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首相官邸 追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会
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追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会(第2回)
議事要旨(速報版)




1 日時  平成14年2月1日(金)14:30〜16:00

2 場所  総理大臣官邸大客間

3 出席者

(政府側)
福田 康夫  内閣官房長官
安倍 晋三  内閣官房副長官(政務・衆)
古川 貞二郎 内閣官房副長官(事務)

(委 員)
今井 敬   社団法人経済団体連合会会長,新日本製鐵株式会社代表取締役会長
山崎 正和  劇作家,東亜大学長
東江 康治  前名桜大学長,元琉球大学長
上島 一泰  株式会ウエシマコーヒーフーズ代表取締役社長、元社団法人日本青年会議所会頭
上坂 冬子  ノンフィクション作家,評論家
草柳 文惠  キャスター
坂本 多加雄 学習院大学法学部教授
田中 明彦  東京大学大学院情報学環教授
西原 春夫  学校法人国士舘理事長,元早稲田大学総長
御厨 貴   政策研究大学院大学教授

4 議事概要

(1)委員自己紹介等

○この問題はなかなか一筋縄ではいかないと心配。沖縄の経験といっても限られているが、会議の足手まといにならないようにしたい。

○新しい21世紀の日本の平和に対する願いについてしっかりと考えて一緒につくっていかないといけない。平和の祈りに関しては人の命の貴さを大切にしていくことが基本的理念と考えている。いろいろな形で国に貢献された方がたくさんいる。これからは恐らく戦争という形ではなく、例えばNGOやボランティアなどの形で国への貢献ということが関わってくると思う。そこで、記念碑又は祈念の施設をつくるという議論の中では、人の貴さを大切にしていくことに対して活動された方を是非称賛し、日本の国民として大事にしていくことが大切で、このような記念碑に対する平和への願いはこのような理念の下につくっていくべきと考えている。
 8月15日の靖国神社参拝への問題等はあると思うが、戦没者に追悼の意を表することの議論と、平和の記念碑又は祈念施設をつくっていく議論の上では、少し問題が違うのではないか。平和に対する願いの施設をつくることと、戦没者へ追悼の意をささげることの議論とは分けて考えて進めていけないかなと思う。

○この懇談会に参加するに当たり、この懇談会の目的と位置付けをしっかりと押さえた上で発言をしていきたいので確認したいことが2つある。
 一つは、この懇談会は内外の人々がわだかまりなく追悼の誠をささげるにはどのようにすればよいかを議論する必要があるという去年8月の小泉総理の談話を受けて設置されたということである。私はこの設置の意味を、総理や閣僚が憲法に抵触するおそれなく、海外の人々も共に公式参拝でなく公式追悼できるような場、すなわち靖国公式参拝に代わる施設が必要かどうかを話し合うための会と受け止めた。そこで、仮に新たな施設をつくることが決まっても靖国公式参拝を行う可能性を残したままということならば、公式参拝問題は全く解決しないのではないかと危惧しており、かえって問題が複雑になることも考えられるので、この新たな施設の位置付け、この懇談会の位置付けを明確にする必要がある。
 もう一つは、1年間をめどに出す結論をどう扱うかについてもお尋ねしたい。

○(事務局)事務方としての理解は、わだかまりなく追悼の誠をささげるにはどのようにすればよいかをここで御議論いただくことと、いわゆる靖国参拝とは別の問題であるというのが政府の考え方である。それがいいかどうかも含めて御議論いただきたい。
 懇談会で取りまとめた意見は当然尊重されると思うが、そのとおりやるかどうかは官房長官なり総理の判断であり、当然尊重してその後の施策に反映していくことになると思う。

(2)現状の整理について

  1. いわゆる靖国神社参拝問題について

    ○(内閣官房)靖国神社についての説明は同神社が公表しているリーフレット、書籍、インターネットのホームページ、同神社側の説明などを参考にしたものであり、政府としてこのように認定しているものでないということをあらかじめ申し上げておきたい。

