教育改革国民会議

教育改革国民会議

第2回議事録


【江崎座長】それでは、皆さんおそろいのようでございますから、ただいまから第2回「教育改革国民会議」を開催させていただきます。

 委員の皆さんにおかれましては大変御多忙のところ御出席賜りまして誠にありがとうございます。この教室は出席率が大変高い教室のようでございまして、模範的な出席率のようでございます。

 まず、会議の開催に当たりまして、森内閣総理大臣からごあいさつをいただきたいと存じます。

【森総理】それでは、ごあいさつを申し上げます。

 私は、去る4月5日に内閣総理大臣に任命されました。「教育改革国民会議」への出席は本日が初めてでありますので、開会にあたりまして、一言ごあいさつを申し上げます。

 小渕前総理は、教育改革を内閣の最重要課題に位置づけ、教育改革に全力で取り組んでこられました。そして、社会の在り方まで含めた抜本的な教育改革について議論していただくため「教育改革国民会議」を発足させたものであります。私も、16年前の臨時教育審議会発足時の文部大臣をつとめるなど、これまで一貫して教育の問題に取り組んでまいりました。国づくりの基礎である教育にかける思いと改革への決意は前総理と同様であると考えております。江崎座長はじめ、皆様方におかれましては、貴重なご経験と学識を生かしていただき、引き続き積極的なご議論を展開していただくことをお願い申し上げたいと存じます。

 我が国の教育は、戦後の日本の経済発展を担う人材を育てるという観点からは、素晴らしい成果を挙げてまいりました。しかしその一方で、体・徳・知の調和を欠いた知識偏重教育や学級崩壊、校内暴力など深刻な問題を抱えております。教育の目標は「学力だけが優れた人間」を育てることではなく、創造性豊かな「立派な人間」を育てることにあると思います。私は教育基本法の見直しも含め、「教育は何のためにあるのか」、「学校は何のためにあるのか」を率直に問い直し議論すべき時期にきていると考えております。

 これからの教育においては、まず第一に、思いやりの心、奉仕の精神、日本の文化・伝統を尊重する気持ちなど、人間として、日本人として持つべき豊かな心、倫理観、道徳心を育むことが必要であると存じます。また第2に、子どもたちが基礎・基本を培う場である学校を、保護者や地域の方々から信頼されるものとしていく必要があると考えます。更に第3として、グローバル化、情報技術革命など時代の大きなうねりの中で、21世紀の我が国を担う創造性の高い人材を育てることが必要であると考えております。

 教育をめぐる諸問題は、制度や組織を改革するだけでは解決できません。教育は、国民の皆様一人一人にとって、身近で切実な問題であり、国民的な議論が必要であると思います。このため、今年の夏頃を目途に中間報告をお取りまとめいただき、その後広く国民の皆様のご意見に耳を傾けていただきながら、更なる検討をお願いしたいと存じます。

 また、このたびの、自由民主党、公明党・改革クラブ、保守党の三党派連立政権の発足に伴いまして、新たに保守党の泉信也議員にご参加をいただくことになりました。自由民主党の町村信孝議員、公明党・改革クラブの太田昭宏議員には、引き続きご参加をいただいております。

 私は「日本新生」の実現を目指し、我が国が直面する様々な課題に取り組んでいるところであります。とりわけ、教育改革は「心の豊かな美しい国家」を実現するために、まず最初に取り組まなければならない最重要課題であると思います。私として、皆様方のご議論を踏まえながら、可能なものから、できるだけ早期に改革に着手したいと考えております。皆様方におかれましては、趣旨をお酌み取りの上、ご協力を賜りますようお願い申し上げましてご挨拶とさせていただきます。

 ありがとうございました。

(報道関係者退室)

【江崎座長】どうもありがとうございました。

 議事に入ります前に新しくオブザーバーになられました、先ほど総理からも紹介されましたが、泉信也議員から一言御発言いただきたいと存じます。よろしくお願いします。

【泉議員】今回の会合からオブザーバーとして参画をさせていただくことになりました参議院議員の泉信也でございます。どうぞよろしくお願いをいたします。

 私は、教育問題について、大変関心を持っておりますが、プロというわけでは勿論ございません。3月の予算委員会の席で、今日御出席の中曾根文部大臣に教育基本法の改正についてお尋ねをしたことがございます。それは今日まで母親同士の、あるいは総理の下に置かれますこのような会議の中で、しばしば教育に関する議論をいただき、制度の改正を行っていただきましたが、必ずしも成果が上がってない。その原因は教育の根本法であります教育基本法に踏み込んだ、あるいはさかのぼった議論がなかったからではないかと私は思っておる次第でございます。

 この国民会議は教育の根幹について御議論をいただくわけでございますので、21世紀の日本の国の在り方、日本人の生き方、そうしたものを踏まえた上で、これからの日本人をどう育て、育んでいくかの御示唆をいただければ大変すばらしいことだと思っております。

 総理のごあいさつにもございましたように、教育は何のためにするのか、教育は何なのか、更に教育にはいくつかの切り口があると思いますが、義務教育とは何か、こうした問題にも踏み込んでいただき、国民の多くが抱えております教育に対する不安にお答えいただきますようお願いをし、ごあいさつとさせていただきます。

 ありがとうございました。

【江崎座長】ありがとうございました。

 それでは、議事に入らせていただきたいと思います。

 前回は皆さんから教育改革についての御発言をいただきましたが、今回からはテーマを持って御議論していただきたいと思います。その際、テーマにつきましては、皆さんの御意見を踏まえまして、私なりに考えさせていただきましたが、今回と次回の2回にわたりまして、戦後教育の総括、戦後教育の結果も含むと思われますが、総括について行いたいと思っております。

 今回は子どもの生活や学力の現状というものについての分析と検討を行います。

 次回は、戦後教育改革というものについての御議論をしていただければと思っております。

 また、審議を始めるに当たりまして、毎回2、3名の委員に発表していただき、それに基づいて御議論していただこうかと思っております。

 このような考えから、本日の議題は「戦後教育総括−その1−子どもの現状・分析」、その検討、そういうことにしておりまして、3人の委員の方にお話をしていただくことにします。河上亮一先生、それから、森隆夫先生、今井佐知子先生、この3人でございます。15分ずつ話していただきますが、時間厳守をお願いしたいと思います。

 まず最初に河上亮一先生に学校の現状と役割ということにつきまして、よろしくお願いします。

【河上委員】現場の教師は立ってしゃべるので、立たないと勢いがつきませんので、立ってしゃべりたいと思います。

 私は学校の状況と学校の教師から見た生徒の実態について主としてお話をしたいと思います。前回もその一部をお話ししたつもりなんですけれども、1番目に生徒の変化についてお話をします。

 私は教師になって34年になりますけれども、十数年前からそれ以前と全く違った「新しい子ども」たちが登場したのではないかという感じを持っています。

 特徴はひ弱で、しかも他方で非常に強いと言いましょうか、攻撃的と言いましょうか、そういう特徴を持った子どもたちと考えています。ひ弱さについては、私は教師として4点特に問題であると考えています。

 まず第一に、私は中学校ですから、小学校のことはそれほどよくわかりません。ただ、12歳で中学1年生になって私たちの前に登場する子どもたちが、年々生活の型をほとんど身に付けていない状況で登場してきます。生活の型というのは、例えばあいさつとか、言葉づかいとか、箸の使い方とか、そういう細かい生活のいろいろな形なんですけれども、そのほとんどが身に付いていないということがあります。ですから、学校で集団生活をするときに、彼らは非常に生きるのがつらいと言いましょうか、どうしたらいいかわからないで立ち往生してしまうような場面がたびたび現れます。それが1つです。

 2つ目に、多分そのことと関係あると思うんですけれども、つらいことや嫌なこと、難しいことに直面したときに、精神的にすぐまいってしまうということがあります。そのときに、精神的にまいるだけではなくて、例えば頭が痛いとか、おなかが痛いとか、熱が出るとか、そいう肉体的な変調も引き起こすようになっています。今お話ししていることは、特別な生徒がそうなっているということでは全くありません。一般的な生徒の状況をお話ししています。

 3つ目に、これが今教師にとっては非常にこわいと思っていることです。非常に傷つきやすくなって、他人とうまく関係を結べないのです。人から傷つけられたときに、相手を見て、相手が強いとわかると自分の殻に閉じこもってしまって外に出ないというような反応を示すようになっています。不登校の生徒が大幅に増えたということは多分このことと関係するんじゃないかと私は思っています。

 全体としては、非常に元気がありません。無気力でだらしないと言っていいと思います。私が30数年前に教師になったときに、中学生というのは非常に元気がよくて、22歳の私などとても及ばないくらいのスタミナと元気さがあったと思います。今私は57歳ですけれども、私より元気がないのではないかという感想を年々強くしています。以上がひ弱さの中身です。

 ところが、ひ弱になったということだけであれば、そういう生徒を相手に教育をやっていけばいいわけですから、それほど難しいことではないと思います。しかし、同じ生徒がひ弱なくせにというと非難しているようで申し訳ない気もするんですけれども、ひ弱なくせに一方で非常にわがまま、頑固、強くなった、攻撃的になったということがあります。

 特徴をあげますと、1つは、先ほど非常に傷つきやすくなったということを述べましたが、その点についてです。5年くらい前ですと、生徒たちの間で傷つくということを冗談半分に、「傷つくー」と語尾を上げて言うことがはやりました。(埼玉ではそういう方言はないんですけれども)冗談半分にそう言うことによって、自分が今あなたが言ったこととか、あなたの行為に傷ついているということを表現していたのではないかという気がしています。それが2、3年前になると、そういう言葉がほとんど教室で出なくなりまして、敏感に相手の行動とか働きかけに反応するようになってきました。そのときに、さっき言いましたように、相手が強い場合には自分の殻に閉じこもるということがありますけれども、相手が弱いとわかると、猛然と相手に反撃をするということになりました。自分の心が傷つけられたということに対して、自分を回復するために相手に向かっていくことだと私は思いますので、これはある種の正当防衛だと思います。そのときにめちゃくちゃに向かっていきますから、暴力そのものに限界がないと言いましょうか、あっと気がつくとものすごい事故がおこるようになりました。前歯が折れていたり、眼鏡の上から殴って目をけがさせてしまったり、あるいは無意識に言ったことで相手が傷ついているわけですから、こっちは身構えていないのに猛然とぶつかってきて、すっ飛んでしまって柱に頭を打って大けがをするとか、そういうことが頻繁に起こるようになりました。これをマスコミでは「キレる」というふうに表現したんだと思います。

