー挨拶]

(町村内閣総理大臣補佐官)
 本会議は自自公の三党合意に基づき設置されたものでもあり、オブザーバーとして江崎座長を補佐させていただく。2年前に文部大臣を務めた経験からは、文部省だけで教育改革を進めていくことには限界を感じていたところ。
 この会議では教育の根本に遡って議論をしたい。具体的には、戦後社会を形作ってきた自由と平等の問題など日本人の軸を再構築するための議論を行い、その中で教育基本法の改正についても触れていきたい。
 また、文部省だけでは扱うことができない、幼児教育、家庭教育、就職問題、有害情報の問題、財政の問題についても取り上げたい。さらに、この教育改革国民会議を出発点とし、将来的には国民運動につなげていきたいと考えている。

(戸田議員)
 これまでの教育についてみると、特に「徳育」が現場で教えることが難しかったようだ。会議では専門家の御意見も伺いながら、教育の基本・根本に係る問題につき御議論いただきたい。
 また、教育基本法の改正についても御議論いただけるものと期待している。

(太田議員)
 我が国の議論においては、経済などがまず優先されがちだが、教育という問題こそ根本的で一番重要な問題である。
 公明党の憲法調査会でも議論となっているのが、グローバリゼーションが進む中で、日本の「ナショナル・アイデンティティ」を如何にして確立するかという問題。現在の日本の状況は、百年前の日本が置かれている状況と類似しているが、当時、新渡戸稲造とか内村鑑三は、西欧化の中での日本人のナショナル・アイデンティティを論じており、この会議ではそういった哲学的な議論も期待したい。
 また、我が国を支える技術力の低下を大変憂慮しており、高等教育、大学の在り方についての議論も期待したい。

[委員からの発言]

(浅利委員)
 劇団で40年にわたり、小学生に対して自己犠牲や友情についての芝居を見せてきたのが私と教育との関わりである。
 これまでの政府の審議会の答申は内容を読むと立派なものばかりだが、実行されていないものばかりであり、小渕総理には是非覚悟を決めて取り組んでいただきたい。
 また、教育についての議論は本質に近づくほど観念論となってしまうので、例えば、社会人が教員になれるようにすることなど、なるべく具体論で議論したい。
 戦前の修身の授業のようになってはいけないが、例えばガンジーや日本の偉人などの人生を学ぶことができるような授業を行うべきであり、その中で道徳観や倫理観を養っていくべきである。
 また、友人の意見も紹介していきたいと思っており、城山三郎氏は、授業で十分間読書をさせること、塩野七生氏は、教育について義務とサービスとを分けることが大事であると考えている。

(石原委員)
 地方の公教育・義務教育を担当してきた経験から発言していきたい。
 地方の義務教育を担う小・中学校は社会の縮図であり、学校の現場は、地域や家庭の問題や親からの様々なニーズへの対応に追われているという状況がある。
 現状では、学校で何をどのように教えるべきなのかという問題について、家庭・学校・地域に共通の認識がない傾向が強く、今後は社会の合意を形成していくことが重要である。
 また、教育の機会均等が成し遂げられたことで「平等」は一応達成されたので、今後は「公平」という観点について考えていくべきである。

(今井委員)
 本会議では、日本PTA、母親として意見を申し上げたい。
 IEA(国際到達度評価学会)の調査では日本の子どもは、学力は高いが応用力は弱く、理数系が嫌いという結果が出ている。「学校は何を学ぶところなのか」明確にしないで教育内容を複雑化・高度化させてきたため、子ども達が消化不良を起こしている。PTAの調査では、授業がわからないという子ども達は、小学校3割、中学校で5割、あとを塾が補完(中学校で7割)しているという現実がある。教育内容を削減し、学校では少人数で基礎基本をしっかりと教えるべきである。
 親が子どもに求めるものは躾から学力へと変わってきており、子どもが良い学校へ行くことで優越感を持つという感覚を変えない限り、教育改革は実効的なものとはなりえない。
 家庭・地域が知識・知恵を次世代に伝える力が低下している。子は「地域の宝」という意識を持ち、学校とともに地域教育の活性化を図って行くべきである。
 教員の能力を向上させるため、家庭・地域から評価を受けるようなシステムにするとともに、適性を欠く教員の配置転換についての基準を明確にするべきである。
 また、生涯学習を推進することで、子ども達の選択の自由、やり直しの自由、試行錯誤の自由が確保され、勉強づけの解消になる。
 「教育の日」の法制化をはかることにより、教育改革を国民運動として広げていきたい。

