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人生は挑戦の連続コーナータイトル

森総理政治家への道写真

 高校を卒業した森青年は、昭和31年(1956年)、早稲田大学商学部に入学しました。そして念願の早稲田大学ラグビー部員となりました。

 ところが、入学4か月後に夢は暗転します。 全国からトップレベルの選手が集まる早稲田大学のラグビー部。そのレベルの高さは想像以上でした。心身ともにボロボロになるまで練習に打ち込みますが、ある日突然、吐血してしまったのです。医師によると「胃カタル」という診断。このままでは、胃潰瘍(いかいよう)になってしまうというのです。入学してわずか4か月――。退部を決断せざるを得なくなったのです。同時に大学を退学することも考えましたが、大西鐵之祐監督に「ラグビーをやれなくなったから大学を辞めるのというのは、実に愚かな考えだ。大学生活で、ラグビー部のレギュラーになる以上の何かをつかみとれ」と一喝され、大学にとどまることにしました。

 ラグビーから離れ、正に魂が抜けたような日々が続きましたが、そんな森青年に、父の知り合いでもあった、同郷の早稲田大学の先輩から「雄弁会」への誘いがかかります。気の乗らない森青年に、先輩はこう言います。
「お前、怖いんだろう。未知の世界に入ることには、人間は非常に臆病になる。しかし、やって後悔するのと、やらないで後悔するのでは全く違う。やって失敗したときの後悔 は大きな糧になる。だが、あの時にやっておけばよかったという後悔は後に何も残らない」
 この言葉は、森総理に大きな転機をもたらすことになりました。

 ラグビーから雄弁会へ――正に180度の転換でした。その後、森青年は後に同じ政治の舞台で活躍することになる早稲田大学雄弁会の朋友たちと共に、政治への熱き志をふくらませていきます。当時の雄弁会は、2年後輩の小渕前総理、1年先輩の青木幹雄元内閣官房長官を始め多士済々。後に小渕内閣を共に支えたこれら青春時代の仲間に、森総理は今も支えられています。
 昭和35年(1960年)、大学を卒業。将来、政治家になることも考え、新聞社に就職しましたが、希望の政治部には配属されず、また挫折感を抱くことになります。しかし、取材活動を通じて、当時の有力な経済人の知己を得ることができました。その後、昭和37年(1962年)には、愛媛県選出の代議士の秘書となるため新聞社を退社、政治家への道を歩み始めます。
 そして、昭和44年(1969年)12月、森総理は第32回衆議院議員総選挙に石川1区(当時)から初めて立候補し、トップ当選を果たします。32歳の時でした。

 森総理は、自分の人生は、挫折とそれを乗り越えることの繰り返しだったと振り返ります。しかし、人生はラグビーのボールのようなものだ。楕円球はどこに転がるかわからないが、チャンスは必ずやってくる――。




参考文献『あなたに教えられ走り続けます』(森喜朗著/北國新聞社)

 

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画像協力 AFLO FOTO