「21世紀日本の構想」懇談会

「21世紀日本の構想」懇談会

第1分科会「世界に生きる日本」第5回会合 議事概要


【日時等】

1.日時: 1999年7月8日(木) 16:10〜18:00
 
2.場所: 総理府本府 特別会議室
 
3.出席者
(メンバー50音順、敬称略)
五百旗頭真、北岡伸一、国分良成、関川夏央、添谷芳秀、高良倉吉、田中明彦、千野境子、山本正

【討議の模様】

 今次会合では、朝鮮半島及びアジア太平洋の現況と変化をテーマに、前者は関川夏央氏から、後者は添谷芳秀氏からそれぞれ問題提起を得、その後自由討議を行った。

《朝鮮半島》

1.冒頭、関川夏央氏より概要下記の通り問題提起がなされた。

(1) 朝鮮民族の思考の中にある伝統的意識には留意する必要がある。約50年の歴史の相違による韓国と北朝鮮との間の行動スタイルの相違は極めて大きいが、共通の文化的因子がその根底にはある。
 「内と外」の区別・峻別の意識は最も特徴的だ。朝鮮語に「ウリ」(こちら)と「ナム」(あちら)という言葉があり、「ウリ」は普通「私」とか「私たち」と訳されるが、むしろ「こちら」とか「うち」とか訳されるのが妥当で、「ナム」には身内意識をはずれた全てのものということになる。いわば、血族が「ウリ」の原型であり、その示すところは時と場合に応じて伸縮する。同居家族から八親等の一族、五代同祖、同姓同本、同地方と広がり、その最大時には朝鮮民族となる。朝鮮人の「私」意識はこの「ウリ」の中に埋もれている。それは近代国民国家とは本来なじまないものだから矛盾が生じ、「ウリ」を国家単位に高めようとするとき、「ウリ」を定立させるための「ナム」として日本が選ばれる。それが「反日」の根拠である。日本は根深く「ナム」である。また、南北関係が「ウリ」か「ナム」か、即ち2つの外国同士か国内問題か不明確になりがちで、そのことが北朝鮮の現政権後のイメージ及び統一のイメージを曖昧なものにしている。
 そして、この意識の根底にあるものは、華夷秩序である。中華に替わって米国がその地位を占める形で、この伝統的意識も生き残っている。

(2) こうした民族意識は簡単には変わらない可能性が大きい。北朝鮮の権威主義的統治方式も、北朝鮮全体を巨大「一族」化することと、金日成を聖なる「族長」とすることで保たれてきた。その構造は建国以来変わっておらず、このことを認識しながら北朝鮮に対処することが重要である。ポスト冷戦期の90年代に入って旧社会主義国からの援助が激減し、致死性栄養失調、極度の貧困が見られる。すべての経済建設を犠牲としても権力の確立と維持に全力を傾注した結果として、金正日による権威主義的統治の対象は「点と線」に限られ、「面」は国民の生存努力のみに任せる状況が現出している。対外開放による開発も、情報の大量流入は現政権の維持を極めて困難なものとするため、まったく考えにくい。こうした現状から見ると、いわゆるソフトランディングは困難と予想される。

(3) こうした中、韓国では、80年代まで盛んであった統一論が影をひそめた。韓国は、かつて日朝交渉にも半島統一を阻害するとして反対していたが、盧泰愚政権下で統一税構想が国民からの反対でつぶれたように、統一に対する熱意は冷め、現状維持が最優先である。黄海での南北衝突の際の柔軟な対応についても、現状維持が優先された結果と見るべきであろう。

