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国際平和協力懇談会(第3回)議事要旨


1 日 時   平成14年8月2日(金) 11:00〜13:00

2 場 所   総理大臣官邸南会議室

3 出席者

(政府側) 
福田 康夫内閣官房長官
  
(委員) 
明石 康元国連事務次長
海老沢 勝二日本放送協会会長
嶌 信彦ジャーナリスト
志村 尚子津田塾大学学長
田中 明彦東京大学東洋文化研究所教授
西元 徹也元防衛庁統合幕僚会議議長
新田 勇元大阪府警察本部長
星野 昌子特定非営利活動法人日本NPOセンター代表理事
山中 Y子国際連合大学・北海道大学大学院国際広報メディア研究科客員教授
弓削 昭子国連開発計画(UNDP)駐日代表
4 議事内容

(1)「国際平和協力の理念、枠組み、問題意識」について基調報告(田中委員)
 第1に、現代の世界における平和というときに、どういうことを思い浮かべるべきか、
 第2に、その平和を達成するための国際社会の取り組みとして今どのような活動が多くなっているのか、第3に、日本がそのような国際平和活動に関与するときに、どういう問題点があるかについて申し述べたい。

 一番最初は、そもそも現代の世界で平和といったら何をイメージしなければいけないのか。伝統的、古典的な国際社会で平和は、おおむね大国間の平和、つまりグレートパワーの間で戦争がないのが平和だということである。19世紀後半は平和であったと言うが、実際は植民地侵略などが行われていた。また、冷戦は長い平和だったという場合も、結局アメリカとソ連が戦争しなかったということ。1990年以降、大国間の平和という意味で言えば、大国同士で戦争をするというのは余り考えにくくなった。
 国家間戦争のない状態、国と国とが戦っていない状態の平和、侵略や軍事的領土紛争等の脅威のない世界、これは国家間の平和という意味で「国際平和」である。ただ、本当にこれで平和かという問題があり、特にこの10年ぐらいを見ると、国と国が戦うということはそれほど多くはない。イラクがクウェートを攻めたのは典型的な国際平和を脅かす行動だが、それ以外に国と国とが正面切って戦うことは余りない。それで今の世界は平和で万々歳だといったら、国際平和協力を考える必要がほとんどなくなってしまう。やはりそれでは不十分で、今問題になっているのは、国家間戦争というよりは、国家間であれどこであれ、大規模な暴力が存在しない、そういう脅威のない世界が平和だということではないか。内戦、虐殺、テロ等の脅威のない世界、そういうものを国家間ということを問わないで言えば、「世界平和」ということだろう。
 これはかなり消極的な平和の定義で、これだけでは十分ではなく、構造的暴力のない、実際に暴力はふるわれなくても抑圧されている状態が続くというのはよくないという考えもあると思う。さらにもっと高度な平和、あるいは最近の言葉で言えば、人間の安全保障が確保されていないような状態は平和ではないという言い方もあり得る。
 ただ、今の国際社会では、大規模暴力のない状態を何とかして達成することが一番の課題になっているのではないか。冷戦後の世界でも、前者の平和、「国際平和」の確保も重要性を失っていないが、後者の平和、「世界平和」もますます重要になっている。内戦の頻発する地域に平和をもたらし、あるいは内戦で疲弊した地域を再建することの重要性が大きくなっている。なぜそれが重要かと言えば、根本的には、人類の一員としての共感、グローバライズした世界のどこかで理不尽に殺戮が繰り返されるのは、それ自体が望ましくない、人類の一員として何とかしなくてはいけないと思うのは自然だろう。ただ、そういう一種の人道的な観点だけでなく、「世界平和」について、日本という国、あるいは日本という国民の国益ということを考えても重要性や切実性が増していると思う。