 2年ほど前になるんでしょうか。栃木県の黒磯で起こった中学校1年生の男子が女の先生を刺し殺したという事件がありました。あれは非常に不幸な事件だったと私は思うんですけれども、「キレる」というんでしょうか、自我が傷つけられるということについては、教師に対しても同じように反応するようになったと言っていいと思います。あのとき私ら大多数の教師は、それほどびっくりしませんでした。やっぱり起こってしまったかというのが率直な感想でした。ところが外の人たちにはよくわからなかったようです。あの生徒はどちらかと言えばおとなしくて、学校の中でそれほど目立つ存在ではなかった。日ごろから暴力的で教師の方が身構えなきゃいけないような存在ではなかったわけでして、そういう意味で言うと、私ら教師の実感と、学校の外の人たちとの実感とは随分ずれるなというのがあのときの感想です。

 2つ目に、今のことと多分どこかで関連すると思うんですけれども、ちょうど中学生というのは、欲望がひどくふくれ上がる時期だと私は思っています。これは昔も今も同じだと思うんです。ところが生徒たちはそれを抑える力がどんどんなくなっています。もうちょっと積極的に言うと、欲望をストレートに表現していいんだという雰囲気を強く持っているようです。ですから、教室の中に40人生徒がいると、40名の欲望がぶつかり合いますから、ある種の弱肉強食と言うと言い過ぎなんですけれども、そういうような形の世界が出現することになります。これはそのときそのときで力関係は変わりますので、そのときに非常に強い立場を持った生徒がそのときの欲望を満足させるという形になる。こういうことです。例えばお腹が空いたら何か食べるとか、あるいは授業中に自分が面白くなければCDのカセットを聞くとか、漫画を読むとか、そのときに自分がしたいことをストレートに時と場をわきまえずにやるようになったと考えていただけるといいと思います。全体的には感情の起伏が非常に激しく不安定な子どもたちが大量に出てきた。これは私たち教師にとって非常に厄介なことでして、さっきの傷つくという問題で言えば、外から見ていて、この生徒がどういうことに傷つくのかはほとんどわかりませんので、A君について、何かやったことと、B君について同じことをやったとしても、反応が全く違うわけです。それはもともとそういうことだったんですけれども、反応の仕方が余りにも違い過ぎるということが私ら教師にとっては非常に難しいことになっています。

 20年くらい前に起こった校内暴力の時代には、「ワル」というふうに鍵括弧付きで言うとすると、「ワル」と「普通の生徒」の間には大きな境目がありまして、「普通の生徒」が「ワル」になるのはかなりな飛躍が必要でしたし、「ワル」を抜けて「普通の生徒」になるというのも相当な決意がないと難しかったということがあります。ところが、校内暴力が終わって「ワル」が学校から消えたあと、全部が「普通の生徒」になった。その「普通の生徒」が時と場合によって何でもやるようになった。こんなふうな時代になったというふうに私は考えています。

 10数年前から起こっている不登校とか激しいいじめとか、自殺とか、激しい暴力とか学級崩壊などの問題は、このような「新しい子ども」たちが引き起こしていることではないか、こんなふうに私は考えています。

 ただ、これは毎日毎日そういう問題が起こるわけではありませんから、非常につらい状況がありますけれども、それはそのときに教師たちが対応しているわけで、大きな問題ではあるんですけれども、根本的な問題というふうに考えなくてもいいのかもしれない。

 私たち教師が最も問題だと思っているのは、生徒たちが中学校3年生を卒業する段階で一人前の大人になっていかない、つまり、社会的自立が難しくなったということです。生徒たちは大人になりたくないと思っているようです。ですから、義務教育が終わった段階で、高校は今基本的には義務教育ではありませんから、社会的自立がほとんど不可能な子どもたちが大量に世の中に出ていくという実態になっています。

 私も含めて学校の教師はぎりぎり頑張っているつもりなんですが、残念ながら新しく登場した子どもたちは、教育を受けつけない狭くて固い自我を持っているようで、自分の要望とか自分に合ったことについては喜んで教師と関係を持ちますけれども、そうでないものについては、1回目の会議の時にもお話ししましたように、「うるせえ、関係ねえだろう」ということで拒否するようになりました。小学校1年生のときから起こっている学級崩壊も私はそれだと考えています。子どもたちは、教育を基本的に受け付けなくなった。もうちょっと言ってしまうと、既に自分は未熟な存在ではなくて、一人前の人間であると考え始めているようです。ですから、学校においても、これは多分家庭においてもそうだと思うんですけれども、教育が非常に難しい時代に入ったのではないか。こんな感じを持っています。

 この会議には義務教育の現場の教師は一人しかいませんので、是非ここで論議していただきたいことは、教育改革をするのは、どういう問題があるからするんだろうかということです。何が最大の問題なのかということを是非明らかにしてほしいと思います。

 学力の低下については、時間がないので今のことに関係してさらっと流したいと思います。今のような生活が崩れてきたということがまず最初にあると思います。その中で、生徒たちは学校で学ぶ姿勢というんでしょうか、学ぼうという意欲を大幅に低下させているという気がします。30年前の中学生と現在の中学生を比べますと、学校での学ぶ姿勢は大きく低下していると思います。生活レベルにくらべて、授業はまだ何とかもっていると思うんですけれども、非常に緊張のない、だらっとした状況になっている。これは教える内容が問題だとか、あるいは教える方法、教師の問題だとか、そういうことも当然あると思いますけれども、それ以上に、基本的に学校というところで何を学ぶ必要があるのかないのか、こういうことが子どもも含めて親についてもはっきりしなくなっているんではないだろうか。こんな感じを持っています。

 最近は、中学校へ来る唯一の理由は、高校へ行くためということだけです。その1点だけが何とか今の公立の中学校をもたせているというふうに私は思っています。ところが高校受験だけで勉強するというのは極めて難しいことでして、多分、2割くらいの生徒はその目的で自分を維持しながらやっていけると思うんですけれども、その他の多数の生徒については、高校へ行くことだけで勉強するということは目標として極めて小さ過ぎるのではないかという感じを持っています。

 私の中学校でも6割から7割は塾へ行っているんですが、塾へ行っているのに全体的な学力は大きく低下していると思います。私が一番気になっているのは、話す能力とか文章を書く能力というものの低下です。私は社会科の教師なんですが、社会科で難しい資料を用意して、それをもとに授業をするというのはほとんど不可能でして、そういう意味で言うと国語能力の低下というのが私は決定的な問題ではないかと思っています。

 既に20年ほど前から、川越辺りの東京近辺の都市でも、小学校の1割から2割の生徒は私立の中学校へ行くようになっています。公立の中学校に見切りを付けて、私立の中学校に行くという生徒がふえているのです。私はこの点も問題にしなければいけないんじゃないかと思っています。

 学校の役割についてはもう述べる時間はありませんけれども、ただ、私が30数年教師をやっていて、やはりきちんとした義務教育は必要ではないかと思っています。いろんな目的があると思うんですけれども、やはり第1の目的は何かということをはっきりしないと、実際の学校をイメージするときに混乱するんじゃないか。

 1点だけ挙げるとすれば、やはり健全な市民と言いましょうか、健全な国民を育成するということが義務教育の最大の目標だと思います。しかし残念ながら現在のところその目標はほとんど達成不能な状況になっていると言わざるを得ません。

 そういう点で言うと、創造性を伸ばすとか、子どもの個性を磨くとかいう問題は、義務教育を考えるときには、ぜたいくな問題ではないでしょうか。

 義務教育は、基礎教育に限定して、その基礎教育についてはすべての子どもたちに健全な市民としての素養を付けるという目的できちんと行なう。そういう意味で言うと、小学校の段階からある種のエリート教育をやることについては私は反対です。語弊がありますが、私は下々のところで生活をしています。いろんな困難な家庭の子どもとか、自分を維持できないたくさんの子どもたちと毎日接していますので、そういう生徒たちの苦しさとか、生きるつらさみたいなものを第一に何とかするということが必要なことだと思っています。そういう子どもも含めて、基礎的な健全な市民の能力を持つような子どもたちを育てるということが義務教育の最大の目標だろうと。崩れつつある学校を改革をして、そういうことができるようにしない限り、(こんなことを言うのは中学校の教師で生意気だと思うんですけれども、)日本の社会そのものが非常に不安定で立ち行かなくなるのではないだろうか、そんな感じがします。

 分ほどオーバーしました。失礼しました。

【江崎座長】どうもありがとうございました。いろいろ皆さん、御質疑、御論議があるかと思いますが、2人の方を続けさせていただきまして、議論はその後にしたいと思います。続きまして、森隆夫委員からお願いしたいと思います。

【森委員】私は、座って申させていただきます。

 お手元のメモは多いんですが、簡単に話します。

 まず、戦後教育改革の流れですが、改革の出発点は、占領下にあったということを思い起こす必要があると思います。占領下で対日教育使節団報告書、アメリカから来た使節団の報告書ですが、ミッション・レポートと言っておりますが、これの勧告どおりに戦後の教育改革が行われました。教育刷新委員会という今の中教審に当たるところでいろんな答申を出すんですが、そのほとんどがこの使節団報告書の内容と一致しております。私の知っている限りでは、日本文字の代りにローマ字を採用しろというのを除けば大体行われたんじゃないかなと思います。

 メモの2.の改革の流れですが、したがいまして、民主主義を上から教えられましたので、下からの民主主義を上から教えられるというパラドックスがあったんですが、そのことが臨教審あたりから平等ということから自由へというふうに転換してまいりました。つまり、「百人の一歩から一人の百歩へ」ということでありますが、その自由という場合にほとんどは解放の自由だけ、「〜から」の自由だけを考えまして、「〜へ」という創造の自由に思いが至っていませんので、校則をなくすれば、自分の校則をつくらなければいけないということがわかっていない。制服がなくなれば、自分で自分の制服をつくるんだということもわかっていません。つまり、小林秀雄が言うように、「自由というのは、自己の能力の限界に束縛されることだ」という自由の厳しさ、自由を束縛と受け取るような厳しさがわかっていないのが現状であります。

 2)の「画一から多様」へということでありますが、制度が分権化され、多様になるのはいいことなんですけれども、日本の場合には沖縄から北海道まで「画一的多様化」の危険があります。現に今日の中高一貫にしても、各県で必ず何かつくるようにとなっておりますから、今後多様という場合に、日本のような集団依存型の国民性の国における多様化と、欧米のような個人独立型の国における多様化ということとの違いが出てくるんじゃなかろうかと思います。

 いずれにいたしましても、フォーク型と書いてありますが、これは食事のときのフォークの先が4つくらいに分かれるんですが、柄の長さというのが基礎教育でありまして、これが義務教育の教育の初めの段階で4年か6年か8年か、国によって違いますが、その先は分化する。いずれにしても、制度はそうなるだろうということであります。

 それから、3.の学力(基礎)実力(応用)ということですが、量から質へという日本の教育の流れが転換いたしますのは、平等思想の普及で全国的な教育水準が向上した時点で、大体1970年代ですが、高校進学率80%、大学進学率が30%に近づいたころから、「質」が問題にされます。それが例の中教審46答申といわれるもの、あるいはOECDの報告書が70年、日本に対するものですから、日本の教育は18歳で階級が発生するから悪いんだけれども、初等中等教育は世界の中ですばらしいという評価をしています。70年代であります。そのころ学歴無用論、これはソニーの盛田さんですが、実力は有用だといったようなこと、さらに生涯学習観が登場してきます。

