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総理が執務をする「官邸」に対して、総理の日常生活を行う住まいを「公邸」と呼んでいます。官邸の南西にあって、平屋造り508平方メートルの広さがあり、官邸からは通路でつながっていました。
この公邸には、数々の歴史があります。昭和4(1929)年の竣工当時は、「日本間」と呼ばれ、田中義一総理から岡田啓介総理まで6代の歴代総理が入居しましたが、昭和11(1936)年の2・26事件で反乱軍に中を荒らされ、住居としての使用に耐えない状態となったため、その後、内部を改修して事務室として使われていました。
翌昭和12(1937)年には、官邸南庭の一角に木造2階建ての「日本家」が建てられて公邸の代わりとなりましたが、それも昭和20(1945)年5月の東京大空襲で焼け落ちてしまいました。
公邸は、戦後もしばらくは、事務室として使われていましたが、昭和38(1963)年に改修し、昭和43(1968)年に佐藤栄作総理が初めて使用し、その後、多くの歴代総理が入居しました。
この歴史ある公邸もいずれ取り壊され、これまでの官邸が移築・改修され、公邸になる予定です。 |
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