 第2に、この10年ぐらいの間、国際社会はどのようにこの問題に対処してきたか。まず言われることは、伝統的平和維持活動から包括的平和活動に関心がシフトしてきたということ。
 国連を中心に行われてきた伝統的な平和維持活動は、冷戦の間に徐々にやり方を確立し、おおむね当事者間の合意とPKOをする側の中立性を前提に行ってきた。これは、紛争が国家間対立に起因する紛争、つまり、「国際平和」の問題である限りにおいては当事者がはっきりしているので、当事者間で停戦合意ができて、両者が再び戦争を起こさないようにするということで、中立的というのはそれなりに理にかなっている。しかし、90年代の大規模暴力のない状態を目指すという事態に立ち至ったとき、そして、内戦、虐殺、テロが頻発するような事態においては、そもそも一体だれが当事者なのか決めがたい状況も生まれている。当事者としての非国家主体が、加害者としても、被害者としても、あるいは紛争解決のために貢献する人としてもその役割が重要になっている中、伝統的な平和維持活動のみでうまくいくかどうかという疑問が生まれている。
 その結果、90年代に入って平和活動についての概念整理が、一番最初はブトロス・ガリの「平和への課題」、最近では「ブラヒミ報告」という形で行われた。
 平和活動についてはおおむね二通りの見方があって、一つは、時間軸に着目して平和活動を分類するものである。まず、紛争が起きないような状況をつくる予防外交がある。これがうまく行けばそれで平和になる。うまく行かないと戦争が切迫してくる。そうすると、紛争を何とか阻止したいという努力を国際社会でする。これでうまく行けば平和になる。うまくいかなければ武力紛争が発生してしまう。そして、武力紛争は国際的紛争である場合もあるし、内戦・虐殺・テロということもある。この武力紛争に対して国際社会が解決しないで、当事者間で解決する場合も勿論ある。あるいはそこで停戦合意ができればそれで平和達成になるかもしれない。ただ、うまく行かない場合にはピース・エンフォースメントという活動(平和執行)がある。仮に、平和執行がうまくいくなり、あるいは当事者間で合意ができたとすると、そこから出てくるのは伝統的な意味のいわゆる平和維持活動ということになる。平和維持活動が伝統的なものだけで十分だということになって、その国が自力再建という形に向かえばその後平和になるということかもしれないが、伝統的な平和維持だけでは不十分ということになると、そこで行われるのが内戦で疲弊した地域自体の社会状況から根本的に平和に向かう、あるいは戦争や大規模暴力を防ぐような試みが行われることになる。そのようなことをポスト・コンフリクト・ピース・ビルディングと言ったり、単にピース・ビルディングと言ったり、日本語で平和構築と言ったりする。
 もう一つ、機能面に着目した平和活動の分類もある。
 これも出発点は伝統的な平和維持活動であるが、これと比べて、この10年ぐらいの間に国際社会で行われる平和活動には、かなり違うもの、あるいは多くのファンクションを足したものが出てきている。現地の社会にどれだけ執行権限を持って関与するかという度合によって大まかに3つに分けている。
 一番最初の「伝統的平和維持活動」は、主権国家と主権国家、あるいは交戦団体と交戦団体があるところでニュートラルに行動する平和活動。次の「監視・監督型行政援助」は、行政面まで関与するが、その役割がおおむね監視あるいは監督であるというもの。UNTACは、基本的な精神においてみると監視や監督という形でカンボジアの再建に貢献したもの。それに比べると最近行われているコソボ、東ティモール、アフガニスタンにおいては、国際社会自身が執行する、エグゼクティブ・ファンクションまで持つ形の平和活動になっているのではないか。このように、伝統的な平和維持活動から執行型までのスペクトラムがある。
 この一番最近の「執行型行政援助」は、「新しい信託統治」とも言われている。かつての国際連盟あるいは国際連合において行われた信託統治の新しいバージョンということだが、かつての信託統治というのはどこか1か国に任せてしまうもので、批判的な目から見れば植民地主義の別名であると言われるが、現在の活動は、どこかの国だけがやるのではなく、言わば国際社会総がかりであることが特徴である。そこで行われる機能は非常に包括的で、治安維持、人道支援、難民の帰還、基礎的行政サービスの提供、基礎的政治制度の構築、裁判所の整備や警察の整備、経済再建、すべてにわたる。
 基礎的行政サービスや治安維持で言えば、警察も、監視・監督型の行政援助における文民警察の役割は、基本的には現地の警察官を監視することであるが、それに対して最近行われる文民警察の活動では実際に執行をするところまで行くことがあり、人材も多く必要とされていて、「ブラヒミ報告」では、現在の平和活動で必要な人材の4分の1ぐらいは文民警察であると言われている。
 このように平和活動についての整理が進んできて、今の問題は、時系列的に見ると、平和維持だけでいいか、その後の平和構築をきちんとしないと失敗してまた元へ戻ってしまう、元に戻らないためにはどうすればいいかという観点で、平和構築が重視されてきているということと、機能面で言えば、どの程度まで機能を包括的にしていくかという点が焦点になりつつある。

