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裁判員制度・刑事検討会(第13回) 議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり

1 日時
平成15年3月11日(火)13:30〜17:10

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
池田修、井上正仁、大出良知、酒巻匡、四宮啓、井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局)
大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 配布資料
資料1 裁判員制度について

6 議事

 配布資料1「裁判員制度について」(以下「たたき台」という。)に沿って、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入について議論が行われた。
 議論の概要は以下のとおりである。

(1) 裁判官と裁判員の人数
 たたき台の「1(1)裁判官と裁判員の人数」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

ア 合議体の構成について(たたき台1(1)アの関係)

(ア) 裁判官の員数について

・ 裁判官の人数は3人よりも少なくてよい。裁判官は、原則として、ベテランの判事1人で足りるのではないか。裁判員制度の趣旨は、専門家である裁判官の知識・経験と国民の健全な社会常識とを裁判に反映させることであり、知識と経験という観点から、ベテランの裁判官が最もふさわしい。裁判官としての知識・経験は、裁判官によって様々ということにはならないだろうから、3人である必要はない。裁判員制度の対象とならない法定合議事件が職業裁判官3人で審理されるのに、より重い裁判員事件で職業裁判官の人数が減るのはバランスを失するという意見があるが、法律問題の複雑さと罪の軽重とが比例するとは限らず、単独事件でも難しい法律問題が含まれる事件はある上、法律問題については上級審での見直しも可能であるから、職業裁判官3人を維持する理由とはならない。ただ、専ら訴訟指揮に当たる者と、裁判官としての知識・経験に基づいた意見を述べる者とを分けて、職業裁判官を2人とすることはあり得るだろう。

・ 現状の合議事件のとおり、裁判官の人数は3人が適当である。裁判員制度の趣旨は、法律家である裁判官の知識・経験と非法律家である裁判員の知識・経験とを合わせてより良い裁判を実現することにあり、裁判官を減らす理由とはならない。単独事件であっても、法律問題が複雑であれば裁定合議事件となるし、違憲立法審査が問題となる事件もあるのだから、法律家1人のみの裁判体で審理することになるのは適当でない。

・ 現在の法定合議事件どおり、裁判官3人を維持すべきである。職業裁判官の数を減らしても良いという考えは、職業裁判官と無作為に一般国民から抽出される裁判員とが、裁判をするという点では交換可能であるという発想によるものと思われる。しかし、改革審意見書の趣旨は、裁判官と裁判員を同質で交換可能なものとは考えておらず、従来の職業裁判官からなる裁判体に社会常識を有する一般国民を加えることで、新たな裁判体を構成しようというものである。この趣旨を踏まえると、現在、重大事件は、職業裁判官3人で裁判する制度を採っているのであるから、そこを維持した上で、新たに一般国民を加える構造とすべきであろう。

・ 現状の裁判官による合議を所与の前提として、職業裁判官3人の裁判体に裁判員を加えるという発想をとる必要はないだろう。国民が主体となり自律的に責任を持って裁判を担うことを基本にして、そのために職業裁判官がどのような貢献をできるかという発想で、必要な裁判官の数を考えれば、裁判官3人は必要ないのではないか。

・ 裁判官は3人が適当である。事実認定は裁判官と裁判員とが協働することになるが、法律解釈や手続進行はこれまでどおり裁判官が担当するのであり、純粋に職業裁判官が担当する部分について、人数を減らす理由はない。逆に、法律問題等の判断が1人の裁判官のみに委ねられるのは、制度として不安定となり、システムとしてのマイナス面が大きい。また、法律問題の難易度と罪の軽重とは直接的には関連しないとしても、法の解釈や手続の進行が適切に行われなかった場合に重大な結果につながるという意味で、法定刑の重さと裁判官の数の問題とはやはり連動している。また、改革審意見書は、裁判官と裁判員の協働を基本としているが、協働というからには、両者の立場が対等であるとともに、人数もあまり懸絶がないことが必要と思われ、裁判官の人数が少なくなると、裁判員の人数も減らさなくてはならず適当でない。さらに、裁判官による裁判を基本的に保障する憲法との適合性の観点からも、裁判官と裁判員の数のバランスを考える必要があり、裁判官1人では少なすぎるだろう。