    • 靖国神社(以下「靖国」ともいう)は、現在、宗教法人法第12条に基づき東京都知事により規則の認証を受けている同法の規定による宗教法人である。靖国神社の起源は、戊辰戦争のいわゆる官軍側戦死者の招魂慰霊のため、明治天皇の命により明治2年6月に創建された東京招魂社に遡る。当初、戊辰戦争で戦死した3,500余りの柱を合祀し、その後、佐賀の乱、西南戦争などの戦死者をそれぞれ合祀し、明治12年に靖国神社と改称され、別格官幣社に列せられた。
       「靖国」という名前は、「国を平安にし、平和な国をつくり上げる」というの意味で明治天皇が命名したものと言われている。靖国は創立の由緒から陸、海軍省の共同管理となり、祭式や神職の任命は内務省が関わることとされた。
       明治20年ころからは、ペリー提督の黒船が浦賀沖に来航した嘉永6年から明治改元までの15年間に国のために力を尽くして死没した人を合祀し、その後、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦による死没者がその都度合祀された。
       戦後は昭和20年11月、満州事変以後の未合祀戦没者を一括して招魂する招魂式を行った。その後、GHQのいわゆる神道指令によって、神社に対するいわゆる国家管理制度の廃止が命じられ、これに伴い、昭和21年9月、旧宗教法人令に基づく宗教法人登記を行い、民間の宗教法人となった。また、昭和26年4月3日に新たに施行された宗教法人法に基づき、昭和27年9月30日設立登記を完了して同法の規定による宗教法人となり、現在に至っている。
    • 主な施設は、本殿、拝殿、鳥居、神門等の礼拝の施設。靖国神社に墓地はない。靖国には、嘉永6年以降の本殿に祀られていない氏名不詳の戦没者と国籍を問わず世界中で戦争のために死没したすべての人の霊を祀っている鎮霊社もある。その他、慰霊の泉、憲兵之碑等の記念碑もある。
    • 靖国には平成13年10月17日現在で246万6,364柱が合祀されており、そのうち支那事変の死没者は19万人余り、大東亜戦争の死没者は213万人余りが合祀されている。合祀対象者は規則第3条、社憲前文に記載されているように、国事に殉ぜられた人々、すなわち国に尽くして死没した人であり、靖国では「国事殉難者」と呼ぶ。合祀された人は祭神となる。靖国側の説明では、「国事」とは明治10年の西南戦争後は外国との戦争のことであり、戦争で死没した軍人軍属、準軍属が対象者であって、空襲や艦砲射撃等で死没した一般戦災死没者、国民義勇隊隊員で業務に従事中に死没した広島原爆死没者以外の広島、長崎の原爆死没者は対象とされていない。「その他」として、対馬丸に乗って遭難した沖縄の疎開学童死没者などが合祀されている。
       合祀対象者の軍人軍属の中に、「平和条約第11条により死亡した者」が含まれており、靖国ではこの者を戦争裁判受刑者とし、「昭和殉難者」と呼称している。戦争犯罪裁判をA、B、C級に区別したり、我が国の法律にA級戦犯などの用語を用いた規定は存在しないが、一般的にはA級戦犯は極東国際軍事裁判所において審理された戦争犯罪人、B、C級戦犯は東京において行われたいわゆるGHQ裁判や連合国各国が日本国外において開いた裁判所において審理された戦争犯罪人を指すものと思われる。
       靖国に合祀されている昭和殉難者は1,068名とのことである。いわゆるA級戦犯として起訴された者は28名であるが、新聞報道や靖国側の説明などによれば、靖国ではうち14名について、昭和53年10月17日、秋季例大祭において合祀したとのことである。靖国では、かねてよりこのA級戦犯14名の合祀を行う旨を崇敬会総代会で了承し、十数年間宮司預かりのままとされた後、再度崇敬会総代会の了承を得て合祀したとのことであり、この合祀は翌54年4月19日、新聞報道等により明らかとなった。なお、合祀されたA級戦犯14名中2名は未決拘禁中に死亡したものであり、判決宣告を受けるには至っていない。
       戦後の昭和殉難者以外の合祀対象者について、靖国側の説明では、対象の国事とは戦争とのことであり、先の大戦後は日本は戦争をしていないので、合祀すべき国事殉難者は新たに生じていないとのことである。将来、戦争が起こった場合であっても、政府が恩給法や遺族年金法等の改正を行ったり、新たな法律を制定して政府として新たな戦争により死亡した者を恩給、遺族年金等の対象とした場合には、国のために殉じて死亡したものと評価できるので、これを参考として合祀対象者に含めることはあり得るとのことである。事故死、訓練死した自衛隊員等の国家公務員、殉職したPKO隊員、殉職した警察官、消防士等の地方公務員は合祀対象者ではなく、実際に合祀されていないとのことである。靖国側は、戦後の合祀手続について終戦後の第1、第2復員省の資料及び厚生省経由各都道府県に照会して得た資料に基づき、必要な諸調査を行って合祀の取扱いを決定している旨説明している。
    • いわゆる参拝問題の経緯について。我が国は、昭和27年4月28日、平和条約の発効により独立を回復し、同年5月政府主催の戦後第1回目の全国戦没者追悼式が開催され、同年11月ごろから靖国神社を再び国営化ないし国家護持すべきであるとの運動が生じた。
       昭和50年8月15日、三木総理は政府主催の全国戦没者追悼式に出席後、靖国神社に私的資格で参拝を行ったが、そのころから先ほどの運動に代わり内閣総理大臣その他の国務大臣が靖国神社に公的資格で参拝すること、いわゆる公式参拝を求める運動が展開されるようになった。これに対し、このような公式参拝は憲法20条3項の禁止する国の機関の宗教的活動に当たり違憲であるとの憲法論からする反対論も主張され、さまざまな政治的、社会的反響を呼ぶに至った。
       昭和53年8月15日、福田総理が公用車を使用し、「内閣総理大臣福田赳夫」と記帳し、閣僚を同行して参拝したのが私的参拝と言えるかどうか議論となり、同年10月17日、参議院内閣委員会で安倍内閣官房長官が政府統一見解を明らかにした。
       昭和55年11月、衆議院法務委員会で当時の法務大臣が憲法20条で公式参拝が禁止されているとは受け取れないのではないかとの疑念を持っている旨発言したことに端を発し、同月17日、衆議院議員運営委員会理事会で宮沢内閣官房長官が公式参拝の憲法解釈に関する政府統一見解を読み上げた。
       このような状況において、靖国神社は、宗教施設ではあるが、同時に我が国における戦没者追悼の中心的施設であり、内閣総理大臣その他の国務大臣が戦没者追悼のため同神社に公式参拝することは憲法の諸規定に違反することにはならないとして、靖国の春秋季例大祭や8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」などに各国務大臣らが公式参拝することを要望する意見が出てきた。
       そして、昭和59年8月3日、藤波内閣官房長官の私的懇談会である「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」、いわゆる靖国懇の第1回会合が開催され、昭和60年8月9日、同官房長官に対し報告書を提出した。これを参考として慎重に検討した結果、同月14日、同官房長官が「内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について」と題する談話を出し、翌8月15日、中曽根総理が靖国神社に公式参拝を行った。これは本殿において一礼する方式であり、更に、公費から供花代3万円を支出している。
       さらに、同年8月20日衆議院内閣委員会で藤波内閣官房長官が先の宮沢内閣官房長官が読み上げた政府統一見解の変更に関する政府の見解を述べた。
       その後、この参拝をめぐり内外からさまざまな指摘がなされ、国内では、この公式参拝や公費支出が憲法に違反するとして、国又は中曽根氏を被告とする慰謝料請求訴訟や費用返還請求訴訟が4件提起された。
       その後、昭和61年8月14日、後藤田内閣官房長官が「本年8月15日の内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝について」と題する談話を出し、翌8月15日中曽根総理は公式参拝を控えた。以来、総理大臣による公式参拝は差し控えられている。
       平成8年7月29日に橋本総理が靖国神社に参拝したが、これは私的参拝である。
       昨年は小泉総理が8月13日に参拝したが、その経緯は同日に出された小泉内閣総理大臣の談話の中に触れられている。その後もこの参拝に関して国、小泉氏等を被告とする慰謝料請求訴訟又は参拝違憲確認訴訟等が福岡、大阪、松山等の各地裁に提起されている。
    • 国会や出版物等における議論を整理すると、いわゆる靖国神社参拝についての我が国国内における主な指摘として次のようなことが挙げられる。まず、靖国神社は戦前軍国主義の鼓舞と侵略戦争の美化のための精神的支柱であった上、戦後も極東国際軍事裁判所においていわゆるA級戦犯とされた人々が合祀されているので、これに参拝することはいわゆるA級戦犯の戦争責任を免罪し、侵略戦争を美化し、戦前の国家神道及び軍国主義の復活に結び付くことになり、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾した日本国との平和条約11条にも違反することになるというもの。
       次に、靖国神社には宗教上の理由などで遺族が希望していないにもかかわらず合祀されている戦没者もいるので、参拝することはそのような遺族の感情を無視するものであるというもの。
       また、靖国神社の参拝は先の大戦の被害者であるアジア諸国民の感情を害するので、国際協調の精神に反するというもの。
       さらに、靖国神社は一宗教法人であるので、国務大臣として公式参拝することは憲法に違反するというもの。
       これらに対し、それぞれに反論も出されている。
    • なお、靖国側の説明では、過去昇殿参拝した外国人には昭和35年にビルマ首相、36年にアルゼンチン共和国大統領、48年にトンガ王国皇太子、平成5年リトアニア共和国首相がいるとのことである。

