教育改革国民会議

教育改革国民会議 第6回議事録



日 時:平成12年9月4日(月) 16:00〜18:00
場 所:内閣総理大臣官邸大食堂

  1. 開 会
  2. 中間報告起草委員について
  3. 教育改革国民会議中間報告に向けての審議
  4. 一日教育改革国民会議(公聴会)の開催について
  5. 閉 会

第6回教育改革国民会議・出席者一覧(五十音順、敬称略)
 浅利 慶太劇団四季代表
今井 佐知子社団法人日本PTA全国協議会会長
上島 一泰社団法人日本青年会議所会頭
牛尾 治朗ウシオ電機会長
(座 長)江崎 玲於奈芝浦工業大学学長
 大宅 映子ジャーナリスト
梶田 叡一京都ノートルダム女子大学学長
勝田 吉太郎鈴鹿国際大学学長・京都大学名誉教授
河合 隼雄国際日本文化研究センター所長
河上 亮一川越市立城南中学校教諭
木村  孟大学評価・学位授与機構長
黒田 玲子東京大学教授
河野 俊二東京海上火災保険株式会社取締役会長
田村 哲夫学校法人渋谷教育学園理事長
沈  壽官薩摩焼宗家十四代
浜田  広リコー会長
藤田 英典東京大学教育学部長
森  隆夫お茶の水女子大学名誉教授

【江崎座長】 ただいまから第6回教育改革国民会議を開催させていただきます。

 委員の皆さん方におかれましては、御多忙のところ御出席賜りまして、誠にありがとうございます。

 本日は、前回欠席いたしておりましたオブザーバーの山下栄一参議院議員が出席されておりますので、御紹介申し上げます。

【山下議員】 ただいま御紹介いただきました公明党所属の参議院議員の山下でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

【江崎座長】 一言ご挨拶いただけますか。

【山下議員】 ご挨拶というほども何もありませんが、なぜ欠席したかだけ申し上げておきますけれども、参議院の国会派遣でアイスランド、ノルウェー、フィンランドを中心に行かせていただきまして、議会制度、夏休み中でしたですけれども、向こうの国会の議長はじめ懇談させていただく機会がございまして、制度を勉強させていただきましたし、併せて教育問題につきましても啓蒙できまして、非常に有意義な研修をさせていただきました。何かこの会議でも反映できればと思っております。どうぞ、皆さんよろしくお願いいたします。

【江崎座長】 ありがとうございました。

(プレス退室)

【江崎座長】 それでは、議事に入らせていただきます。

 本日は、まず、前回、皆様方から提出された第3分科会の審議の報告に対する御意見について、ちょっと宿題になっております問題、木村委員から一言いただきたいと思います。

 それでは、木村委員よろしくお願いいたします。

【木村副座長】 細かい点についてのご質問もありましたので、大きな御質問だけお答えしたいと思います。多分に私の主観も入っておりますので、その点お許しいただきたいと思いまして、補足がございましたら、牛尾委員の方からお願いしたいと思います。

 まず今井委員から、異年齢の子どもたちが一緒になると、いじめが助長されるのではないかという御指摘がありましたが、私は逆ではないかと思っております。我が国では、あまりにも同じような集団で固定されているので、陰湿ないじめが出てくるのではないかということです。例えば、先日、金子先生からお話がありました慶應幼稚舎の6年が1年生をおんぶをするというふうなこと、それから、宮崎県五ケ瀬の中等・高等学校で上級生が下級生を実に良く面倒を見るというふうなこと、象徴的だと思います。私は今井委員の御意見と違って、異年齢集団を一緒にすることによって、逆の現象が起こるのではないかというふうな気がしております。

 それから、エリートとしてどのぐらいの数が必要なのか、だれがエリートになるのかということについてですが、これはモチベーションを持った人、私どもは大学院の改革を唱えておりますけれども、そういうところへ入って来ようとする人、そういう人がリーダーになり得る人だと考えています。ただ、大事なのは、私どもの分科会でも再三議論が出ましたが、それが一つのシングル・パスを通ってきた人だけではないということ、やり直しのきくシステムにするということが大事だということです。

 それから、次に森委員の御意見で、創造性が、どうも科学技術だけに特化しているのではないかという点ですが、そういうつもりは全然ありません。私どもが重点的に議論いたしましたのは、文系の大学の在り方、大学院の在り方、その辺を議論いたしておりますので、多分に文系のことは考えております。ですから読み方によっては、創造性というものを科学技術の分野だけでとらえているようにお読みになれるかもしれませんが、私どもはそういうつもりはございません。もちろん先生がおっしゃったイマジネーション、そういうことが極めて大事であることは認識いたしております。全体として今の文章で足りなければ、中間報告のときにそれを入れることは可能でございます。

 それから、片仮名語が多いという点については、全く御指摘のとおりでありますが、例えば“プロフェッショナル・スクール”等を日本語に訳しても正しくは捉えて貰えないと思います。それから“ノブレス・オブリジー”等は適当な日本語はないのではないでしょうか。もちろん努力いたしますけど、ある程度は御勘弁いただかなければいけないのではないかと思っています。

 次に藤田委員の御指摘、これは先生の前からの御指摘でありますが、中・高一貫校に対する疑義であります。これについては、私どもは弾力化、多様化ということで大いに意味のあることではないかと思っております。数が少なくなるといけませんけれども、私どもで主張しておりますように、2校に1校という程度になれば、子どもの方も親の方も安心して選択するようになるのではないかと考えております。

 それから、モラトリアムのところですが、確かに今のままでは3月に高等学校出て9月に入学する間、ろくなことはしないというようなことがあるかもしれませんが、私どもは大学で、いかに大学生を勉強させるかということも議論の中心にしておりますので、もちろん先生の言われるように、4月から9月の間に何か、私は「国で」という言葉も好きでありませんけれども、NGOでも何でもいいですが、そういうモラトリアムを経験できるような仕組みを国でつくっていくということが必要ではないか。その辺は、第3分科会で合意を見ております。

 それと、ちなみにモラトリアムなんですが、私ども理工系の学生を相手にしてきた者から見ると、彼らは決してモラトリアム学生ではないんですね。物すごく勉強しています。それはぜひ藤田委員、御理解いただきたいと思います。理工系の学生がモラトリアム学生でしたら日本はとっくにつぶれていますよ。ですから、文系もそういうふうにしたいという提案をここでさせていただいたわけでございます。

 主な点についての御質問は以上でございます。牛尾委員何かありますか。

【牛尾副座長】 特にありません。

【江崎座長】 それでは、ここで議論するつもりありませんが、今井委員、藤田委員、今の木村委員のお答えでよろしゅうございますか。

【今井委員】 すいません。今の中で、シングル・パスということが言われて、やり直しができるようにということを言われたのですが、これは飛び級をコースで選んでも、その中でついていけなくなった子どもたちに対して支援をするシステムというか、そういうのをきちんとつくるということなんですか。

【木村副座長】 そこまでは詳しいことは議論しておりませんが、それも全体としては含むとお考えいただいてよろしいと思います。

 それから、もう一つ、忘れていました。大宅委員の御指摘の人材、随分悩みまして、いろんな人に聞いてみたのですが、結局あれはヒューマン・リソーシズの翻訳語のようですね。確かに人材育成となると、何となくいやらしい気がするので、少し考えさせてください。

【江崎座長】 今の話だけに絞りたいと思います。森委員と藤田委員、何かございますか。

【森委員】 特にありませんが、“ノブレス・オブリジー”ですか、私は個人的な訳を使っていますのは「高地位高責任」、高い地位、高い責任、「高地位高責任」、余りいい訳ではないですけれども、その方がわからない人よりも、国民会議の議論として、だれでも議論できるような気がします。以上です。

【藤田委員】 モラトリアムにつきましては、私も理工系の学生さんは非常に頑張っていると思っていますし、文系でもその機会と内容の充実を図ることが重要だということに基本的に異論があるわけではありません。ただ、それは大学入学前の問題というより、大学教育のあり方の問題だと思いますが。

 それから、中・高一貫校につきましては、先ほど2校に1校ぐらいがなれば選択肢が増えるから問題はなくなると言われましたけれども、そうなりますと、明らかに中学校段階から、どの学校へ行くかということが重要な選択になります。つまり、中学校段階から、いい学校とそうでない学校という評価が行われるようになり、中学校も序列化されることになると予想されますが、そういった危険性はお考えにならなかったのでしょうかということです。

【木村副座長】 もちろんそれは中教審では考えております。しかし、それは学校のつくり方と国のシステムの問題だと思います。しかし、そういう危険性があるからやらないという態度は第3分科会ではとってないということです。

【江崎座長】 それでは、ちょっと申し上げますが、私は前回(第5回)の会議の一番初めに申し上げまして、どの人間もハートとマインドを持っている。また英語でいかんとおっしゃると、血と愛を持っている。そのことのもう少し奥の言葉、第1分科会の人は比較的文系が多いということと、第3分科会は理系が多いという、そのことでございまして、C・P・スノーが申しました、カルチャーが違うのだということで、若干カルチャーの違いに基づく論議が行われて、サイエンスというものはもともと外国から入ってきたものでございまして、我々は外国語を使わないと商売にならない仕事で、そういう点、両方とも私別にバイアスは持っているわけではございませんが、第1分科会は文系が非常に支配的で、第3分科会は理系が支配的だという、牛尾委員はどちらなんですか。

【牛尾副座長】 両方です。

【木村副座長】 座長、第3分科会は理系2人しかいないんです。

【江崎座長】 そうですね。

【牛尾副座長】 主査と副主査が理系出身で、影響力があります。

【江崎座長】 どうもありがとうございました。これで前回の宿題は終わらせていただきたいと思います。

【勝田委員】 よろしゅうございますか。前回、私は第3分科会で、大学及び大学院の教官の任免制の問題あるいは任期制導入とそういったような問題、こういう重要な難問は論議されましたかと、そう御質問したんです。全く無視されたようですので、まあ、どうでもいいですけど。

【江崎座長】 何かそのことを論議されましたか。

【木村副座長】 特にどうやって大学院の教官を選ぶかということについては議論しておりません。

【勝田委員】 選ぶというより、むしろ免が難問です。

【木村副座長】 罷免の免ですか。

【勝田委員】 私の恩師は滝川幸辰先生です。我が国におけるアカデミー・フリーダムの、言ってみれば先覚者の一人ですね。実際にいろいろ御苦労されました。私は戦後、復帰されましたときの学生の一人なんです。私は特別な滝川先生との関係がございましたので、先生に私的な仕方でしつこいほど聞きましたのは、「我々はアカデミー・フリーダムのためにいろんな犠牲を払った。そしてその結果、大学の自治というものが実現した」。しかし、言うところの「大学の自治は、教官を採用するということに関して、文部省はじめ外部の政治的な圧力を全く受けない、そういう意味での大学の自治」だと。

