教育改革国民会議

第4回教育改革国民会議・議事概要


(日時)平成12年5月11日(木)16時〜18時

(場所)総理官邸大食堂

○分科会についての各委員からの発言は以下のとおり。

(江崎座長)
 前回の会議終了後(4月25日)に企画委員会を開催し、前回の意見を踏まえ、私と企画委員会で作成した案を資料2「教育改革国民会議の審議事項(案)」として配布している。この案について意見をいただいた上で、各分科会の検討事項、審議内容、委員の所属、各分科会の主査等を決めたい。
 また、企画委員会では、前回、議論があった「ゆとり教育」と「学校教育の役割」について分科会での検討に入る前に全体会として検討してはどうかということになったので、田村委員とクラーク委員に発表していただき、その後、議論をしたい。
 なお、資料6は、最近の青少年による痛ましい事件についての資料だが、この点を含め、議論いただきたい。
 まず、分科会についての企画委員会の案について、資料2、資料3に基づき、前回のご意見を踏まえ修正した点を中心に説明する。
 @資料2「教育改革国民会議の審議事項(案)」において、分科会の名称については、第1、第2、第3分科会とし、大きなテーマをそれぞれ、第1分科会ー人間性、第2分科会ー学校教育、第3分科会ー創造性、とサブタイトルとして入れるということにしている。
 A次に資料3「教育改革国民会議の分科会構成(案)」において、
 ・委員の所属は、皆様の希望の通り。
 ・各分科会の主査は、○印を付した委員、第1分科会は森委員、第2分科会は金子委員、第3分科会は木村委員にそれぞれお願いしたい。
 それでは、分科会の審議事項等について、ご発言願います。

(藤田委員)
 資料2には、「選択可能で特色ある学校づくり」とあるが、「選択可能で」という点については疑問がある。記載されている文言の方向性で検討するということではない、ということを確認したい。

(江崎委員)
 一応、資料2に記載されている事項をもとに検討していただくという趣旨。資料自体にそのような拘束力はない。ご自由に分科会で議論していただきたい。

(浅利委員)
 「社会体験自然体験の実施」の項に「芸術・文化創造活動への参加」を入れて欲しい。数多い先進国の学校教育に、演劇は正課に入っている。いろいろな個性が、一つの目的に向かって、共同作業をする。例えば機械や技術の好きな子は、照明、音響など。また、絵心のある子は舞台装置や衣装のデザインをすることにより、好きなことを生かしながら相互理解が深まる。演劇は言葉が中心の芸術なので、言葉に対する関心も深まる。他の芸術分野にも教育のプラスになる要素は多いと思う。

(藤田委員)
 欧米諸国で最近広まっている概念に「citizenshipeducation」というものがあるが、これを検討事項に入れて欲しい。

(河上委員)
 最近の生徒の状況から、基本的生活習慣をどこで身につけるかということを検討していただきたい。また、欲望をどのようにして抑えるか、つらいことに耐える力をいかに付けていくかという点についても検討していただきたい。

(沈委員)
 これから分科会で多くのことが検討されるが、家庭や地域にどうやって伝えていくのかという点についても検討いただきたい。

(江崎座長)
 トップダウン方式ではだめ。メディアを活用するのも一案だが、ボトムアップ方式を考えなければいけない。

(曾野委員)
 このような議論の中で出てきた話が各省の予算とどういう関係があるのか知りたい。過去臨教審において、学校給食をやめて母親にお弁当を作らせたらどうかという話があったが、自治省・自治労から10万人の給食人員をどうするのかと抗議があった。レポートを作成する上ではそういうことも計算する必要がある。

(町村内閣総理大臣補佐官)
 そのような疑問、質問等があれば事務局に申しつけて下さい。

(森内閣総理大臣)
 曾野委員の話で思い出したが、臨教審設置法の国会審議の時にあちこちから注文を付けられた。中でも、教育改革によって特別に予算をつけることはないという大蔵省からの注文が最も大きかった。今回はそのような制約はないので自由に議論していただきたい。
 また、給食については、家庭でお弁当を作らず、パンを持たせるのはまだましなほうで、弁当屋が学校の前に並ぶだけではないかという議論が趨勢だったかと思う。