    ○(外務省)総理の靖国神社の参拝に対する海外の各国の反応について説明する。

    • 1985年8月15日の中曽根総理の公式参拝に対してまず明確な反応を示したのは中国。中国側は靖国懇の報告が出た辺りから人民日報の論評が出ており、この参拝前日の8月14日に中国の外交部スポークスマンの発表という形で、「靖国神社には東條英機を含む戦争犯罪人が祀られており、日本政府関係者が同神社を参拝すれば日中両国の人民を含むアジアの人民の感情を深く傷つけることになる」とのコメントを出している。その後、中国国内では、9月18日、これはいわゆる柳条湖事件の記念日で、北京大学の学生等を中心に反日抗議デモが行われた。それを受けてと思うが、中国側は、9月19日に改めて中国外交部のスポークスマンの発表という形で、「中国政府は日本政府に靖国問題につき慎重な行動を求めてきたが、遺憾にも公式参拝を行い中国人の心を傷つけた」という公式のコメントを発表している。その際、公式のコメントをした後で、「中日善隣友好関係の発展は中国政府の既定方針である。友好関係を望むのは自分たちの方針でもある」と付け加えた形でコメントを出している。
       中曽根総理の参拝の際に、韓国側からは政府としての公式の反応という形では出ていない。他方、韓国各紙で報道機関の方で批判的な報道がなされた。一例として、参拝直後の8月16日の東亜日報では、「彼らの軍事大国化及び神道的な右傾化が彼らだけの問題として済まされなかったという歴史的な体験を持つ我々としては、単なる対岸の火事として見逃してしまうわけにはいかない」との論評が出ている。また、中国、韓国以外に東南アジア各国等で事実関係を中心にいろいろな報道がなされた。
    • 1996年7月29日の橋本総理の参拝の際には中国、韓国双方から政府の側の公式のコメントが出されている。まず中国については、参拝当日の7月29日に、中国外交部スポークスマンが、「参拝に対して深い遺憾の意を表明する。今回の参拝は中国人民の感情を著しく傷つけるものであった」とのコメントを出している。
       韓国側は同じく参拝の当日に、韓国外務部当局者の論評という形で、「86年以来中断されていた総理の参拝が再び行われた事実に我々は注目する。日本が近隣国家と真の善隣友好関係を構築するためには、過去の日本の帝国主義の侵略の被害を被ったこれらの国家、国民の感情を尊重しなければならないであろう」と発表している。
    • 最後に、昨年8月13日の小泉総理の参拝のときは、やはり中国及び韓国から政府の公式の立場の表明がなされている。まず中国側は、参拝当日の8月13日に中国外交部スポークスマンが、「小泉首相は中国を含むアジア近隣諸国及び日本国内の強い反対を顧みず、A級戦犯の位牌を奉じている靖国神社を参拝した。中国政府と人民はこれに対し、強い不満と憤慨を表明する。8.15という敏感な時期に参拝するというもともとの計画を最終的には放棄し、また本日発表された談話の中で、侵略の歴史を認め、深く反省するという日本の立場を改めて表明したことに留意している」との談話を出している。
       韓国は、同じ日に、外交通商部のスポークスマンの声明という形で、「小泉総理が近代日本帝国主義の象徴である靖国神社に参拝したことに対し、深い遺憾の意を表明する。戦争犯罪者たちに対してまで参拝したことに憂慮の意を表明せざるを得ない。近隣国家との真の善隣友好関係を構築しようとするならば、正しい歴史認識を土台に関連国家の立場と国民感情とを尊重すべし」と表明している。
       さらに、中韓双方とも各報道機関がいろいろな形で数多く批判的な論評、報道を行っている。中国、韓国以外では東南アジアその他各国の報道機関が、事実関係に関わるもの、論評を加えたものなどいろいろな形で報道がなされている。