 「それはいいんだけれども、ひとたび採用されれば、どんな無能な教官でも、−それはセクハラは知りませんけれども−、どんなに不勉強で教育活動もよろしくない、また、研究も怠けてやっていない、そういう教官でもクビ切れないという始末ですね。それではいけないんだ」と。「本当の大学自治というのは、ひとたび大学の教官に任命し、採用した以上は、その人事に対して、この教官はクビ切るときにはクビ切らなければならない」徹底して、断固としてクビ切る覚悟があってはじめて真の教授会の自治、大学の自由というものである、と。そういうことをしない限りは手前勝手な自治ということをくどいほど聞かされてきたんです。

 現在、いろんな大学で、大学の教官をやめて行かれるときには、セクハラとか、そういう破廉恥罪、それ以外、どんなことがあろうと実際問題としてクビ切れない状況です。本当にそういった一番難しい厄介きわまる問題を御論議くださいましたかということを申し上げたんです。

【江崎座長】 わかりました。

 それでは、前回、申し上げましたように、教育改革国民会議として、中間報告を9月20日過ぎまでに取りまとめることにしております。先日、企画委員会を開催しまして、中間報告の在り方について検討いたしました。その結果について、ただいまお手元にペーパーを配付いたしましたが、副座長の牛尾委員から企画委員会の提案について説明していただきたいと思います。牛尾副座長よろしく。

【牛尾副座長】 今、お配りしました「中間報告について」という紙を御参照願いたいと思います。

 まず、中間報告のスタイルについては、各分科会から出たこの青い一冊に取りまとめられた報告書はそのまま中間報告に添付します。これ自体、修正するのは大変ですし、各分科会とも皮一枚でつながっているところがいっぱいあり、どこか触り出すときりがないので、文体は違いますけれども、それは個性があっていいだろうという事で、これはこのままで行こうと思います。

 その上に、今日も論議をしますけれども、全体会議の論議に基づいて、10枚ぐらいのわかりやすいメリハリのきいた文章を上に添付します。基本的には中間報告では、分科会報告を踏まえて余り重複はしませんけれども、現状認識や問題意識や方向性についての部分と、その結果、分科会としての提言内容と二つに分けて報告スタイルをつくります。

 それから、若干分科会の中身についても要約する部分があっても、これは当然だと思いますが、第1分科会は、曾野さんが「日本人へ」を書かれて、あとは事務局でまとめたのですが、第2分科会の金子さん、第3分科会の黒田さんという形のように、この中間報告も企画委員の中から適切に人を選んで、企画委員に書いてもらおうという、いわゆる民間の文章にしようというふうに考えております。

 中間報告の起草委員は分科会の起草委員であった企画委員をそのまま中間報告の企画委員として継続をさせていただいて、そのような形で作業をしたいと思っております。

 それから、あと4回あります全体会議のうちの2回は、分科会報告の提言の中で主な論点となっているものを再度全体として議論をすることになっておりまして、今日の議題は、お手元にある資料3に書いてありますように、第1分科会からは「奉仕活動」の問題、第2分科会からは「教育委員会の在り方」、第3分科会は「義務教育の開始年齢」云々、この3つのテーマについて総合の討議をしていただくことになっております。

 以上が、企画委員会としての報告でありまして、特に中間報告起草委員については、座長から御承認をお願いしたいと思います。

【江崎座長】 どうもありがとうございました。

 企画委員の、今、牛尾委員の提案に沿って取り進めさせていただいてよろしゅうございましょうか。

(「はい」の声あり)

【江崎座長】 それでは、今、牛尾委員がおっしゃったようにさせていただきたいと思います。もう既に牛尾副座長が話されましたように、企画委員会では資料3にありますように、今回は、第1分科会関係の「奉仕活動の義務化」、第2分科会関係の「教育委員会の在り方」、3番目は、第3分科会関係の「義務教育開始年齢の弾力化」につきまして議論し、次回は「教育基本法」、「教育財政」を中心に議論していただきたい。これらにつきましては、順次論議していただけたらと存じます。

 本日は、まず「奉仕活動の義務化」について御議論していただき、引き続き「義務教育開始年齢の弾力化」について論議していただきたいと思います。最後に「教育委員会の在り方」についての論議をしていきたいと思います。なお、教育委員会につきましては、これまで余り論議をしておりませんので、我々、若干教育していただかなくてはいけませんから、最初に文部省から説明していただいて、その後、論議をするという順序になっております。

 それでは、「奉仕活動の義務化(特に小・中学校2週間、高校1カ月)」につきまして、皆様から御自由に発言していただきたいと考えております。特に前回、発言していただけなかった方におかれましては、ぜひ、発言していただきたいと思います。それではよろしくお願いします。

【牛尾副座長】 座長、運営上、前回みたいに偏るとまずいので、25分ずつぐらいに3つのテーマを分けて審議をしていただいた方が良いのではないでしょうか。

【江崎座長】 今日は大丈夫、森総理がおられないから(笑)。

【牛尾副座長】 一応25分ずつぐらいで行った方がいいと思います。

【江崎座長】 25分ずつぐらいでやりましょう。それでは「奉仕活動の義務化」について、皆さん御意見お願いしたいと思います。

【藤田委員】 質問よろしいですか。

【江崎座長】 はい。

【藤田委員】 第1分科会の方にお伺いしたいのですが、この場合に「奉仕活動」という言葉で、どういうものをイメージしたらいいのかということを少し御説明いただければと思いますけれども。

【江崎座長】 奉仕活動のどういう活動を。

【藤田委員】 活動の内容とか形態とかですね。

【江崎座長】 これは、この前、河合委員も内容がどうかということが大事だというようなことをおっしゃって若干議論をいたしました。第1分科会の森委員から。

【森委員】 今、考えておりますことは、体を使う、農作業とか森林の整備、高齢者介護の補助、もっと具体的に言えば、町の清掃活動などでもいいと思うのですけれども、そういったことが議論されています。体を使うというところに。

【江崎座長】 体を使うということ。それでは河合委員。

【河合委員】 これは奉仕活動、今、兵庫県で「トライやる・ウィーク」というのをやっていますが、あれは奉仕ではなくて社会体験といいますか、結果的にはたくさん奉仕になっておるわけですが、もうちょっと広くとっているのですが、奉仕活動というふうに限定されますか。

【森委員】 社会体験を含みますが、“奉仕”というところに意味があるのだと思うんです。今まで、社会的に受けた恩恵を社会に還元するという、心のリサイクル社会といいますか、そういったことが基盤になっています。

【梶田委員】 補足にもなりませんけれども、“奉仕”ということと“ボランティア”と混同した論議が一部でやられています。今、森先生のおっしゃったように「人のために何かをやる」、これが第1分科会での大きな論議だったわけです。ですから奉仕活動は単なる社会的な活動ではなくて、「人のために」ということが大切になります。具体的には、例えば、曾野綾子先生が非常に強調されておりましたように、高齢者社会に向かう中で、もっと若い世代が高齢の方々に対してサービスする。奉仕というのは、一つの訳し方はサービスです。こうしたサービスとしての奉仕体験をずっと積み重ねなければいけないのではないか、という論議が一つあったと思うんです。

 もう一つ、トライやる・ウィーク、私も河合先生の驥尾に付して、兵庫県の論議に参加させてもらいましたけれども、兵庫県のトライやる・ウィークは非常に広い活動がやられています。しかし、ここでの提言ではもっと絞って、一緒に起居をともにしながら、共同生活をやりながら奉仕活動に参加するということです。この報告書にそういう文言が入っております。鹿児島の例を沈先生が出しておられましたけれども、そういうようなことも反映された奉仕活動の具体的イメージということになります。少し補足させていただきました。

【河野委員】 私も基本的に賛成なんですが、学童疎開ではないですけれども、そういうような印象もある場合もあって、義務化とかそういうものに対して、ある程度抵抗もあるのだろうと思うんですね。

 私はさっきお話がありましたけれども、小学生というのは1年から6年まで学年があるわけで、最初は、例えばごみ拾いなどでもいいのではないか。清掃というんですか、そういうことも奉仕の一つでありましょうし、年齢によっていろいろ考えていいのではないかと思うのと、これが国民に受け入れられるように、短兵急ではなくて、少し時間をかけてゆっくりやって、試行錯誤をしても、ぜひ実現する方法を考えていただきたいと思います。

【江崎座長】 今、ちょっとおっしゃいましたけれども、“奉仕”というのの義務化ということについては大分メディアその他が抵抗があるように思います。つまり、これは国民運動ですから、国民全体が納得する線で進めるべきだと私は思います。ですから奉仕ということは、先ほどボランティアではないと。それでは一体奉仕というものはどういうことか。強制されたものも、それは奉仕と言ってもいいかどうかということですね。

 それから“義務”という言葉も二つの意味があると思うんです。義務という意味には、当然なすべきことというのが義務ですね。もう一つは、国家が決めた法律で強制的にする。義務というのをどちらの義務かということもここで論議をされた。つまり社会に奉仕するのは国民の義務である。その義務は当然なすべきことということ。しかし、18歳は1年やれということは、もう一つの、国家が法律で決めた義務になるわけで、ですから、ここで言う義務化は当然なすべきことではなしに、今、言った法律で決めて、これを強制するわけですね。ですから奉仕というものはボランティアではないわけですね。そうすると奉仕とは何を奉仕というかということをもう少しここで詰める必要がある。その辺で国民がこれをどう受けるか。

 今、河野委員がおっしゃったように、これは一つの提案で、教育改革にはいろいろやりたいことがいっぱいあるわけですから、この問題で余り原則的なもので論議されるのも時間のロスのような気も私はするので、そういうことで、皆さん方の御意見を賜りたいと思います。

【河上委員】 現在の学校の状況を考えると、小・中学校で2週間、高校で1カ月の共同生活による奉仕活動の義務化は、学校の教育力が低下している状況を考えると、教師の側が助かると率直に申し上げたいと思います。

 前から申し上げておりますように、この10数年、学校の中で生徒たちが共同生活(学級の社会生活)をすることと、行事などでみんなで一緒に頑張る、そういうことがどんどん壊れてきている現状があります。理由はいっぱいありますから、それを今ここで言うつもりはないのですけれども、学校だけの力で、生徒たちが社会性を身につけるために、みんなで一緒に何かに取り組むということがどんどんできにくい状況になっています。ですからこういうことを提起してやることは学校としてはすごくありがたい。

 しかも、これは情けない話なんですが、ここ10数年、特に30代から40代の若い教師たちが非常に個人主義的な傾向が強くなっていますので、教師自体も社会性を鍛えるような能力が落ちているわけですね。ですから率直に言うと、これは学校だけではとてもできませんですから第1分科会で出ていたように、例えば県なら県がどこかに施設をつくって、そこに学校の教師と生徒が参加する。そして、そこの施設にバックアップするようなスタッフを置いてもらって、そこで一緒にやることがどうしても必要だと思うんですね。そのために青年海外協力隊の体験者、あるいはボーイスカウトの経験者、そういう人たちをそこにスタッフとして置いてもらう。ですから、この中には、生徒に対する社会性を身につけさせるような活動と同時に、教師に対する教育が大きいのではないかという気がしています。