(草野委員)
 生涯学習は最初の案では第3分科会に入っていたのではないか。生涯学習とは職業教育に結びついたものであると認識している。

(江崎座長)
 どのように分類するにしても多少の重なりが出てしまう。どの分科会にも参加できるのでご容赦願いたい。

(金子委員)
 各分科会のテーマに関しては一般論なので、この資料に書いてないからやらないということではないだろう。

(草野委員)
 第3分科会には職業教育的なものも入っている。分科会中で議論していくのでよい。

(今井委員)
 公立の学校は2002年から完全週5日制だが、私立の足並みがそろっていない。この点についても議論したい。土日に学校を開放しても塾に行く子どもは減らないのではないか。

(黒田委員)
 各分科会の議事録を全員に配布して欲しい。

(江崎座長)
 一通り御意見が出尽くしたようなので、分科会についての御議論はこのぐらいにさせていただきたい。各分科会の検討事項、審議内容、各分科会の主査等について了解いただけますか。

<異議なしの声>

 それでは、そのようにさせていただきます。次回からは各分科会に分かれての審議なので、よろしくお願いします。なお、委員の皆様には各分科会に所属していただきますが、他の分科会への参加も自由ということとさせていただきたい。

○「教育改革国民会議座長緊急アピール(案)」に対する各委員からの発言は以下のとおり。

(江崎座長)
 本日は、「ゆとり教育」と「学校の役割」を議論する予定だが、その前に、緊急アピールについてご意見をいただきたい。最近、青少年による凶悪な痛ましい事件が続いている。これを受けて、企画委員の方から教育改革国民会議として、緊急のアピールを出した方がよいのではないかというご意見をいただいた。私としても、アピールを出す必要があると思うので、本日の会議終了後、お手元の「教育改革国民会議座長緊急アピール(案)」のとおり、座長の緊急アピールを公表したい。
 緊急アピールについては、昨日、委員の皆さんに案を送っているが、その後、何人かの委員の方から意見をいただいたので、それらを踏まえて修正したものをお手元に配布している。緊急アピールを公表すること、およびその内容につき、意見を伺いたい。

(大宅委員)
 教育を考える我々が何もしないというわけにはいかないと考えるが、この案には違和感がある。子どもは悩むもの。24時間体制で相談することができる制度をつくってどうにかできるものでもなく、「人を殺してみたい」という考えを持った子どもがその考えを先生などに相談するわけがない。「命を大事にする」「善悪をわきまえる」などということは誰しもがわかっていること。どうやって「善悪をわきまえる」ことを教えるのかが問われているのが現状。呪文のようにこのようなことを唱えても何の意味もない。

(勝田委員)
 この案に対しては、学校秀才たちがそつなく書いた文章という印象を持った。国民会議がアピールするにしては、残念ながらしっかりとした哲学や人の心に訴える力を持った文章となっていない。もっと具体的に、例えば、「しつけ三原則」として@甘えるなA他人の迷惑になるなB世の中の人に生かされて生きていることを自覚する、というにようにわかりやすく書いてはどうか。また、このようなことは宗教的情操に関わるもの。宗教的心情なしに、「人間尊重」や「生命尊重」、「人間の命は地球より重い」ということを訴えても空虚。宗教的心情と哲学を踏まえた文章にして欲しい。規範意識を育てる教育を訴えるのは当然のこと。「子どもは国の宝である」という観点から「他人の子どもも誉め、叱ろう国民運動」という言葉を使ってみてはどうか。

