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法曹養成検討会(第4回)議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成14年2月19日(火)14:00〜17:00

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第一会議室

3 出席者
(委 員)
田中成明座長、井上正仁、今田幸子、加藤新太郎、川野辺充子、川端和治、木村孟、ダニエル・フット、永井和之、牧野和夫、諸石光熙(敬称略)
(事務局)
山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、松川忠晴事務局次長、片岡弘参事官

4 議題
(1) 各委員の意見発表
(2) 司法試験の在り方について
(3) 第三者評価(適格認定)の在り方について

5 配布資料
・資料 法曹養成検討会(第3回)議事概要
・各委員の意見書

6 議事
(□:座長、○:委員、●:事務局)

□ 第4回の「法曹養成検討会」を開催させていただきたいと思います。
 まず最初に事務局から本日の配布資料の確認をお願いいたします。

● それでは、本日の配布資料の確認をお願いいたします。
 本日の配布資料は、第3回法曹養成検討会の議事概要でございます。
 また、各委員から提出されました意見をお配りしてございます。

(1) 各委員の意見発表

□ それでは、議事に入りたいと思います。今日は、前回御了解いただきましたように、まず各委員から5分程度で第三者評価(適格認定)基準の在り方と司法試験の在り方につきまして、全般的な意見を述べていただいて、その後それぞれについて意見交換を行いたいと思います。
 それでは、お願いできますでしょうか。

○ それでは、意見の内容につきましては、レジュメ(意見1)を御参照いただきまして、私が思いましたことは、今、決められることはできるだけ決めたらいいけれども、現在決め難いことについては、できるだけ自由度を残した制度設計にしたいということ、これまでの大学教育が、一方通行であったり、あるいは司法試験が学内外の浪人に支えられていたとか、予備校化していたとか、そういうことをどうやって防ぐかという枠組みをできるだけ織り込みたい、そういう観点から意見をまとめております。
 まず「法科大学院について」の一番目の「教育科目・内容」でありますが、公法系、民事系、刑事系の3つでいこうということは、ほぼ皆様の御意見かと思います。裁判法曹でなければ、刑事系を除くということもあり得るのではないかということも申しましたけれども、これは基礎教育として必要だということです。
 その3つ以外に、選択必修をつくりたい。それも、できれば2系列と思ったんですが、それはなかなか難しいということで、1系列、その1系列の中に1つないし2つの法領域を含む、ここに例示しておりますように、知的財産法だとか、あるいは国際取引だとか、企業法務だとか、そういう法律単位、あるいは事象横断的、そういう科目をつくって、それを各法科大学院が全部をカバーするということはできないはずですから、幾つかの選択科目を用意して、それによってその法科大学院の特徴をつくるし、学生の方もそれを目指してそこに行く、そういうような仕組みにしたいと思います。
 授業の第1年次が一番大事だということでしたけれども、この3年制、2年制混在という場合には、第1年次はやはり普通の基礎教育にして、第2年次というのが、いわゆるロースクールの1年目に当たるようなものになるのかと。それで、3年次が仕上げの時期という位置づけかと思っております。
 知識習得型でなく論理的思考能力養成型、そして問題点発見型にしてほしいということでございます。
 第三者評価機関が、これは一種の国家権力の行使の出先になるということだと思いますが、例えば大学評価・学位授与機構を改組したようなものに委託をして、それが審査をすると、設立時だけでなくて、ずっと継続的に内容に立ち入って審査をする、それも設備が整っているかというだけではなくて、その付けている点数、合否が正確かどうかということをチェックができる体制にしたい。
 それから、入学者枠というのが、他大学だとか他学部だとか社会人だとか、これは望ましいと思いますが、現時点でそれを決めることは難しいのではないかということで、後へ送ってはいかがかと。
 定員につきまして、当然アメリカのロースクールだったら、大体卒業者が3分の1と聞きますけれども、定員は1年より2年、2年より3年と少なくなる、台形型の定員であって当然ではないか。さらに、学内浪人というのを防ぐためには、留年者がいれば、それだけ新人を採れないという制度にして、定員オーバーを厳に防ぎたいと思っております。
 実務家教員ということは、これは各弁護士会それぞれ協力体制を非常に努力してつくりつつありますが、裁判所、検察庁がいかにして現職の裁判官、検察官を、これはパートタイムだと思いますが、そういうのを派遣する体制を是非つくっていただくということが必要だろうと思っております。
 経済的支援制度ですが、法科大学院というのは経営的には非常に成り立ちにくい。この法曹養成というのが、もともと大きな司法ということを目指して、国家的にこれに取り組もうという大きな施策の一環である以上、そういう経済的なバックアップというのも、従来の延長線上でない、思い切ったものにしていただきたい。
 それから、学生に対して奨学金を是非、生活費と学資が出るぐらいの奨学金を出してほしいということでございます。
 あとは試験の科目で、3系統以外に選択必修の中から1科目を選んでほしいということ、それから司法研修所の修習は、やはり法科大学院との重複を避けようと思うと、実務修習にオリエンテーションを加えた、一年程度のもので適当ではないか。
 以上でございます。

□ ありがとうございました。それでは、次お願いいたします。

○ 私の方は、レジュメ(意見2)に沿いまして、お話をさせていただきたいと思います。最初に、やはり法科大学院、せっかく日本でつくるわけですが、これは現実と理想の間のどこに置くかということが議論されておりますけれども、できるだけ理想に近い形でつくっていただきたいと思っております。せっかくつくる以上、世界に自慢できるような立派なものをつくりたいというふうに思っております。
 もう一つは、企業サイドのニーズが今回非常に多いということで、法曹増員のそもそもの背景というのは、企業ニーズ、法廷で活動する法曹だけではなく、企業の内部、それ以外の組織で活躍される、あるいはそれ以外の分野で、法的な知識を持って活躍される人を養成するという面も非常に重要だと思います。そういった観点で、事務局の論点に沿いまして、まず第三者評価の方からお話しさせていただきたいと思います。
 まず、入学者の選抜の適性試験でございますが、これは理系の出身者が少ないことが、知的財産に強い法曹が不足している背景ではないかというふうに考えておりますので、理系の出身者ができるだけ合格しやすい形で考えていただければと思います。ですから、適性試験に数的な処理の事例を含むですとか、あるいは理数系の科目の追加を検討していただくということも考えていただければと思います。
 在学期間でございますが、これは特に期間の短縮、3年から2年のところでございますけれども、これは法科大学院1年次終了と同一の範囲、同一の難易度の試験に合格した者にのみ認めるべきであると、原則は、法学部既卒者というふうに考えております。
 次の教育課程プログラムでございますが、ここでちょっと強調しておきたいのが、先ほどの委員の方からも御意見がございましたけれども、まず司法試験の科目をどうするかという点があると思いますが、これは先ほどの委員と同じように、公法系、民事系、刑事系、それから必修選択科目、この4つというふうに私も考えております。
 選択必修科目をどういう中身にするかということなんですが、やはり産業界からのニーズが非常に高い科目であります、知的財産権法を核として、是非御検討いただければと思います。今、日本の経済は低迷しておりますけれども、一つの大きな理由というのが、知的財産の専門家が、法曹界だけに限らないんですが、少ないということがございますので、やはりこの点国家戦略の観点からしましても、これを軸に御検討いただければと思います。
 あとこれに関連して、ビジネス関連の法律、企業のニーズを満たすような選択科目と言いますか、そういったものを中心にお考えいただければと思います。
 私の参考資料は一つのアイデアとして御活用いただければと思いますが、ビジネス法ということで、企業法務関係の科目を全部くくっていらっしゃるんですが、私はもっとそれより広く、ここにも書いてございますが、行政法関連、消費者保護法関連、こういったものも含めて、もうちょっと広く必修・選択を考えていただければと思います。
 教育方法でございますが、これは現在の司法研修所、あるいはアメリカのロースクールの講義・演習授業の教育方法を参考にしまして、1クラスの人数でございますが、講義の場合は50名ぐらいが妥当かなというふうに思います。
 あと修了要件のところでございますが、これは必修選択の部分でございますが、卒業単位数の4分の1程度をそれに充ててはどうかと思います。これは、司法試験が4科目であることに従いまして、4分の1ぐらいが相当であると思います。
 それから「新司法試験についての意見書」でございますが、後でごらんいただければおわかりいただけると思うんですが、必修選択の部分、これは4科目ということで、知的財産を核に御検討いただければと思います。あとはお読みいただければと思います。
 以上でございます。

□ どうもありがとうございました。
 こういう形で、時間を制約すると、皆さんの御意見が評価基準の方だけになって、司法試験の方について全然御説明いただけない恐れがありますので、その辺りは報告される委員の方々で、御配慮いただきたいと思います。どちらからでも結構でございますので、では次お願いいたします。

○ 私の意見(意見4)の1ページの、まず第三者評価基準、この一般的意見としては、評価基準というものは、やはり各法科大学院の独自の特徴を、ある意味では生かすために、1つの項目ごとで評価するんではなくて、いろいろな評価基準項目が一つのシステム全体として働くようにということを心掛けてほしいということが、1番の大きなポイントであります。
 飛ばしまして、在籍者と収容定員、これは実際に今日入試の合否判定をしてきたんですけれども、「歩留り」というのは、非常に当たるも八卦、当たらぬも八卦で、しかも最初のうちは多分勝敗率もわからないし、いろいろな見込みがつかないで合否判定を行いますので、この辺りは数年経って評価するようにしていただきたいというのが意見であります。
 2ページにいきますと、入学者選抜、これは法科大学院の特色ある教育を保証するということならば、その入試もそれぞれどういう教育をするかということに応じた入試の多様性を認めることを保証すべきではないか、例えば、社会人のみを取るというところもあってもいいし、英語などの外国語のみで選抜するところも、あってもよいではないかという形で、ここも自由をかなり認めてほしいと。
 そういった意味で、多様性というところでも、特色ある教育を保証するということで、多様な法曹が輩出できるようにすればいいわけであって、それ以上の多様性というのはないのではないかと思っています。もしこれを基準として設ける場合は、例えば法学部出身だとか、社会人といったものの定義規定がかなり明確にならないと、混乱のもとになるのではないかと思っております。
 在学期間のところでありますけれども、ここでは3年制を原則として2年制を例外という場合に、2年制といっても、ここでは1年を丸々単位免除にするというようなシステムばかりではなしに、個々の科目ごとに免除するというものがあってもいいのではないかと、例えば、民事系だけは免除しますよとか、刑事系だけは免除しますよとか、そういう形で必ずしも3年、2年ときれいに分かれるわけではなしに、短縮型にもいろいろなパターンがあるということを認めていただきたいと思っております。
 あとは飛ばしまして、新司法試験の方に行きます。
 まず、1ページの試験科目等について、私はカリフォルニア州等の試験方法がいいのではないかと思ったのですが、というのは試験科目の範囲は法科大学院で一般的に教える範囲としておきながら、実際に出す問題は6問ぐらいに絞って、そこにはいろいろな組み合わせの融合問題があってもいいのではないかというふうに考えております。
 そういった場合に、試験委員をある程度予備役的に常に抱えておいて、各年度ごとに召集して、現実の試験委員が決まるという形で、それは試験委員のメンバーを見て、科目がわかるという問題が出てくるので、ある意味では具体的年度の試験委員は公表しないという形でも対応できるのではないかと思っていたのですが、ただそうすると科目の範囲が広過ぎるという批判もあるかと思いますけれども、それは法科大学院である程度勉強していることから出るのであって、具体的な試験勉強のための科目を明示する必要はないのではないかと思いますので、広くてもいいのではないかと思っております。
 2ページの試験方法ですが、いろいろな組合せの問題、融合問題が出るということになると、論文試験を1人の専門の方が採点することによって対応できるかという問題があると思われるので、そういったことを考えますと、筆記試験が終わった2〜3日後から、答案の整理ができた段階で、その答案を見ながら複数の教員が受験者に対して、言わば裁判官が釈明を求めるような形で口述をして、それで併せて採点をしていくというような方法を採っていけばいいのではないかというふうに考えております。
 あと受験回数の制限というのは、5年で3回ぐらいという形が一番妥当かなと、これはほかの委員も同じような意見をおっしゃっていたと思いますけれども、私はそう思っております。
 予備試験に関しましては、3ページで、問題点は予備試験をどのようなものにするか、その合格者数をどの程度のものとするかということの問題であって、言わば予備試験から受験する者でも、新司法試験が受験生の法的思考力を的確に判断する試験になっているならば、受験資格を認めて問題ないのではないかと、そして合格できればいいし、合格できなければそれまでのことだと、そういったときに、新司法試験の出題に当たっては、法科大学院での教育という過程を経てきた者が、その教育の実質をいかんなく発揮できるような出題、先ほど申し上げたような幅は、法科大学院で教えている科目全部に広げておいて、試験勉強を具体的な科目でさせないと、言わば予備校等によって、暗記勉強して受けるようなことができないようにしておけばいいのであって、あとは予備試験で法科大学院に行かれなかった者が回ってきても、その範囲はどうであってもいいのではないかと考えております。
 以上であります。

