教育改革国民会議

有識者の皆様からの御意見の概要


 

 1.現状認識

 2.教育の基本理念

 3.学校・家族・地域社会の役割、生涯学習

 4.「個」と「公」について

 5.教育改革を今後どう進めていくべきか

 6.その他

1.現状認識

(危機的状況)
○日本の初等中等教育は危機的な状況にある。

(知識偏重など教育のアンバランス)
○知識偏重型の詰め込み式教育、画一教育、指導の硬直化などから、子どもの多くがストレスを感じ、そのはけ口として「いじめ」や「校内暴力」へとつながってくるのではないか。
○「知」「徳」「体」をバランスよく育むことが大切であるが、現在はこのバランスが崩れている。特に「徳」の軽視は今の教育の大きな欠点。
○戦後から現在にかけての教育は、「社会の地位や財産」といった物質的要求を満たし、物質的要求を満たす手段として利用されてきた。そのために子どもの「心」がむしばまれ、「いじめ」や「不登校」といった教育問題となって現れている。

(実践知教育の軽視)
○物事を多面的に熟慮し的確な判断をする実践知(文系的智慧)の教育が軽視され、実践知の教育にあたる人材が払底しているところに教育荒廃の一因がある。

(個性化・自由化に問題)
○ほとんどの教育改革案は、個性化・自由化を基本理念として、古くなった学校を解体して、社会・子どもの現実に合わせるべきだという考え方に立っているが、それが学級崩壊などを招いている。

(教育問題は社会病理)
○校内暴力、いじめ、学級崩壊などは日本だけの問題ではなく、教育病理というよりは、社会病理。

(大学・教員の意識の硬直化)
○大学進学率の上昇により、エリート教育を行うという大学の役割は変化しているのに、大学・教員側の意識は従来どおりで変化していない。大学のステータスが落ちているのに、何とかそのステータスを維持しようとしている。

2.教育の基本理念

(個性の重視)
○各人が持つ多種多様な資質(個性)や才能を引き出し、豊かに花開かせることが重要。
○選択の自由という理念を重んじるべき(学校は自らの教育体系を選択すると同時に生徒から選ばれる立場に立ち、生徒は多様なコース・カリキュラムを自己責任で選択)。
○一人一人は違う、違って当たり前だ、違うところに意味があるのだということを押さえることが一番大切である。
○自分の個性を生かすために、自分で物事を判断して行動し、それに責任を取ることができる人間を作り出さなければならない。
○教育の基本理念は、「自調自考」であり、「夢を与え」「自己の人生での自分捜しの旅を助ける」役割を果たすことを通して、鈴木正三のいう「大義」に気づかせることである。
○幼児期からの心の教育、人間本来の人としての在り方などを念頭におき、一人一人が自分の価値を発見し、自分らしさを発揮することを学ぶことが必要。
○教育の本願も、それぞれの個性能力に応じて、結果として、生徒たちが人生という競争の場でいかにその個性能力を発揮できるかを問うべきである。

(過度の個性重視は問題)
○「個性」重視と言われているが、教育の現場において、生徒の長所を認め尊重することを超えて、一人一人の長所に合ったカリキュラムを組むことは、不可能であり、また危険の大きいことである。
○教育が社会的方法として確立すればするほど、教育における能率の向上は教育を受ける子弟の個性を相殺せざるを得ない。カリキュラムそのものが、生徒の個性を一方的に無視したものでしかない。

(その他教育に必要な理念)
○教育の形態は多様であり得るが、その多様な形態は基本的な理念と倫理にかなうものでなければならない。
○豊かさに負けない教育、快適便利さに負けない教育、寛容さに負けない教育、利己的自己中心的な落とし穴を克服する教育、自堕落さを克服し自らの中にけじめの感覚を育む教育などが考えられなくてはならない。
○「富国」そのものがモラルの退廃など日本の困難な問題の元凶をなしている今日、有徳を前面に掲げた「日本有徳論」とすべきである。
○短期的な時代の要請に応ずる対症療法的な実用教育ばかりの現状を改め、1000年の伝統の風雪に育まれた我が国の「心」の伝統に深く学ぶ「心の教育」に着目すべきである。
○知のみ独走するのではなく、知・情・意の三つがバランスよく発達した人間の育成が必要である。
○社会全体で子どもたちに「日本の心・精神」を伝えていく「心」の教育が真の教育である。
○教育は、どのような人を育てるか、どのような社会、どのような国家を作るかという「未来」に関わるものであるが、それとともに「過去」との対話も必要である。
○既存の秩序が崩れ、物事が相互的にしか成立しないネットワーク社会に対応した教育を考えるべき。