(曾野委員)
 大宅委員に同感。「子どもたちがいつでも悩みを相談できるようにする」については、「またこれか」という印象。問題のあることを親や生徒に言うぐらいであれば問題の半分は解決している。問題は言わない子ども。制度を作れば解決できるというものでもない。哲学的なことを訴えるならば「あらゆる失敗は回復できる。しかし、殺人と自殺だけは回復できない」ということをを言うべき。「悩みを相談できるようにする」という文案については、このままでは出せない。

(河野委員)
 我々の想像以上のことが起きている。国民、世論に訴えることは必要。書き方に工夫する必要はあるにしても、子どもや親が安心して相談できるカウンセリングのようなものが必要なのではないか。企業でもカウンセリングを活用している。気楽に使えてプライバシーが守られるのであればかなり有効に活用できる。基本的にこういうことを出すのは良い。

(藤田委員)
 大宅、曾野委員に同感。現時点でこれを出すことは我々の知性と格調を問われる。今のセンセーショナルな状況に荷担するだけ。急いでこれを出す必要はないのではないか。仮に出すとしても、ある種のスタンスを明確にして出すことがより賢明。スクールカウンセラーについては、アメリカで定着しているが、教員との連携の点に問題が出ている。「全ての学校に配置」するというようなことは入れないほうがいいのではないか。

(田村委員)
 この会議は税金で運営されている以上このようなアピールを出す必要があるのではないか。問題のある子どもも、親や学校の教師ではなく、まったく関係のない人には相談する。問題のある子どもは間違いなく何かを言いたがっているが、それを言う仕組みがない。そこが解決のきっかけになるので、「悩みを相談できるようにする」という点をはずすわけにはいかない。

(河上委員)
 中学校の教師がこういうものを受け取った時の感想としては、学校の教育力が低下している現状で、「規範意識を育てる教育を徹底する」と言われても「やりたくてもできない」というもの。社会が大きく変わっている中で生徒が教師の言うことを受け入れる素地がなくなっている。「子どもにしっかりと教える」等と言われても現実的でない。できないことをやれと言われても困る。一生懸命にやっている教師を追いつめるだけ。学校現場は困難な状況にあることを国民にアピールすべき。教師も、社会や国民会議も支えるから頑張ってくれ、だと元気が出る。家庭でも「言われてできるようなら苦労しない」と言われるのではないか。

(河合委員)
 「我々としても黙っているわけにはいかない」ということと「何を言うべきか」ということにジレンマがある。カウンセラーについて誤解があるのではないか。「人を殺してみたい」というようなことを身近な人間に相談はできないが、関係のないカウンセラーなら相談できる。その意味でスクールカウンセラーは大事だが、これをやったらうまくいくという対策として扱われることは疑問。考えた末に、こういうこともという書き方に変えてはどうか。

(クラーク委員)
 河上委員に同感。今の生徒に教師の言うことを受け入れる素地はない。カウンセラーの役割は評価する。誰かに話しができれば人を殺すようなことにならない。

(藤田委員)
 必ずしも専門家としてのカウンセラーを否定するつもりはない。相談できる体制をつくることは賛成。しかし、現状のスクールカウンセラーは時給5000円以上で配置されており、教師との格差が大きく、うまくいくとは考えられない。

(河合委員)
 スクールカウンセラーに対してちょっと誤解があるのではないか。アンケート結果によれば、実際にカウンセラーの行っている学校ではうまくいっている。むしろ、カウンセラーが行っていない学校から、そのような不安の声がある。

(石原委員)
 今の深刻な現状は国民全体に責任があることを、まず「国民の皆様へ」アピールすべき。その後、「関係機関へ」とした方が良い。加えて子どもに影響のある企業にもアピールする必要があるのではないか。また、困っている親が駆け込み寺的に相談できる機関を自治体等が整備することも大事。

(森委員)
 バスジャック事件は例外的な出来事か先行現象かが問題。例外的な事件を対象にアピールするのではなく、これを機会に、大人の目を子どもに向けさせるためにアピールしてはどうか。最初からホームランではなく、シングルヒットでもよい。子どもを見つめなければ規範意識も育たない。@子どもを見つめよう、A考えよう、Bそして指導しようということを訴えてはどうか。学校で子どもを指導できないという現状を世間に訴えるのも一案である。

