教育改革国民会議

第2回教育改革国民会議・議事概要

(日時) 平成12年4月14日(金)16時〜18時
 
(場所) 総理官邸大客間

○森内閣総理大臣挨拶の後、オブザーバー(泉参議院議員)からの挨拶及び各委員から の発表並びに発言は以下のとおり。

[オブザーバー挨拶]

(泉議員)
 教育の専門家ではないが、これまでも教育には関心を持っていた。3月の予算委員会では中曽根文部大臣に教育基本法改正について質問したことがある。今日まで様々な制度面等での改革がなされてきたが、それが必ずしも成果をあげていない。その原因としては、教育の根本である教育基本法に踏み込んだ議論がなかったことが考えられる。この会議では21世紀の我が国の在り方、日本人の生き方を踏まえ、これからの日本人をどのように育むのかについて、教育の根幹についての議論を期待している。

[委員からの発表]

(江崎座長)
 前回は皆様から教育改革について発言いただいたが、今回からテーマを持って議論していただきたい。その際テーマについては、今回と次回の2回にわたって、まず最初に「戦後教育の総括」を行う。今回は子どもの生活や学力の現状について分析・検討を行い、次回は戦後教育改革について議論していただきたい。
 また、審議を進めるにあたっては、毎回2,3名の委員に発表いただいて、それに基づいて議論していただこうと思う。
 本日の議題は、「戦後教育の総括−その1−子どもの現状の分析・検討」としている。 まず、河上亮一委員、森隆夫委員、今井佐知子委員の御三方から、15分づつ子どもの現状について発表していただき、その後に皆様で議論いただきたい。

(河上委員)
 学校の状況と教師から見た生徒の実態についてお話したい。
 最初に生徒の変化についてお話する。教師になって34年になるが10数年前からそれ以前と全く違った「新しい子ども」たちが登場した。特徴としては、ひ弱である一方で非常に攻撃的なこと。ひ弱さについて述べると、第一に、生活の型(挨拶、言葉遣い、箸の使い方など)をほとんど身につけていない。第二に、つらく、嫌な、難しい事に直面したときに精神的、肉体的(頭痛、腹痛、熱など)にすぐ参ってしまう。第三に、非常に傷つきやすい。人から傷つけられたときには、相手を見て相手が強いとわかると自分の殻に閉じこもってしまって外に出ないというような反応を示す。全体として元気がなく、無気力でだらしがない。
 また、同じ生徒がひ弱な一方で攻撃的になった。相手が強い場合には自分の殻に閉じこもるが、相手が弱いとわかると猛然と相手に反撃するようになった。その際、暴力に限界がなく、気が付くと大きな事故となっているということが頻繁に起こる。このことをマスコミが「キレる」と表現している。
 次に、中学生に欲望を抑える力がほとんどなくなり、授業中でもCDを聴く、マンガを読むなど、時と場をわきまえずに自分がしたいことをするようになった。
 全体的には、傷つきやすく、感情の起伏が非常に激しい不安定な子ども達が大量に増えてきたが、どういうことで傷つくのか全くわからないので、非常に厄介。20年前の校内暴力の時代は、「ワル」と「普通」の生徒達の間には大きな境目があったが、今は「普通」の生徒が時と場合によって何でもやるようになった。10数年前から起こっている不登校、激しいいじめ、自殺、激しい暴力、学級崩壊などはこのような「新しい子ども」たちが引き起こしていることではないかと考えている。
 最も大きな問題は、義務教育が終わった段階で、社会的自立がほとんど不可能な子どもたちが大量に世の中に出ていくという実態。「新しい子ども」たちは、自分が未熟な存在ではなく、既に一人前であると考えており、教育を基本的に受け付けない。学校も家庭も教育が非常に難しい時代に入った。
 この会議では、教育改革をするのはどういう問題があるからか、何が問題なのかということを是非明らかにして欲しい。
 学力の低下については、生徒達の学ぼうとする姿勢・意欲が大きく低下してきている。授業に緊張感がない。学校で何を学ぶ必要があるのかということについて、子どもと親がはっきりと認識しなくなっている。中学校へ来る唯一の理由は「高校に行くため」であるが、受験だけのために勉強するというのは、目標として極めて小さすぎるのではないか。さらに、塾に通っているにも関わらず、全体的な学力は大きく低下しており、特に話す能力、文章力など国語能力の低下が著しい。学校の第一の目的は何かということをはっきりしなければならない。義務教育は、基礎教育に限定してすべての子どもに健全な市民としての素養を身につけさせることが最大の目標。困難な家庭の子どもや自分を維持できない子どもの生きる苦しさやつらさを何とかすることが必要。創造性をのばす、子どもの個性を磨く、といったことは贅沢な問題。小学校の段階からある種のエリート教育をするというのは反対。