 もう一つ、申し上げますと、何をやっても、かったるいからやりたくないや、という生徒が当然いるんです。しかし、みんなで一緒にやるということをずっと日本は伝統的にやってきましたから、一緒にやるといいことの方が実は多いんです。どんなに強制したとしても、嫌だという生徒が出ますから、それは当然無理強いはできないですよね。ただ、少なくとも8割、9割の生徒が、同じようにそういう体験をすることは現在の学校の状況を考えると非常にありがたいという気がします。

【江崎座長】 わかりました。その場合、嫌だという者がおったら、そのまま置いておくというわけですか。

【河上委員】 現在でも、小・中学校は義務教育ですから、例えば遠足へ行くといえば、義務とは教師は言いませんけど、基本的にはみんな行くことが前提ですよね。高校は義務教育ではないですから違う要素が入ってくるとは思いますけれども、小・中学校の2週間の共同生活の奉仕活動の義務化は、私はそんなに難しくないと思います。

【江崎座長】 わかりました。ありがとうございました。今井委員、その次、上島委員。

【今井委員】 私は小・中学校に共同生活による奉仕活動というか、社会体験とか自然体験とかも含めてという意味で提案したのですけれども、今、先生おっしゃいましたように、生徒たちも先生もということもあったのですが、プラス1週間から2週間ぐらいの長期のそういう共同生活ということになりますと、当然保護者もその中にかかわって支援していこうと。これだけ長い期間泊まるということになりますと、お父さんの出番も当然出てきます。これがだんだん定着されると、企業にも夏休みは、ぜひお父さんもこういう活動への支援をお願いしたいということにもつながっていく。これは子どもたちだけではなくて、先生も、特に女性の先生は、キャンプとか、私たちが開催してもなかなか参加していただけない。教頭先生たちは出てこられるのですけど。また、地域の、今、言われたような青少年を育成する施設ですが、一番問題になるのは指導者の数が足りないことではないかと思います。そういう意味で、指導者の養成に財政的な支援をいただければと思います。

 私は奉仕だけに限らず、様々な中で、それも学校、学校に特色が持たせられるようなプログラムをそれぞれで組むことが一番ベストだと思います。

【江崎座長】 そうですね。子どもたちに刺激を与えるようなプログラムを組むと。それでは、上島委員。

【上島委員】 奉仕活動の意味で、私も広い意味で社会体験の方が、自然体験、職場体験とかも含めての方のとらえ方をぜひしていくべきだろうと思います。

【江崎座長】 社会体験の方ですね。

【上島委員】 義務化なんですが、義務となると、どちらかというと、やらない人のマイナス評価にどうしてもつながっていくと。ですから今回の義務化は、やった人のプラス評価を常にセットで考えていくべきだろうと。先ほどやらなかった方はどうするんですかと、座長もおっしゃいましたけれども、ですからやった方をいかに評価をするか。例えば1週間やった。それも評価の仕方もいろいろあると思うんですね。協調性が出てきたとか人間性が出てきた。同じ義務化でも、セットで、常にやらなかった人だけを罰していくという評価ではないようにですね。

【江崎座長】 やった人を褒める。

【上島委員】 それをやっていけばいいと思います。

 最後に職場体験で、今、中小企業、零細企業で実際に受け入れがどうかというと約半々です。今、我々の6万人の中でアンケートをとりますと。5名以下であれば、70%ぐらいは可能。1日だったら40%、1週間であれば25%ぐらいは何とか5名以下であればできるというのが現状です。今の職場体験というのを踏まえたらそのような受け入れ意識です。

【江崎座長】 ありがとうございます。それでは、浜田委員、その次に森委員、浅利委員。

【浜田委員】 私は小・中・高を通して“奉仕”という言葉で通すのはちょっと無理があるのではないか、世論の反発も相当あるのではないかという感じがします。私は基本的には、小学校時代は屋外でいかに健全な遊びをするかという方を推進する。中学校ぐらいで外で奉仕に結果的になる、ならないにかかわらず、屋外で作業、勤労をするという体験を絶対していただきたい。そして、それだけの経験を経て、高校時代の年齢でようやく奉仕という具体的なステップではないかと思うんですけれども、そう思いながらも、考えてみたら、義務化して集めるのに、奉仕という中心軸がなくて、遊ぶために集まれというのはあるのかなと考えたりもして迷ってはおりますが、基本的には小学生から国に恩返しをするために集まれというのには相当な、大人がそれではどれだけのことをやっているかとか、いろんな反対のための反対もかなり反発強そうな気がして、そのステップというふうに思います。

【江崎座長】 ありがとうございます。それでは森委員。

【森委員】 義務化についてですが、私は子どもの場合と大人の場合を区別する必要があると思うんです。大人の場合は義務と権利とは表と裏で、権利については、大人は享有権と行使権がありますが、子どもの場合には享有権しかないんですね。だから義務についても同じようなことが言えるので、子どもは当然なすべきことというのはわからないんです。これは教えるしかない。だから教育にある程度強制の契機が必要だというのはそういうことだと思うんです。だから私は義務化。

 義務化というと、皆さん新たに何かつけ加わるように思っていらっしゃいますけれども、義務教育で教育内容でやっていることは全部義務化なんです。国語教えているのも算数教えているのも、言い換えれば義務になっているんです。そういうことを考えれば、教育課程の中に奉仕活動が位置づけば、何も問題ないし、位置づけなくても、既にやっているところがありますし、これは私はぜひやっていただきたいし、これだけで問題解決するとは思いませんけれども、必ず落ちこぼれや例外がありますが、例外を議論して原則を覆すような愚かなことだけは避けたいというのが第1点です。

 もう一つ、義務について言えば、義務というのは、私は国が国民に強制するのが義務だと我々は一般に言っていますよね。奉仕の場合には自己犠牲を伴いますけれども、自己犠牲が自己実現と重なり合うような、そういう理想的な人間像ということを考えますと、そういうことは大人でも難しいとおっしゃいますが、だからこそ今の子どもにそれが実現するように子どものときから教えなければいけない。それを大人がやってないから、子どもは無理だと言っていれば、これは百年河清を待つようなもので、いつまでたってもだめなんです。ですから、私は30年後、60年後に、(ジェネレーションは30年ですから、)今の子どもたちが奉仕活動をすることによって、今の大人より少しはよくなっていると。その大人に育て上げられた子どもが、また60年後に、大人になったとき、もっとよくなっているということで、 100年ぐらいたてば、国民全部がよくなるのではなかろうかなという期待を持って言っております。

 それから、最後に、“奉仕”という言葉にこだわりますのは、今の子どもには社会性がないと言われております。だから、社会性を育てるのが目的だと言われながら、その具体的な方法はなかなか出てこない。社会体験では育つかもしれません。しかし、それは私は社会体験だけでは無意識的に学習しているだけで、将来、何か気づくかもしれませんが、今わからせるためにはやはり奉仕として義務づけた方がいいのではないか。 今、いろんな少年問題は全部子どもの孤立化といいますか、「孤立化」から来ていると思うんですが、そういう意味で、私は共同生活による奉仕というのはぜひやっていただきたい。以上です。

【江崎座長】 奉仕、このことにつきまして、私のような年代の人間には、ちょっと思い出すことは、例えば、この前の河合先生の話でありますが、昔、兵役の問題で、理工系は兵役免除といいますか延期されているわけです。これは兵隊に行きますと、それだけ理工学の進行が遅れると。現実的に多分これは学力低下というものにもつながる可能性があるわけですね。例えば、そういうことも一応考える必要があるということで。

(古川官房副長官退室)

【森委員】 今、18歳の議論してないんですが、今、小・中・高の議論をしている。

【江崎座長】 例えば18歳というのが非常に表に、第1分科会の提案が、ひとり歩きかもしれませんが、出ておりまして論議されておりますけれども、それでは浅利委員。

【浅利委員】 第1分科会の委員として、今、森主査の御意見を補佐したいのですが、「日本人へ」という文章、我々の議論を全部まとめて、曾野綾子さんが書かれたものです。これは後に残る名文だと思っています。彼女は文学者として責任持って“奉仕”という言葉を使ったと思うんですね。何となく“奉仕”と書いているのでは全然ない。また、曾野さんの提案は、奉仕が非常に重要な柱になっています。18歳から1年間ということが彼女の提案ですが、現実問題としては難しいという意見もあります。ですからまず小・中・高で2週間、1カ月と積み重ねていって、社会が認知してもらい、もっと広げていくというのが第1分科会の提議です。

【江崎座長】 奉仕と何ですか。

【浅利委員】 社会体験、自然体験という言い方は平面的で受動的だと思います。“奉仕”というのは、他者とともに暮らす社会を認識するということであって、辛くても他人のために自己犠牲を払うということが含まれています。それが今の子どもたちの社会認識に最も欠けている部分だと思うのです。ですからどんなことがあっても、この言葉は変えるべきではない。

 マスコミとの懇談会でも奉仕に対する抵抗がありました。これはおかしかったんですが、義務教育の義務というのを基礎教育に直そうと言うと、義務というのは全然抵抗がないというんですね。奉仕という言葉には抵抗がある。しかし、私は口当たりのいい言葉を使って、内容さえ入ればいいじゃないかという議論ではこの際ない。どういうことを社会に訴えていくかということが問題なんです。第1分科会としては、「奉仕」という言葉を使わないとすると、議論が根本から崩れてしまうというふうに考えております。

【江崎座長】 “奉仕”という言葉をこういうことだということをもう少し徹底する必要がありますよね。

【浅利委員】 奉仕とは何だということを議論し、子どもたちが考える、そこがまたとても重要なことだと思います。

【江崎座長】 重要なポイントだと思います。

【浅利委員】 過去に勤労奉仕とかいろんなことがあったからやめようという議論はちょっと違うと思います。

【牛尾副座長】 添付する上の10枚に奉仕を使う場合は丁寧に書く必要はあるでしょうね。それが詳しく書いてないから。

【江崎座長】 書いてないから、それを書く必要がある。それでは藤田委員。

【藤田委員】 趣旨はわからないではないんですが、やはりこの国民会議で異論もあったということをぜひ私は記録にとどめたいと思って発言したいと思うのですが、幾つか具体的な点で疑問があります。まず、先ほど「共同生活」と言われましたが、それがセットになっているとするならば、その共同生活は学校単位で行うのか、それとも地域や学校を超えた形でどこかのセンター・施設で行うのかによって全く意味も違ってくるし、管理の仕方というか、やり方も違ってくると思います。また、共同生活ということになると、さまざまの指導上の問題やトラブルも起こってくると思います。

 それから、先ほどちらっと、特別にそのためのスタッフを置いて施設へ行ってというようなことが言われましたが、もし、そういう形でやるのだとすれば、単に“奉仕”ということの重要性を考えさせるというようなことではなくなると思います。たとえ2週間であっても、共同生活というものに日本の若者たちが一斉にどこかへ行って、もちろん全部一度にということではないでしょうが、何かをやるということになりますから、社会の在り方として非常に大きな変化の可能性が込められることになると思うのですが、そういう意味で、もしそうだとするならば、他の分科会の一連の提案内容との間に非常に大きな矛盾をあると私は思うんですね。ですから、そうだとしたら、その点についての考え方をきちんとする必要があるのではないかということが2点目です。