(4) このような状況にある朝鮮半島に対し、日本は如何なる姿勢で臨むべきか。90年代に入って日本側の朝鮮半島に対する姿勢は大きく変化している。自衛隊が初めて領海警備活動を実施した工作船への対応、日本漁民の強い要求を初めて韓国に伝えた日韓漁業交渉、いずれも相手を驚かせた出来事であった。日本は「ナム」にも利害と立場があることを、朴正煕政権初期以来初めて伝えたのである。  北朝鮮に対しては、長期的国益を明確にした上で対処していくことが重要であろう。昨年夏、テポドン発射に驚いた日本は北朝鮮への一種の制裁行為をとったが、本年3月の工作船の侵入には、日本側から制裁措置はなかった。工作船事件でこそ制裁措置を発動するべきであったが、それが出来なかったのはテポドンへの過剰反応の結果、手続きが前後してしまったためだと思われる。また、政策全体を国民に説明する努力が不足で、コメ支援については目的がまったく不明確であった。

(5)朝鮮半島情勢については、真剣な情報収集と研究とを積み重ねていくことが不可欠である。情報分析機関の設置こそ焦眉の急で、不勉強の結果は「友好」という名のまやかしや敬遠に流れがちである。自国が直面する問題の解決を他人に委ねたり、自国の将来を真剣に考えず空論をにこやかにかわしてばかりはいられないのである。

2.以上の問題提起を踏まえて議論がなされた。主要発言下記の通り。

(朝鮮半島政策)

(中国との関係)

《アジア太平洋と日本外交》

1.添谷芳秀氏より、アジア太平洋と日本外交について、概要下記の問題提起があった。

(1)アジア太平洋の多国間外交
(イ)世界の潮流として、グローバル化に対応した地域主義の展開が認められる。APECは経済のグローバル化及びアジア太平洋のダイナミズムの産物であり、ARFの背景には冷戦の終焉と大国間関係の流動化がある。
(ロ)地域主義の展開は、大国主導のプロセスではなかった。APECの場合、日豪が協力してイニシアティブをとり、アジェンダ設定のやり方にも大国主導に対する一定の懸念が認められた。ARFはASEAN主導のプロセスであり、これらはアジア太平洋の一つの現状を示している。
(ハ)例えば、APECの初期段階で米国はずしと見られる動きもあったが、これは米国の一国主義への違和感によるものといえよう。但し、現実にはグローバリズムの中核にいる米国を見据えた秩序が必要であり、そこにはバランスが重要である。また、この地域のもう一つの大国たる中国が、現在の新たなアジア太平洋多国間プロセスに参入しているのは、そこに中国流の現実主義に適合する側面を感じているからであろう。しかし、中国流の現実主義と中国を国際社会に関与させようとする対中政策とは常に適合的なわけではなく、せめぎ合いもある。
(ニ)米中ともに大国は一国主義、二国間主義を好み、非大国主導の多国間主義とは葛藤がある。日本は、日米安保とARFとの両立志向に見られるように、その方法に足場を持っており、独自の観点がある。多国間主義外交の問題は、現実的争点への対処能力の欠如であり、ARFへの米国の不満は小さくない。このため、大国主導の多国間主義も理論的にはあり得る。例えば、朝鮮半島について米中が一定の合意に達する場合には、北東アジア地域では大国主導の多国間主義にならざるを得ないであろう。この場合には、ARFとは自ずと性質を異にすることになる。