□ ありがとうございました。それでは、次お願いします。

○ レジュメ(意見3)に書いてありますように、私から見て、そもそも新しい制度をつくる最大の理由は、まず多様性を重視することと、また資質・能力の向上にあると思いますけれども、そのためにはやはり法科大学院の3年間の教育プロセスを大事にしなければいけないというのが、私の基本的な考え方です。
 もちろん、最初から完結した法科大学院は期待できないし、徐々には改良されていくはずですけれども、最初にできてしまうパターンは、なかなか根強く定着する危険性があるように思いますので、最初からできるだけ高く目標を設定した方がいいのではないかと思います。
 レジュメには、教育内容、教育方法について、いろいろ書いてありますけれども、内容よりも、あるいは教育方法の方が重要なのではないかと思っていますし、そのためには双方向的、少人数の教育に関しては、皆さん一致した意見だと思いますけれども、恐らく今の300 人、400 人ぐらいの大教室から見た場合、150 人ぐらいも少人数に見えてくるかもしれませんけれども、私の経験からして多くて60人が限度なのではないかと思います。
 プロセスとしての教育を支えるためには、いろいろなメカニズムが必要なのではないかと思いますけれども、まずミニマム・スタンダードと更にその改良・改善を奨励するメカニズムが必要になってくるのではないかと思います。
 中では、もちろんチャータリング、設置基準と第三者評価基準が特に重要かと思いますけれども、第三者評価は何年かに一遍の再認定になってしまうだろうと思いますので、むしろ常にアカウンタビリティーを確保するためのメカニズムが必要になってくるだろうと思いますので、そのためには大学院に関する情報の公表も非常に重要なポイントなのではないかと思います。
 また同時に、プロセスを支えるためのものとしては、新司法試験は非常に重要な役割を果たすはずであります。もしも、本当に7割、8割ぐらいの合格率が実現できれば、学生は、そんなに新司法試験を心配しないで法科大学院の教育に専念できるでしょうけれども、今、言われているような100 校ぐらいの大学が法科大学院をつくるというような話になりますと、5割、あるいは3割ぐらいの合格率になってしまいますと、どうしても学生はやはり司法試験の科目に的を絞って勉強するはずであると思います。
 ですから、そういう観点から考えますと、新司法試験は更に広いものにして、特に法曹にとって重要だと思われる能力を試すようなものにすべきだと思います。そのためには、あるいは1週間ぐらいのものにして、1日短答式ですが、融合問題など、先ほどの委員の話にありましたような、融合的な問題に関しては、私も大賛成であります。
 また、最後には予備試験の話ですけれども、予備試験については非常に危惧しています。予備試験が同時に無制限で、だれでも、何回でも受けられるような制度になってしまいますと、法科大学院を経ないで予備校で勉強する、あるいは、法科大学院に通いながら、予備校で勉強して、両方チャレンジするような学生がかなり多く出てくるのではないかと思いますし、ですから予備試験を何らかの形で制限しないと、法科大学院に対する影響は、重大なものになるのではないかと思います。
 そのためには、あるいは回数を制限するか、また法科大学院で修得するであろう内容に沿った試験にすべきだと思いますけれども、そのためにはかなり長い試験になるはずですけれども、1万人、2万人の受験者がいるような状況で、果たしてそういった試験は可能であるかどうかということには疑問がありますので、何らかの形で予備試験を制限する。意見書にありましたように、経済的あるいは社会人としての経験などの理由で、法科大学院を経由しない人に制限すべきだと思います。
 以上です。

□ どうもありがとうございました。次お願いします。

○ 私のポイント(意見5)は、3つでありまして、最初が第三者評価の在り方についてであります。私は、法曹の世界におりませんので、これまでの議論、その他の議論について、必ずしもはっきりした知識を持っているわけではないので、はなはだ漠然とした意見になっておりますが、適格認定ということからすると、これは新しい理想の下につくられる法科大学院を育てるための大学評価として考える必要があるのではないかということであります。どうしても、後ろに司法試験というものがありますから、非常に考えにくいんですが、本質的には法科大学院を育てていくための大学評価として位置づける必要があろうということです。
 そのためには、ちょっと私が危惧しておりますのは、ここで何となく雰囲気として、もうあらかじめいろんな条件を決めてしまおうというふうな雰囲気がやや感じられますけれども、それは非常にまずいと思います。あくまで、これはどこがやるかわかりませんけれども、アクレディテーションをする主体が、関係者を集めて、そして議論して決めていくものだというふうに思っております。
 4番目なんですが、ポイントが2つありまして、非常に広い人たちに法科大学院を開くということが理想だというふうにとらえておりますけれども、どうも今のやり方、つまり必ずしも全部そうならないのかもしれないですけれども、法学関係の科目の既修者は2年、そうではないと3年というシステムでは、絶対にほかの分野から有為な人は集まらないというふうに思います。ですから、そこのところの工夫がどうしても必要で、数値目標を示すということは、日本の社会では難しいことだと思いますけれども、当初は努力目標として外部の人をどれぐらい採るというふうな、目標を掲げることも意義があるのではないかと思います。
 2点目、一番大事なのは、法科大学院での成績の評価の問題だと思います。そこをやはりきちんとやらないと、法科大学院が決していいものにはならないだろうということで、私が出しました一番最後の・のところに書いた「教員の教育方法に関する研修の義務化」とか「シラバスの作成」とか「学生による授業評価の実施」、そういうふうな項目も、成績評価に是非加えるべきであろうというふうに思います。
 前回の議論ではちょっとわからなかったんですが、例えば54単位という単位数で抑えるという話がありましたけれども、私はそれは絶対ナンセンスだと思うんです。それでうまくいくはずがないんで、その裏にはいかにして効率的に教えるかとか、そういうふうなことがないと絶対いけないので、そういうことからこの4つ目の・を加えさせていただきました。
 新司法試験については、大問題は、今のままでいくと、どうもバイパスの方が有利になるような気がしてしようがないんです。ですから、バイパスをやらせない、つまり法科大学院をきちんと育てていくという観点が必要ではないかと思います。
 そういうことから言うと、今の予備試験の受験資格の問題、これは相当慎重に議論しないと、せっかくつくった法科大学院が全く育っていかないというふうな状況になるのではないかというふうに危惧をいたしております。
 簡単でありますが、以上でございます。

□ どうもありがとうございました。それでは、次お願いします。

○ 私の意見(意見6)は、相当詳しく書いてありますので、是非お読みいただきたいと思います。やはりこの際、何のための改革であったのかという理念を忘れて、現実との妥協ばかり考えていると、悪しき現実の固定化になると、ほかの委員も言われましたけれども、その危惧を今、私が非常に持っているということをまず申し上げたいと思います。
 この改革は何であったのかというと、日本の社会がもっと透明で公正な、法の支配する社会にならなければならない、そのためには社会の隅々まで、社会生活上の医師としての法律家が進出しなければならない、今の法律家は、ごく少数の法廷活動の職人ですから、そういうものではなくて、もっと多様な、そしてたくさんの量の法律家を育てなければならない、それは今のシステムではできないから変えるんだということだったわけです。この場合、変えるのは2つありまして、一つは、養成の仕組みをプロセスに変えるということです。一発試験からプロセスに変える。一発試験は今、盛んにさまざまな弊害が言われています。私自身に引き直して考えてみても、もし今、私が司法試験を受ければ、まず短答試験は絶対に通りません。それから、論文式試験も多分通らないと思います。口述はうまくごまかせるかもしれませんけれども、なかなか難しいかもしれない。絶対に自信があるのは、司法研修所の修了試験、二回試験であるんですね。そんなことないと言われるかもしれませんけれども、これは100 %通るだろうということが言える。
 今の試験のシステムですと、短答式で大量に落として、次に、普通の弁護士の仕事では使わないような解釈学上の論点を論じあって、それも論点をきちんと押さえた上で、一番のいい表現で書かないと、1点、2点を争う試験に落ちるような、論文試験で次に多く落として、口述でほんの少し落として、一番実務家の能力と関連している二回試験ではほとんど落とさないという、全く逆の選抜のシステムになっているわけです。ここは、やはり見直さなければいけないのではないかということです。
 こういう改革の理念を実現するためには、非常に重要なのは、やはり今、法律家になろうとしていない人たちへのアピールです。法学部以外の学部を出て、さまざまな理系、あるいは社会科学系の能力を持っていて、しかし今の司法試験ではとても通りそうもないと、あの試験のために、何年も予備校に通うつもりがないということで、法律家をやってみてもいいと思っているけれども、やろうとしない人たちに法律家になる途を選んでもらうことだと思うわけです。そのためには、その人たちのための入学の門を、非常に広く開いておかなければいけない、そういう人たちを歓迎するんですよということの、アナウンスがなされなければいけないと思います。
 それから、その人たちを教育する方法も、今のような一方的な法解釈学のレクチャーから、双方向的、多方向的、密度の濃いというふうに、審議会の意見書は言っていますけれども、本当の法律実務家の能力を鍛えるやり方、複雑な問題を前にして、それを分析し、解決する方法を考え、それを人に説得できる、そういう能力を持った法律家を育てる方向に中身を変えなければいけないと思うわけです。プロセスですから、当然その過程は厳格に評価しなければならない。
 司法試験はその成果を確認するものとする。つまり、司法試験に合わせて法科大学院の教育が行われるようになったら、これはもうおしまいなわけで、法科大学院の正しい在り方に合わせて、司法試験がデザインされるということでなければならないと思います。
 また、プロセスを経ることを要求する場合、問題なのは、そのプロセスに行けない人がいることですけれども、その人たちのためには、奨学金、教育ローン、夜間制や通信制といった、あるいは法科大学院を全国に配置するといった手段によって、行きたいという意欲と能力のある人は、必ずそのプロセスは経ることができるというシステムにしなければいけないと思います。
 もちろん、その場合でも例外的に行けないという人が出るから、予備試験の問題が出るわけですけれども、そういうものは本当の例外的な措置にしなければいけないと思います。一発試験で、法曹の能力が計れると、あるいは、法曹の能力を判定できるという信仰は、もう潔く捨てるべきではないかと思います。
 では、どんな試験をするのかということで、私から参考資料を出させていただいているわけですけれども、例えば米国の幾つかの州で採用されている、マルタイステート・パフォーマンス・テストについては、実際の試験問題は厚い冊子の資料を読ませて、実務的な文章を起案させるという試験です。しかも、そのうちの一問の、スタインバーグ&サン社対ウェイ事件というのは、これは倫理試験なんです。要するに、利益相反のある事例について、一体どうするかということを問うている論文式の試験です。倫理試験について、そんなものできないという意見が、特に法務省に強いようですけれども、こういう試験もできるんだという例として、是非参考にしていただきたいと思います。
 また、今日配布した参考資料は、マルタイステートのプロフェッショナル・レスポンシビリティー・イグザミネーションというものですけれども、一度やってみられるといいと思いますが、一部の問題は米国法曹協会の倫理規定を知ってないと解けないと思いますが、大部分は常識で解ける問題です。こういう試験でもいいわけです。こういうことを、法曹の最低要件としてテストするような、そういうシステムでなければ絶対にいけないんではないかと思います。
 現在の法務省の提案については、これは中教審の法科大学院部会で、部会長から是非この検討会に伝えてくれというふうに頼まれたんですけれども、今までこの法科大学院制度推進の、言わば中心勢力でもあられた先生方が、これでは困る、これは法科大学院の制度をつぶしかねない提案だと言われています。特に予備試験の受験資格を制限しない、受験回数を制限しないこと、あるいは、予備試験の内容が教養とか、法的な知識という、要するに、今までのペーパーテストの、覚えていることがいい点数につながるようなテストという発想が問題だという指摘がなされておりまして、いろいろな方がいろいろな意見を言われていますけれども、是非御参照願いたい。
 もう一つ中教審部会の委員の一人が、企業法務の立場から、この法務省の司法試験の提案についてがっかりしたという表現をされたのも重要ではないかと思います。なぜ、これからの法曹に求められる能力というものをよく考えて、それをどうやって選択するかという方向からデザインしないのかということがその委員ががっかりされた理由なんですけれども、そういう意見もあるということは、我々も参照しなければならないのではないかと思います。
 やはり今、一番重要なのは、そういう意味で法科大学院の教育の高い質を保証するということであって、それはしっかりした第三者評価機関をつくって、第三者評価するということと、ほかの委員が言われている、教員に本当の教育能力を身に付けさせるというようなことも重要ではないかと思いますし、また経済的理由で行けない人をできるだけ少なくするという制度設計も重要だと思います。

