平成30年10月2日


閣議後定例記者会見


1.冒頭発言
 おはようございます。
 今、閣議がございまして、辞表を提出してまいりました。
 1年2か月になりますけれども、おかげさまでつつがなく、大過なく職務を全うすることができたと思っております。
 これはオリパラ事務局の皆様方のお支えがあってのことであります。また、毎週2回、こうして閣議の後の記者会見をさせていただいておりますが、記者の皆さんからもいろいろと御質問いただいて、その御質問の中でいろんなことが、そういうこともあるんだなという、いろいろ認識を新たに持たせていただいたこともございました。
 そういう意味において、1年2か月滞りなく職務が遂行できましたのは、皆様方のおかげもあるわけでありまして、改めてお礼を申し上げたいと思います。
 この間振り返りますと、昨年の8月3日に就任をいたしましたけれども、最初に安倍総理からオリンピック・パラリンピック競技大会の担当大臣をしてほしいという話がありましたとき、正直ちょっと戸惑いました。
 全く想定をしていなかった役職であったわけでありますが、しかし、自分なりにどういうことでこの立場になったのかなということを考えてみますと、やはり2020年東京大会は、招致のころから復興五輪ということをずっと言っておりました。被災地出身の私が担当大臣になるということの意味がそういうところにもあるんではないかと思っておりまして、この間も復興五輪という名前が単にタイトルだけではしに、中身の伴ったそういう大会になるようにと思って、微力を尽くしてきたつもりであります。
 思えば、東京オリンピック・パラリンピックが招致決定したときに、被災地では必ずしも歓迎ムードだけではなかった。むしろ、これによって国民の皆さんの関心が東京に移ってしまうのでは、そんなことをおっしゃって。復興ということが風化してしまうのではないか。それから、ただでさえ少ない資材、不足している人手、そういったものが東京の方に集中して、オリンピック・パラリンピックが復興の足かせになるんじゃないか、そんな空気すらあったのが事実でございました。
 そういうことでは、これはもう復興五輪にならないわけでありまして、いろいろな取組を事務局の皆さんと一緒にさせていただきました。
 その一つはホストタウン。やっぱり被災地の方々も、自分も2020年東京大会に関わりを持っているんだ、参加をしているんだ、そういう気持ちを持ってもらうためのホストタウンでありますが、私が就任したときは、被災3県の沿岸市町村、ホストタウンに認定されていたのは一つで仙台市だけでした。
 しかし、その後9月に、復興「ありがとう」ホストタウンという新しい枠組みも増えまして、現在では沿岸の3県の被災市町村のうち1件から14件に増えることができました。
   この復興「ありがとう」ホストタウンは内陸にもございますので、全体では20件でありますけれども、被災市町村で14件に増やすことができたということで、一つの復興五輪に向けての取組が前進させることができたと思っております。
 また、被災地の食材とか木材、こういうものも積極的に使っていこうと、こういうことで、そのためには御承知のとおり、食材なんかは認証制度をとらなければいけない。農業で言えばGAPなどがありますが、こうしたGAPの取得の数が増えるように、農水省にもいろいろとお願いをして、その推進を、今、図ってきたところであります。
 GAPについては、川上の生産者だけに働き掛けてもそうした認証制度のもとでつくられたいろいろな農産品等を、やっぱり消費者の人がそれなりに理解をし、評価をしなければ、これは両方でやらなきゃ進まないというわけで、この内閣府の食堂でも、それから文科省の食堂でも、それからこの間は東京海上日動に伺いましたが、社員食堂での、こうしたGAPの食材、GAPを取得した生産者がつくった食材、そういうものをむしろ売りにして、いろんなその食堂でメニューをつくっていただいている。ということも、そこまでも進んできたわけでありまして、更にこうしたことも加速をしたと、こういうふうに思っております。
 復興オリンピック・パラリンピックということについて言えば、これは組織委員会の方のことでありますけれども、被災3県で、聖火リレーの前に、「復興の火」ということで、聖火の展示をしていただく。
 また、聖火リレーについても、3日間ということで、他の普通の通常の県よりは多めに帯同していただくというふうなこともございました。こういうことを通じて、今、復興五輪の、この内実を高めることがいささかなりともできたのではないかと思っております。