(上島委員)
 二児の父、日本青年会議所の代表としてコメントしたい。
 青年会議所は20代から40代の青年経済人、また小学生、中学生の親でもある会員を60000人有していますが、教育の主体は地域が行うものとして、「地域の先生づくり」という活動をしている。私自身、25県ほど回って、現場の声を聞いてきているところである。
 大都市圏ではドラッグの問題や社会不安があり、地方では授業を抜けてカラオケに行ってしまうなど、地域によって問題の状況が違うが、これらの現実を踏まえた上で、できれば1年以内に、今後20年、30年を視野に入れた、どのような教育が望ましいか、また、どのような人を育てるのか、大きな指針をまとめたい。
 共通一次世代が親になってきており、何のために勉強するのかわからないまま勉強してきた世代が、「ゆとりの教育」を教えるというギャップが存在している。まず親や先生に対して何のため教育をするのかを示すことにより、この世代間ギャップを埋めていきたい。

(牛尾委員)
 材料がなくても与えられたものでおいしい料理をつくるというのが経営者の感覚であり、教育が悪い、政治が悪いと言っても仕方がない。
 日本の状況についていえば、米国で20年前、30年前に起こっていたことが今現実に起きている。日本人は、貧しいときの哲学というのは持っているが、豊かなときの哲学というのを持っていないので、豊かさに対応した教育を考える必要がある。
 また、母親中心の教育が女性の社会参加に伴って機能しなくなっていること、祖父母とともに住まなくなったことにより道徳が軽視されていること、長寿化により立派な人を惜しむという感覚がなくなったこと、情報化の進展により教師より生徒のほうが多くの情報を有するという逆転化現象が生じていること、国際化の中でツールとしての英語教育の必要性が高まっていること等の状況の変化に合わせ、見直しを検討していく必要がある。

(梶田委員)
 4年制大学も50や100はつぶれていく時代になった。
 経験上日本の教育はしぶとくて底力を感じるが、根本的なところで歪みが出ている。教育行政を非中央集権化、非政治化するとともに、未来ばかりを語るのではなく、過去を踏まえ温故知新を図るということが必要である。日本人はフランス革命を知っていても、自分の国の歴史や古い文化を知らないため、南米からの留学生は日本の技術はすばらしいが教育は植民地教育であるとして失望していた。
 また、豊かな時代に価値の軸、自己統制力を持った人間をいかに育てるかが重要である。

(勝田委員)
 教育基本法の見直し、教科書検定の廃止を行って自由化する必要がある。それにはメリットとデメリットの両方があるけれども私見ではメリットのほうが大きいと思う。
 また、教育改革国民会議を開催したせっかくの機会なので、情報公開を原則にしてマスコミを上手に使うことが大事である。子どもは国の宝であるから、国を挙げて「他人の子どもも誉めよう、叱ろう運動」をキャンペーンしてはどうか。今では地方ですら地域社会が崩壊しているのだから、教育改革は学校だけの問題ではあり得ない。
 また、総理は蛮勇をふるって義務教育を受けている子どもの扶養控除を100万円まで引き上げるべきである。

(金子委員)
 慶応幼稚舎の舎長として小学生と関わる中での印象を述べたい。
 まず第一に、子どもは複雑なことも理解するということである。今の学習指導要領では歴史の大きな流れは中学2年生で教えることになっているが、コンピュータネットワーク上に歴史的事象50000件のタイムトンネルを作って見せたら子ども達は夢中になっており、面白いことであれば理解するもの。このような可能性をはぎ取ってきたのが日本の教育である。
 また、幼稚舎ではいろいろな分野で競争をさせて子どもを誉める機会を作っており、競争自体が悪であるとは思わない。そのことで人の気持ちがわかることもある。
 学校はコミュニティの核であり、学校を人と共に喜ぶことを知る場としたい。そのためには日本で最高の人材を投入する必要がある。また、教員制度の見直しも必要。日本では教員になるための入り口が狭いかわりに入ってしまえば一生安泰である。
 最後に、アメリカばかりがいいとは言わないが、日本の大学と大学院の状況は、外国にくらべかなりひどい状態にあり、また別の機会に改めて意見を述べさせていただきたいと思う。

(河上委員)
 この場では唯一の現場の教師である。勤務先の中学は学校が崩壊しているという意味で全国の最先端である。200人の生徒の中で5、6人は学校の枠組みを全く無視する生徒がいる。枠組みを無視されると彼らに対して教師は何もできない。
 校内暴力が吹き荒れた時期と比べると普通の生徒と問題児の差が少ないため、2割ぐらいの生徒がそれについていってしまい、全く規律をなさない。ただ救いとなるのは7、8割の生徒はまだ、現在のシステムを受け入れようとしていること。このような現場の生徒の実体をなるべく生のまま伝えるのが私の役割と考えている。
 また、このような状況の中で教育改革を行わなければならない理由は何なのかという共通認識が必要。例えば、一律に「子どもの創造性を引き出す」といっても現場の実体とはかけ離れており、複線的な対応をする必要がある。