□ どうもありがとうございました。次、お願いします。

○ それでは、意見書(意見7)の中から、数点について述べたいと思います。
 まず、第三者評価基準についての第2の「在籍者数と収容定員について」ですけれども、法科大学院の教育として要求される少人数教育や、双方向的かつ多方向で密度の濃い授業、これを確保する観点からは、非常に重要な問題でありまして、そのための基準を設けるべきではないかと考えております。
 仮に、この点について基準を設けないとしますと、授業に付いていくことができず、法曹に向いていない学生というのを、退学させるのではなく、安易に落第させることになりかねません。そうなりますと、一方では、学生の方に受験回数制限をにらんで、受験控えと言いますか、留年をする者も増えるということで、大量の司法試験受験生が学内に滞留するという事態が想定され、これがプロセスとしての教育に悪影響を及ぼすことが懸念されるわけでございます。大量の司法試験受験生が、学内に滞留するという事態は、どうしても避けなくてはいけないことだというふうに考えておりますので、在籍者数と収容定員は乖離しないように基準を設けてしかるべきだと思っております。
 次に3ページの「第5 教育方法について」でございますが、各授業がどの程度の学生数で実施されるのが望ましいかについてですけれども、私の司法研修所教官としての経験からしますと、学生の顔と名前が完全に一致して記憶できて、きめ細かく起案の添削・指導ができる、そして、学生の到達度を適切に把握できるというのは、せいぜい70〜80人程度、80人と言いますと、かなりきついんですけれども、70〜80人程度が限度ではないかと思っております。
 したがって、この双方向的かつ多方向的で、密度の高い授業を実現する観点からは、各授業の学生数について、一定の具体的な数値基準を設けるべきではないかと考えております。もっとも、授業ごとの適切な学生数は、科目の内容とか法科大学院の規模に応じて変わり得るものですし、また先端的な法律科目等については、全国的に教員候補者がたくさんいるわけではないという事情もありますので、基準としては現実的な数値を設定する必要があろうかと思います。
 次のページですが、教員の教育能力、教育方法を向上させるための適切な方策が講じられていること、例えば、新任の教員に対して、教育方法等についての研修等が行われているかどうか、これを基準として規定してはどうかというふうに考えております。
 司法研修所では、同一科目の教官全員が、教材の選択、また授業の進め方等について、頻繁に合議をしております。この合議によって、教育効果が上がるように努力をしているわけでございます。法科大学院では、先ほど来申し上げているような、密度の濃い教育が要求されるわけで、学生も予習してこなければついて行けないような事態になると思われますが、教員自身もそのような密度の濃い授業ができるだけの技量を身に付けなければいけないと思います。
 この法科大学院制度を成功させるためには、大学や教員の側も変わらなければならないと思います。そのような観点から、教員の教育能力、教育方法を向上させるための適切な方策が講じられていること、これを評価基準として規定してはどうかと思っております。
 次の「第6 成績評価について」でございますが、厳格な成績評価というものが要求されておりまして、この点についても実効的な基準を設けるべきであると思います。
 例えば、日常的に小テストを実施するなどして、学習の到達度をきめ細かく把握する。また授業の出席状況とか、発言の回数や内容、それからレポートの内容等を適切に成績評価に反映させるようなシステムが構築されているかどうか、これは事後的に成績評価等の在り方の適正性を検証できるようにするという意味でも必要であると思います。
 法科大学院の修了が、司法試験の受験資格と結び付けられていることからすれば、こういう客観的かつ厳格な成績評価・修了認定を確保するための基準が、最も重要であるというふうに考えております。学問の自由等々の関係で、問題があることは承知しておりますけれども、漠然とした基準をもって、事足れりとするのではなく、厳しい基準を設けるべきではないかというふうに思います。
 次に新司法試験のことでございますが、時間の関係で前の方を割愛しまして、最後に予備的試験について、少し述べたいと思います。この予備的試験の受験資格についてですが、司法試験の受験者には、さまざまなルートで経験を積んで、勉強してきた人たちが存在しております。こういう人たちにとっては、司法試験が、言わばその人たちの人生を変えるような希望の光となっていることは、否定できないところでございます。司法試験は敗者復活戦だというふうに、ある修習生も申しておりました。これらの人たちに対して、法科大学院に進めなかった理由などの、抽象的で予測不可能な要件を当てはめて、受験資格の有無を判定して、法曹への道を閉ざすのは適切でないと思います。また、実際にそういう資格というのは、審査できないというふうに思います。
 例えば経済的事情で法科大学院に進めなかったということを、どうやって審査しろと言うんでしょうか。本人とか家族の数年来の収入を調べろというんでしょうか。また、例えば病人を抱えていたというような場合に、その病人の診断書やカルテを取り寄せて、要介護がどの程度だったということを調べろというんでしょうか。そういうプライバシーに関することを、国が調べるというようなことは、とても許されないはずのことでございます。また、社会的な経験を積んでいるというのも、どういうことでそれを判定すればいいんでしょうか。
 ですから、この受験資格を制限することによって、予備的な試験によるルートを狭めるという考えではなくて、受験資格はだれにも与えると、ただ、その試験内容、方法等の工夫によって、本当に法的なものを考える力を養う訓練をしてきたかどうか、それを試験すればいいというふうに考えます。
 先ほどの委員からの中教審での意見ですけれども、それは予備試験ないし教養試験とか司法試験の内容が、今やっているものと同一だということを前提にして言っておられると思うんです。この予備試験の内容、それから新司法試験の内容というのは、全く変わるわけです。法科大学院の授業の内容、それに沿ったものに全く衣替えするわけですから、先ほどおっしゃったような懸念は御無用ではないかというふうに思っております。
 以上です。

□ どうもありがとうございました。それでは、次お願いします。

○ 意見要旨(意見8)のとおりですけれども、その前提となる考え方と、若干強調したい点を述べたいと思います。
 キーワードは、言うまでもなくプロセスとしての法曹養成制度ですが、これを意見書ではどのように言っているかと言いますと、61ページに、「法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させたもの」と定義しています。法科大学院における教育が中核になり、法理論教育をしっかりやってもらう、実務との架橋を強く意識した教育がされるということになるわけですが、このことは、その後に続く司法修習が、これまで以上に専門的な実務教育訓練に大きくシフトしていくことを可能にするもので、大変有益であると考えられます。その意味で、法科大学院における教育には大いに期待したいし、既に語られているような、少人数、双方向教育等がうまくいけば、必ず成果が上がるだろうと、特に、上位、中位層には極めて顕著な効果があるように思います。
 そこでの目標は、言うまでもなく、法学教育、司法試験、司法修習というプロセスで、国民の期待に、負託に応えることのできる、広いフィールドで活躍できる質量の法曹を着実に生み出していくということです。しかし、そういう期待が常に現実となる保証はありません。期待を現実とするためには、法科大学院の充実した体制と充実した教育の真剣な実践が求められます。そして、その教育を供給する側である法科大学院のレベルが、持続しているかどうか、これを評価する仕組みが第三者評価であり、教育を受ける側の、学生の成果を評価する仕組みが新司法試験であるという位置付けをすべきだろうと思います。この両方の評価の仕組みがきちんと動きませんと、レベルの低い法曹が量産されるということになり、そのツケは利用者である国民に回るということになります。
 したがって、ここから総論的に2つの点を言いたいのですが、第1に、両者はレベルの高い法曹を生み出すことを目的としているわけですから、その質を的確に評価・判定するものであることが必要で、それこそが信頼できる、責任ある制度だと思います。第2は、しかし全く新しい制度をこれからつくっていこうというわけですから、当初から完璧なものを望むということは難しい。したがって、法科大学院、司法試験、司法修習のプロセスの関係機関、関係者が努力して、より理想的なものに育てていく、こういう姿勢も必要である。すなわち柔軟な制度を設計することと、適宜な時期に基準そのものも見直すことをビルトインしていくことが、スタート段階では求められるのではないかと思います。以上が、ペーパーには書いていない総論的なことです。
 ペーパーに書いてあるところで、若干強調しておきたいのは、新司法試験で知識を問うことについて懐疑的なムードがあるように思いますが、それについて異論を述べておきたいのです。意見書も知識を聞いてはいけないなどとは全然言っていないわけで、72ページでは、「法科大学院の教育内容を踏まえ、その修了者に司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかの判定を目的とするのが新司法試験である」とされています。これは、全く正当な認識を示していると思います。そうすると、司法修習を施せば、法曹として活動を始めることが許される程度の知識を、きちんと備えているかどうかを判定するということは、司法試験の後に司法修習を備えたプロセスとしての法曹養成制度は欠かせないことになります。
 問題は、それをどのように評価していくかということですが、私は、短答式が最適最善だと思っているわけですけれども、短答式とするか論文式とするかは試験方法の問題なのです。基本的な法律知識を幅広く正確に修得しているという判定ができればいいのであって、それは恐らく短答式がふさわしいだろうと思うのです。それに対して、伸びやかな法的思考力、これを論文式で見ていくという振り分けをしていくのが、ベストではないかと思います。
 もう一つ、責任ある制度としての観点では、司法修習課程で要求される最低限の素養を全国一律の基準で判定していくことは、利用者である国民の信頼を確保して、一定の質は確保できているということを、対外的に形として示す意味でも意義があると思うわけです。
 現行の短答式のイメージがぱっとしませんので、消極意見があるということなのだろうと思いますけれども、司法修習課程で要求される、最低限度の素養を評価するという観点から、その内容を考えていけばいいので、今あるものを前提にして議論するというのは、どうかなと思います。
 そして、試験というのはどうしても暗いイメージが付きまとうわけですが、新司法試験は法科大学院で一生懸命努力して、知識をつけ、思考力、分析力、表現力を伸ばした学生は、堂々と、やすやすと能力を実証することができる、明るいイメージのものにしたらどうか、そのためには、試験問題を研究・作成する態勢をより強化していくことが必須ではないかと思います。

□ どうもありがとうございました。それでは、次お願いします。

○ 今回の意見(意見9)について、述べさせていただきます。
 今回の改革の要点というのは、皆さんが述べておられるように、第一は一時点の選別から、プロセスによる養成というものにより力点を置く制度、人材養成制度に転換するということ。
 第二は、この養成課程のキーになる、司法試験の受験資格を、従来は制限を設けずにオープンであったものを、法科大学院という、ほぼ独占的な機関に限定するという改革であったと思います。
 ということから、この成果は、先ほどの委員がおっしゃったように、法科大学院と司法試験と研修所との連携が、どれだけうまく設定できるかということにある。それがうまくいかなければ、この改革は不成功になるということです。
 もう一つ考えておかないといけないのは、今、言いましたように、独占的に法科大学院に受験資格が認められるということですから、この制度は機会の平等とか公平性ということを、随所に制度として確保するという制度設計が必要だろうというふうに思います。
 というのは、言わずもがなですが、司法試験に受かって法律の専門家になるという役割は、社会の中の極めて権力がある、エリートの役割なわけです。その役割への配分、ルールというものは、やはり社会の中での一般的コンセンサスを得るためには、基本原理として平等、公平性というものが確保されるということが不可欠です。養成においては、今の産業社会でいろいろな人材が必要とされ、こんな人材もあんな人材も必要とされるという、社会的な要件と同時に、公平性というものが、制度をつくる上においては、厳然と確保されるべきであると思います。それでなければ、社会から合意・支持が得られないのではないかというふうに思います。
 そういうことから言えば、入学者選抜においては、公平性の観点からきちっと制限ルールなどというようなことについても合意が得られるようなルールづくりが必要であり、他大学、他学部、その他、そういう人たちの入学に関して、十分開放性というものが保証される制度設計がポイントになるのだろうと思います。
 開放性の観点から言えば、問題になってくる予備試験のバイパスルートに関しては、制度設計としては、メインはあくまでも法科大学院であり、法科大学院からプロセスとして理想的に育てられる法曹、人材と同時に、そこに行けなかった層に対する対応も必要である。それしかないという独占的な制度設計というのは、やはり制度としては硬直性をもたらす危険性もあるという意味から、あくまでもバイパスではあるけれども、制度として措定しておくことは重要だと思います。
 けれども、今回の改革は、メインの養成プロセスというものをつくり上げることですから、機会としてバイパスが開かれているということであり、予備試験の内容に関しては、法科大学院と同等の司法試験の受験資格を有するということになるわけですから、それだけの重い中身のある予備試験ということになると思います。いずれにしろそういう中身に関しては、いろいろ御懸念があるようなバイパスルートがどんどん広がるというような、そういう結果には、恐らく中身をきちっとすることによって、ならないような設計が可能である。制度としてはバイパスルートである予備試験ルートというようなものについては、設ける方がいいというのが私の意見です。
 第三者評価に関して簡単に申し上げますと、今、言った一連のプロセス、法科大学院、司法試験、研修のつながりということが重要なわけですから、そのつながりの根幹になる、法科大学院と司法試験の間の連携をとる第三者評価というのは極めて重要になる。スタート時点では難しいという御議論もあるようですけれども、やはりきちっと連携が持てるように、第三者評価基準は可能な限りルール化してスタートするという方向が、私は望ましいのではないかと思います。やはりスタートしてしまったら、それぞれ大学が動き出した結果として、大学と司法試験の間に大きな乖離ができてしまったら、このプランの中身が実現しないということになるということで、第三者評価に関しては、可能な限り規定をするという方向で望んではいかがかという意見です。
 以上です。

