総理のひとこと

総理からのひとこと

教育について

 皆さん、森喜朗です。今回は、教育について、「ひとこと」お話をしたいと思います。

 私は、21世紀に向けた「日本新生プラン」一つとして、「教育の新生」を掲げて、教育改革に全力で取り組んでおります。20世紀の100 年、私たちは前を向いてひたすら走り続けてきましたが、21世紀を目前にした今こそ、物の豊かさだけではなくて心の豊かさを考えるべきではないかと思います。
 とりわけ、昨今の悪質な少年犯罪の続発や不登校、学級崩壊の深刻化には、本当に胸が痛む思いです。また、社会でも、家庭でも、学校でも、最低限守るべき規範があるはずですが、今日それが崩れてしまっている面があると感じます。私は、「心の豊かな美しい国家」の礎となる教育の在り方を、根本的に見直すことが必要であると考えています。

 そこで、まず、私はですね、国民の皆さんに是非お考えをいただきたい問題を一つ提起をしてみたいと思うんです。それは、最近気が付いておられるかもしれませんが、今、私がお話をしたり、あるいは政府の演説の中に、ひょっとしたら気が付かれたかもしれませんが、私は体・徳・知とこういうふうに言っているんです。つまり、体育・徳育・知育と言っているんです。これまで恐らく文部省もいろいろな公文書はみんな、知育・徳育・体育となっていたと思うんです。僕はあえて、私は総理大臣になってから体・徳・知にしているんです。
 これはどういうことかというと、本来は体育・徳育・知育であれ、知育・徳育・体育であれ、これは3つ文部省の皆さんに言わせると三位一体で同じことなんですとおっしゃるんです。確かに三位一体なんですけれども、縦書きに並べるとどれを一番にするかということになる。今までは日本の教育行政にあずかっていた皆さんは知育・徳育・体育と言ってきたんです。だから、知育偏重ということになったのではないかなと僕は思うんです。どうも心の問題や体の問題を若干ないがしろにしていて、この知育、知識を吸収すること、知識を教えることに、少し戦後の日本の教育はどうも偏り過ぎていたことが、今日のような私は社会の病理現象をつくってしまったのではないかということを実は考えたんです。

 それで、私は文部大臣をしていたときにそのことを文部省の皆さんに言って直そうよと言ったんだけれども、三位一体ですからそんなに直す必要はないんじゃないですかというのが皆さんの意見でした。それで、恐らく私はこういうことを言うと、日本の学力を高めなければならないと、あるいは教育者だとか、学者だとか、とんでもないことを言う総理だなと言ってお叱りをいただくかもしれません。しかし、私は昔、中国に参りましたときに、中国の教育部長さんにお話を聞いたら、中国は知育・徳育・体育というのを何年かに一回ずつ入れ換えますよと。つまり、三位一体であるということは同じことなんです。ただし、並び方は確かにそういうふうになるから、それを時々何年かに一遍入れ換えるんですということをおっしゃっていたことをとても私は印象深く今でも記憶しております。

 幾ら勉強ができても、幾らすばらしい精神を持っていても、体がバランスが取れていない、体が弱いとだんだん卑屈になってしまって、そのせっかく得た知識も、あるいは徳育も発揮できなということもあるはずですから、まずはやはり健康になること、体力を増進するということは大事だと思うんです。
 私は先日、日本ラグビーの監督である平尾さんとお話をしたら平尾さんはとてもいいことを言いました。さすがだなと思いました。スポーツは体育だという、その概念は間違っています。ラグビーをやるにしても、サッカーをやるにしても、野球をやるにしても、スポーツの試合をやるということはまさに体育と徳育と知育がなければできないんです。スポーツこそまさに知育・徳育・体育というものの三位一体になった総合的な人間の闘いなんですよということをおっしゃっていて、なるほどなと思って、私は、私の考えも少しバランスが欠けていたかなと思いましたけれども、そんなことを考えてみると、少し日本の教育はどちらに軸足を置くのかということを、少し考えてみる必要があるのではないかという意味でこういう提起をしているわけです。

 ですから、私はまずは体育・徳育・知育のバランスの取れた全人教育を目指して、心の教育の充実を図る必要があるというふうに考えております。命を大切にし、他人を思いやる心、奉仕の精神、日本の文化や伝統を尊重し、国や地域を愛する気持ちを育み、子どもたちが、創造性豊かな「立派な人間」として成長することが私たち大人の願いだと思うんです。つまり、逆に言えば今の社会の病理現象というのは子どもたちに何の責任もない。むしろそういう社会をつくって、そういう教育体系をつくって、そういう指導方針の中で子どもたちを育ててきた今の我々大人に責任があるんじゃないかと、私はそう思っております。ですから、阪神・淡路大震災やナホトカ号重油流出事故のときに全国から若者たちが集まってきたのは、あれは何も教育がよかったからとか教育が悪かったからじゃないはずです。献身的にボランティア活動をしていた姿というのは、これはさすが日本の若者だと私は大変感動しました。そういう子どもたちは、本来そういうすばらしいものを持っているんですよ。それをどう引き出してあげるかということだったと思うんです。これからの学校教育は、そういう意味では奉仕活動や自然体験活動を導入して、そして全人格形成ができるそういう全人教育を推進することの方が、極めて私は大切であるというふうに考えているわけです。