  2. 千鳥ヶ淵戦没者墓苑及び全国戦没者追悼式について

    ○(厚生労働省)千鳥ヶ淵戦没者墓苑について

    • この墓苑は、遺族に引き渡すことができない戦没者の遺骨を納めるために国が設けた施設である。現在、約34万8,000柱の御遺骨が納骨されている。
    • 先の大戦による海外戦没者の遺骨については日本との平和条約が昭和27年4月に発効するのを機会に計画的に収集を行うことと定めてあり、具体的には昭和28年1月から政府によって本格的に収集が行われた。収集された遺骨の大部分は氏名の判別が困難で、遺族に引き渡すことが不可能という状況であったことから、これらの遺骨について昭和28年12月に「『無名戦没者の墓』に関する件」という閣議決定をしてその取扱いを決めた。その内容は、遺族に引き渡すことができない戦没者の遺骨を納めるために国が無名戦没者の墓を建立すること、墓に納める遺骨は政府が収集する戦没者の遺骨、現にこれまで行政機関において仮安置中の戦没者の遺骨、大体8万くらいあったようだが、それで遺族に引き渡すことのできないものを納めるということである。墓の規模、構造は経費とともに別途検討するとされた。
       この決定を受け、関係方面の意見を聴取するために「無名戦没者の墓」に関する打合会議が厚生大臣主催の下で昭和29年6月から32年2月まで開催された。主な出席者は、衆参両院の議員、日本遺族会、日本宗教連盟、靖国神社、全国知事会、関係省庁であった。主な合意内容は、墓の性格は遺骨を収納する納骨施設であること、収納するのは遺族に引き渡すことができない遺骨であること。したがって、諸外国の一部に見られるような全戦没者の象徴として一部の遺骨を祀る無名戦士の墓とは違うものという位置付けになっている。場所については靖国神社、皇居前広場等いろいろ意見があったが、皇居や靖国神社に近い現在の地ということで、この検討会議の結論が出る前の「『無名戦没者の墓』の敷地に関する件」という閣議決定で現在地に決定された。面積は大体5,000坪である。
       この決定を受けて、昭和34年3月28日竣工・追悼式が行われたが、この際には天皇皇后両陛下の御臨席の下、三権の長、関係団体の出席の下で厚生省主催で行われた。それ以降は、政府として遺骨収集を行ってきたが、その遺骨を墓苑に収納するために昭和40年、終戦20周年に当たるということもあり、天皇皇后両陛下の御臨席の下に納骨式と遺骨に対する拝礼を行うための拝礼式を行っている。それ以後、毎年皇族の御臨席の下、厚生労働省主催で拝礼式を行っている。平成13年度については常陸宮同妃両殿下御臨席の下に1,042柱の納骨を行っている。
    • 墓苑の構造は、本屋という六角堂があり、六角堂の中央には陶棺が安置されている。陶棺の中には主要6戦域に分けた戦域の代表的な遺骨を天皇陛下御下賜の納骨壺に納められて安置してあり、その下に納骨室が設けられている。昭和41年までは遺骨の一部を持ち帰るという方針だったが、昭和42年度以降は収集した遺骨はすべて我が国に送還するという方針に切り換えたため、送還された遺骨が非常に多くなったこともあり、この納骨室に収まらなくなったので、平成3年に六角堂の奥に増設納骨室をつくっている。旧ソ連地域からの遺骨収集もあり、それでも手狭になったため、更に平成11年にも増設している。
    • 墓苑の管理であるが、敷地が公園敷地ということで環境省が管理しており、厚生労働省が直接管理しているのはこの増設納骨室の部分だけである。なお、この墓苑の清掃維持等の管理については、財団法人千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会に御協力いただいている。
    • 最近の動きであるが、墓苑の増設部分、増設納骨室について納骨室としてふさわしくない形状である、屋根がない、増設納骨室前に献花台がないなど、この墓苑の改善要望がいろいろな方々から出されており、国会でもいろいろな議論があったが、小泉総理も墓苑をよりよいものにすることについて賛成であるとの発言をされている。これに対する政府の対応としては、厚生労働省と環境省において、墓苑の改善を図るため、現在国会に提出している14年度政府予算案に所要の予算ということで、厚生労働省として1億円、環境省として1億2,000万円を計上している。今後この予算が通り次第、墓苑の構造について関係者を交えて具体的な改善などを検討していきたい。