□ どうもありがとうございました。それでは、お願いします。

○ 余り時間がないと思いますので、お配りしてある意見(意見10)については読んでいただければ結構なのですが、まず基本的な姿勢として、審議会でいろいろな議論をして、せっかく意見をまとめたわけですから、本検討会では、やはりそれを前提にして、蒸し返しの議論はしない。どんな理想を各自が持っていてもですね。それを前提に議論していかなければ、まとまらないのではないかと思います。
 あと3点、評価基準を考える場合には、やはり実現可能性ということと、いろんな法科大学院が多様な発展、展開ができるように最低基準にとどめるべきだということ。むろん、最低というのは質的に低くてもよいというのではなくて、がちがちに何でもかんでも決めてしまうということは避けた方がいいということで、しかも、その決めたものについても適時見直しをしていくということが必要だろうということです。
 内容につきましては、基本的には前の論点整理で指摘されているようなことを、盛り込むのがいいのではないかというふうに思うわけですが、ほかの委員とは少し意見が違うところがありまして、例えば在籍者数と収容定員につきましても、現実的な問題とか、法制上の問題を考えますと、規範性を持つ厳格な定めにするのは、必ずしも適切ではないのではないかと思います。また、少人数教育についての基準も、基本科目については標準値を定めるというのは重要だと思うのですが、それ以外について多様な展開をすることを前提にしますと、細かく規定するのは難しいのではないかというふうに考えています。
 私から、皆さんの御意見を拝見して一番強調したかったのは、2ページの多様性、開放性の確保のところで、非法学部出身者を一定割合以上入学させることを求めるということが必要ということです。これは意見書が提言しているところでありますので、それを適切な形で盛り込むべきだろうと思います。
 ただし、注意しないといけないのは、その割合は、法学部が存置されるということと、これまでの実態・実績というものを踏まえて、余り大きく懸け離れて、人為的にどっちかに誘導するというようなことは適切ではないだろうということが一つ。
 もう一つは、地域や法科大学院によって、志願者の状況とか、志願者の実態については、かなり差があることも考えられますので、定めた割合についても、余りがちがちに適用するということではなくて、正当な説明が可能ならば、その例外ということを認めていかないと、うまくいかないのではないかということです。
 次に、4ページの一番上の、学生が1年間に取れる、履修可能単位数の限定ですか、私はこれは非常に重要だとは思うのです。ただ、3年次については少し違う考え方を取ってもいいではないか。これからどういう方面に進むのかということによって、自分でそれに役立つと思われる科目を選べるようにした方がいいんじゃないかということがここで言いたいことです。
 最後の「修了要件」につきましては、必修単位を決めるのはナンセンスだという御意見をお持ちの委員もいらっしゃいますが、これまでの法学部などでも、必修というのを大きくはずした場合に何が起こったかというと、一番大事なところを十分勉強しないで、単位を取りやすいものにどっと流れたということがありますので、必修ということも大事ではないかと考えております。
 新司法試験につきましては、私は法科大学院の制度というのが理想的に定着すれば、司法試験というのは、その成果を確認するような簡単なものになっていくのがいいと考えているのですけれども、当面、いろんな法科大学院が出てきて、質などに必ずしも信頼と言うか、確信が持てないということを考えますと、やはり選抜機能を重視した比較的重い試験にせざるを得ない。内容につきましては、既に皆さんおっしゃっていることですので、これ以上は付け加えません。
 もう一つ、ほかの委員がおっしゃった試験を作成する態勢をもう少し整備すべきではないかという御意見、これは私も大賛成で、現在は毎年毎年委員が選ばれて、その都度会議をやっているんですが、もう少しノウハウを蓄積できるような常設的な態勢になっていた方がいいと思います。
 短答式につきましては、できるという形にしておいた方がいいんじゃないか。今のような短答試験を前提にした場合に、どうしても覚え込みに走るという傾向が懸念されますので、その点は十分考えなければならないと思いますけれど、ただ、現実に受験者が多数に及んだ場合に限られた試験委員ではとても対応できないので、必要に応じてできるという形にしておいた方がいいのではないかなと思っています。
 口述試験につきましては、皆さん何らかの形でやった方がいいということですが、私も、理想的には口述試験を十分できるのが一番いいと思うのですけれど、現実には、仮に1つの問題にしたとしても、3,000 人の合格者を出すということを前提にした場合に、かなり難しいんじゃないか。そうしますと、口頭表現能力のチェックというのは、ロースクールのクラスで双方向、多方向的なクラスの中でチェックをしていき、その点も成績に反映させてもらう。そういうふうに割り切って、この際、やめてしまうというのも1つの考え方ではないかとも思います。ただ、そこまで断言する勇気がありませんので、できるという形にしておくのがいいのではないかと思います。
 最後に皆さん御関心の予備試験ですが、これにつきましては、メインのルートが法科大学院を経由して新司法試験を受けるというものであるということは異論のないところで、意見書もそのとおりになっているわけです。ただ、意見書で触れられているとおり、例えば予備試験を経て新司法試験を受けるというルートも開いておきましょうということになっていますので、その前提で考えていくべきだろう。確かに予備試験のところが非常に広くなってしまいますと、そっちの方に流れてしまうおそれがあるということはわかるのですが、さっき何人かの方がおっしゃっていますように、これは本試験の内容いかんにかかるところが一番大きいのではないか。その上で、私は予備試験経由組についても、本試験そのもの自体については、同じ回数制限をかけるべきだ。予備試験について、回数制限をかけるというより、本試験の方にかけるべきではないかと思います。受験資格というか、入口で閉ざしてしまうということは、さっき御指摘があったように、内容的に適切ではないということと、実際にかなり難しいだろうということがあります。
 他方、意見書の中では、これは73ページの括弧の中で、そういう点を確認すべきだということが書かれているのですが、これは例えば予備試験の仕組みの中でその点を確認する。例えば社会でいろいろな経験を積んできたことによって、法科大学院修了者と同じような、あるいは同等の能力があるのだと、そういうことが評価できる仕組みというものが考えられないものか。考えられるとすれば、そちらの方でむしろやっていくべきではないかというふうに考えています。
 さっき中教審部会の方の議論を紹介されましたが、この予備試験を含め、司法試験につきましては、我々としては、この前法務省のとりあえずの案を示していただいただけで、実質的な議論はほとんどしていないのです。それについて、中教審部会の場で、どういう経緯でそうなったのかわかりませんが、意見を述べられて、我々もそれを参考にしないといけないとは思うのですけれど、ちょっと私としては不可解というか、あたかも本検討会で、我々が何の議論もしないで法務省案を承認したかのような前提で議論をされているようにも見えますので、それはちょっと違うのじゃないか。その点は、共通して両方の委員を兼ねている人がもっと説明しないといけないのではないか。そういう感想を持ちました。
 以上です。

□ どうもありがとうございました。

(2) 司法試験の在り方について

□ これでひととおり御意見を伺ったわけでございますけれども、前にお話ししておりましたように、引き続いて検討に移りたいと思います。今、各委員が発言されたほかにも、あらかじめ意見書もいただいておりましたので、それを参考にしながら、私の方で意見を整理しながら議論を進めさせていただくということで、まず、司法試験の問題について、法務省から前回説明いただきましたけれども、十分に議論していないので、まず司法試験の方から検討を行いたいと思います。
 それでは、司法試験につきましても、第三者評価基準につきましても、法務省からいただいた説明資料、それから事務局から配布しました検討事項に沿って意見の開陳がなされましたので、それに沿って議論をしていただきたいと思います。
 第3回に配布されました説明資料に即して、議論を深めていただきたいのですが、新しい司法試験の在り方につきましては、前回法務省から説明をいただいて、意見をお伺いして、今また皆さんから意見の開陳をいただいたわけでございます。今日はさらに論点ごとに、前回は必ずしもバランスよく議論されたわけではございませんので、この論点に沿って一つひとつ意見を深めていくという形にしたいと思います。
 まず最初の新司法試験の制度設計の基本的な考え方につきましては、新司法試験は法科大学院の教育内容を十分に踏まえた新たなものとするという点については、これは異論がなかったと理解しております。
 また、司法試験につきまして、今後の法科大学院の発展、成熟状況などに的確に対応できるような柔軟な制度設計とすることが望ましいということについて、そういった配慮も必要であると思いますけれども、すべて今後の様子を見ることにするというわけにもいきませんし、本検討会で議論しておくべき点もありますので、この点について、順次意見を伺っていきたいと思います。
 試験科目などから入りたいと思うのですが、まず、新司法試験の科目につきましては、今までいただいた意見の中では、必須科目を公法系、民事系、刑事系に分けて、更に選択科目を設けるべきであるという意見が出ております。
 それから、法曹倫理、ないし専門職試験につきましては、必須科目とすべきだという意見と、時期尚早だという意見があるわけでございますけれども、こういった試験について、更にこういうことは是非付け加えておきたいということがございましたら、御意見をいただきたいと思います。
 意見書でいただいている分については、これからの審議に反映させたいと思うのですけれども、それ以外に今の皆さんの意見を聞かれて、これはどうしても付け加えておきたいというのがございましたらどうぞ。

(発言なし)

 特になければ、今までの意見を一応ベースにして、今後議論を進めるということでよろしゅうございますでしょうか。
 それでは、次に試験方法につきまして、出題とか採点方法について、いろいろ工夫をする必要はあるけれども、やはり論文式試験を中心とすべきであるということについて異論がなかったのではないかと思います。
 それから、短答式試験と口述試験につきましては、意見が分かれたわけでございますけれども、内容とか実施方法について工夫した上で、いずれも実施すると、あるいは、実施することができるような規定の仕方にしておくという意見が出ているわけでございますが、この点につきましても、今まで出た意見以上に、何か付け加えておくべき点がありましたら、どうぞ。

○ 短答式をやるべきである、やるべきでないというふうに意見が分かれておりますけれども、やるやらないという要素と、もう一つ、段階的な選抜として使っていいのかどうかというのが分かれ道になるんじゃないかと思います。今のように段階的な選抜として使うというのは短答式の欠点を一番出す結果になると思いますので、もしやるとしても、短答も論文もやるという形でやるべきではないかと思います。私はやるべきではないという意見ですけれども、もしやるにしてもそう思いますので、そういう意見があるということは付け加えていただきたいと思います。

○ 私も基本的な知識を確認するということは大事だと思うのですが、その点は、本来的には法科大学院の方できちっとやるべきであるはずなのです。そこのところに信頼が必ずしも置けないとすると、先ほど委員がおっしゃったことは意味があると思うのですが、その際も望ましいのは、段階的選抜ではなくて論文式と併用する。両方合わせていろんな能力を見るというのがいいのだろうと思うのです。
 ただ、現実問題として、大量の受験者が出てきた場合に、本当にそれでうまく行くのか。これは現実の問題なのです。どんなに試験委員を増やしたとしても、恐らく対応できなくなる可能性がある。その場合の対応措置の1つとして、選別を何段階かにして行わざるを得ないというのが現実だと思うのです。したがって、そういうことが一切できないとするのは、制度として窮屈かなと思います。

○ それは恐らく論文に非常に採点の手間が掛かる、そのために考査委員もたくさん選ばなきゃならない、それでも限界があるという、それを前提とされている御意見だと思うんです。
 それは今のような細かい1点刻みの点数を付けて、しかもそれを序列化して、定員何人で切るという試験を想定するからなんであって、そうじゃなくて、これからの司法試験は法曹としての最低の能力を備えていること、この人にあと一年半の司法修習を施せば、実務家としてやっていけるだろうというものを見る試験ということに切り替えるわけです。そうすると、出題内容も採点方法も変わってくる。私は合否だけ判定すればいいのではないかという提案をさせていただいておりますけれども、それに賛成いただけるかどうかは別として、今のような論文の採点を前提に、論文の採点をできる人数の限界を考える必要は必ずしもないんじゃないかと思っております。

○ 今のはちょっとわからないんですけれども、合否だけの採点であれば、短期間で、余り手も掛からずに済むというお考えのようなんですけれども、現実に採点をしていますと、一応採点基準が頭に入って、答案を読むわけですけれども、合・否をぱっぱと分けられる答案はほとんどなくて、どっちにしようかというのがほとんどなわけです。
 そういう場合には、答案1つ読んだだけでは結論は出なくて、前に読んだあれと比較してどうだろう、あれと比較してどうだろうということになるわけです。
 そうなってくると、その前に見た比較する答案がゼロを中心として、プラス10で合格なのか、プラス2で合格だったのかということを分けておかなければ、とても比較して採点というのはできないわけです。だから、合否だけ判定すればいいと言ったって、その採点者は絶対にランク付けをしなければ採点自体ができないわけですから、かかる手間というの全く同じだろうという点が1つ。
 合否だけを判定する、低空飛行でもぎりぎりで合格の答案をそろえれば、それは無難な人材という評価もできるんでしょうけれども、そういう人は通る、1科目でもすれすれで落ちればほかの科目ですごく卓越した能力がある人も落ちてしまうということになりますが、かえってそういう人がほしいなという気もするわけですから、合否だけ判断すればいいという採点には私は反対です

○ 今の点、反論させていただきますと、相当厳しいレベルで切るということを前提にするから今の議論になるわけです。そうじゃなくて、本当に駄目なのだけという試験に転換するんだとすれば、そんな手間は掛からないはずです。
 それから、今だって口述試験で落ちてしまえば、どんなに論文で満点の答案を取っても落ちることになっているわけです。というのは、口述で、口頭の表現能力、応対能力、説得力、こういうものを発揮できることが法曹の最低要件だということだから、そういうやり方になっているわけです。アメリカでも司法試験とは独立に弁護士倫理試験をやって、各州で75点以上とか85点以上とか基準を決めて、それ以下の点数を取っている人は無条件に法曹資格は認めないこととなっているのです。
 つまり、法曹として最低限のものをテストするんだということになれば、それはどれかがだめだったらだめだし、逆にどれかでものすごくいい成績を取る人が、そのどれかで全然だめなレベルになるというのはちょっと想定し難いんじゃないかと思います。

○ 今までは短答式をやってもやらなくても、別にどちらでもいいと思いましたけれども、段階的選抜として使うだろうという話になると、それは絶対反対であります。ああいう制度を念頭に置いてやるならば、何となく今の制度の二の舞いになるような気がいたしております。そういう点に関しては、先ほどの委員と同じ意見で、段階的選抜としては絶対に使ってほしくないということ。
 もう一点は、論文式中心ということに関しては、私は賛成ですけれども、これはレジュメにも書いてありますが、論文式にもいろんなパターンの論文式を使った方がいいと思いますし、例えばドラフティングの問題ですとか、融合問題、審議会の意見書にありますように、資料をたくさん与えて、資料をよく読んで分析して、それに関するプロブレム・ソルバーなどの問題も是非取り入れてほしいという点を指摘したいと思います。

○ 口述試験についても、ちょっと誤解があるようです。法曹に適さない人だけを落とすというイメージでとらえていると思うのですが、今は論文式の合格者と最終の合格者との差というのは、ある程度経験的に定まっているものですから、ある数しか落とせない。それでそういう印象になると思うのですけれども、半分くらい落とせと言われれば、できなくはないのです。
 また、口述は今は3つの科目でやっていますけれども、1つだけフェイルすれば、もう駄目ということにはなっていないのです。それは、気の弱い人もいますし、その日によっても調子が違う。得手不得手もある。それでいろんな角度から見て、総合点としてある基準に達しているかどうかという判断をやはりせざるを得ないわけです。
 論文について言えば、新司法試験は現在の論文よりはもっともっと手間が掛かるものになるはずです。そうでなければおかしいと思うのです。そのことをも考えないと、現実の負担ということは想像できないだろうと思います。

○ この試験方法をどうするかということは、技術的な問題ですから、どのような力が備わっていることが必要なのか、それをどういう方法で判定すべきかというところからスタートすべきだろうと思います。
 そうすると、意見書にいうような司法修習を施せば法曹としての活動を始めることが許される知識、あるいは法的思考力等を備えているのを判定することが必要になるわけですが、知識は法科大学院で十分やるから安心してくださいという話で、議論されるのは問題ではないでしょうか。安心できるためにはやすやすと司法試験をクリアーしてほしい。これで初めて安心できるということなのだろうと思います。
 もう一つ、中教審部会の発言の中ですが、私が短期消滅時効について短答式で問うべきだと言ったとされていますが、これはそのように言ったのではなく、法典法を持つ国の法曹として、基本的素養はどうあるべきかという例として挙げたわけで、短答式で聞いてほしいと言ったわけではない。わざわざ明示的にそう断ってありますから、議事録ができましたら確認してほしいと思います。
 ただ、この問題は、法曹の備える知識の在り方に関わる本質的な問題につながるように思うのです。これはこの際日の下にさらして議論をするといい問題です。
 知識習得型はいけないと言われる委員もいらっしゃるわけですが、そこで言う知識と、少なくとも私が思っている知識というのは違うのではないかと思います。例えば、ある債権を担保するという目的で、別の将来発生する債権を譲渡するという事象があります。これを適切に法的に規律することを考えますと、債権の特定の方法という、債権と物権の特定の仕方の違いをきちんと理解しなければいけませんし、債権譲渡という成文法上の制度の趣旨と要件効果を理解していなければいけない。更に譲渡担保という判例で形成された判例法理を理解していなければいけない。その上で担保目的にかなった理論構成をして、当事者との関係はどうで、対第三者との優劣関係はどうかというあるべき法的規律を図って、経済的要請に応えていくという作業をしているわけです。ここでわかってもらたいのは、法曹の備えるべき知識の在り方についてです。知識というのは、それ自体単独で存在しても現実対応のためには全然意味がない。体系的なものとして、ネットワークを構成するものとして備えられていなければいけない。それがあって初めて法的思考力を基礎として推論していくことによっていろいろ応用が効くということになるわけですから、司法試験で判定されるべきものも今までの短答式をイメージするのではなく、しっかりした教育をロースクールで受けて、ネットワークとして自分の中で体系化されている知識でなければいけない。
 そういう基本知識なくしては、法的思考をしますといっても、何にもならないということになる。備えるべきであり、判定されるべきは、そういう知識だということになれば、恐らく賛成していただけるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

