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森家の哲学コーナータイトル

 森総理は、昭和12年(1937年)7月14日に、石川県能美郡根上町(ねあがりまち)で代々肝んど(庄屋) を務めた家に生まれました。根上町は、金沢市の南方、白山から流れる手取川の扇状地にある町で、町名は、安宅の関を首尾よく通り抜けた源義経主従一行もその地を通ったと伝えられる根上松に由来します。
 森総理が政治家になる基礎を作ってくれたのは、村長から引き続いて根上町長を務めていた祖父の喜平でした。父・茂喜が戦争に行き、昭和19年(1944年)11月に母・薫が病死した後は、祖父が孫3人の面倒を見てくれたのです。小学校に入学する前には、祖父と一緒に町役場へ歩いて出かけるの が日課だった喜朗少年は、幼心に行政の現場を見聞きすることで、公的な仕事に関心を向けるようになりました。
 
  昭和20年(1945年)8月、日本は終戦を迎えます。昭和21年(1946年)1月、戦地から帰って来た父の茂喜は、既に他界していた妻の仏壇に向かって無言で座っていました。寂しげな父の背中は喜朗少年にとってとても印象深いものでした。仏間から出てきた父は、子供たちに向かって言いました。
「これからは世のため、人のため、また戦死した多くの戦友の子供たちのために生きていきたい。もうお前たちの父親はいないと思え」
 父は、自分や自分の家族は二の次にして、公のために尽くす「滅私奉公」を、子の前で誓ったのです。この言葉が、喜朗少年の心に深く刻まれました。  

 小学生のある日、父に買ってもらった野球のグローブを近所の子供に貸したところ、なかなか返してもらえません。当時、グローブはとても高価なものでしたから、喜朗少年は力ずくで取り返しに行こうとしました。ところが父は「グローブは、あの子に上げなさい」と引き止めたのです。
「あの子のお父さんは戦死したんだ。お前には、こうして父がいる。グローブはまた買えばいいのだから、今は我慢しなさい」
 初めは納得できなかった喜朗少年も、成長していくにつれて、祖父と同じく根上町長の職につくことになった父の生き方・姿勢を次第に理解していきました。

 森総理は「政治家たるもの、滅私奉公と公平公正の姿勢を貫かなくてはならないと思っ ている。それは最も身近な政治家であった祖父と父から学んだことである」と語っています。

森総理幼少時代の写真

 

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画像協力 AFLO FOTO