 それを受けまして、新学力観というのが出て、学力論争が出てくるんですが、その後生きる力とかいろいろ言われますけれども、これは「知・徳・体」の活性化以外の何ものでもありません。先ほど総理は「体・徳・知」とおっしゃいましたが、臨教審のときには、「徳・知・体」でした。ですから、こういう違いを単なる言葉の順序じゃなくてかみしめる必要があるんじゃないかということを私は総理のあいさつを聞きながら考えていました。

 つづいて生活科、総合的学習、心の教育、これは話していると時間がないので、あとで時間があったら解説いたします。

 私にとって重要だと思うのは、Uの教育改革は人間改革ということであります。マスコミはすぐ教育改革は6・3制をどうするかという制度いじりに入りますけれども、制度を改革するのは人間を改革するための手段であって、制度を変えるのが目的ではないということであります。

 従って、教育は人間を対象としているから、どういう人間像を目指して改革するのかが問われる。人間像を考える場合に2つあると思うんですが、1つは、個人としての人間像、蒸留水のような人間像であります。これは不易でありますが、知・徳・体の調和的発展に尽きると思うんです。

 もう一つは、国民としての人間像。これはその国の歴史とか文化とか文明を背景にして考えないといけない人間像であります。教育基本法においても、個人という言葉と国民という言葉が出てまいります。この使い分けを注意した方がいいと思うんです。したがいまして、国民としての人間像というのは今問われているんじゃなかろうかと思います。

 そういうときに集団依存型の日本人の国民としての人間像に、個人独立型の欧米の人間像、又は制度をそのまま真似る危険があります。例えばアイデンティティという欧米発の言葉を日本でそのまま使っていますが、私は個人独立型の欧米のアイデンティティを集団依存型の日本でそのまま使うのはおかしいから、日本型の言葉を欧米へ輸出すべきだと言っているんですが、そういう言葉が出ません。江崎さんの本で確かこういうことが書いてあったと思うんです。アイデンティティという言葉はアメリカへ行って初めてわかったと。その理由については後で江崎さんから御説明いただきたいと思うんですが、日本にいる間はわからない。私の記憶ではそういうことが書かれていたと思うんですが。

 2.の社会変化への「適応と対応」ですが、よく教育改革は社会変化への対応であると言われますが、ほとんどの人は適応しか考えていないんです。社会が変化した。どう変化したのかと見ますと、ほとんとが国際化、情報化、せいぜい高齢化でありますけれども、国際化、情報化に教育はどう対応するかということが問われております。私は教育というのは、人間を対象とするんだから、社会を構成する人間がどう変化したかということを考えないで教育改革は考えられないんじゃないかと思うんです。経済審議会では社会変化は国際化、情報化でもいいんですが、文部省の審議会では、人間がどう変わったかということを社会変化の中で真っ先に挙げるべきだと思うんですが、そういう言葉は出てきません。

 ところで人間の変化で一番大きいのは「大人の幼児化」です。これはローレンツが言っていることですが、ローレンツが「大人の幼児化」と言ったのは文明が発達すればするほど大人は幼児化するという、非常にショッキングなことを今から30年ほど前に言ったわけです。だからノーベル賞をもらえたんだと思うんですが、キーワードは依存心の増大と耐性低下であります。

 「依存心の増大」というのは、文明というのは便利ということですから、便利になれば依存心が増大する。当然のことであります。豊かさもこれに加わります。ですから、我々は無意識のうちに文明生活を享受すればするほど依存心が増大しているわけです。ところが教育の目的は人間の自律を目指しています。自律を目指す教育と文明生活による無意識的な依存心の増大、この葛藤があるわけですが、そう考えてくると、学校というのは、子どもが学校に依存しながら自律するという非常に矛盾した組織であるということに気づきます。今日の学校が余りにも便利になり過ぎて自律できないから、もう少し人工的に不便な環境をつくった方がいいのか。いろいろ議論は分かれるかと思います。

 もう一つの幼児化のキーワードは「耐性低下」でありますが、これは先ほど河上先生からひ弱さとかいろいろおっしゃいましたが、これには2つありまして、肉体的な耐性低下は風邪を引きやすいとか病気になりやすい、転んで骨が折れやすい、いろいろあります。それから、精神的な耐性低下は忍耐心、キレる、がまん強さがないということでありますけれども、これは大人もそうなんです。先ほど子どもはキレるという話がありましたけれども、大人もキレている。教師が体罰をするというのは、あれはキレているわけです。私は知育の時間に体罰をするというのがわからないんです。知育の時間には知罰を与えるべきだと言っているんですが、知罰は何だという人には、イギリスのパブリック・スクールでラインズ(lines)という知罰に当たるものがありますから、それはいいんですけれども。それはともかくとして、大人もキレているということをここで申し上げたかったわけであります。

 それでは子どもの方は人間がどう変わったかと言いますと、大人が子どもの教育をするんですから、子どもはもっと悪くなるわけです。その悪くなる表現を少し考えたんですが、なかなかいい言葉が見つからなくて、子どもの「劣子化」と言っているんですが、これは知の劣化、徳の劣化、体の劣化に分かれる。知の劣化は、知識と知恵のアンバランスです。知識は情報化社会で増えたんですが、知識をコントロールする知恵がそれに見合ってないんです。それで文部省でも思考力とか判断力とか考えるということを言っているわけです。それはそれでいいと思うんですが、困った問題は知識と知恵のバランスが崩れると人間は相対的に馬鹿に見えるということであります。そこでいろんな社会現象が起きていると考えられる。徳の劣化は、少子化で子どもが少なくなるのに青少年犯罪が増加している。子どもはどんどん悪くなっているということであります。これは大人を通じて、不祥事や倫理観の喪失であります。体力の低下。これは毎年体育の日に発表されますので、言うまでもありません。体位(身長・体重)は向上しているんですが、体力(持久力)は低下しています。

 4.として付け加えていただきたいのは「意識変革」ということであります。

 教育改革は人間改革なんですが、究極的には自己変革しかないんです。自己変革をするには、自分でやるぞという意識変革がなければいけない。ところが、意識変革の方法論を述べた人はだれもいない。私は意識変革はショック療法しかないんじゃないかと思うんです。意識を変えるのはオイル・ショックとかバブルで意識が変わったり、学校5日制ショックでいろいろ変わったりしているわけですが、それを突然急激にショックを与えるのか、それとも日常的に無意識的に知らず知らず意識変革をした方がいいのか、これは議論が分かれるところかと思います。

 Vは改革の射程距離(国民にまで)ということですが、この会議は国民会議でございますから、国民にまで射程距離が及ばなければ教育改革とは言えないんではないかと思います。

 従来も臨教審をはじめ立派な答申が出ているんですが、理念は出ましたが理論と方法に欠けるため、これは上の方で空中戦をやっていたようなものであります。それは知的サーカスと言ってもいいんじゃないかと思うんです。サーカスというのは見るもので一般人のやるものではございません。ですから、答申は立派なのですがなかなか実行できない。まず、みんなに読まれるものでなければいけないと思うんですが、横文字が多かったりするわけでありますが、その点、消費税のような問題になりますと国民的論議になります。だから、国民にまで改革のロケットを延ばすには、学校週5日制とか、サーカスではなくてラジオ体操のようなものでなければいけない。先ほど総理の挨拶の中で、教育問題は「身近で切実な」、とおっしゃいましたが、身近で切実に日常的に考えるべきだというのが1つであります。

 2.は、すべて物事というのは原点(川上)があります。教育の原点は家庭であるというのは、これは臨教審、中教審の指摘するところであります。いつも大事なことは、1つですから、家庭教育で一番大事なのは、人生最初の教師、親の生き方であります。教育の第一歩は模倣で始まりますから、模倣と聞いたら模範を連想しなきゃいけないんですが、模範を示せる親は1%くらいしかいないと言われております。先ほどのように大人は幼児化していますから、子どもは生まれたときから模範ならざる者を模倣していますから、ますます悪くなる。学校に入るころはもう手遅れであります。

 この1番目の問題は長期的で百年の大計の部類に入ると思うんですが、2番目として家庭教育で今すぐできることはと言えば、「心の庭」づくりではないかと思います。これは会話と笑いがキーワードですが、ストレス解消は会話と笑いです。しつけが大事だ大事だと言いますが、ストレスがたまっていてはしつけどころじゃないんです。そういう意味ではだんらんの場、だんらんと言って終わるからいけないので、会話と笑いの場を設定する。どうすればいいかという腹案がありますが、時間がないので省略いたします。

 もう一つは、団地に「床の間」をつくる。これは床柱の前に座るのは長幼の序で、礼の問題。それから、親の存在感の問題。家庭の中で1か所、聖域と言いますか、聖なる場所をつくらなければ教育はできないんです。ですから、私は漫画で家庭教育をしようというのは不届きなことだと思います。ちょっと余計なことを言いました。

 学校で一番大事なことは何か。これは教師論に尽きます。教師の場合、何が今必要か、それは専門的な知識よりも、人格的な権威、マックス・ウェーバーは権威は人格的権威と制度的権威があって、両者は相互補完関係にあると言っているんですが、今、必要なのは、教師に限らずですが、人格的権威が必要なのではないか。子どもはこれに恭順というのは、納得して従うこと。今この先生の言うことに従った方が自分は得なんだと納得して従うのが恭順、これは命令・服従の中の一つの形態であると、田中耕太郎博士はこれを從順とおっしゃっていますが、こういう関係が成り立てば教育は理想的なんじゃないかなと思います。

 制度的権威というのは肩書きでありますが、学校の場合には教壇が制度的権威じゃなかったかなという気がいたします。今、学校から教壇がなくなっています。これは戦後民主主義の誤解であります。

 学校での子どもの場合には、偏差値だけではなくて、子どもの個性をもっと生かす。個性というのは「人生の得意技」なんですが、これは型に入れなきゃわからない。型を覚えるには努力しなきゃいけない。努力すると自信に支えられた得意技が出ます。山下選手の得意技は先ほどお伺いしたら、横四方固めだそうであります。これだと絶対に負けないという自信でオリンピックで金メダルを取られたんだそうであります。

 社会の大人の幼児化防止策、大人の幼児化対策ですが、これまでのように他人に依存していたのでは、ますます幼児化しますので、自分で考えるしかない。先ほど首相の所信表明演説がありましたが、私は国民も自分の所信として信念を出すべきだと。「暮らしは低く、思いは高く」、これは土光さんの信念でありますが、土光さんは、ワーズワースの詩の一節を手帳の片隅に書いておられましたが、私は名刺の裏に書くようにと言っているんですが、肩書きは表に書く、これは制度的権威ですから、人格的権威を表す信念は名刺の裏にさりげなく、小さく書くのがよかろうかと思います。