3.学校・家族・地域社会の役割、生涯学習

(学校の役割)
○学校は、体系的・継続的なカリキュラムを専門家によって教育する「教育施設」としての役割と、地域コミュニティ形成の中核を担う「教育機関」としての役割を担うべき。
○初等中等教育においては、基礎学力、体力、公徳心をきちんと身につけた教育を行うことが必要。高等教育においては、リベラルアーツを基盤とした専門教育の修得を目指す「学問」の行われる場になることが必要。
○自由化・個性化を進めると、生活の仕方や社会性を身につけさせることが難しくなるが、学校がやらないとどこがやるのか。
○学校においては、「好きなことを好きなときに好きなように学ぶのが最高」といった誤った子ども中心主義を改め、子どもが困難なこと嫌いなことに進んで立ち向かい、自分の力を全部出し切って課題と取り組むような学習が奨励されるべき。
○学校では、誰にでも開かれた参加・活動の場と機会を用意し、そこにおける「多様な豊かさの追求」を許容し、認め合えるような文化を育むようにすることが必要。

(家族の役割)
○家庭の役割は、基本的な躾の責任、倫理観の涵養、生活能力の育成。学校の役割は、基礎的・専門的知識を与えるとともに、集団生活を通じた協調性、規律、公徳心、社会性を養うこと。地域社会の役割は学校、家庭と連携しながら、様々な社会経験の場を提供し、社会貢献の観念等の育成に努めること。
○「家庭」はあらゆる教育の原点。川をきれいにするのには「川上」(家庭)から始めるべきであるが、中高一貫とか大学改革というような 「川の中流」から手をつけているのが現状。
○家庭教育に関して、若い夫婦が「家庭教育とは何か、それをどう行うか」について学べる場を国として提供すべきである。
○道徳や倫理を家庭の問題だと結論づけるのは簡単であるが、それを学校や文部省、政府には言われたくない。

(地域社会の役割)
○地域社会の役割は、地域の大人全体で子どもにかかわり、子育ての社会化を担う役割と、地域社会を良くするのはそこに住む人々の役割と責任であることを大人も子どもも自覚するとともに、サラリーマン型地域社会におけるコミュニティ教育の役割を果たすことが必要。

(企業の役割)
○企業人が学校で「先生」となることを通じて、企業の生の姿を子供たちに伝えるべきである。また、そのための人材ネットワークの整備が必要である。
○企業側は、採用面における改革が必要であり、学歴・学校歴を問わないオープンエントリー制(公募制)の拡大や、多様な人材確保の観点からの通年採用の実施、流動化する雇用情勢への対応も視野に入れた経験者採用の拡大を図ることが求められる。
○企業は、学校教育や家庭教育への積極的な支援を行うべきであり、総合的な学習の時間において、情報化教育や起業家精神涵養教育のための特別講師の派遣、教師・学生の体験学習の受け入れ、産学連携による技術者の養成などを行うべきである。
○社会の硬直性が子どもたちをキレさせているが、学校や企業も再挑戦の場を沢山作り出すことが一番の対策である。

(NPOの役割)
○NPO活動を通じての、地域と学校の連携の促進を図るべきである。
○学校は、NPOと連携しながら、地域の生涯学習センターとして学校開放講座などの事業を実施してはどうか。

(生涯学習)
○実践知の錬磨は生涯にわたって行われるべきものであり、高等教育機関は生涯学習に積極的に門戸を開くべきであり、体制の整備が必要。
○生涯学習時代にふさわしい、学校制度の複線化、多様化の改革が必要であり、中・高・大で年齢に応じて学校で学びつつ、仕事や社会参加活動をし、勉強と仕事、学校と社会の双方向の交流を図れるシステムが必要。
○生涯学習審議会は、国民にわかりやすい自己実現の総合計画を早急に提唱すべきである。