・ 裁判官3人というのもあり得る考えだが、3人にする必要がないという考えにも理由がある。裁判官の数を3人とする意見は、現在の合議制を前提としているようだが、裁判員を加えた新たな裁判体を考えるに当たり、現行制度を前提とする必要はない。現に、多くの事件は単独事件として処理されているが、それにより法解釈等の安定性が損なわれることにはなっていない。裁判官の人数は、制度が全体として合理的に機能するための人数という観点から考え直すべきであり、訴訟指揮を担当する者と法律家として専門的意見を述べる者の2人は必要だとしても、それを越えて3人の裁判官が必要であることの根拠は明確でない。裁判官は2人とすることが好ましい。

・ 現行の裁判制度が、裁判官の単独での審理を原則とする一方で、重大事件については3人の裁判官で審理することとしている理由を考えるべきである。重大事件につき新たに一般国民から選ばれた裁判員を加えて裁判体を構成するに当たり、裁判官の数を減らすことができるという主張は、裁判官と裁判員が完全に代替可能であるという前提に立たなければ論理的に成立しないのではないか。しかし、改革審意見書が描く裁判員制度は、両者を代替可能とは捉えておらず、裁判官を減らすことは適当でない。

・ トータルな意味で健全な社会常識を反映した裁判体として判断できるかどうかが問題なのであり、プロが1人欠けるかどうかという問題ではないだろう。

・ 裁判官の数は3人が適当である。裁判員制度の導入の趣旨は、現在の職業裁判官による刑事裁判が正常に機能していることを前提にして、非法律家である裁判員を加えることにより、国民の司法に対する理解・支持を深め、刑事司法がより強固な国民的基盤を得られるというものである。これを前提に考えると、現在3人の裁判官で行われている法定合議の構成を否定する理由はないだろう。仮に、対象事件が法定合議事件よりも絞られた場合、より重い裁判員対象事件の裁判官の数をより軽い事件の裁判官の人数よりも少なくする理由は見出し難い。裁判員制度の導入の趣旨は、裁判員を裁判体に新たに加えることであり、また、法律解釈や訴訟手続上の判断は引き続き裁判官だけで行うのであるから、裁判官を減らす理由はないだろう。裁判員制度の趣旨として、国民が主体となって司法を担い、それを裁判官が助けるというものだという意見があったが、司法制度改革審議会意見のいう「主体的・実質的関与」とはそのような趣旨ではなく、個々の裁判員が責任を持って審理・裁判に実質的に関与することをいうものであり、そのことは、裁判官と基本的に対等の権限を有し、質問権等を有するということで確保されるものである。

・ 重い事件について職業裁判官の数が減って、それよりも軽い事件で職業裁判官が多くなるのは本末転倒である。裁判体の充実は、まず職業裁判官の数を目安として、次に裁判員の数で決めるのが筋であり、職業裁判官が3人という原則は崩すべきでない。

・ 現状を基準にして裁判官の増減を検討するのは適当でなく、新たに国民が加わる刑事裁判のかたちはどうあるべきかを考えるのが筋だろう。裁判官3人という制度もあり得ると思う。しかし、違憲立法審査や難しい法律判断が必要になる事件を考慮すると、裁判官を1人とするのは無理があるものの、裁判官2人ならば有り得るのではないか。裁判官が2人いれば、法律判断についての複眼的な思考も、訴訟の円滑な進行も確保できるだろう。裁判官が2人であろうが、3人であろうが、全体としての裁判体の構成で考えるべきである。

・ 手続進行や法律解釈の正確性・効率性を重視すべきであり、現行制度どおり3人が適当である。

・ 裁判員が新たな制度を担うに当たり、職業裁判官がどのように関わるべきかを議論すべきではないか。また、重大事件の方が裁判官が少なくなるのはおかしいという意見があるが、重大事件に限って陪審制度を採っている国もある。重大事件を裁判官が中心的に担っていかなければならないことはないのではないか。

・ トータルな意味で、裁判員が実質的・主体的に関与して裁判体として機能することが重要だろう。

(イ) 裁判員の員数について

・ 裁判体が余り大きくなると、「評議の実効性の確保」と「裁判員が主体的・実質的に評議に関与する」という意見書の要請を満たすことが困難になるので、裁判体全体の規模はコンパクトなものにすべきである。証拠を評価して事実認定をするためには濃密な議論が必要であるが、余りに大きな人数では緊密な議論が困難となる。また、個々の裁判員が主体的・実質的に関与することが求められているのであり、裁判員がグループとして影響力を持つことが求められているのではない。裁判員の人数は、裁判官と同数程度が望ましい。