 最後に、日本の国際平和維持活動への関与の問題点・今後の在り方について述べる。今までの評価としては、大規模暴力のない状態という意味の「世界平和」への達成に向けて日本は全くやっていないというわけではないと思うが、どちらかというと予防外交的、あるいは開発援助の副次的効果として紛争が起きにくくなるという活動をやってきたという面はあるだろう。ただ、どのぐらい意識してやっているのかは別問題。
 1990年代に入ってPKO活動が本格的になったが、これは望ましい展開だった。ただ、伝統的平和維持活動の枠内の発想が非常に強かった。どういう問題があるかというと、平和維持活動を重視するために、一方では、平和執行になると日本は何もやらないのかという問題が出てくる。また他方、平和維持活動は自衛隊がやるものだと思っていたために、平和維持活動というとそれ以外はないのかという問題が出てきたのではないか。このように平和執行、平和構築双方について十分注意が向いていなかったのではないか。
 その結果、ほぼ同じことの別の面として、大規模暴力を防ぐという意味での「世界平和」達成という観点から見た場合に、現在の日本の法制度が十分かどうか。PKO参加五原則が自衛隊の行動を制約しているのは承知しているが、ほかのさまざまな活動にも影響を与えていると聞く。そうすると、平和構築をやりたいと思っても、このPKO参加五原則があるために、NGOが政府に協力して何かやるといったときに、非常に不自由になっているのではないか。
 それから、平和構築の部分、あるいは機能的分類で言った場合の新しい信託統治に関する広い意味での国としての協力体制が整っているか。政府内でPKOというと自衛隊の話だと思い込んでいるのではないか。ある程度の危険の伴う環境において執行を伴うような行政支援を行う体制ができているか。国内に存在する人材を調達し、訓練し、教育するための政府の枠組みは十分だろうか。中央省庁、警察、地方自治体、医療機関、研究教育機関、NGOなどの協力体制が不十分なのではないかという問題意識である。
 一方、世界各国を見れば、新しい平和活動の動向にも対応する体制を整えつつある国もあり、国によっては訓練センターをつくっているところもある。文民警察を多く参加させている国もある。世界的なNGOの中にも、積極的な動きを行うものもある。是非今後の議論の在り方として、このような国際的な活動も参考にしつつ、国際的協力体制を整え、NGOを含めて広い意味の「世界平和」に貢献する体制を整えるべきではないか。