4.「個」と「公」について

(強い個人が必要)
○「違うことはいいことだ」をクリアし、自分で考え、自分で判断し、自分で選択し、その結果を自分で責任を取るという強い個人が必要。

(結果の平等志向は個の逸脱)
○「個」と「公」の関わりはあくまでも相対的に、互いに均等な責任と義務の上にあるべきであり、例えば、教育における結果の平等志向など、個の逸脱でしかあり得ない。世の中は教育を含めてすべて競争原理で運営されるべきである。

(柔らかな個の形成)
○西欧的な自我の確立をめざす「個」ではなく、日本の文化に根ざした「和」の精神の中で育まれる柔らかな「個」の形成が必要。

(国に何ができるか)
○ケネディの大統領就任演説にあるように「国民は国に何かをしてもらうことを考えるのではなく、国に何ができるかを考える」ようにすべき。

(たのもしい人間の育成)
○物事の道理や人間的な情熱に基づいて判断する良識をもち、自らのアイデンティティを明確にし、自己責任の原理原則と公正な判断ができ、創造のために行動する勇気を持った「たのもしい人間」を育成することが必要。

(個も公も日本には不存在)
○「個の確立と公の創出」は、今後の国際社会での日本の役割を考えるときには重要であるが、ここにいう「個」も「公」も伝統的な日本にはなかったものだという自覚が必要である。

(自由の概念を十分認識する)
○「自由」の概念には「公共の福祉」の概念が欠かせない。勝手気ままな自由は許せないし、本来存在しない。そのことを教育現場でしっかり教える体制を創ることが必要。

5.教育改革を今後どのように進めていくべきか

(社会全体との関係の考慮)
○教育の諸課題は社会の在り方と深く関わっているので、社会全体の在り方の中で論議し、方向性を決めていくべき。

(中計と小計の策定)
○「教育は国家百年の大計」として実行しようと思うなら、50年の中計があり、各年ごとの小計が必要。

(前を見た教育改革)
○これから前を見て教育改革を考えるのであれば、何かモノのなかった時代の方が、心が豊かであったと考えるのは、即刻やめるべきである。モノがあって、お金もあって、ではどうするかという考え方をきちんと身につけることが、今後の教育改革を進めていく上で、非常に大事なことである。

(評価の多様化)
○大人たちが組織寄りかかり型からスキル追求型に変化すれば、次世代はその影響を受ける。スキルを客観的に評価できる体制が定着し、それが学歴よりも優先するようになれば、「どの学校を出たか」よりも「何を身につけたか」が大切になる。
○「学校歴神話」にひきずられた単線型のサクセス・ストーリーを子どもにおしつけ、他人と競わせるのではなく、子どもたち一人一人の個性や得意分野を活かす多様な進路選択を保証することが必要である。
○どのような制度に変えたところで、競争という原理から逃れることはできない。これを直すには、競争できる種目を増やし、計測するモノサシを増やす必要がある。

(複眼・複線的受験システムへの移行)
○偏差値重視の単眼・単線的受験システムから、複眼・複線的受験システムへ移行すべき。

(個性化・自由化の問題点)
○生徒のやる気を第一にし、色々なメニューを用意するやり方は、少数の学ぶ生徒と多数の学ばない生徒を生み出す可能性があり、義務教育に大幅に個性化・自由化を持ち込むのは多数の学力低下を招く。

(基礎学力の重視)
○主体的思考力やクリエイティビティの発揮には、基礎知識や基礎学力をきちんと身につけていることが絶対に必要である。生徒が「その知識は何の役に立つのか」を認識できるようにすれば、知識の消化不良を起こす心配もなくなるのではないか。

(学校・教育委員会の主体性が必要)
○個別の学校、市町村教育委員会が「指示待ち」になることなく、真に当事者意識を持ち、主体性を持って自己の管轄範囲の問題について主体的に工夫し解決していく能力を持つことが必要。

(教育基本法等の改正)
○郷土や国、民族、伝統と文化の価値をしっかり弁えることによって、日本人たるアイデンティティーを自覚できるのであり、そうした視点の欠落している教育基本法の改正が必要。
○教員や生徒や保護者の地位、役割を国家との契約という形である程度明確にすることが緊急の課題であり、教育基本法や学校教育法の改正が必要。

