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先生との出会いコーナータイトル

森総理学生時代の写真

 祖父や父の教えとともに、多くの先生から学んだことが、自分の生き方の大きな支柱になっていると森総理は語っています。 「私は先生に恵まれた。知識だけでなく、人間にとって真に大切なことを、たくさん教えられたと思う」と――。

 例えば根上町立浜小学校(当時は国民学校)の2、3年生のころ。当時、教頭先生だった古田福松先生から、こっぴどく怒られたのを、森総理は今もはっきり覚えています。みんなで広場で遊んでいた時、学校帰りの古田先生が通りかかりました。みんなは「先生、さようなら」とあいさつしたのに、生意気盛りのガキ大将でもあった喜朗少年は、一人だけあいさつをしないで遊んでいました。それを見た古田先生は歩み寄ってくるなり、頬をパチンと叩いたのです。
「なんで君はあいさつをしないのか。もし、お父さんが偉いからあいさつしなくていいと思っているのなら大間違いだ。お父さんが偉かったら、なおのことあいさつを率先してやるべきじゃないか」
 この一喝に、ただただ恥ずかしい思いがこみ上げてきた、と森総理は当時を振り返っています。礼儀作法の大切さ、そして人としての在り方を胸に深く刻んだ出来事でした。

 人としての在り方という意味では、湯口善作先生のことも忘れられません。森総理の小学生時代には、児童は学校でいろいろな作業をしました。当時の浜小学校では、便所の汲み取り作業は4年生以上の児童の役目になっていました。喜朗少年は、自分の家の便所の汲み取りのお手伝いはやっていたのですが、さすがに学校のそれは、嫌で嫌で仕方ありませんでした。尻込みしている喜朗少年たちを前に、湯口先生は、満杯の肥桶(こえおけ)に自分の右手を突っ込んでこう言ったのです。 「何が汚いか。みんな君らが出したものじゃないか。これが肥料になって米や野菜がとれるんだ」  湯口先生はのちに根上町立根上中学校の校長先生になるのですが、その時の湯口先生の姿に、森総理は深く胸を打たれたと振り返っています。「率先垂範」という言葉の真の意味を知ったのです。

 また、こんなエピソードもありました。小学生のころ、森総理は、朝礼でよく「悪い子」として発表されたそうです。当時は学校で流行歌を歌うとしかられるという時代だっ たのですが、やんちゃでおませな喜朗少年は、その流行歌が大好きでした。時には学校でも歌って、規律を乱す「悪い子」になってしまったのです。
 しかし、そんな時代の中でも、子供たちの自主性を大事にし、温かく育んでくれた多くの 先生方がいました。5、6年生の時の担任だった室政男先生もその一人でした。学芸会の幕あいに喜朗 少年に流行歌に合わせて踊らせるといういきな配慮をしてくれたのです。自分で振り付けをして踊った喜朗少年は、客席からやんやの喝采を浴びました。室先生は、終戦直後の 混乱した教育現場で、児童の自主性を重んじ、責任感を身につけさせることに一生懸命 取り組んだ先生でした。

「当時の先生たちは、子供たちの個々の長所を伸ばすことに教育の軸足を置いていた。そのおかげで、私は伸びやかで充実した学校生活を送ることができたのだと思う」
 森総理は、小学校時代やその後の中学校や高等学校、そして大学に至るまで、数々の恩師と の出会いが、今の自分をつくり上げていると振り返っています。

森総理恩師との写真

 

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写真提供 時事画報社 画像協力 AFLO FOTO