司法制度改革審議会

第15回司法制度改革審議会議事録

第15回司法制度改革審議会議事次第

日 時:平成12年3月14日(火) 13:30 〜17:30
 
場 所:司法制度改革審議会審議室
 
出席者(委 員(敬称略))
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、高木 剛、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長
1.開 会
2.「法曹養成制度の在り方」について
(1)小津博司  法務大臣官房人事課長からの説明
(2)加藤新太郎 東京地方裁判所判事からの説明
(3)小島武司  中央大学法学部教授からの説明
 
3.閉 会

【佐藤会長】それでは時間がまいりましたので第15回会合を開催いたします。

 今日の主な議事ですけれども、まず法曹養成につきまして、これに関係するお三方、司法試験関係者として小津博司法務大臣官房人事課長。

 それから、司法修習関係者として、加藤新太郎東京地方裁判所判事。

 大学教育関係者として、小島武司中央大学法学部教授からお話を伺いたいと考えております。

 それぞれ20分ないし30分程度のお話を伺いまして、その後一括して30分から40分程度、お三方も加わっていただきまして、ヒアリングを踏まえ、質疑応答、意見交換をしたいと考えております。

 さらに、休憩をはさみまして、1時間程度を取り、前回に引き続き法曹養成制度の在り方について意見交換を行いたいと考えております。

 ヒアリングに入ります前に、1つお諮りしておきたいと思いますのは、今後重点的に検討すべき論点についての、いわゆる論点メモの取り扱いについて、最初に少し御相談申し上げておきたいと考えます。

 第12回、13回の会議で行われました弁護士の在り方についての中坊委員からのレポートと、これに基づく意見交換を踏まえて、私と会長代理とで相談しながら、事務局から今後重点的に検討すべき論点についてのメモを作成していただきました。

 それから、第13回会議で行われました裁判所、法務省の人的体制の充実に関しましても、同様のメモを作成してもらったところであります。

 論点メモの趣旨でありますけれども、最初に竹下会長代理から、民事司法が中心でありますが、全体についての問題状況、論点について、全体的な姿を示していただいたわけであります。

 前回もその趣旨のことを申し上げたと思いますけれども、そのとき、まず制度に入る前に人的基盤の整備というものの見通しと言いますか、方向性というものを得る必要があるのではないかということで、その一環として、まず最初に弁護士の在り方について御審議いただきました。

 それから、前回と今回、それから次回にわたりまして、法曹養成制度について御審議いただきつつあるということであります。

 審議会としては、議論の積み重ねをやっていきませんと、短期間に結論を得るというのはなかなか難しゅうございますので、お配りしております論点メモには、この辺は認識が一致したというものがいろいろ入っております。竹下会長代理のときのメモと少し趣旨が違うようになっておりますけれども、それは今申し上げたような趣旨でございまして、そういう趣旨として、我々としてこれを固めて、先に進んでいきたいと考えておりますので、そういうものとして御理解いただければと思いますが、念のため、事務局長から読んでもらいましょうか。

【事務局長 】(資料「『弁護士の在り方』に関し今後重点的に検討すべき論点について」及び「『裁判所・法務省の人的体制』に関し今後重点的に検討すべき論点 について」朗読)

【佐藤会長】どうもありがとうございました。ということでございますけれども、この文章、先ほど申し上げたような趣旨で御了解いただけますでしょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 それでは、ヒアリングのほうに入りたいと存じます。

 今日は先ほど御紹介しましたように、お三方からヒアリングをお願いしているわけでありますが、時間の差がございますけれども、小津人事課長からは約20分、加藤新太郎判事からも約20分、小島教授には約30分という予定でおります。

 それでは、最初に小津博司法務大臣官房人事課長からお話を伺いたいと存じます。司法試験制度改革、司法試験問題の改善の経緯、あるいは受験生及び合格者の実情、いわゆる予備校通いなど、あるいは法曹に期待される資質、能力と試験による選抜の限界性などについてお話を賜ることになっております。

 お忙しいところ、今日は本当に恐縮でございますが、よろしくお願いいたします。

【小津法務大臣官房人事課長】御紹介いただきました小津でございます。早速始めさせていただきます。

 司法試験の実情と問題点、あるいは改革の経緯等につきましては、前回井上委員から詳細な御説明があったと承知しておりまして、それについて私どもも読ませていただきまして、司法試験の事務を担当している者として、大変深い共感を覚えながら読ましていただきました。全くこれに付け加えるものはないわけでございますが、特に私ども事務方の立場から、司法試験制度を実施している実情でございますとか、若干の運用改善の努力をしてきたということについて、それらを中心にして、本日はお話しさせていただきたいと思っております。

 まず、試験の実施に関する基本的な事柄について若干資料を用意いたしました。かいつまんで申しますが、資料1が、試験運営の組織を示したものでございます。法務大臣の下に置かれております司法試験管理委員会が試験を管理するということになっております。これは法務事務次官と最高裁の事務総長と日弁連の推薦に基づいて大臣が任命する弁護士1人ということでございます。近年その弁護士には日弁連の事務総長が推薦されて任命されております。

 この管理委員会の庶務を私のおります法務省の人事課が担当しているということでございます。

 試験そのものは管理委員会の推薦に基づいて法務大臣が任命します司法試験考査委員が行うということになっております。12年度の2次試験につきましては、大学教授、法律実務家、合わせて148 名の試験委員が任命されております。

 試験の実施につきましては、資料の2にその実施の流れをまとめてみました。既に御案内のとおり、司法試験は1次試験と2次試験があるわけでございます。大学の教養課程が終わりますと1次試験は免除されるわけでございます。

 2次試験を受験します者の圧倒的多数は大学の教養課程を終わった者でございます。司法試験の1次試験を合格したという資格で2次試験を受験する方の数はそれほど多くありませんし、その資格で最終合格に至る方は大変少ないわけでございますが、更に詳細に見てみますと、1次試験合格の資格で最終合格をした方につきましても、合格するときには既に大学に進んでおられるとか、大学を卒業しておられるという方でございます。こういう実情でございますので、以下は司法試験の第2次試験に限ってお話しをさせていただきます。

 2次試験は筆記と口述に分かれておりまして、その筆記が更に短答式と論文式に分かれております。この実施の流れの表で御覧いただきたいと思いますのは、この2次試験の実施につきましても、ほぼ1年間掛けてようやく3万人を超える出願者についての試験の事務を行っているということでございます。事務方がやっているというだけではございません。勿論、中心は考査委員の先生方でございます。短答式試験の作成作業から始まって、膨大な数の論文式試験の答案、審査、そして口述試験を経まして、最終及落の決定まで、ほぼ通年の作業をお願いしているわけでございます。

 ちなみに平成12年の試験は既に出願を締め切っております。現在、事務当局で3万6,000 通を超える願書について書類上の不備等をチェックしておりまして、恐らく最終的な受験者数は前年を1割程度上回るのではないかと予想しているところでございます。

 その試験の実施状況をちょっとポンチ絵みたいなものを入れて資料3をつくらせていただきました。

 出題はいずれの科目も考査委員が協議してそれぞれ提出していただいておりますが、短答式試験は3科目の合計60問を3時間30分で行いまして、マークシート方式であります。採点は自動的に行われます。

 論文は各科目2題を2時間で行っております。採点は1つの答案を複数の考査委員が採点するようにしております。

 口述試験は考査委員が各科目2人ずつペアになりまして、受験者一人ひとりに対して個別に試験を行ってその場で採点するものでございます。

 合否の決定は、各試験ごとにすべての考査委員が集まる会議で決定されております。試験を行う考査委員は各法律分野の最高水準の大学教授の方々と、十分に経験を積んだ法律実務家で構成されておりますが、この考査委員の方の数は受験者の増加等に伴って近年相当増加させております。その資料も付けてございます。

 御参考までに昨年の短答と論文の試験問題を幾つかピックアップして資料4ということで出させていただきました。試験と答案用紙の現物そのものも、こんな格好をしているということでお手元に用意させていただいたところでございます。

 なお、すべての試験の実施、採点、合否の判定に関しまして、司法試験の受験者は完全に匿名で取り扱われております。採点される答案がだれのものかわからないようにするという配慮は徹底しておりまして、例えば答案用紙に受験者本人の特定につながるような記載がございますと、それだけで答案は無効になるという扱いをしております。

 さて、司法試験の実情につきましては、かねてから合格までに余りにも長期間を要する試験になっているということについて問題が指摘されてきましたし、比較的最近では多くの受験生が、いわゆる受験予備校の指導にしたがって、受験準備に専念する傾向が顕著になっている。そして、それに伴う弊害が指摘されているわけでありまして、この点につきましては、井上委員から大変詳細な御報告がございました。こうした現象は法曹になろうとする者に必要な学識、能力を判定する司法試験の運営にとりましても、大変大きな障害となっておるわけでございます。

 司法試験と申しますのは、受験生の立場から見ますと、はるかに遠いゴールであるでしょうし、また、これさえ乗り越えられればという高い高いハードルだと思いますけれども、制度的に見ますと、あるいは国民全体の立場から見たら、司法試験の合格というのは、いい法曹になるための入り口にすぎないわけでございます。合格者は司法修習、これまでは2年、これからは1年6月でございますが、この司法修習をやりました後に、通称二回試験と言っておりますが、これに合格することによって司法修習は終了して、ようやく法曹資格を得るわけでございます。

 ですから、司法試験で判定するべき能力と申しますのは、直ちに法曹になれる能力ではありませんで、一定期間の司法修習を受けることによって、法曹資格を得るまでに成長できる能力ということも言えるわけでございます。

 さらに、法曹資格を取得した後も、社会の要請、国民の期待に応じて日々成長していくということが期待されるわけでございまして、比喩的に申しますと、高いハードルを1回だけ越えられるという能力ではなくて、そのハードルを越えて更に大きく空高くはばたいていける能力という面があるわけでございます。

 その点を司法試験の法律の条文では、第2次試験においても、知識を有するかどうかの判定に偏することなく、理解力、推理力、判断力等の判定に意を用いなければならないと定めておるわけでございます。これはこのような趣旨であろうと考えております。

 我が国の司法試験は、受験期間の長短や受験回数にかかわりなく、すべての人に全く同じ試験をいたしますので、長期受験者が非常に多くなった状況の中でどういう試験の運営をしたら、こういう能力を実質的にも公平に安定して選抜することができるのかということにつきまして、管理委員会と考査委員の先生が苦慮し続けてきたと申し上げてよろしいかと思います。

 さらに、受験産業に依存する傾向が極めて顕著になった最近の傾向は、その困難を更に深刻なものとしております。お手元の資料の中で、資料7と8というのがございまして、これは考査委員の先生方がこれらの点について率直な感想を述べておられるところでございます。資料の7は、最近の文献から抜粋したものでございますが、資料8は、比較的最近私どもで一部の考査委員の先生から個別に御意見をお伺いしたということで、大変率直な御意見、御感想を述べておられますのをこういう形で資料化させていただいたわけでございます。

 答案につきましては、パターン化しているとか、画一的であるとか、金太郎飴的であるとかいうような表現で、同じことを指摘しておられるわけでございます。

 その理由として、予備校で論点についてのパターン化された解答を覚え込む受験勉強をしている影響だと。その傾向が最近極めて顕著になっているというような御指摘であろうと思っております。

 ちなみに、司法試験の問題と言いますのは、短答試験も論文試験も、これまで同じ問題を出したということはほとんどないはずでございます。例えば民法という法律を取ってみますと、民法の論点というのは、恐らく無数にあるだろうと思います。その中で民法という法律の体系的な理解に不可欠な、典型的な論点について大学の講義でありますとか、学生向きの基本書で取り上げられております。司法試験の出題に含まれる論点というのも、そういう論点が中心になるわけでありますが、そういう論点でありましても、大変な数の論点があるわけでございますから、それを過去の司法試験の出題等から抽出いたしまして、分類してパターン化して、一応それらしい解答を受験生に提示する。これは大変な作業でありますから、そういう受験指導をしているということでありますならば、受験産業がその意味では大変大きな力を付けてきているということが言えようかと思います。

 そういう中で、受験者の能力判定が年々困難になってきているということでございます。 そこで考査委員の先生方を中心にいたしまして、運用のために大変な御努力を払ってこられたわけでありますが、基本的な観点は、大学でまじめに法律を学んだ有能な人材だったら、それほど長期間受験を繰り返さなくても合格できる試験にしたいということであったと思います。

 今年の試験につきましても、現在、そういう御努力を続けておられますけれども、大局的に見ますと、運用の改善によって事態の解決を図ることは不可能であるというのが長い経験を踏まえた共通の御認識であると申し上げて過言ではないと思います。

 今日までのいろいろな努力をその後の資料でまとめさせていただきましたが、本日そのうちの若干の内容を御紹介させていただきます。

 まず短答式試験の合格者数でございます。本日の資料でございますと、真ん中辺りに資料6というのが「司法試験二次試験出願者数・受験者数、合格者数等の推移」という細かい数字の資料でございます。

 短答式試験というのは昭和31年に筆記試験の一部として導入されましたが、昭和36年に法改正されまして、筆記が短答と論文に分けられたわけでございます。この短答試験は、受験者の急増に対応しまして、論文の受験者を採点可能な人数に限定するための、言わば足切り試験でありまして、その論文の採点を充実させるという観点からしますと、短答の合格者数は少ないほうが望ましいとも言えるわけでありますが、反面、短答のハードルを余りに高くいたしますと、潜在的に優秀な者を排除いたしまして、特に受験期間の短い者に不利に作用する可能性がございます。

 そこで、資料の6にもございますように、昭和50年代におきましては、最終合格者数が増加していなかったにもかかわらず、短答式の合格者を増加させまして、より多くの者が論文の判定を受けられるようにいたしました。

 その結果、例えば昭和50年の試験では、短答の合格率が9.5 %、論文の合格率が20%でしたが、昭和59年には短答の合格率19%、論文の合格率11%と変わったわけでございます。

 次に、短答試験の出題でございますが、これについては、中身、また問題の数等々、いろいろな変更が加えられてきました。出題の方針は若干の変遷はございますが、基本的には基礎的な知識に基づいて論理的思考力、判断力、推理力を判定する出題にするということでございます。

 特に近年は短答式につきましても、その場で考えさせるという問題を工夫するように努めております。先ほどの資料にありました短答式の問題を後ほど御覧いただきまして、考査委員の先生方が時間を掛けて、いろいろと工夫をしていろいろな問題を出しているということにつきまして御理解いただければ幸いでございます。

 最も基礎的な知識に基づいて考えさせるという出題傾向につきましては、そういう言い方はかえって、広範な基礎的な法律知識の学習が不要であるような印象を与えないであろうかという議論もございます。

 さらに、予備校では、その場で考えさせるパターンを訓練いたしまして、一部でも出題内容が理解できなくても、解答の選択肢を絞り込むテクニックを教えているのではないかとも言われているわけです。

 ちなみに、短答式につきましては、勿論、過去の出題や正解を丸暗記する学習方法というのは、法曹となる者には有害無益と考えておりまして、また、能力判定の障害になりますので、これまで法務省は出題内容を非公開としてまいりました。しかし、受験産業はかなり以前からアルバイトを雇って受験させまして、少しずつ問題を覚えさせて再現をするということがございまして、近年ではかなり正確な再現問題が出回るようになりました。そうなりますと、実質的な意味も失われたということもございますが、他方で情報公開の流れもございますので、11年度の試験から短答式試験の出題内容を公開するということにしております。

 こうした短答式の改善と申しますか工夫は、ごく短期的に見ると効果があったようにも見えるけれども、すぐ元通りになるなというのが委員の実感でございます。この点はなかなかデータになりにくいんですが、一応最後の資料11に短答についていろいろと変えてきた時期と、それから短答合格者の平均年齢でありますとか、在学生の割合でありますとか、これを対比した資料を作成しました。一時的に、例えば年齢が下がったかなというように見える時期もないわけではありませんが、厳密な意味で因果関係があったのかどうか明らかではありませんし、少なくとも持続的な効果がなかったということだけは言えると思います。

 次に、論文の出題でございますけれども、これも出題方針としては同様でありまして、毎年工夫しております。出題の形式といたしましては、比較的初期には、何々について論ぜよという形のものが多かったんですが、次第に具体的な事例を出して問題点を論じさせる形式のものが多くなっております。

 ただ、事例問題が常にすぐれているかというと必ずしもそうではございませんで、長い事例になりますと、ただ、論点だけを並べた深みのない答案になってしまうということで、そういうことを考えながら、毎回いろいろと検討しております。

 資料の中に昨年の論文式の問題も幾つか出しております。これまたいろいろな形の出題をしているなということで御覧いただければ幸いでございます。

 もっとも、出題を工夫すると申しましても、司法試験はやはり大学における法学教育を前提にして行うものでございますから、その実情に合わないような出題というのはできないわけでございます。

 例えば実際の事件の記録とほとんど同じものを読ませて検討させてというのは、現状では相当でないと思いますし、また、ほとんどの大学では教えないような内容、ごく限られた方だけが検討している問題というのは出題できません。ですから、毎年違う問題を出すと申しましても、全く予想外の出題があるということにはなりませんし、そういう問題は相当でないということになろうかと思います。

 次に論文の採点でございますけれども、これは勿論、知識だけでなく、理解力、推理力、判断力、論理的思考力、説得力、文書作成能力など、総合的に評価しておるわけでございます。

 したがいまして、考査委員の方々は、答案の中で、少しでも光るものと申しますか、自分の頭で考えた内容があるかということを見出すべく努力をしておられるわけでございますが、お話によりますと、そうした答案は近年極端に少なくなっているということでございます。