(森委員)
 まず、戦後教育改革の流れだが、改革の出発点は占領下にあり、戦後の教育改革は大部分、対日教育使節団報告書(ミッション・レポート)のとおりに行われた。臨教審あたりから平等から自由へと転換。ただし、日本における自由は、小林秀雄の言うような「自由というのは自己の能力の限界に束縛されることだ」という「自由の厳しさ」がわかっていない。制度が分権化され、画一から多様になるのはよいが、日本の場合には、中高一貫のように沖縄から北海道まで各県で必ずそれを作る「画一的多様化」の危険性がある。日本のような集団依存型の国における多様化と欧米のような個人独立型の国における多様化には違いがある。
 学力(基礎)と実力(応用)については、1970年代、高校進学率が80%、大学進学率が30%に近づいた頃から、「量から質へ」と日本の教育の流れが転換(中教審四六答申、OECD報告書)した。その頃、学歴無用論・実力有用論(ソニーの盛田氏)や、生涯学習観が登場。それを受けて、新学力観が登場し、「生きる力」や「知・徳・体」の活性化が言われた。重要なのは、教育改革は人間改革ということ。マスコミはすぐ教育改革は6・3制をどうするかといった制度いじりに目を向けるが、制度改革は人間改革のための手段である。教育は、「個人としての人間像」と「国民としての人間像」といった、どういう人間像を目指して改革するのかを考えなければならない。昨今は、特に、その国の歴史や文化や文明を背景とした「国民としての人間像」が問われている。集団依存型の日本国民は、個人独立型の欧米の人間像をそのまま真似る危険性がある。
 教育改革は社会変化への「対応」だと言われているが、ほとんどの人は「適応」しか考えていない。社会は変化(国際化、情報化)しているが、それに伴い社会を構成する人間がどう変化したかを考えずに教育改革を考えている。一番大きな人間の変化はローレンツが言う「大人の幼児化」。30年前、ローレンツは文明が発達すればするほど大人は幼児化すると言ったが、キーワードは依存心の増大と耐性低下である。
 豊かになり便利になればなるほど依存心が増大する。教育の目的は人間の自律であるため、便利さからくる依存心の増大と人間の自律を目指す教育は葛藤する。学校は子どもが学校に依存しながら自律するという非常に矛盾した組織。今日の学校があまりにも便利になりすぎて自律を妨げるのであれば、少し人工的に不便な環境を作った方がいいのかもしれない。
 もう一つの幼児化のキーワードである耐性低下については、肉体的な耐性低下と精神的な耐性低下の2点。耐性低下し、幼児化した大人が子どもを教育するので、子どもはより悪くなる。「劣子化」している。具体的には、知の劣化は、知識と知恵のアンバランス。知識は情報化社会で増えたが、知識をコントロールする知恵がない。徳の劣化は、少子化で子どもが少なくなったにも関わらず青少年犯罪が増加している。体の劣化は、体力の低下がある。
 教育改革は人間の意識変革がなければならない。その意識変革はショック療法しかない。
 また、従来の答申は理念はあるが理論や方法に欠け、内容は立派だが国民の関心を高めない。みんなに読まれるものでなければならない。この会議は国民会議であり、国民にまで射程距離が及ばなければ教育改革とは言えない。
 臨教審や中教審も指摘するように、教育の原点は「家庭」である。人生最初である親に対する教育を考えなければならない。学校で一番大事なことは、教師の問題。教師に今必要とされているのは専門的知識よりも人格的権威。子どもが納得して従うような恭順が必要。
 社会の大人の幼児化防止策は、首相の所信のように、国民も一人一人自分の所信や信念を持つべきである。地方公共団体も個性をだし、何かやってもらいたい。
 最後に、「日本の個性」とは何かということ打ちを出すのがこの会議の役割ではないかと思う。

(今井委員)
 親であり、またPTAに所属しているので、学校現場をサポートする実践的立場からということで、現状をお伝えしたいと思う。
 わが子への認識度と期待する子ども像ということで、資料に従って説明する。

