日露を結ぶロシアバレエへの愛(2018年ロシア号)

岩田守弘

1970年、神奈川県横浜市生まれ。1995年にボリショイ・バレエへ研究生として入団し、1996年に正団員になり、2003年には第一ソリストに。2009年11月、「友好勲章」をロシアのメドベージェフ大統領(当時)より授与された。2012年より、ブリヤート国立アカデミーオペラ・バレエ劇場の芸術監督。2016年にはロシアの権威ある「バレエの魂賞」における「踊りの騎士賞」を受賞。©阿部 浩

 ロシア・モスクワのボリショイ・バレエで、外国人初の正団員、そして第一ソリストとして活躍した岩田守弘氏が、ロシアバレエと出会ったのは9歳の時。最初はビデオを通してだった。「さまざまな国のバレエを観ましたが、目を奪われたダンサーは皆ロシア人ばかり。今にして思えば、子どもながらにロシアバレエ特有の豊かな感情表現に感じ入っていたのかもしれません」

 高校卒業後、留学の機会を得てロシアへ渡り、国立モスクワ・バレエ・アカデミーで出会ったのが、生涯の師と呼ぶべき存在になった、故アレクサンドル・イヴァーノヴィチ・ボンダレンコ氏。師の言葉、「バレエは道徳だ。人生に大切な何かを、世界の誰にでもわかるように体だけで伝えるものだ」は、今も深く岩田氏の心に刻まれている。

 この留学が岩田氏の人生を決定付けた。プロフェッショナルとしてロシアバレエの本場で生きていくことを選んだ岩田氏は、1991年、モスクワの国立ロシア・バレエ団に正団員として入団し、3年間在籍後、世界的に名高いボリショイ・バレエ入団を目指すことになった。

 当時、ボリショイ・バレエには外国人を採用した前例がなかったが、岩田氏は研究生を経て、入団を勝ち取る。「最初の頃は精神的につらかった。他のバレエ団から移ってきた私はよそ者扱いでした。役ももらえなかったが稽古は好きだったので、しなくてもいい稽古まで何度も繰り返しやっていました」

岩田氏はブリヤート国立アカデミーオペラ・バレエ劇場のバレエ学校で、子どもたちに指導も行っている。

バレエと日本舞踊を融合させたオリジナル舞台『信長-NOBUNAGA-』では、マリインスキー・バレエの元プリンシパルで現ミハイロフスキー劇場バレエ芸術顧問のファルフ・ルジマトフ氏、日本舞踊家・藤間蘭黄氏と共に、戦国時代の武将たちを演じる。

 1996年には正団員として入団を認められ、2003年に第一ソリストに昇格。身長166cmと小柄ながら、高い身体能力、「正確無比」と称賛された技術、そして何よりもロシアバレエを深く愛し、ひとつひとつの役に打ち込むひたむきな姿勢で、周囲の評価を瞬く間に獲得していった。第一ソリストになってからも、演技を磨き、周囲の人の助言に真摯に耳を傾けた。「『白鳥の湖』の道化の役をもらったとき、バレエの神様ともいわれるユーリー・グリゴローヴィチ氏から直接、指導を受けたことは、とても幸運だった」と言う岩田氏は、個性的な役のスペシャリストとして知られるようになった。

 17年間在籍したボリショイを退団した岩田氏が、キャリアの次の一歩を踏み出す地として選んだのは、やはりロシアだった。ロシアの師たちから受け継いだバレエを、今度はロシアの若手へ伝えたいと、ブリヤート国立アカデミーオペラ・バレエ劇場の芸術監督に就任した。

 現在は、芸術監督を務めながら、現役バレエダンサーとしても活動を続けている岩田氏。日本にロシアバレエを広めたいという思いから、日本公演もたびたび行っている。2015年からは、ロシアバレエと日本の伝統芸能である日本舞踊を融合させたオリジナル創作舞台『信長 ―NOBUNAGA―』に出演している。

バイカル湖畔にあるブリヤート共和国の首都、ウラン・ウデで、地域の人々と触れ合いながら多忙だが充実した日々を送る。岩田氏の右に座る2人は、ブリヤート国立アカデミーオペラ・バレエ劇場で主役級を務めるプリンシパルダンサーの団員。

 岩田氏は「ロシアと日本の文化はとても相性が良いと思う」と言う。ロシアの友人の多くは親日家で、彼らから逆に日本文化の良さを教わることもあった。「僕がロシアのバレエや文化を愛するように、ロシアの人々も日本の芸術や文化に興味を持っている。人間の内面を外へ外へと表現するのがロシアの文化で、内へ内へと突き詰めていくのが日本の文化。真逆のようだが、だからこそ共鳴することも多い。『ロシアにおける日本年』であり、『日本におけるロシア年』でもある2018年は、ロシアで記念公演を行う予定で、ロシアの人々にロシアバレエを通して、日本をより身近に感じて欲しい」

 ロシアと日本、双方の文化をつなぎ、時代に左右されない後世に残るバレエを生み出すことを、岩田氏は目指している。

関連リンク