 3点目は、先ほど江崎先生も学力低下の問題をちらっとおっしゃられましたが、学校完全五日制で、年間の総授業時間数は世界でも最も少ない部類に入る、たぶんドイツに次いで少なくなると思いますけれども、そういう状況の中で、学力や学業の問題をどう考えたらよいのか。この2週間なり1ヶ月なりは夏休みを使うのか正規の授業時間数を使うのかによっても全く違ってくると思いますが、そういった点についても、どのようにお考えなのかということをお聞かせ願えればと思います。

【江崎座長】 ありがとうございました。あと、沈委員で最後にしたいと思います。それでは。

【沈委員】 私はこの問題では、前の方の共同生活、ここに大きなウエートを置くべきだと思うんです。学年や学級が並行移動して奉仕ということをやってもさほどのことは、むしろ異年齢の交流によって地域の社会的な縦の構造がよくわかってくる。これからインターネットとかゲームの時代でありますから、彼らはそういうものを通して遠い世界は知っていますけれども、隣の人とか1学年下の子どもとつき合うということも知らないような、没社会的な子になってくる。これを排除するためにはどうしても異年齢の交流、それに中心を置くべきだ。そこにはテレビもゲームもない。そして10日なら10日、自分たちが自炊しながら、親の苦労も知って、まず親の御苦労を感ずるようなことの方が社会の奉仕と大きくまたいでいくよりも、手前の親に感謝する。こんな難儀をして、おれらを育ててくれたかということを思わせるようなことの方が極めて大事だろう。

 こういうことを言うと、すぐ若衆宿かといいますけれども、これは若衆宿とは違って、新しい教育理念を持ってやったならば、むしろ田舎を考えてみても、奉仕とおっしゃいますけれども、すぐ学生が何10人出かけて行って、奉仕やりますといったときに受け入れる先があるのか。日本は広いですから、東京でも私は簡単にはいかないと思いますよ。気持ちはわかる、しかし結構だと。暇があったら勉強してくれという大人の方が多かろうと思うんです。私はそれは率直だと思うんです。だから異年齢の交流によって、自分たちの周囲の人間に感謝と友情を持っていく。問題はそれからだと思うので、第1分科会の中で異例の見解があったこともお考えいただきたい。

【江崎座長】 ありがとうございました。それでは、どうもありがとうございました。

 引き続きまして、義務教育の開始年齢を保護者の選択と学校の判断により1年程度早めるか、遅らせるについて御議論したいと思います。皆さんよろしくお願いします。最初は5歳入学ということだったと思いますが、そうではなしにプラスマイナス1年、そこに余裕を持たせる。ませた子どももいるでしょうし、遅れた子どももいるでしょうし、早く勉強した方が伸びる子どももいるに違いない。しかし、そうでない子どももいる、いろんな教育のプリンシプル、理念がありまして、例えばアメリカあたりでも知っているんですが、余り早くから学力をつけると、むしろ創造性がなくなるという説も、シュタイナーですか、河合先生なんかがよく御存じですけど、ですから選択するという習慣、それ自身大変大事で、お上の言うとおりというのではなしに、自分たちが子どものことを真剣に考える機会を親たちに与えることだと思います。それでは皆さんこの件につきまして、ご議論していただければ幸いだと思います。

【藤田委員】 日本の場合、保育所も入れれば5歳児の就園率は90%を超していて、世界でも最も高いと言っていいと思いますし、そのうちの半分以上を占める幼稚園では、カリキュラムは学校教育と同じとは言わないにしても、学校教育に近いところで現に行われていると思うんです。他方、例えばイギリスの場合、5歳児と6歳児の段階はインファント・スクール(幼児学校)と言われて行われておりますけれども、その実態は私は日本の幼稚園にむしろ近いように思うんですが、そういったことを含めて考えたときに、1年はやめて5歳から入学できるようにするということの意味とねらい、そして、また、その形態、内容についてもう少しお聞かせ願えればと思います。

【江崎座長】 木村副座長、何かありますか。

【木村副座長】 一つの論拠としては、今、先生言われたように、5歳児で90%幼稚園へ行っており、幼稚園でも実際に今のお話のように学校教育に近いことが行われているという点があります。そうであれば、5歳から小学校に入れてもいいのではないかという議論です。初めは全部5歳からという話もあったのですが、議論を重ねていくうちに、今、座長おっしゃいましたように、選択という、日本人が最も不得手なところに対しての問題提起ということも含めて、親が判断し、かつ学校も判断して入学させるといったシステムは、日本のこれまでのシステムに対して大きなインパクトを与えるのではないかということからの提案になりました。

 私も、以前に申し上げましたが、スコットランドで現実に見てまいりましたけれども、5歳で入れるか6歳で入れるかの議論は本当に大変でありまして、学校の先生も、加わって実にまじめな議論がされていることに、非常に強い印象を受けたことがあります。

【河合委員】 私はそのぐらいの年齢で、いわゆる教育、勉強というか、そちらの方に余り熱心にならない方がいいと思っている方でして、もちろん高等学校、大学というあたりで急に物すごく伸びる時期がありますので、そこは大事ですけれども、特に5歳から小学校へ行くというと本人の意思はないですね。親の意思なんですね。そうすると親の意思で早くから勉強した方が勝ちというふうに思われても、私は結果的には余り意味がないという気持ちを持っております。

【江崎座長】 大変選択が難しいというのが河合委員。

【上島委員】 第2分科会のいろんな議論の中で、この審議事項についてもよくこの開始年齢だけに絞られたかわからないんですが、大きな意味で義務教育をどう考えるかという議論を第2分科会でずっとしてきたわけです。この国民会議でメッセージ出さないといけないのは、もっと地域の独自性を出していくということ。保護者の選択ができる義務教育にしていくか。学校の判断というか校長先生の、例えば権限を出していく。義務教育全て、学校そのもので必ず親は選択していかないといけないのか。例えば新しい学校、コミュニティ・スクール的な中でも、保護者の選択もそういう義務教育は必ず学校がしないといけないという、大きな意味での義務教育の選択をもっと地域独自でできる、保護者ができるという大きな意味での議論を第2分科会はしていたと思うんです。

 それをぐっと開始年齢だけに私は絞るべきではないと思います。ですからあくまでも保護者の選択と開始年齢と独自性を大きな意味で義務教育の中に入れていけれるかということが大事ではないでしょうか。

【江崎座長】 今、河合委員がおっしゃったように、人間というのは小さいときが大事なのか、幼児教育が大事なのか、あるいはティーンになったときの成長が大事なのか、いろんな議論があるように思うんですが、浅利委員。

【浅利委員】 このお話は、最初の全体会議で現場をリポートしてくださった河上先生が悲痛な学級崩壊の状況をお話されて、親たちがもっとしつけをちゃんとしてから学校へ入れてもらいたい。しつけのできてない子どもが6歳で自動的に学校へ入ってくるというのではなく、もう1年家でちゃんとしつけて、共同生活ができるように、挨拶もできるようにしてから連れて来てくださいということを、学校や教師が言えるようにしてもらいたいというところから出た議論なんですね。

 ここから多様性の議論になり、5歳入学の議論にもなったと思う。むしろ、6歳になったら必ず学校は受け入れなければならないということにしない。1人の問題児のために他の生徒が勉強できなくなるような事態を避けたいというところが、入学年齢選択制の議論だったと思う。そこに立ち戻っていただきたいと思います。

【江崎座長】 そうですね。大宅委員。

【大宅委員】 私もこれを読んでいてそう思ったんですけれど、5歳にするというニーズというのは今まであっただろうか。もっと早く行きたいのに6歳まで待たなければいけないという話は余り聞いたことがなくて、どっちかと言えば、遅らせる方がニーズがあるなと。例えば3月生まれで、どう考えても、うちの子は幼いと。1年遅らせたら、その次の学年ぐらいと一緒になれるなという話があるのではないか。そちらにはニーズがあるような気がする。

 今、浅利さんがおっしゃったみたいに、しつけもできてないのは断れる一つのものになるというのは意味があると思うんですけれど、基本的に我々第2分科会で、学校は親が選択しようとか、選択権を親が持つという、押しつけや背景ではなくてという意味でのインパクトは物すごく大事だとは思うんですけれど、果たしてどのくらいニーズがあるか。国民側のニーズと学校のニーズと社会、国全体のニーズをいろいろ考えると、結構これは難しいところがあるのではないかという気がします。

【江崎座長】 ありがとうございました。これは個人的なことですが、うちの家内は3月に生まれたんだけれども、届けを4月にしたそうですから、こういうケースもある。今井委員。

【今井委員】 私は塾通いが低年齢化してくると思うんですね。だから、基本的に私は5歳児から入れるということは反対です。そして、今の親は、特に若い親になれば、自分の子育てにとても自信が持てなくて、周りがやっていることとみんな同じことをするという部分の傾向は今でも強いので、その辺に危険を感じます。

【河上委員】 浅利さんが代わりに言ってくれたので余り付け加えることはないんですけれども、日本の学校がこれまでずっと伝統的にやってきた生活を教えることと、教科を教えることの二本柱は捨てるわけにいかないと私自身は思っています。河合さんが先ほどおっしゃいましたけれども、小学校の低学年の段階では、まず生活とか学習に対する構えというのでしょうか、中身よりもそういう構え、そういうものをつくることが決定的に重要なことだと思います。それが何歳でというのは私よくわかりませんけれども。私が第1分科会でも盛んに主張した点は、先ほど浅利さんから代弁していただきましたけれども、とにかく最近、小学校の社会生活にとても耐えられない子どもが大量に入ってきていますので、学校の側と、親とがよく相談して、1年なら1年、おくらせて、こういう点を何とか家庭で頑張ってほしいということが必要だということです。ただし、この場合には、家庭だけの責任にするわけにはいかないと思うんですね。もっと社会的なバックアップというのでしょうか、これは文部省がやるのか厚生省がやるのか私はよくわかりませんけれども、そういうような場を用意した上で、こういう点を最低限身につけないと、大人になるための学校へは行けないんだよというメッセージをはっきり出すことが私はすごく大事だと思っています。

【江崎座長】 その場合に、幼稚園というのに90%行っているわけです。幼稚園は耐えられるんだけれども、小学校はいけない、そういうことですか。

【河上委員】 幼稚園の教育内容がどうなっているのかということはよくわかりません。ただ、私の狭い体験しかありませんけれども、最近は、幼稚園の社会生活に耐えられない子どもが大量にいるということのようですね。実際には幼稚園の先生方というのは非常に若い方が多いですから、非常に混乱している状況でも、それをうまく収拾できないまんま、過ぎている幼稚園がたくさんあるということのようですね。