(曾野委員)
 カウンセラーに相談できる子どもは、相談していることで問題の半分は解決している。問題なのは、相談する表現力がないこと。いかに泣き言や愚痴が言えるかということが大きな問題。また、何でも受け取るのが国民の権利であるかのような風潮があり、今の子どもは、与える(奉仕する)という経験をする機会がない。与える経験は人を満たす。

(山折委員)
 この会議が国民が感じている不安を共有しているということをアピールすべき。国民との信頼関係を築くことが必要。竹林の七賢人が官邸のどこかで議論して上から下に流すというイメージで受け止められたらだめ。

(浅利委員)
 このペーパーからは新しい組織をつくることや金を使うことを目的とするかのよう印象を持った。この会議の目的は心に働きかけることであって、組織を拡大することではない。教育基本法の中で古びたシステムを改めることは必要だが、その際には、小さな政府の実現の方向で、なるべく官の干渉、管理を排除する方向で議論を進めるべきだと思う。
 カウンセリングの問題が重要だと思うが、これは一度分科会でじっくり議論をして、方向を出す方がいい。

(金子委員)
 何らかのアピールをすることは大事。ただ、こうすれば解決するということを打ち出そうとすること自体に不信感があるだろう。そんなに簡単ではない。問題のない学校をつくるのではなく、問題があったらみんなで考える場をつくることが重要。こうすれば問題が解決するということではない。解決策は難しいが、ここまでは考えた、これからもあきらめず取り組むという形で訴えてはどうか。

(江崎座長)
 日本の学校にはカウンセリングサービスが乏しい。カウンセリングが即効性のある解決策とはならないが、長期的には有効な施策なので、このような機会に国民にアピールすることが必要。文章に難があるにせよ、アピールすること自体は我々の責務のように考える。

(牛尾委員)
 我々も国民の悩みや不安を共有している。一番大事なことは、国民会議は困難な問題に対して絶対にあきらめないという決意を表明すること。あきらめずに取り組む用意があるので、国民の皆さんも一緒に共有して取り組んで頑張って欲しいということをアピールすることである。継続的に分科会の後もアピールを出したらよいのではないか。

(黒田委員)
 牛尾委員の意見に賛成。カウンセラーをするのは、学校や教育委員会だけでなく、ラジオや民間の相談もある。色々ある中の一つとして、教育委員会もやって欲しいということで、これだけしか出てこないというのは反発が出る。皆さんもどうしたら良いか考えて欲しいというのが先で、できることの一つとしてこういうこともどうだろうか、皆さんも意見を出してくださいという訴え方が必要。

(曾野委員)
 意見を求められたため印象を述べたが、そもそも座長の署名文書であり、座長名で出すならばこのままでよいのではないか。

(木村委員)
 アピール案にはしっかりと「江崎玲於奈」とあるので文章はこのままでよい。今回の事件は突発的なものと考えるが、その背景に子どもが110番を出したいということがある。世田谷で行われている子どもの相談を24時間受け付ける活動は効果が上がっている。このことを否定することはない。

(今井委員)
 一般の親からすれば、この文面を見て、環境整備をしてくれるのはありがたいと思った。学校と関係機関の連携ができていない。相談がたらい回しにされる中で状況が悪化するケースがある。「親や子どもの立場に立って相談を親身に受ける」、「たらい回しにしない」、「見て見ぬ振りをしない」という表現はうれしかった。

(浅利委員)
 会議のメンバーの一人として座長名でもこのペーパーをだすのはつらい。誰か選ばれた委員が原案を書いて、それをみんなで議論してから出すということにしたほうが良いのではないか。

(河上委員)
 教師は不安と恐怖を毎日持っている。親もどう子育てしてよいかわからない。これらは簡単になんとかなるものではない。長い期間がかかってもみんなで解決してゆこうというアピールであれば親も教師も勇気が出る。