 そうなりますと、画一的な答案の一つひとつについて、それを書いた受験生が内容を本当に理解して書いているのか、ただ、覚え込んだだけで本当はわかっていないのかということを見分ける作業を強いられているということになります。

 受験産業や受験生は更に完全な画一的答案をつくろうと努力しているんだと思います。 やめさせるためには、そういう画一的答案を全部不合格にすればいいじゃないかとお思いになろうかと思います。ただ、合否というのは、あくまで一つひとつの答案がよく書けているかどうかということで判断しなければいけませんので、それもできませんし、仮にそれを不合格にして、それではできの悪い画一的答案を合格にするということもできませんので、そうなりますと、合格者が非常に少なくなってきます。

 そうしますと、しばらくしますと、新しい判断基準はどうかということを推察するといって、新しい受験指導がなされて、新しい画一的答案が出てくるだろうと思っているわけでございます。

 つまり、どうしても採点の客観性、公平性を担保しなければいけませんから、考査委員の間で実質的に同じような採点をしなければいけないということになりますと、しばらく見ていると、どのような感じで採点しているかというのがわかってくるということです。 それから、これらと観点は異なりますが、私ども管理委員会のほうでは、合格の可能性の乏しい方が長期間受験を継続するということの弊害を考えまして、論文と短答のそれぞれにつきまして、不合格の方が希望されれば、どれくらいの成績のランクだったのかということを通知するようにしております。論文は昭和56年から、短答は平成4年からということでございます。

 これは受験生に対する情報の提供ということでは有意義なことだと考えておりますが、では、それでどういう効果を、あるいは影響を与えているかということは正確にはわかりません。普通、受験を継続すると、少しずつでも成績のランクは向上いたしますから、それが見えることによって、かえってあきらめ切れなくなっているのではないかというふうに言われる方もあるわけです。

 最後に口述試験でございますが、口述は1人15分から30分くらいやっておりますが、ここでは直接本人がどこまでわかっているのかということをチェックいたします。ここで最終的なチェックをするわけでございます。

 現在、1人の受験者について各科目2人ずつ考査委員が直接やっておりますので、大変に手間の掛かる試験でございます。

 また、試験官の間の公平性の確保でございますとか、きめ細かな採点ということになりますと、また、筆記試験とは異なる困難な面もあるわけでございます。ちなみに考査委員の数はかつて法律で1つの科目4人までという制限がかなり以前ですけれども、ございました。勿論、現在そのような制限はございませんで、資料に付けてございますが、考査委員の方を相当増やしておりますけれども、やはり考査委員の質の確保、あるいは試験の公平性という観点から見ますと、考査委員の数の増加というのはおのずから限界があるだろうと考えております。

 なお、口述につきましては、特に大きな運用上の変化はございませんでしたが、今年の試験から、民法と民訴、刑法と刑訴、これを一緒に口述試験をするということになりましたので、従来以上に多角的な観点から試験が行えると期待しております。

 最後に今日はそういうことで、司法試験を実施する我々が現状について大きな問題意識を持っているということを御説明するためにいろいろ問題点を申し上げました。ただ、司法試験が現に果たしている重要な役割についても是非御理解いただきたいと思います。

 司法試験は現行の制度とその運用の実情の中で、法曹となる者の選抜、あるいは能力判定のほとんどすべてを一身に引き受けていると申し上げても過言ではないと思いますが、この試験が厳正、公平に、しかも絶対に誤りがないように運営されているということにつきましは、十分な評価をいただいているものと考えているわけでございます。いろいろノウハウやら、試験委員の方の御努力はあるわけでございますが、こういう試験に対する絶対的な信頼があるということは、法曹の選抜・養成の制度全体にとって大きな意味があると考えております。

 それから、司法試験の選抜機能、能力判定機能ということについて問題点を申しましたけれども、考査委員の方々は、これまでの司法試験で能力のない者が合格して、能力のある者が不合格になっているとは考えておられません。つまり、答案の画一化に悩みながらも、これまでのところ司法試験は何とかその機能を果たしていると評価できると思います。 また、受験生からいたしますと、あるいは試験のためには割り切って画一的な答案を書いて、後は必要なことは合格後にやるんだと、こういうことでありましょう。ただ、余りにも画一化された答案に直面しております考査委員の方々からいたしますと、法曹となることを志した者が、情熱と感受性にあふれている時期に、法曹にとっても最も重要な自分の頭で考える意欲と能力を開発するということを妨げられているんじゃないかと。そうなると、こういう方を司法研修所に託し続けることについてそれでいいのかという懸念を抱いております。

 また、これ以上答案の画一化が進みますと、能力判定そのものが大変困難になりますし、また、更に現在よりも成績の下のほうの者について合否の線引きをしろということになりますと、これは大変困難だということでございます。

 申し上げたかったことは2つございまして、1つは、司法試験の問題点は、現行制度の運用改善や若干の手直しでは打開できないということでございます。

 もう一つは、ごく最近も受験者がまた相当増加しております。このままですと合格率も若干低下し始めているわけでございますが、その意味で合格困難な試験に更になりつつあります。それにもかかわらず、今のような受験者群を前提にする限り、合格者数を更に大きく増加させるということについては、考査委員の先生方始め、我々試験を実施している者は懸念を抱かざるを得ないということでございます。

 時間をオーバーしましたが、以上でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。現行の司法試験制度が限界に達しつつあるというお話でございました。

 それでは、引き続きまして、加藤新太郎東京地方裁判所判事からお話を承りたいと存じます。

 加藤判事は、司法研修所前事務局長でございまして、それ以前に4年7か月の間、司法研修所の民裁教官をお務めでございます。現在も東京地裁の部総括判事として修習生の実務修習を御指導なさっておられます。

 加藤さんからは、司法修習制度改革の経緯、あるいは修習生の実情、実務訓練の重要性、あるいは大学法学教育との連携などについてお話を承れるものと理解しておりますが、加藤さん、お忙しいところ恐縮でございますが、よろしくお願いいたします。

【加藤東京地方裁判所判事】東京地裁の加藤でございます。

 今、御紹介いただきましたような経緯で司法修習全般について、その現状と問題点について述べさせていただきたいと思います。

 小津課長と小島先生は詳細な資料を用意しておられますのに、私はこのレジュメ1枚だけでございまして、手を抜いているのではないかと思われるかもしれませんけれども、井上教授がつくられました前回の参考資料を適宜御覧いただきながら説明していきたいと思います。手を抜いたと言われるのがいやなものですから、せめて気合いを入れて補ってまいりたいと思います。

 さて、法曹がその役割を果たしていくためには何が必要かということになりますと、知識、技能、見識、このいずれをも欠くことができないように思います。そして、できる法曹とは知識が深く、広く、技能が高度であって見識も高いという人であろうと思います。また、あるべき法曹とは、知識、技能、見識が一定水準に達していまして、それらにバランスが取れている。こういう人ではないかと思うわけであります。

 しかしながら、そうした知識、技能、見識というのをどこで習得するかということになりますと、これは大学における法学教育から始まり、司法修習の課程を通じて行われるものでありまして、更に資格取得後はオン・ザ・ジョブ・トレーニング、及びそれを補うものとしての継続教育によって行われるということになるわけで、それらはなかなか一朝一夕には身に付くことがないものでございまして、先輩から後輩に口酸っぱく、「法曹は一生勉強が必要である」と繰り返し説かれるのは、こうした事情を背景にしているわけです。

 ところで、司法修習は大学における法学教育を経まして、司法試験の関門をくぐった者を一人前の法曹に育て上げるという教育でございます。したがいまして、レジュメに書いてありますように、法律実務に対する幅広い知識と技能を有し、高い倫理感と職業意識、これを見識と言ってもよいかと思いますが、そういうものを備えた法曹の養成を目標としているわけです。

 そうした目標が実際に達成されているかどうかは、社会の評価を待つということになろうかと思いますが、以下では最近の司法修習生の特色と問題点、及び司法修習の実際と課題であると我々が考えているものについてお話をしていきたいと思います。

 最近の修習生の全体の特色としては、元気のよい者もおるわけでありますが、総じておとなしくて、素直で真面目で、課題を与えられるとよく勉強しまして、教官の指導にもよく従うということが言えると思います。法律的な知識、あるいは能力等の資質面についても、全体としては相応の水準に達しておりまして、講義等の飲み込みもおおむねよろしく、従前に比べて劣っているという印象は受けません。

 しかしながら、近時の司法試験合格者が増加しているということと、受験予備校の一層の隆盛という現象が相まって、修習生の一部には、従前には見られなかった問題が生じているように思われます。この点については、井上先生が的確に述べられているところといささか重複するところですが、我々の認識ということで御了承いただきたいと思います。

 かつての修習生は、私の経験でもそうなのですが、司法試験に合格する前は大学の講義を聞きまして、テキストである基本書にも取り組み、体系的な理解を深めるということをしたように思います。ゼミにも参加しまして、仲間と議論して、幼稚ではあっても法律論を闘わすことの面白さも味わいながら、論じている事柄の意味合いとか、論点相互の関連、及び体系的な位置づけについて自分なりに整理するという言わばオーソドックスな勉強をしていたと思われるます。ところが、最近は、ほとんどの修習生が何らかの形で司法試験予備校を利用しておりまして、中には大学入学早々から予備校に通い、法学部での講義をほとんど聴かずに、予備校での受験勉強に精力を注ぎ、司法試験に出題されような範囲のみを、しかも論点だけを集中的、効率的に勉強するという人が見られます。反面、まとまった体系書、基本書を読みこなさずに試験に合格するという者が増えてきているように思うわけです。かつては法曹は大学の演習室から生まれたけれども、現在は予備校の教室から生まれているということであります。

 司法試験は所与の条件の下で法曹となる者を選抜する役割をよく果たしているように思いますが、1回型の選抜試験、しかも学力試験ですから、現実の問題としては、いわゆる受験技術がそれなりの意味を持つという面がございます。受験生というのは弱い立場のものですから、こういうことをしたほうがいいと言われればそうするわけですから、受験対策として学生が予備校に通うということ自体は、責めるのは酷だと思うわけですが、問題はそういうことからどういう状況が生じているかというところだろうと思います。

 指摘できる点の第1は、修習生の中には、司法試験の受験科目以外の科目については余り知らない。知識が乏しい。また、司法試験科目である基本的な実定法についても、司法試験で問われそうな論点には詳しいものの、その論点についての体系的な知識や理解がいささか不十分である者が見られます。具体的には論点にずばり当てはまる問題については、教官も驚くような見事な回答ができるのに対して、多少とも論点から外れるような問題については、適切な対応ができない。言わば応用力を欠くという者も見られます。また、司法研修所では1つの事件記録を検討する課題を与えるわけですが、その検討に当たり、関連する論点について、一方ではA説に従って論述しながら、他方ではそれと相入れないB説から論ずるという、言わば受験時代の体系的な理解の欠落した論点中心主義の弊害を引きずっている者も見られます。

 それから、指摘できる第2の点ですが、最近の修習生は正解志向が強くて、マニュアル主義で、自分の頭で考える前に教官に正解は何ですかと聞きたがる者が増えているという指摘がされております。これについては私自身が修習生であったころ、あるいは教官をしていたころ、事務局長をしていたころを比較しますと、後の時期になればなるほどそういう面をより感じるようになりまして、要領よくスマートで、無駄なことをせず、飲み込みが早くなったという感じを受けます。その反面、納得のいくまで自分の頭で考え抜くという者が相対的に少なくなっていると感じます。残念ながら消化のよいものを好む足腰の弱い修習生が増えているというように思うわけです。

 ただ、この点は修習生に限りませんで、最近の若者一般に指摘されているところと通じるところがありまして、単に大学教育、司法研修所教育の問題にとどまらない、小さいころからの受験勉強によってもたらされた弊害という面もあるのかもしれないとは思います。 ところで、法曹は仕事の性質上、社会あるいは人間に対する深い洞察力と幅広い視野が必要であります。そのためには社会科学、人文科学など、法律以外の分野についても幅広い教養を備えているということが求められるわけでございます。

 しかし、最近の修習生の中には、例えば判決起案をさせますと、悩みやトラブルを抱えた人間の心理、あるいは行動というものを十分に理解できませんで、表面的な事象を追うだけにとどまって、深みのない者が散見されます。

 これは個々の修習生の感受性の問題とか、あるいは社会的訓練の不足という問題もあるかもしれませんけれども、基礎的な教養が不足しているということにも起因しているように思われます。これも一般教養軽視という風潮は、今の社会全体のものであるという面もありますし、また、修習生だけがひとり一般教養が乏しくて、司法試験に合格しなかった人、受験すらしなかった人と比べてどうかといえば、そういう人たちが修習生よりも一般教養の素養があるという実証的なデータもないわけですから、これは言わば大学教育全体の問題ではないかと思うのです。

 以上申し上げました修習生の問題点は、修習生となりました当初に見られる一部の例でありまして、多くの者は司法修習を経まして、自分の問題点を自覚して、これを改善して一定水準の資質を備えた法曹として司法研修所を卒業しているのが実態です。ただ、今後司法試験合格者が増加した場合、今申し上げましたような問題が更に増幅し、顕著となる可能性があるのではないかという危惧を持っております。この点は法曹養成の在り方の問題として、大学法学部、司法研修所、更にはそれ以前の教育の在り方も含めて検討していかなければいけない根の深い問題ではないかと感じております。

 引き続きまして「司法修習の実際と課題」でございますが、井上教授のつくられた参考資料4、31ページを御覧いただきながら説明をお聴き願いたいと存じます。

 司法修習の目標、理念は冒頭に述べたとおりですが、近時は社会の法的サービスに対するニーズが広がっているということを考慮いたしまして、社会に対するより広い視野と柔軟な思考力を備えた法曹に育てるための指導を充実させてきているという特色がございます。弁護士の「法廷実務家から法廷の外へ」という職域の拡大を視野に入れたものでありまして、具体的には司法研修所の集合教育においては、先端的分野、例えば知的財産権の分野、独禁法関係の分野などの法律実務に関する情報提供の時間を増加させるということをしておりますし、実務修習においては、社会の実相に触れさせ、公共的精神を養うという契機となるための社会修習というものも行ってきているわけです。

 近時、法曹として備えておくべき法律情報というのは飛躍的に増大しており、法曹は言わば情報との格闘を迫られるという時代を迎えております。例えば担保関係の判例などは最近どんどん変わっておりまして、そういう意味での法律情報の陳腐化も顕著であります。したがいまして、法曹は単に既存の知識だけに頼るのではなくて、応用可能な標準的な技能を身に付けていくことが課題になってくるように思います。

 ここでいう応用可能な標準的な技能というのは、事実認定能力、あるいは法解釈の能力などのほかに、問題発見技能、問題分析技能、関連情報検索技能、問題解決技能、論理的思考力、文書あるいは口頭による説得力、交渉力、折衝力などといったものを考えております。

 例えば要件事実教育は民事訴訟のプロセスにおける主張・反論という攻撃・防御の構造について、実体法の解釈を踏まえた論理構造に従い、主張・立証の意味合いを的確にとらえていくという手法の教育です。これは民事訴訟実務の基礎教育として極めて有効だと考えているわけですが、それにとどまらず、社会の中の様々な事象の中で、法的に意味のある事実は何かを探る訓練という意味があるわけでございまして、その意味で応用可能な標準的技能と言うことができると考えているわけです。

 そして、司法修習は、前期修習、実務修習、後期修習という組み立てになっておりまして、どのパートにも重要な意味があります。前期修習は理論教育で育ってきました修習生を実務の世界に誘う導入教育という意味があり、また、後期修習は資格が付与される直前の調整と仕上げの教育として重要です。取りわけ後期修習は、自分らはすぐ弁護士、裁判官、検察官になるということで、修習生は極めて意欲的でありまして、修習成果も目に見えて上がっていくというのが教官経験者としての実感です。

 しかしながら、その司法修習の中核は何と言っても実務修習にありまして、司法修習生は先輩からマン・ツー・マンの指導を受けながら、弁護士、検察官、裁判官の仕事を直接体験するわけです。修習生は、具体的な生きた事件に立ち向かうことを通じまして、法律実務に必要な知識と技能を身に付けるばかりでなく、法曹が職務に取り組む姿に間近に接しまして、プロフェッションとしての法曹の在り方、心構え、役割、倫理を習得するのであります。また、法曹三者の実務の全部を体験することにより、それぞれの立場からの事件の見方を学ぶことができます。法曹に必要不可欠な一面的でない幅広い視野、物事を客観的、かつ公平、公正に見て分析検討するという力を養っていくという意味があるわけです。

 もう少し具体的に言いますと、弁護士修習では、修習生は指導弁護士とともに依頼者に面接をして事情を聴取しまして、一定の問題状況に対し、「弁護士は『社会の中の医師』として、法的観点からの処方箋を書くとがその役割である」ということを実感するのであります。そのためには、依頼者が当面する状況の中で何が問題なのかということを発見し、その問題はどういう性質のものかということを分析し、分析したそれぞれのポイントについて、関連する法律情報を検索し、更にそれに価値判断を加えて一定の論理的な推論をして、問題解決の方向を探る。しかも、結論を説得的な言葉、あるいは文章によって明示していくという弁護士の仕事の原形というものを学ぶわけであります。

 検察修習では、取調修習、公判修習を通じて、検察官の正義感と生きがいに触れることになりますし、裁判修習では、裁判官とともに法廷で証言を聴き、合議に参加し、徹底的に議論をした上で判決を起案するということを通じて、この仕事の難しさ、あるいはやりがいを知るということになります。