【江崎座長】 幼稚園の教育をもう少しアップグレードするということですか。

【河上委員】 私はそこまではわかりません。

【江崎座長】 教育全体と考えると、そういう可能性もあるのではないか。それでは、河合委員の次に田村委員。

【河合委員】 幼稚園も保育園もですけど、非常によく頑張っておられるところもあります。ところが今全体の傾向として、特別難しいところが出てきているんですね。だから、そのときにやはり幼稚園なり保育園なりで、今、河上先生が言われたようなことが大切なんであると。そういうことをちゃんとしてもらって、小学校に入るのだということをはっきりされたらいいのではないかと思いますけれども。

【江崎座長】 ありがとうございました。それでは田村委員。

【田村委員】 幼稚園の話が出ましたので、私は現実に幼稚園の園長をしてますので、いろんな関係でよく実態わかっているつもりですが、幼稚園がちゃんと教育してないということは全くない、非常に頑張っています。ただ、例えば幼稚園の親が、遅れてきますね。昔だったら幼稚園の先生に、親が「遅くなってすいません」と一言言って、子どもを教室に入れたんです。今はどうだと言うと、子どもを「はい、行きなさい」と言って、先生に一言も言わないで帰っちゃうんですね。先生の方がびっくりしちゃうわけです。それは変化だから、それに応じて教員はちゃんと頑張ってやっているわけです。そういう変化を、私は申し訳ないけど、現在の小・中は受けとめてないのではないかという気がしますね。すごくそういう意味では親が変わってきているんですね。学校は変わらないで、親が合わせてくれなければ困るという言い方をすると、今は通用しない時代になっていると幼稚園の現場は思っています。

【江崎座長】 大臣、一言だけ。

【大島文部大臣】 大変な貴重な御意見を伺わせていただきまして、ありがとうございます。いずれ、先生方からいただいた御提言は、政治の場においてきちんと受けとめて形にしていかなければならない。この覚悟と決意だけは申し上げて、今日は失礼をさせていただきます。ありがとうございました。

【江崎座長】 どうもありがとうございました。

【大島文部大臣】 ありがとうございました。

(大島文部大臣退室)

【藤田委員】 この点についても、私、幾つか疑問があります。先ほど浅利さんや河上さんが言われた、しつけや社会生活の基本をきちんと身につけさせるということの重要性については、私も全くそのとおりだと思いますし、この点で、この20年ほど日本社会が問題を抱えてきたことはそのとおりだと思いますので、何とかしなければと思うんですが、疑問が二つあります。

 一つは、たとえ保護者の選択で1年早めるかどうかを決められるとしても、そうなった場合のことを考えますと、当然人手がかかるということを覚悟しなければいけないと思うんですね。この時期の教育については。人手がかかるということは大量の予算をつぎ込まなければいけないということです。それをこの時期につぎ込むのか、それともほかのところでつぎ込むのかということは、考えなければいけない問題だと思います。

 もう一つは、1990年頃でしたか、幼稚園教育要領が改訂されましたし、保育所でも、指導要領が変わりましたよね。

【森委員】 保育指針。

【藤田委員】 それで、自由保育といいますか、そういう要素が非常に前面に出ることになりまして、多くの保育所で、幼稚園でも一部ありましたけれども、先生方の間にかなり意見の対立があり、そして結果的に自由保育と言われるもの、放任保育とも言われるような状況が広まったということもあちこちで言われておりますけれども、この10年ほど、家庭におけるしつけもそうですが、保育園や幼稚園の教育も変わってきているようにも思います。

 例えば幼稚園ですと、リトミックとかいろんな集団で行う活動が日本の幼稚園ではこれまで随分行われてきたと思いますが、そういった活動に対するネガティブな評価がこの10年ほど広まってきていると思うんですね。ですから、そういったことを含めて、幼稚園や保育園のカリキュラムや指導・保育のあり方も考えていく必要があるのではないかと思います。

【森委員】 それは賛成です。

【浅利委員】 この問題は学校・教師、幼稚園、子どもたちに対するメッセージではなくて、自分の子どもを学校に入れるまでにきちんとしつけなさい、という家庭に対するメッセージとしてぜひ入れていただきたいのですね。

【梶田委員】 今、大体出ていると思うんですけれども、私は全く違う二つの問題がここに混在していると思いますので、まとめのときに整理して書く工夫しなければいけないのではないか。一つは何かというと、今まで日本は、義務教育、高校まで含めてでしょうけれども、非常に画一的だった、年齢の扱いも何も。それに対してどこかで風穴をあけなければいけない。少し親や本人が選んでやれるようにならなければいけない、その問題が一つあると思うんです。これは非常に重要なので、例えばという意味で5歳の問題が出ていると思うんですね。それだけではないのですけれども、例えばということで、風穴をあけるということが一つ。

 もう一つは、今回余り議論されてないですけど、昭和46年の中教審答申、これの中で、子どもの、特に小さい段階での心身発達の現状と幼稚園や小学校のカリキュラムが齟齬を来していると、膨大な資料を添えて出されているわけですね。しかもその後、文部省が教育研究開発室をつくって、それについて資料を集めています。したがって、今の5歳児から入れてもいいという話は、そういう幼児期における教育の在り方を内容、制度ともに問い直す、そこの一環としてこういうこともやらなければいけないのではないかという出し方になるのではないかと思うんです。この二つはかなり違いますので、書き分けていかなければいけないだろうと思います。

【江崎座長】 ありがとうございます。何かほかに。木村副座長。

【木村副座長】 多分この提案をそのまま義務教育、現在の6歳を1年早めるか遅くするかという出し方をすると世の中は相当混乱すると思います。今の日本人の考え方ですと、みんな雪崩を打って5歳にしようということになるでしょうね。それをそうでないよということを、親御さんにわかってもらう仕組みを社会でつくらなければいけないと思います。

 前にもここで発言したのですが、私、非常に尊敬しているのは、掛川の榛村さんという市長さんです。掛川をいい町にしたいということで、バブルのときにも一切大企業に土地を売り渡さなかった。それは市長が頑張ったというよりも、生涯学習のシステムをつくって、これは文部省はよく御存じですけれども、みんながそれに参画して、やはりそうだなということを納得して、その結果ああいうとてもいい環境のコミュニティをつくっていった。そういうことを全国で広めていく必要があると思います。

 そういう点では、掛川市というのは非常にいいサイズだったという気はするのですけれども、ああいうことが可能なんですね。掛川の駅前の並木は、普通の並木と違って、独特の混植の並木ですから非常に木が元気ですね。それも全部榛村市長のアイディアで、みんなが理解してやっている。ああいうことが草の根で可能ではないか、そういう気がしてしようがないんです。もっともあれが東京で出来るかどうかはサイズの問題からすると別だと思いますが。

【森委員】 このメッセージは、私は家庭に対するメッセージであるとともに、家庭教育を補完する幼稚園を目覚めさせるメッセージでなければいけないと思うんです。そういう意味では、今の幼稚園は学校教育にシフトしすぎて、上を向いて歩こうではないですけれども、学校の準備、準備、準備なんです。そうではなくて、本来の家庭教育の補完ということをもっと考えるべきなんで、それを考えると敬語をはじめとする言語中心のしつけだけをやってもいいのではないか、そのくらいのことを言った方がインパクトがあるのではないかと思うんです。以上です。

【沈委員】 河上先生から、学校の集団生活になじまないような子どもは1年生には不要であると。家庭がしっかり教えろというお話が出ました。私は孫と一緒に住んでおります。彼らの時間を見てみると、11時間は寝ていますよ。そして、朝8時になったら保育園に行きます。そして5時半から6時に帰ってきます。彼らが一番ピチピチして元気な時間、10時間は保育園が拘束しているんです。家庭の教育を施す時間というのは、帰ってきたら疲れてますから、飯を食わせて風呂に入れたらすぐ眠ってしまう。お母さん方はいつ3歳児に教育をするのか。

 私はそういうことを考えると、1年繰り上げる前に、10時間、一番大事な時間を拘束している保育園そのものの教育内容、これは幼稚園は拘束4時間ですから、ここは文部省の配下にあって勉強も大事にしております。しかし保育園は保育が重点で。

【江崎座長】 保育園は厚生省ですか。

【沈委員】 厚生省です。ですから、そこについてはほとんど手が伸びない状況です。しかも私立が多かったりしますと、教師の採用も人事的に偏ったものもあったりして。

【江崎座長】 保育園は3歳から4歳。

【沈委員】 0歳からですよ。

【江崎座長】 0歳から。

【沈委員】 だから、そういう三つ子の魂百までといったら、まさに保育園10時間の教育が三つ子の魂を決めるのだろうと思うんです。

【江崎座長】 だけどマジョリティは何歳ぐらいから入るのか、0歳といっても、原理的には0歳だから、やっぱり3歳ぐらいか。3歳ぐらいだろうね。

【沈委員】 お乳を持って保育園に行っています。

【江崎座長】 しかし、大体平均的には。

【沈委員】 大体満1歳になったら田舎の子は入っていきます。そうしないと親が働けないですから。保育園がなかったら、日本の産業は。

【牛尾副座長】 保育園というのは働く女性のバックアップですから。

【沈委員】 それほど大事なところに、しかも一番大事な時期に教育が計画的になされていない。保育士は一生懸命ですけれども、保育が中心であって、あくまでも幼児教育というのはつけ足りだと思うんです。ここに教育的要素を与えていく必要がある。そうしたら、学年の1年生の入学時期を云々するよりも、より立派な形の集団生活になれた子どもを河上先生の学校に送り込むことができる。

【江崎座長】 幼稚園は大体5歳から行くわけですか。

【牛尾副座長】 3歳、4歳、5歳といった年齢で保育園や幼稚園に行くのでしょう。

【銭谷担当室長】 座長、文部省の局長が来ていますので。

【文部省初中局長】 そんなに正確な資料を持っておりませんが、5歳児が95%保育所ないし幼稚園に通っていますけど。

【江崎座長】 5歳児が95%。

【文部省初中局長】 95%の子どもが就学前教育を受けてくると。そのうち、65%ぐらい多分幼稚園で、保育所が30%。4歳児になりますと、それがもうちょっと下がりますけれども、比率が大体半々ぐらいになります。

【牛尾副座長】 保育園が増えるわけですか。

【文部省初中局長】 保育所が増えます。3歳未満は保育所。

【江崎座長】 3歳になるまでは保育所が 100%。

【文部省初中局長】 もちろん2歳、1歳、0歳は保育所。

【江崎座長】 3歳で保育所に行っているパーセンテージは大体どのくらいのものなのか。

【文部省初中局長】 申し訳ありません。幼稚園が30%ぐらいだと思います。

【牛尾副座長】 全体の3歳のうちの何%が保育園に行っているのですか。

【江崎座長】 5歳では95%が幼稚園に行っていると今おっしゃった。4歳では何人ぐらい。

【文部省初中局長】 申し訳ありません、正確には。

【江崎座長】 わからない。

【銭谷担当室長】 すぐ調べます。

【江崎座長】 その辺は割合に大事ですから調べてもらいましょう。

【沈委員】 もちろん歌や踊りも教えてくれる。

【江崎座長】 だから沈さんが心配されるのは、そこでもう少し教育的なことを。

【沈委員】 そのために保育士に対してもそういう条件を持って採用するようにすると。厚生省とか文部省という枠を超えて、今、ここは日本の教育を論じているわけですから、どうか、保育園の子どもたち、私の周辺はほとんど保育園です。