(2)米国出張報告(明石座長)
 先々週、ワシントンとニューヨークで、米国政府関係者、国連関係者、UNDP、各国の常駐代表、シンクタンクの方々に時間の許す限り会ってきた。
 問題ごとに整理すると、紛争予防については、紛争を予防することが一体可能なのか、それは望ましいことなのか、むしろ紛争をマネージするという発想が大事ではないかという発言があった。
 また、国連PKOについてはいろいろな利点もあるが制約もあることを忘れてはいけないという指摘があった。国際的な正統性や透明性をもって行動し、構成にバランスが取れているという利点がある一方で、予算、装備、行動基準が一致していないという制約もある。特に訓練、装備の点でPKOには弱点があり、何とか改善しなくてはいけないという指摘がいろいろな人からなされた。多国籍軍にはそのような国連PKOの制約がないし、ある事態では、多国籍軍の行動が必要になる。国連PKOは、基本的に国連憲章第6章、紛争の平和解決の枠組みで行動するものであり、7章型の平和執行型は多国籍軍に任すのが現実的であろうという指摘があった。
 国連平和維持を通じて、同盟関係を構築したり強化するという発想もあり得るのではないかという指摘もあった。また、訓練制度、研修制度の強化が必要であるということでは関係者の意見が一致していた。
 警察官、行政官、裁判官等が新しい形での平和構築に必要であるという観点から、例えば、我が国の警察制度、行政制度などに対する評価も高かった。日本は主としてアジア地域でそういう研修訓練制度の強化に力を貸していただけないだろうか、また、カナダで行われたG8サミットに基づいて、アフリカにおいてもPKOないしは平和維持のためのアフリカの訓練制度の整備にも一役買ってはいただけないだろうか、それには例えばODAを使うということもあり得るのではないかという指摘があった。
 国連におけるPKOの待機制度には、既にほとんどの主要国を含む73か国が参加しているので、これに日本も参加を考えてほしいという期待が感じられた。日本は、本体業務への参加に関して凍結が最近解除されたが、それとは別に、医療、輸送、通信、補修、施設部隊といった特殊な技能ないしは設備を必要とする、高度の技術を要する分野でのPKOへの日本による貢献に対する期待があった。国連待機制度については、単に制度に参加すると言えばいいのではなくて、いろいろなレベルでの具体性を持った、何ができるかという意思の表明があるわけだが、いわゆるメモランダム・オブ・アンダースタンディングを国連で交すことによる具体的な参加があれば、国連側は助かる。もちろん最終的にはそういうものを国連に提供するかどうかは、具体的な事態によってそれぞれの国が改めて決定する。
 平和の定着、平和の構築については、いわゆる緊急人道援助と復興のためのやや中長期的な援助の間に、いわゆるギャップがあるかという点について、ギャップは存在しないという意見と、まだ存在するという意見の両方があった。但し、迅速な対応が必要であることは一様に強調しており、日本のアフガンにおける対応の仕方に関しては非常に高い評価がなされたが、特にUNDPは、コミュニティー・デベロップメントと、元兵士の市民社会への復帰と再雇用のために、日本がいわゆるクイック・インパクト・プロジェクトをつくって行動しているのは、まさにそのギャップを埋めていることの証左として評価していた。
 しかし、軍事的な行動と人道的な行動の区別は、現実の事態ではなかなか容易ではなく、軍隊と人道支援は協力する場合もあるし、人道支援は戦争が終結する前に行わなくてはいけない事態があるという指摘もあった。日本の場合よく足かせになる危険の問題、安全の問題について、なぜ危険なところへ出掛けるのかに関しては、そこでなされなくてはいけない仕事があるから行くのだという意見があった。しかし、危険なところに行くことについては、できるだけ安全を確保するための訓練をきちんとやっておく必要があるし、日本人も特に安全の意識を高くするのではなく、国連職員並みの安全ということに努力すべきである、また、公務員以外の場合は種々の補償措置を取る必要もあるという指摘があった。
 ドイツやイギリスのGTZやクラウンエージェントが目覚しい活躍を各地で行っているので、我が国でも似たようなものがつくれないだろうかという指摘もあった。
 戦争から平和への過渡期における隙間の問題、過渡期の問題については、国内制度の整備が要請されている。国連自体については、最近かなり制度が整備されて、政治・平和の部門と経済社会人道部門が統一された形で、事務総長特別代表がトップに立つ形になっている。経済社会部門は、人道部門と復興部門が統合されて、アフガン、東ティモール、シエラレオネ、アンゴラ、タジキスタン等において「インテグレーテッド・ミッション」が定着しつつある。国連本部においても、2つに分かれていた委員会制度が合同会議を持つ体制になってきている。
 NGOについては、例えばアメリカのワールド・ビジョンというNGOは、年額予算が10億ドル以上で、中規模の政府よりも大きな予算で動いている。しかも、米国政府からのODAの25%はNGOに出すことがシステム化されている。我が国でもNGOへの資金の出し方は研究に値するし、一つの方策としては欧米の本格的なNGOでの一時的な研修制度を日本のNGOに対して行うことも必要ではないか。また、安全の問題にも関連するが、非常時における訓練をきちんとすることも必要である。NGOと言っても、ボランティアだからということではなくて、NGOとして生活していけるだけの保障、またはステータスも必要ではないか。
 最後に、人材の育成がどんな活動を行う場合でも非常に大事であるという印象を受けた。邦人の国連による採用に関して日本は何十年も努力してきているが、国連本体に関しては実は邦人の数は増えていないが、UNICEFやUNDPその他では邦人職員の数は増えている。国連に勤めた職員、ないしはJICA、NGO、JPO、国連ボランティア、青年協力隊として出た人たちが更にキャリアアップするための制度的な整備というものが必要ではないか。また国内のいろいろな機関、官庁と国際機関との間の人事の交流についても、もっとやれば顔の見える日本、金や機材だけが一人歩きするような国際貢献ではなく、もっと幅広い貢献になるであろうという指摘があった。