(木村委員)
 我が国は、今こそヘゲモニーを求めないエリートを必要としている。
 また、日本の教育には職業観・勤労観といったものが欠けており、そのため若者に無職者が非常に多い。経済が好調なアイルランドなどでは労働経験と学習経験を同列のものとして扱っている。ケンブリッジでも昔とカリキュラムがまったく変わっており、職業観について教えている。

(草野委員)
 戦後の経済成長を支えた優秀な労働力を育てたのが日本の戦後教育であったが、受験戦争・偏差値教育・学歴社会など悪い面もあった。少子・高齢化、女性の社会進出もあり、システムを構築する必要がある。
 重要なのは、@個々人の能力を伸ばしていくこと、AIT革命が進展しているが日本の経済を支えているのは「ものづくり」であり、そのための教育をしっかりやっていくことB自分の考えを正確に相手に伝えるためにディベートなどを教育に取り入れることC生涯学習の成果を発揮できる環境をつくることD相手を思いやる心の醸成E勤労観・働くことの重要性を教えることである。

(クラーク委員)
 私の子どもは、1回も実験室に入らないような受験校の化学の授業に失望して日本の高校を中退した。このような状況を生み出す日本の教育制度を変えていく必要がある。
 例えば、@高校に卒業試験を設けて勉強をするインセンティブを与える、A6−3−3制ではなく4−4−4制にする、B少人数・能力別クラス編成の導入などを行うべきである。ただし、その結果として受験戦争の加熱を招かないよう飛び入学や、当落線上の生徒を一度入学させておいて1年後に足切りを行う暫定入学制度を活用してはどうか。
 英語教育は、受験英語を見直すべきであり、大学入試に英語は不要である。また、道徳が崩壊しているので、修学旅行などはやめて、ボーイスカウトや奉仕活動などの経験を積むようにさせることが必要である。

(黒田委員)
 自然科学の現役の研究者・教育者は私だけなので、その立場からも発言する。
 科学技術、特に生命科学の分野では生命倫理が問題となっており、また、環境問題においても、国民一人一人の正確な判断を求められている。@自然、社会、歴史の中での個を考え、A自然の不思議さ、厳しさに感動し知的創造の喜びを知り、B勤労に対する誇り、責任、倫理観、他者への思いやりを持つために、子どものころからヴァーチャルではない本物の自然と社会に触れて創造性を養うべきである。
 高等教育は一言で括れるものではなく、社会でリーダーシップをとる人材の創出、教養教育の充実、IT革命によりアメリカの教育のスタンダードが伝播してきていることなどを総合的に勘案しなければならない。
 また、総理の決断による財政的なバックアップが必要である。

(河野委員)
 日経連の「教育特別委員会」で人材の育成と「海外子女教育振興財団」で海外子女の教育問題に携わっている。我が国は、高度工業社会から情報社会へと、またグローバル化の進展と、社会構造や価値観などが、大きく変わりつつあり、教育制度も制度疲労を起こし、環境の変化に十分対応できていない。
 臨教審以来幾多の立派な教育改革案の提案や論議が行われてきているが、教育の根本に遡り全体の中でどう位置づけ、どう実施するか、全体論議のスケジュール化が必要である。また、教育改革の効果の検証と評価を行っていく必要がある。
 海外の日本人学校の生徒達は、自己主張もはっきりしており、多様な価値観を受け入れ、自律心もしっかりしている。教育は環境に大きく影響を受けることがわかる。
 21世紀の日本の将来を決めるのは、「個の確立」、「構想力」、「創造力」を、どうすれば身につけていけるかであり、グローバル化とIT革命が進展する多様な社会の中、日本が生き残って行くために何が最も大切かといえば、それは間違いなく人という資源である。

(曾野委員)
 日本人は、真善美のうち、相手との関係に基づく「善」ばかりに一生懸命になり良い人と思われようとしてきたが、「真」と「美」という徳や美学については個人的な作業でありおろそかにされてきた。
 日本の若者はお嬢様・おぼっちゃまばかりであるが、良い才能は持っており、これを伸ばすための教育が必要。
 全国民が18歳で社会奉仕活動の機会を持つべきであり、愛を受けるばかりでなく与えることを学ぶことで、高齢者問題などをはじめとした様々な問題の解決に結びつくと考えている。