 要するに、修習生は、実務修習において、具体的な事件を学ぶというよりも、具体的な事件を通じで法律実務家の仕事の神髄を学ぶ機会が与えられているということでございます。

 そのようなことで、前期修習中は大学生の延長のような頼りない印象を受けた修習生も、実務修習を経まして、大きく成長して司法研修所に帰ってきます。これを見るのが教官の楽しみの一つであります。事実認定能力、あるいは法解釈の能力を始めとする法曹に必要不可欠な能力の向上ばかりでなく、人間的な成長には目を見張るものがあります。まさに「顔つきが変わって帰ってくる」ということであります。

 以上が司法修習の実際でございまして、課題と考えているところにも関連して触れました。私が申し上げたいのは、司法修習の研修システムは、長年の教育ノウハウが蓄積されているのであり、これを時代の要請に応えて、意識的に洗練させていくことが必要であると考えておりまして、それは引き続きしていかなければいけませんけれども、その中核的なものは大事なものとして考えていってしかるべきではないかと思います。さらに、大学の法学教育と法曹養成教育との連携も、仕組みとして整備していくということが重要な課題ではないかと考えているところでございます。

 以上でございます。

【佐藤会長】時間を厳守していただきまして、大変ありがとうございました。

 司法修習の趣旨、実際の課題について的確、簡潔にお話しいただきまして、どうもありがとうございました。

 それでは、最後に大学教育関係につきまして、小島武司中央大学法学部教授からお話をいただきたいと思います。

 小島教授は御専攻は民事訴訟法でございまして、これまで司法制度全般について非常に幅広い御研究、御業績を上げてこられました。

 現在、文部省の「法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議」の座長としていろいろ御努力なさっておられます。

 それでは、恐縮でございますけれども、よろしくお願いいたします。

【小島中央大学教授】私どもは文部省の協力者会議、資料6、13ページ以下にございますメンバー、そこに掲げられているような日程で意見交換をしてまいりました。これを踏まえまして、これまで共通の認識が形成されたところを中心に、若干、私の私見もまじえながら、御報告をさせていただきたいと思います。法科大学院の大筋のデッサンということをお示しできればと考えております。

 まず「法曹養成における法学教育のプレゼンス」ということを考えますと、全体システムは中等教育から始まって、法学部教育、そして司法試験を経て、司法修習、継続教育と進んでいくわけでありますけれども、法学部教育が、法曹養成機能に関する限り機能低下が著しいということで、結局のところ、司法試験予備校が、資料3を見ていただきますと、利用者が99.8%という数字になっておるように、大変盛んでございまして、法学部教育の法曹養成機能は衰退著しいということでございます。

 このような状況の中で、文部省は大学院重点化政策を一般的に打ち出しまして、特に専門教育につきましては、専門大学院を立ち上げまして、実学重視の1つの流れを形成していっております。

 その中で法律職は特別でございまして、法曹資格と連結しなければならないという観点から、現在、法科大学院の構想を司法制度改革審議会でお考えいただいているところでございます。

 このような流れの中で、法科大学院という現状打開策が取られようとしておりますけれども、これには十分な理由があるのではないかと思います。

 と申しますのは、法学部に重心を置くプロフェッショナル・スクールを構想いたしますと、まず人間的成熟の点で不十分な18歳の時点で進路決定を迫られ、そして、その結果、進路決定が自主的なものではなく、他律的なものに後退してしまうのではないか。

 次に、法学部の教育は4年間、そのうち教養課程が半分でございますので、その中では法曹に必要な資質や能力をはぐくむことが難しいのではないか。そこで、大学院のほうに重心を移行することが妥当であろうというのが今日の流れではないかと思います。この点につきまして、協力者会議のメンバーはほぼ共通の認識に達しております。

 つまり、法曹養成における土俵そのものを変えないと、法曹養成は理想的な形で行えないのではないかという認識がそこにございます。

 そこで、それでは法科大学院の構想をどのように考えたらよいかということになりますが、まず教育目標の設定につきましては、高度専門職業人の養成と申しましても、いろいろなものがございますけれども、とりあえずは狭義の法曹の養成ということに焦点を合わせて検討するのが適切なアプローチではないかということでございます。

 そこで制度設計に当たりましては、あるべき法曹像を中心にして、それに適合した人材の養成を模索するところから出発することになりますが、そのあるべき法曹像というのはなかなか難しい問題でございますけれども、国民生活上の医師、ないしは中立的ルール立脚型のソシアル・コントロールの専門家としての自覚と資質を備えた人材が想定されるかと思います。

 しかしながら、具体的には地域に密着した日常的な法的サービスを提供することのできる人材や、先端的ないし国際的な法律問題に効果的に対処できる人材、更には法的制度に広い角度から政策的な評価を加え、創造的発展を担える人材というふうに多様な目標に向けて、プロフェッションそのものも分化が進んでくることを認識しておく必要があろうかと思います。

 このようなプロフェッションが、社会において幅広く多くの人々にサービス、これは弁護士サービスもございますし、司法サービスもございますけれども、それを提供していくためには、社会の横断面にできるだけ対応する多様な人材を受け入れて、これを高い水準において教育することが必要になるわけでございます。

 しかし、これまでそれを余りにも重視するばかりに、あるいは社会的な多様性の養成が若干軽視されたのかもしれないという反省がございます。

 このような人材がそれではどのような資質や能力を兼ね備えるべきかと申しますと、ここに掲げられておりますように、豊かな教養、人間的温かさ、人権感覚ということ。

 それから、バランスの取れた問題解決能力。

 第3に、的確な法的、論理的、または政策的分析能力、ないし思考力。

 明晰なルール、論理による討論能力。

 さらに、交渉における説得・調整の能力。

 口頭や文書による表現伝達能力ないしコミュニケーション能力。

 公共奉仕の精神や高い倫理性。

 これらの能力が必要になるということが、多くの方によって指摘されておりますし、そのとおりであろうかと思います。

 このような能力をはぐくむために、法曹養成システムの中で、大学教育、取りわけ法科大学院がどのような役割を果たすべきかというのは、その能力やリソースを考慮に入れて、慎重に決定されなければならないところであろうかと思います。

 それでは、具体的に教育の内容でございますけれども、あるべき法曹に合わせてカリキュラム編成を行おうとする場合、法律家が直面する各分野を考慮して、まず依頼者層、これには企業組織も一般市民も無資力者などもございます。

 また、活動分野も、訴訟からADR、さらに、相対交渉、予防司法や法令遵守、法令作成という幅広いものでございます。

 また、業務方針から考えれば、リーガル・クリニックのような薄利多売の事務所、リーガル・エイドのような無資力者に対するサービス、企業法務などがございます。

 このように法曹像にはバリエーションがあります。そこで各大学院、法科大学院におきましても、個性的な選択の幅をある程度残しておく必要があるのではないかと思われます。 同時にコア・カリキュラムの共通化が一定の水準において行われる必要がございまして、その点でミニマム・スタンダードとも言うべきものが設定されることが望ましいと考えられます。

 法学教育の方法につきましては、基本にありますのは、これまでどうも一方的な教授という面が強かったわけでありますけれども、教育の現場に活力をもたらすためには、双方向的な交流が核とならなければならないのではないか。このような方法で取りわけコアとなる基本法律科目につきましては、判例など具体的な素材を用いて、主体的に試行錯誤の中で思索を深めていくというソクラティック・メソッドが活用されなければならない。このためには、小人数教育が必要でありまして、現在のようなマスプロ教育ではこれを行うことができず、1クラスの人員は数十人ないし100 人程度ということが常識的であろうかと思います。

 勿論、講義方式の併用ということは無視できない点でございますけれども、併用される範囲内においても伝統的な形態は、抜本的に改められる必要があるのではなかろうか思います。

 現在の大学法学部における教育の問題点として、実務と法理の乖離という現象がございます。少なくとも実定法に関する授業につきましては、法が現実に機能する現場であります実務という文脈を意識して、実践的な性格を持つ必要がある。このためには、実務に詳しい人材の登用が必要でありますし、具体的には実務家と学者の共同によるチーム・ティーチングなども考えられる必要があろうかと思います。

 また、教材の開発は大変重要でございまして、これについて特別のプロジェクト等による対処が必要ではないかと思います。

 このように教育の内容、具体論についてはいろいろな問題がございますけれども、一番大切なのは、基本設計思想ではなかろうかと思います。法曹資格授与に直結することについて、社会的に納得が得られるだけの高水準の統一的内容が保持されることがどうしても必要ではなかろうか。独立の組織である法科大学院の一元的な統制の下に、少なくとも3年の法学教育が行われるのが理想ではないかと思われます。

 このような基本的な設計思想というものを具体化するのにどうするかと申しますと、これは井上委員がそのレポートで詳細に分析されているところでございまして、また、この問題について直接切り込んだ議論をする段階に協力者会議としては至っておりません。恐らくこれは3月の後半以降討議されることになろうかと思います。

 いずれにせよ、この際基本的な設計思想の確認ということが大切なのではないか。余り技術的なところから始めますと、どうしても難関に直面して、理想から離れて現実に妥協するという恐れがありますので、この辺りの検討について留意してまいりたいと思います。 そして法科大学院での3年間の具体的な教育内容としては、ここに掲げましたように、基本法科目や、それの関連発展科目が必要であり、ほかに基礎法科目、法曹倫理、実習科目、学際科目、それに特別法科目や先端法理論科目などが必要であろうと思いますけれども、一番大切なことは、あれでもかこれでもか目移りして、学科目のみを増やして、基本について徹底した訓練がなされないということになる。そういう事態を避けなければならないのではなかろうかと思われます。

 なお、教養科目の多くは、学部に配置されることになろうかと思います。しかしながら、その成績が法科大学院の入学において重視されることから、教養科目は現在の法学部におけるそれと比べて、各段に重要なものとして位置づけられ、法曹養成の1つの前提的な核になるのではないかと思われます。

 勿論、教養科目についても、教育メソッド等が大幅に改善される必要があるということであろうかと思います。

 教員スタッフの充実が、ある意味ではキー・エレメントでございまして、小人数教育を可能にするために、対学生比率を高めなければならず、資料5にございますように、専門大学院設置の基準におきましては、10対1というような数字が出ておりますし、また、実務家の登用につきましても、相当数でありますけれども、事実上3割程度というようなことも想定されております。

 次に、就業年限でございますけれども、3年程度の学習が必要であり、また、3年程度が十分だということも言えるのかと思います。法学教育の年限を長期化いたしますと、カバーすべき法領域は拡大し、知識の量は増えてまいりますけれども、それだけの期間、学生たちは社会から長く隔離されてくるというマイナスも相当ございます。未成熟な人間に余りにも長期の形式的な法学教育を行いますと、頭の固い法律人間が生み出されるという危険もあるわけでございまして、むしろ法曹の基本的能力を早く習得し、社会に出て現場において経験を積むことが重要ではなかろうかと思います。

 法曹としての真の能力は現場の経験と継続教育とがお互いに融合していく過程において向上していくのではないかと思います。

 次に入学者の選抜でございますけれども、入学者の実力重視という観点から、学部での履修状況や、学業成績、更にボランティア活動などの社会的経験も重視して、ペーパーテストに偏って受験技術の巧拙に左右されないようにする必要があります。

 入学者の学際的バックグラウンドの多様化を図るためには、他学部出身者の受け入れも積極的に行う必要があろうかと思います。

 さらに、法科大学院は全国すべての大学の法学部の上に設置されることにはなりませんので、法科大学院は1つの公器として相当程度の開放性を持つべきである。そのためには、他大学の出身者についても道を開く必要があろうかと思われます。

 ちなみに、法学部は現在93校ございますけれども、過去5年以内に2人以上の合格者を出している大学は51程度でございます。そういう現実がございます。

 実社会における職業経験の重要性やキャリア転換の自由化を進めるということから考えまして、社会人についても入学の窓口を開いておく必要があろうかと思います。これは年齢的多様性という要因が加わって、教室における討論の活性化にもつながるのではなかろうかと思われます。

 なお、入学の段階における全国統一試験の是非、これについては、意見が分かれておりますが、現在のところ、消極論がやや多いということでございまして、その理由としては、以下の3点が指摘されております。

 これは独自の入試と出口での統一的司法試験で十分ではないかということ。

 それから、受験指向のメンタリティーを余り強めるのは得策ではありませんし、受験予備校の台頭ということも避ける必要があろうということ。

 また、私立大学の場合には、独自性の確保という点から、これに対して消極的な空気も少なくありません。

 次に、教育課程における質の確保ということでございますけれども、厳格な成績評価などを行って、入学しやすく卒業しにくい仕組みをつくる必要がありまして、そうすれば、持続的なプロセスの中で不適格者は転進を図る機会も与えられてくるのではなかろうか。アメリカのロースクールにおきまして、入学時に君の左右を見よ。そのどちらかがいなくなっているかもしれないということが指摘されておりますけれども、その程度の厳しさも考慮に値するのではなかろうかと思われます。

 あと、ここにそのような方向での幾つかの点が摘示されておりますが、レジュメを御覧いただければと存じます。

 ところで、法科大学院の制度的前提というものが幾つか考えられなければならないかと存じます。

 1つは、司法試験との関係でございまして、8割程度の合格率を確保することで受験対策に煩わされることなく、じっくりと学習できる充実した教育プロセスが必要ではないかいうことが第1点でございます。

 第2点は、このようなシステムの下では、開放性の原則が堅持される必要があるだろうと思われます。広く社会各層から多様な学生を受け入れることを可能にする開放性ということは、健全な大学院にとって重要な要素であるばかりでなく、法曹資格取得の機会の均等を確保するために必要な制度的前提でもあろうかと思われます。こういう見地から数点が考慮される必要があろうかと思います。

 第1は、奨学金や学資融資体制の整備でございます。

 第2は、大学のほうをより開かれたものにするために、昼夜開講制や夜間大学院なども設けて、働きながら学習する機会も用意する。

 第3は、法的サービスの偏在是正などの必要も考慮いたしまして、相当程度の地域的なバランスを考慮に入れる必要があろうかと思います。

 4番目には、各国弁護士の国際的相互乗り入れ。国際商事仲裁の発展、国際機関内の法律専門家の増加などに見られるように、法曹活動が国境を超えたグローバルな性格を強めつつあり、また、我が国の法学教育の持つ閉鎖性を打破するためにも、留学生に対する教育というものについて、積極的な措置を講ずる必要があるのではなかろうかと思われます。

 第3に「司法修習制度との関係」でございますけれども、アメリカはこの司法修習に当たるものはございませんけれども、同じようなシステムを取っているカナダは、そういう機会を用意しております。我が国でも実務的な教育に大学のリソースが余りにも偏って使われるということのないようにという観点からも、大学サイドの視点からも、司法研修所の存置が望ましいのではないか。

 ただ、その期間は1年程度で、その内容についてもいろいろ改善の余地があるのではなかろうかと思われます。

 特に継続教育については、法科大学院もある程度の役割を果たせるのではないかと思うわけでございます。

 最後に歴史的課題としての法学教育という抽象論をここに書きましたが、一面においては、我が国の司法制度は明治維新のときにつくられましたが、その半分ができただけで、あとの半分をこの第2世紀で仕上げるという観点も大局的に持つ必要があるのではないかと思います。

 また、ワールド・ワイドな学問や法律界の最近の動きをながめますと、千年単位をにらんで、本当の意味で理想的な司法制度の構築ということの作業が進んでおります。

 このような第2千年紀と第3千年紀という二つの角度からも、少し大きなスタンスを持って法科大学院の創設ということに力をそそぐことは意義あることではなかろうかと思います。

 法学教育の現場、規制緩和による経済の活性化を求める企業社会。そして、消費者被害の救済などを願う一般社会が、等しく法律家の養成に現在期待を寄せているように思われます。

 また、国際社会の法的貢献という見地からも、これが切実なものとなっていると思われます。柔軟で節度ある法の支配は、公正で活力ある未来社会にとって欠くことのできないものでありまして、それは質的、量的に十分な法律家なくしては実現が難しいわけであります。

 また、佐藤会長も強調されておりますが、法の支配ということが、世界的にも大きな課題となっている。その中で法の支配というものを、ある意味では再定義していく必要もある。その中で新しい意味での法の支配の展開に当たって、日本の文化も世界的に貢献できる特質を持っているのではないかと考えられます。

 いずれにせよ、この審議会でも前回、いろいろ御指摘があったように拝見しておりますけれども、大学改革は大学にとりまして、大変重い課題でありまして、自己反省と物心両面の献身なくしては達成できないものであろうと思われます。

 特に各大学は、その公共的使命を自覚して、自らの利益に拘泥することなく、ある意味では個別的には身を削る思いで改革の推進に全力を投入しなければならない。そのようなエネルギーは、大学人全体が教育の現状について真摯な反省をするところから生まれるのではなかろうかと思います。

 法学教育をプロセスとして活性化させるものは、知的探求の感動と喜び、心の内奥から湧き上がる人間的共感であろうかと思います。教室における厳しい討論を経ることによって、我々は冷たい頭脳と温かいハートを持った法曹が立ち現れる基盤を構築することができるのではないかと思います。

 そして、この教育の背後には、やはり知的好奇心を刺激する波乱万丈の学問的なスペクタクルというようなものが存在して、多彩な理論のドラマティックな展開が若い魂にときめきと、ふるえるような衝撃を与える状況が必要なのではないかと思います。