(浅利委員)
 アピールは我々は絶対にあきらめないということが骨子になればいい。

(浜田委員)
 この文章は、会議のイメージダウンになるのではないか。誰もが大変さをわかっているにもかかわらず、これを実行できないことが悩みであることが現状。そのような現場の状況を知らないおめでたい人たちが机上論をやっていると世間から受け止められてしまう恐れがある。

(クラーク委員)
 何かやるべきだと考えるが、会議のメンバーの意見を踏まえアピールを出すべきではないか。

(田村委員)
 日本の家庭教育におけるしつけが弱く、これを背景に問題が起こっていることは周知のこと。誰の責任でもないが、社会全体での責任でもあるという状況を国民会議は気にかけていることを表明すべき。何もしないのはよくない。

(森委員)
 大事なことは繰り返してよい。なかなか実現できないことであっても、第1弾として言うべきことを言った上で、第2弾で具体的なことを言えば良いのではないか。

(山下委員)
 黙っている場合ではない。アピールしたほうが良い。ただし、国民と社会に対して心に響くような文章で出すべき。

(江崎座長)
 現状を憂慮しており、何らかの行動をするべきだという意見が大勢と理解する。アピールは皆さんに相談した上で座長名で出すものとさせていただきたい。

○各委員による発表は以下のとおり。

(田村委員)
 第一に、「戦後教育改革の流れ」に沿って、社会の変化としては、学習指導要領がスタートして25〜26年のところで、日本の社会が貧乏な社会から豊かな社会に切り替わり、このことが学校教育にも非常に大きな影響を与えることになる。生涯学習、生涯教育という考え方は、日本の社会では84年臨教審で提言され、他の先進諸国とは20年ほどの差があるが、この差は、この間日本が高度成長社会であったことと関係があると考える。つまり、高度成長社会において我慢することは、社会の生産するパイがどんどん大きくなっていく、すなわち社会の拡大によって説明がつく。拡大の終焉とともに我慢の意味がなくなったので、学習のモチベーションを維持するために生涯学習という考え方に変わっていったのである。
 第二に、現代社会の約束事は「基本的人権」及びその中核である「人格的自律権」である。人格的自律権とは、自分で自由に決め人生をつくることを保障する権利である。ここで生涯学習と人格的自律権が結びつくことによって、将来、社会がどうなろうとも、自分の人生は自分でつくるという考え方で、子どもたちの学習のモチベーションがつくれると解釈できる。
 子どもたちの現状は、楽しいこと、好ましいことは喜んでやるが「今は厳しく、つらいけれども、将来役に立つのだから我慢してやれ」と言っても絶対に聞かない。このような社会が生み出した子どもの性格を前提にして教育を考えないといけない。また、日本の場合、個人主義はまだ確立されていないので、心の教育が絶対大事であり、そのことをこの会議で提言しないと、長期的に見た我が国の基本的なスタンディングポイントが示せないのではないか。
 学校教育は具体的にどう進めていったらいいか。豊かな社会で失われている、人と人との連帯、命のいとおしみ、耐える力、クリエイティブな能力の育成などをこの教育改革の中でテーマとして取り上げ、学校教育、社会、家庭、地域すべてのところで実施していくことが必要。したがってこれからの学校の役割は、生涯学習、豊かな社会という観点から、知識や価値観の伝達を重点に、一人一人の子どもが承認され、セルフ・エスティーム(自尊心)を感じることができる場に移行していかなければいけない。
 そのための学校システムは、エリート教育をやらなければならない。そこでは、エリート足らんとする動機づけ、学習のモチベーションをどうするのかというのをここで議論して生徒・学生・子どもたちに意識して伝える必要がある。また、エリートを生む一方、階層化しないような工夫をここで考えなければならないが、これは「多様なエリート」という考え方でいけると思う。
 最後に政策官庁としての文部省への注文だが、一つは、学校5日制の意義をもっと運動して、私立学校も含めて5日制をきちんとやれるような社会をつくっていくべき。二番目に、しっかりと教員の養成・研修をしていただきたい。三番目が教育条件の整備。四番目が学校における評価(「生徒」及び「学校」の評価)がある。これは相対評価でなく絶対評価、あるいは個人内評価、学校に関しては到達度評価等を含めての評価を公表するという意識で進めていかないと、教育改革はうまくいかない。