    ○(厚生労働省)全国戦没者追悼式について

    • 式典の趣旨は、我が国が、戦後平和の礎の上に大きく経済発展を遂げた蔭には、先の大戦において310万とも言われている多数の犠牲者があったことに深く思いをめぐらし、国を挙げて、これら犠牲者に追悼の誠を捧げ、多くの犠牲の上にもたらされた平和への思いを年ごとに新たにするため、全国戦没者追悼式を実施するということである。
    • 式典の経緯だが、第1回の全国戦没者追悼式は、日本国との平和条約発効直後の昭和27年5月2日政府主催で天皇皇后両陛下御臨席の下に新宿御苑で開催されている。2回目は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑が完成した際に、その竣工式と合わせて厚生省主催で追悼式を行っている。その後追悼式は行われていなかったが、遺族に対する経済面の援護措置は次第に充実してきたものの、精神的な慰藉の措置に欠けるという意見、年1回は国の行事として全戦没者の追悼行事を行ってほしいという要望が強くあったことを踏まえて、昭和38年に「戦没者追悼式の実施に関する件」が閣議決定され、8月15日に政府主催による全国戦没者追悼式が日比谷公会堂で開催された。それ以後、毎年開催されている。昭和56年には総理府において「戦没者追悼の日に関する懇談会」が設けられ、その検討の結果、57年4月閣議決定により「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として8月15日を定め、この日に全国戦没者追悼式を実施するということにされて現在に至っている。
    • 式典における戦没者の範囲は、日中戦争以降の戦争による死没者で、軍人軍属、準軍属、外地において非命に倒れた者、内地における戦災死没者、そして死没者ということであるから、公務中の死亡の者あるいは平和条約による拘禁中の死亡の者も含まれているが、これらの者を包括的に全国戦没者という全体概念でとらえて追悼している。
    • 式典の概要であるが、天皇皇后両陛下が御臨場になり、国歌斉唱の後、内閣総理大臣が式辞を述べ、その後、正午に黙とうを行い、天皇陛下からお言葉がある。その後、衆参両院議長、最高裁長官、遺族代表が追悼の辞を述べる。その後、内閣総理大臣以下各代表が献花を行う。所要時間は大体11時50分から1時間くらいである。この式自体は宗教的儀式を伴わない形で行われている。
    • 参列者の数は、来賓が約600人、遺族が約6,000名であり、そのうち約2,000名については国がその旅費を負担している。
    • その他、この式典の趣旨を国民に周知するために関係機関に通知するとともに、報道機関にも要請している。また、公的機関においては半旗を掲げるよう協力を求めるとともに、正午から1分間の黙とうをするように併せて要請している。

  3. 一般戦災死没者に対する追悼、平和祈念展示資料館について

    ○(総務省)一般戦災死没者に対する追悼について

    • まず一般戦災であるが、今次の大戦による本邦における空襲は、昭和17年4月の東京空襲に始まって終戦の8月15日直前まで、判明しているだけでも669回あったが、こういった空襲、艦砲射撃、機銃掃射等により死亡した一般戦災死没者の数は約50万人以上と言われている。この数には広島、長崎の原爆被害者は含まれているが、沖縄は含まれていない。また消失家屋数は約200万戸以上と言われている。
    • これに対して国は、旧総理府、中央省庁が再編された昨年からは総務省において、一般戦災死没者の追悼のため、昭和52年以降、8月15日の全国戦没者追悼式への遺族代表の参列(昨年は160人)措置をとっているほか、全国戦災史実調査の実施、展示会の開催、広報啓発資料の作成等を、昭和52年に設立された社団法人日本戦災遺族会に委託している。
    • 追悼施設等であるが、兵庫県姫路市の手柄山中央公園に「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」がある。この慰霊塔は、終戦直後、昭和22年に結成された全国戦災都市連盟の提唱のもとに、昭和27年に空爆犠牲者の慰霊協会(東京都と99市、13町の113戦災都市で構成)が結成され、同協会によりこの慰霊塔の建立が進められた。当時の金額で8,000万円。昭和28年に着工し昭和31年10月26日に竣工した。面積は、約2,550平米、800坪ぐらい。この中央の慰霊塔は高さ26メートル、刀を地中に埋めた形で、「もう戦争はしない」ということを表現したデザインである。また、両サイドには113の側柱が設置されており、各戦災都市別に空襲を受けた日時、死傷者数等が刻まれている。この慰霊塔の前では、毎年、竣工日に当たる10月26日に慰霊祭が行われている。正式には「太平洋戦全国空爆犠牲者追悼平和祈念式」という名称であるが、武道館で行われる全国戦没者追悼式と同じ無宗教の方式で、(財)太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会と(社)日本戦災遺族会との共催のもとで、全国ベースの慰霊行事として行われている。政府からは、昭和56年に当時の中山太郎総理府総務長官が出席され、昨年は総務省の新藤大臣政務官が出席されている。なお、毎年8月15日には地元の方での空爆犠牲者に対する慰霊行事が行われていると聞いている。空爆の関係ではこの施設が中心であるが、このほか、100以上の戦災都市において、独自に、慰霊塔や慰霊碑等が、単独建立又は戦没者との合祀建立で建立され、または、慰霊祭等が実施されている。 

    ○(総務省)平和祈念展示資料館について

    • この施設の名称は「平和祈念」となっているが、これはあくまで資料館であり、いわゆる平和祈念の追悼施設ではない。その実体は、いわゆる戦後処理三問題の関係者の御労苦を語り継ぐ場である。戦後処理三問題の関係者は、@恩給欠格者という兵役等加算を加えて12年に至らない恩給がもらえない方々、A戦後強制抑留者という戦後にシベリア等に抑留された方々、B引揚者の方々であり、本施設は、こういった三問題に関わる方々の御労苦について国民の理解を深めるための展示機能を有する施設である。
    • この施設の所管は、認可法人平和祈念事業特別基金で、国はこの認可法人を指導、監督するという立場である。この展示館は新宿の住友ビルの31階にあり、その面積は約220坪である。基本的コンセプトとして、戦後50年余を経てだんだん三問題の関係者の御労苦を語り継ぐ機会も少なくなったが、先の大戦そのものの意識を風化させないため、平和祈念事業特別基金等に関する法律の趣旨にのっとり、この三問題に関わる関係者の御労苦を歴史的、客観的に展示するものである。資料館においては三問題についてそれぞれコーナー等を設け、理解を得やすいような形にしており、開館してから1年余りで、1日当たり約120人、年間約3万6,000人が入館している。