【江崎座長】 ありがとうございました。それでは、今井委員。

【今井委員】 幼稚園とか保育園の親の教育ということについてなんですが、私は小・中の方のPTAの方をやっているのですが、小・中の方のPTAは、学校の支援もしますけれども、自分たち自身がしっかり学んで育ち合おうという信念を持ってやっているんですよそれが幼稚園や保育園になりますと、どうしても学校の行事に対しての支援というところが非常に組織が強いので、そこのところをもう少し保護者同士が学び合う会みたいなところにも財的な支援をいただいて、基本的に保護者がそういうスタンスに立てるような指導をしていただけばいいのではないかと思います。

【江崎座長】 親たちにも教育しようと。

【今井委員】 自ら学ぶということですね。

【江崎座長】 学んでもらおうと。

【今井委員】 はい。

【江崎座長】 いいことだと思いますね。

【藤田委員】 すいません、たびたび発言して。

【江崎座長】 ちょっと待ってください。先ほどの統計が。

【銭谷担当室長】 3歳児、4歳児、5歳児の幼稚園、保育所の就園、在籍の状況についてお話しします。

【江崎座長】 つまり33%、33%、保育園と幼稚園ですね。

【銭谷担当室長】 平成10年度で3歳児は幼稚園が30.1%、保育所が31.3%、合計61.4%。4歳児が幼稚園が56.5%、保育所が34.7%、合わせて91.2%。5歳児が幼稚園が61.7%、保育所が33.1%、合わせて94.7%、こういう数字でございます。

【沈委員】 0歳児から3歳児までは。

【銭谷担当室長】 そのデータはちょっと持ち合わせておりません。

【江崎座長】 要するに保育園というところに、小学校に入る前まで保育園に行っている子どもが、今のところはかなりいるわけですね。

【銭谷担当室長】 3割ぐらいですね。

【江崎座長】 3割ぐらいいるということですから、だから幼稚園は一応文部省が管轄しているわけですけれども、文部省、幼稚園だけでは不足だということですよね。

【沈委員】 保育園はどんどん増えていきます。10時間扱ってくれる施設というのは、働く母親にとっては最高の味方ですから。女が仕事に進出すればするほど、4時間預かる幼稚園よりも10時間の保育園が国民的期待をしょってくると。

【江崎座長】 保育園は大体全部プライベートなオーガニゼーションで、幼稚園も……。

【牛尾副座長】 保育園は半分官でしょう。

【江崎座長】 保育園は半分官ですか。

【文部省初中局長】 幼稚園は大体子どもの数で8割が私学で。

【江崎座長】 大学と同じですね。

【文部省初中局長】 保育所は大体市町村が公費で措置しますので、認可保育所は公立の方が多うございます。

【江崎座長】 何かほかに。

【田村委員】 ちょっとその点で、幼稚園は最近「延長保育」と称しまして、保育園と余り変わらない時間預かるということを今やっているところが多いんです。ですから子どもの生活を考えると、幼稚園というのは保育園も含めて決定的に影響があるという沈委員の指摘はかなり私は正鵠を得ていると思います。ただ、よろしいですか、言いかけているから先に、すいません。

 幼稚園が努力していると、先ほどわざわざ言わせていただいたのは、親と密接につながっているものですから、親の変化に合わせて幼稚園は一生懸命変えているんですよね。それが外から見ると、子どもの自由に任せすぎているというような批評になるんですけど、それをしなかったら大変なんですね。だから、その努力はやっぱり小学校でもやっているのかなというのは率直に幼稚園サイドの感覚ですね。

【江崎座長】 わかりました。それでは本当に短くやってください。時間が来ております。

【藤田委員】 私は必ずしも幼稚園がよくて保育所がだめだというふうに言うつもりではないんです。公立の保育所は明らかに地域差がありまして、南へ行けば行くほど保育所の割合が多くなっていますが、南の方の保育所がちゃんとした教育やってないということでは決してないんですね。ですから、これはしつけだとか社会生活の基本というものを、その地域社会がどれだけ重要だと考えているかということにかかっているのであって、保育所に行っているか、幼稚園に行っているかでは必ずしもないということが一つ。

 もう一つは、今、ここでの議論の多くは、集団生活、共同生活を一緒にやったら社会生活の基本が育つという前提に立った議論が支配的なように思われますが、では欧米諸国の子どもたちは、そういう集団的活動が少ないから問題があるということになるのか、欧米の幼稚園や小学校は日本よりはるかに個人化していると言われてきたけど、社会性が育ってないということになるのか。そうではないと思うんですね。基本的には、それなりの時間をかけ、人手をかけ、人の話をきちんと聞くとか、そういったことの重要性をきちんと教えるかどうかだというふうに私は思うんです。そういう意味で、必ずしも集団保育がよくて、そうでない個人化したものがよくないということではない。その事柄の重要性を我々はアピールする必要があって、形態については最善のものをそれぞれの地域や学校で選んでいく方がいいと思います。

【木村副座長】 ちょっと異論がございます。

【江崎座長】 短くしてください。

【木村副座長】 今の藤田先生の話違っていると思います。英国では、非常に数多くのNGOが、子どもたちを夏休み預かるというプログラムがあり、それに多くの子ども達が参加しています。それから、学校でも共同生活をやらせるようなプログラムをたくさん持っています。

【今井委員】 すいません。

【江崎座長】 一言だけ。

【今井委員】 先ほどの幼稚園のことなんですが、保護者が変わってきているということなんですが、それに迎合して、そうじゃないと幼稚園が成り立たないというのはおかしい理屈ではないかと思います。それを徹底的にやっていくことによって幼稚園の特徴も出ると思いますし、まさに、今、私たちに求められているところはそういう点ではないかと思います。

【江崎座長】 いろいろありますが、この問題はこの辺で終わりたいと思いますが、非常に緊急のものありますか。緊急なもの以外には。

【森委員】 緊急ではないですけど、ちょっと異論なんですが、欧米と日本を比較文化するときに大事なことは国民性だと思うんですね。だから欧米のような個人独立型の歴史と伝統のある国の教育と、日本のような集団依存型の国民性の教育と、それを頭に置いて比較しないといけないのではないかと思う。

【江崎座長】 それでは次の問題を取り扱いたいと思います。次は「教育委員会の在り方」について、御議論をお願いしたいと思います。前に申し上げましたように、教育委員会につきましては、文部省教育助成局長から若干の御説明をいただきたいと思います。それでは、よろしくお願いします。

【文部省助成局長】 それでは教育委員会制度の現状等につきまして概括的に御説明をさせていただきたいと思います。お手元に簡単な資料、資料4でございますが、簡単な資料を用意いたしておりますので御参照をいただければと思います。

 教育委員会制度は、御案内のように、戦後すぐの昭和23年に教育行政を行う合議制の執行機関として創設されたものでありますけれども、この教育委員会制度の理念といいますか、基本的な考え方といたしましては何点かに整理することができます。

 それは一つには、教育行政について政治的中立性や安定性を確保するということであります。このため、教育委員会は選挙で選ばれた知事や市町村長のような地方公共団体の首長から独立をした執行機関として位置づけられているわけでございます。

 また、教育委員会の組織運営の在り方でございますが、組織運営の在り方としてレイマン・コントロールということがございます。レイマンというのは素人というふうに訳されているわけでございますが、必ずしも専門家ではないけれども、教育に識見を有する素人である教育委員の合議によって、広くかつ大局的な見地に立って教育行政について基本方針や政策決定を行うという考え方でございます。

 更に、理念と申しますか、第3点といたしましては、教育委員会による教育行政の実施におきましては、先ほど申し上げましたレイマン・コントロールの精神に見られますように、特に民意の反映ということが強く要請されているわけでございます。教育委員会制度はこのような理念や考え方の下に、戦後いわばゼロからスタートしたわけでございますけれども、昭和31年には大幅な改正がなされるなど、新しい制度を定着させるための努力を今日まで重ねてまいってきているわけでございまして、私どもといたしましては、教育委員会制度は戦後教育行政の中で一定の役割を果たしてきたというふうに考えておるところでございますが、先ほど申し上げました教育委員会制度の理念等に照らしまして、教育委員会の現状を見てみますと、なお問題や課題を抱えているわけでございまして、私どもが特に意識している点について申し上げますと、一つには、教育委員について、これが名誉職化していたり、教育委員としての機能が形骸化しているのではないかという指摘がございます。

 教育委員の現状について、お手元の資料の2ページ目でございますが、ごらんいただきますと、例えば教育委員の年齢について見ますと、都道府県の場合でございますと、50歳未満が 3.4%、60歳以上が8割弱。市町村の場合でございますと、50歳未満が9%、60歳以上が7割弱となっているわけでございまして、こうした点に見られますように、教育委員の選任について、なお改善する必要があると考えております。

 この点につきまして、私どもといたしましては、これは例えばでございますけれども、現に学校に通学している子弟の保護者を教育委員に選任するといったようなことも含めまして、教育委員に適任者を選任するための新しい工夫なり、新しい仕組みが考えられないものか、そういうものが必要なのではないかという問題意識を持っているところでございます。

 それから、もう一つは、教育委員会が地域住民や保護者の意見、これには行政に対するいわゆる苦情も含まれるわけでございますが、そうした意見を的確に把握をして、これに迅速かつ適切に対応できていないのではないか、そういう批判がございます。

 これについて見ますれば、私どもも残念ながら十分ではないという認識を持っているわけでございまして、そういう意味で、教育委員会の機能として、広く住民や保護者の意見を聞く広聴活動といいますか、あるいは苦情処理も含めて、教育行政についての相談活動といった機能の充実を図っていくことが重要であり、こうした活動をシスティマティックに行えるような制度的な措置を講じていくことが今後必要なのではないかというふうに考えているところでございます。

 以上、誠に簡単でございますけれども、こうした点も含めて、教育委員会制度の改善や充実についての御審議を賜れば幸いでございます。

【江崎座長】 ありがとうございました。それでは「教育委員会の在り方」について、御自由な御発言をお願いしたいと思います。どなたからでも結構ですが、今井委員から。

【今井委員】 この教育委員制度というのは、私どもPTAにとりまして、今、説明がありましたとおり、私どもはぜひその中に入れていただきたいと思っております。一部PTAの役員をされている方が入ったりしているのですが、ほとんどのところは、私たち現場の活動と教育委員会のかかわりというのが本当に稀薄になっておりますので、そして、できれば、そこに女性も加えていただけると大変ありがたく思います。

【田村委員】 教育委員会の問題でございますが、この議論が始まるということで、実は東京の国立市というところで先端的な教育についての問題が起きている背景がありますので、教育長は昔から知っている人でしたから、いろいろ話をしてまいりました。そのお聞きしてきた感想を含めて改善についての私の意見を申し上げたいと思います。