(江崎座長)
 日本は貧しい時はいわゆる哲学を持っていたが、豊かになったら哲学がなくなったということを牛尾治朗委員が確かおっしゃったと思う。私は豊かになった時の哲学というのは教養だと思う。リベラル・アーツ・エデュケーションみたいなもの。

(田村委員)
 リベラル・アートについては、アメリカの大学の例が非常に参考になる。アメリカは希望する人全員が大学に入ることができるシステムであるにも関わらず、世界を代表するようなエリート大学がたくさんある。このシステムを可能にしているのは、徹底的な教養教育である。命の大切さとかフェアというのはどういう考え方か、歴史も含め、そういうことをきちんと学校の場で教育していく。学校は決して、知識の量を競うところではない。

(クラーク委員)
 学級崩壊や校内暴力などは外国にもあり、日本だけの現象ではないが、外国人の目から見て目立つ不思議なことが2点ある。一つは80年代まで日本の教育制度は一つのモデルであったのに急に崩壊したというスピード。もう一つは中産階級の中で様々な病理現象が起きていること。
 それらの理由の一つは、非常にあいまいな日本の文化である。日本の道徳が、宗教やイデオロギーと比べて具体性が足りなく、伝統、国民感情などで決められており、ひどいテレビ番組やゲーム、ビデオなどの悪い影響に対して弱く崩れやすい。
 子どもの早熟化、進学競争の激化、家族・学校の弱化、情報化によるメディアの悪影響、価値観の崩壊、少子化問題など好ましくない大きな変化があり、他の先進諸国もこうした問題を抱えているにも関わらず、日本ほど急スピードで道徳は崩壊しなかった。その一番大きな原因は、子どもたちの周りの環境が、家族・学校だけではないことにある。コミュニティでのスポーツ活動や奉仕活動・ボランティア、ボーイスカウトなど若いときから社会に出ており、その結果として、社会から悪い面と同時に良い面ともぶつかり、判断力を養うなど、社会が子どもの形成に大きな役割を果たしているからである。日本の子どもはほとんど社会に出ていないので、社会の良い面をわかっていないだけではなくて、社会のルールもわかってない。
 具体的方策としては、学校の負担が多いので、原点に戻り、学校では教育とある程度の道徳をやり、それ以外はもっと社会が負担すべき。具体的には、@自然の中に出す。「一校一山」運動、修学旅行の代わりにキャンプ生活など。A教育制度は、4−5−6制とする。B入試でのアドミッション・オフィース方式の導入、C大学の暫定入学の検討。入学定員がある今の制度の中で、入学はやさしく、卒業を厳しくと言うのは不可能。入学金をもらわず、1年間ぐらい教科書の暗記ではない、大学の教育にふさわしい勉強をさせ、選抜試験をする。D私立大学は文部省の指導に違反したら、補助金をカットすべきではないか。E英語教育は高校でやめ、大学に入ってからやる。そうするとゆとりが出てくる。F次に、大学九月入学。学校を終え、6カ月間自由に、海外旅行やボランティア活動などの自分を磨くためのチャンスを与えるべき。Gもう一つ、日本の青年海外協力隊のように、「国内協力隊」をつくり、穀倉地帯に入って、農民たちを手伝う。自国の文化の良さがわかってくるだけではなくて、体も鍛えられ、いずれにしても魅力的なアピールを持つ。H最後に、確かに日本はエリート教育が必要。今の子どもは目的がない。制度をつくるのは非常に難しいが、その一つは、飛び入学。よく一生懸命勉強すれば、17歳の段階で大学へ入れる。