 また、関わり意識、参加意識ということでは、都市鉱山でみんなでつくるメダルプロジェクトというのも、これも環境省を中心にやってるわけですけれども、環境省にも働き掛けをいたしまして、「先ず隗より始めよ」ということで、霞ヶ関の省庁間で回収ボックスをリレーをするというようなこともやらせていただきました。
 それから、ホストタウンになっていただいているところにもお願いをして、この間は岩手県盛岡市に行ってまいりましたが、盛岡市、ホストタウンになっていただいていますが、市内の小中学校等に回収ボックスを置いていただくということで、こういう取組も前に進めることができたのかな、そんなふうにも思っているところであります。
 2020年東京大会まで、あと2年をもう切っているわけであります。今までは、どちらかといいますと計画段階でありましたから、計画段階においては、行きつ戻りつできますけれども、これからはいよいよ実行段階、実施段階になってまいります。
 これからが実行段階に移って、一番大切なところを迎えるということで、来年になりますと、いろいろテストイベントの開催をされることになります。そのテストイベントを通じて、例えば暑さ対策とか、それからセキュリティ、テロ対策。これはサイバー空間を含めて、そういう対策。それから輸送ですね、そういうことがテストイベントを通じて、またこう、「あ、こういうとこが問題だな」っていう課題がきっと出てくると思います。そうすれば、その課題を拾い上げて、それを改善して、そして2020年本番に備えるという、これからいよいよ重要な時期になってきたと思っておりますが、そういう時期につなげる、何ていいますか、基礎といいますか、土台といいますか、そういうものについては私なりに全力を尽くして、この1年2か月務めてきたつもりであります。
 私の後任は、櫻田義孝さんが就任をされるという報道がございますが、櫻田さんもスポーツ関係の関わりのある方でありますので、しっかりと櫻田さんに引継ぎをしていただいて、新大臣のもとで2020年大会成功に向けて、我々オリパラ事務局も一体となって、前に進めていきたいと思います。
 そういう意味において、後任の櫻田さんに対しましても、プレスの皆様方の様々な面でのお力添えをいただきたいと思います。
 改めまして、この1年2か月の間、大変お世話になりました。皆様方に感謝を申し上げたいと思います。
 どうもありがとうございました。
 

2.質疑応答
(記 者)
 まず、1年2か月お疲れ様でした。
 先程、いよいよ計画段階から実行段階へ進む、これからいよいよ重要な時期に入るという、そういう中で退任されるという思いとあと積み残した課題、引き継ぐべき課題などがありましたら教えていただきたいと思います。
(大 臣)
 2020年に向けての、この、それぞれのやるべきことというのは、オリパラ基本計画とか様々な分野で、組織委員会等々と我々政府っていうことで、役割とか進め方、決まっておりますので、それに沿って着実にやっていくということだと思います。
先程、ちょっと申し上げるのを忘れましたが、パラリンピックは、御承知のとおり、夏のパラリンピック大会を同一都市で2度開催する初めての都市で就任してからも、そのパラリンピックの成功なくして、トータルとしての東京大会の成功はないと、こういうことをあちこちで言わせていただいておりまして、何としても東京大会、パラリンピックの競技大会を成功させたいと、こういうふうに思っております。
 現実は、やはりオリンピックに寄せられる関心に比べますと、パラリンピックに寄せられる関心というのは低いというのが現実だと思っておりますが、これから2年の間、今でも様々なイベント会場で、パラ競技、パラスポーツの、この疑似体験みたいなのね、やってもらうコーナーもあちこちで目にするようになりました。そういうことを通じて、また実際のパラスポーツの競技をテレビなどでも放映してもらったりして、大いに関心を寄せていただきたいと思っております。
 そのパラリンピックを成功させた後に、是非やっていただきたいなあと思うのは、レガシーとしての共生社会というものを、しっかり日本の国の文化に根ざしていきたいと。
 1964年のときのレガシーは、高度経済成長期で、インフラで言えば東海道新幹線、首都高と、こう言いますが、あのときに、世界からお客さんが来るからといって、町内会でみんながお掃除をして、それがきっかけに、ごみが落ちていないきれいな町という文化が日本に残ったと、こう言われています。
