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ベルリンでカメラ助手のアルバイトをしたとき
「生きた政治を勉強しよう。これからの政治家は世界を知らなくてはだめだ」
政治家への夢を胸に秘めた25歳の青年は、世界の“実情”をこの目で確かめるため、 たった1人で4大陸をめぐる旅に出発しました。
当時の世界情勢は米ソが真正面から向かい合う東西冷戦の時代。
また、日本人の海外渡航も自由化される前でした。
そんな世界へ小渕青年はトランク1つだけで旅に出ました。
まさに現在の“バックパッカー”の先達といってもいいのではないでしょうか。
現地で旅費、滞在費を稼ぎ、世界各地の現実を目の当たりにする。この経験が、 現在の政治家としての基礎にもなっているのです。
 昭和38年1月、小渕青年は世界旅行に出発しました。当時、アメリカ統治下にあった沖縄から、台湾、タイ、パキスタン、インド、セイロン(現スリランカ)とアジアをめぐり、中東、アフリカ、ヨーロッパから北米、そして南米と、訪れた国は38カ国におよび、9カ月間の大旅行になりました。 写真
ロバート・ケネディの早稲田大学での講演
 宿泊先はYMCAや海外赴任している早稲田大学の先輩の家に泊めてもらうこともたびたびでした。4月になって、ヨーロッパに入ったころは、日本から持ってきたお金が底をつき始め、レストランの皿洗いや、合気道の助手などのアルバイトでお金を稼ぎました。
 東西冷戦まっただ中のベルリンでは、テレビカメラマンの助手のアルバイトもしました。来る日も来る日も、重いテレビカメラのバッテリーを持って走る。最後には腰が立たなくなるほどの激しい仕事でした。
 旅のハイライトは、ワシントンでのロバート・ケネディ司法長官との会見。特別なつてや紹介状もありませんでしたが、会見をお願いする手紙を書いて、直接司法省の長官秘書に持参しました。実は、前年の2月、ロバート・ケネディが来日した際、早稲田大学を訪問、大隈講堂で講演したのを聞いた小渕青年は、そのときの感激を手紙にしたためていたのです。
 半ばあきらめかけていた1週間後、宿舎に長官秘書から電話がかかってきました。「長官が会うそうです。司法省に来てください」。翌日、司法省を訪れた小渕青年は、ケネディ司法長官に、「私の講演を聴いてくれてありがとう。これからは君たちの時代だ。政治家になったら、ワシントンで会おう」と温かく歓迎され、兄のジョン・F・ケネディの大統領当選を記念してつくったネクタイピンまでプレゼントされました。
 そのフランクな態度に感動した小渕青年は、「政治家になっても、分けへだてなく誰にでも会おう」と決意しました。こうした経験が政治家・小渕の原点になっているのです。
(参考資料・『小渕恵三 全人像』 後藤謙次)

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写真提供・九州朝日放送 毎日新聞社