 最後に地方公共団体も何かやってほしんですが、最近東京は、心の東京革命、これで東京と聞いたら、心の革命だなと個性を表していると思うんですが、先般愛知県に講演に行きましたら、愛知の愛知は「愛を知り、知を愛する」ことですと県の幹部が言っておりましたけれども、これが政策化されるかどうかわかりません。埼玉県深谷市では1年に1つずつスローガンを掛けてやっています。ですから、たくさんのことを提起してもできないと思うんです。いつも大事なものは1つなんです。それをたくさん並べるからできないんじゃないかなという気がいたします。

 最後に「日本の個性」は何か、それを出すのがこの会議の一つの重要課題ではないかと思います。

 以上でございます。

【江崎座長】ありがとうございました。1分ばかり超過いたしましたが、大変いい話をしていただきまして、ありがとうございました。

 実はローレンツと私、同じ年にノーベル賞をもらったんでございます。

 最後に今井佐知子さん、よろしくお願いいたします。

【今井委員】それでは、座ってお話をさせていただきます。

 私の方は親、またはPTAという団体に所属しておりますので、学校現場をサポートする立場からということで、私も専門ではなく、現場でいつも実践活動をしている方なんで、なるべく実際の現状をお伝えしたいと思います。

 Tの「親のわが子への認識度と期待する子ども像」ということですが、これは次のページから数ページにわたってアンケートの調査があります。これは私が会長をしています山口県のPTA連合会のアンケートを参考として出させていただいてます。

 調査は小学校5年生、中学校2年生の父母、家族構成については核家族が7割、3世代が2割くらい、そして、子どもと一緒に過ごせる時間については、地方ですので、比較的父親は時間があり、母親は共働きが多いというケースの環境の場合の父母の思いということで聞いていただければと思います。

 3ページのところに、「あなたのお子さんの家庭教育で、最も大切だと考えておられることは何ですか」という質問があります。これは森総理も先ほど親は豊かな心、倫理観を育てなければいけないというお話がありましたが、親の思いは全く一緒でありまして、「他人に対する思いやり」、それから「基本的生活習慣」「善悪の判断」、これが最も大切だというふうに考えていて、これで65%を占めます。ここに出ている以外のことでは「感謝の心を育てる」とか「自分を大切に」「うそをつかない」とか、倫理観がとても大事だという親の思いがそこに現れています。

 その下については、現在の親子の関わりについてどうかということでは、全体で7割が親子の関わりは割に充実しているということになっているんですが、特に父親で気になるのは、年齢が上がるにつれて、関わりが少なくなってきており、余り充実していないという割合が増えてきていることです。

 次の4ページのところでは、「子どもの長所はどういうところですか」ということを聞いてます。これは1番が「明るくのびのびしている」で、小学校5年、中学校2年共に2割くらい。「素直である」「他人に対して思いやりがある」、これが全体で5割を占めております。ところが、学校教育で特に強調しています「夢や希望をもっている」「自分で考え行動できる」というような、そういう我が子の良さというのは、なかなかこのデータからは見ることができません。

 次に、日常生活で自分の子どものどういう点が気になるかということをアンケートを取ったものです。1番が「テレビ、ビデオ、漫画等の見過ぎ」「勉強しない」。小学校の場合は「ファミコンに熱中」というのが入ります。これらも、テレビ、ファミコン等を含めますと、小学生で3割の子どもたちがそれを見過ぎていて、親は悩んでいるということになります。それから、「就職、進学の問題」「勉強しない」ということは、今の塾加熱とかいろいろありますが、高校、大学の進学で、中学校になると、親は子どもたちは、大変敏感になっているのがわかります。

 ここで「その他の項目」がずっと多く出ているんですが、自分の子どもの長所はどういうところですかというときには、これだけの羅列が出てなかったんですが、子どもの気になるところはどこですかというと、これだけざっと細かい羅列が出ていて、小学校5年の段階で物の言い方がひどいとか、時間にルーズとか、返事をしないとか、私たちPTAは小中が一緒なんですが、これはその前の幼稚園・保育園と一緒に連携を取ってしつけ教育をしていかなくちゃいけないということになるのですが、実際に今、幼稚園に保護者が子どもを預ける場合、働いている親以外に、自分は子どもを育てるのが大変苦手であるから幼稚園で育ててもらうというケースがかなりあります。土曜・日曜の育児休暇というか、そういうサポートにしても、本当に働いて困っているという人も確かにいますが、それ以上に自分の時間が欲しいとか、子どもといるとストレスがたまるとか、そういう部分でサポートが利用できないかとう母親も増えてきています。

 問7なんですが「あなたは、子どもの学校での様子を知っていますか」。これは、余り知らないというのが4割あります。ここは父親と母親に差がありまして、やはり学校というのはどうしても母親の方がいろいろな子どもたちの細かいことについてサポートする現状がありますので、母親については余り知らないというのが3割くらいになるんですが、父親は小学校で5割、中学校で6割、自分の子どもの様子がよくわかっていないということがこのデータから読み取れます。

 次に、PTA活動を通じて学校教育に望むことですが、私どもの活動の目的は、主に学校教育を理解し、振興すること、また、児童・生徒の健全育成の2つに要約されますが、今、実際親は自分の子どものためなら何でもするんですが、例えばPTAとか全体のことをやる役員にお願いということになりますと、非常に損得勘定を計算されて、そういうことは自分の得にならない、忙しいから嫌だという親がほとんどで、そういう親というのは学校になかなか出てきません。そういう家庭において、子どもたちが問題を起こすケースもよくあることは、学校に携わっている関係者ならわかるところです。また、学校と連携を深めると、学校についていろいろなことを見聞きしますので、そこの辺についての問題意識も高くなってきます。

 これから学校教育というのは総合的学習の時間等が導入され、学校の枠を大きく超えて、地域と連携をしながら、本当に子どもたちの学ぶ力というものを深めていかなければいけない。そういう状況にあり、先ほどのデータ等も含め、私は一番学校の近くで携わり活動して思うことは、学校の情報発信が非常に少ないということと、伝わり易さの工夫が必要だということです。これはどんな方針でどんな児童・生徒を育成したいのか、保護者や地域の方に、もっとわかりやすく説明をしなくてはいけません。例えば入学式で校長先生を含めて先生方、「お子さんをお預かりする」という言葉をよく使われます。このお預かりという言葉は子どもの教育すべてを預かるという意味なのか、知識の伝授という側面に限っての意味なのか、聞く側からすると非常にあいまいで誤解のもとになります。個性化についてもそうです。基礎・基本についてもそうです。先生方の中では本当によくこの言葉が出てくるんですが、それをどこで、どういうふうに親に伝えているのか、今、ほとんど学校の様子を中学校の父親で6割が知らないという現状を認識してほしい。

 また、これについては先生方の勘違いもあり、先生方は保護者はよく知っているというふうに思っております。子どもから伝わっているんじゃないかと思っていらっしゃるんですが、意外に学校のことは子どもから伝わって来ず、特に学校関係に携っていない限りは、親には今学校で子どもたちがどういう状況なのか、今日はどういうことがあって、どういうことを指導したのか、そういうことがわからない状況になっています。義務教育ですから、これについては伝える責任、そして親を育てる責任があるのではないかと思います。

 それから、授業のわからない子どもについては、この間もお話ししましたので、やはり基礎・基本の徹底をしてわからない子どもをなくしていただきたいということで終わらせていただきます。

 Vに「五感から二感の時代のなかで」ということを書いてありますが、子どもを取り巻く社会環境というのは、今までは臭うとか味わうとか触れるとか聞くとか見るとか、そういう時代から、今情報化の進展ということで、ほとんど子どもたちというのは、聞くと見るの時代に移ってきています。人として大切な感じる力というか、感性というか、そういう発達が非常に阻害されやすい環境にあります。子どもたちは具体的な事柄の関わりの中で感動したり、驚いたり、考えを深める中で、自分の思いを育んでいくことは、皆さん既に御承知のことだと思います。でも、今の子どもたちに私たち大人は親の働く姿さえ見せないで、経済生活を成り立てているわけですから、大人の社会の影響を一番受けたのが子どもたちであって、その子どもたちがたくましく生きていくには、社会が一丸となってこの子どもたちを育成するという取り組みが必要だと思います。

 次に載せています資料は、私の家業が山口特産のかまぼこをつくっております。そのかまぼこづくりというのを、私は10年前から地域の子どもたち、ちょうどふるさとの特産品を学習する小学校3、4年生を対象に毎年100人、これまで1,000人の子どもたちを教えてきました。魚の三枚おろしからするわけで、子どもたちは本当に今、そういう臭いがあるものとか、なかなかはじめは、山口の地方にいても触れない子どもが多いんですが、やるうちにどんどん喜びを感じ初めて、また、次の年も来たいと来たいと言って、参加をしてくる子たちもたくさんいます。これは私は一企業人として、やはり自分が物づくりというものを通して、子どもたちと触れあいながら、自分たちの企業理念を伝えていきたいということ。それから、先ほども言いましだか、聞いて見て、触れてつくる楽しさ、そういう喜びを体験させながらふるさとを感じる育成をするということ。そういうことを目的に私は体験学習を主催しています。参加者の感想ということで、小学校3年の男の子の詩のような感想文を載せています。これを見ていただいたらわかると思いますが、本当に子どもにとっては初めての出来事で、心を動かされて、こういう感動する文章になったと思います。「ちょうおばちゃんがかっこえかった」「ちょうおじちゃんがかっこえかった」。地域の中で学校では見ない大人を見ることによって、子どもたちは自分の中の心の栄養をそこで取れるのではないかなと思います。

 このようなさまざまな生活体験、社会体験、自然体験をサポートすること、または近所の子育てに奮闘中の若い両親に気軽に話し掛けたり、相談に応じたりとか、そういうようなことも含め、簡単な、ひとり一ボランティア活動みたいなことも、この国民運動の中で展開できればありがたいと思います。

 最後に、これは改めてこれからの教育で重視していただきたい事項ということでこの3点を挙げさせていただいております。

 「敬う」ということ、今生命が本当にコントロールされてきて、科学の時代を迎えて、大変言葉は悪いですが、いろいろなものをつぎはぎしていけば、命が長らえていく、そういう操作もできるという世の中になってきて、本当の意味での私たちが持って生まれた「命」というものに対しての「畏敬の念」というのが失われてきているのではないかという気がいたします。

 それから、「死をみつめる教育」の実践。核家族化の進行、あるいは病院施設での身内との別れというのは、本当に子どもの死別の体験を乏しいものにしております。ある人たちに伺いますと、人生で死別の体験というのが、一番その周りにいる人たちの心の成長の糧になるということも聞いております。私自身、祖母が去年亡くなりまして、私の息子はひ孫に当たるわけですが、葬儀のときも学校を休ませました。納骨の儀のときに、お墓の中に息子が入り、祖母のお骨を納めました。そのときに代々ある骨壷を見まして、何となくそこで子どもが自分たちというのが命がつながっているんだということを感じたようで、「いい体験をさせてくれてありがとう」と子どもが言いました。こういう体験が自覚できる環境を整えてやりたいと思います。