<資料2〜6頁の説明>

 長所に比べて、欠点として意識されている事項が多い。幼稚園に子どもを預ける場合に、子どもを育てるのが苦手だからというケースがかなりある。土日の保育サポートにしても、自分の時間が欲しいとか、子どもといるとストレスが溜まるからとかいう場合が増えてきている。
 次に、学校に望むことを挙げると、地域と連携しながら学校教育を考えていかなければならない状況にあるにも関わらず学校からの情報発信が非常に少なく、伝えるための工夫がない。どんな方針で、どんな児童生徒を育てたいのか、わかりやすく説明して欲しい。保護者に学校のことは子どもから伝わってこない。授業のわからない子どもについては、基礎基本の徹底をして、わからない子どもをなくして欲しい。
 子どもを取り巻く社会環境が従来の五感から情報化の進展に伴って、聞くと見るの二感に移っている。子どもが具体的な事柄との関わりの中で感動したり、驚いたり、感慨を深めることができにくくなっている。
<資料7頁の説明>

 夏休みの体験学習として、「子どもたちのかまぼこ工房」を主催しているが、子どもたちは作る喜び、楽しさを感想として述べており、こういう取り組みも必要と考える。
 これからの教育で重視すべきこととしては、生命に対しての畏敬の念が失われきているため、「敬う」ということを挙げたい。また、「死をみつめる教育」の実践については、心の成長の糧となる、人生における死別の体験が乏しくなったことを意味している。
 「価値観の教育」については、周りがするから自分もするという横並びではなく、自分の自信と誇りを持って生きることができる尺度を推進していきたい。

[委員からの発言]

(大宅委員)
 教育について何か論じてる場合ではなく、ボタンを押して何か実行しなければならない時期であると認識している。今の日本は、「「生きる力」を身につけよう」というスローガンを言わなければならないほど「生きる力」がなくても生きていける豊かな社会になっている。それにも関わらず、相変わらず国家のための人材育成という考え方から抜けられていないことが問題。高校、大学、会社という人生や価値観を普通のこと、当たり前のことと皆が思い込んでいる。画一的な教育がいけないと言いながら、できない子どもがいると「可哀相」と、全員の進度を押さえてしまう。このようなやり方は、先に進もうとする子どもに対しての差別である。英語の公用語化論についても、日本人全員が国際人となり世界中で競争する必要はなく、また、不可能なことだ。オリンピックに出て国際的に競争するような人に対しては一般人とは別立てで訓練しても良い、という国民的な合意が必要。「いろいろあらなぁ」ということを皆が認め、速く走れる人が自由に走れる多様な社会を作らなければならない。国民にエリートを育ててもよいことを納得していただく必要がある。

(河合委員)
 倫理観の問題は非常に大事。物がない時代の倫理観は知っているが豊かな時代の倫理観について考えなければならない。他方、倫理観には背後に宗教の問題があるので上から押しつける訳にはいかず難しい面があるが国民的な論議をして行きたい。
 教師の質の問題については、教師が悪いことをすると新聞に載ってしまうが良いことをしても載らないという不幸な面もある。ただし、立派な先生も研修が足らない。その際、研修は知識の詰め込み中心ではなく、体で覚える研修が必要。昨今大学院でもそのような研修ができるようになってきているので、小学校の先生になるのは、マスターを出てからぐらいで良いのではないかと考えている。
 教育については文部省だけではなく、警察庁、厚生省、労働省、裁判所など全ての機関に関わっているが、心の問題はどこに相談してよいものかわからない。そのようなことについてもこの場で議論していきたい。

(勝田委員)
 河上委員の話は中学校でのことということだが、多くの部分で大学生にも共通する。今の大学生は無気力で、だらしがなく、勉強する意欲が感じられない。私の同僚の話では、ドイツのフンボルト大学でも、日本のように私語こそないが、学生が哲学の講義中にハンバーガーやジュースを飲食しており、授業が難しく面白くないと教室から出ていってしまう。ドイツの大学の水準は高等学校レベルに落ちてしまったという。日本も同じ状況だと考えるが、豊かな社会においては礼儀作法がだらけてしまうのではないか。意識改革のためにショックを与える必要があるという森先生の話があったが、海外青年協力隊などで半年程度、貧しい国へ行ってボランティアをさせてはどうかと思う。今の若者に貧乏を味わせてみたい。