 もう一つ大事なことを申し上げたいんですが、私は先生の問題にやはり触れないわけにはいかないと思います。教師が、「人間が人間を教えるんだ」ということ。子どもは生まれたときは純白の真っ白な、その子どもがまさに真っ白なキャンバスの中に絵をかくようなことなので、長い年月を経て心身ともに子どもが成長していく。その子どもたちにいろいろなことを教えていく。いろいろなことを導いていく。それはまさに人間がやることなんです。教師という人間がやることなんですから、「人間が人間を育てる」、「人間が人間を教える」という大変な崇高なことを実は教師がやっているんだという、その尊い使命感に燃えて教育に携わるということが私は何よりも大切であると考えております。

 私自身のことを申し上げますと、私は実に多くの先生方に恵まれたと、そう思っています。余り勉強は好きじゃなかったんですけれども、知識だけじゃなくて人間にとって大切なことは何か、ということをたくさん教えていただいたことを懐しく思い出します。私は、小学校1年生に入りました時には、ちょうどそうですね一年生になって、しばらくして、母親が死にました。一番、実はショックでした。父は戦争に行っていましたから、全く両親のいない生活になったわけですけれども、そのときに一番厳しくしかりつけて導いてくれた小学校1年生の村上先生という方が、100 歳近くになっていらっしゃいますけれども今でもお元気で時々私に手紙を書いてくださいます。その先生が、「しっかりしなさいよ」と、「お母さんが死んだからといってそんなことで嘆き悲しむようで、どうやって生きていくんですか」ということを、教室でみんなの前でものすごく厳しく言われた。本当は慰めてほしかったんだけれども、その先生の言葉はとても厳しいものでしたけれども、それは生涯、私が生きていくこの人生の中で、最も印象深く受け止めているんです。これらは、私の生き方の大きな支柱になっていると思っています。子どもたちがかけがえのない恩師とめぐり会えるように、取り組んでいかなければならないとそう思いますから、仕組みも制度も大事ですが、何と言っても子どもたちに指導する先生方は最も重要だというふうに私は思っています。

 もう一つは、先生方と共に私に特別に大きな影響を与えたのは祖父と父だと思っています。町長として祖父は長い間、家族を二の次にして、地域のために尽してきたんだと思いますが、父親が戦争に行っておりましただけに、私の祖父は残された孫たちのことを何としても育てなければならぬという、そんな気持ちだったんだと思いますが、私のむしろ、人生の生き方というのは祖父に教わったことが非常に多いと思います。
 戦後、父は帰ってまいりましたけれども、そういう生き方を私にいろいろな意味で指導してくれたような気がいたします。私は公に尽くして、公正・公平な姿勢を貫くことの大切さを学んだと思っております。

 青少年の非行問題は大人社会の在り方が問われているんだとよく言われますが、私たち大人は、子どもたちが健やかに育っていくために、自らの生き方を折に触れて見つめ直し、反省すべきところは反省するという謙虚な姿勢が求められていると思います。

 現在、私の下で開催されております「教育改革国民会議」では、9月の中間報告に向けて我が国の教育各般にわたり議論が行われているところです。私は、今まで述べてきた諸課題とともに、教育基本法の抜本的な見直しや学校運営体制の整備、新しいテーマとしてはIT教育や、そして、制度上から言えば中高一貫教育の推進、あるいは大学9月入学の推進、教員や学校の評価システムの導入、そしてもっと大事なことは教育委員会の在り方、これについてもやはり私は避けて通れないと思いますので、思い切った取り組みを進める必要があると考えております。

 教育は国民の皆さんにとって大変身近なものです。だれでも教育を語ることはできます。それだけまたいろいろ複雑な問題も多いし、政治的な介入を避けるということで政治が余り触らないということが、一つの今までの議論の中のどうも制限になっているんじゃないか。制約になっているというそんな感じがいたします。
 しかし、21世紀の日本を支える子どもたちの健やかな成長のために国民的な議論を踏まえ、教育改革の推進に是非努力してもらいたいと思います。恐らく「教育改革国民会議」は立派な答申を出すと思いますから、それを是非国民の皆さんに議論していただきたいんです。避けて通らないようにして、みんなで真剣に子どもたちの将来をどうあるかということを皆で是非考えていただく。私はそういう大事な政治課題だと思っていますし、また国民の皆さんにとっても大事な国民的課題だというふうに考えております。

平成12年8月16日