 国立のケースは明らかに戦後教育のいいところと悪いところが両方とも象徴的に出ているとそういうふうに感じました。いいところは、国立市というのはいわゆるNPOというのでしょうか、民間の市民運動のようなものが非常に盛んでして、それが教育の現場にすぐ反映する、そういうような仕組みが定着してきた。それはそれで非常にいいことだったと思うんですけれども、結果、子どもに迎合するというか、親に迎合するということが行き過ぎてしまって、みんな仲よく、そして必要な基礎・基本についての力をつけるというところに力が及ばなかったということ。例えば、日の丸・君が代の問題が象徴的にあらわすように、本来踏まえるべきことをきちんと踏まえていないという部分が露出してきている、そういう状況があるわけです。

 その話の中でいろいろ感じてきたんですけれども、基本的に教育委員会というのは、私は非常にいい制度だと思っていますので、これをよりよくするためにどうしたらいいだろうかというと、まず第1に人事的な問題で言いますと、今、矢野局長がおっしゃったように、教育委員の人選ですね。これは明らかにやはり問題があるという感じがします。もうちょっと教育に対する専門性のようなもの、あるいは現場の意見が反映できるようなものが入ってこないと。非常に名誉職的なものになっている。あるいは行政も終着点というのでしょうか、例えば教育長というのがその中にいるわけですが、この間まで下水道の部長さんだったのが教育長になったりしているわけですね。下水道でやっていて教育がわかるのか、不思議に思うんですけれども、そういう人がやるというのは、これは明らかに問題がある。ですから教育委員の問題と教育長の問題、これは人を得る何かの方法を考えなければいけない。

 今、局長がおっしゃった現職を入れるというのは一つのいいアイディアだと思います。調べていたら、昔は教員免許状を持っている人を採用するという制限があった時代もあったようですけれども、それは今は通用しないのだろうと思います。やっぱり教育についての何かの考えを持つ人を入れると。

 もう一つ、これは明らかに考えなければいけないと思うのは、教育庁、役所の方の働いている人です。これが残念ながら教育についての関心を十分に持っておられない。これは聞いた話ですけれども、市役所から教育委員会の方に転勤になって、2年、3年したけど、ただ一度も教育について会議を持ったことがないということを、その役所の課長さんが言ってましたので、随分そういう点では、もうちょっと教育についての関心を持つような人が、勉強させるなり、そういったことをかなり積極的にやらないとまずいのではないかという気がしました。

 最後に、これだけはやっぱり申し上げておかなければいけないのは、教育委員会の内容の透明化ですね。とにかくどんなことでもいいから知らせると。私はアメリカの教育委員会を一回調べに行ったことがあるんですけれども、こんなことまで公表するのかということをちゃんと印刷物にして公表しているんですね。日本の教育委員会をちょっと勉強させてもらったとき感じたのは、こんなことまで公表しないのかということでした。すごい差があるという感じがしますね。これは公表の問題というか透明性を高めるという問題、これは物すごく大切なことではないかというふうに思います。ちょっと長くなって失礼しました。

【江崎座長】 教育委員会のやられたことをだれかが評価するというようなシステムでもつくらないことには、これは今まで、ただやってくれというだけではなしに、何かそういうことを考える必要があるのではないかと思います。それでは河上委員。

【河上委員】 少し現場の教師のひがみが入っていて偏ってしまうのをお許し願いたいのですけれども、30年前には、教育委員会というのは現場の教師たちはほとんど気にしなかったんです。しかしこの20年ぐらい、物すごく学校の現場に教育委員会が入ってきているというのを実感しています。この場合には、ここに書いてある組織の中の教育委員の方々というよりも、むしろ教育長以下のいわゆる事務局、指導主事というふうに判断してもらいたいんですけれども。この10数年学校はめったやたらにたたかれました。たたかれる中身も当然あったと思いますけれども、理不尽なことの方が多かった。先ほど文部省の方の発言の中に、地域住民の意見に対応できていないという言い方があったんですけれども、地域がある程度の共通性というのでしょうか、同じような考え方を持ったようなものであれば、学校として、そういうような苦情があったときに、それに対応するのは難しくないと思いますけれども、この10数年は、親が個人として、自分の子どもについて、こんな不利益があったというふうに教育委員会の事務局に電話をすることばかりで、教育委員会がそれに全面的に動かされるという傾向が強いです。

 ですから、ひがみで言うわけではないんですけれども、この10数年、学校を支えてくれるはずであるというふうに思っていた教育委員会が非常にバランスを欠いているという感じが強いですね。

 もうちょっと申し上げますと、教育委員の方々はそういう実態をほとんど把握なさってないのではないかという感じが強いですね。教育委員会の役割は一体何かということをしっかり考えてほしいのです。親の中には自分の子どものことだけ考えてしゃべっている方もいるわけですから、もう少し冷静にバランスをとった反応をしていただきたい。そのための組織的に問題があるのであれば、変えてもらうということは必要ではないかと思いますけど。以前は今と比べてバランスとれていたのではないでしょうか。現場の教師がこんな生意気なことを言っていいかどうかわかりませんけれども、公についての考え方が、教育委員会の中にあって、例えば個人的な苦情については、それはそうじゃないんだよというようなことで押しとどめるような力がまだあったような気がするんですね。今はまるっきり強く言った方が勝ちですから。

【勝田委員】 ちょっと一言、いいですか。

【江崎座長】 はい。

【勝田委員】 私、ひょっとしたら間違っているのかもしれませんけれども、例えば各市町村の教育委員会が法的には教科書の選定の権限を持っているわけでしょう。そうじゃありませんか。

【文部省助成局長】 はい。

【勝田委員】 ところが実際は、日教組の先生方が大部分でしょうけれども、教科書調査委員会といったたぐいの委員会が教科書を選択して決めて、それをそれぞれの教育委員会が丸のみにしているんですね。これも先ほど局長がレイマン・コントロール、いい言葉ですけれども、本当にレイマン・コントロールをやらなければいけないんですよ。だが、どこかおかしい。本当は識見のある人をこういう委員会に出して、私は年齢は問わないと思うんです。むしろちゃんとしたしかるべき職業で苦労し大成した人、いろんな意味で広い社会的見識を持っている人、そういった人が集まって、こういう教科書はどうだろうか、これはどうだろうかということを一般公聴会を開いてとことん議論すること、それが必要だと思います。

【牛尾副座長】 河上委員と勝田委員の話について、何か文部省の方でコメントがあればおっしゃってください。

【文部省助成局長】 広く住民の意見を聞く場合に偏った意見もあるのではないか、こういうお話でございますが、そういう意味では、確かに意見を聴取する場合に教育委員会として、それを的確に把握するという判断は必要かと思うわけでございますが、ただ、問題は、今そもそも、例えば苦情処理窓口の設置を見てみますと、市町村で言いますと1割に満たないといったような状況があるわけでございまして、そもそもそうした意見を聞くシステムがより弱いというところに問題が私どもとしてはあろうかと思っております。

 それから、教科書の話でございますが、教科書は基本的にはおっしゃいますように、市町村教育委員会の権限と責任において採択するわけでございますが、その手続として、例えば専門家による調査委員会等を開いて、そして、そういう調査を経て、しかし最終的には市町村教育委員会の権限と責任において採択するということが制度上なってございますし、文部省もまたそういうことを強く指導しているところでございます。

【文部省初中局長】 教科書の採択については、今、助成局長からお話申し上げたとおりでございます。実態は、例えば東京都あたりは学校ごとに教職員の意見を集めて、学校ごとに小学校ですと各教科は数種類、多くても10種類でございます。各教科ごとに、うちの学校はこうだというものを集めまして、最終的には学校から集まった一番希望の多いところを基本的に決めるというような教育委員会も確かにございます。

 しかしながら、実際にほとんど多くの実態は違いまして、市町村では、例えば全部の種類についての報告を現場の教員から成る調査委員会というようなところから、各教科ごとに全部出させて、それを審議をいたしまして教育委員会が決めるというところもございますし、あるいは場合によっては、二つないし、三つぐらいに絞って、そこから上げさせて、その中から審議をして決めるというようなことがございまして、いずれにしても、現場の教員等から成る各教科ごとの委員会をつくって、そこでまず基本的な調査をする、これは一つの手続でございます。

 その上で、教科書選定委員会というような、これは父母代表の人も入れてくださいということで、かなりの市町村では現在入っていると思います。10数人から50人ぐらいから成る全体を審査する委員会をつくって、そこで審議をして、最終的には教育委員会に上げていくということで、そこの実態の手続は随分千差万別であるということを御理解いただきたいと思います。もちろん御指摘の部分もございます。

【江崎座長】 ありがとうございました。それでは、森委員、その次、藤田委員。

【森委員】 教育委員会制度につきましては、既に中教審でかなり議論されているので、私は答えは出ていると思うんですが、それ以外のことでちょっと申しますと、一つは、先ほど局長から説明あったレイマン・コントロールですが、ポピュラー・コントロールとも言われますけれども、ポピュラリズムというのは一方であるんですが、ところが教育長について、レイマンから選ぶ教育長にはプロフェッショナリズムが要請されると。このポピュラリズムとプロフェッショナリズムとの矛盾を地教行法ができたときから指摘されているんですけれども、これは悪いのかいいのかというので、私も最初は悪いと思っていたんですが、最近はこれが教育の長所なのではないかと思うようになったんです。

 そのことはなぜかといいますと、先ほど田村委員から下水道局長が教育長になったとおっしゃって、これは教育がわからないとか、教育長はもっと教育の専門家ということをおっしゃったのですが、私も当初はそう思っていたのですけれども、地方の教育委員会を見ていますと、教育長にどういう人がなっているか見ますと、知事部局から来た人と高校長上がりと大体交代交代でやっているところがうまくいっているんですね。どれか一方に偏るとだめなんで、そういうことを知事とか市町村長が配慮できるかどうかだと思うんです。

 それはなぜかといいますと、シルバーマンが言っていたんですけれども、教育というのは非常に日常的で全国民が義務教育を受けているという意味で、直接体験している領域というのは教育しかないんですよね。だから医者とか弁護士というのは、これは小さいとき病院に行ったぐらいしか経験してませんからわからないんですが、教育については、全国民が直接体験しているのだから、いつでも私は専門家になり得ると、体験から学べる人は。だから下水道局長が教育長になって、その個人はいいか悪いかわかりませんけれども、一般論としては、私は何ら否定するところはないと思うんです。下水のことをウォーター・トリートメントと言いますが、トリートメントは世話をするということですから、余計なお世話さえしなければ、行政サービスできる。以上です。