(田村委員)
 1968年「教育の現代化」のときに日本の初等中等教育は教える量が一番増えるわけだが、1971年に全国教育研究所連盟の有名なレポート「7・5・3」という現象が報告された。つまり小学校卒業生の7割しか小学校のことがわからず、中学校だと5割、高校だと、高校卒業生の3割しか高校のことがわかってない。
 実は1998年(平成10年)でも、文部省から同じような数字が出ており、ここのところ20年間全然変わらない。すなわち「ゆとり」が誤解されてよく言われているが、もっと根本的なところに問題があるというふうに御理解いただきたい。

(江崎座長)
 7・5・3の問題の一つの解決方法は、習熟度に応じた教育。
 それから、先ほどのクラークさんのお話で、アメリカで、私の子どもたちが育った経験を話すと、子どもたちは、親から独立することが日本よりは早く、また、子どもたちのコミュニティ、つまり中学、高校では、子どもたち同士のコミュニティは、日本よりも非常に身近にある。それを通じて、つまり学校だけに教えられるのではなしに、子どもたちとの交流を通じて人間が成長していく。

○会議の今後の運営について。

(江崎座長)
 次回から、3つの分科会に分かれての審議。各分科会は7月初め位までに4回程度ずつ開催し、その後全体会を開催する。各分科会の開催日程、審議概要等については、委員全員に連絡し、所属している以外の分科会への出席も可能とする。分科会での議論の過程で、全体的議論が必要な場合、弾力的に運営する。
 なるべく8月頃までには中間報告をまとめたい。

○緊急アピール修正案に対する各委員からの発言は以下のとおり。

(江崎座長)
 皆さんの意見を踏まえ修正した緊急アピール案をお手元に配布している。この後記者会見で発表したい。以前のものよりもシンプルにしているが、スクールカウンセラーについては一言入れている。

(浅利委員)
 スクールカウンセラーの問題については分科会で議論するのがよく、今出すのは適当ではないのでは。

(江崎座長)
 長期的にはカウンセラーは必要。

(浅利委員)
 カウンセラーを置けばこの問題が解決するかのような誤解を与えかねない。

(藤田委員)
 バスジャック事件も5,000万円恐喝事件もカウンセラーを置けば解決する問題ではない。問題に対する提案にスクールカウンセラーが入っているということは、我々の認識がそのようなものと捉えられてしまう恐れがある。できれば削除したほうがよい。