○ 全くそのとおりで、知識というのを非常に断片的な丸暗記的な、短答式は私も最近の問題を正確に知りませんけれども、断片的知識を羅列的に聞くのは不必要ではないか、血となり肉となった知識というものがなければ困る、そういう趣旨で全く賛成です。

○ 時効の点も、決して司法試験の短答式に出すべしという趣旨ではないのですが、これも面白いのです。短期消滅時効については、民法典を見ればわかるといいますけれども、ただ、医者の診療報酬が短期消滅時効にかかるものだという、ある程度ぼんやりとした知識がなければ、そもそも六法を引こうと思いません。しかも、体系がわからなければ、総則部分を引くということもわからない。
 それから、法曹としては、医者の報酬債権が、どうして短期消滅時効にかかるかという理由も知っておきたいですね。法律がそうだからということで安心しているのは悪しき法実証主義です。これは慣習上、迅速に決済される債権であるからというのが立法理由なのです。そうすると、社会生活上の医師である弁護士の報酬債権はどうかというと、これは2年です。どうして医者が3年で弁護士は2年なのかというところは大変興味深いし、これはやはり法律家として説明できてしかるべきだと思います。口の悪い人だと、それは飲み屋の1年と弁護士報酬は近いんだと言う人があります。これは民法典制定当時の弁護士のステータスを考えると、説得的かとも思いますが、違うのです。そうではなく、弁護士報酬は前払いをするというのが慣行としてあるから2年だと説明されているのです。
 ここで言いたいのは、繰り返しになりますが、法曹の備える知識というのは、言わば片々たる知識であっても、これをきちんと理解するためには、ローマ法以来の歴史を踏まえ、生き生きとしたネットワークとしての知識として備えて応用する。こういうことが必要なので、それを何とか上手に判定するという司法試験がプロセスのチェックとしては必要ではないかと思います。

□ 短答式の試験について、いわゆる俗説的なイメージではだれも議論されていないようで、やはり法曹になるために必要な能力の的確な判定をするために、短答式の方式でうまく問えるものもあるし、あるならば使うという議論だと思います。その点について、何人かの方は必ず入れるべきだという御意見で、ほかの方は、いろいろ検討してみて必要ならば入れようというニュアンスの違いはあるのですけれども、それは後で議論していただくことにして、少なくとも従来型の、一般に言われているような短答式の段階的選抜としての試験をそのまま残すという前提の議論だけではないということは一応確認いただいて、ほかにもたくさん論点がありますので、今日のところはこういう形でまとめさせていただきたいと思います。
 次の受験資格の問題でございますけれども、これは司法試験の受験資格については、法科大学院の修了者と、予備的な試験の合格者に認めるということについては、異論はないようですけれども、これでよろしゅうございますでしょうか。予備試験そのものについては後でまた議論していただきます。

(発言なし)

 次に、受験回数の制限でございますけれども、新しい司法試験の受験回数の制限については、法科大学院修了から一定期間以内に3回とすべきであるとの意見が出されておりまして、5年以内に3回というのはどうかという提案もありますけれども、この点について、これ以外に意見を付け加えたいという方はいらっしゃいますでしょうか。

(発言なし)

 もう一つ、これは法制的にも難しい問題が残っているんですが、一度受験回数制限にかかっても、一定期間経過後に受験資格を再取得した場合には、再受験を認めてもよいという提案もあるのですけれども、これは受験回数制限の問題と合わせて、少し事務局に法制的な面の検討を進めていただいて、それを報告いただいた上で改めて御議論いただくということでよろしゅうございますでしょうか。そういう意見があるということは承っておいて、少し技術的に詰めていただくことにしたいと思います。
 次に実施時期でございますけれども、この点につきましても、いろんな理由から法科大学院修了後に実施すべきであるという意見が大勢だと思うのですけれども、それでよろしゅうございますでしょうか。

(発言なし)

 次に、話題になっております予備的な試験でございますが、この予備的な試験について、いわゆる受験資格を設けるべきかどうかについて、意見が分かれていると思います。この点につきましては、中教審の法科大学院部会で取り上げられたようでございますけれども、この検討会では、前回、この問題については何も議論しておりませんので、それについて一定の結論が出たかのような情報があちこちに出回っていて、ちょっと困っているところがあるんですが、これは今から検討していただくということでございます。
 中教審の法科大学院部会における議論などを踏まえまして、法務省の方からいま一度この点につきまして、補充説明をしたいという申出がございましたので、私も前回の説明だけでは少し不十分なところがあると思いますので、法務省から補足説明をいただいた上で、御議論いただくということでよろしゅうございますでしょうか。
 それでは、法務省の方、お願いいたします。

(法務省) 着席のまま、説明させていただきます。
 法務省が司法制度改革審議会の意見に反する提案をしたという御批判や御指摘が一部にあるようでございますので、貴重なお時間をちょうだいして、もう一度その趣旨を補足させていただく機会を頂戴することになりました。
 まずもって申し上げたいことは、改革審意見は、法科大学院を中核とする新たな法曹養成制度の整備を提言されているところでして、法務省としても、もちろん、政府の一員としてその趣旨を損なうような制度設計をお願いしようとは毛頭考えていないということでございます。
 要するに、改革審意見の趣旨を踏まえた法科大学院が設置されて、その教育内容が意見書にあるとおり充実したものになれば、新司法試験は基本的には受験技術優先の論点主義の勉強では対応できず、法科大学院においてきちんと勉強し、考える力を身に付けた者でなければ合格が難しいようなものになると思われます。
 そうなれば、新司法試験の合格者はおのずから法科大学院の修了者が中心となるものと考えております。我々としても、現実にそうなることを期待しているところであって、これはまた繰り返しになりますけれども、法科大学院制度の趣旨を損なうような制度設計をお願いするつもりは全くありませんということでございます。
 予備的試験について、申し上げたかった事柄は、経済的事情その他の理由をもって受験資格を制限しようとしても、実際には規定の仕方や認定等が極めて困難であって、そのように言わば間口で制限する方法のほかにも、本日既に複数の委員の方からコメントされましたように、改革審の意見書の趣旨を実現するためのさまざまな方法が考えられるのではないでしょうかということを申し上げたかったということでございますので、補足して申し上げさせていただきます。
 どうもありがとうございました。

□ 今のような説明をお聞きいただいた上で、受験資格の問題について、御意見を交換していただきたいと思います。
 あらかじめ委員の方々から、お一人の委員からは、納税証明書とか、経歴書などで受験資格を認定したらどうかという意見と、もう一つは、ロースクールの在学者とか修了予定年齢以下の者については、受験資格を認める合理的な理由はないんじゃないかという提案がされていますけれども、そういった点について、受験資格を制限するという点についてはいかがでございますでしょうか。

○ 私の意見書に書いてあることなんですけれども、一番重要なのは、こういう予備試験を認めるのは法科大学院のプロセスを経ることを要求することが社会的に相当でない場合がどうしてもあるだろうと、だから、それは設けなければならないということになったという原点、これが失われるようでは、プロセスの尊重ということにはならないだろうということです。
 ですから、それが実現されるような技術的な方法がいろいろあるでしょうから、考えていただきたいということです。

□ 一応これは例示で、とにかくこの趣旨のようなことが、必ずしも受験資格で考えなくてもよいのか、それとも、受験資格で考えろということですか。

○ 受験資格というか、そういうところを通る人は、本来プロセスを経ることができる人は、そちら側に行くべきじゃないですから、そういうものは、行けませんでした、あなたの場合、それはしようがなかったねということがきちんと確認できるような、そういう仕組みにしなければいけないということです。

□ それをどうしても受験資格で限定しろというのか、あるいは試験のトータルシステムとして、いろいろな仕方で組み込めばよいということでしょうか。

○ トータルでそういう人しか受けない試験であるということであれば、それはそれでいいんだと思います。

□ 試験のレベルとか、あるいは法科大学院とのダブル受験の規制の仕方とか、いろんな形で考えていけば、趣旨に沿ったものにできるのではないでしょうか。

○ ですから、法科大学院を経由しないことが社会的に仕方がなかったねと言えるというのは、まさに改革審の意見書が例示したように、経済的事情と、実際に社会で法律関係の職務で活躍して長年経っていて、そんな人に今更若い学生と一緒に一からやり直してくださいとは言えませんよということであると、一応合意し合ったわけですから、それを前提に、そういう人たちが予備試験に行くという制度、それ以外の人は、当然新しく開かれる法科大学院というルートを通るという制度設計だということがきちんと明示されている制度ということです。あとは技術的に解決してほしい。これは無責任な言い方ですが。

□ 技術的に難しいから、法務省も苦労しておられて、どういう形にすれば、意見書の趣旨に沿った形になるかということをこれから検討する必要があるわけです。

○ やはり自分がそういうルートを経られなかったことが社会的に相当であるということが審査されるようなものがどこかになければいけない。

□ そういう趣旨ですか。今の御意見について、いかがでしょうか。

○ 私もそれを形式的受験資格のようなもので審査することは難しいだろうから、試験の中身でそういうふうな社会的経験のようなものを問うような試験にしてはどうだろうかと申しました。
 バイパスルートというのが、貧しくて、法科大学院に行けなかったとか、社会人になって年が経っているという、そういう人をイメージする限りにおいては、そういう人に途を開くというのは当然のことだろうと思うんです。しかし、実際の問題は、本当に飛び抜けて頭のいい人は、そういう法科大学院を経なくても、試験の問題を楽々と通ってきてしまうと。そうすると、一番優秀なのは、法学部を出たか何かくらいでさっと司法試験を通ってしまうのが大量に出てきて、その二番手に法科大学院卒が出てきてと、こういう図式になっては、プロセスとしての法曹養成というのが全部飛んでしまう。そういうことを認めておれば、一方で法科大学院に在学しながら毎年司法試験を受けていると、そういうことになったら、法科大学院が成り経たない。そういうエリート的な、超短期で法科大学院に行くまでもなく合格するような人を何とか取り除きたい。それを受験資格という点で取り除くというのが、今、委員のおっしゃったのはそういうことだと思うんです。それができないのであれば、何か別の方法で取り除く工夫をしておかないと、とんでもないいびつな形が出てきますという恐れを思いまして、そのための具体的方法として、受験資格で納税証明書を取れというのは無理だとすれば、試験の中身か何かでそれができないでしょうか。こういうことを申し上げているんです。

□ 必ずしも受験資格にこだわらずに、全体として今、委員がおっしゃったような心配は皆さん持っていらっしゃると思うので、それをトータルな仕組みとしてどうすればできるかということをいろいろ御意見を出していただいて、それについて法制的にうまくいくかどうか、あるいは事実上それがうまく作動するかどうかということをこの検討会で議論していただいて、全体として、どういうものになるかについては、今、法務省からも御説明がありましたように、法科大学院が安定すれば、それをメインのルートにしたものになっていくだろうという前提の下で制度設計を考えていらっしゃるわけで、それがどのような制度的な仕組みだとできるかという問題だと思います。

○ 今、御意見が出た超特急で行くという人は、バイパスルートで行ってもらって構わないという制度の方が現実的なのではないかという感じがするんです。そういう非常にできのいい人は、大学院にも行かなくてもいいし、そういう人が現実にどの程度いるのかわからないですけれども、そういう人もできるだけそっちに行かないで、みんな法科大学院に行くと、そういうルートに行かさない制度設計などというのは実質的に合意が得られるんでしょうか。要するに、超特急で行く人は勝手に行っていただく。
 要は大層ですね。法曹になりたい層、受験生の大層がこちらのメインを行けばいいんであって、そういう大層がこちらに行ってしまわないような制度設計が重要なんであって、少数が勝手に行くのは行ったらいいし、もう一つ、受験回数制限をやれば非常にこちらのルートはリスキーなわけですね。こちらはきちっと2、3年かけて育ててもらえるのが、こちらは一発勝負をばんばんやっていくということになると、落ちる可能性は非常に高いということになって、リスキーなんだから、できがよくて、リスキーなキャリアを行きたい人はいいと。きちっとメインを行きたい人が本当に行けるように、そこで育てるようにという制度設計じゃないでしょうか。

○ 今おっしゃった御意見というのは、私はほかからもたくさん聞いておりますし、極めて有力な御意見だと思います。

○ 今までの日本の社会を見ていますと、超特急は特にエリートであるというイメージが非常に強いので、ああいう途を残す限り、むしろ学部の段階から予備的試験の勉強ばかりに専念して、予備的試験を経ていけば私はエリートだ、超エリートだということで、それを学部の段階から目指す人が多く出ると思いますし、また、法科大学院に入った1年目辺りでも、ほかよりは2年早いからそれだけエリートであるという意識で受けようとするのではないかと思います。
 そうしますと、せっかく審議会のねらいである資質能力を向上する教育、プロセスとしての教育、また幅広い法曹などは、そういう意味でかなり損なわれてしまうのではないかと思います。ですから、超特急のルートを、そういう観点から本当に幅広い法曹を目指すのであれば、そういう途を残すのは大変危険であると私は思います。

