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平尾誠二ラグビー日本代表監督と語る

読み込んでいます スポーツと教育
森総理 ところで、いろいろ最近の様子を見ていると、私は、今の世の中では、社会規範が学校も、家庭も、社会もみんな崩れてしまっている面があると感じています。
平尾監督 そうですね。
森総理 それを何かの形で直していかなければいけないですね。国際社会ですから、国際的に見て日本の少年もたくましく、非常に健全で、外国の人たちと立派に一緒にやっていけるようにと、僕らはそういうことを思いますよ。
平尾監督 僕なんかも実際、自分がスポーツを教えている立場ですから。このスポーツはある種の教育的な側面があると思うんです。で、総理もよくおっしゃってることなんですが、教育に関しましてはいろんな問題があると。

ところが、スポーツも非常にいろんな問題を抱えておりまして、スポーツといいますとイコール「体育」という、こういう受けとらまえ方をされるのが大変強いわけです。でも、スポーツは「体育」と「徳育」と「知育」という三つのバランスが取れてないと、いいスポーツマンにはなれないんですね。その辺の理解がまだ十分じゃないと思います。学校の中の体育というものと同様の扱い。多少似てるところはございますけれども、スポーツはあくまでもゲームというものがありまして、それを集団でしたら集団で、どうそのゲームを自分たちの思うように引っ張り込むか、どう勝とうかということをそれぞれが考えながら、これは体だけでは絶対勝てないんです。そこにやはり主体的にそれにかかわるという意思がないといけないんです。これは僕は教育としては非常にいい教育だと思うんですね。

主体的にその目的に対してかかわっていくということは、なかなか学校の中の教育の場面にはあんまりないんですね。無理やりこの係をしておけとかいうのはありますけれども、自分たちが主体的にそれにかかわっていくという、こういう場面はないと思うんですね。だからそれはスポーツの非常に良きところだと思いますので、今まで忍耐力だとか、協調性というような、こういう言葉もあったんですけど、それに主体性といった言葉を僕なんかはこれから前面に押し出しながら、それにどう自分がかかわっていくのかということを自分で考えて、一番いいかかわり方は何なのか。要するにそれは最終的にチームが一番いい方向に行くために、自分はどうかかわるべきなのかということを自分で考えて実践するという一つの場じゃないかなと。非常に高度な場なんですよね。コーチなんかはそういうことを理解して、スポーツにうまく当てはめていくようなことを考えていかないと。今までみたいにケツを叩いてやらせるのはそんなに難しくないんですわ。コーチの言うことは絶対だし、監督の言うことは絶対です、まだ日本は。でも、それじゃなかなかスポーツそのものが進化していかないという感じがいたしますね。

森総理 なるほど、いい話だね。

僕は「知徳体」ということについて、これをよく文部大臣の時からやり合っていたんだけれど、僕の考えはどっちかというと「体」という、体が健康であるということの上に知的なものも、徳育的なものも並び立つんだと。だからいくら頭が良くても、体が弱ければ、それを生かすことができないし、最高に知的レべルは高いけれども、いわば「徳」の心の問題で、間違った方向に行ってしまうこともある。そういう意味からいうといくら心が善くても、勉強するにしても、体が悪いといけないから、まず体を大事にする。そういう意味で体育というものがもっとウェートを占めていったほうがいいと思っていたんです。だけど、従来の行政の説明は、全部一律で、「知徳体、これはすべて同じなんです」と。同じかもしれないけど、並べるときにはどうかといえば、従来はやっぱり「知徳体」の順なのですね。

これは中国だったと思いますが、何年に一遍か並べ替えると言っていました。中国にも、同じような言葉があるけれども、何年かごとには呼称、呼び方を変えます、と言ってましたね。

平尾監督 ああ、そうですか。それはいいことですね。
森総理 それで僕は、「知徳体」というのは三位一体だと言うなら、どうして縦に並べるときには「知」が上なんだと。それで僕は文部大臣の時、「体徳知」にしろと言ったの。ところが、行政的にはこの並べ順の変更についてはいろいろあって、そのうちに当時「徳知体」にしたかな、無理やりにね。