 内田教授が「契約の再生」という本の序文で、外国の理論論争に触れて、感動を覚えられた旨が書かれておりますが、そういうものがやはり教育の背後に更に必要なのではないかと痛感させられます。

 我が国の法学教育がその魅力を失っているとすれば、そこには勿論、深刻な教育の問題もございますけれども、同時に根源的な倫理に支えられた学問的営為の、いささか衰退もあるのではないかということも考えさせられるわけであります。

 特に協力者会議では、現場から発想する堅実さということはありますけれども、ややもすると、小さな穴に自らとじこめられたサンショウウオのように、現状肯定型の発想に陥りやすいわけでございまして、このような引力というものは大変強いものがございます。審議会の皆様におかれましては、我々と比べれば大海を遊弋する巨魚にも比すべき方々でございますので、是非この法学教育の検討の際に、骨太のメッセージをいただけるならば、我々も理想に向けての検討を続けるのに力強いものであると思います。この点についての格別の御配慮をいただければありがたいと思います。

 以上でございます。どうもありがとうございました。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。協力者会議での議論状況なども踏まえながら、法科大学院の目標とか制度設計の在り方について、大変に興味深いお話を賜りました。 以上でお三人のお話を賜ったわけでありますけれども、今日お話しいただいたどなたからでもよろしゅうございますので、どうぞ御質問、あるいは御意見を交換していただければと思います。時間も余りありませんけれども、少しくらいオーバーしてもと思っています。

【高木委員】司法修習のことについて、今は三者一体で修習をやっておられますが、人数的にも弁護士さんになる人が圧倒的に多いわけですね。その辺で、私は修習の詳しい中身のことを存じ上げないんで、印象だけなんですが、一番大きな対象である弁護士になっていく人たちの修習というよりは、これは最高裁が運用の主体になっておられることもあり、勿論、いろんな修習に関する御検討の場があるとお聞きしておりますけれども、何か裁判官養成中心みたいな印象が少しあるんですが、この辺どういう御認識なのかを教えていただきたい。

 それと、司法試験の科目に労働法と行政法がなくなりまして、法務省等のお話を聴く中では、試験はなくなったけれども、司法修習の中できちっとフォローするからという、お答えをいただいているやに聞いているんですが、その辺はどういうことになっているのか、あるいはこれからの話でどうされようとしているのか、その辺をお聴かせいただきたいと思います。

 それから、小島先生、ちょっと失礼な話になるかもしれませんし、また、先生にお訊きする話じゃないかもしれませんが、協力者会議に御参加の方々を見たら、大学の立場の方だけで、法曹三者の方が議論に参加をされていないようで、これからロースクールなるものは実務教育的な部分をいろいろ包含されるカリキュラムになっているんだろうと思いますが、なぜ法曹三者の人が一緒に入っていないのかなという疑問が1つ。

 もう一つは、先生のペーパーの1ページの箱のところにロースクール、法科大学院というのが入るんだろうと思われますが、現在、法学部教育の機能不全みたいな点についての御発言もありましたけれども、こうしたらまた予備校通いでロースクールの空洞化が起きる、そんなふうに思うことだってあるんではないかと思いますが、いずれにしても、大学とのつながりを強く意識してお考えになれば、こういう絵になってしまうんだなという印象を持ちました。場合によっては、大学と切り離す格好でロースクールを発想していかなきゃだめなんじゃないか、失礼な言い方になるかもしれませんが、そんなふうに思ったりするんですが、この辺はいかがでございましょうか。

【加藤判事】最初の司法修習の弁護士になる者に対する教育の割合はどのようなものかという点について、考え方を説明いたしますと、まず、分量的に足りているかどうかということになりますと、集合教育の場面では、弁護科目は、民事弁護、刑事弁護と5分の2を占めるわけです。

 実務修習では、これは今の期間ですと、3か月で、4分の1ということになっておりますけれども、考え方としては、法曹三者の実務全部についての基本的なインフォメーションを与えるということでやっておりまして、弁護科目以外は弁護士養成のために効果が乏しいとは全然考えていないわけです。例えば、民事裁判一つ取ってみましても、大学では民事訴訟法の手続を学ぶわけですけれども、実際の実務の場面では、裁判官の役割、原告訴訟代理人の役割、被告訴訟代理人の役割はそれぞれ違うわけで、それぞれの視点について、それぞれの教官が教育するということでありまして、民事裁判科目、民事裁判修習が裁判官になる者にのみ有用で、弁護士養成にとって意味がないものではないという考え方でやっているわけです。

 かつ、分量的にも弁護士になる人に足らないとは思っていません。ただし、今までは伝統的に裁判実務中心の教育が行われていたことは間違いないところです。それは、弁護士の仕事も、裁判が起こされたときにどうなるのかということを予測しながら、予防法務でも戦略法務でも展開していかなければいけません。

 したがって、そこのところがコアになるという考え方でやってきているわけです。これからの社会を見通し、弁護士としてはもっと幅広い職域で、幅広い活動を期待されているということになりますと、先端的な分野でどのような法律実務が行われているのかということも、インフォメーションとして与えなければいけません。それもここ何年か、1,000 人、1年半になる前から、そういう情報も提供するというようにカリキュラムを組み替えています。

 そういうことで、御指摘の点は十分認識しながら、そうした要請に応えるような見直しをしているということです。それが不十分だということになれば、更に検討しなければいけませんけれども、していないかと言ったら、それはそんなことはございませんというお答えになります。

【小津課長】それでは、まず司法試験法が改正されまして、それまで法律選択科目と言っていたものを廃止いたしました。これは労働法や行政法がこれからの法律家にとって必要ないということではなくて、その改正と合わせまして、それまで民事訴訟法と刑事訴訟法のどちらかを取ればいいということにしておったんでございますけれども、やはり法律家になる者が、どちらかを全く知らないという状況になりますと、これからはやっていけないと。これまでもやっていけませんけれども。

 私は実は民訴で司法試験を受けたんですけれども、大学で刑訴の講義を受けまして一応試験は合格しましたから、余りやらなかったとは言っても、一応のことはやったわけでありますが、最近は大学のカリキュラムの変更もございまして、民訴、刑訴どちらか全くやらなくても、大学は卒業できるようになったそうでございます。そういうことになりますと、どうしても民訴と刑訴は絶対にやってこないとだめだよということにしなきゃいけないなということで両訴必須にしたわけでございます。

 それに加えて、法律選択科目を残せばいいじゃないかという議論が十分あり得るわけでございますが、これだけ司法試験の合格が難しくなってきたということになりますと、そこまで司法試験の科目に残すということは、受験者の負担を更に大きくするということで、言わばやむなく廃止したわけでございます。

 そのときに我々のほうとしては、大学等でやってきてくださいということと、更に不十分なものについては、司法修習に期待するということではございますけれども、これは率直なところ、司法研修所のほうに大変大きな御負担をお願いするようなことでもございます。 Z 更に言えば、司法試験の試験科目から外したら、本当に大学でやってくるのかということになりますと、かなり問題があるという意識は持っておりまして、ここは、これから先の大きな課題として残っているんじゃないかなと認識しております。

【高木委員】司法試験科目からはずされたことを補完する措置として研修所のほうでフォローしていただけるというお答えをいただいていると思っているのですが。

【加藤判事】それはやっております。それでは十分ではないと言われるかもしれませんけれども、やっています。ですから、それを機に、勉強しなければいけないということで、基本書を買って読み始めるという修習生もいます。

【高木委員】勉強会をやると言ったら、会場がないという話も聞いたりするけれども。

【加藤判事】勉強会は、例えば知的財産権などは、勉強会を企画するとよく集まるようです。労働法の勉強会であったら、どの程度集まるかということになると分かりませんけれども、インセンティブを与える機会として、そういうカリキュラムは持っています。

【小島教授】2点御意見をいただいております。

 まず第1点の、協力者会議のメンバーが大学関係者に限られているのが適当であるかというような御指摘かと思いますが、まさにそのとおり、これまで大学人だけで討議を進めてまいりました。ただ、私もその理由についてはいろいろな考え方があろうかと思いますが、私なりの理解で申し上げますと、この法科大学院問題は、資格と結び付いており、資格の問題について、司法制度改革審議会で御審議なさる、そこで実務家の法曹三者の方々がメンバーとして入っていらっしゃいますし、その中で間接的に実務界の意見も十分参酌されてくる、それと連動しながら大学関係者が法学教育の在り方を検討する、全体としてそういうことになりますと、法曹三者がそれぞれ適切な部署に加わった上で、全体としてこの問題についての討議が進んでいるのではないかと。そういう認識でおります。

 ただ、具体的にこれから更に細部を詰めていくことになりますと、それで今後十分なのかというのは、それぞれ御意見もあろうかと思います。そういう点についても、各関係者も御検討なさっているようでございます。

 特に協力者会議プロパーで申し上げますと、これまで京都大学のシンポジウムから始まりまして、国立、公立、私立の各大学においてシンポジウムがございましたが、これについては、各法曹界からたくさんの方が参加されて、御意見を発表されておりまして、私どももそれに参加させていただいたり、その意見を文書等で拝見して討議の重要な資料として活用させていただいております。

 今の点については、そんなことでよろしゅうございますでしょうか。

 第2点は、法科大学院という構想が実施に移されたとしても、受験戦争は起こり得るわけで、その中で予備校がまた台頭してくるのではないかと。この御懸念は全くごもっともなことかと存じます。

 しかしながら、状況が現在とは相当違ってくる、質的と言えるほどの相当ラディカルな、劇的な変化が起こるのではないかと、私自身は予想しております。

 それは幾つかのポイントがございまして、1つは、この法科大学院の入学者はある程度その設置基準の厳しさからして限定されてくるであろうと思います。

 第2に、その中で厳しい教育がなされますから、その過程の中でどうしてもあきらめると申しますか、ドロップアウトする人も相当出てくるのではないか。

 しかも、進級試験と申しますか、段階的に試験が実施されても、その試験はプロセスを重視して、試験を独立な大きなハードルにしないという前提でございますので、受験資格も5回、6回と受けるものではなく、相当厳しい回数制限が行われて、それについてそれほど大きな抵抗はないのではなかろうかと思います。

 第4点目ですけれども、法科大学院の教育は、ある意味では法曹を育てるための重要なプロセスでございますけれども、ある程度までその過程の中で勉強していくならば、いろいろな道に、更に学生は進んでいけるのではないか。社会の各層も、そういう学生を歓迎して受け入れるのではないかと思われます。社会の処遇もそれほど悪いものではないとなれば、それほどの受験予備校の台頭という事態は、厳しいものにならないだろうと、そういうふうに考えております。

【佐藤会長】ありがとうございました。よろしいですか。

【北村委員】小島先生に教えていただきたいことなんですが、何もこの席で言わなくても大学で言えばいいんですけれども、今日の御報告を伺っておりまして、2ページのところで、「人材が兼ね備えるべき資質ないし能力」ということで、6点挙げていらっしゃるんですけれども、こういう能力を持っている人というのは、何も法曹人だけではなくて、ほかの領域においてもすべて欲しい人材であると考えるんです。

 この前の井上先生の御報告の中でも、豊かな人間性とか感受性とかいろいろ出てまいりまして、結局、こういうものを全部備えている人というのは非常に数が少ないのではないか。

 法科大学院においていろいろな方を養成するときに、一番欲しい能力というか、資質というのは一体何なのかということを教えていただきたいと思います。

【小島教授】大変難しい質問で、大学で別途お話ししたいとなるわけでございますけれども、おっしゃるとおり、この法科大学院における教育が目指している能力というものは、汎用性があるものだと思います。その諸能力が法というもののコンテクストの中で、その知識を素材にしながら展開されていく、そういうことでありまして、法科大学院というのは、大学の実学化の流れの中で、複数の新たなプロフェッショナル・スクールの可能性の1つでございまして、恐らく他のビジネス・スクールとかアカウンティング・スクールとか、政策科学スクールとか、こういうものを考えますと、ほぼ同じような手法で、試験の目標は違いますけれども、教育がなされていく。そこに織りなされる知識が違うということではないかと思います。

 この能力は従来の学部ではなかなか、これは程度の差ですけれども、獲得できないものであって、小人数の中でいろいろな教育手法を用いて、ある程度成熟した年齢の人間に行うことによって得られるものではなかろうかと思います。

 何がこの中で一番大切かということになりますと、大変難しいわけでございますけれども、教育手法の中ではソクラティック・メソッドというものを非常に強調しておりますけれども、やはり未知の問題に直面して、無知の知を核にして、問い続ける能力ということが大切なのではないか。若干場面が離れますけれども、国際的な局面でいろんな難しい問題が出ているときに議論いたしますと、特にコモン・ロー諸国の法律家がすぐれているなと私が思い、また、多くの方、例えばドイツのシュツルナー教授のような一大権威の方も、同様に書物で指摘されていることです。知識の面では余り差がないというか、むしろコモン・ローヤーの方が不十分な点があります。しかしながら、何か新しいスキームを公的な枠組みを創造していくということになると、結構まとめ上げる力が強い。チームワークで、いろいな学際的な知識を持っている者が協力して何かをつくっていく。それがルールというもの、社会における法の支配、法的ルールを基盤にして、社会のいろいろな問題をこれから解決していこうとするときに、その公正さと言いますか、その他の手続的な保障とか、基本的なルールを踏まえて、新しい未知の問題に直面して、その問題点を発掘して、チームワークで解決策を仕上げていくという能力、それが強いて言えば一番大切なものなのであり、我が国においても、それが極めて強く要請されていることなのではないかと、そういうふうに感じております。

【吉岡委員】おっしゃるとおりだと思うんですけれども、特に法曹は豊かな知識と人間性とかが求められると思いますので、人間としての幅とか深さ、そういうものがなければいけないという点はよくわかります。その点は前回の井上委員のレポートでも、法律実務家の仕事をやるための条件として幾つかお挙げになり、その中でもよく事実を聴き、人の言うことを聴いて、的確に認識して、事情を十分把握することというのを第一に挙げていらっしゃいまして、そのとおりだと思いますし、今の小島先生のお話も同様だと思います。

 そういうところで、私のような立場から見ますと、確かにそういう知識も深い洞察力も必要なんですけれども、一番大切なことは、国民の目線にあるということじゃないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。

【加藤判事】最近私が経験したことでそれに関連して思うことがあったので御紹介します。私が教官として初めのころに教えた女性弁護士なのですけれども、修習生を私の家に招いた折りに、その人も来たのです。ところが、勉強ばかりやっているものですから、人の家へ来ても、おあいその一つも言いませんし、どかっと座って、小皿を出す手伝いもしないということで、うちの家内などは、ああいう人が弁護士になってどうだろうかと。ほかにきちんと気配りをする女性修習生もいますから、そういう人と比較してどうかなと思われていた人がいたのです。それが、卒業して10年目に、彼女と会って話をしてどういう仕事をしてるかと訊くと、家庭内暴力ですね。御主人が暴力をふるうということで逃げてくる奥さんが、民生委員などに相談に行くわけです。そうすると、あの先生のところに相談に行きなさいと勧められる。そういう事件を何件もやっているのです。余り経営的には望ましくないのではと言ったら、お母さんに事務員になってもらっていますという返事です。そういう仕事をしているわけです。

 それには感心しまして、「あなたは、やはり弁護士が天職だったんじゃないですか」とほめたのです。そうしましたら、「教官に初めてほめられた」と言うので、もっと早くからほめておいたらよかったなと笑い合いました。

 そういう仕事をやるようになったきっかけを訊きましたら、実務修習中にそういう問題の重要性を指導弁護士から聞いたというのです。そのときにやろうと思ったのではないけれども、そういうことで頼ってくる依頼者層があるということを聞いた。それがずっと心に残っていて、そういう相談が来たときにやってやろうと思った。そうしたらうまくいき、次から次へ案件が来て、うれしい悲鳴で、経営的にはどうかということはあるけれども、自分を頼ってくる人に、応分のリーガル・サービスを提供するということに今一番生きがいを感じていますという話を聴き、うれしく思いました。吉岡先生の問いに対するお答えになっているかどうかわかりませんけれども。

【吉岡委員】すばらしいお答えをいただいたと思います。

 加藤さんは、先ほど司法研修所で3か月勉強して、それから実務研修の9か月を経て帰ってくると、人が変わったようになっているというふうにおっしゃられたんで、それと合わせて考えて、さもありなんと思ったんですけれども、ただ、やはり1年半の間でできることというのは、限りがあると思いますので、そういう意味では卒業なさってから10年間の弁護士の経験というのが非常に生きているということなんでしょうか。

【加藤判事】私が申し上げたいのは、先の話は実務修習中の指導弁護士に聴いたことが頭に残っていたという点てず。実務修習は今1年で、どうかと思われるかもしれませんけれども、即効性ではなくて遅効性で、じわじわ効いてくるというところを含んでいるものだなということをその話を聴いて実感したということなのです。

【佐藤会長】よろしゅうございますか。今の点は非常に重要な問題を含んでいると思いますけれども、時間の関係で、お三人の質疑応答を10分で終わりたいと思います。できるだけ手短かにお願いします。

【山本委員】小島先生にお訊きしたいんですけれども、今まで言われた問題点というのは、根っこに何があるんだろうということを考えているんですけれども、やはり日本の今の教育、幼稚園から大学に至るプロセス全体に一番大きな問題があるんだろうと私は思っているんです。大学教育ということで考えてみましても、私達の法学部時代というのは、司法試験はそんなに受けなかったし、受けない人はほとんど勉強しなかったんですけれども、会社に入って、お前は何だ、どういう知識を持っているんだと訊かれたら、ゼネラリストですよ、いろんな考え方ができるんですよと言っていましたけれども、本当は余りスキルがないんです。