【江崎座長】 ありがとうございました。

【田村委員】 今、誤解されていますので、一言だけ。

【江崎座長】 それでは藤田委員の前に田村委員。

【田村委員】 森先生、ちょっと誤解されているようなので。つまり行政職の一つの上がりのポストとして考えないでほしいという意味で申し上げたんです。

【森委員】 それはわかります。

【田村委員】 それだけのことです。

【藤田委員】 私はこれは非常に重要な問題だと思っているのですが、幾つか問題があります。先程から言われているように、教育長や教育委員会の委員にどういう人が実際になっているかということによってもちろん違いがあるわけでして、要するに人の問題があります。それから、その地域の教育委員会なり事務局なりが持っているカルチャーといいますか、スタンスの問題があります。さらには、教育委員会という制度なりシステムの問題があると思うんですね。そのうちここで何か新しいあり方を考えるとすれば、カルチャーの問題と制度なりシステムなりをどうするかということが問題だと思うんですが、そのこととも関連して近年一つ気になっておりますことは、教育行政の中立性についてです。ここにも出ておりますように、教育行政の中立性を確保することが重要だと言われてきたわけですが、この10年ほど、知事部局、首長部局の影響力というものが地方教育行政において非常に強くなる傾向があるように思います。首長部局が様々な懇談会をつくって、その懇談会で重要事項について審議・提案して、それを教育委員会に政策として実行に移すようにするという傾向が出ているように思われます。そういった傾向についてどう考えるかという問題が一つあります。もう一つは、教育委員会と事務局との関係です。その関係はどうあるべきなのか、それぞれの役割や権限はどういうものなのかということについて検討する必要があるように思います。とくに、何が教育委員会の選ばれた委員の権限ないし責任なのかということを、いま一度見直す必要があると思います。

 もう一方で、情報公開については、情報公開法も通っていることですし、これからはどんどん公表せざるを得なくなりますから、ここの部分は私はほうっておいてもそうなっていかざるを得ないと思います。

【江崎座長】 沈委員。

【沈委員】 先ほど説明者の話を聞いておりまして、委員の任期の問題であります。平均 4.2年という形で書いてあると、そう長い委員の任期では、長く留任している人はいないようですけれども、これを見てみると、4年以上というのは、既に2期目に入っているわけですから、8年間はやれるわけですね。それが40数%あります。ですから再任もかなりということを削るだけでも、人事はすっかり入れ替わっていく。いつもフレッシュな視点で教育を論ずる人間が地方の教育委員会に参加できる。ですから再任がかなりというところを、これをぜひ切ってもらいたい。1期4年で、優秀な人も次の人にバトンタッチすると、そういう形にしなければ変わらないと思います。

【江崎座長】 つまり現在のシステムを変えた方がよろしいと。

【沈委員】 変えた方がよろしい。現実に40数%が既に2期もうやっているではないか。8年、下手したら12年やっている人もいるかもしれない。

【江崎座長】 御存じだと思いますが、教育委員というのは、私、実は日曜日の読売に書いた記事を皆さんにお渡しているんですが、ここに書いてございますように、アメリカの公立学校制度の特徴は、州の管轄の下、住民からスクール税を取り立て、それを財源に学区の教育委員会が責任を持って学校を現実的に運営しているわけです。ですから大変責任が重い。私がアメリカにおりましたとき、私にまで教育委員になってくれと頼まれましたけれども、私は忙しかったものですから、本当にアメリカの教育委員会は忙しい仕事なんで、そう簡単にできない。国民会議の座長も忙しい仕事なんですが、ですから我が国のものをどう動かすかということは、アメリカの制度をそのまま持ってきたんですけれども、アメリカと性格が違うものですから、ですから形骸化しているというのがあります。形骸化しているのをいかに活性化するかということが大きな課題です。これはやはりだれかがレビューして、それをするということが必要です。

【浅利委員】 教育委員会の問題は複雑な問題含んでいると思うんですね。ごちゃごちゃやり出したらきりがなくなると思うので、ワンポイント突いたらどうですか。つまり、こういう人でなければいけないということを。これは結局人事であり人材の問題だと思うんです。何とかこの会議で、人選の基準を出すということがよろしいのではないでしょうか。

【江崎座長】 そうですね。

【浅利委員】 それから、先生の昨日のせられた読売新聞の日米教育の比較を熟読させていただいたんですが、よくわかりました。(ただし、余りにも日本と違うのでちょっとショック受けました。)

【江崎座長】 どうもありがとうございました。これを何か評価して、いいとか悪いとかということは。

【浅利委員】 余りにも日本と違いますね。

【江崎座長】 ですから教育委員のことも今ちょっと申し上げました。あと、何か、まだ若干時間ございますが、教育委員会。

【河野委員】 私、素人なので言う資格あるのかどうかわかりませんけど、現在の法律では、たしかさっき現場というか兼職を禁止している。学校の先生は委員にはなれないですね。それはなった方がいいのではないか。要するに金も人事権も握っている教育委員会なわけで、現場の人が一人も入らないというのもおかしいのではないかと思うんですけど、いかがなものでしょうか。

【江崎座長】 河上さんみたいな人が教育委員会になるということもいいのではないかという御意見のようです。何かほかにございますか。

【山下議員】 教育委員会の形骸化という話がありました。もともと形だけがあって、中身が機能してこなかったのが戦後の教育委員会制度ではあるが、先ほど局長説明がありましたように理念制度は、私は教育行政のあるべき姿であるというふうに思います。ポイントは教育行政は一般行政とは違うんだということ、いかに中立性を確保するか、そういうことが非常に大事なポイントだと思いますけど、私は教育委員会という制度はすばらしい制度だけれども、機能してこなかったんだということが現実ではないかというふうに思います。

 と同時に、今、新しい中教審の提案でしたか、学校評議員制度という制度もございますけど、要するに住民・保護者の意見を反映できていないという、先ほど局長の話がございましたけれども、学校至上主義、学校信仰というのが突出していて、なかなか地域の中でも距離があった。学校と地域、家庭もそうですけど、距離がなかなか埋められてこなかったということが大きな問題であって、先ほど森先生が指摘された民衆性ということ、それが結局は正しいのだということは私も賛成なんですけど、教育委員会がどんな人がいいのかということも含めて、それは学校評議員制度の拡大も含めて、日本の大きな社会の課題ではないかと思っておりまして、この辺がスムーズにいくと、地域と学校と家庭との連携にかかわる問題ですけど、スムーズにいくのではないかと考えております。

【江崎座長】 ありがとうございました。今日何も話しておられない人が一人いらっしゃいます。黒田委員、全般的な御意見、総評、御意見を。

【黒田委員】 いや、いろいろ考えるところがありまして、なかなか発言ができないんですが、学校と社会と家庭というのは、それぞれ第1分科会の報告に書いてあるんですが、教育委員会というのはそれをつなぐ大きな役割を持っているのではないかと考えています。第1分科会に別々に書いてある3つをつなぐ一つとして、教育委員会の位置づけというものが非常に重要であるのではないか。そういう観点から少し見直していく必要があるのではないかなということを考えております。

 それから、第3分科会の義務教育の開始年齢を早くするかどうかという議論についてですが、確かに幼稚園、保育園に95%、90%が既に行っているという事実は大変重要であるのですが、これを第3分科会が出したもう一つの意図というのは、しつけということではなくて、飛び抜けてすばらしい人、そういういわゆるリーダーになり得る人、飛び抜けている人をとめないということが一つと、それからもう一つは、愛情を持って子どもを見つめる機会をもつ必要があり、一律主義は平等主義ではないのだということなんですね。一律が平等ではない。だけど、早く行くだけがいいのではない。これをセットにして、みんなが理解していっていただきたい。第3分科会としては必ずしもしつけができてない子は学校へ来るなと、そういう意味で義務教育開始年齢の弾力化を言ったわけでは全然なかったのではないかと思っています。

【江崎座長】 ありがとうございました。もう時間が参りました。ごく短く、それでは一言。

【勝田委員】 非常に短く、しかし重要なことをお話しさせていただきます。各分科会でそれぞれエネルギッシュに議論していただいて、それはそれで私は評価するんです。しかし中間報告みたいなところで、各分科会の報告をそのまま並べてしまうと、どこかばらばらな印象を受けると思うんです。一番重要なことは、この国民会議がこういう危機的な教育の状況の中で、どういうたぐいの哲学を持って、どういう新しい世代、青少年をつくろうとしているのか。そういう広い意味での共同的な基本理念と言いましょうか、あるいは哲学といいましょうか、それがどうも浮かんでこないおそれがあります。しかし、こういう哲学や理念の訴えがあってはじめて、国民のいわば心をつかむものだろうと思うんですね。

 私自身は、できるだけ短く言います。いろいろレポートを提出させられましたので、かなり長いレポートもたくさん書きました。その中で、随分この点も考えて、ちょっと長ったらしいですけれども、例えば21世紀を展望して、新しい人間像として、「祖国と世界の平和と福祉のために貢献する知識と志と活力を持つ次世代の青少年を育成」する。知識、志、活力と申しましたのは、知、何です、知・徳……。

【江崎座長】 知・徳・体。

【勝田委員】 あるいは知・情・意と言ってもいいですけれども、そういったものをアルゴリーして申しているわけですね。あるいはまた「祖国の美しい文化とよき伝統を静かに体した次世代の青年を育成」するとか、そういうような言葉を盛んに使っているんです。これはちょっと長ったらしいですけれども、何かいいアイディアを出していただいて、一番重要な哲学が国民の心を打つだろうと思います。

【江崎座長】 ありがとうございました。

 時間が参りましたので、それでは本日の御審議はこのくらいにさせていただきたいと思います。中間報告を発表した後の10月以降の予定となりますが、公聴会の開催を考えております。事務局の方から、お手元の資料5、「一日教育改革国民会議(公聴会)の開催について」に関して、説明していただきたいと思います。それでは銭谷室長。

【銭谷担当室長】 資料5をごらん下さい。去る8月31日の企画委員会で中間報告が出されました後、「一日教育改革国民会議(公聴会)」を開催するということをお決めいただきました。全国3カ所での実施を予定しております。第1回が福岡、10月14日(土)14:00からでございます。第2回が大阪、10月21日(土)14:00からでございます。第3回が東京、10月28日(土)14:00からでございます。進め方は、各会場とも国民会議の委員の先生方7〜8名と補佐官に御出席をいただき、6名程度の方に意見発表をしていただきます。その後、御出席の委員の先生と意見発表者との間で質疑応答をすることを考えております。

 なお、意見発表者、当日の傍聴者はいずれも公募で決めることとしております。後ほど委員の先生方に10月14日、21日、28日の御都合をお伺いしたいと存じますので、できればお一人最低1カ所はぜひ御出席を賜りたいと思います。よろしくお願いをいたします。

【江崎座長】 ありがとうございました。次回の全体会の日程につきましては、明後日9月6日(水曜日)に、場所はこの官邸の地下の大食堂での開催を予定しております。議題につきましては、先ほど申し上げましたとおり、共通審議事項として「教育基本法の改正」と「教育財政・教育振興基本計画」を予定しておりますので、よろしくお願いします。

 それでは、事務局の方から何かございましたら。

【銭谷担当室長】 非常に日が近接していて恐縮でございますが、次回はあさって9月6日(水曜日)でございます。場所も時間も本日と同じでございますので、よろしくお願いを申し上げます。

【江崎座長】 それでは、皆さん本日は御多忙のところをお集まりいただきましてありがとうございました。