  4. 諸外国における主な戦没者追悼施設の現状について
    (内閣官房)詳細は現在調査中であり、今後内容に変更が生じることがあることをあらかじめ御了承いただきたい。
    • イギリスには、ロンドンのホワイトホールに「セノタフ」と呼ばれている記念碑がある。「セノタフ」とはギリシャ語で「空(から)の墓」という意味とのこと。追悼対象者は、第1次世界大戦以降の戦没将兵で、警察官や消防士等戦争起因で死亡した者を含み、設立時期は1920年11月11日で、碑文には「グローリアス・デッド」、「1914〜1918」、「1939〜1945」と書かれている。
       また、ロンドンのウェストミンスター寺院内に「無名戦士の墓」と呼ばれている墓がある。これは第1次世界大戦の無名戦士1名が埋葬された墓であり、追悼対象者は第1次大戦以降の戦没将兵と言われている。設立時期は1920年11月11日で、所有者、管理者はイギリス国教会である。
    • ドイツには、ベルリンに「ノイエ・ヴァッヘ」と呼ばれている建造物がある。ノイエ・ヴァッヘ自体は1818年のプロイセン政府当時にできたもの、旧東ドイツの時代である1969年に無名戦士1名と強制収容所の無名犠牲者1名が埋葬されている。追悼対象者は戦争と暴力支配の犠牲者であり、暴力支配とはナチズムのことを指しているようである。碑文には「戦争と暴力支配の犠牲者に」という文字がドイツ語で刻まれている。1993年から統合されたドイツにおける中心的施設となっている。
       また、ボンには、ボン北墓地に記念碑がある。名称は不明であるが、これは第1次、第2次世界大戦の戦争犠牲者が埋葬されている墓地にある記念碑であり、この記念碑にも同じ碑文、つまり「戦争と暴力支配の犠牲者に」とドイツ語で刻まれている。追悼対象者は、同様に、戦争と暴力支配の犠牲者ということである。ドイツ統合の前は、このボン北墓地の記念碑が西ドイツにおいて追悼の中心的施設になっていたようである。
    • フランスには、パリの凱旋門下に「無名戦士の墓」と呼ばれているものがある。これは、第1次世界大戦の無名戦士1名を埋葬した墓である。追悼対象者は第1次大戦以降の戦没将兵であり、1920年11月11日に設立されている。国防省が所有者、管理者である。碑文には「祖国のために戦死した1フランス兵士ここに眠る」、「1914〜1918」と刻まれている。
    • イタリアには、ローマに「祖国の祭壇」と呼ばれているものがある。これは建造物の一部であり、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の正面階段を上がったテラス奥の祭壇部分が追悼対象の施設である。記念堂自体は1911年ごろに落成式が行われた模様であるが、第1次世界大戦で多くの戦没者が出たため、1921年、政府の決定により追悼施設として祭壇が建築され、無名戦士1名の棺が祭壇部分に埋葬された。その後、この棺は記念堂内の墓に移し換えられ、現在の祭壇部分には誰も埋葬されていないとのことである。所有者、管理者は国防省である。
    • アメリカには、ワシントンD.C.郊外のアーリントン国立墓地の中に「無名戦士の墓」と言われているものがある。ここには第1次大戦、第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の無名戦士を祀る墓がそれぞれある。なお、現在はベトナム戦争を除く各戦争の無名戦士1名ずつが大理石板の下に埋葬されている。追悼対象者は、第1次大戦以降の戦没将兵であり、設立時期は1921年11月11日。所有者、管理者は陸軍省であり、碑文には「神のみぞ知る亡きアメリカ将兵1名、名誉ある栄光のうちにここに眠る」と刻まれている。
(3)意見交換

○総理の参拝に対する民間の交流における反応について、外務省に伺いたい。この点については新聞でも報道されているし、私の身辺でも経験している。中国と韓国では違う。その中には相当深刻な事態もあり、日本の経済進出に関わりのある問題もある。

○(外務省)御指摘があったように、特に昨年のケースでは、中国、韓国いずれについても、いわば政府間の話ばかりでなく、もう少し民間レベルのものとして、友好的な交流、若干の経済活動的なものも含めて、いろいろな友好往来というものの計画が中断したり、中止されたり、延期されたことが生じたことは事実である。
 他方で中国政府及び韓国政府のいずれも政府の方からそういう指示をしているということではない。恐らくいろいろな交流に当たる人が政治的な考慮とか、実際上の不都合を考慮して、控えたり、消極的になったりということで、実際にはかなり多くの事例があった。
 他方で中国政府、韓国政府とも、そういったものに影響が及んではならないというのが基本的な姿勢で、途中から大分戻ってきたわけだが、改めて小泉総理が訪中、訪韓をされて、今はその点については完全に基本的に正常な状況に戻っている。