(3)意見交換
○戦争のない状態、暴力のない状態は完全にはあり得ず、それを求めるといつも挫折感に付きまとわれるということになる。平和というのは、そういう状態を目指して常に努力している状態というふうにとらえるべきではないか。平和維持活動と平和創造を並行して平和を達成することを目指すが、冷戦中はほとんど成功せず、平和維持活動が何十年も続くことになった。
 監視・監督型と執行型の区別について、カンボジアは包括的機能の平和活動の典型であった。両者を区別するのは、UNTACの場合、自衛以外の武力を使わないという決断をしたが、執行型ではそれを認めるという点が区別になるのではないか。平和執行活動は多国籍軍に委ねざるを得ないとの考え方が国連関係者に多いが、国連のお墨付きを受けたとしても国連軍と多国籍軍とは歴然とした区別がある。

○大規模暴力のない状態をもう少し分けた方がいいのではないか。つまり、90年代は地域紛争が中心で、湾岸戦争を含めて地域紛争をどう解決するかということだった。9・11以降は、確かに地域はアフガンではあるが、世界ネットワーク型になってきている。暴力のネットワーク、テロのネットワークに対してどう対処するかというのが、90年代の地域紛争型と若干違うのではないか。
 日本にとって、国連を中心として、貿易立国、あるいは自由主義、民主主義、市場経済を守るというのが、90年代までは外交の基本理念としてあったが、湾岸戦争のときには、それを超えるところで多国籍軍に協力するかどうかが問題になった。しかし、あのときは結局国際社会から孤立しないためにお金だけを援助した。その後お金だけでいいのかという議論になってPKO、PKFということになってきた。今後は、例えばアメリカによるイラク攻撃があった場合、日本はどういう理念と国民的な合意をもって対応していくのかということが問われてくる。
 世界の平和、あるいは紛争の意味合いというものが変わってきた。それに対して、日本はどういう形で、どういう理念と哲学をもって協力していくのか国民的に理解しないと、大きな議論が忘れ去られてしまうのではないか。日本が新しい時代における国際平和に協力する、例えば五原則とか、十原則とか、そういうものを打ち出していくことも重要ではないか。

○90年代型の地域紛争から9・11型に切り替わったのではなく、9・11型が加わったということではないか。地域紛争も依然として重大である。その点で、冷戦が終わってから、世界を地域的に見て平和の状況が悪化したところ、変わらないところ、改善したところ、いろいろある。
 アジア太平洋地域は、そういう面では比較的昔からある朝鮮半島の問題や台湾海峡の問題を除けば、むしろ紛争の問題は改善した。戦後初めてインドシナ半島から銃声が消えるという歴史的な現象が起こった。地域の安全保障のフォーラムもできて、信頼醸成の意図で対話が進んでおり、冷戦後の世界において、アジア太平洋地域というのは非常にいい方向に向かっている地域である。日本の人材や資源は限界もあり、重点地域というのがあってよいのではないか。アジアの過去30年ぐらいを見ると、明日の生活がよりよくなる可能性をみんな感じ始めた状況で、生活面、経済面で大発展をし、人も資源も交流して、相互依存が多面的に進んでいる。その中で明日を考えるような空気が生まれて、状況が改善したのではないか。もしそういう要素があるとすれば、日本の対応も重点的な地域として成功した地域を生み出す気構えで、それがモデルになってほかの地域に教育効果があるということであればよいのではないか。

○我々が世界が平和になるためにはどうするか、そういう立場でものを考えていくためには、相互理解が必要。ベルリンの壁が崩壊し、東ヨーロッパがあのようになり、そしてソビエトも崩壊して東西冷戦が終結したことにも、情報の共有化が大きく影響した。そのためには、人的交流や文化交流を盛んにすることは当然。アジアは一つということではなく、政治体制、宗教、人種等様々な面で多様な国家群であるので、お互いの文化を理解し合う、そして思いやりの精神を持つことが必要。
 具体的な取組として、衛星放送、インターネットの時代にできるだけお互いの情報を交換するため、各国に呼びかけてアジアサットの衛星通信を使って毎日夕方6時に30分間ずつ12か国でニュース素材の交換をし、これを再編集してアジア各国やヨーロッパにも英語版で提供している。今後はデジタル技術など新しい技術を使った情報の交換を更に発展させていきたい。なお、まだまだ各国とも金がない、力がない、人材がいないということで12か国にとどまっているので、ODAの資金を活用してどういうことができるかということも考えている。
 放送の分野における人材の育成については、これまで世界各国の技術者、あるいは番組制作者を、これまで二千数百人を研究所に招いて研修をし、また我々もこれまで1,300 人ほど海外に派遣している。新しいデジタル技術も進展しており、また、番組の共同制作も進んでいるが、できるだけ異文化の対話、文明間の対話を具体的に推進していこうとしている。