それで今、原稿は全部、意識的に「体徳知」にしてるんですよ。だけど、気が付いている人はいないと思うね。僕が、読み違えしているというぐらいにしか思わないかもしれませんけれどね、頑固に「体徳知」でいってるんですよ。そういうところで、あなたは今、スポーツをやるには「知」も「徳」も「体」もなきゃできないなとおっしゃった。だからなるほどなと。

社会では、今言ったような体徳知のことをある程度、会得しないと生きていけません。それからさっきおっしゃったように主体的に自分が何かやって身につけていかないと、社会人として完成されないということがあります。そういう教育的な見地から見れば、そういうことを身につけるために、私はスポーツが一番いいと思っているんですよ。

平尾監督 私もそう思います。
森総理 全員が何かの、自分の体に合ったスポーツ、あるいは文化でも、芸術でもいいから、そういう何かの中に入って、その中で今言った体徳知を学ぶということをやっぱり教育の中に入れなければいけないのじゃないかな。
平尾監督 そういうふうに私も思いますね。スポーツというと「体」に余りにも偏り過ぎという感じが。それはそれで、その効果はすごくあるんですけれども、その中に先ほど言いました知育、徳育というものがしっかりとないと、本当に向上していかないというのはありますね。ところが、日本の場合は今のところ、そこがちょっと「体」に偏り過ぎていて、じゃあ、実際、海外ではどうなのかというと、そんなこと一切ないんですね。

僕は今、ちょっといろんな方に話をしているんですけれども、例えば野球だって、野球のインテリジェンス、ベースボール・インテリジェンスというのは存在するんですね。これをちょっと引っ張り出すだけでも、ものすごく知恵になるんですよ。だからプロ野球の古田君もIQ理論とか言って、ああいうのちょっと聞いたら、ちょっとほかの人では理解できへん非常に暗黙値みたいなレべルもたくさんあるんですけれども、そこをちょっとみんなで共有できたら、これは大変すばらしい物の考え方があったりするんですね。ラグビーもラグビーのインテリジェンスがあるし、サッカーもあるわけですよ。ちょっとそこに目があんまりいってないんですね。技術的なこととまたちょっと別なんですね。考えてプレーを起こす時のその「考える」、僕はそれを、「予測」ということをよく言ってるんですけれども、予測してプレーを起こすと。予測の前には必ず情報を集めないと予測はできないんですね。最近、情報、情報と言ってますけれども、僕らのスポーツなんかでも情報というのがすごく必要でして、情報を瞬間的にたくさん短時間でパッと集められるやつはいい。それとその瞬間、いいものをパッと拾えるやつというのは、すごいいい予測が立てられるんですね。その予測はほとんど外れないんですよ。だからプロ・サッカーの中田君がいいプレーしてる。いいパスを送ったと。みんな「センス」という言葉で片付けてますが、違うんです。よく見てると、彼の見てるところがちょっと違う。何かというと、ほかが持ってない情報を集めようとしていると。その持った瞬間に、彼にはしっかりした予測が立ってるんですね。で、プレーを起こす、というようなことがサッカー、ラグビー、野球、すべてにおいてあるわけですよね。こういったものをもう少し指導者あたりが整理して、そういうことを教えたら、僕は上達がかなり早いと思います。それとともに体をどう使っていくかというようなことですね。だからそれはものすごく楽しい、面白いと思うんですよ、そういうスポーツが発展していけば。そうすると今まで無理やりやらなきゃ動かなかった連中が、僕は主体的に体を動かして、要するに体を鍛えていくんだということが本当に自主的に行える。本当に西欧のスポーツ、彼らのスポーツの取り組み方にかなり近づくと。もっと言うなら、日本の場合はもっとそれを精巧にやっていくだけの素地があるんやないかなという感じがするんですけどもね。まだちょっと時間がかかりそうですけれども。



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