○ 先ほどの委員の意見は、私は今回の制度改革の一番の根本の趣旨に反するんじゃないかと思うんです。つまり、プロセスへ転換することが必要であるという、そこにかかってくるんじゃないかと思うんです。私の意見書にも書きましたけれども、医者になるために医学部の課程を経ることが必要である。そこでいろんな解剖実習をしたり、あるいは臨床実習したり、いろんな医学の知識を学んだりしてきて、最後に医師の国家試験を受ける。だれも医師の国家試験だけをいきなり受けて、そこで特に優秀な成績の人は医者になっていいということは言わないわけです。
 別のところでお話ししましたけれども、例えばフグの調理師試験というのがあります。これはフグの実際のさばき方の実技をきちんと経験しないと受けられないんですよ。だれもフグの調理師試験だけで、ペーパーテストだけ受けていいということは言わない。やはりそこに至るプロセスそのものが、その職業にとって本質的な能力を涵養する過程であるからなんです。
 今までの日本の場合は、そういう意味では言わばフグの調理の実技をやらせずに調理士試験だけ、あるいは医学部の過程を経ずに医師の国家試験だけ受けさせているのと同じ法曹養成制度でやってきたわけなんですが、これがおかしいというのが、今回のそもそもの改革の根底にある発想だったんじゃないかなと思うわけです。
 そういう意味で、国民の権利を守り、あるいは義務を確定させてしまう、ひょっとしたら死刑にしてしまうかもしれないというような重要な職業に就く人に対しては、これからも少なくともグローバルなレベルで考えると、大学院レベルできちんとした過程を踏んで、それからなってくださいということにしなければいけないはずです。それをまさにペーパーテスト信仰、そのものだと思いますけれども、テストだけ通ればいいというのでは、改革がそもそも始められた意義に反するんじゃないかと思います。

○ この議論の中には、いつも思うんですけれども、法科大学院について、すごく自信がない、法科大学院を立派にやっていく自信がないから、保護して保護してと言っているような感じがいつもするんです。法科大学院が非常に充実して、非常に資質のある人が能力を発揮して、立派な法曹に育っていけば、超特急で来た者は秀才かもしれないけれども、やはり駄目だねということになるだろうと思うんです。やはり法科大学院出は法曹として立派だと、特にこの分野では、あの法科大学院を出たものがいいと、あの法科大学院を出た弁護士が欲しいという事態になってくるだろうと思うんです。
 そういうバイパスで行くのを全部排除して、保護して保護してやっていかなきゃいけないという発想がどうも私には理解し難いということを一言言いたいと思います。

○ 私も原則としては同じで、今の司法試験ではないわけですから、これからプロセスを重視する大改革なんですから、法科大学院で豊かに育てられた高い能力がテストされて、それが高く評価される司法試験であるわけですから、それも受けていない、教育の何も必要でないけれども、それだけの教育効果を身に付けている人ならば、それはそれで受かればそれでいいという議論にならないですか。今の司法試験の中身に関しても、私は自信がない議論ではないかと思います。法科大学院の教育内容に関しても、更に司法試験の中身に関して、えらく自信のない議論に、先ほどの御議論はなるように思うんです。

○ 全く逆ですね。自信があるから、その過程を経てほしいと言っているんです。要するに、司法試験、予備試験でもそうですけれども、試験で試せる能力というのは限られている。そういうもの以外のものが、むしろもっと大きく求められる。新しい法曹像の提示があるから、法科大学院の制度が提案されている。双方向的、多方向的で密度が濃いと言っているのは、今までのような一方的な法律学の伝授ではない議論をする能力、それから法的なリーズニングをその場でする能力、説得する能力、そういうものを磨く必要があるからです。しかも、法廷外の仕事が多くなると、倫理的な価値を内面化している人になってもらわないと、非常に多くの問題が起こるわけです。これは法廷であれば、裁判官がいて、相手方がいますから、二重のチェックがかかるんですけれども、法廷外の仕事ではそういうチェックがかからないという恐れがあるからです。
 そういうことで、これからの法科大学院で育てなければならない能力があるというその部分をすっぽり飛ばしてはいけない。どんなテストでもごく一部の能力しか試せないから、だからこそアメリカでもABAの認定するロースクールの修了が各州の受験資格になっているというように、過程を経ることが要求されているわけなんです。自信がないから保護してくれと言っているんじゃないんです。そういう過程を経ないで、今以上に広範な分野で活躍する法曹を大量に出した場合には、四股や鉄砲という例えもありましたけれども、四股や鉄砲についての知識は持っているけれども、四股も実際に踏んだこともなければ、鉄砲も突いたことがない。そういう人たちをどんどん法曹にしていくことになり、結局は依頼者としての国民が被害を受ける制度にしてしまう恐れがあるということなんです。つまり、過程が大事だからこそ、その過程にすべてを集中し、これを中枢機関にしなければならないというふうに改革審議会の意見書はまとめられたという経過だと思います。ですから、この間の法曹養成の改革についての議論に携わってきた人たちは、この間の中教審の委員の方の多くがそうですけれども、今回の法務省の提案については、非常に違和感を持った。先ほどちょっと誤解があると思いますけれども、あそこで示されている違和感は法務省の提案に対する違和感であって、それをこの検討会の議論にも反映させて欲しいというのが部会長の依頼だということなんです。

□ 短期で行く人をエリートだと受け取るかどうかの問題でして、必ずしもそうではなくて、早く受かる人がエリートだという発想自体がおかしいので、自分のリスクの範囲で選択するという問題だと思います。

○ それが多いと想定された議論をされているんですけれども、それが多いというのは、どういうテストなのかというふうに私などは外から見ていて思うんです。ごく少数でまれなケースであれば、制度設計上あえてそういうものはしない。それが大量であるという仮定が置かれるということなら、この制度はどうなのかと、あえて反論したいです。エリートという表現は撤回していいと思います。

○ 大きなところでは皆さん異論はないと思うのです。ただ、予備試験を経て受けるというルートを開いている以上、そういう人を本当に技術的に切れるんですかということだと思うのです。
 懸念しているような事態をいかに試験の仕組みの中で防止するかということですが、それを幾らやっても、やはり開かれた試験である以上は、抜け道を通ってくる人は出てくる。しかし、これからは、社会に出た場合に、あそこの法科大学院でこんな勉強をしてきた、こういう得意分野を身に付けているということが売りにならなくてはいけない。そういう人たちをエリートにすべきであって、何か超特急がエリートだという意識のままではいけない。そこを打破しないといけないと思うのです。

○ プロセス重視については、私も全く同感です。問題はそれを予備試験の資格要件の限定という形で規律していくべきかどうかです。それは象徴的な意味があるのかもしれませんが、いささかアンフェアな感じがしないでしょうか。予備試験はだれでも受けられるようにしておくべきだと思うのです。あとは先ほど委員が言われたように、試験の内容で対応するのが相当です。私の意見要旨には予備試験はどのような内容の試験とするか、難題であると書きました。これは、もちろん、難しい問題を出すという意味ではありません。どういう問題を出したらいいかというのは、大変難しい。これはなかなか通りにくい。独学でも難しいでしょうし、予備校でうまくいくかどうか。大きなルートは、プロセス重視の法科大学院であって、そこでしっかり知識を身に付けて勉強した人がどっとたくさん司法試験に通ってくるというのが本道になることが予測されます。心配することは全然ないと思います。

○ 入口の要件で縛らなくても、内容でそういうふうに持っていけるという御意見だと、私もそれに賛成です。

○ 今の御議論を伺っていて、御心配になっているのは、発足してからしばらくの間の問題だと思います。アクレディテーションがきちんとやれるようになれば、おのずと良い方向へ行くと思います。大学関係者、法曹関係者が集まってきちんとしたアクレディテーションができるようなれば、今の問題はほとんど問題にならなくなると思います。もちろん、移行過程では、委員が心配されたようなことは私は起こると思います。どんな試験をやったって、プロにかかれば、突破されてしまう。ですから、当面は御心配のようなことが多少起きてもしようがないとあきらめざるを得ないと思います。
 日本の社会では早く行くのがいいという考え方が支配的ですが、これは絶対にやめなきゃいけない。ですから、社会人などもたくさん入れるべきです。先ほど社会人をどうやって判定するのですかとおっしゃったんですが、これは大して難しくないと思います。工学分野では、修士の学位がなくてもドクターコースに入学させています。今まで何をやってきたかを詳細に書かせます。判定には時間がかかりますから、技術的な問題はあり各大学相当苦心してやっておりますが、さほど難しくはないと思っております。

□ 今日は3時間やることになっていますので、この点につきましては、技術的にどうするかというのは確かに難しい問題があると思うんですが、しかし、何を懸念されていて、どういう方向に行けば制度として安定してうまくいくかということについて余り異論はないと思うんで、その辺りについて、事務局の方で、また法務省と相談していただいて、皆さんの御納得がいただけるような案で、これから議論を深めていきたいと思います。ただ、法制的にも技術的にもいろいろ難しい問題がありますので、この点については、ちょっとここですぐにどうのこうのというのは難しいと思いますので、検討させていただきたいと思います。
 予備試験の入口の話ばかりやっていますけれども、中身のことにつきましては、予備試験が始まるのはかなり先のことでございますので、今のところは適当な時期に制度設計をすべきだということで済ますことも考えられますけれども、受験資格の話ばかりしていて、中身の話について議論を行っていないのもいかがかと思いますので、この点についてもトータルにどういうふうなことになるかということについて、今まで皆さんにいただいた意見を踏まえて、事務局の方でたたき台的なものを整理して、御議論いただくということでよろしゅうございますでしょうか。
 それから、その他につきましては、新しい司法試験と現行司法試験とは、ある期間併行して実施されるということもありまして、この移行の問題はただいま指摘がありましたように非常に難しい問題があるのですけれども、同じ年においては、新司法試験と現行司法試験のどちらか一方のみを受験することができるとすべきであると、そういう間接的な形の意見が出ているんですが、この点については、何か異論がございますでしょうか。
 これに関連して、法科大学院の在学者とか、修了者が現行司法試験を受験することについて禁止すべきだという意見もあるわけでございますけれども、各自のリスクで受験することまで禁止することはどうかという意見もあるわけでございます。
 ここでは何人かの委員が示唆されておりますように、現行司法試験を受けた場合でも受験回数制限としてカウントしていくという形で間接的に制限するという方法も考えられますので、この点につきましても、法制的に現実に可能なのかどうかという問題がありますので、事務局で検討を進めていただいて、報告していただいた上で、また、御検討いただきたいと思うんですけれども、この点について何か補足的な意見がございますか。

○ 法科大学院に在籍中に現行司法試験を受けるというのは、ほんのわずかな期間なんです。現行試験が残っている期間と、自分が法科大学院を卒業してしまうんですから、そうすると、本当に1、2年の、その間併存することで、受ける受けないというのは、余り議論する意味がないのではないかと思うんです。禁止をしてもいいんですけれども、ほとんど禁止しないでも、法科大学院に入ったら、試験制度が違うんだから、新司法試験の方が出口が広いとなれば、現行試験の勉強と新司法試験の勉強を両方やるといのうはほとんど考えられないので、余り議論する必要はないんじゃないかと思うんです。そのことを懸念する年限も本当に限られた年限だし。

□ 期間的にはごくわずかなので、先ほど予備試験とかいろいろな関係でトータルに、どういう形でうまくロースクールをメインとする新司法試験が定着するかということの問題だと思いますので、現実的にはそうだと思います。

○ 私も短い期間の問題だと思うんですけれども、当初1年目、2年目は大きな影響が出るかもしれない。法科大学院の入試で通したけれど、そのほとんどが現行試験で受かって、空になってしまうという可能性がないわけではないと思うのです。ただ、現行試験を継続する期間、その受験を制限できないとすると、公平という意味からは、ロースクールに進んだ人は同じ年度では一回、どちらかしか受けられないというふうにした方がいいのではないかと思います。

○ それは卒業後ですね。

□ この点は主として法制的にどういう形をとるかという問題だと思いますので、そういうことでよろしゅうございますでしょうか。
 続けてやるのもどうかと思いますので、10分くらい休憩します。

(休 憩)

(3) 第三者評価(適格認定)の在り方について

□ 第三者評価(適格認定)基準に関する論点について、時間の関係で、同じように順番にやるというわけにいきませんので、残りの時間、5時に終わるという前提で、皆さんのこれまでの御意見と今日の御意見を伺って、特に意見が分かれている点を中心に、少し御議論いただきたいと思います。
 1つは、ずっと前から問題になっております入学者選抜でして、第1回に配布されました資料7の第3に当たります。これについては、公平性の確保に関する措置と、開放性、多様性の確保に関する問題の2つがありまして、事務局の方から一応規定案のようなものが出されています。入学者選抜に関する公平性につきましては、事務局からは、特定の大学の出身者を優遇してはならないという趣旨の規定振りが示されているのですけれども、これにつきましては、公平性の1つの内容にすぎないのではないかという指摘がなされております。しかし、公平性の内容の1つとして、特定の大学の出身者を優遇してはならないという趣旨自体には御異論はないと思うのですが、その点はよろしゅうございますでしょうか。
 ですから、これは検討するとすれば、1つ目の○を中心に検討することになると思いますけれども、これについて何か特に今の時点で付け加えるべき点はございますでしょうか。

○ 自大学、あるいは自学部を優先してはいけないということは、委員も御指摘のとおり、公平性確保の一要素なんですけれども、この点は審議会の議論でも、どうもそういうふうになってしまうのではないか。各法科大学院が独自に入試をすると、内容、あるいは方法、試験範囲などについてですね。そういう疑念もかなり強く表明されていたのです。
 それに対して、そうなってはならないということを何らかの形で示すというのは、それなりの意味があると思うのです。ただ、基準それ自体にしないといけないとは思わない。その解釈とか指針とかに、例えばそういうことをするのは不適切である、そういうことにならないようにということは、盛り込んだ方がいいのではないかという感じがします。