○全国戦没者追悼式についての説明の中で、戦没者の範囲について日中戦争以降の戦争による死没者と定義されているが、この日中戦争とはいつからのことか。

○(厚生労働省)昭和12年7月のいわゆる日華事変というか、支那事変以降であり、その前は入っていない。

○厚生省に確認したい。全国戦没者追悼式ではいわゆるABC級の戦犯の御遺族にも招待状が送られているということか。

○(厚生労働省)平成4年まで白菊遺族会といういわゆる戦犯関係の遺族会をつくっていたらしいが、その方には招待状を出していた。

○ということは、当然の帰結として真ん中に立っている「戦没者之霊」の中にはA級、B級、C級戦犯も含まれるということか。

○(厚生労働省)そういう方々を包括的に全部引っくるめて全国戦没者という全体的な概念でとらえている。

○全国戦没者追悼式にABC級の戦犯の御遺族が招待をされていて、霊の中にはそれが含まれるということについて今まで何か批判があったか。外務省に伺いたい。

○(外務省)戦没者追悼式に関してどうこうということは、私の知る限りない。

○千鳥ヶ淵の参拝者の数はどうなっているか。

○(厚生労働省)当省では調べていないので後刻、環境省で調べていないか聞いてみる。

○私は平日に行ったことがあるが、ほとんど来ていない。

○これをやっていたのでは1年や2年では結論は出ないと思う。考え方のポイントをどういうところに持っていこうかというのもそろそろ絞ってもいいのではないか。例えば、私などは今日の話を聞いて、極東国際裁判とか、BC級の裁判とか、ああいう戦後の戦争裁判を認めるか認めないかも一つのポイントになるのではないかと思う。極東国際軍事裁判は勝った国だけがやったわけだから、あれを認めないとなればA級戦犯のところにお参りに行ってもいいわけだから、そこも一つのポイントになるのでないか。やはり委員の中でここはポイントではないかというものをだんだんに出していってはどうか。政府の方も政府なりに考えている骨格のアウトラインみたいなものをいつか少しずつ出していただきたい。

○議論の進め方だが、過去の経緯、靖国問題を含めて、それに対処するという形でこの委員会が発足をしたのではないと理解している。しかも、それに対処する姑息な戦術として何かをつくろうとか、新設しようとかというのは我々の本意ではないと思う。だから、極めて簡単な原点に戻って議論をしたらどうか。というのは、国家が自己の政策の結果として国民に死傷者を出したという場合に、およそ国家としてそれを追悼するということが必要かどうか。これは諸外国では必要と考えているようだし、私にも説明できるような論理はある。そこで、靖国や千鳥ヶ淵がどうしたのという話からやるのではなくて、およそ国家というものがその法的、制度的な裏付けを持って戦没者を追悼するということは必要かどうかという議論をしてみたらどうか。これは非常に簡単に話がつくと思う。それで、結論によって靖国問題その他は後からついてくるという帰結の問題だと考えている。

○全面的に賛成。

○まず議論の出発点をお互いに合意し、そこから順番に議論をしてはどうか。

○昭和60年8月9日付の報告書では、靖国の公式参拝をどう考えるかという憲法上の見地からいろいろな検討がなされていて、これは方針も一応出ていて、これが出るまでにさまざまな論議があったと思われる。そうした中で、新たな施設の設置が必要かということも議論している。私が考えるのは、一体その時点での状況と、今の時点での状況というのは同じか違うかということである。この懇談会を開催する趣旨は何なのか。その時点で政府の懇談会で議論が出てこういう報告書が出ているが、その報告書の内容から今回十何年たって、何か抜本的に状況が変化したのでまた同じ議論をしないといけないということなのか。あるいはかなり共通する部分はあるというのか。あるいは全く同じだということであれば、既にこの60年の報告書の中に新しい施設の設置に関しては一応意見が出ているが、その辺をどう考えればいいのか。新たな施設の設置に関して一体当時の懇談会の方々がどのような議論をされたかがわかれば参考になるという気もする。

○その問題が起こらないように、先ほどの提案をした。つまり、これは私も十分拝読したが、およそ状況即応論である。要するに、問題があるからそれに対処しようというところがスタートであって、それ以前の根源的な議論は何もしていない。およそ国家として国民の戦没者に哀悼の意を公式かつ制度的に表明する必要があるかないかという議論は全然していない。だから、我々の懇談会とは根源的に違う問題だと考えている。

○していないという理由は、する必要がなかったからではないか。

○あるかないかも、この人たちは考えていない。

○私はその細かい審議内容は知らない。

○これを見ていると、要するに第1に靖国問題あり、それにどう対処するかという議論だけが出ている。こんなことは本当を言えばどうでもいいことである。そもそも国家が戦死者、戦没者というものを追悼するのかどうかというのが問題である。

○根本問題に関わる認識があいまいなままに議論されたかどうか、私はこの細かい趣旨は知らない。

○ここに書かれていることだけで申し上げている。

○その前提で既にそういう議論があって結論としてこれが出たのか、それはこの資料がないとわからない。

○ただ、この中でも公式という言葉を3通りに定義したが、1、2まではこれまでの最高裁判決その他でクリアできるけれども、3番目はクリアできないと彼らははっきりこの懇談会でも言っている。その3番目のところが一番問題だから、そこからスタートすればいいのではないか。

○基本的にはそのような方向が望ましい。私の印象でも、こういうさまざまなものが割と状況追随的につくられてきていて、日本国が一体どういう人に対してどういう形でお礼を申し上げるのかについて全面的な議論は余りされていないように見える。もちろんこの全国戦没者追悼式というのは国家の行事として定義されているわけだが、これ自体は1937年7月7日以降の戦没者に関して追悼するということだから、果たしてこれで十分なのか。シンボリックな意味で8月15日にこれを行い、それ以外の日にはないが、それでいいかどうか。その含めるべき対象として蘆溝橋事件以後だけでいいかどうか。あるいは、1945年8月15日まででいいのかどうか。2020年ぐらいのことも考えなければいけないのではないか。このようなことについて、やはりそれなりに骨太の方針を考えた上で、そのためにはどうしたらよいかを考えるのが望ましい方針ではないかと思う。

○私も賛成だが、今日お話を伺い、また各国のものを見て、日本でも戦没者あるいは追悼と言っても非常にさまざまであるという印象を受けた。だから、歴史的にひとつ定義をしなければいけないだろう。蘆溝橋以降というのも何となく変な気がするし、その前というのは結構遡ることになるのではないか。それをどこの時点にするかについて、少しいろいろな時点のことを考えて議論するということではないか。およそ悼む行為を国家としてしなくてもよいという話は出ないと思う。だから、そういう意味ではそこが議論の入り口かなだと思うので、その辺からやればもう少し実体的な議論になるが、それがないと何となくふわふわっとした議論で終わってしまうような気がする。