(田中委員)
 高等教育に対する社会的関心が低いことは問題。
 現在進行中の各種の制度改革の成否は、人材の養成にかかっており、安上がりな大教室のマス教育でゼネラリストを養成するだけではなく、リーダーシップをとれる人材の育成が必要。教育に携わる人材の質の向上も重要になってくる。また、公共的で実践的・倫理的な問題に関わる実践知の教育の充実が図られるべきであり、そのためには、画一的な平等志向から脱却し、多様化・重層化した教育・評価システムを構築する必要がある。

(田村委員)
 今の日本の大人は18歳の若者に与える言葉を持っていない。
 明治維新のように社会が変化している時代に、教育は学校だけの問題ではなく、社会全体で取り組むことが必要。そのためには、まず、国が教育・文化にどれぐらい支出したかを示すエンゲル係数ならぬ「小渕係数」のような指標を作ってはどうか。
 21世紀懇談会は個の確立をうたっているが、集団主義で成功した国で個の確立は難しく、「個の確立と全体」と考えるべきであり、ケネディ大統領の演説にあるように「国が何をしてくれるかではなく、国に何をできるのか」ということを考えた方が良いのではないか。
 自然との共生も重要。また、大人の社会がしっかりしてこそ教育ができる。

(沈委員)
 これまでは、地方は中央ばかり見てきたし、中央も地方に対して通達ばかり出しては上意下達の行政を行ってきた。
 私は、職人の父から仕事を伝達され、そのために父を尊敬することができたが、今の日本でこのような関係が成り立っているかどうかは疑問である。特に父親は家庭から逃げ出しており、親の側の意識改革をするための教育が必要である。

(浜田委員)
 経団連では昨年から教育を担当している。
 昔の日本にはお手本となる人がいたが、テレビが誹謗中傷にあふれていること、各界のリーダー層の役割と責任が明確になっていないこともあり、状況は変化してきている。
 また、社会全体が豊かになり、緊張感がなくなって教育にとってむずかしい時代になった。
 いじめは昔もあったが、弱い者いじめはしないという暗黙の了解があった。今は強い者はいじめられないので弱い者をいじめて楽しむのが普通となっており、政府で弱い者いじめはいけないことだと広告を打つべき。
 自然に接する機会が減り、友達とも遊ばなくなった。この状況を打開する意味でも、14、15歳時に、一定期間合宿で農業を行う「国民皆農制」を実施すべき。

(藤田委員)
 臨教審以降の教育改革は日本を駄目にしている。世界的には教育の「再武装化」が潮流となっているのに、日本では逆に「武装解除」を行っているようなものである。
 教育には多くの資源を投入する必要がある。また、いじめや校内暴力などの問題は、学校病理なのか社会病理なのかを見極める必要がある。その多くは社会病理であり、学校に全て責任を押しつけ、問題を解決できないといって学校を責めるのは間違っている。
 世界では知的ヘゲモニーをめぐる競争が激化しており、それは諸外国の高等教育改革の重要な関心事に なっている。我が国の大学改革に当たっては、この側面をきちんと重視する必要がある。

(森委員)
 戦前から歴代総理大臣・文部大臣が「教育は100年の大計」と言っているが、それをスローガンで終わらせてはいけない。これまでの改革案は理念に傾き、これを実行するための理論や実践方策に欠けていた。
 教育問題の原因をたどってゆくと大人の幼児化に行きつく。ローレンツも「文明が発達すると大人が幼児化する」と言っているが、この幼児化した大人が親として子どもを育てており、これが劣子化現象となっている。
 100年の大計を実行するためには、50年の中計と1年の小計のシステムが必要。また、原点から教育改革を見直し、原点である家庭教育をどうするのかを具体的に考えるべき。

(山折委員)
 心の教育を議論するための中教審の委員に宗教家が一人もいなかったが、このような文部省の見識を疑う。宗教教育は戦後教育の根幹であり、内村鑑三も西欧文明を受け入れながらキリスト教を無視したのは失敗であったと言っている。
 また、教育基本法を起草した南原繁氏も原案で入っていた宗教教育の重要性が最終的には変わってしまったことについて述べており、宗教の問題についてこの会議で議論したい。

(山下委員)
 いかにあるべきか、いかに生きるべきかという人の教育が欠けている。また、子どもは大人の鏡であるので、親・教師は自分を省みて、まず自分を磨くべきである。大人が本音と建て前を使い分けていることが子どもが荒れる原因であり、責任は大人一人一人にある。

(小渕内閣総理大臣)
 教育に関する名言集を見ると、フランスのナポレオン1世が、子育ては「その子が生まれる20年前に父母の教育から始めるべきだ」と言っているように、教育とは時間を要する大変難しい問題でもある。
 この会議で教育の在り方に関する考え方をとりまとめていただき、それを実現するよう全力で取り組んでいきたい。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。