(山下委員)
 河上委員にお聞きしたい。アメリカで起きたことは日本でも10年遅れて起きるというような話を聞いたことがあるが、1990年代の教育現場で起きたのが麻薬・アルコール・妊娠・自殺・レイプ・窃盗・暴力の問題。日本の教育現場もこれに近づきつつあるのか。

(河上委員)
 アメリカの状況にはあまり詳しくないが、中学校では、窃盗と暴力はかなり広範に存在する。麻薬とアルコールは少ない。たばこについては、中学生の5割近くが吸っており、これを抑える力は学校にはない。自殺については、いじめが必ずしもその原因ではないがここ10数年多くなってきている。レイプ・妊娠はない。

(江崎座長)
 アメリカと比較してどうかという話があったが、アメリカは広大なので、まったく問題が生じていない地域もあり注意が必要。また、河上委員の話は日本全体のことなのか疑問がある。学力一つをとってみても、資料5「教育を取り巻く現状に関する資料」の28,29頁によれば、平成7年度の算数は世界第3位であり、日本の教育はそれほど悪くないという印象を持った。さらに、塾では学級崩壊は起こらないのではないかと考えるがどうか。

(河上委員)
 状況は日本全体か、一般的か一部の問題かどうかという点の質問については、全国を公演して回った経験から、大都市も小さな山村も状況は同じと考える。学力の調査については現場の実感とずれがある。平均点がどうかという点はともかく、30年前の生徒と比べて学ぶ姿勢が低下してきている。塾についても場所によっては学級崩壊が起こっていると聞いている。また、学校と塾の違いはお金を払って通っている点にあり、預かる方もお金を取っている。学校で一番崩壊しているのは生活レベル。授業はまだよく保っている。塾は生活についての指導は全くと言っていいほどやらない。純粋に高校受験の学力や補習に特化している塾と公立の学校の役割とはまったく異なる。

(町村内閣総理大臣補佐官)
 義務教育無料がいけないのか。

(河上委員)
 最低限の市民的資質や国民としての資質は国が全ての子どもに要求すべき。今の大多数の親には、自分の利益や欲望を満たすための学校という意識は見られるものの、他人と一緒にどう生きるかということは価値として認められていない。有料にするかどうかという以前に、国がそういうものを国民に要求すべき。
 エリート教育については、公立の学校には一緒に生活している中にいろいろな子どもがいる。そういう体験をしたことがない人がリーダー足り得るのか疑問。学校に来れない生徒や非常に暴力的な生徒がいる中で大人になる体験をしなければ本当のリーダーにはなれないのではないか。エリート教育に反対するつもりはないが、基礎レベルについては一定期間あらゆる子どもと生活を共にする体験が必要と考える。

(木村委員)
 少年犯罪や学級崩壊の全国的な分布状況については、中央教育審議会で調べた経験があるが、大都会に集中しているということはなく全国的に分布している。

(クラーク委員)
 学力については、高校レベルではオーストラリアに比べて日本は高い。問題は大学。日本の学生は無気力で自主性がない。親や教師が悪いというが、両者も教育制度の産物であり、学校がどうというよりも社会がしっかりすべき。オーストラリアではボーイスカウトが子どもと社会をつなぐ一定の役割を担っているが、日本での活動は活発でない。日本の子どもは社会との接触が悪いものが多い。漫画、暴力的テレビ番組等。もっと広く社会と接すると良い影響も入ってくる。

(河野委員)
 河上委員の話では、「新しい子ども」が普通になってきたということだが、そういう現象を前提に教育改革を考えねばならないのか、それともその現象をまずなくすことを考えるのか、分析・評価の必要がある。
 海外子女教育に関わっているが、日本人学校ではいじめや校内暴力はないと聞いている。その理由としては、@子どもが学校に生き甲斐を持っているA自主的、自由な学校運営を行なっており、子どもが自律的にルールを決めているB先生と子どもの密着度が高いC6歳から15歳という多様な年齢層において横の関係だけではなく縦の関係も持っているD比較的に学級規模が小さいE家庭環境が似ているF親が学校の運営や地域の活動に参加しているため、親と接する時間が長いこと等が挙げられる。海外の日本人学校も同じ日本人の社会であることから、日本国内における学校の問題も適切な社会環境を作ればある程度は防げると考えられる。