○国内に存在する人材をどのように育成するか、リクルートするかも非常に大事だが、海外にいる人材の中で既に的確な人材もいるし、的確な人材となり得る高いポテンシャルを持った人材も非常に多い。人材のリクルートというときには、日本だけではなく世界全体を見て、その中にいる日本人も、また日本以外の国籍を持った人でもチームの一員になることも考慮した方がよい。日本の国籍以外の方については、日本の援助という意味でチームの一員ということもあるし、またそういう人たちの中では経験もあって、技術も専門性も高いトレーナーとして活躍できる人材が多いのではないか。そういう意味では日本人以外の人も人材育成というときに考えていくことが必要。
 世界各国の活動を参考にするだけではなく、もっと積極的にそういう機関、人材と一緒に活動することによって、連携した形で共同で人材育成をする。人材の確保も、そういうところと一緒になって、もっと積極的に世界を取り込んでいくというようなアプローチをしたら人材確保の可能性が広がるのではないか。その点では、国内と海外の両方の人材と組織をフルに活用し、また訓練の場、研修のための組織、人事交流もフルに生かすことが必要。JPOや青年海外協力隊を終えた人たちのキャリアアップは重要。他方、キャリアアップのためのハードルが少し高くて越えられない人が意外と多くいて、20代半ばから30代半ばで修士も持っていてある程度の経験があるが、そこのハードルが高いという人たちを支援して、後押しをすることによって、この人たちが少し高いハードルを越えられるようになると、国際平和協力のための人材が徐々に増えてくるのではないか。
 例えばほかの国籍のシニアの人とペアで行く、あるいは、日本人の中で経験を持った人たちとペアで行く、または、1人に2人のアシスタントを付けて、オン・ザ・ジョブ・トレーニングをする。そのようなチーム・アプローチでオン・ザ・ジョブ・トレーニングをすることも制度的な支援として考えられるのではないか。それに関して、国連機関とNGOとの連携・協力は、最近徐々に広がってはいるが、なかなか思うほどには広がっていない。そこで、国連機関とNGOとの間の触媒となる組織として、経験のあるNGOや財団のような半官半民のような組織が、両者をつないでキャパシティー・ビルディングをするという構想も考えられるのではないか。
 的確な人材は存在しているが、うまく活用されていない、効果的に需要と供給がマッチングされていないという面があるので、どうしたらキャップが狭まるかということも考える必要がある。
 日本の国際平和協力活動を考えるときに、日本がターゲット・エリア、ターゲット・グループに支援をする方法もあるが、違う形の協力もあるのではないか。具体的には、南南協力は日本は開発援助という形で推進しているので、日本政府又はNGOが触媒となって、南南協力、または三角協力という形での国際平和協力活動も可能性に入れて考えてもよいのではないか。

○カナダで行われたG8サミットの決定の中に、アフリカ大陸の主要な武力紛争を解決するアフリカの取組に対する支援がある。例えばガーナにあるコフィ・アナン国際平和訓練センターのような紛争予防及び平和支援の軍事的及び非軍事的側面についての地域的な研究施設の発展を通じて、アフリカの平和支援部隊を訓練するというのも一案。G8の個別の平和維持訓練イニシアチブ間の調整を改善するということもある。

○新しい時代の平和協力活動を日本が考えるときに、原則に戻って、国連と日本との関係、つまり、国連のPKOに参加する場合と、そのほかのタスクとの関わり方を日本では混乱してとらえているところがあり、国民から見たらわかりにくい。この際、きちんともう一度日本がどういうスタンスをとるのか踏まえ、見直す必要がある。
 その上で、国連の中で、例えば待機制度をどうするかというのは、当然人材を確保していないと、待機して要求があったときに応じられないので、これは人材の育成にも関わってくる。日本が国連と直接活動する部分と、そうではなく国際的な平和のために日本が活動する部分について、国民へのアカウンタビリティーができるようにすることが必要ではないか。

○国連とのマルチの協力、国連以外の多国籍軍的なマルチの協力、それ以外にも日米という同盟関係の中で、それぞれ役割分担をしながら、どういう形でマルチに貢献できるかという視点もあり得る。