□ 基準として上の○だけを置いておいて、下の○は解釈、ガイドラインとして、こういう要素を組み込んでいくという処理の方法も考えられると思いますけれども、この種の内容について大体異論はないと思います。
 意見が分かれていますのは、次の開放性、多様性の確保の方でございまして、これについては、事務局からは非法学部及び社会人から一定割合以上選抜するよう、数値的な基準を示す、この事務局の規定の仕方どおりにするかどうかはともかく、こういった形で規定する例が示されているわけですが、この点につきましては、積極的にそうすべきだという意見と、消極、あるいは慎重論も出ています。規定の仕方の問題だというところがあると思いますので、何も規定しないというのは意見書の趣旨に反するところがありますので、規定の仕方が非常に難しいということになると思うんですけれども、この辺りについて御意見いかがでしょうか。

○ 例えば法学既修者というか、言わば短縮型の方は、プラスαの試験をやって選抜していくということはやる。そのほかの3年型の一般の入試の方は、かなり一般的な試験で採っていくということになったとき、その中で非法学部とか、社会人をわざわざ別枠で採らなければならないのか。言わば法学既修者の方は一定の枠をはめていくという設計をしている法科大学院の場合、ほかは要するに一般なんだというときに、願書か何か見て、この人の履歴を見て、枠をつくるんですかね。ということで、余り率的にそういう枠をはめるというのは、実際の入試とからめた場合に、どういうふうな形であれば、それができるのか。そこがわからない。初めから、入試で非法学部、社会人枠の入試を行って採るのか。

□ それは技術的な問題でしょうね。

○ そういう入試の方から言うと、余り数値的には表しにくいのではないかと思うのですが、法学既修者の方は枠をはめたいと。そのほかは一般だというような場合、試験は一般的に、例えば語学なら語学でしていくときに、あとは学部成績でやるという場合に、そういう試験ができなくなってしまう。

○ 完全なお答えはできないんですけれども、大学というか、入試をして受け入れる側からすれば、そうなるように努力するということしか言えないと思うのです。具体的な制度としては3年制はこのくらい採ります、2年制はこのくらい採りますということを示す。そして、法学部から来る人のほとんどは、2年制を受け、それ以外の人は3年制を受けるという想定でやらざるを得ないと思うのです。
 ただ、こういう枠を設けるのは、やはり多様性を一定以上確保する、あるいはそれを拡大する方向で制度設計をしようという趣旨ですから、何度かやってみて、最終的には総合的な判断で決めざるを得ないと思うのですが、そこのところで、結果としてそういう方向に向いていくような選抜方法を取っていくということしか恐らくないのだろうと思います。

○ 法学既修者、未修者の枠と、他学部、社会人の枠という考え方は、2つ次元が違う考えで、ダブっていたりするのでややこしいですけれども、私はもともとはこれからの新しい法曹の多様性を求めるために、いろいろなバックグラウンドを持った人、理科系の人なり、哲学をちゃんとやったとか、文化系でもいいんです、あるいは芸術家でもいいんですけれども、そういう人たちをたくさん招き入れる。それが必要だということからいうと、未修者の枠を十分に広く取りさえすればいいんじゃないかと思っていたんですが、ただ、この未修者枠という考え方に対しては、改革審議会の意見書に何も書いていないのではないかという強い反対がありまして、なかなか難しいなと思っています。でも、やはりそういう意味での配慮というか、法学未修者をこれから広く法科大学院は受け入れて、法曹にしますよというアナウンス効果があるような、そういう措置がどこかで必要かなということと、それから後はこの事務局の規定振りでもいいんですけれども、要するに、選考過程でいろんな要素を見る際に、これは法科大学院の方針によって違うんでしょうけれども、理科系の経歴を持っていることを同じ水準の中では重視するということをやっていますよとか、そういうことがきちんと言えるような入学選考が保証される。それが第三者から見て合理的であることということで実質的にそういう人たちがどんどん法曹になっていくようにしていくというのがいいんじゃないか。
 それを実際にどうやるかというと、非常に難しい問題で困るんですけれども、この事務局の規定振りの案でもいい。ただし、この場合、数字を入れるのが非常に難しくなって、恐らく意見が一致しないんじゃないかというのがこの規定振りの1つの問題じゃないかと思っています。

○ 最初のところでよろしいですか。特定の大学を優先しないという話ですね。これはものすごく難しいと思います。工学部はむちゃくちゃになっています。例えば東工大などでは、修士進学者のうち7割近くが自学です。京都もそうですし、東大は最近ちょっと広げたから少し少なくなっていますが、いずれにしても、よほど不退転の決意でやらないと、ほとんど自学ということになってしまいますね。ですから、アクレディテーションで、他大学からどのくらい入っているかということも当然聞かなくてはいけない。いずれにしても当事者が相当不退転の決意でやらなかったら、開けてみたらほとんど自学になってしまうという可能性が非常に高いと思います。

○ そこについては、枠を設けるとか、何割以上採ってはいけないというやり方ではとてもできないと思うんです。だから、選抜の仕組みにおいて、例えば出題の範囲だとか、出題内容だとかいうことについて、自大学を優遇するようなことをやっていないかどうか、また、選抜の結果についても、ちゃんと説明できるような選抜の方法を取っているかといった点をチェックするという形でしかできないと思うのです。

□ 基本的には、選考データを匿名化して、オープンにして、こういう基準で選んでこうなりましたといって、社会的に受け入れられるかどうかということから始めていけばということになりますかね。確かに、先ほど委員がおっしゃったように技術的に非法学部というのは難しさがあるんですかね。

○ 法律の試験ではないとき、例えば英語だけでいくと言った場合に、英語の点数だけで結果を見たら、法学部出の方が英語の点数がわっと高かったというときに、他学部出はほとんどいないという試験でやっても、他学部をうんと入れろというのは一体どうしてやったらいいのか。そうすると、またほかの試験をやらないといけないから、枠をつくって試験をしろというのはわかるけれども、法学部出ではない方の試験、一般的な試験でやりますね。

○ 適性試験を共通にやるというのが、多分そのお答えではないかと思うんです。その上で同じレベルの人の中からどういう人を実際に入学させていくか。

○ 例えば法科大学院の独自試験では、英語だけ、外国語なら何でもいいんです。それでやった場合に、成績において、こんなに離れたのも他学部は下から拾ってくるのか。今の丙案みたいに。

○ その点は恐らく、英語だけでやるという試験の合理性というものが問われるということになると思うのです。ただ、適性テストの結果の分布が、余りにも定められた割合から離れているということになると、いずれその割合は見直さないといけないでしょうし、それまででも、その割合を満たさないことについて正当な理由が立つのじゃないかと思うのです。
 しかし、いずれにしろ、どれだけ厳しい基準にするかは別として、そういう形ででも、枠を設けなければ、今までどおりのことになってしまうのじゃないかという懸念が強かったのです。それで、審議会はあえてこういう枠を提言したということなのです。

○ 試験を公平にやっていると、客観的にこれだけやりましたよということが証明できるようになっていれば、それでいいのではないかと思うんですけれども、特にそれぞれの受験生の特性まで考慮して、優先枠的に入れるということをしないでも、客観的なそれぞれの法科大学院の成績によってこういうふうに切りましたと。

□ 今おっしゃった点も、審議会でいろいろ検討された結果、最小限、このくらいの枠組みを設けないとうまくいかないというふうになった経緯がございますので、数値はともかく、こういう形の基準は設けざるを得ないと思います。

○ 完全にペーパーテスト、客観テストだけでやれば、まだ委員がおっしゃるようなことが確保できるかもしれないのですけれども、他方でペーパーテストだけで判断するのは適切ではない。総合判断でやるべきだと言っていますので、総合判断と公平性の両立というのは極めて至難の技だと思います。それを何とか合理的な仕組みで確保していこうというのが、基本思想なのです。

○ 学業成績と言っても、他大学の、しかもいろいろな学部のものをどうやって選抜するかというのは、実際問題としては非常に難しいですね。「望ましい」という規定として、数値を特に枠として入れないというならば、特にこだわらないですし。

□ 入れ方の問題なんですね。

○ そうそう。枠を「他学部・社会人」くらいに大きくまとめておいてくれれば。

□ 社会人何%、他学部何%というのは難しいと思うんで、トータルとして実行可能な基準であるとみられるものでないと具合が悪いでしょうね。

○ 柔軟な入試ができるようにしておいていただければいい。

□ それと、できるだけこういうふうにもっていきましょうという規定と、ミニマムこの辺りはどうしてもという規定の双方があって、そのミニマムについても、ちゃんと説明して受験者はこれだけしかありませんから、これ以上のことをやるのは不合理ですというふうな説明ができればいいという規定の仕方などが考えられます。

○ それでいいということならば問題はない。

□ 規定の仕方の問題だと思います。何も規定を設けないというのは、ちょっと意見書との関係でできないと思いますので、うまく機能するような規定の仕方を考えるということになると思います。全国画一的にやっても、東京でやるのと地方でやるのでは全然違いますから、その辺りは十分合理的な基準にしなければならないと思います。
 一番問題の数値は残りますけれども、これはこれで、先ほど出ましたように、事務局が示されたのも1つのリーズナブルな規定振りだと思いますので、その辺りを詰めていくことにしたいと思います。
 次に「第5 教育課程について」、これは余り議論がなかったんですが、いろいろ意見は意見書の中で寄せられているわけですけれども、具体的な評価基準作成につきまして、委員がおっしゃったように、自由にやらせるということも考えられますが、トータルの単位とか、ある程度ガイドライン的なものにするかはともかく、具体的な教育課程のイメージができないと検討が進まないところがあります。

○ ガイドライン程度なら私も特に反対はいたしません。私が申し上げたかったのは、実質は適格認定でやるべきだということですね。実際にそういうことが身に付いているかどうかというのは、いろんな方法でチェックする必要があろうという主張です。

□ この点につきましては、意見書に書いていただいたことのほかに、何か付け加えるべき御意見がございましたらどうぞ。

(発言なし)

 それでは、これは一応今まで出た意見をベースに今後検討していただくとして、次に教育方法につきまして、これも事務局の案で言いますと、第6になるわけでございますけれども、少人数教育の基準について、1クラス当たりの学生数について、具体的な数値を決めることになっています。この点につきまして、少なくとも必須科目と言いますか、コアになる科目については、ある程度基準を示さないと、各大学で入学者の定員を決めたりするときに、目安を示す必要があると思いますので、少人数と言えば、大体どの程度かという見当はつくと思うのですけれども、これについても、今まで幾つか意見があって、先ほど委員が80人ということをおっしゃいましたが、この点についてもいかがでしょうか。これも画一的に決めるんじゃなくて、こういうのが望ましいというのと、この辺りまで許容できるということを、地域とか学生の規模に応じて考えていくということになると思います。

○ 実際に15人に1人の専任教員が要るんです。1人の教員が何コマ持つかわかりませんけれども、そんなに大規模になるわけがないんです。形式的に分けていったら、そんなに多勢にはならない。
 ところが、実際問題として、教員の人気のバロメーターがいろいろありまして、競争講座で本来形式的に分ければ、例えば30人くらいずつ分かれるようになっているのに、ある先生のところには100 人行って、あとは全然来ないというような結果的にそういうこともあるわけです。それまで、もしこの基準でチェックするとなると、ある程度クラス指定をしないといけなくなってしまうという問題になるんです。クラス指定というのは、学生から言うと非常に評判が悪いんです。私はあの先生の授業を受けたい、私はこっちだというんで、それをこっちで強制するというので。
 ですから、ある程度そういうコマで、ひととおりクラスを3つに分けて、形式で分ければ基準を満たすようになっていればいいという形の基準なのか、ふたを開けて、履修者数が偏った場合も、これでチェックするのか、その辺りはどういうふうに考えるんですか。

□ 今まで各大学で公表されている案を見ますと、基本的にはコア科目については、クラス編成をしている案がほとんどで、今、委員がおっしゃったような形で、競争的にやって、ここは多くて、ここは少ないというのは余りないし、アメリカでもコア科目については、そういうシステムを採っているところはないと思います。

○ 例えばある大学、300 という定員数を出していますけれども、300 を50人で取ると6クラスですね。そうすると、例えば憲法なら憲法で6クラスを置くということにしても、どこかに偏らないようにクラスを指定してしまうと。

□ コア科目に関しては、各大学の案はそうなっています。

○ そうすると、教員の好き嫌いは言わせないと。

○ 確かにアメリカの場合は、1年目はクラス指定で、最初から入ってきて、クラススケジュールが配られて、2年生、3年生の場合も、人数を制限しますけれども、場合によってはロータリー制度で人気のある人は抽選で選んだりするという形式を採っているところはかなりありますけれども、先ほどのコメントで、例えば3年目辺りは、場合によっては100 人講義形式など、それらは十分考えられると思いますけれども、基本法に関しては、やはり少人数のためには何らかの形のクラス編成が必要なのではないか。
 ちなみに、私の経験からして、確かにハーバードは最近、1年目のカリキュラムの編成で80人にしましたけれども、今までは150 人弱でしたけれども、それではうまくいかないということで、ようやくハーバードは80人に制限したけれども、私の経験からして、60人までは学生の顔を覚えることはかなり可能ですけれども、その60人から80人という違いだけで大分違いますので、理想は60人程度ですけれども、せめて80人以下というのは、妥当な数字なのではないかという気がします。

□ いかがでしょうか。

○ 司法研修所のクラスは、今は70人台ですが、これは80人くらいが上限かなという感じですね。それくらいなら何とか頑張って、よい教育をしていただける環境ではないかと思います。

○ 私はアメリカは学生もある意味で双方向的な授業にアンダーグラデュエートのレベルから慣れていて、教師の方も当然そういうものを身に付けてやっているから、80人くらいで出来るのかと思います。それでもハーバードという超一流校の一番優秀な学生たちを相手に80ということを考えると、日本ではまだ学生も教師もそういうやり方について、十分慣れていない。余り教育方法についてのノウハウもしっかりと確立していないという段階ですから、もっと小さい基準にすべきだと思います。
 中教審の法科大学院部会では、法律基本科目の授業であれば、おおむね50人程度を基本とすべきであると、これは幅のある表現ですけれども、ということで、意見が一致しておりますので、それが第三者評価の場合にも、何らかの形で1つの基準として参照されるべきではないかと思います。