・ 「国民的基盤の確立」という意見書の思想を踏まえ、国民が裁判制度を担っていることが法制上も分かる制度にすべきであり、裁判員の数は相当に多数とすべきである。無作為に抽出される裁判員が少人数となれば、意見の偏りが避けられないから、グループ内で偏りを是正するためにも一定数を確保する必要がある。無作為抽出の国民参加制度の前例として、検察審査会制度があり、同制度の11人という人数が参考となる。また、国民の声に耳を傾けるべきであるが、新聞報道された有識者の意見や事務局の意見募集に寄せられた多くの意見も、裁判員を多数とすることを求めている。したがって、裁判員の人数は、B案を軸に検討すべきである。

・ 裁判員の人数は多い方がいい。裁判員が多くては評議が困難になると主張されるが、具体的・実証的な証明はなされていない。先日、模擬裁判を実施し、裁判官3人に対して裁判員4人の合議体と裁判員10人の合議体とを設けたところ、どちらも充実した評議が行われた。結果の詳細については後日報告させてもらうが、事務局としても、このように実証的な研究を実施すべきではないか。

・ 無作為抽出制度であるから裁判員の人数を多くすべきということにはならない。人数は別の観点から決せられるべきことだろう。また、実際の事件は、模擬裁判のように論点が単純化されたものばかりではなく、例えば、状況証拠による事実認定が必要な事件のように、多数の論点のある事件もある。有罪・無罪の決定をするに当たっては十分な検討が行われないと裁判の名に値しないのであり、裁判官と裁判員とが知識と経験に基づいた実質的な議論を行う必要がある。複雑な事件について実質的な議論を行うためには、裁判員を多数とすることは困難であり、裁判官と同程度くらいの人数とするのが適当である。さらに、裁判員制度の導入に当たっては、判決に不服がある者の上訴権を確保し、判決理由の当否を上訴審で争うことを認めるのであるから、結論だけでなく十分な判決理由を示す必要があるが、それだけの実質のある裁判をするためには、裁判員の人数を少なくしないと難しいだろう。

・ 裁判員を加える趣旨は、司法と国民との乖離を解消することであり、裁判官が裁判員に納得のいく説明をすることにより、分かりやすい裁判が実現することになることが重要である。したがって、裁判員の数をはあまり多くする必要はないが、裁判員が意見を述べやすい環境を整えておくことは大事であり、裁判員が裁判官より少ないと意見を述べにくいかもしれないので、裁判官と同じか少し多いくらいの、3人か4人程度が相当である。

・ 裁判員制度は、今回の司法制度改革の大きな柱の一つであり、是非とも成功させなくてはいけない。したがって、裁判員制度の導入に当たっては、現実に動く制度とすることが肝要である。現に検察審査会制度については、審査員確保の困難が大きな問題となっているのであり、裁判員制度においても、裁判員が集まらないために法廷が開けないというようなことになれば、この制度は崩壊し、二度と日の目を見ることはなくなろう。検察審査会よりも負担の大きい裁判員制度を設計するに当たっては、こうした点を無視してはならず、実際に動く制度を考える必要がある。他方で、制度導入の趣旨、国民の健全な社会常識の反映をするということを考えると、裁判員は裁判官と同数程度とするのが適当ではないか。

・ 裁判員は無作為抽出された者から選任されることとなるが、無作為抽出には、偏った意見の人も選ばれ得るというマイナス面もある。そうすると、偏った意見は除かれるような制度とすることが必要となるが、裁判員が少なすぎると、偏った意見の人が紛れ込んだときに、それを排除することが困難であるので問題である。両極端を排して国民の健全な常識を反映させるためには、少なくとも5人は必要だろう。しかし、裁判員が5人の場合、裁判官が3人であると合計人数が偶数になり、過半数による評決に適しないので、1人足して6人とするのが妥当ではないか。