 それから、「価値観の教育」ですが、今、価値観が多様化していると言いますが、私はむしろ本当の意味での価値観を持っている人というのは少ないと思います。周りがするから自分もする、隣がするから我が家もする、という横並びの物差しではなくて、我が家、夫婦、自分の自信と誇りを持てる生き方の尺度というのを是非推進していただきたいなと思います。

 以上です。

【江崎座長】ありがとうございました。

 それでは、皆様から御自由な発言をいただきたいと思いますが、その前に、この前欠席された委員がお2人いらっしゃいまして、大宅映子委員と河合隼雄委員でございます。

 それでは、この前全員が3分くらい話したわけで、3分の話というのは一番難しい話なんでございますが、まず大宅委員からお願います。

【大宅委員】この前は先約がありまして、どうしても伺えませんでした。

 私、教育のことについては、だれでも何か言えるので、逆に言って難しいなと思いますが、私は今みたいに論じている場合ではなくて、どこからボタンを押すのかと、やらなきゃいけない時期に来ているんだろうというのが一番最初のことです。

 もう一つは、さっきから話も出ていました豊かさの中でものすごく変わっている。なのに、日本の制度とか組織とか考え方が変わっていないというところに問題があると思うんです。つまり、「生きる力」と言うわなきゃいけなくなったということなんです。「生きる力」というスローガンが出てくるということは、生きる力がなくても生きていけるようになったということなんです。

 例えばフィリピンのごみの山で生きている子たちは、ごみを集めて、それを売ってお米を買わない限り生きていけないわけです。日本の子は考えなくても生きていけるし、大人もほとんどそうです。だれかにぶらさがっていたらほとんど月給は下りてくるような形になっているわけですから。

 そこまで豊かになったんなら、一人ずつが本当に自由に生きられる形になっていければいいのに、相変わらず国民ですね。国のための人材みたいな形で画一的な組織のままですし、こちらの側も順番にいって、6歳になったら小学校へ行って、中学へ行って、18歳になったら大学へ行って、大学へ行ったら会社と、これがみんな普通だと、これが当たり前だと思い込んでいるわけです。この硬直性。本当は両方うまくいくはずのことがそうなっている。

 私は実はみんなが一直線の中で、価値観が一つで、できない子がいるとかわいそうという発想ですね。さっきも小学校からエリート教育はだめだというふうにおっしゃったんで、ああ、やっぱりそう言っているからだめだなと一瞬思ったんです。つまり、画一的教育はよくないと言いながら、今の日本の状況で、弱い子がいたり、かわいそうな子がいたら手を差し伸べなきゃいけませんよねと言われたら、だれもがそうですと言うしかないわけです。そんなことはないだろうと言ったら非国民扱いにされてしまうという状況があって。では、私はそのかわいそうな子を放っておいてと言っているんじゃないんです。それと同じ思想で、では、ものすごくできる子は放っておかれていいんですか。それは差別なんじゃないですかというふうに私は思うわけです。

 例えば英語の公用化みたいな話が出ていますけれども、日本人全員が国際人になって世界中で競争する人になるなどという必要は全然ないんです。それもありっこもない、なれっこもないわけです。つまり、カール・ルイスがいたら、カール・ルイスはオリンピック用に別立てで訓練して、よろしゅうござんすねという国民的合意が私は欲しいんです。じゃない限り、改革しようという度に、こんなかわいそうな子はどうするのだ、という声が上って多様なことを認める様にならない。日本人はどうも取って代わるという発想になりがち。じゃ、走れない子にも全部走らせるんですよとすぐ言われる。じゃなくて、走れる人にはどうぞ走ってください。私はのんびりして、そんなあほらしいことはしたくありませんという人はやらなくてもいい。「いろいろあらあな」なんですよ。

 「いろいろあらあな」ということをみんなが認めてくれれば私はいい。健全な競争というのは当然あるべきだと思います。というふうに私は思っているんですが。国民にエリートというのを育てていいですね。必要だと思うんですけれどもということが納得していただけないとするとかなり難しいという気が私はします。

【江崎座長】ありがとうございました。

 それでは、プロフェッサー河合。

【河合委員】この前は風邪を引いて申しわけございません。

 私が思っていますのは、皆さんと一致しますが、倫理観の問題というのは非常に大事であると思っております。今、大宅さんも言われましたが、豊かな時代になったときの倫理観というのを我々は身に付けていない。物がないときはどうするか、非常によく知っていたんですけれども、そういうこと。

 それから、倫理観というと、どうしても背後に宗教の問題が出てくるので非常に難しいんですが、そういうことがあって、この問題は大事であるけれども、うっかりものを言うと上から押し付けるという形になりますので、そうせずに国民的論議というか、国民全体の関心の中で倫理とか宗教ということがどうすれば考えられるようになるのか。その方法を御一緒に考えたいなと、まず思っております。

 次は、学校の先生の問題ですが、先ほど森先生のお話を聞かせていただいて、基本的に全部賛成でございますが、先生もおっしゃったように、教師の人格的権威と言いますか、教師をどうするかということなんですが、スクール・カウンセラーというのが大分学校に行っておりまして、私はその人たちから話をよく聞くんですが、面白い先生とか立派な先生というのはたくさんおられるんですね。ところが、悪いことをすると新聞に載るんですけれども、良い先生は新聞に載らないという非常に残念なところがあります。

 カウンセラーたちが言っているのは、昔のあれできておられますから、本当に生徒にどう接したらいいかとか、もう少しこうすればいいということを研修されたり、勉強されたらすごくよくなられるのに、機会が少な過ぎると。というのは、今までの研修というと、どうしても知識的な研修が多いんです。上からバッと講演を聞いたり、我々もそういうことをなるべくしないようにしておりますけれども、講演だけして逃げて帰るような研修はもうやめて、もっと体で覚える研修ですね。そういうことは我々も関係しておりまして、大学院でもそういうことができるようになってきました。実習とか、例えばボランティア活動というのも、単にボランティアに行くんじゃなくて、もう少し組織に行って、どういう経験をして、それは自分にとって教師としてどういう意味を持っているのかという教育をむしろ大学院でやってもらうと。知識よりもまさに体で覚える徳育と言いますか、そういうふうなことを考えれば、私は小学校の先生もマスターを出てからくらいでいいんじゃないか。大学を出てすぐに小学校の先生をされるのは、今は私は無理なような気がします。本当に気の毒ですね。そこで、もっと体験を積んで、そういう方がなれるということにしてはどうか。

 そんな点で、私はスクール・カウンセラーなどのことをやっておりますので、今、子どものことは、文部省だけではなくて、実は警察も厚生省も労働省も裁判所もみんな関わってくるんですね。全部が関わっている中で、そういう心の問題をしている人間が、一体どこの省の方と相談したらいいかわからないという状況にありますので、こういう非常に広いところでそんなことも論議していただくと非常にありがたいと思っております。

【江崎座長】どうもありがとうございました。

 それでは、皆さんから御自由に発言していただければ幸いかと思います。先ほど3人の方に話していただきましたし、今、大宅さんと河合さんにも話していただきまして、どの分野でもよろしいですから、どなたか御意見ございますか。

【勝田委員】つまらぬことですけれども。

【江崎座長】つまらないことではなしに重要なことを。

【勝田委員】重要なことはまたね。教育基本法の問題とか、哲学的な問題を後日お話しさせていただきます。今は報告していただいた先生方にとっては非常につまらぬことかもしれません。

 一番最初は河上先生のお話を聞きながら、中学校のことを対象にしておっしゃったんですけれども、全部の特徴とは申しませんが、かなりの特徴はもはや大学生にも表れているような気がして仕方ないんです。はっきり言って、無気力ですし、だらしがない。ジベタリアンと言うんですか、そういう男女が現れています。やる気が果たしてあるのか。勉強する意欲がどこまであるんだろうか。私は立場上同僚たちに魅力ある講義をしてくださいよと一生懸命言っているんですけれども、教師の方にも問題があるかもしれませんが、本当に勉強しようというモチベーションがあるのかどうかと思われる青年が多いですね。

 ちなみに、私の同僚で、これは比較的若い教授ですが、立派な哲学者です。最近ドイツのフンボルト大学、昔のベルリン大学ですね。彼はカント哲学が専門ですが、西田哲学についても造詣が深い方です。彼はこの由緒ある大学へ研究のため留学して、帰ってきてどうだったかと聞きましたら、なにしろ昔のベルリン大学ですから、昔はフィヒテも教え、ヘーゲルも教えていたんでしょうね。そういう一流の哲学の学者たちが教えていた大学のことですよ。ドイツ人の学生たちが哲学の講義を聞きながら、平気でハンバーガーを食べていると言うんです。更にジュースを飲む。ただし、日本のように他人に迷惑な私語はしない。講義が難しかったり、面白くないと、すっと立ち上って出ていくというんです。これは驚くべきことだと思って、親しいドイツのプロフェッサーたちに聞きましたら、ずっと前からそういう状況がドイツで始まった。あなたの日本の大学はどうかと。日本も同じですよという話になりまして、結局、ドイツのプロフェッサーたちの言うには、ドイツの大学の水準は今では高等学校に落ちた。高等学校が中学校に落ちたと。日本も同じですよと。そういう有様になったという報告がございました。

 ですから、私は先ほど大宅先生がおっしゃった平和で豊かな社会においては、ドイツも日本も青年学生の行儀作法はだらけてしまったという状況になっていると思います。

 そこで最後に、森先生がどこかでおっしゃったんですけれども、ショックを与えなきゃいけないということをおっしゃいましたね。教育改革もいいけれども、まず意識改革だと。意識改革のためにはショック療法が必要だと。私はそれに賛成なんです。では、どういうショック療法をしたらいいかというと、過日私は席が大分離れていたのでよくわからなかったんですけれども、曾野委員が18歳になったら全員社会福祉をさせたらいいと、曾野さん、そんなふうにおっしゃったんです。兵役の代わりにやったらどうだという御意見、私も基本的にそれもいいと思いますが、それと選択するという意味で、半年間くらいは国がいろんな意味で面倒見て、平和部隊という、ケネディがやりましたね。あれと似たようなことをやって、どこか貧乏な国へ派遣し、貧乏を味わさせたいと思うのです。そういう平和維持。

【江崎座長】海外青年協力隊。

【勝田委員】そういった制度を設けて、せめて半年間くらい放り出す。昔から「かわいい子には旅をさせよ」と。そういうことをさせていいんじゃないか。それがいやだという人は、曾野委員のおっしゃるように社会福祉の方で汗を流させるというのもいいんじゃないかなと思います。

