写真で振り返る「明治」の記憶

東京

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  • 皇居からの東京市街

    皇居からの東京市街 超高精細画像

    皇居から駿河台方面を望む。手前二列の堀は平川堀で竹橋門内と平川門内を結んでいた。右端に平川門橋が垣間見えている。松に隠れているが、左手の茶色の洋館が竹平町の文部省である。遠方には明治24年(1891)竣工のニコライ堂の雄姿が霞む。右の地平線、煙突の左にキリスト教青年館が建っている。コンドルの設計で、明治27年(1894)3月に竣工した建物である。よって明治30年(1897)頃の撮影と察せられる。

    撮影年代:
    明治中期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 東京の町並み

    東京の町並み 超高精細画像

    愛宕山(現愛宕トンネルの上あたり)から汐留方面を望む。地平線の緑が浜離宮。その手前、左右に広がる屋根(車庫)は、東京馬車鉄道会社であろう。中央を奥に伸びる道は秋田小路と呼ばれた。秋田小路が突き当たる右手前に大きめの屋根がある。東京慈恵会医院と思われる。画面手前、人影の間に見えるのは上水井戸である。上水は地下に敷設された木樋により配水された。幻灯用のガラス・スライド写真で明治30年代前半の撮影。

    撮影年代:
    明治中期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 霞ヶ関海軍省と大審院

    霞ヶ関海軍省と大審院 超高精細画像

    豪壮な煉瓦造りの建物は、手前より海軍省・大審院・司法省。明治政府は、諸官庁を霞ヶ関に集中させ、西洋式の官庁街を造ろうとした。工事半ばで、計画立案の井上馨が失脚、司法省と大審院を設計したエンデとベックマンは日本を去るが、司法省は明治28年(1895)12月、大審院は明治29年(1896)10月に竣工する。手前の海軍省はコンドルの設計で明治27年(1894)12月に竣工。この一画は道路も広く他とは異質の空間となった。

    撮影年代:
    明治中期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 第一国立銀行と海運橋

    第一国立銀行と海運橋 超高精細画像

    第一国立銀行は明治6年(1873)7月20日に開業した。木骨石張りの建物で、壁は漆喰、瓦・柱・手摺はブロンズという豪華版であった。場所は兜町1番地で、手前の川は楓川、橋は海運橋である。海運橋は明治8年(1875)6月に木橋から石橋に改架されているから、それ以降の撮影である。第一国立銀行は惜しまれながら明治30年に取り壊された。楓川も戦後埋め立てられ、今は川の跡を首都高速道路が走る。

    撮影年代:
    明治初期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 初代帝国ホテル

    初代帝国ホテル 超高精細画像

    井上馨外務卿の提唱により渋沢栄一、大倉喜八郎、益田孝らの協力により鹿鳴館に隣接して建てられた。渡辺譲設計のネオ・ルネッサンス式の建物で明治23年(1890)11月3日に開業。現在と同じ場所であるが、今のように西の日比谷通り側が正面でなく北側が正面だった。手前の堀は、日比谷見附と山下見附を結ぶ堀で、明治32年(1899)日比谷門付近の区画整理に伴い埋め立てられた。写真の建物は大正11年(1922)4月16日に全焼。大正12年(1923)9月1日にフランク・ロイド・ライト設計の2代目ホテル通称「ライト館」が誕生する。

    撮影年代:
    明治中期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 築地居留地

    築地居留地 超高精細画像

    安政5年(1858)江戸幕府により日米通商条約が結ばれ江戸開市が決められたが、実行は明治政府になってからの明治元年(1868)11月19日であった。以後明治32年(1899)7月まで、築地鉄砲洲(明石町)は治外法権の外国人居留地となった。右手前の建物は指紋の研究で有名なヘンリー・フォールズの居宅。左手前の建物は東京一致神学校(明治学院大学の前身)。この付近はミッションスクールの発祥地と言われる。

    撮影年代:
    明治初期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 銀座通り

    銀座通り 超高精細画像

    新橋より銀座通りを望む。手前が新橋川(汐留川)に架かる木橋時代の新橋である。明治32年(1899)4月に鉄橋に改められる前である。新橋から日本橋まで鉄道馬車が開通するのは、明治15年(1882)6月25日だから、それ以降の撮影となる。右側の建物に「宮内省御用 日本麦酒株式会社」と読める看板が懸かっている。この店は、明治32年(1899)8月4日、日本最初のビアホールである「恵比寿ビアホール」を開店する。

    撮影年代:
    明治中期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 浅草十二階凌雲閣

    浅草十二階凌雲閣 超高精細画像

    大池越しに見た凌雲閣(俗称十二階)。凌雲閣は現在の浅草2丁目にイギリス人バルトンの設計で建てられた。正式には浅草公園外である。明治21年(1888)1月に着工し、10月に落成、11月11日に開業となった。八角形の高塔で、10階までは煉瓦造り、11~12階は木造だった。日本初のエレベーターが8階まで設置されたことでも驚嘆された。鹿鳴館が貴族の代表的建築とするなら、凌雲閣は庶民を代表する建物であった。

    撮影年代:
    明治中期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 浅草仲見世

    浅草仲見世 超高精細画像

    仲見世入口付近から仁王門(現宝蔵門)に向かって撮影。左は浅草名物の紅梅焼を売る「梅林堂」。手前の塔は明治29年(1896)に完成した共栄館勧工場の時計塔。大瀧勝三郎が明治27年(1894)に開業。奥の塔は梅園勧工場。お汁粉の「梅園」二代目店主清水文蔵が明治25年(1892)に新築。勧工場は百貨店の元祖のようなものである。塔内部にはゼンマイ仕掛けの人形やパノラマ絵などを展示して客を呼んだ。

    撮影年代:
    明治中期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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  • 新富座

    新富座 超高精細画像

    新富町はもと近江膳所藩本多家の屋敷などの武家地であった。明治5年(1872)に浅草猿楽町から守田勘弥率いる守田座が移転してきた。明治8年(1875)9月に新富座と改称。守田座として建てられた劇場は明治9年(1876)に焼失した。明治11年(1878)に新築されたのが本写真の新富座である。内部に初めてガス灯を用いた近代的設備を誇り、表櫓や吊看板を廃止して、写真で見るとおり、すっきりした劇場となった。

    撮影年代:
    明治初期
    出典元:
    長崎大学付属図書館
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