・ 裁判員は5人が相当である。裁判に民意を反映することの意義を否定するものではないが、裁判の本質は民意の反映にあるのではなく、実体的真実を発見することにある。正しく事実認定が行われて実体的真実が発見されることが大前提であり、その上で民意の反映を考えるべきである。事実認定が正しく行われるには、証拠に基づく議論が濃密に行われなくてはならない。そして、その議論は、お互いに説得を試みるためのものであり、いやいや参加している人も含めて、集中力を要する詰めた議論がなされなければならないが、このような作業は多人数では到底不可能である。国民の多種多様な意見を反映させるために裁判員を多数にすべきという意見があるが、「この事実があるかないか」という事実認定の議論に多種多様な意見が入り込む余地はなく、論拠とはならない。また、裁判員が裁判官よりも多くないと意見が言えないという主張があるが、人数が多くなければ意見を言えない国民を想定したのではそもそも裁判員制度は成立しない。ただ、ある事実認定をするに当たり、ある経験を有していれば正しく判断できるということはあり得るので、多くの人数は必要ないとしても、そのような有用な経験を有している人が入っている可能性があるという意味で、ある程度の人数は必要となる。また、法律家は説得のプロであり、相手を説得する能力について裁判官と裁判員とは対等でないので、仮に裁判官と裁判員の意見が分かれた場合に、裁判官にハンデを課す必要があると思われ、2人説得しないといけないハンデを課すこととして、裁判員は5人とするのが適当ではないか。

・ 裁判員制度により、裁判に国民の健全な常識が導入されることへの期待は大きいが、だからといって、裁判員の人数が多ければいいということにはならないだろう。民意の反映を考慮するとしても、2人を10人に増やす程度のことで本質的な違いが生じるかは疑問である。意見書が対等な権限で協働といっていることからすれば、基本的には同数とすべきではないか。また、評議の実効性を確保するという観点からは、全体で5人から6人程度が適当であり、多数決のために全体は奇数が望ましいことからすれば、2人ということになるのではないか。

・ 裁判員が少人数であるときに偏った意見が入り込むことへの懸念が示されたが、その点は、忌避制度、除斥制度などで対処すべき問題であろう。また、裁判員と裁判官の意見が分かれる場合を想定した意見があったが、裁判員と裁判官とが事実認定と証拠の評価について同等の能力を有するという前提に立てば、両者の意見が別れることを前提として議論するのは適当ではないのではないか。

・ 10人程度の集団は、社会心理学上は、小規模集団に分類されている。また、少人数でないと充実した議論ができないという意見があるが、アメリカの判例では、少人数の集団の方が議論が深まらないと言っているものもある。諸外国の制度を見ても、無作為抽出の場合は、最低でも6人となっている。自分の意見としては、裁判員の人数は11人がよいと思うが、6人という数字にも重みがあるように感じる。

・ アメリカの判例は、同国特有の社会構成等の下での陪審制についてのものであり、その意味合いの理解については色々な見方があり得るだろう。また、諸外国の制度のうち陪審の場合、2〜3人だけで構成されるということは考えられず、また無作為抽出によるのが普通であるが、いずれも陪審であることからくるものであり、無作為抽出だから人数が多くなっているという推論の根拠とするのはミスリーディングではないか。

・ 検察審査会も、陪審制も、国民のみで議論をする制度であり、裁判員制度における裁判員の人数を考える場合の参考にはならない。

イ 補充裁判員について(たたき台1(1)イの関係)

・ 審判に2日以上要すると見込まれる事件では、念のため、必ず補充裁判員をおくこととすべきである。

・ 事件の性質によるだろう。裁判官が、準備手続における当事者との打ち合わせを踏まえて、個々の事件ごとに、補充裁判をおくことの当否と、おくとした場合の人数を決めればよいのではないか。

・ 補充裁判員の必要性を否定するものではないが、むやみにおくと、本来の裁判員が無責任になるおそれがある。長期間を要するおそれなど、日数を基準として、あくまでも例外的な制度と位置付けるべきである。人数は、裁判員5人を前提とすれば3人くらいが適当ではないか。

・ 基準となる期間や必要な人数は、実際に制度が動いてからでないと分からないだろう。制度としては、たたき台程度とし、運用を見ながら決めていくしかないのではないか。

・ 補充裁判員は例外的に認めるべきもので、最初から裁判員が欠けることを前提とするのは本末転倒ではないか。あまり安易におくべきではないだろう。

・ 補充裁判員の制度は不可欠であるが、必要な人数や基準となる期間は制度が動いてみないと分からないところがある。むやみに最初からおくと、補充裁判員にも負担がかかるので適当でないが、裁判員が欠けることにより審理をやり直す事態は避けなければならない。主として期間が基準になると思われ、長期間を要すると見込まれる事件でおくこととし、予想される審理期間に応じて人数を決めるべきだろう。

ウ その他

・ 裁判員の性別に関し、男性のみ、あるいは女性のみで合議体を構成してはならないという制度にすべきではないか。

(2) 次回以降の予定
 次回(3月25日)は、引き続き、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入に関する検討を行う予定である。

(以上)