【江崎座長】ありがとうございました。

 意識改革、ショック療法、確かに海外青年協力隊、その他で海外を見るということはいろんな意味でショックになると思います。ほかにどうですか。

【山下委員】質問なんですが、河上委員のお話、非常に深刻な話だったんですけれども、前にちょっと聞いたんですけれども、大体アメリカで起きている問題が、10年から15年くらいして日本の教育の問題になっていると。アメリカで1990年代の教育の現場で問題になっていることが、まず1つが麻薬である。2つ目がアルコール。3つ目が妊娠。4つ目が自殺。5つ目がレイプ。6つ目が窃盗。7つ目が暴力。

 だから、本当に似てきているんじゃないかなという気がしたんですけれども、これは1990年代のアメリカの教育現場の教師が抱えている一番の問題と、それに近づきつつあるんですかね、河上先生。

【河上委員】アメリカの状況はよく私はわかりませんけれども、挙げられた中で、窃盗と暴力はかなり広範に中学校には広がっていると思います。それから、麻薬については、中学校では極めて少ないと思います。アルコールも少ない。たばこはほとんど抑える力は学校にはありません。たばこはうちの中学校辺りでも5割は吸ったことがあると考えていいんじゃないでしょうか。教師の目の前で吸っても、吸っていることが悪いとは思っていない生徒もでてきて、これは指導の対象としては非常に難しいですね。自殺については、いじめが原因であると必ずしも規定できないと思いますけれども、この10数年、かなり日常的に多くなっていると思います。ただ、マスコミが騒がなくなっただけです。レイプ、妊娠については、これはほとんどありません。これからそうなるんだかどうかわかりません。

【江崎座長】ちょっと私からコメントさせていただきますと、アメリカはどうかということはいろいろ問題があるんです。アメリカというのは非常に幅の広い国でございまして、そういう問題がほとんどない立派な中学校も大いにあるということで、アメリカがこうだということは。

 もう一つは、アメリカというのは時間的な変化が非常に激しいということで、その点につきまして、私からちょっと質問しますと、河上先生がおっしゃったことは、日本全体の問題なんですか。かなりローカリティーと言いますか、日本も非常に多様化しているのが日本のことだと思います。

 私ちょっと疑問であるのは、国際教育到達度の表みたいなものをいただきまして、ちょっと読みますと。

【町村補佐官】資料5です。

【江崎座長】「教育を取り巻く現状に関する資料」というのがございまして、それの28、29ページ、これを見ますと、細かいことは申しませんが、平成7年度で日本はかなりいいところで、これは数学と理科でございますが、58年、45年から比べますと、若干順位が落ちておりますが、しかし、世界第3位でございまして、かなりいい成績を取っておるということを見る。これがどれほど実があるかわかりませんけれども、こういうのを見ますと、必ずしも日本はそれほど教育悪くないという感じを持つんでございますが、今、河上先生がおっしゃったこと。

 それから、もう一つは、学級崩壊とかいうことでございますが、先生のおっしゃった、7、8割は塾に行っているということをおっしゃる。塾というものでは学級崩壊というものは多分起こっておらないんじゃないかと思うんですが、どうして塾では学級崩壊が起こらないで、学校で学級崩壊が起こるかというようなこと、私、全然両方とも知りませんから、話ししていただければ幸いだと思います。

【河上委員】状況は一般的であるかどうかという点については、私は一般的だと思います。昨年出した「学級崩壊」という本が変に売れまして、全国あちらこちらから講演を頼まれて、北海道から九州まで、大都市から山村の小さな町、村に伺いましたけれども、状況に対する危機感というのはほとんど同じです。

 県名を挙げるのはどうかと思うんですけれども、先日島根県の中国山脈の山の中の小さな町へ行ったんですけれども、そこでは町ではまだもっていると。ただし、町から下りてこちらの都市とこちらの都市、両方とも学校は混乱状況にあるというお話を伺いました。この町の人たちが、うちがいつそうなるのかという危機意識をもって呼ばれたわけです。行って1月も経たないうちに、出雲の近くの町の校長が学校の混乱の責任をとって自殺をなさったという新聞記事がありました。これは行ってすぐの記事でしたから、非常に私もショックを受けたんです。

 それから、学力の低下について、私はこういう調査と自分がいるところの実感とのずれが随分あるという感じがするんですが、実感としては、ともかく30年前の生徒たちの勉強に対する姿勢、平均点がどうのこうのという問題は私はよくわかりませんけれども、そういうのと比べると、ともかく勉強に対する姿勢は大きく低下しています。自分から学ぼうということはとても少なくなっている。先ほど申し上げたように、特に国語力の低下は私は激しいと思っています。

 それから、塾についてはこれは時間がないから細かくは言えませんけれども、塾についても、場所によっては学級崩壊状況が起こっているようです。ただ、塾は自分で金を払って行くわけです。向こうはお金を取って預かるわけですから、そこが学校と違います。それから、学校で一番崩壊しているのは、生活レベルのことの崩壊が激しい。授業はまだよくもっていると先ほど申し上げましたけれども。塾は生活の指導を行いませんね。社会性とか人とどう生きるとか、生活のしつけの問題とか全くやらないと言っていいと思います。純粋に高校受験なら高校受験のための学力とか補習とかに限定していますから、これは公立の学校の役割と全く違うと思います。つけ加えると、塾がまだ安定しているのは、学校がまだ生活の教育をしていることが力になっているかも知れません。

【町村補佐官】義務教育の無料がいけないんですか。

【河上委員】それは先ほど申し上げたエリート教育とも絡むんですけれども、最低限の市民的資質とか国民的資質は、国がすべての子どもに要求すべきだと思うんです。しかし、今の状況で言うと、大多数の子どもも親もそういうものを身に付けなきゃいけないということは思っていません。自分の利益とか欲望を満たすための学校という意識はありますけれども、しかし、人と一緒にどう生きるのかとか、あるいは他人のためにひとはだ脱ぐとか、そういうことについてはほとんど価値としてない状態です。そういう意味では有料にするとか何とかいう問題よりも、国がそういうものを国民に要求すべきか否かという問題の方が重要です。

 エリート教育については、これは中学校の現場での感じで言うと、一緒に生活している中に、いろんな子がいるわけです。そういう子と一緒に生活をしたという体験がない人が、果たしてエリートになって、リーダーとして優秀なリーダーになり得るのか。木村先生がおっしゃっていたんでしたか、ヘゲモニーを求めないリーダーを育てるには、一定の期間、何年必要かどうか私はよくわかません。ただ、一定の期間、学校に来られない生徒とか、非常に暴力的でうまく枠組みに入れない生徒とか、いろんな生徒と一緒にいる中で、この子たちと将来一緒に大人になるんだよという体験をさせないと、本当のリーダーになり得ないんじゃないかという感じを強く持っています。私はエリート教育はいけないとは思っていません。ただし、基礎レベルについては、一定の期間、あらゆる子どもたちと一緒に生活する体験が重要だろうと思っています。

 以上です。

【木村委員】先ほどの江崎座長の最初の御質問の関連ですが、私、少年犯罪だとかクラス崩壊の全国的な分布状況を中央教育審議会の心の教育についての審議の際に調べたことがありますが、驚くべきことに、全国でほとんど同じパターンであることが分かりました。大都会に集中しているということはありません。警視庁の少年犯罪の専門家からも詳しいデータを見せられましたが、全国どこでも起きているというゆゆしき事態におもいます。

【クラーク委員】座長がおっしゃったように、外国と比べると、日本は学力が高いのです。でもこれは高校までの話。問題は大学です。大学で急に下がっているんです。深刻な問題になっている。

 確かに、みなさんがおっしゃったように、外から見て、勝田さんがおっしゃったように、大学生も含めて、何か態度がおかしいです。無気力とか、自主性がないとか。これはどこか教育制度に何か欠けていることが理由ではないか。しかし、親が悪いとか先生が悪いという話になる。でも、親と先生は教育制度の産物なんです。だから、もともと教育制度の何が悪いかと言えば、外から見れば、子どもたちはほとんど社会との接触がない点です。だから、さっき今井委員がおっしゃったように体験教育、ちょっとだけの経験でも、小さな人間革命が生まれたんです。

 だから、学校とか家族がしっかりするよりも、社会がもっとしっかりすべきなんです。ではどうしたらいいか。1つは平和部隊とかいう案もありますが、問題は、日本の社会は強制力がないです。外国だと大きな役割をもつのは、1つは宗教なんです。日本はそういう役割はない。

 もう一つは、オーストラリアで非常に子どもの体験教育で大きな役割を果たしているのはボーイスカウト。なぜか日本はボーイスカウトは弱い。このごろボーイスカウトの人数は減っています。文部省もケチでお金を出してくれない。もっとも文部省がお金を出さなくてもいいんです。外国だったら自主的に発達するんですけれども、日本だと活性化させるために何か手を打たないとますます滅びてしまう。

 小さいことなんですけれども、夏休みの間、学校のプール、だれも使っていないで閉鎖しているんです。外国だったら夏休み中は完全に泳ぎ放題、溺れ死んでしまっても自分の責任でやるのです。日本は過保護社会ですよ。カプセルの中で、箱の中で育てられています。これはどうすべきか。子どもを社会に出して、いろいろ経験を得て、社会にはこういうりっぱな人もいることを学ぶようになる。日本は何でもリードしようとする。やっぱり共産主義社会ね。自由に社会に出していろいろ経験させて、ある人は教師になる、学者になる。子どもたちをもうちょっと自由にさせて、学校の役割は教科を教えるだけにする。モラルの面は学校の代わりに社会が担う。日本の社会すばらしい社会でしょう。外国と比べれば、麻薬とか銃とかはまだ少ないし。

 問題は、子どもは昔は情報社会とほとんど接触がなかったんです。だから家庭と学校という箱で育ててよかったんです。今は社会の悪い影響ばっかりどんどん子どもの中に入っているんです。テレビとか漫画とか。アメリカも同じ問題がありますけれども、アメリカでは子どもは社会に出て、そういう悪いものもあればいいものもあることを学ぶのです。奉仕活動とかボーイスカウトとかボランティアを通して社会のいい面と、両方経験するんです。日本の子どもは悪いものばかり経験する。それでだんだんとおかしくなったんではないかと思います。

【江崎座長】ありがとうございました。

【河野委員】お3人の方が大変いいスピーチをしていただいたと思うんですけれども、殊に今、河上さんのお話がありましたけれども、「新しい子ども」たちというんですが、言わば普通になってきたという、ちょっとショックなんですけれども、今後を考えると、そういうことを前提としてこの教育改革をするのか、あるいはそういうものをまずなくしてやるのか、いろいろな考え方があると思うんですけれども、いずれにしても、そういうことを分析をして、評価していく必要があるんじゃないかと。できればこういう会議でそういうところまで具体的に踏み込めればなと思っています。