(田村委員)
 この会議で確認しておくべきなのは、豊かさという社会の変化が様々な問題を引き起こしていることと、現在、中央教育審議会で行われている教育改革は異なるものであるという点を認識することである。教育改革は時代の要請。例えば、シンガポールでは初等中等教育について3つの柱を立てて改革を行っている。第一に、教えながら考える、考えながら教えること。第二に、融合した学際的な教育。日本の総合的な学習の時間がこれに当たる。第三に、ナショナリズムの高揚を図ること。民族的な伝統・文化をはっきりさせることは世界的な流れである。加えて、エリート教育は日本が世界から取り残されないよう、子どもたちが変わってきていることと関係なくやらなくてはならない。

(金子委員)
 教育における最低限の国の品質保証は必要。品質保証については、今のように教員免許で入り口を、教科書検定で内容を規制するやり方がいいのかどうか考えなければならない。この会議の打ち出しとしては、教育における地域のガバナンスをどのように確保するのかということを考える必要もある。
 また、初等中等教育を教育委員会が提供するということの代替案は、市場に任せることではない。例えば、バウチャー制度のようにサプライサイドではなく、ディマンドサイドにお金を出すというようなやり方も検討すべき。公教育を提供する組織やその運営について、市場に任せる方法ということではない第3の道を検討する必要があるのではないか。

(江崎座長)
 どのように地域を運営していくのかは大きな問題であるが、アメリカではスクールタックスというものがあり、納税意識を高めることによって、自分たちの学校をどうするのかという問題への親の参加を促している。

(山下委員)
 数学者の秋山仁氏によれば、現在では小学校でも数学の理解度は5割という。今の授業は、早く進める人にも遅くしか進めない人にも不幸である。ただし、一面的に「できる」「できない」という評価を下してしまうことには注意が必要。「早く進める」、若しくは「時間がかかる」という見方をして、数学が得意な子、物理が得意な子、芸術が得意な子が集まって勉強してもよいのではないか。小中学校で習熟度教育を行うことはエリート教育ではない。
 また、ボランティアを義務づけてはという意見もあったが、今の問題を引き起こしている原因は、子どもにというよりも大人にある。国民各層に我々大人が姿勢を示すべきである。

(江崎座長)
 山下委員はスポーツ界においてエリート教育を受けられたのか。

(山下委員)
 中学2年時には高校で、高校2年時には大学で練習していた。エリート教育を受けていたと思う。

(梶田委員)
 「与件」と「変数」をわけて考えなければならない。豊かで便利な社会や多様化した価値観の中で、我慢することを知らない・言うことを聞かない・子どもが変わってきていると嘆いても仕方がない。これらは「与件」であり論議しても何も変わらない。皆に貧しい暮らしをしようと言うわけにはいかず、後戻りはできない。何を変えれば良くなるのか変えるべき「変数」を考えなければいけない。
 また、学力低下について、資料5の28、29頁の調査結果は誤解を与える可能性がある。日本の学校は他の国に比べてカリキュラムが先に進んでいるので有利になっている。また、この調査では知識レベルだけが問われており、我々が問題としている知恵や思考力は問われていない。加えて、この結果には平均点しか出ていないが、アメリカの得点分布は広範であり上下に幅がある。日本は狭い範囲に分布している。この数字を鵜呑みにして安心はできない。

(上島委員)
 比較的豊かな時代に生まれてきた世代としては、豊かなこと自体は子どもの責任ではないので、豊かさを否定されることについて抵抗がある。一方で、共通一次世代の受験勉強ばかりしてきたこれからの親の価値観は損得が中心。豊かな世代の親が如何に善悪という価値観を子どもに教えて行くのかが課題。例えば、今の親はどうしても損得で判断してしまうので塾に子どもを入れてしまう。入試制度を変えていかないと何も変わらない可能性がある。

(江崎座長)
 今後の会議の運営について、次のように取り進めさせていただきたい。
 一つは、各委員同士での意見交換を密に行うため、3つ程度の分科会を設けたい。各委員にはそれぞれ分科会に所属していただきたいので、各分科会のテーマ及びメンバーの案について、御意見、御希望をお伺いし、調整した上で、次回会議にお諮りさせていただきたい。
 二つには、今後の会議の運営について座長の相談にのっていただく企画委員会を設けたい。メンバーは、私のほか、副座長である牛尾委員と木村委員、さらには、金子委員、田村委員、森委員の3委員にも加わっていただき、計6名を考えている。
 次回の日程については、4月25日に開催することを予定しているので、よろしくお願いいたします。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。


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