○NGOの中で、地域を熟知していながら、同時に紛争にも関われるという才能を持っている人が最もふさわしいが、両者をしっかり持っている人というのは、数からいうと少ない。また、調査研究を中心とする東京本部における仕事も実は非常に重要で、最近はNGOはやっと勉強し始めた。ところがまだまだ絶対数が少ないのにもかかわらず、海外に散っている人もいて、十分国際的に動けるが日本に根がないという場合もある。国連でも、官僚的な中で、決して満足に生き生き仕事をしているわけではなく、日本をベースにしてフルに活動したいという気がありながら、できない場合もある。そういう一種の不満を持ち、なおかつ理想を持つ人たちを汲み上げる仕組みがあれば、数としてはこの25年間くらいの間にかなり育ってきているのではないか。

○基本的に、日本の治安情勢は、例えば犯罪が増えるとか、検挙率が下がる等悪くなっている傾向があり、警察にはそれほど余裕がなくなってきている。警察官というのは、犯人の逮捕や犯罪の鎮圧という物理的な抵抗が予想されている職場で働いており、危険はある程度覚悟しているが、これを国際的な場にまで広げるにはいくつか超えなければならない問題がある。
 警察の対外支援で少し光が見えてきているのがインドネシアに対するもの。シニアなアドバイザーを派遣しているが、軍による統治のうち警察のファンクションだけを切り離して、よりプロフェッショナルなものにしたいというはっきりした方針があり、それに対してアドバイスする。警察が政治的勢力に乱用されないための中立性や職務の独立性に関して、日本の公安委員会制度の経験を伝えることもできるし、ガン・コントロールとドラッグ・コントロールに基づく日本の治安の良さを伝えることもできる。5か年計画の支援として、現場鑑識などの技術や110 番の扱いなどを地道に教えていく。それはどこかパイロットの警察署を決めてやってみせて、それをインドネシアがいいと評価すれば自分で広げていくという着実なやり方である。インドネシアが選ばれたのは、身近なアジアで、まして東南アジアで重要かつシーレーン防衛などでも大事な国で役に立てるという意味で良かった。
 アフガニスタンに対する初年度2億5,000 万ドルの支援の中に、警察から車両の提供、あるいは無線通信機という具体的なことが出てきたが、車両というのはなかなか難しい。警察車両の典型的な輸送車について言えば、投石を予定してある程度の装甲をし金網を張ってある。しかし、アフガニスタンでは鉄砲の弾が飛んでくるので、あのような装甲ではだめである。
 交番については、ノウハウだけ教えるという話があったが、車両による移動交番もある中、交番の支援ができないのにどうして車両はできるのかという感じもあり、その辺の基準は明確な基準に基づいて変わっていいのではないか。透明性とフレキシビリティーの両方が必要。
 通信についても、危ないところでの通信で一番安全なのはインマルサットを使った通信だが、提供しても使用料が払い切れないだろう。マイクロ波を飛ばすということになると中継基地が要るが、中継基地というのは襲われる危険が高い。
 このように、警察分野での協力には光と陰の両方があるので、いいところは大いに伸ばしながら、陰の部分は地道に検討していかないとなかなか現場の警察官はついてこないと思う。

○アメリカによる国連への文民警察官の貢献は、定年退職した警察官をある企業が一手に引き受けて、国連の仕事に必要な研修をし、供給している。警察が現職の警察官を出す場合に問題があるとすれば、民営化やドイツのGTZのやり方などがあり得るのかどうか考えてはどうか。

○国際平和協力業務をどのような理念、どのような哲学でやるか、国民の理解のためにも、十原則か、もっと少ない原則かは別にして、しっかりと確立する必要がある。
 次に、国際平和協力業務については、政府の各省庁、警察、自衛隊、地方自治体、NGO、更に民間の諸団体、これらの相互協力は必須。紛争予防からピース・ビルディングに至る段階の中で、これらの諸団体がお互いにどのような役割を担い、どのような相互協力を行うべきか、具体的に整理する必要がある。
 第3に、迅速な国際平和協力業務への対応について、2つの問題がある。1つは、いわゆる安全と危険の定義で、そもそも危険の全くないところには行く必要が基本的にはないわけで、その中で安全をどのように確保するかということに対する日本における一般の感覚がやや違う点がある。もう1つ、手続上の問題として、例えば調査団を派遣し、実施計画をつくり、実施要領をつくって、それから準備して部隊を派遣する、あるいは人を派遣する、ある組織を派遣するということでは、恐らく日本のこれからの国際平和協力業務は常に後手後手になってしまうのではないか。この手続は、議会と行政府との間の関係ということが当然あるが、議会の了解を得て、大きな枠の範囲内では行政府の裁量に委ねるということはどうしても必要になるのではないか。