 私が言いたいのは、海外子女教育ということを私はやっているんですが、そこで気になるので、校内暴力とかいじめとか、そういうものがどうなっているのかということを、私が行ったときも聞いてもいますし、また、帰ってきて相談員をやっている学校の校長さんはじめいっぱいいるので、聞いてみたんですが、そういうことは聞いたことはないと言うのです。日本人学校というのは全部で96くらいあるんですが、それから補習授業校が185くらいあるんですけれども、そういうものでそういうことは聞いたことはないというんです。

 それは一体なぜなんだというのを先生にピックアップしてもらいましたら、1つは、子どもたちが学校というものに非常に生きがいを持っているんだというんです。2番目が、非常に自主的な自由な運営をやっているんで、自己規制が働いて、学校が規制する前に自分の行いを、ルールを決めているということ。それから、先生と子どもが密着度が高いと。子どもは6歳から15歳という年のレンジでやっているんで、非常に縦社会と言いますか、長幼序とか、縦の指導というものの関係がうまくいっているんだと。それから、規模が日本のように40というよりも、一律ではなくて、どっちかというなら少人数でやっておるということ。それから、海外にいるんで、非常に親の家庭環境が大体似ておるということでありまして、海外ではどうしても行動する場合に家族単位で動いているものですから、ジャカルタの中学3年の生徒さん達に聞いてみたところでは、一番尊敬しているのは自分の父親だというのがナンバーワンなんです。ですから、海外にいると時間的にも両親と接することが非常に多いということが言えるのと、海外というのはある意味では緊張感があるんじゃないか。

 よく行ってみますと、補習校などは土日やっているわけですから、結構親たちが図書館の運営をやったり、子どもが迷わないように番をしていたり、いろんなことを親がやっているんですね。そういうものを子供達も見ているかなという気がするんで、そういうことを考えると、同じ日本人でございますので、環境をつくれば、今言ったような暴力とかいう問題もある程度は防げることになるんではないかなということを感じました。

【江崎座長】ありがとうございました。今おっしゃったのは外国の。

【河野委員】日本人学校です。

【江崎座長】土曜日だけやっている。

【河野委員】それは補習授業校です。

【江崎座長】それでは、田村さん

【田村委員】大変いいお話をお伺いしたんですが、実は私どもの学校法人の理事にイギリス大使が入っていまして、イギリスの学校を経営している関係で大使が入っているんですが、つい最近彼と会いましたら、日本の学校は非常にうまくいっているよ。イギリスは大変なんだと。初等・中等教育の話なんですけれども、事実それは私どもわかってはいたんです。河上先生非常に苦労されていますけれども、イギリスのひどい学校などに比べたら、拳銃で殺される先生が出たりしているわけですから、まだまだそこまでは行っていないと。

 ただ、是非この会議で確認しておかなきゃいけないと思いますのは、そういった社会の変化、豊かさというものがそういったものをもたらしているというのははっきりして、問題点を明確にする必要があるんですけれども、今、進んでいる初等・中等の教育改革の流れとそれとは別なんです。これはもう時代が要請しているということです。

 私、1週間前にシンガポールから帰ってきたんですが、今、初等・中等教育改革で3つの柱を言っています。シンガポールという国は、今一番話題になっているのは何かというと、テレビで最も人気のある番組が1週間か10日くらい前に突然中止になったわけです。その理由は、あそこは英語が第1公用語ですから、主人公がシングリッシュという変わった英語を使うわけです。それを非常に面白くやるものですから、それが人気で視聴率は最高だと。ところが、10日くらい前に突然それが打ち切られたわけです。理由は、主人公は英会話学校に行ったということで打ち切られたわけです。これができる国なんです。国としてちゃんとした英語をしゃべろうという考え方が教育の面にきちっとできる。これは日本では絶対にできないんですけれども、そういう国でも初等・中等教育についても3つの柱。1つは、教えながら考える。考えながら教える。2番目が、学際的な教育というものをこれからつくっていかなきゃいかぬ。教科を独立させない。なるだけ融合させていく。日本で言うと総合学習的な考え。最後が、ナショナリズムの高揚です。これは民族的な伝統とか文化というものをはっきりさせるということを世界中の国が、文化の面で今求めていることだろうと思うんです。

 これらは考えてみれば、教育改革の流れなんです。それと今の問題と混同しない方がいいということをここで確認しておかなければいけないと思うんです。

 例えばエリート教育をやるということは、子どもたちが変わってきたこととは別に、やはりやらなければならないことだと私は個人的には思っているんです。日本は余りにもそれを今までやらな過ぎたんだと思うんです。やらなければいけない。それは子どもがこういう大変なときだということとは関係ないというふうに考えておかないと、世界から遅れてしまう危険があると考えるものですから、その点だけちょっと申し上げたかったんです。

【江崎座長】ありがとうございました。

【金子委員】私は小学校の現場はまだ1年間なんですけれども、慶応幼稚舎は今年は先週の金曜日に始まりました。その日の出来事を手短かに話したい。その日に入ってすぐの1年生の男の子と女の子がじゃれ合っていました。女の子は背が高くて、男の子は小さい。からみ付いていって、女の子が突き飛ばすということを5、6回やっていたら、そのうちに男の子が床に頭を打ち付けて泣いてしまったんです。女の子はちょっとびっくりして、私はしつけをしなきゃいけないななどと思って女の子に「謝りなさい」などど言ったんです。そのときその男の子は、6歳ですね、べそをかいていたんですが、私が「痛いの痛いのとんでゆけ」とか言っていたら、ちょっとめそめそしながら、みんなに向かってOKサインを出したんです。これにはすごくびっくりしました。彼の頭の中に、すごくいろんなことが回っていて、ものすごく回復力があるなと感心した。はじめはびっくりして、泣いてしまったんだけど、すぐに相手に対する配慮を考え、それからおちゃめというか、そういうところを表現するのに、大丈夫だよというのを口で言うんじゃなくて、OKサインを出した。私はすごく勉強になった。その子の名前を聞いて仲よくしようと言って、次の日、早速教員室に来てくれた。河上さんの話はよくわかるし、大学も各委員の言うようにそのとおりなんですけれども、子どもというのは関心を持ってあげるだけで、またよく見てあげることで、ものすごく大きな力を発揮するんじゃないかと思います。

 そういう力が中学、高校、大学でだんだんなくなっていってしまうとしたら、これは大きな問題だなと思っています。

 この会議で討論することなんですけれども、大きな概念とか観念、意識改革ということも大事だと思います。しかし、それと共に、先ほど大宅さんが言っているように、具体的にボタンを押す必要もあるなと思っております。

 例えばですけれども、教員採用の弾力化があります。私がいい小学校の教員かどうかはわかりません。多少の自信はあるんですけれども、いろいろな人をどんどん採用できるかということですね。小学校の免許はなかなかとるのが大変ですから、いい人がいてもすぐには入れられない。今までは、免許でもって最初の入り口を厳しくして、それから指導要領で内容を、教科書を検定するということで、国が品質保証していたわけです。その結果は必ずしもうまくいっていない。ではそれらを全部やめた方がいいか。そうではない。品質保証しないということはあり得ないわけです。

 例えばアメリカで最近重視されているような統一テストをして、その点数で品質コントロールをするかというと、これも必ずしも私はいいとは思っていません。それに代わる方法は何かということを提案していかなきゃいけない。

 私の考えを短く言うと、ある意味での「地域でのガバナンス」というか、学校や地域の自主性を―これは今までの日教組的な教員自治的発想ではなくて―本当に地域が自分たちがガバナンスに責任をもつという、それはNPOなども含めてですけれども、そういう形で学校を運営するというアプローチです。そういう方法があるんじゃないか。品質保証をするかしないかの問題ではなくてどうするかという問題で、今のように国が入り口を固め、内容をこと細かく指定し、教科書を配ってさあ自由にやれということでは、うまくいかないんじゃないか。では、全然品質保証がなくていいかと言うとそうではないと思います。

 先ほど、塾ではどうして学級崩壊が少ないのかという話が出ました。町村さんからお金を取ればいいのかという半分冗談の発言がありました。学校は国が運営をする、教育委員会がコントロールするというこれまでのやり方に対するもう一つのチョイスは、市場に任せるということではないと思うんです。やはり初等・中等教育は市場に任せるということではうまくゆかないと思います。

 例えばですけれども、バウチャーの発行という選択もある。要するに、サプライ・サイドにお金を渡すのではなくて、ディマンド・サイドに渡すということですね。しっかりとした地域ガバナンスができているところはよい教育が行なわれる。家庭はよい学校を選べるようになる。どこに国がお金を使うかということも検討をすれば、大分変わるんじゃないか。

 ということは、我々は、教育基本法は検討しないということではなくて、それはしていいと思うんですけれども、むしろ組織と運営に関する法律がありますね。地方教育行政の組織及び運営に関する法律のあたりがかなり細かく規定しているので、例えばこの法律はちゃらにする。それを前提とせず学校を考えることが重要です。品質保証しないということではなしに、それから市場に任せるということではなくて、第3の方法を提案していくんだといった具体的な方策というのもぜひ、意識改革とか、全体の大きなというのも必要なことだと思いますけれども、是非やってゆきたいと思います。

【江崎座長】ありがとうございました。

 どういうふうにコミュニティーをつくっていくかということも1つの課題だと思うんですけれども、私が住んでおったアメリカの例をちょっと申させていただきますと、私の住んでおった町は人口5,000人というくらいの町が、自分で教育委員会を持ち、自分たちで小学校、中学校、高校を運営している。アメリカの生徒はどういうことになっておりますかというと、先ほど河上さんがお金を出しているということをおっしゃいましたけれども、実はスクール・タックスみたいなものが、例えば固定資産税、私が120万円払うとしますと、3分の2くらいはスクール・タックスということなんです。勿論、アメリカではステートが学校の予算の半分くらいは持ってくれるんですが、あと半分くらいは自分たちがお金を出すわけです。それで私が住んでおりましたチャパカというところは、IBMなどもございまして、コロンビア大学の先生、その他が教育委員をやって、できるだけいい学校にしていこうと。そのためにはスクール・タックスをたくさん出さなくちゃいけないわけで、その辺の兼ね合いが大きなディスカッション。当然そこでコミュニティーという概念ができるわけです。

 それから、自分たちの払った学校、高いスクール・タックスを払った学校が果たして良い学校かどうかということで、これは両親そろって秋のオープン・ハウスには学校まで出掛けていって論議をするわけです。最近は、新しいテクニークを使いまして、スクールとそれぞれの家庭、子どもを持っている家庭の間のイントラネットワークのようなものをつくって学校との間のコミュニケーションを盛んにしている。そういうふうにスクール・タックスというものがかなり大きな、自分たちの学校だという。

 私も中央教育委員会に参加しまして、いろんなヒアリングを聞きますと、大抵文部省にこうしてくれ、こうしてくれというんですが、アメリカではそれは言えないんです。自分たちがするわけです。自分たちが高いお金を出してするという制度になっているわけです。そういうことでございます。参考までに申します。