 そういう私のようなのは別なんですが、1つ、問題点の指摘の中に、教養不足ということを言われていましたね。旧制高校の教育というのはかなりゆとりを持って、もっと全人格的な勉強をする機会があったんですが、大学も、かつては教養部というのがあって、そこで一般教養の勉強をしていましたね。この前、先生からいただいた資料によりますと、ほとんどの大学が教養課程というのはやめているんですね。いきなり専門課程に入っている。こういうところにも改善の余地があるんじゃないかという気が私はするんですけれども、いかがなものでしょうか。

 それから、法科大学院をこういう形で充実させるのも、一つの手段かもしれませんが、それ以外の司法試験を受けない法学部の学生というのは、どういうふうになるんだろうと。

 いろいろ訊いて恐縮ですけれども、資料の7ページに法学部の学生数の推移というのがあるんですが、これを見ますと、非常に増えていますね。こんなにたくさん必要なのかという疑問もあるんです。子どもがかなり減ってきている中で、この法学部の学生の多さが、司法試験の受験戦争の倍率を高めているという感じもするんですけれども、その辺はいかがなものでしょうか。

【小島教授】まず第一点、この最近の法学部の問題の根には、やはり中等教育からの根深い問題があるのではないか。それは私もそういう分野の専門家でございませんのでわかりませんけれども、それが非常に大きな要因だろうなと思っております。そこから本当は改革を始めなければいけないんであろうと思います。

 ただ、同時に、我々の大学も大きな責任があって、大学で少なくとも法科大学院でそういう人間を鍛え直すことによって社会の変化の1つの突破口を開けるのではないか。下からだけではなくて、やはり上のほう、おしまいのほうからも、両方から攻めていくことによって日本の深刻な問題に対処できるのではないか。我々がこの問題に非常に意義を感じておりますのは、まさに先生御指摘のような全体的な問題をどこかから切り崩していこうということでございます。

 それから、第2点、いきなり教養の位置付けが最近では大学設置基準の大綱化の中で変わったわけでございますけれども、これはある意味では、現状において教養教育に対する不満が非常に強く、学生の大学授業、教室離れを起こしていた。それを打開するために、やむなく出席を取っていたりして、出席点で単位をあげるという状況がございましたので、その中で学生のニーズといいますか、関心に応えるために専門課程を一応1年ないし2年に下げてみたらということで、大学の対応が非常に多様化していまして、それが相当主流ではございますけれども、違う方針を採っている学校もございます。そういう流れは、言わば現状に応える形での試行錯誤の面がございまして、ある意味では、そこに教養教育そのものにも極めて大きな問題がある。それは私どもに論じ切れない問題でありますけれども、文部省でも、視学委員会などで教養問題は大変重要なものとして横断的な検討がなされて、いろいろな方がいろいろな意見をおっしゃっております。どれももっともだと思う深い御発言ですけれども、それでは、現状をどう変えたらいいかということになりますと、相当難しい、更に検討が続くのではないか。

 もう一つ、3点目になろうかと思いますけれども、法学部の学生が非常に多く、5万程度になっている。そこが1つの問題で、どう評価しようかということです。不況の中で法学部はつぶしがきくということで殺到する面もございますけれども、そのこと自体は、日本の社会というのはどちらかというとルールに対して余り敏感な社会ではございませんので、法学教育を一応経た法学士が社会に多く出ていくことはよいことではないか。ただ、それをもって、弁護士などの法曹が少なくてもいいという空気をつくり出しているところに問題がある。

 一例を挙げますと、会社の法務部は、法学士が中心になってこれまでやっておりましたけれども、それが、グローバルな法律問題の深刻化の中で、日本企業に非常に大きなハンデを背負わせている。そういうこともございまして、この問題が起こっているのであろうかと思います。その問題は、ある意味では複雑なシステムの問題で、いろいろな角度からの、今2つの見方を申し上げましたけれども、そういう評価がございます。私も大変興味を持っておりますけれども、なかなか十分なお答えができない点をお詫びいたします。

【石井委員】もう時間がありませんのでごく簡単に3つだけ質問させていただきますけれども、お答えはごく簡単で結構でございます。

 最近、倫理感の欠如した弁護士さんが多いという話をよく聞くんですけれども、司法試験において、受験者の倫理感の有無について、どういう方法でチェックしていらっしゃるのか、それが1つ目です。

 2番目に、司法修習のお話をいろいろ伺ったのですが、修習の中で、例えば、適性があるかどうか御覧になって、適性上問題があるということで卒業できない修習生がいるのか。それから、非常に出来が悪くて、普通だったら社会に出したくないけれども、仕方がないから無理やりだが卒業させようかという人の場合、その扱いをどういうふうにされているのか。

 3番目が、小島先生の資料の中で、創造性のことに触れておられたんですけれども、技術系に対しては創造性というのは分かるのですが、法学系において創造性というのはどういうことを意味するのか、その辺を教えていただきたいと思います。

【佐藤会長】2番目の問題は加藤さんになりますか、1番目と3番目の問題は小島さんになりますでしょうか。

【小島教授】まず第1点の倫理感の欠如という問題でございますけれども、これはどういうわけか、日本において深刻な問題ですけれども、アメリカの最近の論文などを読みましても、非常に大きなテーマになっておりまして、意見も分かれていると思われます。ただ、問題の所在はある意味では全然違うということで、どこでも同じ問題が論議されているから問題の核心が同じかというとそれはそうではなくて、全然違うのではなかろうかと思います。

 従来も倫理の問題はある程度必要性が説かれてきましたし、また教育もある程度なされてきたわけです。しかしながら、それほど効果を上げていない、それは教育方法にもあって、やはり1回、1つの講座で倫理の問題を教えるだけではなくて、教員がすべて倫理の問題について関心を持って、すべての教科の各論の中で、この問題は倫理的に考えればこうだということを絶えずメンションし考えることが必要なのではないか。

 例えば、付合契約などという問題がございます。こういう問題でも、倫理の問題から、それをそれでは契約を扱う顧問弁護士はどう対処すべきか。民事訴訟で言えば、管轄の合意には一定の病理的な現象もあると言われておりますけれども、そういうものを、それを結ぶときに法律家はどうするかという各論的に問題を考えていく習慣を付けることによって定着していくのではないか。高い空の星では倫理はなく、もっと地道な日常の中でじっくりと考える機会を教育が与える必要がある。そういう意味では、教育の方法についても反省が必要ではなかろうかというようなことを言われます。アメリカでは、これのことをパーヴィッシヴ・メソッドということを論じております。

 それから3点の法律における創造性とはどういうことなのかという問題提起でございますけれども、最近の法律界の状況を見ておりますと、確かに科学技術の分野と同様に、新しいいろいろなアイデアが出て、それが社会を変えたり、状況を変えたりしているところが相当見られるわけです。

 例えば、フランチャイズなどというのも法律家の創造であり、あるいはアメリカのクラス・アクションなどというのも、ある法律家に言わせると、20世紀最大の発明であるなどと言っておりますけれども、そういうことがいろいろな分野でございまして、残念ながら、どういうわけか英米法のほうがそういう法律が新しい創造的な枠組みといいますかデヴァイスといいますか、それをつくる実績はあるように思います。しかし、大陸の我々がそれができないというわけではなくて、やはりそれは教育のありようと深くかかわっているのではないかという実感がございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

【加藤判事】修習において職業倫理をどのように受け止めているのかという御質問ですけれども、私は研修所におりますころは、修習生となった最初に、「あなた方は今まで司法研修所に入るまで人格をテストされたことは一度もないのですよ」と、「善人かどうかとか、モラルが高いかどうかということを一度もテストをされていない」ということを言っていました。

 今の司法試験は、そういうことは実際に見られないですね。しかし、「頭のいい人は悪いことをしないという、一種の東アジア的な秀才信仰とでもいう前提の下に成り立っていますよ」と。「しかし、国民にとっては、人の物を盗って平気だという人が法律家になっては困ります」と。「したがって、諸君が修習期間中にどのように過ごすか、その場面で規範違反をした場合には法曹に向かない人だと判定されて、場合によったらやめてもらうことがあります」というように話していたのです。

 実際にそういう人がいるかどうかということですけれども、これは、細部は秘密にわたることですので申し上げにくいのですけれども、います。そして、学力的に付いていけないからやめようという方もおられます。あるいはまた病気になって具合が悪いからやめるという方もおられます。それが実情です。

【石井委員】学力のことは全然心配していなかったんですけれども、要するにモラリティーとかそういう意味で。

【加藤判事】だから、刑法犯にわたるようなことをした人については、これはやめていただくという運用をしています。

【佐藤会長】それでは、最後に中坊さん。

【中坊委員】余り時間がないらしいので、それでは、お1人ずつ御質問をお願いしたいと思います。

 まず、小津さんのほうにお尋ねしたいと思うんですけれども、私自身、法曹三者の一人として、反省の上に立ってお尋ねすることではありますけれども、さっきからいろいろ聴いていましても、今のこのようないびつな大学教育あるいは試験、そして修習、すべてのものがいわゆる受験予備校の存在に偏っていったということを多く言われているわけです。今おたくがおっしゃったり皆さんおっしゃっているとおりなんですが、そういうことをもし前提に置くならば、我々法曹三者というものが、従来、このような根本的な、こんな大きな問題を引き起こすことについて、丙案、すなわち合格者別、3回以内の者を優先して合格させるということを法務省側が提案され、随分長い間、恐らく5年間ぐらい掛かってそのことが論じられて、そしてその結果できて、結果として逆に、若年者層の受験手控えとかというような問題が起きて、不公平感ができたといって不平等が起きて、そういうことが起きておる。

 考えてみれば、昭和49年ぐらいから約10年間ぐらいにわたって、ずっと合格者を減らし続けてきた、というよりも500 名採用していたものを逆にして、ついに合格率1%を10年間にわたってやってこられたのは法務省自身ではなかったのかと、そういう基本的な政策の誤りということについては、小津さんとしては、どのようにお考えでしょうかというのが、小津さんに対するお尋ねです。

 それから、加藤さんに対するお尋ねとしては、今、加藤さんの御説明では、一番重要なのは実務研修にあるということをおっしゃいました。また、実務研修をすれば、先ほど吉岡さんが援用されましたように、また、すべての原理が実務研修にあるというふうにおっしゃっておられます。

 そうすると、実務研修にそれほど大きなウェートがあるというならば、裁かれる立場というものに、今の研修で実務弁護士に就くのは、昔は4か月だったんですが、今は3か月でしょう。そういうふうに短い期間だけ終えて、そしてあとは、例えば、今のままですと裁判官は裁く立場に立って何十年の長きにわたって裁かれる立場を経験することなく、その職務を行うということで十分だとお考えでしょうか、ということを加藤さんにお聞きしたいと思います。

 それから、小島さんには、今おっしゃるように、協力者会議というのは私自身はよく知りません。少なくともつい最近まで我々の弁護士会は知らなかったことなんです。そういうふうに考えますと、今、おっしゃるように実務教育ということが非常に重要だし、そしてまた、今度の10対1とかいう割合で少人数教育をするということになれば、どうしても弁護士というものが先生で教えに行かなければロースクールというのは成り立たないです、だれが考えてみても。

 それでは、弁護士がどうしてなるという保証がどこにあるんですか、弁護士がなると。例えば、私自身がこの前リポートで言ったように、公益的義務を義務化しないで、そういう後継者の養成も我々の義務なんだということで課してでもしない限り、そんなに弁護士が喜んで大学の先生に、しかも優秀な教える方が、多人数、全国にわたって確保できるということがおたくらの前提になって、こういうロースクール論というものが論じられておるのでしょうか。

 その一番肝心なことは、何も議論もなさらずに、先ほど高木さんが多少尋ねられましたけれども、大学の先生だけが寄って、それとの関係もなく、実現性があるかないかという具体的なことを余り念頭に置かれないで、そういうことを論じられてきて、それが今、具体性をこうだとおっしゃっているというのは、私としてはいかがなものかと思うので、その点を、それぞれ、私の申し上げた疑問点をお答えいただきたいと思います。

【佐藤会長】では小津さんから。

【小津課長】私の説明で時間がございませんでしたので1つはしょったところがございます。それは、司法試験予備校のことを随分申し上げましたけれども、司法試験予備校からするとまさに予備校としてやることをやっているというだけのことでございまして、司法試験予備校が諸悪の根源だと言うつもりは私毛頭ございません。これはある意味で出るべくして出て、そういうふうにやっているということだろうと思います。

 それでは、いろいろなものでどうしてここまで来たのかということにつきましては、是非この委員会でも御審議いただきたいと思います。

 御指摘の丙案と申しますか、合格枠制につきましては、私どもの立場からしますと、これについては、その効果についていろいろな御意見があると思っております。大学の先生方の御意見を伺ってみましても積極的な評価をされる方もあれば消極的な評価をされる方もあると思います。

 ただ、大きく見ました場合に、合格枠制を導入したから今のような状況に大きな意味でなっているというところまで大きくは私どもは考えておりません。いい方向につきまして、悪い方向につきましても。

 それから、御指摘の合格者がどうしてこれまで、あるいはある段階まで入れなかったんだということにつきましては、これは非常に大きな問題だと思います。ただ、逆の面から申しますと、それではその後どうして、今年たまたま1,000 人になりましたが、500 から1,000 にすることができたのかと言えば、これは社会全体といいますか、あるいは社会の各方面から、そういう声が上がり、それを受けて法曹三者の中で増やしていこうではないかということをいろいろな細かい検討も加えて行い、そして、それを受けて考査委員の先生方が今の受験生を前提にしたらそこまでは大丈夫だということでやってきたということでありますので、法務省の責任を回避するつもりはございませんけれども、それまでの間にそういうことがそこにまでは至っていなかったという歴史的状況があるのではないかと認識しております。

【加藤判事】弁護修習が3か月で十分かというお尋ねですけれども、これは弁護修習だけが弁護士養成にとって有用ということではなく。

【中坊委員】弁護士ではなくて裁判官として、おたくは裁判官になっているから、裁判官としてそれでいいですかと訊いているんです。

【加藤判事】要するに、どのような法曹を養成するのかということとの兼ね合いだと思うのです。その中で、今のような実務修習の比重が、現状のとおりでよろしいのかどうかということで決まってくると思うのです。現状を変えるほうがよろしいということがあれば、それは議論した上でどうするのがよろしいかということになってくる性質の問題ではないかと思います。

【中坊委員】まあいいでしょう。

【小島教授】中坊先生御指摘のように、法科大学院問題の一番の重要な点は、これを支える教員、スタッフをどうするかということだと思います。そして、大学側の給源から見ても、果たして十分な教育体制を築けるかどうかということ、非常に心もとないという面がございます。数はありますけれども、適格者が十分いるかということは非常に反省させられるし、現状は厳しいものがあるということは我々自身考えております。

 同時に、30%なり20%の実務家に教員スタッフに参加していただくということになりますと、裁判所のほうもいろいろ障害に直面しているわけでありまして、大学のほうに十分な実務家、特に練達の実務家においでいただけるかどうかというのは大変難しいのではないかということは我々も認識しております。だからこそ、ある意味では、法科大学院というものをその理想にふさわしい姿にまとめ上げるということをまず第一段階で議論をして、そして実務家の方にこれならやりがいがあるというようなシステムをまず我々の責任で考えた上で、次の段階においては実務家の方々の意見を拝聴しながらそういう参加意欲ということもお持ちいただけるようにしていく必要があるのではないか、これが法科大学院成功の一番の関門ではないかというふうに思っております。

 ちょっと先生の御質問に対しては具体性に乏しい答えかもしれませんが。

【加藤判事】もう一つだけ、継続教育の中で、そこら辺のところは相当意識して裁判官の研修をしているということを一言付け加えておきたいと思います。

【佐藤会長】予定時間を大分オーバーしてしまいましたけれども、有益なお話をお伺いすることができ、大変興味深い意見の交換を行えたことを感謝申し上げます。

 特に小島さんからは、審議会は骨太のメッセージをということでございましたが、それはまさに私どもにとってこれからの課題であります。今後ともそれぞれのお立場で、私ども審議会の審議を見守り、御協力いただければ大変にありがたく思います。

 本日は長時間にわたってどうもありがとうございました。

(説明者退室)

(休   憩)

【佐藤会長】それでは、再開させていただきます。

 今、資料として配付されたものを御説明いただけますか。

【井上委員】今、配っていただいていますのは、この前お配りした資料の中の資料17の一覧表につき、その後、金沢大学と中央大学でシンポジウムが開かれまして、そのうち金沢大学のほうは法科大学院構想そのものというよりは、それに将来につながることも見据えて現状の大学院と学部の教育をどうよくしていくかというものですが、中央大学のほうは法科大学院構想そのものでして、私のイメージ図ですとC型に属する案ですので、それを加えてアップ・ツー・デートなものにしてもらいました。御利用いただければと思います。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。そういう趣旨ですので、差し替えていただければと思います。

 それでは、法曹養成制度の在り方についての意見交換を行いたいと思います。予定では、1時間少し取っておったんですけれども、大分ずれ込んでまいりました。1時間を取るのはなかなか厳しく、ちょっと短縮せざるを得ないと思いますが、意見の交換を行いたいと思います。

