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平尾誠二ラグビー日本代表監督と語る

スポーツと人間形成 読み込んでいます
森総理 だからスポーツというものは、人間形成のために私は最もすばらしいものだと思う。どんなスポーツでもやり遂げることは。最近、時代がこういう時代で、大変恵まれているんですね。しかし、スポーツの一番大事な、今平尾さんがおっしゃったような真髄は、意外に皆、知ってないのか、知らないままに過ぎて、どうも競技の結果だけやっているような感じですね。

僕はラグビーをやってたから、ラグビーのいいところばかり言うわけではなくて、ほかのスポーツもそれぞれいいんだろうけれど、ラグビーのもう一つ好きなところは、「ノーサイド」ということ。あれだけ激しくやり合って、場合によってはレフェリーから怒られるようなこともやってるわけなんですがね。

僕の高校時代、平尾さんから見られればマイナーかもしれませんが、石川県では、私の学校が一番強かったんです。それで県大会とか、国体予選とか、インターハイ予選の花園予選になるとほとんど楽に勝てたんですよ。

当時は北陸3県で代表を選んでましたが。

平尾監督 ああ、そうですね。そういう時代ですね。
森総理 だから、花園の一歩手前でいつも挫折したんだけれども、僕らの学校は強いものだから、最初は相手方のチームも結構拮抗してやってるわけだけれども、そのうちに、あのころはトライ3点ですから、まあまあダブルスコアになってきますね。それで後半に入ると、向こうは戦法を変えるわけですよ。反則をやれということで、悪いのがいるわけです。まあ、耐えてるわけですよ。バーッとスクラム組んで、当時のルーズの時なんて蹴っ飛ばされたり、結構やられるわけだ。それで私はキャプテンした時に頭にきちゃってね。そしたらピーッといって、退場食らった。その時にレフェリーに私は、なぜ向こうを注意しないんだと。何で、先生、我々にそれだけ厳しくやるんだ、と言ったら、その先生が、君は全然分かってないと。言いにくいが、あそこは勝てないんだ。しょせんあの程度だと。最後に何かしなきゃ気が済まないだろう。君らのところはインターハイに必ず行けるチームだろうと。日本中の選ばれたチームと戦っていかなきゃならん君たちが、やられたからやり返すというような、そんな安っぽいチームに代表になってもらいたくない、と言われてね、私は本当にびっくりしたんですよ。このレフェリーはそんなことまで見てたのかと、えらく感激しましたね。
平尾監督 なるほど。
森総理 だからどんなことでもこれから我慢しろと。

そのレフェリーの方は、後から石川県の教育長になられた先生であるし、確か大学の副学長になられて、この間、叙勲をされましたね。

スポーツというのは相手を思いやっていくというようなことがあるんで、だから「ノーサイド」というのは終わった後、あれだけ激しくても、みんな抱き合ったり、ジャージを取り替えたりする。あれがやっぱりすばらしいところだと思う。

平尾監督 そうですね。これはやっぱり残していきたい一つの習わしといいますか、いわばラグビーの良さだというふうに思うんです。勝負に執着するのもいいですけれども、ちょっと勝負が終わった後にアフターマッチ・ファンクションというのがございますよね。あれは今でも関東の大学なんかはやってますし、社会人なんかでも、大会になって、日本選手権あたりなんかはありますけれども、ただ、まだまだ和むというよりは、何か勝った側は祝杯をあげ、負けた側はシュンとしてかたまって飲んでるような感じがまだありますから、ここはやっぱり打ち解けて、本当にお互いに讃え合うと。「よくやったなあ」ということが一つのノーサイドのもともとの考え方であるということだと思いますので、是非ともそういうものに早くなって、本当にアフターマッチ・ファンクションがまた一つの楽しみになってこないとね。まだまだちょっと取って付けられたようなもののイメージがございますので、その辺の感覚を変えていかないといけないなという感じがします。
森総理 野球をやってますね。だんだん当たり前のようになってしまったけど、ホームランを打ちますね、あるいはヒットを打ちますね。そうすると塁に出てガッツポーズをやるでしょう。特にホームランを打ったら、こうやって勝ち誇ったようにホームに入ってくる。あれはスポーツの世界ではいいことではないのですね。打たれたピッチャーのことを思いやらなければいけない。
平尾監督 なるほど。
森総理 だけど、今の子どもたちはあれは何の意識もなく、無意識にやってることでしょう。しかし、打たれたピッチャーの気持ちというのは耐えられない気持ちですからね。
平尾監督 そこの思いやりなんですよね。
森総理 それがないでしょう、今。それをコーチは教えてない、監督も教えてない。せっかくスポーツというものを通じて、媒体にして、さっきおっしゃったように正に知育もあるし、徳育もあるし、みんなあるわけでしょう。だったら喜びがあっても、じっとそこは喜びをむしろ抑えて、ホームへ入ってから仲間と握手するなりなんなり、それはいい、ということをやっぱり監督が教えるというね、それが今はないですよ。
平尾監督 なるほどね。私もそこの指導はちょっと足りなかったと思います。今、言われたとおりですね。