○私も先程の整理の仕方で基本的にいいと考えている。したがって、今後例えば方式、対象も含むが、各委員としてはこれまでのいろいろな追悼等の方式のどれでもいいという方もいると思うし、全部だめで別個のものがなければいけないという方もいると思う。どういうところで違うのかをそれぞれ考えて出し合うことで議論が煮詰まるのではないか。

○今の8月15日の式典の法的根拠は何か。

○(厚生労働省)閣議決定である。

○閣議決定ということは、国会を通った法律ではなく、将来の某内閣がその閣議決定を否定する決定をすれば行われないことになる。

○国民的な議論に広げる必要があると思うが、各都道府県とか、例えば沖縄などには施設があるが、そういったものとの関係をどう考えたらいいのか。そういう例はどうなのか。沖縄は特別かもしれないが、広島や長崎にも別にあるのか。

○原爆に関してはある。

○そういったことも含めて御参画いただいた方がいいのかもしれないと思うが、いかがか。

○今は国としてやろうとしているわけだから、まずその根幹の議論、つまり理論の骨格だけつくって、さてそれではそこにどういう方々を合祀するのかとか、そういう限界は設けないとかという議論は次の段階の話にしていろいろ参考意見を聞いたらどうか。

○資料として見ると、一番最初の靖国神社は違うのかもしれないが、後で御報告されたもので国が関与しているのはすべてか。

○関与というのはどういう意味か。

○閣議決定とかで、恒常的に予算を措置するとか何らかの形はあると思うが、広島についてはどうか。

○広島のは県ないしは市。

○要するに、どうしてこれが選ばれたのか。国の施設だからか。

○(事務局)補足させていただきたい。一般戦没者について記念碑的な施設があるものということで姫路のものを出している。

○(事務局)それ以外は国が主催したり、国が所有したり、そういうものを私どもが知る限りのものをお示しした。

○国としてそういうものを持つべきだ、考えるべきだということについてとにかく一からやりましょうという意見が出されたが、それに皆さん賛成していただけるか。今までのものを置いて、国としてそういうものがないのではないかということに対してはよろしいか。

○それはもう議論なしに決めるのか。

○そうではない。この次に論点整理のためいろいろ議論をしないといけないので、そういう意味で次回はそういう論点整理の議論をフリーディスカッションしたいと思う。

○もしお許しいただけるならば、その問題に絞って次回各委員の発言を伺って、できれば次回あるいは次々回ぐらいには結論を出して先へいきたいと思うが、いかがか。

○時間的な範囲とか対象者とかはどうするのか。

○それはまだ後の話。

○やはり国として追悼する際の議論で必要ではないか。

○当然誰を追悼するかということは付随的に入ってくるが、とにかく国が主体となって戦没者を慰霊するということの原理について議論したい。

○それは少し抽象的過ぎるような気がする。やはりある程度の具体性がなければいけない。従来のものでいいという考えの方もいると思う。例えば従来の靖国参拝でいいとか、全国戦没者追悼式でいいとか。

○これは国のものでないことははっきりしているから、議論の外である。

○全国戦没者追悼式は国が主体ではないのか。

○それと靖国とは全然違う。あれは記念式典である。

○でも、あれも一種の追悼の誠だから、あれがあるんだから何も要らぬのだという考えだってあると思う。今までのものは関連すると思う。それを全く除外して議論してもしようがないという気がする。

○別に除外しろとは言わないが、とりあえずそれが必要かどうかを決めなければスタートしないだろうというだけのこと。

○国というのは政府か。というのは、靖国神社は一民間宗教団体だというのは確かに現在の宗教法人法ではそうだが、いきさつから考えたときに、あまたたくさんある宗教団体があって、このワン・オブ・ゼムだという認識ではないと一般には思う。そう考えると、国ということで広い意味で国民感情ということを言い出すと、靖国神社は単に民間団体かということではないから、やはり抽象レベルでやっていてもこの議論は成り立たない。

○抽象レベルが割と大事で、例えば国民感情と言うと突然ややこしくなる。そんなことを言ったら、税金を払いたい国民は一人もいないが、税金がなければ国は成り立たない。だから、感情と法制度とは別問題であって、ここはアプリオリに議論するほかはない。

○そういうことを含めて議論しなければいけないので、最初から国に関わらないというのを決めて出発するとおっしゃっているが、その国というのは政府という意味か。

○広義ならばそう。だけど、国会も政府。

○では、統治機構ということか。

○そう。

○本質的に置いた方がいいか、そんなものは要らないかというのであれば答えは2つに1つだから、もう少し細かくアイテムを考えて、置くとするならばこの問題はどう考えるかとか、ポイントをある程度絞っていただきたい。それは座長代理と座長と事務局の方とで考えて、一応のアイテムを出していただく。そうすると頭の中も整理されて、今度はこういうふうな格好で話が進めばいいんだなと。

○提案させていただきたいが、座長と座長代理である程度抽象レベル、原理レベルで何がが論点になり得るかを少しアイテマイズしていただき、これを議論すればこの原理論のレベルはクリアできたといえるものをお示しいただいた方が進みやすいような気がする。

○あと2回ぐらいでそういうことをやろうと思っていたが、次回に少したたき台を出して御議論いただき、もう少し論点を詰めていくことは可能だし、きっとその方が早い。皆さんがそれで御賛成ならば、それでよろしいと思う。

○公正無私なる論点整理にはならなくて、主張が入ってしまうかもしれないがたたき台をつくってみたいと思う。それをつくるに当たっては政治学の委員には私的に相談させていただきたい。

(4)閉会

○次回は論点整理のためのたたき台を出していただき、それをベースとしてフリーディスカッションをすることにしたい。