 どなたからでもよろしいんですが、前回、高木委員が御発言なさろうとされて、時間の関係で御遠慮なさったわけですけれども、もし何でしたら、高木委員からどうぞ。

【高木委員】先ほどちょっと申し上げたんですが、この間、井上先生からああいう多岐にわたるプレゼンテーションというかレポートをいただいて感じたんですが、このロースクールといいますか法科大学院というんですか、大学との接続で発想する御議論になっていて、いずれにしろ、どこかで大学との連携はないとできない話ではあるんですけれども、どうも発想が少し違うのではないかという感じもしまして、そういう意味では、現在の大学とは全く別のものとして、勿論、どこかで接続の問題はあるんですが、考えるというアプローチも一遍議論してみる必要があるのではないかと感じています。

 そういう意味では、文部省とのかかわりなしにはこれも済まないんでしょうが、例えば、設立主体、運営主体なども従来の大学型とはちょっと違う、一種の法曹三者立大学みたいなというかスクールというんでしょうか、それに文部省等も勿論関係されるというようなことかもしれませんが。大学の先生にこんなことを言うといつもしかられるんですが、何で予備校中心のダブル・スクールのような状況になっちゃったのということに対して、井上先生もこの前は自戒も込められ、あるいは覚悟があるのかというようなことを大学の先生にも訴えられたレポートをされましたが、どうももう少し違うスコープで議論もしてみたらどうかなという気がします。

 もう一点は、例えば、今、ここに拝見している各大学のいろいろな案を見ましたときに、勿論、全部各地に散らばっているというんですが、東京に幾つできるんですか。地域性という意味で、今、0〜1マップではありませんが、ああいう実態がある中で、現在の大学自体が大都市圏に集中する形になっておりますから、既存の大学から発想するとそういうことになっちゃって、日本全国、万遍なくとまで行かなくとも、ある程度の地域不偏性みたいなものが確保されるのかという意味で、最初に地域別ありきぐらいで発想していかないとなかなかそうはならないと思います。

【井上委員】私からお答えするというのも変ですが、最初の点は、いろいろなことがあり得ると思うのですね。理屈の上からしますと、別に大学にこだわらなくてもいいということは言えると思うのですけれども、その場合に、法科大学院ないしロースクールなるもので、どういうことをどういう形で教えるのか、それによって違ってくると思うのです。専ら実務的な技能ですとか、技術ですとか、そういうものを教えるということならば大学でなくてもいい、あるいは大学にふさわしくないかもしれない。しかし、そうだとすれば、研修所をもっと大きくしたり、全国各地につくって、もうちょっと長い期間かけて勉強するということでもいいと思うのですね。

 ただ、それでも量的に一定の限度がある。そうしますと、入口のところがちょっと広がる程度で、今の受験競争というのは根本的には改まらないのではないか。それよりはもう少し時間をかけてじっくり教育するということのほうがいいんじゃないかというのが、おそらくロースクール構想の一番根本にある考え方なのです。

 それに、今のような状況を引き起こした諸悪の根源はどこにあるのかという悪人探しをしたらきりがないのですけれども、幾つかのポイントがあって、大学も大きな責任を負っているということはこの前申したとおりなのですが、1つの要因は、やはり正規の法学教育ということを要件にしないで一発勝負でいけるということ。これは、制度としていい面も持っていたわけですが、ここに来て、全く逆の方向に作用している。それを、前提としてちゃんとした法学教育をじっくり受けてきた人たちを母体にして選んでいくという方向に方向転換していかないとどうしようもなくなってきているのではないか。その場合の前提としての法学教育をどこでやるのかという問題だと思うのです。

 それを、大学とは別のところで、きちっとした形でやればいいじゃないかという考え方もあり得るかもしれませんが、現実問題として教える人をどうやって確保するのか。もちろん、先ほど中坊委員が言われましたように、実務家の協力は不可欠だと思いますけれども、それが主体になれるかというと、かなり疑問でして、やはり基本は、学的な基礎の上に立った教え方だろうと思うのです。

 アメリカのロースクールを例に取ってみましても、もともとはこれは徒弟制度の延長みたいなもので、実業専門学校のようなところだったのですね。それが、大学に組み込まれ、20世紀の初め頃だと思いますが、そこに学問的な方法が持ち込まれまして、それによって一気にレベルアップしたのです。それで教育の質がかなり高くなって、むろん批判もあるわけですけれども、確固としたものをつくっていったのです。

 そういう意味では、我が国の場合、これまでのようなやり方で当然できるというわけでないのは確かで、変っていかなければならないとは思うのですが、それを担えるのはやはり主として大学人ではないかと思われるのです。

 それに、教えることは、そんなに質的に違うわけではない。私はアメリカのロースクールで、わずかな期間ですけれども教えたことがありますが、そんなに大きくは違わないのです。手間のかけ方とか材料の使い方とか、対話型であるとか、そういうところが違ってくるので、一定の期間はかかると思いますけれども、意識的に変えていけばできないことではないと思われます。それが1つです。

 もう一つ、地域性の問題は、確かに非常に難しい問題です。言わば政策的に全国的につくっていくということをやらないと難しいかもしれない。それはおっしゃるとおりなのですが、しかし、逆に、そういうつくり方でうまくいくのかなと思われるところもあります。自治医大のことはよく分かりませんが、一般的にいいますと、そういうふうに政策的につくったところというのは、どうも必ずしもうまくいかないのではないか。やはり我々でやろうという人たちが出てきて、創意と工夫でつくっていくというところがないと、どうもうまくいかないのではないかという気がするのですね。

 ですから、一番いいのは、大学人だけに限らないとは思うのですけれども、そういうものをつくっていきたいという人たちが、地域の人も含めて集まって、そういう新しい機関をつくっていく。現実的に考えますと、大学というのが母体になるのが一番スムーズかとは思いますが、既存の大学とは別に独立の大学院のようなものをつくっていき、そこに大学人も実務家もやる気のある人が参加してつくっていくということも、あってもいいのではないかと、個人的には思います。

【曽野委員】ちょっと離れたところなんですが。

【佐藤会長】また戻ってもいいですから、どうぞおっしゃってください。

【曽野委員】今日は大変いろいろなことを考えながら3人の講師の先生方のお話を伺っていたんですけれども、おっしゃるとおり、ロースクールか法学部か、そこら辺に来てから慌ててやっても到底間に合わないという深い深い問題があって、それに対して大変御苦労なさっていらっしゃることがよく分かります。

 第一に幾つかの問題を申し上げますと、例えば、日本人は、ずっと本当のことを教わってこないですね、ここのところ数十年。つまり、人間は平等である、これは日本語の問題になりますが、人間は平等であるというときに、ドイツ語ですとザインとゾルレンに分けられる意味が、日本語では同じ言葉で訳されております。平等であるべきだというのと、現実にもう平等であります、というのと訳すと同じことになってしまう。それは愛という言葉がイデアとアガペーが一緒に1つの愛になってしまったと同じぐらいあいまいなんです。ですから、平等だと言っても、現実には平等ではないんです。一番平凡なことを申しますと、女優さんになれるような美人の女とそうでない女の不平等というのは説明しなくてもいいぐらいですが、それでも平等である、平等であらねばならない、と言い続けている。ただ、女優さんになるばかりが幸福ではなくて、不平等をずっと平等に近づけていくべきだというゾルレンは、これははっきり残っているわけです。しかし、日本人はそこのところをごちゃごちゃにして教わりました。

 それから、2番目に、人間に対する興味というものを失っているように私は思うんです。つまり、メカニックなもので、あるいは人生に見えるものであっても、バーチャルリアリティーは実人生ではない。架空の人生を見て自分は人生を見たというふうな感じになっている。それはなぜかと申しますと、だれも悪いんじゃないんですが、核家庭のようなものが多くなって、例えば、家族とか友人とか人間の生死とか貧困とか不運とか、そういうものに深くコミットしない。だから、深い人間関係というものに苦悩したり、悲しくなったりすることは悪であるというふうに思うようになりました。勿論、悪の面が非常に強いのですが、こういう現実は人生を思わせます。人間は反対の願わしくないものの中にもよきものを見つけ、願わしいものの中にも落とし穴というものがあるものですから、やはりそれを思うと、願わしくないものの中に人間性を表すものがある。それをずっと見せないできてしまった。子どもたちから大学生に至るまでです。

 3番目ですけれども、その1つなんですが、悪というものを正視しなくなりました。私はよくわからないんですけれども、法律の勉強をなさっている間に、学生達に犯人の気持ちというのを書かせることがあるんでしょうか。私なんかその名手でして、例えば、引き逃げは悪いかというと、勿論悪いに決まっているんですけれども、そういう座談会が昔ありました。もう何十年も前に、私が初めて免許を取ったころです。私はたちどころに引き逃げをする犯人の側に立つことができて、その心理を申し述べることができる、まだそのとき引き逃げはしておりませんけれども。犯人の心を推測するというのも、司法の技術の一つでしょう。それで、人間というものは完全な善でも悪でもなくて、トマス・アクイナスが言うように、「すべて存在するものはよきものである」というすさまじい表現にあるような地点にまで私たちを到達させることができるようになるのかもしれません。例えば、地震は勿論悪いものなんです。それにもかかわらず、それでも地震はある。マスコミも、おじいさん、おばあさんも、政治家も「安心して暮らせる」というような表現を平気で使う。安心して暮らせる人生はないんだということは言わない。社会が全部うそをつき続けて、政治がよくなれば安心して暮らせるようになると思わせてきました。社会は嘘を教えてきたのです。

 そして、挙げ句の果てに、本を読めとも言われました。私は別に文学を読めというわけではないんですけれども、小説というのは多くの場合悪を代表しています。私も犯人の側から書いた『天上の青』という長編があるのですが、大久保清を基にして17年後に書いたものなんです。そういうときに本当に私は犯人という立場からだったらよく書ける。

 しかし、裁くほうの立場だけ分かる人ができたら問題です。さっき中坊先生がちょっとおっしゃいましたのは、そのようなことを御懸念になっていらっしゃるのかなと私は思ったんですけれども、裁く側というのはなかなか人間に到達しておりません。そういうところをどういうふうに補っていらっしゃるのか。勿論、法律に従って裁くことは必要ですが、素朴に言いますと要するに悪いことをした人、その人の気持ちがわからないと裁判というのは成り立たないような気がします。

 ですから、その意味で、現在の法を学ぶ人たちの人間理解度は、最悪の状態なのかもしれません。それをどこから改変していき、大学辺りでどの辺までカバーをおできになるかということが問題だろうと思います。

【佐藤会長】ただいまのお話、大変に大きく深い問題で、私など、何をやってきたのかという思いにかられます。例えば、政治と宗教の関係について、憲法では、すぐ政教分離、何とか原則という話になるんですけれども、私は、授業でこの問題に触れるとき、法学者の書いた論文よりは、こういう面白い小説があるので、まずこういう小説を読んでみたらどうかというようなことを言うのですが、それ以上に立ち入って話をすることはしませんでした。何かそういう教材を与えて、いろいろなことを考えさせる余裕がないのが実情です。人生観が効率的なものになったというのが、非常に大事な無駄をしないような仕組みになってしまった。何とかできないものか、そういう余裕の場をつくれないものか。例えば、ロースクールと学部との関係の在り方の中で、これを解決する余地がないであろうかと密かに思っているんですけれども、大学人として非常に反省を迫られる思いです。それぞれ何かお考えがありましたら。

【井上委員】被告人の気持ちということになれば、実務家のお三方がどうやってそれを分かるようになるのかということを、ご経験に基づいてお話していただいたほうがいいかもしれません。

【佐藤会長】では、今の点について、水原委員いかがでしょうか。

【水原委員】曽野委員から本当にその真に迫って人間の心をとらえることの難しさ、人間というのはどういうふうな行動を取るのかということをいろいろな角度から今お話がございました。私は実際にこの間も申しましたけれども、だまされました。一番最初にだまされたのは詐欺事件でございます。無銭飲食で前科7つか8つある人でした。新任検事のときですけれども、数百円の無銭飲食で逮捕されてきましたので、数百円で起訴しますと、無銭飲食の前科7つも8つもあるわけですから、少なくとも1年は刑務所に入らなければいけないんです。「これ以外にはないのかね」と聞きましたら、「これ以外は一切ございません」と。「本当にないのかね」と言ったら、「ございません」と。涙をぽろぽろ流しながらそう言うんです。

 それで、よし、わかった。今回限りこの場で釈放するとやったんです。勾留もせずに。そうしましたら、2日後に、その被疑者が、ひょこひょこと私どもがいました検事の大部屋に入ってきまして、私の顔を見まして「この部屋だけは来たくなかったんだな」と言うんですよ。それで、「どうした、お前」と言ったら、「いや、検事さんに釈放されて警察に戻りましたら、ベテランのデカさんが、若い検事はだませてもね、おれはだまされないよ、と言って、ほかにこういうことをやったねと言われ、別件の逮捕状を示されてすぐ逮捕されました」と。聞きましたならば、やはり幾つも犯行を犯しているわけです。

 そういうことで、一番最初にだまされましたのがそれでございます。その辺りから人は信用できなくなりました。だけれども、前にも申しましたように、私は、人好き人間なんで、もともと人間が好きなのに、その人間が悪だと考えたくはなかったわけです。それで、なぜ彼らがそんなにうそを言うんだろうか、これはやっぱりその人たちに本当のことを話してもらって、そして、人間の行動様式、犯罪者の行動様式とはどういうものかということを、彼らから事実を語ってもらうという実践を通じて一つひとつ蓄積する以外にはないと。

 そこで、どうしたら相手が本当のことを話してくれるかと考えましたときに、相手の上に立ってはいけないんですね。アンダースタンド、相手を理解するためには相手より下に立たなければいけない。そこで、相手より下に立って、いろいろと教えてもらおうという気持ちに変わりましたときに、私の気持ちが相手に通じて相当しゃべってくれるようになりました。

 これを上から見ておったならば本当に多くは語ってもらえなかっただろうと思います。私が調べたのが、それでは全部真実をしゃべらせているかというととんでもございません。そんなにうぬぼれている男ではございませんが、少なくとも、相手の立場に立って、相手の気持を理解しよう、痛みをわかろう、辛いだろうな、否認すると否認した人間は罪を逃れる。だけれどもうそを言っているという気持ちの反省がものすごくあるだろうなという気持ちになりますと、否認する気持ちは辛いだろうなあと本当に思うようになりました。この気持ちが相手に通じるようになりますと、少しずつしゃべってくれるようになる場合もあったわけです。やはり、一人ひとりの人間から教えてもらうという気持ち、それが一番大事であったと思います。

 検察の調べに際していろいろ批判がございますし、本当のことをしゃべらすことによってその人間は初めて、もう2度と罪を犯すまい、罪を犯したならば、いずれは見つかるんだという気持ちになるでしょう。そこでやっぱり相手の立場に立った気持ちで調べることが必要だということを私は指導者になりましてから言い続けてきました。現在でもそういう話をよく後輩にしておりますけれども、これは人生無上でございます。至る上がございません、エンドレスな勉強をしなければいけないと思います。

 この間申しましたのは環昌一先生という方のお話でございますが、この方が東京地裁の裁判官から弁護士に転換されまして、弁護士二十年余りをおやりになって、それで最高裁判所の判事になられた。その方の裁判官に対する御講演が『判例時報』の1144号に「雑感少々」という題で載っておりますけれども、そこで先生がおっしゃっていることは、裁判官の目から物を見ようとしたときには、やっぱりどうしてもスクリーンがかかった目で物を見ることしかできなかった。弁護士になって二十数年経験したときに、少しはわかるようになった。それで、その目で最高裁判所の判事になったらまたわからなくなるときがきそうなので、常に目のちりを払って真実は何か、相手はどういう気持ちで行動していたのかということを見るように努めた。だから、実践法曹の取扱い商品はと先生がおっしゃっておりますけれども、商品にして悪いんですけれども、判例でも学説でもない生きた人間そのものなんで、だから毎日毎日眼のちりを払って人の心を見抜くように努めなければいけないということを言っておられましたが、そのとおりだという気がいたします。これこそ法曹に求められる姿ではないかという気がいたしました。

 私はこれからも更に更に人間の生きざまを追い続けていきたい。それがあるべき法曹の考え方ではないかと思い、恥をさらしながら申しました。

【佐藤会長】今の点は、人間を理解するとはどういうことか、例えば、ホッブズの『リバイアサン』だとか、あるいは古典的小説を若いときに感激して読むというようなことが非常に重要であり、さらに生きた人間を実際に扱う、生きた人間に接する中で得るものが非常に重要だという趣旨であり、共通した基盤のお話だというように承りましたけれども、問題は、教育の在り方、法学部あるいは法科大学院で何をどう教えられるのかということですね。曽野委員が前回もおっしゃったこと、高木委員が今日おっしゃったこともその辺とつながっているように思います。法科大学院というけれども、何をどう教えようというのか。今まで大学では何をやっていたのか、これから何をやれるというのか、そういう御疑問として受け取ったんですけれども。

【高木委員】井上先生のペーパーの中に、何を教えるのかというのが例示的にいろいろ書かれているんですが、これでほぼ網羅されているのかどうかということも含めまして、先ほどちょっと言った目線の話だとか、裁かれる側の論理、心理、その辺になると哲学的になったり、心理学の世界になったりいろいろあるんでしょうが、そういう意味では、先ほど井上先生の御反論というか御意見もわかりますけれども、もう少し違った発想でこれからの法曹養成、これから恐らく何十年にわたってコアになってくるんでしょうから、もっといろいろな意味で検証をしていかなければならないと思います。どんな案にも100 点はないだろうと思うんです。

 それから、どんな案にするにしても、いろいろな分野の人たちが共同してやらないとできないお話なので、だから、これにはこういう難点があると言ったら、それをどういう方法でアプローチやその難点を直すというか薄めるというか、そういう意味でもう少し広い発想で、ということを訴えたいんです。