これはこの間、ちょっと聞いた話ですけれども、アメリカでサッカーを教えてる人がいて、それが例えば選手交代しますよね。選手交代で出るやつはやっぱりつまらんわけですよ。出るやつがちょっとふてた格好したら、えらい怒るらしいんですよ。「何だその態度は」と言って、すぐ怒る。要するに今度入ってくるやつに失礼だと言うんです。今度新しく入ってくるやつにおまえものすごく失礼な態度してるぞということで、すごく怒ったという話があるんですけれども、やっぱりそれはすごい教育だと思うんですね。それは本当に思いやりということを擬似社会というか、現場があって、それを子どもの時に体験して、おまえ失礼じゃないか、ということをバチッと言えるというのはすばらしい。そういう場面が余りないですよね。スポーツってやっぱりそういう場があるわけですよ。それによって指導できるということだと思うんですね。だからそういう意味でのスポーツというものをとらまえて。いろんなところに僕らが気が付いていないところがたくさんあると思うんですね。これから少しみんなで手を借りながら気付く部分というか、ここはこうじゃないかというようなことを、我々でまた新しいものを構築させていかなきゃいけないなという気がします。そうすると総理が言われたように、すばらしい教育の一つになっていきますよね。というような気がいたします。

森総理 最近は学校で"いじめ"がいろいろありますね。僕は20年前も、30年前も、40年前も、100年前も子どもたちは同じだと思うんですよ。でも、最近はそれの対応が余りよくないなと思う。

ここまでいったらいけないとか、ここはやっちゃいけないというようなことはやっぱり自然な兄弟のけんかの中で覚えていくんだろうと思うのですね。だから兄弟が少ないということも子どもたちにとって非常にかわいそうだと思うんですよ。お兄ちゃんは、弟を絶対本気でやらないですよ。見てると、やっぱり自分で手心を加える。

平尾監督 そうですね。
森総理 弟のほうは平気でむしゃぶりついて、本気でやりますよ、強いのに向かっていきますから。その辺のあんばいが、だんだん年とともにそういうことを覚えていくんだろうと思うんですね。だけどどうもその辺が今の社会の中には何もなくなってしまっている。

だからスポーツなどで、何かそこで身に付けていくものがないと、みんな何かおかしな形で、いびつな人間形成がなされているような気がしてね。

平尾監督 本当ですね。
森総理 だからそういう意味では本当はスポーツが一番いいんだろうと思う。
平尾監督 それと最近、文部省さんが推進しています地域型のスポーツクラブ、僕はあれはものすごくいい試みだというふうに思うんですね。

やっぱり今までのコミュニティというものがもう崩壊したというか、僕らの社会ではほとんどないんですよね。僕らは子どものころに学校で教わり、家に帰ってきたら近所のおっさんに怒られて、それも一つの教育の場だったんですよね。近くの路地で野球したりとか、サッカーして、「おまえ何でこんなとこでこんなのしてるんだ。ちょっと来い!」と言って、みんな正座させられたりとか、これから掃除だと言って、全員の責任だとみんな呼ばれてと。そんなおっさんがまた町内会のソフトボール大会があったらコーチやってくれたりするわけですね。そういう感じがほとんどないという。だから学校だけにすべての教育を押し付けてしまっていて、普通は親の教育もあれば、地域の教育もあったのが、今、この二つがかなりなくなってしまっているというのが、学校に対して非常に負荷がかかり過ぎているし、それだけに非常にそこでのバランスを悪くしてしまっているというのが、僕は見ていてすごく感じることなんです。

スポーツを通して、そういうコミュニティがまた発生するようなことがありましたら、またそういう一つの教育する場が。それはスポーツをするということだけじゃない、おじさんからいろんなことを教わるだとか、それはしつけかもしれません。そういうことも僕は非常に重要なことやと思うんですね。そういう意味でもスポーツというのは一つそういう材料、材料と言うとスポーツに対して申しわけないけれども。

森総理 ま、道具ということですね、いい意味でのね。
平尾監督 ええ。コミュニティをつくるための非常に中心的な役割を果たすことがあるんじゃないかと。学校の中でいくらそういうのを充実しても、あんまり変わらないという気がするんですね。それが学校の外に出る、企業の外に出る、地域というものを単位にしながら、そういう集まりができることによって、子どもたちにとってはまた新しい教育の場、大人たちにとってもすごく刺激される場に変わっていくんじゃないかなという意味では、スポーツがどうこうという以上の効果がそこに発生するんじゃないかなというような期待を僕自身はしてるんですけどね。


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