6.その他

(1)初等中等教育

(学校選択権の確保)
○初等中等教育における学校選択権の確保が必要。

(学習指導要領の柔軟化)
○学習指導要領の柔軟化が必要。
○授業についていけない子どもをなくすよう、大幅に学習内容を削減する。

(義務教育週3日制)
○専門家が自らの専門分野の精選に当たるよう促す方策として、現在の義務教育の教科内容を5分の3にまで圧縮し、義務教育週3日制を目指すことが必要。

(暗記教育の必要性)
○「暗記」教育が批判の槍玉にあがっているが、そのほとんどが、真面目な議論としては到底受け入れられないような、軽薄な主張ばかりである。「自分でものを考える」というが、そのためには、まず考える材料が必要である。

(受験の必要性)
○受験戦争は現在の教育のひずみをもたらした一つの原因であるが、現在の日本社会でつらい訓練を強いることが出来るのは、受験競争であり、受験をなくすることは教育の改革として望ましいことではない。

(エリート教育の必要性)
○個に応じた教育の一環として、本当の意味でのエリート教育が必要。

(英語教育の在り方)
○国民全員に英語力をつけるなどナンセンスであり、リーダー層に世界に通用する英語教育を組み込むべき。
○英語がコミュニケーションの手段であることを踏まえ、英語の教科書の題材を日本の歴史や文化、社会の在り方などに全面的に切り替える。

(国民皆農制の導入)
○義務教育の一部として「国民皆農制」を導入する。

(2)高等教育

(入学制度の見直し)
○入学試験制度から卒業試験制度への転換が必要。
○大学入学については、暫定入学方式(合格ラインギリギリの学生を一年間暫定で入学させ、翌年再び入試を受けさせる)を導入すべき。
○学生の知力を高めるために、厳しい卒業試験を実施すべき。
○子どもの早熟化に対応して大学への飛び入学制度を導入すべき。

(高等教育の在り方)
○大学前期2年間は、哲学・文学・宗教など古典的な人文学の知識を教える時間とすべき。
○高等教育政策では、科学技術振興だけでなく、実践知を身につけたエリートを養成するプロフェッショナル教育にも重点的な配慮が必要。

(研究環境の改善)
○研究者の資質や活動の問題よりも、研究環境の改善の方がはるかに重要。

(3)教員の資質

(教員の資質の低さ)
○初等中等教育では、必修科目の授業時間不足と教員の資質の低さ、熱意の乏しさとがあいまって、塾に通わなければ必要な知識を習得できない状況にある。

(教員の資質向上)
○教員の資質向上プログラムが必要。

(4)教育行財政関係

(地方分権の推進)
○義務教育では、市町村の裁量権限をさらに拡大し、特に中核市までは、地域の学校として当該自治体が責任を果たせる仕組みが必要。

(責任を有する教育者の必要性)
○国家、地方公共団体、学校それぞれにシンボルとなる「教育者」がいるようにして、担当単位ごとに教育理念、方向、方法等を決め、それを明確にして結果責任を持つようにする。

(クラスサイズの見直し)
○クラスの人数については、幼稚園から小学校3年までは12人から16人、小学校4年から高校までは16人から20人とすべきであり、かつ、低学年のうちは主となる教師の他にアシスタント(教育大学院生など)を置くべきである。

(教育システムの見直し)
○急激な社会変化の中で、教育だけが伝統的流れの意義のみにとどまるのでは、社会そのものが歪んでしまう。国鉄、電電公社のように教育もビッグバンを起こし、現行の教育システムを尊重しつつ、「内閣が主導し、地方自治体や中央官庁、民間企業等と連携した新しい教育システム」を作る必要がある。
○中央教育委員会の創設と文部省の事務局化、国のカリキュラムセンターの創設と教育行政の科学化・分権化を行うことが必要。

(文部省の対応)
○イデオロギー的偏向傾向を帯びる教職員団体に対して、文部省は無原則な妥協的態度と受け取られるような対応をすべきでない。

(教育の日の創設)
○国民の祝日として「教育の日」を設ける。

(5)その他

(地域社会等との連携)
○学校・家庭・地域社会のつながりを生む三位一体のシステムを検討し、地域に住む人の副校長としての派遣、空き教室の地域開放システムの検討、自由参観制度の検討が必要。

(臨床心理士の活用)
○物の豊かさに比べて、心の豊かさが遅れている現状を踏まえて、「心の専門家」である臨床心理士をもっと生かしてゆくことを考えるべき。スクールカウンセラーの制度化が必要である。