【井上委員】私も同感ですが、私が申し上げたのは、要するに、骨格をまずどうつくるかということなのです。その上で、教育内容を更に豊かにするためにいろいろな要素を加えていくということは当然考えるとして、骨格を支えるのは誰なのだろうかということになりますと、それは大学人と法曹三者というのが一番現実的ではないかと思うのです。

 前回、水原委員がおっしゃったように、法科大学院ですべてが解決できるわけではない、おそらく人間の心がわかるような教育をするということまで求めるのは、まず無理じゃないかと思うのですけれども、ただ、今一番不足しているのが何かといいますと、法律についての豊かな素養と理解、原理的・体系的な理解、それすら欠けているのではないか、あるいは、このままいったら、大きく欠けることになっていくのではないか、ということなのです。したがって、それくらいはきちっと身につけさせよう。その上で、プラスアルファとしていろいろな要素を付け加えていく。例えば、さっきヒアリングの中でも出ましたけれども、法曹倫理の問題というのは、これまでそんなに突っ込んで考えてこなかった。一番真剣に考えてきたのは、もちろん実務家の方々で、具体的な事例の取り扱いをめぐっていろいろ議論をしたりされてきたわけですけれども、それをもっと体系化していくためには、学者もそこに加わって議論をし、一定の学問的レベルに高めていく。そして、それを教育の過程を通じて伝えていくということをしないといけないだろうと思うのです。

 アメリカのロースクールなどでも、法曹倫理というのは非常に強調され、1つの学問分野になってきているのですけれども、最初は非常にお粗末なものだった。それを、積み重ねて、だんだん体系化してきている。そして、それがまた、さっき石井委員が質問されたことですけれども、法曹資格試験の科目にもなっていく。そういう積み重ねをつくっていかないといけないと思うのです。それこそが新しい発想だと思うのです。

【佐藤会長】高木委員の御提案は、全く新しいものを相当数全国につくるという発想であるように理解しました。それは、非常にラジカルな発想として面白いんですけれども、そういう大学をいきなり相当数作れるものかどうか。一つの大学が、いい大学と言われるものになるためには、何十年、あるいは何百年かかるわけです。伝統とは何かと言われると難しいんですけれども、大学がそういうものをそれぞれの個性に応じて作っていくには相当な年月がかかります。

 既存の日本の大学は今批判を受けている。だめだから全く新しいものをという考えは、ある面ではよく分かるのですけれども、やはり多元的な社会、物事については、いろいろな見方がある、いろいろな伝統の大学があるということも非常に大事なことであって、そこをどう考えるか。新しいものを作るというのはいいんですけれども、そこには、教育とは何かという根本にさかのぼる難しい問題があるのではないかという気もします。しかし、既存のものから離れて新しいものを作る、新しい試みもするということは、非常に価値があると思います。

【高木委員】新しいものを作るときに、全く新しいというよりも、人間がどこかで学び、だれかを教え、という営みの形態論ですから、先生がおっしゃるように確かに1つの大学が非常に立派な教育の殿堂になっていくのに、時間もかかる、それはおっしゃるとおりだと思いますし、そんなイージーゴーイングな話だとは思ってはいないんですが、何十年に1回ということを議論するんなら、今の御議論がイージーゴーイングだと言いませんけれども、よりベターな、よりチャレンジングなものが作れないかと思った訳です。先ほどの研修所の御説明の中にも、エリートということがありました。まあ、エリートと倫理みたいなお話、確かに司法試験通られる人は、学問という意味でエリートなんだろうと思うんですが、最近の日本の社会がこれは曽野さんのおっしゃったことにも通ずるんだけれども、うそが多いとか、お互いのことが分かり合えていないとか、問題点も指摘されています。

 例えば、今、年金問題、これはこの場で話していいかどうかわかりませんが、今までは60歳から年金を受けられたのが、来年からは基礎年金のある部分は61歳からになります。そうすると、現在60歳の人というのは、15歳のときに1955年です。昭和30年に15歳で中学卒業。当時中学校だけで世の中に出た人がどのぐらいいたんですか。詳しい数字は手元にありませんが、恐らく6割以上。そういう45年間働き続けた人たちがこういう財政問題故の年金支給開始年齢の引き延ばしという目に合おうとしている。だから、今の世の中全部大学やら高校出だけで構成されていると思っているような感覚、そんな社会感覚が蔓延し、加えて先ほどの倫理のお話ではありませんけれども、お互いのことを分かろうとしない者が増えている。裁判官の中にもそういう感覚の人がいたら、そんな感覚の裁判官に裁かれるのはご免だということになりかねません。

【藤田委員】3点について、お考えを伺いたいと思います。法曹養成制度というとどうしても法曹人口の問題と一体不可分だと思います。それで、適正な法曹人口のレベルをどこに置くかというのは大変難しい問題で、今までもいろいろ議論がありました。しかし、一応、ある適正なレベルを設定して、そこまで増やそうということになったとします。ところで、弁護士がどのぐらいの期間活動するかという点については、35年というような話がありましたけれども、もうちょっと長いような気がするんです。周りを見ても70、80で人並以上に働いている弁護士がおられます。中坊さんもそうですけれども。そういう人もいますので、何年かということは別としましても、その活動年数が設定されると、その年数を経過した人がリタイヤしていきますから、その段階でそのレベルが維持されるということにはなると思うんです。しかし、一方において私立大学の経営事情から言うと、ロースクールをつくるにしても、ある程度の人数を確保しないと、経営的に成り立たないというような別の要素もあるわけです。法曹人口を適正なレベルの人数まで増やして、それを維持するということと、ロースクールをどういう規模で動かしていくかということをどういう風にマッチさせていくかが、実際的な判断として難しいと思うんですが、そこら辺はどういうふうにお考えになるかということです。

 もう一つは、前にもちょっと申し上げたんですが、司法試験の受験資格をロースクール卒業ということにすると、法学部の1学年の学生が5万人ぐらいいるとして、大部分はそのまま学部で卒業していくということになるわけですが、プラス2年、司法研修所を入れるとプラス3年余計にかかるということになるわけです。人材の社会的な配分という点からいって、優秀な人材を全部司法界に取り込むこともないんですけれども、ある程度確保するという必要性から言うと、このような制度で大丈夫か。医学部は、プラス2年でありますけれども、恵まれない境遇の人がお医者さんになりやすいのかどうかという実態はよく知りませんけれども、やはりかなりの負担を強いるということになる。そうすると、易きについて法曹界への志望を断念するという人が出てくる可能性もあるし、また、恵まれない境遇の人が、やむを得ずあきらめるというようなことはありはせぬかという心配を以前からしているんですが、その点はどうかということです。

 最後に、全国で15とか20とかのロースクールを設けると言われますと、何校かが協力して設けるというような構想もございますけれども、どうしても法学部のある93の大学のうちのごく一部ということになります。大学のランク付け、差別にならぬかという質問が弁護士会館で行われた東大大学院主催のシンポジウムのときに出ましたが、それに対する答えは、現にもうランクも差別もあるんだというようなことでしたけれども、実際上そういうようなものがあるというのと、形に表われた制度としてそういうものが出てくるというのはやはり違うんじゃないか。そこで、神奈川大学の萩原金美先生が、大規模な限定された数のロースクールということじゃなくて、それぞれの大学でそれぞれに工夫した小規模大学院というようなものも考えるべきだというような提案をされていますけれども、そういうようなことについてはどういうふうにお考えか伺いたいと思います。

【佐藤会長】これは井上委員に対する御質問でしょうか。

【井上委員】私の意見ということで申し上げますと、1番目のところは非常に難しい問題だと思うんですね。やはり一定の質を維持しながら増やしていくということになると、おのずとそのペースというのは限られてくるのではないかなと、一般的には思うのです。将来的には中坊先生がおっしゃったようなところまで、仮に行くとしても、一気に行くわけにいかず、かなり時間がかかるのではないかと思うのです。

 その場合に、ロースクールというのを幾つどういうふうにつくるのかということですが、私の報告の中でも触れましたけれども、一部には、全体の合格者数を3,000 とか2,500 とか、2,000 と想定して、ロースクール修了者の8割くらいが司法試験に通るようにするのだから、その合格者数に8分の10をかけると、ロースクールの一学年の総人数であり、それを例えば1校200とすると、10校とか20校とか30校ということになる。こういった議論をしている人もいるのですが、これは漠然たるイメージとしてはわかるのですけれども、そんなふうに人為的に設定できるものかは疑わしく思います。やはりやる気があって、それだけの力を持っているところは自由に参加できるということでないと、制度としておかしいのではないかと思うのです。

 むろん、そうは言いましても、今、藤田委員が触れられたように、経営問題、これは私立大学だけではなくて、国立大学も今、非常に厳しい局面に立っており、ロースクールをつくるからといって何十も新規のポストをもらえるわけではないと思いますので、おそらく自助努力というようなことをやらないといけない。そういう意味で、非常に厳しい選択に立っている。したがって、現実問題としては、やる気があって実力があるところといっても、やれるところはおのずと限られてくるということは、やむを得ないと思います。

 問題はやはり、質を維持するために、どの程度の人数の学生を受け入れて、どのぐらいの規模とかどういう資格の教員でやるのが適正なのか、そこだと思うのです。それに見合った形のものができるならば、自由に参加していい、そういうことでないと、やはり制度としてはうまくいかないのではないかという感じがするのです。

 もう一点、プラス2年あるいは3年ということになると、有為の人材がそんなに残ってくれるのかというご疑問については、現在でも既に、平均的には大学を出て3年とか4年とか受験勉強しないと受からないというのが実情です。しかも、そういうことを見越して、それではいやだということで他の分野に行ってしまう人材も結構います。それよりは、きちっとした教育機関に2年なら2年行って、ちゃんと勉強すれば、ほぼ受かるという形のほうが制度としては健全ではないか。そのほうが有為の人材を確保するということができるのではないかと思うのです。

 問題は、恵まれない人をどうするかということなのですが、現在の制度でも、正確にはわからないのですけれども、本当に資力のない人とか、いろいろな意味でハンディキャップを負った人が、公平に司法試験を受けて通れるといった実態なのかどうか、私はかなり疑問を持っています。

 むしろ、今の制度の問題点が、そういった人たちに不公平な形で、集約的に現れているのではないか。つまり、相当程度の時間とお金をかけて予備校に通わなければ司法試験に受からない。ある方は、司法試験ではなくて「資本試験」だというようなことを書いておられますが、そういうのが実態だとしますと、いろいろな意味でハンディを負った人たちに却って不公平になっているのではないかと思うのですね。それよりは、正規の教育システムを整備し、そこへ入ることを公平にし、財政的にバックアップするとか、あるいは働きながら勉強できるとか、そういうシステムを正面からつくっていくほうが、むしろ制度としては正統ではないかと考えます。

 3番目のランク付けというのも非常に難しい問題だと思うのですが、私の報告の中でもちょっと触れましたけれども、小規模であれ、やる気があり、実力のあるところは、お互いに協力しながらつくっていける。むろん、1校1人だけ教えますというわけにはちょっといかず、やはり必要最少限の科目数は教えないといけないですから、それだけの教員というのを手配しないといけない。また、討論とか対話ということになれば、ある程度の人数がクラスにいて、議論をするということはやはり必要で、そういった最低基準みたいなものはあるだろうと思うのですが、それに見合った形で、緩やかな連合とか連携とか、そういうことによりロースクールを設けるということもあり得るのではないか。いろいろ問題も出てくるかもしれませんけれども、方向としてはいろいろな形があり得るように制度設計しないといけないのではないかというふうに私自身は考えています。

【竹下会長代理】今の藤田委員の問題提起にどこまでお答えできるかわからないのですが、この問題について私が考えているところを若干申し上げたいと思います。

 1つは、先ほど中坊委員が御指摘されたこと、あるいは山本委員が言及されたことと関連するのですが、どうも現在の法曹養成過程が問題だというときに、何か予備校の問題に議論が集中されているような気がするのですけれども、私はやはり制度として考えたときに、予備校というのは別に現在の法曹養成制度ではないのであって、本来の制度が十分に機能しないところから出てきた鬼っ子みたいな話なんですね。何でそういうものが出てきたかということになると、先ほど、山本委員がおっしゃられたように、昭和40年代以降、非常に法学部の学生が増え、受験者が増えて非常に難しくなった、合格率が1%代まで下がった。

 それに対して先ほど中坊委員からは法務省が何もやらなかった司法試験の改革、もっと合格者を増やすというような配慮をしなかったではないかという御指摘があって、私もそのとおりだと思うのですけれども、他方、やはり大学も十分にそれに対応してこなかったという問題があると思うのですね。

 何か、司法試験に対する対応というと、法曹養成に大学がどう関わるのかという問題であることを認識せず、受験指導をするようにしか受け取らず、それは学問を教える大学でやるべきことではないというような態度をずっと取り続けてきた。だから、結果として学生はみんな予備校に流れていったということになるわけなので、その点は私も含めて、大学にいた者としてよくよく責任を感じないといけないだろうと思っているわけです。制度の問題としては、そのように受験生が予備校に流れていくことになった原因を究明して、それを是正することを考えるべきだと思います。

 法科大学院という構想も、予備校に通って法曹になる者の質が劣っているからというよりも、仮に司法試験制度を直すなり何なりして、現在の法学部が理想どおりに行われたとしても現在の4年の教育ではこれからの社会で必要とされる法曹を養成するには不十分であるからこそ必要なのだという議論にならなければならないと、私は考えているのです。

 その場合、今の法学部教育では、先ほどからいろいろ御指摘があるように、やはり人間を見る目とか、一般的な意味での教養が欠けてきて、それを身に付ける時間がない。ただ、単純に教養といっても戦後50年、一般教育という制度を取り入れたのですが、これは大学人の間では結局失敗であったと考えられていますから、今までの蒸し返しでは仕方がないのであって、その教養の中身としてどういうことを教えるかということも十分考えないといけないと思いますけれども、とにかくやっぱりそういうものを取り入れて、その上で、やはり法律専門家になるわけですから、それに必要な専門教育をしなければいけない。そこから、法科大学院という発想が出てきているのだと私は考えているわけです。

 ただ、それに対する懸念として、幾つかおっしゃられたのは、一々ごもっともなのです。確かに、それだけの費用と時間をかけられるような社会層からしか人材が出てこなくなる恐れがあるのではないかということは十分考えておかなければいけないところですけれども、今のところは先ほどの小島教授の意見陳述にも出てきましたが、やはり奨学金制度の充実、あるいは昼夜開講制というようなことを考える、それだけで十分かどうか、あるいは場合によっては、私の個人的な意見ですけれども、現在の大検のような、ロースクールを出なくても何か一定の試験を受ければ司法試験の受験資格を認めるというようなことも考える必要があるかもしれないというようなことも考えております。

 それから最後の点ですが、これは前回井上委員がおっしゃられて、今もまた言われましたけれども、私も全く井上委員の考えに賛成で、初めから全国で幾つというようにロースクールの数を限ってしまって、後からもう参入することを認めないというような制度はやはり公正な制度とは言えないのではないか。レベルは高くてしかるべきだと思いますけれども、一定の要件を満たす大学が出てきて、あるいは数校が連合してロースクールをつくりたいと言えば、やはりそれは認めるべきなのではないか。そういう形で法曹を養成していくということがこれからは要求されてくるのではないかと思います。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。では、吉岡委員。

【吉岡委員】ちょっと井上委員に反論するようで申し訳ないんですけれども、ロースクールが司法試験を受ける絶対条件というか、そういうふうになると、職業選択の自由が、非常にせばめられてしまうと思うんですね。普通の法学部を卒業しても、法学部以外であっても、司法試験を受ける機会は誰にも均等になければいけない。結果として受からないとか、それは仕方がないと思いますけれど、ロースクールが前提条件にされてしまうというのは、いかがなものかという気がします。

【井上委員】その点も非常に重要な論点でして、私の報告の中でも触れておいた点なのですけれども、ただ、私が考えますのに、我々として今一番問題とすべきなのは、利用者のためにどういう質の法曹を養成していくか、そして、そのためにはどういう制度が望ましいのかということだと思うのですね。それが基本にあって、その上に、今の問題というのが来るのではないか。そういうふうに考えますと、今のシステムが法曹養成制度として全く不適当だとまでは思わないのですけれども、かなり病理現象が進んできている。それを改め、さらに、先ほど竹下先生がおっしゃったように、これからの時代に向けたよりレベルアップした法曹の養成というのを考えていくとしますと、前段階の教育ということを充実させる必要がある。大きな筋としてはそう考えるべきだと、私は思うのです。

 それを基本にして設計し、しかしそうは言いましても、いろいろ社会的なハンディキャップを負い、そういった教育制度というものを利用できない人もいるわけで、そこをどういうふうに救済していくというか、公平性を確保していくかというのが、考え方の順序ではないか。そういう意味で、奨学金の制度ですとか、夜間開講、もう一つあり得るのは、分割して授業を取っていく、5年とか6年かけてですね。実際にアメリカのロースクールなどでも、パートタイム制というのがあって、働きながら受講している人も結構いるのです。年間5,000人強はいると思うのですけれども、そういう制度も加えて、できるだけそちらのルートに乗れるような形で制度設計していく。そこにも乗れない人がいる場合にどうするかという点では、先ほど竹下代理が言われたような形もあり得るかもしれません。大きな筋としては、私はそう考えております。