(2)日本外交のアイデンティティー
 日本外交は、伝統的な「東」と「西」の狭間に立つという観点、および、「大国」路線は意識的に放棄した側面とそれでもつきまとう「大国」イメージとを併せ持つという二重の点で、アイデンティティー問題を抱えてきた。そして、日本が国際社会における如何なる主体であるかについて、日本自身にも他国にも明確なイメージがわかないことが、日本外交を根本的に拘束してきた。
 このうち、前者のアイデンティティー問題は、「アジア太平洋」外交の進展によって比較的順調に処理されてきた。戦後の日本外交は、対米関係を基軸としながらもアジアへの強いこだわりを引きずりながらスタートしたが、それは、60年代に「アジア・太平洋」概念へと発展したといえよう。それは、当初は先進国たる「太平洋」と途上国たる「アジア」とが峻別され、前者による後者の支援がイメージされる地域概念であったが、その後「・」なしの「アジア太平洋」、即ちダイナミックで相対化された全体としての地域概念に変化した。その変化がAPEC誕生における日本のイニシアティヴを可能にしたが、それはまさに、「東」か「西」かという発想を脱し外交の幅を広げる機会を日本に与えた。
 後者のアイデンティティー問題はより深刻である。非伝統的大国としての日本の事情を承知している立場からのみ理解可能な自己規定に安住することなく、「大国日本」というイメージへの手当ても含めた外交像が求められている。日本の自己規定のあり方として、例えば「ミドル・パワー」というのもあり得る。少なくともそれは、日本の外交像に関して人々の思考を刺激するだろう。しかし、直感的には日本は「大国」であるとする味方が大勢である。さりとて「大国とミドル・パワーの間」では中身がない。このため「シビリアン・パワー(民生大国)」というイメージには捨てがたいものが感じられる。いずれにしても、修飾語付きの大国と呼ばざるを得ないところに日本外交のアイデンティティーの問題が集約されている。

(3)アジア太平洋の将来と日本の役割
 冷戦後の国際秩序の流動化に伴う新たな規範・ルールの整備に、如何に日本が関与していくかは重要な問題である。望ましい規範・ルールの中核概念は、「ガバナンス」になろう。一例として、「人間の安全保障」を幅広い視野から検討し、地域におけるソーシャル・セーフティー・ネットの整備を枠組化していくことが、適切なガヴァナンスにつながるというアイディアは、検討に値すると思う。

2.以上の問題提起を踏まえて議論がなされた。主要発言下記の通り。

(アジア太平洋地域)

(日本外交のイメージ)

【分科会座長コメント】
 本分科会も、日本の国益と国際的役割を巡る議論から、日本の国家像をどう定義するかという中心部分へと議論は進んできた。
 戦後日本は、軍事に第一義的重要性を与えず、米国の主宰する自由貿易体制の中での通商を重視する経済国家として再生・発展した。それゆえ「平和国家」、「通商国家」、「経済国家」などが戦後日本を表現する際に使われてきた。戦前の日本が陸軍主導でアジア大陸に発展しようとしたのと対比して、戦後日本は海上ルートにより世界と結ばれる「海洋国家」であるとも論じられた。
 70年代の国際危機を乗り越えて80年代に経済超大国(80年代の世界GNPの「一割国家」から、90年の15%へ)となる日本では、逆に単なる経済主義国家であってはならないとの認識が強まった。「総合安全保障」や「トータル・ジャパン」像が求められ、「国際国家」や「責任国家」が語られた。国内的には巨大な「経済大国」であるだけでなく、質的に充実した「生活大国」たるべしと説かれ、対外的には、一方で国際安全保障や国際政治面の役割、他方で文化面での国際交流の拡充が求められた。
 冷戦後の日本は、国連PKOへ参画し、日米安保再定義から新ガイドラインへと進み、安全保障上の役割を急速に拡大している。しかし、国際常識からすれば、これまで極度に乏しかった安全保障上の国際的役割を、いくらか普通のレベルに近づけたに過ぎないであろう。日本が国際社会において、より積極的な役割を果たすことが望まれるのは、安全保障と民政分野とを問わないが、国の全体像から見れば、日本の活動は非軍事・民生分野に大きく偏っている。「シビリアン・パワー」の語は、そのことを積極的に表現しようとするものである。もしこれを用いるとすれば、国際安全保障への責任感を欠くものではないことを明確化する定義づけが必要とされよう。
 海外の資源と市場なしに生計を立てられない日本のような国にとっては、国際平和と秩序の下での自由貿易が vital interestであり、国際協調主義の国家であることは不可避である。そのような機能的特色からネーミングすることも可能であろう。最適の表現を求めて更なる検討を続けたい。

(文責:「21世紀日本の構想」懇談会担当室。なお、速報のため事後修正の可能性があります。)