(大宅委員)
 カウンセラーの部分だけ妙に具体的すぎる。

(河上委員)
 スクールカウンセラーには問題がない訳でなく、よく議論し、評価した上で今後出したほうがよいのではないか。

(田村委員)
 スクールカウンセラーに対する国民の関心を促す意味でも入れておいてよいのではないか。いろいろと問題もあるが、現場の支持も得られている。

(浅利委員)
 あわてて記者会見したくて無理矢理つくっているという印象を受ける。この会議全体の民主的討議の方向にふさわしくない。

(町村内閣総理大臣補佐官)
 それでは、例えばという、スクールカウンセラーの具体策の部分を落としてはどうか。

(浅利委員)
 それでもまだ問題があるのではないか。もっと練ったほうが良い。

(江崎座長)
 国民会議として今の事態に大いに関心があることを示す必要がある。

(浅利委員)
 教育改革国民会議に出席している我々が今起こっている事態に関心が無い、と世の中から思われているということは、あり得ない。

(曾野委員)
 これは江崎座長が書いたものなのでこのままでよい。浅利委員はそう考えていないことを大いに話せばいい。

(浅利委員)
 この会議を離れてということか。会議の運営が民主的ではない。

(曾野委員)
 署名原稿ならばいい。スクールカウンセラーの是非にしても「例えば」と入っている。

(浅利委員)
 署名原稿ならばなぜ会議に諮る必要があるのか。

(曾野委員)
 そのように考えるが、印象を聞かれたので述べたまで。

(クラーク委員)
 カウンセラーだけではなく、親や学校の中の一つの選択肢として相談するという書きぶりにしたらどうか。

(藤田委員)
 できればスクールカウンセラーははずしてはどうか。

(中曽根文部大臣)
 スクールカウンセラーの是非については論議は皆さんにお任せしたい。アピールについて一言言わせてもらうならば、子どもに積極的に語りかけて欲しい、子どもの悩みを聞いて欲しい、という問いかけを大人に出していただきたい。また携帯電話が普及しており、子どもに相談番号を渡すのは効果的。また、名古屋の5,000万円恐喝事件も親や先生には相談できなかった子どもが、同じ病室の人に相談したことが解決の糸口になっている。このことは、子どもたちが相談できることが重要であることのいい例である。

(町村内閣総理大臣補佐官)
 いろいろと意見もあるが取り入れられるものは取り入れたい。今起こっている問題を我々も受け止めて議論していることを国民にアピールする意味で、座長名で出させていただきたい。また、太田議員は今回のような我々の議論をいち早く伝えることが国民に共感を与えることになると言っていた。とりあえずこの後の会見では概要を伝えるが、なるべく早く概要をホームページに載せて、我々が議論していることを知っていただく努力をしていきたい。

(江崎座長)
 この問題について1時間あまり議論したこと自体有意義。反対の意見もあったがそれにも価値がある。今後の分科会でも大いに論議を戦わせていただきたい。

(勝田委員)
 規範意識を育てる教育の部分が削除されてしまった。一番重要な問題はモラルの崩壊。これを如何に改善するかは難しい問題だが、今後の分科会ではこの点について議論したい。今後、これを踏まえて第2、第3のアピールを出してはどうか。

(江崎座長)
 この案には性急な面があり、十分に論議された結果ではないが、今回はこのような形でアピールを出させていただきたい。

[文責は教育改革国民会議担当室]

(注)本議事概要の内容については、今後変更の可能性があります。


平成12年5月11日

教育改革国民会議座長緊急アピール

教育改革国民会議座長  江崎玲於奈

 青少年による衝撃的な事件が続いている。教育改革国民会議はこのことを真剣に議論した。学校や家庭、社会の状況は非常に深刻であるが、しかし、あきらめないで国民の皆様とともに時間をかけても取組んでいきたいと考えている。私は、会議の議論を踏まえ、国民の皆様に、今、特に次のことを強く訴えたい。

 まず、子どもたちに言いたい。
 あらゆる失敗は回復できるが、自殺と殺人によって失われた命は二度と回復できない。

 国民の皆様に次のことを訴えたい。
 子どもを見つめ語りかけてほしい。そのうえで、自分の子どもも他人の子どもも、ほめるべきはほめ、叱るべきときは叱ろうではないか。
 また、子どもに関わる社会のそれぞれの場で、子どもが悩みを相談できるように考えてほしい。相談を受けたら、決してたらい回しにしないでほしい。

 このアピールは、始まりであり、国民会議は、より良い明日の教育を作るために、国民の皆様とともに考え、歩んでいきたい。


平成12年5月11日

教育改革国民会議座長緊急アピール(案)

教育改革国民会議座長  江崎玲於奈

 青少年による衝撃的な事件が続いている。一連の事件も踏まえた検討を今後しっかりと行っていく必要があるが、私は、関係機関や国民の皆様に、今、特に次のことを強く訴えたい。

【文部省、教育委員会、学校、関係機関へ】

○子どもたちがいつでも悩みを相談できるようにする

 子どもや親が悩みを、いつでも、心安く相談できる体制を早急につくる。

○規範意識を育てる教育を徹底する

 命を大切にする、物事の善悪をわきまえる、弱いものいじめをしない、他人の痛みが分かる、自らを律する心を育てるなど、人間としての規範意識を育む教育にためらいは許されない。

【国民の皆様へ】

○規範意識を育てる教育を徹底する


配付資料