【山下委員】先ほどのエリートの話ですけれども、学力調査ですね。私、3、4年前の教課審(教育課程審議会)のときに、たしか数学のときに「七五三」だと聞いたんですけれども、うちの数学学者の秋山仁さんに聞きましたら、そんなの古いよと。今は五・三だよと。小学校で算数を理解できているのが5割だという話も聞きました。基本的に私はエリート教育すべきだと思います。小学校、中学校で習熟度別にやるのはエリート教育ではないと思うんです。私は聞いていて、ついていけない人も、既にわかっている人も一緒に聞いたら、早く進める人も、遅くしか進めない人も両方ともかわいそうだと思うんです。ただ、そこで気を付けなきゃいかぬのは、そこだけでその人間を評価してしまう見方があるところではないかなと。

 スポーツに例えますと、その人にとって負荷が重過ぎるものをやり過ぎると、やればやるほど落ちるんです。その人にとって足りない負荷をいくら一生懸命やっても全然成果が上がらないんです。早く進んでいるからそれで伸びるかというとそうではない、大器晩成と早熟とあるんです。

 そうすると、できる、できないという見方が怖いんじゃないか。やるのに時間が掛かる子と、早く進める子と、そういうものの見方をしていくと、例えば算数が得意だとか、物理が得意だとか、芸術が得意だとか、そういった芽を伸ばしていこうということは、これは教育者としては当然のことだと思うんです。

 ですから、そういったものの見方をしていけば、私は決して算数の早く進める子はそのグループだけで集めてやったとしても、そういったものは小学校、中学校レベルでも、決してそれはエリート教育とは呼ばないんじゃないかなと。もっと上になったときに、本当にリーダーになる人たちに、しっかりした哲学とか思想とか、そういうところまで学んでもらう。そういうところがエリート教育なんじゃないかなと思います。

 もう一点、体験とかボランティアとか、本当に子どもたちに非常にいい経験になると思うんですけれども、ただ1つだけ、この国民会議というところで考えていただきたいのは、子どもたち云々ではなくて、問題は大人にあるんです。今日、新橋からここまで歩いてくる間に、大人の方が信号のところで2人たばこを捨てました。よほど拾いなさいと言おうかと思ったけれども、勇気がありませんでした。やはり国民各層に投げ掛けていく中で、まず我々の姿勢というものを問うていく。多くの先生方が言われておりますけれども、そこを是非国民全体に投げ掛けていく。それがやはり必要なんじゃないかと思います。

【江崎座長】続いて山下さんにちょっとお尋ねしたいんですが、エリート教育とか何とかで、知育、体育の話で、山下さんはどういうタレントを持っておられて、山下さんのようなタレントを持っておられる人は、勿論、努力されて、チャンピオンになられたわけですけれども、そういうルートは割合に確立されておりますか。能力のある人は引き上げて、それをトレーニングするということがスポーツ界では十分やられていますか。

【山下委員】少ないですね。ただ、私は完璧なエリート教育だと思います。

【江崎座長】エリート教育を受けたと。

【山下委員】はい。中学2年のときには、もう高校に行って稽古をしていました。高校2年で、東海大相模というところでしたが、授業は相模で受けて、大学で稽古を受けました。

【江崎座長】だれがあなたのタレントを見出しました。

【山下委員】一番気にとめたのは、東海大学の創始者で松前重義氏です。同じ熊本県出身で柔道をこよなく愛していました。もう一つ言いますと、ただ勝ち負けだけじゃなくて、いろんな人間的なものを培うために、柔道の監督の家に一人で特別に生活させていただきました。

【江崎座長】大変なエリート教育ですね。

【梶田委員】簡単に申し上げます。

 今日はいろんないい話を伺わさせてもらったんですが、与えられた条件と変数とを分けていかないといけないと思うんです。

 例えば豊かになってきた。便利になってきた。だから、子どもたちが育つ中で我慢するチャンスがなくなってきた。それは嘆いてもしょうがないです。前には帰らないんです。あるいは価値観が多様化した、昔は一つの価値観で行っていたんですけれども、たくさんの価値観を共存、認めざるを得なくなった、これも与件です。いくつかそういう与件があると思うんです。与件は私は念頭に置かなきゃいけないと。それをいろいろと論議してみても、そのこと自体では次に出ていかないという気がいたします。

 したがって、結局、何が変えることができるのかということを考えなきゃならない。変えられるところからいかなきゃいけない。みんなにこれから我慢させましょうと言ってもしようがないですからね。みんな貧しい暮らしをしましょうと言ったってしようがないわけです。これをこれから申し上げる。

 もう一つ、そういう論議をしていくときに、学力問題、これは私は大きな1つのテーマだと思います。ただし、28ページ、29ページのは、読み方によっては非常にミス・リーディングになります。安心します。こういうのを昔ずっと国立研究所におりましたから携わっておりましたが、ちょっとだけ申し上げますが、1つは、日本の学校はカリキュラムがほかの国に比べて先に行っているんです。ですから、非常に有利になります。もう一つ、ここに出ているのは、ほとんど知識レベルの話です。これは知恵とか思考力とか判断力とか、ここで問題になっているのはほとんど関係ないんです。ですから、こういうものは大丈夫なんです。大丈夫と言っても落ちてきていますから、大丈夫とは言えないところがありますけれども、今問題にしているのはそうでないところなんです。ですから、これで安心だと思ったら大間違いです。

 これは平均点しか出ていませんが、我々がいつも問題にしたのは分散の問題です。例えばチャパカの例を挙げられましたが、私70年代、実は先生のお宅に留守中にお尋ねしたことがございます。あそこに3つ小学校があって、全部見せてもらったことがあります。すごいレベルです。学力から何から。つまり、アメリカの場合は分散が猛烈に大きいんです。日本の分散は非常に小さいんです。小さい中でこの辺だから問題なんです。

 ということを、こういう数字を鵜呑みにして、日本まだ大丈夫じゃないかと言っていたら、私はとんでもないことだろうと。このことをちょっと申し上げます。

【江崎座長】ありがとうございました。

 アカデミックなアチーブメントが危機状態だと。そういうことですね。

【上島委員】比較的豊かな世代に生まれてきた者として、先ほど梶田先生がおっしゃったように、これから経済的に豊かな時代に生まれてきた子どもたちに、例えば我々がよく海外ボランティアで子どもたちを東南アジアに連れていく。このときに一番気をつけないといけないのが、今、我々は結構ぜいたくだと。これを否定すると、子どもはすごく豊かなところに生まれているのは決して子どものせいではないのに、これを急激に否定されると抵抗があるわけです。同じボランティアとかをさせるのでも、社会とのつながりの大切さとか、文化の違いがあるというところを見せるのはいいんですけれども、どちらかというと急激に貧しいというか、今までずっと頑張ってこられた世代が行くと、急に豊かさを子どもに否定してしまう。子どもはすごくギャップがあると思うんです。決して自分たちが豊かな世代に好き好んで生まれてきたのではないのに、何でぜいたくはだめだと否定されるのかというのはすごい抵抗がある。

 先程、山下さんもおっしゃったように、これからの親はどういう世代かということです。特にこれから共通一次で受験ばかりしてきた親の世代は、豊かな社会に生まれてきたので、ほとんど損得の価値観で子どもに話をします。又、教育とは何ぞやとか考えてこなくて来た世代が教えるし、豊かな世代で生まれてきた人たちが親になるという、親の考え方、「善悪の価値観」を親がしっかり子どもに伝えていけるかということとか、親そのものの価値観ですとかが大事です。

 例えば地域づくりというのがよく都市計画とかで出しますけれども、これからは次の小学校、中学校の子どもたちに、20年後の自分たちの町はこういう町になるんだよという、子ども向けの将来自分たちの地域に夢が持てるようなことをいかに子どもたちに見せていくか。ただ単に大人向けの都市計画をつくるのではなくて、子どもにいかに自分たちの地域がこう生まれ変わっていくんだと見せていく、地域の将来に対しての夢を見せていくということも、豊かな時代に生まれてくる子どもたちに対してどう将来の夢とか、それから損得で育ってきた親が、どう善悪で子どもたちに接する価値観を持っていくかということに取り組むことが必要です。

 どうしても今の親というのは、いい企業に入るためにいい大学に入ってという、この流れは歪められないので、ついつい、いい学校へと子どもに塾へ行かせてしまうんですが、これを変えるのは、どうしてもシステムを、大学の入試制度を思い切って変えないと全国民的には流れというのは、日本人はなかなか変わらないんじゃないかと思いますので、是非そんなところも議論できればと思います。

【江崎座長】ありがとうございました。

 それでは、大分時間も過ぎてまいりまして、本日、いろいろ有益な御意見を聞かせていただきましたが、本日の御議論はこのくらいにさせていただきたいと思います。

 今後の会議の運営につきましては、次のように取り進めさせていただきたいと思います。1つは、各委員同士の意見交換を密にするため、3つ程度の分科会を設け、各委員にはそれぞれ分科会に所属していただきたいと思います。

 各分科会のテーマ、及びメンバーの案につきましては、次回会議までの間に皆さんの御意見、御希望をお伺いしまして、調整した上で次回会議にお諮りさせていただきたいと思います。26人おりますといろいろございますが、それを3分の1に分けまして、濃縮した議論をさせていただきたいと思います。

 その次には、今後の会議の運営につきましては、座長の相談に乗っていただく企画委員会を設けたいと考えております。企画委員会のメンバーは私のほかに、本日は沈黙を守っておられましたが副座長の牛尾委員、それから木村委員、金子委員、田村委員、森委員の3委員にも加わっていただきまして、計6人を考えておりますので、御了承をお願いしたいと思います。

 なお、次回の日程につきましては、4月25日に開催することを予定しておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

【浅利委員】この次から分科会に入るんですか。

【江崎座長】いえ、この次ではございません。この次に分科会のことを皆さんにお諮りするという順序です。25日は何時ですか。

【町村補佐官】国会の都合で、総理にできるだけ顔を出していただきたいと思っておりますので、参議院の予算委員会がありますので、夕方お願いをすることになるかと思います。それでも、27日まで予算委員会が続くことがありますので、可能性を若干追求すると、夕方例えば5時から7時とか。

【江崎座長】可能性としては4月25日の夕方5時から7時までの公算が高いということです。

 それでは、事務局の方からお願いします。

【事務局】それでは、ただいまお話ございましたように、次回会議につきましては、一応4月25日の夕方ということでございますが、確定し次第、事務局の方から詳細について御連絡をさせていただきたいと存じます。

 それから、本日、この後、大食堂で懇談会の予定をいたしておりますので、係の者が御案内いたしますので、よろしくお願いをしたいと思います。

 それから、1点だけでございますが、本日お配りをいたしました資料のうち、資料6でございますが、第1回会議の議事録でございますが、若干まだ修正の必要がございますので、本日は公表いたしませんので、お取り扱いよろしくお願いしたいと思います。次回に確定したものをもう一度お配りをさせていただきたく存じます。

 以上でございます。

【江崎座長】それでは、本日は皆さん長い間ありがとうございました。