 思えば、大都市のみならず、地方都市もですね、外国なんか旅行してみて、比べてみますと、やはりそういうきれいな町並み、これが1964年のレガシーだったとするならば、2020年のレガシーは、東京パラリンピックを成功させた、その延長線上で共生社会を、というのを実現したのか、これについても、国交大臣にも申入れをいたしまして、さきの国会では、バリアフリー法の改正というものも行われたところでございますし、また様々、この基準の見直し、施行令の見直し、これによって、今後新たに計画され、つくられるホテルなどについては、50室以上のものについては、必ず1%ユニバーサルデザイン対応の部屋をつくんなくちゃいけないという、こういう成果もできました。
 いずれはもう、私はここで退任いたしますが、やっぱりやり残したことっていえば、そうしたこの先のレガシーをきちっと私以降の大臣に引き継いで、実現していただければなと、そう思います。
(記 者)
 ありがとうございます。
 じゃ、各社さんお願いします。
(記 者)
 どうも1年2か月ありがとうございました。
 先程、復興五輪のお話ですとか、パラのお話しを伺いましたけれども、この在任期間中に、特に一番印象に残っている出来事ですとか、施策をお聞かせ願えますでしょうか。
(大 臣)
 毎日毎日新しいことがあって、特に事件とかいうようなこともなく、それはそれでよかったかなと、こうも思っておりますが、ちょっと最近、一連のスポーツ団体の、何と言ったらいいでしょうか、パワハラとか、そういうことが、ちょっとあまりにも続き過ぎてるという感じがしました。
 国民の方々からとって、何かこう、自分たちの分からないとこでわけの分かんないことされてるんじゃないかということになりますと、やはり2020年に向けて、それぞれのスポーツ、あるいは競技、そういうものに、本当はこうどんどん盛り上がっていかなくちゃいけないんですが、それに水を差すというようなことにもなりかねないわけでありまして、そういうことが一つ、出来事としては気になった点でありました。
(記 者)
 ありがとうございます。
(記 者)
 1年2か月ありがとうございました。
 最後ということで、抽象的な質問にはなりますけども、大臣、この1年2か月を振り返って、自分の職務を自己採点するとしましたら、100点満点で何点ぐらいでしょうか。理由も併せてお願いできればと思います。
(大 臣)
 これは、どうぞ採点していただいて。自己採点というのは難しいですね。いずれ、それは私個人の成績というよりも、自分ができたということよりも、やっぱりオリパラ事務局の皆さんといろいろ話し合いながら、一緒に考えながらやってきたことですので、そういう意味じゃ、自分だけの採点にはならないと思っておりますが、合格点がとれたんじゃないかと、こう思ってます。
(記 者)
 1年2か月お疲れ様でした。
 午後には新たな閣僚の方々が正式に発表となるわけですけれども、安倍政権に対して、今後の政権運営の在り方ですとか、大臣のお立場から何か意見することがあればお願いします。
(大 臣)
 意見ではありませんけれども、やはり3期目っていうのは、もう最後ですから、やはり大きなことを成し遂げるための求心力、それをいかに持続して、強く持っていけるかということがかかっていると思います。
 やはり、今まではまだこの先もあるんではないかというと、何かこう、いろいろ節目っていうのはそれなりに求心力が働くと思います。「もう次はないんだ」と、こうなると特に3年目が近づくになれば、近づくに従ってどうしてもこれは、求心力というのは衰えてきてしまう傾向にあるんだと思います。ですから、これから、さきの総裁選挙でも憲法改正っていうような大きなことを一つ掲げているわけでありますが、それも求心力がなければ前に進まないところがあると思います。
 そういう意味では、時間の経過と伴って、こう求心力、下がっちゃうと思いますが、それとの競争みたいな面があるんじゃないかなと思います。
 それから、新聞で今回の新しい改造内閣の顔ぶれを見ますと、新人の方も多いですし、それなりに今まで、その分野で何らかの形で党務として関わりを持ってやってきた方々ですので、また人心一新、人がかわることによってまた新しい人で、このオリパラ大臣も含めて、各省庁の政策を前に進めてもらいたい、こう思ってます。
(記 者)
 ありがとうございます。
(大 臣)
 どうもありがとうございました。お世話になりました。
 
 以上