【佐藤会長】よろしいでしょうか。代理はよろしいですか。

【竹下会長代理】はい。時間のほうがちょっと気になるものですから。

【佐藤会長】時間が気になっているんですけれども、あと1つで最後にしたいと思います。

【石井委員】意見ではなくてもよろしいですか。お願いだけなんですけれども。これからもまだヒアリングが何回かあると思うんですが、今日のケースを拝見していましても、配られる資料に通しページがないんですね。前にも同じことをお願いしたことがあるんですけれども、結局話される方が資料の何番を見てくださいといわれるとみんな一生懸命お話の内容をそっちのけでそれを探していらっしゃるんですね。しかも資料が見つかっても、その中の説明部分が分からず、それであっちだこっちだと言って、結局それが見つからなかったりしています。この前のときの井上先生の資料などは、図でも表でも全部通しページが付いていて、何ページを見てくださいといわれるので、非常にわかりよくてよかったんですけれども、やはり、今後出される資料はそのように分かりやすくしていただきたいと思います。

【佐藤会長】わかりました。審議の仕方については、後でまた御相談申し上げたいと思います。

 予定時間が来てしまったわけですが、今日の御議論は非常に多面的で、かつ、基本的な問題にわたりましたけれども、もう一回御審議いただくんですが、今日の段階ではこういうようにまとめておくということでよろしゅうございますか。

 1つは、今の学部教育、法学教育の場では、今日のヒアリングを含めてですけれども、人間的教養というのか、古典的教養というのか、そういう面でも、それから専門的な知識、能力の修得の面でも、中途半端である、必ずしも十分でない、その意味では、差し当たり大学人が一番反省すべきことではあるんですけれども、現在の学部教育、法学教育は、うまくいっていないという認識については皆さん共通していらっしゃるというように思いますけれども、そこはそういうようにまとめておくということで、よろしゅうございますか。

 それではどうするかという、2番目の話になりますけれども、今日、前回も、井上委員からお話しがあったのは、結局は法科大学院といいますか、そういうものをつくる必要があるのではないかということであったように思います。そうなりますと、学部教育と法科大学院とで、どういう教育の仕分けをして、法科大学院で何をやるのかという問題があり、その点については、なお議論の余地がありますけれども、何かそういうものをつくってシステムを変えるという必要はあるのではないか。そのためには、今日高木委員からも出されましたけれども、全く新しいものをつくるという発想、あるいは既存の大学を母体にしてできるだけいいものをつくるという発想、この2つの発想があると思いますけれども、何らかのそういうものをつくる必要があるのではないか。それをつくるについては当然のことながら、これは前回鳥居委員もおっしゃったことですけれども、国のほうで相当な覚悟を決めて、財政的に支援していただかなければなりません。奨学金も含めていろいろなことを考えていただかなければなりませんが、何よりも大学人が、相当な覚悟で臨まなければならない。そして、この法科大学院はオープンなもの、何かある特定なものに限定するのではなくてオープンなシステムとして考えなければならない。それから、高木委員もおっしゃったことですけれども、地域性の問題というものを法科大学院をつくるに当たって重要な要素として考えなければならない。こういった辺りのところで、今日の御議論をまとめておくということでいかがでしょうか。もうちょっと踏み込む必要がありますか。あるいは、今の段階では言い過ぎであるということになりましょうか。

【水原委員】法科大学院構想に私は全面的に反対しているわけではございません。しかし、法科大学院構想を実施したならば、優秀な法曹としての資質、能力を備えた、卵が生まれるのかねと。それならば、今の大学制度でそういうふうなことを教えることのできる先生方を持ってきて改善はできないのかなという疑問を1つ持ちます。

 だから、今、大学ではできないけれども、大学院構想を採ったならばできる、その大学院構想を採るときの人材を大学のほうに持ってきてできないものだろうかということを疑念を持ちます。

【佐藤会長】それは具体的にどういう中身のものを考えるかということとして御議論いただくことだろうと思いますが。

【北村委員】私も別に反対ではないんですが、私は会計学をやっておりますので、今の議論の状況ですと、何か数が合わないんですね。法曹関係者何万人にしようということと、それから、例えば、法科大学院は割と自由につくれるようにしましょうということと、例えば、では、2,000 人が通るような形にしましょうと言いましても、それで40年というと8万人になりますよね。というようなことで、そうするともっと少なくならなければだめなのかなとか、そういうところもきちっと考えてやっていっていただきたいという希望があります。

【佐藤会長】中坊委員から1つの目安として5万ないし6万という数字が出されていますけれども、仮にその数字を1つの目安として考えるとしても、それをどういう期間にどのように達成するかという問題になりますね。

【北村委員】そのときに法曹人口が何万人なんだから、法科大学は幾つでなければならないというような形に短絡的になるというのが非常にこわい、そういうことだと思います。

【佐藤会長】そうではなくて、井上委員もおっしゃるように、そこは基本的に態勢の整ったところから参加していくという、オープンなシステムでなければならないのではないかと思います。ただ、地域性の問題がやはりあるわけで、そういう問題も忘れてはならない重要なポイントだと考えているわけで、その辺は、今日のところでも詰め切れませんけれども、大体の構図として、そういうことを考えているのですが。

【中坊委員】とてもそうとは思えませんが。だから、今おっしゃるように、問題点があるということはわかります。これはみんなが一致しています。しかし、それならば大学院構想、ロースクール構想だけが唯一の解決なのかということに関してはまだ一致も何もしてないんではないですか。今、水原さんもおっしゃるように。

 それを今おっしゃるように、大学院構想が、その中身の問題だと特定されると、やはりみんなの問題があるんじゃないですか。

【佐藤会長】そうですか。そうすると言い過ぎたことになる。

【中坊委員】問題があるということまではいいけれども、恐らくこれは皆さん、それはちょっと会長が先走っておっしゃっているんで、そこまでは認識の一致は全くしていないと思います。

【藤田委員】一つの有力な方策であるということは言えますね。

【中坊委員】有力な方策ではあるかもしれないけれども、今のところだったら、要するに大学があって、司法試験があって、司法修習があって、実務家になるという1つの制度があるわけです。それが確かに、今おっしゃるように、司法試験の合格率が非常に下がってきた結果、いろいろ病的な現象が出てきて。これは事実だし、これは先ほどからみんなの認識は一致しているけれども、そうしたら、その制度をもう少し直せばいいのか。あるいは根本的にそれを直すのかどうかという、行き先も何も見ていないで、しかも、今日私が提示したように、それだったら、大学の先生はだれがなるんですかと。今日加藤さんも、実務教育が大事だと言っても、まさに実務家がならなきゃ仕方がない。裁判官は全国でたった2,000 人しかいらっしゃらない。1,000 人も2,000 人も出せるわけがない。そんなもの裁判はできなくなるんですよ。そうすると弁護士しかない。弁護士はそういう公益的な義務もないのに、これから意欲に期待しますと言ったって、制度が生まれるわけがないでしょう。

 だから、そこら辺りはもう少しお考えいただいて、まさに会長のおっしゃるように、みんなが有機的に結合した問題なんだから、そこだけが1つのものが具体的にはなってない。しかし、例えば弁護士に関しても、今までみたいにビジネス・オンリーではいかぬよと。もっと公益性を強化してくださいよというのは確かに今日も認識したようになるから、その延長線が、例えばそれは3つありますよと。公益的な事務所と、それから裁判官になるということと、それから後継者を養成するということも義務づけなければ、どうして教員を確保できるということが言えるんですかということを言っているわけでしょう。その問題は全部何も全く決まっていないようにしておいて、先生も決まらないし、それで構想だけが決まりましたということにはならないんじゃないですか。

【佐藤会長】この点については全く議論がなかったというのは私は言い過ぎだと思います。井上委員からの案もあり、いろいろ出ているわけで、なかったと言ったらこれは言い過ぎだと思いますが。

【中坊委員】問題があるということは決まったけれども、それではロースクールだけが唯一の解決方法であるということについては、必ずしもまだ一致していないのが現実ではないですか。

【佐藤会長】法学教育の現状には問題があるという点では一致した、法科大学院については、藤田委員のおっしゃったように有力な構想で、更に詰めましょう、そういうことですか。

 では、この問題についてはこのくらいにしておきたいと思いますけれども、次回の4月11日に更に御議論いただくということになります。どうもありがとうございました。

 それでは、次に17回、18回会議へのテーマの振り分けについて少しお諮りしておきたいと思います。

 前前回の第13回会議において、4月17日の第17回会議と、それから25日の第18回会議の2回の会議にかけて、実質的な審議ではなくて、何が問題点になっているのかという実情を勉強しておくという趣旨で、国民の期待に応える刑事司法の在り方、それから国民の司法参加、更に法曹一元の3つのテーマについて審議を行うというように決定していただいたわけであります。

 2回の会議の3つのテーマの振り分けについては、第13回会議において、裁判所、法務省の人的体制の充実に関する審議を行った際に予告したとおり、4月17日の第17回会議では、裁判所、法務省の人的体制についてのヒアリングを行うと。そして、このヒアリングと国民の司法参加についての審議を行いたいというように考えております。

 そして、4月25日の第18回会議では、国民の期待に応える刑事司法の在り方、それから法曹一元について審議を行いたいというように考えております。それで御了承いただければと思います。

 それで、ヒアリングと国民の司法参加についての審議を行うこととなる4月17日の第17回会議は、午前中に開催されるということもありまして、開始時刻を多少繰り上げて午前9時半の開会としたいと思います。12時過ぎまで審議を行うということにしたいと思います。よろしゅうございましょうか。よろしゅうございましょうかと言っても、それしかないわけですけれども。

 それから、次に海外実情調査後に加わるレポーターの選任等についてお諮りしたいと思います。

 2月22日に開催された第13回会議において、海外実情調査後の審議の進め方について、それまでの各テーマごとの、いわゆる法律専門家であるレポーター役の委員に、主としてユーザーの立場の委員が加わっていただいて、レポートなどを行いながら審議を進めていく旨決定されたわけであります。

 そこで新たなレポーター役をお引き受け願う委員の方々の選任と、担当するテーマの割り振りについて御相談したいというように思います。

 今配っていただいたようなことを考えておりまして、まず、国民がより利用しやすい司法の実現、国民の期待に応える民事司法については、竹下会長代理と、それから高木委員、山本委員、吉岡委員にお願いできればと考えております。

 それから、弁護士制度ですけれども、これは中坊委員、それから石井委員、吉岡委員にお願いしたいと考えております。 Z 法曹人口・法曹養成は後で申し上げます。

 それから、刑事司法につきましては、水原委員と高木委員、山本委員にお願いできればと思います。

 国民の司法参加については、藤田委員、石井委員、高木委員、吉岡委員ということでございます。

 法曹人口と法曹養成ですが、当然のことながら井上委員にお願いします。それから、法曹一元については会長代理と中坊委員ということでございますが、法曹人口と法曹養成、そして法曹一元のところは括弧になっておりまけれども、この辺は北村委員、曽野委員、鳥居委員に、特に法曹養成の問題等について、後日御相談申し上げることがあり得るという含みでございます。その場合には、よろしくお願い申し上げます。

 今のようなことで、よろしゅうございますか。

 報告は、論点を整理した上で、こうすべきだという方向性を示していただいて、それを基にして議論をし、固めていきたいと考えております。

 その関係もあり、また、時間的余裕もないものですから、報告、あるいは資料は、先ほどの石井委員のお話にもありますけれども、できれば事前に配付して、委員が事前に準備できるようにしていただければと希望しているところであります。

 ヒアリングにつきましても、できるだけ事前に資料、レジュメを出していただいて、事前に読めるようにと願っております。そのとおりいかない場合もあり得るかもしれませんが、できるだけそういう方向でヒアリングも行いたいと考えております。

 それから、海外実情調査後の1回目の会議に当たる5月16回の第19回会議でありますが、そこでは国民がより利用しやすい司法の実現、国民の期待に応える民事司法の在り方について、竹下代理によるレポートの結果整理された個々の論点を踏まえて議論を行いたいと考えております。利用者の立場からのレポート、及びそれを踏まえた議論を行いたいというように考えております。ですから、民事司法の在り方から入っていくということであります。

 ついては、竹下代理と新たにレポーター役に加われる各委員におかれましては、大変御苦労様でございますけれども、今後事務局とも緊密な連絡を取りながら、4月中には御準備を進めていただきたいということでございます。

【水原委員】会長、方向性まで全部ですか。

【佐藤会長】できれば、論点、こんな問題があるというだけではなくて、こう考えるべきじゃないかというようなものもできるだけ出していただければ有り難いと思います。そのほうが議論の密度が高くなっていくんではないかということを考えています。

【藤田委員】それは5月以降の話ですか。

【佐藤会長】5月以降です。4月の2回は、さっき申し上げたように、一種の勉強会です。

【水原委員】行く前にこれを全部やるんじゃなくて、視察の後ですね。

【佐藤会長】そうです。ただ、海外出張しますので。御準備を4月中にと申したのはそういう趣旨でございます。

【山本委員】これは3人で意見を調整して出すということでしょうか。

【佐藤会長】グループで御相談しながらやっていただきたいと思います。ただ、委員の間で違った意見が出るのは、やむを得ないことだろうと思いますので、その場合はそれぞれの御意見をお出しください。

【高木委員】これはそれぞれやればいいんでしょう。

【佐藤会長】やっぱりちょっと御議論ください。自分の立場からはこうだということは勿論出していただいて結構です。

【中坊委員】北村委員と曽野委員と鳥居委員が抜けて、ほかの人が2つも3つもあるというのも、ちょっと多少は問題があるんじゃないですか。この方が中心になられるのはわかるけれども、やはり委員が13名いるわけだから、もう少しバランスもお考えいただかないと、みんな2つとか3つあって、ない人はゼロと。

【佐藤会長】ゼロではないんです。さっき申し上げたように、特にB、更にはFについては、3人の委員にお願いしたいと考えているところです。

【中坊委員】私の思うのは、今、抜けられている3人についても、会長と会長代理が話しされて、どこかを皆さんが担当していただくというバランスを帯びた形にしないと、このままみんな決めていくというのでは少しおかしいんじゃないかということです。

【佐藤会長】それはさっき申し上げたことです。今日は特にユーザーの立場に配慮して、心積もりをいただく方を早目に決めておこうという趣旨です。

 そういうことでございまして、そういうように進めさせていただきます。北村委員、曽野委員、それから今日御欠席の鳥居委員にも、御担当がないわけではありませんので、よろしくお願いします。

【曽野委員】かえって御迷惑をおかけしますので、私のできることをお命じください。

【佐藤会長】また御相談させていただきます。

 それでは、この件はこの程度にさせていただきまして、次に配付資料の説明をお願いします。

【事務局長 】配付資料一覧表に書いてありますものにつきまして、いつもどおりでございまして、説明することはございません。

 なお、2月22日の第13回審議会におきまして配付いたしまた「弁護士の在り方についての論点整理」参考資料その2の中の資料39「我が国の法律事務所の形態について」の中に載っております、法律事務所の共同化の現状を示した2つの円グラフに数字の誤り、これは構成比のところでございますけれども、ありましたということですので、該当ページの差替版をお手元に配付させていただいております。

 なお、このついでにひとつ御報告を申し上げたいのでありますが、それはこれまでの審議会におきまして、御了承いただいております地方公聴会の件でございますが、大阪に引き続きまして、6月と7月に福岡、札幌、東京で開催することになっております。つきましては、そろそろ意見発表者及び傍聴者の募集の告知等必要な準備を開始すべき時期に至っておりますので、そのあらましについて御報告申し上げた上で、直ちに準備を開始したいと考えております。

 そこで、お手元にお配りしましたのがその表でございまして、日時等につきましては、既にお決めいただいたところでございます。福岡、札幌につきましては、大阪とほぼ同じような方法でやることといたしまして、この場所も仮予約しております。東京は首都でございまして、大きいものでございますから、平日にお集まりいただきやすいように5時半から3時間取りまして、日比谷公会堂で、1,000 名以上の傍聴者が集まれるような形で意見発表者も8名程度に増やしてやりたいと考えております。すべての公聴会の方法につきましては、これまでどおりの方法で意見発表者を募集し、傍聴者も募集して行いたいと思っております。その要領は2ページ以下に書いてありますとおりで、これまでと内容は変わっておりません。

 なお、福岡と札幌につきましては、この公聴会の前日に、大阪と同じようにそれぞれの法曹三者のところの実情視察も兼ねて実施したいと思っております。

 この間、この福岡、札幌において併せて行います実情視察と、浜田と酒田の実情視察をお決めいただきましたので、参加できるところの御希望をただいま聞いておるところでございますが、まだ御回答いただいていない方がいらっしゃいますので、是非早目に御回答願えればと思っております。

 これは別に人数制限を設けているわけじゃありませんので、御自身が行かれるというところをすべて挙げていただければと思っておりますが、浜田はいささか遠うございまして、希望が少ないものでございますから、是非浜田にもひとつ希望していただければと思っております。

 以上でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 そうしたら、地方公聴会の福岡、札幌、東京も、こういう趣旨で今日お決めいただくということでよろしゅうございますか。これは早目に公表するということですね。

【事務局長 】今日の記者会見の席で。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 大阪の公聴会は数日後に迫ってきましたけれども、参加される委員の皆様、よろしくお願いいたします。 Z 以上でございます。次回は4月11日、火曜日、ちょっと時間はあきますけれども、午後2時から、この審議室で行いたいと思います。次回会議は先ほどから申しておりますように、前回及び今回に引き続きまして、法曹養成制度の在り方について意見交換を行うということを予定しております。

 では、本日は長時間にわたってどうもありがとうございました。