○平和をどう定義するかというのは難しい問題で、何かが「ない」状態というスタティックな定義と、もっとダイミックな定義があり得る。戦争がない状態や大規模武力がない状態には、人類がある以上は到達できないとすれば、そこに向かって絶えざる努力を続ける状態を平和だという考えは大変説得的だが、ダイナミックな動き方には、うまく行っている状態とだめになっている状態と両方あるので、スタティックな定義とダイナミックな定義の両方を組み合わせて、目標はある程度大規模暴力がない状態で、そこへ到達するために努力するというのが平和活動であるということだろう。
 平和執行について多国籍軍との関係をどう考えるか、安保理決議のないところに日本がどう関与すべきかというのは大きな問題。日本社会の中には、現にある国際連合の機構に対するある種の信仰のようなものがあって、国際連合という機構がよいと言えば、それは正当化されて、それがよいという結論に到達できなければそれは正しくないというような二分法があるような感じがする。実質的に言うと、国際社会の公共性にとって何をするのが正しいのかという判断は、国連がどう結論づけるかということと、とりあえずは別に考えるべき問題ではないか。果たして安保理決議があるかないかという二分法で割り切っていいのかどうかという問題がある。
 また、平和執行活動や多国籍軍への参加について、日本がそれに協力するかしないかという二者択一ではなくて、どういう形で協力するかというグラデーションがある。自衛隊のかなりの装備を持ったものが参加する、自衛隊の中でもそうではないものが参加する、あるいは自衛隊ではない組織が平和執行活動に後方支援で協力するという様々な形があり得る。
 アジア太平洋では依然として国家間戦争に関してはうまく行っていて、国家間戦争は今のところ起きていない。しかし、アジアの中でも大規模暴力が起きる、あるいは起きる可能性があるということを考えると、アジア太平洋も、それほど油断はできないし、日本としてもやれることはあるのではないか。
 NGOではないが、地域研究をやっている人は1か所に2年も3年もいるのが好きな人が多い。NGOにもそういうタイプの人がいるが、そのように育ってきた人たちに対して、いきなり紛争であっちへ飛び回れ、こっちへ飛び回れと言っても、人間の体質的に無理である。したがって、様々なタイプの人を組み合わせる努力が必要ではないか。
 文民警察については、一般的にどこの国でも警察というのは国内対策のためにリクルートされているので、それほどゆとりがあるはずはない。その面で大変な作業だと思う。ただ、現場の悩みを知らない立場で言うと、アフガニスタンのようなところは、国際社会が5年、10年腰を入れて、基本的なところから物事を変えていかないとうまくいかず、その場合に一番役に立つのが有能な文民警察だと思う。陰の部分を考えなければいけないが、地道に検討した上で指導部のリーダーシップも発揮していただけばと思う。

○日本国内に過度な国連信仰があるのも事実であるが、他方、余り国連にできないことを期待すべきではないという意見もある。その意味では、国連の平和維持活動と多国籍軍の間のバランスをきちんと取って考えるという思考に、我々もシフトすべきではないか。
 安保理決議による二分法が形式的であるという意見に賛成だが、安保理決議があるかどうか、オーソライゼーションが行われているかどうかは、国際法的に1つの分岐点である。コソボにおけるNATOの軍事行動は、当初の段階では安保理によるオーソライゼーションはなかったが、湾岸戦争においても、東ティモールにおける多国籍軍の行動でもオーソライゼーションがあった。その意味では、国際法上問題があるものには参加できないが、問題のないところには参加するという柔軟な態度が必要であろう。
 文民警察の役割が、90年代以来飛躍的に高まっている。その中で日本の警察が非常に優秀だという期待感が大きいことは事実。
 安全と危険の問題は、国民の理解が何よりも先に必要。この問題については、日本と国際社会との間で格差ができているということについて、きちんとした説得が、マスコミよっても、その他の機関によっても、政府のリーダーによってもなされるべきであり、この懇談会でも、国際的な緊急事態に日本としてどの程度スピードアップした対応ができるのかということをプラグマティックで冷静な観点から、知恵を絞っていくべき。