● 今の点ですけれども、それは設置基準に盛り込まれるということですか。

○ これは枠外の説明ですから、設置基準そのものになるかならないかは、多分そうではないんだろうと思いますけれども、議論した際に、この程度が適当であろうということで、少なくとも法科大学院の部会では意見の一致が見られた数字です。

● そうすると、50人程度を基本とすべしという意味の位置づけはどうなっているんですか。

○ それは少人数教育をやれというのが設置基準の方には確実に入りますから、その少人数教育をやっているかどうかということの判定にクラス編成をどうするつもりなのかというのが入ってくるということじゃないかと思います。

□ 私は、この問題は、第三者評価のマターであり、設置認可に関係するマターではないと思います。そこで意見として触れておられるとしても、参考意見にすぎないので、マターとしては、第三者評価の問題であり、この問題はこちら側で検討して、最終的に、ミニマムはこう、理想はこうということは、評価基準の中で規定されることだと思います。設置認可基準は大綱化されているので、少人数としてはこういうものが考えられるということを参考意見としておっしゃったのかもしれないですけれども、具体的に検討するのはこちらの問題だと思います。

○ 管轄の問題はおっしゃるとおりだと思います。それはそのとおりなんですけれども、これはそういう意味で、設置認可の基準の少人数教育、審議会の意見の意味するものを考えた際に、別のボディーではありますけれども、専門家が一応それは良い基準だということで、合意して参考意見として書いているわけですから、それは十分に参考にされるべきではないかということです。

□ もちろん、それはそうだと思います。

○ 私も今座長がおっしゃったような位置付けのものとして受け取っていまして、基本とするというのは、望ましい姿だということだと思うのです。その点については、だれも異論がないと思うのです。しかし、現実に動かしていくときに、どこまでが許容限度なのかというのは評価基準としては非常に重要になってくる。できるだけ少なければ少ない方が良いというのもそうかもしれないですけれども、やはり許容限度はどこまでかということが問題なのだと思うのです。
 それと、教育方法とか、我々が慣れていない。受講する学生の方も慣れていないということですが、そこは何度も皆さん強調されていますけれども、法科大学院で教える人は教育方法について、いろんな実習をしたり、お互いに研究をして、そういうものを身に付けていく。そういう形で臨まなければいけないだろうと思うのです。
 他方、学生の方は、そういう場を与えて、何度か経れば今の学生は十分応えられると思います。私もゼミでそういう方法を最近採ったことがあるのですけれども、3回くらいやれば確実に応えてきます。そこは余り心配していないのですけれども、先生の方が心配と言えば心配です。

□ 今の点どうぞ。

○ 今の点に関連しまして、こういうプログラムはどこがつくればいいかわかりませんけれども、せめて新しい法科大学院を設置する段階で、教師のための訓練プログラム、例えば2週間くらいの集中的なプログラムであれば、研修所の知恵を借りて訓練をしていただいたり、あるいはアメリカか外国のソクラティック・メソッドの名人を呼んで、そういうようなプログラムをまず1年目につくっておいて、2年目から続けて新しい教員のためのプログラムをつくるべきなのではないかと思います。

□ 今御指摘になった点は非常に重要な点でして、教員の教育能力の向上に関して努力すべきだという点はそのとおりです。実務教育の基礎的な部分については、法科大学院で教えるとなると、それに対するサポート態勢は法曹関係者からもしてもらわなければならないし、法科大学院の方でもそういった教えるノウハウをつくり上げるために、例えばアメリカのロースクール協会がやっている年次総会みたいなものをやって研究していくという必要があると思います。意見の中にそういう措置を講ずべきだということは入れてもいいと思います。ただ、基準に盛り込むかどうかというのはちょっと問題だと思うのです。この点、どうでしょうか。

○ 是非意見としてそれは強調しておいていただかないと、各法科大学院どうしたらいいのか、みんな五里霧中なんで、その点はもちろん、基準ではないんでしょうけれども、是非スタート前にそういう態勢をどうやってつくるのかを提言していただきたい。

○ 今のことに関連して、最近ひょんなことから、スタッフ・ディベロップメントのことを調べ出して、英国の主な大学を見てみたんですけれども、すさまじいですね。10年前はなかったんです。それが大体新しく任命された大学教員に対して、大学が今おっしゃったようなコース、オリエンテーションのときにはもっと詳しいことを全部で100 くらいやっています。ですから、日本の大学は完全に遅れたと私は思って仰天しているんです。
 ですから、今の御提案は非常に良いと思います。恐らく外国に相当いいマテリアル、エグザンプルがあると思いますから、是非それはやっていただければと思います。
 確かにスタートしたときには、クラスがばらつくかもしれませんけれども、適格認定のときに学生評価などをやりますから、おのずと先生方も資質向上を心掛けられるから、1人の先生にやたらにかたまるとか、そういうことは徐々になくなってくるんじゃないかと思います。

○ 日本は随分遅れたんですね。是非その辺を。

□ ロースクールの場合には、特に教育方法の転換ということが非常に強調されておりますので、これは何らかの方法で組織的に対応することを検討しないとできないと思います。別のシンポジウムのときに協力しようとおっしゃった委員もおられますし、司法研修所にも是非協力をお願いしたいと思います。
 全般的に、最初から順番にやるほどの時間もないのですけれども、他の項目についていかがでしょうか。在籍者数と収容人員、この点については事務局から在籍者数が収容定員を上回る状態が恒常的なものにならないようにするとの規定振りが示されておりまして、この趣旨に賛成だという意見もございましたし、他方、慎重論もあったわけですけれども、この点についてはいかがでしょうか。
 言及していただいた方も、賛成論と慎重論と両方分かれただけなので、これはどういうふうに最終的に規定するかという規定の仕方の問題もあると思います。

○ 問題は2つあって、1つは、入学者選抜のときのどんぶり勘定というか、見込みが外れた場合に、たくさん入ってきてしまうということ。これは、ある程度の期間をならしていけば、そう厳格な基準でなく、ある程度幅があれば対応できるかなと思うのですけれども、問題は留年の方でして、こちらの方は、司法試験の実施時期をいつにするか。卒業後ということにすれば、受からなかった人は戻ってこないということでいけるのですが、受験を控えるということも考えられますので、それをどうするかだと思うのです。それを法令上、とどまってはいけないという形にできるのかというと、かなり難しいと思うのです。ただ、そうはいっても在学できるのは一定年限に限られていますので、そこで頭打ちになる。もう一つ考えられるのは、学年制で進級する制度をつくって、幾らとどまっても3年生のところだけというようなことも考えられるんじゃないかと思うのですが、いずれにしろ、委員の言われたように、とどまった人の分だけ新しい有為の人を取れないというのはちょっとドラスティック過ぎると思いますので、基本的に質を維持するために一定の範囲に限定すべきだという趣旨は私も賛成なんですけれども、余りそこをぎちぎちやられると、大学サイドとしては非常に辛いということを申し上げておきたいと思います。

○ それは今みたいに留年自由という制度はやめて、ABAの基準にもありますけれども、この人はもう見込みないというような人は、退校させるというシステムを入れるべきなんじゃないでしょうか。そうではないと、今言われたような問題がどうしても生じてくる。

○ 成績の悪い人については、卒業要件を上げて卒業させないということはできるのですけれども。

○ まさに学年制にして、例えば1学年で、

○ それにしても、1年間だけでは切れないんですよ、今の制度では。

○ 法令上の問題は抜きにして言えば、それは切れるようにするべきだと。例えば1年目の成績が一定水準以下で見込みがないと。そういうのはむしろとどめておくというのは、学生にとってもよくないし、大学にとってみれば見込みのない人から高い授業料を取るということですから、それもおかしいわけです。きちんとそこはするというのをどこかに入れていただきたいなと思います。

○ 切れないんですか。

○ 卒業要件を厳しく課していく、あるいは進級につき厳しい要件を課していくということはできると思いますけれども、1年しか余裕を与えないということになりますと、私の印象では、今の制度では切れないはずなのです。これは文部科学省の方に答えていただいた方がよろしいと思いますけれども。

□ 留年制のことなど、文部科学省の方で御説明いただけますでしょうか。

(文部科学省大学課長) 制度的にぎりぎり言えば、退学なり留年なりをさせるのは、最終的には学長の権限ということですから、それについて、そういうことが制度的にできないのかと言われれば、制度的には可能だと思います。ですけれども、教育機関としての通常の判断として、そういうことが適切なのかどうかということになれば、一般的に言えば、教育機関としてみれば、その学生について最大限卒業させるように、させるようにという意味は、要するに、いったん受け入れた以上は所定の水準まで持ち上げる、力を付けさせる努力を最大限した上で、なおかつどうしても見込みがないという場合に退学させるというのが通常の考え方ではなかろうかと思います。

□ これもどういう方向が望ましいということは言えると思うんですけれども、どういう方向は駄目だというのは難しいと思います。
 ほかにこの第三者評価について、特に今日出た意見を踏まえて、新たに付け加えておくべき論点はございますでしょうか。

○ これはどこで議論をしていただくのがいいのかわからないんですけれども、法科大学院自体に対する補助金だとか、あるいは学生に対する公的奨学金ないし民間の奨学ローン、そういったものの整備ということが、特にそれを学生の成績なり勉学態度と関連させてやるというのが今の留年を防ぐことにもなりますし、経済的にもこの制度を生かす根本になると思うんですが、その議論はどこかで、この会で議論することができるんでしょうか。

□ 基準に入れるかどうかということについての実質的な議論の話なんでしょうか。

○ 実質的な議論です。第三者評価基準ではないと思うんですが、この法科大学院を生かそうと思えば、それがないと非常にうまくいかない。それがあるかないかで大変違ってくる。そういう意味で、お金がかかる問題ですから、どこかがきちんと取り上げておかないと、抜け落ちてしまう。それはこの席で何かそういうことを提言するとか、そういうことはできるんでしょうか。

□ どこまでがどうかということは、法科大学院の教育水準の維持向上というために、そういうサポートシステムが要る、個々の学生に対して奨学資金とか、どういうふうにケアしているかという問題と同時に、法科大学院全体に対しての優遇措置が望ましいとか、そういうふうなことは検討して、場合によれば法科大学院に関しては奨学資金について優遇措置をすべきだというふうなことはここで議論していただいて、そういうことが望ましいということになれば、検討の余地はあると思うのです。事務局の方はいかがでしょうか。

● 私どもの仕分けとして、第三者評価基準の基本的な方針を御検討いただくと。例えば、この奨学金制度がこれくらいしか充実していないところはもう適格認定を与えないというようなドラスティックなことを御提案なら、この検討会のテーマにはなろうと思いますが、およそ国の財政システム等を通じて、そういうものを充実させよという話であれば、やはり文部科学省の政策マターでありまして、もちろん、この検討会から御要望するとか、あるいは中教審にお願いするとか、そういうことは可能かと思いますが、表面的には先ほどのようなドラスティックなもの、あるいは成績評価を何らかそういうものに結び付けるというようなシステムが講じられていないと適格な法科大学院と言えないとか、そこまでの基準を設けるのであれば、基準として乗ってくると。

○ そういうつもりではないんで、どこか所管のところに希望を申し述べるということができないかなというだけでございます。

□ そういう意見があったことを、中教審の法科大学院部会に是非お伝えいただいて、そういう意見をあちら側でくんでいただきたいということを伝えていただきたいと思います。

○ ただ、ABAの基準ではそういう意味での学生援助制度を第三者評価の対象にしているわけです。これはもちろん、適格認定しないとか、そういう話ではなくて、もっと改善しなさいという勧告のマターになっていくということだと思うんですけれども、第三者評価基準で、そういうことに配慮していることも評価して、結果は公表するというようなことも考えられなくもないんで、それほどそれがドラスティックだとは思いません。私が第2回か何かで出した案では、それがたしか入っていたはずです。

● 事務局が例でお示ししたのは、情報公表のところでいろんな項目を並べている。仮にこの検討会で、つまり基準の細かい規定振りはともかく、情報公表すること自体に大きな意味があるので、こういう項目についてもということであれば、情報公表の対象とすべき項目について今の奨学金制度とか御意見をいただければ盛り込むことができるのかと思います。

○ 情報公開の中で奨学金は言われなくたって積極的にアピールしますよ。

□ それはそうでしょうね。

○ 1点だけ、さっきの留年の話と関連しまして、今日、成績評価について余り議論になっていませんけれども、やはり厳しい成績評価をするためには、退学のないような制度、あるいは留年をかなり緩やかに認めるような制度ですと、余り厳しい成績評価は意味がなくなってしまうような気がしますので、そういう点でアメリカの場合は、大量に退学させているというようなことは、今のアメリカのロースクールでは全然そういうような状況ではありません。ワシントンの場合、1学年160 人で、1人いるかいないかという程度で、ハーバードも全く同じような状況ですけれども、ただし、退学もたまにはあるということだけでも、かなり意味がありますし、しかも、ちゃんと成績評価に関して基準を設けてやらないといけないようなことで、それは意見書ではそういう意見はたくさん出ていると思いますけれども。

□ 成績評価の問題については、以前に、こういうシステムがあるのだという御提案がありましたので、差し当たり異存はないということだけにして、法科大学院の教育内容を充実させる上で非常に重要な問題ですので、これについては情報公開の問題も絡めて、いずれゆっくり時間をかけて検討していただきたいと思っております。
 ほかにございますでしょうか。なければ、時間も少し過ぎましたので、本日はこれまでとしたいと思います。

7 次回の予定等
□ 次回は3月7日の木曜日、10時30分から、場所は今日と同じ、この会議室でございます。議事内容といたしましては、文部科学省の方から、中教審における大学全体の第三者評価も含めた大学の質の保証に係るトータルシステムの在り方についての審議状況などの御説明をいただいた上で、法科大学院の第三者評価の在り方を中心に説明いただいて、主として第三者評価の問題について、今日は御議論いただけなかった内容について議論を行いたいと思いますけれども、文部科学省の方はこれでお願いできますでしょうか。
 それでは、今日は長時間にわたりまして、ありがとうございました。これで議事を終了させていただきます。