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今も現役ラグビー・プレーヤーとしてグラウンドに立つ森総理ですが、ラグビーとの出会いは、小学校5年生の時でした。早稲田大学ラグビー部を、同部のOBだった父が根上町に招き、合宿させたのです。喜朗少年が通う浜小学校の校庭で、毎日汗と泥にまみれて猛練習を繰り返す部員たちのひたむきな姿をみて、喜朗少年はラグビーにあこがれるようになったのです。
喜朗少年は、ラグビー選手になる夢を持って、石川県立金沢二水高校に進学しました。 同校のラグビーの強さは県内でつとに知られていました。ただ、念願のラグビー部に入ったものの、当時の喜朗少年は、体も小さく、先輩から「使いものになるのか」と言われたほどでした。しかし、持ち前の反骨精神を発揮して、毎日毎日、夜遅くまで練習に没頭し、チームの司令塔といわれるスタンド・オフを任されるまでになりました。そして、3年生の時にはキャプテンを務めました。
実は、キャプテンになったのには、こんな経緯がありました。
当時、ラグビー部の先輩たちの中には、部室でこっそりたばこを吸う部員が何人かいたのです。ある時それが発覚して、「ラグビー部は即刻休部」という事態に。先生方の間には、ラグビー部は廃止すべきだという意見も出てきました――。しばらくして、ラグビー部員が集められ、生徒指導担当の浅野律太郎先生がこんこんといさめた後、喜朗少年にこう言葉の矛先を向けてきたのです。
「二水高校のラグビー部がここまで強くなったのは、君のお父さんのおかげではないか。君のお父さんが石川県にラグビーを持ち込み、その流れで二水高校も強くなったんだ。それを君の代でつぶしてしまっていいのか。私はそうは思わない。そこで君に提案をする。君がキャプテンをやれ。そしてラグビー部からたばこを排除しろ」
これが、生徒指導担当の先生から提示された“ラグビー部存続の条件”でした。
困惑しながらも、キャプテンは引き受けざるを得ませんでした。仲間のために――。その後も実はたばこを吸う部員がいたのですが、森キャプテンはあえてその部員を辞めさせるという、つらい決断も下しました。そして、県大会では決勝戦まで勝ち進むことができました。
「一人はみんなのために。みんなは一人のために」(One for All,All for One)
3年間のラクビー部活動を通じて、喜朗少年は、フェアプレーの精神やリーダーシップを学んでいきました。
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